子育てにはいろいろな方法があり、時代や家庭によって良いとされることやそうでないことがありますよね。今回は、私が第1子を妊娠・出産し、子育てをするなかで習慣にしておいてよかったことを紹介します。 子育てについて夫と情報を共有する初めて出産をしたとき、私も夫も子育て初心者でした。私の場合は妊娠中に妊娠や出産、子育てに関する情報を本やインターネットで調べたり、先輩ママから話を聞いたりしていましたが、夫はあまり自分から情報を収集しないタイプ。そのため、妊娠中から妊娠や出産、子育てに必要になりそうな情報についてはSNSで記事を送ったり、伝えたりして情報を共有していました。娘が生まれてからは、娘の様子や娘に対する自分の対応をなるべく頻繁に伝えることで、一緒にいる時間は少ないけれど子育てについてお互いの意見を言い合えるようになりました。 実家の母とも子育てについて話し合う私のなかでかなり苦戦したのが、実家の母との子育てに対する考え方のすり合わせです。母には母の考え方があるけれど、私が娘を産んだときとは時代が異なります。湯冷ましをあげる・あげないから始まり、娘に対するしつけの仕方など、時にはかなりキツイ言い争いになることもありました。けれど、何かあったときに頼りにする人であったし、何度も私自身の子育てに対する考え方を伝えていくうちに 「あなたの考え方があるんでしょう」 と見守ってくれるようになりました。 友だちと子育てに対する考え方を伝え合う子どもを育てていくうちに知り合った友だちとも、子育てに対する考え方を伝え合うようにしています。そうすることで、一緒に子どもを遊ばせたときにそれぞれの家庭で大切にすることを尊重することができるからです。また 「娘は慣れない友だちには少し攻撃的である」 といったことや 、「子ども同士の喧嘩はできる限り見守りたいと考えている」といったことを伝えることで、子ども同士が喧嘩になってもトラブルになることなく親同士で見守ることができています。 子育てに対する考え方や方法がいろいろあるなかで、自分なりの考えについて周りの人に伝えることを習慣にしたところ、周りの人たちの協力を得やすくなって子育てがしやすくなりました。娘は今4歳。これからも周りの人たちと意思疎通を図りながら楽しく子育てをしていきたいです。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年10月15日出産祝いは、自分では買わないけれどあったら便利だなというものが意外に重宝しました。冬に初産だった私がうれしかった出産祝いをご紹介します。 カサカサしがちな冬に必須の保湿アイテム 新生児のお世話は、ひたすら授乳とおむつ替えの日々。私はお世話の前後には手を洗うようにしていたので、手がカサカサになってしまい困っていました。そんな私に友人がプレゼントしてくれたのは、ちょっと高級なママの保湿グッズでした。赤ちゃんのお世話で荒れがちなお肌を守るためのハンドクリームやリップクリームなど、外出しづらい産後にプレゼントしてもらえて、ありがたかったです。しかも、ちょっと高級なので、使うたびにウキウキできる効果もありました。 ほっと一息つく時間のおともに ハーブティーの詰め合わせのプレゼントも、冬出産の私にはうれしいプレゼントでした。冷え性の私は、体を温めるためになるべく温かいものを飲むようにしています。ハーブティーの詰め合わせは、選ぶ楽しさがあり、自分好みのハーブティーを探すティータイムが、育児中のちょっとしたぜいたく時間に。カフェインが入っていないものを選んでくれたので、寝る前や授乳の影響なども心配せずに飲めました。 用途いろいろ、大判おくるみ aden + anais (エイデンアンドアネイ)のスワドル(おくるみ)は、その存在を知らなかった私ですが、使い始めて便利さに虜になりました。 赤ちゃんをおひな巻き(※)する際に使うと、伸びが良いので縛りやすく、通気性が良いので赤ちゃんも巻かれたままスヤスヤ寝ていました。また、授乳する際には自分の首の後ろで結んで授乳ケープに変身したりと使い方がいくつもあり、おでかけの際には小さく畳んでバッグに入れて必ず持ち歩いていました。 (※)赤ちゃんが丸くなる姿勢でくるむ巻き方。おなかの中にいたときのような体勢でリラックスでき、安眠効果が期待できます。 もらってうれしかった出産祝いは、こうして書いてみると、ちょっと高級で日常使いできるものが私にはうれしいポイントだったようです。そして、赤ちゃんのためだけのものではなく、ママのことを考えているプレゼントに対して、その気持ちがうれしくて、より印象深くなっていると気がつきました。 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年10月14日赤ちゃんが生まれたばかりのころ、初めてのお世話はとっても大変ですよね。私はとにかく赤ちゃんが心配で、暑くはないか寒くはないか、息をしているかなどなど、いつも心配ばかりしていました。そんな産後のあるとき、私は夫とまったく触れ合っていないことに気付いたんです。 産後、夫とのふれあいは耳掃除から生後1カ月に満たない赤ちゃんのお風呂あがりのお世話は大変ですが、あたたかくてやわらかい赤ちゃんの体を堪能できる、私にとって大好きな時間でした。 そんなふうに過ごして1カ月ぐらいのことです。私はキスはおろか夫とまったく触れ合っていないことに気が付きました。軽いボディータッチさえなかったんです。このままでは産後セックスレスになってしまうと焦った私は、以前はよくしていた夫の耳掃除からスキンシップを始めようと思い付いたのでした。 こ、こんな感じだったっけ? 夫の耳掃除を始めようとした私が見たものは、赤ちゃんの耳とはまったく違う、大きくて色が黒く、固い耳。赤ちゃんと違って大人なので、当然といえば当然のことですが、私にとってはとてもショックでした。 「下の子が生まれると、上の子が大きく感じるよ」と先輩ママさんに聞いていたのですが、私の場合、初めての子が生まれたときに夫の耳を「キタナイ」と感じてしまいました。そして、そんなふうに感じた自分にも驚いたのでした。 赤ちゃんと違って大人の耳は汚かった!?それから、実父の耳、スーパーで買い物をしているおじさんの耳など、世間の大人の耳を意識して見るようして過ごしたところ、見た大人の耳、すべてを汚いと感じました。 やがて、赤ちゃんの耳と違って大人の耳は汚いと感じることに慣れていくうちに、夫の耳は普通の耳なんだと納得できるようになったんです。後日、夫の爪を切ったときにも「うわ! 大きすぎ!」なんて感じてしまったことも驚きでした。 「赤ちゃんが生まれると、夫自身だけではなく体のパーツさえもが以前と違って見えてしまうことがある」という経験、みなさんもありませんか? 事前にそんなこともあるとわかっていれば、夫とのスキンシップの際にあまりショックを受けずに済んだのかな? と感じる体験でした。著者:田中良子二児の母で、4人家族。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月14日わが家の第2子・第3子は、2人とも生後6カ月で保育園に入園しました。ちょうどずりばいを始めたころ、こんなに小さくてかわいい時期に預けてしまうなんて⋯⋯という罪悪感や無念さもありました。きっと別れ際には大泣きするんだろうと覚悟していたのですが⋯⋯!? 第2子は大変だった生後6カ月で入園した第2子のときは、それなりに大変な思いをしました。保育園でなかなか育児用ミルクを飲んでくれず、離乳食も食べず、保育時間がなかなか延ばせませんでした。そのため、慣らし保育に1カ月ほどかかったのです。家から保育園が車で30分ほどかかる距離だったため、家には帰らずショッピングモールなどで時間を潰す日もありました。仕方ないと割り切って気長に付き合っていたので、第3子もきっとそのくらいかかるだろうと思っていました。 第3子も生後6カ月で入園第3子も生後6カ月となり、私は仕事復帰。 第3子誕生とともに引っ越したため、第2子のときとは違う保育園へ入園することになりました。2歳になった第2子も、転園というかたちで一緒に慣らし保育をスタートすることに。泣かれるのかな⋯⋯また慣らし保育に1カ月くらいかかるんだろうな⋯⋯と覚悟していたのですが、ある意味親の想像を裏切る結果となったのです。 帰りたがらないわが子たち預けた瞬間は2歳の第2子は不安そうな顔、でも泣きはしませんでした。生後6カ月の第3子は状況がよくわかっておらず、何の反応もなし。なんとか初日は泣かずに行けたな⋯⋯と安堵しました。 そしてお昼前に迎えに行くと、第2子は「ママなんで来たの? まだここにいたい」と帰りたがらないのです。きっと迎えに行ったら泣いて喜ぶだろう⋯⋯と思っていた第3子は、迎えに行くと楽しそうに遊んでおり、私の顔を見ても特に反応なし! 拍子抜けしたのと同時に、この子たちママのこといらないのか⋯⋯? とちょっと寂しくもなりました。 新しい保育園は、外遊びや季節の遊び、伝統舞踊などをたくさん経験させてくれる園で、わが子たちの性格や好みに合っていたようです。入園から1年が経ちましたが、休みの日でも保育園に行きたがるくらい楽しんでおり、迎えに行ってもなかなか帰りたがらないのが悩みの1つです。でも、おかげで安心して子どもたちを預けることができています。 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2019年10月13日みなさんは、寝込んでしまったことはありますか? 