女性自身がお届けする新着記事一覧 (70/918)
「そんなん言うたらんといて?みんなの憧れの人なんやろ?キムタクって。木村拓哉くん」3月11日に更新された自らのYouTubeチャンネルで、こう語ったのは霜降り明星・粗品(31)。今年2月に入ってから「最近のSNSニュース斬った」と題して、毎週月曜日に直近1週間の話題を取り上げる動画を投稿している。様々な話題に対して「1人賛否」のスタイルで意見を述べていく粗品は、今回の動画で木村拓哉(51)を取り上げた。粗品は「木村拓哉インスタの写真がマッチングアプリのおじさんすぎると話題」と読み上げ、「俺言ってないからね?これ」と強調。木村がInstagramへ投稿する自撮りショットに一部SNSで苦言が呈されているといい、冒頭のように擁護したのだった。続けて「画角とかちょっとSNS慣れてないだけで、そんなんもう言うたらんといたってぇや。我らのキムタクに。頼むで?ホンマ」と呼びかけ、「俺は思ってないからね?キムタクのインスタの写真が“マッチングアプリのおじさんすぎる”って。どんな悪口やねん、これ」とコメント。ここまで木村に寄り添うような私見を述べていた粗品だが、次の瞬間に“衝撃エピソード”をこう暴露したのだった。「まぁ僕はね、キムタクは1回フジテレビで挨拶無視されてるんで。なんかちょっと岩橋さんとかには、チクろうかなとは思ってるんですけど」詳しいシチュエーションなどは語らず、「まぁでも工藤静香さん、奥さんの。めっちゃ良い人やねん」と話題を変えた。工藤静香(53)は粗品と共演した際に、アンケートで粗品がシューティングゲーム「Call of Duty」をプレイする生配信を見たと明かしていたという。そんな小話を挟んだ上で、最後は「いやいやキムタクという、このね、顔面スターの。我らが大スターね。大大大スターじゃないですか?木村拓哉がインスタをやってくれてるだけで、俺らはありがたいと思わなアカンで?」と締めくくったのだった。コメント欄では、《キムタクに無視されてんのオモロいなw》《サラッとキムタクに挨拶無視された話すな》と様々な声が寄せられている。定番化しつつある粗品のニュース動画だが、果たして来週はどんな話題を取り上げるだろうか。
2024年03月12日4月にスタートする木村拓哉(51)が主演を務める連続ドラマ『Believe―君にかける橋―』(テレビ朝日系)。期待が高まるなか、木村が演じる“職業”を巡って波紋が広がっている。同作はテレビ朝日の開局65周年を記念して制作されるもので、『GOOD LUCK!!』(TBS系)や『エンジン』(フジテレビ系)などで、木村主演作を数多く手がけた井上由美子氏が脚本を担当する、完全オリジナル作品だ。3月7日に発表された新情報によると、物語の舞台は大手ゼネコン「帝和建設」で、木村は“建設物オタク”の土木設計部の部長役を演じる。発表当初、ドラマ公式サイトでは木村が演じる役どころについてこのように説明していた。「本作で木村が演じるのは、大手ゼネコンに所属する建築士・狩山陸。これまでさまざまな職業を演じてきた木村が、橋づくりに情熱を燃やす建築士という、自身の新境地となる役柄に命を吹き込みます」しかし、通常、橋の建設に関わるのは土木の分野の専門家である「技術士」が中心となるという指摘がSNS上で相次ぎ、“建築士が橋を作る”という設定に、疑問の声が続出することに。《建築士?、設計においては技術士、建設部門の鋼構造及びコンクリート、施工については一級土木施工管理技士ですね。間違った設定はどうかと思います》《建築士の土木設計部長はいなくはないと思うけど、特殊ですね。資格で言うと土木は技術士、建築は建築士なので。そもそも橋は建築士が設計するより技術士が設計するのが一般的ですし、建築士で橋梁の設計指針なんてないので設計できないでしょうね。適当にはできるけど、ノウハウがないので危険です》《土木設計部に建築士、でもってその建築士が橋の建設?違和感あるように感じる人も多いはず。テレビ作ってる人らホントに業界リサーチしたのかな?》こうした事態を受けてかは定かではないが10日までに、公式サイトの表記に“変化”が。「本作で木村が演じるのは、大手ゼネコンに所属する設計者・狩山陸。これまでさまざまな職業を演じてきた木村が、橋づくりに情熱を燃やす設計者という、自身の新境地となる役柄に命を吹き込みます」なんと、ひそかに木村演じる狩山の職業が「建築士」から「設計者」に変えられていたのだ。変更した理由などについてテレビ朝日に問い合わせたところ、次の回答が。「番組制作の過程は従来お答えしていません」局の公式YouTubeで公開されたティザー動画内で、木村は「修正できない設計図はない」とナレーションで語ったいた。職業も“修正可能”だったということ?
2024年03月12日2月上旬にSNS上で話題となった、大手不動産会社「東栄住宅」内の営業所で男性が性加害行為を行った問題。男性が派遣社員であることが判明し捜査中とされた以降は続報がなかったが、男性が登録していた人材派遣会社「アデコ」の別支社がXでこのことに言及した。男性は23年8月ごろから、SNS上で自らが性加害を行う様子を綴った投稿を開始。同僚の女性が机に置いていたマグカップやはちみつのチューブのなかに体液を混入させる様子や、職場の女子トイレに侵入しサニタリーボックスを物色している動画などを投稿していた。2月ごろからこの投稿が拡散されると、SNSの一部では住宅メーカー「東栄住宅」のある営業所に勤めている従業員だと特定する動きが。これを受けて東栄住宅は2月10日、公式サイトで「当社営業所内における性被害に関する投稿があった」と認め、「当局による捜査」が行われていることを発表した。続けて15日には「本件投稿を行った者については、2023年8月より当社にて勤務していた派遣社員である」とし、「この事実は、派遣元企業アデコ株式会社も認めております」とコメント。そして、男性はこの一件が発覚してから出社していないことを明かした。その上で「既に当該派遣社員に関する派遣契約を解除し、今後しかるべき措置をとる」と表明していたが、2週間以上続報がなく、また派遣元であるアデコもこの件についてコメントを発表していなかった。そこで、あるユーザーが3月4日、Xにてアデコのグループ企業数社に対し再発防止を求める投稿をすると、同社のイギリス・アイルランド法人のアカウントが反応。3月6日に「すぐに調査したいので情報をDMに送ってください」といった内容を返信するも、当該投稿は1日ほどで削除されていた。こうした一連の投稿についてアデコの日本法人に問い合わせたところ、次の回答がよせられた。「Adecco UK & Ireland公式Xアカウントによるポストは、同アカウント運営担当者個人の見解であり、Adeccoの公式見解ではございません。この度は混乱を招き、誠に申し訳ございません」そして、この男性の処分については「当該の派遣社員につきましては、既に当社との雇用契約を解除しております」としたうえで、「弊社では、現在、警察の捜査に全面的に協力しております」と説明。今後の方針について「弊社では、今後、従業員に対するコンプライアンスおよび倫理に関する研修をこれまで以上に強化し、教育を徹底することで、再発の防止に努めて参ります」と語った。
2024年03月12日「TARAKOさんは今年に入ってから体調を崩し、療養しながら仕事を続けていました。“病棟でも収録をしたい”と最後まで意欲的でした」(フジテレビ関係者)人気アニメ『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子の声を34年にわたって演じ、幅広い世代に親しまれてきた声優のTARAKOさんが3月4日、63歳で亡くなった。群馬県出身で、’80年代から声優として活動を始めたTARAKOさんだが、もともと“自分の声に劣等感があった”と3年前のインタビューで語っている。《大っ嫌いでした、ずっと。それがまる子役に受かってから、まあ悪くはないのかなってちょっとずつ思えるようになってきたんです。アニメで『ちびまる子ちゃん』を知った方からもですし、原作ファンの方からも「まるちゃんだ」って言っていただけたことに本当に救われました。それまではずっと主役は張れない声だって言われてて、(略)まる子は救世主でしたね》(「文春オンライン」’21年7月1日配信)だが、まる子が“ハマリ役”すぎて苦しくなるときもあったという。「“TARAKO=まる子と思われて、(作者の)さくらももこちゃんに申し訳ない”と感じている時期が長かったそうです。実はアニメは’92年に一度、終わっています。一気に仕事がなくなった彼女は『もし、まるちゃんがこの世からいなくなったら私も終わりなのかなと考えて、けっこう落ち込んだ』と話していました」(前出・フジテレビ関係者)この数年でアニメ『ちびまる子ちゃん』の仲間たちも天国に旅立っていった。’16年にはお姉ちゃん役の声優・水谷優子さんが他界。夫である西久保瑞穂さんは言う。「妻の優子とは仲よくしてくださったと思います。妻の葬儀に駆け付けてお悔やみの言葉を頂きました。心からお悔やみ申し上げます」’18年には原作者・さくらももこさんも亡くなり、大変なショックを受けていたという。「TARAKOさんの自宅には、両親の遺影と一緒に、さくらさんや水谷さんら、亡き『ちびまる子ちゃん』チームの写真を飾った“天使コーナー”と呼ばれる場所がありました。“みんな天使になったと思えば、今も一緒にいるような気持ちになれる”と話していました」(前出・フジテレビ関係者)TARAKOさんは私生活では’08年に実父を交通事故で突然失い、実母も’18年に急死。家族喪失の苦悩も、“まる子”とともに闘って乗り越えてきたと語っていた。《父が亡くなった直後は、『ちびまる子ちゃん』の収録で「お父さん」というセリフを言うのが辛くて……。トイレに行って泣いたこともありました》(「Coeurlien」’21年11月19日公開)晩年は保護猫4匹と暮らしていたTARAKOさん。水谷さんが亡くなった際、彼女はブログで、《さよならなんて言うわけがないまた会えるもん》と綴っていた。天国で“姉”と笑顔で再会していることだろう。
2024年03月12日韓国・台湾やヨーロッパなどで被害をもたらしていたトコジラミの猛威が日本でも広がりはじめている。2月29日、トコジラミの駆除剤を開発している「アース製薬」は、トコジラミに関する問い合わせが急増していることを発表。主に海外旅行先での対処法についての質問が多いようだが、昨年12月の相談件数は前年比同月4倍の284件にのぼったという。また都市部を中心に被害が急増しているといい、「FNNプライムオンライン」によると、今年1月に都内にあるホテルの客室3部屋で50匹のトコジラミが発見されたという。海外からの旅行客の荷物に紛れ込んでいるケースが多いようだ。そんななか被害が懸念される場所が“電車内の座席”だ。3月10日、JRの列車内でトコジラミを発見したという目撃情報が写真付きでXに投稿され、「座席に座るのが怖い」と電車の利用に不安を覚える声も多く寄せられるなど、不安は広がっている。《トコジラミ怖いから電車席空いてるけど座ってないわ》《トコジラミ電車にいる件もうどうにもならんくない…? 朝も夜もずっと立ちっぱなしとか無理だもんよ……玄関で服脱ぐしかない……》《トコジラミ怖すぎるから電車で座席座るのもちょっと躊躇うな》小さいため気付きにくく、強い繁殖力を持つため、日常的に電車を利用する人からすると、もし車内に出現したとなれば脅威でしかないだろう。そこで、Xで指摘された被害報についてJR東日本に問い合わせたところ、担当者はこう回答した。「現在のところ、トコジラミが列車内にいたというお客さまのご意見や関係社員からの報告はございません。投稿内容の事実確認が取れておりませんが、このたびの投稿を踏まえ特に注意して車内清掃を行うように関係箇所に申し伝えています」まずは一安心だが、普段はどのように車内清掃を行っているのだろうか。「車内の清掃につきましては、お客さまの健康面を考慮のうえ薬品による殺虫ではなく、日々の清掃においては座席表面の汚れ等は用具を用いて取り除き、月1回を目安に実施する重点的清掃にて掃除機による吸引清掃を実施しております」万が一、トコジラミなどの害虫が発見された際は「車内燻煙を行い対応をしております」と、害虫対策も行うことも明かしたJR東日本。電車がトコジラミの新たな“根城”とならないことを祈るばかりだ。
