壇上には、白と紺のバイカラーのスーツを身にまとった雅子さま。日本赤十字社の名誉総裁として、13人の受章者代表に有功章を手渡されるそのご表情は明るく、生き生きとされていたーー。5月19日、明治神宮会館で全国赤十字大会が開催された。コロナ禍で’20年、’21年は中止となっていたため、今回が3年ぶりの開催。雅子さまにとって、天皇陛下とご一緒ではない“単独公務”も2年9カ月ぶりだった。宮内庁関係者も、ほっとした様子を見せた。「雅子さまは昨年11月から年明けにかけて体調を崩されていましたが、今回のご様子を拝見する限りでは、体調もかなり安定してきたのだと思います。ただ、外出を伴うご公務こそ増えてきましたが、海外ご訪問はまだ先のことになりそうです」’20年の初夏には両陛下がイギリスを訪問される予定だったが、コロナ禍により延期に。今年、海外訪問が再開される見通しは立っていない。「雅子さまご自身も、語学力や外務省時代の経験を生かした国際親善に取り組みたいという思いが強いのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)そんななか、5月13日に宮内庁がある計画を発表した。皇居・東御苑に、カフェを建設するというのだ。「大手休憩所」と仮称された施設は平屋を基本に一部2階建てで、床面積が3千平方メートルという大規模なもの。カフェのほか売店も併設され、屋上は眺望が楽しめるオープンテラスになる。皇居の歴史や皇室の活動を紹介するコーナーも設けられるという。完成は’25年(令和7年)度の予定だ。実は、皇室に代々受け継がれる美術品や宝物を管理・展示する三の丸尚蔵館も拡充される予定になっており、大手休憩所はその向かいに建設されるという。この計画に、皇室担当記者は驚きを隠さない。「皇居外苑の和田倉噴水公園にはスターバックスコーヒーがありますが、天皇ご一家のお住まいである皇居の中にカフェが設けられるのは初めてのことです。数年後のコロナ禍の収束を見据え、外国人観光客の来場を見込んでいるようですが、前例を守り、伝統を何より重視してきたこれまでの宮内庁の姿勢とは、まったく異なります。いったいどなたのお考えなのでしょうか……」■雅子さまが訴えていた「皇室の情報発信」元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは「国内外を問わず、皇室への関心や理解を深めるきっかけになる、よい構想」と語る。「コロナ禍以前、東御苑の入園者数は増え続けていて、外国人観光客は4割を超えていました。三の丸尚蔵館には伊藤若冲の作品など、国宝や国宝級の品々がたくさんあるのですが、現在の建物では小さすぎました。外国人に対しても皇室や皇居、日本の文化財をアピールし、おもてなしするには、新しい施設が必要ということでしょう。もちろん、宮内庁が独断で行うことはなく、天皇陛下のご了承あっての話なのだと思います」一方、前出の宮内庁関係者は、雅子さまのお考えも反映されているのではないかと語る。「雅子さまは以前から、外国との相互理解を育む重要性を訴えていらっしゃいました。皇族数が減少し、海外訪問の機会も減っているなかで、新たな国際交流のあり方を模索されていたのです。’19年には224万人もの来園者数を記録した皇居・東御苑にカフェを設置して、日本人と外国人の交流の場を作る、そして皇室の役割や歴史について伝える場にするというアイデアは、雅子さまのお考えにも合致していると思います」雅子さまは’97年の誕生日会見で、世界の国々との関係について、次のように発言されていた。「世界の様々な問題や、また、将来にわたって人類にとっての問題となってくるような問題について、世界各国の人々が、手を携えて取り組んでいかなければならない時代にあると思いますので、そのためにも各国の人々との相互理解が進んでいくことが大切ではないかと思っております」そして、海外への情報発信の重要性についても言及されていた。「外国から日本に対して寄せられている関心も大変高いものがございますし、また、日本の皇室に対しても、関心が寄せられているというふうに感じる時もありますので、海外に向けても正しく情報が発信されて伝達されていくということも大切なのではないかというふうに感じます」ただ、雅子さまは’03年12月に体調を崩され、翌年には医師から適応障害と診断される。長い療養生活のなかでは、国際親善に携わる機会も限られていた。「皇后となられた’19年、米大統領だったトランプ氏とメラニア夫人や、フランスのマクロン大統領夫妻と、通訳なしで会話されるお姿は、国内外から絶賛されました。ようやく体調が上向いてきたなかでコロナ禍という新たな壁に直面された雅子さまですが、斬新なアイデアによる皇室改革で、再び国際親善を盛り上げたいとお考えになったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)昨年9月に、天皇ご一家は赤坂御用地から皇居にお引っ越しされたばかり。その皇居に建てられる史上初の巨大カフェが、令和の“開かれた皇室”のシンボルとなるーー。
2022年05月26日「日本赤十字社の名誉総裁をお務めの雅子さまにとって、全国赤十字大会への出席は非常に重みのあるご公務です。コロナ禍により2年連続で中止となっていた赤十字大会ですが、ようやく3年ぶりに開催されます」(皇室担当記者)5月19日、全国の赤十字会員やボランティアの代表を集め、功績のあった個人や団体を表彰する全国赤十字大会が開催される。雅子さまは5月9日には、天皇陛下とご一緒に日本赤十字社の社長と副社長と御所で面会し、説明を受けられた。皇室と赤十字社のつながりは深い。歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「歴代皇后は赤十字社の活動に積極的に関わってきました。明治天皇の后(きさき)であった昭憲皇太后は、国際赤十字に基金を下賜され、今日でも昭憲皇太后基金として世界のさまざまな地域で赤十字の活動に役立てられています。昭和天皇の后であった香淳皇后も、戦時中に各皇族妃とともに戦傷病者の慰問活動などを熱心に行いました。平成の時代には美智子さま、そして令和の時代には雅子さまが、その役割を引き継いでいるのです」この2年あまり、コロナ禍のため大会が中止となっただけでなく、外出を伴う公務も制限されていたが、その間も雅子さまは医療従事者に心を寄せられてきた。’20年11月、両陛下は全国4つの赤十字病院をオンラインでご視察。雅子さまは「皆様が力を尽くされていることに敬意を表します」と、コロナ禍と闘う医療関係者にねぎらいの言葉をかけられた。昨年12月の誕生日のご感想でも、国内外で新型コロナの治療法の研究などが進んでいることに触れ、《一歩ずつではあっても、我が国、そして世界の人々が着実にこの試練を乗り越えていくことができるよう願っています》とメッセージを記されていた。「雅子さまは日本赤十字社の名誉総裁として、とくに医療従事者をサポートしたいという思いは強かったのではないでしょうか。それだけでなく、雅子さまは並々ならぬ思いがあるようです。それは、女性皇族の団結を示したいという思いです」そう語るのは宮内庁関係者。今回の全国赤十字大会には、名誉副総裁をお務めの紀子さま、寬仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまもご出席の予定となっている。「雅子さまは今年5月で皇后となられて4年目に入りましたが、皇室の現状に危機感を抱かれているようです。コロナ禍で、国民とのふれあいの機会はほとんどなくなりました。皇居での一般参賀も、’20年の1月以来開かれていません。平成から令和への御代替わりという重要な時期に国民との接点が激減したことは大きな痛手でした。雅子さまは、妃殿下が勢ぞろいする全国赤十字大会をきっかけとして、女性皇族の力で現状を打破しようと呼びかけられているのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)■妃殿下方が一丸となり皇室の一体感を示す前出の小田部さんも「雅子さま自身も、お務めへの意気込みやご覚悟が高まっておられるのではないか」と語る。「会場に臨席されることは、長引くコロナ禍のなかで従事されてきた医療関係者などへの励みにもなるでしょう。そして、雅子さまのみならず、紀子さま、信子さま、久子さまが一丸となってご公務を担われるのは、皇室の一体感や安定感を国民に示すことになります」実は、妃殿下方は5月に入ってから、活動の幅を広げられている。久子さまは5月12日、女性の生活向上を目指すボランティア組織「国際ソロプチミスト東京―東」の設立50周年式典に出席された。紀子さまも同日、秋篠宮さまとご一緒に、地域の現場で献身的な医療活動に取り組む医師を顕彰する「日本医師会赤ひげ大賞」の表彰式に出席されている。さらに信子さまは5月9日、香川県の直島を訪れ「瀬戸内国際芸術祭」の作品を鑑賞された。これまで最小限に抑えられていた地方ご訪問も、再開する方向に舵が切られたのだ。「平成の初めの数年、上皇陛下と美智子さまはなるべく早く全都道府県を回ろうと、5泊6日で4県を巡るといった過密日程の地方ご訪問を何度もなさいました。そうやって“国民とともにある皇室”を目指されたのです。しかし、天皇陛下と雅子さまの場合は即位関連儀式を終えた矢先にコロナ禍となってしまいました。そうした苦境を乗り越えるためにも、オンラインの活用だけでなく感染対策のもと地方への訪問を増やしていくことも不可欠です。雅子さまは妃殿下方にも、ご公務への出席、そして国民と触れ合う機会を増やしていくことを呼びかけられているのではないでしょうか。これまで、控えめな印象もあった雅子さまですが、令和の皇室を団結させるべくリーダーシップを示されるご覚悟なのです」(前出・宮内庁関係者)雅子さまのリーダーシップのもと女性皇族が輝くことで、令和の皇室はさらに国民に支持されていくだろう。
