女性自身がお届けする新着記事一覧 (130/893)
「聖子さんはちょっと前に髪を切って、コンディションも上々です。今年のツアーは“力を入れすぎずに、明るく”がモットーです」(聖子の事務所関係者)愛娘の神田沙也加さん(享年35)一周忌も終わり、今年もコンサートで全国を巡る松田聖子(61)。7月7~8日には日本武道館公演を盛況のうちに終えた。そんな彼女には新たな“元気の源”があるという。「聖子さんは最近“翔平くん”に夢中なんです」(聖子の知人)エンゼルスの大谷翔平選手(29)にビビビ!ときたというのだ。聖子の知人が続ける。「同居している母・一子さんが野球好きなこともあり、もともとは母との話題を増やすために大谷選手の試合をチェックしていたそうです。そのうち聖子さん自身もハマって、中継が見られないときは、旦那さんが録画している試合まで見るようになったのだとか。WBCで世界一となった瞬間にキャップを投げるシーンの彼を見てからは、聖子さんはすっかり“翔平ラブ♡”ですよ。入手困難な現地の『大谷フィギィア』を友人からもらって大事にしています」球団名にもあるロサンゼルスといえば、かつて聖子が米国進出の足掛かりとした地でもある。「’90年6月にアルバム『Seiko』で全米デビューした聖子さんですが、ロス近郊のサンタモニカに高級コンドミニアムを購入しています。’99年から’00年にかけては、当時の夫と沙也加さんと3人でロスに移住していた時期もありました」(芸能記者)サンタモニカからエンゼルスの本拠地・アナハイムまでは距離にして約70キロ、車で40分ほどだ。「聖子さんは“お母さんが元気なうちに翔平くんの試合を生で見せてあげたい。あっちでゆっくり暮らすのもいいな”と話していました。デビュー40周年を終え、沙也加さんのことも落ち着いたいま、なにかと窮屈な思いをすることも多い日本を出て、ロスに再移住することも考え始めているようです。旦那さんも来年で還暦ですから、“第二の人生”を始めるにはいいタイミングなのでしょう」(前出・聖子の知人)デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんはこう話す。「聖子さんは以前から“老後はロスで暮らしたい……”と漏らしていたと聞いています。過酷だった米国進出でも、サンタモニカのビーチを見下ろすと、いつも心が安らいだのだそうです。一子さんも90歳とはいえ矍鑠とされていますから、今なら移住も十分可能なのではないでしょうか。聖子さんは永住も可能なグリーンカードを持っていますからね」思い出の地で活躍する最強の“推し”が、聖子を新たなステージへと導く――。
2023年07月12日7月7日、滝沢秀明氏(41)が立ち上げた株式会社TOBEに合流することを発表した元King&Princeの平野紫耀(26)。同じく元キンプリの神宮寺勇太(25)と七夕に再デビューを飾り、早くも爆発的な人気を誇っている。同日夜に開設したInstagramのフォロワー数は、11日時点で309万人を突破。紗栄子(36)や辻希美(36)といった著名人もフォローするなどその人気ぶりが伺える。平野は翌8日に、《おはよ!昨日はみんなありがとう!楽しかったね!!!そんで今日は、アー写を撮った日のオフショットを上げてくよーん》と10枚の写真を投稿。9日は寝癖がついたままの写真を、10日にも神宮寺との2ショットを投稿した。さらにストーリーズ機能を活用し、ファンとの交流を楽しんでいるようだ。「平野さんは8日から9日にかけて、ストーリーズ機能でファンから寄せられた質問に次々と回答していました。しかし、その回答数はあっという間に100件を超え、上限オーバーによって最初の方にアップした投稿が消えていく事態に。平野さんはファンたちの気持ちを汲んだのか、10日に《19時半から質問の箱のやつやろうかなー》と呼びかけ、同時刻から再開させていました」(WEBメディア関係者)ストーリーズ機能の「質問箱」を使って、《いらっしゃいませ気軽にどうぞ》と炎をイメージする絵文字を添えて質問を募った平野。ファンから寄せられた質問や“呟き”の一つひとつに、顔文字やビックリマークなどを添えて答えていった。例えば、《おすすめの香水教えて!!》との質問には、《え!!!やばいよ!!!!めっちゃあるよ!!!いいやつ!》と返信。《汗ふき出てくるんだけどどうしたらいいかな?》との問いかけには、《もう東京駅とかの前に立って噴水になっちゃえ!》とユーモラスに返していた。また、《カメハメ波、撃てる?》との質問にも、《昔はちょっと出たんだけどね》とノリの良さを見せていた。他にも《返信してくれるまで腹筋しない》と拗ねるファンには、《ぽっちゃりの方が好きだよ》と絵文字を添えて回答。《いじけとくわ》とのメッセージにも、《一緒に体操座りしていじけちゃおっか》とお茶目に返していた。まさに“神対応”ともいえる平野のファンサービスに、ネット上では歓喜の声が続々。《平野紫耀くんのインスタのストーリーの質問箱の返事、彼氏感すごいし沼らせに来てるよね????一気に沼りかけそ……沼ってるわ……》《紫耀くんのストーリー面白いwwwww見るの楽しくて日課になりそう笑笑》《平野紫耀くんのストーリー凄いなぁ。律儀に返してて返す言葉も優しいし、いい人なのが文面で伝わるこれはファンは嬉しくてたまらないよね》だが一方で、キンプリ時代は個人アカウントも開設しておらず、プライベートは謎に包まれていた平野。それだけに、《出前何とったの?》という質問に対して《あなたですけど、、、まだ?》といったフランクすぎる対応の“ギャップ”に驚いたファンもいたようで、戸惑いの声も上がっている。《平野紫耀に幻想抱いてたからインスタおもろいけど見るたびああ、ああ、ああ、てイメージが崩れていきつらい》《なんか平野紫耀のストーリーイメージと違うんだけどこんな感じだったの?》《平野紫耀くん、まぁまぁおじさん構文なのはなぜ、、、。》こうした批判に対して、長年平野を推してきたファンたちからは“通常営業”とする声も。《平野のインスタに痛いとかおじさんとかキモいとか言ってる人見るけど該当担からしたら昔からあんな感じの文字打ちだしあんな感じの言動だしいつも通りのおじさん構文だったので…ww外野の人はイメージを高く持ちすぎてたんかな?元々痛いとこあるしおじさんぽい所あるよねww》《平野のインスタドン引きされてるのおもしろい。10年くらい平野見てるオタクからしたら、何らイメージ変わらないんだよね。インスタのストーリー見ても、平野だなとしか感じなくって》最後は《みんな今日もありがとう!返せなかった子もごめんね》と、優しい言葉で締めくくっていた平野。“クセ強”の質問返しは、天然なキャラクターを印象付けたようだ。
2023年07月12日「血の繋がってない子供は嫌い」美奈子壮絶DV報道の夫が裏切った再婚の“決め手”「ビッグダディ」の愛称で知られる林下清志氏(57)の元妻でタレントの美奈子(40)。’15年には元プロレスラーの佐々木義人氏と再婚し2女に恵まれていた。YouTubeで公開してきた家族の日常はいたって順風満帆にみえたのだが、夫との生活は衝撃的な形で終わりを迎えつつあるという――。7月10日配信の「Smart FLASH」で、美奈子は佐々木氏から殴る蹴るなどの暴力や、「しね」などの暴言を吐かれていたことを告白したのだ。今年3月には、美奈子の連れ子に対して「血の繋がっていない子供は嫌いだ」などと発言し、家庭内別居状態に。さらに7月上旬には夫と住む自宅から引っ越し、現在は離婚を求めているという。佐々木氏は「Smart FLASH」の取材に対しDVの事実を否定している。美奈子は、’11年4月に5人の子供を連れ “ビッグダディ”こと林下清志氏と再婚。林下氏との間に1女を設けるも、‘13年4月に離婚。‘14年、一足先に林下氏が別の女性と再婚した際には、美奈子は本誌に対して自身の再婚願望をこのように語っていた。「私の再婚ですか?出会いも特にありません(笑)。今は恋愛よりも、一緒に子どもを守ってくれる人が欲しいという気持ちがありますね。恋人じゃなくてもいい。どこかに、そんな人がいればいいんですけど……」そんな希望をかなえてくれたのが、佐々木義人氏だったようだ。’15年5月9日、入籍を報告したブログで美奈子は、《はじめは子供達と遊んでくれる良いお友達だったのですが、いつの間にか子供達にとってお父さんのような存在となり特に長男のしおんとは、よく二人で男同士夜食を食べに行ったりいろんな話をしてくれたり父親のいない長男にとって大切な時期に、とても良い存在となってくれました》とコメント。佐々木氏が、前前夫との間に授かった長男にも分け隔てなく接してくれていたことに感謝の念を伝えていた。また、《頼り甲斐があって、子供を大切にしてくれるとても優しい人柄にいつの間にか、我が家の明るいひかりのような存在になり、そこに私も惹かれました》ともつづり、佐々木氏が子供を大切にしてくれることが、結婚の決め手になったことを明かしている。期待を裏切る夫の振る舞いに直面し、離婚を決意した美奈子。一人で子供を守る覚悟を決めたのだろうか。
2023年07月12日ダウンタウンの松本人志(59)に対し、“お笑い賞レースの審査員をやりすぎ”などと批判する“提言動画“が波紋を呼んだオリエンタルラジオの中田敦彦(40)。7月10日、中田は自身のYouTubeチャンネルにて妻・福田萌(38)との対談動画を公開し、本騒動について初めて夫婦で語り合った。“提言動画”について「(中田は)私に言わないで勝手に世に出した」と明かしつつ、「よっぽど自分の中に確信とか覚悟とか」があるからこその選択だと思ったという福田。そして、「もう世に出てしまったものはしょうがない。彼の気持ちを届けたかったっていうことだから。私も受け止めました」と当時の心境を淡々と話した。一方で福田は、「麻痺してんのかなとも思う。自分が心配になる。『また燃えてますね~』とかいわれて『あ、そうなんです~(笑)』みたいな」と、発言がたびたび波紋を呼ぶ中田にに慣れてしまった自分への不安もこぼしていた。それに対し中田は、「炎上の話になったときもメンバーはすっごい笑ってて、普通はあのレベルで炎上したらみんな心配になるのかなと思うんですけど」と、“麻痺している”仲間として自身が率いるRADIO FISHメンバーを挙げ、「いい身内を持っているってやっぱり思う」とコメント。世間から批判を浴びた提言動画だが、「(夫婦の)関係はいいから何を言われてもなんとも感じなかった」と、一貫して中田への愛を保つ福田。そして動画の最後には、結婚生活を振り返って「環境とか立場とか変わってるけどずっと幸せ」と涙を見せ、中田のことを「ずっと楽しいFUJIYAMA」とジェットコースターに喩えて称賛していた。どんなに炎上を起こされても、夫を信じ、支え抜く福田の愛にネット上では感動する声が。《お互いに通じ合ってるから、誰がなんと言おうといい夫婦》《いつでも味方でいてくれる奥さんがいるだけで羨ましい》いっぽうで、“寛容すぎる”と感じる人もいるようだ。《身内で許しあい、褒めあってめでたし感出してる》《私だったら、腹が立って恥ずかしくて耐えられない》動画内で、もう(炎上)事件を起こさないでと福田に頼まれ、「それは無理(笑)」「事件は起こるでしょう、起こさざるを得ないと思います(笑)」と宣言した中田。また事件が起こったとしても二人で乗り越えていくことだろうーー。
2023年07月11日「自分でもヒドいなと思いました(笑)」オムニバス映画『無情の世界』の1編『真夜中のキッス』で、主演を務めた感想を舞台挨拶でこのように語った唐田えりか(25)。同作品の唐田は、自らが犯した取り返しのつかない事態から逃げようと、深夜の街を駆け巡るという“悪女役”に挑戦している。ご存じの通り’20年1月に『週刊文春』で東出昌大(35)との3年にわたる不倫関係が報じられ、直後から出演予定作品が軒並み降板となった唐田。その後、’21年9月に女優業を再開し、昨年11月には『の方へ、流れる』で3年ぶりの映画主演も果たすなど、徐々に復帰していた。しかし、本作公開に際して行われたニュースサイト「ENCOUNT」のインタビューで、自らの約1年半の女優休業期間について振り返り、《あの時間がなかったら、今の役、今の感情に繋がっていないので、本当にたくさんのことを学びましたし、知らなきゃいけなかった時間だったと思っています》と語り、“身から出た錆”などとの批判を浴びていた。そんな唐田を心配していたのが、不倫騒動で渦中の広末涼子(42)だ。「『週刊文春』で鳥羽周作シェフとの不倫が報じられて以降、一向に収まる気配のない騒動ですが、皮肉にも唐田さんの舞台挨拶の前々日に発売された同誌には広末さんのインタビューが掲載。その中には、“今の事務所社長のやり方では、私の大好きな(同じ事務所の)戸田恵梨香(34)や唐田や有村架純(30)を守っていけないんじゃないか”と話しており、広末さんの口から同じ事務所の後輩である唐田さんを心配していたことが明らかになったのです」(芸能記者)不倫騒動を起こした先輩から心配される唐田だったが、意外にも気を吐いているようだ。「じつは、『無情の世界』が、オムニバス映画としては異例の“ロングランヒット”になっているのです。同作品は6月23日から公開されているのですが、単館上映にもかかわらず『新宿シネマカリテ』での上映が予定より1週間延長されたのです。観客の推移によっては、さらに“再延長”される可能性もあります」(映画関係者)かつては注目の若手女優と評されながらも、東出との不倫騒動で停滞している唐田には嬉しい誤算だが……。「ちょうど広末さんの騒動が勃発していた中で行われた舞台挨拶には単館作品ではありえない約30社もの取材陣が来ました。そういった宣伝効果もあり、観に来るお客さんが増えたのではないでしょうか。もちろん唐田さんは演技をやらせたら若手女優の中でも透明感はトップクラスですし、この“広末効果”を再出発の起点としたいところでしょうね」(前出・映画関係者)今年中にはNetflixで公開予定の『極悪女王』にも出演するといわれている唐田。先行きがまったく見えない先輩にとって代わり、再ブレイクとなるか――。