私は甲状腺の病気になり、半年以上まともに子どもたちのお世話ができませんでした。つらい思いをした、そのときの体験をお伝えしたいと思います。 甲状腺の病気で家事も育児も困難にあるときから何をしても気持ちが晴れず、倦怠感が抜けない日々が続きました。数カ月後にはひどい動悸が始まり、足の先から頭の先まで脈打つのを感じ、不眠症になりました。 生理も数カ月止まっていたこともあって、若年性更年期障害だと思い、産婦人科を受診。数値は正常範囲内でした。そこで循環器内科をすすめられ受診すると、甲状腺の値が異常に高いことを指摘されました。病名は、バセドウ病。家事も育児も困難になりました。 子どもたちが気づかってくれた投薬での治療が始まりましたが、効果はすぐには現れません。自分のことをするのが精一杯で、子どもたちのこともすべてパパや私の両親任せになりました。 パパや私の両親もわからないことだらけで困惑していましたし、子どもたちは理解できず、しばらくはいつも通り甘えたり、わがままを言ったり……。 しかしだんだんと状況がわかってきたのか、家のことを手伝ってくれたり、「私たちは大丈夫。ママは寝てていいよ」と言ってくれるようになりました。家族の支えを、とてもありがたく感じました。 子どもたちからの励ましの手紙に感動申し訳ないなと思いつつも、数カ月間はどうしても動けない状態。それまでは一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりしていたのにできない、一緒に出かけることもできない……。そんな自分が情けなくも感じましたが、家族と過ごす普通の生活が幸せなんだと改めて感じました。 子どもたちが「ママ、だいすき」「はやくくげんきになってね」と、手紙や絵をたくさん描いて枕元に置いてくれたことがありました。私はとても感動し、とても励まされました。 検査の数値が悪かったため、普通の生活に戻るのに半年以上かかりましたが、おかげさまで元気になりました。子どもたちの気持ちがとてもうれしかった。これからも愛情を注いであげたいと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月13日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 退院後、実家にお世話になるも5日で切り上げ、夫の待つ自宅へ帰宅。 新生児を連れて自宅に帰ったものの、夫は仕事が忙しく、毎日娘と二人きり。一日がとても長く感じて、何度も時計を見る日々……。 このころのことを思い出すだけで胸が痛いです。1日が死ぬほど長くてテレビもつまらなくて。夕方あたりが一番しんどかったです。孤独を感じるというか……。沐浴も毎回泣かれるので悲しかったですし、疲れて帰ってきた旦那に、すぐ沐浴をお願いするのも気が引けてました。へその緒は本当に怖かったー! ヒールはまねする方はいないと思いますが、決してまねしないでください!(本当にこのときは思考回路がおかしかった……)ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年10月11日出産をすると、自分の体形の変化にびっくりすることもありますよね。今まで、赤ちゃんを守るためにつくられていた体。私の場合、まず産後に自分の体で気になったのは「おなかまわり」でした。今回は、私の産後の悩みと、その悩みを解消するまでをお伝えしたいと思います。 産後、体が軽くなると思ったら私が長女を出産したのは冬。もともと小柄な私ですが、出産時には何と体重が18kgも増えていました。でも、「赤ちゃんが生まれたら、赤ちゃんや羊水の分で体重が減るだろう」と、安易に考えていました。 そして迎えた出産後、まずギョッとしたのは、自分自身のおなかまわり。赤ちゃんが生まれても、ぎっしりと肉が詰まっている感じで、さらに皮がたぽたぽ。「このおなか、元に戻るの?」と、とても不安になりました。 育児にちょっと慣れてから腹帯を着用自分の体形は気になったものの、1カ月ほどは赤ちゃんのお世話に追われる毎日で、自分のことなど何もできない状態でした。「腹帯は妊娠中だけでなく、産後も使える」と聞き、試しに巻いてみましたが、息苦しくて断念。 数カ月後に再チャレンジし、産後の悩み解消のために毎日腹帯をして過ごしました。さらに赤ちゃんのお世話で自然と体力を使ったためか、だんだんとおなかが引き締まり、妊娠前に比べて15kg増しだった体重も少しずつ減っていきました。 産後1年で元の体重に戻る腹帯は最初、おなかの皮がたぽたぽでおなかまわりが大きかったため、妊娠中に使用していたものを着用しました。その後、もっと引き締め効果のある腹帯を日中に使用し、夜はおなかまわりだけにキュッと引き締め効果のあるものを無理なく使用しました。すると、半年ほどでおなかのたるみが気にならなくなり、1年後には体重もすっかり元通り。私はこうして、産後の悩みを解消することができました。 2人目のときは、妊娠前に比べて体重増加10kg。おなかの皮はやはりたぽたぽでしたが、腹帯効果で8カ月ほどで元通りになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月10日私は初めての出産をドイツで経験しました。しかも妊娠32週の健診で切迫早産気味と言われ、出産予定日よりも早く生まれるかもしれないとのこと。しかし待てど暮らせどその気配はなく、しっかり出産予定日に生まれてきてくれました。ただ、息子が生まれる3時間前まで、私は陣痛がよくわからなかったのです。そんな私の陣痛&出産体験をお伝えします。 お? もしやこれが陣痛か?出産予定日前日の午前5時30分、パッと目が覚めると「おお? これが陣痛かもしれない?」と全然自信はありませんでしたが、なんとなく違和感を覚えたのです。ですが、出産予定日の2週間くらい前から「来た! これが陣痛だ!」とドキドキしていると、1時間後にはその感覚がなくなるという「生まれる生まれる詐欺」を繰り返していたので、その日も「やっぱり違うかも」と思っていました。 病院に行くと陣痛の波が消えてしまった出産予定日前日だったので、一応病院に行ってみようと思って午前10時30分に病院に向かい、陣痛かどうか助産師さんにチェックしてもらいました。「いい感じで来ているわね」と言われたのですが、思っていたような痛みではなかったので実感がありませんでした。その時点で子宮口は3cm。しかし13時、16時、19時とチェックすればするほど陣痛の波は消えていき、「あぁ、やっぱりこれも前駆陣痛だったのだな」とがっかり……。 陣痛の痛みがだんだん強くなり…19時のチェックのときに浣腸をしてもらい、陣痛に効くといわれるオイルをおなかに塗ってもらいました。それから陣痛を促すハーブティーを飲んで、22時のチェックに行くと、先ほどよりも少し陣痛の波が強くなっているではないですか!しかし、この時点でも痛みは大したことありませんでした。子宮口は7cm開いていましたが、余裕で助産師さんや夫と会話できていました。するとその1時間後、「え?」と思っているうちに、体の中からワナワナとジェットコースターに乗っている感覚になっていったのです。 陣痛促進剤からの会陰切開これが本当の陣痛かと思っていると、子宮口は9cmに。私の場合は痛くて叫ぶこともできず、ひたすら体の中のジェットコースターのような感覚と戦いました。子宮口が全開になると息子の頭はサラッと出て来て、「もっといきんで!」と助産師さんに何度も言われていきみましたが、1回の陣痛が短かったので陣痛促進剤を打ち、会陰切開をすることに。そして無事に息子が誕生したのですが、時間は午前1時をまわっていました。 本当に痛くてたまらなかったのは23時から午前1時までのたった2時間でしたが、なにせ未体験の陣痛。私の場合は痛いというより「怖い」という気持ちのほうが強かったです。でも頑張ったその後には、宇宙一かわいいわが子に出会えました! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:鈴木陽一児の母。ドイツでの子育てに奮闘しながら、海外での子育て・海外旅行・恋愛・結婚などのジャンルで執筆中。
