女性自身がお届けする新着記事一覧 (45/893)
雑木林には、高さ40メートルにもなるナラの木が100本以上も並んでいた。埼玉県所沢市と東京都東村山市にまたがる「淵の森」は、世界的名匠・宮崎駿監督(83)にゆかりの深い地だ。「『淵の森』は、所沢市在住の宮崎さんが映画『となりのトトロ』の構想を練った場所の1つです。’96年に宮崎さんが寄付した3億円をもとに、所沢市と東村山市が土地を購入し、監督が会長を務める『淵の森の会』が、植物の生育環境保全や清掃活動に取り組んでいます。宮崎さんの奥さんの朱美さんも主要メンバーの1人です。監督より年上ですから80代後半ですが、いまもよく森で作業をしています。松の木に虫がつかないように、幹にワラをまいたり、活躍しているんです」そう語るのは、市民団体「淵の森の会」事務局長の安田敏男さん。森を守る活動を通じ、安田さんと宮崎夫妻の交流は、27年に及ぶという。「引退すると宣言したり、今回のように復帰してみたりしていますが、結局芸術家というのは、体が動かなくなるまで仕事を続けるのだな、ということが宮崎さんを見ていてよくわかりました」日本時間の3月11日、第96回アカデミー賞授賞式が行われた。「宮崎監督の10年ぶりの長編作品『君たちはどう生きるか』が長編アニメーション賞を受賞しました。21年ぶり2度目の快挙ですが、ノミネートされたとき、盟友である鈴木敏夫プロデューサーも《『千と千尋の神隠し』に引き続き、2度目のオスカーがもらえたら本当に嬉しいです》と、コメントしていました」(映画関係者)83歳で、いまも旺盛に創作意欲をかき立てているという宮崎監督。その癒しの場となっているのが淵の森であり、日々を支えているのが3歳年上の妻・朱美さんなのだ。「宮崎監督と朱美夫人が結婚したのは’65年。アニメ制作会社『東映動画』で2人ともアニメーターとして働いていたのです。いわば職場結婚でした。’67年に長男・吾朗さん、’70年に次男・敬介さんが誕生し、夫妻は選択を迫られることになりました」(前出・映画関係者)宮崎監督はインタビューで次のように語っている。《女房は東映動画時代の仲間だったので、一本の作品にどれだけ労力を費やすか、僕の仕事を理解しています。といっても、実は女房も、絵をずっと描いていたかったのです。結婚するとき、共働きの約束をしました。で、下の子が生まれるまで、僕も子供の保育園の送り迎えをしていましたが、冬の寒い帰り道で、上の子が眠りながら歩いたりするのを見て「共働きは無理」と判断しました》(『中日新聞』’92年1月31日付)作画力に秀で、将来を嘱望されていた朱美さんに、仕事を諦めてもらったことに、《女房には申し訳なかった、と今もそう思っています》とも語っていた監督。その負い目は、結婚から半世紀以上たった現在も消えていないという。「朱美夫人は、作品の鑑定眼も優れており、夫や息子の吾朗監督の作品にも、歯に衣着せず批評するそうです。吾朗監督が手がけた『コクリコ坂から』(’11年公開)に対しても『アニメーションがいまひとつだったわね』という具合で、『アーヤと魔女』(’21年公開)で、初めて褒めてもらえたのです。宮崎監督も、ほとんど褒めてもらったことはないそうです」(前出・映画関係者)■朱美夫人は「絵は私のほうが宮崎よりうまいのよ」朱美夫人は、いまも“アニメ制作のプロ”という矜持を保ち続けているようだ。前出の安田さんは、夫妻の関係についてこう語る。「講演会を開催したとき、『どうしたら、宮崎さんのように素敵な女性と結婚できるのですか?』という質問があったのです。それに対して『自分から5メートル以内にいる女性となら結婚できますから』と答えていて、宮崎さんらしいなと思いました。ぶっきらぼうな言い方でしたが、奥さんとの職場結婚が間違いではなかったという思いを込めた回答だったと思います。宮崎さんなりの愛情表現でしたね。いっぽうで奥さんは『絵は私のほうが宮崎よりうまいのよ』と言っていたことがあります。『でも、結婚したら私が絵を描く仕事を辞めることになっちゃった』と、寂しげでしたね」自宅では、宮崎監督は妻に頭が上がらないという。現在生活している自宅は25年前の’99年に建築され、安田さんも招待されたことがあったが、贖罪のためか奥さん優先の間取りだったという。「『女房のリビングです』と案内された部屋は、テーブルなんかもよいもので広々としていました。『こっちが私の部屋ですよ』と、見せてもらったのは、屋根裏の6畳ぐらいの部屋だったので、奥さんのことをすごく立てているのだなと思いました」’13年に一度引退を表明した際、朱美夫人について聞かれて、「家内には『お弁当は今後もよろしくお願いします。まことに申し訳ございませんが』と言いました」と、答えていた宮崎監督。これからも“恐妻弁当ぐらし”で、不朽の名作を目指していく。
2024年03月11日日曜日朝の情報番組『シューイチ』(日本テレビ系)のVTRに、とある人気アイドルが映り込んでいたことが話題になっている。話題となったシーンは3月10日の朝に放送されたもので、「外国人観光客で賑わうインバウンドの街」とのアナウンスとともに、人で溢れかえる浅草の雷門が映し出された。そんななか、画面左下に、黒いマスクに黒いキャップ、そして黒いジャンパーを着用し、首からカメラを下げた男性が映り込んだ。一瞬の出来事だが、服装や風貌から、《シューイチで左下に野生の京本大我映らなかった?》《野生のきょも(京本)捕獲!》とその様子がSNSで瞬く間に拡散。アイドルグループ「SixTONES」の京本大我(29)ではと指摘する声が相次ぐことに。これを受けて京本は同日午後、自身のXにて《本日、シューイチに野生として出演しました!!もっともっとTVに出れるように頑張ります!》と投稿。京本が本人だと認めたことで、ファンの間では驚きの声があがっていた。《野生の京本大我、ほんものだった》《やはり本物だったんですね!見つけた方すごい》《シューイチ出演お疲れ様》
2024年03月11日《ハイ、無事に復縁に至りました》3月10日、自身のInstagramで元恋人との復縁を明かしたのは俳優の遠野なぎこ(44)だ。これまで3度のスピード離婚を経験してきた遠野。’23年11月に新たなパートナーと婚約したものの、その1ヵ月後に破局。さらに今年2月5日、Instagramで《エヘッ 実は、私彼氏が出来ました》と明かし、その5日後には恋人との2ショット写真も公開したが、同月末にInstagramで破局を報告した。その際、遠野はこう述べていた。《お別れしちゃった。今回も私が悪いの。寂しさに勝てなかった。会えない寂しさ。連絡の頻度が少ない寂しさに負け、お別れして欲しい旨を伝えました。負けて、またマッチングアプリに手を出してしまったり。浮気はしてないけど、自分が逆だったら最悪に嫌だよね》以降、うつ状態や摂食障害の悪化に苦しみ、波乱の日々を送っていた遠野。しかし破局から1週間後となる3月6日、生放送番組『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で「彼とお別れしたんだけど、あまりにも寂しくなって。彼が恋しくて。もう1回デートして復縁を迫って、会ってくれることになって」と告白。続けて「忘れられないのやっぱり!」「土曜日のお昼からデートするの!」と嬉しそうに話していた。そして10日、デートの様子をInstagramで3回にわたって投稿した後、元恋人との復縁を報告。さらに、その喜びをこう綴った。《身勝手な想い、自己完結で一方的にお別れを告げ傷つけてしまいごめんなさいと謝りました。もう二度と傷つけませんと、謝りました。彼は、“その都度話し合おう”と。“安定の不安定さは受け止めるから大丈夫”と。“自分から裏切る事はないから信じて”と。そう言ってくれました。嬉しいです》恋人を《何て、寛容な心の持ち主》と讃え、《彼を傷つけたくない。そんな人間になりたくない。ただ、それだけ》と決意を表明した遠野。そして5時間後、再びInstagramを更新し、こう吐露した。《“本当の幸せ”。“本物の幸せ”。そんな事、私には分からない。経験した事ないもん。安心感とか、全然分からないもん。家庭環境のせいにする訳じゃない。ただ、本当に知らないだけ》続けて《この歳まで、ジェットコースターみたいな生き方をしてきて…世間の皆様からどう思われているか、さすがに分かっています》と綴ると、こう述べた。《私自身に問題がある事も自覚しています。それでも、生きていきたいんです。自分らしく》そんな自戒の後には、《病気とも闘います。治療も引き続きします。ただ、私は他人の生き方を否定しない人間として人生を全うしたい。そう誓う今日この頃です》と決意を明かしていた。
2024年03月11日掃除は大変でした」きみ子さんは、ときに仕事とはまったく無関係な長電話に付き合うこともあるという。「関東に住む、30代と思しき女性からでした。幼いときから関係が悪く交流の途絶えていたお母さんが、急逝したと連絡が来て、彼女は直葬で済ませたんだそうです。でも『ずっと引っかかってる』と言ってました。『戒名もつけてあげなかった』『ちゃんとしたお葬式を出してあげられなかった』と」いしはら葬斎のホームページを見て、自分の胸の内を聞いてほしくて電話をかけてきたという。涙ながらに語る女性に、きみ子さんは優しく、こう諭したという。「いいんじゃない、別に戒名はつけなくても。それで困って戻ってきたって人、私は見たことないもの。それよりも、ずっとわだかまりがあったお母さんを、あなたはきちんと送ってあげた。そっちのほうがずっと大事。偉かったわね」電話の向こう側では女性の啜り泣きが長い時間、続いたという。連日のように、人の死と向き合う石原さんたち。「正直言うと、それぞれの詳細はあまり覚えていないの」ときみ子さん。「引きずらないことが、この仕事を続けるコツなのかも」とも。だが昨年末、引きずらないはずのきみ子さんの胸を、いまなお締めつける、そんな仕事があった。「遠方から車でこっちに来て、自殺してしまった男性がいて。彼のことを迎えにきたご両親と会ったんですけど……。親御さんたちの姿を見ていたら、もう……」朗らかに、インタビューに応じてきた彼女の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。「いつもどおり出て行った息子が、変わり果てた姿で見つかったわけだから。ご両親、警察から引き取った車をそれは丹念に調べたそうです。そうしたら、ドライブレコーダーに、彼の足取りや最期のようすが鮮明に映っていたと……」人生最後の日、彼は大好きな祖母とよく訪れた店にランチに立ち寄るなど、思い出の場所を巡っていた。やがて、いわき市に入った車は、遺体が発見された駐車場へ。目元を拭い、きみ子さんは続けた。「彼は車内で練炭をたいて命を絶ってしまったんですが。ドライブレコーダーには、彼が車窓に淡々と目張りをする様子まで残っていたそうです。それを見たというお母さん、誰に向けてでもなく、絞り出すように言ったんです。『このとき、あの子はどんな気持ちだったの?』って。それ聞いて私、一緒に泣くことしかできなくて……」それまでも、一人さみしく自死した人を、何人も送ってきた。「自ら死を選ぼうとする人に向かって『頑張れ』と言うのは、酷なこととはわかってますけど……」こう前置きしながら、きみ子さんは言葉を継いだ。「自分で選んで、そして逝くことができたってことは、神様の許しが出たってことかもしれないですよね。でもね、あのときのお母さんの、打ちひしがれた姿を見たら、息子さんに『そんな勇気があるのなら』って言ってやりたくなった。『どうしてなの?』って、どうしても思ってしまうんです……」自身も3人の子の母であるきみ子さん。潤んだ目で語るその表情は、すっかり母の顔になっていた。■「震災のご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」創業から1年ほどたった2011年3月11日に発生したのは、多くの人にとって忘れ難い出来事となった東日本大震災。それは、石原さん夫妻にとっても、同じだ。いわき市を襲った地震は震度6弱を観測したものの、石原さんたちのいた好間地区の被害は比較的軽かったという。