何を食べても味がしなくなり…。避難生活で心を蝕ばんだものとは?
ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。
ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。
避難生活で感じたことは?
義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。
一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。
1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。
被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。
私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。
思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。
もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あのとき必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。
夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。
※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。
著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江
姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
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