日常生活をゆるっと描くツマミ(@tsumami_life)さんの連載「コンプレックスと戦った話」の余談です。以前よりコンプレックスに対して前向きに考えられるようになったツマミさんですが…?【#余談】<コンプレックスと戦った話>出典:instagramため息の理由は?出典:instagramメガネに前髪が当たるから…。出典:instagram他人から見たら、意外と気にならない?
2022年01月02日新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします――とかと言いながら、気がつけばお正月はとっくに終わり、成人式も終わり、という感じで、1月はあっと言う間に過ぎますよね、毎年。だからこそ、年が改まったこの時期に、心を落ち着けて、今年1年を良い年にするためにどんな心持ちを持つといいのかについて考える時間を持つ必要があると思いませんか?時の流れに身を任せているだけだと、結局、雑事に追われて、気がつけば「2019年ももう終わるの?もうクリスマスなの?」なんてことになりかねないから。去年ってこんな感じじゃなかったでしたっけ?とくにここ数年、強く思うのは、「言葉で説明したことがすべて」という風潮についてです。説明責任という言葉って、昔はビジネスの中だけで、しかもある特定の業界の中だけで使われていたと記憶しています。たとえば、聞きかじった話だと、広告業界の人は説明責任は負うけど、結果責任は負わない、みたいに。でも、ここ何年かは、どの業界においても使われるようになった。とくに不祥事が起きたら、その会社のトップに説明責任を求める、なんてことがふつうに言われるようになった。説明責任が「社会的風潮」になったら、必然的に「説明しときゃあいいんでしょ」と考える人が出てきます。それだけならまだしも「説明したことがすべてです。他に情報はありません。だからこれ以上わたしの責任を追及されても困ります。追求してくれてもいいけど、同じ説明しかできません」なんて、ふてぶてしいヤツが出てくる。恋愛とは感覚の集積言葉、つまり意識が優位で、説明できないこと、つまり感覚が劣っている――暗黙のうちに、こういう社会的合意が形成されてしまっている社会に、わたしたちは住んでいます。これっておかしいでしょ?言葉で説明しなかったことはなかったこと――仕事なら、報告書に盛り込まなかったことはなかったことになる。だから、自分にとって都合の悪いことを隠そうと思えば、言い方を変えるか、言わないことにしてしまえば、いくらでも隠すことができる。感覚を無視して意識だけが偉そうにしている。恋愛って、言うなれば感覚の集積です。彼のことが好きだから彼にこれをしてあげたいと思う――この因果関係って、言葉では言い尽くせないですよね。なぜ「好き」と「してあげたい」という思いが結びつくのか、誰にも論理的に説明することはできない。だから、恋愛とは風邪と同じようなものです(一時的に熱が出ている状態だから、いずれ熱が下がれば治ります)と説明する人が出てきます。筋の通った説明だと思うものの、「なんかおかしな説明だな」と思わないですか?「わたしの恋を風邪と一緒にしてほしくない」と思わないですか?豊かな恋愛を目指すならそのような社会の中で、豊かな恋愛を目指すなら――ひとりの人として豊かな生活を目指すなら――当たり前のことを理屈抜きに当たり前にやれる人になるしかないように思います。たとえば、早起きしたら美容にも精神衛生的にもいいです、と、いろんな人が言っていますよね。それに対して「なぜですか?」と、理由を求める人がいるでしょ?その求めに対して、ある識者が「なぜもなにもないんです。人は縄文時代から早起きする生き物なんです。人のカラダってそういうふうにできているんです」と答えたら、きっとその人には次の仕事はやってこない。今の世の中って、そんなもんです。でも、そういうふうに答えるのが、じつは正解なんですよね。早起きに理屈なんか、本当はないから。というようなことが理解できれば、今年1年は、きっといい年になります。恋愛も人の生活も、もともとは感覚優位にできています。それを「意識が上、感覚が下(劣っている)」と決めたのは、きっとあなたではないですよね。偉い人たちが無意識のうちに自然とそう決めてしまったことであるはずだから。自分に嘘をつかない生き方「好き」と思ったら、理屈抜きに「好き」と言う、あるいは好きという態度をとる。「これをやれば恋の駆け引きに勝てそうだけど、卑怯かもしれない」と思えば、やらない。感覚優位な生き方って、たとえばこういうことです。自分の気持ちに正直に暮らすことを、感覚優位な生き方と呼びます。去年1年は、そこここで説明責任を果たしているふりをしている人たちがいたから、今年もきっとそういう人が目につくことでしょう。社会の風潮って、年が改まったからといってすぐに変わるものではないから。でも、そういう社会においてであっても、少なくとも個人のレベルで、自分に嘘をつかない生き方を模索してみる。そういうところから、いい恋が、いい生活が、引いてはいい1年が生まれるように思います。世知辛くしょっぱい世の中で、今年もお互いがんばりましょう。(ひとみしょう/作家)
