分娩を控えている妊婦さんが知りたい、産むまでにかかる時間や呼吸法、吸引や出血量が多かった時の対処方法などをお伝えします。 (1/22)
医療法人つぐお会 フジハラレディースクリニック(所在地:広島県広島市安佐南区、理事長・院長:藤原 紹生)は、2024年7月28日(日)15時から17時まで第一回インスタライブを開催いたします。フジハラレディースクリニック 院長 藤原 紹生平成25年4月に開院して以来、多くの患者さんに心を込めて接してきました。通算6,000件以上の赤ちゃんを取り上げて、全国からも多くの妊婦さんが来られます。(里帰り出産では無く、わざわざ当院目掛けて出産をしに来てくださった方もいます)当院のキャッチコピーである「痛くない、怖くない、楽しいお産」という、夢の様なお産ができるのです。その理由は当院の分娩方法に特徴があるからなのです。ソフロロジーと禅、コーチング、脳科学を組み合わせた院長独特のテクニックにより無痛分娩では無いのに「楽しく楽にお産が出来て、命に感謝できる」ということに多くの患者さんが感動をしリピートしてくださるということなのです。そしてお産だけで無く、藤原院長はお産を通して日本人として大切な心の在り方やこれからどう赤ちゃんを守って行くのかを伝えています。そこで、SNSというプラットホームを使って命のこと、赤ちゃんとお母さんの健康のこと、これからの医療のことをテーマに日本のお母さん達が幸せに生きるための知識と知恵をこのインスタライブでは発信して行きます。被り物好きなコミカルな院長先生に全国から是非アクセスください。当日までにInstagram公式アカウントにダイレクトメッセージをくださった方10名様(「院長の著書希望!」と記入してダイレクトメッセージを下さいね!)に院長の著書である「世界で一番幸せなお産をしよう」に藤原院長が直接サインを書いた物をプレゼントいたします。是非、奮ってご応募ください。当日、ナビゲーターは院長の妻が行います。■インスタライブについて第一回日時 : 2024年7月28日(日)午後3時から5時 質疑応答あり公式アカウント: @fujihara_lc ■法人概要医療法人つぐお会 フジハラレディースクリニック代表者 : 理事長・院長 藤原 紹生所在地 : 〒731-0138 広島市安佐南区祇園5丁目2-1設立 : 平成25年9月20日事業内容: ・産婦人科医診療所・子宮がん検診・分娩・婦人科健診(乳がんを除く)資本金 : 医療法人の為資本金無しURL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年07月16日第1子の出産のときの話です。 予定日を10日過ぎても生まれる気配がないので、誘発分娩になりました。 義母が産まれるときに行くと言っていたので、誘発分娩でいつ産まれるかわからないこと、産まれてから欲しいことを何度も伝えていました。お義母さん、本当にやめてー!!誘発分娩のため前日から入院する事が決まっていたため、最後の夜は夫婦2人で過ごす最後の時間という事でゆっくりしようと話していました。 そんな入院前日の午後、義母から「今向かっています」と連絡がありました。あれほど何度も言ったのになぜ来るのか。 当然、我が家に泊まるとのことで、夫婦2人最後の夜はいとも簡単に奪われました。 入院当日も1人で寝れる最後の朝。ゆっくり寝ようと決めていたのに、朝4時からガチャガチャ音を出して家の中をうるさくする義母。もちろん寝ていられず、家で過ごす最後の朝も壊され、精神的に最悪なまま病院へ。 誘発分娩中、陣痛で苦しむ中陣痛室にまで入ってきて助産師も「たまにああいう人いるのよね…」とドン引きしてました。実母より図々しく、本当に嫌でした。 ◇◇◇ 夫婦2人の時間を壊され、出産当日の早朝からうるさくて眠れず。しまいには陣痛室まで押しかけ…。義母には嫌なことなどははっきり言わなくて伝わらないと思い伝えるも、何故か「遠慮しないで」と解釈されその後も難しい付き合いを続けてます。夫を通して伝えてもらうも「そんな事思ってないでしょ?」と言われたり、最悪の場合は「嫁に言わされてるんだろう」と全く伝わらない日々です。 作画/さくら著者:山城早苗30代、3歳と5歳の子どもを育てるパート主婦。趣味はコツコツ貯めるポイ活。
2024年06月24日妻の出産方法について口を出す義母をババキュアがぶった斬る! コメント欄でも多くの意見をにぎわせた育児マンガ「ダルっババキュア」にて、無痛分娩をしたいというお嫁さんを責め立てる義母に「ありえない」と読者から声が寄せられています。そんなママたちのモヤモヤをババキュアが代わりに撃退! ぜひ、この記事を機に読んでみてください!無痛分娩なんて許さない!お嫁さんが、義母に無痛分娩での出産を相談。すると、夫と義母は猛反対してきて……。 「あの痛みに耐えてこそ、子どもに愛情も湧く」、「真の母親になれる」とお嫁さんを説得し始める義母。旦那さんも横でボソッと「そうだよ」とささやき、お嫁さんの味方は誰もいません。 すると、どこからかババキュアが現れて……。 「昔の常識にしがみついてはいけないよ」ババキュアの必殺技に…お嫁さんのそばに現れたババキュアは、さまざまな方法で義母の概念を更生し始めます。 「無痛なんて甘えだ!」、「苦しいことから逃げてはいけない!」と語る、義母。すると、紫のババキュアが義母の常識をアップデート。その後のアップデートされた義母の様子は見違えるようにやさしくなります! 義母も出産のつらさや痛みは知っているはず。同じ経験者として、寄り添っていけたらいいですよね。 この義母の考え方やババキュアに対して、さまざまな声が寄せられました。 ババキュアが現実世界にいれくれたらいいのに!●パバキュア! 現実世界にも居てくれたらいいのにな……(以下省略)。 ●ラクしちゃダメならお義母さんは、お風呂も自分で薪を割って沸かすし、洗濯も洗剤なんか使わず手洗いするし(中略)家も自分で建てたのかな? 毎日使っているものこそ昔からのやり方じゃないよね。ラクさせてもらってるって気づかなきゃ。時代によって利用できるものが変わってるってことに気づいて欲しいですよね。 ●自然分娩で痛い思いをすることが美徳な考え方は本当にいらないですし、押し付けないでほしいなと思います。無・和痛分娩でも帝王切開でも、産後会陰やお腹の傷口が痛いのは変わらないし、後陣痛の痛みもある。ママたちは十分痛い思いをして産んでいます!! ●うちの場合は痛い思いをしていない主人でも愛情をもってこどもに接してくれていますし、養子を迎えた知り合いもいますが愛情もってこどもを育てています。痛い思いをしないと愛情が出ないなんてありえません。 ●痛みに耐えてこそ母親になれるっていうなら、父親はどうやって父親になるのか……。 ●お母さんの体調とおなかの子どものことを考えて無痛分娩でってお医者さんと決めることもあるらしいね。素人がグチグチ口出しすることじゃないわ。 多かったのは「無痛分娩でもちゃんと母親になれる」という意見。実際に無痛分娩をした方からのコメントもありました。また、「出産を経験していない父親は?」というコメントも! たしかに、男性は出産を経験せずにいきなり父親になります。しかし、コメントにもあった「痛い思いをしていない夫も愛情を持って子どもを育てている」という意見にはとても頷きたくなりますよね。 どんな出産方法であろうが、2人の子ども。さまざまな人の意見はありますが、出産するのはママ本人なので、自分が納得できる方法でするのが、一番良いですよね。 このようにコメント欄には、義母や無痛分娩についての考え方をたくさんコメントでいただきました! このあと、義母と加担していた夫もババキュアが成敗してくれます! ババキュアの必殺技にスッキリしてみませんか? 『ダルっババキュア』ママたちの声を代弁してくれるお話となっていますので、ぜひ他のお話も読んで、皆さんのご意見も聞かせてくださいね!
