アイドルグループ・嵐の大野智が出演する、郵便局の年賀状印刷新TV CM「ものぐささんゆうびん」編(15秒)が23日から全国でオンエアされる。CMでは、年賀状を書こうと思い立ったが筆が進まない大野が、「書けません……」とギブアップし、郵便局の窓口で、宛名印刷まで依頼できる「郵便局の年賀状印刷」を申し込む。数日後、自宅に届けられた宛名印刷済みの年賀状を手にし、「楽ちんです!」と満足げな表情を見せる。今回大野は、とにかく億劫で仕方のない“ものぐささん”を演じたが、机の上にだらりと伏せて「書けません」とか細い声で嘆く姿に、撮影監督はファーストテイクで「OK! 完璧! 素晴らしい!」と絶賛。ものぐさ演技を褒められ、思わず大野も苦笑いを浮かべていた。またセットの机や床に散りばめられた、“ものぐささん”へ届けられた大量の年賀状は1枚1枚丁寧に書かれており、大野も「すごい!」と感嘆の声を上げる。この返事を書くという設定に、大野は「これは書けないわ。諦めちゃうな、これだけあったら……」とCMの中の"ものぐささん"に共感していた。撮影後の大野は「これはいいですね。年末は忙しくなるし、仕事とかも大詰めみたいな状態で、書くのが面倒になる可能性もある中、こういったサービスがあると一番うれしいですよね」と感心。令和最初の年賀状を誰に送りたいか聞かれると、「今までお世話になった方々にはもちろん出したいですが、あえて(嵐の)メンバーに送りましょう! メールとかでもできますけど、あえて一番近い人(=嵐のメンバー)に送ってもおもしろいですね」と語った。
2019年10月22日「週刊誌で、美智子さまがトートバッグを持っていらっしゃる写真を見たのですが、もう販売していないのでしょうか?」そんな問い合わせが、『株式会社レオノーレ』に頻繁に来るようになったのは、9月に入ったころだったという。レオノーレは大阪にある音楽グッズを製造・販売している会社だ。担当者は言う。「お客様のお話をよく伺うと、皆さま、『女性自身』を読まれたとのことでした」本誌9月17日号のグラビアページでは、皇室ご一家のご静養先でのご様子を掲載している。美智子さまが8月27日に、毎年恒例となっている群馬県草津町での音楽祭ワークショップにお出ましになった際の写真もその1枚だった。美智子さまはピアノの鍵盤柄のトートバッグをお持ちだったのだが、実はその写真が反響を呼んでいるというのだ。前出の担当者が続ける。「美智子さまが持たれていたのは弊社がかつて製造・販売していたトートバッグでした。25年前から販売をスタートし、3年前に製造を中止しています。ロングセラー商品で、大勢の方に愛用いただきました。お問い合わせは、以前購入いただいた方からの『もう一つ新しいものが欲しいのですが』というものが多いです」鍵盤柄のバッグはけっして珍しいものではないが、レオノーレの製品の大きな特徴は、鍵盤柄がプリントではなく、しっかり縫い付けられており、丈夫でかつ立体感もあることだ。「楽譜の重みに耐えられるように生地も厚手にしています。熟練の職人たちが、裁断から縫製まで、一つひとつを手作業で制作していますので、温かみも感じていただいているようです。音楽好きの方達が愛用されている商品なのですが、美智子さまがなぜお持ちなのかは不明なのです」音楽を通じたご友人からのプレゼントだったのだろうか。それにしてもすでに製造中止になっているのは残念なこと。しかし、担当者は言う。「たくさんのお問い合わせをいただきましたので、期間限定で復刻生産することに決定したのです」
2019年10月16日「美智子さまはご退院後すぐから朝早く起きられて、夜も遅くまでお荷物の整理をされています。あまりに一生懸命やられているので、側近が『ご無理はなさらずに』と申し上げても『そうはいかないのよ』と手をお休めにはならないのです」そう語るのは、最近の上皇ご夫妻の生活を知る関係者。9月8日に乳がんの摘出手術をお受けになったばかりの美智子さまは、すでにお引っ越しに向けた準備を再開されたというのだ。上皇ご夫妻は、現在お住まいとなっている吹上仙洞御所から高輪皇族邸(仙洞仮御所)へ引っ越される予定。そして上皇ご夫妻のお引っ越しが完了しなければ、皇居・御所の改装工事に着手できず、天皇ご一家が皇居にお引っ越しになれないのだ。「美智子さまは、皇居は天皇陛下がお住まいになるところとの思いを強くお持ちです。両陛下に少しでも早く御所を譲りたいとのお気持ちから、ご無理をされているのでしょう。しかし、そうは言いましても吹上仙洞御所には“断捨離”をしてしまえるものなど、ほとんどございません。上皇陛下、上皇后陛下が一つひとつご覧になり、どのように整理すればいいのかを判断なさるほかないのです」(前出・上皇ご夫妻の関係者)前回お住まいを移されたのは、ご即位から約5年後の’93年12月のこと。上皇ご夫妻は赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現・吹上仙洞御所)にお引っ越しされた。そのときの規模を見ると、赤坂御所から運び出された荷物はなんと2トントラック延べ100台分。そのうち4割ほどは宮内庁庁舎に搬入され、御所に運び込まれたのは約6割。今回も同規模、もしくはそれ以上の荷物になると予想されているため、上皇ご夫妻の“私物”は120トンを超える見込みなのだ。しかし、高輪の仮仙洞御所はそれほど広くない。赤坂御用地内に新設された倉庫に運び込まれるものもあるようだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう語る。「外国ご訪問時や来日した賓客からいただいたプレゼント、即位などの際のお祝い品、献上品などは上皇上皇后両陛下の私物になりますが、ご在位が30年という長きにわたりますので、相当な数になっていると思われます」ご贈進品や献上品の一部は、ご即位30年、ご成婚60年を記念した特別展で展示もされた。英国のエリザベス女王から贈られたボウル、オランダのベアトリックス女王からの花瓶など、外国王室からの贈り物の数々。また国内からも、全国に古くから残る伝統的な名産品が献上されており、歴史的文化的にも貴重な逸品が並んだ。