2019年01月19日「もし〇〇だったら」と、まだ訪れていない未来を不安で塗り固めてしまうネガティブ思考さんって、どうすればそのネガティブ思考が直るのか、というのが本項のテーマです。「もし人に嫌われたら」と思って、自分の思っていることを正直に言えないとか、好きな人に告白できないとか、そういう自分で自分を縛っている感じから自由になれれば、超ハッピーな人生が待っていますよ。ネガティブな人って、生きていることの意味を探している人ですちょっと大きな話に聞こえるかもしれませんが、ネガティブな人って、生きていることの意味を探している人です。つまりニヒリストです。ニヒリストって、「人生に意味などない!」と豪語している人のことじゃなくて、「人生には意味があるはずだ」と、果てしなく思っている人のことなんですね。意味があると思っているから、それを探し求め、結論として「意味なし」と思い込むというのは、その人が「人生には何らかの意味があるはずだ」と思っているからに他ならないのだから。意味なんてないと思っている人は、意味という言葉すら使わないのだから。わたしは人に比べて劣っているという劣等感や、クヨクヨしがちな性格や、すぐに失敗が怖がるクセや、人の目が気になるクセというのは、すべて生きている意味を見つけたくて、でも見つからないから不安だ――「わたしが今ここに存在していること自体が不安だ」ということなのです。つまり、意識的であれ無意識的であれ、自分に対して絶望している人はすべてネガティブ思考を持っている人です。ある哲学者は「人はみな絶望している」と言っているので、なにも自分に絶望している自分を恥じることはないです。だって「みんな」絶望しているのだから。自分で自分に絶望していることに気がついているだけ、あなたは優秀です。わたしたちはなぜ絶望するのでしょうか?たとえば女子アナになれなくて、自分に絶望している人もいるでしょうし、欲しいカバンが買えなくてそういう自分に絶望している人もいるでしょうし、好きな人に好きと言えなくて絶望している人もいるでしょう。わたしたちはなぜ、大なり小なり絶望するのでしょうか?答えは、生きていることの奇跡性に気づいていないから、です。究極的には、人って意味もなく生まれてくるんですよね。お坊さんが「人は何らかの使命を持ってこの世に生まれてきます」というのは、あとから仏教がくっつけた教えであって、物理的には意味なく生まれてきます。お父さんとお母さんがエッチしたから生まれてきたわけですが、エッチしたことに意味はあるのか?あなたももういいオトナだからその答えはわかりますよね。愛しているからエッチした、という答えもあれば、意味もなくエッチしたこともあれば。でも愛しているからエッチしたとしても、では愛することとエッチにどんな因果関係があるのか?エッチなしで愛することを「愛すること」とは言わないのか?などなど、こういうことをとことん突き詰めて考えるのが哲学の役割なんだけれど、哲学を語ると誰も読みたくなくなるくらい難しい文章になるので端折ります。人生は究極的には偶然と奇跡でできています人生は究極的には偶然と奇跡でできています。偶然、あなたのお父さんとお母さんがエッチして、奇跡にも堕胎という選択がなされなかったからあなたが今この世にいて、この文章を読んでいます。奇跡にもあなたはあなたとして、今ここに存在しています。あなたが山田花子さんだとして、あなたはなぜ山田花子なのか?という問いも哲学にはあります。認識論とか独我論などがそういうテーマを扱っています。その答えは哲学者の数だけあるけれど、ようするに山田花子さんが山田花子さんであるのは偶然と奇跡によってでしかない、と言っている哲学者がいます。つまり、あなたがあなたであることにさしたる意味はなく、偶然、奇跡にもあなたはあなたなのだと。ネガティブ思考の人は、感謝する気持ちが足りていないここで言う奇跡とか偶然って、たとえばハワイで見る壮大な夕焼けみたいなものです。偶然にも雨があがって、こんなに素晴らしい夕焼けを見れるなんて、ちょっと奇跡としか思えないよね、みたいなことです。