結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りに来たり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ!と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ!と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻ったあともモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、ひとつだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせていたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ!とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかなとも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2020年11月23日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法は普通分娩と迷ったものの、無痛分娩で産むことを決意! 無痛分娩出産の記録をマンガでご紹介します。 麻酔のおかげで陣痛の痛みは感じなかったものの、会陰切開の痛みが怖い……! 先生に不安を訴えるも「大丈夫!」と片付けられたみいのさん。 先生とタイミングを合わせ、無事つむちゃんを出産することができました! ※細い管(カテーテル)を尿道に挿入し、尿を取るという処置のこと。 痛みが本格化する前に縫合が済んだようで良かったですね……。 しかし、次にみいのさんをおそったのは突然の尿意……!!! 看護師さんからは尿を取る処置はあとでおこなうから、ちょっとだけ待っていてと言われ、おとなしく待っていると、突然隣の部屋で叫び声が聞こえてきて……!!!? みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月23日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法は普通分娩と迷ったものの、無痛分娩で産むことを決意! 無痛分娩出産の記録をマンガでご紹介します。 出産のいきむ練習をして20分くらい経ったころ、先生が登場! ぐいっと穴を広げて、「今来ているので、いきんでください!」とみいのさんに指示を出しますが、思うようにいきめず……。出産まであとひと踏ん張りです! 先生とタイミングを合わせながら挑んだ出産。 そして、ついに赤ちゃん登場……!!! 無事に乗り越えることができて本当に良かったです!! 出産は無事に終わりましたが、お話はもう少し続きます。ぜひ最後までおたのしみください☆ みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月22日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法は普通分娩と迷ったものの、無痛分娩で産むことを決意! 無痛分娩出産の記録をマンガでご紹介します。 麻酔後のかゆみに襲われながらも何とか乗り切り、朝を迎えました。ついに子宮口は10cm! 分娩台に乗せられて、突然いきむ練習が始まりました。 いきむ練習は20分程度で終わり、陣痛の波に合わせていきみ、会陰切開をおこなったみいのさん。いよいよ出産のクライマックスへ……!!! 果たして練習の成果は……!?みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月21日私には8歳・6歳・4歳・2歳の4人の子どもがおり、4人とも違う産院で出産しました。そのうち会陰切開したのは1人目のときだけです。下の子3人は会陰切開せずに出産し、裂傷ができた場合は縫うというものでした。個人的に一番痛かったのは、1人目のときでした。今となってはどれもいい思い出ですが、私の出産体験をお話しします。 1人目の出産、会陰切開あり1人目を出産した病院は、出産時は基本的に会陰切開をするという方針でした。初めての出産ということで、何の疑問もなく出産に臨みました。 陣痛の間隔が短くなり、子宮口が全開大すると、いよいよ分娩台へ。赤ちゃんの頭が出るという段階で「ザクザクッ」。もちろん麻酔もしていますし、陣痛のほうが痛いので平気でしたが、裁ちばさみで切られたような感覚で切開されました。無事に生まれた後、縫合して出産は終了しました。 抜糸までが地獄の痛み…無事生まれて感動と興奮が冷めやらないのも束の間、地獄のような痛みに襲われました。縫合した糸が引っ張られていたのか、結び目の所が痛くて痛くて、痛み止めを飲むほどでした。 普通に座ることもできず、ドーナツ座布団が必須。日に日に痛みが増していきました。この痛みは抜糸をすると嘘のようになくなりましたが、痛みに耐えた入院期間でした。 下の子3人は裂傷するも、痛くない2人目以降は、会陰切開のない産院でした。2人目の出産のときは、頭が出るときに確かに痛いと思ったら3カ所ほど裂傷しており、縫合してもらいました。 ただ、このときは体に吸収される糸で丁寧に縫ってもらったのか、産後の痛みはなく、用意していたドーナツ座布団も必要ないほどで、拍子抜けしたものです。3人目と4人目も切開なしの自然な分娩でしたが、3人目はちょこっと裂けて縫う程度で、4人目はかすり傷でした。 毎日の運動が功を奏したか4人全員の妊娠中、安定期に入ると毎日マタニティヨガやストレッチ、筋トレなどをして出産のために体を整えていました。そのなかに会陰の柔軟性を高めるポーズやバランスボールを使った体操もあったので、切開なしでも産めたのはそのおかげもあるのかなと思います。 また出産のための体力作りにもなるようにと、無理のない程度にできるだけ体を動かすようにしていたので、ラクに産めたのかもしれません。 4回の出産を経験して、もしかしたら1人目の縫われ方の影響があったのかもしれませんが、切開しないほうが痛くなかったので、私にとっては切開しないほうがラクでした。もし5回目があるのなら、マタニティヨガなどで会陰の柔軟性を高めたうえで、切開なしで産めたらいいなと個人的には思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2020年11月19日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法は普通分娩と迷ったものの、無痛分娩で産むことを決意! 無痛分娩出産の記録をマンガでご紹介します。 前回、医師から麻酔処置を受けたみいのさん。謎の発熱による悪寒と陣痛の痛みに苦しみながらも、時間の経過とともに陣痛の痛みが小さくなっていることを実感。ようやく一筋の希望を見い出していました……! 痛みが引いたら今度はかゆみが……!? 痛いのもつらいですが、かゆいのもつらいですよね……。 クライマックスの出産まであと少し! みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月18日私の場合、1人目も2人目も陣痛が始まってから4時間以内のスピード出産でした。「早いとラクでいいね!」と言われますが、2人目以降は臨月になると病院への移動などが間に合わなかったらどうしようといつも不安でした。今回は3人目の出産エピソードをお伝えします。 前駆陣痛から本格的な陣痛へ3人目の出産は夜中の前駆陣痛から始まりました。はじめはいつものおなかの張りかな?と思い、そのまま寝ようとしていました。しかし、何かおなかの張り方がいつもと違う感覚がして気になったので、数分後におなかの張りの間隔をカウントをしてみました。 すると、すでに4〜5分間隔! すぐに病院へ電話して向かいました。病院へ到着したときには本格的な陣痛が来ていて、痛みが収まっているタイミングで病院内に入っていきました。 