2024年03月12日《弊社所属のハリウッドザコシショウが、2024年2月25日午前0時に公開いたしました動画内に、弊社として不適切な表現があったと判断したため、当該動画を非公開とさせていただきました》ソニー・ミュージックアーティスツは3月8日、公式サイトで所属芸人・ハリウッドザコシショウ(50)の動画に関する謝罪文を掲載した。「当該動画」とは、ザコシが自らのYouTubeチャンネルに投稿した「誇張しすぎた真木よう子」と題するネタ動画のこと。冒頭のコメントに続き、《弊社といたしましては、今後、このようなことがないよう、再発防止に努めて参ります。不愉快な思いをされた皆さまには、心よりお詫び申し上げます》と締め括られていた。だがいっぽうで、ネタにされてしまった真木よう子(41)の不安定な様子にSNSでは動揺が広がっている。「真木さんは2月に出演したトーク番組が放送された際、インスタライブを実施。ですが半泣き状態の不安定な言動に、ファンの間で心配の声が相次ぐことに。ザコシさんがモノマネしたのは、この時の真木さんでした。さらにザコシさんの動画が非公開となる直前の7日夜、真木さんはInstagramで入院していることを明かしました。元プラス・マイナスの岩橋良昌さん(45)に告発された“エアガン疑惑”を改めて否定し、ザコシさんのモノマネ動画によって拒食症になったとも告白。さらに、《殺害予告も多数受けました》と記していました。この投稿はすぐに削除されたものの、翌8日には病院のベッドで眠る真木さんの写真がアップされました。パートナーと思しき人物による投稿で、《真木よう子をこうしたのは、岩橋とザコシ》と綴られていました。ですがこの投稿も、直ぐに削除されてしまったのです。真木さんの現在の状況は公式サイトなどでも明かされておらず、Xでは真木さんの名前が一時トレンド入りするなど不安の声が広がっています」(WEBメディア記者)そんななか、‘19年2月放送の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)の「本音でハシゴ酒」コーナーで、江口のりこ(43)が語ったエピソードが、話題を集めている。番組内で「本番前に落ち着いているとキレる主演女優」として、「これ、真木よう子ちゃんです」と即答するなど、舞台で共演した際のエピソードを語りながら不満を口にした江口。番組では、真木からの江口への反論コメントも紹介されるなど、間接的に2人の“応酬”が繰り広げられたかたちに。とはいえ、決して不仲ということではなく江口は真木への愛情も語っていた。「普段はどういうご関係?」と問われると、「最近会ってないです。(真木が)最近ほら、ちょっとおかしな感じ。ここ一年くらい会ってないんですよ」とコメント。その理由について、こう説明したのだった。「私は彼女のこととても好きだから、これで下手に『どんな感じになってるんやろ?』って、興味で連絡とることになると思うんですよ。そうなると、本当に最後まで責任持てないなって。“あんたが変なんやったら、もうずっと家泊まってったらええやん”ってくらいせなアカンっていう気持ちがあるから」続けて「今は疎遠ですけど、私は大好きです」と、気遣いながらも真木を心配していた江口。昨年は舞台『パラサイト』や映画『アンダーカレント』でも共演した仲だが、現在も陰ながら彼女を見守っているのだろうか。
2024年03月11日「テオくん頑張れ!」というフレーズがSNSでバズったことに「大イジメやん」とYouTubeで苦言を呈したことも記憶に新しいスカイピースのテオ(28)。今度は自身が厳しい声に晒される立場となってしまったようだ。ことの発端は、2月7日にスカイピースのYouTubeチャンネルにアップされた一本の動画だった。そこでテオは相方の☆イニ☆(28)とともに、TOKYO MXなどで放映されているアニメ『マッシュル-MASHLE-』第2期「神覚者候補選抜試験編」のオープニングテーマであるCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」の高速ラップに挑戦することに。同曲は『マッシュル-MASHLE-』のオープニングムービーに合わせてダンスする通称「BBBBダンス」がTikTokで大流行し、さらに全世界におけるストリーミング再生が累計1億回を突破するなど国外でも人気の高い楽曲だ。そんな「Bling-Bang-Bang-Born」に動画でチャレンジしたスカイピース。最初に挑戦した☆イニ☆はラップ歴12年を誇っており、一度仕切り直しをしたものの、見事最後まで高速ラップを披露することができた。そして自身の番になったテオは「僕が挑戦したいと思うんですけども、(練習したが)僕は無理でした」と発言。そこで「フリースタイルみたいな形で。サビの『Bling-bang-bang Bling-bang-bang(というフレーズ)』はいけるんですけど、ちょっと他はフリースタイルで補おうかなと」と明かした。「あまりにも『聞いてられないよ』といった場合は、即止めてください」と前置きして、ラップをパフォーマンスしてみせたテオ。しかし、当初は「時は流れていく。誰も止められない」「波に乗り遅れるな」などと口にしていたものの、次第に「酒に飲まれても飲まれるな。そんな感じ、波にも飲まれるな。波に乗るもんだ。波と女に乗るもんだ。乗って行こうぜ、女にも」といい、さらにこうラップした。「女にも乗ったら、今夜はどこ行く。ホテルに行ったらどうするの。ホテルに行ったらちゃんとゴムをしよう。ゴムをしちゃって、ゴムをしちゃって、そしたらアドベンチャーが待ってるぜ。あの穴に飛び込んでいくぜ。先が未開拓。真っ暗だ。真っ暗、暗闇をトンネルをつっかしって行く(原文ママ)。 先は見えない。先はどこまでも続いていく。中にあった宝箱。開けてみたらなんか出てきた」そして「でっかいでっかいでっかい、これは(ピー音)ちゃんだ」など音声にピー音が入るフレーズを繰り返した後、「言うても俺のお母さん、クミちゃん。寺島くみこのあだ名はクミちゃんだ」「クミちゃんと(ピー音)ちゃんが、混ざってどっかん、生まれたって。僕、僕が生まれて、子供ができちゃった」といい、サビのフレーズを歌った。その後もラップは続き、高速道路で事故にあった時のことを回想する内容などもラップしてみせたテオ。しかし、「Bling-Bang-Bang-Born」を下ネタに替えてラップした上に、トラックのリズムにも全然乗れていなかった。そのことが動画公開から1ヵ月経った後、SNSを中心に物議を醸すことにーー。動画のコメント欄には《30手前で歌手活動もしてる人が他の人の曲使ってふざけるにしても限度があるやろ、リスペクトのかけらもなさ過ぎてこれは荒れても仕方ないわ》《リスペクト感じられん》《本家侮辱しつつここまでおもんないとか最低最悪でくさ》といった厳しい声が続々と寄せられることとなり、現在コメント欄は閉鎖されている。またXにも《スカイピースの炎上してるやつ聴いたけど、能力ないから下ネタで替え歌にして逃げてしかも全然おもんないの最悪》《お願いだから叩かれたくないなら原曲にリスペクトの欠片もない更に面白くない下ネタ曲出さないで欲しい。これで面白いなら許せる人もいるかもだけど、面白くないよ》といった声が相次いでいる。テオは今回の炎上をどう受け止めるだろうか?
2024年03月11日現地時間3月10日に行われたアカデミー賞授賞式で、俳優のロバート・ダウニー・Jr.(58)が自身の初となるオスカー像を手にしたが、その振る舞いが波紋を呼んでいる。『アイアンマン』の主演俳優として知られるダウニーは、『オッペンハイマー』のルイス・ストラウス役で今年のアカデミー賞で、助演男優賞を受賞。助演男優賞のプレゼンターは歴代受賞者のマハーシャラ・アリ、ティム・ロビンス、クリストフ・ヴァルツ、サム・ロックウェルらに加え、昨年の受賞者で80年代に子役として『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のショート・ラウンド役や『グーニーズ』のデータ役で知られるベトナム系アメリカ人のキー・ホイ・クァン(52)がメインで進行を務めた。クァンはステージ上で、受賞者であるダウニーの名前を興奮気味に発表し、ダウニーがステージに向かう際には、クァンはオスカー像とダウニーの名前が書かれた封筒を手にしていた。通常、受賞者はここで像と手紙を受け取ったうえで、プレゼンターと言葉を交わしたり握手やハグなどが行われるため、クァンもそれを予想していた動きだった。しかし、ステージに上がったダウニーは、満面の笑みで近づくクアンを“スルー”。彼の手からオスカー像を受け取ると、共同司会者ティム・ロビンスと握手し、サム・ロックウェルとグータッチをした後、アカデミー賞の封筒を手渡そうとしたクァンを再び“無視”して、喝采を送る観衆に向き直ると、そのままスピーチを始めてしまった。その後、ダウニーはバックステージでクァンや他のプレゼンターたちとハグをしたり自撮りをする様子が確認されており、本人たちの間に確執は無いよう。しかし、SNS上ではステージ上でのダウニーの振る舞いが“無礼ではないか”と波紋を呼んでしまった。《満面の笑みで祝福を表し発表したキー・ホイ・クァンに対して、ロバート・ダウニー・Jrの態度かなり感じ悪い》《ロバート・ダウニー・Jr、助演男優賞プレゼンターのキー・ホイ・クァンに対して無礼すぎ。よくアカデミー授賞式でこんな態度とれるなあ》《確かにロバート・ダウニー・Jr、ほぼフルシカトで見もしなくて感じ悪いわ。残念だ》《ロバート・ダウニー・Jrが司会者に目を合わせず素通りしたことが物議を醸している件、受賞の喜びに感極まって冷静な対応ができていなっただけだと思いたい》「実は、今年2月のグラミー賞授賞式でも似たようなことが起きています。最優秀アルバム賞のプレゼンターとしてセリーヌ・ディオンがテイラー・スイフトにトロフィーを渡したのですが、4度目の受賞という偉業達成に興奮したのか、テイラーはトロフィーを受けとる際にセリーヌにお礼を言ったりハグをせず、“セリーヌを無視した”と大炎上しました」(海外ゴシップライター)世界的な賞の受賞は大スターでも興奮してしまうのかもしれない。
2024年03月11日3月9日、関西ジュニア・Aぇ! groupが出演するバラエティ番組『Aぇ!!!!!!ゐこ』(MBS)が放送された。共演するお笑いコンビ・よゐことともに大阪・新世界でロケを行ったが、その内容が波紋を呼んでいる。Aぇ! groupといえば、昨年12月30日にメンバーだった福本大晴(24)が契約解除となったことが話題になった。契約解除の理由として“コンプライアンス違反”とSMILE-UP.から発表があったものの、その詳細は明かされていない。「Aぇ! groupはデビュー間近とも囁かれる人気グループ。福本さんは10年以上にわたって関西ジュニアとして活躍し、後輩を牽引する存在だっただけに、突然の契約解除はファンにも大きな衝撃を与えました」(スポーツ紙記者)この日の放送で、ファンが注目したのは番組冒頭。Aぇ! groupの末澤誠也(29)が体調不良で欠席したためメンバー4人とよゐこ2人でのロケとなったが、よゐこの濱口優(52)が次のように発言したのだ。「Aぇ! group、ついに4人になりましたか」これを受け、Aぇ! groupのメンバーは「ロケのたびに言うのやめてください!」「ほんまの体調不良です」とフォロー。出演者一同笑いに包まれたが、SNS上にはファンからの不快感を示す声が相次いだ。《人数いじりに私は愛を感じない》《どんなに好きな芸人さんでも人数いじりされるのだけは本当にむり冗談でも全く笑えない》《人数いじり、まだ全然笑えないよ…言葉なり、他の方法でもとにかく何か伝えて欲しいよ、大晴くん…》前出のスポーツ紙記者は言う。「福本さんが突然姿を消したことを未だに受け入れられずにいるファンは少なくありません。傷が癒えないだけに、福本さんの件を笑いのネタにされることには抵抗があるようです」いっぽうで、センシティブな話題も“芸人らしく明るく励ました“としてよゐこを好意的に受け止める人も。《人数いじりなら他の先輩方もされてきたので特に気にはしてない》《Aぇゐこでの人数減ったいじりは、「最初から5人だったのではなく6人組だった」という事実を、博士2人が無かったことにせず忘れずにいようとしてくれてるんだと思えて私は嬉しい。寂しいけど嬉しい》Aぇ! groupは3月16日、17日にジュニアとしては異例の京セラドーム大阪での公演を控えている。福本の分まで活躍してほしいーー。
2024年03月11日現在放送中の『正直不動産2』(NHK)などに出演している俳優・板垣瑞生(23)が、3月10日、所属していた事務所「スターダストプロモーション」を突如退所したことがわかり、波紋が広がっている。板垣については、3月9日にXアカウントや事務所のプロフィールぺージが突如削除。ファンクラブについても《2024年3月9日(土)をもちまして、運営を閉鎖することとなりました》と記されており、10日に予定されていたカレンダーの発売イベントも前日に中止が発表されていた。あまりに突然の事態にネット上では戸惑うファンが続出している。《スタダから板垣瑞生くんが削除されてXも削除いったいどうしたんだろ好きな俳優さんだから悲しいなぁ》《板垣瑞生くん何があったの好きな俳優さんだから心配》《板垣瑞生…何があったんだろう?》そんななか、“不穏だった”として注目を集めているのが、板垣が退所の直前に行っていたInstagramでのライブ配信だ。板垣が配信を行ったのは、プロフィールなどが削除される前日、3月8日の午前4時ごろ。雪が降りしきる中をフードを目深にかぶって歩いていたようで、上着の肩には雪が積もっていた。SNS上で拡散された一部始終では、「ライザップじゃ鍛えられない俺のラップ」「ガッテムつけてやるぜあいつらにバッテン」などと、韻を踏んだラップを披露。「愛してるぜみんな、ありがとなグッナイ、おやすみ」と配信を締めくくっていた。異様な早朝配信に当初からファンの間では心配する声があがっていたが、今回の退所報道を受けさらに注目が集まっている。《早朝の意味深インライ、今考えると何か関係してるんかな?退所が急すぎて理解追いつかない》《板垣瑞生くん、早朝インライで何かあったのかなってちょっと心配してたけど、ほんとに何かあったのかな、、、》《板垣瑞生くんは何事だまってくれ昨日のインライの動画見たけど、雰囲気的になんかこう、心配になる感じだった》《インライ意味深すぎたよね。、、瑞生、、無事でいてくれ、、》板垣にいったい何が起こっていたのだろうか?