その、本当に、心底素晴らしい奇跡性と偶然性を、わたしたちひとりひとりの生は持っているのです。公にされないだけで、今でも、生後すぐに人によって天国に送られる嬰児がいます。日本の平均寿命が高齢なのは、もちろん医療の発達のおかげでもあるのだけれど、データに入れられなかった嬰児がいるからでもあるのです。うまくこの世に生まれても、たとえば子育てを放棄する親がいます。交通事故で亡くなる人もいます。その数、年間3000人超です。大きな高校まるごと3つ分くらいの人が毎年この世を去っているのです。自殺する人もいます(年間2万5千人も!)でもおそらく、今これを読んでいるあなたは、それなりにスクスクと育てられ、文字が読め、スマホやPCを所持できるお金に恵まれていますよね。それって奇跡的なことなんですよ。泣けてくるくらい奇跡的なことなですよ。だから、ネガティブ思考の人は、感謝する気持ちが足りていない――こう結論づけることもできるのです。(ひとみしょう/作家)
2018年11月22日8月に不妊治療をテーマとした『鈴虫』という中編小説を出版したら、即座に何人もの人から「実話ですか?」と聞かれました。「実話だと小説としてではなく、ノンフィクションとして売り出します」なんて、つれない返事ができるわけもなく「いや、まあ」とお茶を濁しました。 小説って、「小説的な書き方」をするから小説になるのであって、実話をもとに書いたとしても、そこにはいわゆる小説的な嘘が含まれているものです。 さて今回は、不妊治療に協力的でない彼に協力してもらうにはどうすればいいのか?について、一緒に見ていこうと思います。とにかくよく話し合うこと!これに尽きる不妊治療にかかわる肉体的な負担は、言うまでもなく女性が一身に受けることになります。「もし子どもを授かれなかったら」という不安や恐怖、それに加え、治療のために会社を早退する時の心苦しさなども、女性が一身に受けることになります。彼にできることは……まずは言うまでもなく、彼女が安心して治療を受けることができる経済的な環境を整えることです。心身の苦痛と経済的不安、それらすべてを女性が引き受けなくてはならないとなれば、女性はもう地獄ですよね。 がしかし、「頑張っても今月も妊娠しなかった」という結果を聞いて、ある旦那さんは近所のスナックに飲みに行くそうです。半分やけ酒みたいなことだろうと思いますが、「そのお金、婦人科に渡せば?」ですよね。彼に悪気はない、理解できていないだけ当たり前みたいに聞こえるかもしれないけれど、不妊治療に協力的でない彼に協力してもらうには、まずは夫婦でよく話し合うことです。これに尽きます。男はなにも悪気があってスナックに行くわけじゃあないんですよね。また、悪気があって「今日の治療も大変だったよ」と言う奥さんの話を聞き流しているわけでもないんですよね。男として、不妊治療がいかに大変かを理解・想像できないから、女性がカチンとくる(あるいは悲しくなる)言動に出るのです。そのような男に、妊娠の大変さをリアルに想像できるまで理解させようと思えば、これはもう話し合うしかないです。 女性は小6か中1の時に、女子だけ集められて妊娠の話を先生から聞かされたと思います。その時、男子が何をしていたか知ってますか?自習です。あるいは自習とは名ばかりのおしゃべり大会。それ以降、男が女性のカラダについて知る機会は……保健体育の授業で「男」の先生がちょろっと教えてくれて……あとはエロ本の世界でしょう。 つまり男って、女性のカラダのことや妊娠のことを、ほぼ何も知らないのです。だから女性が言って聞かせるしかない。不妊治療の「ゴール」を旦那さんと共有しようとはいうものの、不妊治療をしていればお金はどんどん消えていくし、婦人科に通っていれば夫婦ですれ違いの生活になりがちだしで、どうしても、「気がつけば今週は夫と10分しか会話してない」ということになりがちだったりします。夫婦で話をする時間を「強制的に」たくさんつくる――この意識を旦那さんに刷り込むことです。それしかないです。 男って、不妊治療をすれば妊娠すると、牧歌的なことを考えているところがあります。だから、治療の終わりをいつにするのかを考えたことのない人が大勢います。「治療の終わりは妊娠した時であって、それ以外の終わりって、わたしが妊娠しないとわかった時だって言いたいわけ?」というトークは「なし」です。治療の終わり、つまり妊活のゴールが漠然としているがゆえに、夫婦がすれ違うこともあるのだから。いったんすれ違ってしまった夫婦の心には、鈴虫が鳴くのみです。それはあなたにとっても旦那さんにとっても、生き地獄以外のなにものでもないのです。そうなる前に、まずは夫婦でおしゃべりをば。(ひとみしょう/作家)
