不登校の子どもと私が、卒業前に決めなければならなかったこと私の子どもは、中学1年生で不登校になりました。それから2年が経過し、中学3年生になったとき。進学についても落ち着いたと思った矢先、また決断を迫られる出来事がありました。それは、子どもの写真を卒業アルバムに載せるかどうか、そしてどうやって卒業式に参加するかです。また、アルバムに写真を載せるとしたらどう載せるのか、どこでどのようにして撮影するのかなども決めなければなりません。子どもとひとつずつ話し合い決める中で、本人も「自分は中学校を卒業するんだ」という心の準備もできてきたように思います。卒業までの道のりで、親子で悩んだ2つのこと先ずは卒業アルバムに写真を載せるかどうかを決めました。これは私の気持ちの方を優先させてもらいました。「今は必要と思わないかもしれないけど、いつか見たいと思った時の為に準備しておこう。」と子どもを説得したのです。少し強引だったかもしれませんが、子どもはすんなりと受け入れてくれました。写真を撮る場所は子どもが決め、学校に誰も居ない時間を見計らって校舎前で撮りました。私の思いを汲んでか、着たくなかったはずの制服を着ながらも、子どもは嫌がる事なく素直にカメラの前に立ってくれました。次はいよいよ卒業式についてです。学校からは、卒業式の参加の仕方について3つの方法が提案されました。1.通常通り、クラスメイトと共に参加する2.体育館後方から式を見下ろす形で参加する3.校長室で個別に卒業式授与を行う子どもには予測のつかない事は不安が強くなり、身体が動かなくなる特性があります。そのためなるべく学校から流れを聞いて資料にして、それぞれの参加の仕方について視覚的に分かりやすくしました。それを元に卒業式参加について、子どもと何度も話し合いました。悩みに悩んで、子どもは体育館後方から式を見下ろす形で「卒業式に参加する」と決めました。いよいよ卒業式に参加、でも…Upload By 多原美加卒業式は、体育館後方からクラスメイトを見下ろす形での参加にしました。私達が座る席には他にも、教室に入れない子が何人かいました。子どもは戸惑いながら椅子に座りました。式は粛々と行われました。クラスメイト達が頑張ってきた学校での成果が読み上げられ、私としては少し辛い卒業式でした。卒業証書授与の時には一人一人名前を呼ばれましたが、子どもは返事をすることはできませんでした。卒業式の後に待っていた、思いもよらない素敵な出来事Upload By 多原美加子どもは式ではうまく返事をできませんでしたが、式の後は素敵な出来事がたくさんありました。これまでの中学校生活で、子どもは特別支援学級に通っていましたが、交流級として通常学級の子どもたちと過ごすこともありました。卒業式の後はまず、その交流級での最後のホームルームです。子どもが交流級の教室に入るのを少し躊躇したので、私と先生が背中を押しました。クラスメイト達はその様子を驚いて見ていました。でも直ぐに察知したようで、他のお母さん方とともに暖かく見守ってくれました。最後の最後でクラスの机に全員がつき、そして全員揃っての集合写真を撮る事ができました。次に支援学級へ行き、お友達と過ごしました。とても暖かく楽しい時間でした。支援学級では卒業生が、ギターとキーボードと歌を使った記念コンサートを開きました。それは楽しく、私も心が熱くなりました。子どもは久しぶりにお友達に会ってとても恥ずかしかったようで、少し緊張していました。でも、とても楽しくすてきな時間を過ごしているようでした。時折見せる笑顔を手で隠していましたが、それでも楽しんでいるのが分かりました。それを見ていたら、私もとても幸せな気持ちになりました。そして最後に、学校からの帰り道では2人の同級生が声をかけてきました。「おい!多原!これやる!」と胸につけていた花のブローチを差し出しました。「元気で頑張れよ」と言い、帰っていきました。何だかじーんとしました。子どもは大事そうに、そのブローチを机の上に飾っています。卒業式で、私たち親子が得られたものこの一件で、子どもは、「勇気を出してやってみる」事の経験ができました。不安が強い子どもでしたけど、私も背中を押して良かったです。不登校の子どもが卒業式に参加するのは、とても勇気のいる事だったと思います。卒業式という節目に参加できたこと。お友達が暖かく迎えてくれたこと。それが何より嬉しかったです。
2016年08月07日不信感でいっぱいの私が「親の会」とつながるまで出典 : 「親の会」という言葉を聞いたことはありますか?聞いたことはあるけれど、一体どんなところなのかはよくわからないという方も多いと思います。あるいは「気になるけど、つながる勇気が出ない」方もいるかもしれませんね。私もそうでした。私の娘は小学2年生の3学期から不登校。それまで、子育てで抱えていた不安な気持ちを共有できる場も無く、1人で抱え込んでしまった私はしばらく病院に通いつめたり入院したり、学校側の説得に心折れそうになったりと、辛い日々を過ごしていました。当時は誰かとつながりたいというより、「誰にも会いたくない」という気持ちが強かったように思います。娘が小4の頃、少しずつ状況が落ち着いてきましたが、学校関係のママ友とは話が合わなくなっていた私。ようやく少しずつですが、同じ悩みを持っている人とつながりたいと思うようになりました。最初はネットを使って親の会を探しましたが「何を聞かれるのだろう?」「どんな人がいるのだろう?」という不安から問い合わせるのが怖くなり、電話をかけることができませんでした。娘の不登校問題でこれまで学校と交渉を続けてきた私は、心身ともにヘトヘトだったのです。その頃にはすっかり学校不信、人間不信に。そんな中、偶然通っていたカフェの店長さんが親の会の世話人をしている人と知り合いだったことを耳にしました。こんなチャンスはめったにありません。信頼できる人の紹介なら安心できると思った私。ぜひ紹介してほしい!と世話人の方を紹介していただきました。その世話人の方を通じ、地域の交流会に参加することになったのです。不登校に悩んでいる家族は、私はひとりじゃなかった出典 : 会場は地元のコミュニティーセンターの会議室でした。常連という感じの人や、私と同じ初めての方もいて、開放的な雰囲気に安心しました。参加者の構成は、・不登校の子どもを持った保護者・世話人(親の会OB)・アドバイザーとして学校の先生(退職した先生・現役の先生)この3つでした。順番に自己紹介を兼ねて自分の子どもの近況や、このごろ悩んでいることなどを話していきます。子どもの学年ではうちが1番下で、中学、高校、高校をやめて引きこもっている子どもなどの話も次々と出てきました。基本的にみんな聞き入る姿勢ですが、アドバイザーの先生から「学校の反応はどう?」など質問やアドバイスをもらうこともでき、「わかる!うちもそうだったよ」、「すごい、頑張ったんだね」という温かい反応ばかり。そして自分の番になったとき、「ああ、こんなに無条件に私の話を受け入れてくれる場は初めてだ」と感じました。長い話になってしまったのに、みんな熱心に聞き入ってくれて、涙ぐんでくれる人までいて嬉しかったのを覚えています。「こんなに仲間がいたんだ。私はひとりじゃなかったんだ。」と思った瞬間でした。講演会やイベントなど、大人も子どもも交流できる場がたくさん出典 : 大人たちの交流会の間、子どもたちの交流会もあります。別室で集まってみんなでお菓子を食べたり好きな漫画の話をしたりと、見守りの先生がいる中で楽しそうに過ごしています。また、交流会では講師を招いて講演を開くこともあります。不登校の相談にのっている先生や、ご自身が不登校で今も仕事で壁にあたりながら頑張っている当事者、私たちと同じ親の体験談などいろいろな話を聞くことができます。私が参加している会は全国規模なので、都道府県単位の集まりのときには大学の先生などの講演もあります。飲み会やお茶会などもよく開かれていて、「同じ悩みを共有する仲間同士」みんなで気楽によく喋り大いに発散しています。登校拒否・不登校問題全国連絡会親の変化は子どもの変化につながっている出典 : これまで参加してきて、先輩の保護者からよく耳にしたことは、「子どもではなく『親が』変わった」「子どもと話が通じるようになった」「家の中の緊張感がなくなってきた」ということです。他の参加者と情報交換し、自分の気持ちも受け止めてもらえると親もどんどん変わるようです。受け止めてもらえることで親の不安も減り、それが子育てへの自信や安心感につながります。そんな親の変化を見て子どもも変わるんですね、きっと。ネットでも親の会は探すことができますし、新聞にも地域情報として載っています。事前申し込みはいらないところがほとんどですので、気が向いたら行ってみてはいかがでしょうか?お勧めです。
