延命に意味はある? 日本人の「ターミナルケア」観は妥当なのか
といった感想が、少なくとも筆者のもとに集まった読後感想としては多勢であったように思います。
一方でわが国の場合は、「人工呼吸器を装着してまでの延命治療は希望しません」という声が家族の中に多くあることもまた事実です。
これは、兵庫県の加古川市で在宅医療に尽力し多くの患者さんを看取ってこられた西村医院の西村正二院長の言葉を借りるなら、現時点で終末期医療を必要とする高齢者の家族による治療法選択においては、『一定のレベルを超えた治療は望まない、ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという“限定医療”を臨む声が一般的である 』ことの表れといえます。
つまり、わが国の高齢者医療の現場では、「1分でも1秒でも長く生かしてほしい」というよりは、「点滴程度の対応で生きていられるのなら、生きていさせてほしい」という“消極的延命”ともいえる行為こそが、私たちの国民性に合っているということを物語っているのかもしれません。
●高齢者の8割が病院でなくなる日本だが、けっして恥ずべきことではない
前出の西村医師が在宅医療のクリニックを開業している兵庫県の加古川市では、平成21年度の統計で死亡者数は約2,000人。
そのうち在宅看取り率は15.9%で、74.8%の人が病院で死亡しているということです。
この割合は現在の日本の全国的な傾向とほぼ合致していて、「高齢者の約8割が病院で亡くなる国」 という表現が当たっていることを表しています。
西村先生はクリニックのホームページの中で、『最近、政府や政治家が盛んに高齢者の医療費抑制を訴えている。
高齢者医療には“無駄”や“無意味な延命”があると考える政治家や医療関係者が出てきている』と述べています。
また、そういった考え方は『自ら食べようとしない者に補液などを行うのは非人間的な行為だ、といった欧米社会独特の価値観には近いかもしれないが、現在のわが国の国民感情からは、一般的にはなかなか容認されにくい』と、はっきりとおっしゃっているのです。
つまり、“高齢者の8割が病院でなくなるわが国の特性は、けっして恥ずべきことではない”ということなのです。
●おわりに
現代の日本において、日常的に医療・看護が必要な状態となった高齢の家族の介護は、国民的な大問題と言えます。お金と権力をお持ちの先生方の中には、その力でもって自分自身はあまり大変な思いをせずに、恵まれた施設で家族を過ごさせてあげている方も少なくありません。