石原さんたちは、震災翌日からドライアイスを遺体安置所となった総合体育館に運び込むなど仕事を再開。そして、いしはら葬斎では震災の犠牲となった4人を弔うことになった。そこには、孤独死の遺体を見送るときとはまた違った二人の気持ちが込められていた。それは「なんとしても家族のもとに返してあげたい」という、祈りにも似た思いだ。発災から間もない3月下旬から4月上旬にかけて、犠牲となった女性3人の火葬を任された。「思い出すと、いまも涙が出てくる」と充さんは目頭を押さえ語り始めた。「瓦礫の下から発見されたご遺体でした。しかも、亡くなってから、日数も経過していた。それなのに、うちがお預かりしたとき、体は傷だらけで、髪は砂まみれでも、お顔だけは驚くほどきれいだった。3人が3人とも、そうなんです」充さんは、彼女たちの一念が起こした奇跡のように感じていた。「きっと、離れ離れになってしまった家族に向けた『早く見つけて、私はここよ』という強い願いが、お顔だけは状態のいいままで見つけさせたんだな、そう思いました。私が常々『生きてる人と同じ』と考え、ご遺体と接しているのも、そういう経験があるからなんです」翌年にも犠牲者を一人、送った。きみ子さんが振り返る。「震災から1年ほどたって、やっと少し落ち着いてきたころ。警察からの連絡で、市の沖合で見つかったご遺体を預かったんです」海中を1年間も漂っていた遺体。さすがに身元はすぐには判明しそうになかった。充さんが続ける。「そのご遺体に手足はなく、顔の形もすっかり崩れていた。警察はDNAを鑑定し、被災各地の不明者情報と照合する作業をしていましたが、うちに来たときはまだ、どなただかわからない状況でした」身元がわからないまま、この犠牲者を火葬した。それから、およそ半月後。市役所から連絡が入った。きみ子さんは、12年も前のことを振り返りながら、まるで昨日のことのように顔をほころばせた。「ご遺体の身元が判明したんですよ。宮城の南三陸で津波に遭い流されてきた人だと。それを聞いて、私と夫はもちろん、いっしょに収骨してくれた火葬場の職員さんたちもみな、感激して泣きましたよ。『よかった、これでご家族のもとに帰れるね』って。姿形はすっかり変わってしまっても、帰るべき場所に帰ることができて、故人様はきっと、幸せだったと思います」■「私たちには“お墓”はいらない。」「みながみな、直葬や家族葬にする必要もないとは思います。でも、子どもの数も減り、コロナ禍も経て、家族の形もどんどん多様化した現代に、私たち世代や上の世代のいう『一般的な葬儀』とか、『ちゃんとしたお葬式』という考え方にとらわれるのは、もうあまり意味がないと思いますよ」きみ子さんはこう話す。石原さん夫妻が過去に立ち会ったなか、もっとも理想的と思えた葬儀。それは伝統やしきたりに縛られない故人の送り方だった。「奥様を亡くされた70代のご主人が喪主を務めたのですが、考え方がとても現代的で。『戒名も読経も墓も不要、家族でにぎやかに送れれば、それでいい』と。その葬儀は、本当に印象的でした。参列したご家族、みなさんがゆったりと時間を過ごしながら、笑顔で故人様をしのぶ、温かな家族葬でした」取材の最後、石原さん夫妻の思い描く「自分たちの最期」を聞いた。語られたのは案の定、一般的でもなければ、伝統やしきたりも度外視した最期だった。「私たち、献体するって、結婚当初に決めたんです」きみ子さんは愉快そうに笑った。「私も夫も、子どもはいますがどっちも当てにはならないし、当てにもしたくない。二人で『お墓なんていらないもんね』と話をして。それで。献体を申し込んだんです。お骨はみなさんと一緒の永代供養墓に納められることになってます」インタビュー中も、事務所の電話はひっきりなしに鳴った。夫婦二人だけの小さな葬儀社は、今日も、開いている。どんな最期を迎えた人でも、受け入れるために。「はい、いしはら葬斎です」(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日誰にもみとられず、自宅などで亡くなる人は年間約3万人もいるという。また総務省によると、2018年4月からの約3年で、遺体の引き取り手がなかった死亡者は10万5773人にも上った。けっして、珍しいものではなくなった孤独な死。そうして亡くなった人に寄り添い続ける葬儀社が福島県いわき市にある。いしはら葬斎。夫婦二人だけの小さな葬儀社の電話は今日も鳴りやまない。(全2回の1回目)■「おつかれさまでした」。孤独な遺体を見送る夫婦「この人はAさん。まだ70代前半なのよ。早すぎるよねぇ」線香を上げ、手を合わせていた石原きみ子さん(63)は柔らかな笑みとともに振り返ると、まるで懐かしい知人でも紹介するように、棺の中の男性について説明した。どこの家にもありそうな和室の8畳間。ようすが少し違っているとすれば、凍えるほど室温が低いことと、防臭剤の独特な香りが立ち込めていることぐらいだろうか。「普通に眠っているみたいな、きれいなお顔をしているでしょう」棺をのぞき込むと、きみ子さんは「あっ」と小さく声をあげた。「お父さん、Aさんのお顔、やってあげて。お口からちょっと、よだれかな、出てきちゃってるから」声をかけられたのは夫の充さん(68)。「どれどれ」と棺の脇にしゃがみ込むと、小さな道具箱の中から脱脂綿を一つつまみ出し、丁寧にAさんの口元を拭い始めた。石原さん夫妻は、福島県いわき市で小さな葬儀社「いしはら葬斎」を営んでいる。Aさんが横たわっていたのは、この葬儀社の遺体を安置しておくための部屋だ。もともと、二人は大手の葬儀社に勤めていた。立派な祭壇にたくさんの花、大勢の参列者に豪華なお斎(食事)……見栄えのいい葬儀は、当たり前のように高額の料金が設定されていた。そんな葬儀を間近で見てきたきみ子さんは「もっと安価にできないのか?」と長年、疑問に思ってきた。そして、充さんを巻き込むようにして’10年、独立を果たした。以来、スタッフは夫婦二人だけ。だから、余計な人件費はかからない。祭壇や香炉台などは、手先の器用な充さんがホームセンターや100円ショップで材料を調達、自作した。徹底的にコストを抑えた結果、破格の料金の家族葬を実現、提供してきた。すると、思いがけないことに、地元市役所や警察署から、ちょっと“訳あり”な葬儀の仕事が舞い込むように。多くに共通するのは、ひとりきりで最期を迎えた、いわば孤独死した人たち。一般的な葬儀は行われず、石原さんたちが預かった遺体は火葬場に直接運び込まれる、いわゆる「直葬」だ。いま、目の前に横たわるAさんも、じつは直葬で旅立つ一人。そのAさんを気遣うようにして、きみ子さんは声をひそめ、話した。「彼は生活保護の受給者でした。病院で亡くなったけど、誰もいないんです、お身内の方が一人も。だから、火葬の日もAさんを見送るのは、私たち二人だけなんです」Aさんのように、荼毘に付され骨になるそのときすらも立ち会ってくれる者が誰もいない、そんな人は少なくない。充さんは言う。「本当に身寄りがない人もいますが、なかには家族や親族が見つかった人もたくさんいました。でも、役所や私たちが連絡をとると『関わりたくない』と、参列を拒まれることも。というか、最近ではそんな人ばっかりです。だから、多くの場合、火葬場で私たち二人だけで故人様をお見送りするんです」遺体が火葬炉に入れられるとき、二人はそれぞれ、こんなふうに言葉をかけるという。きみ子さんは優しい母のようなまなざしで、「たいへんだったね、頑張ったね。お見送り、私らだけでごめんね。でも、幸せに逝ってね……」いっぽう、充さんの手向けの言葉は、いつも決まって「おつかれさまでした」。「大往生だろうと、若死にだろうと、世知辛い世の中を、そのときまで生き遂げたのは間違いないんです。だから、私は故人様、みなさんに『おつかれさまでした』と」創業からまる14年。独立の1年後に発生した東日本大震災の犠牲者も含め、これまで2千人近い人を見送り続けたきみ子さんと充さん。そう、ここはどんな遺体も温かく迎え入れ、寄り添い、そして送ってくれる。そんな不思議な、小さな葬儀社だ。■「葬儀社、やっから」。妻の一言で脱サラが決まった「私は生まれも育ちも、ここなんです。じつはここ、もとは私の母の実家だったんですよ」いわき市の好間地区にある葬儀社の事務所で取材を始めると、きみ子さんはこう言ってほほ笑んだ。きみ子さんは1961年に生まれた。地元の高校を卒業後、バス会社に就職し、バスガイドになった。「5年間、双葉郡浪江町の営業所に、寮生活しながら勤めました。その間だけです、地元を離れたのは。その後、女性司会者を養成したい地元の結婚式場に『バスガイドなら人前で話すの、得意だろ』と誘われ、転職したんです」転職先で知り合ったのが、最初の夫。きみ子さんは23歳のときに結婚し、男の子3人をもうけた。しかし、その結婚生活は10年で幕を閉じ、33歳で離婚。「ずっと専業主婦でしたが、前の夫が『もう、結婚式場が繁盛する時代じゃない』とよく話していたんです。『この先は葬祭場の時代だ』とも。それを覚えていたので離婚後、葬儀社に職を求めたんです」そこで出会ったのが、やはりバツイチだった充さんだった。やがて二人は再婚。このとき、きみ子さん38歳、充さん45歳。再婚後、充さんが葬儀社でのキャリアを重ねるいっぽう、きみ子さんは退職し、高齢者施設で調理の仕事を見つけ働いていた。そんなある日、きみ子さんは葬儀社時代から顔なじみの写真館の店主に、こんな話を聞かされる。「ご主人、中間管理職だろ。なんか、大変そうだ、上司と部下の板挟みで、いつも疲れた顔してるぞ」夫の身を案じたきみ子さん。ちょうど同じころ、ニュース番組が報じたある事件に目を止めた。「お金がなくて葬儀代が出せないばっかりに、亡くなった妻の遺体を庭に埋めた男性が、死体遺棄の容疑で逮捕された事件でした。それを見て改めて思ったんです。『そんなにお金かけなくても、葬儀はできるんじゃないかな』って」その瞬間、きみ子さんのなかで「夫を会社勤めのストレスから解放してあげたい」「もっと安価な葬儀を実現したい」、この2つの思いが掛け合わさった。「そうだ。だったら二人で新しい葬儀社、始めればいいんだ!」きみ子さんいわく「そこからは、起業のノウハウを猛勉強、二人で独立の準備に奔走した」という。ところが、妻の話を横で聞いていた夫は苦笑いを浮かべていて。「いえいえ、全部妻がひとりで勝手に決めてしまって。私は『会社、辞めたい』なんて一言も。それに、このかた、勉強もなんも……、ただただ私に『葬儀社、やっから』って。それだけですよ(苦笑)」夫のこの言葉に、妻は笑顔をはじけさせた。「あれ、そうだったっけ?ま、私としては、夫の経験さえあれば、どうにかなんだろって(笑)」こうして2010年2月1日、小さな葬儀社「いしはら葬斎」は、その産声をあげたのだが。起業したものの、仕事はなかなか入ってこない。充さんはひたすら事務所で電話番。きみ子さんは居酒屋のアルバイトをして、糊口をしのいだ。■生活保護者の「福祉葬」から行政とのつながりが……最初の依頼が舞い込んだのは、その年の6月。バイトの合間にきみ子さんがせっせと配ったチラシを目にした人からの電話だった。「隣町の市営住宅に暮らす年老いたご両親と、別棟に住む子供さんたち家族。その、70代後半のおばあさんが病院で亡くなって。『自宅に連れて帰って、家族葬をしてあげたい』、そんなご依頼でした」石原さん夫妻は、早速仕事に取り掛かった。遺体を病院から自宅に搬送し、棺に寝かせると、祭壇を飾りつけた。先述した、充さんお手製の祭壇だ。この、初仕事となった家族葬、二人にとって印象深いものに。しみじみとしたようすで、きみ子さんは述懐した。「決して広いわけではないご自宅に、お子さん、お孫さんたち大勢が集まって。お孫さんには『おばあちゃんにお化粧してあげて』と言って、ご遺体と触れ合ってもらったり。そうやって、手をかけたほうが、ご遺族もちゃんと思い出に残るし、故人様も幸せにお別れできると思うんです。もちろん、涙ハラハラなシーンはありましたけど、とてもにぎやかに、ご家族の多くが、笑顔でおばあちゃんを送り出していた。