2018年11月10日先日、期せずして、2つの企業の採用担当者とお酒を飲む機会に恵まれました。ふたりとも僕と仲良くしてくださっている大学の同級生であり、お酒が入っていることも手伝ってか、生の「採用あるある情報」が酒席を飛び交いました。 その中から、今回は、ポイントと思われる2つのことについてお届けしましょう。「またマニュアル通りの受け答えが始まった」面接される側って、とにかく緊張しているし、面接官のウケを良くしたいと思って、ついマニュアルに手を出しがちじゃないですか。『面接必勝マニュアル』とか。そういう本に手を出すのが良くないというより、そういう本の著者はいったい何を考えているのか?ということなんですが、「御社に貢献したくて」とかという言葉を聞いて、面接官は「また始まったよ」と思うそうです。 君はいったい「御社」の何を知ってるの?貢献したいってことはうちの会社のことを知ってるってことだよね?知らないのなら「知りません」とか「とにかくどこでもいから就職しないと生活費が困るんです」とかと言ってみれば?と、ちょっと意地悪なことを腹の中で思いつつ、マジメな顔で「御社に貢献したいんです……それで……」みたいなトークを聞いているらしいっす。 ひと通りマニュアル通りの受け答えが終われば、ある採用担当者はマニュアルを読んでも答えに困る質問をするんだそうです。たとえば「昨日の夜、何を食べましたか?なぜそれを食べましたか?」とか「最近、何にハマってますか?」とか。まあ、当然といえば当然ですよね。採用担当者が本当に知りたいのは「その人の人となり」なのだから。素直かどうかまた、別の採用担当者は、そもそも面接に来た人の話の内容なんてほとんど聞いていないのだそうです。ではその採用担当者は何を見ているのかといえば、1つしかなくて「素直かどうか」だけだそうです。とくに中途採用の場合、その人のそれまでのキャリアがうんぬんというより、「弊社」の仕事のやり方に慣れてくれそうな人かどうかというのが、採用する側の死活問題だというのは、あなたが採用する側に立てばよく理解できることですよね。同じ業界の似たような職種に転職したところで、会社ごとに仕事のやり方が違うなんてことはよくある話で(いわゆる潰しがきかない仕事)、だからいかにうちの会社のやり方に早く慣れてくれそうか――簡単にいえば素直な性格かどうかしか見ていないんだそうです。「いい人材って、ホントいないのよねえ」新卒を200人採用しましょう、みたいな巨大企業の新卒採用の実態は知らないけれど、アラサーになれば、きっと多くの人は上にご紹介したような感じの面接になるだろうと思います。たとえば大きな会社に面接に行っても、じつは部署単位での採用であって、今回の面接は**さんという特定の上司と相性の良さそうな人を採用したいという意図が採用担当者にあるとか。 人間らしい受け答えができて、かつ、素直であること――これが今回、酒席で暴かれた採用担当者の採用基準でした。ほかの採用担当者と仲良くなって酔わせると、またちがった意見が出てくるのかもしれませんが、今回はこういうことで。 ちなみに、お話をお聞きした2名が口を揃えて言ったのは「いい人材って、ホントいないのよねえ」でした。そのうちの1名は、「うちの会社に履歴書を持ってくる人材紹介会社の人に『たまにはまともな履歴書を持ってこい!』とブチ切れた」そうです(人材紹介会社にかなりの額を支払っている会社の採用担当者のボヤキだと解釈してくだされ)。それにしても、採用する側もされる側も、苦労が絶えないんですねえ……しみじみ。(ひとみしょう/作家)
2018年10月28日ほんの2~30年前はまだ、マッチングサイトなんていう言葉はなくて、ダイヤルQ2とか出会い系サイトと呼ばれていました。ダイヤルQ2とは、音声電話を使った有料情報サイトのことで、出会い系以外にも、たとえば有料で競馬予想の情報を流すサイトもありました。ダイヤルQ2→出会い系サイト→マッチングアプリその頃の出会い系のダイヤルQ2は、淋しい男がかなりの額の通話料をつぎ込むイメージが染みついていたので、男たちは誰にもバレないようにこっそりと利用していました。たとえば深夜の公園の隅の公衆電話から電話していました。あるいはひとり暮らしの部屋の固定電話から利用していました。淋しい男だと思われるのが、男にとってはもっとも恥ずかしいことだからです。一方、女子は……淋しい男を冷やかすために電話する人と、とにかくエッチしたいから電話する人と(本当にいました)、ホントに淋しくて淋しくてどうしようもないので夜ごと電話する人(ヤラせてあげると言って男の気を引いて、その会話を楽しみつつ通話料をガンガンせしめる女子。