「インクルーシブ教育」を推進するための指針を、教育リーダーズから学ぶ2022年に国連から日本へと推進が通達されたこともあり、昨今大きな注目を集めている「インクルーシブ教育」。インクルーシブ教育とは、文部科学省で下記のように定義されています。‘’「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。障害のある子もそうでない子も、共に学ぶための仕組みづくり。しかし実際の市区町村、学校教育の現場では、対応のノウハウが欠如していたり、人員が足りなかったり、チームの目線が合わなかったりと、推進が難しい現状もあるという声も散見されています。そんな中でも、すでに全国でインクルーシブ教育を先駆けて推進している人たちがいます。彼らはインクルーシブ教育をどのように捉え、何を考え、推進を実現してきたのでしょうか?この連載では、そんな彼らを「教育リーダーズ」と位置付け、その言葉に耳を傾けることで推進のヒントとなる”指針のカケラ”を集めていきたいと思っています。第二回は、神奈川県鎌倉市教育委員会の教育長である、高橋洋平氏にお話を伺いました。Upload By 発達ナビ編集部プロフィール 高橋洋平 氏宮城県登米市出身。 中学校教員や市教育長を務めた父親と障害を持つ叔母の影響を受け、教育の道を志す。 東北大学教育学部を卒業し、文部科学省に入省。 学校教育のデジタル化や福島県庁での震災復興、米国の大学で教育研究、コンサルティング会社教育チームマネージャーなど、多角的に教育に携わる。2023年に鎌倉市立小中学校の教育行政を牽引する教育長に就任。Upload By 発達ナビ編集部正しいことを、子どもたちの「今」に合わせて実装するーー本日はよろしくお願いいたします。さまざまな視点・キャリアから教育に向き合ってきた高橋さんですが、まずは教育に対してのお考えの原点にあるものを教えていただけますでしょうか。原点には間違いなく福島で過ごした時間があります。私の在任当時、避難指示区域となった町村の子どもたちは、避難先に建てられたプレハブの仮設校舎などに通っていました。学校を訪ねるたびに、本当に可哀想だな、早く村に戻してあげたいなという一心で、県庁の学校再開支援チームをリードしていたんです。ーーそこで、今の教育に対する価値観にもつながる体験をされた。除染などにより放射線量が下がり避難指示が解除され、新しい学校の整備ができた時の、仮設校舎の閉校式での出来事でした。教育関係者と喜びを分かち合っていた私たちでしたが、ある小学校6年生の女の子から「仮設って言わないで。この学校は仮設なんかじゃない」って言われたんです。ーー仮設なんかじゃない。とても重い言葉です。もう、頭をガツンとやられるような、本当にショッキングな言葉でした。Upload By 発達ナビ編集部ーー子どもたちのためにと奔走するあまり、見えていないものがあったと。はい。その子が先生や友人と学びあった6年間は仮設なんかじゃなく、「本物」ですからね。人生に仮の時間なんてあってはならない。過去の震災に囚われ、未来の復興を見て、当時の私には子どもたちの今が見えていなかったんです。だから、「仮設」や「被災者」、「障害者」などもそうですが、一方的な決めつけではなく、目の前のその人と向き合って仕事をしたいと、強く思っています。ーーその経験が、今のインクルーシブ教育への想いにもつながっているんですね。能登地震でも学校を含め甚大な被害がありました。関係者の尽力で他校を間借りしたりして学校が再開されており、これからさまざまな面で復興が進んでいくことと思われます。何をもって本当の復興というかは本当に難しく、数字などで一律に「ここまでいったら復興!」と決められるものではなく、復興には一人ひとりの形があるのだと考えています。いずれにしても自分の力で立ち上がり、自らの幸せを掴んでいくことが、復興なのかなと考えています。それはまさにインクルーシブな学びにも通じて、それぞれの個性や特性を持ちながら、それぞれの学びや幸せを勝ち取っていくということのように思われます。東日本大震災でもコロナ禍でもさまざまな分断が生じましたが、そういった分断を乗り越えていけるような学びや対話の形を、これからも追い求めていきたいです。ーーインクルーシブ教育について文部科学省が示す方針については、どのように捉えられていますか?インクルーシブ教育を含め文部科学省が示す方向性は、基本的にはいつも正しいことを言っているなと感じます。でも、その正しいことを子どもたちや学校教育の現場において、真に正しいものにどのように落とし込んでいけるかが大事なことです。福島での経験を踏まえて、鎌倉で実践していきたいと、今はそう思っていますね。鎌倉は多彩な文化にも恵まれ、そして海や山という自然も近くにあり、学ぶ場としてとても豊かだと思っています。そして何より、多様な人がこの街を選んで、関わってくれている。まさに街としてもインクルーシブな環境の中で、鎌倉らしい教育の形をつくっていきたいです。Upload By 発達ナビ編集部その場所ならではのテーマやキーワードを見つけ、街の共感を得て推進するーーインクルーシブ教育の中でも、「鎌倉らしさ」について紐解いていければと思っています。鎌倉市が見据える未来について、教えてください。鎌倉では、世界に誇れる持続可能な町、そして共生社会を市民と共創するというビジョンを掲げています。 市民一人ひとりがお互いに尊重し合って、支え合って、自らが望む形で社会との関わりを持ち、生涯に渡って安心して自分らしく暮らしていくというものです。とてもインクルーシブな考え方を持ったビジョンだと思っています。ーー鎌倉市の教育が目指す方向と、重なる部分が大いにあると。はい。まずは自分自身を認め、そのうえで他者を尊重し、違いがあるからこそ学びがあると理解する。その上で、他者と協働しながら持続可能な共生社会の創り手へと育っていく。そんな視点に基づいているのが、鎌倉市の教育が目指す基本的な考え方です。鎌倉らしさで言うと、一つは「如意」という禅の言葉があります。Upload By 発達ナビ編集部ーー「如意」ですか。歴史ある鎌倉らしい言葉です。いわゆる如意棒の「如意」であり、意のまま、自由自在という禅の言葉です。自分の良さと可能性を認め、他者を価値ある存在として尊重し、目指したい方向を合わせながら進んでいく。自分だけでなく社会として自由自在で幸福であることを尊重する。Well-beingに通じる言葉だと思っており、教育で目指すべき姿であるなと感じています。ほかにも、この街らしさで言うと「鎌倉野菜」にもヒントがあるかなと。ーー「鎌倉野菜」はブランド化されて全国的に人気ですよね。山に囲まれた鎌倉の狭い土地であり、かつ多様なレストランからのオーダーを受けて、色とりどりの野菜が少量多品種で生産されています。七色畑とも呼ばれ、インクルーシブ教育が目指すべき姿も重なる、そんな風に思っています。弱みは強みに変わるし、活躍の場を通じてスタイルがつくられ包摂される、鎌倉の教育の姿にも取り入れていきたいなと。その土地ならではの教育の形、キーワードを見つけることは、関係者の目線も揃いやすく、大切なことかなと感じています。Upload By 発達ナビ編集部一方で、難しいのは、歴史ある鎌倉の資材を活用することのみに縛られてしまうと、発想としてプロダクトアウトなんですよね。教育においては、やはり子どもたちを起点としたマーケットインで考えていないと、意味のある形に落とし込めないと思います。やはり学習者中心の視点で考えなければならない。これは忘れてはいけないポイントの一つです。ーーなるほど。そんな鎌倉市の教育においての課題はどのあたりにありますか?どの教育委員会でも重要なテーマとして扱われていますが、学校に行くのがつらい子どもたちが増加しています。学校教育の構造も変わっていかなければなりません。子どもたちが学校にフィットしていない本質的な原因に目を向けながら、さまざまな方々と連携してプロジェクトを進めているところです。民間との協業に力を入れ、魅力的な人や資金のリソースを確保するーー不登校のお子さんに対する取り組みについて、具体的に教えてください。「かまくらULTLAプログラム」という取り組みをご紹介させていただきます。こちらは、不登校や学校に行くことがつらいと感じている子どもたちを対象にした、一人ひとりが学習の個性や特性に応じて自分らしく学んでいく方法を見つけていくことを目的とした探究プログラムです。鎌倉らしい森、お寺、海、テック企業などの地域特性を活かしながら、色んな分野のプロである大人たちと一緒に活動をします。海のプログラムでは、「タコから学ぶ生物多様性からの自己理解」をテーマに、漁師さんのお話を聞いたり、「気持ち悪いー!」とか言いながらもタコを触ったり、パエリアにして食べちゃったり、体験を通して学んでいきます。そうやって保護者の方がいないところで、1つの探究テーマを通して、自らの学習の特性を踏まえて学び方を自己調整しながら学んでいくプログラムです。Upload By 発達ナビ編集部ーー不登校の子どもたちにとって、非常に有意義な場をつくることができているんですね。森のプログラムでは、浄智寺の朝比奈住職の得意料理でもあるカレーをいただいたのですが、その上に鎌倉野菜の素揚げを乗せました。敏感な子も多く、「絶対食べられないよ」と言っていたのですが、ペロリと食べていましたね。「どうして食べられたの?」と聞いてみたら、見たことがない野菜だから挑戦してみたと話してくれました。他にも浄智寺の井戸水の飲み比べをしてみたり、五感を思う存分活用した伸び伸びとした学習に、鎌倉のエッセンスを加えて、独自のプログラムを展開しているんです。ーーお話を伺っているだけで、子どもたちの目が輝いている様子が浮かんでくるようです。本当にそうなんです。例えば工作や絵やダンスやプログラミングなど、子どもたちそれぞれに得意な表現方法があります。得意な学習スタイルで、自ら学びのハンドルを握り、自分らしく学びを掴み取っていくという方向に、教育が変わっていかなければならないのだと思っています。このプログラムは、それぞれの子供たちが学びに向き合っていくエネルギーを高めることができていると感じています。海のプログラムの終わりに「なりたい自分になれたよ!」って叫んでくれたお子さんもいて。大人たちも感動していましたね。ーーとても感動的なエピソードです。一方で、子どもたちが何が得意で、どんな個性を持っているか見えづらいという、学校現場の悩みもあるようです。そのために私たちは、アセスメントという形で学びの特性をできるだけ把握できるように努めています。話すのが得意なのか、聞くのが得意なのか、対人関係や関心分野、表現の特性までを可視化していきます。このデータは、もちろん本人や保護者の方にも共有して、ご家庭での理解にも役立てていただいています。子どもによってはあえて苦手な学び方にチャレンジしたりということも見られるようになってきました。学校ではLITALICO教育ソフトのプログラムも活用しながら、定点観測的に継続して積み上げていき、その後の学びと接続していけるように取り組んでいるところです。特別支援学級を中心に先生と活用してフィードバックを重ね、教育の現場でも役立っています。Upload By 発達ナビ編集部ーー「かまくらULTLAプログラム」での実践を経て、今後の展望を教えてください。手応えを感じているので、学びの多様化を進めるために、体験型のプログラムを軸とした新しい「学びの多様化学校(不登校特例校)」をつくる計画を進めています。1学年10人ほどを想定していまして、学校に行きづらさを感じている子どもたちの学習の進度や特性に合わせて、個別最適の学びが得られる場として令和7年の開校を目指しています。こうした施策を進めていくことで、従来の学校とも相互に刺激を与え合って、学びの選択肢を増やしていきます。通常の学校に通えない子の受け皿やセーフティネットにという言い方はあまりしたくなくて、自分らしく学べ、こういう場なら行ってみたいと思ってもらえるものにしていきたい。こうした取り組みを通して、今学びとつながれていない子どもたちの可能性にしていきたいと思っています。ーー民間との連携で言うと、ほかにはどのようなことをされていますか?「鎌倉スクールコラボファンド」という取り組みをしています。これは、プロジェクト型学習やプログラミング学習、デジタルを活用した個別最適な学びなど、学校が魅力的な企業や大学、NPO等とのコラボレーションを通して、社会に開かれた教育課程を実現していくために、クラウドファンディングで資金調達をするものです。Upload By 発達ナビ編集部寄付を個人や企業から募り、教育委員会でプールすることで、子どもたちの学びにとって必要な領域に、スピード感を持って柔軟に使っていくことができます。このようなアジャイルな資金の活用の仕方はやはり公費だけでは難しく、クラウドファンディングだからこそ実現できた形となります。第4弾となる今回の募集でもなんとか目標達成して調達できました。ーー他の市区町村にも横展開できるような、インクルーシブ教育の土台をつくるためにも活用できそうなモデルですね。そうですね。このスクールコラボファンドの取り組み自体も、他自治体にも広がりを見せています。もちろん私たちのノウハウも共有しますので、今後も全国の自治体に波及していってくれたら良いなと思います。私たちもさらに進化させていきたいと計画しているところです。Upload By 発達ナビ編集部ーーたくさんの視点をいただきありがとうございました。最後に、鎌倉市としてこれから大切にしていく、教育に対しての想いについて教えてください。これからの学校教育の現場には、子どもたちが自分で学びを選ぶという形が求められてくると思います。大人に一方的に教えてもらう教育ではなく、子どもたちが主体的に自ら掴み取っていく学びの環境をいかにデザインできるかが試されてくる。福島の復興で被災者自身が自分の力で立ち上がり、自ら多様な幸福を掴み取っていった時と同じように、子どもたちに一方的に与える学びでなく、多様な子どもたちを信じて委ねながら、共に学んで成長していきたい。そんなことを日々考えながら、鎌倉市のインクルーシブな学びのためにできることに力を尽くしたいと思います。インクルーシブ教育推進のために、まずは子ども以上に大人がワクワクしながら働けているか高橋さんは最後に、個別最適で協働的な学びとか、探究的な学びを教育で実現したいと言うのなら、それ以前に大人がワクワクと自分の仕事に向き合えているかが大切なのではないか、と話されていました。教育委員会自身、あるいは教育長自身が、そういう学びであったり、仕事の仕方をできてるかどうかを常に見直さなければいけないと、自分に言い聞かせているようです。言葉や枠組みが先行しがちなインクルーシブ教育の本質を突いた、示唆のある言葉だと感じました。Upload By 発達ナビ編集部引き続き、この連載では全国の教育リーダーズの話を取材し、皆さんにお伝えしていきます。インクルーシブ教育の取り組みを知ることで指針を集め、今まさに実践されている、実践しようとしている方のヒントになりますように。ここまで読んでいただきありがとうございました。
2024年03月19日3月21日は「世界ダウン症の日」なぜ3月21日が「世界ダウン症の日」かというと……。それはダウン症という疾患が、「21番目」の染色体が1本多く「3本」あるためだからです。この日は、ダウン症のある人たちがその人らしく、安心して暮らしていけるよう、日本中・世界中で啓発イベントが行われます。日本でも、いろいろなイベントが行われる予定なので、ぜひサイトをチェックして下さいね!参考:世界ダウン症の日特別サイト(公益財団法⼈⽇本ダウン症協会)「ダウン症のある子は天使みたい」説、母の本音さて、きいちゃんを産んでから8年……生まれてから2年は「暗黒期」にどっぷり浸ったものの、それを抜けてからは楽しく育児させてもらっています。きいちゃんを産んだ当初は、「ダウン症のある子は天使みたい」「ダウン症のある子の笑顔は本当に癒される」との人様のお声に対し「けっ!外野は呑気なもんだな!そんなことないわ!大体、子どもは皆天使みたいに可愛いもんでしょ!」と心の中で悪態をついていた私ですが、ほんとーに、ダウン症のある子は天使みたいに可愛くって癒やされるんですよ~(親バカ発動)。Upload By 星きのこしかし、天使なだけじゃない!癇癪持ちでいたずらも大好きしかし、もちろん天使なだけではありません。きいちゃんは特に、「悪魔なんじゃないか!?」と思うことすら多々あります。きいちゃんは生後半年くらいから目が合うとニコッとしてくれて、暗黒期にいた私でさえも「か、可愛い……!!なんて可愛いんだ~~~!!」と思ったものです。それが、こ、こやつ「可愛い」だけではなく、とんでもない性格しとるんじゃないか!?と感じ始めたのはいつからか……。思い出してみると赤ちゃんの頃から、ミルクがうまくのめないと怒る、など怒りっぽかったと思います。そう、きいちゃんはよく癇癪を起すのです。しかもいたずら好きで、わが家の全部屋に油性マジックで書いた消えない「落書き」があります……。そして、あらゆるものをこれまたイタズラでワザと隠すんですよね~~!しかもタチが悪いのは、しかも、本人がその隠した場所を忘れてしまい(下手したら自分が隠したことさえも忘れる……)リモコン、メガネ、ペン、等々……失くしたものは数え切れません。一度、ゴミ箱の中からリモコンを見つけた時はさすがにビックリしました……。Upload By 星きのこ現在小学2年生、さらにパワーアップ!さて、癇癪はめっちゃ起こすし、いたずらも大好きなきいちゃんも現在小学2年生(もうすぐ3年生!)。どうなっているかというと……さらに悪ガキ度パワーアップして、私たち親を振り回しまくりです……!!しかもお喋りできるようになって「ママ嫌い」「ママ、あっち行け」とか平気で言うようになりました……。あの天使なきいちゃんはどこに……(悲)。いちいち何かをやるにも悪ふざけするし、ウケ狙いするし、ジャンプや危なそうな遊びをやりたがるし、「オナラ」や「ウンチ」という言葉も大好きです。そう、立派に「悪ガキな小学生」に成長しているんです。Upload By 星きのこダウン症があってもなくても小学2年生……「小学生の育児」を満喫中!ダウン症があってもなくても小学2年生の子ども。ああ……私はいわゆる「小学生育児」をさせてもらってるんだなあと、感慨深くさえ思う毎日です。あの弱々しかったきいちゃんが、こんなに体力もつき、いたずらする知恵も回って、私に悪態つくようになって。うれしい……うれしいけど憎たらしい……と複雑な気持ちです(笑)。でも皆さん、ご安心ください!ちゃんと優しい面も育ってきていて、スーパーで買い物した荷物を持つのを手伝ってくれたり、エレベーターではきいちゃんが階や開閉のボタンを押して、先に私を行かせてくれたり、とてもジェントルマンなきいちゃんにもなってきてくれています。ママ、感動……!!ある夜、いつものスーパーの帰り、荷物を持ってくれていたきいちゃんが、「あ!」と言って、空を指さしたら、お月さまが浮かんでいました。2人で「綺麗だねー」と行って、歌を歌いながら家路に着く時……私はじんわりと温かな幸せを感じました。こんな日がくるなんて……。