女性自身がお届けする新着記事一覧 (916/919)
「そもそも、中国米を混ぜるなんて……。いま中国米は1キロ249円ほど。でも1キロ260円で滋賀県産こしひかりが買えるんです。わざわざ(安くはない)中国米を買って混ぜるなんて、そんなリスクを犯す理由がありません」 語気を強めて語るのは、JAグループ京都の米卸業者『京山』の担当者。この『京山』が販売していた国産こしひかり4袋を産地判別検査したところ、そのうち3種に中国産米が混入されていたと、『週刊ダイヤモンド』2月18日号が報じたのだ。 週刊ダイヤモンドが検査を依頼した研究所では、米に含まれる、同じ元素でありながらわずかに重さが違う“安定同位体”と呼ばれる物質の構成比から、産地を調べている。 同誌によれば、『京山』が販売する「魚沼産こしひかり」は10粒中4粒が中国産米と判定。「滋賀こしひかり」は同6粒が中国産米と判別された。 『京山』はJA京都の傘下にある米卸業者。JAをも巻き込む、ブランド米の“産地偽装”疑惑に米業界は騒然――。だが本誌の取材に猛然と反論するのは、記事で「黒」のレッテルを貼られた『京山』の担当者。 「あの検査結果は絶対に間違っています!ウチには普段から農水省の抜き打ち検査もあり、また外部機関である穀物検定協会の人間も常駐していて、外部のチェック機能も働いているんです。そもそも、“安定同位体”による検査は、まだ技術が完全には確立されていません。だから正式な産地検査には、米のDNAを調べるのです。ダイヤモンドさんが頼んだ研究所ではDNA検査もやっているのに、なぜか今回、そちらの結果は記事に出ていません。おそらくDNA検査では国産米という結果が出ているのでしょう。裁判で、ダイヤモンドさんからこのDNA検査の結果が開示されれば、必ず我々の身の潔白を証明できると思っています」 専門家は、今回の記事をどう見ているのか。元農水省の食品Gメンとして食品偽装の監視、摘発を行ってきた『食の安全・安心財団』の中村啓一事務局長は、こう話す。 「正直なところ、まだ(真偽は)わからないですね。記事で疑問なのは、農水省の発表では、13~15年度の中国産うるち精米短粒種の輸入実績は“ない”とされているのに、では混入されているという中国産米は、どこから手に入れたものなのかと。農水省の立ち入り検査の結果が出るまでは、何とも言えない状況ですね」 天下の大スクープか、大誤報か――そういう状況だというのだ。 記事が出て2日後の2月15日、『京山』とJA京都は、記事を“事実無根”として損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。本誌は、『京山』側の反論について、発行元のダイヤモンド社に回答を求めた。 「私どもとしましては、記事の内容、取材は正当なものと考えております。京山側が提訴したという報道は目にしておりますが、現時点では、お答えできることはありません」(総務部担当者) 何よりも気になる“食の安全”。一日も早い解明を――。
2017年02月24日「2本目の連続ドラマで、いきなり社会現象になるような作品に参加できたことが、本当にラッキーだな、と。『逃げ恥』の風見として世間の方々に認知していただけたようで、街で声をかけられることも増えました」 そう語るのは、モデル、俳優として韓国で12年間のキャリアを経て、昨年、日本でドラマデビューをした大谷亮平(36)。大人の男の匂いをまとった“逆輸入俳優”は、『ラヴソング』(フジテレビ系)で日本の連続ドラマ出演を果たすと、昨年末に日本中で旋風を巻き起こした『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の風見涼太役で人気急上昇。関心を集めたドラマのエンディングでのダンスにはこだわりのエピソードも。 「ダンスは初めてだったので、振付を体にたたき込もうと必死に覚えました。ラストの5人で踊るシーンは、3回で撮り切ると言われて少し硬くなってしまったというか。僕だけテンポが遅いというご意見がありましたが……、あれ、余裕からくる“間”で、遅れたわけではないということで(笑)。石田ゆり子さんとかノリノリで踊っていたのを見て、僕も、もっと楽しめばよかったなあって後悔しています」 現在放送中のドラマ『奪い愛、冬』(テレビ朝日系・金曜23時15分〜)では、ヒロイン(倉科カナ)の元カレのデザイナー・森山信を演じている大谷。男女の泥沼愛憎劇が話題で、ドロドロしているけどキュンとする“ドロキュン”ドラマとも言われる。 「僕自身は、“キュン”ねえぞ!って思っていて(笑)。ドロドロはなんと言っても、信の妻・蘭を演じる水野美紀さんの怪演がすごい。撮影中は、アドリブに圧倒されっぱなしです」 そんな大谷は、共演者から、「性格が天然だ」と言われることが多いのだとか。 「ガッキー(新垣結衣)や源さん(星野源)から何度も言われたし、倉科さんは、初めての撮影のとき、『そういう人だと思ってなかったから、ビックリした』って。僕自身は、どこが天然なのか意味がわからない。水野さんにも指摘されていて、いまはそう言われないように直そうとしているところです(笑)」 今後、出演作品も多岐にわたり、新たな一面を見せてくれると期待が膨らむが、自身が取り組みたいものは? 「今は、わりとカッコいい男性をやらせていただいているので、そこをもっと突き詰めてみたいという思いもあり、逆に、振れ幅の大きい役もやってみたいという思いと両方あります。また、よく時代劇顔だと言われるので、ぜひ、時代劇に挑戦したいですね。おじいちゃんが言っていたんですよ。『マゲが似合う顔だ』って。いつか、かなえたい目標のひとつです」 快進撃を続ける逆輸入俳優・大谷は現在36歳。結婚について考えることは--? 「う〜ん、考えることはありますけど、具体的にいくつくらいで、っていうのはなくて。いつかするんだろう、しなきゃって思いますけど。今すぐっていうのは皆無に近い。理想のパートナーは、あんまりギラギラしてない人がいいですね。角がなくて、丸い感じの女性がいい。『まあいいじゃん、そういうこともあるんじゃないの』みたいに言ってくれる人。今までやったドラマに出てきた女性キャラでいうと?いないなぁ(笑)」
2017年02月24日スタッフの拍手とともに《4月からゴールデン番組としてスタート!》と書かれたボードが登場すると、指原莉乃(24)とSHELLY(32)の2人は満面の笑顔に――。 人気深夜バラエティ『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で、そんな“サプライズ場面”が放送された。メインMCのチュートリアル徳井義実(41)とフットボールアワー後藤輝基(42)も“ゴールデン昇格”に大喜びだが、視聴者からはこんな疑問の声が――。 「“あの番組、なんで2人も女性MCがいるの?”という疑問が視聴者から出ています。もともと12年の番組開始当初はSHELLYさんが単独で女性MCを務めていましたが、昨年2月から産休に入ったんです。そこで“代役”として起用されたのが指原さんでした。ところが、産休が明けたSHELLYさんは昨年11月に番組へ復帰。指原さんもそのまま番組に残ったため、現在の“女性MC”2人体制が続いているというわけです」(番組関係者) だが番組を見ていると、どちらか1人が手持ちぶさた状態の場面もたびたび。 「それもあって、現場では2人の間に“微妙な空気”を感じることも多いんです(苦笑)。2人とも現場では全力投球。お互いがやる気満々のあまり現場でつい意識しあって……。一色触発の場面もあるんですよ」(前出・番組関係者) それは収録前にスタジオで2人が顔を合わせたとき――。 「SHELLYさんが指原さんに『スタッフの××さん、知ってる?』なんて聞いていて。指原さんが『知らないですね~』と返すと、『あっ、そっか。前にいた人だから、私しか知らないか』なんて。指原さんも『(SHELLYの)産休中、私ちゃんとがんばってましたよ』とさらっと口にしてたり(笑)。2人で、後藤さんや徳井さんと“自分は仲が良い”という話をしているところも見ちゃいました」(番組スタッフ) 火花散る“女同士のバトル”。だが、こんな話をする別の番組関係者も。 「いや、じつは本人同士は別にお互いのことをそれほど嫌ってないんです。ただ、番組のスタッフたちが妙に2人の仲を煽るというか……。お互いの名前を挙げて『◯◯さん、ちょっとよくないですよね』みたいなことを、それぞれに言うんですよ。それで2人ともそんな気はないのに、ライバルみたいに言われて。2人ともかわいそうですよ」 4月からのゴールデン進出で、この“緊張関係”がいいほうに働くといいが――。
2017年02月24日「とても痛い、とても痛い」2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、そう言って倒れた金正男氏(享年45)。北朝鮮の故・金正日総書記の長男で、金正恩・朝鮮労働党委員長(34)の異母兄である。 彼は白昼堂々、搭乗手続き中に毒物攻撃を受け、暗殺された。これまでにベトナム国籍の女をはじめ、実行犯とみられる複数の人物が逮捕されたが、一部は依然、逃亡中だ。 かねてより北朝鮮の体制を批判していた正男氏は、’12年に北京で暗殺未遂事件に巻き込まれ、同年4月には正恩氏宛に「私と私の家族を助けてほしい」と命乞いの手紙を送っていた。それでも、正恩氏からの暗殺命令は継続していた。「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は語る。 「現在3万人いる脱北者たちのなかに、海外で亡命政府を作り、正男氏をトップに据えようという一派がいたのです。さらに正恩氏は、米中が政権転覆を狙い、正男氏を自分の座にすげ替えるのでは、という被害妄想を抱いていました。正恩氏が脱北者の動きに過剰反応し、先手を打つ形で正男氏への暗殺指令を出していたのです」 暗殺の実行を指揮したのは、対南工作担当の人民軍偵察総局とされる。暗殺を含め、あの手この手で、命令を遂行する部局だ。元工作員だった青山健煕氏が、工作員の驚くべき訓練内容を明かす。 「大型車から小型車、オートバイまでいろんな種類の車の運転を学びます。逃げる練習もします。工作員は握手すると一発でわかりますよ。小指側の手の側面が岩のように固いから。工作員に合格するには、瓦を12枚割らないといけない。レンガだと4枚くらい。後頭部をその部分で空手チョップすると一発で相手は死んでしまいます。もちろん、女と寝る練習もしますよ」 女性工作員の場合は、色仕掛けで要人と関係を深め、情報を引き出すため、セックスの訓練が最重要とされたという。 「昔は指導役の女性が、ずらりと寝かせた工作員の女性器に、きゅうりをリズミカルに出し入れして、腰の使い方などを指南していました。なかには興奮してしまう女性もいて『相手を興奮させずに、お前が興奮してどうするんだ』と怒号が飛びました。場合によっては、ことの最中に後頭部の『ツボ』に毒針を刺し、殺すよう仕込まれます」 目的達成のためにはなりふり構わない、工作員の仕事ぶりが垣間見える。(週刊FLASH 2017年3月7日号)