2016年08月01日子どもが不登校になった場合、学校との対応をどうするべきか悩む人もいることでしょう。勉強のフォローや行事の参加、給食の止め方など、わからないことがたくさんあります。私の実体験をもとに、担任の先生や学校、心療内科医との連携方法をお伝えします。■子どもと先生の伝言係に徹する不登校になったとき、休みの日や外では友だちと遊ぶけれど、平日は先生や友だちに会いたがらない子どもは多いと思います。私の子どもも、友だちや先生がプリントを持ってきてくれたのに会いたがりませんでした。そこで、先生にお願いしてプリントはポストに入れるようにしてもらいました。子どもが先生と話すのをいやがる時期には、電話も控えてもらいました。何かあれば、私が学校へ行って用事を済ませることも。学校行事も、先生や友だちから直接誘うのではなく、私を通して伝えるようにしました。先生とは、初めは電話でやりとりしていました。しかし、タイミングが合わなかったり、子どもがいる場で話しにくいこともあったりしたので、LINEでのやりとりに変更。良い方法ではあるものの、学校によっては特定の保護者とのSNSは禁じられている可能性もあります。事前に確認するといいでしょう。■心療内科医から説明してもらう先生とのやりとりで迷うのが、「どこまで介入してもらえばいいのか」ということ。子どもが学校の話題をいやがっているときは、先生からの接触も控えてほしいというのが本心です。しかし、先生も一生懸命なため、様子を伺う電話をくださいます。親も先生からの説得に気持ちが揺らいでしまうことも。子どもに「学校は行っても行かなくてもいいよ」と言ったのに、翌週には登校をほのめかすなど、あやふやな態度になってしまう場合もあります。とはいえ、先生に「電話しないでほしい」とはなかなか言えません。そんなときは、心療内科医に子どもの状態を診断してもらい、学校へ直接連絡してもらえると安心です(心療内科医とのかかわり方については こちら をごらんください)。我が家の場合、心療内科医から担任の先生に電話で説明してもらいました。学校との連絡をすべて遮断したおかげで、子どもの情緒も安定したようです。その後も学期はじめなどのタイミングで、先生に電話してもらいました。後日、担任の先生から、「子どもの状態を説明してもらうことで、かかわり方がわかって安心した」と聞きました。家庭と学校、心療内科医との連携はとても大切だと感じました。■先生との間でルールを決めておくといい学校を長期間休むと、気になるのが勉強です。塾だけでも行けるのならいいですが、それでも学校へ行けないと勉強もストップしてしまいがちです。我が家の場合は、子どもの状態が落ちついてから、先生が勉強を見る機会をつくってくださいました。週に1時間、放課後ほかの生徒たちが下校したあとの時間帯です。登校時は私も付きそい、勉強が終わるのを待って一緒に帰りました。給食は学校側の内部手続きがあるため、すぐには止められません。はじめは日割りで計算し、翌月からは月単位で確認しながら止めてもらう手続きをしました。学校には給食や行事など、事務的な手続きも意外と多いものです。そのつど先生と連絡を取り、来月も連絡しなければ給食は停止のまま、行事は3週間前までに出欠を連絡するなど、ルールを決めておくとお互いに楽です。学校や担任の先生によって、対処方法はさまざまです。しかし、子どもに無理強いすることなく、子どもを守りながら状況を改善できることはあります。今回は、その一例をご紹介しました。
2016年07月27日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「不登校の息子を心配しすぎてしまう」という、ともまむさん(40歳・主婦)に、心屋塾上級認定講師のサトーマサトさんからアドバイスをいただきました。■ともまむさんのお悩みいま私の中学1年の息子が不登校です。不登校は小学6年生の10月から始まりました。精神科では、統合失調症の周辺症状ではないかと言われ、スクールカウンセラーの臨床心理士の先生には「病気じゃないと思う」と言われました。しかしもし統合失調症だったら、と思うと怖くて病院を4回も変え、いまに至っています。息子はここ1ヶ月、別室登校をしています。私は心配のあまり、2月に仕事を辞め、一緒に登校し一緒の部屋で1時間あまりを過ごして帰ってくる毎日です。実は私の叔母が統合失調症を患っております。そのことも関係があるのかもしれません。病院で言われることはいろいろだし、毎日ゴロゴロしてゲームばかりしている息子を見ていると将来を悲観してばかりいます。病気でないとしたら、家相かな、いい開運方法はないかな、心理療法をしてくれるところを探し回ったりもしています。毎日息子に、「学校いくよ~」と声をかけても「行きたくない」と言われると、とても気分が落ち込んでしまいます。私自身も軽度うつのようになり、早朝覚醒が続いたり、ちょっとしたことでも泣いてしまう毎日です。このままでは下の子もかわいそうだし、もし本当に統合失調症だったとしたら、主人と向こうの両親に申し訳ないと頭の中がグチャグチャしていておかしくなりそうです。因みに私の両親は長男を矯正できるような全寮制の学校に入れろと言っており、それを息子に話したら、ママは僕のこといらないって思ってるんでしょ、と言われ2人で泣いてしまいました。誰か助けて…! という状態です。■心屋塾上級認定講師のサトーマサトさんよりこんにちは。うつ・心の病をテーマに活動しています サトーマサトです。最近不登校などに対して、教育現場と医療現場が連携して早期に介入、支援する傾向にあります。しかし、かえって自分の子どもが発達障害、学習障害、精神疾患の疑いがあると専門家から告げられ悩んでしまう…そんな親御さんが増えています。精神医学の専門家に診察を受ければ、何かしら精神疾患であると診断名がついたり、疑いがあると告げられます。しかし、その診断は「その専門家の、その時の見解」にすぎません。あまり重く受け止めない方が良いでしょう。この場合、単に思春期の男の子によくある「反抗期」だけなのかもしれません。そもそも息子さんは なぜ不登校になったのでしょう? 息子さんが病気だからでしょうか? いいえ、きっかけとなった出来事があるはずです。息子さんも何か事情があって不登校になったのではないでしょうか? 学校に行けなくなった「息子さんの気持ち」をまず理解してあげるのが良いでしょう。年頃の息子さんですから、父親の方が本音を喋りやすいかもしれませんね。 以前 母親がうつで悩んでいる方の相談にお答えさせていただきました。▼母親のうつ病に心を痛める女性へ贈る言葉【心屋仁之助塾】 解決のための考え方は基本的には一緒で、ともまむさんがいかに息子さんを信頼し見守ることができるか… だけです。心配し、精神科に連れて行ったところから問題が大きくなってませんでしょうか?ともまむさんが息子さんを心配し、更生させようとすればするほど、息子さんは「僕は異常なんだ」「親からも変と思われている」「ダメな息子なのだ」と思うようになるのです。親の心配を、子どもは「愛情」としては受け取りません。単に「親からの監視」と受け取ります。ともまむさんは息子さんをみていると、ご自身の劣等感・コンプレックスが刺激されるのです。だからつい「心配」してしまう。しかし、この「心配」が問題を大きくしています。ともまむさんの「人の目が気になる」「他人の意見に左右されてしまう」「自分のやっている事に自信がない」… が問題の根本だったりします。ともまむさんへの魔法の言葉は、「誰がなんと言おうが、私の息子だから大丈夫」です。息子さんの行動を見て、気持ちがザワザワした時につぶやいてみて下さい。この言葉がしっくりした時に、ともまむさんの心配も消え、息子さんの行動もずいぶんと変わってくるはずです。 ・このカウンセラーのブログを読む
