初めての妊娠・出産で何もわからず、SNSで先輩ママたちの出産体験談などを読んでいましたが、いざ自分に陣痛を体験してみると想像とはまったく違うものでした。しかし、先輩ママさんたちのアドバイスを聞いていたおかげでできたこともありました。陣痛から出産までの私の体験をお伝えします。 いつもと違ったおなかの痛み臨月に入ったあたりから、夜中の2時ごろに起きてトイレに行くのが日課になっていました。その日は夫が4時に家を出ないといけない日だったので、起きてソファで横になっているとおなかのあたりに違和感を覚えたのです。そのときは軽い生理痛のような痛さで、「もしかしたら今日生まれるのかな〜」と考えるほど余裕がありました。4時前から痛みの間隔を計り始めたのですが、このときはまだ6〜15分とバラバラ。まだ痛みに余裕がありましたが、家を出る夫に「もしかしたら、今日生まれるかもしれないよ」と伝えておきました。 弱いおなかの張りから陣痛へそこまで痛さを感じないときにシャワーを浴びて入院準備をし、腹ごしらえにとアイスクリームを食べておきました。これらは、先輩ママの出産エピソードを読んでいたからできたことで、シミュレーション通りでした。7時ごろに病院に電話をかけると、「初産なのでおなかの張りが5分間隔になって、ごはんが食べられなくなるほど痛くなったら来てくださいね」とのことでした。 いよいよ病院へ向かい、ついに出産!10時を過ぎると、一気に5〜7分間隔の陣痛が始まりました。10時40分過ぎに病院に電話をし、向かうことに。車は上下に揺れ、陣痛が来るととても苦しく、ジェットコースターに乗っているようでした。病院に着いたときには子宮口はすでに6cm開いており、しばらくして分娩台に移動して1時間ほどで赤ちゃんが生まれました。 出産体験エピソードは参考程度にしかならないかもしれませんが、してよかったこと・すべきことなどはとても役に立ちました。私の場合ですが、家から出発直前まで「まだ食べられるな」などと考えていました。早く行き過ぎても帰らされる場合があると聞いたことがあったので、ギリギリまで耐えていましたが、陣痛中の車移動はとてもつらかったです。次回は少し余裕を持って移動したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:やすだ おと一女の母。妊娠・出産・子育てに関する体験談や、自身の海外留学、旅行についての記事を中心に執筆。
2020年09月07日夫婦ともに1人目の出産の経験から2人目も同じように考えていたら、まったく違う立ち会い出産になった、ちょっと笑えるエピソードを紹介します。 いくら2人目は早いと言っても…第一子の息子を出産時は、陣痛がずっと5分間隔のままで、子宮口も1cmから全然開かない状況が続きました。そして子宮口が全開大し破水するまで24時間かかり、その後も何度いきんでも全然息子が出てこず……。最終的には酸素マスクをつけられ、先生に押し出されるという形で出産を終えました。出産後、息子の頭が大きくて出なかったと聞かされましたが、トータル36時間の長く、つらい出産でした。そんな第一子の出産を経験してる私たちだったので、2人目は早いと言っても1日くらいはかかるだろうと思っていました。 出産予定日3週間前から前駆陣痛やおしるしが続いていたものの、結局出産予定日も過ぎてしまい、妊娠40週に突入。先生と相談して、卵膜剥離をしても陣痛が来ない場合は1週間後に薬で陣痛を起こすと決め、この日は卵膜剥離の処置をしてもらい帰宅しました。 その日は30分〜1時間おきくらいに痛みが起き、夜中3時過ぎに痛みで目が覚めたので、陣痛アプリを使うと10分間隔。いびきをかいて寝ている夫と息子を起こさないようにシャワーを浴び、陣痛の合間に出産入院の荷物の最終確認をして、軽く食事をとりました。そして6時過ぎに産院に電話すると「経産婦さんなのでもう来てくださいね」と言われたので、夫と息子を起こして産院に向かいました。 夫よ、どこへ行った?診察を受け、分娩室でいろいろな器具をつけられたのを見届けた夫は、息子を保育園に。私は先生に「自然に進むのを待つか、早めるか」と聞かれ、第一子のときの2日徹夜を思い出し「早く産みたいです!」とお願いしました。そのとき子宮口は4cm開いていたのでバルーンを入れ、6cmになったところで陣痛促進剤の点滴を開始しました。 その間にも陣痛は徐々に短く強くなっていたのですが、戻ってきた夫がモニターの波形をみて「おぉ、今陣痛来てる?」とか「痛い?」とか聞いて来て落ち着かないので、助産師さんが「進んだらまた呼びますから、待っていてください」と夫を一旦退室させてくれました。それが11時ごろ。 夫は追い出されている間に、市役所に行ったり、お昼ごはんを食べたりしていたようです。一旦病院に戻ってきたようなので助産師さんが夫を呼びに行ってくれたのですが、部屋におらず……。助産師さんが探してくれて「旦那さん……診察受けていました」と戻ってきました。夫は風疹の抗体があるのか検査をしてもらっていたそうで……なぜこんなときに……。 13時ごろ、陣痛が2分間隔になり、子宮口は7cm。「うーん、夕方くらいまでかかるかなぁ」と助産師さんに言われたのですが 13時半ごろ、急にズシンとお尻に力が入る陣痛が来ました。2回ほど耐えたのですが、3回目はいきみのがしができず……。「何か出そうです!!」と叫んで暴れてしまい、助産師さんが慌てて私の足を抑えバタバタしているときに、入ってきた夫が呆然としているのが目に入りました。 たまたま先生が通りがかり「あら〜頭もう見えてるよ!」と慌てて麻酔をして会陰切開をしてくれていきんでいいよ!と言われた瞬間に1回いきんだだけで生まれました。13時40分、病院に着いてから6時間のことでした。 間に合ってよかった第一子の出産のときに比べ、かなりの余力を残して出産を終えた私はだいぶ元気で、テンションもあがって赤ちゃんの写真を撮りまくっていたのですが、ギリギリ立ち会えた夫の第一声は「俺、何の役にもたたなかった……」でした。 第一子のときは出産ラッシュで助産師さんも看護師さんも足りなく、夫は腰をさすったり飲み物を飲ませてくれたりしてくれていたのですが、今回は私だけだったので助産師さんが付きっ切りでいてくれて夫は手持ち無沙汰→いろいろ用事を済ませてギリギリに帰ってくるということに。同じ病院内にいるのに、立ち会いに間に合わなかった!とネタのようにならなくてよかったと思います。 ちなみに余談ですが、長丁場になることを考え、片道2時間半かかるところに住んでいる実父に息子を家で見ててもらおうと夕方保育園のお迎えから頼んでいたのですが、保育園のお迎え前に生まれてしまい、少し早めに病院に到着した父も「えっ!! もう生まれたの?! 俺、何しに来たんだろう……」と、これまた唖然としておりました。 第一子の出産のときに36時間かかった私は、病院に着いて30分とか1時間で生まれるという話はまったく信じられず、前日の陣痛の予兆も夜中の陣痛が始まってからも「まぁまだ生まれないだろう。とりあえずアレとアレをやってからにしよう」と夫婦ともにのんきだったなぁと反省しました。経産婦さんは特に進みやすいとのことだったので、もし3人目を産むなら夫には病院から出ないでほしいと伝えようと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:兼松あかりイヤイヤ期真っ只中2歳10カ月の息子と8カ月の娘の二児の母。バイオ系研究員や知的財産の仕事を経て、引き出物プランナー・贈り物コーディネーターとして活動中。書籍を出版したことがきっかけでライター業もおこなう。