2017年02月24日Instagramを中心に話題沸騰中のイラストレーター・横峰沙弥香さん。2015年に産まれた愛息「まめちゃん」の爆笑成長記録を、ほっこりするイラストとともに本誌で連載! 『まめ日和』のページに遊びにいらしてくださった皆様こんにちは。息子から絶賛いびられ中の横峰沙弥香です。 ……というのも、これは乳幼児あるあるなのですが、部屋の中に埃やらゴミやらが落ちているのを発見したときの子どもって やたらと「ゴミ見つけましたよ」アピールをしてきませんか?(しかも、ものすごく小さいゴミですら目ざとく見つけてきます) 2歳になって、そのような行動が少なくなってきたまめですが、それでもたまに小さなゴミを発見しては私に向かって警告してきます。 そのやり方がですよ……。 なんかもうメンタルに来るんですよ。ものすごい責められてる感! 最近はこの「トントントン」が聞こえるたびに飛び上がって、ダ●ソンを起動させる私。 そのリアクションが気に入ったのか、若干調子に乗ってママいびりに精を出すようになりました。
2017年02月24日野田村は、岩手県北部の太平洋に面した小さな村。人口約4,400人。NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で一躍有名になった三陸鉄道北リアス線が海沿いを走っている。その陸中野田駅から徒歩5分。どこか懐かしい街並みの一角に、村で唯一の寿司店「藤乃寿司」はある。 藍染めののれんをくぐると、カウンターの奥から小柄なおばあちゃんが、「いらっしゃい。どうぞ」と、招き入れてくれる。店主の斉藤トミエさん(77)だ。チェックのかっぽう着がかわいらしい。身長150センチあるかないかのトミエさんは、女性では珍しい寿司職人。寿司を握り続けて半世紀。77歳にして現役だ。 長女の明美さん(51)は奥のキッチンで煮物、焼き物などの調理を担当。母と娘で切り盛りする寿司店は今年で創業53年になる。 「人生は七転び八起き。昔の人はよくそう言いましたよ」 これがトミエさんの口癖だ。失踪して行方知れずの夫が残した借金を完済し、借地だった土地を購入して、店舗兼自宅を建て替えたのは55歳のとき。そのローンも10年ほどで完済し、寿司を握り続けているさなか、’11年に東日本大震災が発生する。太平洋沿岸の野田村にも最大約18メートルという津波が来襲。死者は37人、建物流出・全壊は311棟と甚大な被害がでた。 3月11日、大きな揺れのあと、近くに住んでいる明美さんはすぐにトミエさんを車で迎えに来て、高台にある自宅に避難させた。だがテレビもラジオもない状況だったため、避難の直後に津波が村を襲ったことは、後で知ったという。 後日、店に戻ってみて2人は驚いた。冷蔵庫は倒れ、畳とテーブルが折り重なって、足の踏み場もない。泥がいたるところに入り込み、店内はめちゃくちゃな状況だった。藤乃寿司のある地区は、家屋の倒壊こそ少なかったが、1〜3メートルの浸水被害に遭っている。いまでも入口のサッシには、1メートル80センチほどの高さのところに津波の跡が残っている。灯油がいたるところに流れ出し、未開封の酒まで灯油臭くて飲めなくなっていた。 「どれほどの水の強さだったのかと思いますね」(トミエさん・以下同) だが、トミエさんには意気消沈している暇はなかった。頭に浮かぶのは、少しでも早く寿司店を再開することだった。野田村の銀行は津波で流されてしまっていたため、久慈市の銀行に相談に行くと、「野田村が復興するかどうかもわからないのに、再開資金なんか融資できませんよ」と言われて泣きたくなったが、トミエさんは再び自分に言い聞かせたという。 「人生は七転び八起き!」 トミエさんのために、なじみの大工さんや家族、親戚も片付けを手伝ってくれて、藤乃寿司は震災発生から49日という驚異的な早さで営業再開を果たした。 「村にある店では(再開)第1号でしたね。村のみんなが集まるところがないと大変じゃないかな、と思って急いだんです」 座敷の畳も間に合わず、代わりにマットを敷くしかなかったが、店に明かりがともると、ぬくもりに引きつけられるように続々と客がやってきた。自宅を失った人も、家族を亡くした人も集まって、お互いの無事を確認し、震災の経験を語り合い、慰め合った。そんな客たちをカウンター越しに眺めながら、トミエさんは寿司を握った。 「皆さん、すごく不安だったと思います。皆で話す場所がほかになかったから。早く再開できて本当によかった」 トミエさんはことあるごとに「お客さんが店を育てた」と、村の人に感謝する。客も「かあちゃんに話を聞いてもらって、ホッとした」と、感謝する。だから藤乃寿司は温かい。常連客の1人は「ここは野田村のオアシスなんですよ」と話した。 「できる限りがんばりたいと思います。動けるうちはなんとかね。寿司を握りながら死にたいと思ってますよ。あれ、かあちゃん、昨日まで稼いでいたっけが?というふうに」 トミエさんはこれからも寿司を握り続ける。野田村を見守りながら。
2017年02月23日2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された北朝鮮・金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄・金正男氏(享年45)。犯行時間は、わずか5秒間。映画のような事件に、世界が揺れた。正男氏は01年、「東京ディズニーランドに行きたい」と偽造パスポートで日本に入国しようとしたが発覚し、強制退去になった。高倉健が出演する日本映画や漫画が好きな素顔などオタクの一面が伝えられ、世間の注目を集めた。 本誌は北朝鮮を離れ、国外を転々とした正男氏の知られざる“逃亡生活”を追った――。 ロシアとスイスで教育を受けた正男氏は、95年から北京に滞在。第一夫人の崔恵里さんとの間に最初の子、東換くんをもうけた。 「二番目の妻の李恵慶さんとは、北朝鮮で出会ったと聞きます。彼女は北朝鮮の芸術公演団にいた女優さんで綺麗な方。当時彼は北朝鮮のために設立した貿易会社の代表をしていて、その本社がマカオにあった。そこでマカオに居を構え、02年から恵慶さんを住まわせたんです。『前の奥さんが』という言い方をしていたので、恵里さんとは離婚していたかもしれません」(マカオ在住・ジャーナリスト) 正男氏の生活はブラリと買い物に出たり、家族で高級レストランに頻繁に食事に行ったりと、セレブらしい暮らしぶりだった。 「話し方もおだやかで、政治や社会情勢にあまり興味がなく、テレビのニュースもあまり見ていませんでした。食事の後はスパに行ったり、女性のいるクラブに飲みに行ったりという毎日。家に帰らず、ホテルに泊まることもあったようです」(前出・ジャーナリスト) 家族で平穏に暮らすそんな生活が脅かされ始めたのは、11年、父親の金正日氏(享年69)が亡くなってから。正男氏のインタビューをまとめた『父・金正日と私金正男独占告白』の著書がある東京新聞編集委員の五味洋治氏は、こう当時を振り返る。 「正男氏は気さくで国際社会での評判も上々でした。しかし、世襲を批判し、核実験を強行することに憂慮を示すなど、体制批判を度々口にしたことで当局からマークされるようになりました。『(北朝鮮から)警告がきたので、政治的な話はできない』と本人からメールがきたりしたので、当時から自分は狙われているという危機感はあったのでしょう」 北朝鮮に詳しいジャーナリストの太刀川正樹氏は、そのころから正男氏の周辺で北朝鮮工作員の動きが活発になっていったと語る。 「正男氏はそうした動きを察知し、12年に『私や私の家族を助けてください』と記した命乞いの手紙を、亡き父の後継者の座に着いた弟に送りました。『私たちは行くところも避けるところもなく、逃げ道は自殺だけだとよくわかっている』と書かれていたといいます」 不安定な生活から逃避するためか、正男氏の女性関係は派手だった。”三番目の妻”の徐英羅さんとのツーショットがマカオで目撃されるようになったのも、そのころから。 「英羅さんは30代半ば。スラッとしたモデルのような容姿で、国営高麗航空のCAさんをしていたそうです。マカオで高層マンションを借り、正男氏は彼女のもとに通っていました。入籍していたかどうかは不明です。当時、護衛はいませんでしたね。日系デパートでポン酢など日本食の材料を2人で買っている姿も目撃されているので、自炊していたんでしょう。正男氏にはシンガポール人女性の“4番目の妻”もいて、クアラルンプールには去年、彼女を連れて行ったという話も聞こえてきていました」(前出・ジャーナリスト) 奔放な生活を送る一方で、正男氏はだんだん追い詰められていった。北朝鮮専門のインターネットサイト『デイリーNKジャパン』の高英起編集長はこう説明する。 「彼は北朝鮮の武器輸出や投資コンサルタンティングなど外貨獲得ビジネスを行い、利益を本国に上納するかたちで命脈を保っていたと思われます。しかし近年、北朝鮮への経済制裁で海外の口座が凍結されたり、貿易がやりにくくなるなど、ビジネスは先細りになっていった。正恩氏にすれば正男氏は利用価値がなくなり、邪魔な存在となったのです」 残された恵理さんと恵慶さんとその3人の子供たち。正男氏が愛した“家族”の安否が気遣われる。