2024年06月19日産院で出会ったママと友だちになり、それ以来交流が続いているという話を聞きますが、コロナ禍の出産ではママ同士の交流が叶わず、ママ友ができるということはありませんでした。それでも、病室には産院ならではの不思議な雰囲気が漂っていたのです。私が入院した産院では、帝王切開で出産したママはナースステーション近くの病室、自然分娩のママはその1つ上のフロアの病室に入院することになっていました。それぞれの階にトイレなどがあるので、フロアを行き来することは基本的にありません。 産院で感じたのは…帝王切開のあとは歩くのもつらく、ヨロヨロした自分の姿を想像すると笑ってしまいます。しかし廊下に出ると、みんな同じようにヨロヨロと歩いていました。 できればそんな姿を他人には見られたくないけれど、同じ階に入院するママは皆同じ境遇。互いに気持ちがよくわかるので、すれ違いざま、言葉は交わさないけれど「頑張ろうね! お互いに!!」と、みんな同じ気持ちを抱いていたに違いありません。 そんな産院ですが、唯一、退院前の夕飯である「お祝い膳」だけ、帝王切開のママと自然分娩のママが一緒の空間で食べることになります。つまり、初めて帝王切開フロアから出ることになるのです。いつものように、ヨロヨロと歩いて食事をする部屋に行くと、そこには何事もなかったかのように、スタスタと歩いているママがいました。もちろん、自然分娩だからラクだった、と思っているわけではありません。しかし、これまで気にも止めなかった、帝王切開の私たちとの違いに驚いた瞬間でした。 これは私だけでなく、そこにいた帝王切開ママたちも同じように思っていたはず。今思うとおかしいのですが、あのとき、あのフロアに入院していたママには不思議な連帯感があったのです。 互いにすっぴん、マスクで顔も覚えていませんが、私は今でも同志だと思っています! ◇ ◇ ◇ 隣で陣痛に耐えている人、先に分娩室に移動した人など、産院で出会ったママ同士には、“一緒に出産を乗り越えた仲間”という感覚が生まれます。 産後は心身ともに大変なこともありますが、あとから思い返すと良い思い出になりそうですね。このお話は、ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと実施した座談会でお話しいただいた体験談です。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月09日妊活の末、待望の赤ちゃんを授かった私。妊娠がわかると、夫は真っ先に「早く母さんに知らせないと! 」と義母に電話をかけました。義母は親戚や近所の人の孫自慢を、うらやましがっていたそう。だからと言って、何よりも先に義母に報告した夫に、少しもやっとしました。結婚するまで気が付かなかったのですが、実は夫はかなりのマザコン……。義母も夫にベッタリです。でも、義父が義母を制してくれたおかげで、なんとか受け入れてここまできました。義父を亡くしたのに…しかしおなかが大きくなり始めたころ、義父が事故に遭い突然の他界……。妊娠を報告したときも、私の体のことを一番に気遣ってくれた義父を亡くしたショックは大きく、涙が止まりませんでした。 しかし義母は、参列者が帰ったあとに義父の遺影を見て「旦那がいなくなってスッキリした!」と笑い、夫も「そうだね!」と同意する始末。 翌日から義母と夫は義父の持ち物を片っ端から処分し始めました。名残惜しむこともなくまるでゴミのようにポイポイと捨てる義母を見て、切ない気持ちになります。 家族の思い出の品と思われるものまでちゅうちょなくゴミ袋に入れるので、私はこっそりいくつか抜き取らせてもらいました。母に事情を話すと、快く保管をしてくれるというので、思い出の品として実家に持っていくことにしたのです。 無痛分娩はダメ!義父がいなくなって、義母を制してくれる人はもういません。ある日突然やってきた義母は、顔を真っ赤にして怒っていました。 何事かと思って話を聞いていると「無痛分娩にするって本気なの?」と言うではありませんか。無痛分娩を決めたのはつい昨日のこと。もう義母の耳に入っているとは驚きです。 「無痛分娩はダメよ! おなかを痛めて苦しんで産むからこそ愛情がわくの! 楽をするなんて母親失格!」すごい剣幕で怒っている義母の横で、夫も「母さんが正しい! 考え直せ!」と頷いています。 昨日は任せると言ったくせに、急に手のひらを返されては納得がいきません。それに命懸けで出産するのは私です。これ以上話していても無駄だと思い、荷物をまとめて実家に帰ることにしました。 無痛分娩に反対した理由とは?事情を話すと、母が迎えにきてくれることになりました。早々に到着した母に、義母と夫は文句ばかり。「無痛分娩を選ぶなんて根性のない娘を育てたものだ」「痛みに向き合わないなんて母親失格だ」とひどいものでした。 しかし母は顔色ひとつ変えず、夫の母子手帳を差し出したのです。それは先日義母が義父の遺品と一緒に捨てたものでした。夫の生まれたときの大切な記録だから……と私が実家に保管しておいたのです。 「見てごらん」と母。なんと、母子手帳に書かれていた出産方法は「帝王切開」でした。気まずそうにしている義母に、母は「あんたも母親失格だね!」と言って笑ったのでした。後から話を聞くと、無痛分娩にかかる費用がもったいないと話した義母と夫は、そのお金で私が入院中に旅行にいこうとしていたのでした。出産とは…その後、私は無事にかわいい女の子を出産。こんな人たちとは一緒に暮らせないと確信した私は、予定通り家を出て、離婚することにしました。 義母と夫は、仲良く2人で暮らしているようです。あんな性格なので、今後新しい奥さんがやってくることもないでしょう。ただ、本人たちが満足しているのであれば、もう私が言うことは何もありません。 出産は女性にとって命懸け。お金と天秤にかけて出産方法を指定するのは、あまりに自分勝手ですね。また、出産の方法にはさまざまな選択肢がありますが、どんな出産方法を選んだとしても、“母親失格”ということはありません。そのような考えがなくなることを願います。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年06月05日初めての出産は緊張することばかり。どんなふうに出産が進むのか、いつどんな処置をされるのか、事前に説明を受けたはずですが、陣痛が怖かったこともあり、あまり詳しく考えずにいました。そんなこともあってか、出産時に夫婦でとんでもない勘違いをしていたようでーー。陣痛が来て、すぐに入院することになりました。しかし、すぐに出産とはならず、陣痛室で夫と2人、そのときを待っていたのです。 あの人は誰?次々と陣痛の痛みがやってくるものの、ただただ耐えるのみ。いつ出産になるか……と緊張していましたが、なかなかお医者様は来ません。たまにやってくるのは、スタッフさんと思われる女性のみ。 なかなかやってこないお医者様に、いつ生まれるかわからない赤ちゃん……次第に不安になり、夫と「先生呼んできたほうがいいのでは……」というやりとりも何度もしました。 そんな中、かなりのスピードで分娩は進み、いざ分娩台へ……。