2022年05月17日天皇陛下に続いて車から降りた雅子さまは、マスク越しではあったが、カメラに向かってほほ笑まれたーー。4月13日、天皇皇后両陛下は科学技術の進歩に大きく貢献した研究者に贈られる「日本国際賞」の授賞式に出席された。コロナ禍により’20年と’21年の授賞式が延期となっていたため、3年分がまとめて表彰された今回の授賞式。天皇陛下はお言葉のなかで、コロナ禍における科学の力への期待を示された。「現在、わが国を含め世界中の人々が、新型コロナウイルス感染症の影響により、さまざまな困難に直面しています。そのような状況の中で、科学技術が果たす役割は、さらに重要になってくるものと思われます。さまざまな分野の叡智を結集し、世界の人々が互いに力を合わせることにより、この困難な状況を乗り越え、希望に満ちた未来を築いていくことを願っています」陛下と雅子さまは式典のあと、受賞者との懇談にも出席されたという。お二人そろって外出を伴う公務に臨まれるのは、昨年8月の戦没者追悼式以来、8カ月ぶり。「事前の発表では天皇陛下お一人が出席されるはずでした。しかし雅子さまは1週間以上前から意識的に体調を整えられ、当日は式典に続き、外国人受賞者たちとの懇談まで完遂されたのです。今回、雅子さまにとって“勝負色”であるブルーのお召し物を選ばれたことからも、再始動への強い意気込みが伝わってきました。両陛下は、ご自身の活動が感染を広げたり、感染対策が周囲の負担になったりしないよう、外出をお控えになってきました。オンラインで式典に出席されたり、地方の福祉施設と交流されたりと、外出せずに“国民に寄り添う”務めを果たそうと工夫されてきました。今後は、引き続きオンラインを活用しつつも、式典会場などに足を運ばれることも増えるでしょう」(皇室担当記者)ただ、この数カ月にわたって雅子さまを苦しめたのはコロナ禍だけではなかった。体調が優れない日々が続いていたのだ。■大きなプレッシャーを克服されて昨年の秋から、雅子さまは体調不良に見舞われていた。誕生日写真の撮影を2度キャンセルされたり、2日に分けて行われた愛子さまの成年祝賀行事の1日目を欠席されたりした。年始の講書始の儀も、体調が整わず欠席されている。「愛子さまの成年行事や記者会見のために、雅子さまは数カ月前からご準備を続けていました。国民から大きな注目が集まり、愛子さまの人生を左右するだけに、雅子さまも大きなプレッシャーをお感じになっていたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)しかし、昨年12月の成年祝賀行事で愛子さまが披露されたティアラ姿に続いて、3月の記者会見にも絶賛の声が集まった。「雅子さまにとっては、これまでの母としての努力がすべて報われたようなお気持ちだったでしょう。愛子さまの記者会見での立派なお姿によって、雅子さまは自信を取り戻されたのではないでしょうか。それゆえ、本格的に公務を再開するという大きな一歩を踏み出すことができたのだと思います」(前出・宮内庁関係者) 愛子さまは会見で、両陛下への尊敬の念を、率直に話されていた。「両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます」両陛下こそが、愛子さまにとって一番のお手本になっているのだ。両陛下からのどんなお支えや言葉があったのかとの質問には「何か問題に直面した時は、その問題に真剣に向き合ってくれまして、私の意見や考え、気持ちを尊重しつつ、的確なアドバイスをくれたように思います。そして、両親からもらった大きな愛情や励ましが、そのような時に私の支えとなっておりました」とお答えになった。会見が行われた大広間の隣の部屋では、雅子さまが待機なさっていたという。愛子さまの言葉をお聞きになった雅子さまは“私が愛子を導く”という思いを抱かれたのではないだろうかーー。精神科医の香山リカさんは、愛子さまの成長が雅子さまにも好影響を及ぼしていると語る。「成年皇族となられた愛子さまにとって、雅子さまは母親というだけでなく、先輩女性としてのお手本にもなります。今回の日本国際賞に関しても、どんな方が受賞したのか、懇談の場ではどのような話をしたのかなど、御所に帰られたあと愛子さまにお話しになったことでしょう。愛子さまにとっては、近い将来ご公務に出席される際の参考にもなりますし、大学卒業後の進路を考えるうえでも、世界的な研究者である受賞者の方々について知ることは有意義だったでしょう。たとえご一緒に公務に行かれなくとも、こうしたコミュニケーションによって、雅子さまは愛子さまと二人三脚で公務に取り組んでいるように感じられるのではないでしょうか」雅子さまは今月28日にも、陛下とご一緒にアジア・太平洋水サミットにオンラインで出席されることが発表されている。“母の自信”を取り戻された雅子さまのご活躍は続く。
2022年04月22日4月13日、天皇陛下と雅子さまは東京都千代田区の帝国ホテルで開催された日本国際賞の授賞式に出席された。両陛下がおそろいでお出かけになるのは昨年8月の全国戦没者追悼式以来、約8カ月ぶり。この日、ブルーのロングドレスに、和のテイストを感じさせる前合わせのジャケットをお召しになった雅子さま。日本国際賞は、科学の分野で貢献した研究者に贈られる賞で、このお務めは上皇ご夫妻から引き継がれている。今年は新型コロナウイルスワクチンの実用化に尽力したカタリン・カリコー博士らに贈られ、式典後、雅子さまは陛下とともに受賞者らとの懇談に臨まれた。
2022年04月22日手編み教室を展開する、自由が丘トリコ・ダァールサロンは、ニット作家 細野雅子が展開する個展「35周年Anniversary 細野雅子展 アートの手編み美術館」を4月11日(月)~19日(火)まで開催いたします。特許取得の三角形や円などのモチーフを、パズル的に組み合わせたオンリーワンのフォルムが特徴。確かな技術、選び抜かれた天然素材、自然から色をいただいた草木染の色、着心地、軽さを兼ね備えたこだわりの一着に仕上げています。ウエアや帽子・バッグなど150点余り、贅沢で凛とした一点ものをご覧ください。35年の軌跡を振り返り、編み物の可能性を未来につなげる作品展です。カーディガン エスカルゴ+トライアングル■手編みで社会進出、経済自立する編み物人口は底辺には多くいますが、年々減少しています。手編みはなかなか仕事としてなりえない分野です。好きなことで仕事ができれば最高ですが、それには作り手側の意識改革と技術向上は欠かせません。手づくり品をネット販売する数も上昇している中、売れるものづくりが必須となります。数年前から、プロを育てるマイスタークラスと、小さい時から編み物に親しんでもらう、小学生編み物クラスを開講し、人材の育成をしています。今回の作品展で、編み物人口の格上げと、手編みの地位向上、さらには経済自立につながれば、未来が見えてくると期待しています。■開催概要タイトル: 35周年Anniversary 細野雅子展 アートの手編み美術館会期 : 4月11日(月)~19日(火)10:00am~5:00pm ※最終日は3:00pm会場 : 新宿京王プラザホテル本館3階ロビーギャラリーTEL 03-3344-0111 運営 : 株式会社トリコ・ダァール<公式サイト>URL : Instagram: tricots_dart■会社概要会社名: 株式会社トリコ・ダァール所在地: 〒192-0045 東京都八王子市大和田町3-6-20 トリコ・ダァールアトリエ連絡先: E-Mail info@tricots-dart.com URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年03月22日2月23日、62歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は宮殿で催された祝賀の儀に臨まれた。ネイビーのロングドレス姿の雅子さまと並んで、お祝いの挨拶を受けられる陛下。多くの人が集う一般参賀や、飲食を伴う会は3年連続で中止となったが、昨年とは違い、誕生日の儀式に雅子さまとお二人で出席されたことで華やかな印象が残った。誕生日の会見で、陛下は雅子さまについて「私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています」と語られたほか、「雅子は」「雅子と共に」「私たち」と繰り返し述べられ、お二人で歩むことを大切にしているお気持ちを表された。雅子さまの昨年末からのお疲れについては「感染症の感染拡大による活動への制約などから、体調を整えにくくなっている面はあります」とご説明。ご夫婦の絆を感じさせる会見となった。誕生日会見で語られたご夫婦の絆ーー陛下のお言葉と写真で振り返ります。■「雅子と共に、『平和の礎』を訪れ、二人そろって、沖縄戦で亡くなった全ての方々への思いを新たにいたしました」’97年、本土復帰50年にあたり沖縄への思いも述べられた。■「私は、雅子と共に、引き続き被災地に心を寄せていくつもりです」’17年、津波の被害が甚大だった宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で供花された。■「新型コロナウイルス感染症の影響により、国民の皆さんと広く直接触れ合うことが難しくなっていることを、私も雅子も残念に思っています」オンラインで日本各地を訪問され、多くの人とご交流。そのメリットもお感じになっている。■「愛子と3人でいると、私たちの団欒は、笑いの絶えない楽しいものになっています」20歳になられた愛子さまと楽しそうに語らいを。お誕生日写真で、優しい笑顔で見つめ合われる両陛下。そんな写真からもお二人の心の絆が感じられる。