2017年02月23日(写真:X17/アフロ) 10代で大成功を収め、全世界にその名を轟かせたブリトニー・スピアーズ(35)。しかし、2004年に幼なじみと結婚後、55時間でスピード離婚したことを皮切りに、彼女は24時間パパラッチに追い回されるようになった。妊娠、出産、そして再婚・離婚など、私生活の変化と共に奇行がエスカレートし、ゴシップサイトには連日彼女の名前が躍っていた。あれから10年。当時の彼女を象徴するアイテムがオークションにかけられた。 パパラッチのダニエル・ラモスが競売に出品したのは1本の傘。2007年2月21日、前夫ケヴィン・フェンダーラインと子どもの親権争いの真っ最中にいたスピアーズは、そのストレスからか精神が不安定な状態にあり、自らバリカンで頭髪をすっかり剃り下ろしてしまった。このインパクトのある姿を押さえようと多数のカメラマンがロサンゼルス市内のガソリンスタンドにいた彼女のもとへ押し寄せた。スピアーズは激怒し、「くそったれ!」と叫びながら、持っていた傘でラモスの車を滅多打ちに。彼女が走り去った後、ラモスはこの傘を拾って大切に保管していた。そして10周年を記念し、競売に踏み切ったという。 「当時は彼女の人生の中でもひどい時期だったね。不幸にも写真に撮られてしまって」とラモスは10年前を振り返る。売上金の半額は、スピアーズが希望する慈善団体に寄付するということだが、スピアーズ側からのコメントは確認されていない。
2017年02月23日《担任によって学力、存在価値、生きがい、性格etc.私の人生全てを壊された》 2月6日、愛知県一宮市の中3男子が大阪市内の商業ビルから飛び降り自殺した。生徒が友人に託した携帯ゲーム内のメモ機能には「遺言」と題して冒頭の言葉が。学校側は12日に会合を開き、自殺の原因を「担任によるいじめ」と説明。だが翌13日に一転し「担任によるいじめの有無は不明。遺族の気持ちをくみ取っていじめという言葉を使った」と翻した。 今回、Aくんの母親は女性自身で90分にわたりその胸中を語ってくれた。発端はAくんが中学3年生に進級した昨年春。問題の教師が担任を受け持つことになったという。 「最初に担任から電話があった際、応対した主人に何も名乗らずいきなり『本人(Aくん)かお母さんいますか』と言ったそうです。息子も『先生は生徒を叱るときもすごくヒステリックで。その声が教室中に響き渡るほどだった』と言っていました。先生の癖なのか生徒の背中をすぐ触ってくるそうで、『すごくイヤだ』とも言っていましたね。教科書をうつむいて読んでいて、顔を上げたら間近に先生の顔があったという話も聞きました」 そんななか、Aくんの運命を左右する事件が起きる。昨年9月24日の体育祭で組体操をしていたAくんは激しく転倒。その際、両手親指を骨折してしまったのだ。 「息子は学年主任の先生に指の状態を見せたそうですが、スルーされたそうです。息子が帰ってきた後、私は担任に電話で『指を骨折したようなので、病院に連れて行きます。後ほど診断結果をお電話しましょうか』と伝えました。すると『今日は用事があるので』と断られたんです。耳を疑いました。当然、『連絡ください』と言ってくれると思ったのに」 実はその夜に体育祭の打ち上げがあり、担任は飲み会に参加していたというのだ。骨折の診断がされた後、母親は不信感を抱えて学校へ赴いた。体育祭から2日後のことだった。 「教頭先生がいたので『うちの子が体育祭で指を骨折したのを知っていますか?』と尋ねたところ、『えっ、何のことですか?』という返答が返ってきました。担任は、学校内の誰にも事故を報告していなかったんです。もう、信じられませんでした」 治療を続けていたAくんだが、親指は変形してしまう。その間はペンを持つこともままならず、成績も急降下。工業高等専門学校への進学を望んでいたが、厳しい状況に陥った。しかし母親が問題にしているのは、ケガやその影響による成績不振ではない。 「私たちが何に憤りを感じているか、間違わないでほしい。骨折やペンが持てずに勉強できなかったのは、後から言っても仕方のないこと。担任が打ち上げで飲み会に行ったことも、怒ってはいません。でもケガをした生徒を前に、担任としてすることはいくらでもあったはず。応急処置をするとか、対応した後で飲み会に遅れて参加するとか。でも彼らは何もしてくれなかった。この学校はすべて生徒のことを後回し。それが許せないんです」 今回、本誌は担任の自宅を訪ねた。Aくんの自殺についてどう考えているのかと尋ねたが、彼は玄関越しに「それは第三者委員会で話しますので」と一言。その後も声をかけたが「生活があるので」と言葉を濁すばかりだった。Aくんの母親は、断腸の思いでこう語る。 「今、私は後悔でいっぱいです。息子の命が守られるなら、学校なんか行かせなくてもよかった。むしろ不登校のほうがよかった。そう心から悔やんでいます」
2017年02月23日「夫が死んだら毎月どうやって食べていったらいいのか……」と、漠然とした不安を抱く妻は少なくないはず。夫が亡くなったときに備えるには、3,000万〜4,000万円もらえる死亡保険に入っておけばいいと思ってしまいがちだが、これに「待った!」をかけるのは、ファイナンシャル・プランナーの畠中雅子さん。 「死亡保険は死亡保険金が多ければ多いほど、月々支払う保険料は高くなり、家計を圧迫します。夫が会社員であれば亡くなった後、会社から死亡退職金がもらえます。また、公的年金に加入していれば遺族年金が月々入ってきます。入るお金と出ていくお金を書き出してみると、意外と少ない備えで済むことがわかりますよ」 夫が亡くなったらいくら必要になるのか?生活費以外で必要なお金と、月々かかる固定費、衣食住、水道、光熱費などの生活費。まず、生活費以外の「夫が亡くなったらいくら必要?」を算出してみよう。はじめに「手元に残るお金」がいくらなのか洗い出してみる。たとえば、夫名義の預貯金や、会社員であれば勤務先からの死亡退職金などがある。金額は事前に勤め先の総務課などに聞いておき、それらを足してみると大まかな金額が出てくる。 次に、葬儀関係の支出、子どもが大学を卒業するまでの学費など、比較的大きな「生活費以外で必要なお金」を「手元に残るお金」から引くと、「夫が亡くなったらいくら必要?」かがわかる。そして、「夫が亡くなったあとの月々の生活費」がどれだけかかるのか計算する。夫が亡くなったときに入る大きなお金は、遺族年金だ。それに妻の収入を加えれば、1カ月に家に「入るお金」がわかる。続いて、1カ月に出ていくお金を列挙していく。食事や水道・光熱費、通信費など。特に大きい支出は住居費。 「すでに持ち家で住宅ローンを組んでいれば、『団体信用生命保険』が利用できます。団体信用生命保険とは住宅ローンを組むときにセットで契約するもので、ローン契約者が亡くなった時点で、ローンの残高分が保険を使って金融機関に支払われる仕組みです。持ち家となれば、住居費は固定資産税と、マンション住まいなら管理費・修繕積立金込みですみます。賃貸に済んでいる人は、家賃の負担があり、その差はとても大きいです」(畠中さん) 「入るお金」から出ていくお金を引けば、「夫がなくなったあとの月々の生活費」の必要額がわかる。 「一家の家計を支えていた夫が亡くなると残された家族の生活は苦しくなります。そんなときに役に立つのが『遺族年金』です」 こう語るのは、社会保険労務士でブレインコンサルティングオフィス代表の北村庄吾氏。遺族年金には遺族基礎年金、遺族厚生年金と寡婦年金などがあり、子どもの有無、死亡時の子どもの年齢などによって受け取り方は変わってくる。 会社に勤めていた夫(50)、妻(48)の夫婦、子どもが小学生2人のケースでは、夫が今の時点で亡くなった場合、妻には国民年金から遺族基礎年金が、厚生年金から遺族厚生年金が支給される。この際、2人の子どもの年齢がポイントになる。 「会社員の場合、お子さんが高校を卒業するまで、遺族基礎年金と遺族厚生年金がダブルでもらえます。ボーナスを含めて年収が550万円というケースで計算してみますと、遺族厚生年金は年間68万600円という試算が出ました。さらに遺族基礎年金77万9,300円がもらえます(’17年度)。ここに子の加算分、22万4,300円を2人分加算するとトータルで年190万8,500円もの遺族年金を受け取ることができます」(北村さん) 妻のパート代をプラスし、住宅ローンが返済されて住宅費がかからなければ、生活の見通しが立つだろう。ただし、子の加算を含む遺族基礎年金が受け取れるのは子どもが高校を卒業するまで。子どもがいなければ、遺族基礎年金そのものがもらえない。 だが、子どもが高校を卒業したあと、妻は遺族厚生年金にプラスして「中高齢寡婦加算」が受け取れる。65歳を過ぎたら、終身「老齢基礎年金」がもらえる。妻が遺族基礎年金を受け取るためには、夫が国民年金に加入して、かつ保険料を納付した期間(免除も含む)が3分の2以上あることなどが条件となっている。 このように会社員の妻であれば、手厚い遺族年金がもらえるが、夫が厚生年金に入っていない自営業者や非正規の立場で働く人は要注意。 「ご主人が自営業の方は遺族厚生年金が支払われません。また、お子さんが高校を卒業してから、寡婦年金を受け取る60歳まで無年金の期間が発生してしまいますので、この期間、家族が安心して生活できる備えが必要になってきます」(北村さん) 前述の「夫が亡くなったらいくら必要?」でお金が足りない人は「定期保険」でカバーしよう。 「定期保険は掛け捨てなので、終身保険に比べて保険料の負担を抑えられるというメリットがあります。夫の死亡保障を確保するために、10年間の保険期間で、死亡保険金を500万円程度に設定すれば、大きな出費が必要なときに役にたつでしょう。50代で加入しても、月3,000円前後の保険料で済みます。そして『月々の生活費』の不足分は、『収入保障保険』で補いましょう」(畠中さん) 「収入保障保険」とは、働き手が亡くなった後、保険金額が毎月の収入のように一定額入ってくる保険。夫が突然亡くなっても、少しの保険料で十分な備えがあれば大丈夫。あわてないで、今からさっそく準備に取りかかろう!