2019年10月09日「胎内記憶って本当にあるの?」と思っている方も多いのではないでしょうか。筆者もその1人でした。そこで、わが家の4人の子どもたちに、胎内記憶について聞いてみることにしました! ママのおなかの中はどうだった?わが家には、10歳の長男、8歳の次男、6歳の長女、2歳の三男の4人の子どもたちがいます。4人に「ママのおなかの中はどうだった?」と聞いて、はっきりと答えてくれたのは、当時3歳の長女でした。 いきなり体育座りの態勢になり、頭をひざにくっつけて「ギュッと、こうやっておなかの中で待っていたんだ。そのときに光が見えて今だ! と思って出てきたの。でもあまり出てきたくなかった」と話していました。娘の出産は、予定日から10日経っても出産の兆候がなかったので、陣痛促進剤での出産でした。そのことを彷彿とさせる娘の言葉に驚きました。 おなかに来る前はどこにいたの?また、わが家の子どもたちは、おなかにいたときのことよりも、おなかに来る前のことをよく覚えているようでした。 当時3歳だった長男は言葉が遅めで、当時はあまり話しませんでしたが、ふと思い立って聞いてみることに。「おなかに来る前はどこにいたの?」とさらっと聞いてみると、「お空にいて、キリンさんとゾウさんに乗ってシューーンと飛んできた!」と興奮気味! 普段はまだあまり話さないのに、大興奮しながら話す長男にビックリでした。 ほかのきょうだいは……?「おなかに来る前はどこにいたの?」という質問に対して、次男と長女、三男が共通して答えていたことは、「上から来た」ということでした。第三子の長女は、「私の番はまだかな~?」と思いながら待っていたようです。 私にとっては、望んできてくれたのならこんなにうれしいことはないと感じています。現在2歳の三男も「上からシャンプしてきた!」、ときには「飛行機に乗ってきた!」という言い方もします。 胎内記憶について聞くときは、2歳から3歳ごろだとはっきりした答えが返ってくるように感じました。わが家の子どもたちも、年齢が上がってくると「そんなこと覚えてないよ」と言っています。年齢を追うごとに忘れてしまうようでした。みなさんもぜひ、お子さんが話せるようになったら聞いてみてくださいね。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日わが家の娘に近づく「魔の2歳児」といわれる時期。娘のイヤイヤ期はどうなるのか、身構えている自分がいました。今回は、娘のイヤイヤ期について、私の体験談を紹介します。 ついに娘も2歳! イヤイヤ期スタート!?私は、娘が2歳になったらすぐに、何でもイヤイヤしてしまうとばかり思っていました。しかし実際は、2歳になった娘はイヤイヤすることもなく、以前とほとんど変化がありませんでした。 その後、第二子を妊娠。つわりが続いたことから室内遊びが増えたころ、2歳4カ月になった娘のイヤイヤ期が始まりました。それまでは毎日公園に行って思いっきり遊ぶという生活でしたが、室内遊びばかりの生活になり、ストレスが溜まったことがきっかけになったのかもしれません。 イライラしないように深呼吸!イヤイヤ期が始まってからは、「いやだーいやだー」と言って泣き出す娘に、衝動的に強い言い方をしていることが増えました。もちろん強い言い方をしても、娘は泣き止むことなく、イヤイヤはひどくなるばかりです。 どうしたらいいか考えた結果、イヤイヤ期の前にもよくしていた娘を落ち着かせる方法を試みることに。まずは深呼吸をして、子どもの両手を取り、ゆっくりと話をする。落ち着いてから、ギュッと抱きしめてあげる。それだけのことでしたが、イヤイヤ期の娘にも効果がありました。 外で思いっきり遊ばせる!また、つわりがひどい時期でも、娘にイヤイヤされてしまうよりはマシだと思い、以前のように公園で外遊びをしました。 短い時間で帰る日もありましたが、外に連れ出さなかった時期に比べると、グズる回数が劇的に減少。また、いろいろなことをやりたがるようになったので、危ないこと以外は何でも挑戦させました。 可能な限り、遊びたいだけ外で遊ばせる毎日に戻ってからは、「あれ? イヤイヤ期、終わった?」と、拍子抜けしてしまうほどイヤイヤしなくなりました。やりたいことをやらせてみることが、娘にとってはよかったのかなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日近年マタニティマークをつけている妊婦さんへの暴力や暴言などが問題になっています。現在3人の子どもを持つ私も、1人目を妊娠中は公共交通機関を使うことが多かったこともあり、マタニティマークをかばんに付けていたことがありました。本来ならば自分と赤ちゃんの安全を守るべきものですが、このマタニティマークをつけていることで悲しい経験をしたことがあります。 マタニティマークはお守り代わり1人目を妊娠した当時、都内の会社員だった私は職場まで約30分ほどの距離を電車で通勤していました。妊娠の経過は順調だったのですが、妊娠初期は食べても食べなくても気持ち悪い吐きづわりがつきまとう毎日でした。 そのため途中下車して駅のトイレで嘔吐することもあり、体調不良で倒れてしまったときなどの不安も……。通勤の際には万が一の時のために、かばんの端にマタニティマークをつけて通勤していました。 中年夫婦に言われた言葉ある日いつものようにつり革につかまって電車に乗っていたときのことです。私の目の前には中年のご夫婦が2人並んで座っていたのですが、私のかばんの端に付いていたマタニティマークに気が付いたようでした。 すると、私の目の前で「あんなの娘のときにはなかったのにね」「つけていたら譲ってくれると思っているのかしら」「ずるいわよね」「いいご身分だよな」とわざと私に聞こえるように話をし始めたのです。話しかけられたわけではないのですが、何も言えずうつむいていた記憶があります。 万が一のお守りなのに… その後すぐ私が降りる駅に着いたので、そのご夫婦とは顔を合わせ続けることはありませんでした。席を譲ってほしいからマタニティマークをつけているのでは決してなく、万が一何かあったときのために自分と赤ちゃんを守るために付けていたものです。 けれどなぜこんな風に言われなければならないんだろうと、とても悔しく思いました。あのとき私が何か言ったところで、中年夫婦に危害を加えられることもあったかもしれません。ただ何も言わなかったのが正解だったのかは、今になってもわかりません。 赤ちゃんとママを守ってくれるマタニティマークは本来安心できるものなのに、不安材料になってしまう可能性もあるのが悲しい現実です。ただ、マタニティマークを付けておくことで助けられた面もたくさんありましたので、マタニティマークがあってよかったと思うのが私の率直な感想です。 著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2019年10月08日私の友人の旦那さんは、私の夫と同じ職場で働いています。給料は決して高くありません。しかし、友人が最近新車をキャッシュで買ったというからびっくり。どうやってお金のやりくりをしているのか聞いてみました。 同じ環境のはずの友人の生活わが家はギリギリ低所得層に入らないくらいで、決して裕福な家庭ではありません。ところが、同じ環境のはずの友人の生活はなんだかぜいたくに見えました。なんと年収を超える新車をキャッシュで買ったというから驚きです。わが家では考えられないことでした。 私は友人に何度も「宝くじが当たったの?」と質問攻めを繰り返してしまいましたが、実際は特別なことはなく、ただ「やりくりじょうず」なご夫婦だった……これが理由でした。そう実感できたのは、友人の家にお邪魔したときでした。 家の中が驚くほどきれい整理整頓されていた!初めて友人の家に足を踏み入れたときのこと。友人には0歳と2歳の子どもがいるのですが、子持ちとは思えないほど、室内が整理整頓されていました。おもちゃも「これだけ?」と思うほど少ない!! 話を聞いてみると、友人は必要と思う物しか家に置きたくない性格なのだそうです。おもちゃが必要なら、児童館へ行くと言っていました。リビングにはおしゃれな収納箱が置かれていて、種類別に物が置かれています。ため息が出るほどのきれいさに感心しっぱなしでした。 必要なものしか買わない、先を見通したお金の管理整理整頓された室内を目の当たりして思ったことが、物をじょうずに管理できる人はきっとお金の管理もじょうずだということです。 もちろん整理整頓が苦手な方でお金のやりくりがじょうずな方もいるとは思いますが、私の友人の場合、特に無駄づかいが少ないことが節約につながっていると感じました。わが家は収納箱に収まりきらないくらい物が溢れています。お金の使い方って本当に大切だと感じました。 新車購入資金は数年前から積み立てをしていたようです。さすがとしか言いようがありませんでした。先を見通したお金の管理も大切ですね。わが家もまずは無駄な出費を減らすため、整理整頓から始めてみようと思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月07日みなさんは、胎内記憶の話を聞いたことはありませんか? わが家では、長女のときは育児に追われていましたが、次女が語ったおなかの中にいたころの記憶と思われる発言に興味を持ち、いろいろと聞いてみました。今回は、胎内記憶に関するエピソードをお伝えしたいと思います。 びっくり! 胎内記憶を語る次女次女がいたずら盛りの2歳ごろ、長女をいじめる時期があり、「あなたがお母さんのおなかにいたころ、お姉ちゃんがいつもさすって話しかけてくれていたんだよ。いつも大事に思っているんだよ」と話すと、意外な答えが返ってきました。 「うん、覚えてる。背中をさわられて、いつもくすぐったかったんだよね~」と言ったのです。そのときは「まさか覚えてないよね」と思ったのですが、胎内記憶のある子は意外とめずらしくないと、あとから知りました。 小さいころは胎内記憶がある可能性も?そんなできごとがあった私は、ある先輩が話していた胎内記憶のことを思い出しました。「ずっと昔、急に頭の上が明るくなってきてさ。あれ、生まれたときの記憶だよ」と言っていたのです。 大人になっても覚えている場合はめずらしいようですが、2~3歳くらいまではおなかの中にいたころや、生まれたときの記憶が残っている子も多いそう。また、子どもによっては、「お空の上からお父さんとお母さんを見ていた」という子もいるそうです。 次女にいろいろ聞いてみると不思議な答えが!