2022年03月05日福岡県大川市では、2022年2月16日に『ロボ家具』のWEB動画がYouTubeにて動画再生回数100万回を達成しました。【ロボ家具】2022年1月12日の公開より約1ヶ月で多くの方にご視聴いただきました。大川市では2017年に話題となった『ネコ家具』など、常に木工、家具産業の振興につなげる施策を行なってまいりました。長年にわたり日本一※1の出荷額を誇る家具産地大川市ですが、木工、家具産業のまちであることを世に周知したい思いは、『ロボ家具』のWEB動画を通して届きつつあるということが、ひとつ証明されました。また、家具製作会社へお問い合わせはじめマスコミ、動画へのコメントなど各方面より反響をいただいております。今後も木工、家具産業のまちとして“職人MADE”を掲げ、暮らしになくてはならない家具の可能性を、そして職人の技を伝えてまいります。※1 一般社団法人大川インテリア振興センター、インテリア産業関係統計資料より■『ロボ家具』とは?大川市の木工家具メーカー株式会社 丸庄と福岡市のロボットメーカー株式会社匠によりつくりあげた自分で動く家具。家具とロボットがひとつになった家具を『ロボ家具』と名付け、特別なソファをデザイン、製作しました。未来の社会の在り方、変わりゆく生活スタイルを鑑みて「家具のある新しい暮らしの豊かさ」のコンセプトのもと、「家具が提示することのできる新しい価値とは何か?」を考え、誕生したのが、自分で動く、止まる、まわる、不思議な家具『ロボ家具』です。家具が動くことで、模様替えが楽になったり、子どもの遊び道具になったり、お年寄りの移動サポートになったりと、家具に新しい役割や価値が生まれます。単なるモノではなく「暮らしのパートナーとして存在する家具」というちょっと未来の家具の形を具現化しました。※非売品となります。※御取材において実物を撮影いただくことも可能です。取材窓口までご連絡ください。■『ロボ家具』篇 ストーリーボードWEBムービー【ロボ家具】篇WEB動画【ロボ家具】篇 ストーリーボード見た目はいつもの家具だけれども、自分で動いたり止まったり、回ったりする動く家具。模様替えが楽になり、子どもと遊ぶなど、より積極的に生活に関わりを持つ、家具とロボットがひとつになった『ロボ家具』。そんなちょっと未来の家具をつくりあげました。○YouTubeチャンネル名 大川市役所○WEB動画(61秒) : ○WEB動画(15秒) : ○特設サイトページ: ↑職人インタビューや『ロボ家具』の詳細についてご紹介■ソファ製作『株式会社 丸庄』所在地 : 〒831-0016 福岡県大川市大字酒見543公式サイト: 1945年創業。無垢の木の節や入り皮を活かしたデザインが特徴的。婚礼家具や高級家具から時代の流れ、ライフスタイルの変化に伴い顧客の要望に応え心地よさにこだわった職人技術とデザインの家具を製作。木の表面に波形の凹凸をつける「ウェーブ加工」はオリジナル加工技術。『ロボ家具』に使用したソファは特別にデザインし製作。『ロボ家具』の場合、職人としてのこだわりは座り心地と全体の見た目。ロボットを内臓するスペースをなるべく小さくし座面のクッション性の邪魔をしないよう設計。全体の見た目は、ロボットを覆い隠すだけではなく幕板をミリ単位で調整した。株式会社 丸庄&ロボ家具■ロボット製作『株式会社 匠』所在地 : 〒810-0072 福岡市中央区長浜2-4-1 東芝福岡ビル6F公式サイト: 2015年創立の福岡県福岡市の国内製造の搬送ロボットメーカー。棚・パレット搬送を中心に企業にカスタマイズ対応。設計開発から保守・メンテナンスまですべて国内で行う。『ロボ家具』で使用された自動搬送ロボット『TiTra G500』■『TiTra G』シリーズ国産初(2020年6月)の自動搬送ロボットとして登場。自律型搬送ロボットシリーズ。搬送対象物の下に待機、ロボット中心部分がリフトアップし、対象物を持ち上げ搬送を行う。碁盤目状(規則的)に床面に敷設した二次元コードを目印として、前進・旋回、ロボット制御システムを駆使し細かな指示を出す。■一般の方のお問い合わせ先大川市役所インテリア課おおかわセールス係担当:国武TEL :0944-85-5570 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年02月24日大川市では、2022年1月12日より『ロボ家具』WEB動画の放映を開始します。2017年に話題となった『ネコ家具』など、常に木工、家具産業の振興につなげる施策を行なってきました。コロナ禍によりリモートワークが増え、家具が担う役割は変化の時期を迎えています。“職人MADE”を掲げる大川市は、家具のある新しい暮らしの豊かさを『ロボ家具』で表現しました。実際につくりあげたちょっと未来の家具をWEB動画でご覧ください。■『ロボ家具』とは?大川市の木工家具メーカー株式会社 丸庄と福岡市のロボットメーカー株式会社 匠によりつくりあげた自分で動く家具。家具とロボットがひとつになった家具を『ロボ家具』と名付け、特別なソファをデザイン、製作しました。未来の社会の在り方、変りゆく生活スタイルを鑑みて「家具のある新しい暮らしの豊かさ」のコンセプトのもと、「家具が提示することのできる新しい価値とは何か?」を考え、誕生したのが、自分で動く、止まる、まわる、不思議な家具『ロボ家具』です。家具が動くことで、模様替えが楽になったり、子どもの遊び道具になったり、お年寄りの移動サポートになったりと、家具に新しい役割や価値が生まれます。単なるモノではなく「暮らしのパートナーとして存在する家具」というちょっと未来の家具の形を具現化しました。※御取材において実物を撮影いただくことも可能です。取材窓口までご連絡ください。※非売品となります。■『ロボ家具』篇 ストーリーボードWEBムービー【ロボ家具】篇WEB動画【ロボ家具】篇ストーリーボード見た目はいつもの家具だけれども、自分で動いたり止まったり、回ったりする動く家具。模様替えが楽になり、子どもと遊ぶなど、より積極的に生活に関わりを持つ、家具とロボットがひとつになった『ロボ家具』。そんなちょっと未来の家具をつくりあげました。○WEB動画(61秒) : ○WEB動画(15秒) : ○特設サイトページ: ↑職人インタビューや『ロボ家具』の詳細についてご紹介○世界に1台!ロボ家具(ロボ抜き)が当たるTwitterフォロー&リツイートキャンペーンも開催。Twitterアカウント名: 【ロボ家具】職人MADE大川家具 By 大川市Twitterユーザー名 : @OkawaFurniture■ソファ製作 『株式会社 丸庄』所在地 : 〒831-0016 福岡県大川市大字酒見543公式サイト: 1945年創業。無垢の木の節や入り皮を活かしたデザインが特徴的。婚礼家具や高級家具から時代の流れライフスタイルの変化に伴い顧客の要望に応え、心地よさにこだわった職人技術とデザインの家具を製作。木の表面に波形の凹凸をつける「ウェーブ加工」はオリジナル加工技術。『ロボ家具』に使用したソファは特別にデザインし製作。『ロボ家具』の場合、職人としてのこだわりは座り心地と全体の見た目。ロボットを内臓するスペースをなるべく小さくし座面のクッション性の邪魔をしないよう設計。全体の見た目は、ロボットを覆い隠すだけではなく幕板をミリ単位で調整した。株式会社 丸庄&ロボ家具■ロボット製作 『株式会社 匠』所在地 : 〒810-0072 福岡市中央区長浜2-4-1 東芝福岡ビル6F公式サイト: 2015年創立の福岡県福岡市の国内製造の搬送ロボットメーカー。棚・パレット搬送を中心に企業にカスタマイズ対応。設計開発から保守・メンテナンスまですべて国内で行う。<『TiTra G』シリーズ>国産初(2020年6月)の自動搬送ロボットとして登場。自律型搬送ロボットシリーズ。搬送対象物の下に待機、ロボット中心部分がリフトアップし、対象物を持ち上げ搬送を行う。碁盤目状(規則的)に床面に敷設した二次元コードを目印として、前進・旋回、ロボット制御システムを駆使し細かな指示を出す。『ロボ家具』で使用された自動搬送ロボット『TiTra G500』■大川市の未来への取り組み 大川家具とSDGs所在地 : 〒831-8601 福岡県大川市大字酒見256-1公式サイト: 面積 : 33.63km2人口 : 32,888人(2021年11月30日現在)近年、森林の保水力低下から大雨による災害被害が発生し、森林環境整備が急務となっています。世界的にも持続可能な開発目標であるSDGsへの取り組みが叫ばれる中、森林環境の整備・保全において木を扱うモノづくりのまち、家具産地「大川」だからこそ担うべき役割は大きいと考えており、すでに木材利用促進や植樹などの活動を推進しています。■地域材家具プロジェクト(ふるさと家具)各地域で産出される地域木材を使って、製材から加工、家具の製造、納品までワンストップで提供するプロジェクト■早生広葉樹活用プロジェクト(SOUSEI)15~20年程度で伐採期を迎える早生広葉樹センダンを使用した家具の開発や植樹活動を平成30年から展開480年余の歴史を有する「大川家具」は、これからも、人の暮らしに寄り添い、環境に配慮したサスティナブルなモノづくりに挑戦していくと同時に適切な森林整備と国土保全に貢献してまいります。■一般の方のお問い合わせ先大川市役所インテリア課おおかわセールス係担当:国武TEL :0944-85-5570 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月12日日本一の家具産地である福岡県大川市の大川家具は、ブランドの強化を目的に、今年10月に九州出身のEXILEのメンバー・黒木啓司氏を「大川家具スペシャルアドバイザー」として迎えました。このたび大川市唯一の組子専門店である大川組子と黒木氏とのコラボレーションアイテムが完成し、2021年12月7日より大川市のふるさと納税返礼品としても登場しています。