福島県三島町は、1977年にアジアの歌姫テレサ・テンが当時発売した新曲「ふるさとはどこですか」のキャンペーンで訪れ、町民と心の交流を持ち、町の特別町民に加入した「テレサ・テンの日本のふるさと」です。この度、三島町ではこのテレサとの交流の絆をより多くの皆様に知って頂きたく、当時町内で撮影された彼女の貴重な写真や、関係各所からお借りした写真、レコード、CD、受賞トロフィー、衣装などを展示する「テレサ・テン企画展」と、テレサファンの皆様と交流を深める「オンライン交流会」を開催いたします。≪企画展≫~テレサ・テンが心を寄せた日本のふるさと~展示物 :三島町内に残るテレサ・テンの貴重な写真、関係者からお借りした写真、レコード、CD、受賞トロフィー、衣装など開催期間:2022年8月27日(土)~2022年10月2日(日)場所 :三島町交流センター山びこ(ギャラリーホール)所在地 :福島県大沼郡三島町大字名入字諏訪ノ上418入場料 :200円(三島町民無料)※企画展の限定グッズも販売いたします。(三島町×テレサ・テンオリジナルCD、オリジナルクリアファイル、オリジナル木はり絵)≪オンライン交流会≫内容 :テレサ・テンの実兄 財団法人トウ麗君文教基金会董事長 トウ長富氏からのメッセージ動画の上映舟木稔氏が振り返るテレサ・テンとの思い出(動画の上映)テレサファンとのオンライン交流(テレサ楽曲の歌唱)開催日時:2022年8月27日(土)15:30~(定員100名 ※事前の電話お申込みが必要)場所 :三島町交流センター山びこ(イベントホール)参加料 :無料※企画内容が変更になる場合がございます。協力:財団法人トウ麗君文教基金會、ユニバーサルミュージック合同会社、舟木稔、平野久美子■企画展に関するお問合せ先、オンライン交流会のお申込み先三島町地域政策課(平日 月~金 9:00~17:00)TEL:0241-48-5533※詳しくは、以下の特設サイトをご確認下さい。 テレサ・テン■テレサ・テン プロフィール1953年1月29日生まれ。台湾雲林県田洋村出身。14歳の時に母国台湾でデビュー。東南アジア、香港と活躍の場を広げ日本でのデビューは74年で、2枚目の「空港」で新人賞を受賞。その後、円熟味を増した歌で「つぐない」「愛人」と人々を魅了、全日本有線放送大賞ほか数々の賞を受け「時の流れに身をまかせ」は日本最大のヒット曲となる。70年から80年代を中心に活躍。95年5月8日休養先のチェンマイで急遽。■展示品 ※一部抜粋(展示内容が異なる場合もございます)ミニコンサートで歌うテレサ(1977年三島町内)雪の中にたたずむテレサ(1977年三島町内)ミニコンサートでの記念撮影(1977年三島町内)台湾で天才少女と呼ばれた幼い頃(1960年代)香港で人気スターになった若き日のテレサ(1970年代)日本デビュー時の写真(1974年)「つぐない」で全日本有線大賞を受賞(1984年)■テレサ・テンの日本のふるさと「三島町」1977年、まだ雪の残る3月、新曲「ふるさとはどこですか」のPRキャンペーンのため、若き日のテレサ・テン(当時24歳)が福島県三島町を訪れました。三島町がキャンペーン場所に選ばれた理由は、当時、町が全国に先駆けて実施していた「ふるさと運動」がきっかけで、「ふるさと」という言葉が、彼女と町を結ぶきかっけの言葉となりました。町民は彼女を温かくもてなし、町内ではミニコンサートが開かれ、彼女は特別町民に加入し、互いの心の交流が生まれました。今でも町には、彼女が歌ったミニコンサートの写真や会場、町民との記念写真、記念に植えた「白樺の木」が残されており、町では「テレサ・テンの日本のふるさと三島町」として、この思い出を大切に語り継いでいます。【詳細参考】福島県三島町「テレサ・テン」ゆかりの地マップ テレサ・テン歌姫音路 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年08月12日福島県三島町は、44年前にアジアの歌姫テレサ・テンが新曲「ふるさとはどこですか」のキャンペーンで訪れ、町民と交流を持った「テレサ・テンの日本のふるさと」です。この度、この素晴らしい出会いを記念して、テレサ・テンとコラボした「オリジナルCD」を製作し、11月18日から三島町観光協会及び、ネットにて販売いたします。また、販売を記念して、CDを購入頂いた方限定300名様に、当時の三島町で撮影されたテレサ・テンの貴重な写真を多数掲載した「2022年版テレサ・テンメモリアルカレンダー」をプレゼントするキャンペーンを実施します。【CD販売価格】合計2,020円(税込)内訳:CD定価1,650円(税込)/1枚送料:全国一律370円(税込)【キャンペーン期間】2021年11月18日~2021年12月28日まで【キャンペーン特典】期間中の購入者様に「2022年度版テレサ・テンメモリアルカレンダー」をプレゼント(限定300名)※メモリアルカレンダー300名様分がなくなり次第、本キャンペーンは終了となります。