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琵琶湖ホテルは“百人一首”をモチーフにした「いちごアフタヌーンティー咲くやこの花」を2021年1月15日(金)から3月28日(日)までの金・土・日・祝日限定で開催する。“百人一首”モチーフの「いちごアフタヌーンティー」「百人一首カクテル」をはじめ、これまで“百人一首”をモチーフにした個性豊かなメニューを展開してきた琵琶湖ホテル。最新作は、旬のいちごを存分に味わえる“百人一首”をテーマにした和風のアフタヌーンティーだ。歌にちなんだ色とりどりのスイーツ色とりどりのスイーツは三段重の中にセット。ファーストデザートは、紀貫之の「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の歌に着想を得て、紅白の香り高い苺とプチシューをセットで提供する。ウェルカムドリンクとして、大津・中川誠盛堂茶舗の玉露をペアリング。一ノ段スイーツ三段重の蓋を開けると、1段目には、三条右大臣の「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」の歌にちなんだ苺のムースや抹茶のフォレノワールをセットした。二ノ段つづく二ノ段には、もちもち食感が魅力の苺牛皮クレープや、淡いカラーが魅力的な苺マカロンを贅沢にのせて。春の陽光を思わせる明るい色合いのスイーツは、紀友則の歌「久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」からインスピレーションを得たものだ。三ノ段三ノ段には、塩をきかせて甘味に変化をつけた焼き菓子「塩チョコナッツクッキー」や、「ガナッシュ・カラメルサレ」を用意して。権中納言定家の歌「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」着想を得て、甘いだけではない恋をロマンティックに表現した一皿だ。自由にオーダーできる約20種のドリンクメニュースイーツとともに、こだわりのドリンクメニューも提供。コーヒー、ハーブティー、ティーカクテルなど約20種類の中から自由にオーダーができる。おすすめは、SEEYOK茶園のダージリンセカンドフラッシュ「ストロベリームーンシャイン」。あっさり、すっきりとした飲み心地で、スイーツとの相性は抜群だ。【詳細】いちごアフタヌーンティー咲くやこの花 1人 4,800円(税・サービス料込)開催期間:2021年1月15日(金)~3月28日(日)金・土・日・祝日限定※前日15:00までの要予約。組数限定。場所:琵琶湖ホテル2階「イタリアンダイニング ベルラーゴ」住所:滋賀県大津市浜町2-40※写真はすべてイメージ※材料の入荷等の都合により、一部メニューが変更となる場合あり。<メニュー例>■ファーストデザート2色のフレッシュ苺、苺のシュー、バニラシュー、チョコ飾りペアリングドリンク:大津・中川誠盛堂茶舗の玉露■セイボリー・スコーン琵琶鱒とすずしろ(ダイコン)のミルフィーユイクラ添え、桜鯛とすずな(カブ)の花仕立てキャビアを添えて、塩麹でローストした近江牛とセリのマヨネーズのラップサンド、フォアグラと米粉パンケーキのバーガー仕立てアドベリーソース、七草を使った彩りサラダ発酵米を使ったクリーミードレッシング、天使の海老の苺ヴィネガーと苺マリネ添え、プレーンスコーン、朝宮抹茶のスコーン、自家製アドベリージャム、大津九重味噌クロテッドクリームペアリングドリンク:和紅茶果の香(KANOKA)■スイーツ三段重〈一ノ段〉苺ムース、抹茶フォレノワール、ショコラ2種〈二ノ段〉ピスタチオムース、苺の牛皮クレープ、苺マカロン〈三ノ段〉塩チョコナッツクッキー、チーズパイ、苺アマンドショコラ、ガナッシュ・カラメルサレペアリングドリンク:ダージリンセカンドフラッシュストロベリームーンシャイン【問い合わせ先】琵琶湖ホテル レストラン予約TEL:077-524-1225(10:00~18:00)
