「30代の目標は、私生活でも僕だけの“ぺっぴんさん”に出会うことです(笑)」。俳優の古川雄輝(29)が5日、最新写真集『unknown』発売記念イベントを行った。 連続テレビ小説『べっぴんさん』(NHK総合ほか・月~土曜8時~)で主人公・すみれの娘・さくらと結婚する健太郎を演じている古川。3冊目となる今回の写真集は、「みなさんが僕に対して持っているイメージを崩したかった」と言うのも、ふだんから実年齢よりも年下に見られることが多く、同ドラマ出演当初の設定も15歳の少年だった。「(今年で)30歳なるので、役の幅を広げたい」という強い思いで挑んだ一冊は、台風下の金沢で撮影を敢行。「お気に入りのカットは、風呂場で髪の毛を濡らして撮った写真です。これまではそういう髪形やシチュエーションがなかったので」とはにかむ。 22歳で俳優活動をスタートと、遅めのデビューだったこともあり、「あっという間の8年でしたが、いろいろ学べた20代でした」と語る古川。『べっぴんさん』では、ヒロインを演じる芳根京子(20)をはじめ若手実力派が多く、「みなさん演技が上手で、刺激になりました」と振り返った。 今年12月で30歳。プライベートでやりたいことを聞かれ、「大人が行きそうなお洒落なレストランに行きたいですね。ふだん牛丼屋さんとかなので」と庶民的な一面をのぞかせる。「あと、新しい趣味を見つけたいです。麻雀が趣味で、スタッフさんとかとよくやるんですが、5年くらい前からゴルフもやりたいと思っていて。麻雀もそうですけど、一緒にやると仲良くなれるじゃないですか」と抱負を語った。 ミスター慶応コンテストグランプリ受賞をきっかけに芸能界入り。’13年放送の主演ドラマ『イタズラなKiss~Love in TOKYO』は、台湾や中国でも爆発的な人気を誇った。20代のラストで出演した『べっぴんさん』で名実ともに人気俳優へ仲間入り。 報道陣から「個人的に“べっぴんさん”と何か?」と質問が飛ぶと、余裕の笑みを浮かべる。「もちろん男ですから。つねにべっぴんさんと出会いたいですよ(笑)。年齢的に、そろそろ結婚とかもいいなあって思います。とにかくいい子がいいですね。『ありがとう』としっかり言える子がいいです」と女性観も披露した古川。写真集の自己採点は「100点です!!」と笑顔を見せた。
2017年03月07日第115飯「ポーピエット」■材料豚フィレ肉200g(または薄切り肉8枚)ベーコン4枚オリーブオイル合い挽き肉100g玉ねぎ1/2個(みじん切り)にんにく1片(みじん切り)マッシュルーム150g(みじん切り50g・薄切り100g)卵黄1個塩・胡椒少々<ソース>エシャロット1個(みじん切り)小麦粉小さじ2白ワイン50cc生クリーム200cc※パセリ、クミンパウダー、ドライパセリ等 ■作り方①フライパンにオリーブオイルをひき、にんにくを弱火で香りが出るまで炒める。 ②①に玉ねぎを加え色付いたらみじん切りのマッシュルームを加え炒める。 ③ボールに合い挽き肉を入れ、粗熱の取れた②と卵黄、塩胡椒、好みで※のスパイスを入れ、ハンバーグの要領で練りまとめる。 ④4~50gに切り分けた豚フィレ肉をサランラップで覆い直径15センチ程度の円形になるまで伸ばし、これを4枚分繰り返す。 ⑤伸ばした肉の中心に3のタネを1/4量乗せて包みこれをベーコンで周りを囲み、タコ糸で球体が崩れないように結ぶ。 ⑥フライパンに多めの油をひき、5の肉を焼き香ばしい焦げ目をつけて取り出しておく。 ⑦⑥のフライパンでエシャロットを炒め、薄切りのマッシュルームも加え炒め、小麦粉を振り入れ絡めながら炒めたら白ワインをふりかける。ここに生クリームを加えて塩胡椒で味を整えソースを作る。 ⑧⑥の肉をソースに戻入れ、蓋をして10~15分程蒸し煮にする。
2017年03月07日昨今アイドルブームが続いていますが、アイドルになるための才能とはどんなものかみなさん考えたことはありますか。 容姿はもちろんですが、それ以上に無邪気さや純粋さからなる“女性としての未完成感”が大事。その証拠に活動歴の長いアイドルはプロ感が漂い、人気に陰りが出てくるものです。 彗星のように現れ輝き、そして去っていくアイドル。そんな特別な存在になるための才能を持ったがゆえに多難な道を歩む女性が元「モーニング娘。」の加護亜依さん(29)だと思います。 10代にトップアイドルとして芸能界を駆け抜けた彼女は先日第二子を出産し、子育て真っ只中。しかし今の幸せに辿り着くまでには喫煙からの「モー娘。」解雇に結婚離婚と、山あり谷ありすぎる経歴がありました。 今年5月には仕事復帰を予定しているそうですが、元夫と裁判中という報道も浮上するなど心配でしかありません。しかし彼女のその危うさの裏側には、持ちすぎた“アイドルとしての才能”が今も煌々と輝いているように思うのです。 アイドルの才能は純粋さや無邪気さとお伝えしましたが、加護ちゃんから感じる危うさを端的に言い表すと「“アイドル加護亜依”の見積もり間違い」です。 たとえば今さら「モー娘。」時代の暴露トークをするなど、子どもを産んでも裁判沙汰になっても常に“アイドル加護亜依”であり続けようとしてきました。 その純粋さは、オタたちが本来求めるアイドルとしての圧倒的な才能、純粋さと無邪気さ以外の何ものでもありません。ただ彼女の姿を好意的に受け止めるかは個人の自由ですが、正直、“痛い”通り越して心配になってしまうレベルです。 そんな彼女のアイドルぶりを見ていると、ふとある人物が重なります。それは70年代のトップアイドル・天地真理さん(65)です。若かりしころは天使のような少女でしたが“おばさんタレント”的な存在になった後は激太りをいじられネタにされるように。その後も鈍臭さをウリにした企画をこなしていました。 完全に芸人枠となっていた当時の彼女ですが、それでも何の迷いもなく“アイドル天地真理”を演じていたのが印象的。きっと彼女もアイドルとしての才能をがっちり持ったがために、いじられても笑われても自分の可愛さと価値を信じ続けていたのだと思います。 そんな年をとってもアイドルとしての自分を信じるという、“アイドルの究極形”とも言える生き方は才能のなせる業。未来の加護ちゃんがこうならないように祈りたいものです。 才能があるとはいえ、ママタレかアイドルかははっきりさせたほうがよさそうな加護ちゃん。ただしそんなにアイドルでいたいなら、いっそのこと“子持ちアイドル”として再デビューするのもアリかも! とはいえ、純粋さとオカンは相反する存在。才能でそこをカバーできるのか。アイドル加護ちゃんの真価は、実はこれから問われるのかもしれません。
2017年03月07日テレビ朝日の小川彩佳アナ(32)との交際が発覚した、嵐の櫻井翔(35)。気になるのは、2人が“結婚”する可能性。だが周辺を取材すると、複数の関係者がこう断言した。 「櫻井くんは、“3年は結婚しない”という決意を固めていると聞いている――」 まず語るのは、嵐関連の仕事にも関わってきた広告代理店関係者。 「櫻井くんは、“20年の東京五輪でキャスターを務めるまでは、何よりも仕事が最優先”と周囲に話しています。彼は、五輪取材に強いこだわりがあるんです。これまで、08年の北京五輪から5大会連続でキャスターを務め、取材活動を重ねてきました。東京五輪はキャスターとしての集大成になる。それまでの3年間、仕事に影響を与える“結婚”の二文字は封印する強い気持ちがあるんです」 もうひとつ、意外にも政界関係者から同様の声が届いた。語るのは、内閣官房関係者。昨年の都知事選に出馬が取りざたされた“櫻井パパ”こと元総務事務次官の櫻井俊さん(63)が、結婚への“鍵”を握っているというのだ。 「都知事選は固辞しましたが、櫻井パパには“最後の目標”があるんです。それは『自分を育ててくれた故郷の群馬に恩返しをしたい』ということ。じつは、19年に行われる群馬知事選への出馬を考えているんです。現知事の後継候補としての出馬になると思います」 役人時代に総務省内で櫻井パパを引き立てた菅義偉官房長官にも、その意向はすでに伝えてあるという。 「知事選に出馬する際に、息子の翔くんが“チャラい芸能人”と結婚していたら決してプラスにはなりません。その点、小川アナなら相手としては申し分ない。櫻井さんは、翔くんの結婚相手について“彼の人生だからね。彼のしたいようにすればいい”とずっと言ってきました。ただ好きなワインを飲みながら、“やっぱり、しっかりした人のほうが嬉しいけどね”と漏らしたこともあります。知事選に出るとなると、結婚は選挙の後にというのが、口には出さない本音でしょう。翔くんは、お父さんがこれまで自分を犠牲にして応援してきてくれたことをわかっていますから、無理に結婚を急ぐことはないはずです」 小川アナは現在32歳。3年後には35歳になる。結婚適齢期としてはギリギリだ。石の上にも3年、となるか――。
