夫「お風呂入れたった!」妻「お風呂しか入れてくれない」…その温度差やいかに?
こんにちは、イラストライターのtaeco(たえこ)です。
夫と二人でヒーヒー言いながら、今日も元気爆発2歳児を育てています。
世界平和は夫婦間の理解から。
最近は育児に積極的な男性も増えてきましたね。
私の周りの男性たちから、多く聞くのは
「子どものお風呂はやってるよ!」
そして女性からよく聞くのは
「風呂しか入れてくれない。」
・・・・おや?
同じ「お風呂に入れること」に対して、言葉遣いから大きな温度差を感じますね。
夫婦間での温度差の原因
その温度差、多分こういうことなのではないでしょうか…?
生活スタイルや子どもの数、年齢によっても大きく違うと思いますが。
「家事育児」は単体で終わるものがないのに
「頼まれた(または自分の担当と思っている)ことをする」場合、それにはスタートとゴールがあります。
わが家も例外ではなく…
我が家も、
「風呂、入れたった!」
と涼しい顔をしている夫の横で、
「風呂入れるだけを風呂と思うなよ…」
と息を切らしていた時期があります。
しかし、
「入れてくれるだけまぁいいか」「ありがたいのかな」
「これが普通かな」「これ以上言ったら怒るかな」などなど、
様々なモヤモヤ が心を支配していきました。
そういう時の私は、感情がこじれてしまい、
とてつもない嫌味を投げつけてしまいがちでした。
「いいんですぅいいんですぅ〜、風呂の掃除はやっときますううぅぅぅ〜。」
「オーームツーーーすーーーーってよっとおおおぉぉぉぉ〜〜〜〜」
などなど。
当然、夫は良い気持ちがしません。
「何?その言い方。言いたいことがあるなら普通に言ってよ!」
ここで逆ギレされるのもムムムな話なのですが、冷静に考えれば確かにその通りなのです。
お互いの気持ちを客観視するとみえるもの
夫は「お風呂のお手伝い」の全体像を把握していない し、
自分の使命を果たしたと思っているのに急に怒られる。
私は、全体像を伝えていないうえに、勝手に自分に押し付けられた気になってムカムカ している。
お互い、見えない敵と戦っている状態です。
発生する工程を客観的に共有して、
できること、できないこと、譲れるところ、譲れないところ を話し合っていく。
(時には両者共にさじをなげる)
これは全ての家事育児において言えることだなぁと思います。