2023年07月11日「焼酎3杯ぐらい。時間があったから」「柄本さんと一緒に喋るんだったら、シラフでは無理だと思いまして……」7月9日放送の『まつもtoなかい』(フジテレビ系)でこう話したのは、俳優の古田新太(57)だ。同番組で、自身が最も尊敬するという柄本明(74)と初めて対談することとなった古田。16時まで舞台に出演し、18時から『まつもtoなかい』の収録に臨んだというが、MCの中居正広(50)は不審な点を感じた様子で「(酒を)ひっかけました?」と質問。すると古田は「ちょいと」と返答するも、中居は「ちょいとじゃないですよ。プンプンしますよ!」「1杯じゃないですよね?」と指摘した。そして古田は冒頭のように発言し、思わず中居と共にMCを務める松本人志(59)は古田の緊張を察して「やっぱり、そんな感じですか」と驚いた。いっぽう柄本は「もう飲むなよ!」と叱っていた。飲酒状態でスタジオ入りとは、敬愛する柄本との対面に古田はよほど緊張したのだろう。確かに、古田にとって酒は相棒といえる存在で、「三度の飯より酒が好き」と公言するほど。「休みの日は起きしなから飲んでるから、二日酔いになる暇なんてない。もうね、とにかく本能レベルでお酒を愛しているんです。好きだから飲む。たったそれだけ(笑)」(「東京カレンダー」’22.01.20)と愛酒の精神を語っていたこともある。「古田さんに休肝日はなく、人間ドックの前日にも飲むほど。仕事の後は必ず一杯お酒を飲んでから家に帰るといい、それこそが俳優としてのパワーの源なんだそうです。このようなライフスタイルへのこだわりがあるようで、『芝居とお酒とたばこ、どれか一つしか選べない状況になったらどれを選ぶ?』という質問に『死にます。どれも辞める気がないので』と答えていました」(芸能関係者)お酒を愛する古田だが、とはいえ仕事中にまで飲酒するという“過剰ぶり”は視聴者に衝撃を与えたようだ。ネットでは『まつもtoなかい』での古田の言動に対して、心配する声がこう上がっている。《最近、TVで見る顔がやつれてちょっと飲み過ぎなのかなと思うような顔をしているので心配です》《古田さんも過度な緊張を和らげるためにしているのだとは思うが、それ頼りになってしまうと危険ですよね》《古田さんの舞台が大好きなので長く健康でいてほしい。舞台俳優は映画やドラマ以上に体が資本なので》
2023年07月11日※この記事ではドラマ本編の内容に触れています。7月10日にスタートした森七菜(21)と間宮祥太朗(30)がW主演する月9ドラマ『真夏のシンデレラ』(フジテレビ系)。各メディアによれば、30分拡大で放送された初回の平均世帯視聴率は6.9%、個人視聴率は4.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったという。「月9ブームの火付け役となった『東京ラブストーリー』(’91年)を筆頭に、90年代〜00年代初頭まではトレンディドラマが主流でした。最近では医療やミステリーが続いていましたが、’16年7月期の『好きな人がいること』以来のラブストーリーとなり、期待が高まっています」(テレビ局関係者)本作は、真夏の海を舞台に男女8人の恋模様を描いた王道ラブストーリー。海の町で生まれ育った蒼井夏海(森)は、サップのインストラクターと兼ねて父親の食堂を手伝う女の子。サップ体験に訪れた水島健人(間宮)と出会い、互いの友人たちとパーティーを開いて仲を深める。一方で、夏海は密かに思いを寄せていた幼なじみの牧野匠(神尾楓珠)に告白するも、「女として見たことがない」と振られてしまう……。落ち込んだ気持ちのなか、夏海は健人と再会を果たすことに。エンディングでは、夏海の誕生日をサプライズで祝うため、パーティーのメンバーが集合。その際、夏海のサンダルのパーツが切れてしまい、健人が新しいサンダルを夏海の足に履かせるという“恋の予感”が描かれた。ガラスの靴によって王子様と結ばれる「シンデレラ」のストーリーさながら、“タイトル回収”となった第一話。Twitterではトレンド1位となり、《これでもか!ってくらい夏を詰め込んだキラキラの月9が帰ってきた》《戻ってきた月9、これぞ求めてた王道青春胸キュン》との声が。広瀬アリス(28)も、《真夏のシンデレラいいわぁ〜〜夏だねぇ〜〜》と絶賛していた。だが一方で、ネット上では演出や展開に“ツッコミ”も相次いでいるのだ。《期待を裏切らないトンチキじゃん…震える》《『真夏のシンデレラ』5分に1回ツッコミ展開が待ち構えてるな。花火の音に驚いて夜の海に落ちるのとかよく思いつくな》《真夏のシンデレラ、開始5分で男が女の子の顔やスタイル、身長を馬鹿にした上、東大卒を自慢する男が出てきて、時代への逆行感がハンパない。 その後も肩ぶつかったくらいで慰謝料請求してくるヤンキーとか、これ、20年前の話ですか?》「例えば、健人の友人・守(白濱亜嵐)が道端でチンピラの肩にぶつかって絡まれたり、夏海の友人・理沙(仁村紗和)が花火の音に驚いて夜の海に落ちたり、何かと先が読める漫画のような演出が目立つのです。本ドラマは市東さやかさんが手がけたオリジナル脚本で、原作などはありません。また、プロデューサーによる“出演者同士の空気感や視聴者の反応を反映しながら結末を決める”という、異例の方針を取っています。初回からツッコミどころ満載なため、視聴者がSNSで感想を呟きながら見ることをあえて狙っているのかもしれません」(前出・テレビ局関係者)果たして今期一番の人気ドラマとなるか、それとも?!
2023年07月11日体操アメリカ代表の元チームドクターで、現在はフロリダの連邦刑務所に収監されているラリー・ナサール(59)が10日、刺されて重傷を負った。ABC NEWSなど複数の米主要メディアが報じている。AP通信によると、ナサールは別の囚人と口論になり、胸と背中を複数回刺されたという。ナサールは五輪金メダリストのシモーネ・バイルズを含む256人以上もの女性選手に対し、医療行為を装い性的暴行を加えたとして、’18年に有罪となった。刑は累計で数百年にも及んでいた。容態についての詳細はまだ公表されていないが、命は取り留めたとABC NEWSは伝えている。
2023年07月11日広末涼子(42)のW不倫が報じられてから早1ヵ月。そのお相手であるフレンチレストラン「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)は、騒動によって料理人としてさらなる窮地に立たされているようだ。騒動によって、これまで株式会社ユーグレナとのコーポレートシェフ契約や、六甲バターと結んでいた’25年の大阪・関西万博に向けたメニュー開発等の契約が解除となっていた鳥羽氏。出演していた『きょうの料理』(Eテレ)は事実上の降板となり、地元である埼玉県戸田市の「とだPR大使」も退任することとなった。「7月5日には、鳥羽さんに密着したドキュメンタリー映画『sio/100年続く、店のはじまり』の上映と配信の中止が決定。鳥羽さんは、調理専門校のレコールバンタンの調理&フードブランドプロデュース学部の学部長を務めていましたが、この役職も退任することとなりました」(料理業界関係者)さらに7月10日には参加を予定していた芸術祭「道後アート2023」の不参加が判明。同イベントで鳥羽氏は4組のクリエイターと共に「DIRECTOR’S MARKET」というプログラムに携わる予定だったが、担当事務局は「実行委員会で協議した結果、鳥羽氏の一連の報道に関して『道後アート2023』の企画・趣旨から外れ、参加が適切ではないと判断しました」と発表したという。W不倫についての謝罪文で《今後は、改めてゼロから料理に向き合いたいと思います。自分が一番世の中にできることは何かと考えましたが、やっぱり料理しかありませんでした》と綴っていた鳥羽氏。しかし、外堀を埋められ、料理人としてどんどんと窮地に追い込まれている。■ミシュラン徹底反論で一つ星はく奪の危機そんななか、さらなるピンチが鳥羽氏に訪れている。「sio」が「ミシュラン・ガイド東京」で一つ星を獲得し、その結果、“ミシュラン・シェフ”の称号を得た鳥羽氏。「東スポ」が7月1日にアップした取材記事で、《今年もこの不倫がどう影響するかわかんないけど、しなかったらもう一個新しい店もミシュラン取るし。内定はきてるから》と発言している。ところが、本誌が取材したところ、ミシュランの担当者は《ミシュランガイドはレストランに掲載の内定をすることは一切ございません》と内定を完全否定。その影響で、“一つ星はく奪の危機”にあると前出の料理業界関係者は指摘する。「ここまで明確にミシュランが反論していますから、ミシュランの鳥羽氏に対する心証はあまりよくないでしょう。もし仮にミシュラン側が今年も星を与える予定だったとしても、ミシュランの信頼性を揺るがしかねない発言を堂々とメディアに話してしまったことで、取り消される可能性も十分あるでしょうね」料理業界に進出した当時を回想し、《漠然とミシュランガイドに載る店のシェフになりたいみたいに考えていただけなんです》(「ウェルビーイング100」’22.06.27)と語っていたように、鳥羽氏にはもともとミシュランへの憧れがあった様子。そして’18年に『sio』をオープンすると、わずか1年でミシュランガイドの一つ星を獲得する店にまで同店を仕立て上げた。その後、4年連続で一つ星を獲得している。「『sio』は予約が取れない店として評判でした。もちろん鳥羽さんの腕が評価されたからでしょうが、ミシュランが箔をつけたことで集客効果があったというのも間違いなくあるでしょう。またミシュランを初めて獲得した直後、’19年に純洋食とスイーツの『パーラー大箸』をオープン。その後も’21年に『ザ・ニューワールド』、『㐂つね』、『Hotel’s』そして’22年に『おいしいパスタ』を開店しています。事業拡大を加速させるほど、ミシュランは鳥羽さんに様々な恩恵をもたらしているはずです。いわば、鳥羽さんにとってミシュランは料理人としての“命綱”。もし一つ星がはく奪された場合、今後の料理人人生に大きなダメージを与えかねません」(前出・料理業界関係者)鳥羽氏は、いつまで命綱を繋ぐことができるだろうか?
2023年07月11日7月10日、前参議院議員のガーシーこと東谷義和被告(51)が東京地裁に保釈を請求したことが明らかになった。同日、ガーシー被告は証人威迫の罪で追起訴されている。各メディアによると、ガーシー被告は今年2月、自身を告訴した俳優の綾野剛(41)とジュエリーデザイナーの男性に対して「裁判に出てくるってことがどんだけタレントとして致命的かよう考えて出てこいよ」「刑事告訴してきた人間は絶対に許さん、自分の子供や奥さんにどれだけ迷惑かけるかってこと、よう考えろ、お前」などと脅し、告訴状を取り下げさせようとしていたという。このため、6月24日に証人威迫の疑いで再逮捕、7月10日に起訴された。ガーシー被告は昨年7月の参院選で初当選。しかし、その後はドバイに滞在したまま一度も登院せず、3月15日の参院本会議で除名処分に。さらに翌16日に警視庁が著名人らを脅迫、中傷したとしてガーシー被告の逮捕状を請求すると、SNS上で「一生帰国しないことを覚悟いたしました」と海外に居座ることを宣言していた。「ガーシー被告が自主的に帰国する可能性が薄いとみた警察当局は、外務省に旅券返納命令の要請や国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配を実施しました。5月下旬にはUAEへ捜査員を派遣し現地当局に捜査協力を依頼。その結果、6月4日に帰国に至り逮捕され、その後、起訴されたのです」(社会部記者)政治家女子48党(旧NHK党)の立花孝志氏は、6月4日に自身のTwitterでガーシー被告とのラインのやりとりを公開。立花氏は「絶対早く保釈させます!」「23日後に六本木でご飯食べましょう!ホリエモンと3人で」とメッセージを送っていた。23日とは、逮捕から起訴までに留置される最長期間のこと。10日に現在の罪状がすべて起訴されたことで、ガーシー被告は保証金を裁判所に預けることによる保釈請求を行ったとみられる。しかし、ガーシー被告が”自由”になれる可能性は低いと前出の社会部記者は語る。「逃亡や証拠隠滅、被害者や関係者を脅す(証人威迫)の可能性があると、起訴後の保釈請求が通らず拘留が続く可能性があるのです。この被告人勾留には期間の制限がありません。ガーシー被告の場合、新たに”証人威迫”の罪で逮捕・起訴されていますから、保釈請求をしても被害者を脅す可能性があるとして却下される可能性が高いでしょう」さらに、ガーシー被告が海外逃亡していたことも、保釈請求を退ける要因となってしまうという。「ガーシー被告は逮捕状が出てからも、一向に帰国しませんでした。また、帰国直前まで海外国籍の取得を画策していたという報道もあります。再び海外逃亡する可能性も否定できないため、裁判所としては保釈を認めづらいでしょう。’19年には日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が保釈期間中に楽器機材の箱に身を潜めて海外に逃亡した例もあります」(前出・社会部記者)往生際の悪さが、自らの首を絞めることになるかもしれない。
2023年07月10日「しばらく前にテレビやってた頃に、言いたい事を言えなかった時があったじゃん。事務所の中にいて、テレビの中にいて、影響力も経済力も組織力もない中で、自分の意見って届けられないものなんだなって思って」7月9日に更新した自らのYouTubeチャンネルで、こう語ったのはオリエンタルラジオの中田敦彦(40)。相方・藤森慎吾(40)の自宅にアポ無しで訪問し、世間を騒がせた松本人志(59)への批判を反省した。「総合的に判断してミスったなと思った」と切り出した中田は、「言ったこと自体は考えていることだから、別に何か間違ってたなとか、謝んなきゃなっていうことはないんだけども。やり方であるとか。なんせね、弱点がすごいわかった、中田の」とコメント。そして冒頭のように語ると、「2017年~18年ぐらいからかな。5年ぐらいかけて組織力、経済力、そして影響力。この3つをなんとか伸ばしたい(と思った)」「自分の組織を作って、自分の経済的自立で。自分のチャンネルで影響力を持って、改めて世間に自分の意見をぶつけてみようと。で、ぶつけてみた」と、“松本批判”の真意を明かした。その結果、自らに「人間力と精神力が足りない」と気づいたという中田。藤森が「本当に大事な気づきだと思うし、素直にそれを認めるということは評価したいです」と理解を示すと、「誰に謝るべきかっていうと、藤森慎吾さんに謝ろうって気持ちはある。本当にご迷惑おかけしました」と詫びた。また、松本に対して“審査員をやりすぎている”と批判した中田だが、自らと松本の“違い”を次のように考察。「今までの人生で、どういう人との触れ合いの仕方をしてきたのかが如実に出た。松本さんに恩がある人がすごい多いってことで、松本さんの人間力に私の人間力が及んでないっていう現状。これを受け入れなければいけない。審査員をやりすぎている云々とかっていう問題以前に、そこを私は伸ばさなきゃいけないなという風に思った」“自分の意見に耳を傾けてもらうには人間力を上げなければいけない”と考える中田は、「本当にテレビの悪口はもう言わない」「謙虚にいきたい」と宣言したのだった。■中田の“懺悔”に批判続々「もう遅いよね」「本人に謝るのが先じゃない?」遡ること5月29日に投稿したYouTube動画で、松本に向けて「審査員ちょっと何個かやめてくれないですか」と呼びかけた中田。さらに「松本さんに対して何も物が言えない空気ってすごいある」とも述べ、「これ見てる粗品くんどう思う?」とお笑いコンビ・霜降り明星の粗品(30)に語りかけていた。しかし、中田の「提言」は支持を得るどころか、大炎上する事態に。粗品の名前を出された相方・せいや(30)は、即座に《真っ直ぐ勝負してないウンコみたいなやつが相方の名前使うな 中田》とTwitterで猛反発。さらに藤森だけでなく、トミーズ雅(63)や上沼恵美子(68)など錚々たる芸人勢も苦言を呈していた。名指しされた松本も、中田に向けたものかは定かではないが《テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん。連絡待ってる!》とツイート。しかし、中田の“事後対応”は、事態を悪化させたのだった。「6月8日に藤森さんとリモート対談した中田さんは『愛ゆえに提言しているわけですから。クレイジーラブ』と語り、悪びれる様子はありませんでした。ですが一方で、松本さんとの“直接対決”については、『直接2人で会ってもそんなに面白くはない』『揉めてるわけじゃないから』と及び腰だったのです。今回の動画では藤森さんに迷惑をかけたと詫びていましたが、松本さんに対する謝罪の言葉はありませんでした。中田さんは今年4月に投稿したYouTube動画でも、大御所芸人たちに向けて『弱ったらボコボコにする』と息巻いていました。今さら謙虚な姿勢を見せても、あれだけ多くの芸人たちの反感を買ってしまったのですから、信頼を回復させるのは至難の業でしょう」(芸能関係者)居住先のシンガポールから帰国し、相方に“懺悔”をした中田。しかし、ネット上では冷ややかな声が相次いでおり、火に油を注いでいるようだ。《もう遅いよね》《謝罪するなら松本さんにだろ》《ダサい、ダサ過ぎ。ギャンギャン吠えてたくせに、あまりに周囲から反感かって、自分の考えを曲げる事態。吠えたんだから最後まで吠えろよ》《人間力とか関係なく失礼なことした本人に謝るのが先じゃない?》自らふっかけたケンカを謝罪した中田。この“全面敗北”がもたらす影響は――。