【CD購入方法】(1)ネット販売三島町×テレサ・テン オリジナルCD販売サイトにて、お申込フォームから受付※オリジナルCD販売サイト: (2)三島町観光協会にて直接販売※三島町観光協会〒969-7511 福島県大沼郡三島町大字宮下字宮下214-5「からんころん」内TEL:0241-48-5000【協力】財団法人鄧麗君文教基金會、ユニバーサル ミュージック合同会社三島町×テレサ・テン オリジナルCDテレサ・テン メモリアルカレンダー■三島町×テレサ・テン「オリジナルCD」、「メモリアルカレンダー」について【オリジナルCD】・44年前、三島町でテレサが歌った「ふるさとはどこですか」の他、人気曲を計4曲収録※ご注意:当時の三島町で歌われた音源を使用している訳ではありません。【収録曲】1. ふるさとはどこですか 2. 小村之戀 3. 時の流れに身をまかせ 4. 別れの予感・CDジャケットは、1977年に発売された「ふるさとはどこですか」のレコードジャケットを使用・CD歌詞カードには、44年前に町内で撮影された、テレサの貴重な写真を多数掲載【メモリアルカレンダー】・2022年度版の壁掛カレンダー(A5サイズ/オールカラー)・44年前に町内で撮影された、テレサの貴重な写真を多数掲載■テレサ・テンの日本のふるさと「三島町」1977年、まだ雪の残る3月、新曲「ふるさとはどこですか」のPRキャンペーンのため、若き日のテレサ・テン(当時24歳)が福島県三島町を訪れました。三島町がキャンペーン場所に選ばれた理由は、当時、町が全国に先駆けて実施していた「ふるさと運動」がきっかけで、「ふるさと」という言葉が、彼女と町を結ぶきかっけの言葉となりました。町民は彼女を温かくもてなし、町内ではミニコンサートが開かれ、彼女は特別町民に加入し、互いの心の交流が生まれました。今でも町には、彼女が歌ったミニコンサートの写真や会場、町民との記念写真、記念に植えた「白樺の木」が残されており、町では「テレサ・テンの日本のふるさと三島町」として、この思い出を大切に語り継いでいます。【詳細参考】福島県三島町「テレサ・テン」ゆかりの地マップ テレサ・テン歌姫音路 ミニコンサートで歌うテレサ宮下駅に立つテレサ【CD販売に関するお問い合わせ先】福島県三島町観光協会〒969-7511 福島県大沼郡三島町大字宮下字宮下214-5「からんころん」内TEL : 0241-48-5000FAX : 0241-42-7072メール : mishima@oboe.ocn.ne.jp 受付時間: 9:00~18:00(土日も受付可能) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月18日ウィル・スミス主演のアクション・エンターテインメント超大作『バッドボーイズフォー・ライフ』のBlu-ray&DVDが4月29日(水)にリリース決定。これに先駆け、過去シリーズをふり返りながら語っている特典映像の一部が公開された。今回公開されたのは、Blu-rayに収録される特典映像「最高の時間:バッドボーイズの歴史」の一部。キャストとスタッフのインタビュー映像や劇中映像、過去のインタビューも収録されている。1995年の1作目『バッドボーイズ』、2003年に公開された2作目『バッドボーイズ 2バッド』に続くシリーズ第3弾となる本作。ウィル・スミスとマーティン・ローレンス演じるマイクとマーカス、2人の刑事の活躍が描かれていく本作だが、プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーは“バッドボーイズ”コンビとして出演する俳優の候補が、最初はウィルとマーティンではなく、当時コメディアンとして活躍していたジョン・ロヴィッツとダナ・カーヴィだったという驚きの事実を告白。だが、この2人で演技テストを行うと、相性がいまひとつだったそうで、エージェントがウィルを薦めてきたことで会うことに。そして2人と初対面したときの印象についてジェリーは「ウィルは背が高くハンサムで面白い。周りを触発する力があり、すぐに決めたよ」と言い、「マーティンは人気番組に出てた。ソニー側が彼をとても気に入ってね。2人に決めた」と決定打を明かす。また映像では、ウィルとマーティンも「ジョン・ロヴィッツやダナ・カーヴィには向かない役だ」と自分たちの相性に自信を見せ、シリーズ1作目から出演しているマーカスの妻テレサ役のテレサ・ランドルも「2人のコンビが秀逸だった。2人の相性が驚くほど良くて、ほかとは全然違った」と絶賛している。(cinemacafe.net)■関連作品:バッドボーイズフォー・ライフ 2020年1月31日より全国にて公開
