小学校と園をやめた姉弟。その後増えていったのは、子どもたちの笑顔だった出典 : 我が家には8歳の娘と6歳の息子がいて、それぞれアスペルガー症候群とADHDの診断が出ています。「学校をやめる」と宣言し、毎日家で過ごしている娘。後を追うように息子も「幼稚園をやめる」と決断し、のんびりと家で過ごしています。子どもが毎日家にいると大変では?と、聞かれることがありますが、実は私にとっては、子どもたちが学校や幼稚園へ行っていた時の方が大変でした。学校や幼稚園に通っていた頃は、帰宅後ぐったりと疲れていたりストレスで荒れたりと、子どもたちをフォローすることで精一杯。お互い心に余裕がなく、日常生活をなんとかこなすだけの日々で、何かを楽しむという時間は全くありませんでした。家で過ごすようになり、私は子どもたちが行きたくない場所へ送り出すエネルギーと、罪悪感から解放されました。そして、ストレスのなくなった子どもたちはとても明るく、元気になりました。うちの子たちって、こんなによく笑うんだな、と毎日とても新鮮な気分で眺めています。子どもたちをゆっくりと観察することもできるようになり、凸凹のタイプが異なる2人の違いも、より一層明確になってきました。一緒に過ごす時間が増え、子どもたちの得意なこと苦手なことがよくわかるようにUpload By GreenDays娘と息子の思考の違いに気付いたのは、娘とアイロンビーズに取り組んでいたときでした。以前、人によって物事を認知する能力が違う、というコラムを書かせていただきました。娘の場合、目で見る言語・耳で聞く言語にとても強く、頭の中も言語で埋め尽くされている状態です。アスペルガーの娘曰く、頭の中にはたくさんの引き出しがあって、きちんとインデックスがついており、全ての情報がしかるべき場所にきちんと言語化して収納されているそうです。ADHDの息子は視覚優位で、映像から物事を理解するタイプ。例えば「今日の午前中は何をした?」と聞いても「えっと何だっけ?」「思いだせない」と思いだすこともなく、考えることをあっさりやめてしまいます。娘に息子と同じ「今日の午前中、何をしたかな?」という質問をすると、「今日の朝は〇時〇分に目が覚めて、ママは起きていたけど弟はまだ寝てたよね。朝ごはんを食べている時に…」と、とても細かい部分まで正確に答えが返ってきます。娘とアイロンビーズを整理していたときです。綺麗に並べられたビーズを見ていてふと、「これは娘と私の頭の中みたいだな」と思いました。では、息子の頭の中をアイロンビーズで例えると、どんな風になっているのだろう?という疑問が湧いてきました。それから数日間、息子の言動を追いかけ、頭の中がどうなっているのかを想像してみました。娘とは違う方法で情報を記憶していた息子。大変なのは、その情報を取り出すときUpload By GreenDaysそして辿りついたのは、息子の記憶は1つひとつが細かく分かれていて、それが整理されることもなくどんどん放り込まれ、山積み状態になっているのでは?という考えでした。それは、色分け途中のアイロンビーズのようなイメージです。息子は何の脈絡もなく、突然昔のワンシーンを語り出すことがあります。数々の情報が整理されないまま記憶されているので、膨大な記憶の山から必要な情報を探し出すのに、途方もない労力が必要なのだと思います。そして、息子の記憶は言語化されておらず映像のまま残っているようなので、それを言語化して人に説明するためには、また多くの力を注がなくてはならないのでしょう。この分析が正解かどうかは、息子がもっと大きくなってから聞いてみないとわかりません。でも、「こんな感じなのかもしれないな」と想像するだけでも、息子が苦手なことにも理由があるのだ…と、イライラせずに済むので、子どもの特性を知ることは、大切な作業だと思います。努力では補いきれないときはどうすればいい?模索する中…出典 : さて、バラバラの情報が山積みになっている息子に、「お姉ちゃんのように、きちんと情報を整理しなさい」と言っても、脳の構造が違うので無理なものは無理です。これから息子に合ったやり方を一緒に見つけて行かなければなりません。とりあえず、「今日の朝からお昼まで」の情報を思い出す練習を、お昼ごはんの後に行うことにしました。毎日、手帳に箇条書きで書き出していきます。でも、お昼ごはんの前に何をしたかさえ、思い出せない息子。それでも毎日続けているうちに、「今日はこれを手帳に書いてみようかな」という言葉が息子から出てくるようになりました。もちろん、手帳を前にした時にはその出来事をすっかり忘れてしまい、「あれ?何を書こうと思ってたんだっけ?」ということの方が多いですが、それでも「今日の出来事を手帳に整理する」という意識が、少しずつ芽生えてきたことは大きな進歩です。子どものタイプによって苦手なことは違う。支援のコツは「その子が生きやすくなるかどうか」出典 : 自分が簡単に情報を引き出せるタイプではないことを理解した上で、いつかはその対処法として、必要なことはメモを取ったり、予定を忘れないようにアラームを設定するなどの行動をきちんとできるようになれば、息子自身が生きやすくなるのではないかと思います。子どもたちの色々な特性に気がつき、それで子ども自身や周囲の人が困っているのならば、こんな方法もあるよ、あんな方法もあるよ、と一緒に試しながら、その子にあった方法を見つけられるといいですね。
2016年10月25日戦前生まれの父はアスペルガーだった!?出典 : 私の父は戦前生まれです。その激しく頑固で暴君ばりの性格は、まるでアスペルガー症候群そのものでした。その頃は発達障害やアスペルガーという言葉もなかったような時代。そんな中、不器用ながらも自分を貫き通した父。その人生に感じたこと、私たち母娘に残した言葉を振り返ってみたいと思います。自分のペースを乱されたくない父。必然的に仕事や人との関わり方も限定され…出典 : 学者だった父は、自分のペースを乱されるのが大嫌いでした。融通も利かないため、向いている職業も学者以外には考えられないような人でした。満員電車を嫌い、朝5時半に家を出て1時間半かけて通勤。大学についたらまず、着替えてランニング。決まった時間に運動を終えたら、教授室で朝食を摂り、仕事にとりかかります。この習慣は毎回同じ。アスペルガーの特性によくある、ルーティーンです。また、何でも1番への強いこだわりがあり、自分より先に研究室に学生がいたら「君、泊まったんだよな」と念を押すくらいの負けず嫌い。この問答は卒業生の語り草になっています。昼からは学生を指導。父の指導は大変厳しく、手書き論文に容赦なく赤ペンをぎっしり入れ、涙する学生さんも多かったそう。言葉にもこだわりが強く、自分の気に入らない表現は容赦なく直していたようです。そのあまりにも厳しい指導に、自宅に匿名で脅迫電話がかかってきたことも、何度かありました。父はそれを笑っていましたけどね。そして17時になるとさっさと帰ってしまいます。17時以降に入る会議は大嫌いで、帰ってくると鬼のような形相で、私はいつもおびえていたものです。振り回される家族。その辛さから母はカサンドラ症候群に出典 : 家庭は父を中心に回っていました。何でも1番は父。こたつでゴロゴロするのは許せない!と、こたつも出してもらえず、テレビを見る子どもたちが許せず、テレビは配線を切られました。こんな暴君のような振る舞いに対し、母は恐らくカサンドラ症候群になっていました。いつも顔色が悪く、父に逆らえずに自分を抑え込む辛さから、寝込むことも多かったです。母は父に振り回されたストレスが原因で、時々ヒステリーを起こすのですが、それを私にぶつけてくるのが、たまらなく嫌でした。子どもへの躾も厳格過ぎる程で、食事時はお説教ばかり。お通夜のような食卓で「おいしい、おいしい」と私は必死に家族を盛り上げていたのを覚えています。私たち子どもは、親に褒められることなく育ちました。●努力するのは当たり前●規則正しい生活しか認めない●勉強もできて当たり前という考えの父は、私が頑張って目標の大学に合格しても「なんだ、そんなレベルの低い大学か」としか言いませんでした。父の本心を知ることで、癒されていった子ども時代の辛さ出典 : 大人になった今振り返ると、父は自分の脆さをよくわかっていたように思います。実家を出て働いている頃、私は精神的に参ってしまい、神経症になって実家に戻ることにしました。そのとき私を出迎えた父は、「自然に触れて過ごすように。そして生活リズムが崩れると、心のリズムも狂うから気をつけなさい。」と優しく言ってくれました。そして動揺もせず、壊れた私に辛抱強く付き合ってくれたのです。父が律儀に繰り返していたあの規則正しい生活も、きっと自分のメンタルを崩さないための、父なりの工夫だったのだとそのとき気付きました。そして、私自身がアスペルガー症候群とわかり、父も間違いなくそうだっただろうと確信してから、父の厳格さ、暴君ぶりには理由があったのだと理解することができました。だからといって、全てを許せる訳ではありませんが、父の理由がわかったことで、傷付いていた子どもの頃の自分が少し救われたような気がします。自分を貫いて生きることは大変かもしれないけれど、必ずしも不幸ではない出典 : また父は、孫である娘のことを、とても愛していました。あの厳格だった父からは想像もできませんでしたが、不登校で学校に行けなくなった娘を、1度も責めませんでした。それから間もなくして、父に末期がんが見つかりました。「入院だけは嫌だ」とぎりぎりまで言っていた父。娘にとって最後のお見舞いとなった日のことです。父はひとこと、こう言いました。「人の中で生きなさい」その言葉は、今でも娘の心に残り続けています。きっと、父も苦しかったのでしょう。プライドが高く傷付きやすい、色々な特性を抱えながらも、父なりに苦労しながら「人の中で」生き抜いてきたのだと思います。その後、入院して10日余りで旅立ちました。父は最後まで自分を貫いて生きました。その姿は、私にも娘にも、いろいろなものを残してくれたと信じています。
2016年10月07日アスペルガー症候群って?出典 : アスペルガー症候群(AS)とは、・コミュニケーションの問題・対人関係の問題・限定された物事へのこだわり・興味の3つの症状がみられる脳の機能障害であり、発達障害の1つです。知的障害や言葉の発達の遅れがないため、障害と認知されづらく、本人が生きづらい思いをしたり周りが理解に苦しんだりすることが少なくありません。アスペルガー症候群は約4000人に1人の割合で発症するとも言われていますが、本人や家族に自覚がない場合も含めると、その数はもっと多いと考えられます。では、アスペルガー症候群のある大人は仕事をしてどんなことに困っているのでしょうか?アスペルガー症候群の人が仕事で困りやすい10のポイント出典 : 普通の人が理解できる会話であっても、アスペルガー症候群の人は言葉の意味が読み取れず、理解できないことがあります。「これ」「それ」「あそこ」といった代名詞や比喩、あいまいな表現が苦手です。また、指示が分からず質問しようとしても「何が分かっていないのか」「何をどのように質問したらいいのか」が分からず、固まってしまうこともあります。きちんと指示されれば自分で仕事をこなすことができますが、いわゆる「気を利かせる」という暗黙の了解のようなものを理解するのが苦手です。他の人が忙しそうにしていても手伝おうとしなかったり、共同作業に参加しなかったりします。アスペルガー症候群の人は人の気持ちに共感したり、想像したりすることが苦手な傾向があります。相手の容貌の変化などについて「太ったね」と率直に口にしたり、上司のミスを見逃せず面と向かって注意してしまいます。そのため、職場でのコミュニケーションがうまくいかずに、自分でもよく分からないまま周囲から孤立してしまうことがあります。アスペルガー症候群の人は、相手との心理的な距離感を適切に取ることが苦手で、自分で気付かないうちに相手を不快な思いにさせてしまうことがあります。相手の立場に応じて自分の態度や言葉遣いを変えにくく、上司に向かってなれなれしい態度をとったり、逆に家族や親しい人に対して丁寧すぎる言葉づかいをすることがあるようです。相手の表情や口調から、その言葉が本音か建前かを察することが苦手です。「今度遊びにおいでよ」「今度誘うよ」といった言葉のはずみの口約束を文字通り真に受けてしまうことがあります。また、皮肉っぽい叱り方をしても通じないことがあります。わたしの弟はアスペルガーですが、学校で教師に「やる気がないなら帰れ」と言われ、はいわかりましたと頷いて帰りました。