宮内庁は2月21日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが学習院大学の推薦入試に合格されたことを発表した。愛子さまが進学されるのは、学習院大学の文学部日本語文学科。WEB女性自身ではすでに今年1月10日、「愛子さまの進学先が内定!学習院大学の日本語日本文学科へ」と報じている。学習院大学はホームページで、この学科について次のように紹介している。《本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています》天皇陛下と同じ学習院大学文学部への進学となったが、その背景には古典文学への関心があったという。本誌は’14年3月、愛子さまが初等科卒業直前に書かれたレポートについて報じている。タイトルは「藤原道長」。執筆理由について愛子さまは次のようにつづられていた。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」(※道長の日記)に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた》天皇陛下は大学時代に、文学部史学科で中世の水運の歴史を研究されている。「天皇陛下が旅や交通の歴史に関心を持たれたきっかけは、美智子さまとともに松尾芭蕉の『奥の細道』を読まれたことだったそうです。愛子さまが天皇陛下と同じく文学部を選ばれた背景には、日本の古典文学へのご関心があったのでしょう」(宮内庁関係者)当初、愛子さまの志望学部は国際社会科学部とみられていた。「将来の”皇室外交”を見据えれば、語学や海外留学に力を入れた学部はぴったりのはずでした。ただ、雅子さまもハーバード大学留学中に『日本文化クラブ』を設立し、当時はあまり知られていなかった日本の言葉や伝統、音楽や食文化を伝える活動をされていました。国際社会で活躍するには、まず自国の文化を知らなくてはーー。お若いころの雅子さまと同じように、愛子さまはそうお考えになったのかもしれません」(皇室担当記者)愛子さまは現在、卒業リポートの作成に取り組み、忙しい日々を送られているという。雅子さまは、昨年12月9日の誕生日に際して発表されたご感想で、愛子さまの今後についても綴られていた。《これから高校を卒業しますと、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思いますが、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、いろいろな方からたくさんのことを学び、心豊かに過ごしていってほしいと願っています》天皇陛下と雅子さまのご期待を胸に、愛子さまは新たなステージで輝かれるだろうーー。
2020年02月24日「太田裕美」と聞けば、甘く透明感のある歌声と、86万枚を超える大ヒットを記録した『木綿のハンカチーフ』を思い浮かべる人が多いだろう。そんな太田裕美さん(65)が、デビュー45周年となる19年9月8日、自身のブログで乳がんであることを公表。多くのファンを驚かせた。「ごく初期ながら、公表せず黙っていたかもしれません。でも、私の場合は初期ではなかったし、抗がん剤治療を始めたら外見が変わってしまう可能性もあったので」抗がん剤治療は副作用がきつい。しかし太田さんには、活動を中止して治療に専念する、という選択肢ははじめからなかった。初めての治療に不安は感じたが、歌手活動を休むことで感じる心の負担を避けたかったという。「抗がん剤の治療を受けながらでも、とにかく仕事は続けたい」と、主治医に訴えた。「先生は、『仕事をしながら治療をしている人はたくさんいるから大丈夫ですよ』と言ってくださって。でも、これは私の場合であって、人それぞれの選択があると思うんです」病気になって、たくさんの“気づき”があったという太田さんは、闘病しながらこの1年を駆け抜けた。デビュー45周年の昨年。太田さんは、1年前から制作を進めていた8年ぶりのシングルをリリース。45周年記念アルバムには初となる『木綿のハンカチーフ』のセルフカバーを収録するなど、力を入れていた。レコーディングは昨年2月。そんな矢先にわかったのが、乳がんの罹患だった。覚悟していた太田さんは、冷静に現実を受け止めた。「異変を感じたのは昨年の3月末くらいでした。胸に大きめのしこりを感じて、これはまずいな、と。でもライブの予定がずっと入っていたので、ひと段落して検査を受けたのが5月末。そしたら先生が、『すぐに治療しましょう』と。ショックというより、あぁやっぱりな、という感じでしたね。一番ショックを受けたのは、夫だったかも。次男は医療関係の仕事をしていて知識もあるので、『治る病気だから』と励ましてくれました」7月に手術をし、入院は4日間。退院して3日後にはステージに立った。問題は、8月からの抗がん剤治療を乗り切れるか、だった。実際に治療を受けてみると、予想以上に体力を奪われた。「抗がん剤を打って4〜5日間は、もうれつな倦怠感に襲われて動けなくなるんです。長男に、『ものすごく体力が奪われる……』とLINEで弱音を吐いたら、『そりゃ、地球上でモルヒネと並ぶくらいに強いクスリだからね。でも、だからがん細胞もやっつけられるんだよ』と励まされて」夫の智彦さんも、副作用で手が荒れやすくなった太田さんを気遣って、食器洗いや洗濯などをしてサポートしてくれた。太田さんは、副作用が切れる合間を縫うように、ステージに立ち続けた。「幸いライブは週末が多かったので、週のはじめに抗がん剤を打つと、ちょうど副作用が抜けるころにステージに立てるんです。もう、あとは気力で乗り越えました」そして改めて、自分にとって音楽がいかに大事かを再認識したという。歌うことで、かえって元気になっていく自分を感じたのだ。乳がんを公表したのち、様々なメッセージが寄せられた。励ましや、知人のがん治療についての打ち明けなど、多くのファンが太田さんと気持ちを共有し、太田さん自身も勇気付けられたそうだ。「みなさん、私が元気な姿で最後まで歌えるのか心配してくださっていたみたい。その思いがステージまで伝わってきましたね。45年間歌ってこられたのは、“奇跡”のようなことなんだな、って思います。(45周年コンサート)を終えてみると、病気も重なって、なんとか大きな節目を乗り越えたという安堵感もあったのかもしれません」そして、太田さんは46年目の一歩を歩み始めている。深みを増した太田さんが、今後どんな歌声を聴かせてくれるのか期待しよう。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月08日2019年にデビュー45周年を迎えた歌手の太田裕美さん(65)。大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』の初セルフカバーなど、今までにない挑戦をした45周年記念アルバムをリリースした。そんな太田さんが胸に異変を感じたのは、レコーディングを終えた昨年3月末。2ヶ月後に検査をすると、乳がんはもう初期ではなかったーー。内視鏡手術後、休養せず抗がん剤治療をしながら、ライブを続けることを決断。ステージを乗り切れたのは、自分から切り離せないという、歌に「元気」をもらえたからだった。しかし、太田さんにも活動が重荷になっていた過去があったという。歌とともに歩んできた太田さんの半生をたどった。小さい頃から歌うことが大好きだったという太田さん。小学3年生の時からピアノを習い始め、すでに作曲もしていたという。最初の転機は、中学3年生で訪れた。「ある日、クラスメートの1人が、“スクールメイツ募集”のはがきを持ってきたんです。当時、私は座・タイガースのジュリー(沢田研二)の大ファンだったから、同じ事務所のスクールメイツに入れば会えるかな、と(笑)」軽い気持ちで受けた太田さんだったが、見事合格。歌唱力と音楽センスが認められ、74年に『雨だれ』でソロデビュー。19歳だった。アイドルのような容貌の太田さんが、ピアノを弾きながら透明感ある声で歌う姿は新鮮で、人気を集めた。「私の場合は、フォーク系の歌手のように音づくりにもこだわりながら、テレビやバラエティにも出てアイドルの仕事も…。