これに伴い、「大川家具 黒木啓司 プロデュースアイテムお披露目会」が行われました。ふるさと納税返礼品としても人気の大川家具の魅力約480年の歴史があり、日本一の家具生産高を誇る大川家具。近年ではふるさと納税の返礼品としても多数の国産家具を取り揃えており、コロナ禍での巣ごもり需要も後押しとなり、人気を集めています。そんな“職人MADEの100年愛せる家具”である大川家具ブランドの魅力創出と情報発信を目的に創設された「大川家具スペシャルアドバイザー」に就任した黒木啓司氏は、大川家具について、「職人さんの技術がとにかく素晴らしく、日常を華やかにしてくれるデザインのものがたくさんある。皆さんの日常の中に大川家具があるということをこれから情報発信していきたい」と語りました。大川家具×黒木啓司氏のコラボ組子アイテム料理好きという黒木氏のアイデアにより、今回の大川家具の大川組子と黒木氏のコラボアイテムはコースターとお皿の2つ。「大川組子×黒木啓司 コラボコースターセット(2枚組)」は黒木氏がプロデュースする九州の魅力発信プロジェクト「THE NINE WORLDS」のロゴを活用したデザインで、黒木氏の名前にちなみ、黒い木で作られています。「大川組子×黒木啓司 コラボガラス皿」は木でできた組子の上にガラス板を置いて使用するガラス皿。通常は無着色のガラス部分をテーブルが華やかに見えるよう、黒木氏のアイデアでこだわりのオレンジの色付きガラスを採用したものとなっています。コラボ秘話と大川家具の未来を語るトークショー今回黒木氏とコラボレーションを行った、組子職人である木下木芸の木下正人氏とのトークショーも開催されました。「ガラス皿の方はオレンジ色の色味にも相当こだわった。デザートや和菓子を置くと映えると思うのでぜひ写真を撮ってもらいたい」(黒木氏)「ガラス皿の組子は麻の葉柄といって組子の基本であり、縁起がよく、魔除けの意味を持つもの。組子を知らない若い方にも手に取ってもらい、長く使ってもらいたい」(木下氏)実際に大川家具の工房にも足を運んだという黒木氏は、「若い方も全国から修行しにきていて、日本が世界に誇るべき技術がつまっている。もっともっとそれを伝えていきたい」と語り、続けて「大川は素晴らしい街。実際に見てもらうと印象もまた変わると思うので足を運んで、おうち時間を充実させる家具を選んでもらいたい」とコメント。さらに木下氏は、「これを機に若い方に向けても組子の魅力を発信していきたい」と、それぞれがメッセージを送りました。職人の技術と現代の感性がふんだんに盛り込まれたコラボアイテム。ふるさと納税として大川家具の未来も支えることができるので、気になる方はぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
2021年12月24日大川興業株式会社(代表:大川豊)主催による『大川の大忘年会2021』が2021年12月30日 (木) ~2021年12月31日 (金)にザ・スズナリ(東京都世田谷区)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 大川興業『大川の大忘年会2021』12月30日(木)開演18:00出演:大川豊、寺田体育の日、久嬢由起子笑いはあらゆる所にある!全てのインディーたちを応援する番組「大川興業のインデペンデス・デイ」のライブ版です!12月31日(金)開演14:00出演:阿曽山大噴火日本一の裁判傍聴芸人が見た東京地裁の12ヶ月。件の知られざる裏側をスズナリで!12月31日(金)開演21:00司会:大川豊、寺田体育の日、阿曽山大噴火出演:鉄板■魔太郎、銀河と牛、俺はゴミじゃない、仁井智也ゲスト:松尾アトム前派出所、牧野ステテコ、アマレス兄弟、マンマーレ、三嶋省吾、ALSのいけちゃん、ピンQ、ブルーザー、ダークホース山出、しゃばぞう、ねづっち、藤田記子、米粒写経、だるま食堂、モロ師岡、他大川興業一線を越えたものはすべてお笑いだ!大川興業は、森羅万象をお笑いにする芸人集団です。ピン芸、コント、漫才、演劇などトランスフォームしながら笑合芸術として、世界にお届け致します。公演概要大川興業『大川の大忘年会2021』公演期間:2021年12月30日 (木) ~2021年12月31日 (金)会場:ザ・スズナリ(東京都世田谷区北沢1-45-15)■スタッフ舞台監督: 海老沢栄音響: 真澤則子照明: 橋本剛制作: 下浜奈津子、高畑怜井子、久保佳代主催:大川興業■公演スケジュール『大川の大忘年会2021』12月30日(木)開演18:00「大川興業のインデペンデンス・デイ ライブ」12月31日(金)開演14:00「お笑い裁判の歩き方2021」12月31日(金)開演21:00「すっとこどっこい大晦日スペシャル」※23:30終演予定。※開場は開演の30分前です※上演時間:約2時間12月31日(金) 21時開演公演のみ約2時間半予定■チケット料金全席自由:3,000円→ カンフェティ席2,000円!(税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年12月22日12月9日に58歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。この日、公開された写真では、宮城県のこけしや宮崎県の神楽面など、今年の地方ご公務でオンライン訪問された各県の伝統工芸品について天皇陛下とお話しになっていた。同日、ご感想を文書で発表した雅子さまは冒頭にこう綴られたーー。「今月初めには娘の愛子が成年を迎え、多くの方々から温かい祝福を頂きましたことに心から御礼を申し上げます」「愛子が生まれてからの20年間は長かったようにも、あっという間だったようにも感じられますが、様々な思い出が思い起こされて感慨深く思います」その20年を振り返ると、雅子さまは愛子さまが2歳のお誕生日をお迎えになった直後に体調を崩し、長期ご療養に入られている。さらに、愛子さまが小学校への登校不安を覚えると通学の付き添いを続けられるなど、苦しい時期も過ごされた。それだけに、12月5日、美しいドレス姿をお見せの愛子さまに、胸にこみ上げるものがおありだっただろう。最近の雅子さまにはお疲れがあり、愛子さまの成年祝賀行事の一部を休まれたが、9日の誕生日には明るい笑顔を見せられていた。
2021年12月18日《今月初めには娘の愛子が成年を迎え、多くの方々から温かい祝福を頂きましたことに心から御礼を申し上げます》12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。ご感想のなかでは、ご成年を迎えた愛子さまのご成長についても感慨深げに綴られていた。愛子さまの誕生日の前日となる11月30日、政府は皇位継承問題に関する有識者会議を4カ月ぶりに再開させた。年内にも報告書を取りまとめて政府に提出するというが、軸となるのは女性皇族が結婚後も皇室にとどまれるようにすることと、旧宮家の男系男子を皇室の養子にできるようにすることだという。一方で、女性天皇や女系天皇に関する議論は先送りとなった。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「これでは皇位継承者の確保につながらない」と警鐘を鳴らす。「結局、皇位継承者の確保については、悠仁親王のお妃が男子のお子さまを産むことが、唯一の希望という状況は変わりません。悠仁さまの次の代に男子が期待できない場合、旧宮家の男子の皇位継承が取り沙汰されることになります。しかし戦後の象徴天皇制は、皇室と国民の相互の信頼と結びつきによって成り立ってきました。愛子さまよりずっと血縁の遠い旧宮家の男子にそれが期待できるでしょうか。象徴天皇制の根幹が揺らぐ事態です」さらに、愛子さまの人生設計がたてづらくなるという点にも、小田部さんは懸念を表明する。「眞子さんの結婚は国民の賛否を呼びました。愛子さまにも少なからず影響があるでしょう。しかも皇室に残られるとなると、結婚のハードルはさらに高くなります。そのうえ天皇になる可能性が閉ざされているのに、一市民になることも難しいとなれば、眞子さんが感じていた以上の“不自由感”や、将来への閉塞感を抱き続けることになりかねません」実は、雅子さまは誕生日の直前、体調不良に見舞われていた。「12月1日の愛子さまご成年の祝賀行事を、雅子さまは欠席されています。また、誕生日写真の撮影も、2回にわたって延期されていたのです」(皇室担当記者)そんな体調不良のなか、長文のご感想をしたためられた雅子さまだが《働く女性の自殺が約3割増加し、小中高生の自殺も過去最多となり、昨年の自殺者数は11年ぶりに増加に転じたとも報じられています》と、自殺者数の増加について詳しく述べられている。そして、コロナ禍で《人と人とが触れ合うことが難しく、孤独を感じやすい今だからこその問題》とし、次のように切実なメッセージを記されている。《人が自らの命を絶つといった悲しく痛ましい出来事ができる限り起こらないよう、周りの人に相談したり、身近な支援窓口に足を運ぶことが容易にできるよう、これまで以上に皆でお互いを気遣い、支え合っていける社会となっていくことを願っています》この言葉について宮内庁関係者は、雅子さまのご胸中をおもんぱかる。「愛子さまも、学校に行けない時期が何度かあり、つらい思いをされてきました。眞子さんは皇族としての不自由さを感じていたといいますが、愛子さまもご自身のお立場に戸惑い、悩まれてきました。立派に成長されたといっても、皇位継承問題などで今後も困難が待ち受けていることに変わりはありません。雅子さまも、このままでは“愛子さまの未来が閉ざされてしまう”という思いも抱かれていることでしょう。愛子さまが“天皇の娘”であることに苦しまず、自信を持って生きられるように――。雅子さまは母親として、皇后として、愛子さまの心を守るという決意を込められたのかもしれません」華やかな祝賀行事の陰で雅子さまが母として抱えられる苦悩に、国民も目をそらしてはならないだろう。