そこで気が付いたのは、スタッフさんだと思った女性が助産師さんだという事実でした。 助産師さんのテキパキとした動きに助けられ、無事出産。ちなみに、あれほど呼びに行こうかと迷っていたお医者様は、分娩が進んだところでやってきました。 今思えば、陣痛室に度々来ていたのは、スタッフさんではなく助産師さんだと、普通に考えればわかるもの。しかし、出産は医師主導で進むものだと思い込んでいたがために、助産師さんの存在がすっかりと頭から抜けていたのでした。 また、もしかすると超スピード出産でバタバタしたこともあり、あいさつや紹介を聞き逃してしまったのかもしれません。 助産師さんは、出産を支えてくれる頼もしい存在。今思い出してもおかしい勘違いでした。このお話は、ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと実施した座談会でお話しいただいた体験談です。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月30日出産予定日まであと3日となった日の深夜、自宅で破水した私。寝ている夫を起こし、夫の運転で産院へ向かいました。コロナ禍だったこともあり、その産院では「出産に立ち会うことは可能だが、分娩室に入ったら出産が終わるまで外には出られない」というルールが設けられていました。「初産は時間がかかる」と聞いていた私は、いったん夫に自宅待機してもらうことに。しかし、これがのちのモヤモヤを生むのです……。 夫が遅れて来た衝撃の理由産院に着いてから1時間後には、陣痛は7分間隔に。初めての出産ということもあり、不安で何度もナースコールを押して助産師さんに来てもらってしまいました。陣痛室が真っ暗だったこともあり、今までで一番長い夜のように感じられました。 朝7時半ごろ、子宮口が4cmになり、陣痛室から分娩室へ移動することに。そのタイミングで、夫に「病院に来て」と連絡しました。 分娩室に移動してからは、さらに陣痛が強く、間隔も短くなっていきます。痛みが来てもいきめないし、痛みが去っても次の陣痛が怖くて、私は早く夫に来てほしいと思いながらただただ耐えていました。 しかし、1時間経っても夫はまだ現れません……。 見かねた助産師さんが、夫に電話をかけてから10分後――。ようやく夫が来てくれました。 陣痛が来るたびにおしりをおさえてくれたり、水分をとるのを手伝ってくれたりとサポートをしてくれた夫。分娩室に移ってから子宮口は1時間に2cmのペースで開いていました。 そして、夫が到着してから2時間半後――。 最愛の娘が産声を上げました。私はほっとしたのと、痛みからの解放で気が抜けたので、涙も出ませんでしたが、夫は声をあげて泣いていました。 夫に到着が遅れた理由を聞くと、長丁場に備えてお風呂に入って身なりを整え、自分の着替えを持ち、コンビニで自分の食べ物と飲み物を調達していたとのこと。私が陣痛で苦しんでいるときに、なんて悠長な……と呆れてしまいました。 たしかに、臨月に入ったときに「初産だから時間がかかるかもしれない」「長丁場に備えて食べ物や飲み物は事前に用意しておいてね」とは伝えていました。夫は決して間違ったことはしていないのですが、こちらは命懸けでお産に挑んでいるのだから一刻も早く駆けつけてほしかったです。 もしも次の出産があれば、そのときは「連絡したらすぐに来られるように用意しておいてね!」と伝えようと思っています。 イラスト/はたこ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:中谷みなみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月26日1人目の子どもを出産するとき、夫は分娩室でいびきをかいて爆睡していました。その後の育児でも寝ていることが多く、育児を任せるのは無理だと諦めた私は……。寝過ぎな夫夫は昔からとにかく眠気に勝てない人で、私が妊婦だろうが、どんな状況だろうが寝てしまいます。1人目の出産時、分娩室で私が必死になって赤ちゃんを産もうとしている中、なんと夫は椅子に座っていびきをかいて寝ていたのです! 現在は子どもが3人になり、生後2カ月の末っ子のお世話で寝不足な私をよそに、3歳の長男をお昼寝させると言って長男より先に寝始め、長男よりあとに起きています。たまには「俺が子どもたちを見てるから休んでおいで」くらい言ってほしいです……。 しかし最近は諦めています。子どもを任せると寝てしまうので、買い出しや料理などの別の家事を手伝ってもらうことに。そうすることで、いいバランスで家事と育児の役割分担ができています。不得意なことを無理に任せるよりも、できることを頑張ってもらえばいいかなと思うようになりました。 作画/森田家著者:川上 栞
2024年05月24日息子を出産したときのこと。初めての出産にドキドキしながら夫と子どもの誕生を楽しみに待っていました。生まれる気配は感じませんでしたが、出産予定日まであと5日となった日の未明に突然破水! すぐに産婦人科へ向かいました。陣痛室へ通されたものの、まだ子宮口は開いておらず、ベッドに横たわりながら夫とたわいのない話をしていたのですが…… 出産予定日前に破水して産婦人科へ! 夜中に破水していたので私と夫は急いで病院へ。子宮口1cmだったので、陣痛室で待機することに。少しすると隣の陣痛室にも妊婦さんが到着。数分後に「死ぬ~! 何とかしろ~!」と大声が聞こえ、私と夫はびっくり。「頑張って!」と励ます男性の声と「頑張ってる! 見てわからないの?」と激怒する妊婦さんに私は「こんな壮絶なお産が待っているのか……」と不安になりました。 妊婦さんの怒鳴り声から13時間、私にも陣痛が訪れてようやく分娩台へ移動することに。分娩台は陣痛室の隣にあるため、先ほどの妊婦さんの声がよく聞こえてきます。隣の部屋から聞こえてくる妊婦さんの声から壮絶なお産がイメージされました。「まだ隣の妊婦さんの声が聞こえてくる。怖いよ……。早く産んじゃいたい!」と思っていたためか、分娩台に移動してまもなく息子が誕生。助産師さんからは「落ち着いていて、初産だと思えない」と言われました。夫はわが子の動画を撮りながらとてもうれしそう。しかしその動画にも、妊婦さんの叫び声が入っていました。 結局14時間も隣の妊婦さんの叫び声を聞いていたのですが、今振り返るとあの妊婦さんの声があったからこそ、逆に私は落ち着いて出産できたのかもしれません。夫が撮った出産の動画を見返すたびに「こんなことがあったな~」と特別な思い出になっています。 作画/CHIHIRO 著者:望月陽