慌ただしい出産助産師さんに迎えられて、車椅子で陣痛室へ行くと、すでに子宮口は全開大でした。すぐに「分娩室に移動しようか」と言われ、分娩台に上がり、次の陣痛を待ちました。私は横向きが楽なので横向きになるとすぐに破水し、その2秒後にはポーンと一度も止まらずに生まれてきてくれました。 先生や助産師さんもあまりにもスムーズな出産で「すごく早かったね!!」と、とても驚き、慌てていました。 スピード出産にも危険が? 無事に出産しましたが、「勢いよく出てきたから出血が多いね。多めに点滴を打ってゆっくりしようね」と先生に言われ、産後は5時間ほど、分娩室でのんびりと過ごしました。あとから助産師さんに、通常の2倍の量の出血があったと聞き、スピード出産もいいことばかりではないことを実感しました。あのまま陣痛だと気付かずに寝ていたらと思うと怖くなりました。前駆陣痛か陣痛かわからなくて困ったとき、間違っているかもしれないと思うと、電話しにくい場合もありますよね。病院へ着くまでに赤ちゃんが生まれてしまっては大変なので、遠慮せずに医療機関へ電話することをおすすめします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:新山紗季6歳、4歳、1歳の三児の母。現在は医療機関で働くかたわら、記事執筆をおこなう。不妊治療や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月16日陣痛は痛かったですが、赤ちゃんに会えるうれしさのほうが強く、なんとか耐えられました。しかし出産時に会陰切開となったため、今度は産後の傷跡の痛みが待っていたのです。出産直後だけ痛いと思っていた私は、数週間ほど傷の痛みとたたかうことに……。会陰切開をして傷の痛みとたたかい、その後傷が回復するまでをお伝えします。出産時、会陰切開が必要に!陣痛が始まって病院に着いたときにはすでに子宮口が7cm開いていたため、慌ただしく出産の準備がおこなわれました。こんなにも一気に子宮口が開くと思っておらず、出産が近づく緊張と激しい痛みに自分を保つのに精一杯で、軽いパニック状態に。あまりの激痛にとにかく早く痛さから開放されたいという気持ちが一番でした。そこで、医師から「赤ちゃんが出やすくするために会陰切開をします」と告げられ……。「出産時に会陰切開をする場合がある」と事前に説明を受けていたので、心の準備はできていました。 会陰切開をし、いざ出産!医師からの「切りますね」の声とともに会陰切開をしました。一瞬チクリとしましたが、陣痛の痛みほうがまさっていて会陰切開の痛みはさほど感じず、医師からも「少し会陰切開をしましたが、裂けてはないので最小限で済みましたよ」とのこと。ひとまず出産を終えてホッとし、喜びに浸っていました。出産後の処置も終わって2~3時間経ったころ、次第におしりに違和感が……。出産時は緊張と興奮で高まっていた気持ちが落ち着き始め、次第に痛みへと変わっていったのです。 退院後も1カ月近く続いた痛み出産後から会陰切開の傷が痛み、ドーナツ型の穴あきクッションに座る毎日でした。入院中、同じ日に出産した人でも会陰切開をしていない人は普通に椅子に座ったり歩いたりしているのでびっくりしました。あとで経産婦の人に聞いた話では、会陰切開をしたのとしないのとでは出産後の痛みや傷の回復にかかる期間も異なるとのこと。産むまでのことしか考えておらず、出産後にこんなにも会陰切開の傷が痛いとは思いませんでした。それから1カ月近く違和感や痛みが続くことになったのです。 痛みの感じ方や長引き方は人それぞれと頭ではわかっていたつもりでしたが、実際に自分が経験することで、こうも違うのかと痛感しました。第二子のときには少しでも産後の痛みを軽減するために、会陰切開をしないで済むよう、妊娠後期から会陰マッサージしたりしました。その効果あってか、第二子は会陰切開をせずに出産し、第一子のときよりも出産後の痛みはなく、経過も順調で身動きがとりやすかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2020年11月13日引っ越してきて1年、ご近所さんとはあいさつをするだけではなく、世間話も度々しながら仲良くするようにしていました。特にお隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんとは、私や夫だけではなく4歳の娘と2歳の息子も仲良くさせてもらっていました。しかし3人目を出産したとき、その方から驚きの出産祝いをいただいたのです。 妊娠中も気づかってくれたご近所さんわが家は1年前に戸建てに引っ越しました。その数カ月後に妊娠がわかったのですが、何かあったときのためにご近所さんには妊娠していることを報告しておきました。また、毎日あいさつするだけではなく、子どもたちもお世話になるだろうと思ってよく話すようにしていました。親切で気づかってくれる方が多く、とても助かります。 私が住んでいる場所はご年配の方が多く、家の前で子どもたちを遊ばせていると、わざわざ外に出て声をかけてくれたりします。面倒見のよいおじいちゃんやおばあちゃんが多く、うれしかったです。 私が臨月のときは「もうすぐ生まれるの?」「頑張ってね!」など声をかけてくれました。上の子どもたちもご近所さんにすぐに懐き、たまにお菓子をもらったりするようないい環境で暮らしています。 産後、帰宅した日にすぐに駆けつけてくれたやがて3人目を出産し退院すると、「赤ちゃんの声が聞こえたから」といってお隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんがきてくれました。「これからうるさくなってしまうかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします」と私が言うと、出産祝いをくださったのです。 それはお金だったのですが、なんと中身が1万円! 親族でもないのにこんな金額をもらうとは思っていなかったので驚きました。「お返しはいいからね!」と言われたものの、さすがにそのままにはできないと思って後日菓子折りを持って伺いました。 ちょっと気疲れした「お返し」半返しだと逆に気を使われてしまうかなと思い、3,000円程度のお菓子を渡しました。「お返しはよかったのに!」と言われたものの、近所はご年配の方が多いので、私のことを話題に出されて変なことを言われても困る……という思いもあり、きちんとお返しをしました。 すると数日後、上の子どもたちにわざわざおもちゃを購入して持ってきてくれました。まさかそんな形でさらなるお返しをいただくと思っていなかったので、どうしよう……と対応に困ってしまいました。 さすがに何度もお互いにお返しをし合っているときりがないので、おもちゃをもらったときは「ありがとうございます」と子どもたちとお礼を言いに行って終わりにしました。こんな形で何度もご近所さんからお祝いをいただくとは思っていなかったので驚きました。本当にやさしい方ですしご近所付き合いは大切なので、今後も仲良くさせてもらおうと思っています。 監修/助産師REIKO著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年11月09日2人目出産の際、おなかの中の赤ちゃんが妊娠38週で逆子になってしまいました。急きょ帝王切開になるかと思いきや、手術予定日当日の朝、奇跡的に赤ちゃんが頭位に戻ってくれたおかげで、最終的に自然分娩で出産することができました。出産を目前に控えた臨月のわずか1週間のうちに、逆子判明と逆子解消の両方を体験した、私の奇跡的な出産体験談をお伝えします。 妊娠38週で、まさかの逆子!妊娠38週に入り経過も順調だったので、あとはもう元気な赤ちゃんに会えるのを楽しみに待つばかりでした。しかし、妊婦健診に訪れた病院で先生から思いもよらない一言を聞かされます。 「あれ? 頭が下にないな。逆子になっちゃってるね」 驚くことに、出産予定日まであと10日と差し迫っているタイミングにもかかわらず、逆子になってしまったのです。