2017年03月07日≪この度、これまでやってまいりましたお仕事から離れることを決意致しました。現在私は母になり、愛する家族と幸せな日々を送っています。このあたたかで、かけがえのない幸せを全力で守っていきたいと思います≫ 3月1日に芸能界引退を発表した堀北真希(28)。女優として残した最後のメッセージは、家族への思いを強く表したものだった。一昨年8月に山本耕史(40)と電撃結婚し、昨年末に第一子を出産した堀北の、突然の“引退宣言”。その決断の裏には何があったのか。 家族を大事に思う気持ちが強かった堀北だが、その家庭環境について実家周辺を取材進めると、意外な事実が明らかになった。堀北が家族とともに住んでいたのは東京郊外の住宅街にポツンと建つ木造アパート。一家を知る近所の住民はこう明かす。 「最初は母親と娘3人で住んでいました。堀北さんは長女で下に妹が2人。お母さんは離婚してここに引っ越してきたようで『大変ですね』なんて世間話をしていたんです。堀北さんが小学生ぐらいのころで、下の妹さんは幼稚園児だったかな。お母さんはスーパーのパートで3人を育てていました。ところがその後、復縁したのかわかりませんが、父親らしき人も一緒に住み始めたんです。父親は昼も夜も働いて、ほとんど家にいませんでした」 しばらく両親と3姉妹の5人暮らしが続いたが、ある日突然、家族はバラバラになってしまったという。 「堀北さんが中学校に上がるころ、お父さんが2番目と3番目の娘を連れて出て行ってしまったんです。堀北さんは大のママっ子でしたが、彼女が母親の愛情を独占することでしだいに姉妹関係がぎくしゃくしていったそうです。だんだん父親と妹たち、そして母親と彼女間に溝ができていったたようで……。もともと不仲だった両親が再び別れるきっかけを作ってしまったと堀北さんは当時から後悔していたようです」(別の近所の住民) そんなさなか、02年にデビュー。04年の高校1年のとき女優としてブレークした。デビュー後も母子は支え合っていたが、近所の商店主は姉妹間に起きた出来事についてこう語る。 「すぐ下の妹さんが、堀北さんが売れっ子になってから『私の女優の姉よ』とSNSで写真を出したことがあったんです。堀北さんは注意したそうですが、妹は『いいじゃない、お姉ちゃんは有名人なんだから』と反発。姉妹の間でちょっとした諍いになったようです」 もともと家族がふたつになったときに、堀北は自分だけが母親と暮らせていることに対して、妹たちに“負い目”を感じていたのかもしれない。 「堀北さんからすれば『自分が芸能界に入ったせいで、家族がいままで以上にバラバラになってしまった』と自分を責めるようになっていたのではないでしょうか」(前出・商店主) 姉妹の不仲から始まって、自らの芸能活動が“家族離散”の決定的な原因を作ってしまった。それはいつしか彼女のトラウマとなっていった。前出の親族は明かす。 「真希ちゃんは、子供は4人ほしいと言っていました。たくさんの子供と一緒に家庭の中で過ごしていくことが自分の夢でもあり、幸せなんだと。そのために仕事はスッパリやめて、専業主婦として家庭をしっかり守ると決心したのでは……」 家族離散の悲しみを自分の子供には絶対に味わわせさせたくない――。その思いが、“電撃引退”につながったようだ。
2017年03月07日2月末の夕方。若者が多い都内繁華街のきらびやかなラブホテル街をひときわ目立つイケメンが歩いている……。マスクをしているので目元と鼻先しか見えないが、その眼力と高い鼻は俳優の満島真之介(27)!いま売出し中の若手俳優がなぜこんなホテル街に? 満島といえば女優の満島ひかりの弟で、同じ事務所に所属する姉のマネージャーだった7歳年上の女性と、2年ほど前に結婚したばかりだ。 黒のパンツに黒のパーカ、フードで頭をすっぽりくるんだ黒ずくめでまさに“完全武装”といった出で立ち。友人らしき男性と早歩きでホテル街の路地を何度も曲がり、5分ほどかけて結局、最初に見かけた場所に戻ってきた。そして、近くにある雑居ビルの一階の店舗に迷うことなく入っていった。 店をよく見ると「デリバリーヘルス」とある。デリバリーヘルスとは、ホテルなどに客から指名された女性を派遣してサービスする風俗店。調べてみると満島たちが入った店は、最高級のギャルを派遣するというのを売りにしているらしい。 店から出た満島と友人は、路地の奥にあるラブホテルに到着すると、裏口から入って行く。そして2人の後を追うかのように先ほどの店から派遣されたらしい女性が2人、今度は正面の入り口から入って行った――。 結婚わずか2年目で目撃された「ラブホ浮気」。満島の妻は目鼻立ちのはっきりした美人で、タレントや芸能関係者からも信頼の厚い、敏腕マネジャーだったという。結婚した経緯について満島は、本誌のインタビューでこう語っている。 「『どうもはじめまして』で、『うわ、この人と一生一緒にいるわ』ってそれだけです」 まさに“運命”だった妻との出会い。しかし、満島はわずか2年でその妻を裏切ってしまったのだ。満島と友人が店に入ってから約2時間後。女性たちがラブホテルから出てきて、店の方へ戻っていく。その直後、携帯電話で誰かと話しながら友人と外へ出てきた満島は、フードを目深にかぶった姿で足早に街中に消えていった。 本誌インタビューでは「誰にでも優しくしてしまう。でも、いちばん近くにいる人はおろそかにしてしまう……」とも語っていた満島。あまり度が過ぎると、取り返しのつかないことになるかも。
2017年03月07日先日、初期メンバーでメインボーカルのケビンが3月いっぱいでグループから脱退することが報じられたU-KISS。K☆STAR LOVERSは、脱退発表前の2月にインタビューを行っていました。3月15日にリリースされる『U-KISS solo&unit ALBUM』について、和気あいあいと取材に応じる6人の姿を、前編/後編の2本立てでお届けします! ■韓国エンタメ情報&オリジナルインタビュー満載!『K☆STAR LOVERS』記事一覧■女性自身韓流Twitterアカウント(動画/Bravoworks,inc.)
2017年03月07日来年度から始まる給付型奨学金が話題だが、貸与型では、その返済に苦しむ人がまだ多いのが現状。そこで今回、新たに始まる予定の救済策を経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説してくれた。 【1】’17年度生向け所得連動型 これまでも、奨学金を借りた本人の年収が300万円以下の場合、申請すると返済額をゼロに猶予してもらえる仕組み自体はあった。だが、返済方法は毎月決められた一定額を返す『定額返済』しかなかった。 「無利子奨学金を来年度から受ける学生を対象に『所得連動型』と呼ばれる返済制度が始まります。本人の年収から各種控除を除いた所得の9%を返済額とするものです」 たとえば、月5万4,000円の無利子奨学金を4年間借りるAさんのケースで見てみると、返済総額は259万2,000円となり、従来の定額返済では15年間、月々1万4,400円を返済することになる。 「Aさんが所得連動型を選んだとします。年収が200万円だと各種控除後の所得は約62万円です。1年間の返済額は所得の9%ですから、約5万5,800円。月に換算すると約4,650円と、定額返済よりかなり楽な返済額です。Aさんが年収300万円に昇給すると、月々の返済額は約8,900円に増えます。さらに、年収が500万円になると月々の返済額は約1万8,500円になり、定額返済の月1万4,400円を超えます。そのまま所得連動型を続けることも、途中で定額返済に変更することも可能です。逆に、Aさんの年収が100万円に下がって、各種控除後の所得がゼロになっても、月2,000円は返済しなければなりません。もちろん、申請すれば、年収300万円以下の猶予制度は利用できます」 【2】既卒者向け減額制度 すでに卒業している人は「所得連動型」が選べないため、文部科学省は来年度から、従来の返済額減額制度を拡充する予定だ。 「現在の減額制度は、最長10年間、返済額を2分の1に引き下げるものでした。来年度からは、最長15年間、返済額を3分の1か、2分の1に引き下げることができます。減額制度は、年収325万円以下なら、有利子奨学金でも無利子奨学金でも利用できます。有利子の場合、期間が延びると利子がかさみ返済総額は増えるものですが、増えた分の利子は国が負担し、本人の返済総額は変わりません」 しかし、これらの制度は返済の免除ではない。本人が亡くなるか、障害などで返済ができないと認められるまで、返済は続く。荻原さんは奨学金について、こう語る。 「奨学金とはいえ、貸与型は“教育ローン”と認識しましょう。借金と考えると、日本学生支援機構の利率は、昨年3月の卒業生で0.16%(基本月額にかかる利率固定方式)。『国の教育ローン』の1.81%と比べても相当低いです」
2017年03月06日「読むと心が軽くなる」「蛭子さんなのに、またいい話してる」「安定の競艇オチ」……とネット上で話題を呼び、たちまち4刷というヒットとなった単行本『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社・630円+税)。その好調な売れ行きに、「え、あの本が?信じられない……」と驚く蛭子能収(69)が、本誌読者からの相談に答える! 【Q】「蛭子さんは、宇宙の果てはどうなっていると思いますか?ボクは、それを考えると怖くなってしまいます。あと宇宙人はいると思いますか?ボクは宇宙人と話をしてみたいです」(ともクンさん・8・小学生・福岡県) 【A】「『宇宙人はいる?』の答えは、ギャラが発生するなら『いる』」(蛭子能収) うーん、ハッキリ言ってどうでもいいですね。たぶん永遠に無の空間が続いているんでしょうね。でも確認できることではないので、考えるだけムダですよ。 あと、宇宙人ですか……。最近、NASAが、宇宙人がいるとか、地球に似た星が見つかったとか発表していますが、オレは疑っています。すごく遠いところの話で、誰も見ることができません。研究をするための資金集めのために、突拍子もないことを発表しているんですよ。 オレは、宇宙人はいないと思います。宇宙人だけでなく、オバケや霊感も世の中にはないと考えています。だから、なにか迷ったことがあると“霊感がある人に見てもらう”という人がいますが「アナタは、お金を騙しとられているんですよ」と教えたくなります。 ただし、宇宙人やオバケを扱ったテレビ番組に出演したときは違います。ギャラが出るのですから、宇宙人もオバケもいると信じるようにします。宇宙人がいるかどうかは、お金次第です。