2024年03月11日雑木林には、高さ40メートルにもなるナラの木が100本以上も並んでいた。埼玉県所沢市と東京都東村山市にまたがる「淵の森」は、世界的名匠・宮崎駿監督(83)にゆかりの深い地だ。「『淵の森』は、所沢市在住の宮崎さんが映画『となりのトトロ』の構想を練った場所の1つです。’96年に宮崎さんが寄付した3億円をもとに、所沢市と東村山市が土地を購入し、監督が会長を務める『淵の森の会』が、植物の生育環境保全や清掃活動に取り組んでいます。宮崎さんの奥さんの朱美さんも主要メンバーの1人です。監督より年上ですから80代後半ですが、いまもよく森で作業をしています。松の木に虫がつかないように、幹にワラをまいたり、活躍しているんです」そう語るのは、市民団体「淵の森の会」事務局長の安田敏男さん。森を守る活動を通じ、安田さんと宮崎夫妻の交流は、27年に及ぶという。「引退すると宣言したり、今回のように復帰してみたりしていますが、結局芸術家というのは、体が動かなくなるまで仕事を続けるのだな、ということが宮崎さんを見ていてよくわかりました」日本時間の3月11日、第96回アカデミー賞授賞式が行われた。「宮崎監督の10年ぶりの長編作品『君たちはどう生きるか』が長編アニメーション賞を受賞しました。21年ぶり2度目の快挙ですが、ノミネートされたとき、盟友である鈴木敏夫プロデューサーも《『千と千尋の神隠し』に引き続き、2度目のオスカーがもらえたら本当に嬉しいです》と、コメントしていました」(映画関係者)83歳で、いまも旺盛に創作意欲をかき立てているという宮崎監督。その癒しの場となっているのが淵の森であり、日々を支えているのが3歳年上の妻・朱美さんなのだ。「宮崎監督と朱美夫人が結婚したのは’65年。アニメ制作会社『東映動画』で2人ともアニメーターとして働いていたのです。いわば職場結婚でした。’67年に長男・吾朗さん、’70年に次男・敬介さんが誕生し、夫妻は選択を迫られることになりました」(前出・映画関係者)宮崎監督はインタビューで次のように語っている。《女房は東映動画時代の仲間だったので、一本の作品にどれだけ労力を費やすか、僕の仕事を理解しています。といっても、実は女房も、絵をずっと描いていたかったのです。結婚するとき、共働きの約束をしました。で、下の子が生まれるまで、僕も子供の保育園の送り迎えをしていましたが、冬の寒い帰り道で、上の子が眠りながら歩いたりするのを見て「共働きは無理」と判断しました》(『中日新聞』’92年1月31日付)作画力に秀で、将来を嘱望されていた朱美さんに、仕事を諦めてもらったことに、《女房には申し訳なかった、と今もそう思っています》とも語っていた監督。その負い目は、結婚から半世紀以上たった現在も消えていないという。「朱美夫人は、作品の鑑定眼も優れており、夫や息子の吾朗監督の作品にも、歯に衣着せず批評するそうです。吾朗監督が手がけた『コクリコ坂から』(’11年公開)に対しても『アニメーションがいまひとつだったわね』という具合で、『アーヤと魔女』(’21年公開)で、初めて褒めてもらえたのです。宮崎監督も、ほとんど褒めてもらったことはないそうです」(前出・映画関係者)■朱美夫人は「絵は私のほうが宮崎よりうまいのよ」朱美夫人は、いまも“アニメ制作のプロ”という矜持を保ち続けているようだ。前出の安田さんは、夫妻の関係についてこう語る。「講演会を開催したとき、『どうしたら、宮崎さんのように素敵な女性と結婚できるのですか?』という質問があったのです。それに対して『自分から5メートル以内にいる女性となら結婚できますから』と答えていて、宮崎さんらしいなと思いました。ぶっきらぼうな言い方でしたが、奥さんとの職場結婚が間違いではなかったという思いを込めた回答だったと思います。宮崎さんなりの愛情表現でしたね。いっぽうで奥さんは『絵は私のほうが宮崎よりうまいのよ』と言っていたことがあります。『でも、結婚したら私が絵を描く仕事を辞めることになっちゃった』と、寂しげでしたね」自宅では、宮崎監督は妻に頭が上がらないという。現在生活している自宅は25年前の’99年に建築され、安田さんも招待されたことがあったが、贖罪のためか奥さん優先の間取りだったという。「『女房のリビングです』と案内された部屋は、テーブルなんかもよいもので広々としていました。『こっちが私の部屋ですよ』と、見せてもらったのは、屋根裏の6畳ぐらいの部屋だったので、奥さんのことをすごく立てているのだなと思いました」’13年に一度引退を表明した際、朱美夫人について聞かれて、「家内には『お弁当は今後もよろしくお願いします。まことに申し訳ございませんが』と言いました」と、答えていた宮崎監督。これからも“恐妻弁当ぐらし”で、不朽の名作を目指していく。
2024年03月11日日曜日朝の情報番組『シューイチ』(日本テレビ系)のVTRに、とある人気アイドルが映り込んでいたことが話題になっている。話題となったシーンは3月10日の朝に放送されたもので、「外国人観光客で賑わうインバウンドの街」とのアナウンスとともに、人で溢れかえる浅草の雷門が映し出された。そんななか、画面左下に、黒いマスクに黒いキャップ、そして黒いジャンパーを着用し、首からカメラを下げた男性が映り込んだ。一瞬の出来事だが、服装や風貌から、《シューイチで左下に野生の京本大我映らなかった?》《野生のきょも(京本)捕獲!》とその様子がSNSで瞬く間に拡散。アイドルグループ「SixTONES」の京本大我(29)ではと指摘する声が相次ぐことに。これを受けて京本は同日午後、自身のXにて《本日、シューイチに野生として出演しました!!もっともっとTVに出れるように頑張ります!》と投稿。京本が本人だと認めたことで、ファンの間では驚きの声があがっていた。《野生の京本大我、ほんものだった》《やはり本物だったんですね!見つけた方すごい》《シューイチ出演お疲れ様》
2024年03月11日《ハイ、無事に復縁に至りました》3月10日、自身のInstagramで元恋人との復縁を明かしたのは俳優の遠野なぎこ(44)だ。これまで3度のスピード離婚を経験してきた遠野。’23年11月に新たなパートナーと婚約したものの、その1ヵ月後に破局。さらに今年2月5日、Instagramで《エヘッ 実は、私彼氏が出来ました》と明かし、その5日後には恋人との2ショット写真も公開したが、同月末にInstagramで破局を報告した。その際、遠野はこう述べていた。《お別れしちゃった。今回も私が悪いの。寂しさに勝てなかった。会えない寂しさ。連絡の頻度が少ない寂しさに負け、お別れして欲しい旨を伝えました。負けて、またマッチングアプリに手を出してしまったり。浮気はしてないけど、自分が逆だったら最悪に嫌だよね》以降、うつ状態や摂食障害の悪化に苦しみ、波乱の日々を送っていた遠野。しかし破局から1週間後となる3月6日、生放送番組『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で「彼とお別れしたんだけど、あまりにも寂しくなって。彼が恋しくて。もう1回デートして復縁を迫って、会ってくれることになって」と告白。続けて「忘れられないのやっぱり!」「土曜日のお昼からデートするの!」と嬉しそうに話していた。そして10日、デートの様子をInstagramで3回にわたって投稿した後、元恋人との復縁を報告。さらに、その喜びをこう綴った。《身勝手な想い、自己完結で一方的にお別れを告げ傷つけてしまいごめんなさいと謝りました。もう二度と傷つけませんと、謝りました。彼は、“その都度話し合おう”と。“安定の不安定さは受け止めるから大丈夫”と。“自分から裏切る事はないから信じて”と。そう言ってくれました。嬉しいです》恋人を《何て、寛容な心の持ち主》と讃え、《彼を傷つけたくない。そんな人間になりたくない。ただ、それだけ》と決意を表明した遠野。そして5時間後、再びInstagramを更新し、こう吐露した。《“本当の幸せ”。“本物の幸せ”。そんな事、私には分からない。経験した事ないもん。安心感とか、全然分からないもん。家庭環境のせいにする訳じゃない。ただ、本当に知らないだけ》続けて《この歳まで、ジェットコースターみたいな生き方をしてきて…世間の皆様からどう思われているか、さすがに分かっています》と綴ると、こう述べた。《私自身に問題がある事も自覚しています。それでも、生きていきたいんです。自分らしく》そんな自戒の後には、《病気とも闘います。治療も引き続きします。ただ、私は他人の生き方を否定しない人間として人生を全うしたい。そう誓う今日この頃です》と決意を明かしていた。
2024年03月11日掃除は大変でした」きみ子さんは、ときに仕事とはまったく無関係な長電話に付き合うこともあるという。「関東に住む、30代と思しき女性からでした。幼いときから関係が悪く交流の途絶えていたお母さんが、急逝したと連絡が来て、彼女は直葬で済ませたんだそうです。でも『ずっと引っかかってる』と言ってました。『戒名もつけてあげなかった』『ちゃんとしたお葬式を出してあげられなかった』と」いしはら葬斎のホームページを見て、自分の胸の内を聞いてほしくて電話をかけてきたという。涙ながらに語る女性に、きみ子さんは優しく、こう諭したという。「いいんじゃない、別に戒名はつけなくても。それで困って戻ってきたって人、私は見たことないもの。それよりも、ずっとわだかまりがあったお母さんを、あなたはきちんと送ってあげた。そっちのほうがずっと大事。偉かったわね」電話の向こう側では女性の啜り泣きが長い時間、続いたという。連日のように、人の死と向き合う石原さんたち。「正直言うと、それぞれの詳細はあまり覚えていないの」ときみ子さん。「引きずらないことが、この仕事を続けるコツなのかも」とも。だが昨年末、引きずらないはずのきみ子さんの胸を、いまなお締めつける、そんな仕事があった。「遠方から車でこっちに来て、自殺してしまった男性がいて。彼のことを迎えにきたご両親と会ったんですけど……。親御さんたちの姿を見ていたら、もう……」朗らかに、インタビューに応じてきた彼女の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。「いつもどおり出て行った息子が、変わり果てた姿で見つかったわけだから。ご両親、警察から引き取った車をそれは丹念に調べたそうです。そうしたら、ドライブレコーダーに、彼の足取りや最期のようすが鮮明に映っていたと……」人生最後の日、彼は大好きな祖母とよく訪れた店にランチに立ち寄るなど、思い出の場所を巡っていた。やがて、いわき市に入った車は、遺体が発見された駐車場へ。目元を拭い、きみ子さんは続けた。「彼は車内で練炭をたいて命を絶ってしまったんですが。ドライブレコーダーには、彼が車窓に淡々と目張りをする様子まで残っていたそうです。それを見たというお母さん、誰に向けてでもなく、絞り出すように言ったんです。『このとき、あの子はどんな気持ちだったの?』って。