そのおかげで2倍忙しかったけど、様々なジャンルの方と仕事ができたことは、いい経験でした」75年発売の4枚目シングル『木綿のハンカチーフ』が大ヒット。しかし、やがてこのヒットが太田さんの重荷となっていく。「いまでこそ代表曲があるのは歌手としてすごく幸せなことだと思うけど、当時は、新曲を出しても『“木綿”はいい曲でしたね』と言われてしまう。生意気にも、『もういいかげん、“木綿”は卒業したい』と思うこともありましたね」デビュー当時から、「いずれ音楽に対する思いを見つめ直す時期が来る」と感じていた太田さん。「休んだらファンに忘れられてしまうよ」と反対する事務所の社長を押し切って、82年、27歳で単身ニューヨークに渡る。「忘れられてしまうなら、私はそれだけの存在だったってこと。仕方ないと思いました」ニューヨークは刺激的だった。「いまでもそうですけど、マンハッタンのど真ん中に立っているだけでエネルギーを感じるんです。東京とは、生きている人の“本気度”が違う気がして」髪もバッサリ切った。語学学校に通い、休みの日には本場のミュージカルやライブに通う日々。「すごく楽しくて。でも、『楽しみ尽くしたらまた歌いたい』と思うように。自分の人生と歌は切り離せない存在だと気づいたんです」8ヶ月間のニューヨーク生活を終え日本に帰国。歌手活動を再開する。30歳で結婚し、のちに長男と次男を出産した。「育児に手がかかるうちは、子供に聞かせる童謡アルバムを制作したり、ほかの歌手に楽曲を提供したりして、自分のペースで音楽活動を続けていました。次男が幼稚園に入って、自分の時間が持てるようになり、『ライブがしたい』と思うようになったんです」41歳の時、ライブ活動を再開し、本格的に歌手活動に復帰した。「ピアノ一本での弾き語りライブだったので、お客さんが来てくれるか心配でした。でも、すごくたくさんの方が来てくれて。あぁ、待ってくださっていたんだなぁと」45周年の大きな節目、そして乳がんの発覚を乗り越え、昔を振り返った太田さんは言う。「先のことより、この一年を生きるのに必死というのが正直な気持ち。積み重ねた分だけ、深みのある歌を歌える歌手になりたいと思っています」これからも、歌とともに歩んでいくーー。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月08日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。卒業を控え、お出ましの機会も徐々に増えているが、知られざるその素顔とはーー。昨年、雅子さまがトランプ大統領夫妻と通訳を交えずにお話しされて話題になったことも記憶に新しいが、愛子さまも幼いころから英語を学ばれてきた。「女子高等科2年生の夏休みには、イギリスの名門私立イートン校で約3週間のサマースクールに参加されています」(皇室担当記者)愛子さまが磨き続けた英語力は、すでに“皇室外交”にも生かされている。「昨年10月、天皇皇后両陛下がイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされました。その場には愛子さまも同席され、英語で王女夫妻に質問をされていたそうです」(宮内庁関係者)成績優秀でスポーツ万能の愛子さまは、学習院女子中・高等科での人気も高い。昨年11月に開催された文化祭「八重桜祭」では“愛子さま人気”のために、大混乱が生じるというハプニングも!「同級生数人とダンスチーム『BLOOM』を結成され、チアダンスを披露されたのです。メンバーとおそろいの衣装で登場し、洋楽で3曲、Jポップで2曲踊られました。愛子さまが初めてダンスを披露された’18の八重桜祭では、在校生や保護者が会場の体育館に殺到して開演時間が30分も遅れたほどでしたが、昨年はそれ以上の盛況ぶりでした」(学習院関係者)愛子さまは、たぐいまれなる文才もお持ちだ。《私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。》これは学習院女子中等科1年生のときに文集に掲載された短編小説の書き出し。愛子さまの“文才”は、初等科時代から校内では有名だったという。「作文がお上手なだけではなく、研究レポートも実に緻密で、“12歳でここまでお書きになるのか”と、保護者たちも驚いていました」(学習院の保護者)初等科卒業式直前に発表され、大人たちをうならせたレポートのタイトルは『藤原道長』。平安時代中期に摂政などとして権力をふるった貴族をテーマに選ばれていた。「歴史的事実を的確にまとめるだけではなく《藤原氏が政治を行っていた時に、天皇はどのような役割を分担していたのだろうか》と、ご自身のご先祖についても言及されていたのがとても印象的でした」(前出・保護者)「女性自身」2020年2月11日号 掲載
2020年02月08日女性という性別ゆえに、愛子さまは天皇になれないーー。女性たちはそんな皇室の現状をどう思っているのか?本誌は昨年末から年始にかけて女性自身のインスタグラム上でアンケートを実施。すると266人から回答があり、熱いメッセージの数々が届いた!まず1問目は「皇室典範(皇室に関する法律)を改正し、女性天皇を容認することに賛成ですか、反対ですか」。女性天皇への賛成は実に90.2%(240人)に達した。《男女関係なく、この日本の天皇に適した人物がなるべきです》(50代)、《男性しかなれないなんて古くさい考え方。令和はもっと新しい、時代に合った世の中になってほしい》(20代)と、世代に関係なく、女性は天皇になれない現在の皇室典範には違和感があるようだ。また、女性の社会進出が進むなかで《そろそろ男性だけしかなれないなんて時代は終わってもいいと思います》(40代)、《男社会の時代は終わり、女性もバリバリ働く時代だから》(40代)、《日本は大好きですが女性としてはとても生きにくい国です。これ以上性別を理由に制約をかけないでほしい》(30代)といった意見も。《歴代、女性天皇の時代もあったから》(50代)との声も。女性天皇は歴史上、8人10代存在し、伝統にも則している。一方、反対は9.8%(26人)。《皇位継承順位を見ると、秋篠宮殿下や悠仁殿下もいらっしゃるのに、わざわざ女性天皇を容認する必要はないのでは?》(30代)、《愛子さまは賢そうで大好きだけど、男系天皇でずっと続いてきたから、その伝統を崩したくない》(30代)、《単純に違和感があるし、女性に務まるかな》(40代)といった声があった。2問目は「将来、愛子さまに天皇に即位なさってほしいと思いますか」。「思う」は77.8%(207人)。《天皇皇后両陛下お二人のお子さまなら、素晴らしい天皇になられると思うから》(50代)、《いちばんそばで天皇陛下や皇后さまのことをきちんと見て勉強されていると思うから》(40代)といった意見からは、天皇陛下と雅子さまへの信頼感が愛子さまへの期待につながっていることが伺える。学習院女子中等科の卒業文集では「世界の平和を願って」という作文を書かれた愛子さま。《天皇にふさわしい品が感じられるし、常に国民ファーストで行動してくださりそう》(40代)、《もし天皇に選ばれたら、世界平和や国民一人ひとりの幸せのために力を尽くしてくださると信じているから》(10代)といった声も。愛子さまご誕生直後の小泉政権下では、いったんは女性天皇容認の方針が示されたこともあった。《愛子さまが誕生されたときから、当然愛子さまが天皇になられるものと疑わなかった》(60代)、《一人の女性として、女性天皇が活躍するお姿をこの目で見てみたい》(30代)と、近い将来に女性天皇が誕生することを願う意見は根強くある。一方、「思わない」は22.2%(59人)。50代の読者からは《悠仁親王がいらっしゃるのに、女性天皇のことを考えるのは早いのでは?》との意見。現在、皇位継承順位第1位は皇嗣の秋篠宮さまで、第2位は悠仁さま。女性天皇の容認する場合でも、現在の皇位継承順位を変更するかについては議論を呼びそうだ。また、《女性としての幸せをふいにしてほしくない》(50代)、《(明治以降で)初の女性天皇なんて、とてつもないプレッシャーで押しつぶされそうで、かわいそう》(40代)などと、愛子さまの将来を心配する声もみられた。「女性自身」2020年2月11日号 掲載