2017年02月23日今クールにそろってドラマ出演中の松山ケンイチ(31)と小雪(40)。作品がともに「日曜21時枠」とあって、異例の“ガチンコ夫婦対決”が話題を呼んでいる。 松山が出演するドラマ「A LIFE~愛しき人~」(TBS系)は平均視聴率13%超えで今期首位を記録。これに対し、小雪が出演するドラマ「大貧乏」(フジテレビ系)は平均視聴率5%台と苦戦。現時点で視聴率対決は夫・松ケンに軍配が上がっているようだ。 そんな夫婦だが、実はドラマ放送時間中に“意外な姿”が目撃されていた。2月19日、2人が現れたのは都内のイタリアンレストランだった。 ここは安倍晋三首相(62)も大のお気に入りと噂の“首相御用達”店。総理も予約を断られることがあるほどの人気で、1人当たりの予算も7千円ほどと少しお高めだという。 「松山さんと小雪さんは6時前からこのお店で飲まれているようでした。外国人男性とその奥さんと思われる方もいっしょで、小雪さん夫妻のお子さんたちのほかにハーフっぽい子どもの姿もありましたね」(居合わせた客) 現在、小雪は3児の母。長男(5)はインターナショナルスクールに通わせており、本誌も通園させる姿をたびたび目撃している。 どうやらこの日は夫・松ケン同伴で、ママ友たちとの休日ディナーへと出かけていたようだ。だがドラマの軍配とは裏腹に、当日は妻・小雪の尻に敷かれる夫・松ケンの姿が。 「小雪さんは友だちと熱心に話し込んでいました。途中から子供たちが飽きて動き回り始めると、松山さんがすかさずフォロー。8時ごろには子どもたちと松山さんが姿を消し、その後に彼だけ戻ってきていました。奥さんが話に集中できるよう、子どもたちを家に送ってあげていたみたいですね」(前出・居合わせた客) 結局、一行がお店を出たのは、ドラマの放送がちょうど終わった夜22時前。2人は笑顔でお店のスタッフに挨拶をすると、そのまま自宅へと戻っていった。 ドラマ放送時間に見せていたガチンコ対決夫婦の外出デート。小雪にとって今いちばん気になるのは視聴率対決の結果より、ママ友たちとの子育てトークなのかもしれない。
2017年02月23日2月20日、比嘉愛未(30)と福士誠治(33)の破局が一斉に報じられた。15年2月に熱愛報道が出た2人。「結婚寸前」といわれる順調な交際ぶりを続けていたが、昨年10月に別れていたのだ。 「スポーツ紙では、“多忙によるすれ違いが原因”と書かれていました」(ワイドショー芸能担当) だが本誌の取材では、“破局理由”はもっと深刻で――。福士の知人がこう話す。 「別れの原因は、2人の仕事量と収入の“格差”です。交際開始後も比嘉さんは主演ドラマやCMがいくつも舞い込み、上り調子。比嘉さんに大きな仕事が決まると彼はそのときは喜んであげるものの、どうしても素直な気持ちで受け止められないことがあったようです」 そして、仕事のすれ違いが、いつしか2人の“将来観”にも齟齬を来たし始めた。 「福士さんは、比嘉さんと『そろそろ結婚を』という思いもありました。でも彼女のほうは『まずは互いに仕事で大成してから』という気持ちが強くて。比嘉さんは“格差”を感じた彼が恋人である自分を“ひがむ姿”を見たくありませんでした。彼を好きだからこそ、このまま付き合っていたら彼をダメにしてしまう。彼にはもっと俳優として成長してほしいし、自分ももっと大きくなりたい。そう思って、別れを告げたそうです」(比嘉の知人) 本当は、2人で行こうと休みのスケジュールを合わせた年末のタイ旅行に、結局、比嘉は女友だちと2人で行った。福士と別れて以来、彼女の酒量も増えているという。 「記憶がなくなるほど飲む夜もあるみたいで……。あるとき飲んでいて、ふと彼女が『私、別れて正解だったのかな……』と漏らしたこともありました。まだ福士さんのことが好きで、忘れられないんでしょうね。その苦しい気持ちをバネにして『こんなこと言ってちゃダメだよね。仕事がんばらなきゃ』って、自分に活を入れていました」(前出・比嘉の知人) いまだに揺れる女心。だが自分が成長することが“彼への恩返し”と、比嘉はいま必死に前を見つめている――。
2017年02月23日「本当にね、50過ぎて恥ずかしい本ですが(苦笑)、ねこ好きの方にめいっぱい共感していただけたらうれしいです」 こう話すのは、念願のねこ本『猫と田中』(太田出版)を出版したばかりの爆笑問題・田中裕二(52)。本のなかでは、タモリから頼まれて飼い主探しを手伝った話や、しょこたんこと中川翔子のねこに「ネギ」という名をつけ、栄養失調から救ったエピソードなど、ねこ好き芸能人の話も多く掲載されている。 そんな田中が、“芸能界ねこコミュニティ”秘話を語ってくれた。 「今はピコ太郎のプロデューサーとして有名な古坂大魔王もねこ好きで、よく僕の家に来てチーちゃん(田中の愛猫)たちと遊んでいました。古坂の愛猫・小魔王との出会いも、僕と一緒に飼い主探しをしている動物病院に行ったときのこと。その小魔王が『おかえり』と人間の言葉を話すんですよ。その動画を2人で見て盛り上がって『これにまたジャスティン・ビーバーが食いついたら、ピコ太郎以上の人気ねこになるんじゃねえの』なんて(笑)」 『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の共演から仲よくなった指原莉乃からは、相談も受けた。 「さしこから飼う前に『飼うならどんなねこがいいですか?』と、飼いたいねこの種類を大量に書いた紙を渡されたんだけど、僕の知らないものもあって。僕は日本ねこ、いわゆる雑種しか飼ったことがないから、『一般的なのは、マンチカンやスコテッシュ。人気だし、飼いやすいのかな。日本ねこもかわいいけどね』と話したくらいですが」 指原のねこは、アドバイスどおりマンチカンになったとか。 「それと、『サンデー・ジャポン』(TBS系)で共演している檀蜜にまんが『猫ピッチャー』(そにしけんじ・中央公論新社)を薦められて、読んでみたらハマっちゃって。今回、『猫漫才師』という共作まんがをそにしけんじさんに描いていただいたんです。ほかにねこトークをするのは、ハライチの岩井(勇気)、ダレノガレ(明美)、大地真央さんなど。大地さんとはそんなにお会いすることはないけど、会えば必ず『ねこちゃん元気?』ってなります。ねこ好きの共感でつながっている感じかな。距離がぐっと近くなったり、その人を信用できたりするんですよね」
2017年02月23日子役の鈴木福くん(12)が22日放送の日本テレビ系『情報ライブミヤネ屋』に出演し、難関中学校に合格した芦田愛菜ちゃん(12)を祝福した。 番組では1日12時間の猛勉強など、愛菜ちゃんのお受験エピソードを紹介した。フジテレビ系ドラマ『マルモのおきて』で共演し、ランドセルのCMでも共演してきた福くん。愛菜ちゃんとの当時の思い出について聞かれると「一緒に宿題とかやっていたけど、字がきれいで本もたくさん読んでいました」と告白した。 また「(本を)月に60冊読んでいると1、2年生のときに言っていました。4年生のときに会ったときも分厚い本を読んでいました」と驚愕のエピソードも。演技についても「セリフ覚えは間違いなくすごいです。NGを全然出さない。僕はかんじゃったりするけれど、愛菜ちゃんは全然かまなかった」と愛菜ちゃんの“猛勉ぶり”を絶賛した。 続けて「ちっちゃいころから夢がすごかった。“薬剤師さんになりたい”“新薬を作る”って1、2年生のときに言っていました」と愛菜ちゃんの夢も。今回の合格については、「合格おめでとうございます。僕も中学で頑張るから愛菜ちゃんも頑張って」と語り、エールを送っていた。
2017年02月22日(C)DEADLINEショウビズ界で目覚ましい活躍をした著名人に贈られるハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの星。ずらりと並ぶ星の中に、トランプ大統領の名も刻まれている。ミス・ユニバース機構の単独出資者として様々なメディア展開を行ったり、リアリティー番組『アプレンティス』へ出演したりと、大統領選出馬前はテレビ業界で大きな存在感を放っていた。 昨年10月、このトランプ氏の星をツルハシで滅多打ちにする男の映像がネット上に流れた。ジェイミー・オーティスという名のこの男は、地面から取り出した星のエンブレムをオークションにかけ、売上金をトランプ氏のセクハラ被害に遭った女性たちのために遣うつもりだと話していた。 オーティスの公判が21日に結審し、器物破損による有罪と3年の執行猶予が言い渡された。弁護人によるとオーティスは不抗争の答弁を行い、損害賠償及び弁護士費用として4,400ドル(約50万円)の支払いと、20日間の社会奉仕活動を受け入れた。
2017年02月22日最近でも何かと主人公の座をかっさらいがちな、戦国武将「織田信長」。歴史に造詣が深くなくても、聖地を巡れば楽しめる!?安土城で織田信長に想いを馳せてみた。 人間は、広い世界のほんの一部で生きている。全てを知ることはできない。世界のどこかには、自分の知らない何かを熱狂的に愛してる人がいる。研究する人がいる。そんな人が集まると、小さなブームになる。誰かの世界を、少しだけ覗いてみちゃおう。それが「うさこの覗いた世界」なのだ…! これはひとりの歴史オンチが歴史を探訪する物語である。 歴史。日本の歴史は世界的に見ても長く、それは調べれば調べるほど奥が深い壮大なストーリーだ。2000年以上に渡ってこれまでたくさんのヒーロー・ヒロインを輩出してきたといっても過言ではないだろう。学生の頃「日本史」の勉強として詰め込んできたものはほとんど忘れてしまったけど、漫画や小説を通じて「人生」として見るとそこには驚くような策略や、運命のいたずら、人の美学や生き様が見られたりする。紀元前の卑弥呼あたりから始まり動乱の幕末に至るまで、誰もが知っている人物も数知れず。興味を持って接すれば楽しいことが待っているのは分かっているのだが、積極的に歴史を摂取できない自分も否めない。 知り合いの歴史大好き女子を見ていると、知らない身からしたらただの「お墓」や「古民家」がとても意味あるもののようで、羨ましく見えることがある。 わたしは…大切な場所を見逃している…!? わたしももっと歴史に親しみたい。先に有名な史跡を巡る「聖地巡礼」することで勝手に思い入れを作れば、大きな歴史の中に身を任せられるのでは…!わたし織田信長で有名な滋賀県安土へと赴いた。 信長といえば、数多くのドラマや映画、ゲームでもひっぱりだこのキーパーソン。とはいえ織田信長に別段思い入れのない人生を歩んできたわたしのイメージといえば、 ・なんかすごく豪快な感じ・順調に天下取りに行ってたのに部下に殺されてしまう・カッカッカと笑う これくらいのもの。最後のなんて何の根拠もない。安土といえば「織田信長の場所!」とは思ったものの、実際どうやってそこで過ごしてきたかは存知あげない。「安土城」もてっきり実在すると思っていた。 しかし今の名は「安土城址」。そう、既に城の姿はなく彼が居城を構えた栄華はとっくに過去のものになっていた。 彼が安土に拠点を移したのは、彼の人生のだいぶ後半43歳の出来事だ。そもそも戦国時代とは各地に「戦国武将」と呼ばれる武将がいて、国を乱立させ天下統一を目指し陣地を取りあう、名の通り戦だらけの時代。 尾張の国(今の愛知県)の武将の家に生まれた信長、なんとびっくり2歳にして城主となり24歳で弟を暗殺している。時代とはいえあまりに重すぎる身の上。身内でさえ信用できないほど周りは敵ばかりだ。子どものころは度重なる奇行で「大うつけ(大ばか者)」なんて呼ばれていたらしいが、それも暗殺されないためにバカを演じていたという説もあるらしい。18歳で父親の死により家を継いでからメキメキ頭角を現した信長、尾張だけでなく美濃(岐阜県)、伊勢(三重県)、近江(滋賀県)を支配するまでに至る。琵琶湖というものを戦略的にも通運的にも大事にした信長は、湖の傍らに安土城を建て、3人の家臣たちに他に3つの城を建てさせた。今、琵琶湖はひとつの湖だがかつては大中の湖に囲まれもっとドでかかったらしい。 その中でも安土城はたいそう豪華絢爛だったそうだ。天守閣の柱は朱塗りで、内部は黒漆塗り、瓦には金箔。 ポルトガル人の宣教師による「こんな壮大な建築見たことない」との言葉が残されている。 しかし住み始めてたった3年で信長は本能寺の変にて命を落とし、また城も追うようにして焼失。そして400年経ち、今は山のような姿でわたしを出迎えてくれた。 (マジで登山) (城から見える景色) 直接今姿かたちを見ることはできなくても、長い歴史の中で、人々が生きてきた痕跡は各地にある。大きな城だけじゃない。 大津にある国宝の「三井寺」にもまた、信長が本陣を置いたこともあったという。そこで生きていた彼らの足跡は、それはまるで家の柱の傷のようにわたしたちの生活のなかに溶け込んでいる。どこかへ行くときに。家の近所に。気に留めなければ見過ごしてしまう、誰かの痕跡をちょっと覗いてみると楽しい発見が増えるかもしれない。