それ聞いて私、一緒に泣くことしかできなくて……」それまでも、一人さみしく自死した人を、何人も送ってきた。「自ら死を選ぼうとする人に向かって『頑張れ』と言うのは、酷なこととはわかってますけど……」こう前置きしながら、きみ子さんは言葉を継いだ。「自分で選んで、そして逝くことができたってことは、神様の許しが出たってことかもしれないですよね。でもね、あのときのお母さんの、打ちひしがれた姿を見たら、息子さんに『そんな勇気があるのなら』って言ってやりたくなった。『どうしてなの?』って、どうしても思ってしまうんです……」自身も3人の子の母であるきみ子さん。潤んだ目で語るその表情は、すっかり母の顔になっていた。■「震災のご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」創業から1年ほどたった2011年3月11日に発生したのは、多くの人にとって忘れ難い出来事となった東日本大震災。それは、石原さん夫妻にとっても、同じだ。いわき市を襲った地震は震度6弱を観測したものの、石原さんたちのいた好間地区の被害は比較的軽かったという。石原さんたちは、震災翌日からドライアイスを遺体安置所となった総合体育館に運び込むなど仕事を再開。そして、いしはら葬斎では震災の犠牲となった4人を弔うことになった。そこには、孤独死の遺体を見送るときとはまた違った二人の気持ちが込められていた。それは「なんとしても家族のもとに返してあげたい」という、祈りにも似た思いだ。発災から間もない3月下旬から4月上旬にかけて、犠牲となった女性3人の火葬を任された。「思い出すと、いまも涙が出てくる」と充さんは目頭を押さえ語り始めた。「瓦礫の下から発見されたご遺体でした。しかも、亡くなってから、日数も経過していた。それなのに、うちがお預かりしたとき、体は傷だらけで、髪は砂まみれでも、お顔だけは驚くほどきれいだった。3人が3人とも、そうなんです」充さんは、彼女たちの一念が起こした奇跡のように感じていた。「きっと、離れ離れになってしまった家族に向けた『早く見つけて、私はここよ』という強い願いが、お顔だけは状態のいいままで見つけさせたんだな、そう思いました。私が常々『生きてる人と同じ』と考え、ご遺体と接しているのも、そういう経験があるからなんです」翌年にも犠牲者を一人、送った。きみ子さんが振り返る。「震災から1年ほどたって、やっと少し落ち着いてきたころ。警察からの連絡で、市の沖合で見つかったご遺体を預かったんです」海中を1年間も漂っていた遺体。さすがに身元はすぐには判明しそうになかった。充さんが続ける。「そのご遺体に手足はなく、顔の形もすっかり崩れていた。警察はDNAを鑑定し、被災各地の不明者情報と照合する作業をしていましたが、うちに来たときはまだ、どなただかわからない状況でした」身元がわからないまま、この犠牲者を火葬した。それから、およそ半月後。市役所から連絡が入った。きみ子さんは、12年も前のことを振り返りながら、まるで昨日のことのように顔をほころばせた。「ご遺体の身元が判明したんですよ。宮城の南三陸で津波に遭い流されてきた人だと。それを聞いて、私と夫はもちろん、いっしょに収骨してくれた火葬場の職員さんたちもみな、感激して泣きましたよ。『よかった、これでご家族のもとに帰れるね』って。姿形はすっかり変わってしまっても、帰るべき場所に帰ることができて、故人様はきっと、幸せだったと思います」■「私たちには“お墓”はいらない。」「みながみな、直葬や家族葬にする必要もないとは思います。でも、子どもの数も減り、コロナ禍も経て、家族の形もどんどん多様化した現代に、私たち世代や上の世代のいう『一般的な葬儀』とか、『ちゃんとしたお葬式』という考え方にとらわれるのは、もうあまり意味がないと思いますよ」きみ子さんはこう話す。石原さん夫妻が過去に立ち会ったなか、もっとも理想的と思えた葬儀。それは伝統やしきたりに縛られない故人の送り方だった。「奥様を亡くされた70代のご主人が喪主を務めたのですが、考え方がとても現代的で。『戒名も読経も墓も不要、家族でにぎやかに送れれば、それでいい』と。その葬儀は、本当に印象的でした。参列したご家族、みなさんがゆったりと時間を過ごしながら、笑顔で故人様をしのぶ、温かな家族葬でした」取材の最後、石原さん夫妻の思い描く「自分たちの最期」を聞いた。語られたのは案の定、一般的でもなければ、伝統やしきたりも度外視した最期だった。「私たち、献体するって、結婚当初に決めたんです」きみ子さんは愉快そうに笑った。「私も夫も、子どもはいますがどっちも当てにはならないし、当てにもしたくない。二人で『お墓なんていらないもんね』と話をして。それで。献体を申し込んだんです。お骨はみなさんと一緒の永代供養墓に納められることになってます」インタビュー中も、事務所の電話はひっきりなしに鳴った。夫婦二人だけの小さな葬儀社は、今日も、開いている。どんな最期を迎えた人でも、受け入れるために。「はい、いしはら葬斎です」(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日誰にもみとられず、自宅などで亡くなる人は年間約3万人もいるという。また総務省によると、2018年4月からの約3年で、遺体の引き取り手がなかった死亡者は10万5773人にも上った。けっして、珍しいものではなくなった孤独な死。そうして亡くなった人に寄り添い続ける葬儀社が福島県いわき市にある。いしはら葬斎。夫婦二人だけの小さな葬儀社の電話は今日も鳴りやまない。(全2回の1回目)■「おつかれさまでした」。孤独な遺体を見送る夫婦「この人はAさん。まだ70代前半なのよ。早すぎるよねぇ」線香を上げ、手を合わせていた石原きみ子さん(63)は柔らかな笑みとともに振り返ると、まるで懐かしい知人でも紹介するように、棺の中の男性について説明した。どこの家にもありそうな和室の8畳間。ようすが少し違っているとすれば、凍えるほど室温が低いことと、防臭剤の独特な香りが立ち込めていることぐらいだろうか。「普通に眠っているみたいな、きれいなお顔をしているでしょう」棺をのぞき込むと、きみ子さんは「あっ」と小さく声をあげた。「お父さん、Aさんのお顔、やってあげて。お口からちょっと、よだれかな、出てきちゃってるから」声をかけられたのは夫の充さん(68)。「どれどれ」と棺の脇にしゃがみ込むと、小さな道具箱の中から脱脂綿を一つつまみ出し、丁寧にAさんの口元を拭い始めた。石原さん夫妻は、福島県いわき市で小さな葬儀社「いしはら葬斎」を営んでいる。Aさんが横たわっていたのは、この葬儀社の遺体を安置しておくための部屋だ。もともと、二人は大手の葬儀社に勤めていた。立派な祭壇にたくさんの花、大勢の参列者に豪華なお斎(食事)……見栄えのいい葬儀は、当たり前のように高額の料金が設定されていた。そんな葬儀を間近で見てきたきみ子さんは「もっと安価にできないのか?」と長年、疑問に思ってきた。そして、充さんを巻き込むようにして’10年、独立を果たした。以来、スタッフは夫婦二人だけ。だから、余計な人件費はかからない。祭壇や香炉台などは、手先の器用な充さんがホームセンターや100円ショップで材料を調達、自作した。徹底的にコストを抑えた結果、破格の料金の家族葬を実現、提供してきた。すると、思いがけないことに、地元市役所や警察署から、ちょっと“訳あり”な葬儀の仕事が舞い込むように。多くに共通するのは、ひとりきりで最期を迎えた、いわば孤独死した人たち。一般的な葬儀は行われず、石原さんたちが預かった遺体は火葬場に直接運び込まれる、いわゆる「直葬」だ。いま、目の前に横たわるAさんも、じつは直葬で旅立つ一人。そのAさんを気遣うようにして、きみ子さんは声をひそめ、話した。「彼は生活保護の受給者でした。病院で亡くなったけど、誰もいないんです、お身内の方が一人も。だから、火葬の日もAさんを見送るのは、私たち二人だけなんです」Aさんのように、荼毘に付され骨になるそのときすらも立ち会ってくれる者が誰もいない、そんな人は少なくない。充さんは言う。「本当に身寄りがない人もいますが、なかには家族や親族が見つかった人もたくさんいました。でも、役所や私たちが連絡をとると『関わりたくない』と、参列を拒まれることも。というか、最近ではそんな人ばっかりです。だから、多くの場合、火葬場で私たち二人だけで故人様をお見送りするんです」遺体が火葬炉に入れられるとき、二人はそれぞれ、こんなふうに言葉をかけるという。きみ子さんは優しい母のようなまなざしで、「たいへんだったね、頑張ったね。お見送り、私らだけでごめんね。でも、幸せに逝ってね……」いっぽう、充さんの手向けの言葉は、いつも決まって「おつかれさまでした」。「大往生だろうと、若死にだろうと、世知辛い世の中を、そのときまで生き遂げたのは間違いないんです。だから、私は故人様、みなさんに『おつかれさまでした』と」創業からまる14年。独立の1年後に発生した東日本大震災の犠牲者も含め、これまで2千人近い人を見送り続けたきみ子さんと充さん。そう、ここはどんな遺体も温かく迎え入れ、寄り添い、そして送ってくれる。そんな不思議な、小さな葬儀社だ。■「葬儀社、やっから」。妻の一言で脱サラが決まった「私は生まれも育ちも、ここなんです。じつはここ、もとは私の母の実家だったんですよ」いわき市の好間地区にある葬儀社の事務所で取材を始めると、きみ子さんはこう言ってほほ笑んだ。きみ子さんは1961年に生まれた。地元の高校を卒業後、バス会社に就職し、バスガイドになった。「5年間、双葉郡浪江町の営業所に、寮生活しながら勤めました。その間だけです、地元を離れたのは。その後、女性司会者を養成したい地元の結婚式場に『バスガイドなら人前で話すの、得意だろ』と誘われ、転職したんです」転職先で知り合ったのが、最初の夫。きみ子さんは23歳のときに結婚し、男の子3人をもうけた。しかし、その結婚生活は10年で幕を閉じ、33歳で離婚。「ずっと専業主婦でしたが、前の夫が『もう、結婚式場が繁盛する時代じゃない』とよく話していたんです。『この先は葬祭場の時代だ』とも。それを覚えていたので離婚後、葬儀社に職を求めたんです」そこで出会ったのが、やはりバツイチだった充さんだった。やがて二人は再婚。このとき、きみ子さん38歳、充さん45歳。再婚後、充さんが葬儀社でのキャリアを重ねるいっぽう、きみ子さんは退職し、高齢者施設で調理の仕事を見つけ働いていた。そんなある日、きみ子さんは葬儀社時代から顔なじみの写真館の店主に、こんな話を聞かされる。「ご主人、中間管理職だろ。なんか、大変そうだ、上司と部下の板挟みで、いつも疲れた顔してるぞ」夫の身を案じたきみ子さん。ちょうど同じころ、ニュース番組が報じたある事件に目を止めた。「お金がなくて葬儀代が出せないばっかりに、亡くなった妻の遺体を庭に埋めた男性が、死体遺棄の容疑で逮捕された事件でした。それを見て改めて思ったんです。『そんなにお金かけなくても、葬儀はできるんじゃないかな』って」その瞬間、きみ子さんのなかで「夫を会社勤めのストレスから解放してあげたい」「もっと安価な葬儀を実現したい」、この2つの思いが掛け合わさった。