胎内記憶を信じ始めた私は、次女にいろいろと質問してみることにしました。「お母さんのおなかの中はどうだった?」と聞くと、「お母さんの声がいつも聴こえたよ。あったかいお風呂の中にいて、浮かんでた。でもだんだん動けなくなってきた」と答えたのです! ちなみに「おなかの中にいる前はどこにいたの?」と聞くと、「お姉ちゃんと一緒に踊ってた。でもここじゃなかった」とのこと。胎内記憶だけでなく、おなかの中に宿る前の記憶もあるのかも? と驚いたことを覚えています。 その後も時々、娘に胎内記憶のことを聞きましたが、4歳くらいからは「覚えていない」と言うようになりました。大人もそうですが、子どもも数年前までのことはよく覚えているような気がします。胎内記憶、本当に不思議です。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月07日3人目を妊娠し、出産まで幸せな気持ちいっぱいで過ごせると思っていたのですが、実際は思い描いていたマタニティライフとはほど遠いものでした。切迫流産と診断され、予想外の手術を経験し、心配ごとが尽きないまま家族でハラハラしながら出産まで過ごすことに……。そんな波乱万丈だった妊娠から出産までのお話をお伝えします。 え?! 子宮頸管無力症と絨毛膜羊膜炎?!私が切迫流産と診断されたのは妊娠8週目でした。妊娠が判明してからすぐに切迫流産の診断がされ、この先妊娠が継続できるのだろうかと不安でいっぱいに……。でも1人目と2人目も切迫早産を経験していたこともあり、「なんとか頑張れるかな?」とも思っていました。しかし、診断書には切迫流産の他に「子宮頸管無力症」と「絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)」とも書いてあったのです。どちらも流産や早産の要因となるものでした。 妊娠継続のために必要な手術絨毛膜羊膜炎や子宮頸管無力症と診断され、“安静第一”の指示を受けました。私は、長男は早産で、娘のときも切迫早産で長期入院の末の出産だったので、とにかく安静にしていました。しかし、子宮頸管長は短くなるばかりだったのです。ついに、「妊娠を継続するために手術の必要がある」と医師から告げられました。「子宮頸管縫縮術」という、下半身に局所麻酔をし、子宮口が開かないように子宮頸管を縛る手術です。術前術後で約1週間ほどの入院でした。上の子2人と会えない不安と、おなかの子への心配とで気持ちが忙しかったことを今でも思い出します。 手術したのに…長期入院になってしまった子宮頸管縫縮術を終え、完全に安心しきっていたのですが、なんと手術で縛った子宮頸管がギリギリのところで保てている状態に! 医師からは「全然“大丈夫”ではない」と言われてしまいました。結局、切迫流産で妊娠20週から出産する妊娠36週までの長期入院をすることになったのです。入院中は、子宮収縮抑制剤を決まった時間に服用し、2人目のときにつらかった点滴にならないように毎日を過ごしていました。安静にするためにおしゃべりも寝たままでするという徹底ぶり。妊娠35週で内服から点滴に切り替わってしまったものの、なんとか正期産の時期ギリギリまで妊娠継続することができました。 出産まで1日たりとも安心できなかった妊娠期間でしたが、妊娠36週5日に帝王切開で出産することができました。多くの困難のなか乗り越えられたのは、夫と上の子どもたち、そして私たち家族を助けてくれた親族のおかげです。てんやわんやの妊婦生活でしたが、今考えると貴重な時間だったように思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。受診している産院・病院によって対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年10月07日早産の場合、受け入れてくれる産院が限られてきます。私のように何の兆候もなく突然陣痛が起こることも。私自身が体験した、緊急入院から緊急搬送までの流れをお伝えします。 突然の陣痛! まずは産院へ連絡 妊娠33週のある日、「これが陣痛なのかな?」と思うほど私のイメージと違う痛みがやってきました。いつか収まるだろうと夕方ごろまで様子を見ることに。今思えばこのとき、すぐに産院へ連絡するべきでした。 夕方ごろにようやく産院へ連絡し、向かったところ、子宮口はすでに2cm。そのまま緊急入院となりました。朝まで張りは収まらず、早朝にはおしるしもありました。 早産を受け入れてくれる産院を探す 私が妊婦健診を受けていた産院はNICU(新生児集中治療室)がなかったため、妊娠33週で生まれてくる赤ちゃんを受け入れてくれる病院を探すことになりました。 早産の赤ちゃんは肺など未熟なまま生まれてくるため、生後すぐにNICUで呼吸器をつけたり、点滴をしたりと、24時間観察・治療をしなければいけません。そういった病院は限られていて、緊急搬送の場合、受け入れ先がなかなか決まらないこともあるそうです。 赤ちゃんの過ごす場所「NICU」 私は運よく近くのNICUのある病院へ搬送されることになりました。その後、無事に出産。赤ちゃんはNICUの保育器の中で過ごすことになりました。 赤ちゃんの様子を見に行ってみると、人工呼吸器や点滴がついた状態でうつ伏せになって保育器の中に入っていました。保育器の中は温度管理がされ、子宮の中と同じ状況なのだという説明を聞きました。医師や助産師さんが24時間体制で赤ちゃんの管理をしてくれたので、安心して見守ることができました。 突然の陣痛から出産に至りましたが、「赤ちゃんはベストなときを選んで出てきてくれたのよ」と励ましの言葉も頂きました。保育器の中で懸命に生きるわが子を信じて過ごしたことを今でも覚えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:渡瀬文葉一児の母。妊娠前はアロマセラピーや食事指導、ブライダルエステをするセラピストとして接骨院に勤務。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は洋菓子作り・子ども服作り・編み物。
2019年10月06日4人目の出産当時、長男は小学1年生、次男は年長、そして長女は年少でした。電車で8時間かかる実家へ里帰りをしようか悩みましたが、小学生が長期欠席するのは好ましくないと感じ、夫に1週間の休暇が取れるか相談。幸いにも会社の方の理解があり、1週間ほど休暇をいただき、里帰りせずに出産を迎えました。 夫に家事・育児を任せるのが心配わが家の夫は料理が得意ではなく、作れるものはみそ汁とカレーくらいです。掃除機はかけられますが、洗濯機の使い方や洗剤の量など、細かいことはわからない様子。 また、幼稚園の子どもの持ち物やお迎え時間が曜日によって違うことを、口頭で何度も説明したのですが理解できず……。「お弁当も作れるのだろうか?」とさまざまなことが心配でたまりませんでした。 そこで出産入院中、夫が困らないように家事や幼稚園の支度を細かくノートにまとめたものを用意しておきました。 子どもの精神面も心配!出産入院中の1週間ほどは、私がいない生活になります。子どもたち3人はまだまだ甘えざかりなので「大丈夫だろうか?」と心配になりました。 特に幼稚園児の2人は、ママがどのくらい入院し、どのくらいで帰宅するのかわからない様子。そこで1週間分のカレンダーをつくり、毎日シールを貼っていってもらい、ママが帰ってくるまでの期間を感覚で伝わるようにしました。 さみしくなったときはグズグズしてしまうので、お手紙とシール、小さいおやつを人数分×1週間分、用意して出産に備えました。 「意外となんとかなる」と思えた!夜に陣痛が来た私は、子どもたちが寝ている間に病院に駆け込みました。付き添いもおらずひとりでしたが、私の場合は逆に集中できてよかったと思っています。 私が入院中の1週間、結局、夫は幼稚園をお休みさせて、子どもたちを遊びに連れて行ったようです。普段私は外食をさせませんが、夫と子どもたちはラーメン屋巡りをしたそう。子どもたちはとても楽しそうに報告してくれました。夫は、3人の子どもたちのお世話が想像以上に大変な様子で、日に日に疲れた顔になっていきました。 予想外の外食続きで、栄養バランスが気になりましたが、子どもたちにケガもなく、これまでの夫の様子を考えると、ひとりで面倒を見ていてくれただけでもすごいと感じました。夫自身も子育てをしながら家事をする負担を、身をもって実感したようで、お互いのことを知るいいきっかけになった出産前後でした。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月05日夫は家事や育児をよく手伝ってくれます。周りのママ友に話すと「イクメン」と感心されることもありますが、最初からイクメンだったわけではありません。きっかけはワンオペ育児に不満がたまり、私がプチ家出をしたこと。夫がどのようにイクメンになっていったのかを紹介します。 ワンオペ育児に不満がたまる日々長女を出産したころ、夫は仕事で帰りが遅く、私はいつもひとりで家事育児をこなす日々を過ごしていました。ワンオペ育児に不満がたまるなか、長女が生後10カ月のときに職場復帰。家事、育児にフルタイム勤務が加わり、私はストレスがたまる一方でした。 ある休日、私は夕飯づくりに時間がかかりイライラ。その横でのんびりしながら「何をそんなにイライラしてるの?」