2015年生まれの長男くんと2018年生まれの次男くんのママをしているアラフォーです。 「カブトムシ採ってきて」とか「抱っこして!おんぶして!ジャンプしてよー!」とか言われて真顔になる毎日ですが男子たちに囲まれて寝る瞬間が1番幸せ♡そんな日々を綴っています。
2015年生まれの長男くんと2018年生まれの次男くんを子育て中のアラフォーママ。 「カブトムシ採ってきて」とか「抱っこして!おんぶして!ジャンプしてよー!」とか言われて真顔になる毎日も、男子たちに囲まれて寝る瞬間が1番幸せ! そんな日々を綴ります。
ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは、はなうさです。 今回は子どもの「お小遣い」についてのお話です。 小学生になった頃からお小遣いに興味を持ち始めた長男ですが、その頃はまだ足し算引き算を習い途中だったのでまずは計算ができるようになってからと言っていました。 そこからお小遣いの必要性も特にないまま2年生、3年生へと上がったのですが…。 3年になり、学童にはほぼ行かなくなった長男。平日もおやつを自宅で食べるようになったある日、その日の気分とおやつに用意していたグミが噛み合わないという日がありました。一緒に買い物した時にお会計の仕方を話したばかりだったのでアイスを1人で買いに行ってみないかと提案してみたところウキウキの長男。 しかし、いざお財布を開くとそこには小銭がない…。今ほとんどスマホかカード決済なので財布に現金がほとんどなく、いきなりお札を持たせるのも心配だったので結局一緒に買いに行きました。 お小遣いを渡すにもまず小銭が必要! しかも今の時代、100円じゃほぼ何も買えない…。130円くらい持たせないとならないので結構小銭が必要。 その日から外に出た時になるべくお金を崩すようにしました。 おやつを自分で買えるようになった長男は日に日に「お小遣い」への憧れが強まったようです。周りのお友だちももらってる子がチラホラいるらしく、長男のように好きなおやつを買う以外にもカードや文房具を買っているそう。 長男がお小遣いをもらったら一体何に使うのか聞いてみたところ… まさかの貯金!! 慎重な長男らしい回答で思わず笑ってしまったのですが、その理由が「いざという時のため」=「住むところがなくなっちゃったりとか」というかなりヘビーな展開を想定していたのにも、かなもたまげました笑 お金を貯めることも計画的に使うことも生きていく中で大事なこと。 とりあえず、お小遣いという形はまだ保留にして次のお年玉は長男が自由に使えるようにしようという話をしています。 好きなものを買っても良し、使わずに取っておいてもよし。貯めておくと言ってますがその時になればまた気分が変わっているかもしれません。 とはいえ、まだまだ子どもなのでまとまったお金が手元にあるのは怖いこと。 お年玉を渡す前に、お金の話や勉強も一緒にしていきたいなと思いました。
2024年10月21日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは、はなうさです。 長かった夏休みが終わりましたね。過ぎてしまうとあっという間ですが、子を持つ親にとってやはり夏休みは長いもの。 そんな夏休みですが、今年の我が家は新たな試みをしました。それは─ 今年小学3年生になった長男からとうとう「学童行かない」宣言が出ました。 いつまで通わせるか悩ましい学童ですが、3年生に進級したタイミングで周りのお友だちもほとんどが通わなくなり、うちの子も放課後公園遊びをするようになったので夏休みも行きたくないと言い出すだろうとは思っていました。 せめて午前中だけでも行ってほしいという気持ちはありつつ、暑い時間に帰って来させるのことを考えるとそれはそれで心配。 覚悟を決めて夏休みは学童に通わせないことにしたのですが…。 以前ほどではありませんがやはりまだ3年生。仕事をしているとだいたい横で「お腹空いた」「暇」と話しかけてきます笑 ですが暇なら宿題を終わらせてしまえばと言うとどこかへいなくなる! 学童に行っていた時の方が家で過ごす時間が短かったので宿題は限られた時間に集中してできていたのですが、ずっと家にいると「いつでもできる」と思ってずっとやらない…。 これ、仕事でもタイトスケジュールの方が効率アップして捗るのと同じですよね。 中々進まない宿題に悶々としつつ、それが終わったらスッと肩の荷がおりて毎日ガミガミ言うこともなくなったので、やることをいかに計画的に終わらせられるかが夏休みお互いの精神衛生上に関わってくることがわかりました。 1時間くらいのリモート打ち合わせなら1人で静かに待ってられるようになったので成長したなぁと感じることもできた夏休み。 お昼ご飯の用意はそこまでストレスではなかったですが、子どもと一緒に毎日食べていたら私はすっかり肥えてしまいました笑 来年はどんな夏休みになるかなぁと一年後に思いを馳せる夏の終わりです。 ではまた!
2024年09月20日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 長男が小学一年生の時、学童で他の子が間違えて長男のランドセルを持ち帰ってしまいました。 相手の親御さんと連絡がつかず、折り返しの電話を待つことにしたのですが… 双方の家庭の事情もあるのでこのまま連絡がつかない場合どうするかは学童側も指示しづらい状況のように感じました。 ある程度こちらから提案した方が良さそうだと判断した結果、こちらが打診したのは2つ。 その1、間違えて持って帰ってしまった子のランドセルをこちらが持ち帰り、明日学校で交換する。これが1番シンプルな方法ではないかと考えました。(その場合私も一緒に登校し先生に事情を説明) その2、学童は平日の朝は閉まっている為、残されたランドセルを学校に預かってもらう。これは学校側も巻き込んでしまいますが他の子の私物を持ち帰るリスクは回避でき、双方の担任の先生方にも事態の把握をしてもらえることになります。 もしあと10分待って連絡がなかった場合、このどちらかの方法で対処できないか相談したところ… 相手のお母さんから折り返し連絡がありました! すぐにランドセルを持ってきてくれることになったので、安堵と共に相手のお母さんを待つことにしました。 10分弱待ったところで、ランドセルを持ったお母さんがやってきました。 良かったという思いで学童の先生と相手のお母さんのやり取りを後ろで聞いていたのですが… とってもお疲れの様子のお母さんはこちらには気づかなかったのかため息と共に去っていきました。 ランドセルを受け取った先生が慌てて謝罪してくれましたが、もうランドセルが手元に戻ってきただけで万々歳! もはやそれ以上のことは望みません! 笑 相手のお母さんのお疲れ具合も、学童の先生方のご心労も全てがわかり過ぎるので結果オーライで学童を後にしたのでした。 まさかのことが起こる小学生一年生ならではの出来ごとだったなぁと今となってはすでに懐かしい思い出です。 ではまた!
2024年08月23日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が小学一年生の時に学童で起こったある出来ごとのお話です。 一年生の頃、毎日学童へお迎えに行っていました。 その日お迎えに行くと学童の所長が何やら慌ててやってきたのでケガをした、もしくはさせてしまったのかとヒヤヒヤしたのですが… 何と長男のランドセルを間違って別の子が持って帰ってしまっていたのでした! 長男の通う学童はお迎え時間が近づくとすぐ帰れるようにランドセルを取りに行き席の横に置いておく流れになっていて、その際に自分のランドセルがなくなっていることに気づいたようです。 すぐに学童のスタッフの方たちが探してくださったそうなのですが、置いたはずの近くにあったランドセル(長男のランドセルに似ている)がすでに帰宅した子のものだと判明。 その子の親御さんに連絡してくれたのですが電話は繋がらず、事情だけ留守電にメッセージを残した所で私がお迎えにやってきたのでした。 なんとも一年生らしいハプニング笑 同じような色のランドセルにみんなお揃いの黄色いカバーを付けているので間違えても仕方ないですよね。だって一年生だもの。 とりあえずその子の親御さんから折り返し連絡がくるのを待たせてもらうことになりました。 自分のランドセルがなくなって長男は少しブルーなご様子。 果たして親御さんと連絡がつくのか。 今日、長男のランドセルはどうなってしまうのか。 続きは次回! ではまた!
