日本列島に未曾有の被害を与えた東日本大震災。動物たちの状況はどのようなものだったのでしょうか?■20万匹の魚が死滅した「アクアマリン福島」福島県いわき市にある水族館「アクアマリン福島」では、津波の影響で発電設備が故障し、750種類、20万匹の魚や動物たちが犠牲となってしまいました。しかし、そんな状況の中からも助け出された動物もいます。現在上野動物園で飼育中なのが、ユーラシアカワウソ。同園によれば「震災のショックはあるものの、2頭とも元気で暮らしています」とのこと。また、エピトリカやウミガラスなどの鳥類は葛西臨海水族館で飼育中。セイウチも鴨川シーワールドに引き取られました。■エサ不足に悩まされた動物園かみね動物園(茨城県日立市)、盛岡動物園(岩手県盛岡市)、八木山動物園(宮城県仙台市)などは、施設の被害はなかったものの、流通経路が機能しなかった結果、動物たちに与えるエサが不足してしまいました。結果的には動物園同士がネットワークを取り合いながら、何とか各園に必要なエサを供給することができましたが、こうした状況は動物園にとっても死活問題。連携の大切さが浮き彫りになった事態とも言えます。■マリンピア東松島が営業再開もっとも震源から近かった宮城県東松島市の「マリンピア東松島」では、高さ10mの津波が襲ったものの、建物が無事に残り、4月20日から営業が再開されています。マンボウやビーバー、マッコウクジラといった人気者たちが命を落としたものの、自家発電装置が建物の2階に設置されていたこと、また燃料となる重油の備蓄があったことなどが功を奏し、多くの魚たちが生き残ることができました。また、同園では4月2日にケープペンギンの赤ちゃんが誕生しています。復興の象徴として、愛らしいペンギンの赤ちゃんが人気者になる日も近いでしょう。そこに生きる動物たちの元気な姿は、きっと多くの人々を勇気づけるはずです。(萩原雄太/かもめマシーン×プレスラボ)【関連リンク】【ランキング女性編】もし飼えるなら飼ってみたい動物ランキング【コラム】大震災でペットたちも苦境に! 動物たちを助けようと奮闘する人々の活躍【コラム】うさぎ、ハムスター……。災害時に小動物と避難する方法
2011年04月30日地震後、避難をしてふと気がゆるんだときに、めがねがないことに気づく、携帯電話を落とす、足にケガをする……。阪神・淡路大震災の経験者の皆さんに聞いた、「地震直後~約3カ月後に注意すべきことや役立つ方法」についてご紹介します。■めがね、足元……身の回りの注意事項・めがねがなくて困った「なんとか家から逃げ出すことはできましたが、視界がぼーっとしているんです。『あ、めがねがない』と気づきました。めがね店は閉まっているし、人の顔が判別できないので、避難所生活でとても困りました」(39歳・女性・教師)「視力がかなり低い方ですが、めがねを持ち出すのを忘れ、コンタクトレンズをつけたまま避難所に入りました。水がなくて洗えないので、『はずすと見えない』と思ってレンズを入れたままにしていたら、目に張り付いて病院送りに。『目の絶対安静1週間』の宣告をされて大変でした」(42歳・男性・ホテル勤務)『週刊ポスト2011年4月22日号』には、「東日本大震災以降、よく売れているものはめがね」だと書かれています。「ソフトコンタクトレンズは、定期的な交換に加え、専用液剤を用いての洗浄が必要となるため、災害時においてはどうしても不便を感じてしまう。震災で、めがねの有用性を感じた人は多いようだ」とあります。可能であれば、就寝時は枕元に置いておく、防災袋に予備のめがねを入れておくなどしましょう。・足元に注意「がれきを歩く場合は革靴か厚底タイプ、できれば安全靴のほうがいい。靴の底がくぎや突起物で破られてケガをした人が多かったので」(48歳・男性・薬品メーカー社員)「がれきの現場を歩くときは、ひざから下、ふくらはぎをよくケガをするので、厚いハイソックスを履く、ハンカチやタオルを足に巻いてストッキングを切ったものでしばる、ズボンのすそを靴下に入れ込むなどしていました。