2023年07月10日7月9日放送の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN)で、有吉弘行(49)がSNSをめぐる不満を漏らした。まず番組序盤で、同日に投稿したInstagramについて言及。有吉は部屋の片隅で体育座りをする写真を添えて、《ラジオ本番前。リハーサルを終えて休憩中。毎週過酷です》と綴っていた。有吉は「リハーサルなんて当然するわけないんだけど。だらだらネットを見ながら、漫画を読みながら、ただただ待っているだけなんだけど」と切り出し、Instagramには「ウソの写真」を載せたという。ところが、真に受けたユーザーがいたようで、「どっかのおじさんか知らないけどさ、『お前だけじゃないぞ』『頑張れや』って」と“お節介コメント”が寄せられたと明かした。有吉は「ブロックしてやりました。しょうもな。インスタでそんなもん求めてないんだよ」「50手前でおじさんからアドバイスもらいたくないよ、インスタに。しょうもな」と不快感を爆発させた。また、同日のテーマは「本の話」。有吉は過去に書店で働いていたというリスナーから寄せられた、“トンデモ客”のエピソードを取り上げた。元書店員のリスナーによると、「読んでみたけど面白くなかった」「なんか思っていたのと違った」「終わり方がしっくりこなかった」などの理由から返金・交換を求める客がいたという。もちろん返金・交換は断ったというが、それなりの頻度で“トンデモ客”が店に訪れることから「こんな大人にはなりたくないな」と思ったようだ。メールを読み上げた有吉は、「いるんだよ、どこにでもそんな奴いるんだよ。ロクでもないんだから世の中なんて。マジでこんな人だらけだから。本当そうよ、世の中って」とブチギレ。さらに「マジでSNSやってたら、本当に一番わかったよ。『あ、こういうクズいるな』っていう。あれが可視化されたよ」と、SNSに重ねてこう不満をぶち撒けたのだった。「今まで闇にひそんでたあいつらが姿を現したなっていうのが、俺、Twitterの一番の功績だった(と思う)。自分が人生を歩んでいくなかで。『いるぞ!こういう奴ら街に』と思ったよね」Instagramは229万、Twitterは771万以上のフォロワーを抱える有吉。発言が注目されやすいがゆえに、ストレスを感じることも多いようだ。
2023年07月10日「娘の(安藤)桃子が、『らんまんのお父さん、みんながすごい素敵って言ってるよ』と教えてくれました。孫も見ていて、『今度、じいじと2人のときに感想を言うんだ』って(笑)」そう話すのは、NHKの連続テレビ小説『らんまん』(月~土8時~)で、主人公の万太郎(神木隆之介)と、妻となった寿恵子(浜辺美波)の仲人を務めた、印刷所の主人・大畑義平を演じる奥田瑛二さん(73)。やかんの口から水を直接飲む初登場シーンの“顔力”が話題を呼んだが、目の前の奥田さんからは柔和な笑みがこぼれている。「万さん(神木)の結婚式で、仲人として高知を訪れた場面でね。祖母のタキ役の松坂慶子さんの存在感がすごかった。僕は江戸っ子の『てやんでい』調の芝居をイメージしていたけど、タキさんを目の前にした大畑は『ハハー』と頭を下げてしまいそうな芝居が自然に出ました」劇中の舞台である高知とは、観光特使を務めるほど縁がある。娘で映画監督の桃子さんは現在、高知に移住している。きっかけは、奥田さんの一言だった。「桃子が監督を務め、僕がプロデューサーを務めた映画『0.5ミリ』(’14年)のロケ地が高知でね。撮影後、桃子が『高知に移住しようと思うんだけど』『そうか僕もそう思う』と言うと、3秒後に『わかりました』と。高知の魅力は、海、山、川、豊かな自然に、昭和が残る町。人の心も温かく、情熱がある。お世話になった恩返しをしたい思いを、娘も感じてたんですね。移住して10年になります」■孫とじいじの高知大冒険!’15年に、奥田さんの初孫となる桃子さんの娘が誕生した。’17年には次女・安藤サクラさんにも娘が誕生し、2人の“じいじ”に。「僕と(安藤)和津さんにとって、孫2人は人生最大のプレゼントです。僕は、両手に孫を抱えられるじいじでありたいので、和津さんに『体力、精神力を鍛え直すぞ』って言うと、『頑張ろうね』って。孫はいとこ同士だけど姉妹のような関係性。今は桃子の娘が8歳、サクラの娘が6歳になりました。孫がくると必ず『今日誰と寝る?』と聞くんです。『今日はじいじ。明日はばあば』って。2人の孫も大きくなって川の字で3人で寝ると、僕は端っこで身動きできないの。それをサクラが見ていて、3人でもゆったり眠れるクイーンサイズのマットレスをプレゼントしてくれました」泊まりにきたときには奥田さんが孫をお風呂に入れてパジャマを着せ、髪の毛もドライヤーで乾かしている。運動会の徒競走の指導も、じいじの役目だ。「僕が指導した年は1着。今年は指導に行けずに3着だった。ほんとうに、孫はかわいい。桃子とサクラの前で、『いや~孫がかわいい。君たちの10倍かわいい』と、つい言葉が出てしまって、『何言ってるの』って、真剣に怒られました(笑)」コロナ禍の非常事態宣言が出たときには約70日間、高知で家族4人で過ごした。「僕と和津さんと、桃子と孫とずっと毎日一緒。もう孫・孫・孫のかけがえのない時間でした(笑)。週末に『じいじと自転車ドライブしないか?明日10時におにぎりとお水と卵焼きを持っていこう』『おやつは?』『内緒でコンビニで買おう』って話し合ってね」和津さんがおにぎり4つをにぎり、卵焼きを焼いてくれた。「2人でリュックを背負って、桃子の電動自転車のうしろに孫を乗せて出発!2つのトンネルを抜けて山を越えて車で30分もかかる海岸へ。誰もいない浜辺、カニがいる磯で遊んでね。孫と2人で海を見ながらおにぎりを食べて。帰りは行きと違う海沿いの道を通りました。じいじと孫の大冒険だよ」孫と触れ合う中で奥田さんの中には、大きな変化が生まれていた。「僕は、好きなことを仕事にして命をかけて生きているからこそ『幸せ』という言葉を封印し意識して言ってこなかった。でも、孫と生きていると、ある日『幸せだな~』ってポロッと出てしまったの(苦笑)。何か自分を縛っていた呪縛の縄が解かれて立ち消えて、すごく楽になったんです」それは、夫婦関係の在り方にも変化を及ぼしたという。「45年も夫婦をやっていると、ついつっけんどんになったり、口げんかになったりもあったけれど、それも減ってきたんです。孫で幸せを知って、なんだか優しくなっている。その理由をひもといてみたんです」すると一つの発見があった。「自分の心に、もっと『間』を持とうと思って。優しくなるための『間』とは何だ?それは、日本語の五十音の『ん』だと。それで何か聞かれたら、心の中で『ん、ん』と間をとるようにしたんです。最初は、『ん』のたびにうなずいてました。こうして心に『ん』の間を入れると、心が柔らかくなり、まったく夫婦げんかにならなくなった。孫ができたおかげです」そしてこの、心の「ん」は、『らんまん』の演技にも生かされた。「カミさんのイチ役の鶴田真由さんから『あんた、何言ってんだい』と言われても、『ん』を心でのみ込んで芝居しているんだよ(笑)。江戸っ子で言葉は荒いけど、心の温かさは『ん』で表現してね」優しい空気が流れる高知で知った家族との幸せ。そんな高知で、監督として撮影した短編映画も公開に向けて進行中だ。恩返しは続いていくーー。
2023年07月10日「火災保険は、火事だけを対象とした保険だと思っていませんか。実は、幅広いトラブルをカバーしてくれます。たとえば、自宅のトイレが詰まって汚水があふれたときには、あわてて水道修理会社を呼んでしまう人が多いと思います。でもそんなときは加入している火災保険の付帯サービスを利用すれば、24時間対応で、無料で提携業者を派遣してくれることも。さらに、賃貸マンションでも火災保険は自分で選べ、乗り換えることも可能。自分にピッタリの便利な火災保険を見つけましょう」こう話すのは“保険のプロ”として活躍するFPの長尾義弘さん。長尾さんに、火災保険でカバーできる損害の例を教えてもらった。「次に紹介するケースはその一例ですが、大手の火災保険の付帯サービスでは、カギ開けサービスなども24時間無料でついている保険が多い。このほか、『汚損・破損』の補償がついていると、不測かつ突発的な事故ならば、床や壁などの建物だけでなく、家財や家電などが破損したときにも修理費や新品への買換え費用がもらえます」(長尾さん・以下同)■知らないと損するこんなトラブルでも補償される火災保険実例7【1】洗濯機のホースが外れて、洗面所が水浸しに。キャビネットや除湿機がダメになった<補償の内容>キャビネット+除湿機15万円の場合、損害保険金10万円+臨時費用保険金1.5万円=合計11.5万円が受け取れる<適用されるために必要な加入時の補償内容>保険の対象:家財/補償内容:漏水などの水漏れ+臨時費用補償特約【2】ロボット掃除機が階段から落ちて、階段に大きな傷をつけた<補償の内容>階段修理費10万円の場合、損害保険金5万円+臨時費用保険金1万円=合計6万円が受け取れる<適用されるために必要な加入時の補償内容>保険の対象:建物/補償内容:不測かつ突発的な事故汚損・破損など+臨時費用補償特約自宅の2階でロボット掃除機を使用中、不測の事態で階段から落下して、階段に傷がついてしまったケース。階段の修理は大掛かりなのでそのままにしてしまいがちではないだろうか。「この場合、仮に階段の修理代10万円を保険会社に請求すれば、修理代の一部として5万円程度、契約時に臨時費用補償特約に加入していればプラス1万円を受け取れるはずです」【3】子どもがテレビにリモコンを投げつけて、テレビの画面が壊れた<補償の内容>テレビ液晶画面交換15万円の場合、損害保険金10万円+臨時費用保険金1万円=合計11万円が受け取れる<適用されるために必要な加入時の補償内容>保険の対象:家財/補償内容:不測かつ突発的な事故(汚損・破壊など+臨時費用補償特約)「故意でないかぎり、液晶画面の交換費用から免責と定めた一定額を引いた差額と臨時費用保険金(特約加入が条件)を受け取ることができるはずです」【4】自宅マンションからオートロックで閉め出されてしまった<補償の内容>24時間対応、無料<適用されるために必要な加入時の補償内容>付帯サービス:暮らしのトラブルサポートサービス(各社で名称は異なる)【5】トイレが詰まって、水があふれだした<補償の内容>24時間対応、無料<適用されるために必要な加入時の補償内容>付帯サービス:暮らしのトラブルサポートサービス(各社で名称は異なる)【6】買ったばかりの15万円の高級カメラを手が滑って落としてしまい修理が難しいというので買い換えた<補償の内容>カメラ買換え費用15万円のうち、特約保険金14万円が受け取れる<適用されるために必要な加入時の補償内容>補償内容:携帯品損害特約【7】近くに雷が落ちてパソコンが壊れたので、パソコンを買い換えた<補償の内容>パソコン交換費用15万円のうち、損害保険金10万円+臨時費用保険金1万円=合計11万円が受け取れる<適用されるために必要な加入時の補償内容>保険の対象:家財/補償内容:落雷+臨時費用補償特約このほか自転車事故で相手をケガさせた場合など、実際に火災保険で補償される範囲は想像以上に広いのだ。「知らなかったという人は、次の4つの項目をチェックし、自分の火災保険の確認から始めましょう」■来年には値上げが予定されている【フルサポートの保険か?】「火災保険は大きく分けて『建物』と『家財』の2つがあります。保険料を安くしたいからと『建物』だけに加入した場合、家具や家電製品などは補償対象外。賃貸に住んでいる人は入居契約時に『建物』の火災保険にだけ加入している場合が多いので、追加で『家財』にも加入するとよいでしょう」【補償範囲の「汚損・破損」に加入しているか?】「火災保険では補償範囲をどこまでにするかを選ぶことができます。『汚損・破損』の補償も含めたフルサポートの契約にしておくことで、紹介したほとんどの補償を受けることが可能になります。なお家電製品の経年劣化による故障などは補償の対象外になりますので注意してください」【どの特約をつけているか?】「火災保険の特約は『臨時費用補償特約』『個人賠償責任特約』など、保険会社によって異なります。なかでも個人賠償責任特約は日常生活の事故によって、他人にケガをさせたり、他人のモノに損害を与え、法律上の損害賠償責任を負った場合に備えるもの。最近、事故が多く報告されている自転車事故による相手への補償のリスクを考えると加入をおすすめします」【申請しないと受け取れない】「水漏れやカギ開けなど緊急を要する場合はもちろんですが、補償を受けるにはまず保険会社に連絡をすることが必要になります。いざというとき、すぐに連絡ができるように保険会社の連絡先は必ずスマホに入れておくことです」もし「汚損・破損」や必要な「特約」に加入していない、また新たに「家財」に契約したい人などは火災保険の見直しが必要になる。「フルサポートの保険に加入し直す場合、保険会社によって保険料が異なるので、同じ条件の“相見積もり”が大切です。次の数社に見積もりし、いちばん安い保険商品を選んでください」【長尾さんおすすめの主な火災保険】<大手損害保険会社の火災保険>・損保ジャパン「THE すまいの保険」・東京海上日動「トータルアシスト住まいの保険」・三井住友海上「GK すまいの保険」<インターネット系の火災保険>・ソニー損保「新ネット火災保険」・楽天損保「ホームアシスト」・セコム損保「セコム安心マイホーム保険」火災保険料は、家の広さや築年数など、さまざまな条件を加味して算出されるため、見積もりをしてみよう。’24年に平均13%と大幅な保険料の値上がりが予定されている。見直すなら今年中がチャンスだ。