2024年07月20日以前次男が運動会でクラスのお友だちからお手紙をもらったお話を書いたのを覚えていらっしゃいますか? 今回はその続編(?)です! 春から年長になった次男。 ある日、お手紙をくれた〇〇ちゃんに折り紙を折ってあげる約束をして帰ってきました。 しっかり希望の色も確認してきたようでその色の折り紙を買って欲しいと頼まれました。 いくらだって買いましょう! そう意気込みましたが折り紙が家にありこと足りました。 すると次男。折り紙を可愛い封筒に入れて渡したいと言うではありませんか。 大事。そういう細かな所も大事! お手紙を書いた時の長男の影響なのか、受け取り手の気持ちに寄り添う心が次男もしっかり育っているのだなと感じました。 可愛い封筒あったかな? と探してみると… 実用性100%の茶封筒しかありませんでした。 前回お手紙の返事した時使い切ってしまったようです。 流石に茶封筒には次男も渋い顔をしたので可愛いレターセットを買いに行くことにしました。 買ったレターセットですが3セット入っていて、余ったものは私がもらおうと思っていたのですが次男は速攻で私と長男宛にお手紙を書いてくれました。 しっかり愛を振りまきつつレターセットを消化しきった次男。 それを微笑ましく眺めていたパパから 「パパには?」のツッコミが入ったのは言うまでもありません。 その後、パパには折り紙に書いて渡していました笑 しっかりオチをつけてくれる次男なのでした。 ではまた!
2024年06月21日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が小学2年生に進級した時の思い出です。 この前小学校に入学したと思ったらあっという間に一年が過ぎました。 初めての進級は入学に比べればバタバタもせず「もう2年生かぁ」としみじみ子どもの成長に想いを馳せていたのですが…。 進級するにあたり、すっかり忘れていたことが一つありました。 それは体操着のゼッケン交換。 そんなことすっかり頭から抜けた状態で気づいたのが体育の授業がある前夜でした。 とりあえず明日の授業はこのゼッケンのまま出て欲しいと長男に交渉しましたが返事はNO!しかも「絶対に嫌!」のNO! 横にいた旦那が「1年生のままのゼッケン嫌なのわかる」と長男に寄り添っていたのでゼッケンは旦那にお任せすることに。 妥協案で上から数字を書き換えたのですが… なかなかの力技に長男の表情もはじめは曇ったままでした。しかし一度だけの着用なので修正テープで調整しながらなんとかそれっぽい見栄えにはなり最終的に長男もしぶしぶ納得してくれたのでした。 ゼッケンが前学年のままがそんなに嫌だとは…。大人にとっては些細なことでも繊細な子どもにとっては大事なのだと感じ、来年は絶対忘れないと心に誓いました。 そして3年生になった今年。 春休みからゼッケンは完全待機。しかし今年度は始業式(金曜日)の持ち物に体操着が入っていました。新学期は持ち物が多いので分散させるために先生が事前にスケジュールを立ててくれていたのです。(月曜日に身体測定で体操着を使うため始業式の持ち物に入っていました) 身体測定はみんな前学年のままなので問題はないのですが、最初の体育までにゼッケンを替えなければなりません。 長男に月曜日に忘れずに持って帰ってくるように伝えたところ… なんと面倒だから1週間そのままでいい宣言! 去年のアレはなんだったんだ…!! 一年でだいぶたくましくなったというか、いい意味で細かいことは気にしない術を身につけたのだなぁと思ったのでした。
2024年05月24日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が生まれてからはじめて降った(2018年の)大雪の日のお話の後編です! 当時働いていたアパレルのお店の状況も大丈夫そうだったのでいつもの定時より早く早退させてもらった私。 お店の最寄り駅の電車は問題なく乗れて安心していたのですが… 電車を乗り換え改札に入ってすぐ人混みで身動きが取れなくなってしまいました。 SNSを見ると改札にも入れないと言う人や電車は来るけど乗れないと言う人も… どうにか駅構内に入ったもののその後私も何本も電車を見送り、乗った電車も常に徐行運転。結局いつもより1時間以上かけて最寄り駅に着いたのでした。 駅を出るとそこは一面雪化粧。 雪に足を取られながら保育園に向かいました。 結局、いつもとあまり変わらない時間でのお迎えとなりました。 それでも無事にお迎えに来れて良かったと少し安心していたのですが…。 本当の本番はある意味長男をお迎えに行った後でした。 絶賛イヤイヤ期の2歳児を連れて大雪の中での歩行。小さな足はすぐ雪に沈んでしまい歩く度に長靴の中に雪が入り込みます。 それが不快で脱ぎたいと泣き出す長男。 家はもう目と鼻の先。ここからはもう担いで帰ろうと決意しましたが長男は傘を渡したくないとまた泣きます。 気づくと私の長靴の中にも雪が入り込み足はぐちゃぐちゃ。手足の先は寒さでジンジンと痛みます。こんなの子どもが我慢できるはずもなく、なんでもっと早くお迎えに来なかったのだろうと「たられば」を頭の中で繰り返しながら情けなくて泣けてきました。 帰ろうと思えば帰れたのに、そうしなかったのは自分。 「帰れるか心配なのはみんな一緒」という後ろめたさを帰る時間を伸ばすことで軽くしようとしただけでした。 その結果、子どもと雪まみれになって親子で風邪でもひいたらその方がお店に迷惑になるのに、何故それがわからなかったのか。今となってはそう思います。 判断を間違えた。 お店のスタッフには申し訳ないけれど、こんな日はサクッと帰らせてもらい明日からまた頑張って感謝を示せば良かった。 まさに後悔先に立たず。 次に大雪の時は…と思いましたがその後都内であれほどの大雪が降ることは今のところありません。 でも、雪の予報を見るとあの日のことを思い出して胸が少しチクッとするのでした。
2024年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が生まれてからはじめて降った(2018年の)大雪の日のお話の前編です。 当時、長男は2歳で私はすでに復職済みでした。 雪が降る前日からテレビでもネットでも雪による交通機関への影響を心配する声で溢れかえっていました。 予報では昼頃から雪は強くなり、なんと関東でも20センチの積雪が見込まれていました。 当時はアパレルショップで働いていました。もちろん、当時これくらいの予報で休館するテナントはありません。 問題は帰宅です。 雪の影響で交通機関が麻痺してしまうのはほぼ確定していたので、何時に早退させてもらうかが重要でした。 この時の私はその判断を大きく間違えてしまったのでした。 店長は子どもがいる私を気遣ってくださり、早退は自己判断でいつでもと委ねてくれました。 お昼休憩中、まわりのみなさんと同じくずっと交通情報と雪の様子をチェックしつつ、15時頃早退すれば大丈夫だと思いました。それでもいつもよりだいぶ早い退社時間でした。 それよりも早く早退できなくもなかったのですが、帰りがけにお買い物する方が意外といらっしゃるのと、他のスタッフへの後ろめたさを勝手に背負い込んでギリギリの時間を設定してしまいました。 それが大きな間違いだったのです。 続きます!