2024年05月14日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私には7人の子どもがいます。第7子を出産するにあたり、上の子どもたちにも出産に立ち会ってもらうことを希望しました。近くに助産院がなく、自宅出産や助産院での出産は断念しましたが、子どもたちも立ち会いOKの病院に出合いました。出産当日、病院へ向かう途中に夫が取ったある行動に驚いたエピソードをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です 子どもたちにも出産を見守ってもらいたい第7子の妊娠が判明したとき、私は上の子どもたちにも出産の大変さや素晴らしさを感じてもらいたいと思い、家族全員での立ち会い出産を希望しました。助産院にも問い合わせましたが、遠すぎるため自宅出産は不可。 しかし、幸い子どもたちも立ち会いOKの病院を見つけました。私は自然分娩を希望していたため、お産がいつになるかわからずドキドキする日々を過ごしました。 家族で病院へ! 夫の行動に驚き妊娠38週で早朝4時ごろに破水し、陣痛が始まりました。奇跡的に、4時30分ごろには子どもたちが全員起床。全員で車に乗り込み、病院へ向かいました。 ところが、病院まであと1〜2分というところで、なんと夫がコンビニに停車し、「朝ごはんのパン食べる人〜!」と子どもたちに呼びかけたのです。「わーい! 食べる食べるー!」と子どもたち全員と夫はコンビニ店内へ。 陣痛MAXの中、私は車内で待つことになり不安を感じましたが、幸い数分でパンの購入を済ませた家族が戻って来て、無事に病院へたどり着きました。病院の入り口で車椅子を広げて私を迎えてくれた助産師さんが天使に見えたことは言うまでもありません。 家族が見守る中、無事出産私はひと足先に分娩室へ。一方、夫と子どもたちは車内でパンを食べてから分娩室へ来てくれました。陣痛の最中だった私は、夫の行動が呑気すぎると思いましたが、実は夫が機転をきかせたゆえの行動だったのです。 朝早く起床した子どもたちに朝ごはんも食べさせずに立ち会いをさせたら、おなかが空いて誰かがグズりだし、夫がグズる子どもを連れて分娩室から出なければならなくなっていたかもしれません。 しかし、腹ごしらえをしたおかげかグズる子は1人もおらず、時折「お母さん頑張れ〜!」と応援しながら、あたたかく出産を見守ってくれました。そして、家族全員に赤ちゃん誕生の瞬間を見守ってもらい、私の希望が叶いとてもうれしい瞬間となりました。 立ち会い出産から3年経ちましたが、子どもたちは今でもそのときのことを話してくれます。赤ちゃんの誕生の瞬間に立ち会えたことは、子どもたちにとって貴重な経験となり、良い思い出となっているようです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:藤原ナオミ3男4女の母。ハワイ留学中に学生結婚。育児の合間を縫って英検1級・TOEIC970 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年04月30日立ち会い出産は家族とともに新しい命を迎える瞬間を共有できる、とても貴重な経験だと思っています。 1人目の出産時は里帰り出産だったため、出産に夫が間に合いませんでした。2人目こそは立ち会い出産をしてほしかったので、里帰りしませんでした。今回は、立ち会い出産時のエピソードをご紹介します。※コロナ禍前の体験談です。 普段焦ることのない夫が…妊娠40週4日の早朝、お産は突然始まりました。まだ夜明け前で外も暗いころ、生理痛のような痛みがやって来ました。もしかしたら……と思い、次は起きたまま時間を計ってみると10分間隔で痛みが来ていました。産院に連絡をしたら、すぐに来てくださいとのこと。 普段、焦ることなどない夫は、「陣痛が来たかも」という言葉に起こされ、明らかに慌てている様子が垣間見えました。私はまだ冷静だったので、入院準備を済ませて、急いで産院へと向かいました。ここでも夫は慌てており、見事に道を間違えていました。 意外と腰のさすり方がじょうずだった夫産院に到着したときはまだまだ歩けるくらいの痛みでしたが、陣痛が来ているので、そのまま入院することになりました。さすがに1人目の出産に立ち会っていない夫は、ここでも見事な慌てっぷり。今度は携帯電話を自宅に忘れたということで、自宅にとんぼ返りしました。 ひとりで夫を待っている間に陣痛の痛みも増してきて、テニスボールをおしりに挟んであぐらをかいて、ひたすら痛みに耐えていました。夫が戻ってきたころ、助産師さんに「順調におなかの張りも来ているので、動けなくなる前に分娩室に移動しておきましょう」と言われました。 分娩室に移動して間もなく、強い陣痛の波が短い間隔でやってきて、夫と助産師さんに、代わる代わるテニスボールでおしりに圧をかけてもらいました。夫の腰のさすり方が意外とじょうすだったのが印象的でした。しかし、強い痛みが来るたびに、思わずウゥーっという唸り声が漏れてしまったのですが、夫が一瞬、その声を聞いて笑ったのを私は見逃しませんでした。ちなみにこのときのことを、私はあとで散々責めたのですが、私も自分の声を思い出して夫と2人で笑ってしまいました。 夫に立ち会ってもらえて本当に心強かった!痛みがピークに達したころ、先生や助産師さんが次々と分娩室に入ってきました。「え? なんで?」と思っている間に、横向きだった体勢をあお向けにかえるよう指示されて、臨戦態勢に。思わず助産師さんに「子宮口、今何cmですか?」と聞くと、「もう全開大ですよ!」と言われ驚きました。 助産師さんに陣痛に合わせていきむようを言われて、強い痛みと共に、グーッといきみました。途中、赤ちゃんの心拍が急に落ちてきたので、私も必死で深呼吸をして、赤ちゃんにたくさんの酸素を送ろうと頑張りました。そして、とてつもなく強い陣痛の波に合わせて、3回程いきんだところで、ニュルンとした感覚が。その感覚のあと、かわいいかわいい赤ちゃんが生まれ、私も夫も元気に泣く赤ちゃんを見て、自然に笑みが溢れました。 病院到着から2時間半。あまりの早さに自分でも驚きました。1人目のお産は、初めてのことでいろいろな不安もあり、微弱陣痛で時間も長く、陣痛中もひとりだったので、正直しんどかったです。今回のお産は、2人目ということで、痛みを知っている分、痛みの怖さが蘇りましたが、夫に立ち会ってもらえたので本当に心強かったです。 今回のお産で、新しい家族を迎える瞬間を夫とともに過ごせました。また、あとから笑えるエピソードや感動を共有でき、かけがえのない思い出を夫と作ることができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ著者:大島 みな4歳、0歳の2児の母。現在は専業主婦で、2人の男の子の育児に日々奮闘中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月22日なっぱさんは第二子を妊娠中でも容赦ない上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、なっぱさんは“サムライポーズ”や「ギギギ」と発するいきみ逃しでひたすら耐えます。そして、陣痛開始から2時間後、子宮口が5cmまで開いたため分娩台へ移動することに。するとそこにべじ太さんがナイスタイミングで到着し、医師も到着。 しかし赤ちゃんはなかなか出てきません。赤ちゃんが生まれたあとの楽しい時間をイメージしながら、最大級の「ギィィィィ」でいきむなっぱさんは……! ついにこの瞬間が。分娩台に上がってからもなかなか生まれる兆しのない赤ちゃん。