『汽笛』で2000年おはなしエンジェル子ども創作コンクール優秀賞。2001年『レインボーロードスーパーバトル』で第4回日本自費出版文化賞入選。2013年第3回ツイッター小説大賞佳作。同年『ゴオルデンフィッシュ』(文芸社)出版。2014年よりエキサイト他にてコラムライター、DJ.BARU名義でラッパーとしても活動中。
「恋って、いつか終わりがきちゃうって思っちゃうときがあるのよ。たとえどんなに幸せでも。ううん、幸せなときこそよけいに」 ユイがいつか言ってた。何ヶ月か前のカフェでだったかもしれないし、年末に新宿駅西口のバスターミナルでつきそってあげてたときかもしれない。シチュエーションは重要じゃない。スタバかドトールか、何番乗り場かなんてどうでも。言葉だけハッキリ覚えてる。 「イズミは恋愛初心者だから教えてあげる。こんな恋、たいがい長続きしないから。そんなこと考えてる時点で、あきらめモードに入っちゃってるってわけ。ずっといっしょにいられるわけないっていう、ね。だから…」 “だから”、そのあとユイは、なにを忠告しようとしてくれていたのだろう。ちょうどそのタイミングで、店員が温められたベーコンサンドを持ってきたか、待ってたバスがきたかして、話が中断されてしまった。 続きをすぐにLINEで聞けばよかったのか。いつでも聞けると思ってた。いつもつながってるって思ってたから、いつのまにか関係が断ち切れたことに気づけなかった。 冬休みで地元へ帰っただけだと思ってたのに、ユイはあれから大学へは戻らなかった。LINEもブロックされていた。理由を知ろうにも、共通の知り合いはあのいやな子豚ちゃんしかいないし、仕方なく生徒課まで尋ねに行った。 「自主退学されてますね」 言われて、言葉が出なかった。 理由はわからない。大学に飽きたか、ほかにやりたいことが見つかったのか。あるいは、実家で何か不幸ごとがあったのかも…お父さんが亡くなって授業料が払えなくなったとか。いずれにしても、ユイは言ってくれなかった。黙って私の元から去った。 ユイにとって私は、なんでもない話し相手のひとりだったということだ。DVDは2枚ともいまだに借りっぱなしだけど、それすら忘れているか、最初から捨てるつもりで寄越したかだ。 カズヤもそうやって私の前から消えようとしているのだろうか。少なくとも、いま目の前にカズヤはいない。いるのは2年の先輩だ。 その先輩のみぞおちを、つい先ほどチョコレートの箱で攻撃してしまったけど、それよりチョコレートが中で割れてしまったことのほうがショックだった。さっきから先輩の方がしきりに謝ってるせいで、私自身の罪悪感はすでに失われていた。 「カズヤは、きてなかったですか」 そして生意気にも、詰問するように先輩に向かってそう尋ねている。部室のボロいソファに座り、面と向かい合いって。「え、カズヤ…?」先輩は戸惑ったような声を出す。が、次の瞬間。 「そ、そうか…やっぱり、俺じゃなくてカズヤなんだよね…」 “やっぱり”? 何か、納得した様子だ。 「どういうことですか」 「あ、いや、その、つまり…」 急に歯切れが悪くなる。表情が読めない私でも、先輩の反応は明らかすぎて、泣けてきさえする。 「誤魔化さないでください。ハッキリ事実を言ってください。何か事情を知っていたら、隠さずに話してください!」 叫ぶように言う。先輩は、責められるべき相手ではないかもしれない。そう思いながらも、取り乱してキツイ言い方しかできなくなっていた。 「ご、ごめん…言うよ、ちゃんと…でもこんなこと、知らない方がいいのかもしれない…」 「先輩、そんな風に思ってたって、先輩は喋りますよね。私に教えたくないことも、ぜんぶ。ぜったいに、先輩はウソをつきません。つけません。私、先輩のそういうところ知ってます」 先輩は黙っている。きっとまだ何か、罪悪感のようなものに苛まれているのかもしれない。けれど、やがて口を開く。私が思った通り真実を語る。聞かなきゃよかったと後悔したくなる、不都合な真実を。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月19日つい先日に冬休みが終わったばかりなのに、少しの授業とわずかのテスト期間を経て、再び春休みという長い長い休息期間が始まった。 この時期、大学はまったく別の姿をまとう。我々モラトリアムを享受する、緊張感のない在学生にとっての暇つぶし場所ではない。新入生候補である、緊張感しかない大学受験生にとっての激戦の舞台となる。 そんな危険地帯に、在学生の分際で忍び込む。入れるのは、事前に申請した一部の在学生だけなのに。キャンパス内に出ると、早速その「一部」の活躍が見られる。学ランを着て額に鉢巻きを巻き、ポーズを決めながら「受験生のみなさまのぉー、栄光を願ってぇー」と叫ぶ応援団各部活動の名前の書かれたのぼりを掲げ、ビラ配りをしている生徒も。部活の勧誘競争は早くも始まっている。 受験生にしてみたら、そんな勧誘を受ける余裕のある生徒なんてほんの一握りで、多くは彼らに目もくれない。校舎や街路樹の壁に寄りかかって、あるいはベンチや階段に腰掛けて、あるいは歩きながら、周囲の情報をシャットアウトしている。 重そうな鞄を肩からかけ、手にした教科書やら赤本やら参考書やらをパラパラめくっている生徒も、薄い鞄を片手にスマホやタブレットをいじっている生徒も。勉強のスタイルは変わっても、張りつめた空気は変わらない。もちろん中には“記念受験”の生徒もいるだろうけど、表情の読めない私にその区別がつくわけがない。 (まぁ区別できたところで、何の得にもならないけど) 一年前の自分もあんな受験生たちの一人だったな、と懐かしく思う。当時の私は、どんな夢を描いてこのキャンパスに足を踏み入れたのだろう。そのときの夢は、いくつ叶えられただろう。 いま私が胸に抱えているこれも、叶えられた夢の一つが形になったものなのだろうか。それともまだ叶えられず、必死でつなぎ止めようとしている祈りのような、もろく崩れやすいものの破片なのだろうか。 すれ違いは、どちらのせいか。1月に浅草寺に行った以来、カズヤとはなかなか会えない日が続いていた。会うとしたら、もう今日しか残されていないような気がした。 きのう、LINEで送った。