2016年07月26日「学校に行かなくても、自分の道はみつけられる」−吉開拓人(高校生エンジニア)現役高校生でありながら、エンジニアとして「株式会社ウィンクル」というIT企業に勤務、「Gatebox」というホログラム映像を使ったコミュニケーションロボットの開発に携わり、数々のコンテストでの受賞経歴もある吉開さん。株式会社ウィンクルそんな吉開さんには、3年半ほどの不登校経験があります。「当時の経験が今の自分をつくっている」と力強く語る吉開さん。不登校になってから、エンジニアとして活動するまでの道のりをうかがってきました。「学校に行く意味がわからない」―小さな疑問からはじまった不登校時代Upload By 発達ナビ編集部編集部: 現役高校生でありながら、エンジニアとしても活躍されている吉開さんですが、不登校の時期があったとお聞きしました。そのときのきっかけは何だったんでしょうか?吉開さん: 何か大きなきっかけがあったわけではないのですが、一番の理由は学校の空気に窮屈さを感じていたことでしょうか。中学に上がると急に受験に向けた詰めこみ教育がはじまって「何のために勉強してるのかわからないなぁ」と悩み始めたんです。勉強やスポーツが特別出来る方じゃなかったので、気づいたらドラえもんの「のび太くん」状態になってましたね。あとは、中学生特有の人間関係というか、学校の中に流れるギクシャクした雰囲気も苦手でどんどん嫌気がさし始めたんです。編集部: 大きなきっかけがあったわけじゃなかったんですね。吉開さん: そうなんです。特にいじめがあったとか家庭環境が悪かったというわけではなかったですね。だけど、中学生になって半年経ったところで「1日、ちょっとずる休みしてもいいかな」って気持ちがもたげてきて。そこで学校をサボってみたんです。一度「えいっ」と休んじゃうと心のハードルが下がるんですよね。そのまま1日、また1日と休む日が増えて、気付いたら中学1年の秋頃から不登校になってました。出典 : 編集部: そこから始まったんですね。吉開さん:はい。16歳まで、約3年半ほど続きました。だから中学は最初の半年だけしか行ってないです。編集部: どんなことをして過ごしていたんですか?吉開さん: 最初はゲームばかりして過ごしていましたね。別にゲーム好きじゃなかったんですが、何がしたいのか思い浮かばなくて暇つぶしでやってました。その時は家からぜんぜん外に出なかったので、親以外との交流もほとんどありませんでしたね。編集部: ちなみに、そのときご両親との関係は?吉開さん: 不登校になってから、仲が悪くなりましたね。母は「休んだらいいんじゃない?」と言ってくれていたのですが、父は早く学校に行かせたいという気持ちが強かったみたいで。それが原因でよく喧嘩をしてました。「父のおかげでとことん好きなことに向き合うことができた」Upload By 発達ナビ編集部編集部: そんな中から、エンジニアを目指すようになったんですよね?吉開さん: はい。実は、エンジニアになったキッカケは、父の一言だったんです。編集部: あ、そうなんですか!吉開さん: そう(笑)不登校になってからの1年間、ずーっとゲームをしてたら、父が「そんなにゲームをやるなら、自分でつくってみれば?」って言ったんです。“ゲームをつくる”っていう言葉にすごく惹かれて、それを境にプログラミングの世界にどっぷりはまりました。編集部: お父様の一言が今につながってるなんて、すごいですね。吉開さん: ほんとですよね。父には今でもとても感謝してます。プログラミングを始めると言ってから、勉強に必要なものは惜し気なく与えてくれました。今までに専門書は60冊くらい買ってもらいました。編集部: 60冊!?Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: 「プログラミングを始めるぞ!」と決意してからは、父が買ってくれた本を片手にずっとひとりで勉強していましたね。編集部:独学で勉強していたんですか?吉開さん: はい。ずっと独学。自分のペースで勉強していました。編集部: ネットの掲示板やコミュニティで交流しながら勉強、という事も特になく?吉開さん: そうですね。情報収集のためにエンジニアのコミュニティを利用することはありましたが、他のプログラマーとの交流はしませんでした。僕の場合は、周りに左右されず自分のペースで勉強を進めるのが合っていたんだと思います。編集部: まっすぐ好きなことに向かえる環境にいられたということですね。吉開さん: そうですね。そういう点でいうと、僕は不登校という環境を選べてよかったと思っています。自分のやりたいことを自分に合ったペースで探求できたのは、不登校になったおかげだとおもっています。もし学校にそのまま通っていたらエンジニアも目指してなかったかもしれませんね。編集部: お父様からのサポートや、ひとりで勉強できる環境…いろいろなことが重なってエンジニアとしての道につながっていったんですね。吉開さん: はい、その中でも父のサポートは大きかったですね。学校にいかなくても自分なりの道がみつけられたのは、僕がプログラミングだけに集中して取り組めるように環境を整えてくれたおかげだと思います。自分にぴったりの高校に出会い、学校に通いながらエンジニアの道へ出典 : 編集部: そのあと高校に進学されましたよね。高校へ行こうと思ったのはいつごろからなのでしょうか?吉開さん: 実は、高校に行く年齢になっても、まだ学校には行きたくない気持ちの方が強くて1年ほどのんびりしていました。だから僕、みんなより1年遅れて高校に入学してるんです。そのときは行きたいと思える高校がなかったんですよね。編集部: という事は、逆に言うと今の高校は吉開さん自身が「行きたい!」と思えた…?吉開さん: はい。行くならこの学校しかない!と思ってすぐ願書を出しました。正直、この高校に入学してから人生が変わりましたね。今通っている学校は、「プログラミングの授業が必修」という謳い文句に惹かれて入学を決めました。それに、通信制高校なので自由に使える時間が多いんですよ。学校側も、外で自由に活動することを推奨していました。編集部: 自分のやりたいことにマッチした学びができるというのは、素敵ですね。Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: うちの高校は面白い人が多くて、企業でインターンしている人、エンジニアとして働いている人や学生団体をたちあげる人…いろいろな人がいますよ。高校に入ってから活動的な人たちと交流することも増えていって、そこからどんどん外でやっているイベントに顔を出すようになりました。いま働いている会社に出会ったのも、この時期に参加したイベントがきっかけだったので、高校に入ったことは大きな転機だったなぁと思います。編集部: なるほど。高校に入ってからの出会いが転機だったんですね。吉開さん: 本当に、不登校の時代からは考えられないくらい毎日がガラリと変わりました。あの頃とは真逆で、家にいる時間はほとんどなくて、必ず外に出て何かをやってますね。学校や仕事を通じて、自分が成長している実感があることが楽しくて仕方がないんです。周りの人たちも自分のやりたいことに向かって目的を持って行動しているから、その環境の中に身を置けて良かったと思っています。学校法人信学会 コードアカデミー高等学校これからの社会に必要なのは、子ども達それぞれにあったサポート体制をつくること出典 : 編集部: これから大学進学が待っていますね。大学生になってから挑戦したいことはありますか?吉開さん: 僕には大きな目標が2つあるんです。ひとつは、コンピュータサイエンスの技術を活かした、モノづくりのサポーターになること。もうひとつは、不登校だったり学校での生きづらさを感じている子どもたちのための、教育支援の仕組みをつくること。これまでの仕事を通じて、自分の技術で人をサポートできるようになりたいと思ったんです。モノづくり自体が楽しくして仕方がないので、「誰かのアイデアをどう実現できるのか」を考えて実行できる人になれたらいいなと。そのためにもっと技術を身につけていきたいです。子ども達の支援も、自分と同じような境遇の人たちをサポートするにはどういう仕組みが最適なのかを考えたいと思います。学校教育を変えるとなると難しいかもしれないけれど勉強カフェのような溜まり場や塾みたいなものを作っていけばいいかもしれない…というようにアイデアを練っていきたいと思ってます。編集部: 素晴らしい目標ですね。そんな吉開さんがこれまでを振り返って、今、同じように不登校を経験している人に何を伝えたいですか?吉開さん: 一旦不登校になると、なかなか戻れないというイメージって強いと思うんです。でも不登校になってみてわかったんですが、出来ないことってそんなにないんですね。僕の他にも同じような環境から自分のやりたいことを見つけて活躍している人はたくさんいます。とくに今やりたいことがないという人には、少しでも興味のあることにはどんどんチャレンジしてほしいです。三日坊主になってもいいので、興味をもったらまずやってみることです。僕の場合は、色々と経験することで本当に自分に向いていることが見えてきたので、思い切ってチャレンジしてみるというのはいいのかもしれません。Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: それと、お父さんお母さんには、その子が思いっきりチャレンジできる環境をつくってもらいたいです。父が一生懸命に取り組めるような環境を整えてくれたから今の僕があると思っています。だから、興味を持ったものを学ぶためのサポートをしてもらえれば、安心して自分の道を突き進むことができるんじゃないかなぁと思うんですよね。編集部: 最後に、吉開さんの考える「これからの学校や社会で必要だと思うもの・変えていきたいもの」を教えてください。吉開さん: 今ある学校に適応できなかったら失敗、という、ひとつのレールに子どもを乗せていくような教育観が変わっていけばいいなと思っています。好きな事には夢中になって取り組めますし、仕事にできるくらい極められるようになると思うんです。そういうふうに、型にはまった勉強以外にも子どもたちそれぞれの好奇心や意欲を活かせる場所をつくってあげれば、自立して社会で活躍する人材が育っていくんじゃないかと考えているんです。だから、学校の中に生きづらさを感じている人がいたら、その人たちの悩みに寄り添いながら、それぞれの「なりたい・やりたい」を実現できるような体制作りが必要だと思っています。出典 : 吉開さんは終始、物腰柔らかな受け答えをしつつも、自分のなかで育てた価値観を真正面から伝えてくれました。会話の中で印象的だったのは、お父様への感謝の言葉が何度も出てきていたところ。「本人にあった支援は何か」を考え続けられてきたからこそ今の活躍があるのだと思わずにはいられません。「学校に行かない」という選択から、不登校である時期を「自分にあった生き方を探す時間」として向き合ってきた吉開さんだからこそこれからの社会に必要なサービスを生みだしてくれそうだと、そう思わせてくれるほどに芯をもった方でした。