2021年12月14日寒い季節に恋しくなるのが、温泉宿。来年1月下旬に再開される予定のGo To トラベルを使って、雅子さまも休まれた格式高い宿で優雅な時間を過ごしてみては?題して、「雅子さまが癒された憧れの温泉宿9軒」。至極のおもてなしがそこにありますーー。■佐賀県・嬉野温泉「和多屋別荘」心ゆくまで四季を愛で移りゆく季節を感じられる日本庭園や、伝統的な数寄屋造りの和室、黒川紀章氏設計のタワー棟など、嬉野川が中央を流れる2万坪の広大な敷地にアートな空間が広がる。雅子さまは最上階のロイヤルスイートにお泊りになった。(’20年1月に改装済み)昭和天皇がお泊りになった格天井総檜造りの特別貴賓室「洗心」は、雅子さまもご覧になられたそう。日本料理の食事処「利休」では、うれしの茶と日本酒の口福のペアリングが楽しめる。住所:佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙738電話:0954-42-0210料金:1泊2食付き1人2万900円〜。■石川県・和倉温泉「加賀屋」地下の花崗岩に含まれる水晶をくぐり抜けた透明なナトリウム・カルシウム塩化物泉が、開湯以来1200年湧き続ける和倉温泉で、創業100年余となる老舗旅館。工芸品やお土産店が並ぶ「錦大路」やスパなど館内施設も充実している。最上階の迎賓室「天游」は伝統工芸や美術の粋を集めた調度も魅力。また、お食事では冬のカニや寒ブリなど、海鮮が豊富なのも能登の魅力のひとつ。住所:石川県七尾市和倉町ヨ部80電話:0767-62-1111料金:1泊2食付き1人5万5,000円〜。■鳥取県・三朝温泉「依山楼岩崎」日本一のラジウム温泉として知られる三朝温泉の老舗旅館。両陛下は愛子さまがお生まれになった翌年のご宿泊だったが、創業から101年の間には昭和天皇・香淳皇后、上皇ご夫妻、そして佳子さまも宿泊されている。総面積134.33平方メートルの露天風呂付き貴賓室「桜川」は1人1泊7万7,000円〜。境港からの新鮮な魚、ズワイガニや鳥取黒毛和牛などの特産品も。住所:鳥取県東伯郡三朝町三朝365-1電話:0858-43-0111料金:1泊2食付き1人1万8,700円〜。■山口県・はぎ温泉「萩城三の丸 北門屋敷」世界遺産の萩の城下町にある旅館。ご宿泊当日はひどい雨の日で、貴賓室の庭園ではカエルが鳴いており、雅子さまは「(自分たちが)会話を始めると鳴きやみ、会話が止まるとまた一斉に鳴きだす」と驚かれていたという。両陛下宿泊時のお品書きには、テナガエビ、オコゼ、アマダイなど、海の幸に恵まれている山口県の食材がふんだんに盛り込まれ、窯元で焼いた専用の器も用意された。住所:山口県萩市堀内210電話:0838-22-7521料金:1泊2食付き1人2万2,000円〜。■長野県・斑尾高原温泉「斑尾高原ホテル」夏は避暑地、冬はスキー場としてにぎわう斑尾高原で天然温泉を楽しめるホテル。’01年、両陛下が訪問された際には作家の田中康夫氏が知事としてホテルで面会した。両陛下はゲレンデの見える部屋で過ごされた。敷地内に湧く温泉は刺激が少ない高アルカリ性。肌がすべすべする感触で女性におすすめ。お食事では、地元・信州の新鮮な食材とともに、近くの新潟県の郷土料理や魚介類も取り入れている。住所:長野県飯山市斑尾高原11492-321電話:0269-64-3311料金:1泊2食付き1人1万1,300円〜。■岐阜県・長良川温泉「岐阜グランドホテル」「にっぽんの温泉100選」に選ばれた長良川温泉を味わえるワンランク上のリゾートホテル。川側の部屋からはハイキングも楽しめる金華山や鵜飼で知られる清流・長良川といった大自然を、街側の部屋からは岐阜市街を一望できる。木のぬくもりが感じられる、ロイヤルスイートの応接室。美濃・飛騨の風味豊かな「ヘルシー美濃薬膳」は体にも優しい。住所:岐阜県岐阜市長良648電話:058-233-1111料金:1泊2食付き1人1万6,940円〜。■秋田県・大湯温泉「ホテル鹿角」開湯800年の歴史を誇る大湯温泉を堪能できるホテル。十和田八幡平国立公園や奥入瀬渓流、世界遺産の白神山地の中心に位置し、観光にも便利。比内地鶏のきりたんぽ鍋など、秋田の郷土料理も自慢のひとつ。約130平方メートルの贅沢な空間でくつろげるロイヤルスイートは夫婦・カップル限定プランも。住所:秋田県鹿角市十和田大湯字中谷地5-1電話:0186-30-4111料金:1泊2食付き1人1万6,500円〜。■愛媛県・道後温泉「ふなや」日本三古湯のひとつ、道後温泉で江戸時代から続く創業390年以上の旅館。両陛下は’99年のしまなみ海道全線開通の際にご宿泊。皇室の方々のみならず、正岡子規、夏目漱石、種田山頭火など多くの文人たちにも愛されてきた。京都数寄屋大工の匠が手がけたリビングのロイヤルスイートは1泊7万7,000円〜。住所:愛媛県松山市道後湯之町1-33電話:089-947-0278料金:1泊2食付き1人2万3,100円〜。■福島県・奥飯坂穴原温泉「吉川屋」両陛下は’95年、’98年にご宿泊。「’95年はさわやかな新妻という印象でしたが、2度目のときは皇太子妃殿下らしいオーラを強く感じました」とおかみさんは語る。東日本大震災後、上皇ご夫妻が風評被害に苦しむ地元の農家たちと吉川屋で交流されたことも話題となった。貴賓室、露天風呂から眺める片倉山と摺上川の大渓谷は美しい。冬季は雪景色が広がる。会席では、黒毛和牛をはじめ、福島県と東北各地の四季折々の特産品を使った日本料理が並ぶ。住所:福島県福島市飯坂町湯野字新湯6電話:024-542-2226料金:1泊2食付き1人2万円〜。※お出かけの際は、最新の新型コロナウイルス感染状況をご確認ください。また、現地では自治体などの指示に従い感染防止対策を行うようお願いいたします。各宿の料金は、2人利用時の金額です。
2021年12月11日12月9日、58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。93年、外務省を退職され天皇陛下と結婚された雅子さまには、国際親善を期待する声も多かった。その期待を一身に背負われて臨まれたのが、94年・95年と2回に分けて行われた中東7カ国へのご訪問だった。結婚後初めての海外ご公務での、色鮮やかなドレス姿を振り返るーー。【94年サウジアラビア・ヤマーマ宮殿】裾にフリルを重ねた、エレガントなサファイアブルーのドレス。肩を膨らませたスリーブが特徴的。中東の風習に考慮し、首回りを詰め、袖も長くされ、肌の露出を抑えられている。【94年カタール・ハマド宮殿】ルビーレッドのシルクのドレス。胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が華やか。バッグと靴は金と銀で統一、ゴージャスさを演出されていた。【94年カタール・ラヤーン宮殿】雅子さまの誕生石でもある、ターコイズの色合いのドレス。胸元と袖口に、天から差し込む光のようなビジューが入れられている。【95年クウェート・バヤーン宮殿】和服の裏地に使われる、紅絹(もみ)色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージしたコーディネートに。【95年アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館】女性らしいベビーピンクのドレスでアラブ首長国連邦皇太子とご歓談。裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが美しい。アシンメトリーは雅子さまのドレスの定番デザイン。【95年ヨルダン・ナドワ宮殿】イスラム圏の女性の衣装・アバヤを感じさせるような、上質なシルクの布を右肩から裾にかけて用いられている。左上半身には花をあしらったレース素材でとてもエレガントな一面をお見せに。皇后となられてからも、天皇陛下の即位を祝う「饗宴の儀」では186カ国の賓客をもてなされた雅子さま。令和初の海外ご訪問は、イギリスで予定されているが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。再び、“皇室外交”の場での華やかなお姿を拝見したい。
2021年12月09日10月3日、引っ越されたばかりの御所の大広間の一角に式典用のお席を作り、リモートで「全国豊かな海づくり大会」に参加された天皇皇后両陛下。雅子さまのブルーのスーツは陛下のネクタイとおそろいの海の色。港町、宮城県石巻市で開催の式典を意識されてと思われたが、テーブルの上に飾られた宮城のゆるキャラ「むすび丸」の色にも合わせる心配りもお見せだった。式典後、両陛下は石巻市の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」をオンラインで視察され、被災者とご懇談。雅子さまは東日本大震災ののち、自ら営む水産加工会社に保育園を併設した同世代の女性に「いい取り組みをなさっていますね」と優しく話しかけられた。本来なら、震災から10年を迎えた被災地にお出かけになりたかったと思われるが、両陛下は画面越しであっても心を込めて被災者の話をお聴きになっていた。