「お昼の1時に、ゼッタイ部室きてね。渡したいものがあるから」と。なんて大胆な誘い方だろうと、自分でも思った。“既読”は付いたが、返事はなかった。 受験生や部活動生たちから目をそらし、細く伸びた塔のような校舎に向かう。部室棟だ。部活の生徒も来ているため、入り口は開いている。ただ、みな出払っているので中は静かだ。 いつもは管楽器やらドラムやらの音が響いたり、大音量のロックが流れたりとカオス化しているのに、いま、かすかに聞こえてくるのはフォークギター1本の音だけ――カズヤの音だ。まちがいなく、いる。 古い校舎だから、エレベーターは無い。5階まで続く階段を、なるべく音を立てないように上る。少しずつ、ギターの音色が近づく。道のりはやけに長く感じる。足音に気を遣ってるせいもあるけど、単純に5階は遠い。 ようやく部室の前にたどりつき、ひとつ深呼吸。どきどきしているのは、ただ疲れたからだと思う。いま、これまでの人生でまったく縁のなかったことをしようとしてるからではない。普段通りだ。そう自分に言い聞かせながら、ドアノブに手をかけ――。 ばちっ。静電気。思わず「ひゃっ」っと口から漏れる。静かな校舎の中、声はやけに響いた。ギターの音が止まる。やば、気づかれた? がたん、とギターが立てかけられる音がする。つかつかと、扉まで足音が近づく。そのあいだ動けない。ビックリさせるつもりだったけど失敗だ。せめて、まともな気持ちで渡す心の準備を。胸に抱えていたものを、真っ直ぐ差し出せるように持ち替える。 扉が開く。現れた彼に、「それ」差し出す。 「これっ、受け取ってっ」 自分の口から、ほとんど悲鳴に近い声が出る。「それ」を持つ手に、「どすっ」と鈍い振動が伝わる。…え、「どすっ」? 見ると、彼は体をくの字に曲げて苦しんでいる。ひゃあっ、まさか、いまので箱の端っこがみぞおちに!? 「ご、ごめっ…カズヤ、だいじょうぶ?」 が、彼の口から出たのは。 「だいっ…じょうぶじゃないし、ってか、イズミちゃん。俺、カズヤじゃないしっ」 あ、る、え? 予想外の言葉。それに、この声。 「先輩っ!?」 驚いて、落としてしまう。チョコレートの箱を。カズヤのためにハート型に固めた、恥ずかしさ120%のダサダサチョコを。それがいま、私の手から落ち――。 ぱきっ。 床に当たった衝撃で、たぶん割れた。箱の中でまっぷたつに。私の心そのものみたいに。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月12日子豚ちゃんの朝食風景。もひもひ。口の中いっぱいにキャベツサダラを詰め込む。ほっぺたがぱんぱんに膨らんで、見る人によってはこういうの“かわいい”って思うんだろうなって思う。 「おいしーよ。イズミ、料理得意なんだね」 もぐもぐしながらお行儀悪く、子豚ちゃんは言う。ただ野菜を切って市販のドレッシングをかけただけのサラダを褒めるなんて、よっぽど媚び売りたいの? それともバカなの? と思う。 「お味噌汁も作ったけど、いる?」 尋ねながら、すでに「ほしい」という回答を想定して、立ち上がりかけている。 「あ、ううん、いらない」 と、意外な回答に動きを止める。彼女の方を見ながら「え、いらない?」なんて言ってしまったりする。 「うん…お茶ももらってるし。水分とりすぎたくないの。水膨れしちゃうから」 …。 「そう」 言って、座りながら彼女のセリフを反芻する。お茶ももらってるし、水分とりすぎたくない。ふむ、なるほど。で、その理由がなに。水膨れしたくないから? 水膨れって。水分取りすぎると、膨れちゃうってこと? 体が? お茶に味噌汁を追加したくらいで、なるもんなのそれは? いろいろ突っ込みたい気持ちがわいた。でも、口にはしなかった。そもそも、欲しいかどうか訊いたのは自分だ。自分で飲むために作ったもので、彼女に強要するつもりもなかった。いらないならいらないで、べつに問題はない。 「あ、そうだ」 と、思い出したように子豚ちゃんは言う。 「マヨネーズない?」 マヨネーズ。彼女に出した朝食を見る。キャベツサラダにはドレッシングがかかっている。目玉焼きには醤油が、ウインナーにはケチャップがかかっているし、白いご飯には納豆が載っている。これのどこに、マヨネーズが入る余地があると言うのか。 疑問を持ちながらも、立ち上がり、冷蔵庫にマヨネーズを取りに向かう。「ありがとー」という彼女の声を背中で聞きながら。彼女に従わされてる。いや、ちがう。この感覚はそうじゃなくて…。 「はい、マヨネーズ」 「ごめんねー」 謝罪の言葉を口にしながら、ぜんぜん悪びれた様子もなく、子豚ちゃんはマヨネーズを受け取る。ふたを開け、あろうことかご飯の上にかける。納豆がすでに載ったご飯の上に。ぐりぐりぐり、と3、4回ほどマヨネーズの円を描く。 「こうすると、おいしいんだよー」 そう言って、グーにした手で槍のように箸を持ち、茶碗の中身をかきまぜ始める。ぐーりぐりぐり。その様子に思わず目を背けつつ、なんとか堪えようとする。嗜好の違いだ、べつに嫌悪したり、腹を立てたりすることではないはずだ。アニメでも、なんかこんな風にして食べているキャラクターいたし。 そう考えながら、黙っている。なにも言えない。口を開くことさえ、億劫になっている。そう、言ったところで何も変わりはしないだろうと諦めの気持ちがわいてしまっている。ただただ、面倒くさい。今、この子に対してそんな感情を抱いてしまっている。 「お、初売りかー。ねぇねぇ、イズミ、一緒に行かない? 新宿とか」 いつのまに点けたのか、テレビから流れるCMを見て子豚ちゃんが言う。 「ムリ、忙しいから。ご飯食べたら帰って」 そのときになって初めて、彼女をにらみつけ、言う。ありったけの反抗心を示す。言った後で、さすがに怒っていることが伝わりすぎかと少し後悔。 「…どうしたのイズミ、そんなに目を細めて…あ、そうか眠いんだね。ごめんねー、きのうあんま寝れなかったんだねー。わかった、すぐ帰るね」 伝わらなかった。 人の顔がわからない私には、怒った顔のつくりかたすらわかりません。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月05日世の中って、とことんうまくいかないものだと思う。