2020年08月31日よく「鼻からスイカが出るほど痛い」と言われる出産。でも経験するまでは、そんなこと言われてもイメージできない、痛い痛いとは言っても自分の気持ち次第でなんとかなるはずと思っていました。そんな私の絶叫陣痛体験談をお話しします。 妊娠中の私のバースプラン誰かの出産を身近で経験したこともないし、何から何まで初めての体験になる自分の出産。この体からどのように赤ちゃんが生まれてくるのか、思い浮かべてみてもあまりイメージできずにいました。 妊娠中に考えた私のバースプランには、「なるべく穏やかに出産に挑みたい」というもの。「生まれてくる赤ちゃんも大変」ということも頭にあったので、母としておなかの子に「大丈夫だよ」と語りかけるようなイメージで、落ち着いて、取り乱したりせず出産したい。そんな風に考えていました。 破水から始まった出産自分の出産が陣痛から始まるのか、破水から始まるのか、陣痛が来なくて誘発剤を使うことになるのか、こればかりは事前にはわかりません。 私の初めての出産は、妊娠40週で破水から始まりました。夫が休みの間に陣痛が来てほしいなと思い、スクワットなどいろいろ試してみたりしたのですが陣痛は来ず。諦めて「一旦考えないようにしよう」と思っていたら、明け方、寝ているときに破水が起きました。初めての経験でしたが「これは破水だ」とわかり、すぐに夫と一緒に産院へ向かいました。 破水が起こったことにより「これから出産が始まるんだ」という心構えもできたように思います。 叫ばずにはいられない!陣痛がどんどん強くなり、子宮口が7cmほど開いてきたころから「これは思いの外痛いぞ」と感じていました。陣痛の波が来るたびに今まで経験したことのない痛みがやってきます。頭では「痛い」と叫んでもどうしようもないことはわかっているのですが、叫ばずにはいられませんでした。 ただただその時々の状況についていくのに精一杯で、持参したアロマもCDも使う余裕がありません。今では笑い話ですが、「い……痛い! 痛い! ギャー!」と叫ぶことで体力を消耗し、陣痛が引いている数分間は眠ってしまう私を見て、夫はそれはそれはものすごく心配したのだそうです。 大絶叫のなか、結果的に破水から6時間で無事に赤ちゃんは生まれてきてくれました。助産師さんからは「もっとかかるかと思ったけれど、早かったね!」と言われ、お産の進みも早く安産でした。 知人から、「陣痛で待機している間、隣のLDRから“痛い!” と叫んでいる声が聞こえて、出産が怖くなった」という話を聞き、私はそうならないようにしようと出産前は思っていました。ですが、いざ自分の出産となると絶叫……。叫び声はきっと隣の部屋にも聞こえていたでしょうから、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今思うと、私は叫ぶことで痛みから気をそらしていたのだと思います。何もそんな風に気をそらさなくてもよかったのですが……。出産は理想通りにはいかないものだな、と身をもって実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:立田みのり一男一女の母。妊娠、出産を機に退職後、現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年08月29日特に妊娠中のトラブルもなく穏やかに妊婦生活を送っていた私でしたが、最後の1週間で突然湿疹とかゆみに襲われました。妊娠期間中で一番つらい1週間を過ごしたときの体験と、かゆみの原因についてもお話しします。 下腹部のかゆみ妊娠38週で突然下腹部がかゆくなり、「臨月だし赤ちゃんが急成長して皮膚が引っ張られてかゆいのだろう」と軽く考えて、ついついおなかを無意識にかいてしまっていました。皮膚の乾燥も考えられるかゆみの要因の1つだったので、念のため妊娠線対策のケアも強化しておこなっていましたが、改善は見られず。ふとおなかを見てみると、下腹部全体に赤い湿疹とニキビのようなブツブツができてしまっていたのです。 病院へ行き、薬を処方されるが…あまりにかゆくて夜中も起きてしまうようになり、状態も下腹部から足先まで広がってしまったので、妊婦健診の際に医師に相談することに。診断によると、妊娠が原因で起きる症状だそうです。じんましんのようなもので、赤ちゃんを異物だと認識し体が拒絶反応を起こしてかゆみや湿疹ができるとのこと。「産んだら治る」と言われました。対策としては処方されたヒルドイドをかゆみのある部位に塗ること、患部を保冷剤で冷やすことです。言われた通りに薬を塗り続けましたが、かゆみが改善されることはなく「もうかゆくて限界だから、お願い早く出てきて」と赤ちゃんに話しかける日々でした。 産んだら治る?最終的には産んだら治ることを信じるのみだったので、とくかくしんどかったです。激しいかゆみと湿疹により抱えたストレスは、想像以上に大きいものでした。臨月でトイレも近くなり夜中に何回か起きてしまうのに、それ以外にもかゆみで起きてしまい、無意識に掻いてしまっているので症状は悪化し、産前からすでに寝不足状態。おなかを冷やすことは赤ちゃんにとって良くないと思い、おなかだけは冷やすことができず我慢する日々でした。 ついに出産かゆみが出てからちょうど1週間が経った日にいよいよ陣痛が来ました。やっと赤ちゃんに会える喜びと、このかゆみがやっと終わることがとてもうれしく、早く出産を終えたいという気持ちでいっぱいでした。 しかし、陣痛中もかゆみに悩まされて、痛みとかゆみが交互に襲って来て休む間もない状態。足を温めるとお産が進みやすくなるとのことでしたが、温めるととてもかゆくなってしまうので、助産師さんに足を保冷剤で冷やしてもらいながら陣痛に耐え……。やはり温めていないのと、体力がなかったためか陣痛の間隔もなかなか縮まらず、20時間ほどかかりましたが、無事に出産を終えました。出産後はこのかゆみから解放されると信じていましたが、私の場合は出産後1週間ほどかゆみは続いたのです。 寝不足と慣れない育児、産後のホルモンバランスの関係で、精神的にも追い詰められたように感じます。産後1週間を過ぎてからは、やっと徐々にかゆみはなくなっていきました。 順調にあとは出産するだけだと心構えをしていた矢先に起きたできごと。妊娠中は出産まで何が起こるかわからないと、第1子を妊娠中に思い知らされました。そして出産後もかゆみが継続し、初産だったこともあり、かなり大変な産前産後でした。次に妊娠するときに再発しないことを願います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:渡辺ひかり1歳男児の母。結婚を機に退職。パートナーの転勤で現在は慣れない土地で子育てに奮闘中。自身の体験をもとに出産・育児などのテーマを中心に執筆中。
2020年08月26日「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月24日若いころ、出産の痛みは「鼻からスイカを出すくらい痛い」という例えを聞いて、出産とは赤ちゃんが出てくる“その瞬間”の痛みがすごいのだと思っていました。妊娠してから、その前の陣痛が相当痛いらしいということを知りましたが、実際に出産を経験してみると、ほかにも意外な痛みがあったのです。 陣痛は叫び声が出るほどの痛みだった!私の初産は陣痛促進剤を使っての出産となりました。陣痛促進剤の点滴が始まってしばらくすると、だんだんと生理痛のような痛みが襲ってきました。 もともと、それほど生理痛がきついほうではなかったので、徐々に強まってくる痛みに「あーこれはしんどいかも」と思っていましたが、まだまだ序の口。少しずつ少しずつ強まっていく痛みに耐えること6時間。終盤は思わず叫び声が出るほどの痛みでした。 「やっと陣痛の痛みから解放された!」初産にしては6時間というのは短かったようですが、自分としてはこれほどの長時間、これほどの痛みに耐え続けた経験はありませんでした。「生まれる瞬間は感動するだろうな~」なんて呑気に思っていましたが、なんといっても「やっと陣痛の痛みから解放された!」という喜びが一番強かったように思います。 わが子が生まれる瞬間、鼻からスイカを出すくらい痛かったかというと、正直なところよく覚えていません! とにかくいきむだけで精一杯でした。 傷を縫う痛みが意外と痛かった!無事に出産を終えると、カンガルーケアでわが子を抱かせてもらい、やっとじわじわと「自分の子に会えた」という感動が湧いてきました。