現在、やんちゃな5歳と2歳の男の子を育てています。長男がまだ1歳のとき虫歯になったのですが、歯科でエナメル形成不全と診断されました。結果、長男は3歳まで治療により前歯が真っ黒の状態で過ごすことになってしまったのです。一生懸命歯磨きをしていたのに低年齢で虫歯にしてしまい、後悔したエピソードや治療の様子もお伝えします。 長男が1歳で虫歯と診断長男が1歳のとき、市役所でおこなっている任意の歯科健診に行きました。前歯が以前よりも若干、短くなったような気がして心配だったのです。ただ、歯磨きは念入りにおこなっていたので「まさか、虫歯じゃないよね」と楽観的に考えていました。しかし、歯医者さんに診てもらった直後、「これはちょっと……」とつぶやかれ、前歯が虫歯になっていると伝えられたのです。短くなったように見えたのは、虫歯が原因で先端が溶けてしまっていたのが原因でした。早急に歯医者に通ってください、と言われました。歯磨きだけでなく、お菓子やジュースも与えずに気を付けていた私は、ショックで頭が真っ白に……。 歯医者で「エナメル形成不全」と診断その後、すぐに歯医者に行きました。そこでもう1度診察を受けると、「エナメル形成不全ですね」と診断されたのです。エナメル形成不全の子どもは生まれつき歯のエナメル質が弱く、そのため虫歯になりやすいとのこと。私がもっと気を付けて歯の生え始めに歯医者に連れて行っていれば、虫歯を防げたのかもしれない……と、とても後悔しました。また、前歯がちょっと短くなったような……と違和感を覚えていたにも関わらず、診察が遅れてしまったことも反省するしかありませんでした。 進行を止める薬を塗って前歯が真っ黒に長男はまだ1歳できちんとした治療ができず、歯医者さんと相談してサホライドという虫歯の進行を止める薬を塗ることになりました。結果、長男の前歯は虫歯の箇所が黒くなってしまうことに……。口を閉じているとわからないのですが、笑うと黒い前歯が見えるため、最初はとても気になってしまいました。初対面のママさんにも、聞かれてもいないのに「この子は歯が弱くて虫歯になって~」と説明していたほどです。しかし歯医者さんは診察のたびに落ち込む私に、「母親がどんなに気を付けていても歯の弱い子は仕方ないよ」と慰めてくれました。一番心強かったのは、「幸いまだ乳歯だから、いくらでも取り返しがきくからね」と励ましてもらったことです。 その後、長男は3歳になって歯を削る治療をおこないました。歯は見た目も白くなり、幸いにも他の歯は虫歯になりませんでした。今回のことを機に、子どもの体に少しでも気になることがあれば、すぐにお医者さんに相談するべきだと痛感しました。その後生まれた次男も一緒に3カ月ごとに定期健診を受け、歯の状態を診てもらっています。1歳での虫歯はショックでしたが、歯の健康を考える良い機会だったと思えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2019年10月28日3人目もひどいつわりでしんどい妊婦生活でしたが、とにかくよく動く元気な赤ちゃんでした。ママとして3度目の出産ともなると、陣痛の流れやいきみ方、タイミングがなんとなくわかっていたので、一番スムーズに産むことができたのですが……。その後、思いもよらぬ展開が待っていたのです。 3度目はスムーズな出産!出産が近づくと、赤ちゃんは下がってきてあまり動かなくなるとよく聞きますが、私の3人目の子は、出産当日も元気に動いていました。出産予定日を3日過ぎた朝におしるしがあり、夕方になんとなく陣痛が規則的に感じたので産院へ行くことに。 ひとり、陣痛室で耐えること数時間。ひたすら静かに痛みと向き合いました。おしりのあたりまで赤ちゃんが下がってきた感覚がしたので、助産師さんを呼び、いよいよ分娩台に。 「無事に産めた」と思ったのもつかの間分娩台に上がってからも、私は落ち着いて出産することができました。ところが、「無事に産めた」と思ったのもつかの間、赤ちゃんが新生児室に移動してから、私の意識が朦朧とし始めてしまったのです。また同時に、助産師さんが血圧が異常に下がっていることに気付き、にわかに大騒ぎに! 今度は私の周りに医師や看護師さんが集結して、おなかを上からぐいぐい押していました。私は意識が遠のきつつも「痛い!」と言いながら、何とか産後の処置は終了しました。 産後の貧血がつらかった!このとき、出血が1リットル以上あり、その場から自分では起き上がれないほど貧血になっていました。回復室でしばらく過ごし、病室に移動できたのは、翌日のこと。毎日鉄剤を点滴し、退院も少し遅れてしまいましたが、輸血はしなくてすみました。 改めて「出産は何が起こるかわからない」と実感したできごとでした。退院後も鉄剤を飲み、時々ひどい腹痛などがありましたが、1カ月後には落ち着きました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:山田孝子不妊治療を経て高齢出産し、現在は三児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は旅行、仏像鑑賞、モノづくり。
2019年10月28日これから出産を迎える妊婦さんを不安にはさせたくないですが、私にとって陣痛は間違いなく「人生で経験した強烈な痛み」ダントツ1位です。とにかく痛い!恥も外聞も理性も、すべて吹っ飛びました。そんな第一子出産時のリアルな感情をお伝えします。 陣痛ってとにかく痛い!陣痛の痛みに比べたら、ほかのどんな痛みも虫刺されのようなものかもしれません。「スイカを鼻の穴から出すくらいの痛み」「万力で締めあげられるような痛み」など、陣痛をたとえる話がいろいろありますが、どれも当てはまらないと感じました。たとえようもなく、とにかくもう確実に痛いです。 ただ、陣痛さえ乗り越えれば、実際に産むときは、正直そこまで痛くありませんでした。あくまで個人的な感想ですが、出産の正念場は陣痛といきみ逃しにあり! です。 ふと思った……出産やめて家に帰りたい!陣痛が始まって8時間くらい経ったころ、「あー疲れちゃった……。出産をやめて家に帰りたい」と思ってしまいました。そしてすぐ、「出産だけは途中でやーめた! ができないんだ」と思い至り、気が遠くなったことを覚えています。 いつ終わるとも知れない、波のようにやってきては去っていく強烈な痛みは、昨日のことのようにありありと思い出すことができます。陣痛の痛みは忘れる、とよく言われますが、私がしつこい性格なのか、忘れることができません。 パパの手の甲には今でも爪あとが……! 私は陣痛から出産までの18時間半、痛みと疲労で食事はおろか水一滴すら口にできませんでした。“ペットボトルに装着できるストローがあると便利”と聞いていましたが、私の場合はまったく出番がありませんでした。 ようやく生まれた待望の第一子でしたが、産声を聞いた瞬間に思ったことは「はーやっと終わった……」ということでした。そして、陣痛の長丁場で、手を握って励ましてくれたパパの手の甲には、今でも私の爪あとが残っています。 パパは夫婦喧嘩をしたときに、手の甲の傷を見ると気持ちが鎮まるそうです。出産は強烈な痛み伴いますが、新しい家族の誕生とともに、家族に分かち難い強い絆を結んでくれるのだと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:伊川遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2019年10月27日赤ちゃんの首のすわりがしっかりしてきたり、授乳リズムが整ってきたりしたら「そろそろ赤ちゃんをパパに預けて外出してみたい」と考えるママも多いと思います。そこで今回は、私が赤ちゃんをパパに預けるときに工夫していたことを紹介します。 すぐに授乳や食事ができるようにしておく! 授乳の時期は、いつでもサッと授乳できるようにミルクを計量してミルクケースに入れておくようにしました(計量の必要がないキューブタイプのミルクを使うこともあります)。パパは、赤ちゃんが1回にどのくらいミルクを飲むのかが頭に入り切っていないようだったので、「1回200ml」と書いた付箋を哺乳瓶に貼っておくと、迷わず調乳できたようです。もちろんお湯と湯冷ましも用意しておきました。離乳食の時期は、すぐに使える瓶タイプやお弁当タイプのベビーフードを用意。わざわざ器を出して入れ替えなくてもいいようにしておきました。使用するスプーンやエプロン、食後に手を拭くおしぼり用タオルも一緒に置き、「あれ、どこにあるんだろう? 」というようなことがないように準備。食事に必要なものをすべてそろえていたので、パパも対応しやすかったようです。 赤ちゃんのタイムスケジュール表を作成! 半日から1日単位で外出するときは、赤ちゃんのタイムスケジュール表を作成し、目立つところに貼りました。記入した内容は、「大体この時間に授乳する」「この時間に寝る」「昼寝は2時間半くらい」などの生活リズムに関すること。 その他には、「バウンサーに座らせるとうんちをすることが多い」「寝るときに背中をかいてあげるといい」「わんわんのぬいぐるみが大好き」というようなプチ情報も記入しました。時系列で確認できるので、わかりやすかったようです。 また、パパは口で伝えても忘れてしまうことが多いので、書いておくと何度も確認することができ、パパも私も安心でした。このタイムスケジュール表は、私の母に赤ちゃんを預けたときにも活躍しました。 帰ったらパパに感謝! そして褒める! パパに預けて外出すると、帰ってから「えー、家の中ぐちゃぐちゃ」「おむつ、そのままじゃん」なんてこともありました。ただ、そのことには目をつぶり、「パパのおかげで楽しい時間が過ごせたよ!」と、できるだけ感謝の言葉を伝えるように意識しています。 そして、とにかくパパを褒めます。パパも「頑張ってよかった」と思えるし、「また面倒をみておくから、友だちと会って来たら? 」なんてことも言ってくれました。 パパに赤ちゃんを預けるときは、下準備や申し送りをしっかりしておくと、ママは安心して出かけることができ、パパも安心して赤ちゃんと過ごすことができました。また、帰ってからポジティブな声かけを意識すると、次回以降の外出も快く送り出してくれました。 イラスト:sawawa著者:久保田さや長女(小6)・長男(小1)・次男(2歳)の母。歯科衛生士。育児と仕事を両立しながら衛生士としてキャリアを積む。第3子出産後は、専門知識や子育て経験を中心に記事執筆を行う。