自然分娩予定が急きょ、3日後に予定帝王切開手術を受けることになり、大慌てで心電図やレントゲン、血液検査を受けました。 逆子体操NG逆子と診断を受けてすぐ逆子体操をすべきかどうかも先生に伺いましたが、私の場合はすすめられませんでした。臨月に入ってから逆子体操をすることでお産が進みやすくなる傾向にあるそうです。 そして逆子のままお産を迎えてしまうと緊急帝王切開になり、普通の帝王切開手術よりもさらにリスクが上がってしまうので、逆子体操はせず、できるだけ安静にしているように説明を受けました。 前日はまだ逆子私の出産した病院では、予定帝王切開の場合は手術する日の前日に入院します。母体と赤ちゃんの健康状態を確認したり、前日の夜から飲食を中止したり、夫と一緒に手術について最終的な説明を受けて同意書を記入したりしました。この日のエコー検査では、残念ながら赤ちゃんはまだ逆子のまま。それでも先生から手術当日の朝も確認して、もしそのときに頭が下に戻っていたら、自然分娩にまた切り替えると説明を受けていたので、祈るような気持ちで一晩を過ごしました。 当日の朝、奇跡が! 帝王切開を受ける当日の朝、目が覚めるとそれまで恥骨のあたりで感じていた胎動が肋骨のあたりで感じられたことをはっきりと覚えています。これはもしかして……と期待を胸に診察を受けると、本当に赤ちゃんの頭が下にあり、逆子が直っていました。 通常は、逆子が戻ると陣痛を待って出産するために一時的に帰宅するそうですが、私の場合はまた逆子になるリスクがあったので、そのまま陣痛促進剤を使用して出産することに。先生から陣痛中もまた回ってしまうこともあると言われていたので、陣痛の痛みを耐えた上でさらにおなかを切られるなんて⋯⋯!とハラハラドキドキ。幸い陣痛中はもう一度逆子に戻ることなく、どうにか自然分娩で出産することができました。 「臨月でこんなにぐるぐる回る子は滅多にいない」と、病院の先生と助産師さんにも驚かれた私の赤ちゃん。今回の出産を通じて、逆子から頭位に自分で戻ってくれた赤ちゃんにも、直前まで戻ることを諦めずに待ってくださった病院の先生と助産師さんにも、心から感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月09日出産のときは全身の力を振り絞っていきみます。そのときに「一緒にうんちが出てしまったりしないのだろうか?」と私は出産前にとても心配になりました。夫の立ち会い出産を希望していたので、なおのこと不安でした。仕方のないことかもしれないけど、やっぱり恥ずかしかったからです。ここではそんな私の出産体験談をお話ししたいと思います。陣痛はおなかを下した痛みに似ていた私は妊娠40週2日の夜中に陣痛が来ました。それは腸が収縮するような感じの痛みで、おなかを下したかな?と思って何度かトイレに行きました。けれども何も出ず、定期的に下腹が痛むのでようやく陣痛だと気がついたのです。陣痛の痛みはおなかを下したときの痛みに似ていると思いました。そして、これでは分娩室に入ったときに本当に便意があったとしても、その感覚がどちらかよくわからないだろうなと感じたのを覚えています。 入院してすぐに浣腸をしたかかりつけの病院では、産前の処置として浣腸することが決まっていたため、私も入院してまずその処置をしてもらいました。これなら出産時に排便してしまわないだろうと安心したのもつかの間、浣腸後にも便意をもよおし、我慢することが本当に苦痛でした。そして約15分くらい、陣痛の波と腸がぎゅるぎゅると動く痛みで脂汗が止まらなくなりました。トイレに行こうとしても、痛みでなかなか進めず、すぐそこにあるトイレがとても遠く感じました。 出産時にうんちがでることはよくあることところが私は出産までに時間がかかってしまい、気づけば浣腸をした日から2日が経っていました。助産師さんに不安に思っていることを話すと、「出産時にうんちが出てしまうことはよくあることだから、心配しないで。気づかないくらいにさっと処理します」と言ってくれました。その後、出産時にうんちは出ませんでしたが、もし出ても陣痛の痛みや子どもが生まれた喜びや興奮で、まったく気にならなかったかもしれないなと思ったのを覚えています。 助産師さんからは「よくあること!」と言われましたが、それでもかなり抵抗がありました。浣腸は大変でしたが、出産前にしたことで私はかなり安心できました。また、もし出てしまってもスムーズに対処してもらえるということを事前に教えてもらったことも、安心につながったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ
2020年11月04日私の祖母が他界したのは、息子が生まれる2週間前のことでした。いつもやさしくしてくれた祖母に、ひ孫の顔を見せてあげられなかったことの他に、もう1つ私には心残りなことがありました。 大好きな祖母は筆まめな人でした「元気にしていますか」。祖母からの手紙の書き出しには、いつもこう書いてありました。祖母は周囲への気配りがじょうずで、私のことを気づかいながらもこちらからの返信を求めるようなことはなく、「おばあちゃんのボケ防止だから、お返事はいいのよ」と言ってくれました。 私はその言葉に甘えて、電話したり遊びに行ったりはするものの、手紙を出すことはほとんどなく、妊娠してつわりが出始めてからは一度も書きませんでした。 元気だったのに…祖母との突然の別れ出産間近となり、私たち夫婦は子育てしやすい環境へ引っ越しをすることになりました。そのことを伝えると祖母は荷解きの手伝いを買って出てくれ、昼食まで用意してくれたのですが、まさかこのときの「きんぴら」が、最後の祖母の手料理になるとは……。 引っ越しから1週間ほどたち、祖母と同居する叔父から「祖母の具合が急に悪くなった」と知らされ、病院に運ばれたときにはすでに昏睡状態。祖母は二度と目を覚ますことはありませんでした。 祖母への最後の手紙すでに臨月を迎えていた私は、葬儀への参列は家族に止められてしまいました。せめて手紙だけでもと、たくさんの想いを込めて手紙を書きました。このときに感じた後悔は今でも忘れることができません。 それからというもの、私は手紙をたくさん書くようになりました。身近な人へのちょっとしたお礼のメールから、大好きな作家さんへのファンレターまで。手紙を書くうちに、祖母の気持ちがだんだんとわかるようになりました。大切な人にいつでも感謝を伝えられると思いがちですが、実際はそうではなく、相手と疎遠になったり、祖母のように突然亡くなることもあります。おそらく、祖母は自身が高齢なことを感じて、伝えられるうちにと私に手紙を書いてくれていたのだと思います。 育児で忙しいと友人と疎遠になることがあったのですが、祖母の手紙で得た教訓から、少し手があいたときになんてことのないメールを送ったりしています。字を書いたり、メールの文面を考えることで自分自身の息抜きにもなりました。これからも周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、手紙を書き続けていきたいと思っています。 監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月03日この記事では、無痛分娩を予定したところ、急きょ帝王切開に変更になってしまった先輩ママが、事前に出産についての知識を得ておくことの大切さを実感した体験談をお伝えします。 2人目出産の際、コロナ禍で立ち会い出産ができなかったことや、産後は遠方からの移動を考慮し、実家の助けなしで夫婦2人でお世話をしようと決めた私たち夫婦。そのため、できるだけお産に対する不安を払拭したく、無痛分娩を希望しました。しかし、想定外のことが次々に起こり、プチパニックになってしまった私の出産レポートをお伝えします。 コロナ禍での出産、無痛分娩を希望私が無痛分娩を希望した理由は大きく2つありました。1つ目は、コロナ禍で立ち会い出産不可だったので、痛みをひとりで乗り越えるのが不安であったため。 