2016年10月4日 11:00
「どうして生まれてきてしまったんだろう」7歳の娘を追い詰めてしまった時のこと
という特性があります。
その特性を持つ娘は、母親から浴びせられた否定的な言葉を、何度頭の中でリピートしたことでしょう。そのたびに「私はダメなんだ」「どうして私はこうなんだ」と、自分を責め続けていたのだと思います。
娘の本心をやっと理解し、反省した私。しかし、これで解決する訳でもなく
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娘と私の8年間。振り返ってみると反省すべき点はたくさんあります。たとえ親であろうと、間違ってしまったことはきちんと謝らなければ、前には進めません。
「わかってあげられなくて、ごめんね。
ずっとずっと辛かったね。」「よくがんばってここまで来てくれたね。これからは一緒に前に進もうね。」
失敗を取り戻すことはできませんが、私の腕の中で大きな安堵のため息をつく様子を見ていると、娘の心は少しずつほぐれていったような気がします。
これで娘の苦しみが消えてしまった訳では決してありませんし、これから先もずっと、悲しい記憶が何度も蘇り、娘の心を傷つけ続ける事でしょう。
娘が生まれてきたことを後悔する理由は、他にもたくさんあるのだと思います。
少し笑顔が増えたからといって、今までの出来事がなかったことにはならないのです。忘れられない悲しい記憶と共に生きていく、というのは、そういうことなのです。
傷ついた娘に、親がしてやれることはあるのだろうか?
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私自身、娘の診断が下りる前は「診断がつくのかどうか」「発達障害の中でどこに分類されるのか」、そればかりを考えていたような気がします。
もちろん、診断名は大切です。
何をどうすれば良いか、どんな特性があるのか、どんな思考の偏りがあるのか、調べるのに便利だからです。でも、診断名が出たからといって、何かが大きく変わる訳ではありません。
親が自ら変わっていかなければ、何も変わってはくれないのです。
私は娘ではありませんから、完全に娘を理解することなど不可能です。それでも、娘の話をさえぎらずに聞いてみたり、いろんな文献に目を通して「こうかな?」と想像してみたりすることはできます。
親が懸命に寄り添おう、理解しようとしている姿を見せるだけでも、子どもの中で何かが変わり始めるような気がします。