そんなとき、出産という大仕事を終え、解放感に浸っている私の耳に聞こえてきたのは、「(会陰の)裂けたところを縫いますね」という医師の声でした。 「ふーん、縫うのか」くらいに思っていると、これが意外と痛い! 陣痛の鈍い痛みとは違う、パチン!と弾かれるような痛みに思わず「痛い!」と声をあげてしまい、「ごめんね、すぐ終わるからね」と先生も苦笑いをしていました。 会陰の傷を縫う痛みが陣痛よりも痛かったというわけではないのですが、「もう痛いことは全部終わった!」と思い込んでいたところの意外な痛み。なんだかとても印象に残っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月22日子どもが元気で生まれてくることは当たり前ではない。そうわかっていながらも、どこかで他人事に思っていました。これは第二子を出産したときの話ですが、私たち家族が息子に障害があるかもしれないと言われ、前を向いて歩き始めるまでのエピソードです。 妊娠から出産まで妊娠中はつわりがあったものの、妊婦健診でも特に異常と言われることなく出産当日を迎えました。出産予定日より1週間遅れ、陣痛誘発剤を使って出産する予定になっていたその夜に陣痛がきました。10時間ほどかかって自然分娩で3,536gの元気な男の子を出産。 生まれてきた赤ちゃんはしっかりと泣き声をあげていたのでほっとしていると、先生が「この子は体の左右の色が違うね」と気になることを言いました。でもこのときは、ただのあざだと思ってそこまで気にしていませんでした。 新生児健診で不安がつのる生後3日目に小児科医による新生児健診がおこなわれ、息子は最後でした。周りの赤ちゃんが特に問題もなく終わっていくなか、息子の番に。すごく深刻な顔をした先生は、「体の色が違うということは、血管に異常がある可能性があるということ。そうなると脳や神経にも何かしら異常があるかもしれないので、検査が必要です」と。 自分の心拍数が上がるのがわかりました。先生がいなくなったあともその場から動けず、あふれ出る涙。なんで元気な体で産んであげられなかったのか自分を責め、どうしてわが子なのか、受け止めきれませんでした。 事実を受け止め、前に進めるようになるまで緊急を要する病気ではないこと、また里帰り出産だったこともあり、検査は1カ月後に現在住んでいる家の近くの病院を受診することになりました。それまでの1カ月間、病名もわからずただただ不安な毎日。自分を責めたり、息子の将来を悲観したり、とにかく毎日息子を見ては泣いていました。そんな私を変えてくれたのは夫のひと言。「どんなに健康な人だって、いつ病気になるかわからない。〇〇くんは、たまたま生まれたときからそれが目に見えているだけだ。他の人と何もかわらない。彼は元気なのが当たり前じゃないのを教えてくれているんだよ」。そう言われて、元気なことが正しいことのように思っていた自分に気付きました。 検査の結果、幸い心臓や内臓に何も異常がなく、経過観察となりました。病名もこの段階では、はっきりとした診断をもらえませんでしたが、その後、「大理石紋様先天性毛細血管拡張(だいりせきもんようせんてんせいもうさいけっかんかくちょう)」と診断。検査までの1カ間、息子に申し訳なく将来が不安で泣いて過ごしていた私ですが、気持ちを切り替えどんなことがあっても息子を守り、一生支えていくと心に誓い、泣くことをやめました。そして、目の前に生きていてくれることがどんなに尊くありがたいことかを強く感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:天川みほし5歳女児と2歳男児の母。前職は公務員として子育て支援の仕事をしていたが、夫の転勤に伴い退職。故郷を離れ、初めての土地で子育てに奮闘中。
2020年08月22日実家を離れて暮らしている私は、出産のときは里帰りをしました。安心できる実家で産前・産後を穏やかに過ごすつもりだったのですが、さまざまな祖父の言動に悲しい思いや悔しい思いをして傷心。苦い思い出が残る里帰りでした。 長い里帰り、祖父への不満続出切迫早産の兆候があったので、里帰り出産を予定していた私は、大事をとって妊娠7カ月のときに早めの帰省をしました。平日の日中、父と母は仕事に出ており、在宅している祖父母と過ごす時間が長くなったのです。 祖父は亭主関白な性格で、自分の身の周りのことはほとんど祖母に整えてもらっていたり、上からものを言うことも多かったりして、長い里帰りの期間で祖父への抵抗やいら立ちが私のなかで出てくることが多々ありました。 私は炊事係!?実家とは言え、家事などは進んでする気持ちでいた私は、家の農業の手伝いや食事作りをできる範囲でおこなっていました。しかし、妊娠初期から眠気が強く出ていて睡魔が襲ってくることが多く、家事ができないことが度々あったのです。 ある日、お昼になってテレビを観ていた祖父が「まだごはんの用意ができないのか」と怒ってきました。当時、祖母は昼過ぎまで農業に出ていたため、私が昼食を作ることが多くなっていたのです。食事の時間はわかっていたけれども眠気とだるさで動く気がしなかった私は、祖父の言葉にため息。しかも祖父はただテレビを観ていただけ! 自分本位な言葉に「私はあなたの炊事係なの!?」と悲しい気持ちになりました。 母を悪く言わないで!祖父は嫁である私の母に、厳しいところが昔からありました。里帰り中も度々喧嘩をして、母がグチをこぼしていたのです。普段はあまり深入りしない私ですが、1度だけ祖父の言動にひどく気持ちを揺さぶられて、「お母さんは悪くない!」と抵抗し、祖父と大喧嘩したことがありました。 そのときは、母が祖父のことを思って忠告した言葉に祖父が怒って暴言を吐いたので、私は許せなかったのです。今思うと、産後1カ月経たないころで気持ちが不安定になっていたのかもしれませんが、祖父と喧嘩をしたことが里帰り中何よりつらい体験でした。 祖父にこんな感情持ちたくない!祖父に不快な感情を持つということ自体、娘を産んだばかりの私にとっては悲しいことでした。というのも、娘の祖父となった私の父が、娘をとてもかわいがってくれている姿を目の前にして、将来娘も私と同じように「じいちゃんが憎たらしい」という感情を持つことがあるのかもしれないと考えると複雑な気持ちだったのです。しばらくして冷静になった私は、否定的な感情に折り合いをつけて、なんとか祖父と和解しました。 7年たった今となっては、久しぶりの長い実家生活で、家族の嫌な部分が見えてきてしまったのかなと思います。祖父にいら立っていたのは少し感情的になっていたのかもしれません。悲しかったり悔しかったりして苦い思い出が残る里帰りでしたが、実家で家族とゆっくり過ごせた貴重な時間でした。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月17日私の妹には2人の娘がいて、さらに最近もう1人の女の子を出産し、3人の娘を持つママとなりました。妹が出産して、私も妹の義父もすぐ面会に行ったのですが、義父があり得ない発言をしている場面を目の当たりにしました。そのときの体験談です。 義父はかなりの亭主関白義父は“男は仕事、女は専業主婦であるべき”で、さらに“育児は母親がすべてするのが当たり前”という考えを強く持っていて、かなりの亭主関白。義父・義母は自営業を営んでおり、妹の夫も一緒に働いています。 普段から夫も義母も義父の言うことは絶対で、逆らうことができない様子でした。妹が夫におむつ交換を頼んだところ、「男がそんなもんするもんじゃない。女がすればいいじゃないか」と平然と言っていたようです。 今までも反応はいまいちだった義父義父は自営業を営んでおり、跡継ぎが欲しいためか男の子を望んでいるようでした。今思えば1人目、2人目が生まれたときに反応がいまいちだったのは、単にうれしいという気持ちを表に出すのが苦手というわけではなかったのかもしれません。妹いわく、以前に義父は「女の子が生まれても家業を継いではくれない。女の子では意味がない」とも話していたようです。 