BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBEの日髙竜太、加納嘉将、深堀未来、砂田将宏が、LDHのコンテンツサービス「CL(読み:シーエル)」内の企画「KEY MUSIC」にて、名曲カバーを4週連続で配信することを発表した。「KEY MUSIC」は、LDH所属のヴォーカリストによる本気の歌唱をファンにお届けするスペシャルコンテンツ。これまでにEXILE ATSUSHIとTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのRIKU、川村壱馬、吉野北人のコラボレーションやCrystal KayとEXILE SHOKICHIのコラボレーションなどが配信されている。今回の「KEY MUSIC 〜BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE」では、5月25日に発売される5th Single『ラストダンスに BYE BYE』のリリースを記念して、ヴォーカルメンバーが中心となってこれまでに見せてこなかったソロやグループ内デュエットでの特別歌唱をお届けする。左から砂田将宏・深堀未来5月9日20時より配信が開始される第一週目には、深堀未来が清水翔太の「花束の代わりにメロディーを」、砂田将宏が平井大の「ここにあるもの」をそれぞれソロ歌唱。5月16日20時の第二週は、深堀未来と砂田将宏がデュエットで清水翔太とTaka(ONE OK ROCK)のコラボレーション楽曲「Curtain Call feat. TAKA」を披露する。続いて第三週の5月24日20時からは、日髙竜太が秦 基博の「鱗」、加納嘉将がMhiroの「愛の言葉〜True Story〜」を、そして第四週5月31日20時からは、日髙竜太と加納嘉将がデュエットで久保田利伸とEXILE ATSUSHIのコラボレーション楽曲「Golden Smile」を披露する。■日髙竜太 コメントソロではEXPG STUDIO生だった頃に歌っていた楽曲をやりたいなと思い、「鱗」を改めて聞いたら今の自分にもハマりそうだと直感で感じたので選びました。自分の歌だけで表現ができるのは歌い手としてありがたい経験だったのでBALLISTIK BOYZのヴォーカル全員にとって、これからの活動に活きてくると思いました。(加納嘉将との)コラボは感慨深かったです。僕ら2人って同じVOCAL BATTLE AUDITIONで出会っていて、合宿審査の時は同じ部屋だったこともあって。その時から同じグループで歌えたらいいなと思っていたので、こういった企画で一緒に歌うことになったのは、当時から応援してくださっているファンの皆さんは特に喜んでくださるんじゃないかなと思います。■加納嘉将 コメントソロでは元々Mhiroさんが好きでよく聞いていて、VOCAL BATTLE AUDITIONの三次審査でも歌った楽曲を選びました。ソロはごまかしがきかないですし、自分が折れてしまったらこの楽曲自体が折れてしまうので、そういう気持ちすらも楽しんでやりました。(コラボレーション相手の)竜太くんはオーディションの前から知っていて、自分にとっては歌もダンスもできて憧れていたのですがVOCAL BATTLE AUDITIONで同じグループになって、知っている曲や好きな曲が一緒で。そのひとつに「Golden Smile」があったので、今回はそれを歌えて嬉しいですし、やりたいことができました。左から加納嘉将・日髙竜太■深堀未来 コメント14歳から3年間留学したニューヨークで歌を始めましたが、帰国してから日本語の曲を本格的に練習し始めました。最初は苦戦しましたが、今回ソロで選んだ楽曲はタイトルにもある「花束のかわりにメロディーを」や「抱きしめるかわりにこの声を」という詞がすごく響いていて、この曲を歌えてよかったです。今後もBALLISTIK BOYZとしてはもちろんですが、一人でもしっかりとした歌を聞かせるような歌手になりたいです。