「素直に生きたいのに偽善者としてしか生きられない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第32回
もうどちらも亡くなったので言えることですが、愛されていたけれど、気が合わなかったのです。でも、手紙を書きました。心配しているような手紙を、いやいや書きました。誰に強制されたわけでもないけれど、いやだけど言い残されたことが気になったので書きました。書いてる間、書くこともないし、言いたいこともないし、いやだいやだと思いつつ、「偽善でもやらないよりはマシ」と自分に言い聞かせていました。
あのとき、自分は偽善者として生きていく覚悟を決めた気がします。冷たい自分を表に出したほうが、結果的に疲弊するんです。「あーひどいことしちゃった」という良心の呵責を感じるくらいなら、偽善でもなんかしといたほうが楽、という感覚です。
感情が振れるめんどくささを背負えない人間が、偽善者、薄情者になるのであって、情が深い人というのは感情が振れるめんどくささを背負える人なのではないか、と思います。逆に言えば、情が深い人は、偽善の状態が気持ち悪くてどうしてもダメだ、とか、そういうのがあるんじゃないでしょうか。
本当の自分がなんなのかはともかく、どっちかに振り切ったほうが楽なのでは?というお気持ちはよくわかります。私も、毎回仕事のメールが来るたびに、心を鬼にして「ギャランティーはどのくらいになりますか?」