と言う夫の言葉に更にイライラが増し、「代わりに食事くらい作ってよ! 私は家政婦じゃないし!」と言い残し、家を飛び出してしまいました。 人生最初で最後のプチ家出衝動的にバッグだけ持って家を飛び出し、行くあてもなく車に乗ってドライブ。何となく近所の高台にある公園に行き、自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら夜風にあたって冷静さを取り戻しました。不満がたまっていたとはいえ、当たってしまったことや、いくら夫がいても子どもを置いてきてしまったことなどを反省……。 家を出てから2時間くらいたったので家に帰りました。これが私にとって、人生最初で最後になるであろうプチ家出です。家に帰ってみると作りかけの食事はそのままでしたが、夫は長女には離乳食のストックをあげてお風呂に入れてくれていました。 話し合いで家事育児を分担長女を寝かしつけた後、きちんと夫婦で話し合いをしました。仕事から帰ってひとりで長女の相手をしながら食事を作って食べさせ、お風呂に入れて寝かしつけ。食事の片づけに洗濯物にと、ワンオペ育児に疲れていたこと、それが当たり前だと思っている夫にイライラが募っていたことなど伝えました。 夫は、「短時間でもひとりで家事育児をしてみて大変だった。いつもひとりで全部させて申し訳ない」と言ってくれました。とはいえ、仕事が終わって帰る時間が遅いことは変わらないので、食事の片づけや洗濯物たたみなど急いでしなくてもいい家事を分担することに。これが夫がイクメンになる1つのきっかけとなった一日でした。 その後は、家事や育児を一緒にしてくれるイクメンになった夫。料理だけは苦手で滅多にしてくれませんが、アイロンがけや掃除機をかけてくれるなど頼もしい存在です。不満をためて爆発してしまうより、夫婦で話し合って協力体制を作ることが大切だと実感しました。著者:小林更紗中1・小4・2歳の三姉妹の母。通関士資格保有。長女が小学生になるタイミングで、勤めていた通関業者を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月05日赤ちゃんが少しでも短い時間で寝てくれたらいいのに……。そう思っていらっしゃるママやパパも多いのではないでしょうか。今回は、わが家で実践している寝かしつけをご紹介します。 1.低月齢の時期はブランケットを活用赤ちゃんが低月齢の時期は、せっかく抱っこで寝かせても、ふとんに下ろしたとたんに起きてしまった……なんて経験ありませんか? そんなときにおすすめなのが、赤ちゃんを抱っこするときに赤ちゃんとママの腕の間にブランケットを1枚はさむこと! 赤ちゃんが寝ついたら、ブランケットを赤ちゃんの背中にはさんだまま、ふとんに下ろします。以前、赤ちゃんは背中の感覚が敏感だということを知り、この方法を試したところ、起きてしまう回数が激減しました! 2.後ろから前に向かって頭をなでなで赤ちゃんの月齢が上がってくると、添い寝で寝てくれるようになりました。添い寝では、おなかをトントンするといいとよく言いますが、私が効果的だと感じたのは「頭なでなで」です。 後ろからおでこに向かってなでることで、手がおでこに来たときに反射的に目をつむりますよね。目をつむる&頭をなでられる気持ちよさからか、わが家の息子はよく「頭なでなで」で寝てくれるようになりました。 3.寝る前のお風呂で思いっきり遊んでもらう!わが家では、「お風呂からあがったら寝る」というのが毎日の習慣。赤ちゃんが活発になる1歳半ごろからは、寝る前のお風呂の時間に思いっきり遊んでもらっていました。 ママのそばで遊んでいる間に、ママは体や髪を洗うことができます。お風呂で温まった体温が下がってきて眠くなるという効果も合わさって、寝る準備としてとても効果的でした。 寝かしつけに困っているママやパパはたくさんいらっしゃると思います。とくに初めてのお子さんだとなおさらですよね。いろいろな寝かしつけを試して、わが子に合う方法を見つけたいですね!著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月03日書店に行くと、赤ちゃん向けの絵本がたくさん並んでいます。なかには帯に“0歳から”と書かれている絵本も。当時、息子はまだおしゃべりもできなかったので、本当に赤ちゃんにわかるのかな? と思っていました。実際に読んでみると、母子ともにとても楽しむことができました! 本が読みたいけど、ひとりの時間がない!読書が趣味の私にとって、昼夜赤ちゃんの世話に追われている生活のなかで、一番のストレスは本を読めないことでした。書店には魅力的な本がいっぱい……。そんなときに絵本のコーナーで見つけた、“0歳から”の文字。 わが子に本は早いのでは? と半信半疑でしたが、とにかく本を読みたかった私は、カラフルな絵が描かれている絵本を購入しました。息子は生後7カ月、ちょうどおすわりができるようになってきたころでした。 “目で追う”→“指をさす”へと成長絵本を初めて読んだとき、私の顔と絵をさす指を交互に見ながら、絵へと息子の視線が移っていくのがわかりました。初めての絵本の世界にゆっくりと入り込んでいくようでした。 最初は目で追うだけだったのが、月齢がすすむにつれて自分の掌で絵にタッチしたり、さらに月齢がすすむと絵本に書かれている簡単な擬音をマネしてしゃべったりするように。絵本を通して成長が感じられるのはうれしい体験でした。 わが家の絵本の選び方赤ちゃんと読む絵本は、どうしても破れたり汚れたりしてしまいます。よだれの付いた手で触るし、力いっぱい引っ張ってしまうことも……。わが家の男子2人に読まれた絵本もくたびれています。とはいえ、本の心配ばかりしていると、ママも心から絵本を一緒に楽しめません。 わが家では0~1歳の間は、全ページ厚紙の絵本を選んで購入していました。そういう絵本はラミネート加工されているものが多いので、少しの汚れなら拭いてきれいになります。また息子は、カラフルな色で登場人物が描かれているものやストーリーではなく擬音で楽しめるものを喜んで見ていました。 私が子育てを楽しめるようになったターニングポイントは、「一緒に楽しむ」ことができるようになったときでした。一緒に絵本を読んで笑うと、心が通い合ったのを感じることができて孤独感がスッとラクになりました。自分が子どものころに読んでいた本が今でもベストセラーだったりすると、同じ時代を生きているんだなと感じることも。子どもと向き合う時間が多い育児のなかで、同じ方向を向いて絵本を読む時間は、親子ともにオアシスとなっています。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月03日息子が新生児~生後2カ月ごろまでは、おなかが空いたり、おむつが汚れたりすると泣いていました。不快感を泣いて表現している様子です。ところが生後3カ月に入ったころから、原因のわからないぐずりに悩まされることに……。当時の息子の様子や対応についてお伝えします。 泣いてぐずることが増えたもともとよく泣く息子でしたが、生後3カ月に入るとさらに増えました。一日の大半を泣いて過ごしているのでは? と思うほどです。 特に夕方ごろになると、ぐずりがひどくなりました。日によっては30分以上泣き続けていたこともあります。おなかが空いたのかな? それともおむつが汚れている? いろいろと原因を探りましたが、泣き止みません。どうしたら良いのかわからず悩みました。 かわいいと思えなかった時期抱っこであやしても泣き続ける息子を見ていると、私は次第にイライラしてきてしまいました。かわいいはずの息子のことが、正直かわいいと思えなかったこともありました。このままだとストレスがたまる一方です。 そこで私は泣く息子をベビーベッドに寝かせて別室へ行き、深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせるようにしました。それでもイライラが収まらない場合は、クッションに向かって思いっきりパンチをしてストレスを発散していました。 赤ちゃんに合うあやし方を試す保健師さんに相談したところ、「原因のわからないぐずりに悩まされるママは多いんですよ」と言われました。大変な思いをしているのは自分だけではないと知り、肩の力が抜けたことを覚えています。 保健師さんからいただいたアドバイスは、「赤ちゃんに合うあやし方を試すこと」でした。息子に効果があったのは「ドライブ」。車の振動が心地いいのか、すぐ眠ってくれて助かりました。 息子の原因のわからないぐずりは生後4カ月ごろまで続きました。対応に困り果てたときは、泣き止ませるのを目標とせず、とことん付き合う心構えでいようと決めました。そうすると、少し気持ちがラクでいられた気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月03日夫と私は年の差が20歳以上もあり、夫はバツイチ子持ちで成人した娘がいます。一緒に暮らしていてもあまり関わらない関係でしたが、私の妊娠・出産を機に距離感が変わってきました。わが子を通して、家族に近付いた連れ子と私の関係についてお伝えしたいと思います。 年の差婚、夫より娘と年が近い私夫とは職場で出会いました。20歳以上離れた年の差と、夫がバツイチ子持ちということから、周りになかなか認めてもらえず交際7年目でやっと結婚。 