1人目、2人目とも女の子ではなく男の子だったら義父の反応はもう少し違ったのかもしれないという思いがあります。3人目の性別が女の子だとわかり、妹が義父に報告したときも反応はいまいちだったようです。 「また女の子か……」そして、出産直後に面会へ行くと義父が「また女の子か……」とはっきり聞こえる口調で、信じられない発言をしていました。妹も特に反論はしませんでしたが、表情は一変しました。私も未だに義父のような考えを持っている人がいるのか、と信じられませんでした。 しかし退院をして落ち着いた今、妹は気持ちを抑えて夫が肩身の狭い思いをしないように努力している様子。3人の娘たちから義父に手紙を書いたり、写真を送ったりして女の子がいかにかわいいのかアピールしていたところ、義父の態度が軟化したようで、良い関係性を築くことができたようです。 今回は妹の体験談を紹介しました。未だに“男は仕事、女は専業主婦”という考えがあるのだと、聞いて驚きました。しかし妹は義父との関係を改善するために行動し、改善することができていました。義実家との関係は今後も続き、拒否ばかりでは改善が見込めないため、妹のように少し踏み込んでいくことも大切なのだと学ぶことができました。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年08月15日出産時、排便をしてしまうことがある、入院すると浣腸をする……。そんな話を聞いたことはありませんか? 産院によってもいろいろな方針があるようで、私の場合、第一子、第二子・第三子で対応が違いました。それぞれの産院での出産体験談をお話しします。 第一子出産では浣腸の処置があった私が第一子を出産した産院は、陣痛がきてから入院となった時点で浣腸の処置がありました。腸内の便をすべて出し切るために、浣腸後に便意がきても、しばらく我慢するように助産師さんから指示がありましたが、私はすぐにギブアップ! 浣腸後、すぐにものすごい便意の波がきて、即トイレへ行ってしまいました。 そして偶然かもしれませんが、排便後は急速に陣痛が強くなっていきました。 出産時の排便が不安…でも浣腸は嫌!出産時の排便が不安な反面、第一子出産時の浣腸後の「猛烈な便意」と「急激な陣痛の進み具合」から、私は浣腸がトラウマになってしまいました。 そのため、第二子、第三子の妊娠中も「また出産のときに浣腸をしたら嫌だな……」と不安に思っていました。かといって、夫の立ち会い出産を予定していたので、「いきんだときに便が出てしまうのも恥ずかしいし……」と、気持ちの葛藤があったことを覚えています。 第二子・第三子の出産では浣腸なし ところが、第二子、第三子のときはそれぞれ別の産院での出産となりましたが、どちらの産院も浣腸の処置がありませんでした。このとき、産院によって方針が違うことを初めて知りました。 そこでバースプランを伝える際、助産師さんに第一子出産時の浣腸で不安になったことを話したところ、「出産時の排便は自然なことだから、最近は浣腸をしない病院も増えているんだよ」と教えてくれました。便が赤ちゃんに触れる前に助産師さんがしっかり処置してくれるので心配ないとのことでした。 出産時の排便は自然なこと、さらに出産時はそれでころではない!とはいえ、排便したかどうか気になるものです。浣腸の処置があるかないかも含め、不安なときは医師や助産師さんに相談してみると不安が軽減しますよ。これから出産を迎えるママは、不安を取り除いてから出産に臨めるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:imasaku監修/助産師REIKO著者:東 慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2020年08月10日立ち会い出産は、生命が誕生する瞬間を家族と共有できる機会です。わが家のパパは、出産当日まで立ち会うかどうか迷っていました。そんな夫にビックリさせられた、立ち会い出産時のエピソードをご紹介します。 立ち会い出産、そんなにいいものなんだ!私の周りにいるママたちのほとんどが、夫立ち会いのもと出産をしています。「夫がいることで安心して出産に臨めた」と話すママが多く、立ち会い出産をすることで夫に出産の大変さをわかってもらえたという声もありました。 私は、立ち会い出産を経験したことがなかったので、「そんなにいいものなんだ!」と驚きました。一方で、「立ち会い出産を後悔した人もいる」という話も聞いたことがあります。実際に経験しないとわからないことなのでしょうね。 立ち会い出産の感じ方は人それぞれ立ち会い出産はいいものなんだ。そんな周りの声を聞いた私は、2人目妊娠時に立ち会い出産をしようか迷いました。夫に「立ち会い出産をしたい?」と聞いてみたところ、「どちらでもない」との返答が……。 「妻が苦しむ姿を見るのがつらい」など、立ち会い出産を後悔した人の声を聞いて悩んでいると言っていました。人によって感じ方が異なるのでしょう。出産当日まで立ち会うか、夫は迷っていました。 立ち会い出産をすると思いきや…!?夫から出産に立ち会うか答えを聞かないまま、陣痛がやってきました。1人目出産時は私ひとりで頑張りましたが、2人目のときは腰をさすってくれるなど、夫のやさしさに触れることができてよかったです。 陣痛の間隔が短くなり、そろそろ出産というとき、夫はこのまま立ち会い出産をすると私は思っていました。ところが……! なんと途中で夫が脱走! 私はあ然としてしまいました。夫は今まで見たことのない状況に耐えられなくなったのでしょう。ただ、このときは、そんな夫の行動が恥ずかしくてたまりませんでした。 ここまで一緒にいてくれるなら最後までいてくれたらよかったのに……。予想外の行動にあ然としてしまいましたが、今では出産のおもしろエピソードとなりました。今振り返ると、夫なりにできる限りのサポートをしてくれたことに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年08月08日初めての出産、切迫早産で自宅安静の日々を経てやっと訪れた出産予定日。しかし、それから数日過ぎても陣痛が訪れないので、ついに陣痛促進剤の使用が決定! 思いがけないことが気になった私の出産話を聞いてください。 出産予定日+6日で陣痛促進剤決定切迫早産で約1カ月間自宅安静をしていましたが、出産予定日に近づいてもう大丈夫! ……となったのになかなか陣痛が来ない……。歩いても階段を昇降しても少し張るだけのおなかに、妊娠41週0日での誘発分娩が決まりました。 入院の流れを説明されたあとは「いよいよこの日に生まれるのか、日にちが前もってわかるなんて不思議!」くらいの気持ちでした。 陣痛促進剤投与当日、朝9時ごろから陣痛促進剤の点滴を打ち始めました。まずは少ない量から徐々に増やしていくようで、テレビを見ながら夫と助産師さんと談笑しながら何ともなく午前中が過ぎていきました。 昼食を食べて薬の量が増えていっても特におなかに痛みはなかったので、夫は昼食を摂りに一旦外へ出ていきました。午後1時を過ぎたころ、なんだか便意を感じて1回目のトイレに行かせてもらったところ、ゆるめの便が……。産院着でおなかが冷えたのかな?と思いながらまた分娩室に戻りました。 いよいよ陣痛が! この痛みは何?その後、徐々におなかの張りが強くなっていき、助産師さんも「これで陣痛が乗ればいいですね!」と小まめに確認してくれました。それでも便意は続き、2回、3回とトイレに立たせてもらう状態の私に、「陣痛促進剤で少し緩くなっているのかもね」と助産師さんが声をかけてくれました。外出していた夫が午後2時ごろ戻ったときには、おなかの痛みが陣痛なのか腹痛なのか、とうとう区別がつかなくなっていました。 このころ、かなり陣痛は強くなっていたようで、もうトイレには立たせてもらえなかったのですが、相変わらず便意を感じていた私は、「ここで漏らすのは絶対に嫌だ!」と、ただただそれだけを考えていました。 出産は便意との闘い いよいよ喋れないくらい陣痛が強くなってきたときも、助産師さんからは「まだいきんではダメ! 