2020年02月08日天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは1月25日、東京・両国国技館で大相撲初場所を観戦された。ご一家は結びの一番までの9番を笑顔でご観戦。説明役を務めた八角理事長に、愛子さまは「土俵の高さは何センチですか」と質問されたという。愛子さまが初めて大相撲を観戦されたのは4歳だった’06年9月のこと。’07年9月に2度目の観戦をされ、今回が13年ぶり3度目となる。「愛子さまは幼児園に通われていたころから大相撲の大ファンでした。両陛下をお相手に相撲の決まり手を再現したり、手刀を切ったりして遊ばれることも。力士の名前や出身地も暗記されていて、天皇陛下が地方訪問される際には『○○の出身地でしょう?』と力士の名前を挙げられるほどのマニアぶりでいらっしゃいました」(宮内庁関係者)当時の愛子さまは、幼稚園から帰られるとすぐさまテレビの衛星放送をつけ、幕下の取り組みからご覧になっていたという。また、お気に入りの力士は琴光喜と朝青龍だった。天皇陛下は’07年7月にモンゴルを訪問された際に、朝青龍の両親と面会。陛下は「娘(愛子さま)は朝青龍のファンで『ダグワドルジ』と呼んでいます」と話され、朝青龍をモンゴル語の本名で呼ばれているというエピソードを紹介されていた。今回はどの力士のファンかは明かされなかったようだが、貴景勝に朝乃山が上手投げで勝利した一番では、天皇陛下が「いい一番ですね」と話されたという。愛子さまにとっても、記憶に残る一番となったことだろう――。
2020年01月29日お笑いトリオ・ジャングルポケットの太田博久、モデルの近藤千尋が21日、都内で行われたパンパース「あなたらしい子育てが、いちばん。」プロジェクト記者発表会に出席した。乳幼児用紙おむつブランド「パンパース」を販売しているP&Gは、全国のパパママの子育てを応援する「あなたらしい子育てが、いちばん。」プロジェクトを始動。その第1弾として関東から九州・沖縄まで、全国の道の駅をはじめとする公共施設などに随時、誰でも使えるおむつ交換台やベビーケアルームの導入支援をスタートさせる。イベントには育児真っ最中の太田博久と近藤千尋の夫妻が登壇。同プロジェクトについて太田は「パンパースさんが動いたなと思いましたね。大事なことというか、子育てしている親子が外出する上ではうれしいことだと思います」と子を持つ親として大歓迎のようで、妻の近藤も「このプロジェクトでちょっとでもお父さんお母さんが育児しやすい環境になればと心から思っています」と期待を寄せた。また、キャンペーンにちなみ、「自分らしい子育ては?」という質問に太田は「体当たり育児です。トライアンドエラーの精神というか、とりあえず何でもやってみて、ダメなことを学んでいけばと思いますよ。僕が育児をする男として発信していけるようになりたいですね」と意欲満々で、「周りに頼って心に余裕を」と回答した近藤は「私は産後2カ月でお仕事に復帰させてもらいました。赤ちゃんが可愛そうだよとたくさんのご意見をいただきましたが、赤ちゃんに負担なく私にも負担なく育児が出来ているのは、周りの皆さんのお陰です。私は甘えてその分恩返ししたいですし、その人が困っていたら私たちが助ける関係性を築けたら自分にも余裕ができると思います」と話した。2人は昨年10月31日に第2子となる次女が誕生したばかり。太田は「この前奥さんのインスタ見たら、長女と次女を抱えて3人目が欲しいと書いてあったのを見て若干震えました。3カ月前に生まれたばかりなんですけど(笑)」と戦々恐々としていたが、「それぐらいいても育てやすいと思える環境になればありがたいと思います」と子を持つ親にとって喜ばしい環境の変化に期待を寄せていた。
2020年01月21日「12月末に愛子さまが『文学部日本語日本文学科』に内定されたと聞き、とても意外に思いました。文学部の史学科は候補の一つとして報じられることがありましたが、これまで一度たりとも日本語日本文学科の名前が挙がることはなかったからです」そう語る学習院関係者は、驚きを隠さない。今年3月に学習院女子高等科を卒業される愛子さまは、今年4月には大学へ進学される予定だ。「学習院女子高等科では約3割の生徒が、学習院大学以外に進学します。眞子さまや佳子さまの国際基督教大学など、近年では皇族であっても、学習院以外を選択されるケースも増えています。これまで愛子さまの進学先候補については、東京大学、一橋大学、上智大学などが報じられてきました。しかし、昨年の夏休み前の“外部受験”希望者のための説明会にも愛子さまのお姿はなく、“内部進学説”が濃厚となったのです」(本誌皇室担当・近重幸哉記者)学習院大学には5つの学部があるが、これまで関係者のあいだで最有力候補とされていたのが国際社会科学部。学習院女子高等科の保護者は次のように語る。「国際社会科学部は’16年に開設されたばかりの新しい学部で、女子高等科からの内部進学生にもいちばん人気があります。3年生の秋に志望先を第1から第3まで提出するのですが、国際社会科学部は第1志望にした生徒でも、成績が優秀でないと進学できないほどです。愛子さまが高等科2年生の夏休みにイギリスの名門・イートン校に短期留学されたことから、“国際社会科学部に進学される準備ではないか”と評判になり、“愛子さまと同じ学部に入りたい”と、同学部への志望者がさらに増えていました」しかし、最終的に愛子さまが選ばれたのは、文学部日本語日本文学科だった。学習院大学はホームページで、この学科について次のように紹介している。《本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています》女子高等科の生徒たちは、秋に志望届を提出した後、保護者も交えての先生たちとの面談を経て、12月20日ごろにそれぞれ内定した学部を通達されたという。この過程で判明したのが、愛子さまの“進路変更”だったのだ。雅子さまは、昨年12月9日の誕生日に際して発表されたご感想で、愛子さまの今後についても綴られていた。《これから高校を卒業しますと、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思いますが、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、いろいろな方からたくさんのことを学び、心豊かに過ごしていってほしいと願っています》愛子さまは雅子さまの言葉どおり、新しいステージでも輝かれるはず――。「女性自身」2020年1月21日号 掲載
2020年01月10日学習院女子高等科ご卒業まであと3カ月、ついに愛子さまのご進学先が判明!関係者を驚かせた“意外な選択”の陰には、自らの宿命と真摯に向き合われてきた日々があった――。1月1日、宮中での新年行事に出席するために、天皇皇后両陛下をはじめ、皇族方が乗られた車が次々と半蔵門を通過した。集まっていた人々や報道陣に向かってペコリと頭を下げられたのは、天皇家の長女・愛子さま。現場で取材していたカメラマンは言う。「愛子さまは深く頭を下げられた後、満面の笑みを見せてくださいました。新年の始まりにふさわしい晴れ晴れとしたお顔に、思わず報道陣のなかから、『本当におかわいらしいですね!』という感嘆の声が上がっていたほどです」この日の愛子さまは制服をお召しだったが、4月には大学へ進学予定だ。「12月末に愛子さまが『文学部日本語日本文学科』に内定されたと聞き、とても意外に思いました。文学部の史学科は候補の一つとして報じられることがありましたが、これまで一度たりとも日本語日本文学科の名前が挙がることはなかったからです」そう語るのは学習院関係者。皇室ジャーナリストも、驚いた様子で語る。「愛子さまは国際社会科学部を志望されていると聞いていました。ご進学先については、天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまの3人で相談されていたそうです。雅子さまは皇室にお輿入れする前から国際親善に尽力することを希望されていて、とくに昨年はトランプ大統領夫妻やマクロン大統領夫妻を、語学力を生かして見事におもてなしされ話題になりました。両陛下は愛子さまにも皇族として国際親善の担い手になることを期待されています。