まあ本当に淋しかったのだろうと思うけど)とがいました。ネットができてから、出会い系サイトが誕生し(ダイヤルQ2は急速に廃れた)、いわゆる「サクラ」を大量に雇って、男から金を搾り取る業者が複数登場しました。利用する男女の性質は、ダイヤルQ2と同じです。出会い系の業界が比較的まともになった(まともに見えるようになった)のは、ここ最近です。昔のことを知らない人がいるというのはある意味では非常にいいことで、昔のダイヤルQ2の時代やサクラが闊歩している時代の出会い系サイトの時代を知っている人であれば、懲りているゆえに、あるいは「登録してもろくな人と出会えない」という先入観を持っているがゆえに利用しないであろうマッチングサイトを、昔を知らない人はなんの先入観もなしに利用し、その結果健全なカップルが複数誕生すれば、やがて世論も「マッチングサイトは昔の出会い系とはちがってまともだ」という方向に流れ、今やマッチングアプリで彼氏・彼女を見つけて結婚する人たちってたくさんいますよね。身分証が必須であったとしてもさて、マッチングサイトでいい彼氏に出会おうと思えば、まずは言うまでもなくまともなサイトに登録すべきです。どのサイト(アプリ)がまともなのかは、あなたの勘で選ぶしかありません。今の時代、どこのサイト事業者だって、それなりに見栄えのする広告を流しているわけだから、パッと見だけで、まともかまともじゃないかを見極めるのはむずかしいです。そもそも昔の出会い系サイト事業者がそのまま、マッチングアプリ事業者に社名を変えただけ、というケースもあるからね。表からはわからないようにうまく社名を変えたり、社名にかかわらず出会い系のシステムだけを買収したりされたりしているから、我々素人にはまともかまともじゃないかの判断がつかないことのほうが多いのです。で、ですね、その勘をどう養うのかといえば、まずあなたが「エッチしたいだけ」なのか「ホントに切実に人生のパートナーを求めているのか」どちらのスタンスをとっているのか、自分のスタンスに自覚的であることです。切実に人生のパートナーを求めているのであれば、本当は顔が見える&健全性がほぼ保証されているフェイスブックやインスタを使うといいと思うんですよね。なぜなら、あなたにその気がなくても、やっぱりマッチングアプリにはヤバい男(ヤリたいだけの男)が登録しているから。なぜならマッチングアプリの多くは、たとえ身分証が必須であったとしても、匿名性を持っているという認識が世間にはまだまだ残っているから。これは、先に書いたダイヤルQ2とか、サクラを大量に雇っていたヤバい出会い系サイト事業者が残していった残り香が主な原因でしょう。男って「女子が持つ気」にすごく敏感です不思議なもので、「出会いがほしいな、結婚もしたいな、でも今年1年くらいはヤレるイケメンと気軽に遊ぼうかな」みたいに、ふらついた気持ちでマッチングサイトに登録したら、そういう気持ちを男たちは見抜くんですよね。やりとりしているメッセージに感じとることもあれば、あなたのプロフィールに感じとることもあるのだけれど、とにかくあなたがどれだけお行儀よく振る舞ったとしても「言外の雰囲気」によって、「ヤレそう・遊べそう」というのが、男たちには伝わっているのです。というようなことを、端的な言葉でいうなら、「自分をしっかり持ってマッチングアプリを利用すれば、ステキな彼氏と出会える」とか「自分の身は自分で守るという強い意思のもとで利用すれば……」というようなことになるのだけれど、でもそこまでの強い意思を持つくらいなら、友達に「誰か彼氏紹介してよ」とLINEで気軽に頼んだほうがはやいと思うんですが、そうでもないですか?(ひとみしょう/作家)
2018年10月18日今の時代、友達友達と言い過ぎです。だから、ひとりが好きで友達なんていてもいなくてもどっちでもいいと思っている人までもが「友達がいないわたしっておかしい?」とか「友達がいないと言うと淋しい人みたいに思われて恥ずかしいから、友達をつくらねば!」という強迫観念をもってしまって精神衛生上よろしくないというか、こういう「友達のつくりかたはこれ!」というふざけたタイトルの記事が読まれることになるとか、まあそういうことになるわけです。がしかし、ふざけないで大真面目に、30代からの友達のつくり方について考えてみたので、よかったら最後までお読みください。30代って人生が大きく変わる最初29歳とか31歳とか33歳とか、30代前半あたりにいる人は、もしかすればまだわかっていないかもしれないけれど、30代って人生が大きく変わる最初です。