そして、それらの品々はただ保管されているだけではないと話すのは前出の宮内庁関係者。「沖縄が日本に復帰した5月15日前後、御所の居間の一角にシーサーが置かれます。雲仙・普賢岳の火砕流、三宅島の噴火、終戦記念日、東日本大震災……それぞれに“ゆかりの品”が飾られます。“思いがこもった品々”が多いので、職員が勝手に手を出すわけにはいかないのです」さらに上皇ご夫妻の蔵書も膨大な量になる。前回のお引越しのときは1万冊といわれた。「ご研究関係の書籍、ご公務関係の資料なども平成23年度に御所に書庫を増築したほどですから、相当な数になっているのでしょう」(前出・山下さん)もちろん書籍に関しても、上皇ご夫妻の指示を仰ぐほかない。お引っ越しの準備が整うまでには途方もない時間がかかってしまいそうだが――。「即位の礼に続き、11月には即位の最重要儀式ともいえる大嘗祭が行われます。天皇陛下と雅子さまもお忙しい日々が続きます。上皇陛下と美智子さまのご体調を案じていらっしゃいますし、決して皇居への引っ越しをお急ぎではないはずなのです」(前出・宮内庁関係者)美智子さまには、お体に気づかわれながらゆっくりと準備を進めていただきたい――。
2019年10月03日乳がん手術から退院された翌日の9月11日、美智子さまは上皇陛下とともに赤坂御所へ向かわれた。紀子さまの53歳の誕生日を祝う夕食会に参加されたのだ。「夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加したのです。清子さんは上皇陛下とともに、手術当日の美智子さまに付き添われました。また、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻もお見舞いの言葉をお伝えになっていました。美智子さまはそうした“ご一家総出”のサポートへの感謝をお伝えになったことでしょう」(宮内庁関係者)ただ、退院翌日に夕食会に参加された理由はほかにもあるのではないか、と語るのは皇室担当記者。「国際親善でのご活躍など、天皇皇后両陛下に称賛が相次いでいるのとは対照的に、秋篠宮ご夫妻には、小室さん問題についての責任を問う厳しい声が上がっています。眞子さまは紀子さまに対して口を閉ざし、ご公務についての相談を除けばほとんどコミュニケーションがとれない状況が続いているそうです。小室さん問題に悩む紀子さまを少しでも労いたい、そして眞子さまとの親子仲を取り持ちたいというお気遣いから、夕食会に出席されたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)お誕生日に際して紀子さまは、宮内記者会の質問に答える文書を発表された。眞子さまの結婚延期に関しては、推測で答えることを《控えたい》と、回答を避けられたかのように見える。しかし皇室ジャーナリストは、実はこのご回答には重要なメッセージが込められていると語る。「佳子さまの将来については、ご本人に《深く考え、歩んでいくことを期待しております》と綴られていますが、これは眞子さまの現状を念頭に置いたお言葉ではないでしょうか。眞子さまは“深く考えていない”ために小室さんと決別できずにいる、と紀子さまはお思いなのでしょう。そして《成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう》との一節は、誰よりも上皇陛下と美智子さまを思い描いて綴られたお言葉でしょう。優しく見守ってこられた上皇ご夫妻をこれ以上悲しませてはならないーー。それこそが眞子さまの“暴走”を憂慮する、紀子さまからの切実なメッセージなのです」美智子さまはこれまで、結婚については眞子さまの内心に触れる事柄であり、ご本人の決心を待つ以外ないと、辛抱強く眞子さまのお気持ちを尊重されてきた。しかし今年7月、本誌は美智子さまの知人からこんな話を聞いた。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”が誰かは明言しなかったが、前出の皇室ジャーナリストは言う。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう。親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態が好転することはないと思い直されたのかもしれません」美智子さまは、’10年のお誕生日に際してこう述べられている。《東宮家、秋篠宮家の家族を私はこの上なく大切なものに思っており、その家族一人一人の平穏を心から祈っています》これは雅子さまの健康や愛子さまの登校不安を心配されてのご発言だが、“小室さん問題”はそれらに匹敵するご家族の危機といっていい。「病身をおしてまで夕食会に参加されたことは、ご家族の結束を何よりも大切にされてきた美智子さまの強い意志の表れでしょう。それは、小室さんを大事に思うあまりご両親に対して心を閉ざし続ける眞子さまにとって、美智子さまからの叱責にも等しいものだったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)ご家族勢ぞろいの夕食会がきっかけとなり、再び秋篠宮家が一つになる日は来るのだろうかーー。
2019年09月19日「お世話になりました。ありがとうございました」美智子さまは、見送りに並んだ病院長らに何度も頭を下げ、感謝の言葉を述べられていたーー。乳がん手術を終えられた美智子さまは、9月10日に東大病院を退院された。美智子さまが入院されるのは帯状疱疹を発症された’97年7月以来、実に22年ぶりのこと。宮内庁関係者によれば、手術にあたっては“ご一家総出”のサポートがあったという。「手術当日の朝には上皇陛下と黒田清子さんが病院に駆けつけ、美智子さまに付き添われました。手術室へ向かうエレベーターホールでは、上皇陛下が美智子さまに優しく身を寄せ、声をかけていらっしゃいました。また、秋田県を訪問されていた天皇皇后両陛下からは、侍従職を通じてお見舞いの言葉が伝えられました。秋篠宮ご夫妻もお気持ちを伝えられたそうです」ご家族の絆を胸に、手術を乗り越えられた美智子さま。8日の手術から、わずか2日でのご退院となった。