アスペルガーの人は、コミュニケーション障害があるので、言葉を額面通りに受け取ってしまうことが多々あります。言葉の裏にある真意を読み取ることは大変困難です。作業の一部分にこだわってしまい、それに熱中しすぎて他のことに手をつけられないことがあります。その結果、仕事の中でも些細なことが気になって自分が納得いくまでやり直し続けるので、納期に間に合わなくなってしまうこともあります。規則性を好むため、計画的に行動を行うことは比較的得意です。しかし、急なスケジュール変更やハプニングに対応することが難しい傾向があります。たとえば定例会議が都合で中止になると、その時間何をしたら良いかが分からず混乱してしまうこともあります。今やっている仕事の途中で他の仕事を頼まれたり、一度に複数のタスクがあると混乱してどうしたらよいか分からなくなってしまうことがあります。決まった手順で黙々と作業をするのが好きで、書類の細かな不備等を見つけるのは得意な方です。しかしルールが複雑(コロコロ変わる)だったり、集中している時に他の作業が入ってくるとグチャグチャになります。モノに対して強い好みを持つことが多く、モノを捨てることを極度に嫌がることがあるため、整理整頓が苦手な場合があります。また、散らかっている状態にしか見えない状態でも、本人とっては規則性があり、何がどこにあるかは分かっていることが多いです。アスペルガー症候群の人は、「ワーキングメモリー」といわれる短期記憶機能が弱いため、人の顔を覚えることが苦手な場合があります。何回か会っているのに「はじめまして」と挨拶をするなど、会社で取引先などの外部の人とかかわるときに支障が出ることがあります。私も、人の顔と名前がなかなか覚えられません。なので、職場などでも人の名前はわざわざ自分から聞かないようにしています。きいてもおぼえられないのに、きいてしまうと名前で呼ばなければいけなくなるので…。名前呼ばなくても「すいません、⚪︎⚪︎どうします?」みたいな聞き方で相手も、まさか自分の名前をおぼえていないとか気付かないし、気にしてないと思います。私の場合は、接する機会が多ければ覚えていけるのですが、覚える必要性を感じた時はメモですね。メモにどこの席に座っている、こういう人(似顔絵を描く)雰囲気、声の高さなど。あと、手帳の会った日付けのところに記入したりします。いつ、どこで会ってどんな話をした誰なのかを。顔と名前より、どこでその人と会って、どういう話をしたかの方が覚えやすいので。会社にアスペルガー症候群の人がいたら、周りはどうすればいい?アスペルガー症候群の診断がなくても、仕事をするうえでこのような傾向がある方はもしかしたら多いかもしれません。そんなとき、周りはどう対応すれば良いのでしょうか。出典 : あいまいな指示では何をすればいいか分からなくなってしまうため、「○○さんの書類整理を15分手伝ってほしい」というように、できるだけ具体的に指示すると良いでしょう。「ちょっと」や「すぐに」といった言葉もどの程度を指すのか良く分からないことがあるので、「5分間」「3時までに」というように時間をはっきりさせることも大切です。また、一度に多くの仕事を頼むのではなく、一つの仕事が終わってから依頼すると、本人の混乱が少なくなります。アスペルガー症候群の人は、耳から聴いた情報よりも目から入った情報のほうが処理しやすい傾向にあります。仕事を予定通りに進められない場合、スケジュールを視覚的に把握しやすい場所に置いたり、朝起きてからの準備をルーティンワークにして紙に書いて予定通りにできるか実行してみることが有効です。本人が障害を自覚しており、また会社にも障害を報告している場合は、どんなことが苦手でどのようなサポートが必要なのか、本人と相談し合うのも一つの方法です。本人も周りの理解を得ることで仕事がしやすくなり、悩みを相談しやすくなります。一方で、特にADHDであると共有されていない場合は、診断の有無を本人に聞くのはなかなか難しいですよね。まずは「どうすれば◯◯さんは仕事がしやすくなりそう?」と一声かけて、お互いの業務がきちんと完了する方法をさがしてみるのも良いでしょう。「アスペルガーだと仕事ができない」というわけではない出典 : アスペルガー症候群と一口にいっても、その症状は十人十色で様々で、全員がこの特徴に当てはまるわけではありません。また、本人に適した仕事内容、職場や本人との共通認識があれば、障害を感じることなく仕事することは可能です。周りのサポートはもちろん大切ですが、本人も自分の特性を理解し、対処法を考えることが大切です。特にアスペルガー症候群の人は、自分の関心に応じた知識を掘り下げ、専門性を高めていくことが得意です。興味のあるものはとことん突き詰める特性があるので、そういった分野ではかなりの集中力を発揮します。本人が自分の特性を理解し、周りもうまく障害とつきあいながら仕事をすることで、本人も周りも気持ち良く仕事ができるのではないでしょうか。
2016年10月01日「言葉をそのまま受け止めてしまう」発達障害のコミュニケーション特性出典 : 畠山:僕の場合、例えば、中学受験の後の出来事が象徴的かもしれませんね。努力して努力して、試験当日までは応援されとやかく言われなかったのですが、試験が終わって合格発表までの間、親に「落ちたらどうなると思っているの?」「絶対合格しなさいよ!」など言われたんです。親も焦っていたのだろうとは思います。そこで「焦ってるんだな、まあしょうがないよな」と思えず、言葉のまま受け取り、「落ちたら一体どうなるのだろう!?」と不安が募るばかりでした。しかも、試験は終わってしまい合格発表までの数日間です。その間は、僕にはもう努力の仕様がない。でも「絶対合格しなさい」ということは、今から試験問題を管理しているところに忍び込んで、解答用紙を書きなおせば、いいのかな?とモヤモヤしました。編集部:そのときは、どうされたんですか?畠山:仕方ないから辛い思いしながら待っていました。(笑)辛かったですね。なぜ、「今終わってどうしようもないときに言うのか」と思いますよね。例えば、会社で「何でこんなに売上が少ないんだ!」と言われたらそのまま受け取るので「じゃあお年寄りを騙してでも営業してこなくてはいけない・・・」と考えてしまうのと同じでしょう。患者さんに納得してもらうため、コミュニケ―ションを変えようと思った編集部:ちなみに、医師として地域の患者さんとコミュニケーションの中で難しいなという場面はなかったのでしょうか?畠山:最初の1年くらいは、コミュニケーションが上手くいかないな、というのは多々有りました。何を言ったか、ではなくてどう伝えたか、相手はどう受け取ったか、を意識する必要があると。極端な話、ちゃんと診察して医学的に考えて正しいお薬を出しても「ちゃんと診てくれなかった」と感じる患者さんはいますよね。どんなコミュニケーションを取ろうが、出す薬も診断内容も診断できるまでの時間も同じなんです。むしろ客観的な事実で、感情に流されず、しっかり診断することが医学では大切だったりします。だとしても、どんなコミュニケーションをとったかで、その患者さんの納得が違う。伝わり方が違う。編集部:と、いいますと…畠山:例えば、診察を始めてすぐに「はい、◯◯ですね。じゃこのお薬で。」というよりも、「痛かったでしょう、いつから?あ、そうですか、なるほど。それは痛かったですね…」というやりとりがあった方が、患者さんの立場だったらどうです?編集部:うーん、安心感、がある。「わかってもらえた」という気持ちになるかもしれないですね。畠山:そう。伝わり方一つで「診てもらえていない」と感じ、不安や納得できないなと思ったら、薬を飲んでいただけない場合もあったんですね。そこで、少しコミュニケーションを変えれば、医師としてもしっかりと治療ができるし患者さんも治る。であれば、僕はコミュニケーションの引き出しを増やしたほうがお互いに良いと気づいたんです。そう思って引き出しを増やしました。編集部:なるほど。僕にとって、コミュニケーションは論理的につくるもの畠山:それでいうと、自分の雰囲気をつくる、というのは大事だなと考えています。堅苦しく始めるよりも、自分からよく話して笑うほうが、良いコミュニケーションが取れると思いませんか?なので今日は最初から明るく喋っているんです。(笑)編集部:あっ(笑)畠山:僕は、人の気持ちはわからないんです。でも、「コミュニケーションというものがある」のであれば、それを意識して動こうと思っています。相手の感情が伝わってくるから楽しく喋っているわけではないんです。でも、楽しい雰囲気というのは、コミュニケーションを円滑にする。だからこうする、というように僕にとってコミュニケーションは論理的につくるものなんです。編集部:たとえ頭ではわかっていても、意識し続けるのはしんどい、という方もいるのではないでしょうか。畠山:そうですよね。それは、「見えていない」んだと思います。「コミュニケーションが(自分はあまり)見えていない」ということを自覚しているかどうか。見えていない事を理解していないと、努力しているのになぜ?としんどくなってしまう。自分はコミュニケーションがわからない、というのを前提に努力すれば、「なんで人とぶつかってしまうんだろう」と悩むことはないんです。自己認識する、というのは言葉でいうは簡単ですけど、それを日常で実践するのは難しいんですよ。編集部:難しい、ですね。畠山:ええ。「コミュニケーションを理解するのが難しい」と発達障害のある方にたまに相談されるときに、わかりやすい初歩として、カラー診断をおすすめする事もありますよ。編集部:カラー診断?畠山コミュニケーションは、受け手の印象が大事だという事がありますよね?僕自身、黒い服をきるとすごく怖くなってしまうんですよ。だから柔らかく見える水色を選ぶようにしているんです。服や色でコミュニケーションを操る、などではなくて「そもそもの雰囲気作り」はロジカルに意識できることなんだよ、と。編集部:確かに。畠山:ええ。相手に失礼のないように、ちゃんとした服着ようと考えて2万円の服を買っても、その色との相性で、大したことを喋ってもいないのに印象悪くしてしまったらもったいないですよね。(笑)性格や話し方云々はもちろん大事。でも、まずは、柔らかくて好感よく見えるような色を選ぶ、から始めてもといいのでは、と思っています。見えないものを理解するよりも、わかりやすくて簡単な方法ですからね。(笑)医師(整形外科医)。1974年、大阪府生まれ。1998年、防衛医科大学校卒業後、自衛隊医官として仙台市で勤務。自衛隊退職後、大泉記念病院整形外科、石巻ロイヤル病院整形外科部長を経て2010年、八木山整形外科クリニックを開業。2011年、東日本大震災で被災。2012年維新政治塾に参加、衆院選(宮城4区)に立候補するも落選。現在は複数の病院の外来や在宅診療を掛け持ちで担当している。著書に、『ぼくはアスペルガーなお医者さん 「発達障害」を改善した3つの方法』(KADOKAWA)、『「糖質制限+中鎖脂肪酸」で確実にやせる! 驚異のMCTオイルダイエット』(幻冬舎)。畠山昌樹オフィシャルサイト