逃してね」と言われていましたが、私にとってはいきんだら便が出てしまうという感覚だったので、必死にこらえていました。しかし、「もういいよ! いきんで!」の合図でおなかに力を入れるときには、痛みが最高潮で便意がどうとか考える余裕もなく、早くこの痛みをどうにかしたい! という一心でいきみました。陣痛の合間にずっと気になっていた便意を伝えると、「あぁ、ちょっと出てるね。でも大丈夫! このままいきんで!」と回答がありました。もうろうとしている頭ではもう恥ずかしいという感情は湧きませんでした。直後に破水し羊水も一気に出たので、もうとにかく全部出してやる!といきみ続け、無事に出産することができました。 私は陣痛の痛みについて聞かれると、「おなかをこわしたときの痛み × 数十倍」と答えます。今でもあの分娩室で、必死に便意と戦った記憶は鮮明に覚えています。産院のみなさんは、おそらく慣れていらっしゃるでしょうからそこまで気にすることはないのかもしれませんが、願わくば次の出産時には、便意と直結しない陣痛を感じたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:歌 啓子1歳男児の母、転勤族の妻。子育てはフランス流を実践、夫は息子の爪切り以外はすべてこなせる育メン。2018年9月より在宅勤務にて復職し、転居先の地で友達作りに勤しんでいる。
2020年08月07日毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われており、出産予定日を過ぎても陣痛が来る気配がなく、妊娠41週のときに誘発分娩のため入院。初産で4,300g超えのビッグベビーを出産したときの体験談です。 陣痛の気配がなく誘発分娩へ毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われ、妊娠40週の健診の際には、おなかの中の赤ちゃんの推定体重は3,800g。妊娠41週を過ぎても陣痛の気配がなく、このままでは赤ちゃんが大きくなり過ぎるため、翌日に誘発分娩のために入院することになりました。 入院1日目にラミセル、バルーン挿入という子宮口を開く処置をおこない、入院2日目の朝から陣痛促進剤を点滴する予定でした。1日目の朝にラミセルを挿入し夕方に抜去、その後にバルーンを挿入すると自然と陣痛が始まり、バルーンも抜けたため、陣痛促進剤は使用せずにこのまま自然陣痛で出産する方向になりました。 一向に強くならない陣痛 陣痛が始まったものの、陣痛の間隔はなかなか狭まらず、強さもずっと我慢できる程度の痛みで、テレビや携帯を見る余裕もありました。助産師さんからも「微弱陣痛だね」と言われていて、LDRへ移ってからは少し陣痛が強まりましたが、まだ周りの話し声を聞く余裕がありました。 赤ちゃんはなかなか下りてこず、地味に痛い陣痛と付き合うことになり、後半は痛みというよりも睡魔との戦いでした。結局人工破水をし、やっと赤ちゃんが下りてきて分娩の準備に入ったのは陣痛開始から12時間後でした。 下から吸引して、上からは馬乗りに!陣痛に合わせていきむのですが、まったく赤ちゃんが出てくる気配がありません。赤ちゃんが大きいこと、そして私の陣痛持続時間が短く陣痛間隔が長いことが問題でした。1回の陣痛で1〜2回しかいきめず、次の陣痛までの待ちが長いため、赤ちゃんが戻ってしまう状態でした。 私のいきみだけでの出産は難しいと判断され、下から吸引し上からはおなかに助産師さんが馬乗りになりました。陣痛のタイミングに合わせて同時にいきむ、引っ張る、押し出すといった感じでした。なんとか頭が出ましたが今度は肩がつかえ、もう一度いきむ前に陣痛は終わり、その後はいきんでもまったく出てきません。結局先生が引っ張り、助産師さんが押し出し、なんとか赤ちゃんを出すことができました。出てきてびっくり! 推定体重+500gの4,300g超えのビッグベビーでした! 健診のときから大きめの赤ちゃんだと言われていたため、ある程度覚悟はしていましたが、まさか4,300gもあるとは思いませんでした。初産でかなりのビッグベビーでしたが、吸引分娩とおなかを押してもらうことでなんとか無事に出産をすることができました。出産まではいろいろと大変でしたが、生まれてからはよく飲んでよく寝る子で、どっしりとしていてお世話もしやすいです。ビッグベビーも悪いものではありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:manami.koiso著者:塚田さき0歳男児の母。普段は作業療法士として訪問看護ステーションで勤務、現在産休中。自身の体験をもとに、主に体験談を中心に執筆している。
2020年08月06日ぽぽこの出産体験談 第7話 無事に赤ちゃんが生まれてほっとしたのも束の間、後陣痛や会陰縫合など更なる痛みに苦しまされてしまったぽぽこさん(涙)。 妊娠中のつわりから出産まで壮絶な体験をされたと思いますが、かわいいお子さんに会えて、本当によかったですね! ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月05日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒にお買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもはひとりでもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが1番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2020年08月05日出産体験談 第6話 制御不能でまさかの尿失禁……!! そして続けて猛烈な吐き気に襲われるぽぽこさん。 いきんでもいきんでも出てこない……体力も奪われてしまいますね(涙)。 次回、いよいよ感動の出産の瞬間です! ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月04日出産体験談 第5話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。我慢できないレベルの痛みでつらく不安なとき、すぐに駆け付けてくれた助産師さん! 安心しますよねぇ~! その後、おなかの中で太鼓祭りが始まってしまったぽぽこさん。このあとどうなるのでしょうか? ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年08月02日娘を出産する際、私は無痛分娩を選択し、痛みのないラクな出産になる予定でした。しかし、予期できなかったトラブルが次々と発生! そんなトラブルを乗り越えた、私の出産エピソードをご紹介します。 出産予定日を1週間過ぎても赤ちゃんが生まれる兆候がなく、先生と話し合い、計画分娩となりました。そのとき、おなかの赤ちゃんはすでに3,000gを超えていたので、少しでも体に負担がかからないよう、無痛分娩を選択しました。ところが! 当日の朝から陣痛促進剤を使用しても、反応のないまま夕方を迎えることに……。2本目の陣痛促進剤を使用し始めてすぐに、ようやく陣痛がつき始めましたが、その後、赤ちゃんの心音が安定しない、陣痛が最高潮のときに麻酔が切れ始めてしまい、強い痛みを一時的にではありますが経験したり、子宮の収縮が悪く、1L以上の大量出血など次々とトラブルが起こり始めたのです。 出産は、予期できないトラブルが起こり得ます。不安に思うことも多いですよね。私の場合、わが子に会いたいという強い思いもあわさって、トラブルを乗り越えられたのではないかと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/片岡花作画/和田フミ江