正月3日目の朝、ベッドで隣に寝てるのは、カズヤじゃない。 「朝だよ」 隣で寝ている彼女に声をかける。この子が嘘を言ってなければ、彼女はきっと、ユイの友達のマナミのはずだ。顔は、例によってまったくわかんなかったけど。 マナミは寝息を立てている。起きる気配はまったくない。ときどき「フゴッ」という音を立てたりする。ユイ曰く「整った顔立ち」に似つかわしくないように思えるけど、よくよく見ると鼻が少し上向きで、子豚ちゃんみたいだ。 記憶を整理しなくちゃならない。ベッドから抜け出し、机の上のノートとペンを取る。きのう、伊勢うどんを食べたとこまではよかったと思う。少し高かったけど、ちゃんとおいしかったし。フワフワして口の中でとろけるような食感や、黒くて濃いのに少し甘みのあるタレの味とかも新鮮だった。2年の先輩の家で食べたカップラーメンなんて比べものにならないくらいの。 「比べちゃだめでしょ」。まぁ、そうだね、脳内ユイ。 で、その後だ。二人で浅草線に乗って、浅草寺まで行って。正月三が日だから人多いだろうなぁとある程度覚悟してたけど、実際着いてみたらぜんぜん足りないどころじゃないってくらいの人の多さで。 「わー、これ、お賽銭箱にたどり着くまでに何分かかんだ…?」 「“分”、じゃないよ。2時間くらいかかっちゃうよこれ」 「まじか! ディズニーランドのアトラクションかよ!」 って言い合いながら、大勢が並ぶ列に加わって。こんな場所、一人だったらきてないだろうって思った。絶対気分悪くなるし、一生トラウマになるって感じだったけど、はぐれないようにカズヤの腕にぎゅっとしがみついていたら、二人の距離もぐっと近くなって。優しいカズヤのにおいも、どんどん香ってきて。 なんだか、カズヤのにおいがフレグランスみたいになって、心地よさを保っていたような気がする。 で、ほんとに2時間くらいかけてお参りを終え、出てくるとき。「あれー、イズミとカズヤじゃーん」って声が聞こえて。見ると、雷門の柱に女性が立っていて。どっかで聞いたことあるような声って気がしたけど、さっぱり思い出せなくて。 「だれ?」 ただ、カズヤもそう言った。女性は、「えっ、ひどーい、覚えてないの? スペイン語のクラス、いっしょでしょー! マナミよ、シノザキマナミ」なんて言う。マナミ。それで思い出した。ユイの友達だ。 で、そっからだ。デートプランが吹き飛んだのは。「ねー、ふたり、デート? いいなぁ。私、ひとりできたのに。うらやましー。ねぇ、よかったらさぁ、一緒にゴハン食べに行こうよ。ちょっと、二人に相談したいこととかあるしさぁ。時間、そんなに取らないから」なんてありえない頼みだったのに、カズヤってば、「べつにいいけど、相談って?」なんて言って。 時刻は、夜7時ぐらいだったろうか。彼女の言う相談とやらが、まさか時計の長針をそこから4回半も回してしまうことになるとは、思いもしなかった。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月29日待ち合わせの場所へ、3時までに着くのは余裕だった。メイクに何十分と時間かける子もいるけど、私は顔なんてわからないから手短に済ませるし。「って、単にズボラな性格まで病気のせいにしちゃだめよ」私の脳内ユイがしゃべる。ちょっと黙ってて。 京王井の頭線とJR山手線、それぞれの渋谷駅の間の連絡通路。岡本太郎の『明日の神話』が飾られている。私が渋谷で指定する待ち合わせ場所は、ハチ公前でもモヤイ像前でもなく、いつもそこだ。 カズヤは、今日は新しい年にちなんだものをつけてくるって言ってた。なんだろう、干支のかぶりものでもしてくんのかな。あ、例えば今、目の前を通り過ぎた馬のマスクみたいな。ドンキとかでよく売ってるやつ。新年早々、変な人いるな。カズヤもあんなだったら、ちょっとイヤだな。 …って思ったら、馬マスクの人、こっちを振り返ってすたすた歩いてきて。え、何? 目が合ったから? えっ? 一瞬、パニックになりかけると、 「あけおめー、イズミ」 …え。この声、まさか。 「どう? 目立つだろ、このマスク」 「カズヤなの!? 目立ちすぎ! って、なんで馬?」 「や、だから干支のかぶりものだろ」 「それ、去年でしょ。今年は羊よっ!」 「だって、羊のかぶりものって持ってないし。まぁ、馬も干支の一種には変わんねぇじゃん」 やっぱテキトーだ。カズヤってば、すごくテキトー。 「もうっ、恥ずかしいからさっさと脱いでっ。早くしまってっ」 カズヤの頭から半ば強引に、引っこ抜くようにして馬のマスクを取る。ちょっと手間取って、「イテテテッ」なんて言われたけど、カズヤから脱げたでっかい馬のマスクはベロンと垂れた。折り畳んで、カズヤのトートバッグにつっこむ。 今のやりとり、大勢の人通りの中で相当恥ずかしかったけど、キョロキョロしてみても、周りは大して私たちに目もくれない。さっさと思い思いの方向へ歩いていく。 こういうときって、都会のスルースキルの高さ、ハンパない。『明日の神話』の中央で踊るガイコツだけが、唯一私たちを見下ろして笑っているように見えた。普通の人間の表情なんてわかんないクセに、こんなときばっかりなぜかそう感じてしまう。 私たちは、とりあえずその場を離れる。 「お腹空いてないか?」 「あ、うん…ちょっとお昼食べ損ねちゃって。カズヤも?」 「おう、小腹が空いた程度だけど。うどんとか、どうかな。ちょうど年明けだし」 「年明けって、うどん食べるの?」 「なんか、そういうの聞いたことある。ヒカリエに伊勢うどんの店があったはず」 「ヒカリエ、高くない?」 「新年だし景気よくいこうよ。前から一度食べてみたかったし」 「前って、いつ?」 「去年かな。たまたま読んだネットの記事に出ててさ」 「あ、もしかしてカズヤがLINEでつぶやいてたやつ? おとといくらいじゃない? 去年、って」 「年明けるまえだから、去年だよ」 と、またテキトーな会話を続けながら移動する。「なんだかカップルというより漫才コンビみたい」と脳内ユイ。いいんだよ、たぶんそういうのが私たちの付き合い方なんだと思う。 焦んなくていい。きっと今日が、二人の忘れられない日になるはず。そう信じてる。