2024年03月25日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男の冬休みの宿題「書き初め」のお話です。 長男の小学校は、冬休みの書き初めは習字がスタートするまでフェルトペンでの硬筆。 一年生よりも文字数が増えていました。 マス目が印字された清書用紙は2枚あり、うまく書けた方を提出することになっています。 慎重な長男は去年、鉛筆で下書きをしていたんですが二年生になった今年は自信50%と面倒くささ50%が芽生えたようで下書きなしで書き始めました。 一枚目、失敗しました。 気持ちが折れたようでまた後でやると言ってやったのが冬休み最終日の夜。 ラストチャンスなので二枚目は下書きを薦めたのですが… 面倒くささが100%振り切ったのか下書きなしで果敢に挑戦する長男。 嫌な予感しかしません。 二枚目も失敗しました。 なんてことでしょう。 さぁどうする、どうしよう。 こんな時ついこちらからアドバイスしてしまいがちですが、ピンチは子どもの解決能力を上げるチャンス。長男の案を待つことに。 するとまだ二年生ですが、こちらが考えていた策と同じ案が出てきました。 でも一つ出てこなかったのが… 大人でも案外難しい「相談」と「お願い」 怒られたくない気持ちや迷惑をかけたくない気持ちが勝ってしまうんですよね。 怒られないようにすることも大切ですが、頼ることもしてほしい。 怒られたら謝って、次気をつければいいのですから。でも子どもにとっては腹を括るのも大変なこと。 そんな長男がとった行動。それは…。 最後は神頼み!! しかも祈るだけではなく、きちんと行動で示し徳を積んでいる…!! こんな姿を見ては報われることを祈らずにはいられません。神様が見ていなくても、母はしっかり見ているよ!! 最後まで悪あがきも忘れず(笑)いよいよ3学期。 結果、どうなったかと言うと… なんと授業でまた書く時間があり、提出用に持ってきたやつよりうまく書けたらそれを出して良いということになったそうです。 神様! 仏様! 長男にとってはとても緊張した時間だったと思いますが、失敗した書き初め一つで長男の色々な姿を見ることができました。 まだまだ親が手や口を出して助けてあげられることは山とありますが、そこはぐっと堪えて親の出る場を見極め、できる限り本人の力を信じようと私自身も思ったのでした。 それではまた!
2024年02月26日ウーマンエキサイトをご覧の皆さまこんにちは、はなうさです。 今回は去年うちの次男(5歳・年中)の運動会が終わった後に起こったあることのお話…。 そう、まさかのクラスのお友だちから突然お手紙を渡されたんです。 こんなことはじめて!! で、親のほうがドギマギしてしまいました。 果たして中には何が書いてあるのか…気になって仕方がない!! でも子どもとはいえプライベートなことなので見たい気持ちをぐっと堪えました…。 帰ってから次男がお手紙を見せてくれたのですがそこには『またあそぼうね』という言葉とふたりが遊んでるイラストが添えられていました。(ズキューン) ※お手紙の内容はフェイク入れています。 なんてピュアなのでしょう。ピュアさしかありません。 これはお返事をと次男に持ちかけたのですが…。 返事を書きたくないと言う次男。 まだ5歳だけど、なんか気恥ずかしい感じが表情から読み取れました。 するとそこに首を突っ込んできたのは長男笑 「返事を書いたら喜ぶと思うよ」 の一言に次男の心が動いたようで。 こういう時って、親が言うより兄弟同士のほうが響きやすかったりしするよな~と思いながら様子を伺うことにしました。 長男が相手の子の好きな色や物を聞き出してアイデアを出してくて無事にお返事のお手紙が完成! 子どもながらに、一生懸命に相手を想ってお返しすることができる二人の姿に成長を感じたのでした。 しかし、恥ずかしがり屋の次男は数日渡せず…笑 1週間くらいしてようやく本人に渡せたそうです。 喜んでくれたと次男も嬉しそうで私もほっこりしたのでした。 ではまた!
2024年01月26日■前回のあらすじ 最後の妊婦健診で赤ちゃんの心音が弱いと指摘され、急遽入院することに。待っても陣痛が来なかったため、バルーンを入れることになりました。 ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 臨月の妊婦健診でNST(ノンストレステスト)に引っかかり、即日入院した後にバルーン&促進剤コースでいよいよ出産のゴングが鳴らされた次男の出産レポ。 今回が最終回です! バルーンを入れた翌日の朝、促進剤投与が始まりました。 しかしなかなか進まないお産。てっきり打ったら割とすぐくるものかと思っていました。(甘かった) そこで、悩んだのが旦那を呼ぶ時間。 この日は休むと言ってくれていたんですが、長男出産時の経験から至急口7cmくらいになるまでまぁまぁ暇させていたなと笑 陣痛の痛みが出てからは水分補給の補助や、お尻にテニスボールを当ててもらったりしてとても助かったのでそのタイミングでいてくれればと思い、お昼ごはん食べてからきてほしいとお願いしていました。 しかし… なかなかお産が進まない!! 長男の時は破水→病院→到着後陣痛が始まり4時間のスピード出産だったんですが、促進剤スタートしてから3時間過ぎても重めの生理痛くらいの痛さ… これは旦那が着いた時点で5~6cmくらいしか進んでないのでは!? という気がしてきました。 するとそこへ促進剤のおかわりの準備にきた助産師さんが… その助産師さん調べによると、陣痛アプリにせっせと記録している妊婦さんほど陣痛が進まないと聞き、速攻でスマホ投げ捨てました笑 そうこうしていると旦那が到着し、促進剤の様子やらなにやら話している間もどんどんお産が進んでいると実感があり…。 旦那も来たし、このままいけば夕方までには産めそう! と思っていたのですが…。 破水したと思ったらすでに全開! あれよあれよと分娩室に移り、もう痛みもMAX状態‼ その急展開に自分でも驚いたんですが、それは旦那も同じようで… 分娩室に移ったのはいいものの、旦那がいないとざわつく助産師さん。 その様子に気づき「え!? いないの!?」と驚く私。 ここからがまだ長いと思っていた旦那は院内にあるコンビニでお買い物してたそうで、戻ってきたらさっきまで私がいた場所に誰もいなくてビックリしたそうです笑 2人目で余裕ぶっこいていたのは旦那も同じでした笑 無事に旦那も分娩室で合流し、その十分後には産まれてきた次男。 私は見えなかったけど、首に臍の緒がグルグルに巻き付いてしまっていたそう! それで苦しかったのかもしれないねとのことでした。 確かに胎動強めで元気な子だなぁとは思っていたけど臍の緒巻きつくまで暴れていたのか…。 (ちなみに5歳になった今でも寝相悪いです笑) 2人目で流れがわかっていても、やはり思いもよらないことが起こるのが出産だなぁと改めて思ったのでした。
2023年12月22日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は次男の出産レポ第2話です。 ■前回のあらすじ 第一子出産のときにひどいマタニティブルーになり、ふたり目を産むのが不安になっていたのですが、いざ妊娠してみると忙しくてそれどころではありませんでした。とくに問題なく妊娠は経過し最後の妊婦健診の日。なんと今日から要入院と言われてしまったのです。 長男妊娠中とは打って変わって、心身ともに穏やかに過ぎていったマタニティライフでしたが、臨月になり予想外な展開に…。 なんと妊婦健診で赤ちゃんの心音が弱いことがわかりその日から急遽入院することになってしまいました。 いつ陣痛がきても大丈夫なように準備してはいたものの、予期せぬ展開に何が何やらで頭の中はもう大パニック。 お腹の中の赤ちゃんにいったい何が起こっているのか。 無事に産まれてくるのか。 実家に預ける長男は大丈夫だろうか。 色々な不安が一気に押し寄せてきました。 入院中、動ける時に院内を動いてみたものの全く始まらない陣痛。なんとなくもうこれはバルーンコースだなと悟ってはいたものの、それ即ち出産へのゴング。 いよいよ迫ってきた出産を目前にして、バルーン・促進剤という未知なる恐怖と、はじめて離れた長男への恋しさから眠れずにメソメソ泣きました。 長男の時はそんな夜も沢山ありましたが、次男妊娠中、泣いたのはこの時だけでした。 そしていよいよバルーン…。 噂には聞いていたものの、本当に!!いっっったい!!!もちろん出産のほうが痛いんですけど、バルーンはバルーンで痛かった…。 そんなバルーンをぶち込み、次の日はいよいよ促進剤を使うことになりました。 明日無事に陣痛がきて出産できるのか!? 次回次男出産レポ最終回に続きます! ではまた!