30代でまず大きく人生が変わって、次に変われるのが40代です。40代にもなれば、おそらく多くの人は社会人を20年ほど経験していると思います。そしてあと20年すれば60歳。還暦です。つまり40代って、ざっくり言えば社会人人生の折り返し地点です。この折り返し地点で人生がガラリと変わる人って意外と多いです。今までのようにアクセクと働くことに疑問を感じて田舎に移住する人も出てきます。まったくちがう職種に転職する人も出てきます。たとえば広告業界で営業をしてきた人が、その激しい営業の世界に嫌気がさして、大学でコミュニケーション関係の講師になったケースもあります。こういう転職は40代ならではと言えるのではないかと思います。企業によってはホントに「そんなことまでして営業するって正気の沙汰か?」というようなところってあるし、そういう激しさに対する我慢の限界が、その人に人生を俯瞰させ、転職させるというのは、なんとも40代らしい。30代になれば「経験がひとりでに歌い出す」30代における人生の変化って「じつは自分にできることはもっと他にあるのではないか」とか「どこか別の場所のほうが自分に向いているのではないか」など、「自分の可能性に気づき始める」というのがポイントです。もっと具体的に言うなら「現実的な新しい自分の可能性に気づき始める」とピンポイントで特定してもいいかもしれない。そしてそういう、自分の直感とでも言うべきものにしたがって行動しても、そう大きく道をまちがわないというのも、30代の強みです。20代のうちはまだ経験が教えてくれるものが少なかったけれど、30代になれば「経験がひとりでに歌い出す」から、自分の勘にしたがって行動しても、そう大きくはまちがわないから。人は自分の人生を生きるしかないなので、たとえば、30代になって、子どもの時にやっていたバレエをもう一度やろうと思って、どこかのカルチャースクールに通いはじめたらそこで友達ができた、という人がいます。30代になってやりたい勉強が見つかって、大学に入り直したら(あるいは大学院に入ったら)そこでステキな人と出会って結婚した人もいます。ちなみに「通える通信制の大学(大学院)」っていくつもあるし、さほど学費が高くないところもあります。20代の頃って、やたら他人の目が気になって、やりたくてもできなかったことをきっと多くの人が抱えていると思うんですよね。そういう意味で言えば、誰にとっても30代のいいところって、他人の目を気にすることが20代よりも減ることです。周囲の人があなたのことを気にしなくなったから、あなたも他人の目を気にすることが減ったのか、あるいはその逆か……でも思うんですが、これは30代という年齢がわたしたちに「自分の道を歩きなさい」とメッセージしている、と見るのが正しいように思います。人は自分の人生を生きるしかない――この、人生を前にした非常に謙虚な考え方にハッとさせられるのが、おそらく誰にとっても30代なのでしょう。そしてこれも誰にでも言えることであるはずですが、自分の道をひとり謙虚に歩いている人に、友達ができないわけがないのです。(ひとみしょう/作家)
2018年09月30日会社の人間関係に悩み疲れたら、そこから逃げるといい――この言い方は誰でも一度は聞いたことがあると思います。逃げることが「負け」みたいに思えても、まずは逃げる。逃げることで義理を欠くように思えるのであれば、心の中で「これまでお世話になりました」と手を合わせつつ逃げる。心の中で手を合わしたという事実を、相手はあとになって知るから大丈夫、義理を欠くことにはならない。人間関係にホトホト疲れ果てたたびに逃げたらどうなるのか?たとえば僕は、流れ流され、ひとりで仕事をする職業に落ち着きました。そう、文筆家になったのでした。だからみんなもぜひ、とは言わないですが、今回は会社の人間関係で悩まなくてすむ方法があるとするなら、それはどのような方法なのかについて、一緒に見ていきたいと思います。2:8の法則これもよく言われていることなので、もしかしたら知っている人もいるかもしれないけれど、「2:8の法則」というものがあります。たとえば「会社の中で真剣に仕事をしている人は2割で、あとの8割はそれなりにうまく手を抜いて仕事をしている」と言われることがあります。あるいは「優秀な人10人でチームを作ったとき、2人はやっぱり優秀で、あとの8人は予想を下回る頭脳プレイしかしなかった」とか。で、今度はその下の8人だけでチームをつくると、1~2人がずば抜けて優秀で、あとの5~6人はさっぱりダメ、みたいな感じです。アリなんかの昆虫を使った実験でも、この2:8の法則が証明されているようで、人間界&自然界におおむね適応される法則であるようです。