私は、必死の形相でラストスパートへ向けていきんだのでした。 出産最大級の山場を迎え、いきみ逃しの「ギギギ」にも限界を感じたなっぱさん。あとは気力で乗り越えようと、べじ太さんに手を握ってもらいます。 そして破水から5時間、陣痛開始から3時間後の午前6時8分、ついに元気な男の子が誕生したのでした……! 産後の入院を経て退院したなっぱさん。久しぶりに会うべじ子ちゃんが自分を忘れていないか心配でしたが、「お母さん待ってたよ~」と、入院する前よりおしゃべりがじょうずになっているべじ子を見てなっぱさんはうれし涙を流します。 べじ子ちゃんと赤ちゃん、尊い2人の命に感謝し、4人家族になった喜びを感じるなっぱさんなのでした。 ついに無事出産を終えたなっぱさん! 本当におめでたいですね……!コロナ禍の当時は、ひとりで出産する方も多かったでしょう。普段とはイレギュラーな状況下での出産は、ママも不安でいっぱいだと思いますが、赤ちゃんと2人で必死に闘った出産経験は、かけがえのないものになったのではないでしょうか。4人家族となり、これから大変なこともあるでしょうが、なっぱさん家族が今後も楽しく幸せに暮らせることを願いたいですね。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月21日なっぱさんは第二子を妊娠中。妊娠中も上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、ネットで検索したいきみ逃しのポーズ“サムライポーズ”で陣痛に耐えていたなっぱさん。しかし午前4時になっぱさんを襲った最大級の陣痛にはサムライポーズもまったく効かず、次は「ギギギ」と声を発しながらいきみ逃しをすることに。その後、内診があり子宮口が5cmまで開いていることがわかりました。なっぱさんの陣痛との孤独な闘いはようやく終わりを迎え、ついに分娩台に移動することになったのです。 さあ来いっ分娩台に上がってからも「ギギギ」と発しながらいきみ逃しをしていると……? 子宮口が7cmまで開き、もう少しで赤ちゃんが生まれるというナイスタイミングで夫のべじ太さんも分娩室に到着しました。分娩室に医師がやってきて出産はラストスパートへ!赤ちゃんの心拍が下がってしまうので呼吸をするように医師から指示されますが、いきみ逃しに必死だったなっぱさんはうまく息が吸えません。赤ちゃんが生まれてからの楽しい日々を想像し、「ギィィィィ」と絶叫しながら必死にいきむなっぱさんなのでした。 べじ太さんがギリギリで立ち合いに間に合ってよかったですね。これまで陣痛とひとりで闘ってきたなっぱさんですが、そばで見守ってくれるべじ太さんの存在は何より心強いでしょう。赤ちゃんもなっぱさんもラストスパート!あとひと息、頑張ってほしいですね。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月20日私が第1子を出産中にかけられた助産師さんからのある言葉。この言葉は今でも育児につまずいたときに思い出して、私の励みになっています。出産は赤ちゃんと母親だけができる経験私は第1子の出産の際、出産予定日よりも3週間前に破水してしまい、急きょ入院することになりました。1日待って陣痛が来なければ、陣痛促進剤を打って出産すると言われていましたが、入院後すぐに陣痛が始まり、バタバタと分娩台へ。 分娩台へ乗ってから数時間が経ったころ、これまでに味わったことのない痛さに、助産師さんに「もうおなかを切ってほしい」「無理です」など、つい弱音を吐いてしまいました。 すると、50代くらいのベテランであろう助産師さんが、こう言ったのです。 「この出産はお母さんと赤ちゃん2人だけが経験できるもの。赤ちゃんを取り上げる私たちや立ち会う父親も、見守ることはできても、痛みや大変だった思いまでは残念ながら共有できない」。 そして、「赤ちゃんとお母さんが一緒に頑張るから、この子の人生が始まるんだよ。今、お母さんが頑張らないと10カ月おなかで大切に育ててきたこの子の大切な人生が始まらないよ!」と活を入れられました。 この言葉を聞いて私は「弱音を吐いている場合じゃない!」と気合いが入ったことを今でも覚えています。それからは泣き言を言わず痛みに耐えました。 活を入れられてから、1時間ほどで生まれてきてくれた息子。あのときの感動は今でも忘れません。今でも、育児でしんどくなったときは、助産師さんの言葉を思い出し、初心にかえるようにしています。 このときに生まれた息子は今年で5歳。今でも育児でたくさんイライラしたり悩んだりすることはありますが、悩んだときはこの助産師さんの言葉を思い出して、「子どもにとって母親は私だけだ」と自分に言い聞かせると心がスッと落ち着き、息子と向き合うことができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ミロチ著者:なかまる あゆみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月18日2024年3月に発足したベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママをお招きして、座談会を実施しました。ママが集まると話題になるのは、三者三様の出産エピソードトークです。ベビカレメイトのママが体験した出産体験談を聞いてみると、とてもとても後悔していることがあると言います。それは無痛分娩をするかしないか、という選択。通常分娩に挑んだそうですがーー。私は通常分娩で産む!通常分娩と無痛分娩、どちらがいいか尋ねられて、ベビカレメイトのママが選んだのは「通常分娩」でした。強い痛みがあるということはわかっていたけれど、挑んでやろうと意気込んでいたそうです。 産院のスタッフさんから「いつでも切り替えられるように、無痛分娩の承諾書にサインをしておけば?」と再三すすめられても断固拒否! 頑なにサインをしないまま、出産を迎えました。いざ出産!いざ陣痛が始まると、あまりの痛さに気絶寸前……。瞬時に通常分娩派から無痛分娩派に寝返って、「無痛分娩はしない」と決めていた自分の判断を深く深く後悔したそう。 陣痛の波がおさまったわずかな合間を見てナースコールを押し、無痛分娩への切り替えをお願いしたのでした。 しかしあれだけ拒んでいた無痛分娩に切り替えるとなると、ちょっとした気まずさも残ります。無痛分娩への切り替えは、小声でこそっと伝えたそうです。陣痛中、まさかの…これで無事無痛分娩に切り替え……というわけにはいきません。本来であれば事前に見ておくべきだった、無痛分娩についての説明動画を視聴する必要があります。 すでに陣痛が始まっているからといって、DVDをスキップはできず、陣痛に耐えながら見たのだそうです。 産院のスタッフさんのいうことは聞く、備えられるものは備えておく……。今後出産をするママは、ぜひこの教訓を活かしてほしいと話していました。 ◇ ◇ ◇ この教訓は出産のみならず、子育てや仕事などすべてに言えることかもしれませんね。ベビーカレンダー編集部にとっても、良い学びになりました!