『こういう葬式もいいもんだね』って言っていただけました」好評の理由をきみ子さんは「ご遺族をお客様扱いしなかったからかな」と分析した。充さんも言う。「うちでは、ただ参列すればいいって葬儀はやりません。私ら葬儀屋は送る手伝いをするだけ、あくまでも主役は、ご家族なんです」初仕事から1カ月ほどたった夏のある日、別の市営住宅で息を引き取った男性の葬儀を引き受けた。その打ち合わせのなかで、故人の弟から「兄は生活保護を受けていた」と打ち明けられる。「『それが、なにか?』というのが最初の率直な感想。というのも、私も夫も福祉葬、生活保護を受給している人の葬儀は、それまでやったことがなかったからなんです」「福祉葬」とは、喪主が経済的に困窮状態にある場合や、故人に葬儀代を払える身寄りがない場合に、国が費用を肩代わりし、最低限の葬儀が行える制度。生活保護法でも「葬祭扶助」として定められている。葬儀形式は火葬のみを行う直葬に限られ、費用には自治体ごとに決められた上限額がある。以上のような説明を、市役所の担当者から聞いたきみ子さん。そもそも、小規模で安価な葬儀を執り行うことを目的に起業した自分たちにも、ここにビジネスチャンスがあると考えた。「いわき市ではそれまで、主に全国チェーンの葬儀社さんが、福祉葬を担っていました。でも大手にとっては、あまりもうかる葬儀ではないので、多くの場合、上限額いっぱいの見積もりを出していたと思います。いわき市の葬祭扶助の上限額は当時18万3000円でした」ここでも、石原さんたちは、超破格値の見積もり額で入札に挑む。「金額は言えませんけど、上限額をだいぶ下回る金額。もうけなんか本当にちょこっと。でも、私たちは夫婦二人が食べていければそれでいいという考え方ですから」税金を投入する手前、1円でも安く引き受けてくれる葬儀社は市としてありがたい。そのうえ、いざ任せてみれば、丁寧な仕事ぶりで利用者の評判も上々となれば……。「そこからです。どんどん福祉葬の依頼が入るようになって。さらに行政同士、つながりがあるみたいで。そのうち、今度は警察署からの紹介の仕事も入るように」こうして、いしはら葬斎には、孤独死した身寄りのない人や生活保護を受けていた人、さらに事件や事故の犠牲者、自殺者など、込み入った事情のある葬儀の依頼が次々寄せられるようになった。【後編】小さな葬儀社がみた3.11「東日本大震災で亡くなったご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」へ続く(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日《この度、私たち家族に新しい命が誕生したことをご報告いたします。沢山の方に支えられて平穏な日々を過ごせていることに感謝です。今後も家族三人の生活を温かく見守っていただけますと幸いです》3月9日、菅田将暉(31)と小松菜奈(28)が双方の公式サイトを通じて第一子の誕生を発表。冒頭のように直筆の報告文が掲載され、文末にそれぞれの署名が記されていた。映画『ディストラクション・ベイビーズ』(’16年)やダブル主演映画『溺れるナイフ』(’16年)、『糸』(’20年)などで共演を重ね、’21年11月に結婚を発表した2人。’22年9月下旬にはイギリス旅行から帰国する夫妻の姿を、本誌は東京・羽田空港で目撃していた。順調に結婚生活を送っていたようだが、妊娠発表もなかっただけにSNSでは祝福と同時に驚きの声も相次いでいる。《妊娠すら知らなかったからビックリ!おめでとうございます》《最近小松菜奈見かけないなと思ったら妊娠してたのか!2人の子供とか絶対可愛い子だ》《小松菜奈、妊娠・出産の気配をまったく感じさせず、極端に露出を落とすことなく、さらっと発表するの芸能人としてカッコよすぎるな》そんな小松だが、直前には“ある異変”を見せていた。「’16年からシャネルのアンバサダーを務める小松さんは、昨年3月に2023-24年秋冬コレクションで日本人初となるシャネルのヒロインに大抜擢。会場には菅田さんと仲睦まじく登場し、貴重な夫婦ショットは大きく注目を集めました。ですが今月5日(現地時間)にパリで開催された2024-25年秋冬コレクションには、登場しなかったのです。日本からは是枝裕和監督(61)と茅島みずきさん(19)が参加。昨年10月の春夏コレクションのみならず、今年1月のオートクチュールコレクションのショーにも小松さんの姿はありませんでした。アンバサダーを務め、毎回といってもいいほどショーへは頻繁に足を運んでいた小松さんだけに、彼女の不在を心配する声がファンの間で上がっていました。いっぽう結婚後に映画『余命10年』が公開されて以降、小松さんはドラマや映画にほとんど出演していません。松田龍平さん(40)とのダブル主演映画『わたくしどもは。』が年内の公開を控えているくらいで、最近ではCM出演が活動の大半を占めていました。妊娠、出産に備えて仕事をセーブしていたのではないでしょうか」(芸能関係者)結婚発表時は、《出会った頃から変わらず私達は、戦友であり、心の支えであり、これからは家族になります》と連盟で綴っていた2人。家族が増え、喜びもひとしおだろう。
2024年03月10日回を重ねるごとに反響を呼んでいる『不適切にもほどがある!』(TBS系)、通称“ふてほど”。昭和から令和にタイムスリップした阿部サダヲ演じる“昭和のおやじ”小川市郎が、現在の常識に困惑しつつも、コンプライアンスでがんじがらめになっている現代人に、考えるきっかけやヒントを与える人物として活躍中だ。出演者が突然歌いだすミュージカルシーンには重要なメッセージが込められていたりと、片時も目が離せない。そしてそれ以外にも、現金をティッシュで包むといった1986年当時のあるあるも、当時を知る世代にとっては見どころになっている。そこで、今回は本誌秘蔵写真とともに昭和の芸能界を振り返る。あらためて『ふてほど』が描く昭和のキーワードで懐かしくなって!■昭和キーワード1【マッチ】女子も男子も憧れた完全無欠のスーパーアイドル。「たのきんトリオ」として人気を博し、’80年『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手デビューしたマッチこと近藤真彦。トシちゃん(田原俊彦)とともに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍した。ムッチ先輩にマッチも気づいたようでラジオで反応していた。■昭和キーワード2【お色気深夜番組】1980~94年放送の『トゥナイト』は人気深夜番組で最新トレンドから性風俗までカバー。’82年に山本晋也監督が言った「ほとんどビョーキ」は現在でも知られる流行語。ドラマで小川がよく言う「チョメチョメ」は当時人気司会者だった山城新伍さんが言い始めた。山城新伍の番組ではおっぱい丸出しは当たり前。女優の花園ひろみと結婚離婚を繰り返していた。■昭和キーワード3【テレビドラマ】テレビドラマから、数々の流行や社会現象が生まれた。1983年『積木くずし』は俳優・穂積隆信さんが娘の非行〜更生を描いたベストセラー作品。『積木くずし-親と子の200日戦争-』として放送。1986年『男女7人夏物語』は元祖トレンディドラマとして名高く、最高視聴率は31.7%を記録。この共演で明石家さんまと大竹しのぶはのちに結婚。■昭和キーワード4【アイドル新時代】花の82年組が大人気!『私の16才』でデビューした小泉今日子の愛称はキョンキョン。アイドル豊作の年といわれる花の82年デビュー組。ほかに中森明菜など。『夜のヒットスタジオ』は“夜ヒット”が略称の人気音楽番組で’68~’90年の放送。看板司会者・芳村真理の「どぉもぉ~」と豪華オープニングメドレーが名物。■昭和キーワード5【おニャン子クラブ】『夕やけニャンニャン』から誕生した女子高生メインのグループで、会員番号を言う自己紹介が特徴。現代からすると刺激的な歌詞は秋元康が担当していた。ドラマ内でも小川が「さすが秋元、どうかしてるぜ!」と辛辣コメント。■昭和キーワード6【女子大生ブーム】ラジオやテレビで普通の学生がキャピキャピ活躍!1983~91年放送の『オールナイトフジ』は現役の女子大生が出演していた生放送深夜番組。女子大生ブームの火付け役となった。デビューしたてのとんねるずや片岡鶴太郎が出演。ドラマ第5話で「川島なお美と同じとこ入りたいの」といったセリフがあったが、川島さんは青学在学中に女子大生DJとしてブレイクした。本誌では1982年、青学の門の前でポーズを決める川島さんを撮影。
2024年03月10日「幕末塾に所属してアイドル活動をするなかで、水谷豊さん主演のドラマ『刑事貴族3』で新人刑事役に抜擢されたり、映画に出演したり。そんな時期に『白鳥麗子でございます!』(フジテレビ系)のオファーをいただいたんです」こう振り返るのは、彦摩呂さん(57)。「ボクは当時27〜28歳でしたが、19歳の学生役で(笑)。コメディドラマだから笑いが絶えなくて、雰囲気のいい現場でした」共演者にも刺激を受けたという。「松雪泰子ちゃんは、手足が長くてとにかく美人。コメディの表情は“白鳥麗子”のイメージにピッタリで、リハの段階から共演者と一緒に爆笑していました。萩原聖人くんは、当時の若手ではずば抜けた演技力の持ち主。原作が漫画ということもあって、泰子ちゃんやボクはデフォルメして演じていたのですが、それを浮き立たせるため聖人くんはあえてリアリティのある演技でした。ボクの恋人役の小松千春ちゃんは今どきの女のコという感じで、現場でも話題の中心でした」あるとき、宴会のシーンで彦摩呂さんが、小松演じる京子を呼ぶシーンがあったが、つい「千春ちゃん」と呼んでNGに。「仲がよすぎて、つい本名を。それで千春ちゃんに『マロピーの本名は?』って聞かれて『原です』と答えたら、それがすごくおもしろかったみたいで、笑いが止まらなくなりました」もっとも思い出に残るNGは、公園のベンチに座っていた松雪が、広げていた新聞をたたんで立ち上がった際、鳩が一斉に飛び立ち、さっそうとその場を立ち去っていくシーンの撮影でのこと。「鳩を集めるために、泰子ちゃんも一緒になってポップコーンをまいていました。いい具合に鳩が集まり、絶妙なタイミングで鳩が飛び立って、素晴らしい画が撮れたのですが……。泰子ちゃんが立ち上がったとき、うっかり背中に隠していたポップコーンの袋が映りこんでしまったんです。もう鳩もおなかいっぱいで、2回目のシーンを撮るのが大変でした」ドラマは高視聴率をたたき出し、放送終了の8カ月後には早くもパート2が放送された。1995年には映画化も実現。「この世で姿かたちが大きく変わるのは、エビかカニか彦摩呂かと言われるほど。ボクは当時、痩せていて、主役を支える、ちょっとコミカルな2.5枚目俳優だったんです。そんな、芸能人生での最大の功績を、今でもプロフィール上に残すことができるのは、『白鳥麗子〜』のおかげなんです」