ひじから手にかけてもカバーしてください」(43歳・男性・建設会社社員)・携帯電話の扱いに注意「せっかく避難時には携帯電話を持ち出すことができたのに、トイレに落として使えなくなりました。絶望的な気分になりましたよ」(45歳・女性・自営業)「携帯電話があっても、停電だから充電ができずにただの箱だった。だから僕はいつもカバンに電池式充電池を持っています。心の安心用でもあります」(45歳・男性・銀行員)「余震が続くときは、携帯電話は首からぶらさげるネックホルダー式ストラップとか、クリップ式ストラップで服に留めておくなど工夫したほうがいい。落とす人がたくさんいましたから」(36歳・女性・公務員)・二次災害の可能性もある「地震の影響で近所が火災になりました。それで命を落とした方もいらっしゃいました。火災のときは、透明のビニール袋を頭からかぶって少しでも煙を吸わないようにしてください。目が見えるために透明の袋を、非常用持ち出しバッグに入れておくべきですね」(37歳・男性・建築士)「大きな余震では、地鳴りのような音が聞こえました。それでまた、倒壊した建物やがれきの山が崩れるんです。これには気をつけないといけません」(47歳・男性・写真家)■ライフラインの代わりの知恵「暖をとるなら、発泡スチロールが貴重です。氷の上でも冷たさを遮断できるぐらいですから、ダンボールより温かい。その上にダンボール、ブルーシート、新聞、布団、毛布を敷くと寒さはしのげます」(47歳・男性・写真家)「とにかく寒かったのですが、隣の人に教えてもらった『ラップ下着』は役に立ちました。手、足、おなかなどの素肌にラップを巻いてから洋服を着るんです。少し温かくなりますよ。あまり強く巻くと血行によくないと思うので、ふんわりぴたっと巻きます」(42歳・女性・翻訳家)「避難所には毎日、新聞が配られていましたから、みんな、古新聞でうまく足元カバーをつくって足を温め、毛布の間に新聞紙を入れ込んだりもして利用していました。ほうきの代わりとしてホコリ除去にもなるし、トイレの処理にもゴミ収集にも役に立ちました。新聞って何かと使えますねえ」(35歳・女性・郵便局勤務)「新聞紙をくしゃくしゃと丸めて、ビニール袋やポリ袋に入れて、足を入れます。けっこう温かくなります。新聞紙が足のにおいも吸収してくれますし。同じ要領で、くしゃくしゃにした新聞をセーターの下につっこむと体温で温まって即席のカイロ代わりになります」(44歳・男性・公務員)「ビニール袋、ゴミ袋の底の部分に人間の頭が通るぐらいの穴を開けて、逆さにして頭からかぶります。新聞紙をくしゃくしゃにして入れ込むと温かくなる、洋服が汚れない、レインコート代わりもなります」(42歳・男性・建設会社社員)「懐中電灯にコンビニやスーパーの乳白色系のビニール袋をふんわりとかぶせて、床に置きます。袋に光が拡散して明るくなります。避難所で、深夜の非常灯の代わりに使っていました」(38歳・男性・自動車メーカー社員)「炊飯器でご飯を炊くときに、アルミホイルで包んだにんじんやジャガイモ、卵などを一緒に入れておきます。省エネで料理ができますね。ご飯と野菜の料理が炊きあがるころには十分火が通っています。にんじんはゆでるよりも甘くておいしいですよ」(44歳・男性・繊維会社社員)「わりと知られている方法ですが、豆類は、魔法瓶に入れて熱湯を注いで数時間放置すると煮えるんです。お湯を吸ってけっこう大きくなるので、最初は少量から試してください」(37歳・女性・出版)「湯が沸かせなければ、カップめんは水でもできますよ。水を入れて30~40分待つだけで、はいできあがり」(38歳・男性・携帯電話会社社員)「消防庁によると、一人1日3リットルの水が必要だそう。断水のときの工夫として、基本ですが、食器にラップを巻きます。片付けるときに、ラップをはがすだけでお皿を洗わなくて済み、何度でも同じ食器を使うことができます。それに、ケガをしたとき、ガーゼで傷口をおおってからラップを巻くと包帯やばんそうこうの代用にもなるんです。非常時にはラップは何かと役に立ちましたね」(36歳・女性・看護師)「古ストッキングやタイツは、荷物をしばる、包帯の代わり、掃除グッズになるなど、なにかと重宝します。