2023年11月21日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは、はなうさです。 今回からは次男の出産レポになります! もうすでに5年前の話になるので、私も当時を思い出しつつ懐かしみながら描かせていただきます! 長男妊娠時、私はマタニティブルーでかなり不安定になっていた時期がありました。 だからふたりめは欲しかったけれど、あのマタニティブルーがまたあると思うと不安になるレベルでした。 しかしそれがふたりめを諦める理由にはならず、案ずるより産むが易しの如くふたりめの妊活をスタートさせたのでした。 ふたりめ妊娠中はまさかのマタニティブルーのマの字もない生活でした。 大きな理由は2つあって、1つ目はやはり上の子(長男当時2歳)がいたこと。 そして2つ目は妊娠出産を一度経験したことである程度流れが予測できていたことが大きかったと思います。 2歳の長男は絶賛イヤイヤ期で、妊婦の私は毎日の子育てと仕事の両立でにいっぱいいっぱいだったこともあり、出産への不安を感じる暇もなかったのかもしれません。 それでもお腹の中の赤ちゃんも問題なく育っていたこともあり、二回目ともなると心の余裕が全然違うなと感じていたのですが…。 妊娠後期、まさかの予想外な出来事が起こるのでした。 続きは次回! ではまた!
2023年10月20日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は夏まつりのお話。 久々かつ夕方からのおまつりとあって親子でドキドキしながら開催地の学校へ向かうと、近所のお友だちがすでにきていました。 高学年になるお友だちのお兄さんは、現地ではお友だちと楽しんでいました。 高学年にもなるとそうなりますよね。 ただ、この日は19時半までのおまつりだったので帰りは家族で帰るとのこと。 夜のおまつりは自分も小学生まではそうだった気がするんですが、中学はどうだったかな~…。親も一緒に行っていたような気もするけれど、おまつり自体は友だちと楽しんでいて親がその場にいたかは記憶になく…。 でも帰りは友だちと誰かしらの親御さんもいた気がするんですよね。 女の子だったからかな? と、男兄弟がいなかった私は思い、旦那はどうなったか聞いてみました。 すると、旦那は中学生の時におまつりで怖い経験をしたらしく… なんと知らない男性が自転車で追いかけてきたというのです!! なんで!? おまつりで酔っ払った人でしょうか…。 とにかく怖い。その人は旦那と旦那の同級生を自転車で追いかけてきて、二手に分かれた所で同級生の方について行ったとのこと…。 1人取り残された旦那は同級生が心配で、遠回りをしてその子の家の外で帰りを待ったそうです。 待っていると1人で友だちが帰ってきました。 おじさんは途中で巻いたそうなんですが… しつこく追い回してきたおじさんが最後の力を振り絞って同級生に言った言葉が「お前競輪選手になれるぞ!」ってどういうこと!? おじさんは酔っ払っていたのでしょうか…。本当のところは分かりませんが、子どもだけで行動すると、いつトラブルが起こるかわからない怖さがありますよね。 おまつりって楽しいですけど、大人はお酒も入るし、近所だからといって油断できないないなぁと旦那の話を聞いて思いました。 いずれうちの子も親とは別行動になる時期が自ずとやってきますが、常日頃から「何かあったら大声で助けを呼ぶ」「逃げる」を言い聞かせないとなと思いつつ、子ども時代のおまつりを思う存分楽しんでほしいと願う夏の終わりなのでした。 ではまた!
2023年09月25日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は子どもたちの食の好みのお話。 子どもの好き嫌いありますよねー…。 我が家の場合、離乳食時期から好き嫌いはあまりなく野菜もイヤイヤしながらも食べていた2人。 しかし、最近になってそこに変化があらわれ… 次男はなんだかんだで食べるんですがものすごく時間がかかります。あまりダラダラ食べさせるのもどうかと思いますが、30分以上かかりながらも食べ切ることがほとんど。 しかし、長男の場合苦手な物は食べたり間引けばなんとかいけますが、嫌いな物は全く受け付けません。 食材でいうと「きのこ」がその一つ。 大人でもしいたけが苦手な人いるのでそれはなんとなくわかるんですが、意外なのはスィーツ系で食べられない物が多いこと! 子どもが好きそうなデザートが結構食べられず、長男だけ別の物を用意することが多いです。 そんなふたりが愛してやまないのが「米」 とりわけ白ごはんが大好物です。 白ごはんが好きすぎて、野菜が多いおかずの日は白ごはんだけ先に食べてしまうのでバランスよく食べているかチェックしないとおかずを残されてしまうことも…。 8歳の長男はここ最近は言わなくてもバランス良く食べるようになりましたが、4歳の次男はまだ難しいようです。 そして白ごはんのこだわりがおかずとごはんは別に出してほしいということ。洗い物削減のためについつい「丼」にしてしまいがちなのですが…。 私も旦那も納豆は小鉢に移し替える家庭で育ってきましたが自立した後もその習慣を受け継ぐかは別問題。実家を出たらそんな丁寧な暮らしはせず、納豆はパックからそのままお茶碗へスライド式に速攻チェンジしたタイプです。 子どもが生まれてからもそれは変わらずですが、なぜか子どもたちは納豆やおかずは別のお皿を用意してほしい派。 食の色々なこだわりも親と似たり似なかったり、個性がでますね。 好き嫌いに関してはなるべく減らしたいですが、成長とともに嗜好が変わることはよくあるので気長に見守っていきたいと思います。 ではまた!
2023年08月25日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は我が家の兄弟喧嘩について。 うちの子は3歳違いの男兄弟で、もう毎日喧嘩上等な日々です。 頻繁に喧嘩するようになったのは長男がまだ5歳、次男が3歳の頃。 歳の差もあるので毎度、圧倒的力の差で長男が勝ち、次男が泣きながら私に訴えてくるのがパターンです。 そしてお互いの言い分タイムが始まります。 こちらとしては思うことはただひとつ。 「 どうでもええわ 」です。 夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、兄弟喧嘩は母も食わない、食いたくない! ただ、とにかく騒がしいので一刻も早く喧嘩をやめて欲しい。それだけです。 お互いの「長男が!」「次男が!」にこちらのジャッジメントを問われることに頭を抱えていました。 先輩ママたちからは「ほっとくのが1番」と口を揃えて言われ、やはりそうなのかと地蔵のように喧嘩を見守るようにはしていました。 ただ気になったのが… 二人の様子を見ていると大抵長男が先に仕掛けていることが多く、その内容も兄弟喧嘩というか、弱い者いじめに見えてきてしまいなんだか色々不安になってきました。 もしかしたら長い自粛生活でのストレスなのか…(当時年長だった長男は)年中の時登園拒否が少しあったので、園で人間関係で悩みがあるのでは? と心配で本人によく声かけをしていました。 長男の卒園を目前に控えたある日、園の個人面談があり、そこで長男の家での様子を相談してみることにしました。 すると、園ではお友だちや育てている生き物を大切にしていること、子どもは大抵家と外では全然違うものだと言われました。 そして「お母さんが長男くんを信じてあげなきゃ!」という言葉に思わず号泣。 長男がすごく優しい子なのを誰よりも知っているはずなのに、兄弟喧嘩の時の長男ばかりに目をやりすぎてしまっていたことに園長先生の言葉で気付かされました。 それからはお互いに対しての優しい行動はとにかく褒めまくり「ママの大好きな子に優しくしてくれてありがとう! あなたのことも大好きだよ!」と伝えたり、優しくしてもらったことは忘れずに、相手に返そうねと言うようにしています。 それでもまったく喧嘩は減りませんが(笑) その声かけが、私自身子どもたちの良い所に目を向けるキッカケになっているので、二人の優しい所を再認識しながら今後も地蔵になって兄弟喧嘩を見守っていけたらなと思います。 それではまた!
