●「お洋服作りは本当に楽しい」ブランドディレクターにやりがいモデルやタレントとして活躍、昨年8月には結婚を発表し、公私ともに絶好調の藤田ニコル。「芸能の仕事は天職だと思っています」と語る藤田は、もう1つファッションブランドのディレクターの仕事も波に乗っている。2021年に新ブランド「CALNAMUR(カルナムール)」を立ち上げ、3月1日に東京・ルミネエスト新宿に同ブランドの1号店をオープン。そんな藤田に今の仕事の充実ぶりや結婚後の心境の変化など話を聞いた。3月2日に開催された「第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER」(TGC)では、自らプロデュースしたブランドの衣装をまとい、モデルたちと共にランウェイを歩いた藤田。「今回はディレクターも兼ねて参加したので、自分だけではなく、他のモデルちゃんたちのスタイリングやメイクの確認など、ステージに出るまでに最終チェックをしていました。いわば裏方もやりながらのステージだったので、緊張感や達成感などいろんな感情があふれてきました」また、「やっぱりファッションって楽しいなと思いました。お洋服のかわいさを皆に伝えるために出ているので、ファンの子を見つけながら歩きましたが、だいぶ伝わったと思います」と手応えを口にする。「CALNAMUR」のコンセプトは“優美な野心家”だそうで「自分がモデルをやっているからこそ、お洋服の最先端が人よりも早く知れるし、お洋服と一緒に育ってきているので、自分の好きなファッションの要素をたくさん取り込めたブランドになっています」と自身の強みも語る。ブランドをディレクションするやりがいも実感している。「お洋服作りは本当に楽しいです。3月1日に初めての店舗を新宿のルミネエストにオープンしましたが、自分の作ったお洋服たちがずらりと並んでいるのを見たら、なんだか自分の子どもが育ったみたいな感覚で、やっと皆さんにお披露目できたんだなとうれしくなりました」さらに、「ファンの方が店舗に足を運んでくださり、『かわいい!』と生の声をいただけたことに感激しました。3月16日にイベントも予定していますが、今後、サプライズでちょこちょこレジをやりに行きます。店舗ができたことで、ファンの皆さんと会える距離がまたぐっと縮まった気がします」と喜びを語った。年齢や経験を重ねてきてモデル業に対する思いに変化はあるか尋ねると、「何もかも始めた頃から変わってないかもしれないです。ただ、私はお洋服が好きだということはわかりました」と答え、「モデルを始めた頃は自分でコーディネートもできなかったけど、お仕事でプロにメイクをしてもらったり、きれいにしてもらったり、お洋服を着ることによってかわいくなれるんだということがだんだんわかっていった気がするので、本当にモデルをやっていて良かったなと思います」としみじみ。ファッションブランドのディレクターを務める中で、思ったことをしっかり伝える大切さも感じているという。「これは無理かもしれないと思ったことも、一緒にやっているスタッフにお願いしたりして解決することもあります。やはり口に出して言うことが大事で、そういう時は言って良かったと思うことが多々あります。みんなにも何か思うことがあれば言ってもらうようにしているし、そういう環境で仕事をしているからストレスもないですし、本当に楽しくやっています」●昨年結婚しプライベートをもっと大事にしようと思うようにバラエティ番組や情報番組などでも活躍している藤田。テレビ出演する際に心がけていることについて聞くと「何もないです。素のままで出ています」と答え、「私は自分を飾ることもしないし、そのままでいるのですごく楽です。みんなとおしゃべりをして楽しい中でお仕事が終わるので、芸能の仕事を始めたころから天職だと思いました。また、タレントとモデルのほか、お洋服作りもしていて、毎日が違う現場なので、飽きることがないです」と充実感に満ちた表情を見せた。今年の目標について尋ねると「昨年からプライベートをもっと大事にしようということは心がけています。お仕事ばかりになっちゃうとインスピレーションを得る時間がなくなってしまうので、お外に遊びに行ったり、お友達と会ったり、 海外旅行をしたりと、吸収する時間を自分でちゃんと作ってあげなきゃと思っています。だから、休める時は休むようにしたいです」と回答。それは、結婚して家族ができたことも大きいそうで「やはり家族との時間も欲しいし、お家にワンちゃんがいるので一緒にいろんな場所へ行きたいなとも思っています」と穏やかな笑みを浮かべる。