2021年10月18日天皇ご一家の夏の恒例行事だったのが、那須高原や伊豆・須崎でのご静養。そこで注目を集める雅子さまのファッションには、実は年々変化が。ファッションライターの味澤彩子さんにお話を伺いました――。■夏のご静養スタイルを振り返り【’93年】那須塩原駅ご成婚されて間もなくの那須ご静養でのお姿。シーンを選ばないシックなジャケットスタイルに、大きめ襟のブラウスでフレッシュなアクセントをつけて。【’97年】伊豆急下田駅近年は寒色系のスタイルが多いが、’97年は珍しいピンクのジャケットスタイルも。定番の白ボトムスも、華やかな印象の強い光沢感のあるタイトスカートで。【’03年】那須町共同利用模範牧場スマートなシャツスタイルでありながら、リラックス感のあるオーバーサイズを選び、バレエシューズを合わせることで動きやすさと品格のあるスタイルを両立。【’12年】伊豆急下田駅毎年、ご静養時に白ボトムスを素敵に着こなされている雅子さま。白パンツはトレンドに応じて変化が見られ、’12年はセンタープレスのややフレアなシルエットを。【’19年】那須塩原駅最近多く見られる水色×白のスタイル。爽やかで夏らしい配色には、モノトーンのバイカラーのバッグと靴でメリハリを。お召し物がシンプルなぶん、ジュエリーは華やかに。■長くご愛用の名品ブランドバッグ【’02年】Salvatore Ferragamo’90年代から愛用されているバイカラーのバッグは、バイカラーのパンプスと合わせることが多い。【’10年】FENDI繊細な刺しゅうがエレガントなバケット。ハンサムなジャケットに合わせ、甘辛ミックススタイルに。【’13年】DIOR艶やかなパテント素材が目を引くバッグは、皇族とゆかりの深いディオールのマリスパール。■ファッションライター・味澤彩子さんがポイント解説新婚当初、’90年代の雅子さまは、ご静養に向かう道中ながら表情にもどこか緊張が感じられ、リラックスというよりは、特別感のある華やかなファッションが印象的でした。しかし、愛子さまのご誕生と共に、エレガントなだけでなく動きやすさも両立したスタイルに。愛子さまが成長されるにしたがって、リラックス感のあるナチュラルな素材、ハンサムで凜としたジャケットスタイルが多く見られるようになりました。洗練されたシンプルなコーディネートを、さらっと着こなすお姿には皇后としての風格が感じられます。ご公務とは違い、素顔の雅子さまらしさが垣間見えるご静養時のファッション。コロナ禍の今は困難ですが、また駅頭で交流される日が待たれます。
2021年08月12日日本一の家具の産地大川の職人が作るテレビ台!おしゃれで機能性を兼ね備えている5点を紹介します。和モダンな組子調デザインのテレビ台日本の美しい伝統工芸「組子」をモチーフにしたデザイン。和モダンでどんな空間にもマッチするテイストになっています。引き出しは奥の物も取り出しやすいフルオープンスライドレールとなっています。商品はこちらアルダー無垢材を贅沢使用したテレビ台前板の加飾部にアルダー無垢材を贅沢使用をしています。弊社でも大人気のデザインとなっております。また、真ん中のフラップ扉のガラスはリモコンの電波通すので扉を閉じたまま操作可能です。商品はこちらお部屋に合わせて自由にレイアウトできる伸縮式テレビ台幅の異なる格子でリズムが生まれるこだわりのデザイン。伸縮タイプなのでお部屋に合わせてサイズ調整ができ、お部屋のスペースを有効活用できます。また壁にピッタリ寄せた時も背面にコードを隠せるようコード隠しスペーサーもあります。商品はこちらラグジュアリーな雰囲気を演出するテレビ台ウォールナット無垢材の美しい木目とブラックガラスとの美しいコントラストがラグジュアリーな雰囲気を演出してくれます。3段階調節できる稼働棚付きなのでサイズに合わせて自由に変更いただけます。商品はこちら限られたスペースで大活躍コーナータイプテレビ台デッドスペースになりやすいお部屋の角にピッタリ。デザイン性と機能性にこだわったテレビ台。お部屋の角は視線を集めやすく、リビングダイニングに最も最適な配置が可能!家族で過ごす時間をより豊かにすること間違いなし。商品はこちらお気に入りのテレビ台でリビングを素敵な空間に。日本一の家具産地「大川」での職人が作ったテレビボード。お気に入りの家具を1つでも取り入れることで素敵な空間に大変身させることができます。今回はテレビ台5点を紹介しましたが他にも多くの大川家具を取り扱っているので是非覗いてみてください♪タンスのゲン本店ストアページ
2021年07月28日7月4日、元東宮大夫で宮内庁御用掛も務めた野村一成氏がなくなった。81歳だった。外務省出身で、雅子さまの父・小和田恒氏の部下だったこともある野村氏は、’06年4月に東宮大夫に就任。’11年7月まで6年にわたり、皇太子ご一家の側近トップの職を務めた。この時期は雅子さまが適応障害で療養されており、公務に出席できない日々が続いていた。’06年8月には雅子さまのご静養のためのオランダ訪問を実現させるなど、雅子さまにとって野村氏はもっとも苦しい時期を支えた“恩人”といってもいい存在だ。実は、野村氏が東宮侍従を務めていた時期に、五輪への“皇室利用”が問題になったことがあった。東京が’16年の夏季五輪に立候補した際には、当時の石原慎太郎都知事が、皇太子だった天皇陛下を「招致の『旗頭』に」と協力を要請したのだ。石原氏は天皇陛下と雅子さまに五輪招致組織の名誉総裁を要請する考えもあったという。しかし宮内庁の野村一成東宮大夫(当時)は「招致活動の段階から関わることは難しい」「招致活動には政治的な要素が強いこともあるし、すでに決まった式典に出席されるのとは違う話だ」と、この要請を拒否した。すると石原氏は猛反発し「宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるんじゃない」と激しく批判するという騒動になった。最側近である東宮大夫として矢面に立ち、天皇陛下と雅子さまを守った野村氏。両陛下は侍従を通じて弔意を伝えたという。
2021年07月15日東京オリンピックの開催まで1カ月を切った6月28日、上野で開催された日本芸術院賞の授賞式に出席された雅子さま。地紋のある素材でジャケットの裾をアシンメトリーにした新しいスーツは、前を着物の合わせのようにした和を感じるデザインだった。授賞式はコロナ禍の影響で昨年は中止されたため2年ぶりの開催となり、歌舞伎役者の松本幸四郎さんや日本画家の千住博さんら芸術の分野で業績のあった受賞者11人が出席。式後に行われた恩賜賞受賞者4人との懇談では、天皇陛下と雅子さまは作品についての説明を熱心にお聞きになっていた。お帰りの際、日本芸術院会館前に集まった人々からの歓声は自粛されたが、雅子さまは優しい笑顔をお見せになり、不安な日々を過ごす国民を励ますように手を振られていた。
2021年07月12日ご公務にはフォーマルな装いで臨まれる皇族方が、なかなかお見せにならない私服姿。今回は雅子さまと紀子さまの、若かりしころのファッションをプレイバック――。ジョルジュ・レッシュのスーツで海外にお出かけになる、ご婚約以前の雅子さま。ポケットチーフとストライプのインナーは紺と白で色を統一されている、上品なスタイルだ。一方、ご婚約時代の紀子さまは、白、赤、紺のトリコロールの色使いや金ボタンを使った深いVネックのカーディガンで当時のお嬢様スタイルを取り入れている。皇室の装いにも詳しいファッション評論家の石原裕子さんは、「空港での雅子さまはいかにも外務省で働く女性という感じで、多くの女性の憧れとなったお姿です。独身時代からとても品のある装いをされています。紀子さまのコーディネートは、偶然にも全てトリコロールカラーのお洋服になっています。学生時代の流行も偲ばれます」雅子さまと紀子さまのファッションは、プリンセスたちのお手本になっていることだろう――。
2021年06月17日6月9日は、天皇陛下と雅子さまのご成婚記念日。28年前、93年の6月9日に行われた祝賀パレードでは、雅子さまの美しいドレス姿と笑顔に、日本中が大いに沸き立った。パレードでは、沿道に手を振られながら時折言葉を交わされていた両陛下。はにかみながら会話をされるお二人の姿にも、国民は大きく心を動かされた。18年にご成婚25周年を迎えられた際には、夫婦円満のために心がけてこられたこととして天皇陛下はこう述べられていた。「相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること、そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」その姿勢は、新婚時代から変わらない。今こそ両陛下がご結婚された93年の、初々しいお姿を振り返りたい。【93年6月9日祝賀パレード】出発直前まで降り続いていた雨がぴたりとやみ、日差しが差し込むなか両陛下は沿道に集まった19万人の歓声にお応えに。途中、雅子さまが目をうるませられ、白い手袋で目頭をそっとおさえられる場面も……。【93年6月15日饗宴の儀】3日間にわたり、計6回行われたご成婚を祝う宮中饗宴の儀。1日目の夜は芦田淳デザインのロイヤルブルーのイブニングドレスをお召しに。【93年7月8日東京サミット宮中晩さん会】ご成婚の翌月、お二人で初の皇室外交の場へ。晩さん会で雅子さまは、クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領の間の席で、少しも気後れすることなくご歓談になっていた。【93年11月1日】愛知県の特別老人ホームをご訪問。雅子さまは、寝たきりのお年寄りの手にご自分の手を重ね、「お大事になさってくださいね」と優しく声をかけられていた。【93年12月20日鴨場でご接待】埼玉県越谷市の宮内庁埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻らを招き、伝統の鴨猟を紹介する皇室の伝統行事にご参加。じつは、天皇陛下が雅子さまにプロポーズされたのは千葉県の宮内庁鴨場。同じシチュエーションでのご公務で、プロポーズ時のことも思い出されたかもしれない。【93年12月23日一般参賀】上皇陛下の誕生日に、初めて一般参賀に参加された雅子さま。お召し物に選ばれたのは、イエローのロングドレスだった。新たな皇太子妃を一目見ようと多くの人々が集まり、天皇誕生日の一般参賀の参賀者数は、平成最多を更新した。仲睦まじいお二人のご様子は、理想のご夫婦として今もなお国民の手本となっている――。