2023年07月24日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 子どもの成長とともに広がる「子ども同士の繋がり」 親の手元を離れていく、自立への一歩でもあります。 保育園の頃はお友だちの持ち物や好きなキャラクターなどに影響を受けたりすることが多く、「自分もテレビで〇〇見たい!」「あのキャラクターのパンツが良い!」など、「自分も欲しい」「やってみたい、見てみたい!」という影響が多かったのですが、長男が小学生になってからは新たな要求が出てきました。それは… 「〇〇君のお家に遊びに行きたい!」 そう、お友だちのお家に行きたいという新たなフェーズに突入したのです。 ここで問題なのが、小学校と保育園の大きな違いで親同士の繋がりがほとんどないということ。(送迎がないだけで全く面識がなくなる) それに反して子どもたちはより、個人同士での親交を深めていきます。この図、まさに反比例。 お友だちの顔も、ましてや親御さんの連絡先なんて知る由もありません。 いつか来るとは思っていたけれど、ついに来たか、という感じ。 長男はまだ一年生。そして、この頃はコロナも落ち着いてきてはいたものの、マスクも日常的に使っており色んな意味で「まだ早い」時期だと判断しました。 長男には相手のご家庭のことやおうちの場所もわからないのでそのことも踏まえておうちに行くのはまだ早いと説明し本人もそれで納得したのですが…。 次の日。 「〇〇君のおうちわかった。近いよ。」 と長男。登下校コースが一緒だったのかな? と思って聞いてみると、なんとパソコンの授業で使う地図サイトを駆使してみんな自分の家の場所を教え合っているとのこと!! これには私もビックリ!! じ、時代~!! 今はそうやって家の場所を教え合うのかと驚きつつも、近くてもおうちの人の事情もあるから遊びに行くのはダメと言ったのですが…。 なんとお家の人の許可までとってきた…!! おいおい、すごい行動力だな。遊びに行きたい熱量は伝わってきたのでそこまでしてお友だちの家で何をしたいのか聞いてみると… ですよねー!! 我が家にはゲーム機がないのですが、祖父が長男のために買ってくれたものが私の実家にありまして。じぃじばぁばのおうちに行った時だけの楽しみになっています。 ゲーム大好きな長男は、やはり同じゲーム好きだったことから〇〇君と仲良くなったようで毎日ゲームネタで盛り上がっていたそうです。 その流れから「今度うちでやろうよ!」と誘ってもらい、長男から私に友だちのお家に遊びに行きたいとお願いしてきた、という流れでした。 おうちの場所もわかり、親御さんの許可も降りている…。ここでいいよと言っていいものなのか、旦那とも相談した所やはり「子ども同士の約束」なのでOKを出すにはリスクが高いという判断に。 長男は残念そうでしたが、何かの機会にお友だちの親御さんに会えたらおうちに行っていいのかきちんと確認するねと説明しました。 しかしそのあと話は急展開。 「今週の土曜の1時から2時の間だけなら遊びに来ていいって言われた」 これまためちゃくちゃ細かいスケジュールでお誘いがきた!! 1時間だけというのがリアルなところ。 これは本当に行ってもいいものなのか。 激しく揺さぶられる…。 結局、行きと帰りは私が送迎し、着いた際に本当にお邪魔して大丈夫かの確認をするということで長男はお友だちのおうちに遊びに行くことに。 しかし当日、次男が熱を出してしまい長男を行かせることが出来なくなってしまいました。 「月曜日、事情を話してごめんねって伝えて」と話していると、家のインターネットがなりました。 そこには長男くらいの子とお母さんが! 慌てて長男に確認するとやはり〇〇くん!! なぜ〇〇くんは来てくれたかというと… なんとやはり子ども同士のみの約束だった!! わざわざそれをご丁寧に家まで伝えに来てくれたのです。 子どもたちだけで細かい時間(しかもリアルに親が指定しそうなお昼後からおやつ前w)まで調整したことに驚いたと同時に、親同士が確認し合えない難しさを痛感したのでした。 結局、その後〇〇君のお家にはなかなか都合が合わず遊びに行かないまま長男は2年生に。 2年生の新しいお友だちとも「家に来て」「家に行きたい」話は出ているらしく、長男がお友だちのお家に遊びに行く日はそう遠くなさそうです。 はじめてのことで子どもはワクワク、親はヒヤヒヤ。 あと数年もすれば、週末はお友だちと予定を立てて子どもたちは家にいないなんてことも増えてくるんだろうなと思うと、家族で過ごせる週末も今だけのものなんだも切なくなる母なのでした。 それではまた!
2023年06月20日■前回のあらすじ それまで順調に保育園に通っていた長男。しかし自粛生活が明けて登園再開してから、保育園で泣くことが増えていきました。そしてとうとう長男の口から「行きたくない」という言葉が…。 ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が年中の時に起こった「登園拒否」についてのお話、後編になります。 前回、とうとう長男の口から出た登園拒否。 行きたくない子を連れて行くのって骨も心も折れるもので…。騙し騙し園まで引きずって行って、先生のナイスアシストでなんとかこの日は園へ受け入れてもらいました。(先生さすがプロ!) 当時の私はお店の早番シフト(1人体制)で開店準備業務があったので毎日ドキドキヒヤヒヤしながらの登園でした。 その後も、やはり保育中に泣いてしまうことは続いており、話を聞くとだいたい同じ子の名前がでてくるようになりました。 長男と一緒に遊びたいAくん、しかし今は他のことがしたい長男。気持ちの切り替えや、想いをうまく伝えることがまだ難しい年頃ならではのぶつかり合い。 こちらは先生が気にかけてくれていて、いつもフォローに入ってくれていました。 そしてもう一つ。お友だちが風船を割ってしまい周りのお友だちが強く指摘している様子を見るのが辛くて泣いてしまう、なんてことも。 みんな言葉が悠長になってくるので、そういったシーンでも強い言葉が出てしまうこともあり、そんな時言われている本人より長男が泣いてしまうこともあったそうです。 小さいながらに周りとの人間関係に戸惑いながら過ごしていた長男。 親としては全力でサポートしていきたい!でもこの先色々心配な気持ちも正直ありました。 そんな長男へ、ある日旦那が言った言葉。 「行きたくなかったら行かなくていい」 その言葉を聞いた瞬間、「仕事は!?」と思ってしまった私とは裏腹に、長男の顔には光が差すのがわかりました。 旦那が長男と話すのを見て、私は今まで自分は長男に具体的な言葉をかけていなかったことに気づきました。 そして、「行きたくなかったら行かなくていい」という大胆な言葉と一緒に「 自分の気持ちは声に出していいし、出さなければ伝わらない 」という大切なことを長男に教えてくれた旦那。 その後、少しずつ「いやだ」を相手に伝えられるようになった長男は気持ちを言うことで友だちと反発し合ったりもありつつ、泣いたり登園拒否することは徐々に減っていきました。 子どもが成長するにつれて増える子ども同士の人間関係トラブル。 子どもは親元を離れ少しづつ強くなり、親もそれと共に子どもへの接し方や寄り添い方を学ぶ日々です。
2023年05月22日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 今回は長男が年中の時に起こった「登園拒否」についてのお話を、前編・後編に分けてお届けしていきます。 長男は0歳の頃保育園に入園してからというもの、朝の送り出しでグズったりもせず、すんなりと受け入れ完了する日々でした。 しかし、事態が変わったのは年中に上がってからのことです。 進級早々に新型コロナウイルスで2ヶ月の休園。今までの生活が一変してしまいます。 思い返すとあれはあれでまだ小さな子どもたちと毎日密な生活を過ごせた貴重な時間だったと思えるんですが、当時は中々ハードでしたよね!? そしていよいよ仕事が再開し、規制はあれど日常に一歩近づけた喜びは大きなものでした。 そんなある日… お迎えの時に先生から「お友だちと気持ちがぶつかって泣いてしまった」というお話を聞きました。 家でも話を聞いてみましたが、本人はすでに気にしていない様子。 しかし… その日から毎日、長男は保育園で泣くようになり、午後になると「ママに電話して」と先生に頼むように…。 次の日の朝には何事もなかったように登園する長男。色々頑張って、でも午後には心が折れて…その繰り返し。 「ママに早く迎えにきてほしい」と先生にお願いするその様子を想像したら胸が潰されそうになりました。 そんな中、度々緊急事態宣言が発令され、園も休園を繰り返していました。 長男もずっと家にいると保育園のお友だちや先生に会いたくなるようで、休園明けは晴れ晴れと登園していく姿にほっと胸を撫でおろしていたのですが…。 とうとう長男の口から出た「登園拒否」 その理由とは… 続きは後半で!