2017年02月22日一連の出家騒動の渦中に、『幸福の科学』が作った“霊言DVD”が話題を呼んでいる。その内容は、大川隆法総裁(60)が清水富美加(22)の所属事務所社長の守護霊を呼び出すという衝撃的なもの。本誌が独自のルートで入手した、その“仰天の中身”とは――。画面に映し出されるのは5人の男性たち。向かって右手に大川総裁と、左手に事務所社長の守護霊を降ろす“チャネラー”と呼ばれる役。2人の奥にインタビュアー役の3人が座っている。 全員で合掌し、チャネラーに事務所社長の守護霊を降霊させる。すると、先ほどまで大人しかったチャネラー男性の態度が一変。急に柄の悪い座り方になり、インタビュアーに悪態をつく。 「お前さぁ、(事務所に)どんだけ被害あるか知ってんの?クライアントからクレームの嵐だよ」 こうして呼び出された社長の守護霊は、序盤から“トンデモ発言”を連発。社長の守護霊は、なんと自分の前世が“吉原の女衒”だったと語り出す。 「(遊郭から逃げようとした女性は)当時は刀があったからバッサリ。病気にかかっても医者にはみせない。使い物にならないから」 ヒートアップした守護霊は、現在の騒動で抱えている怒りをどんどんぶちまけていく――。 「女ならスタジオでフラッシュ浴びて、雑誌に載るのが夢なんだから。それで死んでも自己責任。水着くらい当たり前だろ!それで仕事が嫌って言うなら干してやる」また、清水側は「人肉を食べる役をやらされるのが苦痛だった」と主張しているが、驚くべきことにこのDVDでは社長が人肉を食べるという“設定”なのだ。 守護霊が「肉が好き」だと言うやいなや、――人肉ステーキ?「レアがうまい。血が滴ってるほうが」――男性か女性どちら?「うまいのは女でしょ」 最後に大川総裁が、こう締めくくった。 「1人社長、独裁者。これから神仏の罰が落ちますから、覚悟してください」 闇には光を当てる必要がある、とみんなで合掌し、99分間におよぶDVDは終了。事務所社長本人がこの“霊言DVD”を見たら、一体何を思うのだろうか――。
2017年02月22日《この本も、またすぐ差し止められちゃうかもしれないんですけど、私の持ってる真実、消されたくないので改めて千眼美子として生きていく宣言。「全部。言っちゃうね。」明日、17日、発売》 Twitterにそうつづったのは、清水富美加(22)。幸福の科学への出家騒動から5日、告白本『全部、言っちゃうね。』を出版したのだ。その内容も過激だ。 《役づくりのために飛んでいる虫だって食べた》《悩みの種だった好きな人も忘れましたし、たばこもやめました》《水着の仕事って言ったって、おかずですよね》《「本当に社長のことを殺したい」って思ったりします(笑)なんて言っちゃったり》 さらには自殺未遂を繰り返してきたことも告白。 《16歳の誕生日の日、死のうとして、ガムテープを口と鼻に貼ったんです》《高校2年生の夏頃だったと思う(中略)「自分には何にもできない。もう死のう」ってなってしまって、暴れてカッターで部屋をぐちゃぐちゃにして、腕を切りつけて》 所属事務所は《代理人間で協議を続けているこのタイミングで清水富美加の書籍が出版されたことについては、誠に不可解であると言わざるを得ません》としながらもこう続ける。 《書籍には事実と異なる部分も多々含まれておりますが、弊社といたしましては、契約解除の問題に無関係な部分についての過熱報道が続くことは望んでおりませんので、問題の早期解決のため、書籍の内容についてのコメントは控えさせて頂きます》 教団側はこれまで所属事務所が“奴隷契約”で清水を苦しめてきたと糾弾。ファンからも批判が上がっていた。だがあまりのスピード出版に《早すぎる》《あざといね》など教団側の動きを計画的と指摘する声も浮上している。 著書の元になった清水へのインタビューは、医師立ち合いのもとで11日から複数回にわたって行われたという。幸福の科学の広報はスピード出版についてこう語る。 「幸福の科学ではこうしたスピード出版はめずらしいことではありません。過去には守護霊インタビューの翌日に発売した前例もあります」 初版部数や印税契約については明らかにしなかったが、AMAZONではベストセラー1位を獲得した。 「書籍の発売までには製作期間だけでなく印刷所や取次会社のスケジュール調整なども必要で、通常は最短でも1カ月かかるもの。これほど短期間での出版は、幸福の科学が誇る膨大な会員数と全国ネットワークがなせる業でしょう」(出版関係者) “力ある大人”の世界から逃げようとしたという清水。だが今回の事務所告発本発売は売り切れ店が続出するなど、さらなる巨額ビジネスの様相を呈してきている。
2017年02月22日幸福の科学への出家騒動から5日、2月17日に告白本『全部、言っちゃうね。』を出版した清水富美加(22)。力ある大人の世界”から逃げようとしていたという清水だが、さらなる巨額ビジネスの様相を呈してきている。 さらに、彼女を取り巻く「出家とお金」問題はこれだけではない。 著書で清水も《映画もぶっちぎって、PRもしないとなると、最低でも数億円は違約金の中に含まれてくるんじゃないかって報道でも言ってましたけど、レプロに要求されるお金はおそらく私に来ると思います》とつづっているが、巨額の違約金が発生する可能性があるのだ。その額は“最大10億円”とも言われている。 「彼女は4本の映画に出演予定で、うち3本は公開する方向で話が進みそうです。『泥棒役者』は降板が決定しましたが、これも撮り直し費用の負担で収まりそうだと聞いています。CMは違約金が発生するでしょう。1本は更新時期が迫っていたため、それほど問題は発生しないかもしれません。ただもう1本は残り期間のギャラを日割りで返還し、穴埋めにかかる費用も負担しなくてはなりません。ただ事務所が謝罪を続けたこともあり最悪の結果は避けられそう。合計1千万円程度に収まるのではないでしょうか」(芸能関係者) また今回の出家騒動で波紋を呼んだのが、清水の収入だ。幸福の科学サイドは「1カ月休みなく働いても月給5万円だった」と主張していたが、清水本人は著書の中で《2016年にようやく、月25万円いただけるようになりました。その年から、年収1千万円は確かにいただいていました》と明かしている。 しかし、事務所事情に詳しい別の芸能関係者は彼女の年収についてこう指摘する。 「清水さんは当初共同生活を送っていましたが、これはアパートではなくタワーマンション。家賃も月40万円はくだらないでしょう。セキュリティは万全ですし、寮母さんもいるため食費もタダ。エステ代や洋服など日常生活にかかる費用もすべて事務所が負担していました。そして実際には月25万円より多い額をもらっていたと聞いています。事務所は巨額のボーナスも支払っていたといいますし、年収にして1千500万円はあったようです」
2017年02月22日息子と2人で暮らすようになりまして、早いものでもう3年。そろそろ息子の未来のことばかりじゃなく、自分の将来のことも少し考えなきゃと思いはじめてはいるのですけど、こと恋愛に関してはちょっと億劫、臆病になっているのも事実なのです(笑)。 どうしてあんなに情熱的に生きることが出来たのかなぁ、と過去を振り返るたび、苦笑しています。自分が書いた昔の恋愛小説とか読みますと、きゃー、恥ずかしすぎる!『サヨナライツカ』なんか読み直すと、顔が真っ赤になります。気障なセリフとか性描写とか、どんな顔で私メは執筆していたのでしょうね。人生に酔ってたのかなぁ。 あ、いえ、別に急に老けたわけじゃないですし、もてないわけでもないとは思うのですけど(笑)。その、どうしても、恋愛に二の足を踏むわけです。年齢はそんなに関係ないとは思いますが、しかし、再び愛に向かって走る力が湧かないんですよね。いやだなぁ、こういう話をするのでさえこそばゆい。 でも、恋って力が必要なものです。不倫をして家族を捨てて愛に走る人がいいとは言いませんけど、しかし、そういうことをしたい衝動に駆られる人がいることは理解出来ます。いまだって、子供が気にするからあからさまにフランスマダムたちとは仲良くできないです。ま、少なくとも息子の前ではね。 でも、息子ももう中2ですから、ある意味、大人になりました。本人も初恋を経験中です。そろそろ私メもちょっとくらい恋心を復活させてもいいのかな、と思い始めたわけです。何もこんなところで宣言をすることでもないのですけど……。 やはり今後のために。長く生きていくのに一人じゃ寂しいですしね。息子が巣立った後、不意に一人になるわけでしょ?その年からの恋愛って、ちょっとハードル高いですものね?年上の女性とかいいかもしれないですね。何もかも悟りきった人とか、手も握ることのない交際なんて、ステキじゃないでしょうか?あれ?奥様、何を笑ってらっしゃるんですか?お相手は瀬戸内寂聴先生じゃありませんよ。 さて、今日は簡単で美味しいフランス料理を一緒に作りましょう。ノルマンディ風ポークステーキです。 材料2人分:豚のフィレ肉300g、りんご1と1/2個、生クリーム100g、バター20g、オリーブオイル少々、シードル100cc、片栗粉小さじ1/2、塩・こしょう適量。シードルはりんご酒です。日本のメーカーからも出ていますので、どこでも買えます。 2~3㎝程度、厚めにカットした豚フィレ肉をフライパンにバターを溶かし、少しオリーブオイルも加え、中火でじっくりと焼きます(火を入れすぎると硬くなるので注意です)。両面に塩・こしょうしながら、5?6分くらいでしょうか。こんがり美味しい焼き色がつくようにひっくり返し炒めたら、お皿に取り出しておきます。続いて、そのフライパンをそのまま使いまして、皮をむき6等分したりんごを10分ほど炒め、こんがり火が通ったらやはり取り出し、お肉の横に。さて、ボウルに生クリームを入れ、片栗粉とお塩をひとつまみ、泡だて器でかき混ぜます。固まってきたら、先のフライパンに入れ混ぜます。弱火です。そしてここで、シードルの登場です。どばどばっと入れて、さらに混ぜます。数分で濃厚なシードルクリームソースが出来上がりますよ。お皿にお肉とりんごを並べ、上からこのシードルソースをかけたら、はい、完成!!! これは美味しい幸せの味です。ノルマンディ地方の寒い場所で食べるとっても心あたたまるお母さんの味です。フランスのマモンたちの定番料理、ぜひ、日本のママさんたちも真似してみてください。一家の幸せはキッチンからです!! ボナペティ!