2023年07月10日「こうして新たな気持ちで皆さんにご挨拶、そしてご報告できることを大変うれしく思っております」7月7日、YouTubeの生配信でこう語ったのは、King&Princeを脱退した平野紫耀(26)。滝沢秀明氏(41)が立ち上げた株式会社TOBEに合流することを発表した。同じく元キンプリの神宮寺勇太(25)もTOBEとともに活動していくという。「5月22日をもってキンプリを脱退した平野さんですが、今後はソロ、もしくは神宮寺さんとのユニットとして再デビューする予定のようです。生配信の間、平野さんは終始笑顔だったのが印象的でした」(スポーツ紙記者)音楽関係者は言う。「平野さんは業務提携という形で滝沢さんの会社と協力していくと聞いています。弟が代表を務める事務所に籍を置くという話も出ているそうです」5月20日に音楽番組『Venue101』(NHK)にキンプリとして最後の出演を果たし、別れを惜しむかのように号泣していた平野。多忙だったキンプリでの日々が終わり、しばらくはゆっくり過ごすのかと思いきや、脱退からわずか45日での芸能活動再開――。いったい何が彼をこれほど急がせるのか。「いち早く活動を再開したのには、母親の存在があったのでしょう。以前から平野さんは、母を安心させるために仕事をしていると話していました」こう話すのは、平野を知る芸能関係者。彼の芸能活動の背景には、常に母親の存在があったという。「平野さんが小学4年生の頃に両親は離婚。平野さんと弟は女手一つで育てられました。当時から母親に負担をかけたくないと思っていたそうです」(前出・芸能関係者)■「親が死にそうに」再デビューの理由平野は18年10月に放送されたドキュメンタリー番組『RIDE ON TIME』(フジテレビ系)で次のように語っている。「基本頑張っているのは親のためなんですよ。母子家庭なので、僕。一回親が死にそうになっていたので」前出の芸能関係者は言う。「愛知県名古屋市出身の平野さんは、ジャニーズ事務所入所当時は関西Jr.として活動していましたが、人気が高まるにつれて東京での仕事も増えてきました。本格的に東京へ引っ越そうとしたとき、母親が大病を患い、名古屋で入院することになったそうです。本当は母親のそばにいたかったそうですが、仕事のため母親の手術に付き添うことはできませんでした」ダンスの実力が高く評価されている平野だが、それにも母親が大きく関係しているようで……。「平野さんは小学2年生のころからダンスを習っていましたが、母親は練習によく付き合ってくれていたそうです。あるとき、平野さんはダンスの練習のしすぎで膝を痛め、手術が必要になったそう。母子家庭ということもあってか、母親が夜中に『手術代をどうやって捻出しよう』と話していたのを聞いてしまったのだとか。『親を困らせるぐらいなら手術なんてしなくていい』と思い、平野さんは泣いてしまったといいます」(前出・芸能関係者)結局平野は無事手術を受けることができ、芸能活動のなかで、激しいダンスナンバーをいくつも披露してきた。かつて平野は、インタビューでこう語っている。《僕が何か人生で大きな決断をするときの判断材料のひとつに、母親に喜んでほしいってことがある気がします》(「Myojo」22年7月号)■平野を熱望する音楽番組も今回の滝沢氏との合流にも、母親への思いがあったのだろう――。「滝沢さんは、タレントたちがスムーズに活動できるように、テレビ局や企業への営業をすでに開始しているようです。平野さんを起用したいと考えている企業も少なくないようです」(テレビ局関係者)俳優業にも期待がかかる。「日本テレビには平野さんを主演として進めていたドラマの脚本が2、3本あるものの、今後の活動が不透明だったことから白紙に戻っていたそうです。今回平野さんが活動再開したことで、日テレはぜひそのドラマを実現したいと考えているでしょう。音楽番組なども平野さんを熱望しています」(前出・テレビ局関係者)しかし、平野の胸中は少し異なるようで、生配信で平野はこう語っている。「音楽活動だったりライブっていうのを積極的にやろうと考えていますので。全国を回って皆さんのいるところに会いに行けるように頑張りますので」前出のテレビ局関係者は言う。「平野さんは得意のダンスを活かしたラップやヒップホップで“プロのアーティスト”として活動したいといい、レコード会社との話もまとまっていると聞きました。ライブなどの活動がメインになりそうです」今後の活動について模索し、苦悩してきたキンプリ脱退からの45日間。前出の芸能関係者は言う。「膝の手術代で母親を困らせ、号泣するほど申し訳なく思っていたという平野さんですが、『今でもダンスができるのはお母さんのおかげ』と思い出したのでしょう。母親への恩返しの気持ちが再デビューへと背中を押したようです」母への思いを胸に、平野のショーはまだ終わらない――。
2023年07月10日京都市左京区、ビル一室に構えられた小さなクリニック。ここで診察にあたる91歳の心療内科医の言葉が話題となっている。心はカラッと、人づきあいはサラッと、人生はさっぱりとーー人間関係や健康、老いや不調との向き合い方など、さまざまな日常に細やかに光を照らした言葉の数々に、「前向きになれた」「ほっとした」という声が寄せられている。藤井英子医師のはじめての書籍『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)から、一部抜粋、再構成してお届けする。■「衰えること」をほどよく忘れる<衰えていくことを必要以上に恐れずにほどよくつきあっていきましょう。認知症の心配もほどほどに>年齢を重ねてくると認知症への不安を口にされる方も増えてきますが、もし本当に心配なら、まずは専門医に診てもらうのが一番の早道です。介護やご家族のお世話がなくなって、やることがなくなったことを契機に認知機能の低下が一気に進むという方の話も聞きます。私のクリニックでも、ご家族の方々の不安をお聞きして不安解消のためのお手伝いをすることもありますが、多くの場合は、きちんと対処すればよくなります。認知症にならずとも、加齢によって多少なりとも脳の萎縮は生じ、認知機能は衰えるものです。「忘れる」ことが増えていくのは自然な現象。それを過度に気にしても仕方ありません。誰もが通る道として、私自身もほどよくつきあっていきたいと思います。ただ、年齢に関係なく、日ごろから衰えることへの予防策を講じることは大切です。脳トレもいいですが、まずはからだをつくる食事面。たとえば、大豆製品はコレステロール、高脂血症値を下げることに役立つという研究結果もあり、ナットウキナーゼは血栓の防止によい働きをするようです。緑黄色野菜、オリーブオイル、青魚も、積極的に摂取しましょう。よく噛んで食べ、手先を動かし、適度な運動を。私のクリニックでも、患者さんには、そのように養生についてお伝えしています。そして、孤立せず社会との関わりを持つようにし、過去のことや心配事は、ほどよく忘れて、楽しいことや新しいことに挑戦します。一緒に実践するご友人がいると、 なおいいですね。できることをひとつずつ、はじめてみませんか?■「やる気を出そう」を忘れる<ダラダラしてしまうときは、小さなことに手をつけてみます。やれば、やる気が起きてきます>「どうしてもやる気が出ない」と言う患者さんもおられます。やる気を取り戻すには、できない自分を叱咤激励するよりも、日常生活の改善のほうがずっと大切です。すなわち、心をなんとかしようとするのではなく、からだを見直すのです。食生活の改善では、神経伝達物質であるドーパミンの生成を助けるアミノ酸や、脳の疲労を回復させてくれるビタミンB群を積極的に摂取しましょう。また、睡眠の質を上げ、日光を浴びることで、脳を安定させたり活性化させたりする神経伝達物質・セロトニンも活性化します。からだを動かすことは、脳への血流量も増加させます。何かしらやらなくてはならないことがあるときは、少し準備運動をするとよいでしょう。以前、70代の患者さんに「NHKのラジオ体操を1日に1回やるだけでも脳が活性化されますよ」とお伝えしたら、次にいらしたときに「さっそくやってみたら、朝ダラダラすることがなくなりました」と。快活で、明るくなられたのが印象的でした。また、人は、やる気が出たから何かをやりはじめるのではなく、やりはじめたことに対してやる気が出る性質を持っていることが、脳科学の研究でもわかっています。大きなことからやろうとせず、小さなことから手をつけること、あれこれ考える前にとにかく手をつけてしまうのも効果的です。やる気はあとからついてくるものなのですね。■「無病息災」を忘れる<人生後半は、無病息災より一病息災。年齢を重ねてなお完全を求めるより、今あるものに目を向けて、感謝の毎日を過ごしたいものです>神社のお守りにあるのは「無病息災」ですが、年を重ねたら一病息災だと思います。一病息災とは、「ひとつくらい病気があるほうが、かえってからだのことを気遣うことができて、結果長生きもできる」という意味です。病気になったり、心が疲れ果てて起きられなくなったり、年齢を重ねてできないことが増えてはじめて、「ああ、健康って素晴らしかったんだ」「自分に無理をさせてたんだな」と気づくわけですが、年をとって持病が出てきたり、飲む薬が出てくると、健康に気を遣うようになります。病院にも通うので、新たな病気を早く見つけることができて、結果長生きできる――というわけです。無病息災ではなく一病息災。病気にならないようにすることも大切ではありますが、病気になったからといって自分を放り出したり、人生をあきらめたりすることはありません。そのままの自分をいたわりながら、生きていきたいと思うのです。私はおかげさまでこれまで大病はしていませんが、70歳を越えて膝を痛めたことから、正座ができなくなりました。大学時代は茶道部でしたので、お茶会に顔を出せなくなったのは残念でしたが、それまで以上に慎重にいたわるようになりました。年齢を重ねていくうちに、誰もが皆、どこか調子が悪い部分を抱えるようになります。年齢を重ねてもなお完全でいようとしなくていいのです。人は、ないものではなく、あるものを見ることができたら、自然と自分に「ありがとう」を伝え、いたわることができるのだと思います。【PROFILE】藤井 英子(ふじい ひでこ)漢方心療内科藤井医院院長。医学博士。現在も週6で勤務する91歳の現役医師。1931年京都市生まれ。京都府立医科大学卒業、同大学院4年修了。産婦人科医として勤めはじめる。結婚後、5人目の出産を機に医師を辞め専業主婦に。育児に専念する傍ら、通信課程で女子栄養大学の栄養学、また慶應義塾大学文学部の心理学を学ぶ。計7人の子どもを育てながら、1983年51歳のときに一念発起してふたたび医師の道へ。脳神経学への興味から母校の精神医学教室に入局。その後、医療法人三幸会第二北山病院で精神科医として勤務後、医療法人三幸会うずまさクリニックの院長に。漢方薬に関心を持ち、漢方専門医としても現場に立ってきた。89歳でクリニックを退職後、「漢方心療内科藤井医院」を開院。精神科医と産婦人科医としての視点から、心のケアに必要な漢方薬を処方することを人生の役目とし、日々診察に当たる。「心配には及びませんよ」「大丈夫ですよ」という声かけに「それだけでほっとした」という声も多い。精神保健指定医。日本精神神経学会専門医。日本東洋医学会漢方専門医。
2023年07月09日青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!【『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』(フジテレビ系・’86~’87年)】『スケバン刑事』シリーズの3作目。主人公が使う鉄のヨーヨーと次回予告の口上「てめえら、許せねぇ!」(第1作)、「おまんら、許さんぜよ」(第2作)、「せからしか!」(第3作)がブームに。「スケバン刑事の武器といえばヨーヨーですが、私の武器は折り鶴で、最初にプロデューサーさんから説明を受けたときは“これで本当に戦えるの?”と思いました。リリアンが武器だった妹役の(中村)由真は『ほかの武器に変えてほしい』と直談判したそうです」こう振り返るのは、大西結花さん(54)。『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』では、浅香唯、中村由真と共に“風間三姉妹”を演じた。「唯とは歌手デビューが同じ年だったから、歌番組やイベントで顔を合わせることがありました。由真はひとつ年下で、スケバン刑事がデビュー作。初顔合わせのときのあいさつも消え入るような声でした。後から聞いた話だと“先輩2人にいじめられる”とびびっていたようです(笑)」ところが、撮影が始まると一緒に過ごす時間が長く、すぐに打ち解けた。「楽屋ではメーク道具の話をしたり、和気あいあいとした雰囲気でした」■爆発シーンの音と爆風は予想以上の強さ忘れられないのが、笑いがこらえられず、何度もNGを出してしまったこと。「2~3回ならスタッフも笑って許してくれますが、4回、5回となると空気も変わってきて……。私と向き合っている唯と由真は、私が笑わないようにうつむいてくれるんですが、笑うのを我慢して鼻が膨らんだり、唇が震えたりしちゃって。結局17回もNGを出してしまいました」体を張ったアクションも、3人で挑戦した。「第1話に、三姉妹が帰宅する直前で自宅が爆発するというシーンがあるんです。爆破のタイミングは聞かされていましたが、いざ本番となると、音と爆風が予想以上の強さ!放送された映像では、3人とも呆然とした表情になっていたはずです(笑)」極寒の海でアクションに挑戦したことも。「泳げないのに、ボートにロープでつながれて、引っ張られたり(笑)。スタントマンはいたのですが、できるだけ自分たちでアクションシーンに挑戦していたから、生傷が絶えませんでした。歌番組に出るときの衣装がノースリーブだったりすると、青あざを隠すために上着を1枚羽織ったりしていたんです」1年間の放送を終えたころには、“三姉妹”の絆も強まったという。「由真は結婚してアメリカに移住。1年に一度ほど帰国するときには、必ず3人で集まってご飯を食べに行きます。仕事の仲間というよりも、もはや本当の姉妹のような感覚ですね」【PROFILE】大西結花’68年、大阪府生まれ。’84年にテレビドラマ『家族の晩餐』でデビュー後、歌手としても活躍。6月25日、自身のSNSで風間三姉妹が集結したことを報告した