2023年04月24日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは、はなうさです。 今回は我が家のはじめての習い事について。 次男の育休中から検討していた習い事ですが、当時シフト制だった私の仕事事情(毎週同じ曜日に休めない)とそこへさらにコロナがのしかかり、完全に習い事への道が絶たれておりました。 しかし数年前に私はフリーに転身、去年長男も小学生になったタイミングでようやく習い事を始められる環境になったのですが…。 本人のやる気なし…!! 笑 長男は私に似て元々インドア。それが外出自粛期間を経てさらに加速したように思います。 本人が自発的にやりたいと思ったことをやらせてあげたい気持ちはありましたが、長男の性格上、こちらが待っていてもその時は(当分)来ないなと(笑。 本人発ではない習い事は言ってしまえば親のエゴですが、私たち夫婦が習い事を検討したのにはわけがあります。 外出自粛もあり、ただでさえ制限のある生活を数年過ごしてきた今、色々な「経験」が子どもたちにとってより必要なことだと感じていました。 そうなると親のプレゼン能力が問われる。 一度体験に行ったことのあるプールにまた行かないか全力で勧誘をかけることにしました。 意外にもこちらの提案にノリノリだったのは次男。多分よくわかっていない4歳児(笑。 しかしこうして行く気満々の次男の付き添い的な感じで、長男も渋々プールの体験に行くことになりました。 行ってみるとやはりプールは楽しかったようで、2人とも次の日も来たいとすっかりハマった様子。 気持ちが変わらないうちに翌日入会し、次の週から正式に習い事がスタートすることになったのですが…。 気分がコロコロ変わるのが子ども。 数回行って終わることができない(できるけど)ことは口酸っぱく伝えておきました。 プールを始めて1ヶ月くらい経過した頃、長男が行き渋りする事は何回かありましたが、行ったら行ったで楽しいようで。(行くまでが憂鬱なことは大人になっても多々ある) 行きたくないという日もありつつなんだかんだ半年続いたある日。長男からある質問を受け… どうやらスイミングもプールじまいがあると思っていたようで(笑 「そろそろ終わると思って頑張っていたのに」と、ここでまたちょっとやる気スイッチ切れたんですが、次男が一緒に通っていたのとたまたまクラスメイトのお友だちが同じ曜日に入っていたこともありなんとか続いています。 やはり知っている子がいると心強い…! 今は前ほど面倒くさくないと本人は言っています。(そんなに面倒だったんかい) 続けることでランクが上がったり、泳ぎを褒めてもらって自信にも繋がったようです。 今後も「辞めたい」「やりたい」など色々問題はありそうですが、習い事を通しての成長も見守っていけたらなと思います。 ではまた!
2023年03月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 早いもので長男が小学校に入学して一年が経とうとしています。 そろそろひとりで電車に乗ったり、買い物に行ったりできるようになる頃だと思うのですが実際自分がいつ、それらをはじめて経験したかは記憶がない。 なので母に聞いてみました。 その頃まだ妹が小さかったので、多分母は妹の育児に追われていたんだと思います。 姉と遊んでいると思っていた私がいないことに気づき、母は慌てて家中探し回ったそうですが見当たらず…。 近所の公園やお散歩コースを探しても姿がない。 まだ小さかった私はひとりでそう遠くへは行けない、そう思っていた母でしたが…。 普段行っていた大型のスーパーは歩くと片道30分。 お散歩がてら母に連れられてよく行ってはいたものの、まだ小さい子どもがひとりで行けるとは考えにくい距離。 でも、もしかしたらと思い向かった先のスーパーに、私はいたそうです。 お菓子売り場の前で、しっかりお菓子を握りしめて。 私を見つけた母は脱力し、神経がすり減ったそうです。自分のことながら、子どものすることって本当に想像を越えてくるもの。 最近ニュースでも、子どもがひとりで家から出ていってしまうというものを見かけます。小さいからまだ大丈夫ではなく、本当にあらゆることを想像して安全対策しておくことが大事なんですね。 なお、まわりのママ友に聞いたところ、はじめてのおつかいは計算ができるようになってからということで小学2~3年生が多かったです。 小学生ともなると、どんどん親と離れた世界に羽ばたいていきます。でもまだ心配なことも多い時期。だから外に行くときのルールをもう一度親子で話し合ってみようとあらためて思いました。
2023年02月27日■前回のあらすじ 中学生になるとなぜかお父さんにイライラして仕方がなかった日々。自分でも理由がわからず苦しんだのですが、そんないら立ちも高校生になったころにはパッタリとなくなったのです。 父とは中学生になってから三年以上口を聞いていなかのに、高校生になってからは急に距離が縮まりなんとふたりで映画を観に行くまでにもなっていました。 この急変化に自分も父もそして他の家族も驚いていたけれど、誰もそれに触れることなく、何ごともなかったかのように、そして私はまたあの父への嫌悪感が戻ってこないことを願いながら過ごしていました。(多分父も) 学校やバイトで家にいる時間が減り、あまり父の存在を過剰に感じなくなったからなのかイマイチ自分でもわかりません。 父に対しての強めの反抗期は意味もからず始まり、そして終わったのでした。 しかし反抗期が終わった10年以上も後に、父への壮大な反抗期の原因は「アレ」だったのではないかと思うことがありました。 それはあるドキュメンタリー番組に出ていた女性のある言葉でした。 彼女は、病院で医師に幼少時代から色々遡って話をしていくうちに自分では気づかなかった「兄弟への嫉妬や劣等感」を抱いていたことに気付きました。 自分ではそこまで気にしているつもりがなかったととても驚いた様子を見て「そうなんだ」くらいの気持ちで眺めていたのですが…。 そこでふと、父への反抗期を思い出した私。 あの意味不明なほどの反抗期にもやはりなにか原因があったのではないか。 時間が過ぎた後でも時々考えることがありました。 テレビに出ていた女性が言っていた「自分ではそこまで気にしているつもりはなかった」という言葉が妙に胸に引っかかりむず痒くてそこをポリポリかくように記憶をたどりました。 すると、もしかしたらという出来ごとを一つ思い出したのです。 父に嫌なことをされたことがないのになぜこんな父のことが嫌なのか。 ずっと悩んでいた私は、多分、いや絶対にそれだという出来ごとを思い出して静かに納得したのでした。 妹の親友が夏休みに遠くへ引っ越してしまってから妹の元気がなかったのは当時子どもだった私の目から見てもわかるほどでした。 引っ越した友だちに会わせたいという父の想いも理解できましたし、私の誕生日は2人が妹の友だちに会いに行く前に家族みんなで祝ってくれました。 なにより、帰ってきた妹はとても嬉しそうで安心したのを覚えています。 しかしながら当時まだ幼かった私は、やはり胸の奥深くで自分の誕生日に家族がいないことが悲しくて辛かったと傷ついていました。 良い子になって納得し、モヤモヤした感情に蓋をしてそれが反抗期で爆発したのかもしれません。 今となっては私が反抗期当時の父の気持ちを想うと申し訳ない気持ちと、長い期間見守ってくれたことに感謝しています。 (父との仲が今良好なのも反抗期の時の父の寛容さあってこそだと思っています) 今では自分自身も二児の母。 これから沢山の選択をしながら二人にどう寄り添えばいいのか、なにを優先すべきなのかその都度見極めていく立場となった今、とても考えさせられる過去なのでした。
2023年01月27日■前回のあらすじ プチ反抗期の長男。見ていると自分の反抗期を思い出します。実は、3年間父と口をきかなかった時期があったのです… ウーマンエキサイトをご覧の皆様こんにちは、はなうさです。 今回は私が父と口を聞かなかった3年間のお話の第2話です。 うちの父は子煩悩で、母が「あなたたちが子どもだった頃、お父さんは本当に子どもたちを可愛がってくれたからその思い出だけで全部許せる」というほどでした。 確かに、週末は父と遊んだりどこかへ連れて行ってもらった記憶が沢山あります。 しかし… ある日突然やってくる、それが反抗期なのでしょうか。 中学に入ってからやたらと父に対してイライラや嫌悪感が出てくるようになり、その感情は日に日に大きくなっていきました。 なんとなく父を避けるようになり、私から話しかける事もなくなりました。 父から声をかけられてもつたない返事を返したり、聞こえないふりをして過ごすように。(思い出しただけでも父に申し訳ない…) そんな態度の私に対し、父は怒ったり注意したりはしませんでしたが、私はなにをされてもされなくても父に対して腹が立ってしまい…。 自分でもなんでここまで父に対して反抗心があるのかわからず悩む日々。 泣きながら家族や親戚に相談したこともありました。 叔母から言われたことは「本能なら仕方がない」と悶々としていた気持ちを少し晴らしてくれたのでした。 理由がわからないまま月日は流れなんだかんだで中学3年間はほとんど父と口をきかず過ぎていきました。 そして高校生になった私。 反抗期はつづいていたかというと… 昔のようにまた父とふたりで出かけるようになっていたのです。 あの3年間はなんだったのか…。 自分でもよくわからないまま、でもとくに深入りもせず自分の反抗期に蓋をしました。 それから月日は経ち、20代になった私はあの長かった父への反抗期のキッカケかもしれない出来事を思い出したのでした。 次回、最終回です!