2016年09月29日トリプル発達障害の沖田×華さんが描く、発達障害と共に生きる日々出典 : 皆さんは「障害者」という3文字からどんなイメージを浮かべますか?かわいそうな人?大変だけど頑張っている人?今回ご紹介する方は、みなさんが抱いているであろう、様々な障害のイメージを覆すかもしれません。アスペルガー症候群(ASD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)の「トリプル発達障害」を公言する漫画家の沖田×華(おきたばっか)さん。彼女が描いた漫画『毎日やらかしています。』『ますます毎日やらかしています。』に登場するのは作者の沖田さんの他、発達障害を持つご友人や、その傾向が感じられる皆さんで、彼らの“やらかしエピソード”がいくつも綴られています。元々は、ギャグマンガ雑誌に連載されていたということもあり、その内容は面白おかしく、悲壮感がありません。ASDでADD、計算障害を持つ、やはり「トリプル発達障害」の私が読んでみて、「あるある~!」と共感できたかというと、意外とそうでもなかったのですが(笑)、「そういうふうに考えちゃうのは理解できる」という内容ばかり。特に自動車学校でのADHDらしいエピソードには、大笑いしながらも「ああ、発達障害の人って、こういう考え方からこういう言動になっちゃうんだね」と、1つのパターンを感じられました。発達障害を持つ漫画家、沖田×華(ばっか)さん(1)看護師修業、コミュニケーションや数字で苦労してでも、最初から「障害」を面白おかしく受け止めていた訳ではなかった出典 : さてそのようにして、失敗を笑いに変える作風の沖田さんですが、昔から自らの特性をポジティブに捉えていたのでしょうか?「看護師やっていたときは発達特性が全て欠点になっていた」「何もかもダメで、自分のことを否定し、悔やんでばかりいた」『ますます毎日やらかしています。』に収録されている対談の中で、沖田さんはそのように過去を振り返り、自殺をしようとしたことも明らかにしています。沖田さんは他の作品やテレビ出演した際にも、特性やご自身の過去について語っています。それを見聞きしていると「それだけ失敗してダメな人扱いされたら、そこまで思いつめても仕方ないよな…」と、他人ながらにして思ってしまうほどです。しかし、そういった体験を「面白い」と言ってくれる人と出会い、漫画家になったことで、「あのときは辛かったけど良かったな」と、自分の障害を肯定的に捉えられるようになったのだと語っています。誰しもが障害を笑いに変え、漫画家になれるわけではありませんし、すぐに特性を長所として活かす方法が見つかるとは限りません。でも、沖田さんが命を断ちたいとまで追い詰められた苦しい日々が、他の誰かにとっては面白い漫画のネタになりそう、と感じられるものであったように、自分では嫌でたまらない側面が、実はその人らしい魅力として他の誰かの目には映っているのかもしれません。今でこそ、障害特性について肯定的な内容のコラムを書いている私ですが、これまで失敗やトラブルが少なかった訳ではありません。むしろ落ち込み、自責することもしょっちゅうでした。だからこそ、発達障害の診断が下りたとき「工夫でカバーできる面もあるし、それでも失敗したら他のやり方を考えたらいいや」とポジティブに捉えるというか、ある意味開き直ることができ、今に至るのです。そういった自分自身の経緯もあって、「さんざん悩んだんだし、もう笑い飛ばしちゃっていいんだよね!」と、沖田さんの漫画を読んで励まされたような気持ちになったのでした。「障害」?「障がい」?沖田さんの障害の捉え方とは出典 : もうひとつ漫画の中で、とても印象的なやり取りがありました。こちらは『毎日やらかしています。』のあとがき漫画での、アシスタントさん(障害のある息子さんがいる)と沖田さんの会話です。「障害のことを“障がい”という表記にしたところで差別がなくなるわけではない。その前に、健常と障害は区別であって、差別で使っている人は恐らく少ない。わざわざ字を変えようと思うこと自体が差別的」というような内容でした。実際私も「“障害”という文字のイメージが悪いから、表記もしくは呼び方そのものを変えましょう」という風潮には首を傾げていました。確かにイメージは大切です。でも、文字表記や呼称といった表面的なものを変えたところで、中身が変わるわけではありませんし、差別する人がいたとして、「“障害”という文字だから」という理由ではないでしょうから、あまり意味がないように思えてしまうのです。「大変なのは社会と自分の間にあるズレであって、そのズレが“障害”。それをいかに埋めていくかが大事なのであって、ひらがなにするだの呼び方を変えるだの、はっきり言ってどうでもいいよね(笑)」と、障害当事者の友人たちとよく話しています。私に至っては、どうでもいいどころか「差別されがちな人」として一線を引かれたような気すらしてしまうのです。これは、自分を含めた周囲の障害当事者のほとんどが、“障害”という表記及び呼称に差別的な何かを感じていないからこその感想なのかもしれませんが…。なんてことを思いながら漫画を読み進めていたら、「どうせ変えるんなら“発達障害”の呼び名を“逸脱戦隊”にしちゃうとか!!」と沖田さん。笑いに落とし込もうという姿勢が徹底しています。逸脱戦隊、いいなあ。なんかかっこいいし、楽しい!障害のあるなしに関わらず、みんなが生きやすい方法はきっとある出典 : 『毎日やらかしています。』『ますます毎日やらかしています。』の世界に、「遠い世界にいる、差別されやすい可哀そうな人」はいませんでした。誤解されたり不便さを感じたりもしつつ“自分なりの普通”を生きている方ばかり。沖田さんの意図はわかりませんが、“やらかし”をコメディータッチで描くことで、特性がチャーミングに、そして発達障害当事者の方々が身近な存在に感じられてくるのです。まるで「発達障害者って特別じゃないんだよ!」と微笑みかけられているように。「うちの旦那、こういうところある!」「私は定型発達だけれど何となくわかる…」そんな風に、自分やご家族と照らし合わせて読むのも楽しいかもしれません。また、発達障害専門家のコラムや対談、沖田さんなりのトラブル対処法も載っているので、自分なりの工夫を見つけるヒントにもできますよ。そうそう、ちょくちょく下ネタが出てくるので、苦手な方はご注意ください!毎日やらかしてます。アスペルガーで、漫画家で沖田×華著
2016年09月26日自分の信念のためには、開業医のままではダメだと感じたとき…出典 : 編集部:前回、ルールを知っておくと理不尽かどうか、なぜそのことが起きているのか理解できる、と教えていただきました。畠山:はい。編集部:その理不尽を理解した後、「やっぱり理不尽だな」という場面では…畠山:理解した上で、そもそもの目的とブレている、間違っていると思ったら言いますね。勤務していた病院でも「それは病院のためであって患者のためではないですよね」という事も言ってしまう。自衛官として、人のために働くものだと思っていましたから、病院の利益のために働く、というのはおかしいと感じたら会議でも上申していました。編集部:そうなんですね。畠山:人のために働く、という点では、震災の後、開業医をやめましたね。お金を稼ぐことよりも大事なことがある、と。世のため人のためになることをするために自分は残りの人生を生きるんだという強い信念を持っています。東日本大震災がキッカケで、そう強く感じたんです。それまでは、地元で開業医。それも、「地域のためになるクリニックをやる」と決めていて、待ち時間30分以内の整形外科クリニックとして当時毎日200名くらい患者さんが来院していました。地域に貢献し、クリニックも儲けがでる、WIN−WINだと思っていたんですね。ですが震災のあと、スタッフは原発の影響を心配して出身地に帰ろうとする人もいましたし、患者さんが誰も来ない・来られない日もありました。でも、お年寄りは骨が弱くて避難所では怪我をしている。その時、自分が手の届く範囲の人だけを助けているだけじゃダメだと気づいたんです。僕の信念を達成するには、開業医ではダメだと思った。開業医は僕じゃない先生でも出来るから。「より多くの人の役に立ちたい」それが今の活動の中心。とくに親子のコミュニケーションは…出典 : 編集部:それで現在発達障害等の分野で書籍や講演活動をされているんですね。畠山:そうですね、子育てに悩む方は僕の開業した病院が手の届く範囲以上にいらっしゃいますから。僕の経験や知恵を伝えることは病院にいるよりも「より多くの人のためになる」と考えたのです。編集部:なるほど。畠山:それでいうと、親子のコミュニケーションの何が難しさになるのかといえば、「子どもは今何を思って、何に興味があって…」ということを親は意外と知らないことが多いことかなと感じます。子どもって3ヶ月ごとくらいにマイブームがあるでしょ?もっと早いスパンかもしれないですね。編集部:ありますあります!2週間くらいで興味が変わっているお子さんもいて。畠山:そうですよね。興味があること、というのは今脳が発達しようとしている分野なんです。その興味のあることに対して、理解が深まったり脳の回路が出来上がったり、十分に経験したら、次の興味に移ります。そのことを、ちゃんと理解してあげることが大事ですよね。ただ止める、ただ発達を促そうとアレコレやらせてみる、のではなくて、「今はコレに興味があるんだな」と理解してあげて、興味があることへのアクションをちゃんと認めて次にいく、というサイクルを覚えておけば、親子のコミュニケーションはスムーズになるのではないでしょうか。編集部:「興味や発達に段階がある」ということでしょうか。畠山:そうですね。なのに、「まだコレが下手だからやらせない」「コレが伸びないから、次に行く前にまずはコレをもっとやろう」など、せき止めてしまう事もありますよね。例えば、3,4歳の男の子で、消防車は覚えていても、まだ救急車をしらない子がいたとしましょう。救急車を街中で見かけて「あれ、消防車でしょ!」といったときに「違うよ、あれは救急車でしょ。なんで知らないの?図鑑で見たじゃん」と、言ったらどうでしょう。自己否定をされると、次からその子は「あれ、救急車でしょ!」と親に言いにくくなり、繰り返すとやがて言わなくなりますよね。その分野を学ぶこと、興味をもって親や大人に聞くことをやめてしまったり、シャットダウンしてしまうのではないでしょうか。だから、正誤ではなくて「興味を持っている」というそのものを認めてあげながら、次のことを教えてあげる。すると、知識は増えるし、学ぶことは楽しくなる。もっと興味をもって観察するようになる。先ほどの例なら、「消防車?どれどれ?すごいねえ。どうして消防車と思ったの?」「サイレン鳴ってて、赤く光っているよ!」「そうだね。あれは、緊急車両だね。でもあれは、人を助けに行く車だから、消防車じゃなくて、救急車っていうんだよ。おうちに帰ったら、絵本で見てみようね!」と説明すると、子供は自己否定されることなく、知識を増やすことができるんです。そして、「あれ、ママ、あの車は、青いけど救急車みたいに光ってるね、なんで?」「あれはガス会社なんだよ」ということになる(笑)編集部:詳細な違いまで興味を持てる(笑)畠山:そうそう。親御さんに「勉強が出来ないんです」、と言われよくよく聞くと、出来ないというよりは「取り組む意欲が削がれてしまっている」お子さんのほうが多いと感じます。例えば、「なんで出来ないの?!」と言われても、否定されたのではなくて問題の正誤を問われているだけ、解釈できているか聞かれているだけ、その発言の理由を解釈できる子もいるでしょう。でも、発達障害のある子の場合、言葉どおりに受け取ってしまう場合が多いのではないでしょうか。自己否定されたと感じるという意味です。先ほどの車の話と同じく、まずは認める、そして次、とコミュニケーションの特性を理解して声をかけていきたいですね。畠山さんがお仕事の中で考えた「コミュニケーション」について、詳しく伺っていきます。医師(整形外科医)。1974年、大阪府生まれ。1998年、防衛医科大学校卒業後、自衛隊医官として仙台市で勤務。自衛隊退職後、大泉記念病院整形外科、石巻ロイヤル病院整外科部長を経て2010年、八木山整形外科クリニックを開業。2011年、東日本大震災で被災。2012年維新政治塾に参加、衆院選(宮城4区)に立候補するも落選。現在は複数の病院の外来や在宅診療を掛け持ちで担当している。著書に、『ぼくはアスペルガーなお医者さん 「発達障害」を改善した3つの方法』(KADOKAWA)、『「糖質制限+中鎖脂肪酸」で確実にやせる! 驚異のMCTオイルダイエット』(幻冬舎)。畠山昌樹オフィシャルサイト