2019年10月27日産後は、食事づくりはもちろん、買い物に行くのも大変。でも、栄養バランスを疎かにはできないし、体重管理もしたい⋯⋯と、食事に対する悩みがいろいろと出てきます。そんなとき、私が今でも利用している弁当宅配サービス、「nosh(ナッシュ)」がとても便利です! 産後の食事の大変さ産後3カ月くらいまでは赤ちゃんの生活リズムが整わず、急にグズグズしたり、寝ていてもすぐに起きてしまったりして、食事の時間もままならない日々が続きました。そんな赤ちゃんを連れての買い物は大変ですし、買い物ができても予定通りに料理ができないことも多々あります。しかし、母乳をあげることや自分の体のことを考えると、しっかり栄養は摂りたいところ。さらに、産後ダイエットも視野に入れたいのが本音。 食事の悩みが尽きず、「昼の1食くらいは手抜きしよう!」と宅配弁当サービスを利用することを考えました。 低糖質・栄養満点のお弁当 宅配弁当サービスをおこなっている会社はいくつかありましたが、比較して良さそうだったnosh(ナッシュ)を利用することに。 メニューは管理栄養士が考案しており、種類豊富。もちろん1食単位でも注文できるのですが、低糖質のダイエットセット、高たんぱくのトレーニングセット、栄養バランスの良いバランスセットなど、目的に合わせたセットの注文もできるのが便利でした。 ドーナツやロールケーキなどのスイーツも低糖質で作られていて、これには感動しました。スイーツは甘すぎず、料理も薄味で、私にはちょうどよかったです。いろいろなメニューや味付けがあるので、今後の料理の参考にもなりました。難点は、お弁当が冷凍で届くので冷凍庫が一杯になること⋯⋯。セット単位で頼むと10食分のお弁当が一気に届くので、あらかじめ冷凍庫に空きを作っておかなければなりません。 専用アプリが便利!nosh(ナッシュ)では、サービスを利用している人のみが使える専用のアプリがあり、お弁当の注文やキャンセル、次の宅配の確認などがすべて見られるようになっています。 そのアプリを使えば、1カ月先までの宅配のスケジュールを自分で調整することができます。例えば、火曜日に10食を宅配してもらい、その翌週はお休み、その翌週は水曜日に変更など、自分の都合に合わせて宅配の内容や時期を調整することができます。メニューの変更も可能です。さらに、食材フィルター機能もあるので、あらかじめ除去したい食材を登録しておけば、アレルギーがある方も安心。 料金は、10食セットで5,480円(税別)。初回は送料無料で、2回目から所定の送料がかかります。それにしても、1食あたり700円程度で低糖質かつ栄養バランスの良いお弁当が自宅に届くのはありがたく、子どもが1歳を過ぎた今でも利用しています。 最初は「ちゃんと料理しなきゃ⋯⋯」という罪悪感もあったのですが、利用し始めたらそのおいしさと手軽さに非常に助けられており、悩んでいたのがもったいなかったなあと感じるほどです。自宅にいてひとりでお昼ごはんを食べるときは、noshの宅配弁当にこれからもお世話になりそうです。 ※本記事の内容は公開時に確認した情報のため、商品によっては変更となっている場合があります。 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2019年10月27日36歳で第一子を妊娠。初期のつわりも落ち着き、胎動が感じられるようになったころから悩まされたのは足のむくみ。明らかに20代とは違い代謝も落ちているなか、フルタイムで働き、立ち仕事も多い職業柄、常にむくみ気味だった私の足は妊娠の影響でさらにむくむように。妊娠後期まで続いた私の足のむくみとの戦いをご紹介します。 あれ? いつもより足がパンパン?34歳で結婚、36歳で第一子を妊娠。双方の両親をはじめ、親戚一同大変喜んでくれました。妊娠初期のころは食べづわりに悩まされ、空腹にならないように小腹を満たすバナナなどを持って職場へ行く毎日でした。しかし、つわりが終わってほっとしたのもつかの間、次第に足のむくみが気になり始めたのです。 普段から運動はほとんどせず、立ち仕事が多いこともあり、もともとむくみ気味だった私。履き慣れた靴も窮屈になり、靴下の痕もくっきり残るほどパンパンな状態に。朝起きたときから足がむくんでいて、仕事へ行くのも、そもそも靴を履いて出かけるのも憂うつでした。 意を決してウォーキング!体重管理とむくみ対策としてお医者さんに言われたのは、「歩く」こと。妊娠前から158cm、64kgのぽっちゃり体型で、助産師さんから「妊娠中の体重増加は7kg以内に」と注告されていたこともあり、運動不足の私も文字通り重い腰を上げ、散歩することに。 しかし、このときは8月。外は暑くて歩けないので、私が選んだお散歩コースは天気にも左右されず、休憩スペースも多い「ショッピングモール」。新しいショッピングモールがオープンしたばかりだったので、スニーカーを新調し、気分を上げてウォーキングへ。隅から隅まで約2kmの距離を体調に合わせて2~3周、週3回ほど通いました。3週間続けると足がだんだん軽く感じられるようになり、次第に靴下の痕も残らなくなっていったのです。 ウォーキングに加えて食事の見直しもウォーキングとあわせて食事の見直しもおこない、むくみ防止によいとされるカリウムの多い食品を積極的に食べるようにしました。もともと食べることが大好きなので、自分の好きなものを取り入れ、無理なく楽しく体によい食事を意識するようにしたのです。 具体的にはわかめなどの海草類や野菜たっぷりのスープ、バナナやアボカドなどの果物、焼き芋、小腹を満たすには無添加のナッツ類という感じです。特に野菜たっぷりのスープは食物繊維も多く摂取でき、冷房による冷えや便秘も解消され、それがむくみ解消にもつながったと思います。 出産間近までウォーキングと食事の見直しを頑張ったおかげで、最大の悩みだったむくみは解消されました。さらに、出産に向けての体力をしっかりつけられたように思います。体重も結果的にプラス7kg、また年齢とぽっちゃり体型のためお医者さんから心配されていた妊娠高血圧症候群にもならず、無事に出産を迎えることに。つらかったむくみの解消から始めたウォーキングですが、結果的にはさまざまな面で役立ったのです。 高齢出産にはいろいろな悩みがありますが、30代後半を過ぎたからこその経験値や心のゆとりがあるのではないかと私は感じています。現在も妊娠中なので、前回の経験を活かしてマタニティライフを楽しみたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:上原さちこ夫と2歳の娘と3人暮らし。英語講師としてフルタイムで働きながら子育てに奮闘中。36歳で第一子を出産。現在39歳で第二子を妊娠中。 夫と2歳の娘と3人暮らし。英語講師としてフルタイムで働きながら子育てに奮闘中。36歳で第一子を出産。現在39歳で第二子を妊娠中。
2019年10月25日下半身がしっかりしていることが、昔からコンプレックスだった私。親戚からはよく「安産型だね」と言われていました。下半身がしっかりしているなどの見た目で言われる「安産型」は、果たして本当なの……?「安産型」と言われた私が妊娠し、出産するまでの体験談をご紹介します。 嫌だった「安産型だね」という言葉骨盤が大きくてしっかりしている体型は「安産型」とよく聞きますよね。下半身がしっかりしている私は、親戚などから「安産型だね」「安産型でよかったね」と、昔からよく言われていました。 そんなふうに言われることが、私自身としては非常に嫌でした。まだ妊娠や出産を経験したことがなかったころの私は、無事に赤ちゃんを産むことへの不安や重要性を意識したことがなかったからかもしれません。 「安産型」は本当に安産になる?妊娠してから「安産型」というものには明確な定義がないことを知りました。骨盤が大きく張っていて、歪んでいないことが安産につながることがあるともいわれていますが、産道の広さや子宮口の開きも安産の重要なポイントになるのだそうです。 実際の出産は、妊娠39週に陣痛がきてそのまま入院。分娩時間は13時間かかり、出血も多量でした。初産ということもあり、子宮口の開きが遅く、2~3cmから先にすすむまでに時間がかかりました。 想像よりも出産に苦戦周りから「安産型」だと言われた私も、子宮口の開きが遅く、想像よりも出産に苦戦しました。無事に生まれてきてくれただけで十分ですが、周りから言われていた「安産」とは少し違ったかもしれません。 実際に妊娠・出産を経験してみて思うことは、「安産型」だと言われたことに気を抜かずに、もっと主体的になって妊婦生活を過ごせばよかったということです。