2024年03月10日「R-1には夢があるんですよ!」3月9日、ピン芸日本一決定戦『R-1グランプリ2024』(フジテレビ系)が生放送され、史上最多となる5457人のエントリーから、街裏ぴんく(39)が優勝。22代目の王座と賞金500万円を手に入れた。街裏は芸歴20年目で、今回初の『R-1』決勝で栄冠をつかんだ。「今回の『R-1』はエントリー資格が変更され、芸歴制限が撤廃されました。そのため、 “ホラ漫談”という話芸で芸人仲間からかねて評判の高かった街裏さんが選ばれたのでしょう」(演芸ライター)本誌は昨年6月、街裏に、彼のリアルな半生について話を聞いている。R-1優勝を機に、再編集して緊急公開する――。■デビュー当初は“ぼやき芸”だったが、東京ではウケず…「素直に自信がつきましたね。色んな人がいる大会で、今までの人生の中でも優勝できるってなかなかない経験だったので」こう語るのは、お笑い芸人・街裏ぴんく。ファンタジックな“ホラ漫談”でファンを増やし、22年に芸歴11年以上のピン芸日本一決定戦「Be-1グランプリ」で頂点に輝いた(以下、カッコ内は街裏)。大阪で活動していたコンビ解散後、街裏がファンタジックな“ホラ漫談”を始めたのは’08年。当初は実際の出来事をベースに捲し立てるという“ぼやき芸”だったが、現在のスタイルを確立するまでは試行錯誤の日々があったという。「ぼやき芸は大阪ではウケていたんですが、’12年に上京してからは全然ウケなかったんです。落ち込んでいた時に、『浅草リトルシアター』がエントリー代なしでも1日3、4回出演できると知って出始めました。その時に漫談以外やりたいことを全部捨てたんですね。『どうやったら東京で漫談がウケるんや』と模索して、色んな漫談が出来たんですよ。徐々に自分の話芸も上達してきて、ぼやきがウケるようになってきたんです。でも、本当にやりたいのは今やっているファンタジックな漫談だったんですが、とにかくウケなければ生き残っていけなかったんで。その時に『俺は漫談家として生きていくんや』と強く思いましたね」浅草の舞台以外に月20本ものライブをこなし、ストイックに芸を追求していた’14年ごろに転機が訪れる。「月20本やってるライブに『Aマッソ』が面識のない状態で見に来て、僕も彼女たちの存在を知ってるから『なんでAマッソ来てんねん!』って驚いて……。それから’15年に入って少し経った頃、Aマッソの主催ライブ『バスク』に誘ってもらったんですよね。彼女たちは僕がどんな漫談をやるのかを見に来て、その上でライブに呼んでくれたんです。200本中にあるファンタジー漫談のなかから、お客さんに『どれが面白かったですか?』と感想を聞いて統計を取っていたんです。その統計で一番評価が高かった且つ、自分がやりたいネタとして、『ホイップクリーム』っていう漫談を選びました。それを『バスク』で披露したら、人生で一番ウケたんですよ!自分の芸風という意味では、この時が本当に転機ですね。『ファンタジー漫談でイケるぞ!』って自信がついて、『それしかやらん、それを追求する』って決意しました」■ユニットを組んで「M-1」に挑戦も「やっぱり自分はピン芸人なんだな」しかし、’08年から毎年エントリーし続けてきた「R-1」では苦戦が続いていた。「毎月20本のライブをやっていた’14年は、2回戦落ちでした。漫談を200本も作ってきたのに、2回戦で歌ネタをやってしまったんですよね。やっぱり自信がなかったんですよね、2回戦っていうぶち破ったことのない壁に。『R-1』という老若男女にウケなければいけない場所に、持っていくような漫談がなかったというか……。僕を好きな人は笑ってくれたんですが、歌ネタで落ちてしまいめちゃくちゃ悔しかったですね。自信を持ってからは進めるようになって、’19年に初めて準決勝までいけたのが最高成績です」’21年の「R-1」の出場資格変更を受けて、同年には元「ジャリズム」で現在は本誌記者としても活動するインタビューマン山下氏(54)とユニットを組み、「M-1グランプリ」にも挑んだが、思うように爆発を起こせなかったという。しかし、この経験によって、ピンで活動することの意義に改めて気づくことになったようだ。「やっぱり自分はピン芸人なんだなって思いましたね。1人で何もかも考えて、1人でしゃべって、スベるもウケるも全部1人がいいなって思いました。横に人がいないからコンビネーションを見せなくていい分、気を使わずにアドリブも言える。思いついちゃったら言える。それでスベるもウケるも自分、というのが楽しくてしゃあないですわ。僕は漫談が天職です。やっぱり芸人は100%出せないとダメだと思うんですよね。何かに気を使って、70%、80%しか出てない状態ってもったいない無いと思います」■「深夜の4時半くらいに僕の番組ができたら、もう死んでもいい(笑)」他の芸人と比較してもハイペースに独演会を行うなど、精力的に芸を磨いてきた街裏。当時、本人は手応えについてこう語っていた。「色んな種類の漫談を作ることによって、どんどん成長していってると思うんです。自分でも驚いてますね、ファンタジーの1人しゃべりでここまで色んな種類のネタが作れたっていうのは驕りですけど。やり始めた時は、ここまでできるとは思ってなかったかもしれません。よくないところを削ぎ落とし続けてるから、進化してる。円を描きながらどんどん上にあがっていってるイメージです」そんな街裏に「もっとも影響を受けた芸人は?」と尋ねると、「ダウンタウン」という答えが。「『ガキの使い』のハガキトークというコーナーで、視聴者が投稿した無茶振りに対して松本さんが嘘で話を作っていく。それを浜田さんがツッコんでいくのが好きでした。録画したビデオを夜通し一人暮らしの家で見て、寝る時も流してましたね。2人のあの感じ、ネタの内容、全て含めて大好きで。あれが『嘘をしゃべる』ということに対して、魅力が湧いた瞬間でした」最後に、今後については「漫談でやってきたい。絶対いけると思ってるんで深夜の4時半くらいに僕の番組ができたら、もう死んでもいい(笑)」と語っていた街裏。この時の予感を見事、現実のものとした街裏の時代はすぐそこまで来ている――。
2024年03月10日国民的人気アニメ『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子の声を務めている声優TARAKOさん(本名非公表)が4日未明に亡くなったことが9日に明らかになった。「『ちびまる子ちゃん』の放送が30年以上続くなかで、原作者のさくらももこさんや、共演者で鬼籍に入った人もいます。自宅には、仲間たちの写真を飾ってある“天使コーナー”と呼ぶ一角を作っていたのです。インタビューでは“天国に行けば、天使になった友人たちにも会えますから”と語っていましたが、シャイで優しいTARAKOさんこそ、まさに天使のような人柄だったのです」(テレビ局関係者)TARAKOさんは本誌1991年1月8・15日合併号で、霊能者・宜保愛子さんと対談している。当時、すでに『ちびまる子ちゃん』のヒットにより大人気だった彼女だが、10年間も悩んでいたことがあった。対談を一部抜粋すると――。TARAKOさん「子猫というと、いまも気になっていることがありまして。いまから10年くらい前に、私、学生だったんですけど、家のそばの川原の土手のところを歩いていると、ミーミーと鳴く声がしたんです」宜保さん「捨て猫ですね」TARAKOさん「ええ、草の中をのぞくと、3匹の子猫がもう息もたえだえで。とても自分一人ではどうにもならないから、友達に電話をして車で来てもらって、獣医さんのところへ行ったんです」宜保さん「なかなかできることじゃないわ、おやさしいのね」TARAKOさん「やさしくなんてないんですよ。そのあとがよくなくて、私、そのとき、全然お金の持ちあわせがなくて、とても治療費なんて払えない状態だったんです。だから、獣医さんの玄関のところに、その3匹を置いて、呼び鈴押して“お願いします”って帰ってきちゃったんですよ。ほんとうは最後まで面倒みてあげたかったんですけど……」捨て猫たちの安否を10年も心配していたというTARAKOさん、宜保さんから猫たちが無事に治療を受けて元気になったことを聞くと、思わず大きな声を上げて喜んでいた。対談でTARAKOさんは、このほかにも亡くなった所属事務所社長夫人への感謝などについて語っている。晩年は4匹の保護猫を飼っていたというTARAKOさん。優しさと感謝を忘れない63年の生涯だった。
2024年03月09日Xで人気沸騰中の人間まおがミドルエイジのモヤモヤを描く連載コミック!【あらすじ】結婚後、実家と距離を置いて過ごしていたようこ。あるとき、母親から唐突に「介護をしてほしい」と連絡が。しかし、ようこはどうしても受け入れられない。根深すぎるその理由とは――?《つづく》> 過去のお話はこちらから読めます!【PROFILE】人間まお’18年に『くず系女子。』(KADOKAWA)でデビュー。現在はサルのあげおと共存の日々を送りながら、日常のあるあるをゆる~く描いた漫画ブログが大人気。4月から『おはスタ』(テレビ東京系)で「あげおとティム」のアニメ放送がスタート!
2024年03月09日現在放送中の『院内警察』(フジテレビ系)に続き、3月3日からは『連続ドラマW坂の上の赤い屋根』で主演を務めるなど、引っ張りだこ状態の桐谷健太(44)。“イヤミス”の名手である真梨幸子の小説が原作のダーク・ミステリーということで、どこか怪しげな雰囲気での撮影に挑戦してもらった。「最初にお話をいただいたとき、この主人公を自分が生きたらどうなるんだろう? と興味をそそられました。予想を裏切る展開は見応えがあると思います」『連続ドラマW坂の上の赤い屋根』(毎週日曜22時〜WOWOWプライム、WOWOW4Kで放送中。WOWOWオンデマンドで全5話一挙配信中)で、主人公の出版社の編集者・橋本涼を演じる桐谷健太。人間の心の闇や二面性を描く今作で、橋本という人間像をクランクイン前から染み込ませ、本番では直感的に演じられるように心がけたという。「一見、普通の人に感じるんですが、見る人によっては少し違和感があったり、あるいは不気味さがあったり、見え方が違う人間にしたいと考えていました。この作品のテーマにも通じる“人の数だけ真実がある”というところは常に意識していたと思います。現場に入ったら、ほとんど何も考えずにやれたので、そこは自分のなかでうまくハマった感じはしています」役を作り込んで現場に向かうときは、すでに橋本になっていたのか?「全然!桐谷健太です(笑)。昔、役者を始めたころは、プライベートでも役になりきっているのがカッコいいと思っていたんですよ。でも、友達に『それ嫌やわ、お前じゃないやん』って言われて反省して(笑)。もちろん役を生きるための準備はありますが、理想は『よーい、スタート』で全く違う人物になって、『カット』の声で“自分の真ん中”に戻るというのを目指しています。役以外のところは楽しい兄ちゃんでいいんです(笑)」40代で実力派の地位を築いている桐谷。俳優としての目標や課題は「特に考えていない」と語るが、その真意は?「日々の些細な出来事に感動して生きていきたいと思っているんです。それができたら、役者をやっていようが、何をやっていようが最高ですよ。日ごろから感覚を研ぎ澄ましていれば、おのずと演技にも変化が出てくると思っています」また、仕事で全力を発揮するために日常生活で気をつけていることを聞いた。「しっかり寝るとか、しっかり休む。これはとても大切にしています。これまでの自分は、本番にどれだけ力を発揮できるかということに重点を置いてきたんですが、しっかり休めば本番は勝手に自分がやってくれる。脱力することも大事だと実感しています」(スタイリング:岡井雄介、ヘアメーク:岩下倫之/Leinwand、衣装協力:ヴェルサーチェ/ヴェルサーチェ ジャパン)
