子育て情報『家では多弁、でも8年間も外では話さなかったクラスメート。数年後、「場面緘黙症」と気付いて』

家では多弁、でも8年間も外では話さなかったクラスメート。数年後、「場面緘黙症」と気付いて

家では多弁、でも8年間も外では話さなかったクラスメート。数年後、「場面緘黙症」と気付いての画像

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次男リクの幼稚園の友達の中に、「ひとことも話さない」という子がいました。
返事もしないし、笑い声ひとつあげない。
イエスとノーは、Hくんが首をふるか縦にうなずくかで周囲が判断していました。

話すというコミュニケーションができないこともあり、言葉で「嫌だ」と伝えられず、叩く・押すなどしてしまうことがあったHくん。
ある日、リクが転倒しておでこを縫うケガをしてしまいました。

病院で治療を受けたため、園がHくんの家庭に報告。

その日の夜に、Hくんとお母さんが謝罪にやってきました。

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Hくんはやはり無言のままです。
お母さんは必死に、Hくんに謝るよう促しましたが、最後までひとことも言葉がでません。
お母さんによると、家では多弁で、弟ともよく怒鳴りあうほどの兄弟ケンカをするそう。
その日もリクに謝る練習を何十回もしてきたらしく、お母さんもどうして外でひとことも話さないのか不思議で仕方がない。
こんな病気があるのだろうか…と、涙ながらに話していました。

私も、そんな病気や障害など、全く知らなかったため、ただただ不思議で仕方ありませんでした。

そしてその後、リクからまた驚きの話を聞きました。

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「誰もHくんの声を聞いたことがない」というまま、リクはHくんと同じ小学校に入学しました。
Hくんは相変わらず無言のままでしたが、週に一度程度、言葉の教室に通っていると風の噂で聞き、好転することを陰ながらも祈っていました。

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この話はずいぶん前の話です。
世間が子どもの発達障害に目を向け、学校や公共の場でも、理解に努めようと踏み出したころだったと思います。

家で多弁なHくんがどうして学校で言葉が出てこないのか…。緊張なのか、シャイなのか…。どうして?いつまで?…と、家族はとても心配したと思います。
後に、「場面緘黙症」という症状があることを知るのですが、この症状に悩んでいる人たちが世の中にたくさんいることも分かりました。

この後Hくんは中学校に上がるのですが、なんと、よくしゃべる子になっていました。卒業式に初めて言葉を発したわけですが、それは私たちが考える以上のHくんの努力が詰まった返事だったと思います。

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