安産のために、塩分量などの食事調整や体重管理など、出産に向けての時間の使い方や準備も大切だと感じました。 私と同じように、「安産型だね」と言われることを気にしている方もいるかと思います。赤ちゃんや自分にあまり負担のかからない出産となるように、できる限りのことをしていきたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年10月25日産後のママが、赤ちゃんを触る夫に攻撃的になったり、孫を見に来る姑にイライラしたりして悩む、ママ向けメディアなどでは「産後ガルガル期」と呼ばれるものをご存じですか? 今回は、私が初めて出産したあとのガルガル期の様子と乗り越え方、夫や姑たちへのイライラが回復してきた時期についてお伝えします。 赤ちゃんを触ろうとする夫や姑たちにイライラして悩む日々私は里帰り出産をしたので、産後そばにいたのは実の両親だけ。そのとき、両親や親せき、自分の友人に赤ちゃんを抱いてもらうのは平気でした。しかし、夫の元へ帰ってから夫や姑、夫側の親せきに赤ちゃんを抱っこされるのが嫌で、触られている間はずっと不安でイライラするようになっていたのです。 私のイライラのせいで、夫とは夫婦喧嘩が絶えなくなり、姑ともギクシャクするようになり、とても悩みました。 家族会議になり、専門家へ相談私は自分でもコントロールできない感情に翻弄(ほんろう)されていました。そして、産後半年を過ぎたころ、赤ちゃんをあまり触らせない私に対して、姑が怒り心頭であると夫から聞かされたのです。 私は離婚も覚悟し、夫や夫の家族に今の精神状態を話しました。すると、激怒されるどころか私の心配をしてくれて、「産後うつかもしれないから、専門家のカウンセリングを受けてはどうか」とすすめられたので、受診することにしました。 家族や周囲の理解と、時間の経過で自然と改善へ医師からは、「産後の女性が情緒不安定になることは珍しくない」と言われました。よくあることと聞いて安堵し、ガルガル期を乗り越えるために身内や周囲に知ってもらい、見守ってもらうようお願いしました。 産後1年以内に良くならなければ再診と言われましたが、赤ちゃんが生後9カ月になったころから後追いが激しくなり、赤ちゃんはママ(私)を認識できているんだとわかると、イライラが徐々に消えていきました。 当初、夫や周囲に対する態度が攻撃的なのは、私の性格の問題かと誤解されました。専門家に相談したことで、ガルガル期の状態を客観的に知ることができ、周囲への説明にも役立ったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:佐藤あおい海外在住の一児の母。主に妊娠・出産・海外子育てなどのジャンルで、自身の経験を元にライターとして活動中。
2019年10月25日生後10カ月になる娘は、5カ月ごろから母の姿が見えないと泣き、後追いが始まりました。生後8カ月で保育園に行き始めてからはさらにひどくなり、家事をするときは常におんぶをしているような状態……。この状況はどうにかならないかと試行錯誤している、わが家の対処法をお伝えします。 好きなものに集中させるまずは単純ですが、お兄ちゃんやDVDに気を引いてもらう作戦です。2人目の娘は、お兄ちゃんが大好き。目の前で歌ったり踊ったりしてもらい、母がいないことに気づかせないようにしました。 ハイハイするようになってからは、歩行器に座らせてお兄ちゃんのDVDをかけておくのも短時間なら効果的でした。一緒に見られるように、お兄ちゃんが好きなものにするのもポイントで、とにかくひとりにならないようにしました。 ママと一緒に行く or 好きにさせる次は、ママが行く先々へ連れていく方法。キッチン、洗面所、お風呂にトイレまで……。ママの用事に合わせて一緒に連れていきます。危険な場所もあるので注意が必要ですが、ママがいるので娘はごきげんでした。また、ハイハイに加えてつかまり立ちが始まってからは、自由に好きな場所へ行けるようにしておくのが最も効いています。危険がないように模様替えやベビーゲートなどは必要ですが、夢中で探検しているため、泣くヒマはないようでした。 声をかけてから離れる最後は、「ちょっと待っててね」「待っててくれてありがとう!」など、声かけをする方法です。これは、保育園で保育士さんに相談したところ、このような助言をもらったので実践中です。 泣いていても、声をかけるだけでだんだんわかっていくから! とのことでした。こちらは、まだ始めたばかりで大きな効果は見られませんが、これからに期待したいと思います。 後追いは最初のうちはうれしいものですが、長く激しいとだんだんストレスにも感じますよね。少しでも困っているママの参考になればうれしいです。試行錯誤の育児、一緒に頑張っていきましょう! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小林夏希4歳と1歳の二児の母。フリーライターとして育児・インテリア・住宅関係の媒体を中心に記事執筆をおこなう。
2019年10月24日初めての出産は、わからないことだらけ。初産のとき、私もわからないことが多く、不安になることがありました。共に陣痛に耐えていた妊婦さんたちが、次々と分娩室へ……。「私が分娩台に上がるのはいつ!?」と、焦ってしまった出産体験談をお送りします。 分娩室になかなか入れなくて焦る気持ち初めての出産のとき、病院に到着してから分娩室に入るまでの間は、分娩室の横の部屋で陣痛に耐えていました。その病院では、子宮口が十分に開いてから分娩室に移動するとのことでした。 つらい陣痛に耐えていると、私よりあとから病院に到着した妊婦さんが私を追い越して分娩室に入っていくことに気付いたのです。「私が先に病院に来ていたのにどうして先に!?」と不安になるなか、しばらくすると赤ちゃんの産声が聞こえてきました。 初産婦と経産婦の違いを知らなかった!なかなか分娩室に案内されず、時間がかかっていることに問題はないのかと、ナースコールを押して何度聞いたかわかりません。「問題ないですよ」と言われても、周りの妊婦さんとの違いに不安が募りました。陣痛に耐えている間は、時間の感覚がいつもよりも遅く感じたため、余計に心配でした。 そんなとき、助産師さんから「初産と2人目を産むのとでは、出産までの時間のかかり方が違うんですよ」と聞き、ようやく納得しました。私はそのことを知らず、勝手に周りの様子を伺って焦っていたのでした。 初産は時間がかかる!陣痛が始まってから子宮口が開くまでの時間は個人差がありますが、一般的に2人目・3人目(経産婦)の出産は、初産婦より早くなるのだそうです。その後、さらにもう1人の妊婦さんが先に分娩室に入っていき、そしてまた、分娩室から元気のいい産声が聞こえてきました。 私は陣痛が遠のいてしまっていたので、そのまま何時間も分娩室には入れませんでした。そして、ようやく子宮口が十分に開き、分娩室へ移動することができたのです。 2人目を産んだのは別の病院でした。今度は初産の方の陣痛中に私が分娩室へ。あとから来た経産婦さんが、先に分娩室に入ることはよくあることだと知っておくと焦らずに済みますね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:斉藤あや大人しく内気な娘と楽天的で活発な息子、男女二児の母。ママ・パパに役立つ情報をお届けすべく、これまでの育児経験を生かして、育児の工夫やお役立ちグッズなどの情報を発信中。
2019年10月23日初めての妊娠、出産を経てついに授乳開始! 母乳らしきものが出始めていたので、どんと構えていれば母乳なんてすぐ出るだろうと思っていました。しかし、産後は母乳がほとんど出ていなくて、娘に「ごめんね」と謝る日々……。けれども、あるものによってそれが改善されました。 乳頭マッサージの効果あり!?妊婦健診のとある日、助産師さんからの母乳指導がありました。「初めての妊娠ではなかなか母乳は出ないだろうから、妊娠中はおなかが張らない限りしっかり乳頭マッサージしてくださいね」と言われました。それから少しずつ、入浴時にわが子を思いながらマッサージの日々。すると少しずつ、透明に近い分泌物が出始め、母乳らしいものに変わったので、母乳は出るに違いないと確信していました。 産後の授乳開始…母乳が出なくてごめんね私はバースプランで完全母乳をお願いしていたので、産後の疲労もありましたが、粉ミルクは一切使わずに授乳を開始しました。 しかし入院中、娘の体重チェックが定期的におこなわれるのですが、2日目にして出生時より体重が激減。「この減り方はまずいね……」と助産師さんに言われ、一気に不安に。助産師さんには、「(娘の吸い方に関しては)とてもじょうずだね」と言われていたので、私の授乳の仕方がいけないのだとひどく落ち込んでしまいました。 搾乳器の存在を知らなくてごめんねすぐに混合栄養に切り替え、粉ミルクを足したけれども娘の体重が増えない→落ち込む、その繰り返し。授乳室にいる同期ママの前で体重をチェックされるのも嫌になり、部屋にこもる日々でした。 そんな私を見兼ねた助産師さんが、「授乳室の搾乳器を使ってみて」とすすめてくれました。すると、1回に推定10mlしか出ていなかった私の母乳も、搾乳器を使うと30mlくらい搾乳ができたのです。そのときは本当にすがる思いだったので感動しました。 今まで母乳が足りてなくてごめんね体重チェックもなんとか合格をもらい、無事に退院してからはとにかく搾乳器で搾乳する日々でした。徐々に母乳も増え、1カ月を過ぎたころになると1回に50~80mlを搾乳できるまでになりました。 すると、授乳の時間が楽しくなって気持ちも前向きになり、今までは「母乳が足りてなくてごめんね」と娘にマイナスな気持ちばかり伝えていたのですが、「私を母親にしてくれてありがとう」という気持ちがこみ上げてくるようになりました。 その後、搾乳器を使わなくても娘がごくごくと音を立てて飲めるようになり、「搾乳器を使用したことで母乳の出を促してくれたのかな?」と思っています。現在は「標準より少し大きめだね」と言われるぐらいにまで成長してくれていて安心しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:川口さゆり1歳の娘をもつ母。山暮らしを満喫しながら小さなお店を営んでいる。娘のめざましい成長に日々一喜一憂。