2024年03月09日『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』など数々の人気作品を生み出した漫画家の鳥山明さんが、3月1日に急性硬膜下血腫によって亡くなった。68歳だった。鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」は、1週間経った8日に逝去を公表。追悼コメントとともに、すでに近親者のみで葬儀を執り行ったことを報告した。同じく追悼コメントが発表された集英社「少年ジャンプ」の公式サイトでは、鳥山さんと親交のあったゲームデザイナー・堀井雄二氏(70)、漫画家の桂正和氏(61)、尾田栄一郎氏(49)、岸本斉史氏(49)によるコメントも掲載された。鳥山さんの突然の訃報に、漫画界の枠を超えて日本だけでなく世界中で偲ぶ声が溢れている。だがいっぽうで、’86年の放送開始からアニメ『ドラゴンボール』シリーズで主人公・孫悟空のCVを務めてきた声優・野沢雅子(87)はコメントできる状態にはないという。複数のメディアによれば、野沢が所属する「青二プロダクション」は取材に対して「あまりに突然の訃報で、本人も強いショックを受けており、今すぐにはコメント出来る状況にございません」と回答している。悲しみに暮れている野沢に、SNSでは《野沢さんがシンプルに心配力を無くさないでほしい》《野沢さんからしたら家族が亡くなったような感じでしょう…言葉が出てこないですよね》と慮る声が続々。そうした声は“仲間”からも。アニメ『ドラゴンボール』シリーズで主要キャラクター・ピッコロのCVを担当してきた古川登志夫(77)は、同日に更新したXで野沢をこう思い遣っていた。《マネージャーさんからもたらされた鳥山明先生の訃報……「マコさんに次いで今登志夫さんにお報せするのですが……」真っ先に頭に浮かんだのは「マコさんはどんなお気持ちだったろうか?!」ということだった》■オーディションで鳥山さんが絶賛「悟空の声はこの人しかいない!」野沢といえば悟空だけでなく、息子の悟飯、悟天と親子3人のキャラクターも演じ分けてきたレジェンド。’19年6月の本誌インタビューでは、その喜びをこう語っていた。「親子3代をやれるなんて、こんな最高なことはないです。同じキャラクターでも子どもから大人になると声優を替えるものなんですよ。台本に自分の名前を見つけたときは本当にうれしかったですね」『ドラゴンボール』において欠かせない存在だが、昨年9月に出演したラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』(J-WAVE)内では、“孫悟空秘話”を語っていた。「野沢さんは『ドラゴンボール』のオーディションで、鳥山先生から直々に悟空役に指名されたそうです。当時オーディションでは声優陣の名前が伏せられていたそうですが、野沢さんの声を聞いた先生は『悟空の声はこの人しかいない!』と絶賛したと聞きました。悟空の一人称である『オラ』を提案したのも野沢さんで、セリフの言い回しは自分なりに考えて表現したといいます。アニメ開始直後には先生に『描いていると、野沢さんの声でセリフが頭の中に出てくる』と言ってもらったそうで、野沢さんは喜んでいました。そんな野沢さんは、収録での気合いの入りようも本格的。必殺技の『かめはめ波』を出す時は、“スカートだと股が開けないからパンツを履く”と裏側を披露していました。約40年近くも演じ続けてきただけに、野沢さんの心中を察するには余りあります……」(アニメ制作関係者)先の本誌インタビューでは、「いまや、悟空は私の分身ですね。宝物です!」と語っていた野沢。鳥山さんと築いた絆は、永遠だ――。
2024年03月08日Sexy Zoneの菊池風磨(29)と、元乃木坂46で女優の白石麻衣(31)が真剣交際していると、『スポニチアネックス』が3月8日に報じた。ビッグカップルの誕生に衝撃が広がっている。同紙によると、2人は数年前に交際していた時期があったものの、多忙だったこともあり破局。’23年に復縁し、ファンを傷つけないよう外出は避け、自宅でのデートを楽しんでいるという。同紙によると菊池は「結婚前提にお付き合いします」と周囲に話しているという。双方の事務所は各紙の取材に対し、交際について否定はしていない。これまで一切の“匂わせ”をしてこなかったことが評価されて、ファンからも祝福が沸き上がっている菊池。過去には”肉食”な恋愛観を明かしていた。‘22年10月17日放送の『グータンヌーボ2スペシャル』(カンテレ・フジテレビ系)にゲスト出演した際、MCの満島真之介(34)に、芸能界に入る前からテレビでアイドルや女優を見て「たまらん!かわいい!」と思っていたかをと問われると、菊池は「思ってましたね!モテたくて入ってますから、ジャニーズ」と即答。また、好きな人には自分から「すぐ告白するタイプ」だといい、「僕、ストレートにしか行かないです。『好きです。付き合ってください』って」と学生の頃から変わらないと発言。また、好意があることを相手に「ガンガン匂わせます」とし、「連絡もめちゃくちゃ取りますし、お誘いもしますし、されたら行きますし」と積極的にアプローチすると話した。「付き合ってからも割とマメ」だという菊池は、付き合ってから態度を変えることは「過去の自分がダセェなって思っちゃうんですよ」ときっぱり否定。「付き合ってもらうためにやってたくせに、それが叶った瞬間にやらなくなるって。だったら最初からやんなよって思っちゃうんで。自分が嫌になっちゃうから」と理由を説明した。さらに番組では、菊池が恋人に求める理想についてトークを展開。菊池は「僕、結構全部一緒がいいんですよ」と明かした。菊池は「束縛はしないんですけど、でも一緒にいられる時間は全部一緒がいいんですよ。例えば、差し入れなんか頂いたとかなったら、それ僕の分しかなかったら同じの買って一緒に食べたいんですよ」と話し、思わず満島が「かっこいいな」と反応すると、「楽しくないですか?その方が」とイケメンぶりを発揮した。同じくゲストで出演していた俳優の千葉雄大(34)から「それは日常でもいいってことだもんね」と問われた菊池は「アイス食いて~なあと思って、アイスコンビニで買うじゃないですか。そしたら同じの買っていきたいんですよ」と話し、「でも、こっちとこっち迷うじゃないですか。両方2個ずつ買っていっちゃえみたいな。それで一緒に選んだら楽しくないですか?『じゃあ、せーのでやろうよ』とか」と恋人との理想の日常を語った。一方で、「それを女の子が嬉しいと思うかは別」と満島が問いかけると、菊池は「そう、だから僕は自分が全てになってほしくない」とも話し、「趣味“僕”、なになに“僕”、全部“僕”になっちゃうパターンあるじゃないですか。そうなったときそうなったときどうします?“もう雄大しかないの、私は!”みたいになったらどうします?」と逆に千葉に問いかけ、自立した関係が理想であることを明かした。“肉食”であることは隠さない菊池だが、恋愛の「最低限のマナー」として「街中で人目に触れるときとか、手繋いで歩いちゃってて、もしそれが誰かに見られたときにどういう気持ちにさせますか?」と話し、「それがファンだった場合とか、こういう仕事をさせてもらってる中での“マナーは守りましょうね”ってのはあります」とも発言。恋愛自体は否定しないものの、当時からアイドルとしての筋を通し、ファンを大切にする姿勢を見せていた。
2024年03月08日3月8日、Sexy Zone・菊池風磨(29)と白石麻衣(31)の交際を「スポニチアネックス」が報じた。記事によると、結婚を前提としているといい、双方の所属事務所は交際を否定しなかった。Sexy Zoneといえば、メンバーの中島健人(29)も1月に熱愛が報じられたばかりだが――。「中島さんは元E-girlsの鷲尾伶菜さん(29)との交際を『女性セブン』が報じましたがその際、ファンから2人の数々の“匂わせ”が指摘されました。鷲尾さんは’21年10月にInstagramで《最近ブルーが前より素敵にみえはじめた》と意味深に綴っていたのですが、青は中島さんのメンバーカラーです。また、22年2月に中島さんは『MORE』の恋愛にまつわるインタビューで《時間は有限であり、一緒にいる時間が当たり前ではない》と語っていました。その3ヵ月後には鷲尾さんがXに《そばにいる事だって当たり前じゃない》《時は有限》と、非常に似た発言をしていたのです」(スポーツ紙記者)いっぽうの菊池はというと、白石との交際が報じられる前の3月5日、Instagramでファンから寄せられた《匂わせだけはすんなよ頼むからほんと!!!》というメッセージに対し、《しねえけど、全部結びつけんだろ!?》と回答している。「菊池さんと白石さんをめぐっては匂わせらしいものは見つかっていません。菊池さんの“匂わせしない”宣言は本当だったのでしょう。いくつかの匂わせが指摘された中島さんとは対照的です」(前出・スポーツ紙記者)恋愛は自由とはいえ、アイドルの熱愛はファンもショックを受けるもの。匂わせまで発覚すると落胆も大きくなるが、一切匂わせのなかった菊池に対し、SNS上では称賛の声が相次いでいる。《まいやんと風磨くんの熱愛報道。お年頃だから、こういう話題出てもおかしくない。でも、二人でいるところを見せたり匂わせたりしないところがファンを大切に思っているんだなと思う。》《それこそ白石麻衣と付き合ってて匂わせしない菊池風磨すげー!やな逆もまた然りやけど》《鷲尾さんとまいやんはもうそりゃ圧倒的に後者が圧勝なのよ匂わせしたらもう絶対に好感度は得られない》
2024年03月08日3月1日に、急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さん(享年68)。世界中から愛される巨匠の訃報が一斉にメディアで報じられたのは、8日正午すぎだった。SNSでは悲しみの声が溢れているが、鳥山さんの訃報が1週間もの間流出しなかったことに驚いた人も少なくないようだ。鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」は、同日付で鳥山さんの逝去を公表。発表した文書のなかで《まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません》と偲びつつ、すでに葬儀を近親者のみで済ませたことも報告した。また同じタイミングで、東映アニメーションと集英社「少年ジャンプ」の公式サイトでも追悼コメントが発表された。驚くべきは「少年ジャンプ」公式サイトでは、鳥山さんと親交のあったクリエイターや著名漫画家たちの追悼コメントも発表されたのだった。その人物とは、鳥山さんがキャラクターデザインを手掛けたゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームデザイナー・堀井雄二氏(70)、『電影少女』『I“s』などの作品で知られる桂正和氏(61)。続いて『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎氏(49)、『NARUTO -ナルト-』の作者・岸本斉史氏(49)の計4名。鳥山さんが急逝したことへの喪失感や敬意、偲ぶ気持ちをそれぞれ長文で綴っていた。訃報の発表に際して関係者たちが事前に入念な調整を進めていたことが伺えるが、鳥山さんは最近も精力的な活動ぶりが注目を集めていたばかりだ。3月4日に都内で、鳥山さんの作品「SAND LAND」を多角的に展開するプロジェクト「SAND LAND Project発表会」が開催。昨年8月に劇場アニメとして上映された同作だが、発表会では鳥山さんが“その先の展開”を考案したことが明かされた。さらに鳥山さん本人によるコメントも紹介され、《僕は新キャラである天使のムニエルの設定とデザイン、アンなどのデザイン、エピソードなどを提案させていただき、続編が完成しました》と制作に携わったことが綴られていた。まさかこの時すでに鳥山さんが亡くなっていたとは、誰しも想像できなかったであろう――。訃報が一切漏れることなく“秘密保持”が徹底されたことに、SNSでは脱帽する声が広がっている。《鳥山明先生の訃報、1週間前って聞いて驚いたわ。情報が漏れなかったのがすごい》《鳥山先生。。。1週間前に亡くなられてたのか…編集部・著名人のコメント全て取った上で週刊少年ジャンプ公式サイトで発表という… 凄い秘密保持力》《葬儀など済ませた上に親しい人のコメントまでとって1週間伏せていられたつまり誰も口を割らなかったどれだけ鳥山明がリスペクトされていたかが分かるね…》《鳥山先生、1週間も前に亡くなられてたのか。全く情報が漏れなかったのは集英社の情報管理力のすごさもだけど、ご本人の人徳もあるんだろうなぁ》
