大人と子どもの、一番大きな違い【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第13話】
娘の夢見は、小学校低学年ごろまで、とてもおとなしい子どもだった。
学校から帰ってくると、いつも絵を描いたり、テレビを見たりして過ごす。こちらが聞いても、学校のことを私に話すことはほとんどなかった。当時私は、専業主婦を卒業し、勤めに出始めたばかりだったので、私が家を空けることが、彼女の心に影を落としているのかも、とそのことで不安になることもよくあった。
そんな彼女に変化の兆しが現れたのは、小学校中学年ごろのことだ。“漫画”と“歴史”という大好きな二つの世界を知った彼女は、その良さを人と分かち合いたくてたまらなくなったようで、毎日少しずつ言葉数が増えていき、いつしかしゃべりだすと止まらない程になった。同時期から、学校での出来事も、聞けば少しずつ教えてくれるようになった。
けれども、そこには一つ問題もあった。
夢見は、本人がいないところで誰かの話をすることに、ものすごく罪悪感を抱くようなのだ。「今日、友達がこんなこと言ったんだよ」と、出来事だけは教えてくれるようになったものの、その内容がどんなに悪口でなかったとしても、決してその出来事の発端となった友達の名前を出さない。その秘匿性たるや徹底していて「誰が言ったの?」と聞くと、少し考えて「……A君」とアルファベットを使う程だったのだ。
誰かを決して悪く言わないどころか、誰かの噂話もしない。夢見の公正さはわが子ながら尊敬に価するとすら思ったけれど、一方で、やっぱり少し心配でもあった。彼女がもし誰かの態度に疑問を持ったり、理不尽な目に遭ったりしても、このままでは客観的な判断を仰いだり、正当に怒ったりする前に、ただ飲み込んでしまうんだろうな、と思ったのだ。
だからと言って、「言いなさい」「話しなさい」と強要したところで話すようなタイプならとっくに話しているわけで、夢見にはきっと、自分で繰り返しやってみて、この調子なら大丈夫そうだ、と安心することが何より必要なのだろうと思った。夢見が話の中で友達の名前を出したくないのは、話しを聞いた私が、彼女の友達に勝手なイメージを持つのが嫌だからなのだろう。
夢見は多分、会話の質が自分一人では決まらないものだということを察していて、それは真実だ。一人の人が、どんなに悪口にならないように話しても、それを聞いたもう一人が「ええっ!」などと過剰反応を見せ、会話の対象を非難してしまえば、その時点でその会話は悪口になってしまうし、会話をした二人は、悪口を交わした二人になってしまう。
私にも、小さいころに少しだけ身に覚えがある。友達が悪ふざけの延長で起こした面白い出来事を親に話すと、こちらの想定以上に深刻に受け止められ“そ、そうじゃないんだ!”と面倒になってしまったこと。夢見はきっとそういうのが嫌なのだろうし、こちらとしては、そうならないよ、と彼女が安心できるまで、態度で示し続けるしかないだろうと思った。
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