2021年01月01日話題のスポットやエンタメに本誌記者が“おでかけ”し、その魅力を紹介するこの企画。AIがちまたにあふれ、より身近になってきている現在。その勢いは、未来はAIに乗っ取られてしまうのか?とまで噂されるほど。そんななか、メディアアーティストの落合陽一氏が総合監修をして話題となっている日本科学未来館の常設展示「計算機と自然、計算機の自然」を体験してきました。■「計算機と自然、計算機の自然」日本科学未来館3F(東京都江東区青海2-3-6)常設展「未来をつくる」ゾーンにて展示メイン展示の「計算機と自然」は計算機=コンピューターと自然の融合を表現した作品。鹿威しに水をやったり落ち葉を拾ったりするのはロボットアーム。樹木のそばでヒラヒラと舞うのは人工のチョウたち。自然とコンピューターがなんの違和感もなく共存するアートになっています。ロボットが自然に見えるのか、樹木が人工的に見えるのか……。ほかには、武田信玄や紀貫之など歴史上の人物の浮世絵たちがしゃべりだしたり、AIによって作り出されたとは思えないほどリアルな人物や猫の画像が代わる代わる現れたり。そんな作品たちに触れるうちに、計算機によって翻弄されている自分に気がつきます。「人類は『経験』と「法則」を繰り返す」のコーナーでは、移動手段が、自分の足で歩いていた人間たちが今は自動車を使い、未来は人が思い描いただけでその場に行ける時代がくるのでは……と導いているのですが、本当にそんな未来がくるんだろうな、とワクワクしてしまいました。この不思議な世界観はくせになりそうです!「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月20日この季節は景色の彩りが鮮やかなので、天気がいい日に外を歩いていると、ついつい歌なんか口ずさみたくなりませんか?そんな今回のテーマは、「モテる歌」。でも、歌といっても和歌、なかでも「百人一首」です。なかなか使う機会が少ないかもしれませんが、人気マンガ「ちはやふる」も実写化されることですし、ちょっとした瞬間にしれっと一句詠めるとオシャレなのでぜひこの機会にいかがでしょうか。今回、「モテる百人一首~春の歌編~」を教えてくださったのは、日本一の歓楽街銀座で夜な夜なリッチな紳士たちを知的な会話でおもてなししている、高級クラブ「昴」のNo.1ホステスこころさん。日本古来の艶っぽい世界をご堪能あれ。■「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける紀貫之」古典の授業でおなじみ紀貫之の歌です。ざっくりとした意味は「人の心は変わってしまうけど、花の香りは変わらないね」という感じのようです。こころさんいわく、「新生活がはじまって、浮かれている方に皮肉で使うといいかもしれませんね。ぼそっと言うと知的でミステリアスな感じがして男性もドキドキするのではないでしょうか」とのこと。■「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に小野小町」世界三大美女のひとり小野小町の歌です。ざっくりとした意味は、「花は色あせるって言うけど、私もだいぶさびついたなぁ」という感じでしょうか。こころさんによると、「新生活で疲れたときに使うといいのではないでしょうか。言ったあとに『●●さんに癒してほしいなぁ』と付け加えれば更に好感度がアップするかもしれませんね」だそうです。恐るべし!■「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は振りつつ光孝天皇」これを詠んだ光孝天皇ってすごいイケメンだったらしいです。要約すると「君のために花を摘んでたら雪が降ってきたよ。なんかせつないね」みたいな感じですね。こころさんによると、「ちょっと肌寒い日に使うといいですね。意味はさて置き字面がきれいなのでメールやラインで送るといいかもしれません」。確かに「春」「若菜」「衣」「雪」とかきれいな情景を想像させる字が多いですね。