2019年10月23日現在、3人の子育て真っ最中の私。3人目を妊娠中のときはつわりで苦しんだり、引っ越しがあったり、とにかくバタバタしていました。当時は母子健康手帳と一緒に歯の定期健診の補助券をもらったものの、結局歯医者には行けずじまいで出産を迎えたのです。そして3人の子育てにも慣れてきたころに奥歯に違和感が……。ここから始まった長い長い歯の治療体験談を紹介します。 自分の体を後回しにした結果の歯痛2人目が2歳を迎えて気長に考え始めた3人目でしたが、すぐに妊娠がわかり、同時に一戸建てを購入しました。男兄弟2人の世話をしながらつわりに苦しみ、さらには引っ越しでバタバタしていたところ、あっという間に臨月を迎えていました。 母子健康手帳と一緒に歯の定期健診の補助券を貰っていたことを覚えてはいたのですが、歯の痛みもないし、何より時間がなかったので結局健診には行かずじまいでした。しかし3人目を出産して3カ月ほど経ったころ、左下の奥歯に何だか痛みが……。これはおかしいと思い、急きょ歯医者へ行くことにしたのです。 結果は経過観察だが痛みは増すばかり診察してもらったところ、左下の奥歯の虫歯が神経の近くまで侵食しており、これが痛みの原因になっているとの診断でした。虫歯の治療法として神経を取る選択肢もあったのですが、できるだけ神経は取りたくなかったのもあり、痛み止めの薬を定期的に歯に塗ることで痛みを軽減しながら虫歯の治療することになりました。 しかし1カ月ほど経っても、痛みは増す一方で一向に良くなる気配もなかったため、結局歯の神経を取ることになったのです。 これだけじゃない! さらに降りかかる悲劇奥歯の神経の処置も終わり、これでひと安心かと思っていたのですが、ある日痛みを感じないはずの奥歯に痛みが走り、夜も眠れないほどになってしまったのです。実はこの痛みは神経を取った奥歯ではなく、その横の親知らずの虫歯が原因だったのです。 親知らずを抜くことになり、授乳中だったため痛み止めや抗生物質などの薬が飲めるのか不安でしたが、授乳中でも問題はないと言われました。無事抜歯も終わりましたが、気が付いたら痛みから解放されたのは違和感を覚えてから3カ月後になっていました。 痛みに苦しむ期間も長く、子どもを連れて歯医者に通う大変さを痛感して、産前に歯の健診に行っておけばよかったと思わずにいられなかったのは言うまでもありません。ママの歯のケアはどうしても後回しになってしまいがちですが、今後は子育てをしながらも歯の定期健診には通おうと思ったできごとでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2019年10月23日2人目を出産し、生理が再開してみると最初は軽かったのにだんだんと重くなり……。ついには病院へ通うようになった私の体験談です。 出産前、私の生理はとてもラクでした月経周期が規則的で、生理痛が多少はあるものの、2日目に痛み止めを飲めば済む程度だった私。 友人が生理不順で婦人科に通っていることを聞いても、「大変そうだなぁ」と他人事のように感じていました。 月経開始が早かったこともあり、どこか自分は「慣れている」と思っていた部分もあったように思います。年齢や体調によって生理の状況が変わっていくとも知らずに……。 漏れが怖くて出かけられない!私の生理が大きく変化したのは、次男の授乳が終わった2カ月後に生理が再開したときでした。最初は経血の量が少ない他には特に変わった点はなかったのですが、徐々に月経周期が乱れ始め、生理前にイライラするようになり、ついには大きなレバーのかたまりのような経血が出るように! どんなに大きな生理用ナプキンを使っていても1時間に数回取り替えなければならず、外出もままならない状態に。これはおかしいと婦人科に相談してみることにしました。 原因は“冷え”でした婦人科で検査をしてもらったところ、幸いなことに問題は見つかりませんでした。では、どうして生理が重たくなってしまったのか。 先生の見立てでは“冷え”が原因では、とのことでした。漢方薬を処方していただき、毎日服薬してみると、生理が徐々に落ち着いてきました。 さらには、それまで感じていた日中の眠気、体のだるさ、夜中に目が覚めるなどの細かな不調までもがラクに! 夜間授乳の習慣で、体のリズムが整わないのだろうと思っていたのですが、先生によると、どれもが冷えから来る症状だというお話でした。 こうして振り返ってみると、小さな不調も体からのサインだったのだなぁと思います。子どもの体調ばかりに気を取られてしまい、自分の体に目を向けていなかったことを反省。これからは自分の体のメンテナンスも心がけようと思いました。婦人科に通院するようになって、乳がんや子宮がんの検診も受けるようになったので、生理の変化は私にとって自分の体に目を向けるいい機会だったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月22日第1子出産時は専業主婦だったのですが、その後個人事業主として開業し、第1子が4歳のときに第2子を妊娠しました。そのときにいくつか困ったことがあったので、紹介したいと思います。 産休・育休がとれない当然のことですが、どこかの会社に雇われているわけではなく自営業なので、産休・育休という制度がありません。労働基準法では産前6週間と産後8週間は休業と定められおり、それ以上休みたくても出産・育児のための休暇とは見なされないのです。そのため、それ以上休んでしまうと「第1子も家庭保育が可能」と見なされてしまい、第1子が保育園を退園させられてしまう可能性がある、と保育園や行政から言われました。もしそれが嫌なら、第2子も生後2カ月で保育園に預けて働いてください、ということでした。2歳から通っていた保育園を退園させられてしまうのは子どももかわいそうでしたし、私としても不本意極まりないことでした。かといって、生後2カ月で子どもを預ける気にもなれませんでした。 何度も行政担当者と話し合い、なんとか生後6カ月までは第2子を自宅でみて、第1子は保育園に通えるようにしてもらいました。 収入がなくなる自営業者は雇用保険に入れないので、出産手当金や育児休業給付金などはもらえません。誰かを雇っているわけではなく個人で仕事をしているので、仕事を休んでいる間は収入がゼロ。産休・育休はもう少し長くとりたい、でも休んでいると収入はない⋯⋯。女性の個人事業主として、これはとてもつらく悩ましい現実でした。 取引先にもできるだけ迷惑をかけぬよう、結局産前はギリギリまで仕事をしていました。 仕事がなくなる不安自分が出産のために仕事をお休みすることを、すべての取引先に伝える必要があります。みなさん「おめでとうございます、頑張ってくださいね!」と応援してくださるのですが、産後にまた仕事を依頼してくれるのか、これまで引き受けていた仕事が他の方に回ってしまうのではないか、産後に仕事がなくなったらどうしよう⋯⋯という不安も大きかったです。しかし、そこで仕事が途切れてしまった場合は自分の力不足だったということ。気持ちを切り替えて出産に挑み、産後も仕事を整理する良い機会だと捉えるようにしていました。 働き方改革や女性の社会進出などが叫ばれている昨今ですが、既存の労働基準法を見てみると主に男性向けにつくられているんだろうな⋯⋯と感じることが多いです。妊娠・出産・育児を経験する女性が、もっと臨機応変に仕事や生活のスタイルを選べる社会になってほしいものです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じてお住いの地域の行政・保育課などに相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2019年10月22日私は夫と付き合ってすぐ妊娠したため、結婚から出産までのスピードがとても早く、出産時期には“恋愛真っ最中”の間柄でした。出産時に便が出てしまう人もいるということを知って、当時はそんな醜態を見せるなんて恥ずかしくて恥ずかしくて、とても集中できなさそう……と思っていました。立ち会いたいという夫の気持ちを考慮しても、羞恥心にはどうしても勝てず。悩んだ末に私は立ち会い出産をしないことにしたのです。 浣腸はしないんです実は私、姉が出産時に前期破水で入院したため、様子を見に病院へ頻繁に通っていました。なので「出産時のうんち事情」についてはほんの少し知っていたのです。それまでは、陣痛がまだ弱いうちに浣腸をして、出産時に便が出てしまわないようにするんだとばかり思っていました。 