“お母さまと同じ道を歩む”という意味でも国際社会科学部という志望先は、3人で検討されたうえでの結論なのではないかと考えていました」しかし、愛子さまが選ばれたのは文学部日本語文学科だった。実は愛子さまは、6年も前から日本古典文学への思いを静かに温めていらした。本誌は’14年3月、初等科卒業直前に書かれたレポートについて報じている。タイトルは「藤原道長」。執筆理由について愛子さまは次のようにつづられていた。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」(※道長の日記)に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた》レポートでは天皇家と藤原家の姻戚関係や、当時の天皇の政治的役割についても言及されている。愛子さまにとって藤原道長について調べることは、ご自身のルーツにふれられることでもあったのだ。宮内庁関係者は言う。「成長されるなかで愛子さまは“天皇の娘”とはどのような存在なのか、どんな役割を果たすべきなのか、それらについてご両親に尋ねられるとともに、自問自答も繰り返してこられたに違いありません。その結論が、大学で日本の古典を学び、ご自身のルーツを探求されることだったのでしょう。また雅子さまもハーバード大学在籍中には、日本文化をほかの学生たちに紹介されていたそうです。真の国際親善のためには、相手の文化に理解を示すだけではなく、自国の文化を知る必要があります。愛子さまも日本古来の文化を学ぶことで、より深い国際親善を目指し始められたのだと思います」愛子さまの“進路変更宣言”に、天皇陛下も雅子さまも感無量だったことだろう。1月1日の愛子さまの満面の笑みには、ご自分で選ばれた未来への希望が秘められていたのだ。「女性自身」2020年1月21日号 掲載
2020年01月10日レースクイーンでグラビアアイドルの太田麻美が、最新イメージDVD『Morning Kiss』(4,180円税込 発売元:イーネット・フロンティア)をリリースした。2015年にレースクイーンとしてデビュー以降、ファンの間では"あさみん"の愛称で親しまれている太田麻美。今年1月に発表された日本レースクイーン大賞では週刊プレイボーイ賞を受賞、さらに2020年1月12日に開催される日本レースクイーン大賞ではファイナリストにも選ばれており、トップレースクイーンとしての地位を固めている。そんな彼女が初めてのグラビアDVDをリリース。水着姿となって洗練されたスレンダーボディーを惜しみなく披露している。着用した衣装や水着は、サーキット場の服装よりもセクシーなものが多く、超ハイレグのレオタードに下着風水着、ヒョウ柄ビキニなど、どれも太田のスレンダーボディーを堪能できる。花びらだけでバストのトップを隠すシーンや夜のベッドのシーンが見どころの一つで、仮面舞踏会などで見られるゴシックアイマスクを被るなど、大人の雰囲気を漂わせている。なお、同DVDの発売を記念したイベントが2020年1月5日に東京・秋葉原のソフマップAKIBA1号店 サブカル・モバイル館6F(12:00~)で開催される。
2019年12月30日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは12月1日に18歳の誕生日を迎えられる。報道各社が実施した最新の世論調査では、女性天皇を認めることに賛成との回答は、軒並み7~8割台の高水準。「愛子さまを天皇に」という期待の声も少なくない。一方で現在の皇室典範では、女性皇族は結婚と同時に皇籍を離脱することになっている。愛子さまは天皇になられるどころか、数年以内に皇室を離れてしまう可能性もあったのだが――。《「女性宮家」、政府に容認論》即位パレード「祝賀御列の儀」が執り行われた11月10日の朝、時事通信はそう報じた。政府内で「女性宮家」創設を容認する案が浮上しているというのだ。皇室ジャーナリストも驚いた様子で話す。「女性宮家は、女性皇族が宮家の当主となることを認め、結婚後も皇室に残れるようにする制度です。かねて安倍首相は、強硬な”男系維持派”として知られていました。女性宮家創設についても、『女性天皇容認につながるのでは』といった懸念から、これまでは極めて消極的だったのです」歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、女性宮家の創設は今後の皇室のために必要不可欠だと考えているという。「皇室には、天皇の国事行為以外にも多くの公的な行いがあります。そうした行いによって、皇室と国民の絆が強められるのです。それゆえ皇室には、天皇皇后だけではなく、ご公務を分担できる皇族の存在が不可欠です。愛子内親王をはじめとする女性皇族に、女性宮家の当主としてご結婚後も皇室にとどまっていただくことが、皇室の安定にとってたいへん重要なのです」政治部記者は、安倍政権も皇族数の減少に深刻な危機感を抱いていると語る。「もし女性宮家を認めなければ、次世代の皇室は悠仁さまお一人になってしまう可能性もあります。安倍政権としては“皇室の存亡を危うくさせた”という汚名だけは避けたいのです。女性・女系天皇の是非は先送りしつつも、女性宮家は容認せざるをえないとの意見は政権内部にも少なくないようです」ようやく女性宮家容認の動きが見えはじめたものの、宮内庁関係者は声を潜めて言う。「安倍政権は、皇位継承問題についての議論の開始を来年4月以降に先送りする方針です。女性天皇容認に賛成する野党との対立だけでなく、自民党内部でさえ意見集約ができていないことも課題となっています。このままでは女性宮家が制度化される前に、また女性皇族の方々が結婚し、皇室を離れてしまわれるのではないでしょうか」また11月16日付の『読売新聞』は、「女性皇族の方々は女性宮家創設には否定的だ」との政府筋の証言を掲載している。皇室に近い人物はこう語る。「眞子さまと佳子さまは、皇室に残って女性宮家の当主になろうというお気持ちはないと思われます。お二人ともご幼少のころから、結婚後は一般人として暮らすとお考えになってきたのです。秋篠宮さまや紀子さまも、そのように教え、お育てになってきました。眞子さまはできるだけ早く小室圭さんと結婚したいとお考えでしょう。佳子さまも、お忍びでのダンス発表会出演などプライベートでの活動が注目を集めています。皇族であるがゆえの制約から解き放たれたいとの思いは姉妹そろってお強いのです」現在の皇室には、未婚の内親王・女王は6方いらっしゃる。しかし、愛子さま以外はすでに20~30代。いつ結婚され、皇室を離れられることになってもおかしくない。さらに、前出の宮内庁関係者は言う。「かつて野田内閣で論点整理がなされた際に、女性宮家創設の対象は内親王に限られ、女王は対象外とされました。女性宮家が制度化されたとしても、当主となれるのは内親王に限られ、さらに眞子さまと佳子さまが拒否されれば、残るのは愛子さまだけです。悠仁さまとお二人だけで次世代の皇室を背負うことになる可能性も小さくありません」18歳となられる愛子さまの人生は、時の政権の皇位継承案に翻弄され続けるのだろうか――。前出の宮内庁関係者は、孤独を深める愛子さまの思いを推し量る。「愛子さまは最近も、両陛下とイギリスのアン王女夫妻のご懇談に同席され、英語で質問もなさったといいます。両陛下のご公務を間近でご覧になるだけではなく、ご自身も積極的に国際親善に関わられているのです。ご両親が新たな御代の天皇皇后として脚光を浴びるなか、愛子さまも皇族として、そして両陛下の一人娘としての自覚を強められています。計り知れないほどの重圧をお感じになりながらも”皇室に残る”という決意を固められているようです」