■「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ紀友則」メジャーじゃない人の歌ですが、歌は有名です。意味は「春の日差しっておだやかなのに、どうして花は急いで散っちゃうのかな」みたいな感じですね。こころさんによれば、「お食事や映画のあとにお礼に添えてお送りするといいですね」。意味を聞かれたら、「楽しい時間って早くすぎちゃいますよね」って返せば、知的小悪魔キャラとして更にモテちゃうとのことです。■「高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ前中納言匡房」名前が難しい人の歌です。意訳すると「すごく遠くの山にきれいな桜が咲いてるなぁ。雲で隠れなければいいなぁ」みたいな感じです。こころさんによると、「情景を切り取った歌なのであまり意味はないんですが、口に出した後に『古典の授業って懐かしいですね』と付け加えれば、高校時代のお話で盛り上がれるはずです」。さすが、No.1のトーク術。脱帽です。■まとめいかがでしたでしょうか?コミュニケーションのプロである銀座のホステスさんのテクニックは参考になりましたか?こころさんは、お客様にお手紙を書く際に、和歌や短歌をそえるそうです。ちょっとした気遣いをするだけでコミュニケーションって全然変わりますよね。ぜひ、参考にしてみてください。(高尾龍一/ハウコレ)(新部 宏美/モデル)(柳内 良仁/カメラマン)
2015年05月06日古くから桜の名勝地である茨城県桜川市の山桜にインスパイアされた和菓子を伊勢丹新宿店本館地下1階=甘の味で、3月末まで限定販売。桜川の山桜は、気温の変化などに応じて多様な彩りを見せる。その様々な表情にならい、春を感じさせる斬新なスイーツを伊勢丹新宿店限定で各ブランドが創作した。「かんら」は透き通るような桜寒天ゼリーで桜色の道明寺を包み込んだ新食感の桜スイーツ「水桜」(240円)を販売。桜リキュールが隠し味になった瑞々しい味わい。「小布施堂Shinjuku」からは、伝統的な和菓子の一つ、鹿の子をベースにした「栗鹿ノ子桜餅」(350円)が登場。栗餡と大粒の栗を練り上げた栗鹿の子をもちもちとした食感の生地で包んだ、桜や若葉を連想させる彩りも楽しめる一品。見た目はもちろんのこと、その味覚でも驚きを与えてくれるアイテムもある。「円果天」からは桜色のゼリーでこし餡を包んだ新食感の「水晶月餅 桜餅」(400円)が生まれた。添付ソースも桜素材とあって、徹底して桜の魅力を引き出している。またリップグロスのチューブを連想されるパッケージで人気の高い「Ameya Eitaro」のシグネチャーアイテム「スイートリップ」に春の味覚が新登場。「スイートリップ銀箔入り」のフレーバーには、さくら、ダマスクローズペタル、ライチ、あまおう、ローズヒップハイビスカス(各700円)と乙女心をくすぐるような味わいがラインアップ。山桜が咲き乱れるように形、色、味わいの異なる桜スイーツから春を感じられる。
2015年03月23日『アンアン/エル・ジャポン』が創刊された1970年3月3日、美大志望の男子生徒から「こんな雑誌が出たの知ってるか」と手渡されたのがモード誌との出合いだった。当時外国といえばアメリカ一辺倒で、アメリカの高校生の一夜を描いた映画「アメリカン・グラフィティ」のような世界や、アイヴィールックが世界で一番おしゃれと思い込んでいた女子に、ヨーロッパの香りがする、A4変形、中綴じのグラフィカルな雑誌は衝撃だった。自分の知らない世界では、アルファベットを組み合わせたプリントの茶色いバッグが、おしゃれなのか?よく分からないが、とにかくこれがおしゃれというものだ、と確信した。1969年、平凡出版社(現マガジンハウス)の当時岩堀喜之助社長は清水達雄専務をともない、パリへ赴きフランスの女性週刊誌『ELLE』と提携契約を結んだ。日本にモードを定着させることに一役買った、ライセンスマガジンのスタートだった。