2017年02月21日カート・コバーンと娘のフランシス・ビーン・コバーン写真: Rex Features/AFLO 2月20日はニルヴァーナの故カート・コバーンの誕生日。一人娘のフランシス・ビーン・コバーンが、亡き父へ宛てた手書きのメッセージをSNSに投稿した。 「今日は50回目の誕生日になるはずだったね。あなたは愛され、恋しがられている。私に命の贈り物をありがとう。永遠にあなたの娘、フランシス・ビーン・コバーン」 カート・コバーンは1967年2月20日にワシントン州アバディーンで生まれた。1987年にニルヴァーナを結成、91年に先行シングル「Smells Like Teen Spirit」とアルバム「Nevermind」のヒットでオルタナティヴ・ロックの一大ムーブメントを巻き起こした。メジャーシーンを牽引していく立場となり、全世界の若者から熱狂的な支持を集める一方で、カートのドラッグとアルコールへの依存が加速。1994年の4月5日に27歳で命を絶った。 死の1カ月前、カートはドラッグとアルコールの過剰摂取で病院へ運ばれ、リハビリ施設に入所。退院のわずか数日後に頭をショットガンで打ち抜いた。発見されたとき、彼の手首には施設のリストバンドが巻かれたままだった。 その当時、フランシスはわずか2歳。遺書には、妻であるコートニー・ラヴに「フランシスを頼む。俺がいなくなれば、あの子の人生はずっとよくなる」とあった。
2017年02月21日〈私が死にたいと言い始めたのは7年くらい前、ちょうど芸能生活を始めて、水着のお仕事をするようになった15歳の頃でした〉17日に千眼美子名義で出版した『全部、言っちゃうね。本名・清水富美加、今日、出家しまする。』(幸福の科学出版)で、清水富美加(22)は衝撃の事実を明かした。水着の仕事に嫌気がさした彼女は〈16歳の誕生日の日、死のうとして、ガムテープを口と鼻に貼った〉(同書より、以下引用部分同)。 しかも自殺未遂は一度だけではない。 〈(高2の夏頃)「自分はなんにもできない。もう死のう」ってなってしまって、暴れてカッターで部屋をぐちゃぐちゃにして、腕を切りつけて〉 仕事関係者にとっても、ファンにとっても、あまりに唐突だった清水の出家。だが、〈幸福の科学の信仰は物心ついた時から〉だった。高校1年時に両親は離婚。自殺未遂があったのはこのころだ。離婚後は父と暮らしていたという。 「お父さんはIT系の会社を経営していました。あまり儲かっている様子はありませんでしたが、自宅に2m近い大きさの祭壇がありました。100万円のお布施をしないと得られないものだそうです」(清水の父の知人) 信仰心の強い父のほかに、清水に大きな影響を与えた男性がいる。相談相手だった幸福の科学のA氏だ。出家したいという思いを最初に打ち明けたのが彼だった。するとA氏は出家とはどういうものか清水に説明した。 〈それを聞いて、決意が固まりました。「それでもいいです。出家させてください。清水富美加として得たものはすべて、ここに捨てていきます。これからは、神のために生きたいです」〉 清水はA氏のすすめに従い、仕事を病欠する。その後の経緯はすでに報じられたとおりだ。このA氏とは何者か。幸福の科学の現役信者はこう語る。 「大川隆法総裁のご長男が代表を務める芸能事務所の、幹部だと聞いています。30代後半のイケメンで、既婚者。大川総裁の元秘書で、幸福の科学の芸能部門の責任者です」 幸福の科学広報局は、「Aさんは(清水の)知り合いの信者ですが、氏名は公表しておりません」との回答だった。夢を膨らませる清水をよそに。所属事務所のレプロエンタテインメントは、このタイミングでの出版は不可解、と不快感を示している。(週刊FLASH 2017年3月7日号)
2017年02月21日韓国の6人組人気男性アイドルグループ・U-KISSのメインボーカル、フンが“HOON(from U-KISS)”として2月15日にシングル『雪桜』をリリースし、ファン待望のソロデビューを果たした。U-KISSではこれまでにスヒョン、ケビンが日本でソロデビューをしており、フンはソロ企画第3弾。’11年3月にU-KISSに加入する前は、ソロ歌手として活動した経験を持っているフン。2月21日発売の『女性自身』では最新撮り下ろしを掲載中! K☆STAR LOVERSでは本誌に載せきれなかったインタビューをお届けします。 ――『雪桜』で改めてソロデビューをしましたが、ソロが決まったときの心境は? めっちゃ不安でした。U-KISSに加入する前にソロ歌手で活動したときは、色んなことがあって、大失敗だったんです。だから、もう一度ソロ活動をするのはすごく不安で、怖かったですね。でも、メンバーや周囲の人がたくさん応援してくれて、チャレンジしてみることにしました。 ――先にソロデビューしたスヒョンさんとケビンさんを見ながら、いつかは自分も……!とは思っていましたか? 思ってはいました(笑)。でも、3人目が僕だとは思っていなくて、きっと次はキソプさんやイライさんじゃないかなと想像していました。以前、ある番組の夢を発表するコーナーで、「ソロやりたいです」と書いたことがあるので、夢が叶ったということになりますね。ファンの皆さんがその時の画像を送ってくれて、少し恥ずかしいです(照)。 ――ソロに向けてメンバーから何かメッセージはありましたか? 日本で先にデビューしたスヒョンさんとケビンさんにアドバイスを求めたら、「フンはU-KISSに入る前にもソロやってたじゃん!」と逆にプレッシャーをかけられました(笑)。でも、僕が真剣に聞いたら、「ひとりでステージの上に立つときは、うまくトークをすることが大事だよ」と教えてくれました。U-KISSでいるときは、僕がいっぱい話しても次にほかのメンバーがトークを繋いでくれるけど、ソロでは僕だけで会場の空気を繋いでいかないといけない。U-KISSを見に来てくれるファンの方は、歌だけでなくトークも楽しみにしてくれているからMCが大切なんだとアドバイスしてくれました。 ――今回のソロシングルで表現したいことはなんですか? 僕には、切ないバラードを歌うイメージがあると思いますし、それが魅力だと思うので、ファンの皆さんに僕の一番の魅力を見せたいと思ってソロシングルを用意しました。写真のなかの表情や曲の内容、メロディーにもすごく気を遣ったので、たくさん聴いてほしいです。 ――『雪桜』のように、フンさん自身を漢字で表現するなら? まずは「強い」が合うと思います。これまで活動してきた自分を振り返ると、どんなことがあっても諦めないで、例えできなくてもチャレンジする性格なので。あとは、僕はファンの皆さんを「守る」という意味を込めて! ――’11年3月にU-KISSへ加入。大きなターニングポイントになったと思いますが、加入することになったきっかけは? ソロ歌手を辞めた後、俳優を目指して色々なオーディションを受けていた時、ドラマ『IRIS-アイリス-』にエキストラとして出ることになりました。その撮影現場で、今の事務所の社長と出会って「これからオーディションを受けてみないか?」と声をかけられたんです。当時は、歌手をきっぱり辞めて演技に専念しようと思っていたので、“俳優としてのオーディションかな”と思っていました。撮影が終わってすぐに社長と事務所に行ったら、練習室にU-KISSのメンバー全員がいて、“あれ、なんかおかしいぞ……これは俳優じゃないな”と(笑)。社長に「メンバーの前で一曲歌ってみて」と言われて、ソロ歌手のときにリリースした曲を披露しました。メンバーは僕が歌手だったのを知らなかったみたいで、「お、歌うまいじゃん」といった表情をしていましたね。でも、僕は踊ったことがないし、歌手も一度挫折して、深く傷ついていたので「やりたくないです」と断ったのですが、熱心に説得されて加入を決意しました。 ――オーディションでメンバーとはじめて会ったときの第一印象は? あんまりよくなかったですね(笑)。U-KISSが有名になってきた時期だったので、目の前にメンバーがいるのがすごく不思議でした。皆は“あいつ誰?”という感じで。ちょ~っと怖かったですね(笑)。今は、6年間一緒に活動してきて、みんな愉快で、優しい最高の仲間だと思います。 ――いざ、U-KISSのメンバーになってみて苦労したことは? やっぱりダンスです。加入して3カ月間くらいはずっとダンスの練習をしていました。当時は7人組だったので、6人の後ろに隠れるポジションで踊っていました。そのうち僕のパートが増えていくと前に立つ時間も増えていって(苦笑)。ダンスができない自分を見るのは嫌でしたが、それをバネに練習を重ねたら少しずつ踊れるようになりました。今はひとりでダンスを披露することもできるし、すごく楽になって幸せな気持ちです。 ――フンさんが加入して以降、どんどんU-KISSのダンスが激しくなっていった印象があったので、ダンスが苦手だとは思いませんでした。 自分自身では“自分のダンスがすごく変だな”、“何か違うな”と思っていましたよ(笑)。メンバーの皆が本当に全員でダンスを教えてくれて、僕が1回でも間違ったら、全員が指摘して教えてくれました。加入した僕をすごく気にしてくれて優しく接してくれたから、こうして踊れるようになったと思います。 ――’14年に末っ子のジュンさんが加入しました。途中から合流した仲間としてジュンさんをどう見ていますか? ジュンさんはすごいです。メンバーと打ち解けるのも早かったですね。僕は、途中から加入してすごくつらかったんです。ファンの皆さんに認められるのにも長い時間がかかりました。だから、ジュンさんが加入した頃は、2人でいるときにわざと厳しく接するようにしました。わざと、ジュンさんが傷つくくらいアドバイスをしたり。なぜかと言うと、同じ“加入メンバー”の僕から怒られることがジュンさんにとって一番切なくて、悲しいことだろうと思ったから。最初にそのつらさを知っていると、色々な困難があっても、折れない心を持ってくれるんじゃないかなって考えたんです。ジュンさんには負けないで活動してほしくて、わざと厳しく当たりました。今では、僕の気持ちを受けとめて頑張ってくれるジュンさんを認めているし、お互いに冗談を言える仲です(笑)。 ――ジュンさんには具体的にどんなアドバイスをしたのですか? ジュンさんは、最年長のスヒョンさんと8歳くらい年の差があって、すごく若いので、礼儀やマナーのことをよく教えました。あとはファンの皆さんは優しいから、ジュンさんを熱く歓迎してくれて、応援してくれるだろうけど、それを感じても調子に乗ってはいけないよ、と。