(砂田)将宏とコラボレーションで歌うことになったのは小学校の頃からずっと一緒に居て、ニューヨークで歌を始めて、好きな曲も近いので、自然な流れでした。家族よりも時間を共にしているので、お互いをよく理解している相手だと思っています。■砂田将宏 コメントソロで選んだのは、コロナ禍に色んな事を考えながら聞いていた楽曲です。色んな環境が当たり前ではなくなったときに、この曲を聞いて自分が大切にしたい軸を貫き通すんだと改めて覚悟を決められました。タイトルの通り、今の自分にあるものの中で何が大切なんだろうとか存在意義を考えましたし、この楽曲に勇気づけられて、まだまだ頑張らないと、と思いました。コラボレーションで選んだ楽曲は2人でカラオケに行くと、毎回必ず歌っています。(深堀未来とは)声質が真逆なので、一緒に歌うと自分一人では出せない音色が出るのがいいなと思います。夢を追いかけている人の背中を押せるような楽曲なので、お互いの背中や聞いてくださる人の背中を押せたらいいなと歌いました。左から深堀未来・砂田将宏<配信情報>■第一弾「KEY MUSIC 〜BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE『花束の代わりにメロディーを』『ここにあるもの』」配信日時:2022年5月9日(月) 20時~出演者:深堀未来 / 砂田将宏※放送日時、放送内容は変更になる場合がございます。配信URL:■第二弾「KEY MUSIC 〜BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE『Curtain Call feat. TAKA』」配信日時:2022年5月16日(月) 20時~出演者:深堀未来 / 砂田将宏※放送日時、放送内容は変更になる場合がございます。■第三弾「KEY MUSIC 〜BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE『鱗』『愛の言葉〜True Story〜』」配信日時:2022年5月24日(火) 20時~出演者:日髙竜太 / 加納嘉将※放送日時、放送内容は変更になる場合がございます。■第四弾「KEY MUSIC 〜BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE『Golden Smile』」配信日時:2022年5月31日(火) 20時~出演者:日髙竜太 / 加納嘉将※放送日時、放送内容は変更になる場合がございます。CLトップページ:
2022年05月09日製薬メーカー「龍角散」が販売する服薬補助ゼリーの1つ「おくすり飲めたね」。’08年、同社女性初の執行役員となった福居篤子さん(53)が、そのアイデアから開発、販売まで関わった大ヒット商品である。 「龍角散に勤める前、私は臨床薬剤師として、病院の薬局に勤務していました。そのとき多くの患者さんが薬を飲むのに苦労していること、病気を治すための薬というものが理解できない子どもにとってはただ嫌な行為であるということを痛感したんです。どうして飲みにくい薬を作るのか理解できず、全ての人にとって苦痛になっている課題を解決した新しい薬を作りたいと考えました。だから、臨床の世界から製剤の世界に移ったんです」(福居さん・以下同) 患者さんに寄り添いたい。守りたい。それが、福居さんの製薬の原点だ。新聞の求人欄で見つけた龍角散の採用試験を受け、’91年、合格。 社長面接で、先代の社長に「うちは専門性を重視した縦割りの業務体系だが、横断的にいろんな部署をまたいで活躍してくれる人材が欲しい」と言われた福居さんは、「いろんなことにチャレンジできる」と、意欲満々だった。 しかし、入社してみると、200年を超える歴史ある企業には、旧態依然とした空気が蔓延していた。今と違って、男尊女卑の風潮も根強かった。 入社当初は、千葉工場勤務で、開発と兼任で、自社製品を営業するMR(医薬情報担当者)も任された。