Upload By 星きのこひと口に「ダウン症」と言っても発達も性格も定型発達の子と同じようにさまざま。でも、きっとその子なりの良さもどんどん出てきて、「幸せだな、私、この子のママでよかったな」と思う日がいつかきっとくると思います。もし今、暗黒期にいるお母さんがいたら以前の私のように(笑)「けっ! そんな日なんかくるもんか!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それがくるんです。私も驚いていますが……。いつかその日がくることを楽しみにして頂けたらいいなあと思います。執筆/星きのこ(監修:鈴木先生より)今後もきいちゃんの悪いところはなるべくスルーして、いいところだけを褒めるようにしてあげてください。そうすることでいいところがもっと増えるはずです。なかには外面がいい子もいて、家の中ではやらないのに外出先ではいい子ぶることもあります。そのような場面に出合ったとしても、きちんとやれたら褒めてあげてほしいですね。なぜなら、適切なタイミングで褒めてあげることが大切だと私は思うからです。将来、きいちゃんやダウン症など障害があるお子さんも、仕事ができたり自立ができたり、そういう社会になることを祈念しております。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2024年03月19日自閉症姉と発達グレー妹、それぞれのイヤイヤ期わが家には知的な遅れを伴うASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けている長女と、発達グレーの可能性を指摘されている次女がいます。2人のイヤイヤ期を思い出すと、それぞれが全く違っていました。今回は、そんな2人のイヤイヤ期を振り返りたいと思います。Upload By にれ【長女まゆみの場合:1歳半~4歳半頃】イヤイヤ期は感じなかったものの、違う面で大変だったまゆみの場合、イヤイヤ期らしいイヤイヤ期はありませんでした。しかしそれで楽だったというわけではなく、1歳半から4歳半頃までは安全面や衛生面での問題行動が多すぎてただただ毎日が大変でした。当時はあらゆるコミュニケーションが難しかったので、まゆみはこちらの様子をうかがうこともなくやりたいように動くのみ……。動きを制止されたり、気に入らない場所に向かうなどのまゆみの意に沿わないことがあると、全身を突っ張らせてのけぞりながら「デェーーーーイ!!」と泣き叫び続けるのがお決まりでした。その反面、定型発達児のイヤイヤ期によく見られる衣服や靴、遊びなどでの「こっちがいい!」という意思表示はまったくありませんでした。二択で選ばせようとしても『選ぶ』という行為ができないため、いつも最終的に私が勝手に決めていましたが、特に嫌がる素振りもなく服などは身につけてくれていました。Upload By にれ【長女まゆみ:4歳半~】癇癪やこだわりが薄れ、徐々にラクに4歳半頃からは癇癪もほとんどなくなり、こだわりも薄くなりました。まゆみの特性に合わせて生活スタイルを調整してきた結果でもあると思いますが、一番の理由は本人の言語理解が進んだためだと思います。簡単な指示が聞けるようになった頃から、安全確保や衛生面で私が泣くほど困っていたことの数々がピタリと止みました。5歳になる頃にはスムーズに日常が運ぶようになり、家にいる限りは困り感を感じることが段々と減っていきました。5歳半を超えたまゆみは、言葉のキャッチボールこそ難しいものの驚くほど聞き分けが良くなり、今では妹とおもちゃの取り合いになっても大体の場合で譲ってあげる優しいお姉ちゃんになっています。また、毎回ではないにしろ自分の好きなものを選んでくれることも増えてきて、さまざまな面で本当にラクになりました。まゆみはあと2ヶ月で6歳を迎えようとするところですが、現在までイヤイヤ期は来ていません。【次女あずさの場合:2歳~】お手本のようなイヤイヤ期あずさの場合、イヤイヤ期はイヤイヤ期はかなり激しいものでした。2歳頃の癇癪の強さは周りの人もギョッとするほどで、何人も子育てしてきた先輩ママさんから「この子すごいな!?」とビックリされたことも……。あずさが療育に通うきっかけになったのも、長女まゆみの療育先の運動会であずさの起こした癇癪が激しすぎたために、それを見ていた療育の先生から療育をすすめられ……というところからでした。あずさの場合、「やりたいようにやらせて」という気持ちが強すぎるようです。大人からすると「それはちょっと……」という内容も多いので止めに入ることがありますが、そんなときは全身を地に投げ出してイヤイヤしたり、顔を真っ赤にしながら「この小さい体のどこからそんな声が」と思うほどの大声で怒り、泣き叫びました。また、触るなと言わんばかりに逃げ回っては手あたり次第におもちゃや本を投げてくることや、なだめようとすると叩いてくることもあって困っていました。Upload By にれ【次女あずさ3歳~】言語発達とともに落ち着くそんな、荒れ狂うような激しい癇癪でしたが、次第にこちらの反応をうかがいながら物を投げる様子に変わってきました。やはり、まゆみと同じでカギは言語理解だったのだと思います。あずさは言葉の発達が早いタイプで、言葉で伝えるのが上手になっていくとともに癇癪は落ち着き、3歳になる頃にはイヤイヤの頻度はぐっと下がりました。3歳4ヶ月の今は、嫌なことがあると「どうしたいか」を言葉で説明してくれるようになりました。そして、それが許されない場合でも、こちらから言葉を尽くして説明すれば大抵は納得してくれますし、納得がいかない様子でも以前のような激しい癇癪を起すことはなくなりました。物を投げることもなくなったのでホッとしています。イヤイヤ期を振り返ってみてわが家の子どもたちの事例をご紹介しました。ふと思ったのが、「まゆみにイヤイヤ期はまだ来ていない」と書きましたが……もしかすると来ていたのかもしれません。意思疎通の難しさや激しい問題行動にかき消されて気づけていなかっただけなのかも……?どちらにせよ、まゆみのイヤイヤ期は定型発達の範ちゅうからは遠いものだったと思います。タイプの違う2人でしたが、落ち着いたきっかけは両者とも言語理解が進んだことでした。あずさの場合は自分の意思を親に伝えられるようになったこと、まゆみの場合は親の話すことが少し理解できるようになったことが、癇癪を起して「イヤ‼」を表現するしかなかった時期を脱する足掛かりになったような気がしています。Upload By にれまゆみもあずさも、2歳の頃は「育児ってこんなに大変なのか……」と白目を剥いていたような覚えしかありませんが、幸いにして穏やかに過ごせるようになった今は、心にも余裕ができて子育てを楽しめるようになりました。終わりがないように思えていたイヤイヤ大癇癪も、今となっては懐かしい思い出に……でも、あの頃に戻りたいとは思わないのが正直なところです。執筆/にれ(監修:鈴木先生より)自閉スペクトラム症に伴う併存症の一つに易刺激性症状があり、思い通りにいかないとイライラしたり、癇癪を起したり、場合によっては攻撃的になることもあります。小学生以上のお子さんで易刺激性症状が顕著な場合には、投薬治療で調整することも可能です。また、言葉で上手に表現できないことはお子さん本人にとっても、とてもストレスがかかります。知的な遅れを伴うか否かで状況は変わってきますが、言葉が遅れているお子さんに対しては絵カードの利用など、工夫が大事となります。また、音や触覚などの感覚過敏があり、こだわりが強いとイヤイヤが多くでる傾向もあります。こういう場合は病院リハビリの作業療法(OT)の中の感覚統合訓練も手立ての一つとして考えることもできますよ。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月19日1歳からトイトレ開始Upload By ネコ山息子がトイトレ(トイレトレーニング)を始めたのは1歳頃でした。なぜなら、私自身がオムツが取れたのは、1歳過ぎだったと母から聞いていたので、「息子もできるだろう」と思ったからでした。息子の1歳の誕生日過ぎにおまるを購入、これからオムツではなくここで(おまるで)おしっこしようね!とおまるを渡してみました。すると息子はおまるを分解してしまいました……。「使い方が分からないのかな?」と思い、私が座って見本を見せましたが、息子はおまるの構造に興味津々。おまるに座る様子が見られなかったので、私は1歳でのトイトレを早々にあきらめました。2歳半の夏が来た。しかし、尿意を感じない息子時はすぎ、息子が2歳半の夏が来ました。いよいよ幼稚園入園を意識してトイトレに本腰を入れなければいけない、私は自分を奮い立たせました。「いきなりおまるを使うのは難しいのかな」と考え、息子に布でできたトレーニングパンツをはかせてみることに。何度かトレーニングパンツに漏らすことで尿意や漏らしたときの気持ち悪さを感じてもらうことが狙いだったのですが……。初め息子はおしっこが床に流れ落ちたことに驚いていた様子でしたが、次第になんとも思わなくなり、ついにはおしっこの水溜りで遊んでしまうように。尿意も感じていないようで、食事中でも気づいたら出てしまう有様。Upload By ネコ山「息子にはトレーニングパンツはまだ早かったのかな」と思い、濡れた感じが分かりやすいトイトレ用のオムツを着用し「出た」ことを教えてくれるようになるまで待つことにしました。しかし……。3歳、トイトレ絶望!しかも、幼稚園はオムツで登園できないと知りトイトレ用のオムツを着用して1ヶ月が経っても、息子は出たことを教えてくれる様子はなく、それどころかオシッコとうんちでタプタプになっても、気にも留めない様子でした。排泄予告も事後報告もできず、オムツが汚れても気にならない、もちろん便座やおまるに座っても出せたことはない……「トイトレ無理じゃない?」と私は絶望しました。「幼稚園はオムツで登園してもいいんだろうか?」気になった私は春から入園予定の幼稚園に問い合わせてみました。すると「失敗は大歓迎なので、布パンツで来てください。トイレトレーニングはできる限り終わらせておいてください」とのことで、ある程度トイレで排泄できるようにしておかなくてはいけないことが分かりました。入園まであと3ヶ月……私は心を鬼にすることを決意しました。尿意は分かるようになったものの、頑なにオムツでしかしない息子この頃息子は少し成長したのか、なんとなく尿意が分かるようになって来ていました。しかし、おまるやトイレで排泄することに不安があるようで、オムツ以外で出すことを頑なに拒みました。そんな息子の姿に私も根負けしてしまい、結局オムツを履かせてしまうことに。息子の気持ちになってみると「ずっとオムツで排泄して不自由なかったのに、おまるやトイレでするメリットないよな……」と、私はふと気がつきました。そこで、おまるやトイレで出すメリットを感じるように、仕方なくご褒美で釣ることに。トイレかおまるでオシッコができたら好きな車のおもちゃを買うことを、息子に提案しました。車が大好きな息子は、好きな車種の車のおもちゃを買ってもらえるならと、不安もありながらも割とあっさりおまるに座り、初めてオムツ以外にオシッコを出すことができました。入園2ヶ月前の出来事です。それ以降ほぼオムツを卒業し布パンツで過ごせるようになりました。そして尿意すら分からなかった息子が「オシッコでそう!」と教えてくれるように。新たな問題勃発!おまるでしかしなくなり……。ついに、トイトレ成功Upload By ネコ山しかし新たな問題が……。息子はおまるでしか排泄せず、トイレの便器を使うことを頑なに拒みました。「トイレでしたらかっこいいよ!」と声掛けしてみましたが、かっこいいとかに興味がない息子にその言葉は響かず、座ることすらしてくれません。入園まであと20日となり、ご褒美シールやトイレの仕掛け絵本を使ってみましたが、全く効果なし。もともと癇癪やこだわりが強い息子に一度定着したことを覆すことは至難の技でした。入園まであと5日、私はかなり焦っていました。「おまるがあるからおまるを使いたがるんだ……!」私はおまるに逆恨みし、おまるを撤去することに。オシッコがしたい息子がおまるがないことに気づき、私におまるはどこにあるのかと聞いてきました。私は「どこに行ったのかなー?」と、とぼけ「仕方ないからトイレでしてみる?」と誘うとやはりトイレでの排泄を拒否。しかしオシッコがしたいし漏らすのは嫌と思ったのか、息子は自分から「トイレ、座る」と言い便器に座りました。しかしいつもと違う状態での排泄は簡単にはいかず、便器に座っても出ません。息子は慣れないトイレでの不安と闘うように何度か座って降りてを繰り返し、やっとのことでオシッコを出すことができました。Upload By ネコ山3歳3ヶ月、幼稚園入園5日前の出来事でした。息子のトイレ成功を家族全員で喜び、ご褒美に特別に大きめのおもちゃを買ってあげ、息子の頑張りを褒めました。その後息子はおまるを1度も使うことなく、トイレでオシッコをするようになりました。(ちなみにこの時うんちはオムツでしかできず、トイレでうんちができるようになるのは年中になってからでした)。執筆/ネコ山(監修:新美先生より)トイレトレーニングが入園5日前にトイレ成功したエピソードを聞かせて下さりありがとうございます。劇的な展開にハラハラしました。さてさて、トイレトレーニングの時期や手順は個人差が非常に大きくて、どんなに頑張っても入園までに間に合うとは限りません。トイレトレーニングを始める準備段階として、膀胱にある程度尿が貯められるようになり、まとめて排泄できるようになっている、尿意を感じられる、ある程度コミュニケーションが取れ、まねをする、ほめられるとうれしいと思えるなどが育ちつつある時点で始めるとスムーズに行きやすいです。ASD(自閉スペクトラム症)などの発達の偏りがあるお子さんの中には、排泄の生理機能の発達がゆっくりだったり、尿意・便意などの内部感覚が鈍かったり、まねをする、コミュニケーションをとるなどのコミュニケーション・社会性の発達がゆっくりだったりする子も少なくないので、トイレトレーニングはややゆっくり進む子が多いかもしれません。またトイレを怖がったり、こだわり行動につながることも多いです。ネコ山さんも書かれていたような、排便はオムツを履いてするというのも、よく見られるこだわりですね。ネコ山さんに聞かせていただいたエピソードからは、息子さんが尿意を感じられるようになった時点で、本人にトイレで排泄するメリットがあるようにごほうびを設定してモチベーションを高めるのはポイントだったと思いました。ネコ山さんも息子さんもよく頑張りましたね。お疲れ様でした。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月18日樹里さんには2歳年上の姉・海さんがいます。海さんには発達障害があり、樹里さんはいわゆる「きょうだい児」であり、「ヤングケアラー」でした。小学生のころから海さんのお世話や家事を頑張っていた樹里さんですが、中学生になり不満が爆発。見かねたお母さんが児童相談所の一時保護所を利用することを提案し、樹里さんは受け入れます。しかし一時保護所には発達障害の子も多く、家にいるときよりもストレスを感じるように。職員からのやさしい言葉も樹里さんにとっては的外れで、苦しい日々を送っていました。実際に一時保護所で生活してみるものの、樹里さんが自分の居場所だと思えることはありませんでした。そうこうするうち、あっという間に満期の3カ月が訪れ、樹里さんは一時保護所を出て家に戻るのでした。もう誰も信じない…愛なんか求めない… ※文句が → 文句を 一時保護所での保護期間が終了し、家に帰ることになった樹里さん。しかし、家族との関係を修復することはできず、その溝は深まっていくばかり……。 そんななか、樹里さんは進学した通信制高校で友だちができます。この友だちの存在のおかげで、樹里さんは自分の人生を諦めることなく、これから足を踏み出す外の世界に希望が持てるようになりました。 ◇ ◇ ◇ 友だちに支えられ、受け入れてもらえたおかげで、ようやく自分の気持ちを外に出すことができた樹里さん。今まで自分の気持ちを理解してくれる人がいなかっただけに、とてもうれしかったでしょう。 すべてを諦めてしまう前に、人生に希望を持つことができて本当によかったです。 これからも、樹里さんが樹里さんらしく生きていけるような道を選んでいってほしいですね。そしていつかは、家族との溝も埋まっていくことを願います。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2024年03月17日与えたパーランクー(小太鼓)でのエイサーごっこに飽きて、暴言が出るようになってきたUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイわが家は母である私・ワッシーナを筆頭に、家族全員が個性いろいろで、発達に特性があるタイプです。5歳になった孫サルルゥは、小学校入学を目前に控え、動きがますます激しく大きくなり、大声を出すようになってきました。3歳頃から始めた沖縄の小太鼓パーランクーは、一時は早朝から深夜まで叩き続けるほど夢中になっていたのに、急に見向きもしなくなりました。まるで卒業してしまったかのように、まったく関心を示さなくなったのです。でも私と夫ラクマは特に驚きませんでした。4人いる私たちの息子や娘も、夢中になっていたことを突然やめることが多かったからです。孫サルルゥは近所に住んでいるので、多いときは週に数回わが家に遊びにやってきました。孫サルルゥは活発なタイプですので、夫や息子たちをつかまえては、決闘ごっこや野球ごっこなど動きの大きな遊びをやりたがります。夫ラクマはフリーランスとして自宅で仕事をしているので、もっぱら彼がサルルゥの相手をしています。サルルゥに悪気はないのですが、夢中になるとよく勢いあまって、家具やラクマの腕などを叩いてしまいます。ラクマはペアレント・トレーニングなどを受けた経験があるので、サルルゥに近づいて、穏やかな声で彼を注意します。ふだん味方になることが多いラクマから注意を受けるとサルルゥは大声で「おじいちゃんのおうちこわす」と怒ります。ラクマは「お家を壊されると困るなぁ。お家壊すとサルルゥはおじいちゃん家に遊びに来られなくなるよ。おいしいおやつやごはんも食べられなくなるよ」と静かに諭していました。するとサルルゥは興奮おさまらない表情ながら、反発はやや控えめになりました。自らの体験をふりかえり、さらに大きな運動の機会を与えたいと考えるUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ孫サルルゥと夫ラクマの、そのようなやりとりを見ながら、私は、小学校入学に向けて、サルルゥには新しい工夫が早急に必要だと感じていました。定期的に夫婦で通っている発達支援施設のトレーナーさんに相談しつつ、新しい方法を考えてみました。ヒントは私の幼少期にありました。私と孫サルルゥの特性には多くの共通点がありました。私自身も多動で身体をぶつけあう遊びが大好きだったのです。私が子どもの頃やりたかった習い事は、キックボクシング・プロレス・空手・カンフーでした。