2024年03月08日2月17日、さまぁ~ずの三村マサカズ(56)が「さまぁ~ずのさまラジ」(ニッポン放送)でこのように語っている。「座りションって、こう全部、出切らない感じがあるのよ。屈んでいるぶん、なんか、ちょっと立ったときに、最後に残りのチョチョッと出そうな……」生活用品メーカーのライオンが行った3年前の調査「ライオン・男性の小用スタイルに関する実態調査2021」(20~60代の男性1,500人)では、便座に座っておしっこをする「座りション」の男性が約6割にのぼっていることがあきらかに。《尿ハネでトイレが汚れる》《掃除をする妻の気持ちを考えて》などが座りションをする理由だが、三村のようにスッキリ感がないばかりか、尿もれに悩んでいる男性も少なくない。ユニ・チャームが23年7月に行った「男性の尿トラブルとケア方法」(20~60代の男性1009人)に関するアンケート調査でも、50%の男性が尿トラブルを経験。半数以上の人が「尿の切れの悪さ」を経験し、4割ほどの人が「ズボンにシミがつくこと」に不安感じていることがわかった。「まず排尿では、座りションでも立ちションでも勢いはさほど変わりません。どちらかというと、排尿障害のある人は、座ったほうが最後まで出し切れる、というデータがあります」そう語るのは、「おき泌尿器科クリニック」(大阪府富田林市)の沖貴士院長。屈んでオシッコをすることで、排尿の勢いが落ちることはないようだ。では、尿もれについてはどうだろう。「男性の尿道は、女性に比べて長いため、どんな姿勢でも排尿後に、尿道に尿が残ってしまうことがあります。とくに尿道の奥のやや広くなった『尿道球部』に尿がとどまっており、それがズボンを上げたあとに、ツーツーともれてしまうことがあるのです」ズボンについたシミを人に見られたら……。どうすればいいのだろか?「立っていても、座っていても、排尿後に、陰嚢の裏側の『会陰部』を軽く押して、陰茎側にしごくようにすれば、尿道球部にとどまった尿を出すことができます」ワンプッシュで、スッキリ感も尿もれの心配もない。これで三村も安心して座りションができるだろう。ただし、これでも改善しない場合は、前立腺肥大症や尿道狭窄など病気の可能性も。専門委を受診したほうがいいようだ。
2024年03月08日「母はもう亡くなって、父は施設に入ったんです。家がもうないんですよ。実家が……」マツコ・デラックス(51)が2月23日放送の『徹子の部屋49年目突入SP』(テレビ朝日系)にゲスト出演。実父が高齢者施設に入居したことを初めて語った。「ひとりっ子のマツコさんは’16年にお母さんを亡くしています。彼女が必死に働いてきたのは“両親と自分の老後の資金を蓄えるため”だと聞いたことがあります。お母さんが亡くなった後、自宅がゴミ屋敷状態になるなど、精神的に不安定な時期が続いていたそうです」(テレビ局関係者)数多くのレギュラー番組を持つマツコだが、両親についてはあまり多くは語らない。’22年8月、『マツコ会議』(日本テレビ系)で、ゲストの歌手で2児の母であるAI(42)に対し、両親への感謝を述べたことがある。「うちの親って何をしろも言わないし、何をするなとも言わない。激しく怒るわけでもない。めちゃくちゃ褒めることもない。ものすごくいい意味で言うと、すごく放任主義。悪く言うと、あまり関心がなかったのかなって思うの。子供にあまり関心がないって思わせるくらいの距離感でいいと思うんだよね、親って。これぐらいでも十分アタシは親の愛を感じるし。だから、何か言われたことっていうよりも、何も言わなかった親に感謝している。アタシは女の人の気持ちはわかりませんよ、男だから。でも、女性に対しての尊敬がすごいの。それは母の影響が大きいのよ。アタシはもう何があっても母だから、いちばん尊敬している人は。もう亡くなっちゃったんだけど……」まだブレイク前の20代半ばのマツコは、実家で2年間ひきこもっていた時期があった。「LGBT雑誌の編集者として5年間働いたのち退職。思うようにいかず挫折感を味わったマツコさんは自宅にひきこもったんです。建設会社のサラリーマンで厳格なお父さんは『働かないヤツは、水飲むな!』と怒ったそうです」(前出・テレビ局関係者)「過去を振り返るのは嫌い」と公言するマツコだが、この時期は葛藤の日々で、人生のターニングポイントだったようだ。9年前のインタビューではこう回想していた。《老夫婦二人が身の丈にあった生活をしようと引っ越しを決めたタイミングで、実家を出ていくように言われたわ。両親も、このまま家に引き籠っていたら本当にだめになると思ったんじゃないかな。だから母親から『次の家にあんたの部屋はないんだから、出て行きなさい』と言われたの。しかたなくボロアパートで一人暮らしを始め、それから本格的にフリーのライターとして活動するようになった》(『週刊現代』’15年4月18日号)前出のテレビ局関係者は言う。「実家暮らしの2年間、両親はありのままのマツコさんを受け止めてくれたそうです。セクシュアリティや仕事内容に関しては、必要以上に踏み込むことはなく“デリケートなことには触れない”両親にはずっと感謝しているといいます」’21年9月、マツコは出演した『マツコ&有吉怒り新党』で、出無精になった自分に関して、半ばあきれながらこう語っていた。「今90歳の父親がもしいなくなったら、さらにタガが外れて自分は体重が500キロぐらいになって部屋で動けなくなっているかも」■「このままガタがきて死んでいくのかな」最愛の母が旅立ち、マツコは父を心の支えにしていたようだ。かつてインタビューで終戦まで旧満州にいた父からは戦争の体験談を聞かされていたと語っている。《隣で人が火だるまになって死んでるような時代を生きた人なら、子どもが女装してメディアに出たって、『まあ、とりあえず生きてるし』って動じないよなって》《生きていられるんだから、セクシュアリティなんて何でもいいって気持ちが自分にあった。それにはすごく感謝してるわね。あの親じゃなかったら、今の私はなかったから》(『朝日新聞』’13年7月25日付)マツコはブレイクした後、両親へある“ルーティン”を欠かさないようにしていた。「折に触れて仕送りをするようになったそうです。けっしてご両親がお金に困っているわけではなく、『ちゃんと仕事して稼いでるから安心してほしい』という思いからだったといいます。ただ、父親が90歳を過ぎて独居するのは心配だという思いから、実家じまいをして施設への入居を決めたようです」(前出・テレビ局関係者)終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんはこう語る。「実家じまいとは一般的に、住まなくなった自宅を売却したり、高齢者住宅などに住み替えたりすることを指します。実家の整理を子供が行う場合は、頻繁に通うことが前提になるのでかなりの負担になります。そのため、遺品整理業者、特殊清掃業者などプロのサポートを受けることも増えてきています。生前整理を頼む人でいちばん多いのは介護施設に入所する方なのです。あらかじめ実家の整理を行うことで、家族の心の整理がつけられる面はあります」前出のテレビ局関係者は言う。「自らも50代に突入して体調がしんどくなってきていて、メークでも目のクマが隠し切れなくなって老いを実感するようになったと聞きました。『最近は性欲も食欲も興味が全然なくなったの。このままガタがきて死んでいくのかな……』と嘆いていました」マツコは今回の決断にあたり、憔悴していたようだ。冒頭の『徹子の部屋』で、「終の住処を考えないといけないなって……。どこで最後に家を買うのかわからないけど……」と語っていたマツコ。新居は東京を離れ、今は那須塩原が気になっていると明かしていた。「階段の上り下りが特につらいそうなので“広い平屋の一戸建てを建てて終の住処にしたい”と言っているのは聞いたことがあります」(前出・テレビ局関係者)実家じまいが、自らの終活も始める契機になったのかもしれない。
2024年03月08日3月8日、漫画家の鳥山明さんが、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが分かった。68歳だった。国民的人気漫画家だった鳥山さん。特に『ドラゴンボール』は、単行本の売り上げが全世界で累計2億6000万部を超えるなど世界中で愛される作品だった。魅了された読者のなかから多くの漫画家が誕生するなど、漫画界にも大きな影響を与えてきた。訃報を受け、「週刊少年ジャンプ」の公式サイトでは、ジャンプ漫画家たちが追悼コメントを発表。そこに掲載された『NARUTO』の作者である岸本斉史氏のコメントに感動するファンが相次いでいる。岸本氏は《突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います》と切り出し、幼年期の自身と鳥山さんの作品との思い出を振り返った。《小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!》漫画家の道へと進んだきっかけも『ドラゴンボール』だったという。《大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました》突然の訃報に対しては、《今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません》と深い悲しみを露わにした岸本氏。そして、こんな願いをつづっていた。《世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生》ドラゴンボールファンの想いを代弁するかのような岸本氏の深厚なコメントは、多くのファンの心を揺さぶったようだ。SNS上には、感動と悲しみの声があふれている。《コメント涙目で読んでたんだけど、岸本先生の「ドラゴンボールの願いが1つ叶うなら」で涙腺が崩壊した。初めて買ってもらった漫画がDr.スランプだった。ただただ悲しい。先生のご冥福をお祈りします》《岸本先生もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…の文章だめだ泣いてる。ドラゴンボール探しに行こうぜ》《岸本先生の「もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…」っていう言葉が全ドラゴンボールファン・全鳥山明ファンの思いを表してる、、、》《岸本先生のコメント読んで泣いちゃった。「ドラゴンボールの願いが叶うなら…」そう思わずにいられないよね》
2024年03月08日3月8日午後8時に公開されるYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」第415回へ登場するCreepy Nuts。リリースからわずか1カ月で、全世界でのストリーミング再生回数が累計1億回を突破した楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」の一発録りパフォーマンスを披露する。テレビアニメ『マッシュル-MASHLE- 神覚者候補選抜試験編』(TOKYO MXほか)のオープニング主題歌として書き下ろされた同曲。アニメオープニングで主人公が楽曲のサビに合わせて踊る動きを真似た“BBBBダンス”にチャレンジする人も続出し、TikTokで大流行り。そんな話題曲のパフォーマンスに期待が高まるなか、事前に同チャンネルで投稿された予告動画に映し出されたDJ松永(33)の“激変姿”に衝撃が走っている。6日放送の『週刊ナイナイミュージック』(フジテレビ系)では、これまでと変わらないトレードマークの黒髪ヘアで出演していた松永。だが一転、「THE FIRST TAKE」の動画では金髪にイメチェンしていたのだ。真っ白なシャツに黒いネクタイを合わせ、黒いジャケットを着用していたこともあり、より金髪のヘアスタイルが視聴者の目を引いたようだ。動画のコメント欄やSNSでは、驚く声が相次いでいる。《松永が今金髪という衝撃。何で急に?》《金髪DJ松永がKポップアイドルすぎて呼吸が苦しい!》《松永さんの金髪……ほんとに一ミリも予想してなかった》《いつの間に金髪にまじで誰かと思った》《松永金髪かっこよすぎるからやめて韓流アイドルすぎるこれ以上世界に見つかるな松永かっこいいがすぎるぞ》他には、松永と似ている著名人の名前を挙げる声も。《松永、イヒョクチェみたいになってる》《松永さん、DNA期のキムテヒョンみたい褒めてる、これわたしのなかで世界でいちばん顔が綺麗な男》《お見送り芸人しんいちってこんなにDJ上手かったのか》《な、なんか……松永さん……しゅーじまんみたいになってる…?》「THE FIRST TAKE」に登場する同日は、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にも出演するCreepy Nuts。松永は金髪にした心境を語るだろうか?