会社の人間関係にもきっと当てはまるはずこれ、会社の人間関係にもきっと当てはまるんですよね。30人いる部署なら、6人くらいはそれなりに気の合う人で、あとの大勢は「まあまあ」か「ぼちぼち」か「すっごくイヤなやつ」か、みたいな。で、その気の合う6人で退職して小さな会社をつくったら、やっぱり2:8の法則で、1~2人とは気が合うけれど、あとの人とはぼちぼちやっていくしかない、みたいなね。というわけで、どこの会社で働いても、気の合う人は2割くらいで、あとの8割とは仕事仲間としてそれなりにうまくやっていくしかない、というのが、人間界&自然界の法則であると割り切れば、会社の人間関係に悩んでも「まあしかたないか」で済むと言えば済みますがが、でもそれじゃあ答えになっていないと怒り出す人が出てきますよね。こういう答えを求めているわけではないと思うのですが・・・思うんですが、他人と自分の過去は太陽が西から昇るようになったとしても変えられないのだから、大筋としては冒頭に述べたように「逃げる」のが一番いいです。逃げたくないのであれば、いわゆる「声がでかいヤツ」になるしかないです。イヤなヤツって、上司に根回しするのがうまくて、声がでかくて、陰湿な手を使ってでも自分の思い通りにするヤツのことでしょ、たいていは。そういう人のことを「この人、生理的に無理」と思うのなら、生理的に無理というのはどうしようもないので、そいつが視界に入ってこない場所に避難する以外、方法がない。この世の中って、「政治」がうまい人が幅を利かせるようにできているから、どうしても誠実にマジメにコツコツやっている人が割を食います。これはなにも今の時代に限ったことではなくて、1000年くらい前の和歌にも「もう人間関係に疲れたよ。さっさと退職して隠居したいなあ。でも隠居してもきっと、どこまでもややこしい人間関係ってついてくるんだろうなあ」ということを歌っている歌があるので、昔も今も人間関係に悩んでいる人は、どこに行ってなにをしても悩み続けるんだろうね。いっそのことイヤなヤツからも好かれてしまうといいですでも思うんですが、イヤな人間関係を「より我慢しやすい環境」にみずから行くことはできるよね。そういう場所がどこにあるのかわからないという人は、まずは「より我慢しやすい環境に高跳びしたい」と願うところから始めるといいです。人間関係という「目に見えないもの」は、願うという目に見えないことに「還してあげる」からこそ、あなたならではのしっくりくる結論がおのずと出てくるのであって、たとえば「明日から会社の人間関係が良くなる本」なんかを読んだからといって、どうなるものでもないです。そういう自己啓発的なハウツーにすがろうとするから失敗します。見えないものの力を信じること――この出発点から始めることで、好きな人はもとより、イヤなヤツからも好かれて、人間関係が良好になる――はずなんですが、なかなかどうして苦戦中でございます。(ひとみしょう/文筆家)
2018年09月14日「彼に結婚しようと言われたけれど、もし彼が**だったら結婚生活が不安だな、どうしようかな、結婚しようかな、それとも結婚するのやめとこうかな」と悩むとか。あるいは仕事で「これを上司に報告したら上司の間違いを指摘することになるけれど、さて上司に報告したものか、しないほうがいいのか」と悩むとか。ネガティブ思考を10個くらいかき集めてきたら、それで長編小説が1つできるくらいネガティブ思考とそれに端を発する行動には終わりがないもので。さて今回は、ネガティブ思考ってどうやって直せばいいんだっけ?ということについてお話したいと思います。経験してそこから脱した人じゃないとうまく語れないネガティブ思考って、それを経験してそこから脱した人じゃないとうまく語れないんですよね。ネガティブ思考にがんじがらめにされて、何回もチャンスをふいにしてしまったことのある人は決して「開き直りが肝心!」とは言わないです。だって、開き直ることができないからネガティブ思考なのであって、そんなことが簡単にできれば誰だって自分のネガティブ思考について悩まないですよね。「今この時に集中しよう」という言い方も同じでしょう。「人は過去を生きているのでも未来を生きているのでもない。現在を生きているんだ」という理屈とセットで「今を生きよう、そしたらネガティブ思考から脱することができる!」なんて言う人がいるけれど、だからそれをする方法を教えてくれっちゅうに、ということでしょ?心理学が教える「脱ネガティブ思考法」ネガティブ思考をどうにかする簡単な方法は、心理学でよく言われていて、1つは運動することなんだそうです。