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月22日初夢は、うちの母とマッチョの叔父さんが義理の姉弟同士で再婚するという、わけのわからないものだった。四十路でウェディングドレスに身を包まれた母が、片手を叔父さんに支えられ、もう片手に持った杖をぶんぶん振り回すさまは、なんだか本当にとっても幸せそうだった。 「こっちはこっちで元気にやってるから、イズミちゃんもそっちでお幸せにね」 叔父さんの方は、ポカンとしてる私に向かってそう言った。ちょうど年末に電話したとき、私に言ったのと同じ声で。 目が覚めて夢だとわかり、なんだか安心したような気もしたけど、同時に少しガッカリもしたような妙な気分だった。まだ寝足りないのもあり、頭の中がふわふわしていた。それで、いま自分がどこにいるのかもわからなくなりかけた。 ゴミ処理場? いや、ちがう。見慣れた天井、床に転がる、気に入った服やらファッション雑誌やらの数々。明らかに自分の部屋だ。ベッドの下で寝ちゃってたらしい。毛布だけは、ちゃっかり身にまとって。ぜんぜん片付いてない。今日こそカズヤを家に呼ぶ予定なのに。ベッドの上、なぜか主人の代わりに横になっているケータイを見る。画面に表示された時刻は、もう午前10時だ。 どうしよう。いっそこのまま、どうもしないとか。これが「ありのままの自分です」とか言って。カズヤ、案外大丈夫かもしれない。わりとテキトーな性格してるし…。 いや、ダメだ。カズヤが許しても、私自身が許せない。キッチンから大きめのゴミ袋を持ってきて、目に付くもの、手当たり次第にがーっと入れる。荒々しいやり方だけど、もう時間がないんだからしょうがない。パンパンに膨らんだ袋の口をきゅっとしめたら、押入の中にぶち込む。 明らかにいらないものだけは、2秒で判断して、ゴミ箱へ。こういうときに役立つ手だ。2秒考えて「捨てよう」と決められるものは、あとで思い出したとしても、「しょうがないか」とすぐあきらめられる。3秒後には「捨てたら後悔する」なんて無駄な恐れが湧くので、できるだけその前に行動へうつす。 そうやって作業を繰り返していくと、意外に部屋は片付いていく。しばらく見なかったフローリングの床とも、再会を果たせた。やればできんじゃん、断捨離。 …いや、押入にたまった袋の数見たら、前言撤回。どうせカズヤが帰って、またこの中身ぶちまけたら元のもくあみだろうなとは思うけど。とりあえずは忘れよう。しばらく私は、ありのままの自分であることを捨てる。片づけ上手なファッション大好き乙女の皮をかぶって、彼を迎え入れよう。 最後の仕上げの雑巾がけを終えた時刻は、午後2時ごろ。お腹が空くのも気づかず掃除してしまった。頑張り屋さんじゃん、私。「本来は年末にすべきことなんだけどね」って、ユイなら言いそうだけど。 すっかり片付いた部屋を見る。私の心もすっかり片付いたような気がする。ん、ハッタリでもいい。私は一歩新しい自分にシフトしなきゃいけないって思う。私とカズヤの関係を、シフトさせるために。 さあ行かなきゃ、カズヤに会いに。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月15日先輩の部屋のシャワーを貸してもらったあと、朝食まで用意してもらって。 「おせちとかお雑煮とか用意できなくてごめんね~」 「いえ、普段カップラーメンなんて朝食に食べたりしないんで、すごく新鮮です」 なんて会話する。 「じゃあ、その…初詣、でも行く?」 麺をすすってる間、ふと先輩が言ったことに「いいれすよ」と、もごもご返事をし、近所の小さな神社に行くことになった。 この時期、東京の神社はどこも人だらけと思ってたけど、たどりついた神社は、鳥居をくぐればすぐお賽銭箱というほどの小ささで、元旦だというのに参拝客はいなかった。 「既にピーク過ぎちゃってんのかな」 「たぶん私たちが一番乗りなんですよ」 二人それぞれお賽銭を投げる。お賽銭箱の隣には一応おみくじの箱もあって、引いてみると、私も先輩も大吉だった。 「いいかげんだな、この結果」 「いや、これで当たってるんですよ。元気出しましょう」 そのセリフに、先輩は「うぉーっ、ありがとうイズミちゃん、ええ子やーっ」って言いながら、私をぎゅっと抱きしめる。 「え、ちょ、お酒くさいんでやめてください」 「あ…ごめん、つい感極まっちゃって…」 すぐにパッと離れる。びっくりした。 それから部屋へ荷物を取りに戻って、「じゃあ、いつまでも落ち込んでないで、早く新しい彼女見つけてくださいね」って言って。「うん、俺、がんばるよっ」っていう、ちょっとは元気出してくれたような声を聞いた。 「あ、イズミちゃんも、カズヤと仲良くね」 ついでにそんな言葉を付け足される。「当たり前じゃないですかっ」そう返して玄関の扉を閉め、駅に向かった。 電車に揺られながら、「年末年始の運行について」と書かれた中吊りが目に入る。初めて内容をよく読んで、昨夜早々に帰った二人のウソに気づく。けど、べつに腹は立たなかった。おかげで私も自分の正直な気持ちに気づくことができた気がする。 私とカズヤの未来について考えてみたとき、ぜんぜん先が見えないな、なんてネガティブな気持ちになっていた。ユイに相談したら、「先の見える恋愛ほどツマンナイものってないんじゃない?」って慰められたりもして。 ファーストキスのあと、私たちの恋は進展しただろうか。あのクリスマス夜、ネカフェで一晩過ごしただけで、夜が明けたら「朝マック」を食べに行って。値段相応の小さなマフィンが意外に二人とも初めてで、なんだか妙に感動して。そのあと各自、別々の授業の教室へと別れた。 「なんかそれ、カップルって言うより若年ホームレス? ロマンチックのかけらもない」 ユイに言われた言葉、日記にもいちいちメモってる。彼女の感覚が世間一般のと同じとは言い難いけど、少なくとも私のズレよりひどくはないと思う。カズヤとよりも、彼女との関係の方が親密になっていた。おとといユイが地元に帰るときも、新宿のバスターミナルまで見送りに行ったほどだ。 私は本当にカズヤのことが好きなんだろうか。ひょっとして、単に恋に恋してるだけなのかもしれないって、何度も思った。顔すら覚えられないのに、なんでそれを「好き」だなんて言えるのかって。 