2023年07月09日「坂本龍一さんの訃報は、ネットのニュースで知りました。ご体調がすぐれないのは聞いていましたが、こんな突然に別れが来るとは思っていませんでした。最初は気持ちが追いつかずに、頭が真っ白になるというのは、こういうことかと」語り始めたのは、昨年、メジャーデビュー20周年を迎えた歌手の元ちとせさん(44)。今年3月28日に71歳で逝去した坂本さんとは18年ほど前に出会い、以来、親しみを込めて愛称の“教授”と呼んでいたという。「残されていた新作の映画音楽などを聴くたびに、教授にとって、最後まで音楽がご自分のパートナーだったんだなということを改めて感じています。今もまだそばにいてくれるようで、いなくなった気がしないんです。そう思わせることもまた、坂本さんらしいやさしさなんだと」今年もまもなく終戦の8月を迎えるが、毎年、この時期に、元さんが大切に歌い続けてきた歌がある。タイトルを、『死んだ女の子』という。45年8月6日の原爆投下直後の広島を訪れていたトルコの社会派詩人ナジム・ヒクメットの詩に作曲家の外山雄三が作曲した作品。広島の原爆により、7歳で死んでしまった女の子の声を代弁したものだ。〈あたしは死んだのあのヒロシマで〉と訴える歌詞は、炎に焼かれて死んだ子は、二度と甘いあめ玉もしゃぶれないといった切ない内容に続いていく。元さんは、05年以来、毎年夏にこの曲を期間限定で配信を行い、その収益をチャリティとして寄付してきた。広島、長崎のあの悲劇を二度と繰り返さないという平和へのメッセージが込められた曲をプロデュース、アレンジしたのが坂本龍一さんだった。「この歌を私が再び歌いたいと思うようになったとき、プロデュースなどを“世界のサカモト”にお願いしたいと思ってお声かけしたんです。坂本さんは、すぐに快諾してくださいました」この「再び歌いたい」との発言でもわかるが、実は元さんは、この曲と10代のころに出合っていた。しかし「詞の内容を理解できなかった」と録音をためらい、いわば封印した過去があった。■広島平和記念資料館で衝撃を受けて『死んだ女の子』に向き合った79年1月5日、鹿児島県大島郡瀬戸内町で生まれた元さん。19歳の秋に上京し、数寄屋橋のCDショップでアルバイトをしながら、デビューに備えた。「ちょっとデモ盤を録るから」所属した音楽事務所の当時の社長でプロデューサーも務めていた森川欣信氏(70)からある1曲を渡されたのは、このころのことだ。「それが、『死んだ女の子』でした。単純に、なんで、こんな怖いタイトルの曲をと思いました。歌詞も原爆で幼い女の子の髪の毛が焼けたりするという内容で、正直、私の中ではどういう感情で歌に向き合っていいのかわからなくて。その録音のあとは私自身、歌いたい気持ちも起きないままでした」時間は、少しさかのぼる。デビューしてすぐのことだった。「夏に音楽イベントがあって、広島に行ったとき、初めて広島平和記念資料館を訪れました。正直に言うと、最初はどんなところかわかっていなくて、遠足のような気分で出かけてしまったのですが、一歩、資料館に足を踏み入れたときの温度感や、展示されていた被害の現実は衝撃的でした。原子爆弾の熱線で石段に焼きついて残っていた女の子の影も実際に見ました。当時、私は24歳で自分はもう大人だと思っていましたが、こんな大切な歴史の真実も知らないで大人だと思っていた自分を恥ずかしいと感じたんです」資料館を出て、原爆ドームを見上げながら、同行していた森川氏に言った。「『死んだ女の子』って、こういうことだったんですね」続いて、こう口にしていた。「もう一度、歌ってみたいです」こんな心境の変化があった。「イベントなどでシマ唄を歌いはじめたとき、誰かが拍手をしてくれて、そのときの喜びがそれまで私を歌わせてくれていました。でも、今度は、私の歌を聴いた人が、何かを感じてくれたり、考えたりするきっかけになるような歌手になりたい。そう思ったんです」そこから、『死んだ女の子』のレコーディングの準備が始まる。「この曲をどんなふうに伝えたらいいか、すごく悩みました。そのうち、世界中の人や偉い指導者たちがこれを聴いて、平和について考えてほしいなと思うようになって。そんな葛藤のなかで、“世界のサカモト”にお願いしてみたいと思ったんです」こうして、前出のとおり、ニューヨーク在住の坂本さんとコンタクトを取って快諾をもらった元さんは、日本を旅立つのだった。■坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、広島の歴史について解説した坂本さんは素顔は、とてもおちゃめな方でした」元さんはそう語ったが、その数日後、スタジオの指揮台に立つと一転、音楽家として繊細かつ妥協のない姿があったという。「20人ほどの国籍も肌の色もさまざまな演奏家を前に、坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、原爆が落とされた広島の歴史について解説をしてくれました。それから、『この音楽を、あなたたちがアメリカで演奏するということに大きな意味があるんだ』と、力を込めておっしゃいました。演奏前にしっかり意思統一をして録音を一発で終わらせようとしたのは、弦楽器の奏者にすごくハードな演奏が必要だったので、何回もやらせたくないという坂本さんの心遣いもあって。そういうやさしさは、本当にかっこよかったですね」やがてスタジオの演奏家らの気持ちも高まっていき、そこに元ちとせさんの、平和な世界を心から願うという渾身の歌声が重ねられていく。「二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという思いで、みんなが一つになりました」こうして、元さんの新たな代表曲の一つとなった『死んだ女の子』は、’05年8月5日より配信が始まる。翌日の広島への原爆投下から60年という節目の8月6日、元さんは報道番組『筑紫哲也のNEWS23』(TBS系)において、原爆ドームの前で、坂本さんのピアノの生演奏により『死んだ女の子』を披露。裸足で歌い上げるパフォーマンスは大きな感動を巻き起こした。このあと、09年に長男が生まれた元さんは、生まれ故郷の奄美大島に帰る。その後も、子育てをしながらの歌手業が続く。’11年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、翌年夏の「NO NUKES 2012」には、女性のソロアーティストとしてはただ一人参加して、『死んだ女の子』を歌った。「これも、坂本さんからお声をかけていただきました。『死んだ女の子』をレコーディングしたときも思いましたが、あからさまに戦争反対とかではなく音楽でしか生まれないもの、熱いものを、お互いに同じ温度感で作品に詰め込むことができた。つくづく坂本さんの音楽というのは、人そのものなんですね。彼のやさしさ、愛情、思いやりが、その根底にある」そのやさしさに直接ふれた出来事があったと、元さんは語る。あの、原爆ドーム前での共演が『NEWS23』で放送された8月の夜のことだった。「私も慣れていない生放送で緊張していたんだと思います。歌の前のインタビューのときにガチガチに固まっていたら、横に並んでいた坂本さんが、いきなりギュッと手を握ったんです。びっくりしたんですが、その瞬間、もういいやと、履いていたヒールを脱いで裸足になりました。坂本さんのあのギュッで、吹っ切れたんですね。そういうやさしさも、きっと感性の鋭さからくるもので、周囲の人の感情にも気づいてしまうんでしょうね。本当に貴重な経験でした」アルバム『平和元年』は、元さんが、戦後70年を迎えた’15年夏に発表した。『死んだ男の残したものは』『さとうきび畑』など平和への祈りが込められた12曲で構成され、『死んだ女の子』もこのアルバムで聴くことができる。坂本さんはじめ、幾多の出会いを経て、「唄者」としての自分に新たな使命と覚悟ができた。「坂本さんの人としてのやさしさと反戦のメッセージを、私も一緒の曲作りを通じていっぱいいただきましたから、今度は私が引き継いで、世界中の人たち、そして子供たち世代に、歌を通じて、手渡していきたいと思うんです」昨年のデビュー20周年のアルバム『虹の麓』や記念ライブなどを機に、再び旺盛な音楽活動が始まっている。「原点に戻ってシマ唄ともう一度向き合いたいし、『平和元年』の第2弾もいずれ作りたい。そんな話も、スタッフと始めたところです」【後編】私は唄い続ける坂本龍一さんの魂を…元ちとせが反戦歌『死んだ女の子』に込めた祈りと覚悟へ続く
2023年07月09日近年、実写化される漫画作品が増えている。7月12日から放送が開始される『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)も、ねむようこによる『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて連載中の同名漫画が原作。元カノへの未練から10年恋をしていない赤楚英二演じる主人公が、新たな恋に向けて奮闘するストーリーだ。少女よりも年齢層の高い、ヤング・レディースに分類される女性向け漫画は、同作のように、現実社会におけるリアルな恋愛や葛藤を描いた作品が豊富。『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社)や『東京タラレバ娘』(講談社)など、実写化作品でも人気が出るものが多い。しかしもちろん、実写化作品が必ずしも評価されるとは限らない。女性向け漫画の実写化は、どこでファンの期待を裏切るのか?今回は『少女漫画』を原作とした映画やドラマを対象に、「期待以上だった実写化作品」と「がっかりした実写化作品」についてアンケートを行った。今回は「がっかりした実写化作品」の結果を公表する。3位に選ばれたのは映画『ヘルタースケルター』。原作は岡崎京子による漫画作品。ほぼ全身美容整形をしているという秘密を抱える主人公のスターモデル・りりこが、整形の副作用と仕事のストレスで、追い詰められていく様を描く。‘12年に実写化された映画版は、沢尻エリカ(37)が主演を務めるほか大森南朋(51)、寺島しのぶ(50)、綾野剛(41)といった演技派たちが出演。さらに、写真家の蜷川実花が監督を務めることで話題になっていた。しかし、蜷川による極彩色の映像や演出は賛否を呼び、原作の世界観にあっていない、目が疲れるといった意見やリアリティに欠けるといった指摘が相次ぐ結果に。《原作の暗い部分がなかったから》《映像が派手なだけだった》《おもしろくなかった》2位に選ばれたのは『ちはやふる』。原作は紙・電子あわせた発行部数が2700万部を超える超人気作品。競技かるたを題材とした漫画で、主人公の綾瀬千早がかるた会の”クイーン”を目指して奮闘する。本作が火付け役となり、実際にかるたブームが発生。かるたの競技人口は『ちはやふる』によって3倍に増えたともいわれ、その影響力の大きさを物語っている‘16年に公開された実写映画では広瀬すず(25)がヒロインの千早を、千早の幼なじみである太一と新をそれぞれ野村周平(29)、新田真剣佑(26)が演じたのだが、人気作品ゆえにこのキャスティングに納得しない人もいたようだ。野村と新田自身も、キャスティング発表時に「二人の役は逆では?」といったネットの声を耳にしていたことを明らかにしている。《広瀬すずの演技が作品に馴染めておらず、彼女を前面に押し出した、ただのアイドル作品になってしまっていたため。》《原作が好きだったから実写化して欲しくなかった》《ちはやの役があまり合っていなかった》女性向け漫画の、がっかりした実写化作品ランキング1位に選ばれてしまったのは『のだめカンタービレ』。音大を舞台にし、ピアノ科の野田恵(のだめ)と指揮者を目指す千秋真一の成長をコミカルに描き、シリーズ累計発行部数は3900万部と超人気作品だ。‘06年にフジテレビ系で放送されたドラマ版では、のだめを上野樹里が、千秋を玉木宏が演じ、平均視聴率は18.9%と大成功を収めた。しかし今回のアンケートでは、キャラクターのイメージが違うといったもののほか、千秋がのだめの顔面を殴るギャグシーンが実写にするとキツイという感想が。また、実際に楽器を演奏している人にとっては気になってしまうのか、”演奏が素人”という手厳しい声が寄せられた。《漫画と少し内容が違った》《俳優が合っていないように感じたから》《楽器の演奏シーンでの所作があまりにも素人で興醒めしてしまう》《殴ったりとかの描写シーンが実写では嫌悪を感じた》実は本作は、「期待以上だった実写化作品ランキング」でも1位を獲得している。ファンの多さに加え、楽器を演奏することから、そもそも実写化のハードルが高かったゆえに賛否が分かれたとみられる。今後公開される実写化作品がどのような仕上がりになるかも楽しみだ。【がっかりした女性向け漫画の実写化作品】1位:のだめカンタービレ2位:ちはやふる3位:ヘルタースケルター4位:大奥4位:ホタルノヒカリ6位:海街diary7位:東京タラレバ娘8位:中学聖日記9位:カノジョは嘘を愛しすぎてる9位:逃げるは恥だが役に立つ調査日:2023年7月5日調査対象:20~60代の男女400人調査方法:WEBでのアンケート(クロス・マーケティングのセルフアンケートツール『QiQUMO』を使用)
2023年07月09日7月6日深夜放送の『あのちゃんの電電電波』(テレビ東京系)で、あのちゃんが南海キャンディーズの山里亮太(46)を「嫌いだった」と明かした。番組では、昨年4月に「ano」名義でソロアーティストとしてメジャーデビューを果たしたあのちゃんを密着取材。芸能界での交友関係を深掘りするコーナーで、「嫌いだったけど、最近許した人は?」との質問に山里の名前を挙げたのだ。その理由について、「山里亮太は本当にデフォで嫌い、というか。5〜6年くらい一緒に番組やってて、その時からめっちゃ怖くて」と語ったあのちゃん。続けて、「僕がVTR中に寝たりするとめっちゃ怒る」「他の番組で会った時も、僕がミスったことを皆んながいるのに『あのちゃん、あれダメだったよ』って言ってきて。ホント嫌い」と、山里から怒られたことを明かした。だが、昨年11月に配信リリースされた楽曲『ちゅ、多様性。』のMVに、山里が出演してくれたことで「許した」という。あのちゃんは、「超一瞬で顔も出ないのに出てくれたんだよ。コイツも人間の心があるんだって思えた」と振り返った。このエピソードがネットニュースで報じられると、《テレビの公共の場で『嫌い』と言えるのであれば多分仲がいいんですね》《山里さんを信頼し気に入っているからこその発言》と2人の関係性を汲む声が。だが一方で、遅刻を注意されて反発したことに「逆ギレ」と指摘する声も上がっている。なかには、同じ“タメ口キャラ”のフワちゃんと重ねる声も……。《寝てたのを注意されたりミスを指摘されたから嫌いとか逆ギレじゃん!》《人前で叱るのはいかがなものかと思うけど、収録中に居眠りしてて叱られたから嫌いって、ただの逆ギレですよね》《キャラか何か知らんけど呼び捨てふわちゃんの次はあの》《フワみたいになっていくのだろうか》フワちゃんといえば、’21年9月に放送された『有吉の夏休み2021』(フジテレビ系)で有吉弘行(49)から“遅刻癖”を一喝されたこともあった。ある芸能関係者は先輩タレントとの信頼関係を踏まえた上で、あのちゃんが「第2のフワちゃん」となることを懸念する。「有吉さんはフワちゃんのコメント力を高く評価しているからこそ、“遅刻が理由で番組に呼ばれなくなる”と心配し、あえてカメラ前で叱ったようです。しかし、今年1月にも韓国ロケに3時間遅刻したことが明らかになり、炎上する事態に。山里さんも“親心”から、あのちゃんを人前で指摘したのではないでしょうか。ただ、あのちゃんがブレイクする以前の’17年ごろからテレビ番組で共演してきた2人にとって、“プロレス”のような掛け合いはお馴染みです。6月27日放送の『あののオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)では山里さんをゲストに迎え、『ちゅ、多様性。』のMV撮影を回想。山里さんはMVの出演オファーを受けて、『あの頃まいた種がこんな大輪の花を咲かせた!』と感激していました。とはいえ、フワちゃん同様に叱ってくれる先輩との関係性を知らない視聴者もいます。タメ口や反発する態度ばかりが目立つことに、業界内では“第2のフワちゃんのようにならないといいのですが……”と心配する声も聞こえてきます」テレビに引っ張りだこのあのちゃんを、山里はハラハラしながら見守っているのかもしれない。