なかでも私の最大のアイドルは、カンフーで悪者をやっつける香港の映画スターでした。でも、私のまわりにいるきょうだいや友だちは、いっしょにカンフーごっこで遊んでくれる子がいませんでした。そのため、私は母にカンフーか空手の道場に通わせてほしいと、けんめいにお願いしました。ところが母は、ピアノや活け花、書道、剣道、算盤を習わせ、花模様のワンピースを着せたがりました。女の子らしく育ってほしいと願っていたようです。私は激しく失望し、母に反発しました。教育熱心な母は、私が反発するとなおさら厳しく接するようになりました。家庭内での無理解に加えて、学校では過剰適応の傾向があったため、二重のストレスから私はやがて不登校になっていきました。私の独特な好みや行動パターンは、周囲にまったく理解されず、問題行動と受け取られることがありました。もし私が子どもの頃、希望通りの運動をやらせてもらえれば、きっとストレス発散をすることができて、不登校は起こらなかっただろうと感じています。次女リスミーと話し合って空手道場に通うことにUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ孫サルルゥへの工夫として、どんなスポーツがいいのかと思いをめぐらしつつ、サルルゥの母親である次女リスミーの意見を聞いてみました。リスミーも、新しい工夫が必要だと感じていたようで「空手がいいかもしれない」と答えました。その頃はちょうど東京オリンピックで地元の選手が金メダルをとっており、子どもたちの間で空手道場に通うことが静かなブームになっていたようです。その後すぐにサルルゥは近所の空手道場に入門しました。私と夫ラクマは、道場までのサルルゥの送迎をかって出ました。習い始めたのはいいものの、空手の技で仲間を殴ったりしないか気になり、稽古の様子を観察したかったのです。結果として、サルルゥが乱暴をする心配はまったくありませんでした。空手道場では礼儀作法をしっかり指導してくれていたので、とても安心して見ていられました。サルルゥは、すっかり空手に夢中になりました。昇級試験を目指して稽古に励むようになり、家族の都合で稽古を休む時は悔しがって大泣きするほどでした。空手道場の稽古と礼儀指導で自信がつき、目に見えて落ち着くようにUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイサルルゥは実家にやってくると空手の型を披露するようになりました。まるで別人のように落ち着き、棒をふりまわすようなことはなくなりました。堂々とふるまうようになり、学校では落ち着いて授業を受け、学童クラブでももめごとは起こりませんでした。サルルゥは、この春から小学2年生に進級します。空手道場への送迎も必要がなくなりました。サルルゥの落ち着きぶりを見た私は、改めて、ぴたりとハマる工夫をすることの大切さを知りました。私は今年で還暦を迎えましたが、キックボクシングのジムに通うことを、ひそかに計画中です。夫ラクマは賛成してくれますが「キックボクシングのやりすぎ防止の工夫をしないとね」とアドバイスをしてくれます。私は小学生の頃、それまで苦手だった跳び箱を克服することに夢中になり、夏休みに朝から夕方までほぼ毎日練習。知らないうちに両方の手首を脱臼していました。脱臼に気づいたのは大人になった30年後。病院のレントゲン検査で分かりました。私の場合、習い事を始める前にケガ防止の工夫から入るのは、趣味を長く続けるためのよいアイディアかもしれませんね。執筆/ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ(監修:井上先生より)空手やスポーツに限らず、本人の興味関心に合った習い事やそれができる環境は大切なものだと思います。ワッシーナさんが書いておられるように、お子さんのタイプによってはのめりこみすぎて身体を壊してしまう、ほかのことを全くしなくなってしまうなどの心配はあるかもしれませんが、始める前にお約束をしたり、対策を考えておくのは良いですね。活動に加えて、指導者の存在も大きな影響を与えます。叱責が多く力で抑え込むような指導者は合わないことが多く、その活動も嫌いになってしまうかもしれません。活動は好きだけど指導が合わず、協力体制が取れない場合は親も子も疲れ切ってしまうので、早めに別の指導者を探すなどの決断をしていくことも大切です。また、実際に活動してみると本人が思っていたことと違っていたり、その活動が本人の特性に合わないこともあります。その場合どこまで頑張るかは柔軟な判断が必要になってくると思います。最近ではインターネットでの習い事もあるので、チャレンジの幅が広がっているのではないでしょうか。前の記事はこちら
2024年03月17日発達障害グレーゾーン小学生、特別支援学級に在籍。思春期・反抗期を迎えた時に二次障害を起こさないか不安ですQ:発達障害グレーゾーンの子どもがいます。幼少期から多動や癇癪、こだわりが激しく、就学前のWISC検査で発達にかなりの凸凹があることが分かりました。小学校では特別支援学級に在籍し、放課後等デイサービスにも通っており、今のところ大きな困り事はありませんが、思春期・反抗期を迎えた時に二次障害を起こさないか不安です。トラブルが起きないよう今からできることはないのか知りたいです。A:学校では個に合わせた教育環境を整えることで、二次障害の原因になる心理的負担を減らしたり、対人関係スキルを学びトラブルを減らしたりできると思います。家庭では、本人が困ったことなどについて親子で気軽に話せる関係を築いていけるといいでしょう。Upload By 発達障害のキホンこのケースのお子さんの場合、特別支援学級に在籍しておられるということですが、個に合わせた教育環境を整えることで、失敗経験の積み重ねによる不安や抑うつなど、二次障害の原因になる心理的な負担感を和らげることができると思います。加えて、対人関係のスキルを学ぶことで、トラブルなどを減らすこともできると思います。※法的には特別支援学級入級に際して医学的診断は必須ではありませんが、求められる地域もありますので注意が必要です。ただし教育的評価は必要です。中学校段階では、引き続き特別支援学級に籍を置いて学習面を伸ばすことを重視する場合と、通常学級に籍を移して大勢のクラスメートの中での学習に慣れていくことを重視する場合があります。これらの方向性は一人ひとりのニーズや状態、クラスメイトや学級担任などの環境要因によって変わっていきます。家庭では過剰に心配する必要はありませんが、本人が困ったことやつまずいていることに対して、親御さんと気軽に話題に出せたり相談できたりする関係を築いていけるといいでしょう。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年03月16日診断書が県外では使えない!?想定外の事実が判明それまで私たちが住んでいた自治体では、受給者証がなくても発達支援センターで療育を受けることができていました。しかし、引っ越し先で療育に通うためには受給者証が必要、かつ受給者証発行には医師の診断書が必要とのことだったので、発達支援センターで医師の診断を受けた際に、診断書の発行をお願いしていました。診断書発行の依頼を済ませた私は、申請手続きを再度確認するため、引っ越し先の県の市役所に電話をかけました。受給者証の発行手続きは簡単だと思っていたら、想定外の事実が判明しました。なんと、「引っ越し先の市の病院で発行される診断書でないと受給者証は発行できない」というのです。つまり、私が用意している診断書は、引っ越し先での受給者証の申請には使えないということでした。これには驚きました……このやりとりの前に、市役所で受給者証の件を問い合わせた時には、そんなこと、ひとことも教えてもらえなかったからです。また、新しい病院で診断書を書いてもらうためには、初診を何ヶ月も待たなくてはならず……。せっかく療育に行き始めて娘への効果を感じていたのに、すぐ通えないなんて……と、私はとてもガッカリしてしまいました。落ち込む私に救世主が現れるUpload By マミヤそんな時、たまたま発達支援センターの担当の方から電話がきました。私は、せっかく書いてもらった診断書が引っ越し先で使えないことを伝えました。すると、担当の方は「では、こちらで受給者証を発行してから引っ越ししましょう!それならすぐに使えますから。引っ越し前に発行して受け取れるように私から市役所に連絡を入れておきます」と言ってくれたのです。受給者証を取得した後なら、変更手続きさえすれば、引っ越し先でもすぐに使えるとのことでした。私は翌日、発達支援センターに行って診断書を受け取り、その足で市役所へ行って、受給者証を申請することができました(受給者証は翌日手元に届きました)!担当の方には何度もお礼を伝えたいくらい感謝しています。準備を終えてホッとしていた引っ越し前日……動物園で事件発生!Upload By マミヤ受給者証問題が解決し、引っ越し前日。荷造りなどほぼやることが終わりホッとしていた私は、これが最後になるかもしれないと思い、娘と何度も訪れた動物園に行くことにしました。初めて訪れた時は、入り口すぐの場所にあるキャラクターが描いてある自動販売機の前から30分は動かず、動物に目もくれず走り回り、階段の登り降りを繰り返していた娘。そんな娘も動物をしっかり見て、小走りしつつもたまにこちらを振り返る姿に、成長を感じていました。その動物園の園内には、遊具がありました。娘はそこがお気に入りだったので、最後にそこで遊ぶことにしました。少し遊んで帰る、そんな気楽な気持ちで行ったことが、最大の誤算でした。引っ越し作業が続き、外へなかなか遊びに行けていなかったこともあり、久しぶりの遊具に娘は大興奮。私の声も届かないほどに夢中で遊んだ結果、娘は何かの拍子に遊具のロープから手を離し、顔から地面に滑り落ちてしまったのです。幸いすぐに泣き止みましたが、娘の顔は大きく擦りむけ、出血もしていました。急いで病院に連れて行くと、見た目は派手だけど深刻な怪我ではないと言われましたが……新天地へは顔に大きな傷をつけての出発となってしまいました。引っ越し作業中、多動の娘はどうする?実母のサポートに感謝Upload By マミヤ引っ越しには、私の実母が手伝いに来てくれることになっていました。夫と話し、「多動の娘が引っ越し作業中に部屋の中にいるのは危険だよね……」ということになったので、荷物の搬出の立ち合いなどは夫に任せ、私と娘はひと足先に引っ越し先の県に行き、近くのホテルに泊まることにしました。しかし、私1人では動きの予測できない娘との移動と宿泊に不安があったので、母も一緒にホテルに泊まってもらいました。翌日、3人で引っ越し先の家に向かいましたが、荷物が到着する前の掃除など、娘の面倒を見ながらではとても手が回らなかったので、母のサポートがあってとても助かりました。今思い出してもこの時期は本当に大変で、いろんな方に助けていただいてなんとか引っ越し作業が終わった気がします。わが家の引っ越し事情はこんな感じでした。執筆/マミヤ(監修:鈴木先生より)他県への引っ越しの場合、医療機関の選択も考慮する必要があります。私のクリニックでは全国に神経発達症を診られる仲間がいるので、名刺を見せて携帯で写真を撮ってもらい、後日電話してもらうことにしています。もちろんその名刺宛の紹介状も添えます。それがたとえ海外であっても同じです。逆に、海外や他県から私のクリニックがあるつくば市へ引っ越される方は、クリニックのWebサイトを通じて院長へのメール宛にまずは診られるかどうか相談が来ることも多いです。予約は基本的には受付に直接の来院が必要ですが、海外や他県の方は無理なので電話での予約方式をとっています。電話はなかなか繋がらないことがありますが、メールなら確実に繋がります。私のクリニックの例を紹介しましたが、皆さんの参考になればと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月16日樹里さんには2歳年上の姉・海さんがいます。海さんには発達障害があり、樹里さんはいわゆる「きょうだい児」であり、「ヤングケアラー」でした。そんなある日、日ごろ我慢していた気持ちが爆発し、お母さんに不満をぶつけた樹里さん。家事の手伝いをする気にもなれず、さらには中学校での友人関係もうまくいかなくなり、ついに学校へ行かず家に引きこもるように……。家では、海さんと喧嘩を繰り返す毎日です。樹里さんの状況を見かねたお母さんは、児童相談所の一時保護所を利用することを提案。「姉と離れて暮らせるなら……」と樹里さんもお母さんの提案を受け入れたのでした。安心できる場所に移ったはずなのに… ※相談員さんと→相談員さんに ※2ヶ月が満期でしたが→2ヶ月が満期ですが 児童相談所の一時保護所に入り、ようやく自分の居場所を見つけられたかと思っていた樹里さん。しかし、一時保護所にはさまざまな家庭の事情を抱えている子や発達障害の子がたくさんいて、落ち着いて安心できる環境ではなく相変わらず気持ちは不安定なまま。 そんな毎日を過ごしているうちにあっという間に一時保護の終了時期が近づき、家に帰ることが決まったのでした。 ◇ ◇ ◇ 家から離れたにも関わらず、一時保護所でも発達障害の子と接する機会が多い樹里さん。そのストレスが抑えられず、怒鳴って手をあげそうになってしまいましたね。しかし、発達障害のお子さんに怒鳴ると、急な大声にパニックを起こして指示がほとんど聞き取れなくなり、冷静に行動することが難しくなってしまいます。一呼吸おいて、何か伝えたいことがある場合は穏やかな声で静かに話しかけると良いでしょう。 とはいえ、保護所の職員の方が家庭の状況を理解してくれないと思っている樹里さんのストレスが、限界を迎えてしまうのも無理はないですよね……。もちろん、職員さんは樹里さんのことを思って声をかけたのだろうとは思いますが、救いを求めて向かった場所のはずなのに樹里さんのストレスが増えていくだけの状況を見て、なんだか悲しい……と感じている方も多いのではないでしょうか。 結局家に帰ることになった樹里さん。久しぶりに会う樹里さんを、お母さんや海さんが暖かく迎え入れ、穏やかな毎日が送れるようになることを願うばかりです。 >>次の話 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2024年03月15日成長に涙……だけじゃない⁉卒園式の練習を嫌がる、本番でやってしまった!不登校だけど卒業式はどうする?発達に特性がある子どもたちの卒園、卒業式卒園式、卒業式シーズンですね!お子さんの成長に涙、涙だったという方もいれば、式自体に出席するべきか、出席したとしても最後まで参加できるかなど悩んでいる保護者の方も多いのではないでしょうか。今回は、連載ライター陣などから寄せられた卒園式、卒業式にまつわるエピソードをまとめてご紹介します。発達に特性があるお子さんの卒園、卒業式はお悩みは多いと思いますが、お子さんの予想以上の成長にびっくりする場面もあったようです。卒園式の練習が嫌な理由は?行事が苦手な息子、卒園式大丈夫?発達障害の疑いがあるモンズースーさんの息子さん。卒園式の練習を毎回逃げ出していたのですが、そこには彼なりの理由がありました。行事の練習がとても苦手なADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)のむっくん。行事の練習は不参加で本番にだけ参加するスタイルを貫いてきました。そんなむっくんの卒園式、むっくんの行動の理由を知って……。小学校、中学、高校の卒業式は?大のおっちょこちょいなADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)のリュウ太くん。小学校の卒業式で、“珍事件”が起こりました!「卒業生入場!」ハラハラしながら見守る中、まわりより小さな体のシュウママさんの長男が入場しました。その雄姿に特別支援学校で過ごした6年間を思い出を重なり感動の涙です。中学1年で不登校になった多原さんの娘さん。卒業が近くなり、卒業アルバム、卒業式をどうするか決めなければいけなくなり……。小学校でも中学校でも卒業式で涙を見せたことがなかった荒木さんの娘さんが、高校の卒業式では大号泣。その理由は……。さいごに発達に特性があるお子さんの卒園、卒業式は十人十色。参加できてもできなくても、お子さんは自分のペースで少しずつ成長しているものです。いい思い出になることを願っています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月15日これが癇癪?分からなかった未就学の頃Upload By カタバミまちゃが2歳4ヶ月で自閉スペクトラム症と診断された時、まちゃには睡眠障害と偏食と感覚鈍麻に加えて言葉の理解と表出の遅れがありましたが、周りのママたちからよく聞いていた「酷い癇癪」はありませんでした。日中は比較的静かに遊んでくれる子どもだったので、私はまちゃに障害があるとそれほど実感してはいませんでした。まちゃには夕方からの黄昏泣きはありましたが、泣いている理由が分からないことはほとんどありませんでした。まちゃは2歳6ヶ月から発達センターでの療育に通い始めました。療育では、自分の気に入った活動を続けたくて引っくり返って怒り泣く事はありましたが、最後までずっと長く泣いているようなことはありませんでした。年中年長と手厚い児童発達支援事業所と療育園に通ったお陰なのか、そこでも酷い癇癪を報告されたことはなく、就学して2ヶ所の放課後等デイサービスに通っていても「そんなに不機嫌は続きませんね。気持ちの切り替えはできています」と言われていました。小1、もしや今さら癇癪・イヤイヤ期?Upload By カタバミ小1の終わり頃、絵の好きなまちゃは教室の黒板に絵を描きたがったことがありました。でもその時は、黒板は授業で使うので制止されたそうです。するとまちゃは30分ほど引っくり返って泣き喚いたと担任の先生から聞いて、私は驚きました。なぜなら、それほど長く怒り続けた事は今までなかったからです。つい先日も放課後等デイサービスの送迎車から降りた時、両目から涙を流し「あーあー!」と大きな声で泣き続けていました。私が職員さんに理由を聞くと「多分別の施設に異動になった職員さんが今日久しぶりに来ていて、まちゃくんと楽しく遊んでいたんです。帰る時間になって、その方との遊びが中断されたのが悲しいのかもしれません」言われました。家族と遊んでいて離れてもこんなに泣くことはないので「そんなに人に執着するとは!」と私は驚きました。そして、家に入ってからも好きな遊び(タブレットで動画を見る)を促しても、好物の焼き芋をすすめてみても突き返してきて長い時間怒り泣いているので、再び驚きました。私から見たまちゃの癇癪Upload By カタバミまちゃ自身も自分の意志が分からず、なんとなく不機嫌になっては忘れていた時期は終わり、意志がはっきりしてきたのかなと感じています。まちゃは月1で言語聴覚士さんの訓練にも通っているのですが、記憶を続ける訓練も少しずつ進んでいるので、何かをやりたかったのに叶わなかったというような、悔しい悲しい記憶も長く続くようになっているのかなと感じています。