2024年03月08日俳優の内藤剛志(68)が、ある大物女優を大絶賛した。3月7日、お笑いコンビ「ナイツ」の塙宣之(45)のYouTubeチャンネルが更新され、アップされた動画に登場した内藤。塙とは人気ドラマシリーズ『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)で’18年から共演しており、動画では気の置けない仲である塙に仕事論などを中心に語った。動画の冒頭では、学生時代について塙が内藤に尋ねる場面が。「結構、頭良かった?」と聞かれた内藤は、笑いながら「頭良かったんだよ、俺」と返答。「塙さん、俺のこと頭良いと思わない?」と聞き返すと、塙は「思いますよ。『いつ台本を覚えてるんだろう』とか。いつも皆思ってますよ。全然NG出さないし」と答えた。内藤が「現場で台本を俺、開かないよ」と言うと、塙は頷き、「びっくりしますよ、本当に」「初めてドラマ(の現場で)見たときに内藤さんが全然台本読まないから、『覚えてんのかな?』って思って。失礼ですけど」と発言。さらに、塙が「逆に斉藤由貴さんはギリギリまで台本置いてるから、それはそれでどうなんだろう」というと、内藤は大笑いした。しかし、内藤は『警視庁・捜査一課長』シリーズの共演者である斉藤由貴(57)に一目置いている様子。「本番の前のテストまで由貴ちゃんは見ながら。『本番行きます』って言ったら(台本を)ぽんと置いて、さっとやっちゃう」と明かし、塙が「それもすごいっすよね」というと、内藤はこう述べた。「あれはもう天才。由貴ちゃんは天才。天才だよ」2月21日放送の『ぽかぽか』(フジテレビ系)で斎藤は、セリフは現場に来てから覚えるといい、「台本を開けて、1ページぐらい喋っているのを見つけてビックリすることがあります。凄く一生懸命覚えますね」と苦笑していた。しかし、その場で“さっとやる”斎藤に、内藤は感心しているようだ。
2024年03月08日大手AVメーカー「ソフト・オン・デマンド」(以下、SOD)が発表した新作アダルト動画が、韓国の人気アーティスト・DJ SODA(35)を想起させるとして物議を醸している。注目を集めていたのは、3月5日に同社公式サイトで「新作AV配信情報」として発表された作品。タイトルやキャッチコピー、セクシー女優のヘアスタイルや服装などから、Xでは「DJ SODAに酷似している」と指摘する声が相次いでいた。DJ SODAといえば昨年8月、大阪・泉南市で開催された音楽フェス「MUSIC CIRCUS’23」で性被害に遭ったことを告発。今回SODが発表した作品の内容は、その事件を彷彿とさせたようだ。「イベントの主催会社は男女3人を不同意わいせつなどの疑いで大阪府警に刑事告発し、後に和解が成立。ですが事件をめぐっては、“露出が多い服を着ていたせいだ”“客席に近づいたせいだ”とSODAさんに自己責任論を唱える声も。SODAさんは韓国メディアで涙ながらに事件について語っていましたが、SNSでは心無い声が相次ぐ事態に。SODAさんは《私が嘘つきだって?》と反論するなど、不快感を表していました。SODが制作した本作品では“2023年夏に話題になった金髪DJ”が登場し、ライブ会場と思しき場所でセクシー女優が胸を触られているシーンがありました。その他にもSODAさんがSNSにアップしていた動画や、インタビューに答えるシーンなど酷似する箇所があったようです。もしSODAさんの性暴力事件をパロディ化した作品であれば、SODAさんにとって“二次被害になりかねない”と懸念する声が上がっていたのです」(WEBメディア記者)実際にXでは、作品に対して苦言を呈する声が次のように散見されている。《倫理観がないと思います。あきらかにDJ SODAを連想させてます》《ひど過ぎる….完全にコンプライアンス以前にモラルに反していると思う。DJ SODAさんの事件を茶化していると受け取られても仕方ない。SODは何を考えてこれをOKしたのか…》《朝から流れ続けてるDJSODAを彷彿とさせるAVの件とか頭痛くなる別にAVなくせとも女優さんにどうこうとかも思ってなかったけど、さすがにないと思う》こうした声は制作サイドにも届いていたのか、SOD制作チームは7日午後5時すぎにXの公式アカウントを更新。《作品発売中止に関するお詫び》として、本作品について《諸般の事情により発売を中止することとなりました。作品を楽しみにして下さっていた皆様、ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません》と発売中止を発表。公式サイトでは、すでに作品情報も削除されている。だが「諸般の事情」について、具体的な事由は明らかにされていない。また、本作に出演したセクシー女優も発売中止を自らのSNSで報告しているが、《永久に販売されないわけではないとのこと》と説明していた。本誌は3月6日にSODに本作に関して問い合わせをしており、回答があり次第追記する。
2024年03月08日「全国の県庁所在地における食料品の購入額がわかる総務省の『家計調査』を見ていくと、都道府県ごとの健康格差が見えてきます」そう語るのは、総合内科医で秋津医院の秋津壽男院長。そこで本誌は、2月6日に発表された2023年の家計調査、なかでも健康的といわれる食品(豆腐、さば、コーヒー、野菜)と、取りすぎはNGといわれる食品(カップ麺、炭酸飲料、食塩)の都道府県別の購入額を中心に検討。女性の「65歳からの平均寿命」(65歳まで生きた人の平均寿命)のランキングを作成し、健康状態の地域差を探ってみた。注目したいのが「65歳からの平均寿命」で1位となった沖縄県。「沖縄県は女性のがんの罹患率がもっとも低く、国立がん研究センターの調査(2019年)では、とりわけ女性のがん死亡数が最も多い大腸がんとその次に多い肺がんの罹患率の低さは全国トップ。そんな沖縄県は豆腐の購入額が全国1位です。沖縄の豆腐は濃厚で硬い島豆腐で、炒め物やみそ汁の具として多く摂取されています。豆腐に含まれる大豆イソフラボンは女性ホルモンと似た働きをして健康をサポートします。大腸がんや肺腺がん、乳がんのリスクを下げる研究も報告されています」(秋津先生、以下同)沖縄県の女性は、過去1年間にウォーキングか軽い体操をしたと答えた人の割合が全国2位と、日ごろから体を動かしているようだ。その一方、沖縄特産の島豆腐は塩分が多く、また沖縄の食塩の購入額も7位。塩分摂取量の多さは、心筋梗塞や脳卒中など血管トラブルの病気を招くという。■島根県は100歳以上の人数が現在まで11年連続で日本一女性の「65歳からの平均寿命」で2位となった長野県は、健康長寿県としてすでに知られている。「長野県は、野沢菜漬けなど塩分の高い食材が多く塩分摂取量が多いのが特徴。かつては脳卒中が多いという問題を抱えていました。現在でも食塩の購入額は全国3位ですが、体内の塩分を排出してくれるカリウムが多い野菜の摂取量を増やす県・自治体の取り組みが功を奏しているようです。『国民健康・栄養調査』でも野菜摂取量では長野県が抜きん出て高い。日ごろからふんだんに野菜をとり食塩摂取量の多さを打ち消しているのです」3位となったのが島根県。厚生労働省の住民基本台帳によると100歳以上の人数は現在まで11年連続で日本一。100歳以上の9割近くが女性という長寿県でもある。「寝たきりや介護を受けずに健康的に暮らせるまでの年齢を意味する健康寿命でも女性が6位と全国トップクラスの島根県では、さばの購入額が全国2位。さばには血液をサラサラにするオメガ3脂肪酸のDHAやEPAが豊富。中性脂肪値の低下や認知症予防効果だけでなく、糖尿病や心臓病のリスクを低下させるという研究結果も。また肝機能を高めるオルニチンが多いシジミの購入額も日本一。島根県の女性の糖尿病や肝疾患の死亡率が顕著に低くなっていることと関係しているようです」ちなみに健康寿命で3位にランクインしている宮崎県(「65歳からの平均寿命」では22位、以下同)はさばの購入額が1位。青魚の血液サラサラ効果が健康状態の改善に深く関わっているようだ。また健康寿命で2位の山梨県は、食事時間がもっとも長い。スローライフが影響しているのかもしれない。平均寿命で2位の滋賀県(8位)は、喫茶文化の影響があるという。「滋賀県はコーヒーの購入額が1位です。クロロゲン酸のポリフェノールが豊富なコーヒーは、心臓病や脳卒中、呼吸器疾患の死亡リスクを下げることが明らかになっています。また大腸がんや肝がんの予防効果も報告されています。コーヒーを飲みながら人とおしゃべりすることも多いはず。コミュニケーションをとることで社会性が高くなり認知機能が低下しにくい効果ももたらしてくれるのです。また、滋賀県はがん死亡の7割以上占める大腸、胃、肺、肝臓、乳がんの5大がんの罹患率や死亡率も低く抑えられています。女性の喫煙率や肥満症有病率が低く、さらに鮒寿司や漬け物など発酵食品文化が腸内環境を整えているのでしょう」一方、岩手県(42位)は「国民生活基礎調査」(2019年)によると、糖尿病の患者数が3位、脳卒中の患者数が1位に。そんな岩手県では炭酸飲料の購入額が日本一。「英ケンブリッジ大学の研究チームが、糖分が多い炭酸飲料を多く飲む人は糖尿病になるリスクが急上昇することを報告しています。また、血糖値が上がると血管トラブルが増加。脳卒中などの危険性が高まります。糖尿病予防には炭酸飲料を控えつつ、運動を心がけることが大切です」■ワースト1位の青森県も“だし活”など改善が期待餃子の町として知られる宇都宮市がある栃木県は「65歳からの平均寿命」でワースト3位。とはいえ、健康寿命では7位。年をとっても元気に活動し、寿命が尽きたらあっさり死ぬ“ピンピンコロリ”が多いことを示しているようだが。「日本高血圧学会が2022年に公表した調査によると、10万人あたりの高血圧症患者数で24625人ともっとも多かったのが栃木県の女性です。厚生労働省の2015年の調査では脳卒中による女性の死亡率が2位。とくに血圧を上昇させる冬場に脳卒中の患者が増えることもあり、関東地方にありながら、東北地方なみに気温が低下するにもかかわらず、寒さに対する油断があると指摘されています」栃木県は、野菜の摂取量が少ないわけではないが、ドレッシングの購入額が日本一。餃子にたっぷりしょうゆをつけたり、サラダには大量のドレッシングという食習慣をあらためたほうがいいようだ。ワースト2位の福島県も、女性の高血圧疾患の患者数が栃木県に続いて2位になっている。「福島県は、心筋梗塞による死亡率が高いのですが、高血圧とともにメタボリックの問題も。『国民健康・栄養調査』(2016年)で、肥満度を示す平均BMI値が、福島県の女性が全国ワースト1位。運動していない女性も多く、血管に負担をかける肥満の解消を心がけたほうがいいでしょう」ワースト1位だったのが青森県。女性の全がんの死亡率がもっとも高く、脳卒中による死亡率も3位。「青森県はカップ麺以外にもハム、ソーセージなどの加工肉の購入額が全国1位。どちらも取りすぎると塩分過多になってしまいます。また、「過去1年間にウォーキング・軽い体操をした」女性の割合もワースト1位。「65歳からの平均寿命」でワースト2位の福島県も、ウオーキングの項目でやはりワースト2位であることから、運動することは、長命を保つためには重要な要素といえるでしょう。とはいえ青森県では短命県を返上する活動として、塩分を控えてだしで味つけをする“だし活”などが浸透。野菜の摂取量も増えてきており、今後は改善も期待されています」あなたが住む都道府県の健康状態をチェックしてみよう!
2024年03月08日知性と品格を兼ね備えた俳優、芦田愛菜(19)の快進撃が止まらない。現在、日曜劇場『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)でもヒロインを演じている。「彼女が演じるのは、元バイオリニストの女性。演奏シーンは、まるで天皇ご一家の長女・愛子さまがチェロを弾かれるときのように優雅でした。2月23日、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に芦田さんが出演した際も、丁寧な受け答えが“皇族のような佇まい”だとSNS上で評判に。“愛子さまとお友達になってほしい”という声も大きくなっています」(芸能関係者)実はこの期待が、現実になるかもしれないという。「愛子さまがご就職を決められた日本赤十字社のCMに現在出演しているのが芦田さんなのです。昨年9月から、献血普及推進プロジェクトのCMキャラクターを務めています」(前出・芸能関係者)芦田は皇室と縁がある。’19年11月9日、皇居前広場で開催された「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」。そこで代表して祝辞を述べたのが、当時まだ15歳の芦田だった。《即位礼正殿の儀での陛下のお言葉を拝聴し、日本、そして世界の平和に対する陛下の御心に心を打たれました》と、中学生とは思えない知的な言葉遣いで話す姿に、称賛の声が相次いだ。「両陛下が見守られるなか、芦田さんは大役を果たしたのです。同年には、芦田さんが首相、愛子さまが天皇になられた世界を描いた小説がネット上に投稿されて反響を呼んだこともありますし、愛子さまも芦田さんに興味を持たれているのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)■『源氏物語』に対して“肩入れ”と“親近感”祝辞にも“大好きな読書”という言葉を入れるほど、本好きの芦田。自著『まなの本棚』(小学館)では次のように記している。《思い起こせば、読書が好きになったきっかけは、父と母に読み聞かせをしてもらったこと》前出の皇室ジャーナリストは続ける。「愛子さまも、両陛下の読み聞かせでお育ちになりました。’04年には、当時2歳の愛子さまが、絵本を逆さまにして朗読される映像が話題に。何度も聞くうちに内容を覚えられたのでしょう。今では文学部で、中世の和歌について卒業論文を執筆したほど、無類の読書家になられた愛子さまですが、そんな過程も芦田さんに通ずるところがあります」なかでも両者ともに大好きな作品が『源氏物語』だ。1月20日放送の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』(テレビ朝日系)で“紫式部派か清少納言派か”と尋ねられた芦田。悩んだ末に「私は『源氏物語』に肩入れしちゃうかな」と答えた。前出の芸能関係者はこう語る。「続けて、“御法の巻の、紫の上が亡くなるところで、光源氏と紫の上と義理の娘が最後に歌を詠み交わすシーンが好き”と細かく説明していました。自著でもお気に入りの本として紹介していましたし、しっかりと読み込んでいるのだと思います」愛子さまも、大学で学ばれるなか、ご自身の立場を投影するかのようなお気持ちを抱かれていた。「昨年11月21日、東京国立博物館で『源氏物語絵巻夕霧』を鑑賞された際には、登場人物の関係性について『親近感がある』などとお話しになったそう。芦田さんの『肩入れしちゃう』と似ている部分もあります」(前出・皇室ジャーナリスト)きっと意気投合するにちがいない愛子さまと芦田。待望の初対面はいつになるのだろうか。「芦田さんのCMは今春、集中的に放送されることになっています。さらに、日赤は毎年『はたちの献血』キャンペーンをやっているので、6月に20歳を迎える芦田さんはそのPRにもキャスティングされるかもしれません。ちょうど同月14日には『世界献血者デー』もあります。関連イベントへの芦田さんの出演は大いにありそうですし、愛子さまが何らかの形で携わられる可能性もありますね」(日赤関係者)日赤に“二人が対面する予定・可能性はあるか”と問い合わせたところ、「そのような予定はございません」と回答があったがー。「愛子さまは一般職員として採用されたので、特別に面会の場が設けられることはないはずです。しかし、芦田さんが本社へ来た際に、職員の一人として顔を合わせられる、という状況は十分ありうるのではないでしょうか」(別の日赤関係者)ともに名前に「愛」が付き、年も近い愛子さまと芦田の“運命の対面”は近いーー。