2016年07月21日疲れ切った心を癒す夏休みUpload By ヨーコ子どもたちの大きな楽しみの1つ、夏休み。それは不登校の子どもにとっても同様です。娘は不登校になってからというもの、本当に疲れ切って、どうしようもなくなって、体も心も動かなくなっていきました。それは、ただ「学校に行きたくないから」という理由だけではありません。行けなくなったときにはもう、エネルギーはマイナス状態になっていました。そんな娘にとって、夏休みはエネルギーをたくさん貯め込むチャンスかも!と私は考えました。楽しい気持ちの貯金をたくさんさせてあげたい!Upload By ヨーコ普段は「自分だけサボっている」と引け目に感じていても、夏休みはみんなも休みなので安心して友達と遊ぶことができました。娘は小2で不登校になりましたが、小3まで夏休みは一生懸命友達と遊んでいました。それくらいの年ごろまでは、友達もまだ無邪気で付き合いやすく、屈託なく遊ぶことができたようです。友達付き合いに困難さを抱えていた娘ですが、やはり「心の中では1番友達を求めていた」のだな、と感じました。楽しく遊ぶ姿を見て、「学校は行けないのに遊びには行けるのね」「これだけ元気なら2学期からは学校に行けるよ」といった学校と結びつける言葉をつい言いそうになりますが、私は言わないようにしていました。その言葉を聞いたとたんに、元気になった心もしぼんでしまうと思ったからです。また、楽しい気持ちの貯金をたっぷりさせてあげたい気持もありました。母子でキャンプに行きましたUpload By ヨーコ子どもの様子を見て、行けそうなら家族でレジャーに出かけるのもおススメです。我が家は母と娘の2人で、親子キャンプに参加しました。同じ学校からの参加者もいませんし、青少年スタッフたちもプロフェッショナル、私たちは安心して参加できました。着いてすぐに事情を話し、いろいろと配慮してもらいました。さりげない声掛けで娘は他の子たちと仲良くなったり、夜は親同士の飲み会に私だけ参加したり、プログラムに疲れたら2人で部屋で寝ていたことも。親子ともにリフレッシュできました。宿題など学校との関わりは?Upload By ヨーコとはいえ、不登校になって初めての夏休みは遊んでばかりもいられませんでした。プールや登校日、そして大量の宿題と、学校のイベントは盛りだくさん。当時、「娘に無理をさせない」という私の意志を貫き通すことができず、引きずられるようにして登校していた娘。宿題はすでに勉強が追い付けなかったのでほとんどできませんでした。その結果、2学期から完全に学校に行けなくなってしまったのです。この教訓を活かし、娘が4年生の時から宿題を含め、私は一切お断りして自由に過ごせるようにしました。学校へは戻れなかったけれど、おかげで夏休みにおびえることはなくなりました。勉強はいつでも取り戻すことができますが、子どもにとっての夏休みという時間は2度と戻っては来ません。娘にはせっかくの夏休み、思いっきり楽しんでほしいと思っています。楽しめる年齢はあっという間に過ぎてしまいますから。学校に行くタイミングは見守りたいUpload By ヨーコ楽しかった夏休みがいざ明けても、私は「きっとすぐ学校には行けないだろうな」と考えていました。不登校に至るまでにすり減ったエネルギーは、そう簡単には回復しないと思ったからです。不登校によって自責の念を背負った娘には「学校にも行けなくても大丈夫」「あなたは生きているだけでいい」、「親はいつだって見守っている」と思いながら接していました。不登校児を抱えた親御さんの中には、2学期を節目と考える方もいるかもしれませんが、子どもにとって節目はそれぞれです。高校進学が節目になる子もいれば、もっと早い段階で戻る子もいるでしょう。その子にとってのタイミングは1人ひとり違うと私は考えています。大人の都合で急かしたりせず、子どもにとってベストなタイミングを暖かく見守りたいものです。Upload By ヨーコ子ども達と素敵な夏休みを過ごしましょう!いつか心閉ざす時期があっても、家族との楽しい思い出は「子どもの心を支え、家族を信じる力」につながると私は考えています。夏休みにためたエネルギーはきっと将来の力になると私は信じています。
2016年07月15日いま、学校に行けない、行かない子どもが増えています。総務省がことし3月に発表した最新の統計によると、平成26年度の公立小中学校の不登校生徒児童数は12万2,897人で、全児童数の1.21%。子どもの数が減る中、この割合は統計を取り始めた平成3年度以降、過去2番目の多さです。なぜ、子どもたちは学校へ行けない、行かないのでしょうか。心理カウンセラーで「不登校サポートセンターCORE」の運営も行い、多くの不登校児童に接してきた著者による『不登校は天才の卵 学校に行かない7つの選択肢』(阿部伸一著、宝島社)から、わが子が不登校になったときの向き合い方を考えます。■不登校の多くは理由がわからない!そもそも、20年ほど前までは学校へ行かないことを“登校拒否”と表現するのが一般的でした。登校拒否という言葉には、いじめや友人関係をめぐるトラブルなどなんらかの理由のために、強い意志をもって「学校に行きたくない」と主張するイメージがあります。しかし不登校児童のカウンセリングを行う著者にいわせれば、不登校状態にある子どもたちに理由を尋ねると、多くの子が「わからない」と答えるのだそう。実際、前述の総務省統計でも「不登校になったきっかけ」としてもっとも多く挙がっているのは「不安など情緒的混乱」で29.8%、次いで「無気力」25.9%。「いじめ」(1.1%)や「友人関係をめぐる問題」(14.5%)、「親子関係をめぐる問題」(11.0%)などを引き離しています。著者は「誰にでも不登校になる可能性がある」と指摘します。「不登校」はいまや、すべての親子にとって無関係ではなくなっているのです。■学校に行かなくてもいいと考えようでは、自分の子どもが不登校の状態になったらどう考えればいいのでしょうか。著者は「いったん『学校に行かせなきゃ』という発想から外れ、『行かなくてもいい』という発想を持ってください」といいます。そこには、二つの意図があります。一つは、子どものストレスを軽くすること。子どもは、親の態度や言動、表情に非常に敏感なもの。「学校に行かなくてもいい」という気持ちを持っている親は、「行かせなきゃ」と思っている親よりもストレスがなく、表情も態度も柔らかくなります。すると子どものストレスも軽くなり、結果的に「学校に行ってみようかな」と思えることも多いのだそうです。もう一つは、入試制度改革などの裏づけがあるということ。地域差はあるものの、近年は高校入試システムが改訂され、出席日数を問わない入試形態が選べるようになり、小学校や中学校に出席しなくても高校や大学へ進める子どもが増えているのです。通信制や定時制など、高校自体の選択肢も広がっています。「けっして、ひと昔前のイメージで勝手に判断してはいけません。親の正しい情報が子どもの将来を大きく左右することもあるのです」。そう著者は指摘しています。■子どもの不登校「応急処置」5か条とはいえ、わが子が学校に行かない状態が続けば焦ってしまうのは親として当然でしょう。そんなとき、親子のストレスを和らげ、家族関係が改善する5つの“応急処置”があります。(1)子どもの気持ちがわかるなんて思わない、いわない理由や原因を推測するよりも、まずは子どもの話に耳を傾けることが先決です。わからないものをわかろうとするのではなく、いま見えている状態や話してくれることなど、「わかっている」ものを大切にしましょう。(2)世間体を脱ぎ捨て、他人と比較しない励ますつもりでも、ほかの誰かと比較することは子どもの心を傷つけ、やる気を失わせる結果に。他人ではなく「昨日の子ども自身」とくらべる視点を持ちましょう。子どもは「お母さん(お父さん)は私のことをちゃんと見ていてくれる」と思うものです。