2016年09月22日アスペルガーの私。知らないうちに周囲の人を追い詰めていた?出典 : 歳でアスペルガー症候群の診断を受けた私は、自分の障害がどういったものなのかを調べる過程で、「カサンドラ症候群」という言葉にたどり着きました。カサンドラ症候群とは、アスペルガー症候群当事者との意思疎通が適わない配偶者や家族、友人が陥る二次障害のことです。体験談をつづったブログ等をいくつか読み、私は背中に冷たいものが伝うような気持ちに襲われました。「マイペース過ぎで思いやりがない」「こちらを糾弾するような物言いをする」「自分のことにしか興味がない。一緒にいても寂しい」カサンドラ症候群の方々が吐露するアスペルガー症候群当事者への思いは、かつて私がお付き合いした男性に言われてきた言葉だらけだったからです。私は知らず知らずのうちに相手を追い詰め、カサンドラ症候群にしてしまっていたのだと、今さらながらに気付いたのでした。では、アスペルガー症候群の人は、誰しもパートナーを追い詰めてしまうのでしょうか?また、わかり合う方法はないのでしょうか?私よりもアスペルガーっぽい父。では、母もカサンドラ症候群だったのだろうか?出典 : 「カサンドラ症候群」を考えたときに思い出したのが、私の父のことです。父は70代、未だに健在です。この父というのが私とそっくり。頑固でこだわりが強く曖昧が苦手、発する言葉は理屈っぽく、意図せず論破モードになることも多々あります。このように、診断は受けていませんが、アスペルガー症候群の特性にぴったり当てはまってしまうのです。父の偏屈ぶりは、今に始まったことではありません。母は父との結婚を決めたとき、「本当にこの変人と結婚しても大丈夫なのか」と、父の家族から随分と心配されたのだとか。「はい、もちろん大丈夫です」と笑顔で答えた定型発達の母。彼女は70代になった今、カサンドラ症候群のカの字も感じられないほど朗らかに、父と2人で暮らしています。なぜ、カサンドラ症候群にならなかったのか?母に聞いてみた出典 : 両親はとても仲が良く、大きな喧嘩をしている光景を私は見たことがありません。でも実は、カサンドラのような苦しみがあっても、それを見せないようにしていた時期もあったのかもしれない―そう考え、私は母に聞いてみました。すると、彼女はそんな私の疑いを母「あー、ないない。話があまりにも通じないから、イラッとすることは今でもあるけどね」と、すぐさま笑って否定したのです。私「へー。ほら、女の人ってさ、『察してよ!』みたいに思う人が多いって聞いたことがあるんだけど、お母さんはそういうのなかったの?」母「そんなあ、お互い超能力者じゃないんだから!相手の言いたいこととか、察して完全に理解するなんて私だって無理だもん。お父さんや、のん(私の呼び名)はその度合いが違うだけ。伝わらないなら伝わるように、通じてないなって感じたら、通じるようにすればいいでしょ?」私「ほう…素晴らしいお心がけでございますなあ…」母「だってしょうがないよ、あの人はああいう人なんだし」時折うっかり曖昧さを出してしまい、「それじゃあわからん」と父に苛立たれることもある母。そんなときは「あー、めんどくさいなあこの男」とぼやくなど、感情を出すことも忘れません(笑)それでも、会話の中では曖昧な表現を避ける、頼みごとをする際には方法や目的などもわかりやすく伝える等の工夫をし、母は自ら父に歩み寄っています。それもこれも「相手にどうにかしてもらおう」という期待をせず、「自分がどうしたいか」を主軸にしているからできることなのでしょう。父から聞いた母への感謝の言葉に、夫婦の支え合いを知った出典 : こういう母の言動を父はどう思っているのでしょうか?20年以上前の話ですが、「ノゾミ、お前の母親はとても素晴らしい女性だぞ」と、父が唐突に言い出したことがあります。父「俺にとっては、人の気持ちを察することはとても難しいし、曖昧なことを理解できないことがある。そういう俺がわかるようにして、伝えてくれるんだぞ。曖昧なことがわかる人にしたら面倒だろうし、もしかしたら、思いつかないことかもしれないよなあ」この言葉から察するに、アスペルガーの診断こそないものの、父は自分の特性について何となく理解をしていたようです。父「それを数10年も続けてるんだぞ?相当なことだよな。俺も(母に)歩み寄りたいんだけど、やっぱり曖昧なことはわからないから、せめて頼まれたことはこなしたいし、困っているときは支えたいんだよ」この会話で、父が母に対して日々感謝をしており、「できる限りで自分の妻を支えたい」という気持ちを強く抱いていることは、まだ10代だった私にもよく伝わってきました。違いを認め合うことで深まる、コミュニケーション出典 : アスペルガーとカサンドラの関係は、特性の出方や人間的な相性もあるので、私の両親の例だけで全てを語ることはできません。ただ、母の場合は父に対して過度な期待を持たなかったことが吉と出たように思えました。そして、「自分とは違う種類の人間なんだ」と感じて、コミュニケーションを投げださず、「どうしたら円滑なコミュニケーションができるか」と模索したからこそ、父の特性を受容できたのでしょう。父も父で、「自分にはどうしてもできないことがある」と諦め、自分なりの歩み寄りをしてきたからこそ、母と仲良く暮らすことができているように感じられます。「諦める」という字面は、なんだかネガティブに見えるかもしれませんが、言い方を変えれば「違いを認めること」と同義だと思います。これはアスペルガーとカサンドラの関係に限らず、円滑な人間関係を築く秘訣の1つかもしれません。「だってしょうがないよ、あの人はああいう人なんだし」母から話を聞き父のつぶやきを思い出すにつけ、この言葉が愛情に満ちた、とても温かいものに感じられるのでした。
2016年09月18日たび重なる転職に疲れてしまった結果、だとりついた結論出典 : 私と娘はアスペルガー症候群です。母子2人暮らしなので、私が家計を支えています。娘は現在中学2年生ですが、小2から不登校で学校には通っていません。私は昔から仕事が続かず、人間関係につまづき、仕事をうまくこなせない結果、転職する、というパターンが続いていました。最後に辞めたところも、人間関係が破たんし、上司から「もう続けるのは無理だろう」と言われたのが原因です。そこを辞めるとき、「もう一般就労は疲れた。これからは障害者就労で働こう。支援を受けて障害者として生きよう」と、45歳にして決心しました。決意の後、めまぐるしく変わっていった日常出典 : それからすぐに、障害者自立支援センターに相談し、障害者職業センターに約4ヶ月通いました。その後、障害者福祉サービスを受けるため、何度も市役所や自立支援センター、ハローワークへと通う忙しさ。加えて、娘の支援体制を整えるため、学校へ通ったり、ストレスが溜まらないようにと、娘を連れだしたりし、私はめまぐるしい日々を過ごしていました。そんなとき、体に異変が出典 : その頃から微熱が続くようになりました。合わせて胃の不調、疲れが取れず、だるくて体が動かない状態になり、就労移行支援に行くこともできず、家事もこなせなくなり、布団から出られない日が続きました。そのうち高熱が出たので、大きな病院で精密検査を受けることに。あらゆるところを調べましたが、結果は急性胃炎だけでした。特に病気が隠れていたわけではないので安心しましたが、次に湧いてきたのは、漠然とした将来への不安でした。頑張らなくちゃいけないのに、病気でもないのに、でも身体は辛い。この時私の本心は、行きたくない、頑張りたくない気持ちでいっぱいでした。娘のことばかりで、自分のことを後回しにしていた私出典 : そんなとき、ずっと見守ってくれていた、障害者自立センターの方に気持ちをぶつけてみました。「病気でもない、でもしんどい、私はこれからどうすればいいんでしょう?」すると、「娘さんのことを思い出してみて。学校に行けなくても、しんどいって言っても、責めたりせずにゆっくりしなさいって言ってあげていたでしょう?あなたも一緒よ。」と言われたのです。「あ、そうなんだ。」とストンと腑に落ちた思いでした。娘のことは許せていたのに、自分のことは許せなかったのです。「まともなものを娘に食べさせていない」、「掃除もできていない」、「働くための活動もしていない」と自分を責め続けていたのでした。医師やカウンセラーからはこう言われました。「罪悪感を感じながら休んでいては、心も体も休まりませんよ」娘を見守るときに自分に言い聞かせていた「信じて、任せて、待つ」。それは、自分にも当てはまることだったのです。体が辛いのは、心からの「ちょっと休ませて」のサインだと気付きました。そんなときは無理せずに、ゆっくり休んでまた心が立ち上がることを信じて、待てばよかったのです。子どもの成長と共に、大切にしたい自分の時間出典 : 自宅へ戻り、娘にこの話をしたら、「だから休めって言ったでしょ。料理も掃除も私、少しはできるし、野菜だってスーパーでサラダ売ってるし、キャベツちぎるくらいできるよ。」と言われました。「やっとわかったのか」と言いたげな彼女の顔を見て、今まで娘にしてきたことは正しかったなぁ、と嬉しく思う一方、自分のこととなるとダメだなぁ、という気持ちにもなりました。親だって動けなくなることがあるのです。そんなとき、助けを求めたり子どもに助けてもらったりしながら、自分を責めることなく、ゆっくり休むことが大切なのだと、学んだ出来事でした。
2016年09月16日「頑張った結果」で評価される環境が大切だった出典 : 編集部:前回までは、畠山さんの幼少期のご経験や進学についてお聞きしました。中高一貫校に進学したとのことですが、「親がいれてくれた」というのは…?畠山:子どもですから、自分で進路の選択肢を「探して持ってくる」までは、しないですよね。親が決めたレールのうち、どれかを選ぶことはあっても基本は親の提示したレールや選択肢の中から決める。塾に入り、成績が良かった、成績が良い場合はここらへんの学校を受験するんだよ、と教えられ、何の疑問を抱かずにその通りに進みました。「自己選択したな」という自覚は別になかったですね。頑張った結果で選べるところに進んだだけ。編集部:「頑張った結果で進める」というのは、曖昧さがなくてわかりやすいですよね。畠山:そう、公文の算数がわかりやすいですよね。出来るようになれば次にいける、できないと何度もそこをくり返す。それに、成績がでるのがいいですよね、地域で何番目かわかる。努力が「事実」で認められる、曖昧な概念ではなく評価される。編集部:例えば、美術のような良し悪しの評価が難しいものは…畠山:いや数字で結果が出ればよい、というのではなく「頑張ったことを認めてもらえる」という事が大前提で一番大事だ、ということです。例えば、自分は100点とったのに、なぜか60点だったあの子が褒められる。100点をとったのに「君は才能があるから」といって努力したことを認めてもらえない、というのはおかしい。そういうことです。編集部:学校でも社会でもありますね。そういった場面で、畠山さんはどうしていたのでしょう?畠山:一つは、その集団に興味がなくなります(笑)会社だったら、そういう会社はやめてしまうかもしれませんね。例えば、上司に気に入られたらボーナスがあがる、という会社だったら仕事は頑張らなくなってしまい、上司に気に入られることを努力するでしょう。仕事を頑張ろうと思ったら違う会社に行くと思います。僕の場合は、塾で勉強すれば評価される環境だったから、しっかり勉強して伸びてきた。それだけ。偶然入った大学では、拘束が多い生活が待っていた。でもそれが自分には合っていた編集部:大学は中学高校と違い、枠組みが曖昧になってきますよね、通い方や学び方も。そこでつまづきはなかったのでしょうか?畠山:中高は無遅刻無欠席、通学も50分かかり、授業後は塾。という、それまでのルーチンとは変わりましたが、防衛大は寮生活ですし、なぜかキツいサッカー部に入ったので、生活は依然拘束されていました。それが良かったんです(笑)普通の大学生生活といってイメージするような、昼から授業にいき、眠りながら授業を受けて…という環境ではなかったので、真っ直ぐ真面目に(笑)編集部:自分のスタイルに合わせて、あえて、そういった学生生活を選んだんですか?畠山:いや、受かったからです(笑)国立の医学部で受かったのは防衛医大だけでした。親もお金かからないし、家計も助かる、じゃあ行きましょう。というところですね。今振り返えると、あの生活スタイルは自分にとって、とても良かったと思います。ただ、全寮制だとは知っていても、朝6時に点呼があるなんて知らなかった(笑)世の中は理不尽なことが多い。だからこそ僕は仕組みを学んだ出典 : 編集部:ちなみに、寮のルールや集団の決まり事に疑問を感じることなどはなかったのでしょうか?理由を考えるとイマイチ納得出来ない慣例的なルールだったり…畠山:疑問…そうですねえ…「ルールがあると知らなくて疑問を抱くこと」はありますよ。編集部:あ、なるほど。畠山:はい、だから僕はルールを隅々まで学んだ。例えば、賃貸物件。部屋を借りるときに、敷金・礼金・手数料がすごく高いことがありました。不動産屋が取れる手数料は、家賃の1ヶ月分で、手数料には消費税はつきますよね。且つ敷金/礼金には消費税はつかない。ところが、僕の手元にきた見積り書には、2ヶ月分の手数料に消費税がかかっていた。これは、宅建法違反なんですよ。というように、ルールを隅々まで学んでいれば、おかしいと思うことをすぐに論理的に理解し、社会の理不尽にすぐに対処し交渉したりできるんです。編集部:そんな風にルールを学ぼうと思ったキッカケは…?畠山:腹が立つからですよ(笑)というのは、冗談で、例えば高速道路のスピード違反、捕まる人と捕まらない人がいるのはなぜでしょう?それは、警察が取り調べをするルールがあるみたいなんですね。警察の覆面パトカーを追い越してから後ろにつかれて云々…と。要は、取り締まりのルールが決まっている。捕まる人と捕まらない人がいるのは理不尽ですよ。でも理不尽だからこそ、学ぶんです。なぜそういうことが起きているのか、という事を知っておく。知っておけば理不尽な社会でも生き抜くことができるんです。僕はそう考えています。畠山さんが現在のお仕事をされるまでの経緯について詳しく伺います。医師(整形外科医)。1974年、大阪府生まれ。1998年、防衛医科大学校卒業後、自衛隊医官として仙台市で勤務。自衛隊退職後、大泉記念病院整形外科、石巻ロイヤル病院整形外科部長を経て2010年、八木山整形外科クリニックを開業。2011年、東日本大震災で被災。2012年維新政治塾に参加、衆院選(宮城4区)に立候補するも落選。現在は複数の病院の外来や在宅診療を掛け持ちで担当している。著書に、『ぼくはアスペルガーなお医者さん 「発達障害」を改善した3つの方法』(KADOKAWA)、『「糖質制限+中鎖脂肪酸」で確実にやせる! 驚異のMCTオイルダイエット』(幻冬舎)。畠山昌樹オフィシャルサイト:
2016年09月15日医師として活躍する畠山さん。幼少期に困ったのは「クリスマスプレゼント事件」編集部:現在の活動からお伺いしてもよろしいですか?畠山:整形外科の医師として開業医をしていましたけど、それをやめて、書籍を出版したり講演をしています。親御さんにむけて「子どもの褒め方のコツの解説が聞きたい」、と言われたらいくらでもできますよ!(笑)編集部:畠山さんの本を読んで、幼少期からずっとアスペルガー症候群の特性が理由で困っていたという印象はあまり無かったのですが…畠山:そうですね。しいて言えば、書籍にもあるクリスマスプレゼントの事件。小学生のとき、クリスマス会のプレゼント交換があったんです。準備をちゃんとして持っていたのに、僕の持っていったプレゼントは手元からなくなってしまった。平たく言えば、「盗まれた」わけですね。出典 : そのときに、僕はあったはずのものは無いのでパニック。しかも誰かが、盗まれた僕のプレゼントを、クリスマス会の交換会で出していました。誰かはわかりませんが、交換会のプレゼントを見つけて、「盗まれた」と気づいた僕は、周囲に一生懸命主張したんです。でも、誰も僕の話は聞いてくれなかったんです。「盗まれた」と僕は言っているのに、周囲の人はそれよりも僕の主張の強さや仕方が気になったのか「いいんだよ、落ち着いて。プレゼントがなくても参加していいんだよ」と、なだめました。励ましてなだめてきたんです。それはおかしくないですか?あれはなんでなんでしょうね?(笑)編集部:なんなんでしょうね(笑)間違いが容認される社会では、価値観が歪んでゆく畠山:担任の先生も、なだめる事はしても、盗まれた事自体には何もしてくれなかったわけです。誰かが窃盗を犯したのに、その時は被害側の僕が抹殺されたようなものですよね。兄がいうには「あのときお前は3日間くらいずーっと(その事を)言っていたよね。」と。それくらいおかしいと主張していたのに、周囲の大人は盗まれたことよりも「そんなにこだわるお前はおかしい」と言ってきたんですよ。それは納得できないですよね。編集部:なるほど。畠山:今思えば、そこで理解を間違えてしまうと「モノは盗んでもバレなければいいんだ」という価値観になってたかもしれない。間違ったことを周りの社会や大人が容認するような経験を繰り返すと、特に「目に見えないこと、体験できないことは想像し難い」という特性のある子は、「事実、こういう事がおこったから、それで良いのだ」と誤解してしまう。発達障害のある人が犯罪を犯しやすいと言われるのは、発達障害のある人に理由があるのではなく、「誤った理解」をしてしまうようなそんな理不尽な世の中が放置されているという事なんです。そのことで価値観やモラルが歪んでしまう。自分の価値観をつくったのは、周りの環境だった出典 : 編集部:そのような中で、畠山さんが「誤った理解」をしなかったのは、なぜでしょう?畠山:環境ですね。僕の場合は、小学校のころ勉強が出来て、中学から進学校に入ったんです。その後は防衛医大に進みました。進学校の中での優劣はやはり勉強です。だから勉強を必死にして、真面目な方向に進むことが可能だったんです。もしそれが、喧嘩が強いことがステータス、というような地域や学校であれば、不良グループなどその道に進んでいたでしょうね。編集部:なるほど。畠山:先ほどの話と通じることですが、発達障害がある僕ら…いや、僕は物事を見た通りに解釈していくのです。間違っていることが良いとされる経験を積めば、それは「良いこと」「しても構わないこと」と理解しますし、同じように良い行いが最も良いとされる経験をつめば、そのように理解していくのです。ですから、僕の場合は、環境が僕の特性とって良かったのです。編集部:環境…畠山:防衛大は厳しいルールがあるんですね。自衛官として寮生活をする、その中で人のモノを盗むなんてありえない。だから適切な進み方が出来ただけです。例えば、悪いことをしないと生き残れない環境にいたり、悪いことをする方が強い、評価される、そういう環境にいれば、自然とそういうことをすると思いますよ。小学校の成績、最初のスタートラインがちょっと良かったから、中高一貫の進学校に親が頑張って入れてくれた、そこが大きいですよね。畠山さんの学生時代のご様子について、詳しく伺っていきます。医師(整形外科医)。1974年、大阪府生まれ。1998年、防衛医科大学校卒業後、自衛隊医官として仙台市で勤務。自衛隊退職後、大泉記念病院整形外科、石巻ロイヤル病院整形外科部長を経て2010年、八木山整形外科クリニックを開業。2011年、東日本大震災で被災。2012年維新政治塾に参加、衆院選(宮城4区)に立候補するも落選。現在は複数の病院の外来や在宅診療を掛け持ちで担当している。著書に、『ぼくはアスペルガーなお医者さん 「発達障害」を改善した3つの方法』(KADOKAWA)、『「糖質制限+中鎖脂肪酸」で確実にやせる! 驚異のMCTオイルダイエット』(幻冬舎)。畠山昌樹オフィシャルサイト
2016年09月08日発達障害の娘に、二次的な症状として現れた「解離」22歳でアスペルガー症候群と診断された娘。小学校高学年から高校卒業まで続いたいじめにより、神経性食欲不振症、不登校、被害妄想、幻聴幻覚、解離などの二次障害がひどくなり、現在入院しています。二次障害の中でも、不安が強くなった時に起こる解離は、本人の記憶もあやふやで分からないことが多いもの。私が体験した娘の不思議な解離症状をお話したいと思います。普段から、夜になると突然不安に襲われる娘出典 : 日中は穏やかに過ごしている娘ですが、夜になると一気に不安が押し寄せて来ます。不安はどんどん大きくなって娘に襲いかかるので、側に寄り添い言葉をかけても不安が収まることはありません。やがて強い不安は、パニックとなり過呼吸や引きつけを起こします。手や足をバタバタさせたり、全身を揺らしながら大声をあげ泣き叫んだりするのです。その間、大声で泣き叫ぶ娘を前にしても、どうする事も出来ずオロオロして疲弊してしまいます。頓服が効けば、1、2時間ほどで治まり、そのまま眠ってしまうのですが、夜が来れば眠れなくなり不安が襲ってくるので、相変わらず頓服を飲んでばかりの日が続いていたのでした。その日は、いつもと様子が違った。しきりに「行かないで!」と言う娘出典 : その日、娘は絵を描いて過ごしていましたが、私が家事をしようと娘のそばを離れると「行かないで!」と言うのです。結局何も出来ずに、1日中娘に付きっきりの状態でした。夕方になり、重度知的障害のある二男が施設から帰宅する時間になったので、私はいつものように送迎バスを迎えに玄関先へ出ました。すると娘は「行かないで!」と言い、私を引き止めたのです。娘は私の足にしがみついていましたが、バスはすでに到着しています。私は、娘の手を振りほどいて玄関に向かったのでした。「 行かないでー! あぁーーっ!」と、叫ぶ娘の大声が聞こえましたが、その時の私は大袈裟だなぁと思いながら外に出たのでした。二男を迎え、家に戻ろうと振り返ったとき、そこには裸足で呆然と立ち尽くす娘の姿がありました。あろうことか、娘は、私の横に立っていたのです。「どうしたの?」私は驚いて、娘に声をかけました。「家に帰りたいの…。」娘はそう答えると、裸足のまま家の門を出ようとしたのです。「ここが家でしょ?何言ってるの?」私は、無理やりに娘を家の中へと押し込んだのでした。「あなたは、だあれ?」と呟いた。娘は私の名前もわからなかった家に入ると、「あなたは、だあれ?」と娘は呟きました。一瞬ドキッとしました。ですが、以前にも薬を飲んだ後に意識がぼんやりしていたとき、この言葉をつぶやいていた覚えがあったので、今回も一瞬の出来事だろうと軽く考えておりました。ところが「あなたは、だあれ?」と何度も尋ねる娘の様子に、私は初めてとんでもない事が起きているのかもしれない…と、気づいたのでした。「家に帰りたいの。おばあちゃんのところに帰らなきゃ。」娘はしきりに家に帰ると言っては、玄関から出て行こうと試みました。玄関のドアの前で、両手を広げて立ち塞がり、娘が外に出ないように必死に止めると「どうして止めるの?おばさん、だれ?」と、 娘は声を荒げて怒りながら言いました。私は言葉を失いました。目の前にいる娘は、さっきまでの娘と違っていたのです。声のトーンも、言葉づかいも、確かに娘とは違っていたのでした。「お母さんだよ!」「お母さんって、だれ?」私が名前を告げると娘は「知らないわ」とぽつりと言いました。この言葉で、ようやく何が起きているのか知ったのでした。出典 : 以前、医師から娘に解離症状があると告げられてから、ずっと 解離性同一性障害の心配をしていました。まさか…今、目の前にいる娘に起きているのは、もしかして…。私は、恐るおそる娘に聞いてみたのでした。「あなたはだあれ?お名前は?」「知らないわ!」本当に何も知らない様子の娘に、私は娘の名前を告げました。「だれ?それ。変な名前!そんな名前嫌いよ!」娘は、嫌そうに顔をしかめて言ったのでした。「お母さんは?お父さんは?」「いないわ!死んじゃったの。」「どこから来たの?」「ずうっと遠くの外国。船に乗って来たの。」「どうしてここに来たの?」「お花がたくさん咲いていて、綺麗な絵があったからホテルだと思って入ったの。」「家族もみんな死んじゃった。おばあちゃんと住んでるの。おばあちゃん 病気だから早く帰らないと死んじゃうわ。」そう言ってすぐに玄関から出ようとするのです。私は、引き止めるので精一杯でした。重度知的障害の二男は施設から帰宅したばかりでしたが、いつもの娘と異なる様子を察し、娘と私のやり取りを遠巻きに見ていました。「この子はだあれ?」娘が二男を指差して尋ねるので、名前を告げると「可愛いわね!」と頭を撫でて微笑むのでした。いつもなら、夕食の支度をする時間でした。このまま日が暮れていき、夜になって娘が外に飛び出してしまえば、もう私一人では対応出来ません。友人から聞いた「交代人格」という言葉。まずは今夜を乗り切ろうと覚悟を決めた出典 : 娘の対応に困り、私は友人にメールをして相談しました。「事故防止のためにも、交代人格には家にいて欲しいが、無理なら一緒に出かける事。人格が戻るまでは、交代人格と対峙するしかない事。この時、交代人格を否定してはいけない。」友人が下さったこのアドバイスは、解離について全く知識のない私にとって、ただ1つの救い。その後も情報を提供して下さり、ご自分の事のように心配して下さったのでした。思いがけない娘の変異に驚き、何とかしてとにかく一晩を乗り切らなければという思いで必死でした。無我夢中で、目の前の娘ではない別人格と話をして「今夜は遅いからここで泊まって欲しい」と話したのでした。私との力づくの引っ張り合いで疲れたのでしょう。娘は、素直に私の言葉にうなずいて「今夜はこちらで泊めて下さい。」とやっと布団に入ったのでした。そのとき既に23時をまわり、夕食の時間はとっくに過ぎていました。出典 : その間は二男は放ったらかしでしたが、気づいたら自分でパンを焼いて黙って食べておりました。重度の知的障害がある二男ですが、こんな時は事態を察知して私の手間を取らせずに自分でやってくれるのです。私はごめんねと謝り、感謝をしたのでした。娘がやっと落ち着いて話ができる状況になったとはいえ、普段から服用している薬を飲ませるのにまた一苦労。いつも通り「これを飲んでね。」と差し出すと、「毒じゃないの?」と疑って聞かないのです。必死で説得して飲んでもらい、やれやれでした。深夜1時。大学病院に、やっとの思いで電話をかける出典 : 娘が眠ってから、すぐに大学病院に電話をかけました。深夜1時を過ぎていました。