2つ目は、遠方からの移動を考慮し、実家の助けを借りずに夫婦2人で子どものお世話をすることにしたので、産後に体力を温存しておきたかったためです。 私のお世話になった産院では、無痛分娩は計画分娩でおこなわれていました。経産婦であることも考慮し、妊娠38週5日で計画・無痛分娩の手筈となりました。妊娠中はマイナートラブルはあるものの、大きな異常はなく順調に経過していたので、お産も順調に行くと思っていました。 入院当日は、子宮口を広げるためのバルーン留置や無痛分娩のための硬膜外麻酔のルート確保などの処置をしてもらい、陣痛促進剤の点滴が開始されました。通常であれば、陣痛促進剤とバルーンでお産が進み、陣痛の痛みが出てきたら硬膜外麻酔薬を入れてもらい、出産するという流れでした。 急きょ、帝王切開での分娩に!ところが、私の場合、陣痛促進剤とバルーンでは思ったようにお産が進みませんでした。子宮口がなかなか3cm以上開かないまま、破水してしまいました。破水すればお産が進むかと思いきや、高位破水でさほど進まなかったため、先生が人工破膜をしました。しかし、それでもお産は進まず、陣痛促進剤を使っているにも関わらず陣痛が遠のいていきました。 そして、破水しているため、子宮内の赤ちゃんの感染のリスクが高まると説明を受け、このままお産が進まなければ、帝王切開に切り替えたほうが良いと先生から説明を受けました。正直、私は無痛分娩の予習しかしておらず、突然帝王切開と言われ、「えーー!? 帝王切開!? おなか切るんでしょ? 痛いよね? 術後はどんな感じになるの?」とかなり動揺しました。でも、「おなかの赤ちゃんを無事に産んであげたい」と言う思いから、先生の説明通り、急きょ帝王切開での分娩に切り替えたのです。 術後は痛みとの戦い痛みにはめっぽう弱い私。(そのため、無痛分娩を選択したのですが)。急きょ、帝王切開となり、とても怖かったです。しかし、手術自体は30分程度で終わり、しっかり麻酔が効いていたので、もちろん痛くはなく、また、あっさり赤ちゃんが生まれてきたことに少し戸惑うほどでした。 しかし、本当の痛みと恐怖はここからでした。麻酔が切れ、傷口と後陣痛の痛みが出てきました。個人差はあるものの、これらの痛みはおおよそ術後3日目くらいまで続くと聞き、術後3日を目標に頑張って耐えました。点滴がはずれてからも、痛み止めをしばらく内服し、頓服薬として退院後にもいただきました。 そして、痛みがあるなか、スパルタ指導が加わりました。まずは歩行訓練! そして、トイレ(排泄)の練習! そして、授乳指導! 赤ちゃんのお世話! 第1子は自然分娩だったので、産んだあとは意外とスタスタ歩けた私ですが、今回は、痛みと麻酔の痺れが残っており、よろよろフラフラ。その一歩がつらい状態でした。産後に体力温存どころか、痛みとの闘い、授乳を含めた赤ちゃんのお世話で満身創痍となり、私はボロボロでした。 産後、妊娠高血圧症候群に悩まされ…妊娠中は比較的順調で血圧も一度も引っかかったことがありませんでしたが、さらに追い討ちをかけるように産後に妊娠高血圧症候群になってしまいました。また、術中の出血が多く、貧血にもなっていました。授乳していると、クラクラ〜と目の前がボヤけたり、立っているのが難しいときもありました。 そんなこんなで、退院後も安静指示をされ、当初は体力温存して簡単な家事はやろうと思っていたのですがまったくできず、 急きょ、行政と民間を通じて育児ヘルパーさんなど外注をするなどして、産後を過ごしました。 無痛分娩にかかる費用に帝王切開の費用が上乗せされ、かなりの高額になったのに加え、退院後の外注諸々にかかる費用もプラスされ、結果的に当初の予定よりかなりの出費になりました。後日いろいろ調べていくうちに、社会保険から高額療養費として、いくらか戻ってくること、会社の福利厚生から育児ヘルパー費用として、一部助成があることを知り、どちらも全額ではありませんが、少しでも戻ってくるお金があるとわかって安心しました。 今回の経験で、何があるかわからないのがお産だとつくづく感じました。想定外のことが起きても、落ち着いて、そのときベストだと思える選択ができるよう、知識や情報を仕入れておく重要性を痛感しました。もちろん、過度に心配する必要もないと思いますが、「知っている」のと「知らない」のとでは大きな違いがあると思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:影山 照子4歳、0歳の姉妹の母です。現在は、産休・育休中を利用して妊娠・出産・子育てについて、体験談を中心に執筆中です。
2020年10月31日「ちょこの出産体験談」第6話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。ついに出産し、ホっとしたのも束の間、赤ちゃんはNICUへ。一度も抱くこともできないまま、赤ちゃんはNICUに運ばれ、その後状態について説明を受けることに。 「ちょこの出産体験談」第6話 新生児一過性多呼吸は早産や帝王切開の際によくあることなのですが、どちらも当てはまらない!! 本当に最後まで何があるかわからないのが出産ですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「新生児一過性多呼吸」「肺炎」 次々に思いがけない赤ちゃんの病状を説明され、ショックを受けるちょこさんご夫婦でしたが、しばらくすれば退院できると聞き、ひと安心します。 ちょこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2020年10月30日この記事では、スムーズだった3人目の出産直後、意識がもうろうとし始めてしまったというママの体験談を紹介しています。同時に助産師さんが血圧が異常に下がっていることに気付き、にわかに大騒ぎになってしまったそうです。 3人目もひどいつわりでしんどい妊婦生活でしたが、とにかくよく動く元気な赤ちゃんでした。ママとして3度目の出産ともなると、陣痛の流れやいきみ方、タイミングがなんとなくわかっていたので、一番スムーズに産むことができたのですが……。その後、思いもよらぬ展開が待っていたのです。 3度目はスムーズな出産!出産が近づくと、赤ちゃんは下がってきてあまり動かなくなるとよく聞きますが、私の3人目の子は、出産当日も元気に動いていました。出産予定日を3日過ぎた朝におしるしがあり、夕方になんとなくおなかの張りが規則的に感じたので産院へ行くことに。 ひとり、陣痛室で耐えること数時間。ひたすら静かに痛みと向き合いました。おしりのあたりまで赤ちゃんが下がってきた感覚がしたので、助産師さんを呼び、いよいよ分娩台に。 「無事に産めた」と思ったのもつかの間分娩台に上がってからも、私は落ち着いて出産することができました。ところが、「無事に産めた」と思ったのもつかの間、赤ちゃんが新生児室に移動してから、私の意識がもうろうとし始めてしまったのです。また同時に、助産師さんが血圧が異常に下がっていることに気付き、にわかに大騒ぎに! 今度は私の周りに医師や看護師さんが集結して、おなかを上からぐいぐい押していました。私は意識が遠のきつつも「痛い!」と言いながら、何とか産後の処置は終了しました。 産後の貧血がつらかった!このとき、出血が1リットル以上あり、その場から自分では起き上がれないほど貧血になっていました。回復室でしばらく過ごし、病室に移動できたのは、翌日のこと。毎日鉄剤を点滴し、退院も少し遅れてしまいましたが、輸血はしなくてすみました。 改めて「出産は何が起こるかわからない」と実感した出来事でした。退院後も鉄剤を飲み、時々ひどい腹痛などがありましたが、1カ月後には落ち着きました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:山田孝子不妊治療を経て高齢出産し、現在は三児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は旅行、仏像鑑賞、モノづくり。