2020年08月01日妊娠期間は何事もなく過ごし、いよいよ出産! でも、なかなか生まれてこなくて……私が体験した出産までのエピソードをお話しします。 楽しかった妊婦期間妊娠期間はつわりもなく、体調不良もなく、すこぶる健康妊婦でした。妊娠期間はのんびり過ごすことができ、夫と2人きりの最後の旅行にも行き、楽しんで生活していました。このまま何事もなく出産して、子育てしていくんだろうな〜と当然のように思っていました。 おなかの張りは陣痛だった出産予定日が近づいてきたある日、今日はやけにおなかが張るなぁと感じました。そのまま夜になり、夕食を食べ終えたころからおなかの張りが収まらなくなって、これは何か変だぞ?と思い、病院に電話。状況を説明しても陣痛ではないようでしたが、少し心配だったので、夜間に病院へ。 診てもらうと、なんと子宮口が5cm開いていると言われ、驚き! 感じていたおなかの張りは、どうやら陣痛だったようです。 深夜からは痛みを感じるようになり、このままだと早ければ朝方に生まれそうと言われ、痛みを感じながらもいよいよ赤ちゃんに会えるのが楽しみでした。 緊急帝王切開、そして無事出産!陣痛の痛みがだんだん強くなっていく一方、朝になっても子宮口が5cmのまま開かず、帝王切開を提案されました。当然、普通分娩できると思っていた私は大ショック。普通分娩で産んであげられないことへの申し訳なさから、涙が……。なかなか決断ができず、陣痛が始まってから12時間後、このままでは赤ちゃんも苦しいよという助産師さんの言葉に背中を押され、緊急帝王切開をすることにしました。 手術中、麻酔で動けませんでしたが、赤ちゃんの産声を聞くことができ、思わず感動して涙が溢れました。 今はどんな形であれ、赤ちゃんが健康で無事に生まれてきてくれたことに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:塩澤 萌華初めての子育てに奮闘中の30代ママ。子どもの昼寝中におやつを食べるのが至福の時間。
2020年07月26日出産予定日の1週間前、長男の運動会で少し張り切りすぎてしまい、次の日に足がパンパンにむくんでしまいました。むくみが治まらずに運動会2日後に陣痛が起き、そのまま分娩室へ向かうことに。 いざ出産のときを迎えましたが、いきんでもいきんでも赤ちゃんの頭が見えるだけで赤ちゃんが出てきません。そこで提案されたのが会陰切開でした。そんな私が経験した会陰切開やその後について紹介します。 実際に会陰切開を受けたときは?赤ちゃんの頭が見えている状態のまま出産が進まなくなったとき、会陰切開を提案されました。むくみがひどく、自分自身もいきむ体力が残っていなかったため、すぐにお願いしました。 切開前に局部麻酔をしたので切開の痛みはありませんでしたが、はさみでジョキンジョキン切られた音は鮮明に覚えています。 会陰切開後の縫合は?会陰切開をするとすぐに赤ちゃんが生まれました。会陰切開の縫合前に、赤ちゃんを胸に乗せてもらい、抱っこをした記憶があります。対面後、赤ちゃんは計測や着替えのため連れて行かれ、私自身は傷を縫合することになりました。 縫合も麻酔のおかげで痛みはほとんどありませんでしたが、糸がスルスル通っている感覚があり、とても違和感がありました。麻酔が切れると痛みを感じるようになり、痛み止めを処方してもらいました。 会陰切開後の症状や産後は?会陰切開の縫合には溶ける糸を使用していたため、抜糸はありませんでしたが、傷口のチェックがありました。傷の腫れなど異常がなければ、出産の24時間後にはシャワーに入れました。 会陰切開後の違和感でトイレに行くのが怖くなりましたが、トイレに行かないわけにもいきません。トイレのあとは傷口の消毒が必要で、その指導も受けました。数日は会陰部の違和感がありましたが、退院後2週間健診まで、特に注意することはありませんでした。 出産前の会陰切開に対する想像が大きすぎて、実際の会陰切開ではあまり怖さを感じませんでした。むしろ、会陰切開のおかげで赤ちゃんが元気に無事に生まれてきたので、切開してくれてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2020年07月21日ぽぽこの出産体験談 第4話 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月19日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪Twitterでフォロワー1千人超えのぽぽこ(@popoko_t)さんの出産体験談をお届けします。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 最近編み出したう○ち対処法で〜す!お試しあれ〜(*^ω^*)#育児漫画 #育児絵日記 pic.twitter.com/vq7HkYxgHD— ぽぽこ@1y2m (@popoko_t) July 7, 2020 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月17日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪Twitterでフォロワー1千人超えのぽぽこ(@popoko_t)さんの出産体験談をお届けします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※妊娠初期につわりで食事が十分に摂取できなくても、おなかの中の赤ちゃんはママからの栄養をあまり必要としないため、深刻に考える必要はありません。ただし、症状がひどく、水分が摂取できなくなるような場合は早めに受診しましょう。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 最近編み出したう○ち対処法で〜す!お試しあれ〜(*^ω^*)#育児漫画 #育児絵日記 pic.twitter.com/vq7HkYxgHD— ぽぽこ@1y2m (@popoko_t) July 7, 2020 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月16日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪Twitterでフォロワー1千人超えのぽぽこ(@popoko_t)さんの出産体験談をお届けします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ぽぽこさんのマンガは、このほかにもTwitterで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 最近編み出したう○ち対処法で〜す!お試しあれ〜(*^ω^*)#育児漫画 #育児絵日記 pic.twitter.com/vq7HkYxgHD— ぽぽこ@1y2m (@popoko_t) July 7, 2020 著者:イラストレーター ぽぽこ平成最後に息子を出産。妊娠・出産・育児のトライアスロン中。子育てしながら育児漫画描いたり、地道にイラストレーターの活動もしてます。家事は基本ズボラです。