夫の娘はもう成人していて、特に私がお世話するようなこともなく、家にもあまりいなかったため、顔を合わせるのは朝と夜のあいさつくらいという関係でした。なんだかさみしいと思いつつも、どうしたらいいのかわからず1年が経ったころ、私の妊娠が判明したのです。 妊娠報告するも複雑な様子……妊娠を喜んだと同時に頭をよぎったのは夫の娘のことです。妊娠を報告して怒ってしまったらどうしよう、泣いてしまったらどうしようなど、いろいろと考えてしまい、なかなか言い出せませんでした。結果的には夫が私の妊娠を娘に伝えたところ、少し驚いた顔をして「ふーん」とひと言。 その後、特に触れることもなく、気付けば私の里帰りの時期に。そして迎えた私が実家に帰る前日、「性別どっち? 頑張ってね」と夫の娘が言ってくれて安心しました。それと同時に、娘の葛藤を考えると胸が熱くなる思いでした。 出産後、20歳離れた妹への反応産後1カ月で自宅に戻った当日、夫の娘は玄関で待っていてくれて、赤ちゃんを見て満面の笑顔を浮かべてくれました。それからは家にいることが増え、私の部屋に来て娘をあやしてくれています。 一番うれしかったことは、「この子を私の妹と思っていい?」と言ってくれたことです。「この家で私は他人なんだな……」なんて思ったこともあったので、なんだか私も夫の娘と家族になれたような気がしました。 年が近い分、なかなかうまくいかなかった関係が、出産を機に変わることができました。最初は葛藤もあったとは思いますが、夫の娘と家族を繋いでくれた赤ちゃんに感謝しています。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年10月02日2015年、国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、夫婦にたずねた理想的な子ども数は2.32人だったそうです。私も子どもが2人欲しいと思っていましたが、いろいろと悩みました。今回、当時の私が妊娠・出産に前向きになれるようにおこなったことをお伝えします。 2人目が欲しいと考えたときに悩んだこと漠然と2人目が欲しいと感じていた私ですが、真剣に考えていくと巷でも聞かれる「2人目の壁」にぶつかりました。私の壁は、育児への不安と経済的な不安の2つ。夫は転勤がある職種なので、何か困ったときなどに両親に頼れる環境ではありません。私や夫が何らかのトラブルに見舞われたとき、2人の子育てがしっかりできるのか不安でした。 さらに夫は私より7歳年上で、2人目を欲しいと考えていたころは30代後半。これから子ども2人を育てながら教育を受けさせ、先々は自分たちの老後資金も確保しなくてはならないため、経済的に大丈夫なのかととても悩みました。 2人目計画を立てる前におこなったことひとりで考えすぎて、勝手にいっぱいいっぱいになっていた私。これではいけないと思い、悩みを解消するために夫に相談してみました。すると、夫も2人目を望んでいたようで「言い出すタイミングがなかったから話してもらってよかった!」とのことで、びっくり! この一言で、育児が大変になっても頑張れると感じました。ただ、もっと早く相談しておけばこんなに悩まずに済んだのに、と少し後悔しました。 2人目計画を実行するタイミング次に、具体的にいつごろに出産したいのかを話し合いました。わが家の場合、夫の仕事が忙しく、専業主婦の私が育児をほぼひとりでおこなっていたので、引き続き私が子育てに専念しながら幼稚園に通わすせる予定でした。ですから、上の子を入園させる前に出産できたらベストということになりました。その理由は下記の4点です。 ●入園前のほうが幼稚園の行事などに縛られず、出産や子ども2人のお世話に専念できるから●3学年差だと幼稚園や学校の卒業と入学が重なるので、それを避けるためには2学年差がよいと感じたから●出産も子育ても感覚が残っている早めのほうが安心だと思ったから●年が近いほうが子ども同士が仲良くなると思ったから それはまさに、上の子が2歳のそのときでした。そのため、2人目計画を立てたと同時に進め、3カ月目で妊娠し、無事2歳差で2人目を出産することができました。 子どもが1人から2人になると、やはり何かと大変です。でも、喜ぶ夫や上の子が下の子をかわいがる姿を見られたこともあり、育児の負担はそこまで感じませんでした。上の子の成長を感じられましたし、1人目の育児よりもずっとラクに思えます。神様からの贈り物ともいえる妊娠は自分たちの思い通りにいかないものですが、2人目を真剣に望み、そして行動してよかったなと思います。 著者:大鹿恵美9歳、7歳、4歳の三姉妹の母。これまでの育児を生かした体験談を主に執筆中。365日育児と家事と仕事でフル活動だが、夫との毎晩の晩酌とたまのママ友との交流が原動力となっている。
2019年10月02日出産時の排便は、出産を経験した方なら「あるある」と思う方もいるのではないでしょうか。ただ、初めての出産だと「いきんで出ちゃったらどうしよう」「浣腸はするの?」と不安になる方も多いと思います。今回は、出産時の排便と浣腸についてのエピソードをお伝えしたいと思います。 1人目出産時は浣腸なし、いきんで排便が!私が通っていた産院では、とくに出産前の浣腸についての話はなく、先生に任せていました。陣痛がまだ弱いときに便意を感じたので、一度排便。その後、陣痛が強くなり分娩台へ移動しました。 ところが難産となり、分娩台の上で数時間過ごしたためか、いきんでいるうちになんと排便……! 自分としては、とにかく痛くてそれどころではなく、恥ずかしさは感じませんでした。 産後に思い出して恥ずかしさアップ…出産後しばらくは、赤ちゃん誕生のうれしさと達成感で、お産の間のことはあまり気にしていませんでした。ところが少し落ち着いて分娩室での出産のことを思い起こしているうちに、とても恥ずかしいことをしてしまったことに気付いたのです。 さらにお産に立ち会った助産師さんが部屋に様子を見に来るたびに、自分のした粗相を思い出し、出産時の排便はよくあることだと知っていても、とても恥ずかしい気持ちになりました。 2人目出産時は浣腸をして臨む!もう恥ずかしい思いはしたくなくて、2人目の出産のときは「分娩室へ行く前に、浣腸をしてもらうことは可能ですか」と助産師さんに相談し、浣腸をしてもらうことに決定。浣腸をするとすぐに腹痛があり、排便することができました。 そしていよいよ分娩室へ。どうしてもいきまなければならないので、1人目の出産時の恥ずかしさがよみがえり、排便済みでも心配はありましたが、2度目は粗相をすることなく、無事に出産をすることができました。 私の恥ずかしい思い出を紹介しましたが、出産時にはよくあることのようで助産師さんはあまり気にしないようです。浣腸については産院によって方針があるようなので、一度相談してみるといいかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年10月01日わが家の長男が保育園に通っていたころ、友だちとの間で度々トラブルを起こしていました。そのたびに保育士さんや相手の保護者の方にひたすら謝り、何かやらかさないかと毎日ヒヤヒヤしていたとき、保育士さんが「こども発達支援センター」で発達検査を受けることをすすめてくれました。発達検査を受けたときのことや、その後の経過について、私の体験を紹介します。 長男の“問題行動”に不安になるわが家の長男が保育園で年中クラスになったころ、友だちをたたいたり、持ち物を隠したりするなど、度々トラブルを起こすようになりました。そのたびに友だちとその保護者の方に謝り、長男を叱りました。「どうしてそんなことしたの」と問いただしても、長男は黙り込んでしまうだけで理由もわからず、親としてどうしたらいいのかと私の不安は増すばかりでした。保育士さんと話し合うなかで、長男は好きな活動には夢中で取り組むけれど、興味のない活動にはなかなか取り組もうとしないなど、ほかにも発達面に問題が見られることが判明。年長クラスに進級する際の面談で、保育士さんから「こども発達支援センター」での発達検査をすすめられ、検査を受けることを決めました。当時、「発達障害」や「ADHA(注意欠陥・多動性障害)」が社会問題になり始めていたこともあり、「もしかしたらうちの子も?」と薄々感じていたことも、検査を決めた理由の1つでした。 「こども発達支援センター」で発達検査を受ける「こども発達支援センター」は、就学前の子どもの発達相談や診察、訓練をおこなっている施設です(地域によって施設名や事業内容は異なります)。私の場合、相談予約を入れたあとでセンターの専門員さん数名が保育園へ視察に来ました。長男の遊ぶ様子を観察したあと、私と保育士さんを交えて面談し、これまでの成育歴やどのようなことに困っているかなどを詳しく話しました。その後、センターを3回受診。1回目は、保護者が担当医と面談(問診)している間、子どもは言語聴覚士の方と別室で、おもちゃで遊びながら検査を受けました。2回目は脳波検査を受け、3回目は検査データを踏まえた診断がありました。担当医によると、長男は「注意欠如多動症(不注意優勢型)」。脳波に異常はなく、発達レベルも普通なのですが、気が散りやすいため、落ち着いた環境で活動できるようにサポートが必要、という診断でした。 小学校で情緒通級に通うことに診断結果が出たあと、夫ともよく話し合いました。夫も私も「まだ小さいんだし、見守っていこう」というスタンスで一致。