「『OK,Google』の先を目指す」という沼田晶弘先生(撮影:中村 年孝)
「みなさんの時代の学校と今の学校は違う。自分たちの時代とはまったく違う国になっていると思ってください」と話すのは、
「ダンシング掃除」「勝手に観光大使」などがメディアに取り上げられ、その斬新な授業法がアクティブラーニングの先駆けといわれ、AI時代に負けない教育法といわれている
沼田晶弘先生。
「子どもにやる気があれば、勝手にがんばって子どもは伸びていきます。それが子どもの自信につながります」と沼田先生は話します。しかしそれを阻害する
「大人の都合で貼られてしまうレッテル」についてお話を伺います。
■子どもの前にある「すべての石」を拾うことはできない
沼田先生のお話をうかがっているうちに、小学生の娘がいる筆者が思ったことがあります。それは、親として子どもに対して説明し尽くさなければいけないことを曖昧に終わらせて、本来ならば見守らないといけないことを
手とり、足とり教えてはいないかということ。
沼田先生はこう言葉を寄せます。
「僕からすると、今のお母さんとお父さんはがんばりすぎています。自分の子どもが進もうとする道があるとします。そこにいっぱいの石ころが落ちている。子どもがつまずいたり、転んだりすることを心配し、先回りして親御さんは石ころを拾い始める。しかも、そのすべてを。
何もないまっさらな道にしようとしているように見えるときがあります」
さらにこう続けます。「僕の意見ですけど、石ころを拾いきることは不可能です。それよりは転んだときの
受け身の仕方や、
起き上がり方を教えてあげたほうがいい。転んだら、こういうリスクがあることを伝えることの方が重要。そこにあるものをないものにしてしまっては、なんの対処もできない人間になってしまうのではないでしょうか」
沼田先生は、昔に比べて、親の目が子どもに行き届いていないという指摘に対しても、「むしろ届きすぎている。しかも、そこは届かなくてもいいのではというところに届いている気がします」と話します。
■子どもを成長させるのは「失敗」から
たしかに思い当たるところがあります。
筆者も「上着を1枚余分に着なさい」とか、「マフラーをしていきなさい」と、子どもに任せていいことも、ついつい先んじて注意をしてしまう。
子どもの自主性に任せていいところまで口を出してしまっているのかもしれません。
沼田先生はこう続けます。「目が届きすぎるということは、
子どもの学ぶ機会を奪っていることになりかねないんです。学ぶ機会がなければ、そのことはいつまでたって上達しないし、子どもの成長を妨げることにもなってしまう」
たとえば、箸が苦手な子どもにスプーンでばかり食べさせていたら、箸がうまくなるはずがないし、野菜が嫌いな子だからと、ずっと食卓にあげないでいたら、あたり前ですけど食べられなくなると沼田先生はいいます。
「たとえば、子どもに洗い物を頼んで、水浸しにされて、怒ったなんて経験がある方もいるのではないでしょうか? でも、任せると自身が決めたなら、怒るのは子どもに理不尽。
もし、水浸しにされたくなかったら、子どもに事前にしっかりと洗い方を教える。それができないなら、頼まない。
その上で、頼んだなら、黙って途中で口を出したりしない。失敗したら怒るのではなく、
何が原因だったか教えてあげればいい。そうでないと、子どもの成長はないと思います。」
沼田先生のクラスのある日の給食の様子(撮影:中村 年孝)
そんな沼田先生ですが、「日々失敗の連続」だといいます。ある日の給食がポトフだったとき、沼田先生は、忙しくて子どもに配膳を任せてしまったところ、ポトフの鍋がどうなってしまったか…!?
ここで大人は「汁だけが大量に残った」と思いがち。しかし実際には、具だけが残ってしまったそうです。
「汁だけが大量に残っていたと考えるのは、大人の考え。逆なんです。なぜかというと、子どもたちにとって、ポトフはスープ。
スープだと味噌汁ぐらいの具の量でいいと認識して、結果、具だけが残る。これは僕の失敗。
説明すべきことを怠ってしまった。だから、子どもを責められないんです」