2023年07月09日7月12日から放送される『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)。原作は漫画雑誌『FEEL YOUNG』で連載中の漫画作品で、「第13回 ananマンガ大賞 準大賞」受賞するなど評価も高い。また、女性向け漫画の実写化作品といえば、フジテレビで放送されていたドラマ『ミステリと言う勿れ』も、今年9月15日に映画公開が決定している。このように、漫画原作の実写化作品が続々と世に送り出される昨今。果たして、女性向け漫画において評価される実写化作品とはどんな作品なのか?いっぽう、ファンの期待を超えられなかったのはどのような作品なのか?そこで、今回は「女性向け漫画原作」の映画やドラマを対象に、「期待以上だった実写化作品」と「がっかりした実写化作品」についてアンケートを実施。今回は「期待以上だった実写化作品」の結果を公表する。3位に選ばれたのは、『大奥』。’04年から隔月刊誌『MELODY』(白泉社)で連載が開始された、よしながふみによる江戸時代を描いたフィクション漫画。「赤面疱瘡」という奇病により男子の数が激減した世の中が舞台。その世界では、女性が徳川家を継いでおり、女性の将軍と将軍に仕える男性たちが自身の運命に翻弄されていく。描かれている内容が江戸幕府をなぞらえているということもあり、中心となる人物も時代によって移り変わっていく本作品。’10年には柴咲コウと二宮和也を主演に徳川吉宗時代を描く『大奥』が映画化。その後、’12年に多部未華子、堺雅人を主演としたテレビドラマ『大奥有功・家光篇』が放送され、ドラマ終了後には堺雅人と菅野美穂が主演を務める形で続編映画『大奥右衛門佐・綱吉篇』が公開された。堺雅人はテレビドラマ版では家光の寵愛を受ける有功を演じるが、映画版では綱吉に愛される右衛門佐と、別役を演じている。さらに、今年1月からはNHK 総合の「ドラマ10」枠でドラマ化。3代将軍・家光編から物語のラスト・大政奉還までが通して描かれる。すでに放送済みのシーズン1では吉宗を冨永愛が演じたのだが、そのキャスティングには絶賛の声が相次いだ。このように、これまでに何度も実写化されているが本作だが、どの作品も非常に人気が高い。衣装を含めた世界観やキャスティングなど、総じて高く評価する声が寄せられている。《現代劇は比較的実写化は簡単。時代劇は年々難しくなる中、忠実に実写化したのではと思います》《単に原作のディテールをなぞっただけではない、原作の本質部分をきちんと汲み取り描いていた》《菅野美穂が上手だから》《冨永愛が最高》《松下奈緒のイメージが良かった》2位に選ばれたのは、『逃げるは恥だが役に立つ』。’12年から女性漫画雑誌『Kiss』(講談社)で連載を開始した本作は、実写ドラマが’16年10月から12月までTBS系で放送された。ドラマ放送後は「逃げ恥(にげはじ)」という略称で幅広い世代から人気を博し、’19年から続編として漫画連載が再開されたほど。ドラマもスペシャル版が’21年に放送されている。本作品はメインキャストである新垣結衣と星野源を評価する声が多く、「契約結婚」という新しい結婚の形や恋愛模様に、リアリティを感じた人も少なくなかったようだ。《キャストのイメージがはまっていたのと、演技巧者が揃ったことで、内容にリアリティが増したように感じたため》《新垣結衣と星野源が尊かった。素晴らしい演出の数々だった》《俳優が良かった。世界観がぴったりで、二人のやり取りも見ていてハマった》《全世代が観て面白い作品だった。恋愛、結婚に興味がない役に星野源がぴったりだった》《星野と新垣とキャラクターが良かったのかもしれないが、漫画より面白かった》そして、堂々の1位に選ばれたのが『のだめカンタービレ』。’01年から’10年まで『Kiss』で連載された、クラシックをテーマにした青春音楽コメディだ。’21年1月時点で漫画の累計発行部数が3700万部を突破。実写化映画やドラマに限らず、アニメでも大ヒットを記録した人気作品である。実は、「がっかりした実写化作品」でも1位にランクインしているが、これも人気ゆえ賛否が分かれたことが理由だろう。だらしなく天真爛漫なのだめと、完璧主義で生真面目な性格の千秋。同じマンションに住むこの2人の男女を中心に、個性的な音大生の日常やクラシック音楽の世界が描かれている。本作品をきっかけにクラシック音楽への興味を持ったという人は少なくないだろう。実写化ドラマは上野樹里と玉木宏が主演を務める形で、’06年からフジテレビの月9ドラマとして放送が開始された。全11回の放送で平均視聴率は18.9%を記録する好成績。本作品には、実写化によって再現される臨場感たっぷりの音楽や、メインキャラクターへの配役に対する高評価が多く寄せられた。《上野樹里と玉木がぴったり》《ネタ的な面白さもあるけど作品としてちゃんと面白い。漫画が上手い感じにドラマになっててとても良い》《上野樹里の演技が上手く、原作のイメージをよく再現していたと思う》《のだめのイメージと上野樹里さんがぴったりだった。音楽漫画なので、実際に曲が場面で流れるのはよかった》《実写になってキャラクターや楽器演奏場面の魅力がパワーアップされていた》【期待以上だった女性向け漫画の実写化作品】1位:のだめカンタービレ2位:逃げるは恥だが役に立つ3位:大奥4位:ちはやふる5位:海街diary6位:中学聖日記7位:東京タラレバ娘8位:ホタルノヒカリ9位:ヘルタースケルター10位:“カノジョは嘘を愛しすぎてる調査日:2023年7月5日調査対象:20~60代の男女400人調査方法:WEBでのアンケート(クロス・マーケティングのセルフアンケートツール『QiQUMO』を使用)
2023年07月09日【前編】元ちとせ反戦歌『死んだ女の子』原爆ドーム前での共演でふれた坂本龍一さんのやさしさから続くウクライナでの戦争など世界で軍事的緊張が高まるなか、広島の原爆で亡くなった女の子の歌『死んだ女の子』を歌い続ける元ちとせさん(44)。この歌は先日亡くなった坂本龍一さん(享年71)がプロデュースし、自ら指揮をして録音。そこで知った坂本さんの平和への思い。間近で感じた、戦争という過ちを繰り返さないとの巨匠の強い思いとそこに隠された深い愛情を忘れないーー。今年もまもなく終戦の8月を迎えるが、毎年、この時期に、元さんが大切に歌い続けてきた歌がある。タイトルを、『死んだ女の子』という。45年8月6日の原爆投下直後の広島を訪れていたトルコの社会派詩人ナジム・ヒクメットの詩に作曲家の外山雄三が作曲した作品。広島の原爆により、7歳で死んでしまった女の子の声を代弁したものだ。〈あたしは死んだのあのヒロシマで〉と訴える歌詞は、炎に焼かれて死んだ子は、二度と甘いあめ玉もしゃぶれないといった切ない内容に続いていく。元さんは、05年以来、毎年夏にこの曲を期間限定で配信を行い、その収益をチャリティとして寄付してきた。広島、長崎のあの悲劇を二度と繰り返さないという平和へのメッセージが込められた曲をプロデュース、アレンジしたのが坂本龍一さんだった。「お会いする前から、とにかく、まわりのスタッフたちがガチガチに緊張しているのが伝わって、坂本龍一さんってそんなに怖い人なのかなと。私自身は、いつもどおり、先入観を持たずにお会いしたいと考えていました。初対面はニューヨークの、坂本さんが“社食”と呼んでいるイタリアンカフェでしたが、そのときに聞いたのは、それこそ『みんな気をつかって、僕にオファーをしてくる人はそんなにいないんだ』と。だから、私たちの依頼を本当に喜んでくれていた。素顔は、とてもおちゃめな方でした」と、語る元ちとせさん。その数日後、スタジオの指揮台に立つと一転、音楽家として繊細かつ妥協のない姿があった。「20人ほどの国籍も肌の色もさまざまな演奏家を前に、坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、原爆が落とされた広島の歴史について解説をしてくれました。それから、『この音楽を、あなたたちがアメリカで演奏するということに大きな意味があるんだ』と、力を込めておっしゃいました。演奏前にしっかり意思統一をして録音を一発で終わらせようとしたのは、弦楽器の奏者にすごくハードな演奏が必要だったので、何回もやらせたくないという坂本さんの心遣いもあって。そういうやさしさは、本当にかっこよかったですね」やがてスタジオの演奏家らの気持ちも高まっていき、そこに元ちとせさんの、平和な世界を心から願うという渾身の歌声が重ねられていく。「二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという思いで、みんなが一つになりました」■広島平和記念資料館で衝撃を受けて『死んだ女の子』に向き合った79年1月5日、鹿児島県大島郡瀬戸内町で生まれた元さん。19歳の秋に上京し、数寄屋橋のCDショップでアルバイトをしながら、デビューに備えた。「ちょっとデモ盤を録るから」所属した音楽事務所の当時の社長でプロデューサーも務めていた森川欣信氏(70)からある1曲を渡されたのは、このころのことだ。「それが、『死んだ女の子』でした。単純に、なんで、こんな怖いタイトルの曲をと思いました。歌詞も原爆で幼い女の子の髪の毛が焼けたりするという内容で、正直、私の中ではどういう感情で歌に向き合っていいのかわからなくて。その録音のあとは私自身、歌いたい気持ちも起きないままでした」インディーズを経て『ワダツミの木』でメジャーデビューを果たしたのは’02年2月。同曲はオリコン1位となり、80万枚を超えるセールスを達成する。ルーツにシマ唄を持つ、独特の歌唱法で、天にも届くような歌声は「神様の声」とも絶賛された。23歳だった。続く2曲目『君ヲ想フ』もヒットし、ファーストアルバム『ハイヌミカゼ』も1位となり、第44回レコード大賞ベストアルバム賞に輝いた。初の全国ツアーも大成功。快進撃が続いていた’04年1月、ホームページで結婚と妊娠が発表された。そして人気急上昇のさなかに、拠点を沖縄に移した。「スタッフの理解もあって、沖縄と東京を行き来しながらの生活が始まりました」翌05年、長女が誕生。そして、戦後60年の節目でもあったこの年の夏、元さんは、『死んだ女の子』の音源を発表した。「母親になったことも大きかったです。でも、私自身、あの歌を忘れていたわけではありません。いつも頭のどこかにあった。再び歌う気持ちになったのは、広島を訪れたのがきっかけでした」デビューしてすぐのことだった。「夏に音楽イベントがあって、広島に行ったとき、初めて広島平和記念資料館を訪れました。正直に言うと、最初はどんなところかわかっていなくて、遠足のような気分で出かけてしまったのですが、一歩、資料館に足を踏み入れたときの温度感や、展示されていた被害の現実は衝撃的でした。原子爆弾の熱線で石段に焼きついて残っていた女の子の影も実際に見ました。当時、私は24歳で自分はもう大人だと思っていましたが、こんな大切な歴史の真実も知らないで大人だと思っていた自分を恥ずかしいと感じたんです」資料館を出て、原爆ドームを見上げながら、同行していた森川氏に言った。「『死んだ女の子』って、こういうことだったんですね」続いて、こう口にしていた。「もう一度、歌ってみたいです」こんな心境の変化があった。坂本さんの助力を得て、元さんの新たな代表曲の一つとなった『死んだ女の子』は、’05年8月5日より配信が始まる。翌日の広島への原爆投下から60年という節目の8月6日、元さんは報道番組『筑紫哲也のNEWS23』(TBS系)において、原爆ドームの前で、坂本さんのピアノの生演奏により『死んだ女の子』を披露。裸足で歌い上げるパフォーマンスは大きな感動を巻き起こした。「平和であることが当たり前じゃないということを、忘れてはいけないと思うんです。もちろん母親として、自分の子供が戦争に巻き込まれてほしくないという気持ちも大きいです。この歌をきっかけに、その思いが多くの人々に届くといいな、と思いました」このあと、09年に長男が生まれた元さんは、生まれ故郷の奄美大島に帰る。「島に戻ったのは子育てのためというわけではなく、どこかで漠然と“いつかは島に戻るんだろうな”という気持ちがあって、それがそのタイミングになっただけ。とはいえ、本当に、まわりに助けられています。島のお母さんたちも多くが働いていますが、私の場合は、ライブなどで島を離れなきゃならないことが多いのも理解してもらっていて。一度もPTAの役に立ったこともないですが、『いいよ、いいよ』と。子供は、小さなころは勝手にどこかの家に泊めてもらっていて、今日はウチの子はどこなんだろうと(笑)。また、悪いことをしたら、誰かが叱ってくれるという島ぐるみの子育ても、私の幼いころと変わっていませんでした」その後も、子育てをしながらの歌手業が続く。’11年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、翌年夏の「NO NUKES 2012」には、女性のソロアーティストとしてはただ一人参加して、『死んだ女の子』を歌った。「これも、坂本さんからお声をかけていただきました。『死んだ女の子』をレコーディングしたときも思いましたが、あからさまに戦争反対とかではなく音楽でしか生まれないもの、熱いものを、お互いに同じ温度感で作品に詰め込むことができた。つくづく坂本さんの音楽というのは、人そのものなんですね。彼のやさしさ、愛情、思いやりが、その根底にある」■「戦争はいやだ」という作文を書いた娘。自分の歌の意味が通じた喜びを感じてアルバム『平和元年』は、元さんが、戦後70年を迎えた’15年夏に発表した。『死んだ男の残したものは』『さとうきび畑』など平和への祈りが込められた12曲で構成され、『死んだ女の子』もこのアルバムで聴くことができる。「全曲カバーのこのアルバムを作ろうと思ったのは、坂本さんとの共演もきっかけの一つですし、さらには、吉永小百合さん(78)との出会いも大きいです」アルバムの題字を書いたのは、その吉永さん。「広島の平和コンサートに坂本さんとともに呼んでもらったときに、吉永さんとお話ししました。あの方は、戦後と同い年なんですね。『戦争から何年たったかを忘れてほしくないから、年齢を公表しています』と。吉永さんが平和に対する思いを、朗読会などを通じて届け続けていることに心打たれました」そしてもう一つ、元さんの気持ちを後押ししたものがあった。「前年に当時小学3年生の娘が書いた作文のタイトルが『戦争はいやだ』。私は、あんまり教育熱心でもなく、立派なお母さんを目指したこともありません。母と娘というより、同じ一人の人間として互いに歩いているという気持ちできたので。ただ、『死んだ女の子』もそうですが、子供に私の歌について話すときに、戦争で奪われなくてよかった命が奪われることもあるんだよ、ということは常々話していました。幼い娘が聞いて、そこで生まれたハテナが彼女の引出しに残っていて、やがて成長して戦争報道のニュースなどを見たときに、『あっ、ママの言ってたことはこれだったんだ』とつながっていたと知りました。ああ、歌い続けてきてよかったと思えたんです」ウクライナとロシアの戦争も出口が見えないなか、平和への願いを歌い続けている元さんが今、思うこととは。「奄美や沖縄の基地のことも含めて、何も知らないですむことじゃないですからね。いろんな考えがあるのは当然ですが、自分の意志を持つことは大事と思っています。私自身、奄美の歴史をほとんど知らずに育って、ようやく20代になって03年の復帰50年を機に学びました。本土と行き来するのにパスポートが必要だったりする苦労を乗り越えてできた、島の人の絆の強さを知りました。もっと早いうちに理解していたら私の中で何かが変わっていたかもしれない。だから、今の若い人たちにも、そうした歴史などを知っていてほしいと思うんです」昨年のデビュー20周年のアルバム『虹の麓』や記念ライブなどを機に、再び旺盛な音楽活動が始まっている。「原点に戻ってシマ唄ともう一度向き合いたいし、『平和元年』の第2弾もいずれ作りたい。そんな話も、スタッフと始めたところです。『死んだ女の子』は、坂本さんの参加により、国際的にも注目される力のある作品となりました。音楽というものは世界中の人の音が集まって重なり合っても争い事にはなりませんから、そうやってできた歌をこれからも届けていきたいと思うんです」