今までは携帯やタブレットで動画を見せたりお菓子を与えれば不機嫌もだいたい収まっていたのに、最近では怒って受け取らず突き返してくる事も多くなっています。また、声も体も順調に大きくなっているので、少しのイヤイヤも小2のパワーだと周りの目が気になるほど激しいものになっています。今のところ癇癪の内容は、大きな声で「ウワーン!」と喚きながら寝転がり、自分の両耳を両手でバタバタと叩いたり、自分の指を強めに噛んでできた歯の跡を見せてきたりしています。どこかに走り出す事もあります。これらが以前よりも長く続きます。たまに怒ってタブレットや携帯を乱暴に扱ったりするので注意が必要です。これからどんどんひどくなるかもしれない癇癪対策Upload By カタバミ今年の年始に神社へ家族でお参りに行った時も、夫が厄払いをすると急に言い出して人の多い所で長時間まちゃも待つことになってしまい、まちゃは機嫌が悪くなり何をしても収まらず、ヘトヘトになったこともありました。年始の混んだ神社で機嫌が悪くなった時にはすぐ脇に広い河原があったので、まちゃの癇癪に疲れて嫌になった私はまちゃをのびのびさせようと河原に行きました。しかし、まちゃは私の想定を超えてのびのびと遠くに走って行こうとしたので、慌てて追い掛けました。まちゃの不機嫌や癇癪で私もイライラしてくると、おおらかに構えることができなくなって間違った対応をしたり、普段より厳しく接してしまいかえって癇癪を加速させてしまいます。最近は外出のたびに癇癪が起きているので何が原因なのか考えるようにしています。車で出掛けた時には車に戻れば収まったりするので、やはり見通しがつかない外出が苦痛なのかなと思っています。去年私は、絵カードを使って言葉がなくても意思疎通を図れるようになる講座を受講して、発語がゆっくりなまちゃの気持ちを理解できるような工夫もはじめました。また、放課後等デイサービスでも、まちゃに癇癪があったと報告を受けた時には、原因を詳しく聞くことにしています。これからは一層、学校や放課後等デイサービスとも連携して、まちゃの癇癪の原因を探り、なんとか減らしたり軽くして行けたらと思っています。執筆/カタバミ(監修:新美先生)お子さんの癇癪について詳しく教えてくださりありがとうございます。幼児期はそこまで大きい癇癪を起したことのなかったまちゃくんが、小学生になってから激しい癇癪を出してくるようになったのですね。カタバミさんが観察、分析されていたように、まちゃくんの成長とともに、自分の意志が明確になり、記憶がつながるようになったということがありそうですね。また噛んだ歯形をお母さんに見せてくるというところからは、自分がいやだと思っていることを伝えたいというような、アピール的な意味もありそうです。カタバミさんは絵カードを使った意思疎通の仕方を学ばれているとのことなので、絵カードを使った表出の手段が増えると、癇癪でないかたちで、自分の意志を伝えてくれるようになることが期待できますね。また見通しや理由などを視覚支援なども使って伝えたり、癇癪が起きる前後の癇癪が起きやすいシチュエーションをみつけて、そういう場面が極力起きないようにする、代替行動を考えるということに取り組むことで、癇癪は減らしていけそうです。具体的な取り組みを始めておられるので、またいつかそれについても聞かせてもらえたらうれしいです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月15日2歳半から早期療育!親子通園クラスで学んだことわが家の息子は1歳半健診の時点で指差しがなく、発語はほぼ喃語の単語のみ、 何事にも興味が薄い子どもでした。保健センターの発達教室に通い、1歳10ヶ月で受けた発達検査で「10ヶ月程度の発達年齢」と分かりました。その後、2歳半でASD(自閉スペクトラム症)と診断され、親子通園クラスがある療育園に通うことにしました。まだ0歳児だった娘と、喃語しか話せず意思疎通が難しい息子を連れての通園は、肉体的にも精神的にも本当ーーーーに大変でした。しかし、療育の専門家である先生が、息子へどのように関わっているのかを間近で見られたことは、大きな学びとなりました。療育園では、あの手この手で反応の少ない息子の気をひいて、"人と関わることはこんなに楽しいんだよ"ということを、遊びやプログラムの中でも教えてくれました。また、親子で一緒に活動する中で、家庭では気づかなかった息子のさまざまな面を知ることができました。例えば、息子が特にリトミックとミュージックケアという音楽療法が好きなことを知りました。逆に、スライム遊びはあまり得意ではないことも分かりました。苦手な活動でも息子なりに取り組み、克服していく姿を間近で見守れたことは、発達の遅れに闇雲に焦っていた私の心を落ち着かせてくれたように思います。Upload By 海乃けだま就学先を見据えての園選び息子は2歳9ヶ月になった頃、喃語から少しずつ2語文を話し始めましたが、まだまだ発音が不明瞭で、ママしか理解できないレベルでした。衣服の着脱はズボンを履けるのみ、食事はスプーンをなんとか握るように持つことはできましたがほぼ手づかみ、排泄に至っては尿意の訴えもなく完全にオムツ……。このように、言葉の発達も身辺自立も進んでいませんでした。私たちの住んでいる地域では、多くの子どもが3歳児から幼稚園の年少クラスに入りますが、その時点では、地域の幼稚園は息子には難しいと考えていました。そのため、年少の間は少人数で手厚くサポートしてくれる療育園の単独通園クラスに通うことを決めました。療育園の単独通園クラスで過ごした1年間で、息子はできることがかなり増えました。言葉については、まだ一方通行な会話でしたが、発音もしっかりしてきて、ママ以外の人にも聞き取れるようになりました。身辺の自立も、衣服は前後ろを間違えることはあれど、自分で着脱できるようになり……なんとオムツも外れました(療育園の先生方には感謝してもしきれません…(涙))!!自分でできることが増えてきたので、年中の年は地域の幼稚園に転園することも視野に入れ始めた時、療育園の先生との面談がありました。先生は「ひとでくんは、地域の小学校に行けると思います。なので、地域の小学校に通うなら、もう1年療育園の単独通園に通って、集団に対応する力をつけてから幼稚園に転園するほうが、ひとでくんにとっても良いと思います」と話してくれました。その頃の息子は、療育園で自信をたくさんつけてもらい、みんなの前で発表する時や当番などに俄然やる気を出していました。先生からのアドバイスを受け、今はまだ、より大きな集団で過ごすことを目指すよりも、少人数で手厚くサポートしてくれる環境のほうが息子にとってプラスが多いと感じました。その結果、年中の間は引き続き療育園に通い、年長から地域の幼稚園に転園することに決めました。Upload By 海乃けだま年長で療育園から幼稚園へ転園した息子は?そして小学校入学へ……さらに1年間療育園へ通った後、息子は地域の幼稚園の年長クラスに転園しました。息子が転園した幼稚園は、1クラス十数人ほどの比較的少人数の園です。1学期の間は、まるで息子専属のように、加配の先生がぴったりついていてくれました。転園してきて最初の2ヶ月ほどは、息子も新しい環境にすぐにはなじめず、幼稚園での活動に参加しないことや、家で不機嫌になったりすることもありました。今では、多少の登園しぶりをすることはあるものの(家でマイペースに遊びたいため)、幼稚園に着いてしまえば笑顔で「ママいってきます!」と言ってクラスに入っていきます。運動会・保育参観・展示作品の製作・音楽会・劇の発表……この1年間でさまざまな行事がありました。しかし、息子は自分の出番まできちんと椅子に座って待っていたり、セリフを言って役を演じたり、楽器をリズムに合わせて鳴らしたり……思わず目頭が熱くなる思いでした(涙)。加配の先生も、3学期の今では息子に付きっきりではなく、少し遠くからの見守りで対応してくれています。このように息子の成長を感じる一方で……当然ながら同級生のお友達も、年長の1年間でぐんぐん成長していきました。療育園の時にはあまり気にならなかった周囲との差に驚かされ、内心ショックを受けることも多々あります。しかし、小学校へ入学する際に顔見知りのお友達がいることは、息子にとって安心材料となっているようです。そして、1年間幼稚園で一緒に過ごしたお友達は、息子のことをよく分かってくれているので、息子が困っている時に声をかけるなど気を配ってくれて、とてもありがたく思っています。先日小学校の体験入学があり、息子がどんな感想を伝えてくるのかドキドキしていましたが、小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんにも優しくしてもらい、とても楽しかったようでホッとしています。Upload By 海乃けだま今回は、発達ゆっくりマイペースなわが家の息子の、就学に向けた園選びの経験をお伝えしましたが、同じように悩んでいらっしゃる方の参考になれば幸いです。執筆/海乃けだま(監修:鈴木先生より)言葉の遅れがあるお子さんを診た時、小児科医がまず考えるのは「難聴」の有無です。2歳までに単語が、3歳までに2語文が出てくれば正常範囲内と考えます。聴性脳幹反応(ABR)という寝かせて行う検査で難聴の有無は判定可能です。もし難聴が判明すれば耳鼻科で補聴器などの相談に入ります。先天的な難聴は新生児期に産婦人科で行うスクリーニング検査でほぼ分かりますが、後天的には中耳炎後などが多いため、ABR検査が必要になります。言葉が出ていたとしても、一度はABR検査をすることをお勧めします。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月15日樹里さんには2歳年上の姉・海さんがいます。海さんには発達障害があり、樹里さんはいわゆる「きょうだい児」であり、「ヤングケアラー」でした。そんなある日、日ごろ我慢していた気持ちが爆発し、お母さんに不満をぶつけた樹里さん。そしてそれ以降、家にいるときは部屋からほとんど出なくなったのでした。家事の手伝いもする気になれず、引きこもりがちになった樹里さん。それでも学校へは通っていたのですが、今度はその学校でもある問題が……。「家にいるくらいなら…」妹が選んだのは…? ※話し→話 中学校での友人関係もうまくいかず、家でも海さんと喧嘩ばかり……。自分の居場所を見失った樹里さんはお母さんに「もう限界!」と訴えます。 そんな樹里さんの叫びを聞いたお母さんは、児童相談所の一時保護所の利用を提案。一時保護所がどんなところかわからない樹里さんでしたが、「お姉ちゃんと離れて暮らせるなら……」とお母さんの提案を受け入れるのでした。 ◇ ◇ ◇ 発達障害のお子さんが自傷行為をした場合、周りは過剰な反応をせず冷静に対応してください。自傷行為をよくしてしまう場合は、どんなときに起こっているのかを記録し、原因と思われるストレスを減らせるよう環境や接し方などを工夫すると良いでしょう。 しかし、家にいてもどんどん気持ちの余裕がなくなっていく樹里さんが、つい海さんにきつく当たってしまうのもしかたないと思う方は多いのではないでしょうか。 逃げ場のなかった樹里さんは、家族の状況がわかっていても自分の気持ちを吐き出す場所もなく、ただただ自分の中にため込んでいくしかなかったのかもしれませんね。 そんな中で、お母さんから提案された児童相談所の一時保護所の話。どんなところなのかは実際に見てみないとわかりませんが、樹里さんが少しでも落ち着けるような環境であればと願わずにはいられません。 >>次の話 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2024年03月14日「騒がしくてすみません……」謝ってばかりだった私が変わった3回の転機わが家には特別支援学級に通う小学校3年生の息子がいます。診断は重度知的障害(知的発達症)とASD(自閉スペクトラム症)ですが、ADHD(注意欠如多動症)とLD・SLD(限局性学習症)の傾向もあります。息子が2歳頃は、大きい声で迷惑をかけないようにしないと気を張り、「すみません……騒がしくして……」と周りにあやまってばかりでした。そんな中、息子が3歳、4~5歳、6~9歳の頃、育児の転機を経験しました。Upload By ユーザー体験談3歳の頃訪れた転機は「母」3歳の頃、1ヶ月ほど母、息子、私の3人で一緒に暮らしたことがありました。それまでも年に1、2回は帰省していましたが、長期間一緒に暮らすのは産まれてすぐの時以来でした。この頃の息子は、癇癪を起こすとジャンプしたり、壁を叩いて大きな音を出したり、大声を出したり。でも、注意すると逆効果でますます癇癪を起こしてしまうので、「おいで」と膝に座らせてお話をしたり、別の話題で気持ちを切り替えさせたり、物を投げそうな時は「こっちだったらいいよ」とタオルを渡したりしていました。お気に入りのラムネを準備しておいて、おやつ時間にして切り換えタイミングにしたりもしていました。母へは「息子に手がかかって大変だ」という話はよくしていたのですが、実際に目の当たりにしてびっくりしたのでしょう。「本当にこの生活は大変よ。全部一人でやってるんだもん」と分かってくれました。Upload By ユーザー体験談それからは、家族などで外出や外食の話題が出た際に、私が「いやぁ、食べるもの限られてるし、まだオムツだし、温泉一緒に入れないし、バス乗れないし……」などと話していると、母が「ほんとよ!この子連れていくのは大変だと思うわ。一緒に生活してみてよく分かった!」と味方をしてくれるようになりました。自分の口からいくら伝えても理解してもらえないときがあったのですが、第三者である母による、実際に経験したうえでの言葉は伝わりやすかったのだと思います。家族や親戚へ説明するのはなかなかの負担だったのですが、母が担ってくれるようになり、また一緒に面倒を見てくれるたことで、とても救われました。「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれた海外生活2回目の転機は、年少の時から2年間海外赴任帯同で息子も連れて行ったことでした。それまで日本で通っていた幼稚園では、椅子に座らず歩きまわる息子をほぼ放置。歯磨きやお弁当箱の片づけについて、教えられた通りにこなす息子に笑顔はありませんでした。そんな環境のあと、海外で入った保育園に驚き!園中の先生が無理なく、しかし教えるべきことはしっかり教えながら息子に寄り添って下さいました。お迎えに行くと、園長先生のオフィスで先生の膝に座って一緒にパソコンでお絵描きしていたり、先生が仕事をする横に座って窓の外を眺めたりしていたこともあり、日本で通っていた幼稚園では考えられない「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれました。個を大事にする、みんなと同じでなくてもいい、子どもらしさを大切にしようというおおらかさがあって救われました。Upload By ユーザー体験談この時、私自身が本当の意味で障害受容ができたと思います。周りの人に積極的に息子の障害のことを話して理解を求めたり、それでも息子のこんなところがすごいということを伝えるようになりました。放課後等デイサービスでどんどん成長した息子3回目は日本に帰国したあとに療育手帳を取得し、小学校の特別支援学級と放課後等デイサービスに通えるようになったことです。特に放課後等デイサービスはとても良い施設と出合え、明るい先生たちのご指導で困りごとが改善していき、いろいろなことができるようになりました。とても根気強く、スモールステップで対応してくださったので、息子は毎日学校と放課後等デイサービスを楽しみにし、どんどん成長していきました。スタート当初はおやつも1種類しか食べられなかったので持参していたのですが、好きなおやつの日を挟みながらいろいろな種類に挑戦させてくれ、息子が気に入る新しいおやつ(バウムクーヘン)を見つけてくれました。全員で取り組むダンスに参加したくない場合は、決まった場所に座って見るなどルールを作って許すなど、無理をさせ過ぎず、かといって自由にさせ過ぎない。ちょっと頑張る日もつくるという、ちょうどよいバランスをはかりながら、支援に取り組んでくれています。おかげで、最近ではお友達との交流もできるようになり、施設内や送迎の車内でも、声を掛け合いながら楽しそうに遊んでいる様子も見られるそうです。土曜日にはいろいろな公園や施設に連れて行ってくれるのですが、3年生になったくらいからは、放課後等デイサービスで行って楽しかった場所をママともいきたいと、日曜に私を連れて紹介してくれます。思い出や感情を分かち合いをしたいというところまで成長してくれたんだな~と日々感動しています。Upload By ユーザー体験談私だけで抱え込む必要はないこれらの3つの転機は、自分だけで子育ての悩みを抱え込む必要がないことを実感させてくれました。両手を広げて迎え入れてくれる存在は、息子にとっても、私にとっても、安心して息をつける時間を作ってくれています。息子が周りのたくさんの方に愛情を注いでくださっている分、息子の笑顔も増え、私も救われているということに、この文章を書きながら改めて気づきました。今後は、息子と一緒に新しい地へ旅行をして、一緒に新しい体験をしたいなと思っています。まだ将来のことは正直よく見えないところがありますが、楽しい思い出をたくさん作って、楽しい記憶でいっぱいの人生にしてあげたいです。イラスト/マミヤエピソード参考/おかんレベル9(監修:鈴木先生より)日本と海外では教育の仕方が全然違います。私自身も小学校の3年間は米国の地元の小学校へ通っていました。生活指導は厳しかったですが、宿題はなく、昼はランチボックス持参で外の芝生の上でみんなとランチしていました。帰国すると、毎日宿題があり、昼は給食当番まであり、みんなと同じ給食を黒板に向かって食べるという殺風景なランチになってしまいました。日本にいると普通だと思っていることが、もっと広い目で見たら当たり前ではないかもしれません。これからもどんどん新しい地へ旅をして新しい体験をするべきだと私も思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月14日寝ない!とにかく寝ない2歳児!タケルは、乳児期はとても大人しい赤ちゃんでした。今思えば、ちょっと大人しすぎたかもしれないと感じるほど、手のかからない赤ちゃんで「なんて親孝行な良い子だろう!」と思っていました。しかし、生まれて5ヶ月が過ぎた頃、悪夢のような……いえ、夢を見ることができないほどの過酷な日々がやって来ました。……寝ない!とにかく寝ないのです!タケルはおっぱいを飲むとウトウトはするのですが、ベッドに下ろすと火のついたように泣き始めます。抱っこするか、おんぶしていれば、少しは長く寝るのですが、いったん布団に寝かせると振り返った瞬間もう起きているのです。Upload By 寺島ヒロそれでも、1歳ぐらいまでの間は、おっぱいを飲ませれば1~2時間は寝ていましたし、寝不足が続くとその辺で寝落ちしていました。しかし、2歳になる頃には体力がついたのか、タケルは寝ること自体に苦労するようになりました。眠くて眠くて寝ようとするのに眠れないのです。