しかし、最近は違うようで、出産時に便が出ることはよくあるらしいのですが、出産前に浣腸すると便も液状になるため衛生上悪く、固形物のほうが処理しやすいのだと、姉が助産師さんから説明を受けたとのこと。それを後から聞いた私も衝撃を受け、「えー!?」と叫んだほど。人前でうんちするなんて、いくら助産師さんは慣れっことはいえ、なかなかハードルが高いなとは思います。 出産当日の便事情は……姉は、結局出産前日に食べ過ぎたことが原因で当日下痢をし、「全部出た」とのこと。しかし、病室で陣痛を我慢している間には、やはり少し下着に便がついたそうで、旦那さんにわからないように、汚れた下着を母が回収してくれたそうです。 私はというと、自分なりの対策として、陣痛が来てからまだ動けるうちにLDR備え付けのトイレにこまめに行き、なるべく自然に便が出るようにしました。本格的に痛くなってからは、出たかどうかもわからないくらい苦しみましたが、仮に出ていたとしても、“ちょっと”だったと思います。 そもそもなんでうんちが出るの?陣痛の感じ方は人それぞれだと思いますが、私の場合では、陣痛がピークに達したときには、おなかの中から膨らんでくるような強い痛みが襲ってきたのです。このとき、体に強い力が入ってしまいました。 しかし、体に力を入れることにより、赤ちゃんに酸素が行かなくなってしまうので、深く息を吐いて力を入れないようにと助産師さんから聞き、必死にいきみ逃しをするように。ですが、いきみ逃しも長くは続けることができずに陣痛が来るたびに“うんちを踏ん張る”ような状態になってしまいました。そのため腸に残っている便が出てしまったのです。 私は、恥ずかしいという気持ちから「赤ちゃんの産声を聞きたい」という夫の気持ちを押し退けてまで、立ち会い出産をしませんでした。しかし、出産後の今も立ち会い出産をしなかったことに後悔はありません。出産時にうんちが出てしまう可能性があるなら、いくら夫婦だからといっても、立ち入られたくはないと感じているからです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:中村ちはる一女の母。37歳での妊娠、出産を機に医薬品関連商社を退職。現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月21日赤ちゃんが高熱を出して受診すると、最初に疑われることが多いのが突発性発疹。突然の高熱にびっくりするママさんも多いと思いますが、本当に怖いのは熱が下がった後でした。娘も生後10カ月のときに発症したのですが、初めてのできごとに私のほうが参ってしまったほど。その後、突発性発疹は別名“不機嫌病”とも言われることを知り、納得しました。 初めての高熱にびっくり! 慌てて病院へ娘は生後10カ月になるまで病気知らずの健康児でした。この日もいつも通り遊んでいたのですが、少し熱っぽい気がして測ってみると38度。初めての風邪かな? と思っていたら、30分後には40度に!! 慌てて近くのかかりつけ医のところに駆け込みました。 不安な気持ちで診察を受けると、「まだ確定はできないけど、解熱と共に発疹が出てくるようなら突発性発疹でしょう」とのこと。つらそうなときに使うようにと解熱剤をもらって帰宅しました。 慌てる私とは対照的に冷静な娘初めて経験する娘の高熱に、私は大慌てでした。夫も仕事を早めに切り上げてゼリーなどを買って帰宅してくれました。 肝心の娘はというと、いつもよりお昼寝の時間が長かったこと以外は普段通り。あまりつらそうではありませんでしたが、38~39度の熱をキープしていたので、寝る前だけ解熱剤を使用。医師から「子どもは高熱でもいつも通り遊んじゃうから、無理は禁物」と言われていたので、解熱後も自宅でできるだけ安静に過ごしました。 解熱して一安心! しかし恐怖はここから…発熱してから3日後、ようやく37度まで熱が下がり、一安心しました。それと同時に娘の首辺りに発疹を見つけました。念のため受診すると、「突発性発疹で確定でしょう」とのこと。 病院から帰宅して一息ついたところで、娘の不機嫌が始まりました。とにかく、1日中泣く! 怒る! ぐずる! まるで人が変わってしまったかのようで、私も夫もお手上げ状態です。ちょっと早めのイヤイヤ期? とも思いましたが、嫌がっているというよりも本当にただの不機嫌でした。 知って納得、別名 不機嫌病!あまりにも機嫌が悪いので、どこか痛いんじゃないかと心配になり、病院に電話しました。すると先生が、「それも突発性発疹の特徴だ」と教えてくれました。別名“不機嫌病”とも言われていることも教わり、インターネットで体験談を調べてみると、娘の症状とまったく同じ!! 病気の症状にそんなものがあるなんて知らなかったので、びっくりしました。それと同時に気持ちがラクになり、娘の不機嫌にもやさしく応じる事ができました。 初めての育児は知らないことばかりです。私も、原因がわからない娘の不機嫌に、気がおかしくなってしまいそうでした。しかし理由がわかるだけで気がラクになり、娘と向き合うことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:及川 ひまり1歳半の娘の母。出産を機に仕事を退職し、現在は専業主婦。わんぱくな娘と4匹のわんちゃんに囲まれて賑やかに暮らしながら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月21日オーストリア在住ライターの矢乃さきです。去年の夏、息子が生後6カ月のときに、初めて息子と高速列車に乗ってヨーロッパを旅しました。今回は、そのときの体験から「赤ちゃん連れ海外旅行で驚いたこと」をご紹介します。 おむつ台の位置が高過ぎる!!ドイツのミュンヘンからベルリンまでの移動は、高速列車の子連れファミリー専用シートを予約しました。子連れファミリー専用シートは個室になっており、他のファミリーと相席にはなりますが、運が良ければベビーカーも個室内にたたまずに置けるので、赤ちゃんをベビーカーに乗せたまま移動することができて快適でした。おむつ台は車両によってさまざまで、トイレにある場合もあれば、子連れファミリー専用シートの個室内にある場合もあります。しかし、驚くべきはそのおむつ台の高さ! 身長150cmの私の肩ぐらいの高さのおむつ台もあり、動く車内でのおむつ替えにはかなりの苦戦を強いられました。 ドラッグストアで無料おむつ替え?!ヨーロッパでよく見かけるドラッグストアの“dm”。もちろん、オーストリアにもあり、ベビーフードやベビー用品をよく購入しているのですが…… ドイツ(ベルリン)のdmは、他と少し違いました! なんと、無料でおむつ替えができちゃうのです。店内におむつ替えの台があり、おむつやおしり拭きはもちろん、消毒液や、おむつ台を清潔に使うための使い捨てシートなど、設備も充実。このサービスは、おむつをサイズアップしたいタイミングに、無料でおむつを試すことができるので、サイズの合わないおむつを大量に購入する必要がなく、とても便利なサービスだと思いました。 ベビーカーが巨大!ヨーロッパの街中で見かけるベビーカーは本当に大きいです。特に月齢の低い赤ちゃん用のベビーカーは、ベビーベッドを運んでいるかのような大きさ! 石畳の多いヨーロッパでは、サスペンションがしっかりしたタイヤが太めのベビーカーじゃないと、乗り心地はもちろん、ベビーカーを押す方もスムーズに進まず苦労することに。息子のベビーカーは日本から持参した軽量の小さなものだったので、その後買い換えることに…… 。 子ども連れの海外旅行では、赤ちゃんと一緒だからこそ気づける日本と海外の違いに驚いたり、駅や街中でベビーカー移動を手伝ってくれる人たちのやさしさに触れて感激したりと、大人だけの旅行では経験できないことが盛りだくさんです。驚きも海外旅行の楽しみの一つ。たくさんの経験を息子と一緒にこれからも楽しんでいきたいです。 著者:矢乃さきオーストリア在住の元webメディア編集者。夫・息子との3人暮らし。出産を機に移住した海外での育児経験に基づき、体験談を中心に執筆中。
2019年10月21日子どもが生まれると出費も多くなるため、知人からおさがりがもらえるとうれしいですよね。私も、職場の人や友人にベビー服やベビーカーなどおさがりをたくさんもらいました。ただ、そのときに悩んだのが「お礼の仕方」です。意外と多くの方が悩むことではないでしょうか。今回は、私がおさがりをもらったときのお礼について紹介します。 周りから多くのおさがりをもらった初めての妊娠・出産の場合、準備するものがたくさんあって出費が激しい……。そんなときに職場の同僚や友人からベビー服をはじめ、おもちゃやベビーベッド、チャイルドシートまで、本当に多くのおさがりをもらってとても助かりました。 私の知人の場合、「どうせ不要なものだから、もらってくれるとうれしい」と言う人が大半でした。おさがりをもらう側もあげる側もメリットがありますが、やはりもらいっぱなしとはいきませんよね。どうお礼をするべきか考えました。 食べ物や消耗品を贈るお礼に現金や高価なものを贈ると、失礼に当たることもあるかもしれません。そこで私は、洗剤などの消耗品やお菓子をお礼として贈ることにしました。よく贈ったのが日持ちのする焼き菓子やギフト用のパンです。 特にに私の周りでは、パンが喜ばれました。また、子どもが喜ぶ雑誌や文具と一緒に贈ったこともあります。金額はベビー服の場合は1,000円程度、ベビーベッドなどの高額商品は3,000~5,000円以内を目安にしました。 お礼はいらないと言われた場合ベビーカーをくれた職場の先輩に「お礼はいらないよ」と言われました。