けれど先輩から抱きしめられたとき、びっくりはしたけど、ドキドキもなかったし、実際ニオイもクサかった。やっぱカズヤじゃなきゃだめなんだな、って。そう確信した。 ふとケータイが鳴る。見ると、さっき別れた先輩から。LINEに自撮り写真が貼られてて、「これやったの、イズミちゃん? わああぁんっ、ひどいよー!」。口の周りに描いてやったカールおじさんみたいな髭のことだろう。この間のクリスマス、カズヤにされた分のお返しだ。今ごろ気づいたのか。 「よかったですね、誰にも見られなくて。やっぱり大吉は当たりでしたね!」 そう返事を送った。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月08日元旦を迎えた。クリスマスから今日の日が急にやってきたような気がするけど、しょうがない。大きなことがとつぜん起こると、その前までの記憶は軽くふっとんでしまうものだ。 目覚めると、見慣れない天井、6畳の和室。隣には男性が寝ている。 「ん、もう朝かぁ~?」 あくび混じりの声をあげる彼。「おはようございます」と言うと、彼は顔をぎゅいっと素早くこちらに向け、 「…あれ、なんでイズミちゃんがいんの?」 「なんでって、先輩が誘ったんじゃないですか」 「あ…そうだっけ…うん、そうだ。あー、だんだん思い出してきた…やべぇ、頭痛ぇ」 寝ぐせだらけの頭に手を置く。表情は読みとれないけど、それだけでだいぶ、つらそうなのがわかる。 「きのう、ずいぶん飲んでましたもんね」 「あはは、どんだけ飲んだんだっけ…」 「八海山の一升瓶、一人で一本カラにするくらいです」 「…おぉ、まじか」 大晦日に一緒に過ごすはずのカズヤが、急に「バイト入っちゃって」と連絡してきたのと、恋人と過ごすはずの2年の先輩が、とつぜん「フラれたんで、みんなで宅飲みしない?」と誘ってきたのは、ほぼ同時期だった。 先輩の住むアパートの部屋に行ってみたら、最初は私の他に二人。それぞれ、「紅白」が終わったころぐらいに出て行った。「なんだよー、あとちょっとでカウントダウンじゃねぇかー」って先輩が引き止めるのも、「終電が」って断って。 じゃあ、私も帰んなきゃって思ってたら、「わあぁん、イズミちゃんはぁ…一緒にっ…カウントダウンしてくれるよねえぇ~っ! じゃなきゃ、俺っ……死ぬ!」って訴えられたのが、マジに聞こえたから。ひょっとしたら顔は笑ってたのかもしれないけど、そういうのって私、わからないから。ともかく気づかないで帰って、自殺なんかされたら困るから。 なんていろいろ言い訳するように考えてみたけど、本当のところは自分でもよくわかんない。帰って一人で新年迎えるのもさびしかったのかも。だからって彼氏以外の男と、二人きり一夜を明かすのはどうなのか。 「なんか俺、酔った勢いで変なこととかしなかった?」 不安げな声で尋ねる先輩。 「だいじょうぶですよ」 「そうか、よかっ…」 「胸をさわろうとしたとき、ちゃんと止めました」 「ダメじゃん」 うつむき、はぁ~っ、と長い息を吐き出す先輩。頬にできた、私の拳の形をしたあざは、少し変色して紫色になりかけていた。内出血させちゃうくらいなんて、私も酔っていたに違いない。未成年だから飲んではないけど、その場の雰囲気とかで。 「…その、ごめんね」 「いいえー」 謝る先輩から目をそらしつつ、私は答えた。 床には、お菓子の空袋やら、ペットボトルやら、昨晩遅くまで先輩と二人で積み上げては崩しを繰り返していたジェンガの一部やらが転がっている。昨夜のカウントダウンから点けっぱなしになっているテレビは、元旦のお笑い特番を流していた。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月01日毎年クリスマスの時期によみがえる、幼いころの記憶がある。小学1年生のとき、家でサンタさんと鉢合わせしたときのこと。 夜中、トイレ行きたくなって。部屋に戻ると、大人の男性が私のベッドに何か置いてて。 「パパ?」 そう聞いたのはスーツ着てたからなんだけど。ただ、口元に白いヒゲをたくわえていて、 「ち、ちがうよ…サンタさんだよ、ホホウ」 そう低い声で言って、慌てて部屋から出ていって。 翌朝、「きのうイズミの部屋に変な人いたよー」って母に言ったら、 「へぇ、サンタさんかしら」 「ううん、なんかねぇ、スーツ着てパパみたいだったよ」 言うと、父が慌てて、 「そ、そんなはずないよっ。パパみたいな顔してたかい?」 言われて、父の顔をじいっと見た。ちょっと思い出そうとしたけど、できなかったし、少なくとも父に白いヒゲはなかった。 「ちがーう。やっぱりパパじゃなかったみたい」 だから中途半端な変装だった父にも、当時は本気でそう答えた。 父は翌年のイブの日、交通事故で死んだ。私のためにプレゼントを買おうと街に繰り出していたとき、飲酒運転の車が突っ込んできたのだ。 父は、私がその年にサンタさんに頼んだプリキュアのコンパクトを最期まで抱えていたという。それを聞き、やっぱり私にとってのサンタさんは父だったんだと知ることになった。 いや、それとも父は本物のサンタさんだったのだろうか。私が人の顔を覚えられない悪い子だと知ってしまったから、あれ以来もう二度と私の前に姿を現さなくなってしまったのだろうか。 「どうした、イズミ」 ネカフェの個室。クリスマスの夜なのにあまりムードのない場所に、私はカズヤといる。お金が無いのに、二人きりになれる場所なんて限られてるから仕方ない。 「や、ちょっとこの映画、泣けちゃって」 見てるのは、前日ユイから借りたDVDの、恋愛映画の方。竹野内豊か金城武か、どっちが出てるやつか忘れたけど。そして話の内容も、あまり追えてなかったけど。 主人公の男性の元カノとか今カノとか、なんかいろいろ出てきてよくわかんない感じ。それに男性もいろいろ出てきて、どれが主人公かわかんなくなりかけてた。唯一、ユースケサンタマリアぐらいは区別できた。なんかひとりだけ、場違いな雰囲気のヤツが出てるなって思った。 ふと、カズヤが私の手を握る。温かいなって思う。 「イズミ」 私の耳元に口を近づけ、ささやく。なんだか、くすぐったい。 「好きだよ」 ぽあ。って、なんだか頬が赤くなる。私の目には、テレビ画面が映ってる。