活発化する前線の影響による記録的な豪雨により、西日本を中心として大変な被害が広がっており、筆者がこの記事を書き始めた時点では、西日本豪雨での死者が72人、安否不明が63人でした(7月20日現在、死者225人、行方不明13人)。自然災害はいつどこで発生するかわからないものですが、災害に遭いやすい場所と比較的安全な場所があることも事実です。自然災害から身を護るため、今回は先人たちが残してくれた「言伝え」について書いてみます。■ 神社は津波から逃れた!意外な内容の論文が話題に「スサノオを祀る神社は東日本大震災で津波の被害を逃れた」という論文が数年前にマスコミに取り上げられて話題になりました。naonao / PIXTA(ピクスタ)こちらは東工大の研究グループによるまじめな論文で、決してオカルトや超常現象を扱ったものではありません。東日本大震災発生時に大津波が襲来した宮城県沿岸部の神社を調べてみると、津波が押し寄せた境界上に、津波が川を上流へ遡上した場所では遡上範囲を縁取るように、多くの神社が位置していたといいます。スサノオノミコトを祀った神社の大半はたとえ海の近くに位置していても津波の被害を受けず、スサノオと関係の深い熊野信仰に基づく熊野神社もその多くが津波被害を逃れた場所に位置していました(一方でアマテラスを祀る神社や稲荷神社は多くが被災しています)。tomaya / PIXTA(ピクスタ)■ 古代の人々は自然災害に強い場所を知っていた神話によるとスサノオはアマテラスの弟で、乱暴者であったため天上界を追放されて出雲に向かい、そこでヤマタノオロチを斬ったとされています。ヤマタノオロチは出雲の国を流れる斐伊川をイメージしたものとされ、これを斬ったということは斐伊川の治水に成功したという事をあらわします。斐伊川maso11 / PIXTA(ピクスタ)つまりスサノオは水をコントロールする力を持った神だとされていたのです。スサノオノミコトnagi0406 / PIXTA(ピクスタ)水害や疫病に対する力をもったスサノオノミコトは非常時における神であり、伝統的地域社会において人々はスサノオを祀る神社を自然災害発生時に最も安全な場所に建てていたと論文では結論付けています。つまり古代の人々の間では、自然災害に遭いにくい場所が伝承されていたことになり、それにより神社の周囲に人々が集まり、何かあった場合は神社に避難したと考えてもおかしくありません。■ 地名に込められている過去の災害の歴史先人たちが残してくれた「言伝え」の一つに地名があります。筆者がかつて勤務していたマンション会社では新しい物件が販売開始になると必ずその地域の地名の由来を調べていましたが(プラスの時は営業で使った)、地名にはその地域の古代の姿を物語る要素が隠されているものです。「川」「池」「浜」といった水に関係する文字が使われていれば津波や洪水などの水害に遭ったことが考えられ、「蛇」「竜」「龍」などが使われている地名には過去に大規模な土砂災害が発生したと思われます。福井県・九頭竜川ひろゆき / PIXTA(ピクスタ)「鷹」は「滝」の意味を持ち、がけ崩れの恐れの強い場所とされています。長崎県長崎市鳴滝skipinof / PIXTA(ピクスタ)最近では行政主導による住居表示変更が相次ぎ、由緒ある地名が次々と消滅していますが、自分が住んでいる地域の過去の地名を調べてみることも大切かもしれません。■ 先人たちの「言伝え」が津波から街を救った我が国はこれまでの歴史において何度も自然災害を受けてきていて、その中で培われた先人たちの知恵が現在まではっきりと見える形で受け継がれている場所が数多くあります。岩手県宮古市姉吉地区はこれまで何度も津波の被害を受けてきた場所ですが、その記憶を風化させないため海抜約60mの山腹に石碑が建てられています。姉吉・大津浪記念碑animangel / PIXTA(ピクスタ)そこには「高き住居は児孫の和楽想え惨禍の大津浪此処より下に家を建てるな」と刻まれており、実際に石碑の下には1軒の家もありません。東日本大震災時で発生した大津波は石碑から50mの地点まで到達しましたが、集落は石碑の上にあったため津波による建物被害はなかったといいます。■ 科学だけじゃない!先人から聞いた過去を知れば、将来の災害も予測できるその地域の過去がわかれば、将来に起きることもある程度予想がつきます。将来発生するかもしれない自然災害から身を護るため、自分が住んでいる地域のことをよく調べてみてはいかがでしょうか。ここまで書いて再びNHKをつけてみると、西日本豪雨の犠牲者の方の人数が随分と変化していました。yuayua / PIXTA(ピクスタ)渇水も困りますが、豪雨も困ります。被災地の方々が一刻も早く日常の生活に戻ることができることを願ってやみません。
2018年07月22日