眠れなくて本人も真っ赤な顔になっているのですが、抱っこしようが、一緒に布団に入って本を読もうが、全く眠れない状態が続き、次第に体調が悪くなり、何かのきっかけで「ギャー」と泣きだし、最後はへとへとに疲れて寝落ちしてしまいます。この頃、唯一効いたのがドライブでした。チャイルドシートに乗せて、ぐるぐるドライブすると次第に落ち着いて眠りにつきます。チャイルドシートからおろす時に起きてしまう事もあるのですが、体も大きくなった2~3歳頃は、私が抱っこしてあやすのも体力の限界があり、車(とドライバー役の夫)の助けを借りて何とかする日々が続きました。何でもかんでも気にくわない!?3歳の頃3歳になっても眠れないのは相変わらずでしたが、体格はますます良くなりました。つまり、暴れると手が付けられなくなったということです。タケルは、普段は大変大人しく、ニコニコとひとり遊びをしているような幼児でしたが、赤ちゃんの頃と同じく、ひとたび何か嫌なことがあると大泣きして暴れ出し、止まりません。一旦おさまりかけても、「ブロックが赤い」「救急車が通った」と言っては、怒りを再燃させ、顔を真っ赤にして騒ぐのです。3歳頃になると流暢に喋るようになっていましたが、理由を聞いても原因らしきものは教えてくれませんでした。あとあと聞いてみると、「うるさかった」とか「何かやろうとしていたことを中断された」ということがきっかけだったようなのですが、その時は何をそんなに怒っているのか分かりませんでした。また、一度泣きだすと1~2時間もワンワンと泣いているのですが、どうしてこんなに長いことつらい気持ちが続くのか、本人も不思議に思っていたようです。「もう大丈夫だって分かっているのに、悲しい気持ちが止まらないんだよ~」と言いながら泣いていることもしばしばでした。怒っている原因も分からず、泣き続けてる理由も分からず、抱きしめながら私もただ見ていることしかできなかったのでした。これってイヤイヤ期?それとも……ASD(自閉スペクトラム症)の子どもは、予測可能性や一貫性を求める傾向があるそうです。タケルも「何か」があって、自分の予定が変わると、それがとてもストレスになり泣いたり暴れたりしてしまいます。そして、自分が泣いていることで、その後の予定までどんどん変わってしまうことがまた耐えられないようなのです。Upload By 寺島ヒロ人に言えば「3歳でしょ?それってイヤイヤ期よ。来年ぐらいまでにはなくなるわよ」と、言われるのですが、なんだかちょっとほかの子とは違う感じがしました。結局、タケルの「イヤイヤ期?」は、小学校高学年まで続いたのでした。執筆/寺島ヒロ(監修:新美先生より)生後5ヶ月頃から始まり、小学校高学年まで続いた大泣き、癇癪のエピソードについて聞かせて下さりありがとうございます。寺島さんも「イヤイヤ期?」とはてなマークを付けていらっしゃるように、イヤイヤ期とはちょっとレベルが違いますよね。感覚の偏り、特に過敏さが強いと、乳児期早期から泣いたりぐずったり眠れなかったりが目立つことがあります。また自閉特性で行動・気持ちの切り替えがスムーズにいかず、一度嫌なことがあると、「ま、いっか」と切り替えることが行かなくて、頭では「しょうがない」などと分かっていたり、怒ることや泣くのを止めたいと思っていても、嫌な気持ちを引きずってしまいどうしても切り替えられないということが起きやすいです。気持ちの切り替えのコントロールは、段階的に練習したりして身に着けたり、なにかのきっかけで自分なりの切り替えスイッチを見つけておさめられたりするようになったりしていきます。成長してくると本人も切り替えたいと思っているのに切り替えられなくて本人自身が困っていることも多いので、その場合は、心理士などの先生に切り替え方の練習法などについて相談してみてもいいかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月14日樹里さんには2歳年上の姉・海さんがいます。海さんには発達障害があり、樹里さんはいわゆる「きょうだい児」であり、「ヤングケアラー」でした。小学校低学年のころから姉の面倒をみつつ、母の手助けもしていた樹里さん。その日常は想像以上に大変なものでした。「私の気持ちはどうでもいいの…?」 ※樹里のお姉さん→樹里とお姉さん 何気ない友人との会話から、自分の置かれている境遇に引け目を感じてしまった樹里さん。さらに、家で騒ぐ海さんの姿を目にしてしまい、思わずイライラが爆発。大きな声で海さんを怒鳴りつけてしまいます。 すかさずお母さんが仲裁に入りますが、お母さんは海さんのことをかばうばかり。これには樹里さんも自分の気持ちを抑えきれなくなり、胸の内に抱えていた思いをお母さんへと訴えかけるのでした。 ◇ ◇ ◇ 思わず大きな声で怒鳴ってしまった樹里さんですが、発達障害のお子さんを大声で叱るのはよくありません。急な大声にパニックを起こして指示がほとんど聞き取れなくなり、冷静に行動することが難しくなってしまうのです。何か伝えたいことがある場合は、穏やかな声で静かに話しかけると良いでしょう。 しかし、幼いころから家事や海さんのフォローにと、自分の時間を犠牲にして努力してきた樹里さんにとって、自分の味方をしてくれる人がいないというのはつらいこと……。お母さんにも、できるだけ樹里さんのことも気にかけてあげてほしいですね。とはいえ、お母さんだって海さんのお世話や家事でいっぱいいっぱいの状態で、樹里さんを気づかう余裕がないのが現状です。 どうか、樹里さんとお母さんのお互いが、無理なく心身ともに平穏に過ごしていける方法を見つけられますように。 >>次の話監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2024年03月13日年長になり、困りごとが減ってきたワケ。それは……しのくんは発達障害グレーゾーンの男の子です。現在保育園の年長クラスで、4月からいよいよ小学生になります。最近は困りごとが少なくなったしのくんですが、それはしのくん自身の成長だけではなく、しのくんを支えて下さった先生たちのおかげだと思っています。しのくんは2歳を過ぎるまで意味のある発語がほとんどなく、2歳半を過ぎても2語文が出ていませんでした。3歳児クラスに上がった時、保育園から「読み聞かせの時間に一人で違う遊びをしていたり、教室から脱走したり、集団行動が苦手な様子がみられます。専門家の支援を受けてはどうですか?」と薦められたことがきっかけで、療育センターへ通うようになりました。Upload By keiko特性理解に加配対応、視覚支援まで!しのくんに変化が保育園でも、しのくんの特性を理解するために、さまざまな取り組みをしてくれました。例えば、ことばの発達を促すために「ことばの教室」へ通い出した時には、保育園の先生が一緒にことばの教室へついてきてくれました。また、療育センターの先生を保育園へ呼んで、どうやったらしのくんが集団行動に参加できるようになるのか、アドバイスを求めてくれたこともありました。Upload By keikoさらに、園での支援体制についても配慮していただきました。しのくんが年少クラスに上がるタイミングで、加配の先生がつくことになったのです。加配の先生が、しのくんの特性を理解して視覚支援などで環境を整えてくれたので、しのくんは活動に参加できることが増えてきました。Upload By keiko園長先生も協力してくれていた!?保育園の配慮に驚き実は、保育園の配慮はこれだけではありませんでした。加配の先生が来る以前のことですが、みんなとの活動が難しいときには、園長先生の部屋にしのくんのお部屋(スペース)をつくってくれて、しのくんはそこで園長先生と過ごしていたそうです。それを聞いたときは驚きを隠せませんでした。また最近になってから、「家でゲームをしたり動画を見たりしたい」と泣いて、登園渋りすることがたまにあったのですが……そのときも園長先生に泣き止むまで抱っこしてもらっていたそうで、申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです!!Upload By keiko先生方が保育園の環境を整え、きめ細やかな支援をしてくださったことで、しのくんも大きく成長することができました。しのくんとほかの子どもの成長の違いを比べては落ち込み、不安定だった私のメンタルが落ち着いたのも、保育園の先生方のおかげだと思っています!人にも環境にも恵まれた保育園で大きく成長したわが子。就学を控えた今4月から小学校の通常学級で学ぶしのくん。保育園時代のようなきめ細かい支援は受けられないだろうな……と不安な気持ちもあります。それでも、これまで保育園や療育で培ってきたしのくんの力を信じて、学校の先生や放課後等デイサービスの先生とも協力して、しのくんの学校生活をサポートしていきたいと思っています。執筆/keiko(監修:室伏先生より)keikoさん、しのくんの保育園での過ごし方や、ご配慮の様子を共有くださり、ありがとうございました。保育園の先生方、とても親身に協力してくださって、keikoさん、しのくん共に安心して生活できる園生活が送れて本当によかったですね。保育士さんに気持ちや情熱があっても、保育士さんの人数や仕事量、ほかの園児さんへの配慮の必要度などいろいろな環境が整わないときめ細やかな配慮が難しいこともありますが、困っているお子さんの全員がこのような支援が受けられる社会になるといいなと思います。子どもの苦手な部分の指摘を受けた時、ご家族は、抵抗や不安を強く感じてしまうこともあるかもしれません。とても自然な感情です。もしかしたらkeikoさんもそのようなお気持ちを感じられていたかもしれませんが、先生方の言葉に耳を傾け、療育センターへの通所を始められたことで、園の先生方とのコミュニケーションがより円滑になったり、園の先生方も支援の方法を相談できる場ができたりして、より丁寧な支援に繋がったのではないかと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年03月13日学校からの連絡がない日はない!問題行動が多かった息子現在高校1年生、16歳の息子は小学1年生の時にASD(自閉スペクトラム症)、中学1年生ででLD・SLD(限局性学習症)と診断されました。小学校1、2年生の時はとにかく問題行動が多かった息子。学校からの連絡がない日はない……というほどでした。息子はほかのクラスメイトと一緒に同じ行動ができませんでした。例えば、図工の課題の絵は描かず、自分の好きな車の絵を描いていました。また、息子は冬になると頬が赤くなりやすかったのですが、それをからかわれ、頬が丸く赤いキャラクターのあだ名をつけられました。息子はそれがいやでたまらず、その名で呼ばれると相手を追いかけ回し、殴りかかることも……。一旦落ち着いてもフラッシュバックで思い出してしまうと、その時お友達は何もしていないのに、再び殴りかかります。また、担任の先生が「静かにして」と言っているのにクラスメイトが静かにならないからと、相手に暴言を吐くことも。さらには、机や椅子を投げ飛ばしたといった連絡もありました。Upload By ユーザー体験談毎日毎日申し訳ないと謝罪し、どうすればいいのか先生と相談しました。そして通常学級に所属しつつも、特定の教科だけ特別支援学級に通うという特例を提案いただき、息子は算数と国語の時間だけ、特別支援学級に通うことになりました。そこで特別支援学級の先生からも見守っていただく形になりました。※通常学級在籍の場合、個別の支援は「特別支援教室」もしくは「通級指導教室」で行われます。もしくは特別支援学級に在籍し、特定の科目を交流級にて受ける形をとります。この体験談のお子さんについては、学校の判断により、通常学級に在籍しながら一部の科目について特別支援学級で受けています。「そんなに暴れて警察官になれるのかな?」特別支援学級の先生の言葉にハッとした息子2年生のある日の休み時間のことです。息子には聴覚過敏があり、休み時間などのガヤガヤする時間帯にはイヤーマフを使用しているのですが、クラスメイトが息子のイヤーマフを取り上げてからかってきたのだそうです。これに息子は怒り暴れ出し、そして手も足も出てしまい……。クラス担任だけでは抑えられなかったため、急ぎ特別支援学級の先生を応援に呼んで二人がかりで抑えたそうです。そこで特別支援学級の先生は息子にこういいました。「そんなに暴れて警察官になれるのかな……?お友達を『ぶっ飛ばす』なんて言う人が警察官だったら、困っている人が怖がっちゃうよね…?」Upload By ユーザー体験談実は息子のこの頃の夢は警察官でした。幼少期から働く車が大好きで、警察の24時間を追ったドキュメンタリー番組を熱心に見ていた息子。生真面目な性格で曲がったことが大嫌い、悪い人を捕まえるという正義に憧れていました。そして警察官は夜もみんなを守って、怒らず優しいイメージがあったようで、その姿は息子の目標だったのです。先生にそういわれた息子はハッとしたようでした。そしてその日の夜、私に「ぼくもみんなと同じように怒らないようになりたい」と何とも切ない表情で言い出したのです。変わりたいと思う息子の気持ちを聞いた私は、心の底から、何とかしてあげたいと思いました。そして学校の先生、主治医と相談しながら、3年生に上がる前から薬の内服を開始することにしたのです。Upload By ユーザー体験談「自己抑制ができるようにしたい」息子の憧れる「警察官」像に近づくために……それからの息子は、問題行動が全くなくなったとは言えませんが、薬のおかげもあり大分落ち着きました。よかったと思っていたのですが、5年生に上がる前のある日、息子が服薬をしなくても自己抑制ができるようになりたいと言い出したのです。薬を飲んでもいいんだよと言っても、息子に思い描く理想の警察官は薬は飲まないイメージだそうで、意志は固く……(こだわりの特性が出ていたのだと思います)。主治医の先生に相談すると、息子1人だけではどうにもならないことが多く周りの協力が必要不可欠であること、そして「小学生で自己抑制ができるようになるのは難しい。中学生でもできるかどうか……」と言われました。かなり難しいことだと分かりながらも、息子の思い、私の思い、主治医の先生の助言を学校の支援会議で相談しました。すると先生方は、大変なことだと分かりながらも息子の望みを叶えたいと言ってくださったのです。それから一致団結して息子に関わってくださいました。Upload By ユーザー体験談先生方の全力のサポート。そして息子の夢には変化が……特別支援学級の先生は特に率先して動いてくれました。息子がイライラしていたら”深呼吸してその場から離れる”という対応方法を根気強く指導してくれました。息子の通っていた小学校は、特別支援学級の在籍人数が4人だったこともあり、手厚くサポートしてもらえたのもよかったのだと思います。保健の先生や教頭先生は、姿を見かけたら声を掛けてくれ、「困っていることはないかい?」と気にかけてくれました。担任の先生や学年主任は、息子がクールダウンできるような一室を設けてくれ、落ち着きたいときは休んできていいよと言ってくれました。歴代の担任の先生方も声をかけてくれたり、息子の表情を見て察してくれたりと、息子にとってありがたい対応をしてくださいました。そして息子は少しずつですが、自己抑制ができるようになっていったのです。小学6年生になった息子は1年生の時とは比べものにならないくらい成長しました。それも先生方の支援のおかげです。そしてそんな素敵な環境下で成長し、高校生になった息子の現在の夢は、警察官ではなく発達障害児に関わる仕事に就く事、できるなら特別支援学級の先生に変わりました。今もその夢に向かって頑張っています。息子を支えてくれたみなさんに本当に感謝しています。イラスト/海乃けだまエピソード提供/しのっぺ(監修:鈴木先生より)自閉スペクトラム症に併存する易刺激性のあるお子さんは導火線が短いので、すぐカッとなりやすい特性があります。そういうお子さんには感情コントロールプログラムを当クリニックではお勧めしています。怒りを鎮める方法や不安を和らげる方法を学ぶプログラムです。また、SST(ソーシャルスキルトレーニング)も必要になります。SSTは一般のお子さんも勉強になるので、道徳やHRなどクラス全体で学ぶ方式がいいかと思います。先生方の全力サポートのできる、校内連携がしっかりとしている学校なら投薬なしでも行けるのですが、ほとんどの学校は連携が困難な状況です。教育だけでなく、医療とも連携してより良いサポートを追求し続けることが重要なのです。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月13日小学校に入って、勉強面で苦労する中等度以上の知的障害がある場合、幼児期に気づかれやすく、小学校から特別支援教育を受けることもあります。一方、軽度知的障害や境界知能(知的機能が「知的障害」と「正常知能」の境界域にある状態)の場合、幼児期には気づかれず、小学校で通常学級に入ることもあります。その場合、入学後に勉強面で苦労することになりがちです。結果として失敗体験を繰り返し、自信を失ってしまう子もいます。本人が毎日を楽しく過ごせているか、学校の授業や活動で達成感を持てることがあるか、丁寧にみていく必要があります。・軽度知的障害の場合軽度知的障害の子が、小学校で通常学級の授業についていくのは、簡単ではありません。入学当初から、授業を理解することに苦労する場合が多いのです。小学校低学年くらいまでは、親につきっきりで宿題をみてもらったりして、授業にどうにかついていく子もいます。しかし多くの場合、中学年くらいからはそれも難しくなってきます。時間をかけて各教科の内容を覚えても、何日かたつと忘れてしまっていたりして、本人が挫折を感じることが増えていきがちです。そうなってしまう前に、なんらかの支援を受けたいところです。知的障害があることが分かれば、特別支援教育を受けることもできます。Upload By 本田秀夫・境界知能の場合境界知能の子も通常学級の授業についていくのは難しいのですが、それでも時間をかけて勉強すれば、ある程度は内容を理解できて、テストで一定の点を取れたりもします。その場合、本人は何を学ぶにしても人一倍頑張っているのですが、その苦労が親や先生にはなかなか理解されません。大人たちには、むしろ「やればできる子」と思われていたりします。テストでいい結果が出なかったときには「勉強不足」とみなされたりもします。本人はすでに限界まで努力しているのに、親や先生から「もっと頑張って!」と言われてしまうことがあるのです。このタイプの子は一生懸命頑張っても、いつも同級生よりも少し遅れをとるような形になりがちで、自信を持ちにくいです。早く支援を受けて、その子に合ったペースで学べるようにしていきたいところです。しかし、境界知能では特別支援教育を受けられない地域もあります。境界知能の子は勉強面で苦労していても、補習を受ける程度のサポートしか受けられないこともあるのです。2024年現在では、そういった地域のほうが多いかもしれません。この問題は、早く解決しなければいけないことだと思っています。