2023年07月09日《テレビで神田正輝久しぶりに見たけど、めっちゃ痩せてて老いてて、なんか泣きそうになった》《旅サラダ見てるけど、神田正輝さんの痩せ方が気になるね。顔もやつれてるけど、体も薄くなってる・・・。心配だなぁ》《旅サラダの神田さんが見るたび痩せこけてく心配》神田正輝(72)の体調を不安視する声が相次いでいる。生放送の旅行情報番組『旅サラダ』(テレビ朝日系)で司会を務める神田だが、ここのところ白髪が急激に増えたり、頬がこけるなど全体的にやつれ気味なのだ。7月8日の放送でもその様子は変わらず、冒頭のように、またも視聴者からは神田の体調を気遣う声が。また激痩せぶりの背景として、《沙也加さんがお亡くなりになって辛い日々を過ごしていらっしゃるんでしょうね》《沙也加ちゃん亡くなってから神田正輝痩せすぎじゃない?》と、’21年に愛娘・沙也加さんが亡くなったことの影響を指摘する声も以前から少なくない。そのような指摘が上がるのも当然だろう。神田は沙也加さんに全身全霊で愛情を注いできた。’85年4月に婚約を発表した神田と松田聖子(61)。スター同士の結婚とあり、翌年10月に沙也加さんが誕生すると病院で出産会見を開催したほどの注目ぶり。会見で、神田が愛おしそうに沙也加さんの頭をなでたり、頬をちょんちょんつついたりする姿からは、わが子の誕生の喜びを噛みしめていることが伝わってきた。‘87年の年始には沙也加さんを聖子の母に預け、ハワイへ夫婦で旅行に行った神田と聖子。記者から「沙也加ちゃんのことが気になりますね、お2人とも」と聞かれると、「帰っちゃうよ、そういうと」と家にいる沙也加が気になる様子。また、聖子が母になったことについて記者から「正輝さんの聖子さんじゃなくて、赤ちゃんの聖子さんになりますね」とコメントされると、神田は「沙也加の正輝です」と笑顔を見せていた。聖子もまた、「もう抱っこしちゃったらさやちゃん、さやちゃん~~って大変なんですよぉ」と神田の沙也加さんの溺愛ぶりを嬉しそうに語っていた。その後も懸命に子育てをしてきた二人。‘90年10月に行われた沙也加さんが通う幼稚園の運動会にも、二人は大きなお弁当を手に一般の父兄と同じように参加。父親だけで行われる綱引きに参加した神田へ向け、聖子と沙也加さんが「パパー!」と声援を送る一幕も。’16年に中山秀征(55)と本誌で対談した際、神田は「なかなか一緒にいられないから、できるだけね」と沙也加さんが小さい頃は、仕事が忙しいながらもできるだけ一緒にいる時間をつくろうとしていたことを明かしている。「沙也加がうちで誕生日パーティをやっているときに、撮影を中抜けさせていただいて時代劇の格好のまま、プレゼントを渡しに行ったこともあったな」と仕事の合間を縫って会いに行くこともあったようだ。聖子と神田は’97年に離婚するが、その後も沙也加さんへの愛情が変わることはなかった。沙也加さんは’01年から「SAYAKA」名義で芸能活動を開始したが、歌手、女優としての成長も神田は見守りつづけていたのだ。’16年に飲み会の席でとある記者が神田に「沙也加さんは一流のミュージカルスターですよ!」と話しかけた際には、神田は「そうだよな。ありがとう!」と記者の手を握って男泣きしたという。沙也加さんにとっても、神田はたった一人の父親だった。‘17年4月に沙也加さんが俳優の村田充と結婚を発表した時には、沙也加さんはInstagramに神田と村田との3ショット写真を掲載。神田はハワイで行われた挙式にも参列し、沙也加さんとバージンロードを歩いたことが報じられた。’19年12月に沙也加さんが離婚を発表したときも、神田は沙也加さんの心中を気遣う様子。本誌が取材を申しこむと「ごめんね。でもみんなと相談してこの件に関しては何も言わない。そう僕らは決めたんで。申し訳ない。何もお話しすることはできないんですよ」と沈黙を守っていたのだ。35年にわたって大切にしてきたわが子を失った心痛は、他人が推し量れるものではないだろう。多くの人が、ひたむきに務めを果たす神田の姿を見守っている。
2023年07月09日7月7日、元King & Princeの平野紫耀(26)と神宮寺勇太(25)が、株式会社TOBEに合流することが発表された。同社は滝沢秀明氏(41)が立ち上げた新会社で、7月2日には元V6の三宅健(44)の合流が発表されていた。5月22日をもってジャニーズ事務所を退所していた平野と神宮寺。2人の新天地での活動再開は反響を呼び、Twitterのトレンド1位を獲得。同日20時に開設されたファンクラブには入会希望者が殺到し、待ち時間は一時12時間以上にもなったという。七夕の夜に話題を席巻した平野と神宮寺だが、その裏でひっそりと“記念日”を迎えた人物が。‘20年にジャニーズ事務所を退所した手越祐也(35)だ。《みんなー!今日でソロアーティストとしてシナモンをリリースしてから2周年》自身のTwitterにこう綴った手越。七夕は、手越が初のデジタルシングルを発売しソロデビューを果たした記念すべき日だったが……。「7月7日にTOBEが新たな発表をすると事前に告知されており、平野さんと神宮寺さんの合流が明らかになると噂されていました。それだけに、この日は朝からSNSは2人の話題で持ちきりでした」(スポーツ紙記者)かつての後輩の陰に隠れることとなってしまった手越。3月28日に配信された「文春オンライン」のインタビューでは「事務所にいた頃より、はるかに忙しいですね。スポーツのお仕事や音楽活動、ゲーム番組に、打ち合わせや会議も入ってくるので、毎日あっという間です」と語っていたものの――。「芸能活動では窮地に立たされています。ジャニーズを退所した直後に開設したYouTubeチャンネルは当初話題を呼び、170万人を超える登録者がいましたが、今では138万人に減少。10万回再生に届かない動画が目立ちます」(前出・スポーツ紙記者)また“辞めジャニ”のなかでも孤立を極めているようで。「滝沢さんのもとには平野さん、神宮寺さん、三宅さんに続き、元ジャニーズJr.のユニット・IMPACTorsの合流も噂されています。ジャニーズを離れても信頼関係が続いていることがうかがえます。滝沢さんが22年11月にTwitterアカウントを開設した際には、赤西仁さん、山下智久さん、錦戸亮さんが滝沢さんを応援するかのようなコメントを出していました」(前出・スポーツ紙記者)当時、手越も《僕にとって色んな相談に乗ってくれたり、親身になって受け止めてくれた頼れる先輩です。なにも知らない人たちに不仲みたいな記事たくさん書かれましたが…これからもよろしくお願いします》と滝沢について投稿していた。しかし、滝沢の反応はというと……。「滝沢さんは赤西さん、山下さん、錦戸さんの投稿をリツイートして絆の強さを見せていました。しかし、手越さんの投稿には“いいね”はしたもののリツイートはなし。滝沢さんとの距離が遠いのかな、という印象を受けました」(前出・スポーツ紙記者)とはいえ、6月10日に手越がYouTubeに投稿したYOASOBIの楽曲「アイドル」の“歌ってみた”動画は大バズリし、7月7日現在272万回再生を記録している。ジャニーズ時代から知られるその美声で、後輩たちに負けない魅力を発揮してほしい。
2023年07月08日今年2月に中国へ返還されたシャンシャンの最新動画がSNSで公開された。四川省にある中国ジャイアントパンダ保護研究センターで過ごしているシャンシャンは、6月12日に6歳の誕生日を迎えた。大好物のたけのこをムシャムシャと頰張り、空を見上げて満足そうな様子。動画には「シャンシャンが屋外の運動場でたけのこを食べています。パリパリという音を聞いてください」との内容のメッセージが添えられていた。以前動画が公開されたときは「痩せたんじゃない?」とハラハラさせられたが、中国での生活にも慣れてきたよう。一般公開の日程はまだ決まっていないものの、少しふっくらしたような元気な姿を見られて、ホッとひと安心♪
2023年07月08日京都市左京区、ビル一室に構えられた小さなクリニック。ここで診察にあたる91歳の心療内科医の言葉が話題となっている。心はカラッと、人づきあいはサラッと、人生はさっぱりとーー人間関係や健康、老いや不調との向き合い方など、さまざまな日常に細やかに光を照らした言葉の数々に、「前向きになれた」「ほっとした」という声が寄せられている。藤井英子医師のはじめての書籍『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)から、一部抜粋、再構成してお届けする。■「誰かの意見」は忘れる<人の意見に耳を貸すことは大切。でも、気にしすぎないことはもっと大切です。人の意見なんて、本人も覚えていない、無責任なことも多いものです>周囲の声が気になってしまうことは、誰にでもありますよね。もちろん人の意見によって悩みの突破口が見つかることもありますから、真摯に耳を傾けることは大切ですが、あちこちから聞こえてくる、「ただ自分の意見を聞いてほしいだけ」の、無責任なアドバイスに振り回されないようにしたいものです。どんなに親しい間柄であっても、人との間にはいつも「こぶし大」を開ける。自分は自分、相手は相手、と距離を置き、自分の反応を大切にしながらちょっと耳を傾けるくらいがちょうどよいのです。「ああ、この人はそう思っているのか」「そうか、そういう考えもあるのか。自分はそれについてどう思うだろう」と、相手との間に境界線を引くことができれば、「誰かの何気ない言葉」を真に受けて苦しむことはなくなります。以前、クリニックに「会社で自分の悪口を言われているのではないかと不安で眠れません」という方がお越しになりました。お話を聞くうちに、あることないことをあちこちで話すお局さんの存在が見えてきました。私は、「堂々としておられたらいいですよ」とお伝えしつつ、意識が過敏になってしまう心のケアをと、漢方薬を処方しました。うわさ話というのは、槍玉に挙げられている人よりも、不確かな情報で人を貶めようとしている人の品格の問題です。そのような相手のご機嫌をとろうと、自分の大切な時間を注ぎ込む必要はありません。自分の心を守るためにも、さっさと距離を置いて、その人の存在をできるかぎり忘れてしまうことです。■「してあげる」は忘れる<誰かになり代わって、課題を解決することはできません。いい人のふりをして、勝手に取り上げてしまわないことです>「人の悩みごとばかり聞いていて、心が折れることはありませんか」と聞かれることがあります。精神科医として人の心やからだの悩みを診ていると、そのどれもが、自分の人生をあきらめていないからこそ生まれてくる、尊い思いなのだということがわかります。その思いと人生に尊敬の念を抱きながら、自分ができる診療のため、目の前の方に接する日々です。人はそれぞれが自分の人生を生きています。自分は自分であって、他の誰かになり代わることはできない――そんなことを、患者さんたちは教えてくれます。思わず胸にこみ上げてくるような、おつらい環境の話を聞くことがあっても、患者さんの気持ちがわかるとか、自分が代わってそのつらさを解決してあげよう、なんて思うとしたら、それはおこがましい話だと思うのです。私にできるのは、漢方薬を使いながらその問題に向き合える心身を取り戻すお手伝いをすることです。これは診療の場面だけではありません。相手の人生の課題を勝手に取り上げないこと、相手にその問題を解決する力があると信じて、立ち向かおうとするその姿勢を尊重したいな、と思います。人と自分の間にきちんと境界線を引き、相手の人生を尊重することは、どんな人間関係においても大切なことだと思います。■「逃げるは恥」を忘れる<心とからだが限界を超える前に、スッとその場所から離れられる「隠し球」を持ちましょう。「逃げ道」をもっと前向きにとらえていいと思います>「逃げ道」を用意しておくということが大切だと感じることがあります。日本人の美学として、「困難を乗り越えることこそ素晴らしい」という考え方があるように思いますが、それは、あくまでも、よい環境で、自分の心身が健康的に機能しているという前提があっての話です。「この会社を辞めたら他に行くところなんかありませんから」「私がいないと回らないんです」「逃げてはいけないですよね」「責任があるので辞められなくて」――診察室でそうおっしゃる方には、「本当にそうですか?」と問います。自分の心身が壊れてしまう前に、自分を安心できる環境に連れていくことは人生の大切な選択です。目の前の過酷な環境や自分のつらさを見て見ぬふりをするのは、仕事やその環境からは逃げていなくても、自分自身からは逃げているということだと思うのです。「これがダメでもこっちがある」と、逃げ道を持っておくことは、「人生の大切な隠し球」を持つことであり、軽やかに生きる技術でもあります。「ここしかない」「これを成し遂げないと先がない」と思うよりも、「いざというときは、次の場所に行けるから大丈夫」という道があれば、リラックスして目の前のことに取り組めます。いい結果も出て、結果的に逃げなくてもいい状態を生みます。「逃げ道」という言葉を、もっと前向きに、肯定的にとらえてみるといいですね。道は多いほうがよいはずです。【PROFILE】藤井 英子(ふじい ひでこ)漢方心療内科藤井医院院長。医学博士。現在も週6で勤務する91歳の現役医師。1931年京都市生まれ。京都府立医科大学卒業、同大学院4年修了。産婦人科医として勤めはじめる。結婚後、5人目の出産を機に医師を辞め専業主婦に。育児に専念する傍ら、通信課程で女子栄養大学の栄養学、また慶應義塾大学文学部の心理学を学ぶ。計7人の子どもを育てながら、1983年51歳のときに一念発起してふたたび医師の道へ。脳神経学への興味から母校の精神医学教室に入局。その後、医療法人三幸会第二北山病院で精神科医として勤務後、医療法人三幸会うずまさクリニックの院長に。漢方薬に関心を持ち、漢方専門医としても現場に立ってきた。89歳でクリニックを退職後、「漢方心療内科藤井医院」を開院。精神科医と産婦人科医としての視点から、心のケアに必要な漢方薬を処方することを人生の役目とし、日々診察に当たる。「心配には及びませんよ」「大丈夫ですよ」という声かけに「それだけでほっとした」という声も多い。精神保健指定医。日本精神神経学会専門医。日本東洋医学会漢方専門医。