2024年03月08日3月6日(日本時間)、パリで開催されたルイ・ヴィトンの2024秋冬ウィメンズ・ファッションショーに、同ブランドのアンバサダーを務めている広瀬すず(25)が出席した。ルイ・ヴィトンの純白のドレスに身を包んだ姿がSNS上で拡散すると、《流石に美しすぎます、すず様》などの声があがっていた。世界で活躍する広瀬だが、私生活は庶民派なようだ。3月2日に放送された広瀬がパーソナリティーを務めるラジオ番組「広瀬すずの『よはくじかん』」に、公私ともに親交の深い女優・森七菜(22)がゲスト出演。歌手としても活動している森と歌に関する話題になり、「(最近流行りの曲は)早口でなに言っているのか分からない」と告白した。歌唱する際も“口が回らない”という広瀬に森は「そういう意味では『スマイル』はちょうどいい速度かもしれませんね」と森自らの曲がスローテンポだと主張。これに広瀬は「スナックであれ歌うと、常連のおじさんたちが凄い喜んでくれる」と、明かしていた。突然の“スナック通い”をカミングアウトした広瀬。そんな彼女の十八番はスナックに最適な昭和歌謡のようだ。`17年8月に声優を務めたアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の劇中で、広瀬は松田聖子(61)の「瑠璃色の地球」をカバー。この音源が映画のサウンドトラックに収録されることが発表された時に、コメントを出していた。《「瑠璃色の地球」を劇中で歌うと聞いたときは驚きました。松田聖子さんの曲ですと「赤いスイートピー」はカラオケでよく歌わせていただいていたのですが、もともと歌が本当に苦手で…。私にとっては難しい曲でしたが、練習していくうちにどんどん楽しくなっていきました》スナックで「赤いスイートピー」を歌えば、常連のおじさんたちがさらに沸くはずだ。
2024年03月08日歳を取るのが楽しみで楽しみで!!……というほどの境地にはまだ達していないのですが老いて行く過程を味わうのも悪くないなと最近とみに感じます。元気に動ける時間が少なくなった分やりたいことは厳選しなければならないし、その時間は意地でも大切にするようになったし。少しのお酒で酔えるようになったとかさっぱりしたものがものすごく美味しく感じられるようになったとか。細かいことだけど日々これでもかというほど変化している。そのサイクルはなかなかに忙しく、毎日はそんなに退屈なものではありません。まめにはまだわからないだろう。40代、ワクワクしかないよ。
2024年03月08日「スズ子は(趣里)父・梅吉(柳葉敏郎)の葬儀で、産みの親である母・キヌ(中越典子)と15年ぶりの再会を果たします」(テレビ誌ライター)NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の第111話が8日に放送され、主人公・福来スズ子が実母・西野キヌと再び対面した。「昨年10月末の放送で、スズ子は出生の秘密を知り、自分の本当の母親がツヤ(水川あさみ)ではなく、キヌであることを知ります。ドラマのキーパーソンであることから、03年の朝ドラ『こころ』でヒロインを演じた中越さんが起用されました。実は、今回の中越さんのキャスティングは『こころ』に大きな関わりがあるのです」(NHK関係者)さかのぼること21年前、中越は『こころ』で、事故で亡くなった夫の連れ子を引き取り、浅草のうなぎ屋「きよ川」の若女将としても奮闘するヒロインを好演。平均世帯視聴率は21.3%を記録する人気朝ドラとなった。「そんな中越さんの母親役を演じたのが、趣里さんの実母である伊藤蘭さんだったのです。それから約20年、今度は中越さんが趣里の実母を演じるという“朝ドラの縁”。SNSでは《縁を感じる》《スタッフの粋な計らいっぽい》といった声が上がっていました」(前出・テレビ誌ライター)テレビウオッチャーの桧山珠美氏はこう語る。「『ブギウギ』は、趣里さんと同じく“2世”であるキングカズの息子・三浦獠太をマネージャー・タケシ役として起用したり、共演シーンこそありませんが、なだぎ武さんと友近さんというかつて恋人同士だった二人を登場させるなど、キャスティングに遊び心を持たせています。今回、中越さんを挟んで、伊藤蘭&趣里母娘が繋がったのは、長年、朝ドラを見て来た方々へのファンサービスの一環かもしれません。さらに、キヌの息子の名前が『ゆたか』ということで、父・水谷豊さんを連想させるというおまけつきでした」中越は私生活でも6歳の息子と5歳の娘の2児の母。最近のインタビューで、『こころ』が彼女の人生を変えたと語っている。(『CHANTO WEB』2月27日配信)《週に何回もオーディションを受けましたが、受けても受けても決まらない。スケジュールが真っ白な日が続いていくと、仕事が埋まらない恐怖も感じましたし、自分はこの業界は向いていないのかなって考えるようになっていって。もう、このオーデイションを受けてダメだったら佐賀に戻ろう!そう思って受けたオーディションがNHK連続テレビ小説『こころ』でした。『こころ』の影響は大きかったです。主演に抜擢していただいたことをきっかけに、また次のお仕事にも繋がっていきましたし、何より両親がとても喜んでくれました。元々両親は朝ドラが好きで、そこに私が出るということでやっと安心して応援して貰えたような。 今でもとても印象深いお仕事のひとつですし、周りのスタッフさんにも恵まれて今もお仕事ができています》中越が趣里の母親役を演じたのは、自分を育ててくれた朝ドラへの恩返しだったのかも。
2024年03月08日米ジョージア州で今週、“呪術医”を名乗っていた男の裁判が行われ、終身刑が言い渡された。11 Aliveによると、自称“呪術医”のハッサン・シャルヒーン被告(45)は昨年8月、ソーシャルメディアを通じて知り合った女性を、“特別な霊的浄化”と称した儀式を行うために自宅アパートに招いた。料金は1500ドル(約22万円)で、まず女性は手付金として200ドル支払い、残りは分割で払うことに同意していた。儀式には3時間かかると告げられた後、女性は白いナイトガウンに着替えるよう被告から指示された。女性は服を脱ぐことをためらったが、テーブルにこれ見よがしに銃が置いてあったことを思い出し、恐怖心からしぶしぶ従ったという。着替えが終わると、シャルヒーン被告は女性に襲いかかり、無理矢理性的暴行を加えた。ATLANTA MEWS FIRSTによると、暴行は複数回にわたり、女性は解放してくれるよう懇願したが、シャルヒーン被告は拒否。その後、さらに300ドル払うことと引きかえに女性を帰したという。女性はすぐさま警察に通報。その後の家宅捜索で性的暴行を裏付ける証拠が見つかり、シャルヒーン被告は逮捕された。この事件が報道されて以降、同様の被害に遭った女性たちからの告発が相次ぎ、シャルヒーンは強姦、不法監禁、詐欺による窃盗、性的暴行、暴行の罪で起訴され、先月26日に始まった裁判で終身刑が言い渡された。
2024年03月07日3月7日、キリンホールディングスはSnowManの目黒蓮(27)と、広告起用に関する直接契約を結んだと発表。今後、「午後の紅茶」のほか、キリンビール新商品の広告に起用する方針だという。「昨年、故ジャニー喜多川氏の性加害が社会問題となって以降、多くの企業が旧ジャニーズ事務所所属のタレントをCMに起用することに慎重になっています。それ以降、事務所を介さず、タレントとの“直接契約”の形をとるケースが増えています」(芸能関係者)キリンは今回のCM契約に際し、自社ホームページに《目黒蓮さんとの広告に関する直接契約締結及び旧ジャニーズ事務所の性加害問題に対する当社の取り組みについて》と題して長文のコメントを掲載。その中では、《今年度の広告計画について当社内で議論を重ねた過程で、目黒さん本人とも対話の場を持ち、当社グループ会社の広告に対して情熱を持ってブランドの価値向上に取り組んでいただいていたことや、これまでの実績だけでなく、目黒さんの誠実な人柄、俳優としての唯一無二の魅力、商品や当社のイメージとの親和性を再確認しました》と、目黒の貢献度を大きく評価。同時に、旧ジャニーズ事務所所属タレントの起用に関する方針も明確にしている。《当社は、旧ジャニーズ事務所において、企業としての再発防止も含む人権尊重の取り組みが実施され、第三者から見てそれが有効に機能している状態になるまで新規契約を締結しない、という昨年 9 月に決定した方針に変更はありません。一方で、この問題に直接関与のないタレントに活躍の機会が与えられないことは、タレントの人権を尊重する観点で悪い影響が生じてしまうことも懸念しています》この声明に対して、Snow Manや目黒のファンを中心に、ネット上では多くの賞賛の声が上がっている。《直接契約とかキリンさん粋やん…》《さぁ午後ティーとキリンのビール買いに行くか》《キリン本当にありがとう目黒くん本当におめでとう》《キリンのこの表明に続く会社がたくさん出てきますように》旧ジャニーズ事務所のタレントが所属することになる「STARTOENTERTAINMENT」は、4月から本格始動の予定だ。
2024年03月07日2月28日放送のトークバラエティー番組『これ余談なんですけど…』(テレビ朝日系)で、出演者による薬剤師に関する発言が批判を集めた問題。まず3月1日にMCのかまいたち・濱家隆一(40)がXで謝罪し、5日に番組側も公式サイトへ謝罪文を掲載。さらに濱家は7日にも再びXを通じて、約600字に及ぶ謝罪文を公表したのだった。発端はかまいたち・山内健司(43)が、医師の診察後に処方箋を調剤薬局に持参したエピソードを披露したこと。薬剤師に「どうされたんですか?」「お熱、今あるんですか?」と、医師と同じように問診されイライラしたという。山内は「これ(処方箋)もらって渡してるねんから。さっさと薬もらって帰りたいのに」と不満を漏らし、「あれもう全然要らん時間やなって思っちゃう」とコメント。この意見に濱家も同調し、「薬剤師さんも医療に携わってるから、一応、“医者憧れ”みたいなのがある」と述べていた。一連の発言はネットニュースでも取り上げられ、“薬剤師軽視”として炎上する事態に。濱家は3月7日に改めて公表した謝罪文のなかで、発言してしまった経緯を説明しつつ《薬剤師という仕事を馬鹿にしているなんて事は全くありません。全ての職業をリスペクトしています》と釈明。その上で、《メディアに出る人間として、 この発言を誰がどんな気持ちで受け取るか 考えが至っていない時点で絶対に良くない発言でした》と反省の弁を綴っていた。ネットやSNSでは主にかまいたちの発言が取り沙汰されているが、この会話に参加していた“ある女性芸人”にも厳しい視線が注がれている。その人物とは、同日の放送回にゲスト出演していた元アジアンの馬場園梓(43)。番組内で山内のイライラ話に共感し、笑いながら「だってそいつ(薬剤師が)見たって薬変わらへんからな」と語っていたのだ。そんな馬場園の元にも批判の声は届いていたようで、29日にXで《全然知らんかった!アホですいません!》と謝罪。薬剤師の友人に《我々の仕事は医師が処方した薬を最終チェックする役目があるんやで!と言われました》と明かし、自らの経験と重ねて《あくまで決定権とかは無く保管してる薬の中から言われたやつを出す仕事やと思ってました!》と知識不足を反省。最後は《薬剤師の皆様、 すいません! いつもありがとうございます》と、締めくくっていた。濱家よりも一足先にXで謝罪した馬場園だったが、その対応には“違い”もあるようで……。「馬場園さんは即座に自らの非を認めて謝罪しましたが、そのいっぽうでXやInstagramで批判や抗議のコメントを寄せるユーザーをブロックしているというのです。Xでは《馬場園さんにはブロックされました》《え?これぐらいでブロックする?》と、ショックがる声が散見されています。また馬場園さんが謝罪文を綴った投稿では、複数の批判コメントが非表示にされていました」(WEBメディア記者)こうした行動も影響しているようで、馬場園に対していっそう厳しい声が上がっている。《かまいたちの発言、ひどいけどさ。私は馬場園さんの「そいつら」って言うのがどうも。ある職業の人に向かって“そいつら”っていう人だったのかと。下に見てるよね。謝っても、これはもうね》《かまいたちの濱家さんがめちゃくちゃ誠意ある人やな…素直に分からなかった知らなかった申し訳ない!って伝わってきて良い人なんだろな〜と感じた反面、自分に正当な意見をしてくる人をブロックするという謎行動してる馬場園さんは逆に今まで良いイメージだったけど実際全然そんな事なくて(笑)》《馬場園が一番ひどく感じるわ》
2024年03月07日