2017年03月06日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“霊がよく見える”ピン芸人・シークエンスはやとも(25)。『ポップな心霊論』は、彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載! 【タクシー運転手ほど、霊を怖がらない人はいない】 僕の親父(※強めの霊能力あり)はタクシー運転手。親父からタクシー業界の霊話を聞くことがあるんですが、“タクシー運転手の人ほど、霊を怖がっていない人はいない”と思っています。 みんな、霊に慣れっこなんです。「霊を乗せたことがありますか?」と聞いたら、ほとんどの人が「ああ!ありますよ」って答えると思います。そして、霊を乗せると何が起こるかというと……。 「○○までお願いします」と言われて目的地に向かう。到着して、「○○円になります」と振り向くと、お客さんがいなくなっている。普通の人だったら、これ、怖いじゃないですか。 でも、タクシーの運転手さんは、走った分のお金をもらえないわけだから、悔しいんですね。メーターが回っているぶん、自腹を切ってお金を払わないといけなかったりするので。「ちっ、霊乗せちまった!」って感じです。“怖い”より“悔しい”が強くなる。 その点、親父は霊と人間が見分けられるので、得しています。霊を乗せちゃったと気がついたら、メーターを回さずにすみますから。 霊に害がないってこともわかっているから、たまに霊を乗せているときに生きている人間のお客さんを見つけたら、同乗させちゃうこともあるらしいです。
2017年03月06日「今週の勝負」は、本誌編集者・めた坊(41歳独身。食いしん坊生活が続き、身長170センチで体重はかろうじて0.1トンを切るメタボ体形に成長)が10万円からスタートした元手に、毎週株にチャレンジ。毎週の収支を掲載し、儲けを積み立てて、めた坊が厳選した相当額のグルメ便を読者にプレゼントする企画だ。 今週も頑張って目標額の5,000円を目指す! 確定申告の季節が到来というニュースを見かけるけど、サラリーマンだと縁がなくて、なかなかピンとこない。でも、同じく節税の効果があるということでよく報じられて話題になっているのが「個人型確定拠出年金」(iDeCo・イデコ)。 早速、ネットで調べてみると口座が開設できる金融機関が紹介されていた。これらの企業にはお金が集まるのではと思い、さらに検索を続けると、日本最大の証券会社の野村証券などをたばねる「野村ホールディングス」を発見!株価もさぞ高額なんだろうなと思っていたんだけど750円前後で100株から購入できる。 752円で100株、7万5,200円を投資、様子を見ることにした。あと800円で目標の5,000円に到達するので760円に上昇するまで……、と粘っていたけど値上がりせず、結局、こらえきれずに750円で売却することにして、マイナス200円で今週は残念ながら終了した。 今週も積み立ての目標到達額までのあと800円をなかなか儲けることができない……。これからは小さい金額からコツコツと着実に積み立てて、一歩一歩プレゼントできる額に近づけるように頑張ってみる! 【今週の収支報告】買:75,200円/売:75,000円/収支:−200円/積:4,200円 【めた坊チェック】株を売った後も価格を追っていたんだけど、730円台まで下落……。銘柄選びは間違いだったのかも。来週は、さらに慎重に選ぶようにしよう!
2017年03月06日スターバックス初出店時には、熱狂した県民1,000人が行列した鳥取県で、地味に長く愛されているのが「牛骨ラーメン」。倉吉市周辺の県中部では50年以上前からラーメンは牛骨スープ。畜産業が盛んで牛骨が手に入りやすいことから広まった。 「小さいころから当たり前すぎて“牛骨”って、意識したことはなかったに」と語るのはある鳥取県民。数年前には全国ネットのテレビでご当地ラーメンとして紹介され盛り上がった。共通点はスープの牛脂の甘味と香ばしさ。 「マイベスト3は『すみれ』『いのよし』赤碕の『香味徳』だいな。すみれはクリアでキリッとしたスープがうまい。いのよしは塩のもやしトッピングがおすすめ。香味徳は味が安定しとる。数年前に東京の銀座にも店ができたらしいで」(前出の鳥取県民・以下同) ラーメン好きなら一度食べてみて! もうひとつのメイブツは「鳥取砂丘コナン空港」。これは『名探偵コナン』の作者・青山剛昌さんが鳥取出身というご縁から。もともと「青山剛昌ふるさと館」や「コナン通り」もあり、さらにパワーアップ。 「鳥取空港には、コナンだけじゃなしに蘭ちゃんや私の大好きな怪盗キッドも登場しとるに。地味地味言われる鳥取だけど、コナンのおかげで知名度は上昇中だけ。もう島根県と間違われることはあらへんで」 名探偵コナンは、推理もアピール力もバッチリだ。
2017年03月06日タレントの小倉優子(33)が夫でヘアメークアーティストの菊地勲氏(46)と離婚していたことが5日、分かった。菊地氏の不倫発覚から7カ月での決断。2児の親権は小倉が持ち、慰謝料は発生していないという。 事の発端は昨年8月。小倉が第2子を妊娠中に、菊地氏が小倉の所属事務所の後輩と不倫していることが一部週刊誌で報じられた。当時、小倉は本誌の直撃取材に応じ、「離婚の方向へは進んでません。私自身も反省する点があったと思うんです」とコメントしていたが、夫婦関係を修復するにはあまりにも大きな亀裂が入ってしまったようだ。 菊池氏はSMAPなど大物芸能人を担当した経歴のある人気ヘアメークアーティスト。2人は3年間の交際を経て’11年10月に結婚。翌年6月に第1子の長男が誕生し、’16年11月には次男を出産している。 小倉は結婚してから芸能活動を控えていたが、この日、26日放送予定の日テレ系『行列のできる法律相談所』の収録に参加し、仕事復帰。ブログでは「子育てとの両立を楽しみながら一生懸命頑張りたいと思います!」と再スタートの決意を綴っている。
2017年03月06日いよいよ日本でも封切られたミュージカル映画『LA LA LAND』。すでに184の映画賞を獲得(2月24日時点)。110の映画賞を取った映画『タイタニック』(’97年)の記録をすでに超えている。 『セッション』(’14年)で注目されたデイミアン・チャゼル監督が今回描いたのは、エマ・ストーン演じる女優の卵、ミアとライアン・ゴズリング演じるジャズピアニスト・セバスチャンの切ない恋。夢を追いかける男女が出会って恋に落ちるという普遍的な物語を、ハリウッド黄金期のミュージカルや恋愛映画のオマージュを盛り込み、ロマンチックなミュージカル仕立てで表現している。 結果、往年の映画ファンはかつて夢中になった名作の数々に思いをはせ、若い観客は従来とは違う、進化形のミュージカル映画として楽しめる。実写ミュージカル映画はヒットしないといわれていた、現在のハリウッドの常識を覆し、世界中を魅了中。そんな『LA LA LAND』はどうやって製作されていったのか。舞台裏話をお届けします! 【6分間ノーカットで撮影された名シーン】 パーティを抜け出した主人公たちが、夕暮れどきのロサンゼルスの街並みを背景に、歌い踊って心を通わせる、最高にロマンチックなシーン。撮影では、2人は傾斜がある場所でのパフォーマンスに苦労したものの、6分間ノーカットのミュージカルを見事演じきった。 【ヒロイン役の本命はエマ・ワトソンだった】 エマ・ストーン演じるミア。当初は『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンが第一候補だったが、エマは、ディズニー映画『美女と野獣』出演のため降りたといわれる。また、セバスチャン役もマイルズ・テラーのはずが、主演作の大コケや提示された400万ドルのギャラに不満で600万ドルを要求したなどの理由で起用が見送りになったとか。ちなみに、ライアン・ゴズリングは『美女と野獣』の野獣役を断って本作に出演したという。 【米国ではジョニデよりブラピより、ライアン!】 セバスチャン役のライアン・ゴズリング。ここ数年、アメリカのテレビドラマで憧れのスターとして登場する数が多いのは、ジョニデでもブラピでもなく、圧倒的にライアン!卓越した演技力とほどよく鍛えられた体が魅力。本作では、撮影前は弾けなかったピアノを3カ月間の猛特訓で習得。演奏シーンは吹き替えなしですべてライアンが行っている。 【冒頭の迫力満点ミュージカルシーンは実写!】 冒頭から観客の心をわしづかみにするのは、渋滞の路上でたくさんの人が歌い踊るミュージカルシーン。これはロサンゼルス南部にある高速道路ジャッジ・ハリー・プレガーソン・インターチェンジ(105号線と110号線の交差点)を閉鎖して撮影されたもの。約100人のダンサーたちは3カ月間のリハーサルで入念にポジションを確認。本番では、40度の暑さのなか車を足場にして踊るという難しいパフォーマンスを成功させた!