自作の資料を手に、熱心に説明して回り、瞬く間に営業成績トップクラスに。同期入社のなかで、誰よりも早く主任に出世し、30歳で本社勤務となった。 当時の龍角散は、40億円の年商に対して、40億円の負債を抱え、倒産の危機に瀕していた。しかし、社員の危機感は希薄で、保守的な古参役員には、会社を立て直そうという気概もない。 福居さんは、千葉工場時代から、新製品の開発を始めているが、そこには常に古参の役員との対立がついて回った。苦闘の末に新製品が完成しても、古参の役員たちは、反対しかしない。開発した製品が、ことごとく否定され、嫌気がさして、転職を決意。別会社の内定をもらって、役員室に行ったこともあった。 「辞めさせてもらいます!」 福居さんの大きな声に、隣室から出てきて「私は1カ月後に社長になる。一緒に改革をしよう。一度、思う存分やってみてから辞めても、遅くはないよ」と、慰留したのが現社長の藤井隆太さんだ。 ’95年10月、社長に就任した藤井さんを中心に、上司と福居さんの3人で改革チームが結成された。「もう龍角散だけでは生き残っていけない」と危機感を募らせる改革チームは、保守的な古参役員の反発を尻目に、新製品の開発を推し進めていった。 服薬補助ゼリーの開発を始めたのは、’97年ごろからだ。糖衣チョコを錠剤に見立て、ゼリーに包んで何十個も飲み込むなど、無謀ともいえる体を張った実験までした。そして’98年、ついにレモン味をつけた服薬補助ゼリーが完成する。 福居さんは、地域の医師会や医師の勉強会などにもサンプルと実験データを持って押しかけ、営業にも奮闘。介護施設でもそのニーズが高まっていった。ほどなく、子ども向けの服薬補助ゼリーを販売し、ヒット商品になりそうな手ごたえを感じた’00年。福居さんは何の前触れもなく、突然、古参役員から「明日から、千葉の工場へ行きなさい」と、人事異動を言い渡された。 異動先は、書類管理の部署だった。古参の保守派が、福居さんたち、改革派を排除しようと動いたのだ。朝、異動先の自分のデスクで、パソコンを開こうとすると、上司から、「仕事はするな。パソコンは不要」と、注意される。電話に出ることさえ禁止された。 「あまりに暇で、学術誌を読もうとすると、また叱られる。何もすることがないんです」 本社から毎朝、電話が入ると、上司はすまなそうに「まだ、辞めていません」「そんな気配もありません」と報告していた。ほかの社員が働くなか、机にただ座っていることしか許されなかった。左遷先は、福居さんだけを対象とした、“追い出し部屋”だったのだ。 改革チームだった上司も、地方の営業職に異動になった。昼休みに連絡を取り合うと、上司も慣れない営業に苦労しているようだった。 「辞めようと思うこともありましたが、家族を抱え、慣れない土地で奮闘している上司と話すと、簡単には辞めてやらないぞって、闘う気持ちが出てくるんです」 それでも体は正直で、ストレスのためだろう、顔じゅうにふきでものが出た。 藤井社長も、古参役員に攻撃され、身動きが取れない。社長自ら、他社に声をかけ、「福居のことを頼みます」と、頭を下げてくれていた。そんな社長の計らいで「うちの会社に」という誘いもあったが、断った。 「私自身、自信がなかったんです。誰に聞いても、左遷された理由はわからないままです。もし、私が原因で引き起こしたことなら、別の会社に移っても、また、同じことを繰り返すだけですから」 それまで脇目もふらずに突き進んできた福居さんが、初めて立ち止まった日々だった。 「そのとき、いろんな人が心配して、わざわざ千葉の工場に来てくれたんですよね」 それは、左遷前、二十数種類もの新製品を開発するなかで出会った取引先や社外の仲間たちだった。 「私との面会を許されず、上司に『おまえ、それでも人間か』と怒ってくれた人。終業時間になって、私が出てくるまで、待っていてくれる人もいました」 自分を信じてくれる人たちに支えられ、福居さんは少しずつ、前を向く。 「考えてみれば、自由な時間はたっぷりあるんです」 これまでできなかった2つのことを始めることにした。1つ目は、英会話教室に通うこと。