Upload By 本田秀夫苦労しているけど、支援につながらない軽度知的障害や境界知能の子は勉強面で苦労する場合が多いのですが、それがきっかけとなって支援につながるかというと、そうとは限りません。「勉強が苦手」ということで、医療機関に相談にくる家庭は多くないのです。子どもが、「授業の内容が分からない」「授業中に指名されたとき、うまく答えられない」「先生の指示を聞き逃して、出遅れてしまう」といった場面を何度も経験して困っているのであれば、地域の教育相談窓口や医療機関に相談してもいいのですが、その段階で支援につながるケースは少数です。子どもが心身の調子を崩したり、不登校の状態になったりしてから、初めて相談窓口を利用するケースのほうが多くなっています。「勉強が苦手なだけでは相談できない」という誤解そうして相談にこられた親御さんと話していると、「勉強が苦手なだけでは、こういうところで相談できないと思っていました」と言われることがあります。そして、以下のような話になります。「授業についていけないのは、本人の努力が足りないからだと思っていた」「勉強時間を増やして、みんなに追いつけるようにしなければ、と焦っていた」「親が宿題をみるようにして、家庭学習の習慣をつけてきた」「この問題は、家庭内の工夫で解決していくことだと考えていた」「でも時間をかけてもうまくいかなくて、困っていた」このように「勉強ができないのは努力不足であって、人に相談するようなことではない」と考えるのは、大きな誤解です。いろいろと工夫をしてもうまくいかなくて困っているのであれば、「勉強が苦手で困っている」ということを相談してもいいのです。「勉強が苦手」ということを相談してもいい確かに、家庭学習の時間を増やすことで、授業を理解できるようになる子もいます。しかし、子どもの発達の仕方やスピードはさまざまです。ゆっくり発達する子もいます。小学4年生のなかには、4年生向けの内容を理解するのに人一倍時間がかかる子もいるのです。そういう子には「勉強時間を増やして、みんなに追いつく」というやり方をするよりも、その子のペースで学べるように環境を整えていくほうが、結果として学習も進み、心身の調子も安定することがあります。私は親御さんにそのような話をしています。「勉強が苦手」という悩みの背景に軽度知的障害や境界知能などがある場合には、医療機関や療育機関で支援を受けることもできます。「家庭で対処しなければ」と思わずに、地域の教育相談窓口や医療機関などに相談してもらえればと思います。ただ、親御さんが「勉強が苦手なくらいでは相談できない」と考えてしまう気持ちも分かります。医療関係者も、そう考えてしまうことがあるからです。「勉強が苦手」で相談できる窓口一覧・通学先の学校(担任、スクールカウンセラーなど)・地域の教育相談窓口(教育支援センター、教育委員会など)・地域の子育て相談窓口(保健センター、家庭支援センターなど)・医療機関・療育機関医療関係者も、誤解していることがある私は大学病院で、大人の精神科のカンファレンス(診療情報の共有・検討などをする会議)にも出席しています。そこで軽度知的障害や境界知能の方の話が出たときには、「この方は勉強面で苦労してきただろう」という想像をします。実際にそのような経過が確認されて、なんらかの支援が必要だと分かることも多いのですが、カンファレンスでは「境界知能なので知的機能は問題ありません」「学校生活には特に苦労はなかったと思われます」とレポーターが報告することがあります。医療関係者でも、発達を専門としている人でなければ、「勉強が苦手というのは、医療につながるような大きな問題ではない」と考えることもあるわけです。軽度知的障害や境界知能の方の困難は、それぐらい気づきにくいことなのです。ですから、親御さんが「これは病院にかかるようなことではない」と感じてしまうのも分かります。しかし今後は「勉強が苦手」ということのとらえ方を変えてもらえればと思います。Upload By 本田秀夫(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2024年03月12日特化型の放課後等デイサービスって?わが家の次男Pは知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)です。Pは現在、2ヶ所の放課後等デイサービスへ通所しています。Pが通う放課後等デイサービスを探す際、私は療育的な支援をメインにしている、特化型の施設を候補に考えていました。専門的な知識を持った方に支援をしてもらうことで、少しでもPの発達を促したいという気持ちがありました。特化型とひとことでいっても、運動、アート、学習支援など、支援プログラムは施設によってさまざまなので、私はどこを選べば良いのか悩んでいました。でも私自身の希望より、本人が無理なく参加できて楽しめるところが1番なので、考えた結果、音楽療法に特化している施設を見学してみることにしました。Upload By みん音楽療法の内容は?重度知的障害のわが子も参加できる?音楽療法は、用意された支援プログラムに沿って進行されます。座って見るパネルシアターや、身体全体を使って行うリトミックなど、いろんな内容の設定がありました。見学してみると、重度の知的障害(知的発達症)のPには参加が難しそうな内容もあり、通うのは少し難しいかもしれないと思っていました。不安に思う点を施設長に直接相談してみると……実際、利用者の中にも、プログラムに参加できずに自由に動き回っているようなお子さんもいて、きっとPも同じように参加しないだろうとますます不安になりました。その気持ちを施設長に相談したところ、「プログラムに参加できていないお子さんに参加を促すことはあっても、無理に参加させることはしません。本人がやりたいと思わない場合は危険のないよう自由に過ごしてもらっています。」と話してくれました。私はそれを聞いて少し安心しましたが、それでは音楽療法の意味がないのではないか?とも思いました。しかし施設長によると「子どもたちは音楽や歌を聴いていないように見えても、しっかり聴いていたり歌詞を覚えていたりするので、全く参加していなかったお子さんがある日突然歌い出したり、自分からプログラムに参加したりすることもありますよ!」とのことでした。歌や音楽に興味を持ち始めたPにも、通い続けることで音楽療法の良い影響があるかもしれない……と期待した私は、こちらの施設を利用することに決めたのでした。Upload By みん音楽療法を受けて息子に起きた変化は?そして通い始めて数ヶ月後、施設での面談時に、音楽療法プログラムに参加するPの様子を見る機会がありました。一緒に参加するのは難しいのでは……?という私の予想に反して、Pは座って順番を待ち、プログラムの流れに沿うなど、次に何をするのか分かっているようで、自分から積極的に動いていました。見学していると、子どもの理解や発達を促す工夫が随所に見られました。例えば、パネルシアターでは、歌とともに動きのある出し物を見せることにより、歌詞の内容をよりイメージしやすくしていました。季節や行事をテーマにした曲を歌っていたのですが、これは季節に興味関心を持ち、親しみを感じられるようにするだけでなく、発音と発声の練習を通じて口腔内の筋力をアップする狙いもあるそうです。また、リトミックでは、音楽に合わせてお友達と体を動かすことで、社会性や協調性、音感やリズム感を養いながら、身体能力の発達も促しているということでした。特化型の放課後等デイサービスに通い3年が経過。大きく成長した息子音楽特化型の放課後等デイサービスに通ってもうすぐ3年になりますが、最初に施設長が話してくれたように、Pは音楽療法のプログラムに参加することができるようになり、言葉が増え、発音も少しずつ良くなってきています。家でも放課後等デイサービスで覚えた歌を口ずさむようになり、パネルシアターや絵本で見た絵を描くようにもなりました。Upload By みん通う前はプログラムに参加できるか?音楽療法に通うことでPに変化はあるのだろうか?と不安でしたが、特別支援学校のお友達だけでなく、ほかの学校のお友達とも触れ合いながら音楽療法を受けることで、たくさんの刺激をもらい、Pの成長を感じることができました。今では、音楽特化型の放課後等デイサービスへ通って本当に良かったと思っています。執筆/みん(監修:室伏先生より)みんさん、音楽特化型放課後等デイサービスについて、ご共有くださりありがとうございます。Pくんは、プログラムを楽しみ、歌を歌うことや絵を描くことへの興味にも繋がり、お友達からもたくさんの刺激を受け、充実した時間を過ごされているのですね。音楽を取り入れたプログラムの狙いとしては、・音楽を介して、お友達との関わりや、順番を意識するなどのソーシャルスキルにアプローチする・リトミックで粗大運動、楽器演奏で微細運動など、さまざまな体の動かし方を促す・歌を歌うことで、顔回りの筋肉の使い方などを楽しく練習するなどがあると思いますが、結果として子ども自身が楽しみながら、体も心も成長できる面があるといえますね。みんさんが教えてくださったように、放課後等デイサービスは、施設によって、プログラムの内容も雰囲気も全然違いますので、実際に親子で見学してみて、安心して楽しく通える施設を見つけることができるといいですね!前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月12日音楽家・秦万里子さんが10日に自身のアメブロを更新。発達障害の双子の娘達が学校で大変だったことを明かした。この日、秦さんは「すごく面白い特徴がある双子を育てている、、、という自覚しかなかった私が、発達障害の娘たちを育てているという意識を持ってから、約15年」と述べ「その間にはいろいろなことがありました」と回想。「学校を出てからの過ごし方が難しいところ」だといい「二人とも芸術の道を進んでいるので、いわゆる自由業。自分のスケジュールを誰も決めてはくれません」とつづった。続けて「仕事自体もプロジェクトによって始まり時間が昼だったり、夜だったり」するといい「その日に寄って、集合時間、場所、色々変化があります」と説明。「『予定が立っていることが安心』の彼女たちには、不安定になりやすい要素です」と述べ「学校はその点、ある意味形があって、それに自分を当てはめていけばいいのですが、これが自由となると、、なかなか」とコメントした。また「学校でも、ルーティンがそのまま現実のものになる時はいいのですが、、、休校、先生の突然の欠席、補講、など急に決まるものは大変」と説明。「自習になっても、ちゃんと『自習』をしていないクラスメイトに対しては????になるので、重ねて大変でした」とコメントし「休み時間も、好きな学科に入学した二人には、『雑談』の意味が分からなかった」と双子の娘達の学校生活での様子を振り返った。さらに「そしてやってきたのは、にっくきコロナです」と述べ「学校では時間で勉強を区切られるので」「ダンス、声楽、音楽の知識、どの授業にも終わりがある」と説明。一方で「自宅での勉強にはありません」「どこまでやったらいいのか、わからず、自分を追い込み、精神的に参ってしまいました」と娘達の様子を明かし「彼女たちは、『人間は怠けやすい動物である』という公式が当てはまりません」とつづった。また「自由になったら、倒れるまでやってしまう」といい「これは今まででも何回かありました」と告白し、娘達について「学校という社会でも『???』がいっぱい」と説明。「発達障害の人は、このルールで色々行われている社会に合わせて頑張りましょう、、という傾向があります」と述べ「社会に合わせて、やっとこさ、頑張ってやると、、彼女たちの『とても大変なこと』は『やればできること』と解釈されてしまうことがとても多いのですね」とコメントした。最後に「ASDの人たちにとって、『なんだ、やればできるんじゃない!』って言われてしまうこと、一見なんでもなく見えるものも、とっても頑張って頑張ってやっとできたものもあるんです」といい「だからこそ、社会に『理解しよう』としてくださる方が一人でも増えたらすごく嬉しいと思っています」と思いをつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月11日板書が苦手、忘れ物が多い、提出物を出せない……高校進学が不安ですQ:知的障害(知的発達症)のないASD(自閉スペクトラム症)と診断されている中学生の子どもがいます。通常学級に在籍していますが、板書が苦手、忘れ物が多い、提出物を出せないなどが成績に響いており、内申点が必要な普通科高校へ進学するのは難しいのではと思っています。もし高校に合格できたとしても、勉強や人間関係でつまずくのではないかと不安です。通信制高校などへの進学も視野に入れています。特性のある子どもの進路選びにおいて、どのようなポイントを意識するとよいでしょうか?A:本人の努力だけでは解決が困難な場合、合理的配慮の申請によって個別的な支援を得ることが考えられます。相談室やスクールカウンセリングなど、入学後の相談場所が整っているか確認しておくとよいと思います。通信制高校も多種多様なので、事前によく調べておきましょう。Upload By 発達障害のキホン高校進学に際しての不安として、入学後の勉強や人間関係でのつまずきがあげられるでしょう。特に重要なのは、中学校と比べて、高校は授業の出席が足りないと進級に直結するということです。中学校では保健室登校が出席として認められても、高校だとそれは基本的に認められません。逆に成績に関しては、テストで赤点をとってしまったとしても、再試や追試で救ってもらえる場合が多いようです。成績につながる提出物については、提出期間や提出方法について合理的配慮などで工夫してもらえる可能性はあります。入学前にできることとしては、相談室やスクールカウンセリングなど、入学後の相談場所が整っているか確認しておくとよいと思います。ちなみに、令和6年4月から私立高校でも合理的配慮の提供が義務化されます。また、実習が必須になっている学校やコースは、その内容も確認したほうがよいでしょう。できればオープンキャンパスなどで直接先生方に相談してみるとよいかもしれません。通信制高校も、インターネットを活用した教育を行っている学校、自学自習を中心とした学校、スクーリングの日数がかなり多い学校など多種多様なので、どんな通信制高校が合っているか事前によく調べておきましょう。入学前にインターネットの習い事などを体験してみて、参考にするのもよいかもしれません。参考:リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」|内閣府(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月11日幼稚園では母子共に先生に怒られてばかり……。そんな私たちに転機が現在小学校低学年の息子は、3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断を受けました。年少の頃はしたくないことがあると教室から脱走したり、思い通りにいかないと癇癪を起こすことが多く、幼稚園では「こんな困った子みたことない」「家でも対応してください」と注意される日々。ほぼワンオペ育児だった私。家族には相談できずどうすればいいか悩み、保健所やこども発達支援センターで育児相談(発達相談)に乗ってもらいました。そこで児童発達支援を勧められ、年中の春から通い始めました。Upload By ユーザー体験談入所前の説明会では、児童発達支援の先生方から優しく丁寧に説明をしてもらいました。こちらの質問にも優しく答えてくださり、幼稚園では母子共に先生方に注意されてばかりで、疲れ切っていた私は(笑顔で受け入れてもらえるなんて!ここなら安心して親子で通わせてもらえる!)と地獄で仏に会ったような気持ちになったことを覚えています。児童発達支援の先生方に私達親子の成長を見守っていただけたことが、私の育児の大きな転機となりました。ポジティブな声がけがこんなにうれしいとは!児童発達支援の先生方は、やってほしいことを息子に強制しようとしません。さらに先生方は私も見つけられていなかった息子の良いところを見つけ、のばしてくれたのです。「○○君は、周りから指摘されても、『あ、そっかぁ!』と素直に人の意見を聞けるところがとっても良いところですよね!」など、私に対してもポジティブな声かけをしてくださいました。私の対応についても良いところ探しをしてくださった先生。ある時、家でなかなかお風呂に入ろうとしなかった息子に私が「いらっしゃいませ~。1番目のお客さん!お風呂屋さんへようこそ~」と声がけすると、楽しそうにスムーズに入ってきたと先生に伝えると、「○○君は、数字が好きですよね。お母さん、本当によく見てらっしゃいますよね!」と肯定していただけたことが、とてもうれしかったのを覚えています。Upload By ユーザー体験談息子は個別指導とマンツーマン、小集団トレーニングで成功体験を積んだ児童発達支援で息子は個別指導とマンツーマン指導、年長の最後のほうでは小集団トレーニングも受けました。見通しを立てることや、思い通りにいかなくても別の物で代用したりして切り替える練習、「貸して」「どうぞ」「ありがとう」のやり取りすることなどに取り組みました。そして小さな成功体験を積み続けると、息子にも笑顔が増えていきました。そして児童発達支援が大好きになった息子。教室のある日は「やったー!お教室だ!」と毎回楽しみに通いました。ペアレントトレーニングで家でも成功体験を!そして私は、年長の春にペアレントトレーニングを受けさせてもらいました。私も息子に効果的な関わり方を知りたい、私がイライラせず楽しいと思える育児法を学びたいと思ったからです。コロナ禍だったため、オンラインで先生方と8人ほどの保護者の方々と行いました。その回の課題(褒めポイントを探す、子どもに合った褒め方を工夫するなど)に取り組み、自分たちの意見を出し合いました。参加された方々の意見もとても参考になり励みにもなり、よかったところや取り入れてみようと思ったところを発表し合うことで、前向きな気持ちになれました。Upload By ユーザー体験談これをわが家でも取り入れようと決意した私。適切な行動が取れるように、適切な行動を一つずつ付箋に書き、まず『見える化』をしました。そして、息子が適切な行動ができたら、その付箋をホワイトボードの『できた』欄に移動させ、大いに褒め、カレンダーにも花丸を書いていきました。これが息子にとってよかったようで「適切な行いをする→褒められて成功体験を積む」ことで、適切な行動が増えていきました。Upload By ユーザー体験談小学校ではクラスが荒れ気味……。子どもが安心できる環境を作りたい児童発達支援、そして小学校入学後に通うようになった放課後等デイサービスでのか関わりは、息子と私にとてもよい影響を与えてくれました。どうすればいいか分からなかった育児に、「こういうことをしてみればいいかもしれない」という道筋が見え、サポートしてくださる先生方に精神的にも支えられました。ですがいま現在、小学校低学年になった息子は問題を抱えています。実は担任の先生が怒りっぽい方のため、学級全体が荒れ気味で息子にとって落ち着かない環境となっているのです。