(3)子どもがなにか話したら3秒待つ子どもがなにか話しはじめたら、遮らず最後まで聞いてあげることが大切。先回りしてアドバイスしても、子どもは「否定された」と感じるかもしれません。じっくりと話を最後まで聞いてあげることが、子どもを安心させます。(4)学校のことばかりを話題にしない子どもと学校を結びつけて考えすぎると、子どもがなにをしているときが楽しいのか、なにが得意なのかが見えなくなります。学校から離れて子ども自身をよく見れば、隠れた才能が見えてくるかもしれません。(5)子どもに関わらない時間を持つ親が子どものことばかり考えてすごすことは、子どもにとっても大きなストレスに。1日10分でも親自身が「自分の時間」を持てば、リフレッシュ効果は想像以上。親子ともに気持ちに余裕が生まれ、煮詰まった親子関係の風通しがよくなります。*副題に「学校に行かない7つの選択肢」とあるとおり、本書は「不登校でも別にいいじゃないか」というスタンスで、実情を踏まえた提案をしています。不登校ではないきょうだいへの対応や、子どもがいじめに遭っている場合の対処法、子どもが久しぶりに登校したときの言葉がけなど、アドバイスは非常に具体的。学校という場の“いま”を知る上でも、得るものの多い1冊です。(文/よりみちこ) 【参考】※阿部伸一(2016)『不登校は天才の卵 学校に行かない7つの選択肢』宝島社※児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査「小中学校の不登校」―総務省
2016年06月26日子どもは不登校になると、1日中ダラダラしたり、無気力になったりします。親はそれを見て、勉強が遅れたらどうしよう、大人になって人間関係が築けなくなるのでは? と不安を抱くものです。しかし、頭ごなしに叱りつけたり、原因を追究したりするのは逆効果です。不登校の子どもへのNGな声かけとその理由、親としての心構えについて体験を交えてお伝えします。■不登校の子どもにかけてはいけない言葉不登校になった子どもは、ダラダラとゲームをしたり朝起きられなくなったりします。親は不安になってさまざまな本を読み、インターネットで調べて解決策について勉強します。そして、責めたり無理強いしたりしてはいけないことを知ります。子どもにかけてはいけない言葉の代表例は、学校へ行きなさいどうして起きられないの?勉強が遅れるわよゲームばかりしてわかってはいるものの、学校へ行ってほしいのが本心です。その結果、「無理して学校へ行かなくていいのよ」と言う一方で、「1ヶ月だけ休んで、来月から行ってみようか?」。「そのままでいいのよ」と言いながら、「勉強は遅れないほうがいいわよね」と矛盾したことを無意識に口にしてしまいます。子どもは親の気持ちを敏感に感じとります。そして、「本当は早く学校へ行かせたいんだな」と見透かします。■子どもは自信を失い、不安でいっぱい子どもも本当は学校へ行きたいと思ってはいるものの、同時に行きたくない気持ちもあって葛藤しています。自分の気持ちが分離してわからない状態です。そんな自分をふがいなく思い、自信をなくしています。勉強の遅れを心配し、「友だちからどう思われているのだろう」という不安もあります。「どうせ自分はダメな人間なんだ」「みんなが普通にできることが自分にはできない」と卑下する気持ちもあります。そんなところへ親が勉強の遅れを心配したり、登校をうながしたりしたら、「やっぱりお母さんは自分の気持ちなんてわかってない!」という反発心ややるせなさ、悲しさ、怒りがわいてくるのです。■親が考え方を変えれば子どもは前に進める私はあるときから、子どもは学校へ行かなくても大丈夫だと思うようになりました。私自身がフリーランスになってから、高校を卒業していなくても社長として成功している人や、フリーランスとして才能を生かして生活している人に何人もめぐり会ったからです。もちろん学校でしか経験できないこともありますが、大人になってからちがう形で経験できることもあります。学校には行ったほうがいいけれど、私が一番に願うのは、子どもが将来ひとりで働いて食べていけること、精神的に安定して成長することです。まず親が「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と心から信じること。そうしなければ、子どもにも伝わりません。子どもは自分の不登校を認め、現状を受けいれることで「いま何をするべきか」が見えてきます。目標を「学校へ行く」ことから、生活を改善することや好きなことを伸ばすなど、自分ができることへ変えましょう。達成するたびに自信が積みかさなり、やがて大きな目標達成にもつながります。「学校へ行けない」ことにこだわるのではなく、親子でできることを探してゆっくり成長することが一番大切だと私は思っています。子どもの不登校に悩んでいる方も、あせらず、見守ってください。
2016年06月18日子どもが学校へ行かないと親は不安になるものです。つい、あれこれ聞きだそうとしたり、アドバイスしたり、なんとか登校させようとしてしまいます。しかし、親があせるほど子どもは殻に閉じこもり、口を閉ざしてしまうもの。私が実際に心療内科の先生からいただいたアドバイスをヒントに、不登校の子どもにどう寄りそい、コミュニケーションをとればいいのかをお話しします。■子どもは親にただ理解してもらいたい「学校で何か嫌なことがあるの?」「どうして学校へ行かないの?」子どもの気持ちが知りたくて、ついそんな質問をしてしまいがちです。しかし、子どもは「責められている」としか受けとれないようです。子どもが親に求めているのは、いまの自分を受けとめて理解してもらうこと。子どもは自分が学校へ行けないことへの罪悪感や不安感を抱いています。心療内科の先生によると、理由を詮索するより、まずは子どもを安心させてあげることが先決だそうです。■子どもの気持ちを理解する方法まずは、お母さんが笑顔になることです。子どもに安心してもらうのが先で、気持ちを理解するのは次の段階です。お母さんがニコニコしていれば、それだけで子どもの気持ちは安らぎます。いくら「大丈夫よ」と言っても、こわい顔をしていたら、子どもは「怒られている」と受けとめてしまいます。私は鏡を見て笑顔をつくってから子どもと接するようにしました。そして、理由を詮索するのをやめて、「学校に行きなさい」と言わないようにしました。家は安心できる場所で、自分の居場所がここにあると思ってもらうためです。■共有するということ次に、子どもと一緒にいる時間を増やして、たくさん会話をするようにしました。私は家で仕事をしていましたが、仕事中は一人で部屋にこもるため、なかなか子どもと話す時間を持てませんでした。夕方6時以降はいっさい仕事をせずに、必ずリビングかキッチンにいるようにしました。子どもと100%向きあい、話を聞くためです。共有スペースで子どもと同じテレビを見て、たわいない会話をして、子どもが話しやすい雰囲気づくりを心がけました。すると、テレビの話題だけでなく、少しずつ不安やグチなども話してくれるようになったのです。安心できる場所としての基盤をつくり、親に十分受けいれられていると感じる体験を重ねることで、「自分は親に理解してもらっている」という改善への糸口をつくることができました。安心感を与えること、時間を共有することが大事。心療内科の先生に言われたとき、「そんなことわかっている」と思いましたが、頭でわかっていても全然できていませんでした。お母さんが笑顔で接し、無条件で受けとめ、ささいなことでも共感することがとても大事です。インターネット上で友だちができたことを打ちあけてくれたとき、「それはよかったね」と肯定したひとことで、子どもの顔がうれしそうに輝いたことを覚えています。これからも、心療内科の先生の言葉を忘れずに、子どもに寄りそいたいと思います。