いらないと言っているのにお礼をすると失礼かもしれませんが、私の性格上、何もせずにいられませんでした。 そこで1,000円以下のお菓子とわが子がベビーカーに乗っている写真、手紙を添えて贈ることに。すると先輩は、特に写真と手紙に喜んでくれましたよ。おさがりを大切に使っていることや感謝の気持ちを伝えることも、お礼の1つだと思いました。 おさがりをもらう側だった私ですが、今度は私があげる側になっています。一番うれしかったのが、私があげたベビー服を着ている子どもの姿を見たときです。きちんと使っている姿を見ると、あげてよかったという気持ちになりますね!著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月20日みなさんは、妊娠中の性行為についてどう思いますか? 今日は、私の妊娠中の話をお伝えします。安定期が過ぎたころ、「たまにはしてみる?」と妊娠中の性行為に挑戦しました。ところが、普段とは違う体でなかなか思うようにいきませんでした。 安定期に突入。そろそろしてみる?妊娠がわかってからは、私の体を気づかい、妊娠中の性行為はお休みしていました。安定期に入ったころ、体調も落ち着いてきたので、「たまにはしてみる?」と夫からお誘いがありました。 病院で健診を受けた際にも「夫婦生活をするようなら無理しないようにね」なんて言われていたので、おなかの張りなど、違和感があったら中断しなくてはいけないことなどを夫に伝えて、妊娠中の性行為に挑戦しました。 休憩や中断ばかり。気まずい空気にいざしてみると、私の気にしすぎかもしれませんが、おなかの張りを感じることが多く、夫に「ちょっとストップ」をかけることが多々ありました。 休憩している間に、お互いそんな気分でもなくなり、「今日はもうやめておこうか」と中断したり、横になっていたらお互いいつの間にか寝ていた、なんてことも。夫は「気にしていない」とは言ってくれていましたが、なんだか気まずくて、そもそもそこまでしてすることなのか? とも思い始めていました。 性行為よりもスキンシップ思うようにいかないことに、夫も不満なのではないかと思い、思い切って聞いてみました。すると、「休憩も中断も仕方ない。それに別に気にしていない。できなくても一緒に寝るだけでお互い安心できるんじゃないかな」と言ってくれて気がラクになりました。 それからは、中断したときは一緒におなかをさすりながら話をしたり、「今日はどこまでできるかな~(笑)」なんて冗談を言ったりしながら、のんびり性行為ができるようになりました。 妊娠中の性行為は、普段通りとはいきませんでしたが、夫の理解もあり、「性行為をする」ことより「スキンシップをする」ことが大切だと、夫婦で確認することができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年10月20日私が2人目を妊娠中(妊娠5カ月)のとき、長女が通っている幼稚園の親子遠足がありました。遠足の行き先は山! 平日のためにパパは仕事を休むのが難しく、両親や義両親には付き添いを頼むのが厳しい状況。悩んだ末に私が一緒に行くことになり……。 妊娠5カ月、娘の遠足先は長七郎山!娘が通う幼稚園では、毎年1回親子で出かける親子遠足があります。年中になった娘の遠足先は長七郎山! 群馬県にある赤城山系の長七郎山は標高1,579mで、5時間程度かけてゆっくり登って下山するという予定でした。妊娠中の登山経験はなかったため、娘に付き添って行くかどうか悩みました。それでも、独身のころに登ったことのある山だったこと、妊娠の経過が順調だったことから、幼稚園の先生や産科の先生にも許可を得て登ることに決めました。 登山に向けて少しずつ体力をつけるいくら登ったことがあると言っても7、8年も前のこと。当時のほうが体力も筋力もあったし登れるのだろうか……? という不安がありました。親子遠足で長七郎山に登ったことのある同じ幼稚園のママに様子を伺ったところ、 「結構疲れるよ」 という話を聞いたため、プールや娘との散歩などで積極的に体を動かして少しずつ体力をつけるようにしました。また、週に1回掃除のパートをしていたので、仕事でも体力をつけられるように意識して体を動かしていました。 準備万端でいざ登山!いよいよやってきた親子遠足の日。絶対に無理はしないということで、いざ登山スタート。基本的には先に子どもたちと先生が登り、その後から保護者がついて行くという流れだったのでゆったりとしたペースでした。 私の不安とは裏腹におなかが張ったり痛くなったりすることはなく、無事に娘と登頂! 頂上でおいしいごはんを食べて、怪我もなく下山することができました。リュックや靴などの装備が登山専用の物だったことも、体への負担を減らすことができた要因ではないかと思います。妊娠してトイレが近くなっていたので携帯トイレを持参しましたが、今回は使わずに済みました。 安定期に入ってはいたものの、妊娠中という状態で参加した今回の親子登山。事前に幼稚園の先生たちと不安なことや妊娠の経過について何度もやりとりをして、実現することができました。娘とも思い出に残る経験ができて本当にありがたかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年10月20日産後、里帰りせずに自宅へ戻るママさんもいると思います。特に上の子がいると不安が大きいのではないでしょうか。私も同じく自宅へ戻り、怒涛の日々を過ごしていました。そんなある日、とても心温まるできごとが。そのときの話を聞いてください。 里帰りせず、すぐに自宅へ私は3人目を出産後、里帰りをしませんでした。理由は、母を亡くしていたため実家には父親だけだったということと、夫が5日間ほど休みを取ってくれていたことでした。 頼りたい実母はいないけれど、夫がいるからきっと何とかなるだろう、と思ってのことでした。もちろん、上の2人の子どもたちも一緒の自宅です。不安はありましたが、“やるしかない”という状況でした。 3人の乳幼児と、てんやわんやの日々上の子と言っても、まだ4歳と2歳。そのなかに新生児が加わって、わが家の日常は一変しました。 特に夫が通常勤務に戻ったあとは、ひとりで3人の乳幼児を見ていたので、下の子が泣いていてもすぐには抱っこしてあげられないことも多く不安がつのりました。よくひとりで泣いていたあのころ、今思うと産後の感情の変化もあったかと思います。 私を見てくれていた人がいた……!そんな怒涛の日々を過ごしていたある日。ゴミ出しで外に出たときに、「突然ですみません。もう不要になったおむつと母乳パッドをもらっていただけませんか?」と声をかけられました。 その方は、あいさつ程度しかしたことのないご近所の方でした。驚きと同時に、必死で子育てをする私を見てくれていた人がいたんだ! と感激して、涙が出てきました。 ご近所付き合いが希薄だと言われている昨今ですが、地域の方々も子育てを頑張っているママをきっと見てくれていると感じました。あのとき、ご近所の方がおむつや母乳パッドを譲ってくださったできごとは、今でも私の心の支えになっています。著者:山野美由紀二男一女の母。出産を機に、プログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月19日出産予定日を1週間過ぎても兆候がなかったため、入院して誘発分娩をすることになった初めての出産。バルーンを挿入しても鈍い痛みが続くだけで陣痛は来ず、陣痛促進剤を点滴してからも一向に赤ちゃんが降りて来なくて、疲労と眠気で意識はもうろう……。そんな私の出産体験記をお話しします。 バルーンが抜けちゃった?!入院した日の夕方に、子宮口を広げるためのバルーンを挿入してもらいました。挿入時に痛みはさほど感じませんでしたが、前駆陣痛(ぜんくじんつう)のような鈍い痛みがずっと続いて、夜も眠れませんでした。 朝方、大をもよおしてトイレに行ったときに軽くいきむと、挿入してもらったバルーンが出てきてしまいました。タンポン感覚で自分で入れられるかと思いきや、どうやら外れてしまったようで、朝の内診で先生に「抜けちゃってるね〜」と言われてしまいました。 陣痛促進剤を点滴してからの長い苦しみバルーンでは効果が出なかったので、今度は点滴で陣痛促進剤が投与されました。 そこからは、長い痛みが定期的に訪れるようになりましたが、陣痛というものがどんな痛みなのか、何のイメージもない私にとっては、ただただ先の見えない逃れられない痛みに感じました。トイレに行くのも立ち上がるのもやっとです。 ついてくれた助産師さんに痛みの逃し方などを教えてもらいながら、やっと分娩台へ行きましたが、もうすでに力が入らないような状態でした。 帝王切開に切り替える……?!産道が硬く、一向にお産が進まないので、私の疲労がピークに達してしまいました。意識がもうろうとするなか、「帝王切開に切り替えよう」という判断が出ました。 ここまで頑張ったのに残念な気持ちでいっぱいでしたが、医療用のソックスを履かせてもらい、手術に向けて準備。しかし、なんとその間に赤ちゃんが産道を降りてきて普通分娩で生まれてきました! 陣痛が始まってから1日以上かかって、やっと待望の赤ちゃんと対面できたとき、涙があふれました。出産の大変さを身を持って感じたとき、改めて母に感謝したことを覚えています。母は偉大だな〜と思った瞬間でもありました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:山田孝子不妊治療を経て高齢出産し、現在は三児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は旅行、仏像鑑賞、モノづくり。