もしカズヤの顔を見たら、朝のマジックを一生懸命ゴシゴシ洗い落として、真っ赤になった口元が見えて、笑っちゃうって思ったから。あ、でも、ヤダ。思い出し笑いしそう。 …だけど次の瞬間。目の前が真っ暗になる。カズヤの唇が、私の唇に触れる。今ので、ぜんぶ忘れた。頭の中は、真っ白になる。 幸せだな、って思う。このまま、イヤなことなんて何も思い出さないで、終わっちゃえばいいのに。 テレビだけが静かに、映画のエンディングテーマを流している。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年12月25日「よっ」 キャンパス内、スペイン語の授業に向かう途中。目の前に立ちはだかった男性の顔を見つめてる。 黒マジックで、顔にラクガキされてる。口の周りには、カールおじさんみたいなヒゲ。額の方にも、なんか文字。 しらないひとだ。 そう思い、彼の脇を抜けていこうかとしたら、「おい、待てっ」と、手をつかまれた。覚えがある感触。よく聞いたら声も。マジか。 「カズヤ?」 「一応、そのつもり」 歯切れ悪い。でも、カズヤなんだろう。 「なんの冗談?」と、右手の人差し指で顔を指さす私。 「昨日、2年の先輩の家に泊まって…寝てる間にヤラレタ。こうすれば、彼女もちゃんと顔わかるだろって」と、左手の人差し指でほほをかくカズヤ。 だからって…額に「イズミの彼氏」って。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。 「教室行く前に落として」 「ムリ。登校前にもがんばって落とそうとしたけど」 頭がクラクラする。 「じゃ、せめて隠して」 カバンから箱詰めのマスクを取り出す。あと確か、ばんそうこうも…あった。幅広で、長方形っぽいやつ2枚。 「おぉ、さんきゅ。イズミって、マメだね」 前日に言ってほしかったこと、こんなタイミングで言われる。 まぁ、マメというか、実際はその逆。ズボラで、なんでも詰めちゃうから。私のカバンはいつも、旅行者みたいにパンパンだ。 「そもそも、なんでイブの夜、私を放ってサークルの飲みとか行くかな」 マスクをし、額にばんそうこうを貼るカズヤに言う。それでもだいぶアレな見た目だけど、少しはマシ。 「しょうがねぇじゃん、付き合いでさ」 会社員みたいな返事。これゼッタイ、社畜になるパターン。なんでこんなの彼氏にしたのか。 「ってか、飲みの後、会いに行く予定だったんだよ。なのに、『ムリ』とかさぁ~。俺もショックだよ」 「だって、いきなり部屋は」 散らかってるし。その言葉を飲み込んで、私は続ける。 「一応、聞くけど。アルコールは?」 「飲んでない。未成年だし」 そんなとこだけマジメかっ。だったら一次会で帰れっ。 そんな会話してるうちに、チャイムが鳴る。「やば、急ごう」と、私の手を取り駆け出すカズヤ。 「お、イズミー」 校舎に入り、廊下でふっくらした女性とすれちがう。 「あ、ユイおはよー」 彼女の隣の女性も、私を見て「おはよう」と言う。マナミかな、たぶん。 「お、カズヤ?」「夫婦仲いいな、ヒューヒュー」 男性たちも声をかけてくる。同じスペイン語クラスの生徒か。たぶん私は、カズヤと付き合ってなきゃ、彼らに声もかけられなかったろう。そう思うと、少しうれしい気もする。 ただ、これから先も私は、彼らの顔を覚えることはないだろう。カズヤの顔を覚えられないのと一緒で。 教室に入る。「Hola」と、先生。その挨拶がなければ、それが先生だとも判断できない。彼はまだ教壇の位置におらず、生徒も全員は席に着いてない。 「Lo siento」律儀に謝る私。授業は、もう始まってる。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年12月18日朝。ラジオから流れるのは、毎年お馴染みの曲。「マライア・キャリーで“恋人たちのクリスマス”。さて、今夜はクリスマスですよ、みなさん! 一年、はやかったぁーっ!」DJが、テンション高めに紹介する。 整理する、記憶を。昨日の日記を書く。そうするのは、いつも朝と決めている。 ユイから借りたDVD。カズヤのメガネ姿。なんとなく思い出した高校時代、野球部のコたちにからかわれたこと。心理学の授業、穴開けパンチ。あと、カズヤからのLINEメッセージ。 なんか、だいぶ偏ってるな。ま、いいか。日記に全部は書けない。大切な出来事の優劣には、個人差がある。 あ、でもこれぐらいは足さなきゃ。実家から届いた封筒。母親の書いた手紙と、1枚の写真。 「私たちの顔、すぐ忘れちゃうだろうから。写真を付けておきます」 四隅に、クレヨン画みたいなかわいいスズランの絵が印刷された便せんには、そう書かれていた。忘れちゃうんじゃなくて、覚えられないんだってば。母親も、私の病気のことがよくわかってないっぽい。 写ってるのは多分、母親とおじさん。こんな写真の顔、がんばって覚えても、また会うときはぜんぜん違う顔してるんだろう、きっと。写真と実物じゃ、私にとってはキュウリとヘチマくらいぜんぜん違うのに。 それに、なんだろうこの顔。ふたりとも目を細めて、口のはしをキュッと上げてる。怒ってる…じゃないよな。笑ってる、っていうんだろう。感情の区別も難しい。 そんな彼らを見てると、ほんとうにこの人たちが自分の家族かどうかも怪しく思える。こんな顔だっけ。そう認めるのもなんか難しくて、私にとって、家族ってなんなのかすらわからなくなってくる。 ただ、物心ついたときから母と他人の区別はできた。足が悪く、しょっちゅう杖をついてたから。そんな母が、女手ひとつで私を育てるのはものすごい苦労だったろう。 母を支えるために、高校出たら私、働かなきゃかもって考えた時期もあった。けど、ちょうどいまから二年くらい前。マッチョの叔父さんが居候しだして、 「ねえちゃんのことは俺が支えるから、イズミちゃんは気にしないで、好きな大学行きなよ」 って言ってくれたから、よし、じゃあ東京行こ、って決めて。 なんで東京かと言えば、出版系の仕事に就きたかったから。とくに、ファッション系。顔がわからないから、コスメとかには興味なかった。服には、やたら興味があった。他の人の数十倍かもしれない。いろんなブランドの新しい服や帽子、バッグなんかを、自分がデザインした雑誌で世に広めていくことが夢。 …なのに、そんな私が服をきれいに片づけられない。ちゃんと、シャネルとかグッチとか、ブランドもの買えたら大事にするから。 そう書いて、日記を締めくくる。そろそろ学校行く時間だ。 ラジオからは、テイラー・スウィフトの“Shake It Off”が流れてる。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年12月11日心理学で配られたプリント。夜、部屋の中。ベッドの上に寝転がって眺めてる。 O型は合理的で根気に欠ける。A型は積極的で単純。B型は安定志向で型にはまり気味。AB型は革新的でマイペース。どれもよく聞くようなことが書かれてる。 その日の授業は、血液型別の性格分析かと思ったら、違った。 「いま、みなさんの中から『わかるわかるー』なんて声も聞こえましたが、ここに書かれていることはデタラメです」 プロジェクターでスクリーンに映し出されたプリントに、先生は赤ペンで修正を入れる。OをABに、AをOに、BをAに、ABをBに。 「バラバラに入れ替えていたのに、誰も疑問を持ちませんでした。厳密なところには何も触れず、誰にでも当てはまるようにしか書かれていないから。血液型での性格分けなんて、その程度です」 ハッとした。なるほど、確かに。今までかたくなに天動説を信じてたのに、ロケットでいきなり宇宙まで飛ばされた気分。「ね? 丸かったでしょ、地球」みたいな。じっさい目で見せられたら、素直に自分の間違いを認めるほかない。 だけどカズヤは、隣で寝てた。「授業終わったらノート写さして」って言って。 「だって俺、B型だから」 授業後の、カズヤのセリフ。聞いて、やれやれ、ってつぶやきたくなった。 B型だから、なんだっての。自分は寛大だ、って? 私も「O型の典型だね」ってよく言われる。理由は「よく人の顔を忘れるくらい、大ざっぱだから」。忘れるんじゃない、覚えられないのだ。 いつもそうやって、O型だからと差別されてきた。…なんて、大げさ? でもまぁ、そんな素朴な悩みさえ、これからは持たなくていい。そう思えば、ちょっとは楽かな。ただでさえ、私の生活にはストレスが多すぎる。 ベッドから起きる。机まで向かい、引き出しを開ける。目的のものはなく、閉める。穴開けパンチ、どこ置いたっけ。テレビの下のキャビネットの引き出し。ない、ここにも。 うーん。 あ、思い出した。 カバンの中。いつも家で穴開けるのメンドクサイから、持ってってたんだ。結局、忘れてちゃ意味ないな。「イズミって、マメだね」カズヤからそう言ってほしかったのに。まったく、自分自身にやれやれ。 プリントに、パチン、パンチ穴を開る。本棚の「心理学」って書いてるフォルダにファイリングする。で、パンチを机の引き出しにしまう。ん、完璧。 さて、お風呂にしよ。そう思って、床を見渡す。パンツやら、スウェットやら、洗濯して取り込んだやつと、ただ脱ぎ捨ててそのままのやつが散らばってる。雑誌とか、ピザ屋のチラシとか、本棚からあふれた文庫本なんかも。 バスタオルはどこかしら。 なんて思ってると、ケータイが鳴る。LINEメッセージを受信する音。 「今からサークル飲みの二次会。終電逃すー。たのむ家泊めて」 カズヤから。すぐに返事を送る。 「ごめんムリ」 今はまだそんな段階じゃない。つまりその、二重のイミで。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年12月04日「そっかぁ、イズミって、メガネかけてるだけでわかんなくなるんだ」 カズヤは言う。ふたり、同じ授業のあと。心理学。 「かけてても、かけてなくてもわかんないよ。私、人の顔覚えられないから」 「うっそ、マジ? じゃあ、俺の顔も?」 「だから、さっきからそう言ってんじゃん」 「ははは、ひでぇな、それ」 笑った。たぶん、カズヤってば信じてない。べつにいいけど。「おまえ、サイテーだな」ってののしられるよりはマシ。今までそうだったから。 恋なんて、する前から終わってきた。クラスの女の子に、「○○くんって、カッコイイよね」なんて言われるたび、わたしには○○君の顔が思い出せなくて(それ以前に、目の前にいるクラスメイトの子の顔すら認識できなくて)。カッコイイとか、一目惚れするとか、ぜんぜんイミわかんなくて。 でも、私に恋はムリだなって、決定的だったのが高校のとき。帰り道でいつも一緒になる男子がいた。野球部の子。ユニフォームに、大きく「川上」って名前が書いてあった。無口で、他の男子に連れられながら、 「こいつ、ヤマナシと一緒に帰りたいんだって」 そう紹介されたときに、体はたくましいのに、恥ずかしそうにうつむく姿が小さな男の子みたいで、かわいくて。 顔は覚えられないけど、いい人だな、せめて名前だけは覚えよう。何日も続いたあとで、ちゃんと感謝の言葉を言わなきゃって思って。 「えと、カワカミくん、だよね。いつも一緒に帰ってくれて、ありがと」 って、あるときそう言ったら、 「おまえ、マジで俺のこと、カワカミだって思ってたの?」 ……え、どういうこと? そう思ってるうちに、彼はため息混じりに、ユニフォームをつかみながら、ネタバラシを始めて。 「これ、カワカミから借りただけ。俺はアサクラ。で、昨日おまえと帰ったのは、タケダ」 「それって、つまり?」 「おまえ、からかわれてたんだよ、俺たちに」 ……そっか。 全員野球部で、見た目もあんまり変わらなかったし。声を出さないで、ユニフォームが同じだったら、私、まったく気付かないんだ。 からかわれてたってわかっても、そういうことを思いつく彼らの発想が、面白いなって、感動さえしたのに。 「すぐ気付くと思ってたけど。さすがに、あきれた。おまえ、いいかげんイタイよ」 そんな風に、カワカミ君のユニフォームを着たアサクラ君に言われて初めて、ああ、私ってば、最低なんだなって。 顔覚えられないのって、ホントに「イタイ」んだ、私。このままじゃ、男の子と恋する権利もないんだな。そんなことさえ思えて。 なのに今じゃ、カズヤが隣にいて。 「カズヤって、怒んないよね」 「え……なにが?」 ノートと教科書を、カバンの中にしまいながら、カズヤは言う。 「いや、だって、さっき私、カズヤのこと気付かなかったのに、怒んなかったじゃん」 「ああ、だって俺、B型だから」 ケロッ、と。 