2020年04月22日マザー・テレサじゃなくてもあなたは世界を変えられると知って欲しいそう話すのはオーストラリアの女性社会起業家、Jacqueline Haines(ジャクリーン・ヘインズ)氏。それでは私たちに何ができるのか?彼女の提案はなんと、大人のオモチャを買うこと。一体、大人のオモチャで世界を変えるとはどういうことだろうか?Vavven創始者のJacqueline Haines(ジャクリーン・ヘインズ)氏重工エンジニアリングの業界で高い地位を築いたヘインズ氏は、自身の会社を立ち上げるためにキャリアチェンジを行った。そしてその新しいキャリアとは、セックス業界。 「セックスは売れる」というんだから、売れるだけ売って、そのお金をいいことに使おうと思った。 ヘインズ氏の会社Vavven(バベン)は「エシカル」な大人のオモチャを売る会社。デリケートな部分に触れる大人のオモチャだから何よりも安全で良い質であることが重要。Vavvenは製品の製造過程の透明性を重要視し、質はどこにも負けないと自負している。そして、売り上げの3分の1は全て非営利の「性と生殖に関する健康と権利」のための団体に送られる。これが彼女の言う「私たちにできること」。Vavvenの製品を買えば買うほど、十分に病院や性教育にアクセスできない人々を救えるのだ。また、“正しい性教育”の発信に力を入れているのがこの会社。ウェブサイトのブログではマスメディアでは目にできないような「生理中にセックスを楽しむ方法」などリアルなセックスの話、また映画やポルノが作り上げたセックスにおいての「男性視点」を打破するコンテンツが盛り沢山。サービスは年齢、ジェンダー、性的趣向に関係なく全ての人を対象としている。あまりにオープンな性のぶっちゃけトークにクスッと笑ってしまうが、それも計算の上。自分たちのことを大真面目に捉えているわけではありません。世界は変えたいけど、興味のない人に考えを押し付けてもうまくいかないでしょ。深刻な問題を面白おかしくライトにとらえて、みんなが考え始められるようにしたいのです。セックスとは人間の基本的なニーズで喜びだと考えるVavvenは、人々がオープンにセックスを楽しめる社会作りに貢献しようとしている。セックスを「タブー視」しない世界では、正しい避妊の方法が教育され、性病で病院に行くのにも気まずい思いをしなくても済むようになる。もちろん、パートナー内でコミュニケーションが増えればセックスの喜びも増えるだろう。以前Be inspired!でインタビューをした「演技一切なしのポルノビジネス」を切り開くCindy Gallop(シンディー・ギャロップ)とそういった面では思想が重なると言えるかもしれない。 セックスは人間の基本的なニーズです。生と喜びを運んでくれます。でも人によってはセックスが恐怖と恥そして痛みの元となっているでしょう。私たちの目的はそれを変え、人々の健康を重要視し、教育やキャンペーンを通して「人と親密な関係を持つ」平等な機会を皆さんに与えることです。人を「性の道具」のように扱うことは絶対にしません。私たちはただ、セックスについて話し、楽しむのが重要だと伝えたいだけなのです。(Vavvenのホームページより)創設者ヘインズ氏は、このビジネスを成功させることで資本主義の世界でも「良いことをして稼ぐのは可能」だとビジネスの世界に知らしめたいそうだ。 ビジネスパーソンとして「お金を稼いで良い生活をしながら社会に貢献する」、カスタマーは「自分への快楽を通して他人を救う」。彼女の目指す「自分への喜びの上に成り立つ社会貢献」なら多くの人が興味を持てるのではないだろうか? ***VavvenAll photos by VavvenText by Noemi MinamiーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!“禁断”のセックスについて考えるキッカケを作る「23人の色褪せない裸」。 2017年4月29日〜5月7日はジェンダーやセクシュアルアイデンティティーに関係なく、すべての個人が自分らしく幸せに生きられるような社会を目指しイベントを行うレインボーウィ...
2017年06月02日『レイジング・ブル』(1980年)でジョー・ペシの妻を演じたテレサ・サルダナが亡くなった。61歳だった。L.A.の病院に入院していたということだが、死因はわかっていない。その他の情報サルダナは、ロバート・ゼメキス監督の『抱きしめたい』(1978年)で注目され、翌年のアクション映画『摩天楼ブルース』にも出演した。『レイジング・ブル』は、8部門でオスカーにノンミネートされるなど、高い評価を得る。しかし、1982年3月にウエストハリウッドの自宅の外で、ストーカーのファンに刃物で刺され、瀕死の重体となる。この男性は、精神を患っていた。回復後は、被害者のための団体を設立したり、反ストーカー法の成立のため尽力したりしている。近年は『The Commish』など、主にテレビで活躍していた。文:猿渡由紀
2016年06月08日