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連載 新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記

親のしつけが身につくのはいつなのか【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第15話】

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化粧をするようになると自ずと化粧を落とす必要がでてきて、顔もしぶしぶ洗っている。会う人に口が臭いと思われたくないからしぶしぶ歯も磨く。未だに全部、しぶしぶでやっている。

しかし、こうなってくると逆に、必要に迫られさえすれば、しぶしぶとはいえ、やれるんだ、という妙な悟りも開けてきた。片付けが苦手でも、部屋に誰かを連れ込みたい、という欲望が生まれればしぶしぶ片付けるようになる。
不潔だとモテないと分かれば、しぶしぶお風呂にだって入るようになるのだ。

仮に今子どもに戻ったとしても、親や先生に囲まれながら生活習慣を守って生きていけるかと言われたら、やっぱりとてもじゃないけど無理だと思う。やってくれる人がいれば甘えるし、身綺麗であることが他人からの評価軸にならないうちは、身綺麗にしようとも思わないと思う。そんなもんだ。

親は子を、生活力のある大人に育てなければならないと思うから、あれこれ口うるさく注意したり、教育を施そうとしたりする。そういう意味で、家って、子どもにとっての鍛錬の場だ。

でも、それと同時に、いざとなったら逃げ込める、絶対的に安心できる場。家って、子どもにとっても、親にとっても、そうあるのがいいと私は思う。
親と子は、教える側と教えられる側、育てる側と育てられる側であるけれども、同時に一つの基地に共に暮らす同居人でもあるのだ。共に心地よく暮らしたい。

あれこれ備えさせたい気持ちと、共に心地よく暮らしたいという気持ち。その両立は難しい。きちんと生活させようと思うと一日中お小言だらけになってしまう。だから、大きな声では言えないけど、半分くらいはもう諦めている。必要に迫られたらきっとしぶしぶやるだろう、と。

親である私が提供する心地よい暮らしに乗っかって、心地よい思いをすればいいだろう、と。
だけどそんな心地よい暮らしの記憶を、大人になってからの「しぶしぶ」の原動力に変えてくれよ、と。……そんな風に思いながら、何度言っても床に落ちている脱ぎ捨てられた靴下を、今日も洗濯カゴに運ぶのである。

親のしつけが身につくのはいつなのか【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第15話】
イラスト:片岡泉
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