幸せオーラに満ちている藤田は「充実しすぎていて怖いです。逆に何か試練が欲しいです。試練があったらそれを乗り越えたいので」と言うが、そもそも「試練を試練と思わないかもしれません。なんでもかんでも乗り越えちゃっている気もします」と実に頼もしい。そして、今後の人生について「私は12歳くらいから芸能のお仕事をしているので、今までずっと駆け抜けてきた気がします。だから30歳まであと4年くらいは、自分ができるお仕事をバーッと頑張ってやっていきたいし、いろんな番組でも呼ばれているうちが花なので、いろんな番組にも出させていただきたいです」と抱負を語ってくれた。■藤田ニコル1998年2月20日生まれ、ニュージーランド出身、埼玉県育ち。2009年、ファッション誌『nicola』の「第13回ニコラモデルオーディション」でグランプリを獲得し、専属モデルに。その後、『Popteen』の専属モデルを経て、現在は『ViVi』の専属モデルに。情報番組やバラエティ番組でも活躍するほか、2021年にアパレルブランド「CALNAMUR(カルナムール(CALNAMUR)」を立ち上げ、今年3月1日にルミネエスト新宿に同ブランドの1号店をオープンさせた。
2024年03月08日●転機となった『新しい波8』オーディション秘話「お笑いは一番好きな仕事で楽しいけど、天職だと思っていない。そんな才能もあると思えないですしね」。そう笑って話すのは、お笑いコンビ・ドランクドラゴンの塚地武雅、49歳。芸人としても、俳優としても、タレントとしても、間違いなく“売れっ子”である塚地だが「この仕事を天職だと思う?」と聞くと、冒頭の答えが返ってきた。ドランクドラゴンは1996年に結成され、今年で25周年。これまでの軌跡、転機となった出来事、そして50歳を前に叶えたい野望について話を聞いた。塚地は大学卒業後に仏壇メーカーに就職するも、お笑いの道を諦めきれず会社を半年で辞め、人力舎のお笑い養成所に入学。そこで相方の鈴木拓と出会い、コンビを結成する。「サラリーマンを続けていれば、お給料いただけるし、仕事はちゃんとある。人生としては問題なかった。でも、もし高校を卒業していきなりお笑いの養成所に入っていたら『お笑い以外の道もあったのでは?』と思ってしまっていたので結果的によかった」と振り返る。「お笑いの道で生きていこう」と固く決意したのは養成所内でのできごと。「養成所入って1年後に残れるかどうかを決めるオーディションがあって、ステージでネタを披露して受かったら事務所に所属できるっていう。で、そのオーディションで残れた。そのとき『コレや!』って思ったんです。最悪売れなくていいと思えたくらい、舞台に立ってウケた感じが心地よくて、それが自分の人生でほしいものだとわかった。そう僕はこれがしたかったんだと心の底から思えた」。芸人としての目標は『夢で逢えたら』のようなコント番組に出演すること。『夢で逢えたら』は1980年代後半から90年代前半にフジテレビ系で放送された伝説のお笑い番組で、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らそうそうたるメンバーがお茶の間の爆笑をさらっていった。「『なんてかっこいいんだ!』と思ったんです。力強さとパワーがあって、こういう番組に出るのが目標の1つだった。この番組にはほんまに衝撃を受けましたね」。そんな塚地にチャンスが巡ってくる。お笑い界には“8年周期説”というものがある。ビートたけしの8つ下が明石家さんま。さんまの8つ下がダウンタウン、ダウンタウンの8つ下がナインティナイン…と8年ごとにスターが誕生していることを基にしているのだが、その8年周期説をベースにナイナイの次のビッグスターを発掘しようと1992年に始まったのがフジテレビ系のオーディション番組『新しい波』シリーズ。塚地は2000年放送の第2弾『新しい波8』に参加することになるのだが……。「そのオーディション、最初は参加させてもらえなかった。僕は年齢いってからこの業界に入っていて、ナイナイさんやよゐこさんと同い年。8年後のスターを探すコンセプトの番組やから、同い年の僕はオーディションに行かせてもらえなかった。事務所の人がオーディションを断っちゃって」。落胆する中、浅草の寄席・木馬亭でライブを開催。来場したお客はわずか3人だったが、「お客さんの一人が番組(新しい波8)のディレクターだった」。