2024年04月15日ある日の朝のことです。おなかに違和感があり、陣痛!?と思って、急いで産婦人科に電話をしました。ちょっと! 何してんのよ!?夫が仕事に行ってしまっていたので、義両親が病院に付き添ってくれました。ひとりで病院に行ける痛さではなく、すごく助かりました。そして、病院に着くと、なんとそのまま分娩室に直行することに。夫が間に合うか間に合わないかの瀬戸際でした。陣痛の間隔が短くなってきたギリギリに夫が到着。一段落と思いきや、分娩室のドアを凄い勢いで開けたので、外で待ってくれていた義両親に私の姿見が丸見え!! おあー!!!と思たものの、いきむのに必死でなにも言えず……。あとから夫を怒りましたが、無事に出産できたのでよかったです。 ◇ ◇ ◇ 2人目以降は念入りに夫に伝えてあったのと、コロナ禍で立ち会いができないということもあり、特にハプニングもなく出産できました。1人目はお互い初めてのことだらけで、ハプニングがたくさんありましたが、無事出産できたことが何よりでした。 作画/さくら著者:みる20代、元気いっぱい2人兄弟のママです!!息抜きは、韓ドラ鑑賞です!監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日近くのクリニックで無痛分娩を予定していた私。出産予定日の1週間前に夫が新型コロナウイルスに感染してしまい、クリニックから遠い県外の実家に避難することもできず、隔離生活をすることに。その後、夫の隔離解除の日の夜中に破水し、病院に行ったところ、私も新型コロナ陽性になっていました。 どうしよう…破水の2日前に鼻詰まりで病院に行ったときは、新型コロナとインフルエンザの検査をしてもらい、陰性でほっとしていましたが「新型コロナ陽性だとクリニックでは出産できず、大学病院に転院」と言われ、クリニックで探してもらい、大学病院に行くことに。 しかし、そこでは無痛分娩ができないため、緊急帝王切開をすることになりました。予想外の出来事に心が追いつかなかったのですが、赤ちゃんの安全を第1に考え、緊急帝王切開をしました。ただ私が新型コロナウイルス感染症だったので、赤ちゃんの生まれた声しか聞けず、顔も見れずに10日。毎日泣いて過ごしました。隔離中、やさしい看護師さんや、助産師さんが赤ちゃんの様子を教えてくれたり、私のスマホに写真や動画を撮ってきてくださったり、会えない分、寄り添ってくれました。10日後赤ちゃんに会えたとき、涙が止まらなかったです。大学病院の方に感謝の気持ちでいっぱいです。(女性/40代/会社員) 作画/加藤みちか 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月29日出産予定日を迎え、徐々に痛みがついてきた陣痛。長男と次男のときは、陣痛の前に激しい下痢があったので、3人目も同じだろうと思っていました。しかしいつになっても便意らしい兆候が現れず、そのまま病院へ行くことに……。案の定、お産中に初めてうんちをしてしまった私の体験談をお伝えします。 私とは無縁! 出産時のうんち友人たちが出産トークをするとき、よく耳にしたのが「出産時にうんちをしてしまった」という体験。しかし、当時の私は「自分とは無縁な話」だと感じていました。実際長男と次男を出産するとき、陣痛の前に激しい腹痛と下痢があったので、おそらく私の腸の中は空っぽの状態。友人たちの話は「そんなこともあるんだ」と、あまり理解できずにいました。 長男と次男を産むときは、助産師さんから「うんちがしたいと思ったらそのままいきんでね」とも言われていたので、便意というものは私にとって「赤ちゃんを産みたい」という感覚に置き換わっていたのです。 いざ迎えた3人目の出産!そして、3人目の出産予定日を迎え、順調に陣痛を耐えている最中、ふと不安がよぎりました。「前と同じような腹痛と下痢がない……」。前日から便秘気味だったにもかかわらず、当日になったら自然とうんちが出てくるだろうと安心しきっていた私でしたが、今回ばかりはいつもと違ったようで、便秘気味のまま病院へ。 そして「このままうんちが出なかったらどうなるのだろう」という私の心配をよそに、分娩台へ登ることになってしまったのです。 便意にパニック! 初めての出産中のうんち前日から便秘だったため、お産になかなか集中できない私。いきみたいという感覚なのか、本当の便意なのかの区別もつかず、さらに襲いかかる痛みでパニック状態になっていました。とにかく、いきむことに必死になったころ、お尻に違和感が。ついに、私も初めて出産中にうんちをしてしまったのです。しかし、助産師さんたちは「大丈夫よ! 気にしないで頑張ろう!」と、すぐに処理してくれ、お産に集中できるよう促してくれました。 幸運なことに、夫が分娩室に入る前のことだったので一安心。その後はお産に専念できたこともあり、数回いきんで3人目の赤ちゃんが無事に誕生しました。 1人目と2人目の出産時の状況が似ていたため、3人目は油断しきっていました。今になって思うと、出産に向けてヨーグルトを食べたり、便秘にならない努力をしたりしておけばよかったなと反省しています。しかし、私が思っていたよりも助産師さんたちが冷静だったので、あまり恥ずかしいという気持ちにはならずに、安心して出産ができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ監修/助産師 松田玲子著者:堀江ゆうき3児の母。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2024年03月20日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日出産前に子どもの名前が決まらず、産後に夫婦でもう一度話し合おうと決めていました。無事に生まれ、産後の処置も終わって安心していたときのこと。夫が分娩室に入ってきて……。 突然の夫の告白に動揺して…出産を終え、分娩室で休んでいたとき。夫が分娩室に入ってきて、「今、名前を決めないと間に合わない!」と言うのです。 私は出産を終えたばかりで疲れもあり、夫が何を言っているのか理解できませんでした。話を聞くと出産後14日以内に出生届を提出しなければいけないが、明日から出張になったので出せないかもしれないと話し始め……。 後から調べると届出は代理人や郵送でもいいらしいのですが、そのときは気が動転していて夫が話していることを鵜呑みに。そして2人とも焦りつつ、その場で名前の話し合いが始まりました。夫と私の意見がわかれたので、その場にいた助産師さんたちにも意見を聞くなどバタバタな状態。 もう少し落ち着いて決めたかったと思いながらも、息子の名前が決定しました。焦って決めましたが、とても気に入っています。出産後の忘れられない思い出になりました。 ◇ ◇ ◇ 出産で体力も気力も使い果たしたところに、「今すぐ名前を決めて!」と言われたら混乱しますよね。ハラハラしたと思いますが、いいお名前に決まってよかったです。ご出産おめでとうございます、そしてお疲れさまでした! イラスト/さくら著者:だいママ
2024年03月16日「帝王切開で産んだママは子どもへの愛情が薄い」という発言を耳にしたことはありますか? この考えには、「陣痛に耐えて産んでこそ出産」という考えがあるようです。しかし本当にそうでしょうか? 漫画家であり臨床心理士・公認心理師の白目みさえさんがXに投稿した、看護師さんの言葉が話題になっています。 思わず涙した言葉とは自分以外の誰かのために体にメスをいれるということは、帝王切開のほか、臓器提供などわずかなケースしかないそうです。そもそも体にメスを入れるのは、決して気軽なことではないのです。どちらも大変なこと白目みさえさんの投稿には、たくさんの共感の声が寄せられていました。 自身も帝王切開で産んだという人は「看護師さんの言葉に、私もなお誇らしい気持ちです」とコメント。 「普通分娩と帝王切開、どちらも大変なことだと思っています。命をかけて出産することには変わりありません」「愛情は毎日の育児で育まれていくと思う」「何よりも大切なのは出産の方法ではなく、無事に赤ちゃんをこの世に迎えられたこと」 と、多くの人が出産方法と愛情はイコールではないと考えているようでした。愛情は出産の方法で決まるものではない自然分娩や無痛分娩、計画分娩など、出産にはさまざまな選択肢がありますが、どんな出産方法を選んだとしても、親が子どもにそそぐ愛情は変わりません。 帝王切開をしたことで心無い言葉を言われた人に、この看護師さんの言葉が届きますように。