2019年11月28日皇居前広場で11月9日に開かれた、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」。天皇皇后両陛下は笑顔で祝福に応えられたが、長女の愛子さまもお忍びでいらっしゃっていたという。奉祝曲「Ray of Water」の演奏と嵐による歌唱に、雅子さまが涙を浮かべられる場面もあったこの日の国民祭典。皇居の正門付近から一部始終を見守っていたという愛子さまにとっても、忘れられない1日となったことだろう。この前週となる11月3日・4日には、愛子さまにとって高校最後の文化祭となる、学習院女子中・高等科「八重桜祭」が開催されていた。両陛下もいらっしゃったという。「3日の午後1時半ごろ、両陛下はいらっしゃいました。この日は午前中に皇居で文化勲章の親授式もあり、パレードや大嘗祭の準備などご多忙な中ですが、学校関係者と1時間以上もお話しになられていました。そのあと2時間ほど会場を回られ、家庭科教室では愛子さまの手芸作品をご覧になっていました」(学習院関係者)愛子さまはこの日、同級生の応援に使われたキラキラしたモールをつけた団扇を手にされて、にこやかにおしゃべりを楽しまれていたという。さらに4日も愛子さまはダンスを披露され、両陛下もご覧になったという。昨年の八重桜祭では同級生数人とダンスチームを結成され、初めてダンスを披露された。あまりの“愛子さま人気”に開演が30分遅れるほどのパニックとなったが、今年も会場は凄まじい熱気となった。「愛子さまのチーム『BLOOM』は、体育館のステージでの“大トリ”を務められました。在校生はもとより、保護者の人気もすごく、体育館の入口がごった返して収拾がつかないほどでした。メンバーとおそろいの衣装で登場された愛子さまは、洋楽の曲を3曲、Jポップを2曲の合計5曲でチアダンスを披露。両陛下もほほ笑みながら見守られていました」(前出・学習院関係者)愛子さまは出演者としてだけでなく、裏方としても文化祭に関わられていたという。「3日は作品展の受付係をされました。また、両日ともに美化委員としてゴミの分別回収なども担当されています」(宮内庁関係者)
2019年11月13日歌手の太田裕美(64)が9月18日、乳がんを公表した。治療をしながらも「歌っていく」と明かし、ネットではエールが上がっている。同日、ブログを更新した太田は「突然で驚かれると思い、なかなか公表出来ませんでした」と切り出し「乳癌に罹患しました。すでに7月の京都のコンサート後に手術をし、8月から抗癌剤治療に入っています」と報告。しかし来春までのスケジュールが決まっていることや11月に開催されるデビュー45周年を祝うイベントを控えていることを理由に、「あえて、治療しながら歌っていく、ということを選択しました」と明かした。太田は「病気になって初めて知る“気づき”がたくさんあります」とつづり、「神様はまた新たな試練を与えて下さってるんだ、と現実をしっかりと受け止め」家事などの日々の営みを大事に続けていくと述べた。そして、こう結んだ。「これからもまごころ込めて歌っていきます。今までと変わらず、太田裕美の音楽を愛し、応援していただけることを心から願っています」太田の発表は話題を呼び、Twitterでは「太田裕美」がトレンド入りを果たした。さらにエールが上がっている。《大変驚きました。裕美さんの想いお察し致しました。大丈夫です、頑張りましょう》《裕美さんの強いプロ意識に感銘を受けました。裕美さんの歌手活動と、治療も応援させていただきます。》《私達の願いは1日でも長く裕美さんの歌声を聞いていられること、どうぞ最善の選択を》治療を受けながらも歌い続けると発表した太田。04年、本誌に登場した際には育児中にも歌手活動を続けていたことについて語っていた。太田は育児と家事が大変だったと明かしながらも、その分「1年に3~4回の仕事が楽しかった」と回想。さらに「無理をしない」「あきらめない」「心に正直に生きる」という3カ条を心掛けていると告白し、こう語った。「自分の好きなものをあきらめる必要はないんです。私の場合はそれが『歌』だった。いちばん私の好きなことだし、天職だと思っています」
2019年09月19日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、8日に放送されたTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』(毎週日曜13:00~17:00)にて、芸能活動を引退したジャニーズ事務所の滝沢秀明氏について語った。4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列した爆笑問題の2人。太田は「始まりからして、VTRが昔の映像から流れていくっていう。あの演出もやっぱりタッキーがやってるんでしょ。あれはやっぱりすごいよね。滝沢の演出っていうのは」と評し、「完全に引き継いでる感じはしたね。出てこないんだから。タッキーは顔を見せない」と語った。田中裕二が「タッキーはどっかにいたんだろうけど。逆に(今井)翼くんは会ったけど、タッキーは会ってないんですよ。そういえばタッキーはいなかったね」と言うと、太田は「いなかったね。だから前に出ないっていう、ジャニーさんのあれをきっちり継いでるんだね、きっとね。偉いよね」と話していた。
2019年09月10日お笑い芸人の有吉弘行が、8日に放送されたラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN/毎週日曜20:00~)で、有吉も在籍する太田プロダクションに人気YouTuber・ヴァンゆんが所属したことについて語った。ヴァンゆんは男女コンビの人気YouTuberであり、登録者数100万人以上のYouTuberの大手事務所所属は初めてとのこと。有吉はこのニュースについて、「来る者拒まずだね。俺は大賛成だね。いろんな人が入った方がいいね」と持論を述べ、「もともと(太田プロは)なんでもOKですから。AKBもいましたし、YouTuberもいっぱい入ってくりゃいいし。いろんな人が入ってくればいいね」と語った。有吉自身は「結局、若手の芸人ぐらいしか絡まないしな。逆に『じゃあ有吉さん出ます?』って言われても、ちょっと照れちゃうもんな(笑)」としつつも、「でもそんなのもいいね、楽しいそうだなって。交互に出してもらったりとか」とした。「向こうにとっては、『いいよもう、おじさん』ってなるよ、そりゃ。向こうにとっては得がないけど、こっちは得しかないよね。YouTuberの人が来てくれたら」と歓迎し、「昔は(YouTuberは)どうかなって思っていたけど、今はだいぶみんな落ち着いてきたからいいね。だいぶ整ってきて、売れてる子たちはあんまり変なヤツいないじゃん」と話していた。
2019年09月09日「今の愛子さまだよね!?めっちゃラッキーなんだけど!」若い女性の声が上がる。その視線先にあるバスの車窓からは、愛子さまがほほ笑んでいた。夏休みも終盤の『那須どうぶつ王国』園内で思いがけず天皇ご一家の姿を目にした人々は、興奮した様子を隠さなかった。ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。8月26日、同王国に足を運ばれた。あいにく小雨混じりの空模様だったが、愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して動物たちとの触れ合いを楽しまれたのだ。“プライベート”なお出かけにもかかわらず、愛子さまは王国内を歩きながら居合わせた人々に笑顔でお手振りされる“神対応”。80代の男性は愛子さまと握手をしたという。「緊張して何も話せませんでしたが、かわいらしく、とても賢そうなお顔をされていました」同王国の目玉イベントである「バードパフォーマンスショー」は、みんなで並んで観覧。上空から観覧席すれすれにワシやタカ、インコやミミズクが飛んでくると、愛子さまたちは「わー!」「すごく近い!」と歓声を上げて大喜び。そのままぶつかってきそうな迫力に、陛下と愛子さまがそろって頭を抱えられる場面もあった。客席から指名された小3の男の子の腕にタカをとまらせるパフォーマンスでは「これから〇〇くんの腕にタカの爪が食い込んでいくからね~」という司会の男性のブラックジョークに、愛子さまとご友人ばかりか、陛下と雅子さまからも笑い声が漏れた。こうして愛子さまは、高校最後となる夏休みをご友人たちと一緒に満喫されたのだった。