2020年07月15日初めての出産よりも2人目の出産はスムーズで、出産予定日より早く生まれたり、お産の時間が短いと聞いたことがあり、2人目の出産はすぐに終わるだろうと甘くみていました。ところが、1人目の出産も2人目の出産も、私にとっては壮絶な体験でした。何回経験しても、出産というものは大変なものでした。 「2人目の出産はスムーズ」って本当?2人目を妊娠中に、2人目は出産がスムーズ、出産予定日より早く生まれる!など、産婦人科で一緒になったママさんやママ友に聞いたことがあり、実際に産婦人科の先生からも、前回の出産から2年以内のほうがよりスムーズに出産できる傾向があると聞きました。 私の場合、年子の出産だったため、2人目はラクだろうという感覚になってしまい、完全に安心しきっていました。ところが、実際の出産はとても大変なものでした。 陣痛はきているのに子宮口が開かない!陣痛がきたのは夜の9時ごろ。まだ我慢できる痛さだったので、ごはんを食べてお風呂に入り、横になりました。前駆陣痛だと思ったのですが、痛みは治まらず、間隔もどんどん短くなり、病院に行くと子宮口が4cm開いていました。 ところが、陣痛の間隔は1分間隔になっているのに、子宮口は4cmのまま。長い陣痛に体力を奪われ、意識を保つので精一杯でした。これ以上は母子ともに危険ということで、人工破膜の処置をしてもらいました。 何回経験しても出産は大変人工破膜してもらったものの、回旋異常で赤ちゃんがまったく降りてきませんでした。陣痛は7時間以上も続き、やっと分娩の体勢に入りましたが、すでに体力はなく、意識も遠のいていく私。酸素マスクをつけてもらい、わが子のために必死で力を振り絞って出産しました。 長男のときは不安もありましたが、スムーズな出産でした。ですが、次男は大変な出産だった記憶しかありません。私の場合、2人目の出産のほうがラクなんてことは決してありませんでした。何回経験しても、出産は大変なものだということを実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa監修/助産師REIKO著者:木村えま二児の母。年子育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年07月12日もともと里帰り出産を予定しており、妊娠3カ月ごろに分娩予約をしていました。しかし、4月になって新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が出たころ、病院から電話がかかってきました。さらに同じく妊娠中の先輩から恐ろしい情報のメッセージが届いて……。 妊娠初期に里帰り先の分娩を予約私はもともと三重県に里帰り出産する予定でした。分娩予約が取れなくなるケースを恐れて、妊娠がわかって母子健康手帳をもらったころに、産院へに電話して無事に予約ができました。順調におなかは大きくなり、妊婦健診でも特に異常はないと言われていました。 世間では新型コロナウイルスが流行し、私は仕事が2カ月ほど休みになって、毎日のほとんどを家の中で過ごす日々でした。少し暇だと感じましたが、新型コロナウイルスの直接的な影響も受けず、ゆったりとした日々を過ごしていました。 日本産科婦人科学会から呼びかけが!?そんなある日、里帰り先の病院からの不在着信がありました。気付いてすぐかけ直しましたが、「担当者が帰ってしまったので翌日かけ直します」とのこと。今まで向こうから電話がかかってきたことはなかったので、なんだろう?と不思議に思っていましたが、特に気に止めることなく過ごしていました。すると数時間後、同じく妊娠中の先輩からスマホにメッセージが。その内容にびっくり仰天! 日本産婦人科協会が急な里帰り出産の検討を避けるよう呼びかけているとのことでした。“急な”だよね……とは思ったものの、心配になってネットで情報を検索することに。すると、病院によっては里帰り出産を拒否されたケースもあるという体験談が次々と出てきたのです。 軽くパニックになりながら、慌てて夫に電話しました。しかしながら、夫は楽天的で「いざとなればうちの実家のほうでも……」と。私ひとりで、「分娩予約を取り消されたらどうしよう? 今から病院を探すの? 分娩予約が取れなかったらどうするの?」と不安に駆られた1日でした。 厳しい条件つきの里帰り出産翌朝、病院から電話が……! ドキドキして電話に出ると、私の不安をよそにその内容は、三重県に2週間滞在して症状がないことを確認してから妊婦健診を受けてほしい、立ち合い出産は禁止、入院中は面会謝絶とのことでした。電話を切って、正直ほっとしました。 仕事は有給休暇を取って想定していたよりも早く里帰りしなければいけないし、バースプランは何もなく、入院中はずっとひとり。それでも、病院で産むことができる安心感を得られて本当に安堵しました。 この経験を通して、病院で安心・安全な環境で出産できることのありがたみを改めて感じることができました。想定していた通りにはなりませんでしたが、それも感染を予防するためなので、仕方ありません。いつか、生まれてきた子どもにコロナ禍で妊娠・出産した体験談を話せたらと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて出産予定の病院・産院、または通院している病院・産院に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:佐々木由紀
2020年07月07日新型コロナウイルス感染拡大の影響により、妊婦健診は原則ひとり、出産も原則ひとり、産後の面会も同地域の人間1人1回15分程度……あらゆることが変わりました。 出産予定が近づくなかで第1子の卒園式と入学式新型コロナウイルスが日本に蔓延していくのと同時に、どんどん大きくなっていくおなか。出産予定日は4月半ば。第1子は3月に卒園式、4月に入学式を控えていました。幸い、卒園式前の時点では私の住む地域はまだ感染者がおらず、時短簡略化、全員マスク着用、ホール内の換気を徹底、消毒をしてから入場という形で卒園式がおこなわれました。 それから入学式までの間に感染者が出始め、式の数日前に、入学式を時短、全員マスク着用、換気消毒の徹底、ホールから教室への同行は1人のみとなりました。そして当日、5月6日まで小学校の休校が決定したことを告げられました。 学校からの感染も怖く、休校になってほしいと思っていたので、このお知らせを聞いた瞬間、本当にホッとしました。式後に子どものお友だちとゆっくり話したい気持ちはありましたが、私はすでに臨月に入っており、人混みにいる怖さから早々に帰宅しました。 産後の面会条件が日ごとに厳しく…休校中は三密を避け、子どもと外に出るのは近くを散歩するときのみとし、買い物に行く際は私ひとり。人の少ない時間帯に、人を避けながら向かい、入退店時と家の玄関でも消毒し、手洗いを徹底的にしていました。 妊婦健診は通常通りありましたが、産後の面会は夫や両親のみに変更するとの通知がありました。その通知から数日後、面会条件がさらに変わり、面会は出産直後、術後等のやむを得ない場合のみ。さらに面会者は同地域の人間であること、1回15分程度でなるべく同じ人物にすることが条件となり、出産は立ち会いや待合室での待機も不可となりました。 入院生活も新型コロナ対策で激変立ち会い出産不可の通知があった数日後の深夜に破水。家族と病院に向かったものの、入れるのは私ひとりのため、家族には車で待機してもらいました。即入院が決まったため、家族にはそのまま帰宅してもらいました。 あれよあれよという間に陣痛は進み、子宮口もどんどん開いていき、分娩台に上がったときには耐えられない程の痛みになっていました。助産師さんたちが温かく、たくさん褒めてくれたのでうまくいきむこともでき、陣痛開始から出産まで3時間という早さで赤ちゃんが誕生しました。ひとりのため、助産師さんが私の携帯を持ってきておいてくださり、赤ちゃんの写真もツーショットも撮れました。「ひとりでよく頑張ったね」という言葉が、とても胸に響きました。 産後の入院生活は、部屋から出るときは必ずマスクを着用、赤ちゃんに触れる前に手洗いと消毒の徹底、ごはんはすべて部屋食で、授乳室に入れるのは3名までなど、新型コロナ対策が徹底されていました。 妊娠中・出産・産後の入院生活、すべて新型コロナウイルス蔓延の影響を受けて通常とは異なる仕様になりました。もし第1子出産で立ち会い希望だったら、とても心細かったと思います。子どもには消毒と手洗いの大切さを伝え、子ども自身も理解して玄関で消毒をし、手洗いも隅々まで丁寧にしてくれています。早く新型コロナウイルスが収束して、通常の妊娠生活や産後の生活を送れるようになってほしいと願っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて出産予定の病院・産院、または通院している病院・産院に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:夏日幸