2017年03月06日話題のスポットやニューオープンのお店を、本誌編集者・めた坊(41歳独身。食いしん坊生活が続き、身長170センチで体重はかろうじて0.1トンを切るメタボ体形に成長)が覆面取材。“勝手に対決”させるこの企画。今回は、高架下「アジア系居酒屋」対決だ! ■JR新宿駅東南口「サナギ新宿」 最初に向かったのは「サナギ新宿」。JR新宿駅東南口近くの高架下にフード&イベントスペースとしてオープン。さまざまな国籍の人が入り乱れる「新宿」の街を表現したという内装は、ノスタルジックでアジアの活気も感じさせる個性的な空間。ランチタイム、ティータイム、ディナータイムに分かれ、めた坊はディナータイムに訪問。 「トムヤムクンポテトサラダ」(702円)は、意外な組み合わせと思いきや、酸味が効いていて箸が止まらないおいしさ。「麻辣ヌードル」(1,058円)は少しピリ辛のひき肉に、たっぷりのにらが入っていてヘルシーな味わい。「アジアンつくねサテ」(432円)は、たっぷりのったパクチーと強めの酸味のソースが特徴の料理。味はもちろん、使用されている器、料理の見た目も美しい。お酒類も、焼酎、ウイスキーと充実しているので、お酒が好きな方にはピッタリだ! ■下北沢駅「ロンヴァクアン」 つぎに向かったのは下北沢にある「ロンヴァクアン」。駅の高架下にある下北沢ケージという、3年間限定のスポットが誕生。併設しているロンヴァクアンはベトナム料理を中心としたカジュアルな居酒屋。アジアの街角で見かける青と赤のプラスチックの椅子が現地の屋台を思わせ気分が高まる! 早速、ベトナムのお好み焼き「バインセオ」(1,100円)を注文。レタスとパクチーがたっぷりついてきて、生地はもちもちした食感。ヘルシー&おいしい!「パクチーキムチ」(500円)は目からうろこ。2つの相性のよさにびっくり。「レモングラスそぼろご飯」(650円)はそぼろに味がしっかりと染み込んでいてご飯がすすむ逸品。ドリンクも凝っていて、レモングラスを1本使った「トムヤムクンモヒート」(780円)はピリ辛風味で話題性十分。日本人向けにアレンジされた本格派料理ばかりで大満足だった! 【めた坊ジャッジ】寒い夜のアジア料理は心にも体にも染みわたる……。今回は、共においしさを堪能できたので引き分けだ!
2017年03月06日2月の週末、都内のホテルの宴会場の受付に、長蛇の列ができていた。列に並んでいるのは50代から70代の男女。この行列は、日本初の結婚相談所「マリックス」(東京都新宿区)が2カ月に1度催す「親おや交流会」の受付けを待つ参加者たち。同社代表の升村要さんがこう説明する。 「親おや交流会とは、独身者の親たちだけが参加する交流会です。その目的は“子どもの婚活”。いまは結婚が難しい時代。親同士が自身の子どもの情報を交換し合い、会が終わったらお子さんに『この人はどう?』と、提示する。そこまでが親の“お仕事”。あとはお子さんが自分で判断し動くんです。この交流会は全国で年間20回近く開催しており、今日は138回目。約160名が参加されます」 今回本誌は、当日行われた「親おや交流会」に潜入することに成功。受付け開始30分前にして、半数以上の参加者が会場前に集合してきた。交流会の参加費用は1万6,000円。初回の参加者は、登録料が別途2,000円かかる。ほどなくして、受付けを終えた参加者は、期待と不安の表情を浮かべながら、配られた資料に目を通している様子。 「この資料には、参加者の子どもたちのプロフィールのようなものが記載されているんです。交流会が始まるまでに資料から相手の年齢や条件を確認し、子に紹介したい人を10人ほどに絞っていきます」(升村さん) 会場での座席番号と、子どもの年齢、婚歴、血液型から、最終学歴、職業、身長、体重、趣味、そして長所が記載されている。名前や連絡先は、書かれていない。会場入りした親たちは、真剣にそれをチェックしているのが見て取れる。 資料に目を通すこと40分弱、いよいよ交流会がスタート。最初の40分は、息子を持つ親が、資料でチェックした娘を持つ親の席へと向かい、情報交換を行う。親同士の話が進むと、子どもの写真つきの自己紹介書を交換する。名前や連絡先は、この自己紹介書に載っている。 次の40分間は、娘を持つ親が、目星をつけた息子さんの親の席へ移動する番だ。医師や公務員の息子の親には何人もの親が集まっているようだが……。 「条件により男性のほうが明暗の分かれる傾向があります。娘さんの親は、お嫁に出した後のことも心配でしょう。近くに置きたい気持ちもあるので、転勤の有無なども考えているようです」(升村さん) しかし、35歳の娘の父親は、本誌記者に力強くこう語った。 「結婚すれば、親同士の付き合いも当然あるわけで。職業ももちろん大事ですが、やっぱり親同士の話が盛り上がらないと、送り出しづらいですよね、親子の性格は似るって言うし(笑)。隣の人とは趣味も一緒でさっきからずっと話しこんじゃって……この人が男の子の親だったら決めちゃってもよかったんだけどなあ(笑)」 親同士が自己紹介書を交換したあとは、実際に会うかどうかを子どもたちが決める。先方に会う気がない場合は、2週間以内に先方に自己紹介書を返却する決まりになっている。会場では「自己紹介書が足りない!」とコピー機を借りる親も。盛況のうちに交流会は終了した−−。 升村さんは、“親婚活”が活発に行われている状況をこう見ている。 「テレビなどで有識者が、『親が婚活してだらしない』『ふがいない』とおっしゃいますが、まったく違います。日本という国は、家庭の縁談で結婚が決まるのが普通でした。親の世代はお見合い結婚が一般です。生涯未婚率が30年前は50人に1人でしたが、いまでは男性は5人に1人です。お見合い文化もなくなりつつあるいま、待っていても縁談がやってこないのではと心配して、活動をはじめるわけです」 仲人も少なくなった現代、「代理仲人」の役目が、親としての“最後の仕事”になりつつある!?
2017年03月06日連続テレビ小説『べっぴんさん』の第22週は、昭和45年4月。キアリスですみれ(芳根京子)たちの下で働くようになったさくら(井頭愛海)は、念願のデザイン部に配属される。意気込んださくらは、女の子用のワンピースのデザインを提案するが、すみれたちにはっきりと改善点を示されないまま却下され、「キアリスらしさ」について思い悩む。「なんか違うのよね。子供がワクワクしそうにないのよね」。すみれの漠然とした指摘に、さくらは「なんであんな感じで何十年もやってこれたんやろう?」と首をかしげる。 一方、君枝(土村芳)の息子・健太郎(古川雄輝)は開発宣伝部に配属されるが、経営の仕事に関わることができないことに落胆する。社長室では、「期待はしてる。だけど、まずはキアリスの仕事を理解して欲しいんや」とすみれと語り合う紀夫。 そのころ、良子の(百田夏菜子)夫・勝二(田中要次)の喫茶店に、ひとりの男性客がやってくる。珈琲屋で食べ物はないと謝る勝二に、その男は万博のときに食べたハンバーガーがとても美味かったと言い「世界には美味いもんがぎょうさんあるなあ」と語る。すると、息子の龍一(森永悠希)は食材を買い込み、店の厨房でハンバーガーを作り上げるのだった。その様子を見ながら何かを感じる勝二。 老朽化が進んでいたキアリス本店を改修する2週間の期間限定で、若手社員を集めて仮店舗を営業することになったさくらと健太郎。経営陣の身内が入社したことを快く思わない先輩たちとも話をまとめ、普段はキアリスに置かないカラーのストッキングや大人用パジャマなども商品として並べることに。不安を覚えるすみれたちだったが、見守ることに徹する。 そうして、「ベビーショップあさや」と名付けられた仮店舗が開店。変装した中西(森優作)と武(中島広稀)は店の様子をこっそり伺うが、やはり客はほとんど訪れず。「おぼっちゃんの思いつきに乗せられて、振り回されたような気分やわ」と明日香(大西礼芳)。社員たちのやりとりを見守る勝二はこう切り出す。「まず、お客さんに足を運んでもらうためにどんな努力した? さくらと健太郎は武に頼み、大切に保管されていたキアリス開店当時の宣伝用のカードや洋服のタグ、ポスターなどを見せてもらう。そのなかに、お弁当箱セットのポスターを見つけたさくら。「覚えてる?」と健太郎に見せると、健太郎も懐かしそうに微笑むのだった。 翌朝のキアリスで初日の売り上げを挽回するため、健太郎の発案で日本語と英語でポスターとチラシを制作する。「英語のほうは、万博近辺のおもに外国のかたに配ってください」。健太郎の掛け声で明日香たちも手分けして配布することに。 昭和45年。大阪万博が開幕し、世界中から多くの外国人が日本を訪れていた。日本中が沸き立つ中、すみれと紀夫(永山絢斗)は大手商社の「KADOSHO」を訪れる。そこで待ち受けていたのは、「エイス」社長として時代の寵児となっていた栄輔(松下優也)だった。「KADOSHO」社長の古門(西岡徳馬)の協力を得て、万博のフィナーレを飾るショーを演出することになっていた栄輔は、子どもたち用の衣装の提供をキアリスに依頼する。 勝二の喫茶店に設けられたキアリスの期間限定ショップ「べびーショップあさや」に外国の女性客がどんどん押し寄せる。得意の英語で接客をする健太郎。華やかな外国人客に引き寄せられるように日本人女性の客も増えていく。「この生地の大人用のパジャマもあるの? 気持ちええのよね」。商品を手に取る客の反応も上々だった。 そうして12日目にして、商品は完売。勝二の店で開かれた慰労会は、すみれたち経営陣も加わり、楽しい笑い声で包まれる。ショップの成功を褒められた明日香は「リーダーが、頑張ってくれました」と照れくさそうに笑う。