どんなに、どんなに、児童発達支援や放課後等デイサービスの先生方や保護者がポジティブなかかわりをしていても、毎日通う学校での環境が整わないと、子どもの成長は停滞したり退行したりするんだなと実感している毎日です。そんな状態ですが、ともかく私は息子が安心して過ごせる環境が少しでも増えるように、親としてできることをしていきたいと思っています。息子を支えてくれる方たちと相談しながら、頑張っていきたいです。イラスト/keiko※エピソード参考者のお名前はご希望により非公開とさせていただきます。(監修:鈴木先生)園からは「困った子」に見られていますが、実は本当は「困っている子」なのです。そんな困っているお子さんに対しての扱い方をすることが大事だと思います。自閉スペクトラム症のお子さんは一番が好きでこだわりがあることが多く、どこかへ行くときもきょうだいに先を越されるとイライラしたりします。また、見える化も良かったと思います。自閉スペクトラム症のお子さんは一般的には視覚認知が優れているので言うより見せた方が通じやすいからです。ただ、小学校に入ると、毎年担任が変わって環境も変わるので落ち着かなくなることがあります。担任の神経発達症に対する知識や経験も異なります。できるだけ早い時期に校長先生や町の教育委員会にも相談して早期の改善策を見出すことが必要になります。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月11日小学3年生の3学期、突然学校を行き渋るようになった息子息子が学校に行きづらくなってしまったのは、小学3年生の3学期。いつものように集団登校で出発したはずが、突然家に帰ってきてしまいました。私は、行き渋る息子を学校に半ば強引に連れて行き、校門で先生へ受け渡す日々。そんなある夜、息子が「先生がこわいから学校に行きたくない」と告白してくれました。Upload By 花森はな小4の春休み、初めて児童精神科を受診幸い3学期ということもあり、残りの期間は無理をせず何とか登校。春休みに児童精神科を受診してみることにしました。この時は息子に自閉スペクトラム症があることは分かりませんでした。医師から「不安を取り除くお薬を処方しますね」と言われ、「新学期からは学校に行けると思いますよ」とのことでした。私は「本当に行けるようになるのかなぁ?」と不安に思いつつ、息子の投薬生活が始まりました。Upload By 花森はないざ新学期になってみると……行けない。行けませんでした。学校では泣いて暴れて、手がつけられず。それまで反抗的な言動も特になく、クラスメイトと同じように教室で勉強をして、友達と楽しく遊んでいた息子とはまるで別人のようでした。そして、薬の副作用で朝起きられなくなり、ますます息子は学校へ行きづらくなりました。そもそも息子の心はギリギリ状態で新学期のストレスが大きすぎたのか、ほかにもいろいろな要因が絡み合っていたのか……当時の私は、一人で悩みを抱えこむことしかできませんでした。Upload By 花森はな小6でコロナ禍の一斉休校。学校にも、外にも行けなくなってしまったその後、息子は特別支援学級に転籍し、4年生の間は私が付き添いをして何とか登校。5年生になると、送迎は必須であるものの何とか一人で学校にいられるようになりました。しかし新型コロナウイルス流行による一斉休校をきっかけに、6年生から本格的な不登校に突入。とうとう外へ出ることもできなくなってしまいました。その後、息子は中1で自閉スペクトラム症と診断され、強度行動障害も判定されました。中学3年生になった現在は現在の息子は、特別支援学校の中等部3年生に籍を置いていますが、学校に通えるのは年に数回だけ。それでも、前を向いて通信制高校にチャレンジしようとしています。不登校や行き渋りをきっかけに、子どもの抱える困難さや特性に気づくこともあると思います。私ももっと早くに気づくべきでした。たくさんの後悔があります。それでも、不登校になったことで、濃密な親子の時間を過ごすことができたと思っているし、子どもたちとの仲も以前よりずっと深まった気がしています。そういったことをこれから書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!Upload By 花森はな執筆/花森はな(監修:初川先生より)初回のコラム(息子くんについての不登校の経過紹介)をありがとうございます。小学3年生で不登校になった際の学校側の環境調整はどうされたのかなとか、はなさんお一人で抱えることとなったと書かれていますが、そのあたり相談できる人がいなかったのはとても大変だったことと思います。そして息子くん本人が「怖くて行きたくない」と言っている中で、薬で不安を下げて登校させるアプローチを提案されたのは、はなさんからするとなかなか悩ましかったのではなかろうかなど感じます。どうにか登校が安定しつつあった小4、5を経て、コロナ禍……。そして中学校生活。「元気な不登校やっています」に至るまでさまざまなことがあったとお察しします。これからのコラムでこのあたりのいろいろも語られてゆくのかなというところで、今後のコラムを楽しみにしています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月10日気になる周囲との差、発達について指摘される?みんなの3歳児健診エピソード3歳児健診は、子どもの身体の発育や心の発達を確認して、病気などの早期発見や、専門機関につなげる機会となる大切なものです。しかし、問診票の記入や尿検査などといった事前準備も多く、保護者にとっては負担に感じる部分もあるかもしれません。特に、発達障害や発達に特性があるお子さんは、事前準備や健診に行くこと自体が大変な場合もあるでしょう。今回は、発達ナビ連載ライター陣に、3歳児健診でのエピソードをご紹介いただきました。ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)のコウ君は現在中学生。コウ君のお母さんである丸山さとこさんは、コウ君のことを「マイペースな子どもだな」と感じつつも、初めての子育てだったこともあり「3歳児ってこんなものなのかな?」と思っていたそうです。しかし3歳児健診で、大きな転機を迎えることに……。1歳半児健診の時にヘトヘトになった記憶がよみがえり、3歳児健診には行きたくない気持ちでいっぱいだったカタバミさん。それでも「耐え忍ぶしかない」と、重い腰を上げて向かったところ、まさかの健診「2回目」を受けることになって……!?ダウン症の息子きいちゃんを育てる星きのこさん。同じダウン症の子どものママ友たちと「3歳児健診行く?行かない!?できれば行きたくないよねえ……」と話していたそうです。周囲の視線が気になって耐えられないかも……と思った星さん。果たして、3歳児健診には行ったのでしょうか?ねこ太くんは現在小学1年生。ADHDグレーゾーンで特別支援学級に在籍しています。3歳児健診の時、ねこ太くんはまだおむつが外れておらず、事前の尿検査から苦戦!お母さんである鳥野とり子さんに、当時のことを振り返っていただきました。ASD(自閉スペクトラム症)の長男、けんと君を育てるゆきみさん。転勤族で知り合いもほとんどおらず、孤独を感じながらの育児でした。わが子の発達について悩んでいたゆきみさんは、相談していく中で少しずつ支援の輪が広がっていったそうです。寺島ヒロさんのご長男、タケル君は2000年生まれ。3歳児健診を受けた当時、ASD(自閉スペクトラム症)の特性については、まだあまり知られていませんでした。健診では、医師に心配なところを訴えるも理解されず、不安は解消されないままさらに7年の月日が経って……。よいこさんのご長男あー君は、現在小学6年生。ASD(自閉スペクトラム症)と診断されています。家庭や幼稚園でのあー君の行動に違和感があり、3歳半健診で発達相談する!と決意していたよいこさんでしたが……。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月09日小学校卒業まで、イヤイヤ期から反抗期まで切れ目なし!?Upload By 丸山さとこ子どもが2歳頃になると、自我が芽生えることで『イヤイヤ期』が始まると言われています。「あれをしたい、これはイヤ」などの自己主張が強くなり、強い抵抗や癇癪も始まるイヤイヤ期。赤ちゃんの頃とは違った形で手がかかるようになり、大変な思いをされる保護者の方もたくさんいらっしゃると思います。そんなイヤイヤ期は一般的に3歳から4歳にかけて落ち着いていくそうですが、コウは自己主張が強くなりだした2歳頃から小学校を卒業するまで『イヤイヤ期』と『反抗期』の切れ目がないような状態でした。現在中学生のコウ本人がこれまでを振り返って「僕は小さな頃からずっと反抗期みたいなものだからね」と言うほど長く続いた彼の反抗は、地味に大変なものでした。コウのイヤイヤ期&反抗期は、怒って暴れたり駄々をこねてひっくり返ったりするような見た目の派手さはありませんでした。基本的に泣いたり反論し続けたりするような感じで、激しいときでも癇癪を起こして床を叩く程度だったので、反抗の程度としては大人しいほうだったかもしれません。ただ、その『泣いたり反論し続けたり』がすごいのです。息が吸えずに顔色が真っ青になるまで泣きますし、「何で?〇〇は□□のハズなのに!」と混乱からパニックになっていくこともしばしばでした。Upload By 丸山さとこそれに加えて、反論はコウが納得するまで長時間に渡り続くこともありました。対応している私としては、精神的につらいのはもちろんのこと、長く時間がとられることにも負担を感じることがありました(私はグッタリと疲れ果てながら「説得の千本ノックみたいだな……」と思っていました)。今のコウは、当時を振り返って「あの頃はねぇ、あらゆることに『納得いかない!』って思ってた」と言っています。その『納得いかない!』の暴風雨にコウ本人も周囲の人も振り回された、嵐のような時期だったと思います。小学校6年生から少しずつ現在のコウに近くなってきましたそうしてイヤイヤ期から反抗期までを過ごしてきたコウは、小学校6年生から少しずつ落ち着き始めました。周囲の様子や事情が見えるようになり始めたことで、「理不尽だ!おかしい!!」と思うことが減っていったのだそうです。また、クラスメイト同士の関わりを落ち着いて見るようになったことで、「自分の感情表現は周りに比べて激しすぎるのかな?」と気づいたのも大きかったと言います。それにより、コウは感情表現の仕方を意識的に調整するようになったそうです。Upload By 丸山さとこ周りを見ることにより0-100思考も少しずつ和らぎ、「まぁいいか」と言えるようになったことで、パニックも減っていったようです。その流れは中学校に入ってからも続き、今では滅多にイライラすることはなくなりました。コウ本人も「思春期に入って自分や周りを見るようになってきたことで、イライラが減って情緒が安定してきた」と言っていました。幼児の頃から今までを『反抗期みたいなものだった』として振り返りつつ、コウは「自分としては反抗期だとは思っていないところもある」と言います。詳しく聞いていくと、以下のように話してくれました。・保育園や小学校の頃は特に反論しまくっていたと今なら分かるんだけど、疑問や納得できない点をそのまま言っているだけで、自分としては反論しているつもりはなかった。・納得できない!おかしい!と思うことはよくあったけど、反抗的な気分ではなかった。人に対してではなく、『納得できないこと』に向かってイライラしている感じ。・先生や親に対して反抗しようと思うほど、人のことを見たり考えたりしていなかったと思う。自分のことだけって感じ。でも、結果的に反抗的と取られる言動をしていたってことも今は分かる。Upload By 丸山さとここのように思っていたことを話してくれたコウは、今では別人のように落ち着いたと言われることもあります。ですが、私は「実は内面はそれほど大きく変わってはいないのではないかな?」と思ったりします。コウのこれまでを振り返ると、今のコウも言葉や態度がマイルドになっただけで、納得を求めて疑問を投げ続けるようなところは変わっていないと感じるからです。Upload By 丸山さとこそれでも、納得できない気持ちを「おかしいよ!」ではなく「それはなぜ?自分はこう考えたんだけど」と表現できるようになったコウは、確かに変化しているのだと思います。コウの調子の悪い日は納得するまで『説得千本ノック』が始まることもありますが、私に対して疑問を飲み込まずに投げてもらえる内が華なのかもしれません。「今日はコウのボールを受け止められそうかな?」と、心身の余力と相談しながら可能な範囲で対応していきたいです。執筆/丸山さとこ(監修:室伏先生より)コウくんの幼児期から小学生までのご様子を、コウくん自身の言葉も交えて共有くださり、ありがとうございます。疑問や納得できないことをとことんまで納得しようとする姿勢、ご本人もご家族も本当におつらかった時期があったことと思いますが、ついつい自分を甘やかしてしまう私からすると、尊敬の気持ちでいっぱいです。また、それを客観視して表現の仕方を自ら変えていかれたことも素晴らしいと思いました。その姿勢ゆえにストレスや苦悩を抱えてしまうこともあるかもしれませんが、誰にでも真似できることではありません。また、コウくんのその疑問やイライラに向き合ってこられた、さとこさんの忍耐強さも決して簡単に真似できることではありません。さとこさんのその大きな愛情の中で、コウくんは安心して疑問、そして感情をぶつけることができ、少しずつ自身を客観視できたのかなと思います。次の記事も楽しみにしております、時々コウくんのお言葉も聞かせてくださいね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月08日学校生活での困りごと、保護者はどう対応すればいい?発達障害のあるお子さんは個性的な面も多いですが、それに対して学校はどちらかというと平均的なお子さんにあわせて作られています。ですので、発達障害のあるお子さんは学校生活の中でどうしても困りごとが多くなりがちです。学校での困りごとを解決するには、家庭と学校の連携が不可欠ですが、どうすればいいのか迷うことも多いのではないでしょうか。学校でのトラブル、今回はお友達を叩いてしまったケースを紹介します。次のような困りごとが起きたら、みなさんはどのような対応をしますか?ケース:子どもが学校で友達を叩いてしまったUpload By 専門家体験談同級生に他害をしてしまったケースです。子ども同士でもめているうちに、お子さんが相手の子に手をあげてしまいました。子どもに何があったか聞いたところ、「うまくできないことを何度もからかわれた」という背景があったことが分かりました。このような場合、どのように対応すればいいでしょうか。「からかわれたこと」と「叩いたこと」は分けて考えるUpload By 専門家体験談保護者としては、まず相手に謝罪することが第一です。それと同時に今後のトラブルを防ぐ予防策を講じることが大切です。そのためには「事実の確認」をする必要があります。子どもに確認してみると、「ちょっとした小競り合いの中で偶然手があたってしまった」ということもあります。その場合は相手に謝罪し、今後は気をつけるということでいいでしょう。しかし、今回の例のように「うまく字が書けないことを何度もからかわれた」といった理由がある場合は、「からかわれたこと」と「叩いたこと」は分けて考える必要があります。「叩いたこと」は当然悪いですが「言葉の暴力」が許されてよいわけではありません。からかってしまったお子さんにも適切な行動を教えていく必要があります。ただ、暴力を振るってしまった側が相手に対して「そちらにも原因がある」というのは簡単ではありませんので、こんなときは、担任の先生、校長、副校長などの管理職の先生も協力して、学校での出来事を確認するような形で話し合いを持つのがいいでしょう。話をしてみると、相手のお子さんも「自分はルールを守っているのにあの子だけは違うことをするのはずるい」と思っていたりする場合があります。そんなときは「学校のルール」を見直すことで、どちらのお子さんも活動しやすくなる場合もあります。私がこれまでに見聞きしたケースだと、叩いたことだけが問題視されて「とにかく暴力はいけない」で話し合いが終わってしまう例が多いです。学校の「標準」ができないことをからかわれていたお子さんは、追い詰められてしまいます。学校、相手方と話し合うのは大変なことだと思いますが、子どもを守るためには話し合うことが必要です。場合によっては、医師などの専門家に協力を求めることも一つの方法です。難しい問題に直面したときには、さまざまな人たちを頼りながら対応していきましょう。学校へどう伝える?保護者ができる3つのコツ今回のケース以外にも発達障害があるお子さんの学校でのトラブルはさまざまです。ですがどれも、保護者一人で対応するべきことではありません。学校と家庭が一緒に対応していく必要があります。学校へどう伝えるか迷われたら、以下の3つのヒントを参考にしてみてください。子どもの学校での環境を整えるためには、子どものことを一番知っている保護者が具体的な困りごとを学校へ伝えて、家庭と学校で情報共有することが大切です。しかし、保護者が困りごとに対して「こうしてほしい」という形で伝えると、学校へ対する「要求」のようになってしまうことがあります。また、こう伝えられると学校側は「はい」「いいえ」の二択を迫られる状態になり、学校側の考えと一致していない場合は、「いいえ」と断られてしまいます。学校の先生にも教育方針があり「こうしたい」という考えがあります。保護者の考えを通すのか、先生の考えを通すのかといった争いのようになってしまうと話し合いがうまくいかないので、「相談」になるよう心がけましょう。「相談」にするためには、「状況を認識して相手に伝えること」と「相手の意見を聞くこと」の両方が必要です。私が保護者の方、先生方と話すときは「お子さんにはこういう特徴があって、こういう条件だとこうなります」という伝え方をしています。「だから、こうしてください」とまでは言わないのがポイントです。そうすると「そうだとすると、こうすればいいでしょうか?」という提案が出てきます。そのような形でお互いが考えを出し合っていけるといいでしょう。先生に「こんなことが起きて困っています」と伝えたとき、一緒に対応を考えてくれる先生だといいのですが、そうならない場合は同じ話を繰り返しても対応が変わらない可能性が高いので、やり方を変えましょう。私のおすすめは、その先生と一対一で話すのは避け、ほかの先生にも話し合いに入ってもらうことです。学校には「特別支援教育コーディネーター」を担当している先生(特別支援学級の先生がなられている場合が多い)やスクールカウンセラーが必ずいます。担任の先生へ2~3回相談しても話が通じなかったら、ほかの人に入ってもらうことを検討しましょう。発達障害のある子どもはどうして学校で困っているのか私は、今の日本の学校には子どもが「標準的にやるべきこと」が多すぎると思っています。