2019年09月06日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と田中裕二が4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列し、報道陣の囲み取材に応じた。太田は「ジャニーズの始まりの頃から今に至るまでのVTRが流れて、日本のエンターテインメントはこの人でつながってきたんだなって」とジャニーさんの偉大さを改めて感じたと言い、「タッキー(滝沢秀明)の演出なのかわからないですけど。マッチ(近藤真彦)が弔辞を読んで。タッキーが裏で支えているのかなと感じた」とも話した。田中も「壮大な歴史を感じますよね」と言い、「マッチは同い年で、『金八先生』で見ていたあの子が…。金八先生(武田鉄矢)も来ましたし、前が気になってしょうがない」と笑った。また、太田は「帝国劇場の舞台で、エンターテインメントは平和と密接につながっているんだというジャニーさんのメッセージがすごく感じられた。彼らが楽しく歌っている限りは平和があると思うし、その意思を受け継いでいるんだろうと思う」と語った。
2019年09月05日「海で日焼けして、もう、一皮むけちゃったんです」歓迎する人々の間から「暑くて日焼けしますね」の声がかかると、愛子さまが明るくそうお答えになって、栃木県の那須塩原駅前には笑顔があふれた。天皇皇后両陛下と愛子さまが、ご静養のため那須御用邸に向かわれた8月19日のこと。愛子さまにとっては高校生活最後の夏休みだ。お迎えに来ていた高校3年生の高根沢ミクさんは、同級生同士の会話で盛り上がったと大感激。「陛下に『何年生ですか?』と声をかけていただき、『高3の受験生です』とお答えしたら、後ろにいらした愛子さまを『(学年が)一緒だよ』と呼んでくださったんです」すると愛子さまも「あっ、同級生」と歩み寄られて、試験の話題なども語り合われた。高根沢さんが「大学は社会学部を目指しています」と言うと、隣の雅子さまが愛子さまに「受験はないけどテストは近いわね」とおっしゃったという。「愛子さまはとても話しやすい方で、『私も8科目くらいテストがあります。お互い頑張りましょうね』と励ましてくださいました」8月22日には国立公園・那須平成の森をご一家で訪れ、2時間ほど散策されるなど、夏休みを満喫されている愛子さま。気になるその進路について、皇室担当記者が明かす。「これまで愛子さまは、陛下と同じ学習院大学文学部史学科への内部進学が有力とみられていましたが、実は、現在志望されているのは国際社会科学部のようなのです。4週間以上の海外研修への参加が卒業の条件になっており、英語教育にも力を入れている学部です。愛子さまの志望を知った同級生が殺到して、国際社会科学部の希望者が多くなっているといいます。愛子さまは、皇后となられてからの雅子さまの目覚ましいご活躍を間近でご覧になって、その姿に憧れ、皇室外交への意欲を抱かれているのかもしれません」
2019年08月29日「愛子さまが通われている学習院女子高等科では、約3割の生徒が学習院以外の大学を受験します。夏休み前に“外部受験”希望者のための説明会があったのですが、愛子さまは出席されていなかったのです」そう語る学習院関係者。すなわち、愛子さまは学習院大学に内部進学されることが確実になったのだ。「愛子さまがこれからの皇室で重要な役割を担われることは、間違いありません。そんな中で雅子さまは、愛子さまに『陛下と同じ経験を』と願われたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)天皇陛下は学習院高等科を卒業後、学習院大学文学部史学科に進学された。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。「愛子さまは、初等科のころから歴史について深いご関心がおありです。藤原道長をテーマにした詳細なレポートを書かれたこともありました。尊敬されているお父さまと同じ史学科への進学も検討されているのかもしれませんね」(前出・皇室担当記者)陛下はさらに学習院大学大学院に進学、そしてイギリスのオックスフォード大学に留学されている。初めて学生寮で生活された陛下は、洗濯機に下着を詰め込みすぎて水を溢れさせたことも。イギリス伝統の酒場・パブにも通い、現地の人々と交流された。のちに陛下はこの留学を振り返り《自分でものを考え、決定し、そしてそれを行動に移すことができるようになったのではないか》と語られている。イギリスで自由で自立した生活を送られたことが、陛下にとって貴重な経験となったのだ。「両陛下とも長期海外留学の経験をお持ちです。最近でも国賓をもてなされた際に、語学力だけではなく他国の文化に精通されていることも、海外で好意的に報じられました。愛子さまが天皇陛下をお手本に2年ほどイギリスへ留学されれば、皇族としても、おひとりの女性としても、かけがえのない経験になると思います」(前出・渡邉さん)天皇陛下が卒業された学習院大、そしてイギリス留学へ……。雅子さまが願われた「陛下と同じ進路」をたどり、愛子さまは一段と成長されるはずだ――。
2019年08月02日現在、高校3年生の愛子さま。5月の御代替わりで“天皇の娘”となられたことは、学校生活にも影響を及ぼしているという。「5月以降は警備の人数も増えて、愛子さまは少し窮屈そうにされていると聞きます。休日には同級生とお出かけされることもあるそうですが、ご友人が愛子さまをお誘いする際には、警備態勢の準備のため、これまでより早く事前にお約束しないといけなくなったそうです」(学習院の保護者)愛子さまは2年生から文系の特別進学クラスに在籍されている。卒業後の進路にも注目が集まっているが、夏休み前、その進路が明らかとなる場面があったという。「学習院女子高等科では、約3割の生徒が学習院以外の大学を受験します。夏休み前に“外部受験”希望者のための説明会があったのですが、愛子さまは出席されていなかったのです」(学習院関係者)すなわち、愛子さまは学習院大へ進学される意志を最終的に固められたのだという。愛子さまの進学先候補としては、これまで東京大学、一橋大学、上智大学などが報じられてきた。また、秋篠宮家の眞子さまと佳子さまは国際基督教大学(ICU)に進学されており、近年は皇族であっても学習院大以外を選ぶケースは少なくない。「愛子さまは女子高等科の特別進学クラスにおいても優秀な成績を修められています。東大を狙うことも十分可能だとの評判で、難関私立大学への推薦を勝ち取ることもたやすいはず。内部進学ではもったいないという声も聞こえてくるほどです」(前出・学習院関係者)なぜ、東大などへの他大学への進学という選択肢を捨てて学習院大を選ぶ決断をされたのだろうか。前出の宮内庁関係者は言う。「偏差値で学校を選ぶよりも、落ち着いた環境で学問に取り組んでほしい――。そんな雅子さまのご希望があったのではないでしょうか」天皇陛下の即位直後の5月に報道各社が実施した世論調査では、女性天皇への賛成がいずれも8割近い割合となっている。「愛子さまを天皇に」と待望する国民の声は、高まる一方だ。11月の大嘗祭が終わり次第、国会での議論も本格化するとみられている。「雅子さまには、愛子さまの自由な進路選択を尊重されたいお気持ちもあったことでしょう。ただ、皇位継承の議論に皇族が加わることはできません。国会での議論と、国民の総意に委ねるしかないのです。しかし愛子さまがこれからの皇室で重要な役割を担われることは、間違いありません。そんな中で雅子さまは、愛子さまに『陛下と同じ経験を』と願われたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
2019年08月02日愛子さまの通う学習院女子高等科が夏休みに入って間もない、7月23日。ペルー、ボリビアご訪問から帰国されたばかりの眞子さまが、天皇皇后両陛下へのご挨拶のために赤坂御所を訪れた。宮内庁関係者は語る。「眞子さまは、両国の大統領から預かったメッセージを、両陛下にお伝えするために赤坂御所に来られました。異例のことですが、実はその場には愛子さまもいらっしゃいました。20分ほどかけて、眞子さまは南米での出来事をお話しになったそうです」愛子さまはちょうど夏休み前の地理の授業で、南米について学んでいたという。「眞子さまが語る現地でのエピソードに、愛子さまはたいへん興味を持たれていたと伺っています。侍従職は宮内記者たちには、愛子さまがいらした理由を『時間が合ったから』と説明していましたが、雅子さまが同席を提案されたのではないでしょうか。愛子さまも近い将来、同じように公務で海外訪問をされることになります。5回目の海外公式訪問を終えた眞子さまからの“特別レッスン”は、貴重な勉強の機会になったことでしょう」(宮内庁関係者)