その言葉に驚きながらも、嬉しく感じる健太郎。 テーブルには、ロシア、韓国、スイス、イタリアなど、世界各国を放浪してきた龍一の見よう見まねで作った料理が並ぶ。テーブルを囲み、楽しそうな社員たちを見ながら、健太郎のリーダーシップに感心する紀夫とすみれ。「いずれは、この子たちに引き継いでもらわなね」とつぶやく。 それから数日後、君枝が描いた万博企画のデザイン画を囲むすみれ、良子、明美(谷村美月)。「21世紀の子供たちも、こんな笑顔でいてほしいな」。久しぶりに4人で一つのことをする楽しさに浸る。「ワクワクする!素敵やわ!とすみれ。その仕事ぶりを眺めるさくらは、「涙色の青」や「ワクワク」について、思いを巡らせる。 9月になり、すみれたちは万博のショーの衣装を制作。ショーに出演する子供たちを集め、一人一人の体に合わせて一着ずつサイズの手直しを始める。さくらは、数ミリ単位の直しをわざわざするする必要があるのかと疑問を抱くが、そこにキアリスのものづくりへの思いが込められていることを教えられる。「私たちのショーの主役は子供たちよ。舞台に立つ子供たちのいちばん大事なものは笑顔やと思うの」とすみれ。そのためには洋服がその子に合っていないと、心から笑顔にならないとさくらに話して聞かせる。「笑顔を引き出すのは、着ていて気持ちのよい服なのよ」。 いよいよショーが開幕。ショーに出演する栄輔は、モデルたちを呼び込む。「次は21世紀を生きる世界の子供たちです!」。ステージを笑顔で歩く子供たちを舞台袖で見守るすみれたち。ショーを見ていた潔(高良健吾)とゆり(蓮佛美沙子)は、会場のなかにかつて梅田の闇市を仕切っていた根本を見つける。 「ご立派になられて、お噂は伺ってますよ」。潔に声をかける根本は、ゆりたちのおかげで梅田の闇市は立派な商店街になったと告げる。そして人々が去った場内を見やり、「今の日本は人の手から離れていくような感じがすると語るのだった。 すみれはゴミが投げ捨てられ雑然とした会場の光景に、戦後の焼き野原を思い浮かべる。「あんなに物がなくて、ただ生きることに精いっぱいやったのにね」。こうして大阪万博は幕を閉じたのだった。 すみれに次の商品審議会に参加したいと申し出るさくら。快く承諾されたものの、「キアリスらしさ」がなかなか理解できず悩んでいた。しかしそんなとき、すみれから子どもの想像力の豊かさについての話を聞き、ヒントをつかんださくらは猛然とスケッチブックに向かう。 商品審議会の日。ワンピースのデザイン画を見せるさくら。子供のころのことを思い出し、大事なのはワクワクと想像力を膨らますことのできる余地で、そのため自分は無地のワンピースをデザインしたと説明する。「もしかしたら、それがキアリスの基本やないかなと思いました」とさくら。涙を堪えながら、すれみはうれしそうにデザイン画を見つめる。「商品化に向けて検討しましょう」とすみれ。一方、周りには秘密にしながらさくらと交際していた健太郎は決意を固める。「今日のさくらの話を聞いて、僕も想像した。2人のことを、ワクワクした」と健太郎。 さくらと健太郎の突然の結婚宣言を受け、驚くすみれたち。紀夫と君枝は、「早すぎる」とすぐには受け入れられない。すみれと紀夫、君枝と昭一(平岡祐太)は、さくらと健太郎の結婚について話し合うため、勝二の名前のない喫茶店を訪れると、龍一が何やら看板に書き込んでいた。看板には「レリビィ?」の文字が。「レットイットビーや!『そのまま生きろ』って意味やで。ええ名前やろ」と龍一。じつは龍一もまた、将来のことを考えていたのだ。 「いまどき、喫茶店なんか流行らへんからな、俺が食堂やったる!」と龍一。勝二が経営する喫茶店を使って、世界中を回って覚えた料理を提供する食堂をやりたいと申し出るのだった。それを聞いた勝二は激怒するが、「仲ようやろうや!」と言う龍一に言葉が出てこない。「私も勝二さんの料理を食べてみたいわ」と笑う良子。そんな良子一家の様子を見ながら、すみれたちは、いつまでも子供だと思っていたさくら、健太郎、龍一も大人になったのだと痛感するのだった。「今思えば、親としてまだまだやったけど、どうにかここまで来たね」としみじみとするすみれ。人は、自分のことを思ってくれる人、願ってくれる人の愛情があって幸せになれるのかもしれない。自分たちの親がそうだったように、子供たちの幸せを願おうと、さくらと健太郎の結婚を認めるすみれたちだった。 第23週の『べっぴんさん』は、すみれ(芳根京子)・紀夫(永山絢斗)夫婦と君枝(土村芳)・昭一(平岡祐太)夫婦は、さくら(井頭愛海)と健太郎(古川雄輝)の結婚を受け入れようとするが、一人息子と一人娘の結婚のため、家の継承問題でこじれてしまう。すみれ夫婦は、潔(高良健吾)とゆり(蓮佛美沙子)の家を訪ね、坂東家の存続について相談する。潔からの提案もあり、紀夫は実父である田中五郎(堀内正美)と会い、自分を婿養子として坂東家に出した際の親の気持ちを知り、考え方を変えていく。
2017年03月05日ひとり芸人日本一を決める『R-1ぐらんぷり2017』で優勝したアキラ100%(42)が3月5日の『ワイドナショー』(フジテレビ系)にゲスト出演。優勝を勝ち取った自身のネタをスタジオで披露し、R-1優勝後の周囲の反応や自身の現在の心境について語った。 裸芸が3年目ということもあり、普段から客前に出た瞬間に今日が(裸芸が)ウケる日かどうかが肌でわかる、というアキラ100%。「R-1の時はお客様がウエルカムな状態かなと感じた」と当日の心境を告白。ちなみに優勝翌日に『グッディ』MCの安藤優子(58)にネタを披露した際には、「ニュースを伝える気になりません」と呆れられたことを明かした。 『ワイドナショー』でも自身のネタを披露したアキラ。ゲストコメンテーターの宮澤エマ(28)は「すごい(裸に)清潔感がある」と女性ならではの視点で絶賛。これにアキラは、「スポーツインストラクターのアルバイト経験でこの中肉中背を保てている」と返答した。 コメンテーターの松本人志(53)は「緊張と緩和芸の最たるもの。俺は世界回れると思うのよ」と大絶賛。「東京オリンピックの開会式もいけると思う」とアキラの芸に太鼓判を押した。アキラ自身も今後の自身の活動を見据えて、英語の勉強にも取り組んでいるという。 またR-1出演前後の反響として、ネタで楽曲を使用した歌手の西川貴教(46)から、R-1優勝直後Twitterを通じて西川の主催するロックフェスへの出演オファーがあったことや、大晦日に『笑ってはいけない』で共演した俳優の原田龍二(46)が、R-1決勝直前の事務所主催のライブに駆けつけ、アキラを激励してくれたエピソードを明かした。 「俺(の芸風)を絶対におびやかさない感じが良い」と笑いを交えながらも、アキラ100%のネタを評価していた松本。「優勝したら良いなと応援していた」と終始アキラのネタに爆笑していた山崎夕貴アナウンサーに「お前やっぱ下品やなー!」と突っ込みを入れていた。
2017年03月05日お笑い芸人のカンニング竹山(45)が3月4日放送の『おかべろ』(関西テレビ)にマネージャーと共に出演。コメンテーターなど、芸人以外の仕事もマルチにこなす自身の芸能生活や、8年前の不倫騒動を経ての妻との現在の結婚生活について赤裸々に告白した。 現在ワイドショーのレギュラー番組を4本持つ竹山。もともとコメンテーターの仕事を引き受けたきっかけは、“芸人として、ワイドショーでどこまで面白いことができるかやってみたい”というものだったそうだが、結果すぐ「あそこ(ワイドショー)に笑いはない」という結論に。今では出演前には新聞6紙に目を通し、自分の発言に対する世間の反応などをきっちり想定した上で番組に臨んでいるのだという。 現在はマルチに活躍している竹山だが、芸人としてブレイクしたきっかけは“キレ芸”だった。当時の出演番組ではムチャぶりが多く、あるバラエティ番組に出演した際に事前の楽屋挨拶でゲストの泉ピン子(69)から「遠慮せずに怒りなさい」と言われた。そのため本番中に「話なげーな、クソババア!」とキレたところ、番組終了後に楽屋に呼び出されたという。 またダチョウ倶楽部の上島竜兵(56)と共演した際には、スタッフから「きっかけなく(上島と)喧嘩をして下さい」とムチャぶりされ、困り果てた竹山が楽屋で上島に「喧嘩した後にキスでもしますか?」と提案。これを番組中におこなったところ、スタジオは大爆笑。以後、上島がこのキスネタを他の番組で勝手に使うようになったと告白。同番組にVTR出演した上島も「実はそうなんです」と竹山が考案したことを全面的に認めていた。 番組終盤にはMCのナインティナイン・岡村隆史(46)から8年前の不倫騒動について突っ込まれた竹山。自身の記事が明るみになった直後は30万円分の菓子折りを購入し、番組関係者やスポンサーに謝罪行脚をして回ったという。 なかでも妻への謝罪が一番の地獄だったようで、週刊誌が出る前に妻の目の前で正座して経緯を報告。気づいたときには自然に土下座をしていたと当時を振り返った。以後数カ月は家事を率先して行って徐々に雪解けをむかえたそうだが、8年経った今でも夫婦で飲みに行った際は不倫の話題を出されることを苦笑いで語っていた。