2016年06月17日子どもは学校へ行って当たり前と思っていませんか? でも、もし突然子どもが「学校へ行きたくない」と言い出したら、あなたはどうしますか? 不登校は誰もが直面し得るもの。そのとき、親はどうすればいいのでしょうか?実際にわが家で起こった体験をもとに、前兆から不登校、そして再び学校へ行くようになるまでを振り返り、その時々の子どもとの接し方や、親としての気の持ち方についてお伝えします。■前兆は「お腹が痛い」わが家は共働きです。息子が0歳の頃から保育園に預け、私はフルタイムで働いていました。今思えば、前兆は保育園の頃からありました。息子はもともと集団に馴染めない性格で、1人でいるのが好き。とは言え、誰とでも別け隔てなく遊ぶこともできました。しかし、その反面、神経質なところもあり、何かあるとお腹が痛くなったり、微熱が出たり。そのため、たびたび会社にお迎え要請の電話がかかってきました。私はその都度、息子を病院に連れていっていましたが、そのうちに、「これは本当に体調が悪いのではなく、かまってほしいのだな」と気づき、それからは、そういうことのあった日は半日休むようにしました。働くお母さんがたぶん、みんなそうであるように、子どもと一緒にいる時間が少ない分、密度の濃いコミュニケーションを心がけるようにしていたのです。「お腹が痛い」は小学生になってからも、時々ありました。小学校1年生の後半からたびたび起こる息子の朝の腹痛。痛みに歪んだ顔で私を見上げ「お母さん、お腹いたい…」。病院も何ヶ所も行きました。いろんな検査もして、レントゲンも取りました。しかし、どれも「異常なし」。イベントや行事などのいつもと違うスケジュールには特に弱く、楽しみな気持ちと同時に、不安も大きくなってしまい、ドキドキが体の症状=腹痛として出てしまっていたのです。そのため、遠足や運動会は、いつも途中参加かお休みでした。 ■体の症状はSOSのサイン進級し、小学3年生になってからは、今度は「頭痛がひどい」と言い出し、神経内科にも行きました。起立性障害と診断されたことも…。そして、ついに頻繁に学校を休むようになりました。でも、学校からは「なんとか登校させてください」と言われ、プレッシャーがかかります。私も「学校だけは行かせなければいけない」と思っていたので、なだめすかして、なんとか登校させようとする日々。学校とも連携を取り、息子をあの手この手で説得しようとしました。息子も理屈ではわかってくれますが、やっぱり腹痛が起きてしまいます。むしろ、親がムキになればなるほど、病状は悪化する一方です。そして、子どもは親の期待に応えられない自分を責め始めます。そのうち、頭痛以外に、別の症状も現れ始めました。病院もいくつも変えました。けれど、なかなか良くなりませんでした。息子も登校したい意志はあるのに、朝になるとひどくお腹を壊すという、体と心が分離しているような状態。もう息子本人もコントロールできない、心の底からのSOSのサインでした。 ■やっと待望の心療内科へ小学5年生になったとき、都立総合小児病院に初めて行き、体の異常がないことを入院検査で確認し、3ヶ月予約待ちをして、やっと待望の心療内科にかかることができました。その頃には、息子の口からついに「学校に行かなきゃダメ?」という言葉が出ました。私も「嫌な体験をずっと繰り返すより、一度じっくりまとめて休ませたほうがよいのでは?」と思っていたので、ひとまず1ヶ月間休ませることにしました。その後、心療内科の先生と相談し、学校に関しては無理強いせずに、家でゆっくり治療に専念することになりました。まずは、「家は安全、家は本当の自分を出せる場所」という体験をさせ、そのあと少しずつ外(学校や社会)へ出ていくという手順が必要だったのです。先生から「1年~2年かかることは覚悟して、じっくり治療しましょう」と言われました。私は会社に相談し、勤務時間を減らしてもらい、週に一度は息子と一緒にカウンセリングに通いました。親の私がすることは、無条件で子どもを受け入れること。甘えてきたら「もう大きいんだから」と突き放さず、幼児から育てなおすくらいの気持ちで接すること。それが治療方針でした。同時に、学校を思い出すようなことも一切排除することになりました。心療内科の先生から学校に電話してもらい、直接本人に接しないように徹底してもらいました。経験豊富な専門家がついているおかげで、私も落ち着きを取り戻し、ときには不安を聞いてもらうこともありました。子どもの心が不安定なとき、親が慌てたり不安がったりすると、それが子どもにも伝わってしまいます。自分だけで解決しようとせず、心の専門家に介入してもらい、親自身の心を安定させることも大切です。 ■長い目で見守る、そして信じる自宅療養を始めてから最初の数ヶ月間は外にも出たがらず、ゲームばかりしていた息子でしたが、ゆっくりゆっくり休んだ後、やがて自分から生活のリズムを管理しだし、遅れを取り戻すように本を読んだり勉強をしたりするようになりました。その後は誘うと徐々に外に出るようになり、休日は一緒にランチを食べに行ったり、サイクリングに出かけたりしました。しばらくすると学校の友だちとも休日になら一緒に遊べるようになり、6年生の3学期は放課後に学校へ勉強をしに行けるようにもなりました。そして、卒業前何日かは登校もできるようになったのです。卒業1週間前には毎日、卒業式の練習に参加するまでになり、無事、卒業式に出られたのです。息子を見守ってくれた友だちや、学校の存在は、とてもありがたいものでした。こればかりは親だけではどうすることもできません。現在では何事もなかったかのように、元気に中学校に登校しています。新しい友だちもでき、部活動も楽しんでいます。■子どものことをわかっているつもりで、わかっていなかった息子が学校へ行かなかった1年半、私が主にしたことは、ただご飯を作って一緒に食べること。そして、息子の話をとことん聴くことだけでした。子どもは親にわかって欲しいのです。私は、息子のことをわかっているつもりで、何年もわかっていなかったのでしょう。小学校くらいなら1年~2年の勉強の遅れは、すぐに取り戻せます。けれども、心の問題を取り戻すには、たくさんの時間がかかります。親が悲観的にならずにゆったりと構えると、子どもの情緒も次第に落ち着いてくるようです。 ■子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら=私の体験から子どもが学校に行きたくないと言い出したら、原因探しをするよりも、まずは子どもの話をじっくり聴いてあげてください。問い詰めたり責めたりせずに、お母さんが子どもの心の逃げ場所になってあげてください。学校に行けなくなった息子のために私が意識してやったこと、それは「息子の気持ちに添う」ことです。学校に行きたくない原因は人それぞれ。単純なことではありません。逆にしないように注意していたのは、問い詰めたり、攻め立てたりすること。子どもが学校へ行かないと親も焦りますが、そこは我慢。子どもは家庭という絶対安心できる場から、ミリ単位で成長を始めるのです。親にできることは、子どもを信じて見守ること。何があっても親だけは味方だということを、心の底からわかってもらうこと。まずはそれが大切です。そしてもちろん、子どもを支える保護者にも支えが必要です。保護者の支えになるもの、それはプロの指導です。経験豊富なプロは、子どもだけではなく、保護者の心も支えてくれます。学校のスクールカウンセラーでもよいですし、信頼できる心療内科を探してもよいです。親が「この人は本当に信頼できる」というプロを探してください。「家庭の問題だから」と抱え込まず、適切にプロの助けを借りながら、子どもの成長を見守るのがベストだと、私は考えます。
2016年04月13日物事には多面的な見方があることを教えよう の続きです。子どもには物事を一面的に捉える傾向があり、それゆえに不登校になってしまうものです。大人のように見方を変えて捉えることができれば、不登校になるほど悩むこともないはず。そこで今回は、子どもに多面的な見方を教えるためのヒントをご紹介します。物事を多面的に捉える技術を手に入れるには子どもが物事を多面的に捉える技術を身につけるには、やはりきっかけが必要です。けれどもそれは、家庭の中で用意できることです。チャンスはたくさんありますので、子どもにとって身近なことを利用して教えていけばいいのです。たとえば、食べ物を例として見てみましょう。子どもは割合に好き嫌いが多いものですが、その一方、ふとしたきっかけで嫌いなものを食べられるようになることもあります。ある食べ方では苦手だったものが、別の調理方法を使ったりメニューを変えたりすればおいしく食べられる、といった経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。こうした発見は、子どもにとって物事を多面的に捉えることのいい例になります。あれほど苦手で食べられなかった食材が、この料理にしたらむしろおいしく食べられた、というのはかなりのインパクトを与えることだからです。その際に、物事を多面的に捉えることについて話してみれば、効果はさらに上がります。このような経験を豊富にしてきた子どもは、物事を多面的に捉えるための気づきをたくさん得ることができますので、ほかの点で何か問題が起きた時にそれを応用し、自分の中で問題を解決しやすくなります。一見嫌でたまらないことが起きた場合でも、その出来事について別の評価をするだけで感じ方を変えられることを知れば、どっぷりはまり込んで悩むこともなくなるはずです。多面的な捉え方を教えると、好き嫌いがなくなる!?食べ物の場合に大事になってくるのは、親が子どものためにできるだけ料理を手作りすることです。そしてその中で、子どもに好き嫌いが多いからといって、子どもの好きなものばかり作らないことも重要です。子どもが嫌いな食材があったとしても、いろんな料理法やメニューを試してみるのが大事なのです。そして、工夫次第で嫌いな物でもおいしく食べられるようになるのだということを、身をもって子どもに示すこともできます。このやり方にはうれしいおまけもついてきます。それは、子どもの好き嫌いが結果的に減るという効果です。嫌いなものが減れば健康にもいい効果がありますし、食事の楽しみも増すので、子どもはその点でも幸せを感じることができます。このように日常には些細な困難がたくさんあります。それらに出くわした時に、「避ける」という対処法を採るのではなく、「解決する」という対処法を採るように(採れるように)、親がサポートしていく姿勢が重要なのではないでしょうか。(子育ての達人)
