コミックエッセイ:夫婦・子育ていまむかし

太夫と花魁の違いとは? 調べてみると奥が深い「遊女の歴史」(後編)【夫婦・子育ていまむかし Vol.6】


自由は失われ…管理された街へ

阿国歌舞伎ブーム後、幕府によって島原に移転された傾城町は、塀に囲まれた場所に遊女たちを集住させ、主に特権階級の接待をする場所となりました。遊女たちはいずれかの遊女屋に所属し、支配され管理される生活に変化していきました。
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同時に、それまで曖昧に兼ねていたような宗教性を失っていきます。


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江戸前期の寛文の頃の史料からは、太夫と呼ばれる全てにおいて優秀な最高級遊女を筆頭に序列を作り、着るものから髪型までを取り決めて管理するようになっていたことがわかります。

幼少期(禿)から素質のある子をマニュアル通りに育て、個性よりも完璧性を追求した遊女。中世までのイメージとずいぶんかけ離れていきますね。

太夫と花魁の違いとは?

ちなみにとてもよく似ているようだけど京都・島原のトップの称号である太夫と、時代劇などで見る江戸・吉原のトップ、花魁は実は全然違うんです。
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「太夫」とは元々能や舞踊に優れた者に与えられる称号であり、また島原の太夫の中には「正五位」を授けられ天皇と謁見できた人もいたとか。芸能や貴人の接待に重きを置いていたことがわかります。

一方この島原を模して江戸に作られた吉原は、同様に江戸幕府公認の遊郭でありながら、犯罪を犯し非人となった女性や人身売買で売られてきた子どもなどが遊女にされることが多く、一握りの高級遊女以外は奴隷的な生活を送っていたのも事実でしょう。江戸吉原は庶民も手を伸ばせば届くような娯楽の場として発展し、目的も性的なことが中心となっていきます。

花魁という呼び名は、禿が「おいらの太夫でありんす」などと言うところを省略し「おいらん」と短くなったのが始まりという説があり、禿を従えるクラスの高級人気遊女という意味の敬称のようです。

こちらの江戸吉原が、現代の遊郭・遊女のイメージに近いのではないでしょうか。

…お気づきでしょうか?

遊女には、古代から長きにわたって築き上げられてきた歴史があるにも関わらず、普段私たちがイメージするのは、江戸吉原の遊女・遊郭のみとなっているのです。


歴史を学んで身に付く力とは?

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私は遊女という職業・商売形態を全肯定したいわけでも、酷い目にあった女性たちがいるという事実を伝えずに子どもたちに良いイメージを植え付けたいわけでもありません。どちらかというと、大人には都合の悪いことも史実は史実として伝えていくべきだと思っているクチです。

でも今回このテーマで2回に渡って書いたのは(これまでの記事にも共通しているんですが)、現代の私たちが知っている(つもりになっている)歴史なんて流れのほんの一部をだったり、意図的なムーブメントでいかにも伝統のように作られた比較的新しい価値観だったりすることもあるのです。

ネットでなんでも調べられる時代だからこそ、簡単にわかったつもりになってしまい浅い理解で止まってしまうことって…歴史に限らずよくありますよね。

興味を持ったことだけでもいいので、物事の流れを知って情報を整理していろんな角度から正しく全体像を捉えられる人に自分もなりたいし、これからの子どもたちに必要な力ではないかと思っています。

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