そのディレクターがドランクドラゴンのネタを気に入り、『新しい波8』に呼ぶ。そして無事に参加できたドランクドラゴンは、『新しい波8』から選抜されたキングコング、ロバート、北陽、インパルスとともに『はねるのトびら』をスタートさせた。ドランクドラゴンの名は『はねるのトびら』で一気に上昇。ブレイクを果たす。当時について「深夜にユニットもののお笑い番組をやらせてもらって、ほんまについている。『新しい波8』のオーディションが転機になったオーディションですね。それがなかったら今、この場にはいないです」としみじみだ。●俳優としても活躍「お笑いがお芝居を呼んできている」映画『間宮兄弟』で佐々木蔵之介とともにダブル主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞のほか、各映画賞の新人賞を総なめ。ドラマ『裸の大将』が復活した際には故・芦屋雁之助さんが演じていた山下清役を引き継いだ。近年の朝ドラ、大河ドラマの活躍も言わずもがなだ。ただ、どんな俳優として栄光を浴びようとも芸人というスタンスは変わらない。「よく『芸人を辞めて俳優さんに転向しても大丈夫』と言ってもらえるのですが、そういうことじゃない。お笑いやっているからコメディ的な役が自分に回ってくる。お笑いをとるポジションとか、ダメな男の役とか、犯人役とか……。お笑いがベースにあって、そこから派生して呼んでもらっているだけなので、芸人と俳優は別物じゃない。つながっているんですよ。お笑いがお芝居を呼んできているだけ」と自身の立ち位置を冷静に語る。塚地は特撮ヒーロー作品やK-POPの大ファン。芸人・俳優以外にも、こうした趣味が高じた仕事も多い。最近では、dTVで日本独占配信されている韓国の大型オーディション番組『LOUD』(毎週土曜0:00~更新)の見どころを紹介する特別番組「『LOUD』~今からでも間に合う!見どころ大放出SP~」でMCを務めており、16年におよぶK-POP愛が抜てきを手繰り寄せた。このナビゲート番組では、朝日奈央らとともに『LOUD』の魅力を紹介。塚地は「朝日奈央ちゃんたちと楽しさを共有しているのに過ぎない。堅苦しくもなく座談会みたいな感覚がただただ楽しくって。…MCとしてはどうなのかな?」と立場を忘れて夢中になるほどK-POPに夢中だ。アイドルになりたくてオーディション番組に参加する若人の姿に、かつての自分を重ねる。「オーディションって社会の縮図みたいなところがありますからね。この子は自分っぽいなって自分を投影させて、まだまだ自分も頑張らないとなって奮い立たせられるんですよ」。ピンの仕事も絶えない塚地だが、気になるのはドランクドラゴンとしての今後だ。「数年前に、ひとつのネタ番組で60本くらいのネタを披露させてもらって。それに加えてほかの仕事もあってネタに関していうと少し疲れてしまっていた時期があった」と低迷期があったことを明かす。それでも「コンビ的な活動においては、多くの人が知らないこともまだまだある。まだ手の内を全部見せている気はしていないので、ドランクドラゴンの単独ライブはいずれやりたい」と力強く答えた。芸歴25年。「この仕事は天職だと思う?」という質問には「いやぁ思っていないかな。お笑いは一番好きな仕事で楽しいけど、天職だと思っていない。そんな才能もあると思えないですしね。僕の場合『好きこそものの上手なれ』。好きだからこそ長く続けられているだけ。だから芸人を辞めようと思ったことも一度もない。会社員は半年で辞めましたけどね」と笑い飛ばした。最後に、今年11月で50歳となる塚地に野望を聞くと「こんな体型ではあるのですが、太った体を利用してアクションを撮りたいんですよ」と声を弾ませる。「もともと中学時代から特撮ヒーローが大好き。アクションスターになりたいという夢もあったんです。今もジムに行ったり、ボクシングをしたりと体を鍛え続けている。体力がなくなりギリギリのこのタイミングでアクションヒーローになるのも、逆にいいんじゃないか。アクションヒーローになって、コンビでライブして、それから死にたいですね。興味ある関係者の方がいたら名乗りを上げてください(笑)」。■塚地武雅1971年11月25日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、仏壇メーカーに就職するも夢を諦められずお笑い養成所の門を叩く。1996年に鈴木拓とお笑いコンビ・ドランクドラゴンを結成。2001年~2012年に放送された『はねるのトびら』(フジテレビ系)でブレイクする。映画『間宮兄弟』(2006年)でダブル主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞のほか数々の新人賞を受賞。ドラマ『裸の大将』で山下清役に抜擢され、NHKの大河ドラマ『平清盛』(2012年)、『西郷どん』(2018年)、朝の連続テレビ小説『まれ』(2015年)、『おちょやん』(2020年)に出演するなど俳優としての活躍も目覚ましい。