2019年08月01日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と田中裕二が、23日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)で、経営陣が刷新されなければ吉本興業を辞めると表明した極楽とんぼ・加藤浩次について言及した。この日はちょうど加藤が吉本興業東京本部で大崎洋会長と会談している最中に収録が行われたようで、太田は「今、加藤が話し合ってるんだからさ、番組やってる場合じゃないよ。加藤の乱だから止めに行かなきゃいけないんだから。あそこ突入しようと思って」と気になって仕方がない様子。田中裕二も「加藤どうするんだろう。辞めるのかな」と話した。太田は「こいつ立派っていうか。俺はあいつに何回首を絞められたか。俺はあいつのことよく知ってるんだから。『めちゃイケ』で何回、おちる寸前まで…」と共演時の思い出を語り、「昨日の熱弁もすごかったな。ずっとたまってきたものが…」とコメント。再び「何度もあいつに首を絞められて」と言い、「実は苦しくないんだよ。ただ、声は出せないの。あのさじ加減」と明かすと、「昨日のしゃべりでもかなり踏み込んで言ったけど、吉本側に対して最後の逃げ道をちゃんと残している。それは俺だけがわかる。見事だなと思って、あいつの熱弁もすごいなと」と称賛した。また、「吉本の事だから俺が口出しすることじゃないのはわかっているんだけど、密室で進んでいくことが多すぎるのかもしれないね。加藤はそれが嫌だったんだと思う。何人かで話し合って次の日には戻すってなったときも、密室の数人で話し合われたことが進んでしまう不安が加藤にはあったんだと思う」と推察。「会社の将来を決める局面のときに、役員会議とかそういうのってないのかなって。あまりにも記者会見が早すぎたと思う。持ち帰って本社で会議とかあったら違うんだろうけど」とも話した。そして、「辞める辞めないとか生き死には簡単に口にしちゃダメ。加藤が辞めるっていうのは本当に辞めるよ。宮迫が辞めるって言うのも本当に辞める。そういうときだけにしか辞めるって言っちゃダメで、それにクビ戻すっていうのはあまりにも軽い」と宮迫の契約解除撤回にも触れながら意見。さらに、若手の頃に加藤と一緒に営業に行ったことを懐かしそうに話し、「『独立して大変ですか?』って言ってたよ。そういえば」と明かすと、田中が「あれはただ単に興味として、俺らが太田プロ出たあとだからね」と補足した。
2019年07月24日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と田中裕二が、23日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)で、雨上がり決死隊の宮迫博之らによる反社会的勢力との闇営業問題を発端とする吉本興業の一連の騒動について言及した。経営陣が刷新されなければ吉本を辞めると表明している極楽とんぼの加藤浩次が、吉本興業東京本部で大崎洋会長と会談している最中に収録が行われたという今回の放送。太田は冒頭、「今、加藤が話し合ってるんだからさ、番組やってる場合じゃないよ。加藤の乱だから止めに行かなきゃいけないんだから。あそこ突入しようと思って」とこの騒動に触れた。そして、「でもすごいね、“吉本劇場”が繰り広げられて。タイタン出る幕ないな。吉本新喜劇ってこれのことかなって」と一連の吉本の騒動に圧倒されている様子。田中が「『下町ロケット』(TBS)とか見ているみたいだった」と言うと、太田も「『宮迫直樹』ってドラマを作って日曜劇場でやるべき」と提案した。さらに太田は、「こんなことテレビ界でないよ。吉本がやっていることを吉本の芸人が批判しているのをずっと見ているんだよ。吉本のすごさを思い知った。どんだけ(吉本芸人が)いるってことなんだよ。これはやっぱすげーなって思った」とコメント。田中も「ちょっとうらやましいところがある」「(吉本芸人が)どの番組にもいる」と語った。
2019年07月24日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、21日に放送されたTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』(毎週日曜13:00~17:00)にて、反社会的勢力との闇営業問題で吉本興業から契約解除された雨上がり決死隊の宮迫博之と、謹慎中のロンドンブーツ1号2号の田村亮が、20日に都内で行った謝罪会見について語った。太田は「会社は止めたんだろうけど、芸人ってお客さんの前に直接立ちたいんですよね。たとえ謝罪であろうとも、自分で表現したいっていうのが集まって芸人になっているわけで。そこを奪われるというのは、やっぱり我慢できなかったんだと思う」と心境を察し、「決して宮迫も亮も吉本を批判したかったわけじゃないんだよね。それは不信感を表しましたという報道も…。そういう悪意でやったわけじゃなくて、自分たちでお客さんたちに誠意を見せたいと」と話した。続けて「彼らが詐欺をやったわけじゃないから、『なにもそこまで反省しなくても』と俺は思うんだけど、あいつらは純粋だから。特に亮はよくあんな年までバカじゃないかというぐらい無垢なやつなんだよね」と述べ、「でも、あそこで語ったことは人々に伝わったから。俺は逆に『亮はこんなにしゃべるのか』と(笑)。それは芸人の強さを見せたと思う」とした。また、「もう1つは、宮迫が嘘ついたっていうけど、フライデーに突撃されて、急に写真見せられたときに『いやいや、お金もらってないよ』というのは、俺は分かるんですよ。とっさに嘘をついちゃうというのは。でも、数日後にやっぱりだめだと思って、自分で訂正したいじゃないですか。そこはくまないと。そのぐらいの嘘、保身というのは俺にはあるね。俺もやっちゃう可能性あるし。だけど、偉かったのはそこでもう1回、『あれは嘘でした』って言おうと決心したところだと思う」と語っていた。
2019年07月21日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、16日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)で、ジャニーズのテーマパーク“ジャニーズランド”を提案した。番組では、13日に放送されたTBS系音楽特番『音楽の日』で行われた滝沢秀明氏プロデュースによるジャニーズJr.出演企画の話題に。「すごかったね」「Jr.の腹筋太鼓」と振り返り、太田が「タッキーなんか、俺ら子供の頃だよね。かわいくて、美少年で」と語ると、田中も「僕もジャニーズ史上最も美男子といえばタッキー」と断言した。また、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんの功績を称え、「すごい人だなと思う」と太田。ジャニーさんに招待してもらって観劇したKing & Princeの主演舞台『JOHNNYS’ King & Prince IsLAND』のすごさも改めて語った。その後、太田は「ジャニーズの話で何が言いたかったかっていうと、ディズニーランドみたいなのを、“ジャニーズランド”って作ったら絶対ウケるんじゃないかなと思って」と提案し、「ショーやアトラクションがある。しかもランドにいる人たちみんなジャニーズの若手で、それが案内したりしたら、相当世界中から来るんじゃないかなと思って、ああいうのやったらいいのに。余計なお世話なんだけど」と説明。田中も「相当だね!」と同調していた。