2019年10月19日2歳ごろからトイトレに取り組むママも多いですが、私は娘が3歳になってからトイトレを始めました。その理由とともに、実際にトイトレをどのように進めたのか、わが家の体験談をご紹介します。 3歳までトイトレを待った理由私が娘のトイトレを3歳から始めた理由は、2つありました。1つ目は、「3歳からトイトレを始めたら、2週間ほどで終わった」とママ友から体験談を聞いていたこと。トイトレは大変ってよく聞くし、少しでも短い期間で終わったほうがラクかも、と思ったからです。 2つ目は、娘のおしっこが頻回だったためです。膀胱にあまり尿を溜めることができなかった娘と、2歳のうちからトイトレを始めるのは大変かなと思い、3歳からスタートすることにしました。 2歳8カ月のときにチャレンジするも延期することにうちの娘がどれくらい頻回だったかというと、1時間に3~4回おしっこをしていました。そして、1回の量がとても少なかったんです。 2歳8カ月のころに、一度トイトレを開始しました。4層のトレパンを履かせていましたが、おしっこの量が少なすぎてトレパンから漏れず、本人もお漏らしを気にしないという事態。そこで、トイトレ時期は今じゃないと判断し、「3歳になったらパンツにしようね」と娘と約束しました。 ただ、本格的なトイトレはしなくても、トイレに連れて行って便座に座らせてみたり、トイレに関する絵本を読んだりして、トイレに興味は持つように誘導。トイレに行くのを嫌がらないように、気をつけていました。 3歳の誕生日! いざトイトレ開始「3歳になったらパンツにしようね」と約束していたので、娘もやる気満々です。さらにやる気を高めるために、パンツを一緒に買いに行くことに。3歳からのトイトレ開始時には、トレパンではなく普通の綿パンツを履かせることにしました。 薄い綿パンツは少量のおしっこでも、「濡れる感じ」を娘も実感。少しおしっこが出ただけでも、知らせてくれるようになりました。 はじめのうちは、午前中だけで手持ちのパンツがなくなることも。でも、薄い綿パンツは洗濯してもすぐ乾くので、夕方には再度トイトレに取り組めました。 急に膀胱におしっこを溜められるようにはならないので、食事の時間の前後や1時間ごとなど、時間を決めてトイレに誘い、開始から2カ月でおむつが無事にとれました。実際には、ママ友から聞いた体験談のように2週間で終わりませんでしたが、私と娘には3歳からのトイトレが合っていたようです。著者:田中友奈5歳の長女、2歳の長男、2児の母。妊娠を機に営業職を退職し専業主婦となり育児を満喫し、長女の幼稚園入園を機にライターに転身。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月17日私は里帰り出産をせず、出産後も実家に帰省しないで自宅に戻りました。夫と2人だけで産後を乗り切れるかどうか不安はありましたが、夫は帰りの早い仕事ということもあり、どうにかなりました。私と夫と赤ちゃんの産後1カ月についてお伝えします。 出産後も帰省はせずにそのまま自宅へ出産後、自宅に戻った私は、買い物はコープの配達を活用。食事は夫が作るか買ってきたもの、掃除・洗濯は自分でできる範囲で夫と分担しました。 生まれたばかりの赤ちゃんも、授乳やおむつ交換などのお世話はありますが、寝ていることが多く、私も一緒に休むことができました。親に甘えられない大変さはお互いにありましたが、どうにか生活はできました。 夫が“父親”になっていく帰省しなかったことで、生まれたばかりのわが子と一緒にいられることに夫は大喜び。毎日顔を見ていると赤ちゃんのために何かしたくなるようで、赤ちゃんをよくかわいがって積極的にお世話をしてくれるようにもなっていきました。 驚いたことに、興味がなかった家事も手伝ってくれるように! 今まで私にお世話されるばかりだった夫を思うと、とても大きな変化でした。 新生活への適応が早い私自身は、出産後1カ月間は体の回復を優先しましたが、そのなかでも赤ちゃんのお世話や洗濯たたみ、片付けなど、簡単な家事をこなして、赤ちゃんのいる新生活にもすぐに慣れることができました。 体が回復してくると、できることも増え、地元の子育てに便利な情報もチェックするなど、余裕が出てきました。もし帰省していたら、大荷物を抱え、1カ月後にアパートに戻り、夫と喧嘩しながら部屋を片付けたり、生活に必要な物を揃えたりしていたかもしれません。 いろいろな事情で、里帰り出産や産後に帰省することができない場合もあると思います。赤ちゃんと生活をするのは自分の家。大変でも帰省せずに自分の家で産後を過ごすことも、これはこれで利点があるように感じました。 著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫早産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月17日私は娘が生後2~4カ月のころを思い出すと、今でもとても心が痛くなります。あのころの私は心身ともに不調続きで毎日とてもつらく、必死に育児をしていました。私なりに頑張ってはいたのですが、娘に「本当にごめんね」と謝りたいできごとがありました。 泣く娘をすぐに抱いてあげられなかった私は娘が生後2カ月のころに産後うつを患ってしまい、娘が泣いてもすぐに反応してあげられないことがありました。 娘が泣いている、抱いてあげなきゃ、あやしてあげなきゃ……とは思うのですが、なぜだか体が動かないのです。そのうちなんとか抱っこしに行くのですが、ベビーベッドの前まできて立ち尽くしてしまうこともありました。私が抱っこするまで泣き続ける娘の姿を見て、娘は悲しかったのだろうなと思いました。 私の通院のために何度も病院へ産後うつに加え、乳腺炎で高熱が出たり、眠れなくなるほどの股関節痛に襲われたり、薬のアレルギー症状で全身にむくみが出て倒れたりと不調が続き、短期間に何度も病院へ行くことになりました。 平日の日中はほぼワンオペ育児だったわが家では、そのたびに娘も一緒に病院へ連れて行くしかありませんでした。毎回、娘が風邪をもらってきたりしないか、長時間の外出で娘に負担をかけていないか、心配でたまりませんでした。 体調不良の軽快とともに、罪滅ぼしを娘が生後半年になるころには、私の産後うつや、他の体の不調も軽くなっていました。そのころから、娘が泣いたらすぐに抱っこしたり、あやしたり、それまでの罪滅ぼしをするようにスキンシップをするようにしました。 「今まで本当にごめんね。これからはいいママになれるように頑張るね」という気持ちでした。すると、だんだんと娘の泣く頻度が減り、泣き止むまでにかかる時間も短くなっていったような気がします。 私のことで娘に負担をかけてしまったのは事実です。しかし、病気にかかることは本人の特性もあり、仕方ないことだと思います。「ごめんね」と思うことがあっても、その後に「ごめんね」と思った分以上にかわいがってあげるようにしたいなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。
2019年10月17日二世帯住宅で同居している義母は、孫であるわが子をとてもかわいがってくれており、私に用事があるときは、喜んで預かってくれます。しかし、子どもを預けた際に必ずおこなわなければならない謎の「義母ルール」があり、同居していても気軽に預けられないのです……。 もっと遊ばせてあげたいけど…毎日会っているにもかかわらず、義母は孫であるわが子が大好きで、とてもかわいがっています。進級や誕生日など節目には必ずプレゼントをくれて、親なら二の足を踏むような高価なおもちゃでも買ってくれるので、わが子もおばあちゃんが大好き。 わが子を預けるときは、義母もわが子もとても喜ぶので、本当ならもっと預かってほしいのです。しかし、“子どもを義母に預けた日は必ず外食をごちそうしなければならない”という謎の義母ルールが足かせになり、なかなかお願いできません……。 はっきりそう言われたわけではないけれど…この義母ルール、面と向かってはっきり言われたわけではありません。気がついたのは、義妹が義母に子どもを預けたとき。 普段、義妹は子どもを保育園へ預けて働きに出ているのですが、たまたま日曜日に出勤しなければならないことがあり、義母に義妹宅まで出向いてもらって子どもの面倒を見てもらっていました。 その日の夕方、家に帰ってきて怒っている義母。理由を聞くと「『ありがとうございました』ってお礼だけで、夕飯もごちそうしない」とのこと。これが初めてではなく、以前にも何度か託児に出向いていたのですが、いつも義弟(実の息子)と食事をしてから帰ってきていたのだそうです。その日は義弟も残業で帰ってこなかったので、ひとりで帰されたとご立腹でした。 義母にわが子を預けづらいそれまで義母に子どもを預けたことが数回ありましたが、そういえば「疲れたから外で食べようか」と夫が声を掛けて外食したり、テイクアウトで持ち帰ったものを夕食にしたり……ということがたまたま続いていたな、とハッとしました。 それが義母の基準になってしまったのか、もともと持っていた常識なのかはわからないのですが、ルールに気がついてしまうと預けるにもお財布と相談になってしまって、なかなか気軽にお願いできないでいます……。 気軽に子どもの面倒をお願いできないことに関しては、せっかく同居なのに……という残念な気持ちもあります。