2017年03月05日“水玉の女王”として知られ、世界中で高い評価を受けてきた前衛芸術家・草間彌生の70年にわたる芸術活動の全容が紹介される展覧会「草間彌生 わが永遠の魂」がついに開幕(国立新美術館にて5月22日まで)。2月21日に開催された内覧会は拍手と歓声に両手を振って応える草間に、報道陣たちから「カワイイ!」と声が上がった。 「草間さんは心がとてもピュアで、乙女のようにあどけないところもある方ですから(笑)」 そう語るのは、展覧会の監修を担当した同美術館副館長・南雄介氏。草間との出会いは25年前に遡るが、チャーミングな人柄に加え、大きく見開いた目の印象は当時と変わらないという。 「講演会をしていただいたことがあるんですが、昔のヌードパフォーマンスの写真を見せながら、『本当にキレイだったのよ』っておっしゃるなど、とても楽しいお話でした(笑)。いつまでも乙女チックな気持ちを持ち続けていらっしゃる方ですね」 東京では13年ぶりとなる展覧会は、彼女の創作の軌跡をたどる。その3つの軌跡を南氏が解説してくれた。 【1】創作活動初期 松本の旧家に生まれ、幼少のころから絵を描くことが好きだったが、封建的な考えを持つ母から絵描きになることを強く反対された草間。幻覚や幻聴に悩まされながらも絵画の勉強を続け、’52年に最初の個展を開く。 「京都で日本画を学び、動植物、天体などモチーフは多岐にわたります。10歳のころに描いた母の肖像画には、その後生涯のテーマとなる水玉がすでに見られます」 【2】ニューヨーク時代 美術界の師弟関係などの因習や女性であることの偏見から逃れたい一心で、28歳のときに渡米。 「無限の網目で空間を埋め尽くす『ネット・ペインティング』(無限の網)で、ミニマル・アートの先駆けとして評価され、布を用いた柔らかい彫刻『ソフト・スカルプチュア』、『ハプニング』と称される屋外でのヌード・デモや乱交をテーマにしたパフォーマンスを披露。ベトナム戦争に対する愛と平和のメッセージを発信するなど、時代の先端を走りました」 【3】東京時代 心身の不調を訴えるようになった草間は、’73年に帰国。東京で入院生活を送りながらコラージュや版画を数多く制作する。アメリカ生活で公私ともに支え合う存在だった美術家ジョゼフ・コーネルや実父の死が当時の作風に大きな影響を与えたとも。 「小説や詩などの執筆も始め、それまで造形芸術で表現してきたテーマが言葉を伴うことで観客のイメージを喚起しやすくなったと言えます。’89年にニューヨークで回顧展が開催されたのをきっかけに、世界的に草間芸術の再評価が始まり、現代の現代アートの世界的巨匠としての地位を確立させます」 また、展覧会では軌跡をたどると同時に、’09年から取り組んでいる大型の絵画シリーズ「わが永遠の魂」から厳選した132点を一挙に日本初公開。 「草間さんの作品の魅力は、ものすごく大胆なところです。斬新で独創性に富み、社会通念とか美術の世界の約束事みたいなのを軽々と超えてしまう。アウトサイダーとして孤独に歩みながらも、常に現代アートの先駆であり続けています。『200歳まで生きても描きたいものが途切れない』とよくおっしゃいますが、その創作意欲たるや、人生の全てを芸術に捧げていると言ってもけっして過言でないでしょうね」(南氏)
2017年03月05日「NHKの番組に出るたびに『今川義元を演じたい』というようなことを言っていました。出演オファーがあったときは静岡県出身としても、うれしかったです」 こう語るのは、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で井伊家を苦しめる今川義元の怪演ぶりが話題となった春風亭昇太(57)。 「事前に『あまりしゃべらない役です』とは言われていたんですけど、台本を手にして、こんなにしゃべらないんだ!と(笑)。『笑点』だと出演者7人くらいを相手にしていますけど、大河ドラマはスタッフの数が多い。本当にNGはできないと思っていました。ただ、幸いなことにセリフがないので、かむこともなく演じることができました(笑)」 “地元の殿様”今川義元への思いは並々ならぬものがあったそう。 「昔から日本史が好きで、郷土史の本を読めば今川家にいきつくわけです。そこで今川義元が政治に長けた大名であったことは知っていたのですが、ドラマや映画などでは言葉は悪いですが“雑な”扱われ方をしていたので……。静岡県民の僕としては、忸怩たる思いをずっと持っていたのです」 戦国時期の実力大名・今川義元であったが、桶狭間の戦いで織田信長に敗れた最期もあって、現代では当時の威厳を感じられない描かれ方をされることも多かった。 「ドラマのプロデューサーの岡本さんに念のため確認しましたら、『政治力のある実力派の戦国大名として描きます』ということでしたので安心しました。ドラマを機に、ちょっとずつね、イメージが変わっていけば静岡県民としてはうれしいなと思います」
2017年03月05日歌手の青山テルマ(29)が3月1日放送の「モシモノふたり」(フジテレビ系)に出演し、意外すぎる大学時代を告白した。 青山といえば、08年発売のシングル「そばにいるね」で一世を風靡。しかし、デビュー当初は極貧生活を送っていたという。 「荻窪駅のドア閉めたらビル全体が揺れるくらいのボロいアパートに住んでた。お母さんと1LDKの築何年やろうってぐらいの」 そして、07年にメジャーデビューしてからわずか3カ月。「そばにいるね」の大ヒットでいきなり有名人になった当時19歳の彼女は、突然の変化に困惑したことを明かした。 「現実と起こってることが全然イコールじゃなかった。起きたら世界が変わった」 天真爛漫で自由奔放なイメージの彼女だが、大学時代の“壮絶過去”をこう振り返った。 「大学の時もみんな学食でごはん食べるやん。けど、隠し撮りがすごかったから。トイレで1人でおにぎり食べてた。トイレが1番落ち着いた。友達も2人しかできへんかった」 しかし木下優樹菜(29)や清水翔太(28)など芸能人の友人と付き合ううちに「もっと自分をさらけだしてもいいんだ!」と思えるようになったという。 同番組では、私生活でも仲が良いという宮川大輔(44)と共演。彼を終始困惑させるほど“テルマワールド”を炸裂させていた。 デビューから10年経った現在、彼女はようやく自分らしさを取り戻せたようだ――。
2017年03月04日「関根(勤)さんと一緒にコントを始めたばかりのころは、何もわからないけど、自分たちがウケないことはわかった。お客さんも3人くらいしかいなかったから、暗転するとすぐ帰ろうとするから暗くできないし……」 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第76回のゲスト・タレントの小堺一機さん(61)。中山がデビュー時にとてもお世話になったという小堺さんと2人、「何が出るかな」でおなじみ『ごきげんよう』さながら、トークたっぷりの時間を過ごしました。 中山「もともとは勝新太郎さん主宰の『勝アカデミー』に入られてましたよね。役者志望だったんですか?」 小堺「大学生のときにね。役者を目指すなんてかっこいいものじゃなくて、ただテレビに出たかったんだよね。勝アカデミーを卒業して、縁あって浅井企画に入れたんだけど、何もしないでいたら怒られて。関根さんも暇にしてるから一緒にコントをやれって言われたの」 中山「2人で頑張るんですね」 小堺「関根さんも僕もハングリー精神がないの。実家だし、食にも困らない」 中山「気負いがないんですね」 小堺「ううん、なんにもない。永六輔さんに会ったときも『君たちには何もない』『火花も飛ばない』って言われた」 中山「それを言われても……?」 小堺「『ほう』という感じだったから、さすがに怒られたよ(笑)。今度は事務所から『合宿しろ』って。外出禁止っていうのは守ってたけど、温泉入って、ビール飲んで、テレビ見て寝て、朝10時に起きてた」 中山「ダラダラですね(笑)」 小堺「関根さんは『小堺くんが“朝5時から起きて頑張りましょう”っていう人だったらどうしようかと思ってた』って。そんな合宿中にネタなんてできないから、また怒られて、毎週ライブハウスで新ネタをやることになったんだよね。それでも、関根さんとケンタッキーに行って『できないね』って話してそのまま帰ったりしてた」 中山「結局できない(笑)」 小堺「どうしようもなかったんだよね。そんなある日、関根さんを変な人にしたら面白いと思ったの。僕が面白いと思ったことをやってもらおうと」 中山「今の2人のカタチですね」 小堺「ラジオのピンチヒッターをしたときも、初めはハガキが全然こなくて。関根さんが『自分たちからクビにしてくれとは言えないから、クビになるようなことをしよう』って(笑)。それで適当なことをしたらハガキが増えたり」 中山「ネタ作りのときと一緒ですね」 小堺「2人のカタチが定着してきて、ライブでもウケるようになって、道が見えてきた感じかな。ただ、テレビでできないネタばかりだったから『欽どこ』では、困ったことにはなるんだけど」 中山「つながっていくんですね」 小堺「あそこで嫌がって何もしなかったら『欽どこ』に呼ばれなかったかもしれないし、やってみてもできなかっただろうしね。とにかく、そのころは文化祭に呼んでもらったり、音楽もできたし、十分楽しかった」 中山「満足するタイミング、早いですね」 小堺「ハングリー精神ないから(笑)」