「そうだ。だったら二人で新しい葬儀社、始めればいいんだ!」きみ子さんいわく「そこからは、起業のノウハウを猛勉強、二人で独立の準備に奔走した」という。ところが、妻の話を横で聞いていた夫は苦笑いを浮かべていて。「いえいえ、全部妻がひとりで勝手に決めてしまって。私は『会社、辞めたい』なんて一言も。それに、このかた、勉強もなんも……、ただただ私に『葬儀社、やっから』って。それだけですよ(苦笑)」夫のこの言葉に、妻は笑顔をはじけさせた。「あれ、そうだったっけ?ま、私としては、夫の経験さえあれば、どうにかなんだろって(笑)」こうして2010年2月1日、小さな葬儀社「いしはら葬斎」は、その産声をあげたのだが。起業したものの、仕事はなかなか入ってこない。充さんはひたすら事務所で電話番。きみ子さんは居酒屋のアルバイトをして、糊口をしのいだ。■生活保護者の「福祉葬」から行政とのつながりが……最初の依頼が舞い込んだのは、その年の6月。バイトの合間にきみ子さんがせっせと配ったチラシを目にした人からの電話だった。「隣町の市営住宅に暮らす年老いたご両親と、別棟に住む子供さんたち家族。その、70代後半のおばあさんが病院で亡くなって。『自宅に連れて帰って、家族葬をしてあげたい』、そんなご依頼でした」石原さん夫妻は、早速仕事に取り掛かった。遺体を病院から自宅に搬送し、棺に寝かせると、祭壇を飾りつけた。先述した、充さんお手製の祭壇だ。この、初仕事となった家族葬、二人にとって印象深いものに。しみじみとしたようすで、きみ子さんは述懐した。「決して広いわけではないご自宅に、お子さん、お孫さんたち大勢が集まって。お孫さんには『おばあちゃんにお化粧してあげて』と言って、ご遺体と触れ合ってもらったり。そうやって、手をかけたほうが、ご遺族もちゃんと思い出に残るし、故人様も幸せにお別れできると思うんです。もちろん、涙ハラハラなシーンはありましたけど、とてもにぎやかに、ご家族の多くが、笑顔でおばあちゃんを送り出していた。『こういう葬式もいいもんだね』って言っていただけました」好評の理由をきみ子さんは「ご遺族をお客様扱いしなかったからかな」と分析した。充さんも言う。「うちでは、ただ参列すればいいって葬儀はやりません。私ら葬儀屋は送る手伝いをするだけ、あくまでも主役は、ご家族なんです」初仕事から1カ月ほどたった夏のある日、別の市営住宅で息を引き取った男性の葬儀を引き受けた。その打ち合わせのなかで、故人の弟から「兄は生活保護を受けていた」と打ち明けられる。「『それが、なにか?』というのが最初の率直な感想。というのも、私も夫も福祉葬、生活保護を受給している人の葬儀は、それまでやったことがなかったからなんです」「福祉葬」とは、喪主が経済的に困窮状態にある場合や、故人に葬儀代を払える身寄りがない場合に、国が費用を肩代わりし、最低限の葬儀が行える制度。生活保護法でも「葬祭扶助」として定められている。葬儀形式は火葬のみを行う直葬に限られ、費用には自治体ごとに決められた上限額がある。以上のような説明を、市役所の担当者から聞いたきみ子さん。そもそも、小規模で安価な葬儀を執り行うことを目的に起業した自分たちにも、ここにビジネスチャンスがあると考えた。「いわき市ではそれまで、主に全国チェーンの葬儀社さんが、福祉葬を担っていました。でも大手にとっては、あまりもうかる葬儀ではないので、多くの場合、上限額いっぱいの見積もりを出していたと思います。いわき市の葬祭扶助の上限額は当時18万3000円でした」ここでも、石原さんたちは、超破格値の見積もり額で入札に挑む。「金額は言えませんけど、上限額をだいぶ下回る金額。もうけなんか本当にちょこっと。でも、私たちは夫婦二人が食べていければそれでいいという考え方ですから」税金を投入する手前、1円でも安く引き受けてくれる葬儀社は市としてありがたい。そのうえ、いざ任せてみれば、丁寧な仕事ぶりで利用者の評判も上々となれば……。「そこからです。どんどん福祉葬の依頼が入るようになって。さらに行政同士、つながりがあるみたいで。そのうち、今度は警察署からの紹介の仕事も入るように」こうして、いしはら葬斎には、孤独死した身寄りのない人や生活保護を受けていた人、さらに事件や事故の犠牲者、自殺者など、込み入った事情のある葬儀の依頼が次々寄せられるようになった。【後編】小さな葬儀社がみた3.11「東日本大震災で亡くなったご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」へ続く(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日《この度、私たち家族に新しい命が誕生したことをご報告いたします。沢山の方に支えられて平穏な日々を過ごせていることに感謝です。今後も家族三人の生活を温かく見守っていただけますと幸いです》3月9日、菅田将暉(31)と小松菜奈(28)が双方の公式サイトを通じて第一子の誕生を発表。冒頭のように直筆の報告文が掲載され、文末にそれぞれの署名が記されていた。映画『ディストラクション・ベイビーズ』(’16年)やダブル主演映画『溺れるナイフ』(’16年)、『糸』(’20年)などで共演を重ね、’21年11月に結婚を発表した2人。’22年9月下旬にはイギリス旅行から帰国する夫妻の姿を、本誌は東京・羽田空港で目撃していた。順調に結婚生活を送っていたようだが、妊娠発表もなかっただけにSNSでは祝福と同時に驚きの声も相次いでいる。《妊娠すら知らなかったからビックリ!おめでとうございます》《最近小松菜奈見かけないなと思ったら妊娠してたのか!2人の子供とか絶対可愛い子だ》《小松菜奈、妊娠・出産の気配をまったく感じさせず、極端に露出を落とすことなく、さらっと発表するの芸能人としてカッコよすぎるな》そんな小松だが、直前には“ある異変”を見せていた。「’16年からシャネルのアンバサダーを務める小松さんは、昨年3月に2023-24年秋冬コレクションで日本人初となるシャネルのヒロインに大抜擢。会場には菅田さんと仲睦まじく登場し、貴重な夫婦ショットは大きく注目を集めました。ですが今月5日(現地時間)にパリで開催された2024-25年秋冬コレクションには、登場しなかったのです。日本からは是枝裕和監督(61)と茅島みずきさん(19)が参加。昨年10月の春夏コレクションのみならず、今年1月のオートクチュールコレクションのショーにも小松さんの姿はありませんでした。アンバサダーを務め、毎回といってもいいほどショーへは頻繁に足を運んでいた小松さんだけに、彼女の不在を心配する声がファンの間で上がっていました。いっぽう結婚後に映画『余命10年』が公開されて以降、小松さんはドラマや映画にほとんど出演していません。松田龍平さん(40)とのダブル主演映画『わたくしどもは。』が年内の公開を控えているくらいで、最近ではCM出演が活動の大半を占めていました。妊娠、出産に備えて仕事をセーブしていたのではないでしょうか」(芸能関係者)結婚発表時は、《出会った頃から変わらず私達は、戦友であり、心の支えであり、これからは家族になります》と連盟で綴っていた2人。家族が増え、喜びもひとしおだろう。
2024年03月10日回を重ねるごとに反響を呼んでいる『不適切にもほどがある!』(TBS系)、通称“ふてほど”。昭和から令和にタイムスリップした阿部サダヲ演じる“昭和のおやじ”小川市郎が、現在の常識に困惑しつつも、コンプライアンスでがんじがらめになっている現代人に、考えるきっかけやヒントを与える人物として活躍中だ。出演者が突然歌いだすミュージカルシーンには重要なメッセージが込められていたりと、片時も目が離せない。そしてそれ以外にも、現金をティッシュで包むといった1986年当時のあるあるも、当時を知る世代にとっては見どころになっている。そこで、今回は本誌秘蔵写真とともに昭和の芸能界を振り返る。あらためて『ふてほど』が描く昭和のキーワードで懐かしくなって!■昭和キーワード1【マッチ】女子も男子も憧れた完全無欠のスーパーアイドル。「たのきんトリオ」として人気を博し、’80年『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手デビューしたマッチこと近藤真彦。トシちゃん(田原俊彦)とともに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍した。ムッチ先輩にマッチも気づいたようでラジオで反応していた。■昭和キーワード2【お色気深夜番組】1980~94年放送の『トゥナイト』は人気深夜番組で最新トレンドから性風俗までカバー。’82年に山本晋也監督が言った「ほとんどビョーキ」は現在でも知られる流行語。ドラマで小川がよく言う「チョメチョメ」は当時人気司会者だった山城新伍さんが言い始めた。山城新伍の番組ではおっぱい丸出しは当たり前。女優の花園ひろみと結婚離婚を繰り返していた。■昭和キーワード3【テレビドラマ】テレビドラマから、数々の流行や社会現象が生まれた。1983年『積木くずし』は俳優・穂積隆信さんが娘の非行〜更生を描いたベストセラー作品。『積木くずし-親と子の200日戦争-』として放送。1986年『男女7人夏物語』は元祖トレンディドラマとして名高く、最高視聴率は31.7%を記録。この共演で明石家さんまと大竹しのぶはのちに結婚。■昭和キーワード4【アイドル新時代】花の82年組が大人気!『私の16才』でデビューした小泉今日子の愛称はキョンキョン。アイドル豊作の年といわれる花の82年デビュー組。ほかに中森明菜など。『夜のヒットスタジオ』は“夜ヒット”が略称の人気音楽番組で’68~’90年の放送。看板司会者・芳村真理の「どぉもぉ~」と豪華オープニングメドレーが名物。■昭和キーワード5【おニャン子クラブ】『夕やけニャンニャン』から誕生した女子高生メインのグループで、会員番号を言う自己紹介が特徴。現代からすると刺激的な歌詞は秋元康が担当していた。ドラマ内でも小川が「さすが秋元、どうかしてるぜ!」と辛辣コメント。■昭和キーワード6【女子大生ブーム】ラジオやテレビで普通の学生がキャピキャピ活躍!1983~91年放送の『オールナイトフジ』は現役の女子大生が出演していた生放送深夜番組。女子大生ブームの火付け役となった。デビューしたてのとんねるずや片岡鶴太郎が出演。ドラマ第5話で「川島なお美と同じとこ入りたいの」といったセリフがあったが、川島さんは青学在学中に女子大生DJとしてブレイクした。本誌では1982年、青学の門の前でポーズを決める川島さんを撮影。