2019年07月17日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、11日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)に出演。女優の蒼井優と結婚した南海キャンディーズの山里亮太に対する世間の評価の変化について「おかしいじゃねーか」と違和感を訴えた。太田は「なんだろうね、この世間の株の上がり方。山里の。何なのあれ。おかしいだろ、どう考えても」と切り出し、「いくらなんでも女の連中のあの手のひら返しはないよな。『かっこいい』とか」と指摘した。さらに、「『いいと思いますよ』って、今までそんなこと言ったことないのに。『山里さん優しいですよ』、『いい人ですよ』って言っている。『背も高いし』とか。山里が背が高いなんて話、今までだれもしてないのに、今になって背が高いとか言い出して、おかしいじゃねーか」と違和感を口にした。相方の田中裕二も「これは面白い現象だよね。今、山里を『え!?』って言うと、見る目がない人とかわかってない人みたいな風潮になっている」と言い、太田は「冗談じゃないよ」と納得いかない様子だった。
2019年06月12日お笑いトリオ・ジャングルポケットの太田博久(35)の妻でモデルの近藤千尋(29)が3日、自身のインスタグラムを更新し、第2子を妊娠していることを報告した。近藤は、太田との連名でコメントを掲載。おなかに手を当てた写真を添えて、「この度新しい生命を授かることになりました安定期に入り、体調も少しずつ落ち着いてきましたのでご報告させて頂きます」と報告した。そして、「第一子の十愛を授かった時とは全く違う妊娠生活で戸惑う事も沢山ありますが、周りの皆様のご協力を頂きながら太田家で力を合わせてお腹の子を守り育てていけるように頑張ります!!」とつづり、「引き続き温かく見守って頂けたら嬉しいです」と呼びかけた。2人は、2015年9月に結婚し、2017年5月4日に第1子女児が誕生している。
2019年06月03日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、28日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)に出演。さまぁ~ずの三村マサカズが、爆笑問題と合わないとテレビ番組で話していたことについて、「すげーショックだわ」とコメントした。太田は「そう言えばこの間、事務所に、さまぁ~ずの番組で俺らの写真を貸してくださいって(連絡が)来たんだよ」と切り出し、「三村がね、爆笑問題とソリが合わないって言うんだよ。要はうまくいかないって。爆笑問題とさまぁ~ずは相性が悪いみたいなことを」と三村の発言を紹介。「ふざけんな三村!」と大きな声を出した。さらに、「俺すげー合うと思っていたの、三村と。頭きちゃってさ。どういうことなんだよ、三村!」と続け、「あいつすげー合うなと思っていたから、すげーショックだわ」と吐露。相方の田中裕二は爆笑し、「どういうテンションで言ったのか知らないけどね」とフォローしていた。
2019年05月29日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、16日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)に出演。SNSについて「プロならやるなって思っている」と言い、その理由を明かした。この日は、タレント・ぜんじろうとの“どっちが先輩か”騒動についてトーク。TBS系『サンデー・ジャポン』での太田の発言に対し、ぜんじろうがツイッターで不快感を示したことから騒動に発展しているが、それに関連して、タレントのツイッター利用について持論を語った。太田は「俺は、ツイッターとかそういうのは、プロならやるなって思っているわけ」と意見。「なぜかっていうと、俺たちの時代はツイッターなんかないし、俺は子供の頃、テレビに憧れてね。高校時代、友達もいなくて、何の発言権もなかった時に、俺はいずれ有名になって自分の表現する場所を作ろうと思った。自分が発言する場所は、俺はテレビに求めている」と理由を説明した。続けて、「結局、俺たちってさ、ぜんじろうさ、それの取り合いをやってきたんじゃん。で、お前はその発言の場所を外国に求めたんだろう? だったらそこで発言すりゃいいだけで」とぜんじろうに話しかけるようにコメント。「俺もいつテレビから消えるかわかんない。でも、そこで発言の場所を失ったら黙っているしかないからこそ、必死になって俺たちは売れようとして、マスコミに何とか認められるようになったんだと…」と語った。さらに、「俺がもし売れなくなって、金ももらえない発言をしようとは思わない。マスコミから追い出されたら、俺には発言の場所はないと思ってるから。だからこそ頑張ってきたというのがある」と自身の考えを述べた。。
2019年04月17日山本彩さんが卒業したNMB48において、次世代エースとして注目が集まる、太田夢莉さん。休業から復帰し、心の中に宿った新たな想いに迫る。元AKB48の渡辺麻友さんのような完璧なアイドルに憧れ、小学校6年生でNMB48の第3期生オーディションに合格した太田夢莉さん。“1万人に1人の美少女”と呼ばれ、昨年秋グループのエースを務めていた山本彩さんの卒業以降、次世代センターとしての呼び声も高い。1st写真集の購入予約を受け付けるや否やAmazonで首位を記録。今、注目の存在だ。「NMB48に合格してからお披露目公演まで2か月しかなかったので、加入させていただいてからは、毎日レッスン。授業が終わったらランドセルをいったん家に置きに帰って、バッグにパンを詰め込んでからレッスン場に通っていました。片道約2時間電車に揺られて、終電ギリギリまで練習しました。歌もダンスも苦手だったのでついていくのに必死でした。特に、アイソレーションというダンスの基礎的な動きを習うレッスンが苦手で、苦戦したのを今でもよく覚えています(笑)。それから、歌詞の意味を考えても、恋愛経験なんてない子供の私はぼんやりとしか理解できなくて……。テレビで見ていたアイドルの皆さんのキラキラした笑顔の裏にこんなに壮絶な努力があったなんて、夢にも思わなかったです」パフォーマンスだけではなく人間関係とも向き合うのも、アイドルの使命。「特に同期では、何か少しでもトラブルが起こるたびに集まって話し合いをしていた時期がありました。私たちのグループは総選挙があったり、それ以外にも新曲の選抜などで常に序列があるので、メンバーは仲間であると同時にライバル。時にはどうしても複雑な気持ちを抱くこともあるんです。当時を振り返るとしんどいことも多かったけど、あの頃、無理にでも腹を割って話して、手を取り合って乗り越えてきたからこそ、今の絆がある。同期の存在は家族同然。お互いの幸せを心から喜び合える関係なんです。彼女たちに巡り会えたことも人生の財産ですね」アイドルとして順風満帆に見える中、昨年の1月には、いったん活動を休止。「デビュー以降、一気に駆け抜けてきたせいか、自分でも気がつかないうちに体力も気力もギリギリのところまで来ていて…。自分を立て直す意味でも一度休むことを選択しました」それで心が落ち着くと思いきや、そんな単純なものではなかったそう。「NMB48に加入してからいつも周りにはメンバーやスタッフの方がいたのに、休止中はずっと一人。家で部屋にこもって、壁や天井を見つめていたら、突如、“もう一生、人前に出たくない”“人が怖い”という不安に襲われたこともありました。でも、しばらくして、3月のステージで復帰することが決まって。そこに向けて新曲のMV撮影をしたりするうちに“こんなふうにひっそり活動するくらいならちゃんと復帰したい”という気持ちが自然と芽生えたんです。実際、ステージに立ったら、メンバーもファンの方も本当に温かく迎えてくださって、感謝しかなくて。今は、人が大好き。誰かと会話をするのも、新しいお仕事に挑戦させていただくのも何もかもが幸せで、心が鬱々としていたあの頃が不思議。アイドルとして再スタートを切れました」おおた・ゆうり1999年12月1日生まれ、奈良県出身。ファースト写真集『ノスタルチメンタル』(ヨシモトブックス)が発売中。ワンピース¥45,000(PINKO/PINKO JAPAN TEL:03・5778・9861)ピアス¥1,680リング¥3,900(共にアネモネ/サンポークリエイト TEL:082・248・6226)サンダル¥7,900(R&E TEL:03・3477・5016)※『anan』2019年4月17日号より。写真・嶌原佑矢スタイリスト・松島 茜(io)ヘア&メイク・Georgeインタビュー、文・石橋里奈(by anan編集部)
2019年04月11日