そして退院翌日の11日午後6時半ごろには、上皇陛下とご一緒にお車で赤坂御所へ。美智子さまはサングラスをかけられ、まっすぐ前を見つめられていた。「11日は、紀子さまの53歳の誕生日でした。上皇ご夫妻は、誕生日をお祝いする夕食会に出席されたのです。夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加し、天皇家のご家族が勢ぞろいとなったのです。当然ですが、眞子さまもいらっしゃいました」(皇室担当記者)美智子さまの乳がんは「ステージ1」だったとはいえ、がん手術後たった3日での外出。お体に心配はないのだろうか。乳がんに詳しい相良病院乳腺科臨床研究センター長の柏葉匡寛医師に話を聞いた。「今回の手術は抜糸や術後の処理がほぼ必要のない術式と考えられます。傷に異常がなく、全身麻酔からの回復を確認できれば、少なくとも翌朝までにお食事、歩行は可能です」早期退院を決断され、まっさきにご家族に会いに行かれた美智子さま。紀子さまの誕生日をお祝いされただけでなく、お見舞いへの感謝をお伝えになったことだろう。
2019年09月18日左胸に早期の乳がんが見つかった美智子さまは、9月8日、東京大学医学部附属病院で、がんの摘出手術を受けられた。手術は乳房を残す温存手術(部分切除)で行われ、がん組織だけを摘出。術後には必要に応じて放射線治療を受けられ、順調なら2〜3カ月で軽い運動ができるまで回復するという。美智子さまが84歳で手術を決断されたことは、高齢化が進む日本で、がん治療をどうすべきか、考えるいい機会でもあるーー。がんは加齢とともに増加する病気。平均寿命が延びたことで高齢者の患者数が増え、’14〜’15年にがんと診断された人では、75歳以上が約4割を占めている。福岡大学医学部総合医学研究センター教授で「高齢者のがんを考える会」の発起人でもある田村和夫先生はこう語る。「がんの治療には、3大治療である、手術、抗がん剤療法、放射線治療があります。それぞれに副作用や合併症などのマイナス面を伴い、それが高齢者には高いハードルになるのです。特に体の負担が大きいのが手術。がんを切除できても、ダメージから、体力や免疫力の低下による肺炎で死亡するケースもあります。当然ながら、高齢者のがんの治療によって、その人の本来の寿命を短くしてしまうことは避けなければいけません。さらに副作用で寝たきりになったり認知症になったりしないよう生活の質(QOL)を維持することも重要なのです」東京大学医学部附属病院放射線治療部門長の中川恵一先生はこう語る。「高齢者のがん治療は、体の負担の大きい手術よりも、放射線治療が中心になります。放射線治療では治らず、手術が必要なのは胃がんや大腸がん、子宮体がんなどです。早期の胃がんや大腸がんは、身体的なダメージの少ない内視鏡・腹腔鏡などで腫瘍の切除ができるため、高齢者でも耐えることができます。しかし、進行したがんで胃や大腸の全摘となると体の負担が増え、術後に体重減少や筋力低下を招き寿命を縮めてしまうことがあるので慎重な判断が必要です。子宮体がんの全摘手術も、体へのダメージが大きいので、80歳を超えて健康状態の悪い方は、慎重に考える必要があります」がんは部位ごとに違う病気といっても過言ではない。さらに進行スピードも異なる。進行が速い、肺がんは注意が必要だ。「肺がんの根治を目指し、肺葉切除をすると、呼吸機能が大きく損なわれます。高齢者で早期の肺がんなら放射線のピンポイント照射、進行した肺がんなら抗がん剤と放射線の併用が、比較的体の負担も少なくメリットが大きいのです」(中川先生)逆に、高齢であっても手術という選択が適切な場合も。「乳がんの手術は、おなかを切るわけではないので、体への負担が少ない。そのため高齢者であっても、健康状態がよければ、手術をしたほうが完治や再発を防げるなどメリットが大きい」(中川先生)美智子さまのご決断は、医師との話し合いのうえ、最善の方法を選んだことがうかがえる。最後に田村先生が語る。「高齢者のなかには、すごく元気な人もいれば脆弱な人もいます。同年齢でも個人差がとても大きい。さらに、若い人のがん治療は、根治や長期延命が目的ですが、高齢者の場合には“残された人生をどう過ごすか”ということが重要な要素になってくるのです」
2019年09月16日9月10日の午後、美智子さまは東大病院から退院された。乳がんの摘出手術からわずか2日での退院となり、病院の玄関で病院長や看護部長にあいさつされた美智子さまのご表情も晴れやかだった。「美智子さまの左の乳腺に腫瘤が見つかったのは今年7月の健康診断です。その後の検査で乳がんと診断されました。病期は『ステージ1』で、明らかな転移もありませんでした。医師団は全身麻酔のうえ、がんとその周辺だけを摘出する『乳房温存手術』を行いました」(宮内庁関係者)手術を前にした8月下旬、美智子さまは上皇陛下とご一緒に、長野県・軽井沢と群馬県・草津で静養されている。「上皇陛下の退位関連行事に伴う過密スケジュールの影響もあってか、美智子さまはかなりお痩せになってしまいました。ご高齢でもありますし、疲労の蓄積やお体への負担は想像されていた以上のものだったようです。今回のご静養は乳がん手術へ向けて、美智子さまに体力をご回復いただくことも大切な目的でした」(皇室担当記者)美智子さまと親交の深い絵本編集者の末盛千枝子さんは、ご静養前に電話を受けたという。「軽井沢に行かれる前の晩でした。『婦人之友』9月号の書評欄に、上皇后さまが朗読されてきた詩とその英訳などを収めた書籍『降りつむ』と、私のエッセイ集『根っこと翼皇后美智子さまという存在の輝き』の書評が載っていることをお知らせくださったのです。そのことをとてもお喜びになっていましたが、手術をお控えとなっていたからか、いつものお元気な上皇后さまとは少し違うご様子も感じました。翌日、軽井沢駅に到着されたときのご様子を映像で拝見したのですが、少しお疲れのようで……。しかし、ご静養から帰られてサントリーホールのコンサートにお出かけになったときには、お元気そうでした。お隣の上皇陛下も柔らかなご表情をされていましたね」軽井沢ではテニスでご友人たちと旧交を温められ、妹の恵美子さんの別荘もお訪ねになるなど、例年と同じように過ごされた。