2017年03月04日2月23日、侍ジャパン合宿の初日。20m近い強風だったこともあるが、スタンドの集客は内野1階席だけでこと足りるスカスカ状態。主催者発表は5440人ということだが、とてもその数には達していないようだ。 対して8年前の初日、内野席は完全に埋まり、あっという間に満員札止めとなった。ともに平日なのに、なぜこのような差となったのか。両合宿を取材したベテラン記者が解説する。 「’09年の大賑わいは、イチローをはじめメジャーリーガー5選手が参加していたから。道がこむので私も早めにホテルを出たが、本来なら車で10分程度の距離が1時間近くかかる大渋滞。今回、メジャーリーガーは青木宣親ただ一人で、しかも合宿には不参加。さらに目玉だった大谷翔平が辞退では、この不人気ぶりも頷ける」 観客が少なければスタンドが盛り上がりに欠けるのは当然だが、ファンの声援のなさは異常であった。 「’09年は、スタンドのあちらこちらからイチローを中心に、選手の名を呼ぶ声や声援が聞こえた。ところが今回は、ほとんど聞こえてこなかった。松田宣浩は、なんとか盛り上げようと、シートノックでも泥だらけになりながら何度もダイビングキャッチを試みた。これがホークスのキャンプなら、『熱男!』『マッチ!』の声援が飛び交うところ。それもなくシ~ンとなっている。目玉がないといわれていたが、それにしても寂しい限りだった」(同前) そんな寂しいキャンプだが、初日唯一の盛り上がりを見せたのが、午前10時半。それまで静かだったスタンドが急にざわめきはじめ、客がいっせいに前方へ移動。その視線の先にいたのは、侍ジャパン公認サポートキャプテンの元SMAP中居正広。 「キャ~、中居く~ん」の歓声が響きわたる。それまでまったく仕事がなかった警備員が、「危ないですから前に押しかけないで!」と懸命にアナウンス。その混雑ぶりに「何が起こったの?」と、スタンドを凝視する選手までいた。 2日めも、それまで静かだったスタンドが騒ぎはじめたのが、TBSのスポーツ番組でメインキャスターを務める爆笑問題の田中裕二が姿を現わしたとき。このときはファンが、「田中~、ちっちぇ~!」と悪ノリ。ただ、これもこの日、唯一の盛り上がりを見せた瞬間だった。 小ぶりといわれた今回の侍ジャパンだが、大事なキャンプでの「主役」をタレントに奪われるようでは先が思いやられる。覇気なし侍、本日も白けてます。(週刊FLASH 2017年3月14日号)
2017年03月04日「友達が『ぎんざNOW!』に応募して、オーディションに行ったら受かっちゃって。そのまま5週連続勝ち抜いた結果、ずるずるこの世界にいるわけです」 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第76回のゲスト・タレントの小堺一機さん(61)。中山がデビュー時にとてもお世話になったという小堺さんと2人、「何が出るかな」でおなじみ『ごきげんよう』さながら、トークたっぷりの時間を過ごしました。 中山「初めてお会いしてから、もう31年ですよ。『いただきます』(『ごきげんよう』の前身番組)に出していただいて」 小堺「秀ちゃんが17歳で、僕が28歳のときか。頑張ってたね」 中山「当時はどんな思いでしたか?」 小堺「まず、ありえないと思ってた。そのころは『欽ちゃんのどこまでやるの!?』のグレ子をやってたから、『笑っていいとも!』後の番組をできるわけないって。それなのに、朝からスタッフが大勢来て、発表会見で『司会の小堺一機さんです』って紹介されて、質疑応答まで……最後まで手の込んだどっきりだなと思ってたら本当だった」 中山「まったく信じてなかったんですか?」 小堺「そんなわけないもん。その直前に初出演のドラマでNGを16回出して、ディレクターにひっぱたかれてるんだよ」 中山「『欽どこ』で関根勤さんとやられていた“クロ子とグレ子”もすごい人気でしたよ」 小堺「それも僕と関根さんは1回、役をクビになってからのことだから。僕たちとしては、挫折したグループだし(笑)」 中山「そうだったんですね。でも『いただきます』は人気になっていきますよね」 小堺「初めのうちは評判もよくなくて、『空っぽのやつが汗かいてるだけ、消えて“いただきます”』なんて記事も書かれて。矢面に立つってこういうことなんだって、それまでは堺正章さんや、萩本欽一さんがいたでしょ。でもさすがに受け止めるしかないから『いつでも消えてやる、3カ月で終ってもいいや』って開き直って、変なことを言い出したの。小森(和子)のおばちゃまたちに『こんな人、悪寒が走るわ』って言われたら、『どうせ入りますよ、もうすぐお棺に』とかね。そしたらウケ始めた」 中山「番組も変化していくんですね」 小堺「それとね、僕が空回ってたものだから、関根さんが『“あんなに面白いおばさんたちがいるのに、なんで1人でしゃべってるの”って堺さんが言ってたよ』って教えてくれて。萩本さんに『お前にピンの仕事はこない、全部自分でいっちゃうから』と言われたこととかを思い出して。人の話を聞くのも大事な仕事だったんだよね。自分だけ頑張ろうとすると、うっとうしく見えちゃう。それで自分の話を半分にしたら、宝物のようにおばちゃまたちから面白いことがザクザク出てきたの」 中山「視聴率が上がっていきましたよね。僕はそのころに番組に入れていただいて、女のコにキャーキャー言われるようになって生活が変わりましたよ(笑)」 小堺「僕はその前に萩本さんに『視聴率10%は子どもと女のコが騒ぐ。20%でおばさんが“あら”って声をかける。30%超えるとおじさんが“おっ”と言う』って言われてるから。調子には乗らなかったと思う」 中山「萩本さんは1週間で視聴率100%とってたんですもんね。“100%男”と呼ばれて。でもやっぱりうれしいことですよ」 小堺「そうだね。人から見たら調子に乗ってたかもしれないな。取材もたくさん入って、『10分ずつでお願いします』なんて、これが売れるってことだって思ったよね。僕もキャーキャー言われたんだから」
2017年03月04日「『いただきます』(『ごきげんよう』の前身番組)の視聴率が上がってきて人から見たら調子に乗ってたかもしれないな。僕もキャーキャー言われたんだから。でも、僕はその前に萩本さんに『視聴率10%は子どもと女のコが騒ぐ。20%でおばさんが“あら”って声をかける。30%超えるとおじさんが“おっ”と言う』って言われてるから。調子には乗らなかったと思う」 こう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第76回のゲスト・タレントの小堺一機さん(61)。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で関根勤との“クロ子とグレ子”で、一躍人気者となった小堺さん。だが、『ごきげんよう』の前身番組『いただきます』を始めたばかりのころは、自分が空回りし、視聴率が思うようにあがらなかったそう。 そのとき、思い出したのが萩本欽一さんの「お前にピンの仕事はこない、全部自分でいっちゃうから」という言葉だったという。この言葉に「人の話を聞くのも大事な仕事だったんだ」と自分の立場をあらためたところ、『いただきます』は人気番組となっていった。そんな、“欽ちゃんのびっくり伝説&金言”を小堺さんが教えてくれました! ■「仕事と私生活、両方幸せ」なんてありえない! 「『仕事と私生活、両方幸せなんてない』『運を使ってる人がいるとダメだ』と、よく聞きました。結婚した人は現場からはずすし、買ったマンションの鍵を捨てさせていたことも。ゴルフに行って、天気がいいと萩本さんは『ダメ。仕事がうまくいって、気持ちよくゴルフできるなんて、そんなわけない。神様そんなの許さない』と」 ■「ただいま」と言って帰ってくる日にドラマはない! 「台本を読んで『“ただいま”って書いたの誰だ、“ただいま”って帰ってくる日にドラマはないよ。その前に言いたいことがある日にドラマがあるの』と言って、作家が書き直してましたね。それで、「“芋みつけたよ”。『これだよ、これ!話が転がるよ』と、丸く収まりましたが、翌日には“ただいま”に戻っていました(笑)」 ■偉人伝を読め。大事なのは「失敗ばかりしていた」の部分! 「『伝記を読め』ともよく言ってました。偉人伝には、成功が最後の少ししか書かれていないと。それまでの失敗談や苦労話がほとんどで、大事なのはその部分。『最初からうまくいってる人は偉人になってない、そこに気がつかないとダメ』とも。萩本さんもいろいろな苦労を経験されて、視聴率100%男になった方ですからね」 ■焼き肉を食べ終わった後に「もう一回、稽古に行こう」! 「少し視聴率が下がったときに、焼き肉を食べに行ったんです。『これね、誰かが嫌だなって思ってるんだよ』という話になって、そのまま終わると思ったら、『もう一回、稽古に行こう』って。夜の10時にテレビ朝日に戻ったら、暗いから警備の人が萩本さんのことを『どなたですか?』と止めてしまって。それは一大事でした」
2017年03月04日「僕は家では何もしてない、全部女房ですよ。うちの子たちは困ったことはなかったね。息子の翔太も自分でアナウンサーの仕事見つけてきたし、下の子も働いているし。それは女房がやってくれたことだと思います」 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第76回のゲスト・タレントの小堺一機さん(61)。中山がデビュー時にとてもお世話になったという小堺さんと2人、「何が出るかな」でおなじみ『ごきげんよう』さながら、トークたっぷりの時間を過ごしました。 中山「『ごきげんよう』もそうでしたが、『おすましでSHOW』の公演も小堺さんのライフワークのひとつですよね。笑い、トーク、音楽が楽しめるショーを’85年から続けられて、今回ファイナル(東京・新国立劇場中劇場にて3月9〜12日まで)なんですね」 小堺「『ごきげんよう』をひとつ区切ったでしょ。最初は怒られたりしたけど、居心地のいい番組だったわけですよ。『おすまし』も最初は『テレビタレントが舞台なんてできるのか』なんて言われたりしながら、なんとかやっていって、だんだん気持ちよくなっていくんだけど、居心地いいところにいると次に進めないのかなって。母が亡くなったこともあるし、これでひと区切り。まずはやり切って、また新しいライブのカタチを探りたいと思っています」 中山「次へ行くしかない状況を作られたところもあるんですね。節目を迎えられ、今後はどこを目指すんでしょう?」 