こともなげに言って。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年11月27日スタバから出て、ユイは背伸びをしながら、眠そうな声で「じゃあ、男でもつかまえてくるかなー」なんて言った。 「5時から授業じゃないの?」 聞くと、平気で「きょうはサボリ」って返してくる。 「勉強より恋でしょ。残り短いモラトリアムなんだから、恋しなきゃ。イズミに先越されないようにー」 べつに、私は先越したいなんて思ってない。ユイは昔、何人もの男にかじりついては、マズイって言って、平気で吐き捨ててきたそうだ。で、恋人募集中。というか、エモノ捜索中。 私は、カズヤが最初の人。そういうイミでは、ユイの方がぜんぜん先行ってる。ま、私もユイみたいにいろんな男とつきあいたい、とは思わないけど。カズヤさえいてくれればいい。とりあえず、今のところ。 「そう、止めないけど。必修科目でしょ。単位落としたら、ソク留年だよ」 私が言うと、わかってる、ダイジョブダイジョブーって、ユイは言いながら歩き出す。 「四分の三は授業出てればゼッタイ単位取れるからって、マナミが言ってたから。じゃ、オツカレー」 なんて。マナミって、ユイの友達。私も会ったことあるらしいけど、思い出せない。きっと、特徴のない体つきなんだ。やせても、太ってもないだろうし。ユイいわく、顔はすごい美人らしいけど。整ってれば整ってるほど、私にはのっぺらぼうに見える。 紫のニットに、黒のジャケットを羽織って私から離れていくユイも、街の人混みに混ざると、たぶんもう見分けつかなくなる。学校の中じゃ、ふっくらして見分けやすいユイでも、街の中には似たような人、わりといるから。 人混みは私にとって、にごった水中みたい。周りにいるのが誰か、さっぱりわからないし。だんだん、息もできなくなってくる。 「あんた、本気で東京の大学行くの?」 母は、私が上京を決めたときそう言った。私は、ダイジョブダイジョブーって、けっこう楽観的に返した気がする。ついさっきのユイみたいに。 でも、こんなに人酔いするとは。すぐ慣れるって思ってたけど、半年以上過ぎても無理。 それもこれも、私が人の顔が見分けられないせいなのか。シワの数とか、髪の色とか。ヒゲがある・ない、おっぱいがある・ないとかで、なんとなく性別や年齢は判断できるけど。知り合いらしい人とすれ違っても、「いま、シカトしなかった? あたしよ、あたし!」って言われても、「あ、ごめんなさい。顔わかんなくて」って返すしかなくて。 と、こうして学校に向かって歩いてる途中でも、ほら、なんかメガネの男性?(髪が短いし、胸もない)が、こっち見てきて、私が先に「あ、すみません…顔覚えてなくて。どなたでしたっけ」って声かけたら。 「えっ、ちょっと、ウソ。怒ってる? 俺きのう、何か変なメッセージ送ったりしたっけ?」 あ、ウソ。すごい、聞き覚えある声。よく響くテナーボイス。ふだんメガネなんてかけてないのに。 握られた手に伝わる、記憶深いぬくもり。 私の彼氏、カズヤだった。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年11月20日「竹野内豊と金城武が区別できなきゃ、恋愛できないでしょ」 ユイに言われた言葉、すっごい覚えてる。そのときのユイの様子も。なんか、変なネイル付けてた……ウニやらイクラやら、お寿司のネタを10本の指に乗せてた。芸術的だけど、重そう。そんな指で、キャラメルマキアートのストローをつまみ、クルクル回してた。 髪は、ポニーテール。結んだ先が本物のウマみたいにふさふさしてた。染めてはいないらしいけど、窓から注ぐ日の光に当たって、茶色に見えた。 服は、紫色のニット。体にぴったりして、巨乳が強調されてた。二の腕とかも。さわったら、ぷに、ってしそう。やばい、超さわりたい、とか思った。 なんの話だっけ。そう、竹野内豊と金城武。ユイが、邦画の『冷静と情熱のあいだ』って恋愛モノと、『リターナー』っていうSFモノのDVD貸してくれるって言って、私、聞いたんだ。「同じ俳優さん?」って。 だってユイ、いきなり「超おもしろいから、見て」って押しつけてきて。似たようなパッケージで、同じような顔が写ってたら、そうなるじゃん。10年以上前の映画になんて、興味ないし。 「べつに俳優とか見分けられなくても、恋愛できるよ」 で、ちょっとだけ怒った感じでそう返すと、ユイは「ほんとに~?」って、挑発的に言う。私はミルクも砂糖も入れてない、あっついコーヒーを飲む。ずずっ、あちっ。ちょっと舌先ヤケド。 「じゃあ、あんた、彼氏のどこが好きなの? やっぱ、顔なんでしょ?」 ユイは尋ねた。顔。カズヤの顔を思い浮かべながら、「うーん」と、うなる。顔か。 「顔、わからない」 「は? わからない?」 そのとき、ユイはすごい驚いた声で「冗談でしょ、なにそれ」なんて。 「あ、わかった、顔よりハートって、そういうことー? うっらやましぃー、このっ」 私が何も言えないでいると、ユイはそう続け、玉子のネイルが乗った人差し指で、私の頬をつつく。いや、そうじゃないけど。 顔なんて、わかんない。正直、ぜんぜん覚えられない。目とか口とか、開いたり閉じたりせわしなく動いてるし。 皮膚が伸びたり、シワができたり。マユゲが尺取虫みたいにぐにぐに動いたり。たまに鼻の穴が、大きくなったり、小さくなったりして。表情ってやつ? を、変えるせいで、いつも違って見える。 だから、私が覚えているのは。カズヤの、よく響くテナーボイス。高い身長と、痩せても太ってもないカラダ。私を握る、手のぬくもり。首のあたりからただよう、優しいにおい。 顔は、なにも思い出せない。目とか口とかが動き続けてて、いちいち覚えられない。 あとで知った。こういうの、フツウじゃないっぽい。失顔症っていう、ある種の病気らしい。 それでも、私は恋してる。彼の声も、カラダつきも、においも、優しさも、ぜんぶ。近くにいなくても、すぐに思い出せる。しっかり記憶してる。 ただ、彼の顔。それだけが、覚えられません。 (つづく) 【恋愛小説『彼氏の顔が覚えられません』は、毎週木曜日配信】 目次ページはこちら
2014年11月13日