2021年08月20日こんにちは!2歳の息子への愛が止まらない、ねここあんな。です!今回のテーマは「子どもの将来妄想」!!日ごろ更新しているインスタの方でも妄想ワールド全開の私なのですが、意外や意外。考えれば考えるほど…息子の将来が全く想像できません!!!いつもの妄想癖はどこにいった?? というぐらい難しいテーマでした。なのにこの特集だけはどうしても描きたかったのです(笑)■運動神経が良くて、絶体絶命な演技が得意!?まず真っ先に浮かんだのは、スタントマン!運動神経が良く、とにかく登るのが大好き。子ども用のボルタリングもグングン登ると保育園でも評判なんです…。普通親なら、運動神経が良い子ならスポーツ選手かしら? と考えるようなものですが、息子はなぜか…昔から「謎の演技」が大好き。それがこちらです。いつも危機一髪。なのでスタントマンしか思いつきませんでした。私が助ける側を演じるわけですが、もぅ何回やらされたかわかりません。とにかく暇さえあれば、崖っぷちで助けを求め、命からがら生還する男を演じるわけです。ちょいと私がコーヒー飲みながらブレイクタイムをとろうもんなら、すぐ隣は崖っぷちになり「緊急事態」が始まるわけです。一体なにから得た演技なのか、私もわかりません…。「ファイト~~! 一発~~!」でおなじみのCMは見たことがないのに…。が、息を切らして汗をぬぐう姿はなぜかいつもまぶしいのでした。ちなみに、このときの私の演技なのですが、簡単に助けると最初からやり直しになります。「最後の力を振り絞って手を伸ばす…」という演技力を求められるので、息子は多分完成度にこだわるんだろうなと思います。でも命の危険があったら怖いので、できれば安全な職に就いてほしいです(笑)■モノマネ大好き! 芸人も向いているかも?そんなユーモアたっぷりな息子、実は芸人が向いているんじゃないかと思うこともしばしば。なぜなら彼は、大の「モノマネ」好きだからです。最近のお気に入りはポケ〇ンのミュ〇ツーのモノマネです。すごい真剣にモノマネをする姿に、何度も笑わされました。人が笑うのがうれしいのか、一度笑ってもらったものは何度でもマネをします。保育園の先生が言うには、園のお友達にも披露しているようなんです。そのたくましい芸人魂…大人になってから活躍したりして…いや、どっちかというと売れなくて貧乏生活するんじゃないかと少々心配になります!!なんてったって芸人で売れるのなんて一握りですからね!正直、苦労が目に見えていかるらやめてほしい…でも「かわいい子には旅をさせろ」というように、彼の夢を応援すべきか…今から悩みます(笑)■こんな息子にピッタリな職業とは? 母の妄想が炸裂!ユニークな変顔が得意、場を和ませるムードメーカー的存在な上に、歌も上手。大げさすぎるほどの演技が好きで、替え歌なんかを作ったりする遊び心もあるし、工作や粘土も得意ときたもんだ。しかも運動神経は良くて…あれ…そんな才能を持ち合わせた天職が、身近にあったような…?母の勝手な妄想は膨らみ続け、最終的に行きついた人物像は…本当にもう、ただただ親バカですみません(笑)しかも「or」って、めちゃくちゃ欲張りな二択ですよね(笑)芸人さんに対して「一握りだから…」と謙虚に心配していた気持ちは、どこに行った?というほど壮大な夢を描いています。でも息子の将来の姿が、「子どもたちを喜ばせるために歌や踊りを披露する姿」だったらステキすぎませんか。将来息子がステージに立つ日がくるとしたら、後ろの方の座席からひっそり見るでしょう…!! (本当は最前列に座りたいけど、子どもたちや息子自身がパフォーマンスに全力を出せなくなっては困るのでやめておく)そして、うれしさに号泣すると思います…!親バカ満載の私の妄想劇にお付き合いいただきありがとうございました!私の願望はともかく、本人がやりたい!と思うことがあればなんであっても応援できる親でありたいなと思います!