2021年06月09日「天皇陛下と雅子さまは、6月9日に28回目の結婚記念日を迎えられます。コロナ禍以前は、皇室ご一家が集まってお祝いの食事会が開かれていましたが、今年は昨年と同じく愛子さまと家族3人で過ごされることでしょう」(宮内庁関係者)6月1日には上皇ご夫妻をはじめとする65歳以上の皇族方が新型コロナウイルスのワクチンを接種された。皇族方も国民と同じ基準で進めており、両陛下はまだ接種されていない。「5月30日に島根県で開催された全国植樹祭も、両陛下はリモートで出席されています。ご公務での外出も最小限にとどめ、コロナ禍にあえぐ国民生活を何よりも心配されています」(皇室担当記者)そんな中、菅政権のもとで皇室の未来を左右する議論が進められている。安定的な皇位継承策についての有識者会議が3月から開催されているのだが、その第3回会合で耳を疑うような発言が飛び出した。歴史学者の今谷明氏が、男系男子での皇位継承維持のために、次のような提言を行ったのだ。「悠仁様の後どうなるか。側室制を前提として、なおかつ非常に継承が難しかったことをどうやって維持していくか。ここに書いたように、近代医学の粋を尽くして男子出生を目指すというような医学的なことは当然おやりになったほうがいいと私には個人的に思う。しかし、これはあまり公には出せないことだが、個人的には側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだというふうに考える」男子出生のために用いる「近代医学の粋」とは、いったい何なのか。本誌は発言の真意を聞こうと試みたが、今谷氏からは「取材はお受けできない」との返答だった。本誌が20年にわたって不妊治療に携わる生殖医療の専門医に話を聞くと「技術的には、着床前診断で受精卵の染色体を調べ、男子の受精卵を子宮に移植すればほぼ100%男子を産むことができる」という。だが、技術的に可能だからやっていいというわけではない。この医師は「男女の選別は倫理的に大きな問題があり、日本産科婦人科学会は性別の検査を目的とした着床前診断は行わないとの見解を出している」とも語る。■「人権侵害といってもいい」性別による“命の選別”につながりかねない「近代医学の粋を尽くして男子出生を」の提言――。“男子を産まねばならない”というプレッシャーは、まさに皇太子妃時代の雅子さまを苦しめた最たるものだった。ご成婚後、両陛下は会見で何度も“お子さまの予定”について質問を受けた。外務省での経験を生かした国際親善を目指していた雅子さまだったが、周囲から求められたのは“お世継ぎ”を産むことだったのだ。雅子さまは、陛下とともに不妊治療に取り組まれた。流産を乗り越え、37歳でご懐妊。待望の第1子となる愛子さまがお生まれになった。しかし、愛子さまのご誕生後も男子出生を求める声はやまなかった。そして’03年12月、雅子さまは体調を崩して入院。長期ご療養となり、適応障害と診断された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは「雅子さまが適応障害になられた大きな原因は、“お世継ぎ”についてのこと」と語る。「夫婦が子供を持つことについて部外者が勝手に話したり介入したりするのは、一般の家庭ではありえないことで、人権侵害といってもいいでしょう。男子ばかりを求める意見に対して愛子さまは、ご自身が男の子に生まれていればと悩まれるかもしれません。両陛下は愛子さまがそういった自責の念を抱かないように『生まれてきてありがとう』という気持ちをしっかりお伝えになって育ててこられたのです」ご自身が“なんとしても男子出生を”という声に苦しめられたからこそ、悠仁さまと結婚する“未来の皇太子妃”に同じ苦しみを味わわせるわけにはいかない――。雅子さまは、そうお考えになっていることだろう。皇族に迎える女性を一人の人間として尊重するという、当たり前の考え方が抜け落ちているのではないか――。皇位継承問題を話し合うならば、まず雅子さまが苦しまれた過去をしっかり見つめ直すべきだろう。
2021年06月08日5月25日、皇居の紅葉山御養蚕所で蚕に餌を与えるご給桑を行われた雅子さま。ご養蚕は今年で2年目。この日、皇居に向かわれるときの雅子さまは、半蔵門にいた人々の歓声に応え晴れやかな笑顔をされていた。しかし、ご給桑の作業中には幾分緊張されたご様子と感じられた。やはり、明治時代から歴代の皇后が担われてきた行事なだけに、お気遣いもあったのだろう。「桑の葉を全部食べちゃうんですか?」と、5~6センチに育った蚕に枝つきの桑の葉をお与えになる雅子さま。例年なら4種類の蚕をお育てになるが、コロナ禍ということもあり、昨年に続き、今年も日本古来種の小石丸1種類のみを飼育し、規模を縮小して行っている。
2021年06月04日淡いみどりの装いで4月23日、天皇陛下と令和初開催の「みどりの式典」に出席された雅子さま。このご公務は上皇ご夫妻から引き継がれたもの。昨年は新型コロナウイルスの影響で中止になったが、今年は出席者を極力少なくして開催されることになり、両陛下は初めての参加となった。雅子さまが選ばれたのは、2年前の6月、令和初の地方ご公務となった愛知県での全国植樹祭でもお召しになったスーツ。緑化推進の場に合わせられた色がよくお似合いだった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月08日雅子さま皇后3年目へ――豪華な装いを総ざらい!「和ごころ光るドレスコレクション」と題して、ロイヤルファッションの中でも特に注目される華やかなドレスの“和の心”が麗しい装いのポイントを解説。解説してくれたのは、皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ石原裕子さん。■ティアラを際立たせる「ローブ・デコルテ」ローブ・デコルテは豪華なティアラやネックレスを際立たせるためのドレス。胸元や腕など肌の露出も多くシンプルに作られている。【’93年】ご成婚布地は金糸、銀糸を織り込んだ明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)。ノースリーブと、ダイヤモンド形にカットされた胸元に新妻の若々しさが感じられる。【’19年】即位後朝見の儀半袖にハート型のVネックと皇后らしい落ち着きのあるドレスに、第一ティアラとネックレスを。■細部に気品が宿る「ローブ・モンタント」フォーマルな海外王室の式典では、ハイネックに長袖、ロングスカートで肌の露出を抑えたスタイルに。細かくあしらわれた刺繍やビーズで気品をプラス。【’13年】オランダ王国即位式シルクジャガードの光沢が印象的な布地。とても軽い素材で、歩くとスカートの揺れが優雅。共布のトーク帽で統一感を。【’15年】トンガ国王戴冠式ペイズリーをイメージさせるレースのドレス。花びらのようなデザインの襟、胸元の金糸、銀糸を使った刺繍でゴージャスに。■宝石のような「海外ご訪問ドレス」【’94年】カタール・ハマド宮殿ルビーのような色合いのシルクに、胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が豪華。【’94年】カタール・ラヤーン宮殿雅子さまの誕生石、ターコイズの色合い。胸元と袖口に天から差し込む光のような飾りを。【’94年】サウジアラビア・ヤマーマ宮殿肩を膨らませた袖、裾にフリルを重ねたスカート、エレガントなブルーサファイアの装い。【’95年】アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが、ベビーピンクと相まって、女性らしさを演出。【’95年】クウェート・バヤーン宮殿和服の裏地に使われる紅絹色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージ。【’95年】ヨルダン・ナドワ宮殿金糸で花模様を刺繍した厚みのあるレース素材の左上半身。右肩から裾にかけてはサリーのようにサテンのシルクを重ねて。■賓客をもてなす「晩餐会ドレス」【’93年】東京サミット各国首脳ご成婚の翌月、初の皇室外交の場でお召しになったアップルグリーンのシルクドレス。レースの花が飾られた繊細な作りで新妻らしく。【’14年】オランダ国王アール・デコ調のティアラ、ネックレスに優しい印象のドレスを。【’15年】フィリピン大統領レースの持つ繊細さを上手に演出。華美になりすぎない装い。【’19年】アメリカ大統領ニューヨークの州花・バラをあしらったジャケットで、令和初の国賓・トランプ大統領をおもてなし。■雅子さま流、着こなしポイント5ご成婚以来、雅子さまはカラフルな色のお召し物でよくお出ましになっていました。それが強く感じられたのが、ご成婚の翌年から天皇陛下(当時は皇太子)と2度訪問された中東諸国でのドレス姿。このときの色鮮やかなドレスを、ご訪問先で見事に着こなしていらした雅子さまはとても素敵でした。それからお年を重ねられ、平成から令和への御代替わりとなる前、そして皇后となられてからの雅子さまは、優しい淡い色合いのドレスが多くなりました。特に賓客のおもてなしなどでは、決して華美な装いはされません。けれどもその装いは一見すると無地に見える布地にも金糸、銀糸が織り込まれていたり、繊細な刺繍で装飾されていたりと、ミセスらしい落ち着きに優雅な風格をたたえているのです。雅子さまのドレスには、よく見られる5つのポイントがあります。1つ目は、ハイネックやタキシードを思わせるウイングカラー。2つ目は、ふっくらとした肩から袖口に向かって細くなるレッグ・オブ・マトン・スリーブ。3つ目は、アシンメトリーに左腰に寄せたドレープ。4つ目は、左腰にボウで結んだリボンや飾り。5つ目は、滝のように流れ落ちるカスケードライン。この5つの特徴がよく表れているのが、ご成婚後の饗宴の儀でお召しになっていた淡いオレンジのドレスでした。