入学予定の小学校には発達支援専門員がいる「情緒通級」と呼ばれる特別クラスがあることがわかり、そこへ週1回通うことになりました。情緒通級と保育園、支援センターは互いに連携体制があり、長男の成育歴や検査データを共有してくれていたので、長男が新1年生になってからのサポート体制がしっかり整えられていて安心しました。情緒通級では、遊具を使ったバランストレーニングや、パズルを使った注意集中トレーニングなどがおこなわれています。長男は「今日はこんなことできたよ!」と毎回楽しそうに教えてくれ、少しずつ自信を身につけている様子が伺えます。以前は不安でいっぱいだった私ですが、担当の先生をはじめ多くの人が見守ってくれている、という安心感に支えられて、子どもの成長を長い目で見守る心の余裕もできました。 子どもの発達に問題があると、親はとても不安になります。しかし、多くの自治体では保育園・幼稚園と小学校が連携しているので、個別のサポート体制が整えられています。“問題行動”はその子の脳の“個性”でもあります。わが子が苦手なことには手を貸し、長所や得意なことを伸ばせるように見守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:大川香織小学2年生と1歳、2男の母。共働き。編集プロダクションや出版社で、子育て情報誌などの制作に携わった経験をもとに、さまざまなテーマで執筆。
2019年09月30日第2子では必ず挑戦しようと思っていた夢の無痛分娩。友人たちが第2子で選択し、「夢のような出産」「天国出産」などと言っていたので、私も第2子で挑戦しました。しかし、そこに待っていたのは、楽天家の私もビックリの壮絶お産でした。 無痛分娩で産みたい第1子は吸引分娩だったものの、ごくごく普通に生まれたという印象だった私。しかし、ただ一つ「陣痛の苦しみ」だけは、第2子の臨月が近づくにつれて不安が増していきました。そこで、無痛分娩の講習に参加することにしました。 私の通っていた産院の講習は非常に丁寧で先生も信頼できたため、「無痛分娩にしよう」と決意。 同じ産院で無痛分娩をした友人の「天国だった」「全然ストレスがなかった」とうらやましい体験談を聞き、私の心は固まったのでした。 2度の帰宅……さて、いよいよ無痛分娩の予定日! 元気いっぱいに病院に行くと、早々に雲行きが怪しい……。「まったく子宮口開いていないね、今日は無理じゃないかな」。先生のそのひと言で、その日は泣く泣く帰宅し、日を改めて挑戦することになりました。 そして次のチャンス……今度こそ! と、次は「バルーン」を入れることに。そのとき、先生には何度も「経産婦さんなので、バルーン入れるとすぐお産がすすむことがありますからね」と言われ、もうほぼほぼ「今日が出産日なのかしら」と高揚していました。 ところが…… 赤ちゃんはまったくおりてきません。そして頑固な子宮もバルーンの刺激にもしっかりと口を閉じて、うんともすんとも言いません。そして恐れていた事態。2回目の帰宅……。 経産婦の出産はスムーズなイメージしかなかった私でしたが、無事出産できなかったらどうしようと不安になっていきました。 今度こそ!しかし 、3度目の正直。さらに日を改めて妊娠39週。もうさすがにいけるだろうとの先生の言葉もあり、期待と不安が入り混じって迎えた当日。 バルーン(大)から始まって「きっと陣痛来ますよ」と助産師さんの励まし。しかし、子宮口が4cm開いているというのに、あまり痛みも感じません。いったい私の赤ちゃんどうなってるの、寝てるの? と不安といら立ちが……。 陣痛促進剤も開始したものの、おなかが張ってもすぐにおさまって遠のく。もうだめだ。もういい加減今日産みたい。産ませてくれ! 先生が内診したけれど、子宮口は5cm。そこで先生の決断「人工破膜」。よし。もうこれは強制的に進む! 人工破膜から陣痛が一気に来て子宮口が全開大したのですが、それにもかかわらず赤ちゃんはまったくおりてきませんでした。そして、「赤ちゃんがおりてこないので吸引します」と、第1子で経験した吸引分娩に。吸引を2回。そこでわかったのが、赤ちゃんが回旋異常だったということ。吸引でもおりてこなかったのは、赤ちゃんが逆側に回っていたからだったのです。 緊急帝王切開に!先生の顔が厳しくなって「緊急帝王切開になります」 と言いました。緊急帝王切開に夫が同意し、そこからは早かったです。ふんわり温かい麻酔が入って地獄から天国の夢心地。ドラマでしか見たことない手術室のばたつきを見ながら、さっと持ち上げられた赤ちゃん。「生まれましたよ」。なかなか生まれず、「赤ちゃんは私のこと嫌いなのかな」とまで思ってしまっていましたが、無事に生まれて本当によかったです。 今回の出産で、第2子でも何があるかわからないということを学びました。回旋異常の予防は難しいかもしれませんが、第2子であっても慢心しないで、出産に向けて体重管理やヨガ、呼吸法などをおろそかにせずにやっておけばよかったと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:代々木菜乃子3歳・1歳の2児の母。育児休暇中。エンタメ業界で働くかたわら、記事執筆をおこなう。現在知育を勉強中。
2019年09月30日出産は本当に何が起こるかわからないと実感しました。大変、つらいと感じながらも、それ以上にちょっとしたことへの喜びを感じられた私の出産エピソードです。 帝王切開になるかも……?出産予定日が1月10日だったため、産院の正月休みがあり、週1の健診の予定が2週間近く空いてしまいました。そして年始最初、出産予定日5日前の土曜日の健診の際、赤ちゃんがまったく下がっておらず、子宮口もまるで開いていないので、帝王切開の可能性があることを告げられました。そして週明けの月曜日に骨盤のレントゲンを撮ることに。普通分娩で産めると思っていた私はとてもショックでした。 健診翌日の日曜日、帝王切開になるのか普通分娩になるのか不安で、気持ちが前向きになれない私を見かねて、夫が「夫婦2人で最後のデートだよ」と、近場でドライブをさせてくれました。おいしいものを食べ、ゆっくりショッピングを楽しみ、前向きな気持ちになって就寝。 そして深夜2時、急におなかに痛みが.......。陣痛だ! でもダラダラと10分前後で痛みを繰り返す感じ。一応、産院に連絡してみましたが、前駆陣痛の可能性もあるから様子を見てくださいということでした。朝一番で予約を入れていたので、ひたすらうずくまるくらいの痛みに耐え、なんとか産院へ。 無事に出産!痛みが引くこともなく、そのまま骨盤のレントゲンの撮影をしました。その結果、児頭骨盤不均衡と診断されました。「もう陣痛が来ているので、そのまま帝王切開します」と言われ、急きょ手術室へ。 一応内診もしましたが、子宮口は開いているものの赤ちゃんがまったくおりていないとのこと。急すぎる展開に頭がついていきませんでした。でも、あれよあれよという間に麻酔を打たれ、手術が進みます。 混乱で不安定になっている私を両側で看護師さんが手を握ってくれました。そしてしばらくして赤ちゃんの産声が聞こえました。無事にわが子を見られた瞬間、緊張がほぐれ安心感と感動が一気に押し寄せて大号泣。すごく幸せな瞬間でした。夫も抱っこさせてもらえたようで、あとで写真が送られてきました。 立会いはできなかったけれど、夫婦で感動を共有できて本当によかったと思います。 出産後のつらさを上回る感動出産後は丸一日食べられず、動けず。そして麻酔が切れた後の痛みが今まで経験したことのないもので、本当につらかったです。けれど、産後初めてのごはん、痛みはあっても歩けるようになったとき、産後初めて赤ちゃんが病室に来てくれたとき、初めてちゃんと向かい合って抱っこできたとき、初めてのミルク、初めてのおむつ替え、そして不安だらけの初めての連続をやさしくずっと支えてくれた看護師さんや家族。ちょっとした一つひとつがうれしくて、 感動的でした。 出産は本当に思いがけないことの連続でした。いろいろ調べてもその通りにはならないし、自分自身もそんなに冷静になれません。希望通りの出産はなかなか難しいけれど、そんななかでたくさんの人の協力があって、乗り越えられるものだと感じました。 不安になることもあるけれど、なるようになる! と気持ちを強く持ち、乗り越えた分だけ、うれしいことがたくさんあったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:やまもとあずさ初出産ママ。現在産休で里帰り中。慣れない子育てに奮闘している。
