2017年1月24日 17:00|ウーマンエキサイト

未熟な自分を信じられなくても【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第10話】


18歳で妊娠し、19歳で出産した私は、「やっぱり若いお母さんだからね」と世間に白い目で見られたくなかった。出産が誤った選択だったと思われたくなかった。

そのためにも、ちゃんと子育てしなきゃいけないと、何となくいつも、大きなプレッシャーを感じていた。ちゃんと、という漠とした言葉がまた非常に厄介で、何を持って「ちゃんと」と言えるのか全く明確じゃない。

だからせめてもの気持ちで“私は常識的な人間です”と、必要以上に社会に示そうとしていたのだが、そのせいで、本当ならもう少し余裕をもっていたっていいところで、子どもたちの言動を、過剰に制していたこともあったような気がする。

これらのことを思い出した途端、当時、日常的に抱えていた緊張感や孤独、強がりたい気持ちが急激に蘇って、うっ、と胸が苦しくなった。記憶の奥に眠っていたもの、蓋をしておきたかったものは、どうもこれだったのだ。

今では、周囲に年下のママも沢山いるし、私が年相応に老けたことによって、子どもの一人や二人いても好奇の目で見られたりもしなくなった。
ましてやそれなりに子どもたちが育って、それぞれちょっと変わったところはあるけど、他人に挨拶ができたり、思いやりをもって接したりできることを、彼ら自身が示してくれるようになった。そうやって子どもたちが個人として社会との関わり合いを深めていくことで、親である私は徐々に、勝手に背負いこんだ妙な重圧から解放されていった。

だから、すっかり忘れてしまっていたけれど、電車やバスの中で、泣いている赤ん坊を一生懸命あやすお母さんに、つい、大丈夫ですよ、と声をかけたくなるのは、やっぱりそこに無意識に、かつての自分を投影してしまっていたからだったのだろう。

私は若くして母になったことを負い目に感じていたけれど、そうでなかったとしても、親になることに真摯に向き合う上では、きっと誰もが、嫌が応にも、自分の弱さ、未熟さを突きつけられることがあるだろう。自分が親になるのにふさわしい人間か、世の中の善悪、正誤を子どもに提示できるだけの人間か。自分が自分を疑うほど、社会もまた同じような目で自分を見つめているような気持ちになる。

結局、子どもを産んだ当時から今に至るまで、私の精神的なあり様は何も変わっていような気がするけど、それでもなんとか15年間は、親でい続けることができた。そんな今、昔の私にかけてあげたい言葉は、こうだ。


“大丈夫。社会はあなたが思うほど、あなたが親としてふさわしい人間かどうかを見定めようとはしていない。”

たとえ自分が自分を信じられなくても、社会の方は、案外、そんなに冷たくない。たくさんの見知らぬ人が、子どもを大切に思ってくれる。未熟な親に、暖かく手を貸してくれる。冷たいように見えるとすれば、社会にいる多くの人は、その思いを伝える方法を持っていないだけなのだ。(WEラブ赤ちゃんステッカーもそのために発案したものだ。)

自分が信じられなくても、本当は暖かい社会を信じて、頼って、やっていけばいい。


“あなたの子どもはそうやって、不器用なあなたと、優しい社会に守られながら、気の利いたことが言える程度にはちゃんと育つよ、だから、大丈夫”

緊張感でいっぱいだった昔の私に、今、そんな風に伝えてあげられたらな、と思うのだ。

未熟な自分を信じられなくても【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第10話】
イラスト:片岡泉

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