・持ち物を揃えて登校する・提出物を出す・登校の際に先生、友達に挨拶をする・授業中は席について、正しい姿勢で先生の話を聞く……など、まだまだたくさんこなさなければいけない行動があります。これが「学校の標準」になっていると、「学校の標準」をこなせない一部の子どもたちは追い詰められてしまいます。私は「学校で、みんなと同じようにできない」と学校へ行くことができなくなった子どもたちをたくさん見てきました。進学をエスカレーターにたとえると、今の学校生活は「みんなと同じ」でなければエスカレーターからはみ出し、その後の進学や進路選択がしづらくなるという面があります。ですので、「みんなと同じ」ではない標準的な道を歩くことが難しい子は、学校生活だけでなくその先もどうしても生きづらさを感じてしまい苦しむのです。そしてそれはお子さんだけでなく保護者のみなさんも同様で、学校で困っているわが子に対して、どう対応すればいいのか不安に思っている方も多いと思います。私は、この狭すぎる「学校の標準」からはみ出しても基本的に大丈夫だと思っています。フリースクール、ホームスクールなど別のルートを選んだほうが学びやすくなる場合もあります。子どもは何のために学校へ行くのか、それは、「社会に出ていくための土台をつくるため」です。学校へ登校すること、いい成績をとることなど、学校生活だけに目標をしぼると、学校を卒業することが人生のゴールのようになってしまいます。「学校の標準」という基準にあわせることを求めて、発達障害のある子どもに無理をさせない環境を保護者と先生がよくコミュニケーションをとって、そして困ったときは専門家にも相談して整えていけるといいですね。マンガ/吉田いらこ前の記事はこちらUpload By 専門家体験談(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月07日自閉スペクトラム症息子、1歳の頃は公民館の中の少数派スバルがヨチヨチ歩きを始めた1歳頃から、私たちは遊び場を求めて児童館や公民館へ足を運ぶようになりました。公民館には月に何度か、同じ年齢の子だけが集まる時間が設けてあり、そこへ行くとほぼ同学年の子どもしかおらず、この年齢特有の悩みを相談しあったり情報交換することができました。そして、それと同時に、成長過程の「多数派」と「少数派」を目の当たりにする機会になりました。3歳でASD(自閉スペクトラム症)と診断されたスバルですが、1歳当時はちょっと言葉が遅いかな?くらいで発達に気になるところはありませんでした。ただ、公民館の中では何かにつけて少数派でした。初めて公民館へ行った日。初めての場所、たくさんの人、ちょっと緊張気味の保護者に不安を感じて泣き出したりママの膝の上から離れられない子が多い中、スバルは私の元を離れ公民館の隅から隅までパトロールしていました。もちろん私は後ろにピッタリくっついて危なくないように見守っていましたが、スバルはまるで自分だけの世界にいるかのように周りを気にしない堂々たるパトロールぶりに「これは大物になるぞ」と思いました。そんなに広くない部屋の何がそんなに気になるのか分かりませんが、始まりから終わりまでスバルと私はウロウロと歩き回っていたので、あの頃公民館で一緒だった人たちは、私たち親子の残像しか覚えていないのではないでしょうか。公民館という場所に慣れてきた頃、パトロールは任務のように続けていましたが、スバルは空間のチェックと共に人もチェックするようにもなりました。いつも顔を合わせる親子にニコニコと近づき、近すぎる距離感で笑顔のご挨拶。初めましての職員さんの膝に座って休憩。人見知りする子が多数派の中、スバルは本当に変わった子だなと思いました。ほかの2歳児の「熱い自己主張」に母、驚愕2歳くらいになり、言葉が遅い少数派グループの子どもたちも次々話し始める中、スバルはまだ「バイ(バイバイ)」「ばあ(いないいないばあ)」「あー(Car)」の3語と宇宙語だけでコミュニケーションを取っていました。少数派どころか1人取り残されてしまいました。公民館では、言葉が増えできる事も増えた多数の子どもたちが集団イヤイヤ期に突入していました。保護者が靴を履かせれば「自分でやる」と泣き、うまく履けずにまた泣く……。話には聞いていたものの、初めて目の当たりにした『本物のイヤイヤ期』はなかなか壮絶でした。スバルはここでも少数派で、イヤイヤ期がまだ来ていませんでした。スバルは車が大好きで、毎日ミニカーを並べ、車のよく見える公園へ行き、車のカタログをボロボロになるほど読んでいました。私はこれらのこだわりを、スバルの自我の芽生えであると感じ「車を眺めて過ごしたい」という意志を表現しているのだと思っていました。しかしイヤイヤ期の子の内側から発せられる強く熱い意思や、爆発したかのような自我を目の当たりにし「スバルのは外に向けた自己主張というより、自分の中で趣味に没頭しているだけだな」と思いました。イヤイヤ期の子の姿を通して、2歳はこんなに高度な自己主張ができるのかと驚きました。スバルは言葉が遅いから自己主張できないだけ……というのとは、ちょっと違うなと思いました。Upload By 星あかり自己主張のないイエスマンこの頃のスバルはイエスマンで、「これするよ」「あそこへ行くよ」「これを着るよ」といった指示を理解し淡々と従いました。テレビで子ども番組を見ている途中で「時間だからおしまいね」と消されても、泣いたり騒いだりする事なく素直に別の遊びをはじめます。たまに「そろそろ寝るよ」と遊びを中断させようとした時に、まだ遊びたそうなリアクションをする事もありました。しかし、寝る時に着るスリーパーを羽織らせファスナーを閉めた途端、突然真顔になり布団に潜って行くのです。布団に入ってから寝るまではまた別の戦いになるのですが、とにかくファスナーを閉める事がスイッチになり、スバルは全ての遊びを中断し自ら布団に入るのです。今となっては自分のしたい事よりもルーティンを優先する特性だと分かるのですが、当時はまるでインプットされた事を実行するスイッチでも付いているのかと思いました。Upload By 星あかりあまりにも淡々と指示に従う姿を見て、少し焦った私は、スバルの意志を引き出そうと「どうしたい?」「何食べたい?」なんて曖昧な質問を投げかけたりしましたが、発語がないのに答えられるはずもなく、愛想笑いで流されてしまうのでした。とは言え日常の中にスバルの意志はちゃんとあるのです。「コレとコレどっちにする?」みたいな質問にはジェスチャーで「コレ」と選ぶことができるし、目の前に並んだおもちゃの中から今遊びたいおもちゃを選ぶことはできるのです。アレがしたい、コレで遊びたい、アレを食べたいといった強い主張はありませんでしたが、スバルの好きな遊び、好きな食べ物、好きな公園、好きな絵本を私は知っているのです。「今はこれで十分」だと思うようになりました。小学4年生の今は、自称「反抗期」中!?3歳になり言葉があふれて、4歳になり突然おしゃべりになり、5歳になり起きてから寝るまでしゃべりり続けるようになりました。自己主張も激しくなり、かなり遅れてイヤイヤ期が来てしまうのかと怯えて暮らしていましたが、特にイヤイヤ期も反抗期も来ないまま小学生になりました。小学4年生になったスバルは最近になって「僕は今、反抗期なんだよ。反抗期はね、成長の証なんだよ」だから夜更かししてゲームの続きをしたいと主張していましたが、いつも寝ている時間になったらソワソワし出して、自分でスリーパーを羽織って布団に潜って行きました。私はいまだにイヤイヤ期が遅れてやって来ることに怯えています。執筆/星あかり(監修:新美先生より)イヤイヤ期のなかったスバル君について詳しく聞かせて下さりありがとうございます。発達の経過は本来一人ひとり異なるものですが、いわゆる多数派の方の発達の経過を、育児書に書いてあったり一般常識としてインプットされています。イヤイヤ期もその一つで、多くの方が2~3歳ピークで自我が芽生えて自己主張が強まる時期とされていますが、イヤイヤ期がいつだか分からない、なかった、ずっとイヤイヤ期だったなどなど、さまざまなパターンがあっても不思議はありません。スバル君は自己主張がないわけではないけれど、興味の偏りやパターン化志向、コミュニケーションの受動的スタイルなどが重なり、一般的に言われるようなイヤイヤ期が分からないまま、小4の本人なりの「反抗期」に入っているのですね。そんな経過もスバル君の成長で、名前のつくようなイヤイヤ期はなくても、スバル君らしいスタイルで大きく成長して来ていますね。きっと反抗期も本人らしい表現になるのかもしれないですね。スバル君らしい反抗期を楽しみましょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月07日広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)中1娘と5歳下の弟の関係は広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある中学1年生の娘には、5歳下の弟がいます。長男が産まれた時、私は発達障害がある姉がいる長男のことを心配していました。私が娘にかかりきりになって寂しい思いをしないか……発達障害があることで一般的な姉弟と違う関係になってしまうのではないか……姉弟関係がうまくいくのか、不安でした。会話が上手くいかなかったり、娘がイヤイヤ長男の相手をするという時期もありましたが、成長を重ねていき、2人は、私が想像していた以上に良い関係を築いてくれました。Upload By SAKURAしかし、娘が中学校に入学してからは、勉強や部活に忙しくなり……娘と長男が過ごす時間は少なくなりました。そして、今まで赤ちゃんだった次男が成長し、長男と次男が一緒に遊ぶことが多くなりました。Upload By SAKURA同時に反抗期真っ盛りの娘と私がもめることも増え……長男は、そんな様子をただ黙って見ていました。Upload By SAKURA母親の私がいうのもなんですが……長男は察することが得意。今何をしたらいいかや、言わないほうがいいことを、説明しなくても理解しています。そのため、私はついついしっかりしている長男に頼ってしまいます。Upload By SAKURAもしかして長男は寂しい思いをしてるかも?空気の読むのが上手な長男ですが、実は、3姉弟の中で生粋のママっ子。口には出しませんが、もしかしたら姉と弟のことで忙しい私に気を使って遠慮し、寂しい思いをしているかもしれない……。Upload By SAKURA私は、少しでもフォローになればと、休日に長男と2人で、出かけることにしました。Upload By SAKURA「ママとカフェに行きたい」という長男のリクエストで、2人でカフェに行くことになりました。カフェでのんびり食事をし、外を散歩することにした私たち。歩きながら私は、長男に話をしました。Upload By SAKURA日頃の感謝と、私の反省を長男に伝えると日頃の感謝と、私の反省を伝えると、長男は「いいんだよ」「ママは頑張ってるよ」と言ってくれ、こんな怒りんぼうな私をちゃんと見ていてくれることが、うれしくてたまりませんでした。それから私は、娘の話をしました。Upload By SAKURA私は、長男が小さな頃から、娘のことは説明していました。まだちゃんと理解できるまで、専門的な用語は使いませんが、娘の苦手な部分に関しては、隠さず話してきました。Upload By SAKURA私が娘に対して、厳しいことを言うことが多くなってから、私の本当の気持ちは娘に届きにくくなりました。「あなたのことが大好き」と娘に伝えても、反抗期の娘は無言……。自分の思いが伝わらないまま、声かけをしていくことがしんどくもなってきていました。せめて長男には、私が思っていること、考えていることをちゃんと分かっていてほしいと思いがありました。私は、娘への思いをそのまま伝え、長男にしてほしいことを伝えました。ありがたいことに、長男は理解してくれました。Upload By SAKURAそれから私は、定期的に長男と出かけるようにしています。長男が好きなゲームセンターに行ったり、公園で鬼ごっこをしたり、長男の話をゆっくり聞くようにしました。長男はいつもお出かけを楽しみにしてくれていて、2人きりの時間はとても楽しそうです。長男は、いつも私やきょうだいたちをよく見ていて、空気を読んで動いてくれます。しかし、しっかりしていても、まだ小学1年生。長男に甘えすぎないで、ちゃんと向き合う時間をこれからもつくっていきたいと思います。執筆/SAKURA(監修:新美先生より)発達障害のあるお姉さんとその弟さんとの関係について、詳しく教えて下さりありがとうございます。あーさんと弟さんのやり取りがほほえましく、ほっこり読ませてもらいました。一般的に、病気や障害のある方の定型発達のきょうだいは「きょうだい児」と呼ばれることがあり、さまざまな場面で我慢を強いられやすく、きょうだい児ならではのストレスがかかると言われています。とは言え、ご家庭ごとに事情は異なります。大切にしていくことは、障害などがありケアに手がかかるお子さんも、そうでないお子さんのことも、一人ひとりの人格を尊重していくことかと思います。負担が大きい場合は、それぞれの個室をつくる、別々に活動する時間を増やすなど、障害や病気のないほうのお子さんも、自分らしく過ごせる時間を確保することも大切です。SAKURAさんのご家庭では、姉弟仲もよく、弟さんがとても良く気がつくタイプで、自然にフォローしてくれたりするのですね。頼りになる分、負担がかかっていないかな、無理をしていないかなと心配になることもあったのかもしれません。弟さんとお母さん二人の時間をつくり、気持ちを聞いたり、子どもらしく甘えられる楽しい時間をつくるというのはいいですね。弟さんの場合は、負担に思っていることはなかったようですが、それでも、こんなふうな特別な時間が過ごせることはうれしかったことでしょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月06日極端すぎる父の教え私にとって父は怖い存在でした。私が3歳ぐらいの時に父が私と兄の前で膝をついて目線を合わせ、深刻な面持ちで「いいか、この世は戦場なんだ。お前たちはそこで戦い抜いて生きていくんだ」と言ったときから、私の「戦い続けなければ生きていけない」という、0-100思考の萌芽が生まれたように思います。その後父は、私が中高生になる頃には「勉強していい大学に入ってエリートになれ」というようなストレートな言い方はしないものの、「学生の本分は勉強だ。家事は我々で担うからその時間を勉強に充てろ」「お前みたいなタイプは弁護士か研究者になったほうがいい」「そうじゃないと将来食っていけなくて路頭に迷う」などと繰り返し言うので、私は「いい大学に入ってエリートにならなければ生きていけない」という0-100思考を強めることになりました。今になっては父も極端だったなと思うのですが、そんなこと、子ども、それもASD傾向のあった私にわかるはずもなく……。失敗しそうになったとき――「踏みつぶす」兄と、頑張りすぎる私兄も極端な人でした。失敗の不安や兆候があるとき、私は不安やリスクを塗り込めるために3倍頑張るようなタイプでしたが、兄の場合はやけくそになって極端な行動に出るタイプだったのです。例えば、私も兄も20代だったある時の話。兄がダイニングで、おまんじゅうを1つ手に取り、個包装を剥いて食べようとしていました。そこで、手を滑らせておまんじゅうを床に落とした兄。「あ、落としたな」と思って居間から見ていた私は、信じられない光景を目にします。兄は落ちたおまんじゅうを一瞬見つめると、それをトンッ!と真上から足の裏で踏み潰し、素早く拾い上げると、そのままゴミ箱にストンッ!と投げ捨てたのです。おまんじゅうが個包装が剥かれた状態で床に落ちたならまだわかるのですが、兄はあくまでおまんじゅうの個包装を「剥こうとしていた」だけ。おまんじゅうは個包装にしっかり包まれていたわけですから、それを床に落としたからといって大した問題はないはずです。私は起きたことの意味がわからなくて、「今、おまんじゅう踏み潰して捨てた?」と聞いたら、兄は真顔で「うん」と答えました。私は絶句。兄は「おまんじゅうの個包装が思ったようにうまく剥けなかったことが許せず、なんの問題もないであろうおまんじゅうを踏み潰し、捨てた」のですね。なお、分かりやすく、兄の個人情報にも支障がない象徴的な例としておまんじゅうの話を挙げただけで、兄のこうしたエピソードはたくさんあります。私は失敗にあたり自責に向かう傾向がありましたが、兄は他責や攻撃性に向かう傾向があったようで、ここが私と兄の大きな違いだったと思います。私が100を目指さなくてはいけなかった理由実家にはひきこもりの伯父がいたのですが、その伯父について、父は繰り返し「働かざる者食うべからず」と言っていたし、母は「こちらは一生懸命働いて疲れてるのに、働いてもないこの人と同じ空気を吸わなきゃいけないのが耐えられない」などと言って、伯父が話しかけても無視したりしました。私が大学受験の時に無理しすぎたせいでバーンアウトして大学に行けなくなり、続いて母も仕事に行けなくなって休職した時は、父は吐き捨てるように「2人も兄ちゃん(伯父のこと)みたいになりやがって!」と言うのでした。今思い出しても、こうした実家の空気は本当につらいもので、伯父は本当にかわいそうだった、と思うのですが、当時の私は「家族の要求に応えることができない私はだらしがない、ダメな人間だ。伯父のようにならないように命がけで努力しなければ」と、激しい自責をするに至りました。そして、20代いっぱい、どんどん体調が悪くなり、母の世話も大変になっていく中で、どうにかして働いて自活しようとしては仕事に行けなくなって辞める、ということを繰り返すことに。体重はどんどん減り、身体は骨と皮ほどになり、顔はニキビだらけ、髪は薄くなる……悲惨な状態でした。バーンアウト、家族との断絶を経て、数10年かけてたどり着いた今の状況その後、私は今の夫に助けられて実家を出ることになります。それからASDの診断や複雑性PTSDの治療を経て、最近ようやく、0-100以外の考え方ができるようになってきました。最終的に私の考えの窮屈さを緩めてくれたのは認知行動療法でした。しかしそれも、それまでに自分のASD傾向を見つめたり、トラウマ治療の中で、自分が家族の価値観を内面化していたことに気づいたりしてきた積み重ねがあってこそだと感じています。今は、「できないことはできない」「人間なんだから失敗もする」「失敗したからって生きられなくなるわけではない」と、いい塩梅に開き直り、自分の心身の健康をいちばん大事にしようと思えるようになりました。この状態に至るまで長い紆余曲折がありましたが、ここまで来られてよかったなと思っています。文/宇樹義子(監修室伏先生より)ご結婚されるまで過ごされたご実家の環境、義子さんのお気持ち、そして診断や認知行動療法について、ご共有くださりありがとうございます。お辛い時期を戦われ、乗り越えて、今ご自身の心身の健康を大事に過ごされている義子さんのお言葉は、多くの方にとって大きな励ましになることと思います。義子さんの今後の人生、私も応援させていただきます。前の記事はこちら
2024年03月06日