捨てないでおいておきましょう」(36歳・女性・看護師)■何よりもヒューマンラインが重要「神戸市東灘区の避難所にいましたが、電気、ガス、水道と全部が回復するまで3カ月ほどかかりました。明かりがともったとき、ガスが通って湯に触れたとき、蛇口から水が出てきたときは、それはそれはうれしかったですねえ。歓声をあげたものです。天災で家はぼろぼろになりましたが、人知の豊かさを思い知ることにもなりました」(49歳・男性・自営業)「ライフラインが途絶えたとき、いちばん重要だったのは『ヒューマンライン』、人のつながりでしたね。避難所でも、在宅避難でも、震災から1カ月ほどは店が開いていなくて現金はあまり役に立ちませんから、ご近所の人と必要なモノを交換しあっていました」(53歳・男性・旅行代理店勤務)「電気、ガス、水道、道路、電車は時間とともに復旧していきました。長くかかりましたが、なんとか。だからといって生活は元に戻らないし、復興というにはほど遠い状態。なんとかしのげたのは、誰かが声をかけてくれたからです。本当の非常事態には地域のコミュニティが命綱なんです」(48歳・女性・電鉄会社社員)「いかに今あるものを有効に使うか。いざとなれば、けっこう知恵がわくものだなと、みんなで感心しあっていました。主婦、年配の人、アウトドアが趣味の人、自衛隊の人、ご近所の人たちに多くのことを教わりました。生きるということがどういうことかも」(49歳・男性・自営業)経験者の生の声、証言、知恵の数々は、実に頼りになります。皆さんのアドバイスを念頭に置き、有事に備えたいと思います。(海野愛子/ユンブル)【関連リンク】【テンプレート】いざというとき「人事・労務で役立つ書類」【アプリ】日常生活で役立つちょっとした知恵を“ワイフちゃん”が教えてくれる【コラム】石井ゆかりさんのブログで紹介された地震に役立つ情報
2011年04月21日阪神・淡路大震災で被災された皆さんに、当時、「言われて元気が出たことば」、「うれしかったことば」についてお話をうかがいました。大震災と向き合った人たちが、そのとき、前を向いて歩こうと思う機会となったことば、16年たった今も記憶に刻まれていることばをご紹介します。■人間は心で生きているね震災で家族を亡くした親友が、2カ月後に自殺をしました。何もできなかった自分が情けなくていらだたしくて、もうろうとした日々を送っていましたが、彼の四十九日でその親友のお父さんに、「人間は心で生きているね。心を大事にして、何としても生きていってほしい」と言われたんです。このとき、僕のなかで何かが変わりました。この経験から、僕は医者になりました。病気とは、心のありように直結するとつくづく思います。医療も復興も、そのあり方について僕は、この友の父のことばを核に考えています。(兵庫県尼崎市 O・Tさん44歳男性医師)■明けない夜はない4カ月あまりも避難所で生活をしました。2月初旬、暖房がない避難所はあまりに寒くて、インフルエンザにかかって病院へ搬送されたんです。これでやっと暖まれると思ったら、病院も同じで、寒い寒い。熱のせいかぶるぶる震えていたそうですが、目が覚めたとき、看護師さんに、「よかったー。明けない夜はないのよねぇ」と言われたことを覚えています。「ああ、そうかもしれない」と、そのことばがすーっと心にしみいりました。その後、仮設住宅を経て3年かかって家族で新しい家に移りました。つらいことがあるたびにこのことばを思い出しています。(神戸市 E・Kさん39歳女性銀行員)■わたし、がんばるしいろいろあって、一人きりで避難所暮らしになりました。惨めで不安で仕方がなかった。周りの人は心配してくれましたが、どうしても力が出せず、ダンボールを敷居に立てて寝たきりになってしまったんです。ある日、腰が痛いとぼやいていると、8歳の女の子が背中をさすってくれて、「わたし、がんばるし~」と独り言のように何度も言うんですよ。急に泣けてきました。その夜はひと晩中、頭からバスタオルをかぶって泣き続けました。すると、次の日から、起き上がって炊き出しを手伝えるようになったんです。あの子は今、どうしているかなあ。会ってお礼が言いたいです。