2024年03月10日「幕末塾に所属してアイドル活動をするなかで、水谷豊さん主演のドラマ『刑事貴族3』で新人刑事役に抜擢されたり、映画に出演したり。そんな時期に『白鳥麗子でございます!』(フジテレビ系)のオファーをいただいたんです」こう振り返るのは、彦摩呂さん(57)。「ボクは当時27〜28歳でしたが、19歳の学生役で(笑)。コメディドラマだから笑いが絶えなくて、雰囲気のいい現場でした」共演者にも刺激を受けたという。「松雪泰子ちゃんは、手足が長くてとにかく美人。コメディの表情は“白鳥麗子”のイメージにピッタリで、リハの段階から共演者と一緒に爆笑していました。萩原聖人くんは、当時の若手ではずば抜けた演技力の持ち主。原作が漫画ということもあって、泰子ちゃんやボクはデフォルメして演じていたのですが、それを浮き立たせるため聖人くんはあえてリアリティのある演技でした。ボクの恋人役の小松千春ちゃんは今どきの女のコという感じで、現場でも話題の中心でした」あるとき、宴会のシーンで彦摩呂さんが、小松演じる京子を呼ぶシーンがあったが、つい「千春ちゃん」と呼んでNGに。「仲がよすぎて、つい本名を。それで千春ちゃんに『マロピーの本名は?』って聞かれて『原です』と答えたら、それがすごくおもしろかったみたいで、笑いが止まらなくなりました」もっとも思い出に残るNGは、公園のベンチに座っていた松雪が、広げていた新聞をたたんで立ち上がった際、鳩が一斉に飛び立ち、さっそうとその場を立ち去っていくシーンの撮影でのこと。「鳩を集めるために、泰子ちゃんも一緒になってポップコーンをまいていました。いい具合に鳩が集まり、絶妙なタイミングで鳩が飛び立って、素晴らしい画が撮れたのですが……。泰子ちゃんが立ち上がったとき、うっかり背中に隠していたポップコーンの袋が映りこんでしまったんです。もう鳩もおなかいっぱいで、2回目のシーンを撮るのが大変でした」ドラマは高視聴率をたたき出し、放送終了の8カ月後には早くもパート2が放送された。1995年には映画化も実現。「この世で姿かたちが大きく変わるのは、エビかカニか彦摩呂かと言われるほど。ボクは当時、痩せていて、主役を支える、ちょっとコミカルな2.5枚目俳優だったんです。そんな、芸能人生での最大の功績を、今でもプロフィール上に残すことができるのは、『白鳥麗子〜』のおかげなんです」
2024年03月10日「R-1には夢があるんですよ!」3月9日、ピン芸日本一決定戦『R-1グランプリ2024』(フジテレビ系)が生放送され、史上最多となる5457人のエントリーから、街裏ぴんく(39)が優勝。22代目の王座と賞金500万円を手に入れた。街裏は芸歴20年目で、今回初の『R-1』決勝で栄冠をつかんだ。「今回の『R-1』はエントリー資格が変更され、芸歴制限が撤廃されました。そのため、 “ホラ漫談”という話芸で芸人仲間からかねて評判の高かった街裏さんが選ばれたのでしょう」(演芸ライター)本誌は昨年6月、街裏に、彼のリアルな半生について話を聞いている。R-1優勝を機に、再編集して緊急公開する――。■デビュー当初は“ぼやき芸”だったが、東京ではウケず…「素直に自信がつきましたね。色んな人がいる大会で、今までの人生の中でも優勝できるってなかなかない経験だったので」こう語るのは、お笑い芸人・街裏ぴんく。ファンタジックな“ホラ漫談”でファンを増やし、22年に芸歴11年以上のピン芸日本一決定戦「Be-1グランプリ」で頂点に輝いた(以下、カッコ内は街裏)。大阪で活動していたコンビ解散後、街裏がファンタジックな“ホラ漫談”を始めたのは’08年。当初は実際の出来事をベースに捲し立てるという“ぼやき芸”だったが、現在のスタイルを確立するまでは試行錯誤の日々があったという。「ぼやき芸は大阪ではウケていたんですが、’12年に上京してからは全然ウケなかったんです。落ち込んでいた時に、『浅草リトルシアター』がエントリー代なしでも1日3、4回出演できると知って出始めました。その時に漫談以外やりたいことを全部捨てたんですね。『どうやったら東京で漫談がウケるんや』と模索して、色んな漫談が出来たんですよ。徐々に自分の話芸も上達してきて、ぼやきがウケるようになってきたんです。でも、本当にやりたいのは今やっているファンタジックな漫談だったんですが、とにかくウケなければ生き残っていけなかったんで。その時に『俺は漫談家として生きていくんや』と強く思いましたね」浅草の舞台以外に月20本ものライブをこなし、ストイックに芸を追求していた’14年ごろに転機が訪れる。「月20本やってるライブに『Aマッソ』が面識のない状態で見に来て、僕も彼女たちの存在を知ってるから『なんでAマッソ来てんねん!』って驚いて……。それから’15年に入って少し経った頃、Aマッソの主催ライブ『バスク』に誘ってもらったんですよね。彼女たちは僕がどんな漫談をやるのかを見に来て、その上でライブに呼んでくれたんです。200本中にあるファンタジー漫談のなかから、お客さんに『どれが面白かったですか?』と感想を聞いて統計を取っていたんです。その統計で一番評価が高かった且つ、自分がやりたいネタとして、『ホイップクリーム』っていう漫談を選びました。それを『バスク』で披露したら、人生で一番ウケたんですよ!自分の芸風という意味では、この時が本当に転機ですね。『ファンタジー漫談でイケるぞ!』って自信がついて、『それしかやらん、それを追求する』って決意しました」■ユニットを組んで「M-1」に挑戦も「やっぱり自分はピン芸人なんだな」しかし、’08年から毎年エントリーし続けてきた「R-1」では苦戦が続いていた。「毎月20本のライブをやっていた’14年は、2回戦落ちでした。漫談を200本も作ってきたのに、2回戦で歌ネタをやってしまったんですよね。やっぱり自信がなかったんですよね、2回戦っていうぶち破ったことのない壁に。『R-1』という老若男女にウケなければいけない場所に、持っていくような漫談がなかったというか……。僕を好きな人は笑ってくれたんですが、歌ネタで落ちてしまいめちゃくちゃ悔しかったですね。自信を持ってからは進めるようになって、’19年に初めて準決勝までいけたのが最高成績です」’21年の「R-1」の出場資格変更を受けて、同年には元「ジャリズム」で現在は本誌記者としても活動するインタビューマン山下氏(54)とユニットを組み、「M-1グランプリ」にも挑んだが、思うように爆発を起こせなかったという。しかし、この経験によって、ピンで活動することの意義に改めて気づくことになったようだ。「やっぱり自分はピン芸人なんだなって思いましたね。1人で何もかも考えて、1人でしゃべって、スベるもウケるも全部1人がいいなって思いました。横に人がいないからコンビネーションを見せなくていい分、気を使わずにアドリブも言える。思いついちゃったら言える。それでスベるもウケるも自分、というのが楽しくてしゃあないですわ。僕は漫談が天職です。やっぱり芸人は100%出せないとダメだと思うんですよね。何かに気を使って、70%、80%しか出てない状態ってもったいない無いと思います」■「深夜の4時半くらいに僕の番組ができたら、もう死んでもいい(笑)」他の芸人と比較してもハイペースに独演会を行うなど、精力的に芸を磨いてきた街裏。当時、本人は手応えについてこう語っていた。「色んな種類の漫談を作ることによって、どんどん成長していってると思うんです。自分でも驚いてますね、ファンタジーの1人しゃべりでここまで色んな種類のネタが作れたっていうのは驕りですけど。やり始めた時は、ここまでできるとは思ってなかったかもしれません。よくないところを削ぎ落とし続けてるから、進化してる。円を描きながらどんどん上にあがっていってるイメージです」そんな街裏に「もっとも影響を受けた芸人は?」と尋ねると、「ダウンタウン」という答えが。「『ガキの使い』のハガキトークというコーナーで、視聴者が投稿した無茶振りに対して松本さんが嘘で話を作っていく。それを浜田さんがツッコんでいくのが好きでした。録画したビデオを夜通し一人暮らしの家で見て、寝る時も流してましたね。2人のあの感じ、ネタの内容、全て含めて大好きで。あれが『嘘をしゃべる』ということに対して、魅力が湧いた瞬間でした」最後に、今後については「漫談でやってきたい。絶対いけると思ってるんで深夜の4時半くらいに僕の番組ができたら、もう死んでもいい(笑)」と語っていた街裏。この時の予感を見事、現実のものとした街裏の時代はすぐそこまで来ている――。
2024年03月10日国民的人気アニメ『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子の声を務めている声優TARAKOさん(本名非公表)が4日未明に亡くなったことが9日に明らかになった。「『ちびまる子ちゃん』の放送が30年以上続くなかで、原作者のさくらももこさんや、共演者で鬼籍に入った人もいます。自宅には、仲間たちの写真を飾ってある“天使コーナー”と呼ぶ一角を作っていたのです。インタビューでは“天国に行けば、天使になった友人たちにも会えますから”と語っていましたが、シャイで優しいTARAKOさんこそ、まさに天使のような人柄だったのです」(テレビ局関係者)TARAKOさんは本誌1991年1月8・15日合併号で、霊能者・宜保愛子さんと対談している。当時、すでに『ちびまる子ちゃん』のヒットにより大人気だった彼女だが、10年間も悩んでいたことがあった。対談を一部抜粋すると――。TARAKOさん「子猫というと、いまも気になっていることがありまして。いまから10年くらい前に、私、学生だったんですけど、家のそばの川原の土手のところを歩いていると、ミーミーと鳴く声がしたんです」宜保さん「捨て猫ですね」TARAKOさん「ええ、草の中をのぞくと、3匹の子猫がもう息もたえだえで。とても自分一人ではどうにもならないから、友達に電話をして車で来てもらって、獣医さんのところへ行ったんです」宜保さん「なかなかできることじゃないわ、おやさしいのね」TARAKOさん「やさしくなんてないんですよ。そのあとがよくなくて、私、そのとき、全然お金の持ちあわせがなくて、とても治療費なんて払えない状態だったんです。だから、獣医さんの玄関のところに、その3匹を置いて、呼び鈴押して“お願いします”って帰ってきちゃったんですよ。ほんとうは最後まで面倒みてあげたかったんですけど……」捨て猫たちの安否を10年も心配していたというTARAKOさん、宜保さんから猫たちが無事に治療を受けて元気になったことを聞くと、思わず大きな声を上げて喜んでいた。対談でTARAKOさんは、このほかにも亡くなった所属事務所社長夫人への感謝などについて語っている。晩年は4匹の保護猫を飼っていたというTARAKOさん。優しさと感謝を忘れない63年の生涯だった。
2024年03月09日Xで人気沸騰中の人間まおがミドルエイジのモヤモヤを描く連載コミック!【あらすじ】結婚後、実家と距離を置いて過ごしていたようこ。あるとき、母親から唐突に「介護をしてほしい」と連絡が。しかし、ようこはどうしても受け入れられない。根深すぎるその理由とは――?《つづく》> 過去のお話はこちらから読めます!【PROFILE】人間まお’18年に『くず系女子。』(KADOKAWA)でデビュー。現在はサルのあげおと共存の日々を送りながら、日常のあるあるをゆる~く描いた漫画ブログが大人気。4月から『おはスタ』(テレビ東京系)で「あげおとティム」のアニメ放送がスタート!