2020年10月30日「ちょこの出産体験談」第5話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。陣痛に苦しむちょこさんでしたが、「赤ちゃんも命がけで頑張っているんだ」ということに気づき、励まされます。いきみ方を教えてもらい、最後の力を振り絞ったちょこさん。ところが、赤ちゃんが出てこない……?! 急に先生たちの顔色が変わり、不安に……。 「ちょこの出産体験談」第5話 娘が引っかかって出てこられなかったのはあとから旦那に聞いた話です。 最後の痛みはそういうことか〜と納得。 そして出産ハイで麻酔の追加なしでお股縫われても痛くなかったのに、この4日後の診察で傷が開いてしまい、麻酔なしで再縫合されたのはめちゃクソ痛かった……。 「やっと生まれた!!」ホッとしたのも束の間、一度も抱くこともできないまますぐにNICUに連れていかれてしまった赤ちゃん。 ちょこさんの胸に不安がよぎります……。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2020年10月29日「ちょこの出産体験談」第4話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。不妊治療の末の妊娠、ついに出産のときが!陣痛に苦しむちょこさんでしたが、あることに気がつきました。陣痛に苦しむちょこさんでしたが、「痛くて苦しいのは私だけじゃない、赤ちゃんも命がけで頑張っているんだ」ということに気づき、励まされます。 「ちょこの出産体験談」第4話 いきみ方を教えてもらい、最後の力を振り絞ったちょこさんでしたが……頭さえ出ればスルッと生まれるはずなのに、どうして? 赤ちゃんは無事生まれてきてくれるのでしょうか……? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2020年10月28日「ちょこの出産体験談」第3話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。不妊治療の末、ようやく妊娠することができました。そしてついに出産の兆候が!ちょこさんが陣痛の痛みに耐えていると、突然「バシャ!」という音がして……? 「ちょこの出産体験談」第3話 破水って尿漏れみたいってレポしてる方が多かったのですが、私は完全に水風船が割れた音がしました。 破水後、さらに続く陣痛に苦しむちょこさんでしたが、「痛くて苦しいのは私だけじゃない、赤ちゃんも命がけで頑張っているんだ」ということに気づき、励まされます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2020年10月27日家の中で楽しめるエンタメや流行を本誌記者が体験する“おこもりエンタメ”のコーナー。今週は、キュートに乗り切るフランス転勤奮闘記『エミリー、パリに行く』を紹介。■Netflixオリジナルシリーズ『エミリー、パリに行く』独占配信中パリは、誰もが一度は憧れ、行ってみたいと思う街。でも、実際に住んでみたら、憧れを打ち砕かれるほどハードと聞きます。ましてやそれが仕事だったら……。フランス語は必須だし、フランス人はプライドが高い人が多いし、記者も、出張で行って悪戦苦闘した思い出があります。そんな街で明るく働くアメリカ女子のドラマ『エミリー、パリに行く』。パリのマーケティング会社で1年働くことになったエミリー。上司や同僚は、フランス語を話せない彼女に友好的ではありません。ところが、彼女のSNSが仏大統領夫人のリツイートによってにわかに注目を集めます。エミリーの機転の利いた企画や提案はクライアントに認められ、日に日にフォロワー数が増えていきますが……。注目は、エミリーのファッション。ピンクなどを基調としたコーデは毎回カラフルでかわいくて、パリの街を闊歩する彼女の姿をみるだけで元気をもらえます。そして、エミリーの行動力。キーパーソンを見つけて積極的に話しかけ、仕事に結びつけていきます。クライアントの男性から言い寄られても、愛嬌ある笑顔と嫌みのない会話で切り返し、好きな男性には素直に愛を表現。有名なカフェでお茶をしたり、石畳の道を散歩したりするエミリーと一緒に、パリ気分を存分に味わってください。(文:西元まり)「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月26日出産について、陣痛の痛みと同じくらい気になっていたことが「会陰切開」。自分の体を切るという痛みは、陣痛とはまた違った恐怖です。実際どんなふうにおこなわれるの? 陣痛の痛みでわからないってホント?などなど私も出産前は疑問だらけでした。最終的に私は吸引分娩のために会陰切開をしましたが、実際してみると想定外のできごとが続々! そんな体験談をお伝えします。 会陰切開って何?会陰切開とは、赤ちゃんが出てくるときに会陰が裂けるのを予防するため、あらかじめ会陰を切ることだそう。恥ずかしながら私は妊娠してから知りました。麻酔なしで切ることもあると知り、驚愕。 いくら陣痛が痛いと言っても、自分の体を切られるというのはまた別の痛みだと思うからです。心配性な私は出産にあたってまた1つ不安の種が増えることとなり、日々お風呂で会陰マッサージをしつつ、切開しなくて済むのを願うばかりでした。 吸引分娩のため会陰切開に!そんななか迎えた出産当日。最終的に私は吸引分娩に切り替えることになりました。そして器具を入れるために会陰切開も決定。「ちょっと切りますね〜」というお医者さんの言葉に、陣痛に耐えつつもまた別の緊張感が襲ってきます。 しかし、お医者さんは麻酔を打ち、あっという間に切ってしまいました。緊張からやたらその部分に意識を向けていたにも関わらず、痛みや違和感はありませんでした。陣痛の痛みでわからないというのは本当なんだ!と感心したのを覚えています。 切ったら縫うことを忘れていたその後無事出産! わが子の産声を聞きホッとしたのもつかの間、会陰に違和感が……。そうです、切った会陰を縫合する作業が残っていたのです。陣痛がおさまったからなのか麻酔が切れてきたからなのか、出産の感動も薄れるほどの不快な感覚が続きました。 我慢できなくはないのですが、針と糸が通るとき、なんとも言えず痛くて気持ち悪いのです。丁寧に縫ってくださるのは本当にありがたいのですが、「もう早く終わってー!」とばかり考えていました。 会陰切開は長い出産のなかのほんの一瞬のできごと。今振り返ってみるとたいしたことはありませんでした。ただ、陣痛は出産すれば終わりますが、会陰切開は出産後縫わなければいけません。産んだあとはつい開放感でいっぱいになってしまいますが、油断禁物だなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:優木このみ2歳女児の母。出産後まもなく、夫の海外転勤のため家族でイギリスに1年ほど滞在。現在は帰国し日本で子育て中。自身の体験を中心に執筆している。