2023年07月08日「ドラマの題字は、いい作品にしたいという気持ちを込めて書きました。採用されたのは何枚も書いたもののなかから選ばれた一枚で、いちばん“無の境地”で書けたものです」そう語るのは、7月12日スタートの新ドラマ『ばらかもん』(フジテレビ系・水曜22時〜)で、自然が美しい五島列島を舞台に成長していく、都会育ちの青年書道家・清舟を演じる杉野遥亮(27)。「書道は小学生のときから得意だった」ということもあり、なんと情報解禁時の番組タイトルは杉野が直筆で書き下ろしたという。「クラスメートのなかでもうまいほうだったので、書初め大会みたいなのがあると、必ず金賞を取っていました。今回、改めて習ってみて感じたのは、書道の世界は奥深く、芸術だということ。自分も表現する身として、清舟とは重なる部分が多いです。頑固なのに素直だったり、子どもっぽい面があるのも共感できます(笑)」また、杉野にとってGP帯連続ドラマ初主演作となる本作。改めて意気込みを聞いてみた。「この作品に参加できることがとってもうれしいので、主演ということはあまり意識していません。もちろんプレッシャーはありますが、スタッフ陣の一生懸命な姿を見ていると、自分も頑張ろうと奮い立っています」そんな彼に「今の気持ちを書にしたためるなら?」と尋ねると、“熱”という答えが返ってきた。「おこがましいんですが、視聴者のみなさんの活力になるような、エネルギーを与えられる作品にしたい。そんな“熱”が、いま自分の中で高まっているんです。同時に、日常で疲れている方々の“癒し”にもなれたらうれしいです」
2023年07月08日SPEEDのメンバーとして一世を風靡した上原多香子(40)に、またもや醜聞が報じられた。上原は’18年、演劇関係に携わるA氏と再婚し、2人の子供を出産。しかし、7月5日に「文春オンライン」が配信した記事によると、若い男性と親密な関係に。すると、そのことを知ったA氏に頭を叩かれるなどし警察沙汰となり、SPEED時代から仲の良かった今井絵理子参議院議員(39)に助けを求めることに。『週刊文春』の直撃に対して、上原は無言を貫いたという。上原といえば、’96年8月にSPEEDのメンバーとしてCDデビューを果たし、華々しくキャリアをスタートさせた。「SPEEDはデビュー当時の平均年齢が弱冠13.5歳。メンバー全員が小・中学生であるにも関わらず、大人顔負けの歌とダンスのスキルが大きな注目を集めました。そしてミリオンセラーとなった『STEADY』や『White Love』などのヒット曲を連発。’00年3月に解散しましたが、わずか3年半ほどの活動期間で国民的グループとなりました。上原さんはビジュアル面での人気が非常に高く、SPEED在籍時にはメンバーの中で一番早くソロでCDデビューを果たしました。そのデビュー曲『my first love』は50万枚以上のセールスを記録しています」(音楽関係者)SPEED解散後、上原はその美貌を活かしモデル業をメインに活動することに。’01年から’04年まで資生堂『プラウディア』のCMモデルを務め、’06年には同社の『TSUBAKI』のCMに出演。女優としても活躍し、’03年には連続テレビ小説『てるてる家族』(NHK総合)でいしだあゆみ(75)をモデルにした主要キャストを好演し、更なる脚光を浴びた。またSPEEDは’01年と’03年に期間限定で再結成し、’08年8月に完全復活。そのことが後押しし、上原は音楽業界でも再び注目を集めることとなった。そして’12年8月23日、上原は音楽グループ・ET-KINGのTENNさんと結婚。公私ともに、順風満帆に思えたが、事態は一転する。「’14年9月に35歳の若さでTENNさんが自死しました。上原さんは’15年10月から芸能活動を再開しましたが、’17年8月に遺族がTENNさんの遺書を週刊誌上で公開。そこには上原さんと俳優・阿部力さん(41)が不倫していたことがきっかけとなり、TENNさんが自死を選んだという真相が綴られていました。上原さんは猛烈な批判に遭い、その結果、表舞台から姿を消すこととなりました」(前出・音楽関係者)■生活をスケールダウン…一家で倹約生活に仕事がなくなり、人も離れていった上原。そんななか、現在の夫であるA氏が現れた。「2人で過ごす時間が多くなったこともあり、頼る人の少ない上原さんは次第にAさんにのめり込むようになったといいます。’17年、Aさんが書き下ろした作品で上原さんは舞台初主演を務めており、公私ともにパートナーとなっていました。そして’18年10月、AさんはTwitterで上原さんとの結婚と彼女の第一子妊娠を発表しました」(舞台関係者)結婚当時、《誰が何と言おうと、僕は妻と産まれてくる子供を守りたいと思っております!家族を守ります!もしも家族に、他者からの攻撃が降りかかることがあれば全力で僕が盾になります!》とTwitterに綴っていたA氏。しかし’19年5月、Twitterに《自殺するような子供になったら親の責任なんで、その時はそんな子供にしてしまった自分を責めますよ》などと投稿したことが物議を醸し、所属していた劇団を退団。その後、2人目の子供を授かった一家は慎ましい生活を送っていたという。「芸能活動が好調だった当時の上原さんは優雅な暮らしをしていましたが、生活レベルをスケールダウンし、一家は倹約を強いられていたといいます。上原さんは近年美容家に転身し、企業を立ち上げ、代表取締役に就任。再び華やかな世界に近づいていましたが、そんななか今回の浮気報道が。Aさんが暴力を振るったのなら、その行動は正当化できませんが、いっぽうで上原さんのスキャンダラスな私生活に呆れるような声も聞こえてきます」(前出・舞台関係者)SPEEDのデビューから27年。上原は今、何を思うだろうか。
2023年07月08日大阪北部の北摂地区に位置する千里ニュータウン。北大阪急行電鉄と大阪モノレールの千里中央駅に直結する大型商業施設「せんちゅうパル」(豊中市・新千里東町)での、“ある取り組み”が注目を集めている。大阪メトロと御堂筋線に直通する北大阪急行電鉄の千里中央駅は、1日あたり約72,000人(2021年)の乗降客が利用するという。地下1階~4階まで計145店舗ものテナント数を誇る同施設は、平日は通勤通学で多くの人が往来し、休日も家族連れでにぎわう場所だ。注目を集めた発端は、あるTwitterユーザーが6月下旬に投稿した写真と動画。天井から逆さまにぶら下げられた水玉の赤い傘に、4羽のツバメが止まっている様子が収められていた。すぐ近くのダクト上には雛がいる巣があり、“逆さ傘”がツバメを守る役目を果たしているというのだ。この取り組みに、《これはかわいすぎるよ》《センスいいし、賢いなこれを設置した方》《素敵なモールですね》と絶賛の声が続々。また、同じ場所で目撃したと報告するユーザーもいた。ツバメたちを守る“逆さ傘”は、どのような経緯で設置されたのだろうか?本誌が同施設を運営する「ザイマックス関西せんちゅうパル運営統括事務所」に取材を申し込むと、担当者が詳細を語ってくれた(以下、カッコ内はすべて担当者)。担当者によると、“逆さ傘”の活動をはじめたのは2018年の春だという。「2階のパン屋さんの照明に巣が作られたことがきっかけでした。トレーも設置できず、トイレ入口のためバリアフリーの観点からコーンを立てることもできず、苦肉の策で思いついたのが“逆さ傘”でした。せっかくならビニール傘よりも見栄えのよい傘をと思ったので、子どもサイズの可愛い黄色い傘を買って設置しました。それ以来、傘が最適な場所には設置するなどしています。今年は、赤の水玉の傘に4羽の雛が並び、特にかわいい瞬間が撮れたのかもしれません」■“ツバメを守るだけじゃない”担当者が明かす取り組みの理由「せんちゅうパル」が開業したのは、大阪・吹田市での「日本万国博覧会」開幕を目前に控えた1970年3月(開業当時は「千里サンタウン専門店街」)。今年で53年目を迎えたが、「ツバメがいつから『せんちゅうパル』に巣を作り始めたか、詳しいことは資料も残っておらず定かではありません」とのこと。担当者はそう前置きした上で、「ツバメには帰巣本能があること、そして大きな鳥から守ってもらうために人間が多くいる商業施設をツバメが好むことなどの理由で、毎年子育てをしに帰ってくるようです」と語る。Twitterでは「ツバメに優しい」と同施設の取り組みを絶賛する声が相次いでいるが、そもそもの目的は別のところにあったようだ。「実は保護傘というよりは、第1の目的はお客様や商品に糞被害がでないためと、当施設の美観維持の取り組みです。傘の中も容易に掃除ができるように、紙を敷き、糞が溜まれば紙の交換をしております。2023年度は現時点(7月5日)で、合計4本の傘を設置しました。全ての巣に逆さ傘を設置しているわけではなく、営巣し産卵された場所に応じて対応は様々です。傘を設置できない場所にはトレーを、トレーも設置出来ない場所にはカラーコーンで注意喚起した上で、糞除けシートを設置しております」こうした工夫を施す理由は、半屋外空間に各テナントが軒を連ねて集まる「オープンモール」であることが大きく影響している。「鳥獣保護管理法の観点からもツバメを保護していかなければならない反面、『せんちゅうパル』がオープン型かつ駅直結の商業施設であるため、皆様に快適に過ごしてもらう必要があります。当施設はオープンモールで、野鳥の出入りを完全に防ぐことが出来ません。駅直結で様々な方が利用される施設ですので、ツバメを喜んで見守ってくださる方や、糞被害や鳥が苦手な方もいらっしゃいます。そのため、高所で日々のメンテナンスが行き届かないところや、エスカレーター回りには鳥よけを設置するなど対策を取っております。また、施設の防災システムに営巣されると正常に働かなくなる可能性があるなど、防災の観点から一部の場所は営巣を阻止しなければならない面もあります」■利用客やテナントからは賛否両論…担当者が明かした複雑な胸中そうした背景から発案された“逆さ傘”だが、利用客やテナントからは賛否両論だという。「お客様の反応としては、『ツバメの子育ての様子に癒され、励まされる』という声や『初めてツバメを見て、その流線飛行に驚いた』『いつまでも見守ってほしい』という声もありますが、一方で『糞が自分にかかりそうになった』『急角度かつ高速で飛んできて危ない』『ツバメを排除してほしい』などの声も頂いております。テナントからも、『店舗の看板に巣が作られて迷惑だった』『糞が落ちたりツバメが飛び交っていたりして、巣が作られた店の一角には商品を並べてもお客様が近づかない』『商品に糞がかかって売り物にならなくなった』とおっしゃる方と、『ツバメは糞が困るけれど、お客様が集まって喜んでくれるから許している。千里中央の活気に繋がったらいいと思う』という方とで意見が分かれています」そのため、担当者はTwitterでの反響に「運営として、苦肉の策で行ったことが、ここまで評価いただけたことに、ありがたく嬉しい反面、正直に申し上げると、コメントし難い面もあります」と複雑な心境を明かし、こう続ける。「ツバメの子育ての様子が、『せんちゅうパル』のお客様や今回のように多くの皆様の憩いと励ましになっていることは大変喜ばしいですが、一部は営業支障やお客様への糞の被害、防災設備の問題などもあるのは事実です。今後も、施設管理者としてテナントと施設一体となって、最適なツバメとの関わり方をしていく所存です」人と動物がともに暮らす「共生社会」の実現に向けて、日々たゆまぬ努力が続けられている。
2023年07月08日7月12日発売の2ndアルバム『POPMALL』に全国ツアー、『24時間テレビ』のパーソナリティーと、結成5年目の夏はなにわ男子にとって飛躍のとき。そんな勢いのありすぎるなにわ男子のメンバー3人を直撃!話を聞きました♪ーー目前に控えている“飛躍の夏”への意気込みは?道枝駿佑(20):『24時間テレビ』は、リハーサルから本番も含めて、2~3日は寝られないって先輩から聞いて、ちょっと不安になっています(笑)。高橋恭平(23):俺、起きていられるかなあ(笑)。大橋和也(25):ツアーもあるし、体力面が大変。でも、それを乗り越えたらみんな強くなれると思う!道枝:この夏を通して、少しでも成長できるように頑張りたいな。高橋:夏が終わったとき、自分たちがどう変わっているか、楽しみやな。ーーNEWアルバム『POPMALL』にちなんで、「買い物」にまつわるエピソードを教えて!大橋:Jr.のころは、よく恭平と一緒に買い物行ってたな。高橋:毎回、帰りにボウリング場に寄っていたよね。道枝:俺は、去年の誕生日に大橋くんにジーンズ買ってもらった!大橋:記念すべき20歳やったからね。道枝:初めてお酒を飲んだのもメンバーと。レモンサワー半分で酔っ払ったけど(笑)。高橋:実は俺も、20歳の誕生日は大橋くんと一緒に過ごしていたんだよね。大橋:日付変わる瞬間にお祝いしたかったんやけど、仕事で遅くなっちゃって。恭平、一人でコインゲームしながら待ってたよな。高橋:そろそろやめようかなってときに大当たり(笑)。道枝:そういえば、この3人で一緒に買い物行ったことない。高橋:このメンバーだったら何買いに行く?道枝:家具を見に行きたい!大橋:何が欲しいん?道枝:なんかオシャレなやつ!大橋:漠然としてるな(笑)。恭平、オシャレな店知ってる?高橋:俺、テレビも床に置いてるくらい、家具に興味ないで。道枝:え!テレビ台もない?高橋:ない!大橋:じゃあ、何かおそろいのもの買いに行くのは?道枝:いいね!ちょうど指輪を買いたいと思ってた。高橋:俺もアクセサリーは欲しいな。でもやっぱり、買い物は一人で行きたいかも(笑)。大橋:みっちー、俺たち振られたわ!道枝:実は、俺も一人で行く派!大橋:結局、みんなバラバラやん(笑)。
2023年07月08日