2024年03月13日なっぱさんは夫のべじ太との間に子どもを授かりました。出産予定日の2日後に妊婦健診を再び受けたところ、むくみと血圧が高めだったため急きょ入院に。陣痛促進剤を服用後、強烈な陣痛が始まり、夫も必死でサポートします。そして陣痛開始から15時間後、やっと分娩台に移動できたのですが、なんと陣痛が遠のいてしまったのです。疲労困憊の夫も立ち合い、分娩台に登ったなっぱさん。あとひと息だと思っていた矢先……!? スタッフ増員!? この状況は…? 陣痛の間隔が長くなっていることで、医師は陣痛促進剤を追加して一気に出産するという考えを示しました。 しかし、なっぱさんの血圧が高いので最悪の場合は脳出血のリスクもあると説明。それでもなっぱさんは同意書にサインし、医師の提案通りに進めてもらうことにしました。痛みが増す中、気がつくと自分を取り囲む人の数が増えていたため、なんだか気まずく感じたなっぱさん。一発芸でもして気を紛らわせたい気持ちはあるものの、もう体力の限界でした。 苦しんでいる赤ちゃんのことも考え、最後の力を振り絞ってなっぱさんはいきみます。そして、陣痛開始から約19時間半が経ったとき、ついに赤ちゃんが誕生。 生まれてきてくれた長女の元気な産声を聞き、なっぱさんと夫は涙を流して喜びます。そして、3人で記念撮影をし、生まれてきてくれたことに感謝をしたのでした。 長時間に及ぶ出産になり、なっぱさんはもちろん、夫も赤ちゃんもとても頑張りましたね。出産することの大変さと、生まれてきてくれた赤ちゃんの尊さを、みなさんも改めて考えさせられたのではないでしょうか。 やさしく頼れる夫となっぱさんの出産の様子は、今後の育児の礎にもなったでしょう。この困難を乗り越えられた2人での育児は、とても幸せなものになりそうですね。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月12日なっぱさんは夫のべじ太との間に子どもを授かりました。出産予定日を迎え妊婦健診をしてもらいますが、出産の兆候はまだなく……。2日後の再健診で、むくみと血圧が高めだったため、急きょ入院に。陣痛促進剤を服用してから強烈な陣痛が始まり、夫の必死のサポートを受け続け、やがて8時間が経過していました。長時間、なっぱさんの肛門を押し続けていた夫は、ついに体力の限界が見えてきます。しかし、ここであきらめるわけにはいきません……! あきらめるものか…! ※全開 → 全開大 陣痛開始から10時間が経過したころ、なっぱさんはもう子宮口が全開大だと確信します。しかし、助産師さんを呼び、子宮口を見てもらうとまだ4cm。先が見えないなっぱさんは、もう限界だからおなかを切ってほしい……と弱音を吐きます。しかし、助産師さんに一喝されて再び闘い始める2人。 そして、陣痛開始から15時間が経ち、子宮口が7cmまで開いたところで分娩台へ徒歩で移動することに。歩く力もないなっぱさんですが、自称健脚のなっちゃんと自らを鼓舞し、力を振り絞ります。 力尽きたはずのべじ太さんも、あきらめず立ち合いに来てくれたのですが、ここへ来てまさかの展開が。なんと、陣痛が遠ざかってしまったのでした……。 立ち合い出産のために、休むことなく同行する夫のべじ太さん。全力でなっぱさんの力になろうとする夫の姿に、感動した方も多いのではないでしょうか。べじ太さんのような夫がそばにいてくれると、激しい陣痛も乗り越えられるような気がしますよね。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月11日現在3人目を妊娠中なのですが、住む地域の制度が変わり、子育て支援事業を受けるために行政の方と面談をおこなうことになりました。案内には「妊娠中の心の不安や、体調面でのケアやサポートを」と記載があったので質問を考え、当日を迎えたのですが……。面談を担当してくれたのは…子育て支援センターで迎えてくれたのは、話しやすい若い女性の職員さんでした。面談では、妊娠中の支援事業が受けられること、出産後のサポート事業や支援金が受けられることなどの説明のあとで、妊娠の経過や家族に関する質問が始まりました。 出産時に上の子をどうするかという質問になり、計画無痛分娩を予定していた私は、夫が休む予定であることを伝えました。すると職員さんは「身近に無痛分娩をした人がいなくて。痛みとかやっぱり違いますか?」と無痛分娩に興味がある様子。 あれ? 誰の面談だっけ?上の2人も無痛分娩で出産していた私は、そのまま無痛分娩について解説することに……。途中から個人的な話になり、職員さんは結婚しておらず、出産経験のない方ということもわかりました。 私は2人目の妊娠時、切迫早産で入院した経験があります。そのため今回、入院を回避するために気を付けることなどを質問するつもりだったのです。何気なく「2人目で切迫早産になって……」と話をしたのですが、職員さんはあまりピンときていない様子で、結局「大変でしたね」という会話で終わってしまいました。 職員さんが妊娠や子育てに関する知識を勉強していて、私の話を親身に聞いてくれていることは伝わってきました。しかし妊娠中のトラブルを相談するのは難しく、不安なことは産院の先生に相談することにしました。帰り際に職員さんから「貴重なお話が聞けてよかったです」と言ってもらい、子育て支援金の申請はできたものの、「一体誰のための面談だったのだろう?」と疑問が残りました。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:河原りさ
2024年03月10日先日、第2子となる女の子を出産しました。意気込みはどこへ?先日、第2子となる女の子を出産しました。 第1子・第2子共に自然分娩。 前回は夫に腰を押してもらって陣痛を乗り切ったという経験を踏まえ、今回も立ち合い出産を選択しました。「一緒に戦いたい!」と夫は意気込み十分。 さて当日。破水したので私は先に入院しました。暫くして陣痛が始まった私は、事前に勉強した陣痛中の過ごし方を実践。すると、子宮口9cmまで喋ったり笑ったりできるという驚きの結果に! 呼び出された夫もびっくり。 流石に子宮口全開大になると痛みでつらくなってきたのですが、ここで夫の様子にも異変が。 「具合が悪くなってきたので休んできてもいいですか……」と分娩室から退室、今度は私がびっくり! 結局、夫は生まれる数秒前に助産師さんに呼ばれ、なんとか誕生の瞬間には立ち会えたようです。 「なんの役にも立たず逆に迷惑をかけた。情けない」と夫はへこんでいましたが、娘が大きくなったら笑い話として伝えたいと思います。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、自然経過で子宮口9cmまで痛みがなく、余裕があると言うことは珍しいようです。陣痛の痛みを和らげるのには、一般的に、呼吸法・リラックス法・ツボ押しなどをすると良いと言われています。実はベビーカレンダー編集部の私も同じく子宮口ほぼ全開大まで会話ができていました。余裕かと思っていたのですが、その後、出血が止まらなくなり大変でした。出産は本当に人それぞれ、何が起こるかわからないですね。 監修/助産師 松田玲子作画/いずのすずみ著者:清水玲奈20代、0歳の女の子と3歳の男の子の母。趣味は片付け。