2020年10月22日4人目の出産入院中に上の子たちのお世話を、家事がちょっぴり苦手なパパにお願いしたというママの体験談を紹介しています。4人目の出産当時、長男は小学1年生、次男は年長、そして長女は年少でした。電車で8時間かかる実家へ里帰りをしようか悩みましたが、小学生が長期欠席するのは好ましくないと感じ、夫に1週間の休暇が取れるか相談。幸いにも会社の理解があり、1週間ほど休暇をいただき、里帰りせずに出産を迎えました。 4人目の出産入院! 夫に家事・育児を任せるのが心配わが家の夫は料理が得意ではなく、作れるものはみそ汁とカレーくらいです。掃除機はかけられますが、洗濯機の使い方や洗剤の量など、細かいことはわからない様子。 また、幼稚園の子どもの持ち物やお迎え時間が曜日によって違うことを、口頭で何度も説明したのですが理解できず……。「お弁当も作れるのだろうか?」とさまざまなことが心配でたまりませんでした。 そこで出産入院中、夫が困らないように家事や幼稚園の支度を細かくノートにまとめたものを用意しておきました。 子どもの精神面も心配!出産入院中の1週間ほどは、私がいない生活になります。子どもたち3人はまだまだ甘えざかりなので「大丈夫だろうか?」と心配になりました。 特に幼稚園児の2人は、ママがどのくらい入院し、どのくらいで帰宅するのかわからない様子。そこで1週間分のカレンダーをつくり、毎日シールを貼っていってもらい、ママが帰ってくるまでの期間を感覚で伝わるようにしました。 さみしくなったときはグズグズしてしまうので、お手紙とシール、小さいおやつを人数分×1週間分、用意して出産に備えました。 「意外となんとかなる」と思えた!夜に陣痛がきた私は、子どもたちが寝ている間に病院に駆け込みました。付き添いもおらずひとりでしたが、私の場合は逆に集中できてよかったと思っています。 私が入院中の1週間、結局、夫は幼稚園をお休みさせて、子どもたちを遊びに連れて行ったようです。普段私は外食をさせませんが、夫と子どもたちはラーメン屋巡りをしたそう。子どもたちはとても楽しそうに報告してくれました。夫は、3人の子どもたちのお世話が想像以上に大変な様子で、日に日に疲れた顔になっていきました。 予想外の外食続きで、栄養バランスが気になりましたが、子どもたちに怪我もなく、これまでの夫の様子を考えると、ひとりで面倒を見ていてくれただけでもすごいと感じました。夫自身も子育てをしながら家事をする負担を、身をもって実感したようで、お互いのことを知るいいきっかけになった出産前後でした。 原案/武山あゆみ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2020年10月21日私は、1人目を産むときには出産時のうんち事情についてよく知らず、恥ずかしい思いをしました。出産時は気にする間もありませんでしたが、あとになって事前に気にしておけばよかったと後悔の嵐でした。私の1人目の出産時の経験と、それをふまえて2人目の出産時に対策したこと、その結果について紹介したいと思います。 1人目を出産した際の大失態陣痛が10分間隔になったのは夕方のことでした。産院にかけつけると入院に向けて簡単な検査が始まり、そのなかで「うんちは出た?」と聞かれたので、朝のうちに少し出たことを伝えると、「それなら大丈夫ね」と助産師さんに言われ、安心して出産に臨むことに。 陣痛の間隔が短くなると同時に便意がやってきましたが、私は「これがいきみたくなるということだ」と思いました。さらに実際陣痛がつらくてトイレへ行くことができず、結局ベッドの上で……。 幸い助産師さんが近くにおり、すぐに立ち会いの夫を外へ出してシーツ交換してくださったので夫はよくわからなかったようですが、今思い返してもしバレていたらと思うと恥ずかしくてたまりません。 2人目出産のとき、事前に準備したこと1人目の出産を終えてから、妊娠中は便秘気味な私の場合は出産前に浣腸して出してもらうべきだったということがわかりました。入院中に浣腸を経験し、浣腸が思ったよりも恥ずかしくないということも。 2人目の出産は別の産院だったのですが、「バースプラン」に出産時の希望を書いて産院に伝えておくシステムだったので、そのなかに「便秘なので出産の前に便を出しておきたい」と書いておきました。 2人目のときはこうなった出産時のうんちについてバースプランに記載したうえで臨んだ2人目の出産。助産師さんも事前情報から準備してくれていたため、産院についてすぐ浣腸をしてもらい、すっきりした状態で出産に向かうことができました。 陣痛とのかなりきつい戦いのなか、いきみたくなるのが生まれそうなのか、うんちが出そうなのか……なんていう変な心配もいらず出産に集中できたので、恥ずかしがらずに伝えておいてよかったです。 1人目の出産を経験するまでは考えもしなかったし、誰も教えてくれなかったうんちについて。1人目のときは恥ずかしい経験となりましたが、おかげで2人目のときには対策を講じることができました。出産直前に浣腸してもらえば安心なこと、浣腸希望を事前に産院に伝えておくこと、この2点は3人目の出産時にも忘れず実践したいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:仲田みいま2人の男の子を育てつつ、作業療法士として働くワーキングマザー。生活関連の情報をまとめたブログも運営。子育て、ラク家事に関する内容を中心にライターとしても活動中。
2020年10月18日下半身がしっかりしていることが、昔からコンプレックスだった私。親戚からはよく「安産型だね」と言われていました。下半身がしっかりしているなどの見た目で言われる「安産型」は、果たして本当なの……?「安産型」と言われた私が妊娠し、出産するまでの体験談をご紹介します。 嫌だった「安産型だね」という言葉骨盤が大きくてしっかりしている体型は「安産型」とよく聞きますよね。下半身がしっかりしている私は、親戚などから「安産型だね」「安産型でよかったね」と、昔からよく言われていました。 そんなふうに言われることが、私自身としては非常に嫌でした。まだ妊娠や出産を経験したことがなかったころの私は、無事に赤ちゃんを産むことへの不安や重要性を意識したことがなかったからかもしれません。 「安産型」は本当に安産になる?妊娠してから「安産型」というものには明確な定義がないことを知りました。骨盤が大きく張っていて、歪んでいないことが安産につながることがあるとも言われていますが、産道の広さや子宮口の開きも安産の重要なポイントになるのだそうです。 実際の出産は、妊娠39週に陣痛が来てそのまま入院。分娩時間は13時間かかり、出血も多量でした。初産ということもあり、子宮口の開きが遅く、2~3cmから先にすすむまでに時間がかかりました。 想像よりも出産に苦戦周りから「安産型」だと言われた私も、子宮口の開きが遅く、想像よりも出産に苦戦しました。無事に生まれてきてくれただけで十分ですが、周りから言われていた「安産」とは少し違ったかもしれません。 実際に妊娠・出産を経験してみて思うことは、「安産型」だと言われたことに気を抜かずに、もっと主体的になって妊婦生活を過ごせばよかったということです。安産のために、塩分量などの食事調整や体重管理など、出産に向けての時間の使い方や準備も大切だと感じました。 私と同じように、「安産型だね」と言われることを気にしている方もいるかと思います。赤ちゃんや自分にあまり負担のかからない出産となるように、できる限りのことをしていきたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2020年10月16日私は初めて妊娠したとき、妊娠20週ごろから助産院を利用しました。自治体のパンフレットで利用した助産院の紹介を見て、「おなかの子どものリズムと私の体を優先したお産ができそうだ」と感じたことがきっかけでした。それと私の周りでは助産院で出産した人はおらず、「どのようなところなのだろう」という好奇心もありました。それぞれの助産院ごとで提供しているサービスは違うと思いますが、私が利用した助産院のお話をしたいと思います。 ゆっくり落ち着いての診察利用した助産院は、一軒家を利用して営まれていました。完全予約制で待ち時間はゼロ。助産院に入るときもインターフォンを押して、中から開けてもらわないと入れません。 そのため、健診中は診察用の部屋の外でほかの妊婦さんが待っているということはなく、リラックスできました。助産師さんたちも作業をしながら、ほかの妊婦さんを気にかけながらではなく、私だけに集中してくれます。 私は大切に扱われているように感じ、穏やかな気持ちになれました。 オーダーメイドの指導を受けられる私の話をしっかりと聞いたうえで、助産師さんからは生活のリズム、食事、運動、睡眠のアドバイスをしてもらえました。冊子や本にあるような一般論ではなく、私に合った、私とおなかの中の子どもが快適に過ごせる方法です。 例えば今まで私は夫の帰宅が21時ごろになるときは、18時と21時の2回に分けて夕食を食べていました。けれど「夕食が遅くなると睡眠が浅くなる」とのアドバイスを受け、夕食は18時にすませ、夫の食事のときにはお茶を飲むようにしました。 