小堺「今のところ何もないですよ」 中山「いろいろやりつくされている?」 小堺「今『かたらふ〜ぼくたちのスタア〜』(フジテレビ系)というトーク番組をやらせていただいてるんですね。『ごきげんよう』のスタッフなんだけど、食事会で『あの映画がああで、こうで』なんていろんなことを話してたら、スタッフが『すごい知識ですね』って言ってくれたの。みんなに話したいから勉強したわけじゃなくて、30年も見てれば知識は増えるじゃない。そしたら皆さん面白いと言ってくださって」 中山「すごい映画の知識ですもんね」 小堺「僕は1回見るとだいたい覚えるんですよ、それはちょっと関係しているかもしれないけど、世間一般のことはひとつも覚えないんですけどね」 中山「好きなことだと頭に入るんですか」 小堺「だからブロードウエーなんかもショーの勉強だと思って見るとダメだね。沢田研二さんも『勉強で見るより、客として見たほうが頭に入る』と言ってた。とにかく、僕は本当に運だけでここにいるんだろうね。何もしてないからね。どん底も味わってないし、悔しくて泣いたことがあるくらい」 中山「小堺さんにもそんなことが」 小堺「ドラマで16回NG出したときね。その日は寄らなきゃいいのに、彼女の家に寄っちゃったんですよ。『どうだった?』って聞かれたから、僕泣いちゃった。『畜生!』っていう強い感じじゃなくて、膝の上で延々。『才能ないんだ、え〜ん』って、甘ったれでしょ。それが今の女房。いまだに、何かあると『あなた、泣いたわよね』って言われるんですよ(笑)」
2017年03月04日3月1日発売の「an・an」(マガジンハウス刊)で初のヌードグラビアに挑戦した高橋一生(36)。その一糸まとわぬ官能的な姿に女子たちが大興奮!浮き出る血管、脇腹のほくろ、腕毛などなど、いろんなフェチたちを騒がせている。 そんななか、意外なところに注目している女子たちがいた。それは高橋の二の腕にあった“BCG跡”だ。 BCGとは、結核の予防接種。9本の針がついたスタンプを2カ所、二の腕に押し付けて接種することから“はんこ注射”とも呼ばれている。接種後に跡が残ることもあるのだが、ネット上ではこんな声が上がっていた。 《やば…高橋一生の凄い萌えを届けてくれてる…全BCG萌えに告ぐ…BCGの跡です…》《高橋一生目的で真っ先に購入したan・anだけど美人とキスしたり美人と裸で抱き合ってる写真よりも一番キュンときたのは彼の腕に残るBCG跡だった》《例の高橋一生さんのヌードグラビア…腕にBCGがあって最高だっていうのが超話題のトレンドになってませんか?!!》 実は、このようにBCG跡に萌える女性が意外と多いのだという。今回のヌードグラビアを見た30代“BCG跡萌え”女子はこう語る。 「BCGって、幼いころみんなやってるじゃないですか。つまり、“過去の生活臭”があるんですよね。だから生活感のないようなイケメンが服を脱いだとき、左腕に“あの跡”があるとギャップを感じてキュンとなるんです。『ああ、彼もお母さんに連れられて行ったのかな』とか妄想を掻き立てられて……。ただ、BCG跡に萌えるのはイケメンに限りますけど」 世の中にはいろんなフェチがあるものだが、高橋もまさか自分のBCG跡がセクシーだと言われるとは思いもしなかったことだろう。
2017年03月04日「医師と患者の懸け橋になりたい。それが、骨髄移植から社会復帰した私の役目かなと」 そう語るのは大谷貴子さん(55)。大谷さんは、26歳のときに骨髄移植を受けた元白血病患者。そして、一人でも多くの命を救いたいと、患者とドナー(骨髄の提供者)を結ぶ「骨髄バンク」を日本で初めて立ち上げたトップランナーとして、約30年もの間、講演や啓発活動、患者の相談など日本中を駆け回ってきた。診察に付き添うことも多く、“患者仲間の大谷さん”として信頼される。いわば日本の骨髄バンクの「顔」だ。 大谷さんは、’61年大阪市生まれ。開業医の父・幸郎さん(故人)と、医院の事務を手伝っていた母・巻枝さん(82)、姉・睦子さん(57)の4人家族に育った。 「やんちゃでしたね。健康そのもの。父は、患者さん第一の人で尊敬していました。でも父と母の間には軋轢があって、小学6年のときに別居してのちに離婚。私と姉は母親と暮らすようになりました」(大谷さん・以下同) ’85年、女優の夏目雅子さんが白血病で亡くなった。正直、人ごとと思っていた大谷さんだったが、翌年12月、彼女も白血病と診断される。千葉大学大学院英語教育科の学生として、大阪の自宅で修士論文に向かっていた25歳のときである。生理の血液量の異様な多さに驚いて婦人科を受診すると、すぐに内科への入院を命じられた。慢性骨髄性白血病だった。 「アメリカで看護師をやっていた姉も駆けつけて、はっきり病名を教えてくれました。あまりにショックすぎて涙も出ませんでしたね」 白血病は、原因不明の「血液のがん」である。現在も毎年6,000人が発病。誰がいつ発病してもおかしくない病気だ。抗がん剤で完治する種類もあるが、当時、慢性骨髄性白血病患者は、骨髄移植でしか助からなかった。しかも、その移植が可能かどうかを判断するHLA(白血球の型)は数万通り。兄弟姉妹なら4分の1の確率で適合するが、それ以外では500人から数万人に1人となり、当時、骨髄移植は夢のような治療と思われていた。 まず異常増殖した白血球を抗がん剤で正常数値に戻すべく、大谷さんは京大病院に転院した。白血球が正常値を保っている間は「慢性期」と呼ばれ、一般的には3年ほど日常生活を送られる。しかし、白血球がふたたび異常増殖する「急性転化」は必ず訪れる。こうなると余命は半年だ。 「でもそのころの私は、楽観的だったんです。きっと姉のHLAと一致するし、アメリカで移植を受ければいいと」 ’87年4月に退院した大谷さんは、両親と姉と一緒に渡米し、4人でHLA型の検査を受けた。結果は、姉と「骨髄移植が可能」というもの。 「私は恵まれていると思いました。京大病院に入院しているとき、妹のようにかわいがっていた14歳のさおりちゃんという子がいたんです。ひとりっ子のため兄弟姉妹間の移植は望めなくて」 9月からは、東京電機大学で、英語の非常勤講師として教壇に立つこともできた。事態が急転したのは翌月である。主治医から「お姉さんとは、HLAが完全には合っていないんだ」と言われたのである。大谷さんの顔からいっきに血の気が引いた。 「アメリカでの検査結果は、『適合』ではなく、『適合可能』だったんです。突然の死刑宣告に思えました。さおりちゃんのために、骨髄バンクの運動に協力し始めていましたが、ここにきて、自分の問題になったんです」 このときが白血病との闘いのなかで、いちばん苦しかった、と大谷さんは振り返る。 「このまま死ぬのかなという精神的なつらさは、ずっと続きました。あの地獄のような苦しみが、いまの活動の支えとも言えます。同じ気持ちを抱えている人がいるかと思うと、体が動いてしまいます」 奇跡が起きたのは、もう一度家族4人でHLAの適合検査を受けたときだ。1万分の1という確率で、母親と完全に一致していたのである。移植された巻枝さんの骨髄が、26歳の大谷さんの体のなかで、健康な血液を作りはじめた。しかし、悲しい知らせもあった。14歳のさおりちゃんが亡くなったのである。 「入院していても、いつも好奇心でキラキラしていました。さおりちゃんの夢は“普通の高校生”になることでした。その無念を思うと……。彼女の存在も、いまの活動を支えている一つです」 ’17年1月現在、骨髄バンクの登録者数は46万9,348人、移植は2万309件を達成した。さらに3,527人の患者がドナーを待っている。24時間365日、大谷さんは受け付けている。自分のように白血病になった人、骨髄移植を必要としている人、診察の付き添いなどの相談を。
2017年03月03日「近くに緑道があるのですが、そこでお子さんを遊ばせているのをよく見かけますね」 そう話すのは、要潤(36)が住む、東京・世田谷区内の自宅近くの住人だ。ちびっ子だけでなく、母親たちまでもとりこにした『仮面ライダーアギト』でブレークしてから15年。 「要さんほどの人気俳優なのに、マスコミが気付いてないのが不思議ですが……。じつは都内の高級住宅地に、“億超え”の自宅を建てているんですよ」(要の知人) 要が、121平方メートルの土地に建つ自宅を購入したのは14年8月のこと。角度のついた屋根が印象的な、スタイリッシュな一軒家は木造2階建て。近所の不動産業者によれば、「土地と建物あわせて1億3千万円」という豪邸だ。 「要さんは14年4月に、元タレントで美容関連会社社長のA子さんと結婚しました。その年の12月に第一子が生まれていますから、子供が生まれるのにそなえて、広い家を買って移り住んだということでしょう」(スポーツ紙記者) その後、15年12月には第2子も誕生。自宅の周辺では、そんな要の“イクメン”ぶりが噂になっていた。 「休日には、犬を散歩しているのをよく見かけますよ。子供さんと散歩する姿も見ます。ジャージ姿に帽子を深くかぶっているんですが、背が高くてスラッとしているので、目立つんです」(別の近所住人) 要の仕事ぶりは「順調」そのもの。ドラマ出演にくわえ、コンスタントにCMも入っており、収入は安定している。 「現場に遅れてきたことも一度もないですし、台本もすべてインプットしてくる完璧主義者。後輩のセリフにまで目を通し、アドバイスをしてあげる性格で、撮影現場での信頼は大きいですよ。ただ、女性ファンが多い彼にとって、“パパ”のイメージが強くなるのは諸刃の剣。だからインタビューなどでは、家族の話はNGにしています」 ますます仕事への情熱が燃え上がりそうだ。
2017年03月03日