2019年12月29日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「天職が見つからない。好きなことを仕事に結び付けたい」という、まなおさん(34歳・無職)に、心屋塾上級認定講師の松森沙織さんからアドバイスをいただきました。■まなおさんのお悩み自分に一番合った職業が見つけられません。好きなことや、やりたいこと(夢や目標)はたくさんあります。一体どうしたら、仕事に結びつくのでしょうか?※一部、質問内容を編集しています。■心屋塾上級認定講師の松森沙織さんより「やりたいことが見つけられない」と悩む方が多い中で、好きなことがたくさんあるまなおさんは好奇心旺盛で、自分の心にとても素直に生きていらっしゃるようにお見受けしました。すてきなことですね。私自身もたくさんの“やりたいこと”をやった結果、現在の「恋愛カウンセラー」という仕事に行きつきました。自分に合っているかどうかは自信がないまま起業しましたが、トライアンドエラーしながら続けていたら、少しずつ夢をかなえられてきました。その経験が少しでも参考になればと思い、私からお伝えさせていただきますね。好きなことを仕事にする方法は、実は簡単です。「ただ続けること」で夢はかないます。アンパンマンを描いたやなせたかし先生は、天才的なイラストレーターが何人もいる時代にただただ描き続けて、50歳代でようやく芽が出たそうです。「本当に好きなことは、やめたくてもやめられない」ということではないでしょうか。今の時代は、星野源さんのように、多方面で活躍している方もたくさんいらっしゃいます。チャンスがいつやってくるかは誰にもわからないですし、自分から自分の可能性をひとつに絞る必要もありません。それに、好きなことは必ずしも仕事にしなくても構わないのです。もしかしたら、「好きなことで食べていくことがすばらしい」という世の中の理想が、まなおさんの理想になってしまっているのかもしれません。「仕事は生活のため」と割り切って、プライベートで自分がしたいことができる環境を整える…というのも、「好きなこと」とともに生きるひとつの方法です。さて、ここからが、私の一番お伝えしたいことです。まなおさんは、「自分に合う職業を見つけること」で、例えばどんなふうになりたいのでしょうか? 天職を見つけたら、どんなことに安心を感じるのでしょうか?なぜ、こんな質問をするかというと、別に「自分に合っていること」ではなくても、好きなことはできるからです。自分に合っていなくても、好きなことをして構わないからです。誰かに「向いていない」と言われても、自分がやりたいことはやっても構いません。下手でも、夢はかなえることはできますし、“できない私”のまま夢をかなえてもいいのです。夢をかなえるのにも、好きなことをするのにも、誰の許可も要らないのです。もし「自分に合っている」というのが、イコール「成功する」という意味ならば、それはやってみないとわからないこと。もしも自分の好きなことで成功できたらうれしいですよね。世の中に自分の能力を求められたい、認められたい…というのは、人間の本能に近いものかもしれません。しかしながら、成功はあくまで結果です。そこに達するかどうかはさておき、まずは「自分に好きなことをさせてあげること」が重要なのではないでしょうか。天職を見つけた人がなぜ輝いて見えるかというと、自分の心が望むことを、自分自身で表現できているからです。失敗が怖くて、好きなことにチャレンジができない、という人もいるかもしれません。勇気を出してチャレンジした結果、失敗して傷つくのは怖いですよね。それでも「自分自身にやりたいことを表現させる勇気」は、なによりもあなたの“心”を喜ばせることでしょう。周りにバカにされても、失敗しても、情けない思いをしても、です。もし、まなおさんにとって「自分らしく生きること」が一番目指すところならば、人目を気にせず、好きなことを全部楽しんでみるのをおすすめします。まなおさんを一番輝かせる方法は「やりたいことをやること」だからです。