運動といっても1日5分歩くだけ、というのでもOKみたいです。深呼吸する、という方法も、先日、心理学の先生が紹介していました。こちらも1日5分でいいから、意識的にゆっくり深く呼吸をするようにすれば、少しずつネガティブ思考が消えてくれるんだって。睡眠をとる、という方法も、心理学的には有効らしいです。寝不足の時って、わけもなくあれもこれもいろんなことがうまくいかないような気持ちになってきませんか?そういうの、いったん寝ることでチャラにできれば一番いいよね。朝起きてまっさらな太陽を浴びたら、昨夜のネガティブが大空の彼方に飛んで行ったとなれば、もうその日1日がすごくハッピーに思えたりして。そういう、比較的簡単な方法で消えてくれるネガティブは全然いいんですが、消えてくれないネガティブさはどうしたものか?ポジティブ思考さんの「じつは・・・」唐突ですが、あなたから見て「この人、いつも楽しそうでいいなあ」とか「いつも自分がしたいことだけをやっているように見えていいなあ」と思う人っていますか?ネガティブさんはとかく隣の芝生を青色だと見ている節があるので、きっといるでしょう。いつも楽しい人は、じつは楽しくないと思えることを楽しくやる工夫をしていたりします。いつも自分のしたいことばかりやっているように見える人は、じつはそう見えるだけであって、たとえば月末になればやりたくない領収書の整理なんかをしていたりします。なので、「いつも楽しそう」とか「したくないことを一切やっていない人に見える」というのは錯覚です。がしかし、あなたがそういう人に憧れるのはきっと「べき論」に支配されていない生き様に見えるからでしょ?「べき論」からの卒業こうすべき、とか、これはこうしなくてはならない、とか、そういう考え方を「べき論」と呼びます。ネガティブ思考の人って、この「べき論」をすごく強く信仰しているんですよね。つまりどこかしら優等生的な考え方を持ってしまっているということです。これに無自覚なままだとネガティブ思考は直りません。自覚的になって「でもわたしはこれはこうすべきだと思うし、そういう考え方を直そうとは思わない」と開き直ってみたところで、ネガティブ思考は直りません。べき論からの卒業って、べき論の対極、つまり「楽しむことに集中する」ということです。24時間すべてを楽しむ!もっと具体的に言うなら、24時間楽しむためにどのような工夫をするといいのかを考える。これを意識するだけであなたの心からネガティブは消えてなくなってくれます。もちろん少しはネガティブが残りますが、残っているネガティブは生存のために必要なものです。100%ポジティブ人間なんて、今頃、崖の下に転落してこの世にいませんって。だから生き残っている私たちはみな、「ちょいネガティブ」にできているんです。(ひとみしょう/文筆家)
2018年09月10日TBSで28日、今年のニュースやブームにまつわる"余談"を当事者や関係者が続々と発表する『余談大賞2016 激動の今年総ざらい!重大ニュース(秘)話祭り』(21:57~23:54)が放送される。お笑いタレントの東野幸治とモデルの新川優愛がMCを務める。東野は「今年もいろんなことがあったので、芸能ニュース以外でも築地市場移転の余談とか、社会問題のような余談も加わってきましたし、あとなぜか海外ロケとかマグロまるまる一本解体とか、どうやりくりしたか知らないですけど、妙に番組が派手になっていました!」とコメント。「個人的には博多駅前陥没の余談が印象的でした。あと、岡田結実ちゃんの余談もですかね」と収録を振り返った。また、「僕の今年の余談は、大阪の番組で週刊文春のベッキーさんとゲスの極み乙女。の川谷さんのLINE流出の件を、熊切あさ美さんとはしゃぎながら朗読したんですね。(大阪なので)バレてないと思っていたら、ベッキーさんが知っていて、『ワイドナショー』で『やってましたよね・・・』ってすっごい言われてしまいました」と告白。「後日、本人には届いていないと思いますけど、番組で熊切さんと二人で真剣に謝りました。『本当に申し訳ございません・・・!』と」と明かした。なお、同番組では2016年に隠された初出し裏話が満載。「メイプル超合金ブレイクの余談」「岡田結実ブレイクの余談」「文春砲の余談」「ゲスの極み乙女。活動休止前ラストライブの余談」「ピコ太郎の余談」「フリー女子アナ大躍進の余談」「真田丸フィーバーの余談」「朝ドラ大ヒットの余談」といった芸能界の話題に加え、「築地市場移転の余談」「ディズニーランドの余談」「博多駅前陥没の余談」「トランプ次期大統領の余談」なども取り上げる(予定)。(C)TBS
2016年12月27日