おっぱいの相談もできる出産後は、おっぱいの相談にも助産師さんが親身に応じてくれました。私も赤ちゃんも初めて同士の授乳で、うまくいかないことも多くあったのです。けれどそんなときは助産師が授乳するときの体勢や抱き方など細かくアドバイスをくれ、赤ちゃんが順調におっぱいを飲んだときには、一緒に喜んでくれました。 さらにおっぱいにしこりができたり、張ったりしたときはマッサージをしてくれるのです。痛みが出るくらい張ることもあったのですが、マッサージを受けるとスーッとラクになりました。 助産院での出産は、私に合った情報が得られたり、親身なサービスを受けられたりしてとても満足しました。そして何よりも、しっかりと私と向き合ってくれている、そう感じられることで、産前産後の不安を軽くしてもらったように感じています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年10月10日私は、妊娠中から立ち会い出産を希望していました。ところが、いざ出産当日になると、夫は私よりも落ち着かない様子で、自分から率先してサポートすることができませんでした。もっと事前に夫婦で話しておけばよかったなと思うことも。そんなわが家の立ち会い出産体験談をお伝えします。 夫は緊張して何もできず…立ち会い出産当日。陣痛が始まってから、夫は私のそばにいてくれましたが、私よりも緊張して何もできず……。私はそのことにイライラしてあたってしまうこともありました。 「これやって」「あれやって」とお願いしたことに関してはやってくれましたが、陣痛の痛みから私は頼むのもひと苦労です。もっと相談を重ね、事前にサポートしてほしいことをお願いしておけばよかったなと思いました。 もっと相談しておけばよかったと思うことそもそも夫は、出産に対しての知識がまったくありませんでした。「痛い」ということはわかっても、どこが痛いのか、どうしたら陣痛の痛みがやわらぐのかという知識を事前に共有していなかったのです。もっといろいろなパターンを考えて、事前に共有しておけばよかったなと感じています。 うちわであおぐ、飲み物を渡すなど、それだけでも意識的にサポートしてくれると、私としてはより助かったかもしれません。 それでも立ち会い出産にしてよかった!それでも、私が立ち会い出産をしてよかったと思うことはいくつかあります。自分から率先してサポートできなかった夫ですが、そばにいてくれる安心感がありました。 ひとりで戦わなければいけないという気持ちから、そばにいてくれるだけで「一緒に出産」という気持ちになれました。何もできなくても、私にとっては最高の存在でした! 今回は、立ち会い出産を経験した私がもっとこうしておけばよかったと思うこと、立ち会い出産にしてよかったと思うことをお伝えしました。立ち会い出産をしようか迷っている方は、ぜひご主人と相談してみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年10月09日出産を目の前にして気になることといえば、陣痛の痛みや会陰切開を挙げる方も多いのではないでしょうか。私は二度の出産を経験していますが、出産のときの傷の大小で産後の回復が大きく違いました。初産と経産の違いはありますが、私の体験を紹介します。 初産は産道・会陰裂傷+会陰切開で全治1カ月初めての出産では、陣痛は1分間隔とどんどん迫っているのになかなか子宮口が開かず悶絶、痛みで身をよじり、過呼吸になってしまいました。しかし、破水後は急速に進み、その影響もあってか産道も会陰も裂け、会陰切開もおこなわれました。 出産後、医師に「だいぶ奥まで裂けたので、かなり縫いました」と説明を受けました。その影響で産後はとにかく引きつれがひどく、便秘で気張ると食い込み、さらに排尿時にはそこがしみて……。糸が吸収されたと思われる1カ月ごろまで非常につらい状態で、円座が手放せませんでした。2人目を出産したときも、陣痛よりこちらのほうが怖かったです。 経験値が上がった二度目のお産二度目の出産は、痛みで身をよじり、過呼吸になった初産より相当スマートでした。陣痛の波が来たら、息を細く長く吐き続けること。いきみはおしりをベッドに押し付けて逸らし、赤ちゃんが降りてきやすいイメージを描くよう心がけました。 生まれた子は1人目より大きめでしたが、会陰切開はせず、小さな会陰裂傷ですみました。会陰裂傷の傷も数針の縫合で、退院前に抜糸してもらい、産後も円座いらずでした。 便秘は大敵! 産前に解消しておくべし私は妊娠中から便秘気味だったのですが、便秘は体重増加につながったり痔になったりといいことなしです。分娩は排便時のように気張るし、おしりのことも不安でした。産後は母乳に水分がまわるためか便秘が進み、とにかくつらかったです。 私の場合、頑固な便秘になる前に処方された酸化マグネシウムが腹痛もなく効果もありました。産前から適度な運動や食生活を通して便秘を解消しておいたほうがいいと思います。 何かと痛みを伴う出産ですが、済んでしまえば思い出話です。少しでも早い回復ができるように、しっかりと体力をつくることも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:藤原しおり子育て奮闘中のママ。育児と家事のかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年10月04日妊娠中や出産後の性生活、みんなはどうしているのか気になりますよね。わが家の場合、妊娠中期から産後1年ごろまでは、私の体調の関係もあり、セックスレスの状態でした。恥ずかしながら、今回はわが家の産後の性生活についてお伝えしたいと思います。 妊娠中から性生活ストップ妊娠したばかりのころはラブラブで夫の要求も受け入れていました。ところが妊娠7カ月ごろになってくると、おなかが張ったり圧迫感があったりして、だんだんとおっくうに。そのうち「おなかが痛くなるから」と夫の要求を断るようになりました。 ただ、まったく性生活がないと夫がかわいそうだと思い、スキンシップのために抱き合って寝ていました。妊娠後期は寝苦しい毎日で熟睡できなかったため、夫とは別の布団で寝ていました。 出産後は子育て中心で性生活なしそして待望の赤ちゃん誕生! ところが、幸い無事だったものの難産によって赤ちゃんは仮死状態で生まれ、私も体力を使い果たし、産後は体調不良の日々が続きました。2カ月ほど実家で過ごしたあと、自宅に帰ることに。 産後数カ月は、私が家事・育児に追われているところも見ていましたし、布団に入る時間帯もずれていたからか、とくに夫からの誘いはなく、私自身もまったく性欲がわかなかったのでセックスレス状態。半年くらいすると夫から誘われることもありましたが、疲れから断っていました。 出産後1年経過してから性生活再開一般的に、出産後はホルモンの関係で、性欲がわかないといわれているのだそうです。私もそうで、とにかく赤ちゃんのお世話で手一杯。夫も私の体調や気持ちを大事にしてくれたので助かりました。 そして1年が経過したころ、赤ちゃんのお世話にも慣れて気持ちに余裕ができ、自然とまた性欲がわいてきました。新婚当初ほどではありませんが、わが家の場合は、出産後1年ほどして性生活が再開したのです。 妊娠と出産でママは体も心もとてもデリケートになります。重要なのは、お互いの気持ちを伝え合い、夫婦でよく話をすることだと思います。出産後は無理のない性生活を送れたらいいですね。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年09月30日出産予定日よりも10日早く破水して、夜遅くに産院へ。しかし産院が満床で、それから2日間、病室に入ることができませんでした。どうしてそんなことになったのか、私の出産体験をお伝えしたいと思います。 破水したのに病室がいっぱい!その日、出産予定日よりも早く破水してしまった私は、入院準備を整えて産院に向かいました。到着したのは夜の10時くらい。破水とはいっても高位破水だったため、チョロチョロと羊水が出ている程度で、それほど切羽詰まっていませんでした。 