草津ではワークショップに参加されて、世界的フルート奏者、カールハインツ・シュッツさんと合奏で、サンサーンス『白鳥』のピアノ演奏を1時間ほど練習された。現地で美智子さまに会った知人はこう語る。「少しお痩せで、最近は『ピアノの譜面がなかなか覚えられないのよ』とおっしゃっていました。けれど、拝聴した美智子さまのピアノ演奏は素晴らしいもので、ほかの参加者たちからアンコールをお願いされるほどでした。そのアンコールにお応えになり、華麗に演奏される美智子さまのお姿を拝見して、ご病気も心配ないと思いました。そしてお帰りの際には、美智子さまから『来年もね』とのお言葉をいただけました」旧友たちとの会話、そして大好きなピアノを楽しまれて、美智子さまは手術へ向けての体力も英気もしっかりと養われたようだ。8日の手術は約4時間で無事終了。リンパ節への転移も認められなかった。今後、詳細な病理診断の結果を踏まえ、再発を予防するホルモン療法などが検討されるという。手術を乗り越えられた美智子さま。友人たちに囲まれ、文学を語らい、ピアノを演奏される日を心待ちにされていることだろう――。
2019年09月14日嵐・大野智(38)が9月11日から放送されるマクドナルドの新CM「笑顔のためにできること、ぜんぶ。」篇に出演すると発表された。ソロCMということもあり、大きな反響を呼んでいる。10月から消費税率10%への引き上げや軽減税率制度が予定されているが、マクドナルドは店内での食事もテイクアウトも税込価格を同一にする。これに伴い、一部の商品の税込価格が10円値上げに。そのいっぽうで7割の商品は、現在の税込価格から変化はないという。CMで大野はそういった内容のナレーションの流れるなかで、マクドナルドの店内に着席し袖をまくる。笑顔を見せてポテトをかじった後、「頼むぜ、マック!」といってハンバーガーを頬張る。嵐として01年にもマクドナルドのCMに出演している大野。しかし今回はソロでの起用ということもあり、Twitterでは「大野くん」がトレンド入り。さらに喜ぶ声が上がっている。《ああ嬉しい。個人のお仕事。個人のCM。受けてくれて本当に嬉しい。笑顔にさせてくれてありがとうございます》《マック食べてるだけでこんな可愛いってどうゆう事ですかー》《嵐5人でマクドナルドのCMやってたね!それから15年以上経ってまたメンバーを起用していただけてすごく嬉しいなぁ》また「ZIP!」(日本テレビ系)や「めざましテレビ」(フジテレビ系)では、大野がメイキング映像の中でマクドナルドにちなんだジャニー喜多川さん(享年87)との思い出を回想するシーンも放映された。大野はJr.時代にジャニーさんが、数え切れない程の商品をマクドナルドで買ってきて「ほら!食べて!」とレッスン場に差し入れしてくれたエピソードを披露。続けて大野は「レッスンの合間にみんな頬張って食べて、またすぐレッスンに戻るみたいな光景がしょっちゅうでしたね」「1人1個とか決まってなかったから食べ放題だったので、すごい光景でした」と明かしていた。そのためネットではこんな声も上がっている。《ジャニーさん豪快…!(そして落ち着いた優しい話し方今回もとても素敵大野くん)》《ジャニーさんとの思い出を語る大野くん いいな~大切な思い出》《大野くんのジャニーさんの話は、その温かい場面が目に浮かんで素敵です》
2019年09月11日嵐の大野智さんが出演するマクドナルドの新CM「笑顔のためにできること、ぜんぶ。」篇が、2019年9月11日より全国でオンエアとなりました。休日のマクドナルドを舞台とした新CM。ひとりで来店した大野さんが、注文後トレイを受け取り、席についてできたてのポテトやハンバーガーを頬張る……という内容です。登場するメニューはビッグマック。「頼むぜ、マック」とつぶやいて、豪快にハンバーガーを頬張る食べっぷりに、ファンも大喜び。おなじみの「M」のロゴマークと並んだ大野さんの姿には「かわいい」という声が多く挙がり、ツイッター上でも盛り上がっています。また大野さんは、9月18日(水)以降に登場するマクドナルドのバリューキャンペーンにも、引き続きアンバサダーとして出演予定とのこと。10月の消費税増税に伴い、一部メニューの値上げが予定されているマクドナルド。本CMはその方針を元に、「これからも変わらぬバリューをお届けする」という同社の想いを表現したものになっています。ツイッターでは、「大野くんがアンバサダーなら、値上げも関係ない」という声も。これからどのようなキャンペーンが展開されるのか、要チェックです。画像/Shutterstock
2019年09月11日アイドルグループ・嵐の大野智がマクドナルドブランドのCMに起用され、TVCM「笑顔のためにできること、ぜんぶ。」編(30秒)が11日より全国でOAされる。同CMでは、10月1日から予定されている消費税率10%への引き上げ及び軽減税率制度の実施に伴い、マクドナルドで「店内飲食」「持ち帰り」の税込価格を同一にするという方針を伝えていく。大野は、18日以降続々と登場するマクドナルドのバリューキャンペーンでもアンバサダーとして出演。18日からは夜マック「ポテナゲ」、25日からは平日昼限定の「バリューランチ」、そして10月以降も継続して大野&マクドナルドの日々を描いていく。「笑顔のためにできること、ぜんぶ。」編は、休日のマクドナルドを舞台に、大野がアツアツのポテトをパクリ。ビッグマックに手を伸ばし「頼むぜ、マック」とつぶやき口いっぱいに頬張るという内容になっている。撮影では、店内のシーンで緊張している共演の小学生の男の子に「オレ、耳がめっちゃ柔らかいんだよ」と自分の耳を触りながら語りかける大野。「あっ! もっと柔らかいやつがいた!」と男の子の耳を触ってあげると、男の子はすっかり笑顔になっていた。撮影終了後、大野は「ビッグマック、あらためて見るとデカいなと思いました! 非常においしかったです」喜び、プライベートでは「ベーコンレタスバーガー」や「朝マック」をよく食べると明かす。また嵐が2001年にマクドナルドのTVCMに出演した際に期間限定で発売されていたメニュー「サーモンマック ムニエル風」が気になっていると告白した大野は、「最初に食べた時の印象が強かった! めちゃめちゃはまっちゃって、よく(マクドナルドのお店に)買いに行っていました。また食べたいです!」と復活を熱望していた。