当直医に状況を伝えると「うちの病院では、すぐに入院できないが、どうしてもと言うなら、緊急救急システムを使う方法がある。」と教えて下さいました。他害や自傷などで命の危険があるときに、緊急で入院措置をとってくれる病院を紹介してもらえる、というような説明でした。すがるような気持ちで、緊急救急システムに電話をかけました。しかし「おとなしく眠っている現在の状況ではシステムは使えない。もっと深刻な場合に限る。仮に使っても、遠隔地の病院しか空いていない」とのことで紹介してはもらえませんでした。明日の朝まで、別人格と対峙しようと、私は覚悟を決めました。長い長い夜が過ぎて行きました。眠れない一夜を明かし「娘が目を覚ました時には、元の娘に戻っていますように」と、心の底から祈りました。朝が来て、別人格の娘との2日目が始まった出典 : 朝になり目覚めた娘は、別人格のままでした。そして「家に帰りたい」と再び言い出したのです。別人格の娘は、朝ごはんを食べ、毒ではないかと疑いながらも薬を飲み、だんだんと私を頼ってくれているのではないかと感じるようになりました。娘ではないけれど、暴言は吐かないし、言葉使いも丁寧で、穏やかな性格のようだ…。私は次第に、別人格の娘も愛おしく思えてきたのでした。そんな時、突然娘が「おばさんの事、お母さんと呼んでいい?」と言ったのです。私は嬉しさのあまり、「いいよ!呼んで!」と笑顔で答えていました。「お母さん優しいから、ずっとこのまま ここにいてもいい?」「うん!いいよ。ここにいて!」「じゃあ、家に帰らなくてもいいわ。ここにいる!私、名前がないから、お母さん 名前つけて!」別人格の娘がそういうので、娘の名前を告げてみましたが「そんな名前嫌いよ!大っ嫌い!」と言うのです。自分の名前に嫌悪感を示すことは不思議でした。ですが、一先ず入院中の主人に電話をかけ「名前をつけて欲しいと言ってるけど、どんな名前がいい?」と相談しました。主人には、ずっと電話で状況を伝えていたので、すぐに答えてくれました。出典 : 「マリア…」「えぇっ?マリア?恥ずかしいんじゃない?」「じゃあ、サラ!」マリアもサラも聖書に書かれている女性の名前です。聖書もキリスト教にも興味のない主人が、この名前を出した事に私はとても驚きました。娘にどちらが良いか聞くと「サラがいい!」と即答しました。「サラちゃんにする!今日から私は サラちゃんになる!」と言って、大喜びしたのでした。自分の手の甲に「サラ」と書き「サラちゃんと呼んで!」と何度も言い、家族の名前を一人ずつ書いて欲しいと言ってノートを差し出したのでした。言われるままに、私はノートに家族の名前を書きました。「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、サラちゃん、弟…」名前を言いながら説明をしていると突然、別人格の声が変わり娘の声になったのです。驚きました。いつの間にか、別人格は消えていました。このとき既に23時間が経過していました。長い長い時間でした。娘は、やっと元の娘に戻ったのでした。本当の娘に戻ったとき、別人格で過ごした出来事を覚えていた出典 : 「お母さんが上手く誘導してくれたから、戻って来れたんだよ。」娘は嬉しそうに話してくれました。「えっ?覚えているの?」「うん。ところどころ覚えてる。自分が誰だか分からなくなって、自分の名前も家族も分からなかったから、それでノートに書いて!って、言ったんだよ。」確かに、言われてみれば別人格のはずなのに、娘自身の私物が入っているボックスを開けていたり、自分の名前を嫌いだと言ったり、不思議な行動がありました。私が別人格だと思いひたすら対峙していたのは、娘自身だったのかもしれないと思えてきたのでした。「この先、多重人格になったらどうしよう」と不安だった私は、ぼんやりとでも昨夜の出来事を覚えているという娘の言葉に、 少しホッとしたのでした。何度も解離を引き起こし、専門病院に入院中。穏やかな日々を願いながら…出典 : すぐに主治医の診察を受けると「記憶があるので、真性の解離性人格障害ではないでしょう。自分を認識出来ない状態になって、混乱したのではないか。解離ではあるけれども、多重人格とは違うでしょう。」との事でした。安心したのもつかの間、翌日も翌翌日も、娘は再び解離になり同じような症状が出ました。「あなたはだあれ?ここはどこ?」と、同じ質問を繰り返し家から出ようとする娘。私ひとりで対応することに限界を感じました。連休中だったので、仕方なく何度も救急外来に娘を連れて行きました。主人は手術を受けるために入院中だったのですが、「お父さんの手術に対しての不安から来ている解離なので、手術が終わるまでは繰り返し続くでしょう。」との診断でした。そして連休明けに、主治医に「何度も解離を起こす娘の対応が難しい」と伝えました。退院したばかりなので再入院は出来ないが、代わりに別の病院を紹介しますと言われ、精神科の専門病院を紹介していただき、娘はやっと入院できたのでした。後日、発達障害があると解離症状が出やすいと主治医に聞きました。娘の場合は解離ではあっても解離性同一性障害ではないそうですが、「これは別人格だ」と信じ込んでしまうほど、あの時の娘は声も話し方も異なっていました。今でも不安になると、解離になり自分が誰なのかどこにいるのか、分からなくなってしまいます。今は、娘を襲う不安が少しでも和らいで、穏やかな毎日が過ごせることを願うばかりです。
2016年08月29日言語IQは150。アスペルガー症候群で、常に頭の中はフル回転。出典 : 娘は、言語能力が突出しているアスペルガーです。言語IQは150を超えており、頭の中は常にフル回転状態なので、休む暇なくいつも話し続けています。良くも悪くも娘の大きな個性の一つとなっています。そんな娘は、自己肯定感が低く自分を否定しがち。誰かが自分のことを話していると「否定されてる…」と感じてしまうのです。自分に以外の話題は、まさにアスペルガーの特性通り「言葉通りに受け取り、意図が読めない」のに、自分に関することとなると、反応が全く異なるのでした。否定的な考え方は、昔の私に似ていた。他人のアドバイスを上手に受け取れない時がある出典 : 娘は、「いい笑顔だね!いつもそんな風に笑ってるとステキだよ!」と褒められると、「どうせ私はいつもちゃんと笑えていないから。いつもの私はダメってことでしょ!」と怒ります。「すごく上手にできたね!」と褒めらると、「いつもいつも失敗して、たまたま上手く行っただけ!頑張ってもなかなか上手く行かない私なんて全然ダメ!」と泣きながら訴えます。そんな娘を見ていて、ふと、私自身も長年同じような思考のパターンだった事を思い出しました。昔の私は、そもそも「アドバイスされる」という事がとても苦手。自分から「どうすればいいと思う?」と相談した場合はアドバイスを素直に聞けるのですが、相談をしているわけでもないのにアドバイスされると、その内容よりも「今のままではお前はダメだ」と否定されているという風に捉え、そこのみを強烈に受け取っていたのです。「適当に受け流せばいいじゃない」と言われることもありましたが、一度入ったマイナス要素は頭の中で何度もリピート再生されるため、「受け流す」ということもできないのです。私を知っている人が、私を否定的に見ている。その事実に猛烈に怒りを感じるとともに、傷つき、とどまることのない思考の中で深く深く自己否定に紐づけてしまう。私はこの思考のパターンにずいぶん長く苦しんできました。娘もそうなのでは…と思い、長年苦しんだからこそ娘にはなんとかこの思考をコントロールしてもらいたい。この苦しみから逃れさせてあげたい。そう願って、対応を模索してきました。【1】言葉でほめるのをやめて、代わりに「はなまるノート」を作った出典 : まず、娘の自己肯定感を高めるために「はなまるノート」を作りました。「このノートには、ママが本当にいいと思ったことしか書かない」と宣言し、毎日の生活の中で些細な“はなまる”な出来事を具体的に記入しました。自分で探し物を見つけられたこと、泣きながらも諦めずに最後まで取り組めたこと、怒ってしまったけど小さな噴火で済ませられたこと…娘はこの「はなまるノート」に書かれていることは、とても素直に受け止め、何度も読み返しては顔をほころばせています。というのも、娘の場合は「耳から入る言葉(音声言語)」には、思考のフィルター「なぜその人は、そのような発言をしたのか」を通して背景を深読みし、「これを単純な褒め言葉と受け取ってはいけない」と考えてしまうのです。一方で、「目から入る言葉(文字情報)」は、思考のフィルターを通さずに済むようで、素直にほめ言葉も受け取れるようです。とにかく、文字に書いてほめれば素直に受け止められるという法則を見つけてからは、娘をほめやすくなりました。自己肯定感も少しずつ上昇に向かっているように思います。親としても、はなまるノートを書こうと子どもの良い所に注目できるようになったので、これもいい収穫でした。言語優位|文字は思考を凌駕する「言葉は人を作る」プロジェクトで見えた娘の特性【2】ほめられたらまず最初に何を言うのか、明確に決めた出典 : ほめられたらどうするのか、を娘と話し合って決めました。「ほめられたら、ありがとうと言う」というシンプルなルールです。今まで、ほめられたらまず最初に口をついて出てくるのは自分を否定する言葉でしたが、まず「ありがとう」を言うと決めてしまったのです。ルールは厳格に守るというアスペルガーの特性を逆手にとったこの作戦は大成功。これを決めて以来、娘がほめられた後に怒りをあらわにすることは、ほとんどなくなりました。また、ほめられた瞬間に自己否定をしてしまう前に「ありがとう」と発することで、この音声言語が娘の思考のフィルターを通り、「ああ、自分はほめられて嬉しいんだ」という信号が脳に送られているのではないかと思っています。ネガティブすぎる、と言われても余計自信がなくなるだけ。色々試してみよう出典 : 私自身、幼いころからこの思考パターンでずいぶんと苦労をしてきました。考え過ぎだ、ネガティブ過ぎる、被害妄想が激しい、堅苦しい、真面目すぎる…。周囲から様々な言葉をかけられ、その言葉に傷つき、さらに自己否定を行う、という悪循環の中で暮らしてきたのだと思います。今回はたまたま、自分の経験を活かして娘を理解しながら対応策を考えることができました。これは本当にラッキーでした。子育ての中で、どうすれば良いのだろう?と頭を悩ませることは尽きませんが、あれこれ考えてトライしてみることに無駄な事はひとつもないはずです。「試してみて合わなければ、また考えよう」そんな風に、ひとつずつ子どもたちと実験をして幸せに近づけたらいいなと思います。
2016年08月18日アスペルガーの診断から10年。たくさんの医師との出会いを経て皆さんこんにちは、高校教師のゴトウサンパチです。ボクが36歳でアスペルガーと診断されてから、もうすぐ10年。今日までの間に、たくさんの医師や研究者と出会ってきました。診断の後すぐに周囲にカミングアウトし、自分のより良い生き方を見つけるために、動き回ったからです。Upload By ゴトウサンパチおかげさまで、今では講演や執筆の機会をいただくこともあり、発達障害に関する悩み相談に乗ることも増えてきました。そこで気になるのは、相談してくる方の多くは「診ていただけるお医者さんがいなかった」と言ってボクを訪ねてくることです。ボクは、どんな人でも、自分にぴったりの「同志」とも呼べるような医師と出会えると思っています。その過程で、自分にぴったりの「お気に入りの診断」を見つけることが出来るのだとも。今日は、そんなお話をします。医師と出会うたびに新しい診断をつけられる?Upload By ゴトウサンパチまずは参考までに、ボクが今までどんな診断を受けてきたか、その紆余曲折をお話しましょう。最初に書いた通り、36歳ではじめて発達障害診断を受けた際の主治医は、ボクをアスペルガー症候群だと診断しました。ですが、別のある医師にかかってみると「君はADHD だ。」と言うのです。また別の医師はボクを「少なくともアスペルガーではないだろう。」と言い、他の医師は、「ADHDでなはく、ADDですよ。」などと言い出します。不思議でしょう?医師がそれぞれ、ボクをあたかも違う人のように見るんです。また、ボクは幼い頃から文を読むことが苦手な上に暗算も苦手だったので、これはもしかしてLDかもしれないと思った時期もありました。しかし、実際にLDの方やディスレクシアの方とお話しするうちに、「どうやらボクはLDではなさそうだ」ということが分かってきます。