2020年07月06日出産予定日を迎え、徐々に痛みがついてきた陣痛。長男と次男のときは、陣痛の前に激しい下痢があったので、3人目も同じだろうと思っていました。しかしいつになっても便意らしい兆候が現れず、そのまま病院へ行くことに……。案の定、お産中に初めてうんちをしてしまった私の体験談をお伝えします。 私とは無縁! 出産時のうんち友人たちが出産トークをするとき、よく耳にしたのが「出産時にうんちをしてしまった」という体験。しかし、当時の私は「自分とは無縁な話」だと感じていました。実際長男と次男を出産するとき、陣痛の前に激しい腹痛と下痢があったので、おそらく私の腸の中は空っぽの状態。友人たちの話は「そんなこともあるんだ」と、あまり理解できずにいました。 長男と次男を産むときは、助産師さんから「うんちがしたいと思ったらそのままいきんでね」とも言われていたので、便意というものは私にとって「赤ちゃんを産みたい」という感覚に置き換わっていたのです。 いざ迎えた3人目の出産!そして、3人目の出産予定日を迎え、順調に陣痛を耐えている最中、ふと不安がよぎりました。「前と同じような腹痛と下痢がない……」。前日から便秘気味だったにも関わらず、当日になったら自然とうんちが出てくるだろうと安心しきっていた私でしたが、今回ばかりはいつもと違ったようで、便秘気味のまま病院へ。そして「このままうんちが出なかったらどうなるのだろう」という私の心配をよそに、分娩台へ登ることになってしまったのです。 便意にパニック! 初めての出産中のうんち前日から便秘だったため、お産になかなか集中できない私。いきみたいという感覚なのか、本当の便意なのかの区別もつかず、さらに襲いかかる痛みでパニック状態になっていました。とにかく、いきむことに必死になったころ、お尻に違和感が。ついに、私も初めて出産中にうんちをしてしまったのです。しかし、助産師さんたちは「大丈夫よ! 気にしないで頑張ろう!」と、すぐに処理してくれ、お産に集中できるよう促してくれました。幸運なことに、夫が分娩室に入る前のことだったので一安心。その後はお産に専念できたこともあり、数回いきんで3人目の赤ちゃんが無事に誕生しました。 1人目と2人目の出産時の状況が似ていたため、3人目は油断しきっていました。今になって思うと、出産に向けてヨーグルトを食べたり、便秘にならない努力をしたりしておけばよかったなと反省しています。しかし、私が思っていたよりも助産師さんたちが冷静だったので、あまり恥ずかしいという気持ちにはならずに、安心して出産することができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:堀江ゆうき3児の母。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2020年07月05日初めての出産を控え、分娩予定の産婦人科での健診で「子宮頸管が短めだから、無理は控えてね」と指摘を受けました。出産予定日より少し早い出産になるのかなと軽く考えていたら、出産予定日より2週間も早い出産に! 夜中に始まった痛みを前駆陣痛だと思っていたら、なんと陣痛だったという私のドタバタ体験をお伝えします。 子宮頸管が短かった私長女の出産時、私は2つの産婦人科にお世話になりました。1つは自宅近くの病院、もう1つは実家近くの病院です。出産のおよそ1カ月前に里帰りし、後者の病院で健診を受けたときに子宮頸管が短いと医師から指摘がありました。 体に負担をかけすぎないようにとアドバイスされ、「胎児の成長スピードがゆっくりめなので、できるだけ長くおなかの中で成長してもらいましょう」とお話がありました。「急がなくていいからね」とおなかに向かって話しかけていましたが、予想以上に早く出産の日はやってきたのです。 これは前駆陣痛?痛みを感じ始めたのは、出産予定日2週間前の真夜中でした。「これが噂に聞く前駆陣痛か!」と、体が陣痛の練習をするなら自分も本番のための練習をしようと思い、陣痛間隔を記録するアプリを寝ぼけ眼でダウンロード。 睡魔に負けてまどろみつつ、だんだん強くなる痛みに「練習とはいえ痛いものだなぁ。本番の出産、私は大丈夫だろうか?」と心配しながら時間は過ぎていきました。しかし、余裕があったのも明け方まで。朝7時には間隔が8分おきくらいになっていて痛みも強くなっており、産婦人科へ電話しました。 病院へ着いたときには子宮口全開に!破水の有無や陣痛の痛みの程度を聞かれ、診療開始とともに診てもらうことになり、夫に連絡。でもこのときはまだ私も夫もすぐ出産になるとは思っていませんでした。 病院とやり取りをしているうちに痛みは一層増し、朝食を食べつつもじっとしていられない状態に。結局、診療開始より早めに診てもらうと、子宮口が全開になっているとわかり、即分娩室へ。 畳の部屋でのフリースタイル出産だったので、助産師さんが持って来てくださった大きなクッションにもたれるようにしていきみを逃しました。そして、病院到着から約2時間後に出産! 夫は立ち合いを希望していたので、連絡を受けてすぐに向かってくれたのですが、残念ながら間に合いませんでした。 出産のタイミングはいつになるかわからないものですが、いざそのときになると痛みの強さや状況の変化にかなり戸惑ってしまいました。でも、「おなかの中の赤ちゃんが選んだタイミングなんだよ」と助産師さんに言われ、心が軽くなったのを覚えています。今は第二子を妊娠中ですが、この子が生まれるときは心に余裕を持って臨みたいなと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:柴崎諒子2016年2月長女を出産。2019年3月に第2子出産予定。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。
2020年07月04日妊娠がわかって、里帰り出産するかしないか、悩む方もいると思います。私は里帰り出産をしないことに決めました。そのときの体験談をお伝えします。 夫が家事・育児を十分できそう里帰り出産をしないと決めた理由はいくつかありますが、主な理由は夫が仕事を早く終えて家事・育児が十分できそうだったからです。私が助産師なので、新生児との生活を事前にイメージでき、心の準備をすることができたのも大きな理由でした。私の実家は車で3時間かかる距離にあるので、1カ月過ぎてからゆっくり帰ることにしました。 家事は無理に頑張らないことに!里帰り出産してもしなくても、新生児期にママの体を休めることはとても大切なので、いかに家事をしないかがポイントになると思っていました。 産後の食事は、普段から夫が料理担当であることが多いこと、義母が週に2回程料理を届けてくれることで、自分で料理をしなくても困ることはありませんでした。また部屋が多少散らかっていても気にしない性格でもあるので、掃除や片付けも無理に頑張りませんでした。 ぜいたくな時間 夫からするとダラダラしているように見えたと思いますが、休む必要性を事前に伝えていたので、遠慮なく休めるときには休んでいました。赤ちゃんの寝顔を眺めながら一緒に横になって過ごした時間は、とてもぜいたくだったと思います。 また新生児育児では昼夜問わず授乳をします。夫は日中仕事に行っていたため、夜はなるべく自分で赤ちゃんのお世話をしたいと思い、夫の休日でもお昼寝をしていました。 もし夫や義母の助けが十分ではなかったら、市町村のサービスを利用していたかもしれません。出産後の疲れている状況では調べることさえおっくうになってしまう場合もあるので、出産前にどんなサービスがあるか確認しておくとよいと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:金子ゆかこ1歳の女の子のママ。職業は助産師。仕事も育児も必要不可欠!をモットーに、両立を目指して奮闘中。家事はいかに手抜きできるか考えている。不妊治療や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年06月30日