2015年12月26日なぜ子どもは不登校になるのか? の続きです。「子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が『狭い』ということに起因する」ことを前回ご紹介しました。今回は、そうした一見狭く見える世界も、見方を変えると道が開けることもある…ということについてお話しします。物事を多面的に捉えることが必要学校では、ものの言い方や友だちへの態度、ふとした弾みで取った行動などを契機として、それまで親しい友だちづきあいをしていた相手がこちらに敵意を向けてくる、などということは割合頻繁に起きる事柄です。大人にしてみれば、世界は何も学校だけでできているわけではないのだから、と思えるようなことでも、子どもにとっては学校での人間関係が自分の世界のほとんどを占めているわけですから、ものすごく大きな問題となって見えるわけです。ちょっとした行き違いで友だちにそっぽを向かれたり、学校で自分の居場所がなくなってしまったというように感じたりする子どもはいくらでもいます。そうなった時に、「もうどうにもならない」「一生嫌われた」「学校に行ってももう居場所がない」などと考え始め、最終的には不登校というかたちに行き着くことになるのです。大人であれば、よほどのことがない限り、そして、やり直そうという気持ちがある限り、どんな状態からでも挽回ができるということを理解しています。皆無とは言いませんが、「もうどうにもならない」ことなどほとんどありません。ところが、まだ未熟な子どもは物事を一面的にしか見ることができないため、そういう理解の仕方ができないと考えられています。極論すれば、・ある友だちに嫌われてしまったとしても、別の友だちを見つければすむことです。・クラス全員にそっぽを向かれたのであれば、1人で遊んでもいいでしょう。・何かで教師に怒られた場合でも、それ以後きちんとすることで見直してもらえばいいだけのことです。・最悪その学校でどうにもならない状態に陥ったとしても、そんなものはその学校を卒業するまでのことなのですから、学校には卒業まで我慢して通いつつ、学校以外のところで何か他のものを見つける努力をすればいいだけのことです。このように、大人がしているように物事を多面的に捉えるようにすれば、今以外の道がいくつも見えてきます。そうすれば、何も不登校になってしまうほど悩む必要は低減するはずです。しかし、子どもはこうした見方ができませんから、物事を一面的に捉えてそこにはまり込んでしまい、悩み過ぎた上に不登校になってしまうのです。せっかくのびやかに過ごすことのできる子ども時代を送っているはずなのに、これは大変もったいないことだと思います。そんなふうにならないためにも、物事を多面的に捉える技術をきちんと身につけておくことが大事になってきます。では、子どもに多面的な物事の捉え方を教えるには、どうするのがよいのでしょう? 次回ご紹介します。(子育ての達人)
2015年12月24日文部科学省によれば、平成25年度の小中学生の不登校は約12万人であり、前年度に比べると7,000人程度増加しています。さらに詳しく見ていくと、小学生の不登校は24,175人で、前年度比較で2,932人増加。中学生の場合は95,181人で、前年度比較で3,932人増加という結果になっています。このように不登校になってしまう子どもは増えてきていますが、自分の子どもが不登校に陥ってしまわないようにするためにはどんな点に注意すればいいのか、一緒に考えていきましょう。子どもの世界は狭い子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が「狭い」ことに起因すると考えられています。大人の場合、家庭以外にも幅広い人間関係を持っているものです。たとえば会社のほかにも、趣味に関する仲間、昔の友人関係、学校関係の知人、近所の人間関係、行きつけのお店など、その人間関係の種類は多岐にわたります。このため、TPOに応じて自分のキャラクターを変える機会も多いものです。会社では部下をよくまとめる上司、近所づきあいでは面倒見のいいお母さん、学校行事では子どもたちと一緒に楽しんで活動するお父さん、などといった具合です。これに対し、子どもの人間関係はぐっと幅が狭まります。家庭の人間関係のほかには、まずなんといっても学校、そしてそこにせいぜい塾などの習い事が含まれる程度でしょう。少し前であればここに近所の遊び相手としての子どもたち、というのが入ったものですが、近頃は少子化の進展によって子どもの数が減っているため、近所で学校における人間関係とまったく違った人間関係を構築することが、あまりできなくなってきています。就学前の子どもの世界のほとんどは家庭で成り立っています。子どもが大きくなって学校に行きだすと、学校における人間関係が重要性を増し始め、しばらくすると人間関係の中心が、家庭→学校での人間関係に取って代わるようになります。子どもたちにとって学校は、毎日相当の時間を過ごしている場所ですから、そこでの人間関係は必然的に濃密なものになり、ほかの世界をあまり知らない子どもにとっては、それがすべてといったことになりがちです。ですが、学校での人間関係というのは得てして不安定なもので、ほんのささいな出来事や行動によって、ある日突然まったく別の様相を見せ始めることがあります。皆さんもその昔、学校に通っていた頃の経験を思い出してみれば、うなずけるところがあるのではないでしょうか。そんな不安定な学校での人間関係をうまく乗り切るためには、どのようにするのがよいのでしょうか? 次回、その方法を紹介します。(子育ての達人)
2015年12月23日不二家は13日より、全国の不二家洋菓子店にて「ミルキーミニバッグプレゼントキャンペーン」を展開する。○プレゼントがなくなり次第終了同キャンペーンは、全国の不二家洋菓子店で、「ミルキークリームロール」(980円)、「雪塩ミルキークリームロール」(980円)など、対象商品を含む1,200円以上購入した人に、「ミルキーミニバッグ」を1つプレゼントするというもの。キャンペーン開始は8月13日。プレゼントが無くなり次第終了となる。また店舗により対象商品が異なる場合、対象商品の取り扱いがない場合、売り切れの場合もある。一部の店舗ではキャンペーンを実施しないが、一部の不二家レストランでは実施する。※価格はすべて税込価格
2015年08月08日“世界一不機嫌な顔の猫”で大ブレイクした「グランピーキャット」に代表されるように、三白眼、怒り顔、諦め顔など、“不機嫌顔”の猫がいま大人気!でも、なぜ惹かれてしまうのでしょう。「どの要素も人に置き換えた場合、いずれも正直“望ましくないファクター”です。そんな顔の猫を見た時、人は勝手に、『媚びてない姿が凛々しくていい』と、錯覚するところがあるようです」と話すのは社会学者の栗田宣義さん。「人間同士だと諍いに発展しそうな表情やしぐさも、猫ならば積極的に受容される理由はそこなのでは。人間より圧倒的に非力で小さく、弱い生き物である猫ですから、不機嫌でもこちらは別に怖くはない。人間側の傲慢さの裏返し、なのかもしれませんね(笑)。とはいえ、いわゆる“不機嫌顔”はあくまでも猫の造作という物理的な事柄であって、表情ではありません。人間たちは自分たちの都合で、猫の表情として勝手に読み取っているんだと思います」栗田さんの話を整理すると、不機嫌顔に惹かれる3大理由はこうなります。■不機嫌顔になられたって、結局何をしててもかわいいから。■「媚びてない! 凛としていてかっこいい!」とつい思っちゃうので。■そもそも顔の造作であって、本当に“不機嫌”なわけじゃないから。※『anan』2015年6月10日号より。文・服部 円(C)GoodLifeStudio