まだデビューしたばかりだから謙虚な姿勢を忘れずに、努力してほしいとよく言いましたね。そのとおり、ジュンさんはステージの上でも礼儀正しいですし、マナーがいいとファンの皆さんに認めてもらっています。 ――フンさんはドラマ『キレイな男』、『我が家のはちみつの壺』や、ミュージカル『宮』などで演技を披露されていますが、フンさんにとって俳優業とは? 僕がやりたかった、叶えたかった夢ですね。最初、歌手でスタートして、俳優を目指して、そしてまたU-KISSで歌手になりました。U-KISSになってから改めて演技をしてみたら、やっぱり諦めたくない夢だな、と感じました。これからも機会があれば絶対に続けていきたいと思っています。歌手もずっとやりたいけど、年をとったら踊れなくなるでしょう?だから、その時は歌だけやりながら、演技をいっぱいしたいと思います(笑)。 ――実際、ドラマの撮影現場で学んだことはありますか? 演技が歌手活動にもいい影響を与えてくれます。僕が歌いながら一番大切にしているのは、歌詞の世界観を完璧に表現する表現力。演技ってメロディーがないから自分が持っている表現力で演じなければいけませんし、僕じゃない他の人の人生を経験することになります。その経験を歌にも込めたら、以前よりも表現しやすくなりました。 ――今度はグループについてお聞きします。U-KISSで母親的存在であるフンさんから見ていちばん手がかかるメンバーは? スヒョンさんです。韓国でスヒョンさんと3年くらい一緒に暮らしたことがあるんですけど、手がいっぱいかかりました(笑)。僕は一人暮らしをしていたのですが、スヒョンさんと一緒にいるのが楽しくて、「泊まっていきなよ」とスヒョンさんを家に泊めたのがきっかけで、徐々にその回数が増えていったんです。それで、ほとんど毎日スヒョンさんが家にいるようになりました。僕はスヒョンさんに「一緒に住もう」とは言ってないんですけど……(笑)。なんか自然にそのまま3年間暮らしました(笑)。スヒョンさんは掃除が苦手で、すぐ散らかしちゃう。あと疲れているとメークを落とさないで寝ちゃうんですよ。理解はするけど、肌に悪いから直してほしいですね。メークしたまま寝るのにスヒョンさんはU-KISSのなかでいちばん肌がきれいなんですよ。なぜだろう?(笑) ――ソロになったからこそ感じるグループの良さは? まだ日本語力が足りないので、MC中に突然、頭から言いたいことが飛んじゃう時があるんです。ファンの皆さんは僕の話を待っているのに、言葉を思い出せなくて……。そんなときメンバーがいると助けてくれるけど、ソロだと1人でやりきらないといけない。そんなときに寂しくなるし、メンバーが恋しくなります。連絡は毎日していて、メンバーからのメッセージがエネルギーになります。 ――メンバーがいない今だから伝えたい言葉は? 本当にそうかは分からないけど、僕を心から信頼してくれているのを感じるんです。僕が今回のプロモーションのために日本に行く前から、何も言っていなくてもメンバーが「そろそろフンのソロ活動が始まるから応援しよう!」と盛り上げてくれて、すごく幸せでした。いつか僕も、メンバーが何かをするときは役に立ちたいです。 ――では、最後に読者へメッセージをお願いします。 K☆STAR LOVERSの読者の皆さん、U-KISSとしてではなく、HOONとしてシングルを出すことになりました。めっちゃ緊張しますけど、僕自身の魅力をちゃんと伝えたいので全力で頑張っていきたいと思います。応援してください! 【インフォメーション】HOON(from U-KISS)ソロデビューシングル『雪桜』発売中!公式サイト:
2017年02月21日昨年12月30日、約2年間の軍服務を終え、早くもアジア8都市をめぐるコンサートツアーをスタートさせたJYJのキム・ジェジュン(31)。2月7日から3日間にわたって開催された横浜公演後に、兵役中から復帰ステージへかけた思いを聞かせてくれました。女性自身だけに語ったジェジュンの言葉を全文掲載します! ――アジアツアーの日本公演が始まりました。横浜アリーナ公演の感想を聞かせてください。 本当に久しぶりの日本でのライブでしたから、みんなに会えてとてもうれしかったし、楽しかったです。「戻ってきたぞ!」という感じでした。でも、正直、まだ変な感覚というか。軍隊から戻っても、まだこの生活に慣れてないんですね(笑)。 ――客席から、たくさん「おかえり!」って掛け声がありましたね。 ですねえ。大勢の人が「おかえり!」と言ってくださったときは、「ただいま!」って気持ちでした。 ――自分が戻ってくる場所はやっぱりここだと、いう気持ちになりましたか? はい、そうです。日本は僕の第二の母国でもありますから、早くみなさんのもとに戻りたいと願い続けていました。兵役中は、それがかなわなくて辛く感じることも少なくなかったので、みんなの顔を見たとき、「やっとこの場所に来られた!」と心から感謝しました。 ――MCのとき、「めちゃめちゃ緊張する!」と言ってましたね。 めっちゃ緊張しましたよ(笑)。最後まで緊張していたと思います。 ――心がまだ軍人だからですか? そうそう(笑)。まだ、軍人精神が残っているので。でも、仕事をやるほど慣れてきましたね。 ――除隊して1ヶ月にたちました。その間は、どのように過ごしていましたか? 12月30日に除隊して、翌日から仕事だったんです。いきなり生活が変わった戸惑いもありましたが、自分自身、必死に頑張ったと思いますし、自分のなかで、そういう忙しさを早く感じたいという思いもありました。オーストラリアでの雑誌のグラビアの撮影も楽しかったですし、これからは、自由にいろいろなことがやれるんだなという期待がふくらみました。たくさん素敵な写真を撮っていただいたので期待してください。 ――軍での生活を通して、自分自身、どのようなところが成長したと思いますか? いろいろな人と出会って、いろんな話を聞きました。これまで、自分のことは自分がいちばん理解していると思っていましたが、じつはそうでない部分もあって。さまざまな世界観を持つ人から直接話を聞いて、学ぶことって、とても勉強になるなあと思いました。幹部には僕より年上の人もいましたが、仲間はほとんどが年下で。若者たちが思っていることや考えていることを知ることができたのもよかったですね。若いときだからこそのいいやる気ってあるじゃないですか。彼らを見ていると、若いときにはあった純粋さや向上心が、今の自分には足りないと反省することもできました。軍隊でそれを取り戻したような気分です。 ――見た目も、内面も、変わらないような努力をしていたんですね。 年を取らないように努力しました(笑)。もちろん、内面の深い部分で成長したところはあると思います。でも、これから再活動する僕には、若いときの純粋さを戻して、ひたむきに頑張る姿をお見せすることを優先させたほうがいいのかな、と。 ――また、軍では、本をたくさん読んでいたそうですね。おもに、どんな内容の本をおもに読んでいたんですか? 自分自身をより一層高めて、成長させるような本です。1年9ヶ月のあいだに140冊は読みました。 ――ライブではひとりで19曲歌いました。久しぶりに歌うと何か違いましたか? 僕の曲って、全般的にキーが高いので、正直、大変なんです。バラードからポップス、R&B、そしてロックまでジャンルの幅も広いので、曲によって声の使い方が違います。喉への負担も大きい。そのうえ、トークコーナーでしゃべらなきゃいけないじゃないですか。トークが短いとみんな寂しがるし、僕もできる限りたくさん話したいし。じつは、3時間のライブのなかで一番喉が痛いのは、歌うときよりも話すときなんですよ。僕のコンサートは、ライブとファンミーティングの両方の楽しさを味わってほしいので、歌をしっかりと聴かせるのはもちろん、みなさんとの交流の時間も大切にしたいんです。 ――「ジェジュンさんだぞ!」とか、「しもしも」とか、日本の人気芸人さんのギャグも見せてくれましたね。 日本の友達が「やるとウケるよ」って教えてくれたんです。やっぱり、反応が良かったですね。 ――ライブの最後に『守ってあげる』をファンと合唱しました。心のキャッチボールはできましたか? 僕自身、歌っていてとても楽しいし、ファンのみなさんの歌を聴くのも好きですね。韓国語では「音がおいしい」と言うのかなあ。ステージで聴いていると、言葉にできないくらい気持ちいいんです。みんなが気持ちを込めて歌ってくれているというのもあるし、歌詞の意味がとてもいい。じつはこの歌、昔、15分くらいで歌詞を書きあげたんですよ。素直な気持ちを込めて書いたので、早く書けたのだと思いますが、歌う人、聴く人、互いの力になる歌です。今回の公演では、入隊前に歌ったときと全く違う気持ちで歌いましたし、みなさんの歌を聴いていました。 ――これから、しばらくソロで活動されていくことになると思いますが、アーティストとして、どのような姿を見せていきたいですか? 4月にはツアーが終わって、そのあとは、俳優としての姿も見せなきゃいけないと思っています。今、複数の作品のお話をいただいていて、いろいろ考えているところです。もちろん、アーティストとしても日本で活動ができるように頑張っていますが、なかなか難しいですね。――以前、コメディーも演ってみたいとお話されていたと思いますが、チャレンジしてみたいジャンルやキャラクターはありますか? 今まで演じてきたキャラクターは、重い感じのものが多かったので少しコメディーっぽいものもやってみたいですね。爽やかで、明るくて、優しいキャラクターとか。 ――1月26日に(日本の年齢で)31歳になりました。どんな30代にしたいですか? 今は自由の身ですから、何もかも、すべてできそうな気分なんです。いい作品にも出たいですし、また、時間があれば、新しいアルバムを作りたい。このツアーで歌っている楽曲も、軍隊にいる間に出したものじゃないですか。ライブでもみんなが「日本語のアルバムを出して」って言っていたので、ぜひ、かなえたいですね。 ――ライブでは、裸にジャケットを羽織って見事な胸筋を見せていましたが。 見事じゃないですよ(笑)。除隊してからまったく鍛えていなくて、軍隊時代に比べて、体重が14キロ減りました。今はほぼ2年前と変わらず、ただ痩せているだけで。軍人のときは、体重が80キロ近くまであって、その90%くらいは筋肉だったんですよ。鍛えていないので、筋肉が減って痩せてしまいました。 ――デビューして13年。これからの意気込みをお願いします。 とにかく、新人のような気持ちでこれからの30代も走っていきたいです!