2つ目は、製剤の学問をさらに深めることだった。 現在、龍角散の顧問を務める名城大学名誉教授・砂田久一さんは、「福居さんに初めてお会いしたのは、服薬補助ゼリーを販売したころでした。彼女は、それまでの実験データのことを一生懸命、話すんですね。『そんなにデータがあるなら、学術論文にしないといけないよ』と話しました」と語る。 福居さんは毎週末、新幹線で名古屋に通い、砂田教授の指導を受けた。 「ホテル代も新幹線代もかかるから、学費はタダでお願いしたいんですけど」 そんなずうずうしい願いまで受け入れてくれた砂田先生のもとに、会社に隠れて、福居さんは通い続けた。2年をかけて、薬の効能などを表す計算式を作り、英語で論文を書いた。 同じタイミングで、本社への異動も決まった。藤井社長が、問題のあった古参の役員を罷免し、経営陣を一新したのだ。’02年10月、本社に戻ってからも、福居さんは砂田教授の薬品物理化学教室に通い、’08年までに5本の論文を英語で仕上げて、博士号を取得した。 また、製剤学の視点で改良と研究を深めた服薬ゼリーは、日本薬剤学会「製剤学奨励賞」をはじめ、数々の賞を受賞している。 本社では、左遷騒動で生じた社員間のわだかまりを払拭すべく、積極的に社員に歩み寄り、声をかけた。 「古参の役員に歯向かえず、私を無視した人たちも、私に悪意があったわけじゃない。ならば、私のほうから突破口を開いて、コミュニケーションを取らないといけないと感じたんです。いまでも心がけているのは『人に後ろ姿を見せない』ということ。机の方向も、皆に背を向けず、正面を見せる位置に反転したくらいです(笑)」
2018年03月31日スタジオジブリに1年間密着した『夢と狂気の王国』の砂田麻美監督が取材に応じ、昨年、引退を表明した宮崎駿監督について「世界的な巨匠といわれる人でありながら、毎日規則正しい生活のなかで『いつか才能が枯渇してしまうのではないか』という恐怖と向き合いながら、常に最高のコンディションを維持しようとしていた。努力にもさまざまな“質”がありますが、最も質の高い努力を見せてもらった気がします」と語った。『エンディングノート』で一躍注目を集めた砂田監督が、宮崎監督の最後の長編アニメ『風立ちぬ』の製作過程を軸に、スタジオジブリの日常と、作品づくりに関わる人々の苦楽と葛藤を紡ぎだす。公開時の宣伝コピーである「ジブリにしのび込んだマミちゃんの冒険。」が示す通り、単なるドキュメンタリーの枠組みを超えた、ジブリという王国をめぐる冒険譚に仕上がった。「ジブリはとても自主性を試される場所。撮影に入る前は、すごく細かいルールがあると思ったんですが、実際には真逆でカメラを持った私は“放し飼い”状態でした。鈴木さん(鈴木敏夫プロデューサー)に、宮崎監督の部屋に行くタイミングを尋ねても『なんで俺に聞くの?』って」(砂田監督)。ただ、制約がほとんどない状況だからこそ「本当に撮るべき瞬間を逃したくないので、逆になるべくカメラは回さないようにした」といい、「たくさん(素材を)撮ればいいかといえば、そんなことは全然ないので…。もちろん、宮崎監督に密着できる機会はとても貴重なので、撮りたいという気持ちとの戦いは常にありました」と葛藤を明かす。宮崎監督の引退表明を機に、スタジオジブリは大きな転換期を迎えている。「でもこの作品を2012~2013年という時期に撮った意味や価値がわかるのは、もっともっと後のことだと思います。私はもちろん、宮崎監督もジブリの皆さんも最後だなんて考えずに、ただ一生懸命に自分の仕事をこなしていましたから。私自身は今の時代の人だけではなく、自分がいなくなった後の人たちがジブリを、そしてこの時代をどう観るのかなという点をすごく意識して、作品を完成させたつもりです」。『夢と狂気の王国』発売中発売元:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンレーベル:ジブリがいっぱいCOLLECTION スペシャル取材・文・写真:内田 涼
2014年05月21日