さらに、ドレスのスカートを着物のように重ねるデザインや地紋のある絹地からは、和のテイストが感じられます。これは、日本のさまざまな伝統美を上手に取り入れていらした美智子さまの装いから引き継がれたものです。その和のこころを、雅子さまは独自のデザインで継承されています。これからは華美になさらなくても格調の高い、皇后らしい装いが増えてくると思います。コロナ禍で賓客の接遇や外国へのご訪問がなく、新しいドレスを拝見できないのが残念ですが、今後が楽しみです。(石原さん)(写真:本社写真部/雑誌協会代表取材/宮内庁提供/時事通信/朝日新聞社)「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日「はじめまして」柔らかなものごしで本誌記者に渡してくれた名刺には、“夜神ヒロシ”という源氏名が――。彼の本名は大川宏洋(32)。宗教法人「幸福の科学」総裁の大川隆法氏の長男であり、彼自身も、かつては「幸福の科学」の理事長を務めていた。「幸福の科学系列のプロダクションが製作した映画にも俳優として出演しています。’18年に公開された『さらば青春、されど青春。』では主演を務め、恋人役は千眼美子(26)でした。しかし、その2年後には『幸福の科学との訣別』を上梓し、《大川隆法を1度も“神”だと思ったことはありません》と、実の父を批判して話題を呼んだことも記憶に新しいのではないでしょうか」(芸能関係者)そんな宏洋氏が4月14日から歌舞伎町の人気ホストクラブ『KING』で働き始めたというのだ。本誌は、さっそく彼にインタビューを申し込んだ。――“ホストの新人”といえば、トイレ掃除もしなくてはいけないと聞いています。ヒロシさんも経験したのでしょうか?「もともと(ホストクラブの)オーナーさんとは知り合いだったのですが、特別扱いはありません。トイレなどの掃除も30分間しっかりやらせていただきました」“元御曹司”らしく、記者のいきなりの失礼な質問にも丁寧に答えてくれるのが好印象だ。――バーを経営したり、映画製作にも携わったりしているそうですが、なぜホストになったのでしょうか?コロナ禍で資金繰りが苦しいとか……「いえいえ(笑)、同じYouTuberのだいにぐるーぶさん、友人でもあるEvis Japのメンバーたちが企画で期間限定でホストをやっているのを見て楽しそうだと思い、自分もやりたいと思って志願しました。だからホストとして働きながら、同時に僕の姿を撮影してもらっています。それに人生経験を積みたいという気持ちもありました。私ももう32歳ですし、なかなか経験できませんよね。だからオーナーに声をかけてもらったときに、『ぜひやらせてください!』と。でも6月4日には監督・主演をしている映画『グレーゾーン』が公開されますから、5月からは宣伝などで忙しくなります。そこで、今回は6日間だけ限定で働かせていただいています」宏洋氏は大学卒業後に結婚し、男児を授かったものの、数年で離婚している。さらに実父やきょうだいとも絶縁中と、32歳にしてはかなり人生経験が豊富なのだが、あくまでもチャレンジする姿勢は崩さないようだ。――目標の売り上げは6日間で100万円と聞きました。達成できそうでしょうか?「友人たちが『遊びに行くね』と、言ってくれたり、YouTubeを見てくれた人たちがお店に来てくれたりしています。本当にありがたいことに、初日もスタートから3時間で、シャンパンを3本入れていただきました!20万円が1本と5万円が2本ですね。でもシャンパンコールをまだ教わっていなかったので、これから勉強していきます」結局、初日の売り上げは指名本数8本で売り上げは43万円になったという。――すでにトークも慣れている印象ですが、“鉄板ネタ”がありますか?「『32歳バツイチ子持ち。息子は7歳、3年間会っていません!』と自己紹介すると、たいていのお客様は笑ってくださいますね(笑)」――“会っていない”といえば、ホストデビューについてはご家族には報告していますか?「父をはじめ、家族には知らせていません!いっさい連絡をとっていませんので、来店予定もありませんね。でも、売り上げ的には来てほしいです。父が着ているスーツと同じくらい高い、数十万円のシャンパンとか、おろしてほしいなぁ。『父さんお店に来てくれよ!』なんて、営業動画もYouTubeで流してみるのはどうでしょうね?」インタビュー中も“父親イジリ”を忘れない宏洋氏。歌舞伎町で“感動の父子和解”は実現するだろうか。
2021年04月16日「雅子さまが3回連続してお出ましを直前に取りやめられたのです。こんなことは、2年前に皇后になられてから初めてなので、とても心配です……」そう語るのは皇室担当記者。最初の異変は、4月3日だった。「『神武天皇祭の儀』ご出席のため、天皇陛下とご一緒に皇居へ行かれる予定でした。しかし当日、雅子さまは突然欠席されることになったのです。さらに6日には天皇陛下や愛子さまとご一緒に皇居の『旧吹上仙洞御所』を訪問される予定でした。近々、ご一家は皇居にお引っ越しすることになっているので、改修工事が終わった“新居”の視察をする予定だったのですが、これも直前に、翌日への延期が決まりました」だが、翌7日も視察は行われなかった。この日も直前に取りやめとなり、“3連続キャンセル”になってしまったのだ。「雅子さまは、体調を崩されていたそうです」そう語るのは宮内庁関係者。「3月下旬には、コロナ禍で延期されていた『講書始の儀』や『歌会始の儀』が催され、そのお疲れが残っているのかもしれません。ただ、それに加えて“小室さん文書”の影響も否定できません。今回の文書は8日に発表されましたが、数日前には秋篠宮ご夫妻に渡されていたようです。そして秋篠宮家は侍従職を通じて、両陛下にも文書の内容を報告されていたのでしょう。その内容に、雅子さまは少なからず衝撃を受けられたはずです。天皇陛下は2月の誕生日会見で『多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております』とおっしゃっていました。しかし、小室さんの文書は自己弁護に終始しており、陛下の願いを完全に無視したものといっても過言ではなかったからです」雅子さまを支える医師団も、昨年12月に《依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです》と報告している。今後、眞子さまと小室さんの結婚が実現に向けて動きだすことで、皇室全体に対しても、国民の反発が強まる可能性も高い。雅子さまにとって、さらなる心労にならなければいいが……。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月13日晴れやかな笑顔で手を振り周辺の桜が美しい半蔵門を通られた雅子さま。3月26日、淡い水色のロングドレスをお召しになって皇居で催された歌会始の儀に臨まれた。雅子さまは《感染の収まりゆくをひた願ひ出(い)で立つ園に梅の実あをし》と、新型コロナウイルス感染症の収束を心から願うお気持ちを御歌で表され、国民にお心を寄せられた。この歌会始の儀は講書始の儀に続いて1月中旬に行われる宮中の新年の儀式。だが、今年はコロナ禍のため約2カ月も延期され、出席者も大幅に抑えて全員マスクをつけての開催となった。さらに、歌を詠み上げる講師や講頌などはフェースシールドをつけ、机にアクリル板を立てるなど、完全な感染防止対策が施されていた。「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月03日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日東日本大震災から10年を迎えた3月11日、天皇陛下と雅子さまは追悼式に臨まれる。雅子さまは毎年のお誕生日のご感想で、陛下とご一緒に「被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」などと今なお被災地を気遣われ、復興を願う思いをつづられてきた。また、皇太子妃時代には被害の大きかった東北3県の被災地を3回ずつご訪問。そのご交流のなかでのお気持ちを、折に触れ和歌に詠まれている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》’96年春、福島県土湯温泉町を訪ね、仁田沼周辺を散策された両陛下。震災の年に、その美しい自然に思いをはせ詠まれた御歌。《悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり》岩手県釜石市をお訪ねの際、釜石湾が静かに凪ぐ様子をご覧になり、地域の人々の悲しみが癒されていくよう願われた。《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》事故を起こした福島第一原発に近い広野町の福島県立ふたば未来学園高等学校の授業をご覧になり、生徒たちの真摯ですがすがしいまなざしの印象を詠まれた。《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》津波被害の大きかった宮城県名取市閖上地区などをご視察。新しい災害公営住宅に入居した被災者の喜びの声に安堵され、さらなる復興を願われて詠まれた御歌。今年3月に入って以降、両陛下は被災地により深く心をお寄せになっている。1日には赤坂御所で復興庁の事務次官らから復興状況に関する進講を受けられ、4日には赤坂御所と岩手県の釜石市、陸前高田市とをリモートで結び被災者らの代表6人とお話を。雅子さまは、一人ひとりのお話をじっくりと聞かれ、声をおかけになるなどの交流をされていた。コロナ禍の今はリモートでのご交流しかかなわないが、近い将来、陛下とともに被災地をご訪問され、慈しみの心を皇后の御歌として詠まれることだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日