(兵庫県西宮市 M・Uさん37歳女性自動車メーカー勤務)■今日もこんにちは~家が倒壊して、3カ月ほど学校などの避難所を転々としながら過ごしました。そのころまで、お金より何よりありがたかったのは、避難所の人たちとのあいさつです。「今日もこんにちは~。調子はどうですか?」と声をかけあっていました。ワンパターンのあいさつですが、声のニュアンスなどから日々の健康確認、安否確認も含んでいて、普通のあいさつとは違いました。毎日、このあいさつには助けられましたねぇ。「今日もなんとか生きていかなければ」と思うことができましたから。(神戸市 K・Rさん39歳女性飲食店経営)■「つらいーっ」て叫んでええねんで僕は被災地へボランティアに行ったのですが、情けないことにあまりに凄惨な現実を見て、よく泣いてしまいました。そのとき、被災者の人に言われたのが、「つらいーって叫んでええねんで」ということば。ハッとしました。実際に、人のいない場所へ行って、タオルで口を押さえながら、「つらいーっ」と叫んでみると、気持ちが落ち着きました。被災した人に助けてもらうとは。大きな体験でした。災害のときとか本当につらいときは、「困っています」、「しんどい」と口に出して言うほうがいいと思います。周囲の人が、そう言いやすい雰囲気をつくることも大切なのではないでしょうか。(大阪府吹田市Y・Mさん39歳男性デザイナー)■しんどないか~僕がいた避難所には、お医者さんと看護師さんがわりと巡回してくれていて、特に高齢者には、「しんどないか~、どないや~」と声をかけていました。祖母もいっしょでしたが、あれだけ人がいると、なかなか自分だけがしんどい、とは言えないんですよ。みんなしんどいのはわかっているから、がまんするしかない。だからこそ、ひと声かけられると、「実はおなかが……」とか言うこともできるんです。高齢者には、若い人からそういう声をかけることが大事だと思います。(兵庫県芦屋市 N・Fさん42歳男性電鉄会社勤務)■地球がちょっと背中をかいたことおじいちゃんが亡くなり、おばあちゃんは下半身不随の重傷を負ったアウトドア活動の仲間が、「地球にしたら、ちょっと背中をかいたぐらいのこと」と言ったんです。本人は家が全壊したので、アウトドア用のテントで暮らしていました。つらい思いをおさえ、泣きごとをいわずに淡々と炊き出しの手伝いをする彼の姿には、被害が小さかった僕らのほうが励まされました。自然災害のなんたるかを、自然の一員として生きるとはどういうことかを考える機会となったことばです。(兵庫県洲本市 Y・Hさん43歳男性公務員)■風呂入っていき、風呂あるで!当時は中学生で、2カ月間避難所で過ごしましたが、離婚したばかりで家もなくしてしまった母がふさぎこむのを心配していました。1カ月ほどたったころだったと思いますが、自衛隊がお風呂の設営をしてくれたんです。迷彩服を着たお兄ちゃんが、「風呂入っていき、風呂あるで!」と声をかけてくれて、なんかうれしかったなあ。母も避難所の人たちも、お風呂に入ってから急に生気を取り戻した感じがありました。すこーし、生きる希望がわいたような。お風呂ぐらいでたいそうと思われるかもしれませんが、あのときはそれぐらい、温かいお湯がありがたかったです。女性にとってお風呂は大事ですが、それよりも、見知らぬ私たちのために必死でがれきを片付けてお風呂を用意して、毎日、陽気に声をかけてくれた自衛隊の人の温かさのこと、今でも母とよく話をします。(大阪市 N・Mさん33歳女性教師)■おまえ、合格するわ震災のときは、浪人生で大学受験直前でした。家は半壊して兄は足のけがで入院、母は兄に付き添い、僕と父は避難所生活。「さんざんやなあ」と自暴自棄になりかけていました。そんなとき、偶然、僕の志望校の大学生がボランティアで避難所にやってきて、3人の先輩たちに勉強を教えてもらうことができたんです。正直、予備校よりずっと勉強になりました(笑)そもそも、その志望校に合格するには成績が足らなくて無理があったのですが、ある日、一人の大学生が、「おまえ、この調子やったら合格するわ」と言ってくれたんです。それから、がぜんその気になって、夜はその人たちの家や下宿を渡り歩いて、ずっと勉強を教えてもらいました。