ただ、『アンアン/エル・ジャポン』は、日本オリジナル編集と提携した『ELLE』のページをミックスした、変則なモード誌で、1982年『アンアン』から独立して『エル・ジャポン』として同社から創刊されるまでこのスタイルは続いた。芝崎文編集長、堀内誠一をアートディレクターに迎え『アンアン/エル・ジャポン』は創刊。創刊号は、金髪にボンネットを被った外国人モデルの表紙を立木義浩が撮影。日本編集のファッションページでは金子功が特別にデザインした服を着た立川ユリがモデル兼メインキャラクターを務めた。最新のパリコレ情報は長沢節が解説、三島由紀夫のエッセイも掲載、仏版『ELLE』の記事は一折16ページで構成されている。巻末に型紙を添付し洋服の作り方を載せていたファッション誌と違い、『アンアン/エル・ジャポン』は、最新モードの服のコーディネートを提案する、今では当たり前なことを初めてやった雑誌だったと、スタイリストの原由美子さんは言う。原由美子さんは、『アンアン/エル・ジャポン』の創刊準備から、仏版エルの記事を翻訳し16ページに落とし込む仕事からスタートし、フリーのスタイリストとして独立するまでこの仕事を続けていた。パリのモード界はオートクチュールに変わりプレタポルテがトレンドを牽引するようになり、洋服は作るから既成の服を買う時代になっていった。型紙なしの『アンアン/エル・ジャポン』創刊は、編集者の鋭い臭覚がもたらしたものだった。「創刊した頃のファッションページは、金子功さんが作った一点ものの服を掲載したので価格表記はなく、今のようにメーカーやブランドからサンプルを借りて、価格をクレジットするようになったのは50号目からだった」と原さん。サンディカ(オートクチュール組合)の再編により、プレタポルテ組合が新設された1973年、原さんは初めてパリコレを取材することになった。「ケンゾーは証券取引所、ソニア・リキエルはグルネル通りのブティックと、思いおもいの場所でショーを開いていた。ケンゾー以前は、モデルがナンバーカードを持ち、粛々と歩くのがショーのやり方だったけど、ケンゾーは一度にたくさんのモデルをランウエイへ送り出し、まるでお祭りのようだった。このやり方は、ジャンポール・ゴルチエに引き継がれたの」その頃コレクション取材をしていたのは、パリに支局を持つ文化出版や新聞社の記者で、日本から出掛ける者はほとんどおらず、むしろバイヤーのほうが多かった。原由美子さんには、仏ELLEチームに混じりElle Japon Yumiko Haraのカードを貼り付けた席が用意された。「仏『ELLE』に掲載されている編集長や気に掛かるページを担当するファッションエディターの席を見つけては、この人がページを作っているんだと興味深かった」という。ファッション写真は、『ELLE』本誌が使用した残りのポジがすべて送られてきた上に、自由に使うことができるというおおらかな時代だった。フェティッシュなヘルムート・ニュートンの写真からは想像もつかないが、『ELLE』のファッションを撮っていた時期もあり、確かに『ELLE』テイストの写真に仕上がっている。72年1月5日号『ELLE』大特集では、ヘルムート・ニュートン、ジル・ベンシモン(元『ELLE』インターナショナルのクリエーティブディレクター)の写真が、1ページに4カット、6カットと大胆にデザインされている。アートディレクター堀内誠一の成せる技だった。当時、平凡出版社のいち編集者だった赤城洋一は、仏『ELLE』の編集者達が『アンアン/エル・ジャポン』を見たがり、ページを開くうちに真剣な目に変わっていったのは、斬新なアートディレクションに目を奪われたからだろうと、自書に記している。日本初、女性のためのチャーミングなモード誌は、編集もデザインもスタッフのほとんどが男性だったことには驚くばかりだ。土佐日記を書いた紀貫之ではないが「男もすなる日記というものを、女もすなるとて、するなり」といった心境だったのだろうか。参考文献*深井晃子著『パリ・コレクション』(講談社現代新書)*赤城洋一著『「アンアン」1970』(平凡社新書)*原由美子著『原由美子の仕事1970→』(ブックマン社)(4/12に続く。)
2013年12月29日