2019年09月29日子どもの行動は、私たち大人の想定を軽々と超えるものが多くあり、まさかの行動で赤っ恥をかいてしまうことも多々あります。そのなかでも衝撃が大きかったできごと3つをピックアップしてみました。そのときの様子や体験をご紹介します。 トイレットペーパー引きずり事件出先で長男と手をつなぎ、長女はおんぶというスタイルでトイレへ行ったときのことです。トイレを終えて個室から出たとき、周りの視線が私たちへ集中していることに気づきました。 施設の職員さんの「後ろのお子様が」との言葉に後ろを振り返ると、私の歩いたあとには長々と敷かれたトイレットペーパーが! 見ると、トイレの棚に置いてあったトイレットペーパーの端を長女が握っており、そのまま外に出てきてしまったようです。急いでトイレットペーパーを巻き取り、苦笑いで退場しました。 Tシャツを次男が……油断事件私と次男で近所の施設へ遊びに行ったときのことです。いつものように、遊びに来たママたちと話をしながら、子どもたちが遊ぶ様子を眺めていました。そのうち、子どもたちが私たちの周りでぐるぐると、ハイハイで追いかけっこを始めました。立ち上がった次男がいつもよりも多めに歩き、私のTシャツの胸元に手をかけた、そのとき……。 びりっという音と共にTシャツが破れました。一瞬、時が止まった室内。インナーを次男で隠し、恥ずかしくて施設から静かにフェイドアウトしました。 胃袋は無限大事件長男が生後10カ月を迎えたころ、長男を含めた子どもたち3人とそのママ3人でランチに行きました。ランチが運ばれてきたのを確認した長男は、一目散に私の元へ来て、早く食べたいと声を出しました。 ママ友からは「おなかがすいていたんだね」と一笑い。長男の食欲は収まらず、自分の分、私の分、挙げ句の果てに他のみんなからも少しずつおすそ分けをもらうことに。普段よりたくさん食べたあと、長男はいびきをかいて就寝。大爆笑するママ友と一緒に、私は恥ずかしくて苦笑いでした! これらの体験は、当時はものすごく恥ずかしく思ったものですが、良くも悪くも子どもたちの行動のバリエーションが多彩になったということで、成長を感じることができました。想定外の行動をするのは想定内だということがわかり、気持ちにゆとりが持てたように思います。著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、0歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2019年09月29日妊娠38週の健診のとき。先生からこんなお話がありました。「助産学生が実習で分娩に立ち会うかも。もちろん、嫌だったら断ってもいいのだけど。心強いと思うし、どうかな?」。 私は深く考えずに「いいですよ」と返事をしました。帰宅後、ネットで調べると、学生の立ち会いの感想はさまざまでしたが、私は立ち会うくらいなら大丈夫、と考えていました。 陣痛中の素晴らしいサポート!出産当日。陣痛が来て明け方入院。朝9時ごろに助産学生と学校の先生があいさつにいらっしゃいました。陣痛や分娩が進んでいって、やっぱり嫌だと思ったらすぐに退席することなど、詳しく説明を受けました。 分娩のときだけ立ち会うのかな? と思っていたら、陣痛中も腰を押してくれたり、お茶を取ってくれたり。付きっ切りでお世話をしてくれました。夫が出張で午前中には間に合わなかったので、付きっ切りでお世話をしてくれるのがとてもありがたく、心強かったです。しかも、腰の押し方がとてもじょうずだったので、もしかしたら夫に付き添ってもらうよりよかったかも? と思いました。 内診の練習に協力つらい陣痛中も懸命にお世話をしてくれた助産学生さん。私が学生さんに協力したのは、内診の練習です。学生さんが内診し、子宮口が何cm開いているかを見るということ。 内診は苦痛ではなかったので、問題ありませんでした。そのあと、助産師さんが内診をして合っているか答え合わせをしていました。つらい陣痛中にたくさんお世話になったので、内診くらいお安い御用でした。 8人に囲まれての出産!いよいよ分娩です。先生に、助産師さん3人、助産学生さん2人、学校の先生、途中で来た夫と、なんと8人に囲まれての出産となりました。 先生が「象は出産のとき、たくさんの仲間の象に囲まれて出産するから、それに負けてないなー!」とうんちくを言っていましたが、必死の私は愛想笑いが精一杯。 先生のうんちくのお陰かリラックスでき、安産で元気に生まれてきてくれました。 こんなにたくさんの人に囲まれて、おめでとうと言ってもらって生まれてきた息子は幸せだなと思いました。助産学生さんは産後も様子を見に来てくれたり、退院のときも来てくれたり、本当にうれしくて貴重な体験ができたなと思いました。 学生や研修医が立ち会いをするということは、その学生さんが将来助産師さんやお医者さんになるための協力ができるということ。こんな素晴らしい経験ができて、本当によかったと思っています。 2年後の第2子出産のとき、「先生、今回も助産学生さんお願いしたいです!」とこちらからお願いしたところ、「今年は大きい病院で出産数足りているから、うちには来てないよ」と断られ、残念に思ってしまうほどでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:花野晴希2歳、0歳の2児の母。4月の長男が幼稚園に入園予定。そのタイミングで長女も保育園へと園活・保活・就活中。
2019年09月28日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 出産から5日目、ついに退院し、新生児とともに実家での生活が始まりました。 退院後は実家に帰り生活しました。父母がこれ以上ないくらい気をつかってくれて、上げ膳据え膳な生活でしたがストレスは減らず……。 サポートマックスな生活でこんなにつらいのに、夫のいる家に帰ったらどうなっちゃうんだろう……と不安でたまりませんでした。深夜に泣いたときのことは今でもよく覚えていて、思い出すだけで胸が苦しくなります。 あのときの自分を抱きしめてあげたい! 大丈夫だよ、時が解決するよ、毎日赤ちゃんもあなたもレベルアップしてるんだよ、と……!ホルモンのせいと一言でまとめられがちですが、つらいですよね。自分がこんなに情緒になるとは想像してなかったです。 ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年09月27日産後数カ月で職場復帰を予定していた私は、周りのママ友に話を聞いたり、インターネットで調べたりして準備を進めました。赤ちゃんを抱っこしたままの作業は大変でしたが、「やっておいてよかった!」と思えたことがいくつかあったので、ご紹介します。 出産後から職場復帰にカウントダウン!出産前、私は情報誌の編集部で働いていました。仕事が楽しくやりがいを感じていたこともあり、産休に入る前から「早めに復職したい!」と心に決めていました。そのため、出産を終えるとすぐに周りのママ友に話を聞いたり、「家事と育児の両立」や「共働きのコツ」を扱った雑誌・WEBサイトなどを読み漁り、脳内で何度も共働き生活のシミュレーションをしてみました。 初めての出産でわからないことだらけでしたが、「とにかく大変そう!」ということだけはわかったため、早め早めに準備をスタートしました。 いつ買い物に行く? 料理は作れる?職場復帰後にまず大変そうだなと予想したのは、毎日の料理づくり(特に夕食)でした。そこで産後4カ月くらいのとき、「16時に退社して買い物をし、夕食を作る」という想定で実際にやってみました。すると、ちょっとでも退社が遅くなったり、子どもがぐずったりすると、その分夜にしわ寄せがくることが判明。買い物は基本的に「ネットスーパー」と「生協」を活用することにしました。近所で帰宅後(17時以降)に食材を受け取れる「ネットスーパー」のサービスをおこなっている店を探し、利用を申し込みました。お米やおむつなど、重くてかさばるものを買うときは本当に助かっています。 また、「生協」は“炒めるだけ”や“あえるだけ”などの半調理品や、保存のきく冷凍食材が充実しており、早速利用をスタート。慣れてくると、30分ほどで夕食を用意できるスキルが身につき、復帰後に役立ちました。 子どもの発熱と残業への対策職場復帰後に一番恐れていたのは、「子どもの発熱」と「急な残業」でした。予測が難しく、「忙しいときに限って子どもが発熱する」などの体験談もよく耳にしていたからです。また、私も夫も実家は遠方にあるため、頼るのは難しい状況でした。そこで私は、生後数カ月の子どもと一緒に近所の「病児保育室」を訪ね、利用方法や予約のタイミング、必要なグッズなどをあらかじめ教えてもらいました。また、自治体の「ファミリーサポート制度」にも登録し、近所で子どもを預かってくれる方を紹介してもらいました。どんなときにどんなサービスが利用できるか知っているだけで、心強いものです。実際、職場復帰後に子どもが急に発熱したときも、慌てずに病児保育室を予約し、診察後に出勤することができました。 子ども名義の銀行口座を開設!子育てに必要不可欠なのが「お金」です。子どもが生後数カ月のころ、一緒に郵便局に行って子ども名義の口座を開き、貯金をスタートしました。金額は無理のない範囲に設定し、給料が入るとそこから天引きして毎月欠かさず貯金を続けています。親戚からもらったお祝いやお年玉なども、手を付けないまま全部そこに入金しています。早めにスタートしてコツコツ貯める習慣を作っておいたことで、今ではかなり大きな額になり、安心感につながっています。いつか子どもが欲しいものを買うときや、まとまった学費が必要なときなどに、活用する予定です。また、いずれは子ども自身に運用もさせてみたいなと考えています。 子どもが小さいうちの共働きは、慣れるまで想像以上に忙しかったです。しかし、職場復帰前に準備していたいろいろなことに、ずいぶんと助けられました。使えそうなものやサービスは積極的に活用して、大変な時期を乗り切りたいです。著者:大川香織小学2年生と1歳、2男の母。共働き。編集プロダクションや出版社で、子育て情報誌などの制作に携わった経験をもとに、さまざまなテーマで執筆。
2019年09月27日