泊めてもらったり食事を出してもらったりも。2カ月後に、本当に受かりました。これで家族や親せきも明るくなってくれました。避難所の人たちも、笑顔で「おめでとう」と言ってくれて思いっきりうれしかった。僕はあさってから会社を休んで、東北の被災地へボランティアに出かけます。(神戸市 K・Oさん35歳男性製薬会社勤務)胸がつまるような出来事を明るく語ってくださるみなさん。近所の人、ボランティアの人、自衛隊の人、医療関係の人、学校の先生たち、友達……に声をかけてもらって救われたというエピソードは数多くありました。皆さんの証言に共通するのは、「あいさつだけでもいいから、たとえひとことでも、周囲の人たちと声をかけ合おう」、「人は、助け合ってこそ生きていける」、「本当は災害時だけでなく、いつも助け合うべきなんだと気づいた」ということ。今、自分は何をどう思い、どう行動するべきか。皆さんのことばの力をお借りして考えたいと思います。(阪河朝美、品川緑/ユンブル)【関連リンク】【コラム】今こそ叫ぼう! 元気が出る30の「ほめ言葉」【コラム】「頑張れ」は言っちゃいけないって言うけど……理想の励ます方法は?【コラム】病気の方を励ますための方法
2011年04月08日東日本大震災で被災した子どもたちの心を癒そうと、絵本を届けるプロジェクト「3.11 絵本プロジェクトいわて」(が立ち上がった。プロジェクトの代表者、末盛千枝子さん(70歳)は、絵本出版社の代表を40年以上務め、国際的に絵本の普及のための活動をしている。「『3.11 絵本プロジェクトいわて』では、被災地の子どもたちに絵本を届ける活動をしています。寄贈していただいた絵本は避難所、公民館、保育施設などへお届けし、読み聞かせ会なども行う予定です。子どもたちを笑顔にし、励まし、夢を与えるために、絵本寄贈・活動支援金のご協力をよろしくお願いいたします」と、末盛さんは言う。寄贈方法は、・手持ちの本でも可能・幼児(1才くらい)から小学校中学年(10才くらい)対象のもの・絵本以外に児童図書でも可能・下記の住所にまとめて郵送〒020-0013岩手県盛岡市愛宕町14 -1盛岡市中央公民館内3.11 絵本プロジェクトいわて事務局宛電話:019-654-5366となっている。また、寄付に関する問い合わせが多かったことを受け、寄付金も合わせて募集している。「寄付金は、絵本の購入、運搬費用などに使用させていただきます」とのこと。ほかにも、集積作業や配達、読み聞かせのボランティアも合わせて募集しているので、「寄付したい」、「参加したい」という方は、プロジェクトのWebサイト(を一度確認してみてはいかがだろうか。(COBS ONLINE編集部)【関連リンク】【コラム】夜空のおるすばん、不安な夜を和らげるハートフルな絵本【コラム】子どものころに読んだ衝撃的で印象深い絵本って?【ランキング女性編】子どものころに読んだ絵本ランキング
2011年04月03日今週末から日本公開予定だった主演作『かぞくはじめました』が東日本大震災の影響で公開中止となったジョシュ・デュアメルだが、被災者を支援するチャリティ・ランを企画、27日にロサンゼルスで開催する。『トランスフォーマー』シリーズのレノックス大尉役でも知られるジョシュは、今回のチャリティ「リリーフ・ラン」の公式サイト上で「もし私と同じように、いま日本で起きている悲しみや苦しみを見て助けを必要とされているのを感じるなら、実際に行動を起こすべきだと感じるなら、私たちになにかできることがある」と言葉を寄せている。ジョシュの妻は「ブラック・アイド・ピーズ」のボーカルのファーギー。震災の一週間前に東京で撮影された彼らの新曲「ジャスト・キャント・ゲット・イナフ」のPVでは被災者へのお見舞いメッセージと赤十字への寄付の呼びかけた。ロサンゼルスのセレクト・ショップ「tokidoki」と共催の「リリーフ・ラン」は27日にサンタモニカ・ビーチを2マイル(約3.2キロ)走るというもの。参加料は10ドルで、集まった全額はアメリカ赤十字社を通じて日本の被災者救援に寄付される。ジョシュは2010年1月のハイチ大地震の際にも同様のチャリティ・ランを開催、10万ドルを寄付している。