2024年03月09日現在放送中の『院内警察』(フジテレビ系)に続き、3月3日からは『連続ドラマW坂の上の赤い屋根』で主演を務めるなど、引っ張りだこ状態の桐谷健太(44)。“イヤミス”の名手である真梨幸子の小説が原作のダーク・ミステリーということで、どこか怪しげな雰囲気での撮影に挑戦してもらった。「最初にお話をいただいたとき、この主人公を自分が生きたらどうなるんだろう? と興味をそそられました。予想を裏切る展開は見応えがあると思います」『連続ドラマW坂の上の赤い屋根』(毎週日曜22時〜WOWOWプライム、WOWOW4Kで放送中。WOWOWオンデマンドで全5話一挙配信中)で、主人公の出版社の編集者・橋本涼を演じる桐谷健太。人間の心の闇や二面性を描く今作で、橋本という人間像をクランクイン前から染み込ませ、本番では直感的に演じられるように心がけたという。「一見、普通の人に感じるんですが、見る人によっては少し違和感があったり、あるいは不気味さがあったり、見え方が違う人間にしたいと考えていました。この作品のテーマにも通じる“人の数だけ真実がある”というところは常に意識していたと思います。現場に入ったら、ほとんど何も考えずにやれたので、そこは自分のなかでうまくハマった感じはしています」役を作り込んで現場に向かうときは、すでに橋本になっていたのか?「全然!桐谷健太です(笑)。昔、役者を始めたころは、プライベートでも役になりきっているのがカッコいいと思っていたんですよ。でも、友達に『それ嫌やわ、お前じゃないやん』って言われて反省して(笑)。もちろん役を生きるための準備はありますが、理想は『よーい、スタート』で全く違う人物になって、『カット』の声で“自分の真ん中”に戻るというのを目指しています。役以外のところは楽しい兄ちゃんでいいんです(笑)」40代で実力派の地位を築いている桐谷。俳優としての目標や課題は「特に考えていない」と語るが、その真意は?「日々の些細な出来事に感動して生きていきたいと思っているんです。それができたら、役者をやっていようが、何をやっていようが最高ですよ。日ごろから感覚を研ぎ澄ましていれば、おのずと演技にも変化が出てくると思っています」また、仕事で全力を発揮するために日常生活で気をつけていることを聞いた。「しっかり寝るとか、しっかり休む。これはとても大切にしています。これまでの自分は、本番にどれだけ力を発揮できるかということに重点を置いてきたんですが、しっかり休めば本番は勝手に自分がやってくれる。脱力することも大事だと実感しています」(スタイリング:岡井雄介、ヘアメーク:岩下倫之/Leinwand、衣装協力:ヴェルサーチェ/ヴェルサーチェ ジャパン)
2024年03月09日『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』など数々の人気作品を生み出した漫画家の鳥山明さんが、3月1日に急性硬膜下血腫によって亡くなった。68歳だった。鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」は、1週間経った8日に逝去を公表。追悼コメントとともに、すでに近親者のみで葬儀を執り行ったことを報告した。同じく追悼コメントが発表された集英社「少年ジャンプ」の公式サイトでは、鳥山さんと親交のあったゲームデザイナー・堀井雄二氏(70)、漫画家の桂正和氏(61)、尾田栄一郎氏(49)、岸本斉史氏(49)によるコメントも掲載された。鳥山さんの突然の訃報に、漫画界の枠を超えて日本だけでなく世界中で偲ぶ声が溢れている。だがいっぽうで、’86年の放送開始からアニメ『ドラゴンボール』シリーズで主人公・孫悟空のCVを務めてきた声優・野沢雅子(87)はコメントできる状態にはないという。複数のメディアによれば、野沢が所属する「青二プロダクション」は取材に対して「あまりに突然の訃報で、本人も強いショックを受けており、今すぐにはコメント出来る状況にございません」と回答している。悲しみに暮れている野沢に、SNSでは《野沢さんがシンプルに心配力を無くさないでほしい》《野沢さんからしたら家族が亡くなったような感じでしょう…言葉が出てこないですよね》と慮る声が続々。そうした声は“仲間”からも。アニメ『ドラゴンボール』シリーズで主要キャラクター・ピッコロのCVを担当してきた古川登志夫(77)は、同日に更新したXで野沢をこう思い遣っていた。《マネージャーさんからもたらされた鳥山明先生の訃報……「マコさんに次いで今登志夫さんにお報せするのですが……」真っ先に頭に浮かんだのは「マコさんはどんなお気持ちだったろうか?!」ということだった》■オーディションで鳥山さんが絶賛「悟空の声はこの人しかいない!」野沢といえば悟空だけでなく、息子の悟飯、悟天と親子3人のキャラクターも演じ分けてきたレジェンド。’19年6月の本誌インタビューでは、その喜びをこう語っていた。「親子3代をやれるなんて、こんな最高なことはないです。同じキャラクターでも子どもから大人になると声優を替えるものなんですよ。台本に自分の名前を見つけたときは本当にうれしかったですね」『ドラゴンボール』において欠かせない存在だが、昨年9月に出演したラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』(J-WAVE)内では、“孫悟空秘話”を語っていた。「野沢さんは『ドラゴンボール』のオーディションで、鳥山先生から直々に悟空役に指名されたそうです。当時オーディションでは声優陣の名前が伏せられていたそうですが、野沢さんの声を聞いた先生は『悟空の声はこの人しかいない!』と絶賛したと聞きました。悟空の一人称である『オラ』を提案したのも野沢さんで、セリフの言い回しは自分なりに考えて表現したといいます。アニメ開始直後には先生に『描いていると、野沢さんの声でセリフが頭の中に出てくる』と言ってもらったそうで、野沢さんは喜んでいました。そんな野沢さんは、収録での気合いの入りようも本格的。必殺技の『かめはめ波』を出す時は、“スカートだと股が開けないからパンツを履く”と裏側を披露していました。約40年近くも演じ続けてきただけに、野沢さんの心中を察するには余りあります……」(アニメ制作関係者)先の本誌インタビューでは、「いまや、悟空は私の分身ですね。宝物です!」と語っていた野沢。鳥山さんと築いた絆は、永遠だ――。
2024年03月08日Sexy Zoneの菊池風磨(29)と、元乃木坂46で女優の白石麻衣(31)が真剣交際していると、『スポニチアネックス』が3月8日に報じた。ビッグカップルの誕生に衝撃が広がっている。同紙によると、2人は数年前に交際していた時期があったものの、多忙だったこともあり破局。’23年に復縁し、ファンを傷つけないよう外出は避け、自宅でのデートを楽しんでいるという。同紙によると菊池は「結婚前提にお付き合いします」と周囲に話しているという。双方の事務所は各紙の取材に対し、交際について否定はしていない。これまで一切の“匂わせ”をしてこなかったことが評価されて、ファンからも祝福が沸き上がっている菊池。過去には”肉食”な恋愛観を明かしていた。‘22年10月17日放送の『グータンヌーボ2スペシャル』(カンテレ・フジテレビ系)にゲスト出演した際、MCの満島真之介(34)に、芸能界に入る前からテレビでアイドルや女優を見て「たまらん!かわいい!」と思っていたかをと問われると、菊池は「思ってましたね!モテたくて入ってますから、ジャニーズ」と即答。また、好きな人には自分から「すぐ告白するタイプ」だといい、「僕、ストレートにしか行かないです。『好きです。付き合ってください』って」と学生の頃から変わらないと発言。また、好意があることを相手に「ガンガン匂わせます」とし、「連絡もめちゃくちゃ取りますし、お誘いもしますし、されたら行きますし」と積極的にアプローチすると話した。「付き合ってからも割とマメ」だという菊池は、付き合ってから態度を変えることは「過去の自分がダセェなって思っちゃうんですよ」ときっぱり否定。「付き合ってもらうためにやってたくせに、それが叶った瞬間にやらなくなるって。だったら最初からやんなよって思っちゃうんで。自分が嫌になっちゃうから」と理由を説明した。さらに番組では、菊池が恋人に求める理想についてトークを展開。菊池は「僕、結構全部一緒がいいんですよ」と明かした。菊池は「束縛はしないんですけど、でも一緒にいられる時間は全部一緒がいいんですよ。例えば、差し入れなんか頂いたとかなったら、それ僕の分しかなかったら同じの買って一緒に食べたいんですよ」と話し、思わず満島が「かっこいいな」と反応すると、「楽しくないですか?その方が」とイケメンぶりを発揮した。同じくゲストで出演していた俳優の千葉雄大(34)から「それは日常でもいいってことだもんね」と問われた菊池は「アイス食いて~なあと思って、アイスコンビニで買うじゃないですか。そしたら同じの買っていきたいんですよ」と話し、「でも、こっちとこっち迷うじゃないですか。両方2個ずつ買っていっちゃえみたいな。それで一緒に選んだら楽しくないですか?『じゃあ、せーのでやろうよ』とか」と恋人との理想の日常を語った。一方で、「それを女の子が嬉しいと思うかは別」と満島が問いかけると、菊池は「そう、だから僕は自分が全てになってほしくない」とも話し、「趣味“僕”、なになに“僕”、全部“僕”になっちゃうパターンあるじゃないですか。そうなったときそうなったときどうします?“もう雄大しかないの、私は!”みたいになったらどうします?」と逆に千葉に問いかけ、自立した関係が理想であることを明かした。“肉食”であることは隠さない菊池だが、恋愛の「最低限のマナー」として「街中で人目に触れるときとか、手繋いで歩いちゃってて、もしそれが誰かに見られたときにどういう気持ちにさせますか?」と話し、「それがファンだった場合とか、こういう仕事をさせてもらってる中での“マナーは守りましょうね”ってのはあります」とも発言。恋愛自体は否定しないものの、当時からアイドルとしての筋を通し、ファンを大切にする姿勢を見せていた。
2024年03月08日3月8日、Sexy Zone・菊池風磨(29)と白石麻衣(31)の交際を「スポニチアネックス」が報じた。記事によると、結婚を前提としているといい、双方の所属事務所は交際を否定しなかった。Sexy Zoneといえば、メンバーの中島健人(29)も1月に熱愛が報じられたばかりだが――。「中島さんは元E-girlsの鷲尾伶菜さん(29)との交際を『女性セブン』が報じましたがその際、ファンから2人の数々の“匂わせ”が指摘されました。鷲尾さんは’21年10月にInstagramで《最近ブルーが前より素敵にみえはじめた》と意味深に綴っていたのですが、青は中島さんのメンバーカラーです。また、22年2月に中島さんは『MORE』の恋愛にまつわるインタビューで《時間は有限であり、一緒にいる時間が当たり前ではない》と語っていました。その3ヵ月後には鷲尾さんがXに《そばにいる事だって当たり前じゃない》《時は有限》と、非常に似た発言をしていたのです」(スポーツ紙記者)いっぽうの菊池はというと、白石との交際が報じられる前の3月5日、Instagramでファンから寄せられた《匂わせだけはすんなよ頼むからほんと!!!》というメッセージに対し、《しねえけど、全部結びつけんだろ!?》と回答している。「菊池さんと白石さんをめぐっては匂わせらしいものは見つかっていません。菊池さんの“匂わせしない”宣言は本当だったのでしょう。いくつかの匂わせが指摘された中島さんとは対照的です」(前出・スポーツ紙記者)恋愛は自由とはいえ、アイドルの熱愛はファンもショックを受けるもの。匂わせまで発覚すると落胆も大きくなるが、一切匂わせのなかった菊池に対し、SNS上では称賛の声が相次いでいる。《まいやんと風磨くんの熱愛報道。お年頃だから、こういう話題出てもおかしくない。でも、二人でいるところを見せたり匂わせたりしないところがファンを大切に思っているんだなと思う。》《それこそ白石麻衣と付き合ってて匂わせしない菊池風磨すげー!やな逆もまた然りやけど》《鷲尾さんとまいやんはもうそりゃ圧倒的に後者が圧勝なのよ匂わせしたらもう絶対に好感度は得られない》
2024年03月08日3月1日に、急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さん(享年68)。世界中から愛される巨匠の訃報が一斉にメディアで報じられたのは、8日正午すぎだった。SNSでは悲しみの声が溢れているが、鳥山さんの訃報が1週間もの間流出しなかったことに驚いた人も少なくないようだ。鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」は、同日付で鳥山さんの逝去を公表。発表した文書のなかで《まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません》と偲びつつ、すでに葬儀を近親者のみで済ませたことも報告した。また同じタイミングで、東映アニメーションと集英社「少年ジャンプ」の公式サイトでも追悼コメントが発表された。驚くべきは「少年ジャンプ」公式サイトでは、鳥山さんと親交のあったクリエイターや著名漫画家たちの追悼コメントも発表されたのだった。その人物とは、鳥山さんがキャラクターデザインを手掛けたゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームデザイナー・堀井雄二氏(70)、『電影少女』『I“s』などの作品で知られる桂正和氏(61)。続いて『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎氏(49)、『NARUTO -ナルト-』の作者・岸本斉史氏(49)の計4名。鳥山さんが急逝したことへの喪失感や敬意、偲ぶ気持ちをそれぞれ長文で綴っていた。訃報の発表に際して関係者たちが事前に入念な調整を進めていたことが伺えるが、鳥山さんは最近も精力的な活動ぶりが注目を集めていたばかりだ。3月4日に都内で、鳥山さんの作品「SAND LAND」を多角的に展開するプロジェクト「SAND LAND Project発表会」が開催。昨年8月に劇場アニメとして上映された同作だが、発表会では鳥山さんが“その先の展開”を考案したことが明かされた。さらに鳥山さん本人によるコメントも紹介され、《僕は新キャラである天使のムニエルの設定とデザイン、アンなどのデザイン、エピソードなどを提案させていただき、続編が完成しました》と制作に携わったことが綴られていた。まさかこの時すでに鳥山さんが亡くなっていたとは、誰しも想像できなかったであろう――。訃報が一切漏れることなく“秘密保持”が徹底されたことに、SNSでは脱帽する声が広がっている。《鳥山明先生の訃報、1週間前って聞いて驚いたわ。情報が漏れなかったのがすごい》《鳥山先生。。。1週間前に亡くなられてたのか…編集部・著名人のコメント全て取った上で週刊少年ジャンプ公式サイトで発表という… 凄い秘密保持力》《葬儀など済ませた上に親しい人のコメントまでとって1週間伏せていられたつまり誰も口を割らなかったどれだけ鳥山明がリスペクトされていたかが分かるね…》《鳥山先生、1週間も前に亡くなられてたのか。全く情報が漏れなかったのは集英社の情報管理力のすごさもだけど、ご本人の人徳もあるんだろうなぁ》