2024年03月09日初めての出産のとき、私は比較的余裕があったように思っていました。いきんでいる合間も夫と談笑した記憶があったのです。……が、後日、自分の出産時の動画を見ると、私は衝撃の事実を知ることに――!? 動画に映っていた衝撃の事実出産時に余裕があったと思っていた私。特に分娩台に上がる前は、夫や助産師さんと楽しくおしゃべりができていたほど。ですが、産後、夫が撮影したビデオを見てみると、そこにはまったく違うものが映っていたのです。 なんと、分娩台に上がる前から、痛みに耐えるのがしんどくなったのか、私は夫や助産師さんに暴言を吐きまくっていたのです……! さらには、なぜか義母の文句を言ったり、かと思えば、突然夫への愛の告白をしたり……。 また、いよいよ分娩台に上がって出産のときには暴言はさらにエスカレート。 いきんでいるときに夫の手を握り潰しそうな力で握っていたようなのですが、「うおおおおお」という自分の叫び声で、夫の痛がる声がまったく耳に入っていません。 産後、手が痛いと夫が言っていた理由がようやくわかりました。 なぜかこれらのことはまったく記憶にない私。出産するまで割と穏やかに過ごしていたと思っていたので、ビデオを見たときは本当に自分なのかと疑うほどの衝撃でした。 ◇◇◇ お産のときは必死だったあまり、どうやって乗り越えたか記憶にないという方も少なくないのではないでしょうか。あとからビデオを見たら思っていたのと違う行動をとっていたら……とても驚きますよね。産院によって撮影のルールは異なりますが、動画撮影が可能な場合、撮影してもらうと良いかもしれませんね。 イラスト/海乃けだま監修/助産師 松田玲子著者: 鈴木春奈
2024年02月24日第2子の出産エピソードです。コロナ禍での出産だったため、立ち会い出産はできないと言われていました。そこで、生まれる瞬間を見せてあげられない代わりに、産声だけは録音したいと希望を伝えていたのですが……。思ってもいない展開となったのです。バースプランでは産声の録音を希望今回の出産はコロナ禍ということで、立ち会い出産はできないと産院から言われていました。そこで、バースプランには「できれば赤ちゃんの産声だけでも録りたい」と希望を伝えました。 助産師さんからは、「昼間の出産や人手が足りている時間帯なら、看護師にスマホを渡したら録画してくれるかもしれないけど、夜の出産だと難しいかもしれない」とのこと。なので、昼間の出産で運がよければ録音できるかな……程度に思っていました。 深夜の出産で録音はあきらめかけて…出産予定日の前日、夜の11時ごろにおなかが痛くなってきました。陣痛カウンターで確認すると6分間隔で陣痛が! 産院へ連絡をしてすぐにタクシーで向かいました。 診てもらうと、子宮口6cm。診察台から分娩台へ移動することになりました。夜中ということもあり、分娩台で横になっている私の様子を数十分おきに見にきてくれるのは、助産師さん1人と看護師さん1人でした。「人少なそうだし、産声を録音するのは無理そうだな……」とぼんやり考えながら、腰をさすって過ごしていました。 いきんでいると助産師さんが!?時間が進むにつれて、どんどん陣痛が痛くなり、午前3時ごろ、ついに出産の時がやってきました! 助産師さんの声に合わせて、いきんではまた力を抜いてを何度も繰り返し、途中で破水もしながら、陣痛と共に徐々に誕生の瞬間が近づいてきました。 助産師さんに「赤ちゃんの頭もう見えてきてるよ!」 と言われて、「あぁ、もうすぐ生まれるんだ。夫にも息子にも生まれる瞬間を見せてあげられなかったな。録音もできなかったな」と、頭の隅でぼんやり考えながら、次の陣痛でいきむと、助産師さんに「赤ちゃんの頭出た! もうすぐ産声あげるから! 録画用意 !!」と言われ、「えっ?! 録画用意?」と私は混乱と驚きで固まってしまいました。助産師さんにもう一度「もうすぐ産声あげるから、スマホ起動させて動画の用意!」と言われて、私は慌ててテーブルに置いていたスマホを起動して、自分の下半身にカメラを向けました。 出産の瞬間をスマホで自撮り!次の陣痛でいきむと、赤ちゃんが出てくる姿がスマホの画面を通してハッキリと見えました! そして元気な「おぎゃー、おぎゃー」という産声も! 助産師さんはテキパキと赤ちゃんの体を拭きながら、「希望通り赤ちゃんの産声録れてよかったね」と、マスク越しでもわかる笑顔で話しかけてくれました。 希望通りなのかは少し疑問でしたが、たしかに無事に赤ちゃんの産声は動画付きで撮ることができました。まさか出産シーンを自撮りすることになるとは思ってもみなかったので驚きです。1人目のときは、30時間を越える分娩で記憶も途切れ途切れでしたが、今回は陣痛から6時間ほどと安産だったこともあり、そのあとは胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんが入っていた卵膜の破れた部分を説明してもらったりと、イベント盛りだくさんの出産になりました! その後、落ち着いてから録画を見てみると、産声はちゃんと撮れていました。ただ、赤ちゃんの声より大きい私の叫び声もバッチリ撮れていました(笑)。 無我夢中で撮りましたが、恥ずかしくて将来、子どもに見せられるかなぁ……と悩ましい動画となったのでした。 1回目の長男のときとはまったく違う体験をして、出産は1人ひとりまったく違うんだなと身をもって感じました。今回、出産しながら自分で動画を撮れたことで、何だか少し母としてたくましくなれたような気がします。とても良い経験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:かずママ手のかかるわんぱくな3歳と抱っこ大好き0歳の2児の母。現在は産休中。 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生
2024年02月15日妊娠をきっかけに、夫・進さんと結婚した田中まほさん。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週のころ、ついに陣痛が!夫に送ってもらい訪れた病院では、診察の結果すぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。8時間痛みに耐え続け、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ! 30分後、無事赤ちゃんが生まれました。出産時に自分の体から聞こえた聞きなれない音に違和感を持つものの、痛みもなくただ喜びに包まれていたまほさん。しかし病室へ移動することになり、車椅子に乗り換えた瞬間、体を激痛が襲います。分娩台から車椅子へ移り、腰を下ろそうとしたまほさん。しかし、そのとき信じられない痛みが駆け抜けて……? わかるよ、ママも泣きたいよ! ※登場人物のマスクは省略しています。 おしりの痛みは陣痛や会陰切開よりも痛く感じ、まほさんは「痛い……」と言い続けることしかできず……。病室へ移動後も、どんな体勢になっても痛みを感じて眠れず、ごはんを食べることさえできません。助産師さんから骨盤ベルトの装着をすすめられて過ごすものの、一向におさまらない痛み。その痛みは退院したあとも続き、痛みと闘いながら初めての育児がスタートしたのでした。 陣痛や会陰切開よりも強い痛みが、退院後にも続くという状況。想像するだけで地獄のような時間ですね。最悪のコンディションで始まる初めての育児……。前途多難な幕開けですが、痛みと育児の忙しさが相まってまほさんが心身ともに疲労困憊とならないでほしいところです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月11日やっぱり家が好き〜おっとぅんとみったんと私〜
ムスメちゃんとオコメちゃん
4人の子ども育ててます