2017年02月21日2月13日、東京・目黒区の碑文谷会館の葬儀会場には、悲しみに暮れるタモリ(71)の姿があった。トレードマークであるサングラスの奥に光るものをたたえながら、じっと無言で祭壇の前に立ち尽くす。その視線の先には、「タモリカップ」のロゴ入りの帽子をかぶった男性の笑顔の遺影が。金井尚史さん(享年56)。数多の人気番組に出演してきたタモリがもっとも信頼を寄せていたテレビマンが、この金井さんだった。 「タモリさんとは90年代にラジオ番組『タモリの週刊ダイナマイク』で仕事をしたのが親しくなったきっかけだったと聞いています」(芸能関係者) タモリと金井さんは、瞬く間に意気投合。2人の親密ぶりを、ニッポン放送関係者が明かす。 「金井さんは、相手の懐に入るのが早くてうまい。タモリさんと番組を始めたときもそう。タモリさんがヨットが好きだと聞くと、あっという間に1級船舶免許を取って周囲を驚かせた。以降、公私に渡って親しい付き合いを続けていました。毎年お正月はタモリさん宅で過ごしていましたし、『笑っていいとも!』が終わった直後のタモリ夫妻のヨーロッパ旅行にも、彼は同行していました」 タモリの夢の実現に一役買ったのも、金井さんだった。前出の芸能関係者は語る。 「タモリさんは昔から『ヨットレース=お金持ちのスポーツというイメージをなんとか払拭したい』と話してました。参加費を下げて、誰でも気軽に楽しめる、そんなヨットレースをやりたいというのがタモリさんの夢でした。ですが、いくら著名なタモリさんでも、ヨットレースを主催するのは難しいだろう、というのが大方の関係者の意見でした」 これまで、いくつもの難しい番組企画を成立させてきた金井さんは、その高い交渉能力、プロデューサーとしての手腕を、タモリのためにいかんなく発揮した。参加費を抑えるために、たくさんの企業に協賛を求めて回った。 「そうして09年、『日本一楽しいヨットレース』を謳い文句にスタートしたのが『タモリカップ』です。大会プロデューサーとして毎年開催を続けながら規模を拡大させて、昨年には237艇が参加する日本一のヨットレースにしたんです」(ヨット関係者) タモリカップをここまで大きく育ててきた2人。その絆はいつしか揺るぎないものとなっていた。しかしタモリにとってかけがえのない存在である金井さんに、病魔が襲い掛かる。15年5月、検診を受けた金井さんの体にがんが発見されたのだ。金井さんの友人が語る。 「肝臓がんでした。精密検査の結果から、医師は『余命3年』と告げたそうです。金井は人一倍明るい性格なので『まいったよ~』と笑顔で僕らには話してましたけど……」 医師からの余命宣告に、本人以上にショックを受けたのがタモリだった。 「彼の病状を聞いたタモリさんは、ひどく驚いていたようです。そして金井に向かって突然、『おれ、引退するから。ヨットで世界一周しよう』と言ったんです」(金井さんの友人) 複数のレギュラー番組を抱え、芸能界で不動の地位を築いたタモリ。だが、それらすべてを投げ捨ててまで、タモリは金井さんに生きるための希望を与えたかったのだ。しかし、金井さんの病状は予想以上に早く悪化していった。 1月末、家族以外面会謝絶だったがタモリだけは面会を認められた。やがて金井さんは意識を失う。ベッドサイドから見守っていたタモリはこんな提案を。タモリはジャズ好きなことで有名だが、金井さんもサックスが趣味だった。好きな音楽を聞いたらもしかして――。 「音は聞こえているかもしれない。耳元で音楽を流してあげたらいいんじゃないかな」 しかし今月9日、午前2時4分。タモリの願いもかなわず、金井さんはついに帰らぬ人となった。冒頭で紹介した葬儀会場でのこと。身じろぎもせずに金井さんの遺影を見つめ続けたタモリは、出棺直前、真っ先に棺に歩み寄った。 「タモリさんがとくに弔辞を述べることはありませんでした。でもこのとき、棺の中には2人が育てたタモリカップのパンフレットも収められていました。そのパンフレットに目を落としながら、タモリさんは故人の顔の横にそっと花を置いたんです」(前出・芸能関係者)
2017年02月21日2月17日、告白本『全部、言っちゃうね。』を出版した清水富美加(22)。幸福の科学への出家騒動から5日、初版部数や印税契約については明らかにしなかったが、AMAZONではベストセラー1位を獲得。“力ある大人”の世界から逃げようとしたという清水だが、今告発本は売り切れ店が続出するなど、さらなる巨額ビジネスの様相を呈してきている。 そして出家騒動に伴い浮上してきたのが、清水の両親の話だ。両親はともに幸福の科学信者だが、5年前に離婚。清水はネット関連会社を営む父に引き取られたという。だがその後、父は自己破産。5千万円ともいわれる父の借金を幸福の科学が肩代わりしたのではないかと伝えられたが、教団はこれを強く否定している。 その真相は――。 清水が離婚後に父親と住みはめた東京郊外にある実家は古い木造一軒家。記者は現場を訪れたが、人の気配はなかった。近隣住民はこう語る。 「5年ほど前に引っ越してきましたが、近所付き合いはありませんでした。娘さんがたまに顔を見せに来ていたのを覚えていますね」 父親が経営していた会社は、確かに破産していた。そして娘の告白本出版と同じ2月17日、東京地裁で債権者に向けた財産状況報告集会が行われていたのだ。 こうした報告会は、大きな待合室で流れ作業のように行われるのが通常だという。だがこの日、清水の父親の集会だけがわざわざ個室で開かれた。娘の騒動の余波をかなり警戒していたようで、現場では訪れた債権者からこんな怒号が飛ぶ一幕も。 「おいっ!どこに委任状が必要なんて書いてあるんだよ。いつもは普通に入れるだろう。失礼だろうが!」 どうやら父の借金トラブルは今も続いていたようだ。 結局、報告会はものの数分で終了。債権者たちがエレベーターに乗り込もうとしたそのとき、足早に移動する60代と思しき男性が。ガッチリとした体格でベージュのチェック柄のスーツ姿の彼こそ、清水の父親だった。父は弁護士と職員4人に囲まれながら職員専用ドアへ。そして記者が質問する隙も与えず、中へと入っていった。 出家騒動の陰で次々と浮上するお金の問題。その波から清水はまだ逃れられそうもない。
2017年02月21日「田中さんが、娘さんと一緒に歩いている姿をよく見かけます。どんなにお仕事が忙しくても娘さんの送り迎えを欠かさない育児熱心なパパで、近所では有名ですよ」(近所に住む主婦) 2月中旬の、この季節には珍しく春めいた日。都内のとある一軒家から、高級外車が出てきた。運転しているのはフジテレビアナウンサーの田中大貴(36)。助手席には、昨年4月から都内の名門私立小学校に通う長女の姿が。 「学校へ行く前、たまに娘さんを連れて早朝ドライブを楽しんでいるみたいです」 早朝ドライブから自宅に戻り、今度は長女と手をつないで家から出て来た田中。そして長女を小学校へ送り届けた後、そのまま仕事へ。 近所では“イクメン”として評判だというが、いまだかつて彼の私生活はほとんど報じられたことがない。 「田中アナに、小学生の子供がいたんですか!彼はプライベートなことを一切しゃべらないので知りませんでした」(スポーツ紙記者) 田中といえば、ニュース番組『ユアタイム』で活躍中。『とくダネ!』時代から主婦を中心に人気のイケメンアナだ。 「もともと彼は慶応野球部で、ホームラン王を獲ったこともあるスポーツマンです。慶応の先輩である巨人の高橋由伸監督(41)とは特に仲が良く、その関係で選手たちとの飲み会にも参加するほど。そんな人柄が愛され、彼ならばとインタビューに応じる大物野球選手たちも多いのだとか」(芸能リポーターの城下尊之氏) 彼がキャスターを務める『ユアタイム』は、放送終了が午前1時を回ることも。 「深夜に帰宅された翌朝も、早くから娘さんとジョギングされていました。睡眠時間を削ってでも、娘さんとの時間を大切にされているのでしょう」(前出・近所の主婦) 09年、彼は1歳年上の一般女性(37)と結婚している。 「奥さんは、かつて読者モデルをしていたこともあり、とっても綺麗な女性。結婚前から料理教室に通い、多忙な夫に尽くしているそうです」(前出・城下リポーター) 絵に描いたような幸せな家庭があるにもかかわらず、なぜ彼は妻子の存在を“ひた隠し”ているのか。 「じつは、田中さんよりも奥さんのほうが公表したがらないんだそうです。というのも、女性だけでなく、男性アナウンサーもいまや人気商売。『自分がしゃしゃり出て、夫の人気を落としてはいけない』という思いが、奥さんにはあるのではないでしょうか。結婚後、奥さんがスタジオ見学にいらしたことがありました。笑顔でスタッフに挨拶し、一歩下がったところが印象的でしたね」(テレビ局関係者) 糟糠妻に支えられ、公私ともに順風満帆な田中。彼の“知られざる素顔”は、幸せで満ち溢れていた――。
2017年02月21日「ピース綾部祐二が単身渡米しハリウッド俳優を目指す」 どこから突っ込んでいいのかわからない見出しに多くの人が戸惑い、「馬鹿じゃねーの?」と思ったことでしょう。ピースの作家じゃないほう、綾部祐二さん(39)が渡米宣言してから数カ月。状況は思わしくないようで、「大統領選などの影響でビザが下りない」と愚痴をこぼし「話題作りだ」と批判を浴びています。 このニュースを聞いたとき「この人、俳優だっけ?」と思った人は多いことでしょう。実際彼のプロフィールとしては“熟女好き芸人”“元祖イケメン芸人”というイメージの後、やっと“俳優”にたどり着けるくらいです。 芸人から俳優まで幅広く活躍する人として、藤井隆さん(44)やココリコの田中直樹さん(45)などがいらっしゃいます。ただ彼らと比べると、綾部さんは芸人感が強い。だからこそ彼の単身渡米、それも俳優としてのチャレンジには“日本一有名な文学賞をとった相方への焦り”しか感じないのかもしれません。 しかし私たちは彼の無謀なチャレンジを笑い、馬鹿にする資格はありません。なぜなら綾部さんが感じる焦りや不安は多くの男性が経験するもので、その決断は諦めてしまうものだからです。 かの有名な作家、村上春樹さんは「30歳成人説」を唱えています。30歳成人説とは「人生で本当にやりたいことは簡単に見つからない。だから20代はいろいろ経験し、30歳以降に人生の進路を決めればいい」というものです。 そうして30歳からやりたいことを見つけられたとして、次にぶつかるのが40歳前後で訪れる「ミッドライフ・クライシス」という“中年の危機”です。簡単にいうと、老いを前にして人生の後悔や迷いが生まれるということ。このころ、キャリアや男としての能力に自信をなくす男性が実は多いようです。 綾部さんは現在、39歳です。芸人としてブレークしたのが2010年で、30歳くらいでやりたいことを発見。そして今、まさに中年危機の真っただなかというわけです。そんな世代にさしかかり多くの人が諦めてしまうなか、彼はアメリカ行きを決断し飛び立とうとしている。無謀とはいえ、私たちは本当にこれを「馬鹿」と笑ってしまってもいいのでしょうか? ちなみに世界的経済誌「Forbes」によると、世界的企業トップのもっとも一般的な起業年齢は30代後半~40歳ごろだといいます。HONDAの本田宗一郎氏の起業は39歳。KFCのカーネル・サンダースさんの飲食業進出は40歳など、中年危機から一念発起して成功した人も少なくないのです。30歳成人説を唱えた村上春樹氏だって30代後半からヨーロッパを転々とする生活スタイルに変え、大ヒット小説『ノルウェイの森』を発表しています。 綾部さんがアメリカで成功するかはわかりません。「英語くらい勉強して行けよ」と思うものの、焦る気持ちと向き合うためまず飛び立つという決断には大きくエールを送りたいものです。ただし「ハリウッド熟女もゲットします!」くらいの笑いは欲しかったけど……。 新生・綾部祐二のレッドカーペット姿が見られるのか、今から楽しみでなりません。
2017年02月21日第113飯「タルティフレット」■材料じゃがいも中4個(400g)玉ねぎ小1個(250g)ベーコン100g(塊から7~8mmの棒状に切ったもの)バター10g白ワイン大さじ1塩胡椒ピザ用ミックスチーズ150g※サヴォワ地方の郷土料理タルティフィレットは、実際にはロブロションチーズを使用します。 ■作り方①じゃがいもを5mmの半月に切り、柔らかくなるまで水から茹でる。 ②スライスした玉ねぎをしんなりするまでバターで炒める。 ③②に切ったベーコンを加え炒め、白ワインを入れて塩、胡椒をする。 ④グラタン皿にじゃがいもの半量、玉ねぎとベーコンの半量とチーズの半量を重ね、残りも同じように重ねる。 ⑤200度のオーブンで20~30分こんがりと焦げ目が付くまで焼く。
2017年02月21日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が20日、自身のブログを更新し、妻で乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)を含む家族4人で外食に出かけることを明かし、喜びを綴った。 『すごく嬉しい』というタイトルで投稿された記事では、「ブランコで遊んで腹減ったから飯カネどこいこかな、、みんなで話してます」と公園で遊んでいる写真をアップ。 つづけて「そして、今日はなんと、なんと!4人なの」とグレーのコートを羽織り、子供たちと歩いている麻央の写真を公開し、「なみだ」と感激を表した。 同日、麻央もブログを更新しており、「私にも女子な心が眠っていたようです笑」とイヤリングをつけて微笑んでいる自撮りをアップしていた。 ブログの読者からは「家族でお出かけ、最高ですね」「私も嬉しくなりました」「幸せのおすそ分けありがとう!」と応援するコメントが寄せられている。
2017年02月20日