リリーフ・ラン公式サイト(text:Yuki Tominaga)■関連作品:かぞくはじめました© 2010 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン 2011年7月29日よりTOHOシネマズ日劇ほか全国にて公開■関連記事:キライから始まった恋の行方は?『かぞくはじめました』試写会に10組20名様ご招待シネマカフェ読者ゴコロなんでもベスト5(第11回) 家事に積極的に参加してくれそうな俳優は?オムツに風呂…キャサリン&ジョシュの子育て奮闘記『かぞくはじめました』予告編到着キャサリン&ジョシュ実生活同様家庭で奮闘?『かぞくはじめました』ポスター解禁
2011年03月24日1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災のとき、約100名の被災者の皆さんに、避難時の知恵などについてアンケートをとりました。あれから16年たつ今も、教訓として役に立つこの声。「いちばん困ったこと」、「いちばん怖かったこと」から見える備えをご紹介します。■「いちばん困ったことは?」1.眼鏡・コンタクトレンズ圧倒的多数の意見が「眼鏡」でした。「就寝中のことなので、飛び起きたときにはどこに置いたのか記憶がすっ飛んでいた」、など、多くの方が「眼鏡、眼鏡……」と暗闇のなかで手探りをしていたと証言しています。コンタクトレンズも同様でした。阪神・淡路大震災は暗闇の時間帯に起こったため、「避難時に、よく見えないことが原因で負傷した」という人も多くいらっしゃいました。また、めがね店の多くは商品を破損していてなかなか再開せず、その後の生活にもとても困ったとのことでした。2.靴一瞬で家具やモノが散乱したため、玄関まで歩くにも足の裏をケガする人が続出。「枕元には、靴やスリッパを置いて寝ること」、「余震が続くときは、最低、靴下を履いて寝る! はだしではとても逃げられないですよ」という声が多数あがりました。3.電気大災害のときは一瞬で停電になることがあるため、寝室やベッドのすぐそばに懐中電灯を常備しておきましょう。ホテルなど宿泊施設のベッドサイドには必ず設置してありますね。「懐中電灯の電池の間に紙片をはさんでおくと、いざというときの電池切れを防げます」、「懐中電灯はあっても、点灯しない人が多かった。電池は季節ごとに点検をすべきです!」という教えも重要です。4.通信1995年当時は、現在ほど通信網が発達しておらず、地域によっては1週間以上も固定電話がつながらないケースが続出しました。「電話が命綱と思っていたが、あてにならない。過信しないように」、「電話が通じないので、倒れた家に張り紙をしておいたら家族と会えた」など、通信手段が途絶えたときの心の混乱ぶりを訴える人が多くいました。そして、「災害のときには電話はつながらないものだ、とあらかじめ思っておくほうが精神的にいいよ」という考え方に行き着きました。このほか、中高年の方では「入れ歯」も目立ちました。「入れ歯をなくすと食べ物を飲み込まないといけなくなる。内臓にも支障をきたす」との声が相次ぎました。余震が続くときは、「ケースに入れた眼鏡、入れ歯、靴やスリッパ、携帯電話と電池式充電器、懐中電灯を一つの箱に入れて枕元に置いておく。これらはすぐに取り出せるようにしておくことが重要」とのこと。精神的にも安心です。■いちばん怖かったことは?「いちばん怖かったのは、部屋のモノが自分に襲いかかっているように見えたこと」と口々に言う体験者のみなさん。なかでも、切実なアドバイスは、「照明が落ちた場合は建物が倒壊する可能性があるので一目散に逃げて」ということです。本棚や食器棚、ピアノなど大きな家具のそばで寝てはいけないのは当然ですが、照明については気づいていない人が多いのではないでしょうか。地震が起こったときは、揺れが収まってから、照明のねじを締める、電球の破損のチェックなど、安定性の確認とメンテナンスを行ってください! 何より、「照明の下で寝たらアカンで!」という被災者の声を心に刻んでおきたいものです。