2019年09月11日美智子さまは9月8日、東京大学附属病院で乳がんの摘出手術を受けられた。宮内庁によれば、手術は無事に終わり、経過は順調だという。美智子さまにとって初めてのがん手術。不安もおありだったのではないかと思うのだが、8月下旬の軽井沢・草津ご静養の際、美智子さまに悲愴な雰囲気はほとんどなかったという。「幸いなことに、美智子さまの乳がんは“奇跡的な早期発見”だったのです。本当に極小のがんで、ベテラン医師でも見逃してしまうようなものだったようです」(宮内庁関係者)美智子さまは、15年以上前から乳がんの検診を受けられている。本誌も’03年5月、美智子さまが都内の癌研究会附属病院(現・がん研究会有明病院)で精密検査を受けられたことを報じている。「そのころから検査を担当してきた女性医師の高橋かおるさんに、美智子さまは絶大な信頼を寄せられています。彼女は’06年の1月に地元・静岡県の県立静岡がんセンターに移りましたが、その後も毎年、美智子さまの検診を担当してきました。そのことが、今回の奇跡的な早期発見につながったのです」(前出・宮内庁関係者)今年7月、高橋さんは乳腺超音波検査で美智子さまの左胸に病変を発見、MRI検査でも乳がんの疑いと診断した。その後、いくつかの検査を経て乳がんの告知を受けた美智子さまは「よくぞ見つけてくれました」と高橋さんへの感謝を述べられたという。医療関係者が明かす。「実は、彼女は“スーパー女医”ともいうべき名医なのです。患者さんと丁寧にやりとりし、なおかつはっきりものを言う医師。術例数も非常に多いので、手術の腕も間違いありません。20年ほど前から“乳がんといえば髙橋かおる医師”と言われるほど評価が高かったのです」高橋さんは以前から、日本の乳がん検診受診率の低さに警鐘を鳴らしてきた。’05年度の時点で欧米諸国では6~8割だった受診率が、日本ではたった17.6%だった。そうした状況に危機感を覚えた彼女はいち早くマンモグラフィーを導入して、触診でわからない「非蝕知がん」の発見にも尽力してきた。触診で判別できる大きさになる前に発見すれば、より治癒の可能性が高くなるからだ。「高橋さんは“忙しくても笑顔を忘れない”、そして“自分自身が受けたいと思える医療を行う”をモットーとしていて、女性患者の信頼がとても厚いのです」(前出・医療関係者)8日の手術は高橋かおる医師と東大病院乳腺・内分泌外科の合同チームにより行われた。がんの大きさは1センチ弱で、乳房温存手術によりその周辺5センチ弱を摘出。手術は4時間ほどで終了した。美智子さまは、経過が順調ならば術後数日で退院される見通しだという。
2019年09月10日乳がん手術のため、9月7日に東大病院へ入院されることが発表された美智子さま。ご体調が心配されていたが、軽井沢に滞在された8月23日から8月30日までのご静養では、元気な姿をお見せになっていた。8月27日には、群馬県草津町で行われていた「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」にお出かけに。午後はお一人でピアノのワークショップに参加され、夜には上皇陛下とコンサートを観賞された。「ワークショップからコンサートまでの間は数時間と短いインターバルしかありませんでした。にもかかわらず、美智子さまはワークショップでは動きやすい白いシャツスタイル、コンサートではシックなブルーのトップスに“お召し替え”されていました」(皇室担当記者)そのこだわりは、小物使いにも。「とくに印象的だったのがバッグ。ワークショップではピアノの鍵盤柄のユニークなトートバッグをお持ちでした。コンサートでは、手持ちの金具が上品な、小ぶりの籠バッグで印象を変えられていました。タイの手工業品である高級なもので、暑い季節によくお使いになられています」(前出・皇室担当記者)上皇后となられてからも、おしゃれを楽しまれている美智子さま。退院されたあとも、お元気に過ごされることを願うばかりだ――。
2019年09月07日女優の羽田美智子(50)が8月25日、神宮球場にて行われたヤクルト・阪神戦で始球式を行った。羽田は現在出演中のドラマ「特捜9」(テレビ朝日系)にちなんで、背番号“9番”を背負って登場。その姿に球場中が湧いた。「こんにちは!よろしくお願いします!」と元気に登場した羽田は、ユニフォームに赤いパンツという衣装で美脚を披露。さらに「夏休みの思い出になるような、いい試合になるよう頑張ります!」と意気込みを語った。屋外練習場や実家の庭でも練習したという羽田だが、結果はワンバウンド。「ちょっと緊張しました」「高校球児の気持ちがわかりました」と話し、「本当はノーバウンドでストライクを狙っていたんです」とも明かした。いっぽうで「試合前の皆さんの緊張をほぐすっていう意味では、結構よかったんじゃないかな?」と笑顔で始球式を結んでいた。「~東京音頭の作曲家『中山晋平』の故郷~信州なかのナイター」と銘打たれていた今回の試合。始球式は今年4月にグランドオープンした羽田が店主を務めるオンラインセレクトショップ「羽田甚商店」がキッカケで、オファーにつながったという。大のぶどう好きである羽田は中野市産のぶどうを同店で取り扱っており、情報交換を続けていくなかで声がかかった。自身にとって2回目となる始球式は、羽田にとって思わぬ“収穫”となったようだ。また当日は作曲家・久石譲(68)の長女であり、中野市音楽親善アンバサダーを務める麻衣(40)が「君をのせて」を独唱するというスペシャルな一幕も。試合は5-1でヤクルトが逆転勝ちを果たし、連敗をストップさせた。