2022年12月23日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは! はなうさです。 今回は誰しもが通る反抗期のお話。 小学一年生になった長男は最近プチ反抗期。 というか、口が立つようになったので「ああ言えばこう言う」という一種の成長を遂げているわけですが、まだリアクションだったり声だったりが可愛いので全然見ていられるレベル。 これが成長していくにつれて体も態度もデカくなると思うと母は色々気が滅入ってきたりもします。 私自身、女姉妹で育ったこともあり、男の子反抗期は未知の世界。 逆に男兄弟で育った旦那にお義兄さんや旦那の反抗期はどんな感じだったかと聞くと… 旦那もお義兄さんも口ごたえや喧嘩はしたけど暴言を吐くなどはなかったそう。 ただ、喧嘩をしてお義父さんにキッチンで背負い投げされたことがあるらしく男子らしいというか、一体なにで喧嘩したら背負いなげされるのか。(覚えてないらしい) かく言う私も反抗期がありました。 私の反抗期は完全に父にだけ向けられていて、その間約3年以上もの月日を、私は父と一言も口を交わすことなく過ごしました。 今回はそんな自分の反抗期を振り返っていきたいと思います。
2022年11月28日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは! はなうさです。 今回は 『私が今までにした中で最高に最悪なこと』 後編です!! 小学四年の夏休みに思いつきで地下室を作ろうと掘った穴。結局そのまま放置して二学期に突入したある日、祖父が穴のある裏庭で骨折したと聞き… 裏庭で骨折と聞けば普通なら足挫いたのかななどと思うところでしょうが、この時の裏庭には私が掘ったあの穴があったので嫌な予感がしました。そしてやはりそれが的中。 大変なことになってしまった、という罪悪感に襲われていた私はその時母にあの穴を掘ったのは自分だと打ち明けられませんでした。 その時、思い出していたことがありました。 それは私が小学生に上がる頃まで生きていたひいおばあちゃんのことで、元気だったひいおばあちゃんがある日骨折してからみるみる元気がなくなり、その後すぐ他界してしまったのです。 葬儀の席で「あの骨折がなければ」と悔やむ親戚の会話を聞いていた私は、祖父の骨折=死というあまりにインパクトの強いイメージを抱いてしまい怖くなってしまいました。 それでもやはり祖父のことが心配で様子を見に行くと祖父は庭にいました。 骨折しても大好きな庭いじりをする祖父の姿を見て少し安心しましたが、安静にしていなくていいのかという不安もあり、祖父には穴のことを正直に話すことにしたのですが…。 怒られると思っていたら、爆笑されて拍子抜けしました。驚いたのは祖父も母も私が掘った穴だと気づいていたことです。 私は3人姉妹の真ん中なんですが、母は『なんで掘ったのかはわからないけど、こういうわけのわからないことするのはだいたいはなうさ』だと言っていたそうです(笑) 祖父を骨折させてしまったので母は怒り心頭だったに違いありませんが、祖父が叱らないように言ってくれたんだろうなと思います。 大人になった今思い返すと自分だったら頭ごなしに怒ったり問い詰めたりしてしまわないだろうかと考えさせられます。 そしてあの穴は人に悪さするために掘った穴じゃないと信じてくれていた2人の信頼を裏切るようなことはこれからもできないなぁと子どもながらに思ったのでした。
2022年10月25日ウーマンエキサイトをご覧のみなさんこんにちは! はなうさです。 みなさんは今までの人生でした一番悪いことってなんですか?(突然すぎる) そう、今回のお話は『私が今までにした中で最高に最悪なこと』について。 前後編2話でお送りしたいと思います。 ふとした思いつき それは私が小学校四年生の夏休みのこと。 やりたいことや楽しみにしていたことはある程度済ませてしまい暇を持て余していたある日のことです。 子どもの頃『秘密基地』って妙に憧れませんでしたか? その頃、木の上に小屋を建てるのが密かな夢でした。 しかし、小屋を建てるとなると技術や材料が必要です。そのくらいは小学四年ともなるとわかってくる。 『ならば地下室を作ればいいのでは?』 と思いつきました。すみません、小学四年の私、その程度でした笑 今となっては呆れますが、当時の私は大発見というか、なんでみんな掘らないんだ!? くらい思って心を弾ませていたのです。 早速、裏庭を掘ろうと繰り出したのですが… 祖父が帰った後、いよいよ地下室作りをスタート!! 地下室のことは大人にはバレたくなかったので、隣の家との間にある大人1人ギリギリ通れる程の場所に掘ることにしました。 掘りかけの穴が事件を起こす… しかし… 掘ってみて『あ、これ、無理かも』と、はじめて気づいたわけですが、1時間ほど掘っても(結構やったな)自分の体半分も埋まらないほどの穴にしかならずゲンナリしてしまいました。 この時点でほぼ、地下室作りは諦めモードだったと思うんですが、小一時間かけて掘った穴ですし、また気分が乗るかもしれないと、その時は一旦穴を隠すために家にあったベニア板で穴をふさぎ、その上に土をかけました。 その後、やはり地下室作りへの情熱はきれいサッパリなくなり、隠された穴をそのままにして夏休みは駆け足で終わっていったのでした。 二学期が始まり、家の横に掘った穴のことなど頭からきれいさっぱり消えかけていたある日のこと。 学校から帰ると母の様子が慌しく、どうしたのか聞いてみた所… 『おじいちゃんが裏庭で足を骨折しちゃったのよ』 母の言葉を聞いたその瞬間、私の脳裏にはあの『穴』の存在が光の速さで戻ってきて自分の体がヒンヤリ冷たくなるのがわかりました。 次回に続きます。
2022年09月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは! はなうさです。 前回、長男のトイトレのお話を振り返りましたが今回は次男! つい最近オムツ取れたてでホヤホヤのお話になります。 「オムツ取れるの早め」は2人目あるある 2人目ってあっという間に成長するとは聞いていましたが、我が家もまさにその通り。あっという間に1歳になり、2歳になり、そして気づくと次男のトイトレの時期に差し掛かりました。 なんとなくスムーズにいきそうな気はしていたのですが… まずトイレに入れないという事態が発生。 どうやらトイレが怖い様子。 夜のトイトレはやめて日中の時間帯に少しずつ進めて行くことにしました。 そうするうちに自発的には行かないものの、こちらから誘うと行くようになり、次第に自らトイレに行きたいと教えてくれるようになりました。そこで、そろそろ完全にオムツからお兄さんパンツに移行しようと思っていたのですが… 思わぬ障壁が! 遊びに夢中になるとトイレに行かない。 明らかにトイレ行くのが面倒くさくなってる! 誘っても遊んでいる時は「大丈夫」と言って行かない。 オムツの楽さがわかってしまった3歳児。移行どころかお兄さんパンツを履く回数が減っていく…。 どうしたものか。 ないと不安なのでオムツもなくなると買い足していたのですが… 思い切って オムツを買わないという選択をしてみました。 卒乳並みに卒オムツ宣言! オムツからの卒業! 盛大にありがとう! さようなら! と最後のオムツを送り出してみました。 すると… しっかり保育園でも「今日最後のオムツを履いている」と先生に報告をしたそうです。子どもって素直…!! その後数日「もうオムツ買わないんだよね?」とオムツがないことを確認されましたがなんとかそのままお兄さんパンツに移行した次男。 兄弟それぞれの個性が出たトイトレでした。