2015年06月08日東北大学は12月25日、量子力学の基本原理の1つである「測定誤差と擾乱に関する不確定性関係」に関して、「ハイゼンベルクの不等式」が破れており、「小澤の不等式」ならびに、2013年に新たに提案された「ブランシアードの不等式」が成立していることを、量子状態の弱値を得ることが可能な「弱測定」を用いた実験で検証することに成功したと発表した。同成果は、同大電気通信研究所の枝松圭一 教授、名古屋大学大学院情報科学研究科の小澤正直教授らによるもの。詳細は2013年12月26日付の米国物理学会論文誌「Physical Review Letters」オンライン版に掲載される予定だ。これまで研究グループは、量子力学の基本原理の1つである「測定誤差と擾乱に関する不確定性関係」として知られる「ハイゼンベルクの関係式」が破れており、名大の小澤教授が発見した新しい関係式(小澤の不等式)が成立していることなどを明らかにしてきたが、小澤の不等式のがε(A)=0またはη(B)=0ではない場合、両辺の等号が成立する場合があるのか、より厳しくかつ常に成立する不等式は存在するのかなどの疑問が残されていた。こうした謎の解明に向け、2013年にはオーストラリア・クイーンズランド大学のCyril Branciard博士が小澤の不等式を改良し、ε(A)=0またはη(B)=0以外の場合にも等号が成立する場合がある、より厳しい関係式(ブランシアードの不等式)を導き出していた。また、同博士は、電子スピンの向きの測定や光子の偏光の測定の場合などにおいて成立するさらに厳しい不等式も導きだしており、この不等式が理想的な場合には両辺の間に等号が成り立つことが判明していたが、これらの不等式(ブランシアードの不等式)の実験的検証が求められていた。そこで研究グループは今回、光の偏光に関する計測法「弱測定」を用いて、小澤の不等式とブランシアードの不等式が成立すること、ならびに測定された誤差と擾乱の関係が、ブランシアードの不等式が予言する限界に近いものとなっていることを実験的に確認することに成功した。具体的には、光の量子である「光子」の偏光を用い、縦横方向の偏光測定の強度を変化させたときの、「縦横方向の偏光測定における誤差」および「その測定によって斜め45度方向の偏光が受ける擾乱」を計測。測定誤差と擾乱の計測に用いられた弱測定法は、誤差や擾乱の計測を行いたい実験装置(MA)の前段に弱測定の実験装置(WP)を配置し、WPの測定結果とMAの測定結果を比較することで、MAの誤差や擾乱を計測することができるもので、今回の実験では、測定の強さが弱いWPを採用し、測定対象となる系(=光子の偏光状態)をほとんど変えることなく、精密に誤差や擾乱を評価する手法を開発した(この測定系はブランシアードの不等式が成立するための必要な条件を満たしている)。MAにおける測定の強度(横軸)を変化させたときの、誤差および擾乱に関する不等式の成立状況を見ると、図から、ハイゼンベルクの不等式の左辺は右辺を下回り、不等式が破れているのに対し、小澤の不等式ならびにブランシアードの不等式が保たれていることが分かった。特に、ハイゼンベルクの不等式の左辺は、不等式が予言する下限C=0.995に近い値となっており、同不等式において等号が成立する条件に近い状態が実現されていることが分かったほか、光学素子(偏光プリズム)の不完全性を考慮した場合の理論値と比べても実験値をよく再現していることが判明した。さらに誤差と擾乱に関する測定結果と不等式の下限値を、誤差を横軸、擾乱を縦軸にプロットしてみると、実験び結果はハイゼンベルクの不等式を破り、他の不等式は満たす領域にあることが判明。このことは、2つの物理量(この場合は縦横方向偏光と斜め45度方向の偏光)に関する誤差と擾乱がハイゼンベルクの不等式から予言される下限値よりも小さいこと、つまり、2つの物理量がハイゼンベルクの不等式によって制限されると思われていたものよりも高い精度で同時に測定可能であることを示しているほか、実験結果は小澤の不等式を満たしているものの、小澤の不等式における下限値よりもかなり大きい領域にある一方で、ブランシアードの不等式の下限に近接しており、 理想的な実験を行った場合にはブランシアードの不等式が誤差と擾乱の関係の下限値を与えることが示された。今回の研究について研究グループでは、新たに提案されたブランシアードの不等式に対する初の検証実験であり、小澤の不等式よりも厳しいブランシアードの不等式が検証されるとともに、誤差と擾乱が達し得る下限に関して新たな知見に達することができたとする。また、弱測定法は、誤差と擾乱を計測する以外にも、被測定系の状態を変化させずに物理量を計測する一般的な計測法として期待されてきており、今回の研究で用いた被測定系の状態をほとんど変化させないほぼ理想的な弱測定系の実現により、誤差と擾乱に関する明瞭な検証実験が可能になったで、物理のみならず科学技術一般に広く行われる「測定」という行為に対し根本的な制限を課す「不確定性関係」への見直しとなることはもちろん、従来の不確定性関係の枠を超えた超精密測定技術や新たな量子情報通信技術の開発などの多くの応用を拓くことが期待できるとコメントしている。また、光子の偏光は、各々の測定結果は2通り(例えば縦偏光と横偏光のどちらか)となる点で、電子や中性子における「スピン」と同じ2次元系とみなせることから、今後は、さらに次元の高い物理状態や、ハイゼンベルクのガンマ線顕微鏡の思考実験で出てくる位置と運動量などのように、連続的な値を取り得る物理状態に対する不確定性を検証する実験にも取り組んでいき、不確定性に関するさらなる理解と応用を広げていければとしている。
2013年12月25日不登校や高校中退を経験した生徒が、高校卒業からの希望進路実現に向けて多数学ぶ広域通信・単位制の第一学院高等学校は、第8回目となるフットサル全国大会「WITHUS DAIICHI CUP 2012」を開催する。今年で開催8回目となるこの大会は、不登校・中退生が中心のスポーツイベントとしては日本で最大規模。参加する生徒の大半は、何らかの形で一度挫折を経験している。そんな、新たな一歩を踏み出そうとしている生徒たちを元気づけて、達成感や成就感、喜びを感じてもらう機会の提供を目的としている。本年は「今より、もっともっと自分も周りの人も好きになろう!~ Try Your Best and Play for Others! ~」をテーマに、全国のキャンパスを男女9ブロックに分けて予選大会を行い、予選大会を勝ち上がった各ブロックの男女1位チームが東京で行われる決勝大会に進出する。8月24日に行われる予選大会と、9月14日に行われる決勝戦の開催場所と開催時間は以下の通り。■予選大会(8月24日) ・北海道/東北ブロック予選11:00~15:00ワッセ仙台(宮城県仙台市) ・北関東ブロック予選12:00~15:50真岡市スポーツ交流館(栃木県真岡市) ・千葉/埼玉/東京ブロック予選11:00~15:00FFC東川口(埼玉県川口市) ・西東京・横浜ブロック予選11:30~14:50フットサル台場(東京都江東区) ・北信越ブロック予選11:50~15:30アイザックスポーツドーム(富山市) ・東海ブロック予選10:50~16:00フットボールコミュニティーNAGOYA(愛知県名古屋市) ・関西ブロック予選10:30~14:15マグフットサルスミノエ屋内コート(大阪市) ・中四国ブロック予選11:00~15:30岡山ドーム(岡山市) ・九州ブロック予選11:50~15:40博多の森球技場(福岡市)■決勝大会(9月14日) ・決勝大会10:30~16:30コナミスポーツクラブ本店(東京都品川区)大会の詳細等は「WITHUS DAIICHI CUP 2012のページ」へ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月23日赤城乳業は6月5日、不二家のネクターピーチをイメージしたかき氷「不二家ネクター桃のかき氷」を発売する。不二家ネクターは1964年発売の飲料。今回発売のかき氷には桃をまるごと裏ごしした果汁を使用。初夏にぴったりの華やかな桃の香りと甘く濃厚なおいしさが楽しめるという。価格は126円。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月29日誰でも簡単!発酵いらずの冷凍パン生地、不二家 焼くだけベーカリー「フランママン」が、不二家ネットショップ・ファミリータウンにて発売を開始した。今回発売されるのは、「焼くだけクロワッサン」(10個入り ¥1,155)、「焼くだけメロンパン」(10個入り ¥1,575)、「焼くだけデニッシュ」(10個入り ¥1,575)の3つ。発酵後のパン生地を急速冷凍しているため、発酵&解凍が不要。冷凍のままオーブンに入れるだけで、パンが焼きあがるというお手軽さがうれしい。3つとも生地にキャンディの「ミルキー」で使用しているれん乳が練り込まれており、ほのかに香るミルク風味が特徴だ。不二家ならではの簡単パン生地は、普段の朝食やホームパーティーなど利用シーンも様々、パンを作ってみたいけれど、発酵が面倒という人に特におすすめだ。お問い合わせ: 不二家ネットショップ"ファミリータウン"「スイーツショップ」
2012年01月30日