「LDではないのに文が読みにくいのは、いったいどうしてなのか!」疑問は強くなるばかり。「自分はどんなことが、どんな状況だから苦手なのか」そうやって自分自身をより詳しく分析し、自分に当てはまる症状や診断探しに没頭するようになりました。その結果出会ったのは、光に対する感覚過敏を指す「アーレンシンドローム」という診断名でした。ボクはさっそくスクリーニングを申し込んで検査を受けました。そしてその場で自分に合うカラーレンズを見つけ、アメリカに発注していただき、ボク専用のレンズをゲットしたのです。おかげで今はずいぶんと読書の負担が軽減しました。また他にも、小児神経科の医師には、「ハイリーセンシティブパーソン」だと診断されました。医師はボクのことを「よく気がつく人だ」と褒めてくださったのです。またある人はボクに「君は地球を助けに来た宇宙人だ!そんな人をインディゴチルドレンというのです」と教えてくれました。医師と会うたびに新しい診断をつけられる日々。なんだか笑い話みたいでしょう?そうなんです。人によっていろんな見解があるため、診断は決して一つじゃないのです。色々な診断名がつくのは、ボクを多面的に見ている証拠Upload By ゴトウサンパチかかる医師によって診断名が変わるのは、医師のレベルが高い、低いということではありません。これは、ボクたち人間に無限の可能性が広がっているということなのです。出会いのタイミングが違うわけですし、医学や科学の進歩が影響していることも確かですが、それ以前に、ボクをどの角度から見るか、医師がどんなことに興味を持っているかが、診断の相違を招くのです。見方を変えれば、医師の診断、研究者の見立て、学校の先生の直観、家族や友達との関係性によって、ボクは「今までの自分」を抜け出して、違う自分にだってなれるということです。診断は医師にしかできません。昔はその医師が少なかった。でも、今は違います。 医師を選ぶ時代になったのです。医師を選ぶとは、診断名を選ぶ時代になったとも言えます。診断名を選ぶということは、自分の特性を自覚して生かすということです。それはまさに人生を楽しくするコツですよね。ポジティブな未来へと伴走してくれる医師を探そうUpload By ゴトウサンパチさまざまな医師、さまざまな診断名と出会ったボクが思うことは、どんな人でも、自分にぴったりの「同志」と呼べるような医師と出会えるのだ、ということです。どうかあきらめず、お子さんやあなたご自身の相性に合う医師を探してください。人のうわさ話に惑わされず、必ず直接会って、第一印象で感じたものを信じてください。合わなければ合う医師が見つかるまで探し続けてください。もし良い先生だと感じたなら、たとえその先生の評判が悪くても信頼してください。医師を選ぶ際ポイントは、その医師の言動です。特に、ネガティブな言葉がどれだけ少ないかをよく観察してください。それは、状況が好転してきた後、可能性をどこまで追いかけられるかが重要だからです。病気が治ったのに病院に行く人はいませんよね。通常の病気を治す医師であれば、そこでお別れです。しかし、発達障害は病気ではありません。医師にかかって、今の苦しみが好転することは当たり前。その後、あなたやお子さんの特性を活かす可能性を追求してこそ診断の意味があるのです。「あなたはこう言う特性を持っている。今まではそれを活かせない状況で大変だっただろうけど、これからは違う。その特性を活かしていく方法を一緒に探していこう」そう言ってくださる医師との出会いを積極的に求めてください。ちなみにボクは、今現在ハイリーセンシティブパーソン、インディゴチルドレンという見立てが一番気に入っています。医学的に確立された診断名ではありませんが、これらは、ボクの持っている特性を明るく照らしてくれる気がするからです。では、今回はこの辺で。読んでくださってありがとうございました。出典 :
2016年07月26日新生活の一番のネックは「人の名前を覚えること」Upload By 鈴木希望就職、進学、転居、転職―新生活を始めるとき、皆さんが1番気がかりなのはどんなことですか?アスペルガーとADDを持つ私の頭にまず浮かぶのは「人の顔と名前を覚えること」です。1週間毎日顔を合わせている人に「初めまして」と挨拶してしまうことはザラ。学校や職場で顔を合わせていた同級生や同僚が私服になった途端、いったい誰なのかわからなくなってしまうほどです。短期記憶力が弱いのはもちろん、軽度の相貌失認があるのかもしれません。相手に関心がないから覚えられないというわけでなく、興味がある人のこともなかなか覚えられないからこそ辛いのです。同じくアスペルガーでADDの息子も、やはり人の顔と名前を覚えるのが苦手。意気投合して仲良く遊んだ相手でも、顔と名前を1度で覚えられることはかなり稀です。保育園のころも、10人前後のクラスメイトを覚えるのに何ヶ月もかかっていました。人の顔が覚えられない「相貌失認」(失顔症)について知ってください記憶には苦戦、でもなぜか余裕の表情。Upload By 鈴木希望さて、4月から小学校に入学。クラスの人数は倍以上、20人超になります。それについて不安はないのかと何となく聞いてみたところ、「まあ、何とかなるし、何とかするしかないでしょう」と、頼もしいような呑気なだけような言葉が返ってきました。息子が余裕の表情を見せていたのもあり、私も大して心配はしていませんでした。入学後、クラスメイトの顔は存外早く覚えられた模様。問題は名前。「学校にいるときは名札があるから大丈夫なんだよねー。でも帰ってくると忘れちゃうんだよなー」と、苦戦気味の模様。それでも、「保育園のときだって、すぐにではないけど覚えられたんだし、まあ大丈夫だよ」息子がどう「大丈夫」なのかとワクワクしていた私は約1ヶ月後、予想外の対策方法を知ることになるのです…。その手があったか!こだわりを活かした記憶術Upload By 鈴木希望そしてゴールデンウィーク直前のある日のこと。学校から帰宅した息子は、満面の笑みで私にこう告げたのです。「今日は○年○組○番の子と●年●組●番の子と3人で帰ってきたよ!」そう、息子は数字にこだわりを持つ男。そこを活かしてまずは学年と組、番号を覚える作戦に出たのです!「人を番号で呼ぶって、お前は看守か!!!」私は大笑いしながら突っ込んでしまいましたが、「その手があったか!やるじゃん息子!」と心の中では感心しきりでした。しばらくすると「○年○組○番の子」という呼び方は「○年○組○番の(フルネーム)君」という呼び方に変わり、今では学年と組、番号を名前と並べて呼ぶことはほとんどなくなりました。スタンダードな記憶術に私が感激した理由。キーワードと関連付けて何かを覚えるというのは、昔からあるスタンダードな記憶術のひとつで、決して目新しいものではありません。私が感心したのは、息子が自分なりに、しかも特性を活かしてその方法を見つけ出してきたことです。「いやー、お前さんすごいな!天才だな!!」と、私が感嘆していたところ、何か勘違いしたのか「○○君は何年何組何番、●●ちゃんは何年何組何番で…」と、既に名前を覚えている友達の学年と組、番号を報告してくるようになりました。(笑)「私、正直君の友達の番号にはあまり興味がないんだよね」と息子に伝えたのですが、「数字を覚えて、のん(私の呼び名)に伝えるのが楽しいから、これからも言わせてよ!」とのことなので、日々報告を受けています。自分で対策を見つけてきた息子だから、これからもきっと大丈夫。Upload By 鈴木希望そうそう、友達の呼び名がいつまで経ってもフルネームなので、その辺について質問してみたところ、照れたように笑ってこう答えてくれました。「どこまでが苗字でどこからが名前か、まだ時々迷っちゃうんだよね」「あー、『三国志』読んでてさ、“諸葛亮公明、どこで区切ったらいいのかわからない!”みたいな感じ?」「それそれ。あ、ハルは『三国志』好きだし、諸葛亮孔明をどこで区切っていいのかはわかるよ!」「いやいや、今のは例えだって。で、それはどうするの?」「うーん、これも何とかなるし、何とかするしかないよね!」息子なら、また息子らしい、息子なりの対処方法を楽しみながら見つけるような気がしているので、私はただニヤニヤしながらその報告を待つばかりです。
2016年07月17日カサンドラ症候群とは?出典 : カサンドラ症候群とは、アスペルガー症候群がある人とのコミュニケーションがうまくいかないことによって、家族や友人など、アスペルガー症候群の人の身近にいる人に心身の不調が生じる二次障害のことです。特に妻や夫といったパートナーに起こる場合が多いと言われています。対人での関係性による障害であることから、状態として捉えられることもあります。2003年に心理学者がカサンドラ症候群と名付けましたが、まだ障害名としては確立しておらず、現在のところアメリカ精神医学会による診断基準である『DSM-5』(『精神障害のための診断と統計のマニュアル』第5版)などにも記されていません。そのため、カサンドラ症候群、カサンドラ情動剥奪障害、カサンドラ愛情剥奪障害などと呼ばれることもあります。今回はカサンドラ症候群という名称を用いて、身近にアスペルガー症候群の人がいる人が陥りやすい不調や対人関係の問題と、その対処法などについてご紹介します。カサンドラ症候群の症状出典 : カサンドラ症候群の症状としては、身体的なものと精神的なものがあります。症状の程度によっては、日常生活に困って医療機関を受診しなければならないほどまで、高いストレス状態に陥ってしまう場合があります。代表的な症状は以下のようなものがあります。・偏頭痛・体重の増加または減少・自己評価の低下・パニック障害・抑うつ・無気力・自律神経失調症など下記は、カサンドラ症候群に陥った方の体験談です。アスペルガー症候群の夫と生活を共にするうち、私のほうがカサンドラ症候群を患ってしまいました。娘が産後7カ月の時、私が鬱っぽくなり、産後鬱かと受診したところ、カサンドラ症候群だと診断されました。このように、うつ病などの疑いで受診し、カサンドラ症候群だと診断される場合もあります。また、『旦那(アキラ)さんはアスペルガー―奥(ツナ)さんはカサンドラ』(コスミック出版) の著者である野波ツナさんは実際に以下のようなことを経験したそうです。自宅の購入の際には野波さんに全てを任せきり。突然、仕事を辞めたときも、将来の話し合いはできなかった。揚げ句の果てには、300万円の借金が発覚した。夫の言動を周囲に訴えても「男の人ってそんなもの」などと言われて終わり。「自分が悪いのかもしれない」と思い詰め、抑鬱状態になった。離婚が頭をよぎる中、インターネットを検索していると、夫の言動がアスペルガーの人と一致していることに気づき、医療機関を受診。すぐに、診断がついた。『旦那(アキラ)さんはアスペルガー―奥(ツナ)さんはカサンドラ』 |野波ツナカサンドラ症候群の原因出典 : カサンドラ症候群を引き起こす発端には、身近な人のアスペルガー症候群の特性によるトラブルがあるといえます。では一体、カサンドラ症候群の発端となるアスペルガー症候群の特性とはどのようなものなのでしょうか。アスペルガー症候群には3つの症状があります。「コミュニケーションの問題」、「対人関係の問題」、「限定された物事へのこだわり、興味」の3つです。・コミュニケーションの問題表面上は問題なく会話できるのですが、その会話の裏側や行間を読むことが苦手です。明確な言葉がないと理解がむずかしく、比喩表現などをそのままの意味で鵜呑みにしてしまう傾向があるため、人の言葉を勘違いしやすく、傷つきやすい面があります。具体的な症状としては、曖昧な表現が苦手だったり、不適切な表現を使ってしまうことなどがあります。・対人関係の問題場の空気を読むことに困難さがあり、相手の気持ちを理解したりそれに寄り添った言動が苦手な傾向にあります。そのため、社会的なルールやその場の雰囲気を平気で無視をしたような言動になりがちで、対人関係を上手に築くことが難しいです。具体的な症状としては、相手の気持ちを理解することが苦手なことから、相手を傷つけたり、自己中心的と思われる言動や行動をしてしまうことなどがあります。・限定された物事へのこだわり、興味いったん興味を持つと過剰といえるほど熱中します。法則性や規則性のあるものを好み、異常なほどのこだわりを見せることがあります。その法則や規則が崩れることを極端に嫌う傾向があります。一方、この特性は逆に強みとして活かすこともできます。具体的な症状としては、自分のルールがあったり、興味のあることに対して話し続けてしまうことなどがあります。