2022年08月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは!はなうさです。 最近我が家の次男(3)が完全にオムツからパンツに移行しました。 そんなわけで我が家の男児たち(長男と次男)のトイトレの様子をお送りしたいと思います。 長男の場合 私が「トイトレ」という言葉を知ったのは長男が2歳になった頃のこと。 保育園では2歳の誕生日頃からトイトレをスタートしている子もいたのですが… 以前こちらの『両手に男児』にも書いたように長男は発語がゆっくりだったため、トイトレも焦らずゆっくり進めていこうと思っていました。 保育園の先生と相談して3歳の誕生日前頃からスタートしようと考えていたので、「ボチボチ始めるか」と声をかけてみたところ… 全くやる気のない長男(笑) 突然スピードアップするトレーニング 私はというとこの頃次男の出産を控えていたので、「次男が産まれてからトイトレ始めてもいいか」と呑気なことを考えていました。 しかしある日事態は急変します。 突然長男が全くやる気のなかった長男が 「お兄さんパンツがほしい」 と言い出しました。トレーニングし始めの時は自分で選んだパンツのほうがやる気がでるかもと思い、長男を連れて慌てパンツを買いに走りました。 買ったパンツを嬉しそうにはく長男。 お兄さんになったなぁと成長を感じつつ「完全にオムツ外れるまでは時間がかかるだろうからゆっくりやっていこう」と思っていた私でした。 ーが、想像の斜め上を行くのが育児というもので…。 パンツで寝る宣言! 突然始まったトイトレは猛スピードでステージアップ!! 日中でもまだ完璧ではない状態なのに、寝る時もお兄さんパンツを履いて寝たいと言う長男。 オムツで寝てほしい親vsお兄さんパンツで寝たい子どもの戦いが始まりました!! 本人のやる気を損ねないよう説得したものの、敏感肌の長男にはお兄さんパンツが快適だったようで、要望通りトイトレ開始後すぐに丸一日お兄さんパンツに。 緊張感が走る深夜の寝室。 速攻で防水シーツをポチる母。 しかし母の心配をよそに滅多におねしょをすることがなかった長男。 その後、トイトレはスムーズすぎるほどスムーズに進み、用意していた「トイレ頑張ったねシール」やトレーニング用のオムツが使われないまま残ったのでした。 準備したものが残り、緊急に必要になる物が出てくるって育児あるあるですね。 次回は次男のトイトレのお話です。 ではまた!
2022年07月21日■前回のあらすじ 文武両道だったキミちゃん。生徒会長として卒業式で生徒代表挨拶をするはずだったのですが…受験に失敗したショックのためか、卒業を前にして、学校に来なくなってしまいました。 合格確実と誰もが疑わなかった第一希望の高校を落ちてしまったキミちゃん。 生徒会長を務めていたキミちゃんは卒業式の生徒代表挨拶をする予定でした。でも、卒業式を前にして学校を休み続け…当日来れるかわからないまま卒業式を迎えました。 今回が最終回です! ※このお話は実際の経験をもとに、フィクションを交えてお伝えしています。登場人物の名前は仮名です。 キミちゃんは卒業式の生徒代表の挨拶の場に姿をあらわしました。 その姿はクラスが違う私が見ても、というか誰が見ても痩せ細って衰弱している様子でした。 マイク越しから聞こえてくる弱々しい声。 そんな状態ですら生徒代表の挨拶を務めあげようとする意志の強さに目をみはるばかりで、話していた内容は全く覚えていません。 この時私は、キミちゃんが卒業式に姿をあらわしたのは生徒会長として最後の挨拶をするためだと思っていたのですが… 時が流れ、成人式でのことです。 中学を卒業してから久々に再会する友だちも多い中、みんなの変わったり変わってなかったりしている様子にソワソワしながら式が始まりました。 新成人代表の挨拶。誰だろう。と思っていたらキミちゃんでした。 卒業式ぶりに見たキミちゃんは健康的な女性そのもので、堂々と代表の挨拶を読み上げていました。 元気そうで良かった 実際元気かどうかはわかりませんが、卒業式に明らかに弱っていた姿を見ていたので晴れ姿のキミちゃんを見て少し安心しました。 小学一年生以来、同じクラスになっていなかったキミちゃんとはこれきりになるだろうと思っていたのですが… 成人式が終わった後、キミちゃんから声をかけてきました。 そしてまさかのあの事件のことを謝ってきたのです。 ビックリしすぎて私まで震えました。 卒業式の日に来たのはそのためでもあったのかと知りさらに驚きました。 「大丈夫だよ」「もういいよ」かける声は沢山あったはずなのに、あまりに驚き過ぎて振り絞って出た言葉は 「うん」 強張った笑顔で「うん」と言うのが精一杯でした。深々と頭を下げてキミちゃんは去って行きました。 時が流れ、私も子どもを産み、その子が今年小学一年生になりました。今でもあの時、どうしたら良かったのか考えます。 もし我が子が同じ経験をしたら…? もし、キミちゃんがしたのと同じような行動をしてしまったら? そんな時どうしたらよいのでしょう。 キミちゃんのようにしっかりした子でも、強すぎるプレッシャーで押しつぶされれば、歪んでしまうことがある。子育てをしながら時々思い出します。 もし子どもが間違ったことをしてしまったときは、子どもを追いつめる何かが背景にあったのでないか、まずは探ろうと思うのです。
2022年06月24日■前回のあらすじ 「色鉛筆を盗られた」という友だちの話を聞いて、初めてあの時きみちゃんに本を盗られたのかもしれないということに思い至ったのでした。 三年になると… きみちゃんは変わらず文武両道で、所属していたバスケ部では一年生の頃からスタメンエース。もちろん後に部長を務めるなど活躍はよく耳にしていました。 そして生徒会長になったきみちゃん。 本当にすごいなぁとただただ感心していた私でしたが…。 それは中学卒業間際の三学期。 クラスメイトだった生徒会長副会長の松田君が、卒業式の生徒代表挨拶の代役をするかもしれないという話題でクラスがざわついていました。 理由は、生徒代表の挨拶をする予定のきみちゃんが受験に失敗して学校に来ていないからだと言います。 その話の中で、きみちゃんの家庭がエリートで、そんな環境の中きみちゃんが育ったことを知りました。 家族や周囲の期待を一心に背負って挑んだ受験。そして挫折。 きみちゃんが第一希望に落ちたと聞いてみんなと同じように私も驚きました。 それと同時に同じ歳の同じ受験生として想像しただけでゾッと背筋が凍り、脳裏にはあの「うたの本」のことがよぎりました。 きみちゃんが盗んだ私のうたの本。 まだ小学一年生だった私ときみちゃん。 物をなくすなんて当たり前の年齢でした。 でも、当時からきみちゃんはそんな失敗が許されないというプレッシャーの中で生きていたのかもしれません。 もちろん、どんな理由があろうと人の物をとるのはいけないことですが、あの頃より少し成長した私はまだ小学一年生だった頃のきみちゃんが、どんな気持ちでうたの本をとったのか考えると胸が締め付けられました。 あの時、私がまわりの大人に言っていたら何か変わってたのかな そんな途方にないことが頭を過ぎては消えていきました。 そして迎えた卒業式当日。 卒業生代表として壇上に上がったのは…。 ※登場する人物の名前はすべて仮名です。 次回に続く(全5話)
2022年05月25日