実家とのつきあい方 ~実母&実父と私~
自分が親になると、自分を育てた親(実母・実父・養母・養父)とのことがあらためて思い出されたり、子ども(孫)を介して“じいじばあば”になった親と接する機会ができたり。実家に助けてもらったり、ときには衝突したり、あえて距離をとってみたり。子ども時代の親の思い出や、今親に対して思うこと、実家とのエピソードについてを描いてもらいました。
自分が親になると、自分を育てた親(実母・実父・養母・養父)とのことがあらためて思い出されたり、子ども(孫)を介して“じいじばあば”になった親と接する機会ができたり。実家に助けてもらったり、ときには衝突したり、あえて距離をとってみたり。子ども時代の親の思い出や、今親に対して思うこと、実家とのエピソードについてを描いてもらいました。
コミックエッセイ 息子愛が止まらない!!
自分らしく生きたい! 理想のおばあちゃん像を求めた母が気付いた本当の気持ち(後編)【息子愛が止まらない!! 第25話】
こんにちは、ねここあんな。です!
前回、「おばあちゃん」「ばあば」などの呼び名に苦しみ、人に言えない憂鬱(ゆううつ)を抱えていた私の母の話をしました。今回はその続きになります!!
母は気づかぬうちに、「おばあちゃん=優しくてなんでもにっこり話す」という理想像を描いていました。
その理想像に近づくため、母は自分を出さないようになっていました。
私が出産するまでは、何でも悩みを話す友達のような親子だった私たち。
孫が生まれて幸せ! な傍らで実は「おばあちゃん」という立ち位置に戸惑う母…。
とはいえ娘の私に、まさか「孫ができて、おばあちゃんと呼ばれるのがつらい」なんて話せなかったそうです。なぜなら孫の存在を疎ましく思っていると捉えられたら、悲しいから。
(もちろん母が孫の存在を否定するような気持ちはみじんもないのですが、娘家族には悟られてはいけない悩みだと思っていたそうです。)
それを言えずに丸2年がたち、家族からも「ばあば」呼びが定着していました。
そして「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれるうちに母は「おばあちゃんだからこうあるべき」と、自分ではない誰かになっていったというのです。
「懐の広いおばあちゃん」としての見栄があったのだそう。
しかも一度掲げた看板はなかなかおろせなかったのです。
自分の気持ちをだましていくうちに、だんだんと疲れていったと、母は話していました。
前回、「おばあちゃん」「ばあば」などの呼び名に苦しみ、人に言えない憂鬱(ゆううつ)を抱えていた私の母の話をしました。今回はその続きになります!!
▼前回までのお話
“友人のような関係”だった母と私が親子喧嘩したことをキッカケに、母が長年抱えていたトラウマや葛藤が明らかに。若くして「おばあちゃん」となった母は、「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれることに戸惑いながらも、「理想のおばあちゃん像」を追い求め、自分を苦しめていたのでした…。
「おばあちゃんって呼ばないで! 若くして祖母になった母の心の叫び(前編)」【息子愛が止まらない!! 第24話】
“友人のような関係”だった母と私が親子喧嘩したことをキッカケに、母が長年抱えていたトラウマや葛藤が明らかに。若くして「おばあちゃん」となった母は、「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれることに戸惑いながらも、「理想のおばあちゃん像」を追い求め、自分を苦しめていたのでした…。
「おばあちゃんって呼ばないで! 若くして祖母になった母の心の叫び(前編)」【息子愛が止まらない!! 第24話】
おばあちゃんって呼ばないで! 若くして祖母になった母の心の叫び(前編)
■「ばあば」と呼ばれたくない自分を隠し、理想像を求めた母
母は気づかぬうちに、「おばあちゃん=優しくてなんでもにっこり話す」という理想像を描いていました。
その理想像に近づくため、母は自分を出さないようになっていました。
私が出産するまでは、何でも悩みを話す友達のような親子だった私たち。
孫が生まれて幸せ! な傍らで実は「おばあちゃん」という立ち位置に戸惑う母…。
とはいえ娘の私に、まさか「孫ができて、おばあちゃんと呼ばれるのがつらい」なんて話せなかったそうです。なぜなら孫の存在を疎ましく思っていると捉えられたら、悲しいから。
(もちろん母が孫の存在を否定するような気持ちはみじんもないのですが、娘家族には悟られてはいけない悩みだと思っていたそうです。)
それを言えずに丸2年がたち、家族からも「ばあば」呼びが定着していました。
そして「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれるうちに母は「おばあちゃんだからこうあるべき」と、自分ではない誰かになっていったというのです。
「懐の広いおばあちゃん」としての見栄があったのだそう。
しかも一度掲げた看板はなかなかおろせなかったのです。
自分の気持ちをだましていくうちに、だんだんと疲れていったと、母は話していました。