2019年08月26日美智子さまが早期の乳がんと診断されたと宮内庁が発表したのは、8月9日のことだった。美智子さまの近況について、親しい知人は心配そうに話す。「私が今年の春ごろにお会いした際、上皇后さまは『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。御代替わりとなる5月まで上皇陛下をお支えし続けることができるのか……。たいへんな過密スケジュールの中で、上皇后さまはそれだけを心配されていました。国民と皇室のために尽くしてこられた60年だったのです。上皇陛下が退位される日まで全身全霊で取り組まれたご負担が、一気にお体の症状として現れてしまったように思えてなりません」上皇陛下とともに、美智子さまは8月下旬に軽井沢と草津で静養され、体力の回復を図られる。そして9月以降に手術を受けられる予定となっている。美智子さまは診断結果を動揺されることもなく受け止められたという。一緒に医師の説明を受けた上皇陛下は「しかるべきタイミングでいちばん良い治療を受けられるように計らってほしい」と話されたそうだ。実は、80代の乳がん患者は増加傾向だという。乳がんに詳しい相良病院臨床研究センター長で乳腺科の柏葉匡寛医師に話を聞いた。「国立がん研究センターによると、’03年からの12年間で80歳以上の乳がん罹患者数は3倍近くまで増加しています。がん全体の罹患者数が2倍になっていることを考慮しても、大幅な伸びです。ただ平均寿命が延び、高齢でも検診に行ける元気な女性が増えたことが患者数増加の要因と思われるので、一概に悪いこととは言えません。早期乳がんとは、腫瘍の大きさが2センチ以内で、リンパ節転移のないものです。手術では腫瘍を部分切除する『乳房温存手術』と、がんが最初にたどり着くリンパ節だけを1~2個摘出する『センチネルリンパ節生検』を行うのが標準的です」美智子さまは6月に心臓弁の逆流症も公表され、両目の白内障手術も受けられた。また、御代替わり前後から急激に体重が落ちてしまったという。次々にお体の軋みが明らかになるなか、84歳での乳がん手術――。前出の知人によると、美智子さまの決断の陰には上皇陛下の愛あふれるお言葉があったという。「上皇后さまは、ご退位後の上皇陛下と静かに過ごすことを楽しみにされていました。それだけに、乳がんという宣告には、やるせない思いでしょう。昨今、上皇陛下は上皇后さまに『あなたと結婚してよかった』と、何度も何度も繰り返しおっしゃっているのだそうです。上皇陛下の愛情が何よりの支えになり、手術と闘病への後押しになっていることと思います」ご退位後、上皇陛下との“愛の新生活”でさらに強まった夫婦の絆が、病魔を乗り越えるための原動力になっているのだろう。手術後には、どういった生活を送られることになるのだろうか。前出の柏葉医師に聞いた。「美智子さまはご高齢であるからこそ、術後には早期に離床され、1日も早く術前と同じ生活レベルに戻すようなリハビリテーションが重要です。また乳がん手術後、再発のリスクを少しでも抑えるには肥満と体重増加に気をつける必要があります。バランスのよい食事と、適度な運動習慣を取り入れることが大切です」上皇陛下が’12年に心臓のバイパス手術を受けられた際には、美智子さまがリハビリをサポートされていた。「上皇陛下も7月には脳貧血でお倒れになり、体調は万全ではありません。それでも、美智子さまを支えたいという上皇陛下のお気持ちは強いはずです」(皇室担当記者)あふれる夫婦の愛で、病魔にもきっと打ち勝てるはず――。
2019年08月26日「ナインティナイン」が司会を務める「ぐるぐるナインティナイン」。その8月22日(木)今夜放送回は、ゲストに「嵐」の大野智が登場。9年ぶりの出演となる大野さんがゴチバトルで「嵐」メンバーたちの私生活を明かす!ジャニーズjr.の活動を経て1999年秋に「嵐」としてCDデビュー。2007年には東京ドーム単独公演を実現させ、翌2008年にはオリコン年間ランキング年間1・2位に輝き、2009年の10周年記念ツアーでは国立競技場3日間連続公演を開催。同年には「紅白」初出場を果たすなど着実に日本のトップアーティストとしての歩みを続けてきた大野さん。俳優としても2002年には映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』に出演。2008年にはドラマ「魔王」に主演し、主題歌「truth」も大ヒットさせると、国民的人気コミックをドラマ化、映画にも展開した「怪物くん」シリーズや、月9「鍵のかかった部屋」に、初ラブコメとして話題となった「世界一難しい恋」など数々の作品に出演。さらに過去の「24時間テレビ」ではチャリTシャツをデザイン、2008年には個展を開くなどアート面でも才能も発揮。その多才ぶりが際立っている。本番組には9年ぶりの参戦となる大野さん。今回は銀座高級フレンチで美食ゴチバトルを展開、寝る前に3時間もカレー作りをするという自身の事柄をはじめ、「嵐」メンバー全員の私生活24時間を公開するほか、中島健人とのジャニーズ先輩後輩ダンス対決にも注目だ。大野さんら「嵐」のメンバーがメインパーソナリティを務める「24時間テレビ42 愛は地球を救う 人と人 ~ともに新たな時代へ~」が8月24日(土)~25日(日)にかけ日本テレビ系で放送。「24時間テレビ」では「嵐」は2004年と2012年、2013年にメインパーソナリティを担当。今回はメンバーの相葉雅紀がドラマスペシャル「絆のペダル」に主演。同作は最も過酷なスポーツともいわれるロードレースで活躍するプロロードレーサー・宮澤崇史とその母の絆の実話を基にしたもので、薬師丸ひろ子、波瑠、田中圭らも共演する。また今年のチャリティーパーソナリティーは浅田真央が担当。女優・土屋太鳳が生中継でスイスのブライトホルン山頂への登山に挑戦するほか、毎年話題となるチャリティーランナーにはいとうあさこ、「ガンバレルーヤ」よしこ、「ハリセンボン」近藤春菜の3人のほか、さらに4人目のランナーが発表されるとのことで、誰が4人目のランナーを担当するのかにも注目が集まっている。大野さんが久々にゴチバトルに参戦する「ぐるぐるナインティナイン」は8月22日(木)今夜19時56分~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2019年08月22日「スッキリ」(日本テレビ、月〜金/8時~)では、先週金曜日より24時間テレビのMC陣が日替わりでゲスト出演中。8月19日は嵐・大野智さんが出演しました。