怖さを感じたら、「怖いよね」と自分の心に寄り添ってあげたり、周囲の人に助けてもらったりしながら、前に進んでみましょう。たとえ失敗しても、あなたの価値は変わりません。どんな選択をしても、どんな結果になっても、あなたのすばらしさはなんら変わらないのですから。これはもう決定事項です。大げさですが「どうせ私はすばらしい」と自分を信じてあげることで、そのとおりの現実が見えるようになります。失敗は「おいしいもの」と思って、自分の人生をたくさん遊んでみてくださいね!まなおさんを心から応援しています。 ・このカウンセラーのブログ icle/author/wk_matsumorisaori/ (編集/外山ゆひら)
2018年10月18日明石家さんまが個性豊かな「転職者」たちにトークで迫るスペシャル番組の第7弾となる「さんまの転職DE天職7」が4月29日(日)今夜日本テレビ系で放送。今回は俳優・松坂桃李をはじめ「欅坂46」のメンバーや話題の芸人「ひょっこりはん」らが出演する。今回は松坂さんのほか、落語家としてだけでなく劇団・下町ダニーローズを主宰、多面的に活躍する立川志らく、青山学院大学陸上部監督の原晋、独自の世界観で若い世代を中心に人気の「欅坂46」から長濱ねる、今泉佑唯、ユーチューバーのトップランカーとして時代を牽引するHIKAKIN、「アンジャッシュ」の渡部建、ブルゾンちえみ、そして人気沸騰中のお笑い芸人「ひょっこりはん」らが出演。俳優から社長となった俳優・小栗旬の兄がバラエティに初登場、14年前のさんまとの“因縁”とは!?またさんまさんをスクープした元フライデーカメラマンがさんまさんと30年ぶりに対面。当時の裏側を語る。そのほかアニメ声優として人気となっている中日ドラゴンズの元監督である落合博満氏の息子、落合福嗣や、金髪ギャルから政治家、年収2000万Jリーガーから美男俳優など仰天転職人生を歩んだ人々を今回も紹介していく。昨年秋から放送された朝ドラ「わろてんか」でヒロインの夫役を演じたほか、今年2月公開の『不能犯』では“思い込み”や“マインドコントロール”で人を殺すなど、常識的に考えて犯行を証明できない不気味な能力を持つ犯罪者を演じ、4月に公開された『娼年』では会員制ボーイズクラブで“娼夫”として働くことになる名門大学生を演じるなど、常に俳優としての新たな可能性に挑み続ける松坂さん。そんな松坂さんの映画最新作は“警察小説×仁義なき戦い”と評される柚月裕子の小説を、白石和彌監督が映画化した『孤狼の血』。物語の舞台は、昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島。“キャリア組”で呉原東署に配属された新人刑事・日岡秀一は、暴力団との癒着をうわさされる刑事・大上章吾とともに、金融会社社員失踪事件の捜査を担当する。常軌を逸した大上の捜査に戸惑う日岡。失踪事件を発端に、対立する暴力団組同士の抗争が激化し――。松坂さんのほか役所広司、真木よう子、中村倫也、竹野内豊、滝藤賢一、江口洋介ら豪華俳優陣を迎えて血湧き肉躍る物語が展開する。『孤狼の血』は5月12日(土)より全国にて公開。「さんまの転職DE天職7」が4月29日(日)今夜19時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2018年04月29日明石家さんまが個性豊かな「転職者」たちにトークで迫る人気スペシャル番組第6弾「さんまの転職DE天職6」が、4月30日(日)今夜日本テレビ系でオンエア。俳優の菅田将暉や「ブルゾンちえみ with B」、「アンジャッシュ」の渡部建ら豪華ゲストが登場する。昨年転職した人の数は前年より8万人増加して306万人。そのうち転職で収入がアップした人は35%だという。今回の第6弾では「クレープ屋さんから人気芸人」「公務員からアイドル芸能プロ社長」「トラック運転手から力士」「チェキッ娘から人気スタイリスト」「プロレスラーからこけ玉職人」など色々な転職をした約20人が登場。