自宅死は12%!? 日本の多くの高齢者が人生最後を「病院」で過ごすワケ
食欲が全く湧かない。飲み込む力も弱まってくる。痰の吸引は一日に何度も必要。医師は経鼻栄養法を奨める。それでもやっぱり口から食べられるうちは口から食べさせてあげたい。
日々刻々と変化する母の容態に応じて筆者も筆者の妻もきょうだいも、自分や連れ合いや子どもたちの生活のために働きながら、時間を作っては病院にいる母を訪ね、話をしたり食事の介助をしたりをつづけています。
ここまでの状態の患者を在宅で看るということは不可能です 。やろうと思ったら筆者も妻もみな仕事を辞め、母の看護に専念するしかありません。
そして、そのような選択をすればそう遠くないうちに今度は筆者や妻が破綻することは間違いない でしょう。
わたしたちが生きている21世紀初頭の日本という社会は、ほとんどの一般庶民にとっては「生きるのがとても大変な社会」です。
ごく一部の恵まれた家柄にお生まれになった方を除けば、みんな「ギリギリで生きている」というのが本当のところ なのです。
そのような中にあって、いたずらに「家族の愛が大事」「在宅で家族に囲まれて暮らそう」と言わんばかりの国の方針というのは、いかがなものなのでしょうか。
筆者の40年来の友人で、かつて慶應義塾大学病院の神経内科でさまざまな種類の神経性難病を羅患しながら終末期を迎えられた高齢者の人たちと臨床で向き合った医師のY君は言います。
『今の日本はもう、“家族”が全て看るという時代ではないと思う。家族に甘え過ぎたら、その愛する家族が破綻してしまう。社会が全体で支えなければならない。
私自身は、もし自分が年を取って医療や看護の手を離れることができない状態になったとしたら、病院や施設でプロの看護・介護を受けたいと思う。
家族はたまに顔を見せに来てくれればそれでいい。寂しいが、それで十分幸せだと思わなければいけないんじゃないか。病院で自分に相い対してくれる看護師さんやヘルパーさんとのコミュニケーションを人生の楽しみとして、暮らして行こうと思うのです』(50代男性/神奈川県内市立総合病院勤務・神経内科医師)
●人生の最期を病院で暮らすことになった場合の生き方は
まだ生きられるのに、欧米のように経管栄養法などを施さないことで高齢者が数週間後にはこの世を去って行く社会を、“理想”としてマネるのか。
欧米社会ではキリスト教的な価値観からか「そこまでして延命することは人間として自然なあり方ではない」