■いちばん役立ったことは?1.目の前の見知らぬ人との声の掛け合い「誰もが不安と孤独のなかにいる。ちょっと声をかけてもらうだけでも気分が前向きになるものです」との証言を多数得ました。今回の東北地方太平洋沖地震は日中の出来事であり、家族は各自の職場、学校、自宅、外出先とばらばらに過ごしていることが多かったと思います。そんなとき、頼りになるのは目の前にいる人。知らない人であっても、気後れすることなく、「大丈夫ですか?」とか「すみません、助けてください」と声をかけあいましょう。災害の現場でありがたいのは、人の温かさ、誰かの声なのです。「声をかける」、「訪問する」、「メールする」。未曾有の大災害時、誰かとつながっている感覚こそが気力の礎となるのでしょう。2.笛笛は、小中学生の防犯グッズとしても使用されており、危険が迫ったときに生存を知らせる道具として重宝されます。防犯ブザーは電池がなくなる、いざというときに鳴らなかったなどというトラブルもあるので、笛のほうがよいのです。余震が続くときにはぜひ、携帯してください。官公庁発表の「地震緊急時マニュアル」などにも、笛の携帯がすすめられています。また、鈴も役に立ちます。「キーホルダーや携帯のストラップについていた鈴が役に立った」という声も複数ありました。いかがでしょうか?まとめると、「眼鏡、靴やスリッパ、入れ歯、携帯電話と電池式充電器、懐中電灯はそばにおく」「照明の下で寝たらアカン」「笛、鈴はいざというときに持っておく」どれも大切な教訓ですが、買い占めなどが報道される今、「目の前の見知らぬ人との声の掛け合い」こそがもっとも必要なのではないでしょうか。(朝日奈ゆか/ユンブル)【関連リンク】【コラム】スイミーは実在した。地震の影響か海外で『スイミー現象』【コラム】東北地方太平洋沖地震まとめ【コラム】東北地方太平洋沖地震による不正行為や便乗行為にご注意下さい。
2011年03月20日アンジェリーナ・ジョリーがドミニカ共和国に飛び、8日に同地の病院に収容されているハイチ大震災被災者を訪問した。AP通信によると、アンジーはハイチの隣国であるドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴにあるダリオ・コントレラ病院で治療を受けている数十人の被災者と面会した。同病院のスポークスマンによると、アンジーは院内を回って「何人かの子供たちと、彼女(アンジー)に気づいて助けを求めてきたハイチの女性と言葉を交わしました」とのこと。アンジーは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務めているが、今回の訪問には同地で緊急援助チームを指揮するUNHCRのゴンサロ・バルガス・リョサ氏が同行した。アンジーはブラッド・ピットと共に1月12日の地震発生直後、現地で活動する「国境なき医師団」に100万ドルを寄付している。ちなみに今回の訪問にブラピは同行しなかったが、それは破局の兆候どころか正反対。ブランジェリーナは、1月24日に破局記事を掲載した英国の「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」紙を、記事の撤回と謝罪という「妥当な要求」に応じなかったことから告訴したとBBCが報じている。2人の代理人、キース・シリング氏のコメントによれば、昨年末に彼らが面会したと言われる離婚弁護士のソレル・トロープ氏は「アンジェリーナ・ジョリーともブラッド・ピットとも接触したことはない」と明言しているという。(text:Yuki Tominaga)© Splash/AFLO■関連作品:ソルト 2010年7月31日より丸の内ピカデリー1ほか全国にて公開■関連記事:やっぱり2人の仲は安泰?ブランジェリーナ、マドックスを連れてスーパーボウル観戦ハリウッド・セレブに広がる、ハイチ大地震被災者救済の輪ブランジェリーナ、ハイチの大地震被災者の救済に携わると宣言アンジーの亡母より孫たちに、天国からの贈りもの?遺産分配が明らかにブランジェリーナ、友人プロデューサーを称えるパーティに揃って出席
2010年02月10日