2024年03月08日2月17日、さまぁ~ずの三村マサカズ(56)が「さまぁ~ずのさまラジ」(ニッポン放送)でこのように語っている。「座りションって、こう全部、出切らない感じがあるのよ。屈んでいるぶん、なんか、ちょっと立ったときに、最後に残りのチョチョッと出そうな……」生活用品メーカーのライオンが行った3年前の調査「ライオン・男性の小用スタイルに関する実態調査2021」(20~60代の男性1,500人)では、便座に座っておしっこをする「座りション」の男性が約6割にのぼっていることがあきらかに。《尿ハネでトイレが汚れる》《掃除をする妻の気持ちを考えて》などが座りションをする理由だが、三村のようにスッキリ感がないばかりか、尿もれに悩んでいる男性も少なくない。ユニ・チャームが23年7月に行った「男性の尿トラブルとケア方法」(20~60代の男性1009人)に関するアンケート調査でも、50%の男性が尿トラブルを経験。半数以上の人が「尿の切れの悪さ」を経験し、4割ほどの人が「ズボンにシミがつくこと」に不安感じていることがわかった。「まず排尿では、座りションでも立ちションでも勢いはさほど変わりません。どちらかというと、排尿障害のある人は、座ったほうが最後まで出し切れる、というデータがあります」そう語るのは、「おき泌尿器科クリニック」(大阪府富田林市)の沖貴士院長。屈んでオシッコをすることで、排尿の勢いが落ちることはないようだ。では、尿もれについてはどうだろう。「男性の尿道は、女性に比べて長いため、どんな姿勢でも排尿後に、尿道に尿が残ってしまうことがあります。とくに尿道の奥のやや広くなった『尿道球部』に尿がとどまっており、それがズボンを上げたあとに、ツーツーともれてしまうことがあるのです」ズボンについたシミを人に見られたら……。どうすればいいのだろか?「立っていても、座っていても、排尿後に、陰嚢の裏側の『会陰部』を軽く押して、陰茎側にしごくようにすれば、尿道球部にとどまった尿を出すことができます」ワンプッシュで、スッキリ感も尿もれの心配もない。これで三村も安心して座りションができるだろう。ただし、これでも改善しない場合は、前立腺肥大症や尿道狭窄など病気の可能性も。専門委を受診したほうがいいようだ。
2024年03月08日「母はもう亡くなって、父は施設に入ったんです。家がもうないんですよ。実家が……」マツコ・デラックス(51)が2月23日放送の『徹子の部屋49年目突入SP』(テレビ朝日系)にゲスト出演。実父が高齢者施設に入居したことを初めて語った。「ひとりっ子のマツコさんは’16年にお母さんを亡くしています。彼女が必死に働いてきたのは“両親と自分の老後の資金を蓄えるため”だと聞いたことがあります。お母さんが亡くなった後、自宅がゴミ屋敷状態になるなど、精神的に不安定な時期が続いていたそうです」(テレビ局関係者)数多くのレギュラー番組を持つマツコだが、両親についてはあまり多くは語らない。’22年8月、『マツコ会議』(日本テレビ系)で、ゲストの歌手で2児の母であるAI(42)に対し、両親への感謝を述べたことがある。「うちの親って何をしろも言わないし、何をするなとも言わない。激しく怒るわけでもない。めちゃくちゃ褒めることもない。ものすごくいい意味で言うと、すごく放任主義。悪く言うと、あまり関心がなかったのかなって思うの。子供にあまり関心がないって思わせるくらいの距離感でいいと思うんだよね、親って。これぐらいでも十分アタシは親の愛を感じるし。だから、何か言われたことっていうよりも、何も言わなかった親に感謝している。アタシは女の人の気持ちはわかりませんよ、男だから。でも、女性に対しての尊敬がすごいの。それは母の影響が大きいのよ。アタシはもう何があっても母だから、いちばん尊敬している人は。もう亡くなっちゃったんだけど……」まだブレイク前の20代半ばのマツコは、実家で2年間ひきこもっていた時期があった。「LGBT雑誌の編集者として5年間働いたのち退職。思うようにいかず挫折感を味わったマツコさんは自宅にひきこもったんです。建設会社のサラリーマンで厳格なお父さんは『働かないヤツは、水飲むな!』と怒ったそうです」(前出・テレビ局関係者)「過去を振り返るのは嫌い」と公言するマツコだが、この時期は葛藤の日々で、人生のターニングポイントだったようだ。9年前のインタビューではこう回想していた。《老夫婦二人が身の丈にあった生活をしようと引っ越しを決めたタイミングで、実家を出ていくように言われたわ。両親も、このまま家に引き籠っていたら本当にだめになると思ったんじゃないかな。だから母親から『次の家にあんたの部屋はないんだから、出て行きなさい』と言われたの。しかたなくボロアパートで一人暮らしを始め、それから本格的にフリーのライターとして活動するようになった》(『週刊現代』’15年4月18日号)前出のテレビ局関係者は言う。「実家暮らしの2年間、両親はありのままのマツコさんを受け止めてくれたそうです。セクシュアリティや仕事内容に関しては、必要以上に踏み込むことはなく“デリケートなことには触れない”両親にはずっと感謝しているといいます」’21年9月、マツコは出演した『マツコ&有吉怒り新党』で、出無精になった自分に関して、半ばあきれながらこう語っていた。「今90歳の父親がもしいなくなったら、さらにタガが外れて自分は体重が500キロぐらいになって部屋で動けなくなっているかも」■「このままガタがきて死んでいくのかな」最愛の母が旅立ち、マツコは父を心の支えにしていたようだ。かつてインタビューで終戦まで旧満州にいた父からは戦争の体験談を聞かされていたと語っている。《隣で人が火だるまになって死んでるような時代を生きた人なら、子どもが女装してメディアに出たって、『まあ、とりあえず生きてるし』って動じないよなって》《生きていられるんだから、セクシュアリティなんて何でもいいって気持ちが自分にあった。それにはすごく感謝してるわね。あの親じゃなかったら、今の私はなかったから》(『朝日新聞』’13年7月25日付)マツコはブレイクした後、両親へある“ルーティン”を欠かさないようにしていた。「折に触れて仕送りをするようになったそうです。けっしてご両親がお金に困っているわけではなく、『ちゃんと仕事して稼いでるから安心してほしい』という思いからだったといいます。ただ、父親が90歳を過ぎて独居するのは心配だという思いから、実家じまいをして施設への入居を決めたようです」(前出・テレビ局関係者)終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんはこう語る。「実家じまいとは一般的に、住まなくなった自宅を売却したり、高齢者住宅などに住み替えたりすることを指します。実家の整理を子供が行う場合は、頻繁に通うことが前提になるのでかなりの負担になります。そのため、遺品整理業者、特殊清掃業者などプロのサポートを受けることも増えてきています。生前整理を頼む人でいちばん多いのは介護施設に入所する方なのです。あらかじめ実家の整理を行うことで、家族の心の整理がつけられる面はあります」前出のテレビ局関係者は言う。「自らも50代に突入して体調がしんどくなってきていて、メークでも目のクマが隠し切れなくなって老いを実感するようになったと聞きました。『最近は性欲も食欲も興味が全然なくなったの。このままガタがきて死んでいくのかな……』と嘆いていました」マツコは今回の決断にあたり、憔悴していたようだ。冒頭の『徹子の部屋』で、「終の住処を考えないといけないなって……。どこで最後に家を買うのかわからないけど……」と語っていたマツコ。新居は東京を離れ、今は那須塩原が気になっていると明かしていた。「階段の上り下りが特につらいそうなので“広い平屋の一戸建てを建てて終の住処にしたい”と言っているのは聞いたことがあります」(前出・テレビ局関係者)実家じまいが、自らの終活も始める契機になったのかもしれない。
2024年03月08日3月8日、漫画家の鳥山明さんが、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが分かった。68歳だった。国民的人気漫画家だった鳥山さん。特に『ドラゴンボール』は、単行本の売り上げが全世界で累計2億6000万部を超えるなど世界中で愛される作品だった。魅了された読者のなかから多くの漫画家が誕生するなど、漫画界にも大きな影響を与えてきた。訃報を受け、「週刊少年ジャンプ」の公式サイトでは、ジャンプ漫画家たちが追悼コメントを発表。そこに掲載された『NARUTO』の作者である岸本斉史氏のコメントに感動するファンが相次いでいる。岸本氏は《突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います》と切り出し、幼年期の自身と鳥山さんの作品との思い出を振り返った。《小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!》漫画家の道へと進んだきっかけも『ドラゴンボール』だったという。《大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました》突然の訃報に対しては、《今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません》と深い悲しみを露わにした岸本氏。そして、こんな願いをつづっていた。《世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生》ドラゴンボールファンの想いを代弁するかのような岸本氏の深厚なコメントは、多くのファンの心を揺さぶったようだ。SNS上には、感動と悲しみの声があふれている。《コメント涙目で読んでたんだけど、岸本先生の「ドラゴンボールの願いが1つ叶うなら」で涙腺が崩壊した。初めて買ってもらった漫画がDr.スランプだった。ただただ悲しい。先生のご冥福をお祈りします》《岸本先生もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…の文章だめだ泣いてる。ドラゴンボール探しに行こうぜ》《岸本先生の「もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…」っていう言葉が全ドラゴンボールファン・全鳥山明ファンの思いを表してる、、、》《岸本先生のコメント読んで泣いちゃった。「ドラゴンボールの願いが叶うなら…」そう思わずにいられないよね》
2024年03月08日3月8日午後8時に公開されるYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」第415回へ登場するCreepy Nuts。リリースからわずか1カ月で、全世界でのストリーミング再生回数が累計1億回を突破した楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」の一発録りパフォーマンスを披露する。テレビアニメ『マッシュル-MASHLE- 神覚者候補選抜試験編』(TOKYO MXほか)のオープニング主題歌として書き下ろされた同曲。アニメオープニングで主人公が楽曲のサビに合わせて踊る動きを真似た“BBBBダンス”にチャレンジする人も続出し、TikTokで大流行り。そんな話題曲のパフォーマンスに期待が高まるなか、事前に同チャンネルで投稿された予告動画に映し出されたDJ松永(33)の“激変姿”に衝撃が走っている。6日放送の『週刊ナイナイミュージック』(フジテレビ系)では、これまでと変わらないトレードマークの黒髪ヘアで出演していた松永。だが一転、「THE FIRST TAKE」の動画では金髪にイメチェンしていたのだ。真っ白なシャツに黒いネクタイを合わせ、黒いジャケットを着用していたこともあり、より金髪のヘアスタイルが視聴者の目を引いたようだ。動画のコメント欄やSNSでは、驚く声が相次いでいる。《松永が今金髪という衝撃。何で急に?》《金髪DJ松永がKポップアイドルすぎて呼吸が苦しい!》《松永さんの金髪……ほんとに一ミリも予想してなかった》《いつの間に金髪にまじで誰かと思った》《松永金髪かっこよすぎるからやめて韓流アイドルすぎるこれ以上世界に見つかるな松永かっこいいがすぎるぞ》他には、松永と似ている著名人の名前を挙げる声も。《松永、イヒョクチェみたいになってる》《松永さん、DNA期のキムテヒョンみたい褒めてる、これわたしのなかで世界でいちばん顔が綺麗な男》《お見送り芸人しんいちってこんなにDJ上手かったのか》《な、なんか……松永さん……しゅーじまんみたいになってる…?》「THE FIRST TAKE」に登場する同日は、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にも出演するCreepy Nuts。松永は金髪にした心境を語るだろうか?
2024年03月08日