番組内では「私とあなたをつなぐ質問リレー」と題し、ゲスト同士で質問を繋ぐ特別企画がスタート。今週金曜日に番組へ出演予定の相葉雅紀さんから大野さんへの質問は、「洋服を自分で買わないリーダーですが、最近自分で買った服はなんですか」というお題。質問内容にざわつくスタジオに、大野さんは、「(洋服は)親が買ってくるんですよ」と、衝撃の告白。続けて、「興味ないんです」「だから買ってないです」ときっぱりと回答しました。ネット上では「かわいすぎ」という声や、「大野くんの気持ちわかる」という声まで、様々な意見が飛び交い話題になりました。さらに、番組MCの加藤浩次さんが「メンバーから貰ったものは使ったりするの?」と聞くと、「それは使います」「ちっちゃいバッグとか櫻井(翔)にもらったんですけど、それはもう5~6年以上使ってます」と、メンバーからも洋服を譲り受けていることが判明しました。これに対し、番組でナレーションをしている山里亮太さんも「自分の好きなものに集中したいのね、大野さんらしい」とコメント。多才な大野さんらしいエピソードに、スタジオも視聴者も朝からほっこりとした気分になる一幕でした。
2019年08月19日上皇陛下は7月11日の夕方、強い脳貧血の症状があり、治療を受けられた。体調が回復された上皇陛下は、15日には美智子さまとご一緒に健康診断を受けられた。すると今度は美智子さまに、一部再検査が必要な項目が見つかったのだ。「6月には心臓の異常が発見され、白内障の手術もされました。まだ再検査の詳細は発表されていませんが、美智子さまのご体調も心配です」(皇室担当記者)だが、白内障手術について報じた記事に対し、ヤフーニュース上ではこんなコメントが。《病気だ、体調悪いアピールする年寄りに限って元気だよね》《いろんな理由をつけて、引っ越しを先延ばしにして、権力を誇示しているのですか?》美智子さまの体調を案じるどころか、心ない言葉の数々が並んでいるのだ。さらにTwitter上には、このような信じがたいツイートも見られる。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》雅子さまはこれまで、美智子さまにいじめられ続けてきた――。そんなツイートが、御代替わりを機に目立ちはじめているのだ。美智子さまは以前からインターネットを利用されている。’12年に上皇陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた際、パソコンを駆使してリハビリの勉強をされた。美智子さまの古くからの友人も「私がFacebookで親族の介護を日記風に記していると、美智子さまから『とても面白うございました』とご感想をいただき、恐縮いたしました」と話している。美智子さまがネット上の“心なき誹謗”の数々をご覧になっていてもおかしくはない。雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた。陛下は’04年2月の会見で《皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います》と述べられている。「独身時代は外務省で活躍された雅子さまですが、皇室に入られてからは“目立ちすぎないように”と気を使っていらっしゃいました。雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。当時、雅子さまの苦しみを理解していたのは、陛下ただ一人だったといっても過言ではないのです。美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えなかったことに、忸怩たる思いを抱かれたに違いありません」(皇室担当記者)適応障害という診断が下った雅子さまについて、当時美智子さまは《東宮妃の回復を願い、助けになりたい》と会見で語られていた。しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまう。上皇陛下が《愛子と会う機会も限られ、残念》と会見で漏らされるほど、両家の交流は途絶えてしまったのだ。当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と、雅子さまに手を差し伸べることもできない苦しさを語られていたという。誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの著しい“復活”があると皇室担当記者は言う。「天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされ、国際親善での存在感は世界に絶賛されています。これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない――。そんな憶測につながっているものと思われます」しかし、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう話す。「美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。“いじめ”に近い体験もあったはずです。ご自分がやられておつらかったことを、後進になさるような方ではありません。雅子さまを長い間見守ってこられた美智子さまが、バッシングを受けているという事実は、たいへん嘆かわしいことです」ようやく上皇陛下との平穏な日々を迎えようとされている美智子さま。これ以上のご心労が重ならないことを祈るばかりだ。