その満足度や年収のアップダウンなどについて徹底調査。転職で“天職”に巡り合えたのかに迫る。そのほか「有名人家族の転職」や「有名会社社長たちの転職」など個性豊かな転職者たちも登場。さらに今回はさんまさんが象に踏まれそうになるなど大騒ぎのシーンも。3時間にわたり“第2の人生”について熱いトークが繰り広げられる。今回はゲストに主演最新作となる映画『帝一の國』が公開中、6月7日(水)にはシングル「見たこともない景色」でCDデビューも控える菅田さんをはじめ、今年上半期最大のブレイクとなった「ブルゾンちえみ with B」。先日女優でモデルの佐々木希との結婚を発表、人生の“転機”を迎えた「アンジャッシュ」の渡部さん、さらに後藤輝基、人気グループ「乃木坂46」から生駒里奈、齋藤飛鳥。原晋、「ハリセンボン」の近藤春菜、箕輪はるかといった面々を迎える。菅田さんが野心的な高校生・赤場帝一を演じる『帝一の國』は、古屋兎丸の人気コミックを原作に『ジャッジ!』『世界から猫が消えたなら』など話題作を手掛けてきたCM界の鬼才・永井聡がメガホンを取って映画化。日本一の名門・海帝高校でトップ=生徒会長をつとめたものは、将来の内閣入りが確約されている。4月、新学期。大きな野心を持つ男が首席入学を果たす。新1年生・赤場帝一。彼の夢は「総理大臣になって、自分の国を作る」こと。2年後の生徒会長の座を狙って、誰よりも早く動き始める帝一。生徒会長になるためには、1年生のときにどう動くかが鍵となる。決してルートを見誤ってはならない。ライバルは、全国屈指の頭脳を持つ800人の超エリート高校生たち…ヤツらを蹴落として、勝ち残るためにはどうする!?野望への第一歩を踏み出した帝一を待受けていたのは、想像を超える罠と試練!いま、命がけの「生徒会選挙」が幕を開ける――という物語。菅田さんのほか、野村周平、竹内涼真、間宮祥太朗、志尊淳、千葉雄大、永野芽郁、吉田鋼太郎といったキャストが共演する。映画『帝一の國』は現在公開中。「さんまの転職DE天職6」は4月30日(日)19時~日本テレビ系にて放送。(笠緒)
2017年04月30日オウチーノ総研は24日、「天職」に関する実態調査の結果を発表した。調査期間は2月10日~17日、対象は20~69歳の就労している男女1,106名。○天職だと思う理由は「楽しい」「あっている」が最多「今の仕事は、自分にとって『天職』だと思うか」という問いに対し、「そう思う」と回答した人は17.4%、「まぁまぁそう思う」が37.5%と、約半数が「天職」と感じていることがわかった。年代別に見ると、年を重ねるごとに「天職だと思う」割合が増加しており、60代では65.5%が「天職」と回答している。「天職」だと思う理由は、「仕事をしていて楽しいから」60歳/男性)、「好きな仕事だから」(26歳/女性)、「人当たりが良いのが営業職に合っている」(47歳/男性)、「定型的な業務内容が性格に合っているから」(32歳/女性)など、「自分に合っている」「楽しい」といった意見が最多。同率で、「やりがいがあるから」、「長く続けてきたから」、「能力・スキル・資格などを生かせていると思うから」があげられた。一方、「『天職』だと思わない」と回答した理由としては、「仕事をしていても、楽しみを感じないから」(56歳/男性)、「もっと自分に合う職業があると思うから」(39歳/男性)、「特に仕事にやりがいが見いだせないから」(28歳/女性)などであった。○そもそも天職とは?「自分が考える天職」については「自分の能力を生かせる仕事」が1位。続いて「自分のやりたいことができる仕事」「やりがいが得られる仕事」「自分の性格にあっている仕事」であった。年代別に見ると、20代は「自分の性格にあっている仕事」、30代は「やりがいが得られる仕事」、40代~60代は「自分の能力が得られる仕事」と、年代によって「天職」に関する認識の違いが明らかに。キャリアの浅い20代は自分の性格ややりたいことにマッチしているかを重視するが、経験を積んだ50・60代は自分が身につけてきた能力やスキルなどを最大限発揮できるか、仕事に価値を見いだせるかを重視する傾向が見られた。