周囲の人たちは、アスペルガー症候群の特性だとわかっていても、アスペルガー症候群の人と接していくうちに、うまくコミュニケーションが築けないことに自信をなくしてしまったり、周囲に相談しても理解をしてもらえないため、孤独感を感じてしまう場合があります。家族は毎日の生活の中で接する機会は多いですし、パートナーであればなおさら、愛する夫・妻と心を通わせたいと思う気持ちは強いでしょう。それが難しいときストレスを感じるのは、ある意味当然のことかもしれません。その結果、体調不良や抑うつ症状といった症状に陥ってしまうのです。カサンドラ症候群になりやすい人は?出典 : アスペルガー症候群は、比較的男性に起こりやすい障害です。そのためカサンドラ症候群が起こるのは、アスペルガー症候群の男性を夫やパートナーに持つ女性に多いといわれています。しかし、夫婦やパートナー間のみにカサンドラ症候群が起こるのではなく、家族や友人、会社の同僚など、アスペルガー症候群がある人に関わる身近な人にも、カサンドラ症候群が起こる可能性があります。下記は、会社の上司や子どもにアスペルガー症候群がある場合の経験談です。アスペルガーの上司がいます。グループでする仕事なのでグループ内の同僚はアスペルガーと気づいていますが、他部署の人は気づきません。最近ストレスがひどいので距離を置いてます。そしたら他部署から仲が悪くて同僚2人でいじめをしていると言われました。(中略)毎日同じ動きをし、型にはまらないのに型にはめようとして失敗し、言い訳をしてきます。ストレスが限界なので、距離を置いているのにいじめをしていると言われて苦しいです。アスペルガーグレーの子どもによるカサンドラ症候群です。ずっと子どもからモラハラされているような違和感を知人に相談したら、カサンドラ症候群ではないかといわれました。(中略)一緒にいると、ガッカリさせられることが多く、うつっぽいので投薬中です。カサンドラ症候群の対処法はあるの?出典 : カサンドラ症候群の症状であるうつ病の症状を緩和するために薬物療法が行われることがあります。しかし、カサンドラ症候群はコミュニケーションという対人関係から起こるものなので、薬物によって症状の緩和ができても、根本的な解決につながっているとは限りません。ここではカサンドラ症候群の対処法についてご紹介します。お互いが相手の立場を理解しあうことが大切です。たとえば、アスペルガー症候群の人が察することを求めすぎず、「夫(妻)は相手のことを察することが苦手」だということを理解したり、発達障害専門のプログラムや病院での受診などを通して、本人がアスペルガー症候群であることを理解して受け入れることなどがあります。発達障害専門のプログラムを行っている病院があるので参考にしてみてください。発達障害専門プログラム|昭和大学付属烏山病院カサンドラ症候群は、周囲に悩みを相談しても理解してもらえず、孤独感を感じてしまうものですが、同じような悩みや辛さを抱えた者同士が、お互いに支え合い、励まし合うことで、問題の解決や克服を図る活動があります。それを自助グループといいます。自助グループではセミナーやワークショップなどを行っており、個別相談を行っている自助グループもあります。フルリールかながわ(神奈川)アスペルガーアラウンド(東京)アスペルガー夫の妻達(東京)あじさい会(大阪)サラナ(名古屋)わかば会(明石)また、同じ体験をしている人のブログなどから、アスペルガー症候群との向き合い方を理解しようとしている人もいます。ブログだけではなく自助グループのように、同じ悩みや辛さを抱え散る人たちがお互いに励ましあったり、情報を交換しているカキコミサイトもあります。ハートネット|NHK 福祉ポータル奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」(中略)わたし自身、カサンドラ状態ですが上記ブログを読んで、「アスペの人が、そういう不可解で衝動的な言動をする理由や心の特性」と「アスペの人を落ち着かせる言葉のかかけた」がわかってきて、希望がみえてきている気がしてきました。息子と僕のアスペルガー症候群|奥村隆アスペルガー症候群について理解していてもつらい場合も多いでしょう。体調が悪い、ストレスが強いときは、一人で抱え込まないことが大切です。心療内科や精神科といった医療機関、お近くの発達支援センターでも相談ができるので、まずは相談をしてみることをおすすめします。全国の発達支援センター|発達障害情報・支援センター他にも、ある程度の距離を置くことで、症状が改善する人もいます。夫婦や家族の場合、別居という形をとるなどしてストレスのもととなる対人関係から離れることで、気を休めることだけではなく、冷静になったり状況を見つめ直したりすることができる場合もあります。「私も夫も悪くない。夫の良いところも思い出せた。結婚は間違いではなかったと過去も肯定できました」。別居は続けているが、離婚はしておらず、「いい距離感」という。まとめ出典 : カサンドラ症候群は、アスペルガー症候群がある人とのコミュニケーションにおいて、家族や友人などの身近な人に起こる二次障害だといわれています。また、アスペルガー症候群がある人との向き合い方で悩んでいたり、カサンドラ症候群の症状があらわれている人は増えてきています。正式な診断名がないこともあり、自分とアスペルガー症候群がある人、二人の間の個人的な問題であると捉えられて理解が得られず、ひとりで悩みやつらさを抱え込む方も多いようです。もし、抱えている悩みやつらさがあったら、専門機関や自助グループを活用することをおすすめします。カサンドラ症候群は、どちらか一方が悪い、どちらか一方が正しいというものではないため、自分や相手を責めたり背負いすぎず、お互いに理解しあうための一歩を踏み出してみましょう。
2016年07月13日子どもの頃から理解できなかった「母親」のこと出典 : 私にとって、母との関係ほど厄介なものはありませんでした。母のやることなすこと、いつも理解ができませんでした。「自分が変わる事でしか、状況を変えられない」これは、綺麗事なんかではなく一番の近道だと思っていました。発達障害のある家族と生まれたときから44年もの長い間、格闘してきた私の実感です。現在、家庭を持った私は自分自身の子どもにも発達障害があり、子育てに奮闘しています。ですが、私とわが家の場合、発達障害のある子を育てるよりも、発達障害のある親と過ごす方がずっと大変だったように感じます。ずーっと感じていた違和感は「大人の発達障害」にヒントが出典 : 私は物心ついたときから、周囲の感覚と何かがズレているように感じていました。息子が診断された時、この違和感は「私自身も発達障害かも」という疑いに変わりました。ですが、私は確かに忘れっぽいけれど、支援が必要なほど困った記憶はありません。集団に適応できなかったこともないし、コミュニケーションも得意ではないけど苦手な訳ではありません。一方発達障害がある息子は、集団への適応が難しく、相手の気持ちを理解することが苦手なため、コミュニケーションにも困難さを抱えていました。人それぞれ特性は違うとはいえ、息子の様子を見ていると、私と彼とでは「困り感」に大きな差があるように感じました。私が発達障害じゃないとしたら「この違和感は一体何だろう?」そうずっとモヤモヤしていました。Upload By kaoruそんなある日、大人の発達障害の再現ドラマが放映されていました。それを見て思ったのです。「もしかして、わたしのお母さんが発達障害?」再現ドラマは、遠足の日にお弁当を作り忘れる、という話でした。私の母は、再現ドラマと全く同じで、前日までお弁当を作る予定でいたのに当日の朝はすっかり忘れてしまうのです。お弁当の代わりに現金を持たされたこともありました。熱湯をプラスチックの水筒に入れてしまい、ボトルが溶けて変形していたり、間違えて空の汚れたお弁当箱を持たせられたり…そんな事は我が家で日常茶飯事でした。思い返すと、母は体調の悪い人の気持ちや辛さを全く理解できないところがありました。家族が体調を崩すと、病院へ連れて行くどころか「気合が足りない」「私への嫌がらせなの?」と相手を責めてしまうのです。母に「嫌がらせで体調が悪いフリをしている」と言われていた祖母を見かねて私が病院へ連れて行くと、心不全を起こしていたこともあったのです。そして、母は病院を選ぶことができませんでした。発疹が出ているのに整形外科に行ったり、骨折しているのに外科に連れて行かれたり、こうした間違いはしょっちゅうありました。診察科目ごとに診察内容が違うことを理解できなかったようです。母のことを「発達障害かもしれない」という視点で考えてみると、私が感じていた「違和感」の謎はスーッと解けていったのでした。母との厄介な関係は、まるでカサンドラ症候群!出典 : そう考えてみると、凸凹の激しい母の元で、私は子どもではいられなかったのだと思います。母と父が離婚したとき、私自身が結婚したとき、母との距離が遠くなるたびにどこかでホッとしている自分がいました。いつ感情が爆発して八つ当たりされるかもわからずに怯え、当たりちらされるたびに「今度こそ親子の関係を断ち切りたい」と思っては踏み留まり、親子なのに安らぎなど微塵も感じられない、というのが正直な気持ちです。こうした母との疲れる関係は、ずーっと私を苦しめ続けました。私と母は夫婦ではなく親子ですが、母の言動に疲れきっている私はまるでカサンドラ症候群のようでした。今でも母に対する複雑な感情は消えません。気持ちの浮き沈みが激しい母からの八つ当たりや、訳のわからないマイルールに辟易しています。なぜ理解しなくてはいけないのだろう。葛藤する気持ち出典 : 「母は息子と同じアスペルガー症候群である」と認めることは、本当に苦しいものでした。これまでの事をおもうと「どうして私から歩み寄らなければいけないのだろう」と、受け入れられない自分がいました。なにより、将来自分の息子が「母のようになってしまうのだろうか…」そう思うと不安になり、否定せずにはいられませんでした。それでも1歩を踏み出せたのは息子のおかげです。自分の親の発達障害を理解して受け入れたり、サポートできないなんて、本当に息子の事や息子の障害を受け入れたとは言えないのではないか…そう思ったのです。息子のことをより深く理解するために、「将来、こんな事で躓くことだってあるんだ」と母を1つの例として、息子と同じアスペルガーなんだという事を受け入れることが出来ました。出典 : 私はまず母に親であることを求めるのはやめました。そして彼女の行動を「アスペルガー症候群という凸凹があるんだ」という視点から判断しようと努めました。とても不思議なのですが、私が母の言動を肯定して受け止めると、あれほど悩まされていた八つ当たりはピタリと治まり、私の話を聞いてくれるようになりました。「理解者のもとでは、安心していられる」というのは本当だとあらためて実感しています。もちろん、全ての行動を何も言わずに受け止めるわけではありせん。お葬式で知り合いに再会した際に「楽しい」と口走ってしまったり、温泉に行けば泳いでしまったり、並んでいる列に割り込もうとしたり、見知らぬ人にマシンガントークで喋りかけたり…そんな事は今でもよくあります。すでに70歳を前にしていて、注意をしてもなかなか治らないのです。そんな母と一緒にいるときは、「私自身が気をつけて周囲とのトラブルを回避する」方が上手く行くという考えに至りました。「受け入れなきゃ」と無理をしない、ゆるやかな努力なら続けられる出典 : 私は現在、母とは車で30分ほど離れた場所に住んでいます。この程よい距離感が手伝って、ここまで譲歩できたのだと思います。カサンドラ症候群の方に、私は頑張れとは言えません。理解に苦しむ言動を「身内として受け止める辛さ」がどんなに耐え難いか知っていますし、きっと立場も様々でしょう。でも、もし発達障害のある方との関係を改善したい、と望まれるなら、こちらから歩み寄り理解することをおススメします。相手に変わってもらうのはとても難しいことだと思います。発達障害の有無に関係なく、そもそも人間が変わるのは大変ですから。私も歩み寄って理解しようと努めてはいますが、「吹っ切れたらどんな行動もOK!」というわけではありません。頭の中が真っ白になったり、母の言動にドン引きしてしまうこともあります。でも、家族としてもう少し頑張ってみようとゆるーい努力を続けています。受け入れ難いことは、どう頑張っても受け入れ難いのです、無理に「受け止めなきゃ」と自分を苦しめずに、それくらいのゆるさで実践することが、長く続く秘訣かもしれません。
2016年07月13日