でも、産院に行ったら、夜遅い時間にもかかわらず待合いスペースには人がたくさんいてざわざわと落ち着かない雰囲気。私はそのまま入院するつもりでいたのですが、なぜか助産師さんに連れていかれたのは簡易ベッドのある小さな部屋。あとから聞いた話によると不妊治療などなんらかの処置をおこなうための場所らしく、ちゃんと個室になっていて枕元にはナースコールもありました。 診察の結果、破水をしているのは間違いないということで、そのまま陣痛がくるのを待つことになりました。助産師さんからは「今、病室のベッドが満床なんです。申し訳ないけれど、今夜はここで横になっていてください」と言われ、わけがわからないまま、そこで一晩過ごしました。 原因は「スーパームーン」だった!?結局、一晩たっても陣痛がくる気配はなく、翌日は朝から陣痛誘発剤を使って出産をすることになりました。助産師さんにLDRがあるスペースに案内してもらうと、そこには至るところに出産待ちをしている妊婦さんの姿が。私が陣痛誘発剤を投与している間も隣の分娩室からはひっきりなしに赤ちゃんの産声が聞こえてきます。 そのときになって、ようやく病室に入れなかった謎が解けました。助産師さんによると「昨夜は一晩で12人もの妊婦さんが産気づいて産院にきたんですよ。科学的根拠はないのですが、スーパームーンだったからかもしれません。この産院ではこんなに出産が重なることはほとんどなくて、病室が足りなくなってしまったんです。ごめんなさいね」とのことでした。 科学的根拠はないものの、「満月の日には出産が多い」と昔から言われています。月の引力によって海が満ち引きをするように、人間の体内にある水分、妊婦さんの場合は羊水が影響を受けているのではないかと考えられているそうです。こんなにも出産が重なったのはそのためなのでしょうか。 私が出産した病院は本来、LDRで陣痛から出産までを過ごせるのですが、その日は分娩がひっきりなしだったので、陣痛誘発剤を投与しながら場所を何度か移動し、分娩間近になって分娩室に移り、そこで出産となりました。 本来ならその後、病室に移動するのでしょうが、前日と同様に満床だったこと、さらに私が産後の貧血がひどくて起き上がることが難しかったため、その日はそのまま助産師さんの目が届きやすい分娩室で一晩明かすことに。次の朝になってやっと病室に空きが出て、病室に入ることができたのでした。 私はスーパームーンだったことなどつゆ知らず。しかし、私自身もその影響を受けて破水をしたのかもしれないと考えると、人体と宇宙と生命の不思議を感じずにはいられませんでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2020年09月29日私はこれまで2人の子どもを出産していますが、それぞれ異なる病院で産んでいます。実際に体験してみると、病院の方針により分娩時や入院中の過ごし方がかなり違っていました。私が感じたその違いを、大きく3点にまとめてお伝えします。 出産は分娩台? それとも畳敷きの部屋?私が初めて出産したのはフリースタイル出産を推奨する病院で、薄暗いライティングの畳敷きの部屋でした。自由な体勢をとることができますが、私はあまり思いつかず、助産師さんおすすめの大きなクッションに上半身の体重を預ける四つん這いの姿勢で出産しました。2人目は明るい照明のもとでの分娩台。姿勢が固定され、腰に硬い質感の座面が当たって痛かったのですが、「ここを握っていきんで!」など指示が明確だったので、悩むことなくお産に臨めました。 母子同室で過ごす? 別室で休む?1人目を出産した病院は、母子同室が基本方針でした。長女は2,500gに少しだけ足りない低出生体重児だったため、生まれてから6時間くらいは保育器に入ったのですが、その後は退院するまで母子同室。シャワーのときは助産師さんが預かってくれました。2人目を産んだ病院は、産後1日目の午前中から母子同室。シャワー時や夜は赤ちゃんを預かる方針で、体をゆっくり休めることができました。しかしながら、産んだのが朝5時台だったので赤ちゃんを抱けるまでに24時間以上あり、「早く会いたい! 連れて来て!」という気持ちが募ってしまいました。 最初に飲ませるのは母乳? 育児用ミルク?私は赤ちゃんが健康に育つなら、個人的には母乳でも育児用ミルクでもどちらでもOKだと思っています。1人目の病院は母乳育児に力を入れており、分泌しなくてもお母さんの乳首をすぐ口に含ませたほうが良いという考えで、カンガルーケア(早期母子接触)を重視。基本的に育児用ミルクは足さず、頻回に授乳することで母乳の生産を促しました。2人目の病院は母体がしっかり休まらなければ乳汁も作られないので、まず丸一日は育児用ミルクを飲ませて母子別室で過ごしてもらうという方針でした。 方針が異なる病院で出産することで、自分がどんなふうに出産や子育てをしたいのかをより深く考えるきっかけになりました。また、子育てに明確な正解はないのだと改めて感じています。さまざまな視点のなかから自分にとってしっくりくるものを模索しつつ、育児を楽しみたいと思います! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。
2020年09月25日3回の出産で、会陰切開・裂傷・無傷の3パターンを経験しました。無傷だったのは、唯一3,000gを超えた2人目の出産のときです。3人目の出産では、まさかの会陰裂傷に! 3人目にして、トイレが恐怖になる痛みを経験したのです。どうして2人目は無傷だったんだろう……?と疑問に思い、3回の出産をふり返ってみました。 1人目は酸素不足で会陰切開に!会陰切開に不安を感じていた1人目。本格的ではないものの、ほどほどに会陰マッサージもおこなっていました。出産は思ったよりも進みが早く、入院から7時間ほどで子宮口が全開大に。そしていきみはじめたころ、おなかに装着していた分娩監視装置から赤ちゃんの酸素不足を知らせる警告音が鳴り始めたのです。 そのタイミングで先生から、「赤ちゃんを早く出すために会陰切開するね」と宣言があり、チョッキン。赤ちゃんは男の子・2,480gの低出生体重児でした。子宮口の開きも早かったし、もっと呼吸法を練習しておけば切らずに済んだのかな?と思いました。 力を抜いたおかげ? 2人目の出産は無傷!2人目の出産は、1人目が2歳3カ月のときでした。イヤイヤ期真っ盛りのお兄ちゃんの相手が大変すぎて、運動も会陰マッサージもほとんどせず! あっという間に出産の日を迎えました。2人目ということもあり、入院から3時間半でいきみ開始! ところが赤ちゃんの頭が出口に挟まった状態で、助産師さんに「今、陣痛の波が引いたから、いきむのをやめてね。力を入れたら裂けちゃうよ!」と言われたのです。 「えっ、今? こんな中途半端な状態で無理でしょ!」と思ったのですが、助産師さんを信じて力を抜きました。そして、3,004gの女の子を出産! 力を抜いたおかげなのか、ほぼ無傷状態で出産を終えました。 いきみすぎた3人目は会陰裂傷!?3人目は、4年ぶりのお産でした。切迫早産で会陰マッサージはほとんどおこなえませんでしたが、呑気に構えていました。赤ちゃんにへその緒が絡まっていたこともあり、陣痛時間はなんと約13時間! そして、赤ちゃんの頭が出たときのことです。 助産師さんが「もう力を抜いてくださいね! 前に会陰切開したときの傷から裂けちゃいますよ!」と言ったのですが、私は無視。「無理~! 早く出したい!」と、いきみ続けてしまったのです。結果、大きく会陰が裂けてしまいました。 3回の出産を経て、学んだことがあります。それは、「助産師さんのアドバイスは聞くべし!」ということ。無傷だった2回目の出産では、落ち着いて助産師さんの言う通りに動くことができました。毎日お産に携わっている助産師さんのアドバイスはさすがだな~と思います。もし4人目を出産することがあるのなら、今度は絶対アドバイスを無視しない!と固く誓いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年09月20日