2015年02月26日海外生活って、言葉の問題だけでも大変なのに、その場所で働くとなったらもっとしんどいのでは……。ちょっと待って!なかにはそうした生活を乗り越えて、天職をつかんだ人たちもたくさんいるのでは。カナダでのワーホリを経て、現在は現地企業で働く傍ら、着物ビジネスを展開中の櫻井茜さん。彼女は、カナダのモントリオールにあるマネジメント会社で翻訳・通訳・英文事務の仕事に就いている。海外で働くことが、大学生時代からの夢だったそうだ。大きな分岐点となった大学受験の失敗「もともとは音楽の道へ進みたかった」という櫻井さん。音楽科のある大学への進学を希望したが、受験に失敗。結局「興味が合った程度」の英文科へ進むことになった。彼女の英語人生は、ここから始まった。「大学1年生の時に初めて海外(米国)に1カ月留学して、興味程度であっても自分はわりと英語ができると思っていたんです。でも、書くことはできても、どうしても話をする時に言葉が思うように出てこなかったんです。人生において2度目の挫折を味わったというか、本当に悔しい気持ちでいっぱいでした。仲良くしてくれた友達へお礼すら、まともに言えなかったんです。結局お手紙を書いてお礼を伝えたのですが、それじゃダメだ!と思って、帰国してすぐ英会話学校に通い始めました」このころから次第に、英語を使って人とコミュニケーションを取ることに魅力を感じ始めていったという。「日本で2~3年働いてお金をためたら、海外に出よう!と、学生時代に決めました」新卒で入社した会社では、総務や秘書、企画などを担当し、4年半後に退職。その間、休暇を利用して旅行へ行き、ワーキングホリデー(=以下ワーホリ)に行く国の情報収集をしていたそうだ。カナダでのワーホリ生活、そして就労ビザの取得へ2008年、カナダのモントリオールで、櫻井さんのワーキングホリデー生活は幕を開けた。季節限定の旅行関係の仕事をしたり、語学学校に通ったりと充実した日々を送っていた。そして、ビザの期限が間近に迫っていたころ、現地企業の求人に応募したそうだ。「取りあえず、あなたがどれくらい仕事ができるのか見せてくれ」という現地のスタイルに、彼女はがむしゃらに立ち向かった。そして努力の末、正式に"現地企業から採用"され就労ビザを取得、今に至るのだ。日本での社会経験は大きな強み皆ではないにしろ、現地の人にはいいかげんな人が多かったという。「例えば、17時終業なのに、30~45分くらい前にはもう職場にいないなんてことも!それから"調べて折り返しします"と言われた場合、返事が数日後なんて当たり前のこと。日本では折り返しって数分後であったり、案件によって時間がかかったとしても1時間以内の返事って普通だと思うんですよね。だから最初は『ありえない!』とイライラすることばかりでした(笑)。基本的に、日本では社会人1年目に、研修などで基本をたたきこまれますよね。そこで投げやりにならず土台を作った人であれば、海外で働く人に負けない、仕事をする上での基本的なスキルを身に着けることができると思うんです。だから海外で働く際にも重宝されると思います」新たな目標は「永住権取得」と「ビジネス」カナダに渡ってからは山あり谷あり、涙ありの毎日だったという櫻井さん。現在はフルタイムで仕事を続け、移民の申請もしながら、さらにはビジネスも計画中だ。「永住権取得も、数年カナダに滞在して、やりたいと思ったことの1つなので、まだ今も目標をクリアするために奮闘しています。それから、サイドビジネスとして着物レンタルを始めたんです。将来的には、自分でビジネスを立ち上げたいなと思っています」「挑戦」という言葉を胸に、やりたいことを紙に書いて目標をきちんと明確にし、1つずつクリアしていくこと。それが櫻井さん流の「夢をかなえる」秘訣だそうだ。(OFFICE-SANGA 平岡舞子)
2012年04月26日