しかし、用事があるときに子どもを預かってもらえるととても助かりますし、そのお礼を表現する手段として“みんなで食事”というのは義母だけでなくわが子も楽しいので、いい方法なのかなと思います。 著者:武田沙季子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月16日第二子を予定通りに妊娠し、もうすぐ4人家族になる! と思っていたら、まさかの双子であることが判明した私。子宝に恵まれて幸せは幸せだけれど不安もあって……。双子妊娠によって、幸せな気持ちと不安な気持ちに葛藤した私の体験談を紹介します。 第二子がまさかの双子?!長女が2歳になったころ、第二子を妊娠していることが判明しました。出産時期も夫と私の計画通りになり、子どもが2人になることが楽しみになりました。しかし、いざ産婦人科で調べてもらうと、双子である可能性が浮上。予想外だった双子妊娠に、妊娠初期は幸せな気持ち以上に不安な気持ちになることが多々ありました。 一卵性の双子に確定毎日長女の相手をしながら、生まれてくるおなかの子たちのことを思うと、それは幸せなことのはずなのに、妊娠数週が進むにつれ、不安や悩みは深まるばかりでした。 長女の子育てをしているからとはいえ、一気に3人の子どもをどのように育てたらいいのか、長女にさみしい思いをさせてしまうのではないか、自分に3人の子どもの母親が務まるのかなど、不安に押しつぶされそうになる毎日でした。 もう開き直るしかない!?子どもが一気に3人に増える不安から、「ママの実家の近くに引っ越そう」と夫が言い出してくれないかな……と、密かな期待をしていましたが、それは難しそう。悩みきった私は「もう、私が開き直るしかない!」「私は3人の母に選ばれたんだ!」という自信に、思い切って気持ちを切り替えました。 今はまだ出産前なので、リスクなどを考えると、まだまだ不安が消えることはありません。でも、私がいいほうに気持ちを切り替えたことで、長女への接し方にも余裕が出てきたように思います。そのおかげで長女にも笑顔が増え、その笑顔を見ると、私も5人家族になるのが楽しみに思えるようになりました。著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月16日待望の子どもができて幸せな反面、ずっと悩みの種だったのが“満足に寝られない”ということ。子どもを寝かしつけてから家事をし、改めて眠ろうと思うと寝つきが悪くて睡眠不足……という日々が続きました。このままだと体によくないと考え、長子が2歳になったころ習慣を変えました。 うまく寝つけないわが家の子どもの寝かしつけ時間はだいたい20時です。布団へ横になり、寝かせるために子どもの胸をトントンしていると、自分も眠くなってきてウトウト……。そのまま一緒に眠ってしまって30分~1時間くらいしてから起き、残った家事などの仕事を済ませ、いざ眠ろうとすると、仮眠をとってしまったためにうまく寝つけないのです。日付が変わっても寝つけず、ようやく眠ったと思ったらもう朝……という睡眠不足が続きました。 「このままだと体がまいってしまう」と考え、子どもが2歳になったころに思い切って習慣を変えることにしました。 早寝早起きが習慣にそれまでは「子どもを先に寝かせて、残った仕事をすべて片付けてから就寝」という習慣にしていましたが、「子どもと一緒に眠って、朝早起きして残った仕事を片付ける」という習慣に変えました。 20時に寝かしつけを始めると、だいたい30分くらいで寝つきます。朝4時にアラームをセットし、子どもが寝たらそのまま一緒に眠ります。おおよそ7時間くらい眠れるので、睡眠時間は十分。寝つきがいいのですっきりと起床でき、「眠たいのに眠れない」と布団の中でイライラすることもありません。 週末はパパとのコミュニケーション日にしかし、1つ問題が。パパが残業で帰ってくるのが遅いと、朝の一瞬しか会うことができないのです。忙しい期間はそれが何日も続くので、夫婦間のコミュニケーションが足りないなとお互いに思うようになりました。 そこで、週末は子どもを寝かしつけたあと、パパと映画を見たりお酒を飲んでおしゃべりしたりして、“コミュニケーション日”にすることにしました。翌日がお休みなら寝坊しても安心だし、おおらかな気持ちでいられます。 週末寝る時間が遅くなっても、習慣化した早寝早起きがすぐに崩れることはなかったので、この方法でうまくいっています。もともと早起きが得意なタイプなので、この習慣は自分の体質にとても合っていると思います。2人目が生まれたときに1度崩れましたが、夜中の授乳が終わってから再開し、6歳になった今までずっとおこなっています。 著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2019年10月15日出産について、陣痛の痛みと同じくらい気になっていたことが「会陰切開」。自分の体を切るという痛みは、陣痛とはまた違った恐怖です。実際どんな風におこなわれるの? 陣痛の痛みでわからないってホント? などなど私も出産前は疑問だらけでした。最終的に私は吸引分娩のために会陰切開をしましたが、実際してみると想定外のできごとが続々! そんな体験談をお伝えします。 会陰切開って何?会陰切開とは、赤ちゃんが出てくるときに会陰が裂けるのを予防するため、あらかじめ会陰を切ることだそう。恥ずかしながら私は妊娠してから知りました。麻酔なしで切ることもあると知り、驚愕。 いくら陣痛が痛いと言っても、自分の体を切られるというのはまた別の痛みだと思うからです。心配性な私は出産にあたってまた1つ不安の種が増えることとなり、日々お風呂で会陰マッサージをしつつ、切開しなくて済むのを願うばかりでした。 吸引分娩のため会陰切開に!そんななか迎えた出産当日。最終的に私は吸引分娩に切り替えることになりました。そして器具を入れるために会陰切開も決定。「ちょっと切りますね〜」というお医者さんの言葉に、陣痛に耐えつつもまた別の緊張感が襲ってきます。 しかし、お医者さんは麻酔を打ち、あっという間に切ってしまいました。緊張からやたらその部分に意識を向けていたにも関わらず、痛みや違和感はありませんでした。陣痛の痛みでわからないというのは本当なんだ! と感心したのを覚えています。 切ったら縫うことを忘れていたその後無事出産! わが子の産声を聞きホッとしたのもつかの間、会陰に違和感が……。そうです、切った会陰を縫合する作業が残っていたのです。陣痛がおさまったからなのか麻酔が切れてきたからなのか、出産の感動も薄れるほどの不快な感覚が続きました。 我慢できなくはないのですが、針と糸が通るとき、なんとも言えず痛くて気持ち悪いのです。丁寧に縫ってくださるのは本当にありがたいのですが、「もう早く終わってー!」とばかり考えていました。 会陰切開は長い出産のなかのほんの一瞬のできごと。今振り返ってみるとたいしたことはありませんでした。ただ、陣痛は出産すれば終わりますが、会陰切開は出産後縫わなければいけません。産んだあとはつい開放感でいっぱいになってしまいますが、油断禁物だなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:優木このみ2歳女児の母。出産後まもなく、夫の海外転勤のため家族でイギリスに1年ほど滞在。現在は帰国し日本で子育て中。自身の体験を中心に執筆している。
2019年10月15日わが家の長女は生後6~11カ月ごろ、何をするにもママでないとダメという“パパを嫌がる時期”がありました。わが家のパパは比較的育児に協力的だと思いますが、それが裏目に出てしまったのです。そのときの体験談をご紹介します。 イクメンパパが生み出してしまった悪循環わが家のパパは積極的に育児に関わってくれるパパでした。それなのに、娘は生後6カ月ごろから抱っこやおむつ替え、お風呂などパパにお世話されることを嫌がり、激しく泣くようになったのです。 それでもパパは私の育児の負担を軽くするために、無理やり娘のお世話を続けてくれました。しかし、娘は余計に激しく泣くばかりで、結局私が娘を落ち着かせるために労力を使うという悪循環が生まれていったのです。 育児ではなく家事をお願いしてみることに私はそのうち、パパのお世話に大号泣する娘を落ち着かせることに疲れ、パパが家にいることが憂うつになりました。このままではいけないと思い、「娘のお世話は全部私がやるから、その代わりに家事を手伝ってほしい」とパパにお願いしたのです。 パパが娘と関わる時間が減ってしまうため、なかなか言い出せなかったのですが、パパは受け入れてくれました。 パパが家事をしてくれて助かった!それからパパは、食器の片付け、洗濯物干しなどの家事を積極的にしてくれるようになりました。娘との触れ合いが減ってパパが寂しそうにも見えましたが、娘は大号泣することがなくなり、私の気持ちにも余裕が生まれ、わが家の雰囲気はよくなっていきました。 無理やりお世話をされることがなくなったからか、パパの顔を見るだけで泣き出していた娘も、遊ぶときだけはパパでも問題なく接してくれました。 その後、娘は1歳を過ぎたころからパパのお世話を嫌がらなくなり、再びパパがたくさん育児をするようになりました。うれしいことに、この一件でパパの家事能力はアップ! 家事を分担してもらって正解だったなと思ったできごとでした。著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。
2019年10月15日