2019年07月26日「上皇后さまから、つい先日お電話があり、お話をさせていただきました。いまは、お引っ越しのための整理がたいへんなのだそうです」そう話すのは、美智子さまと親交のある元絵本編集者の末盛千枝子さん。美智子さまからお電話があったのは7月上旬だったという。御代替わり後、体調が心配される美智子さま。6月上旬の検査で、不整脈や心臓の血液が一部逆流する症状が明らかとなった。心臓については経過観察となったが、美智子さまは6月に2回、手術を受けられた。白内障が悪化しており、6月16日に右目、23日に左目を手術されたのだ。末盛さんは術後の経過についてもお話を伺ったという。「手術からは10日ほどたっていましたが、上皇后さまは『もともと遠視気味でしたので、急にはよく見えるようにならないの。もう少し時間がかかりそう』とおっしゃっていました」宮内庁によれば、手術を担当した医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話したという。「実は、美智子さまが白内障と診断されたのは数年前。ここ1~2年でさらにご症状が進んでいましたが、両目の手術をすると3週間はご公務を離れなければならないため、御代替わりまで手術を延期されていたのです」(皇室担当記者)まだ“よく見えない”という美智子さまの目の状態が気がかりだが……。眼科手術を専門とする、愛知医科大学病院の瓶井資弘教授に話を聞いた。「症状が悪化して水晶体が真っ白に濁る『過熟白内障』になると、手術は難しくなります。さらに放置すれば、目の中で炎症が起きて失明する恐れもあるのです。ただ、日本では過熟白内障まで悪化する方はほとんどいません。美智子さまの場合は、推測になりますが、その手前の『成熟白内障』に近づきつつあったのではないかと思います。術後は視界がまぶしく感じられ、慣れるまでに1週間ほどかかることもあります。また、濁った水晶体に代えて単焦点のレンズを入れて遠くにピントを合わせた場合、本を読む際には老眼鏡が必要になります」美智子さまは、まだ術後の変化に慣れていない状況なのかもしれない。末盛さんによると、美智子さまはこんな話もされたそうだ。「上皇后さまは、平成の終わりからとてもお痩せになったように見えました。お聞きしたところ、やはりお痩せになっていたそうです。ただ、上皇后さまは『今は上皇陛下のお世話をすればいいだけだから、いいのよ』とも、お話しになっていました」
2019年07月11日美智子さまは6月16日、東京都内の病院で右目の白内障の手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる予定だ。宮内庁は10日、美智子さまのご体調について、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。それでも手術はせず経過観察という方針となり、上皇ご夫妻は翌日から予定通り2泊3日の日程で京都を訪問された。これが上皇陛下の退位に伴う最後の儀式だった。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変――。美智子さまの知人のひとりが明かす。「ご退位までひと月くらいの時期でしょうか、上皇陛下と上皇后さまが3月下旬に京都へ行かれる前にお会いする機会があり、いろいろな話をしてくださいました。そのなかで、ふと上皇后さまが『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。お忙しい日々が続き、お疲れも極限まで来ていらしたのかもしれません。そのお言葉が心に残っています。やはり、上皇陛下のご在位中は、陛下とご一緒にお出ましになることが上皇后さまには何より大切で、手術や検診はお控えになっていたのだと思います」’12年2月には、上皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられている。美智子さまは、手術の前後に何度も病院にご宿泊になって献身的に看病された。「上皇陛下の退院後も、料理と担当する大膳課に『タンパク質を多く摂取できるものを』『陛下の食欲が増すものを』と細かい指示を出されていました。リハビリにも片時も離れず寄り添われ、上皇陛下の体力づくりのため、テニスや卓球にもご一緒に取り組まれていたのです」(宮内庁関係者)’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。美智子さまはそれから4年間、満身創痍で上皇陛下を支えられた。去年12月の誕生日会見で、上皇陛下はこう述べられた。《結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました》《60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います》そう美智子さまへの感謝を述べられたとき、上皇陛下は落涙されんばかりに声を震わせていた。「美智子さまは壮絶な覚悟のもと、ご自身の痛みをこらえて上皇陛下を支えてこられました。誰よりもそのことをご存じだったのは上皇陛下でした」(皇室担当記者)美智子さまと長年の友人である元絵本編集者の末盛千枝子さんは言う。「先日、上皇后さまとお電話でお話しさせていただきました。『上皇陛下が退位されて、少しほっとされておられますか?』と伺いましたところ、『今までと同じよ』とおっしゃっていました。お引っ越しの準備もたいへんでしょうが、少しゆっくりされることができましたらと思います」長きにわたる“旅”は終わりを迎えたが、上皇陛下をお支えするという美智子さまの覚悟は変わらない――。
2019年06月20日グレーのロングドレスをお召しになった美智子さまが、手すりを頼りに、明治天皇陵への階段を一段一段、慎重な足取りで上られていく――。上皇ご夫妻は、6月11日から2泊3日の日程で京都を訪問された。孝明天皇陵と明治天皇陵に退位の報告をされ、平成の御代から続けられていた上皇陛下の退位に伴う儀式をすべて終えられたのだ。「12日の午前に参拝された孝明天皇陵では、女性皇宮護衛官の腕におつかまりになって、約120mの長い坂道をゆっくりと上られました。今回ばかりは美智子さまのご様子が心配でなりませんでした」(皇室担当記者)美智子さまは京都ご訪問直前の8日、心臓の検査をお受けになっていた。宮内庁は、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。心臓への負荷の増大が疑われるものの、すぐに手術はせずに経過観察をしていくという方針を示した。昭和大学横浜市北部病院循環器センターの南淵明宏教授は言う。「経過観察というのは単に放置するわけではありません。症状を見ながら検査を重ねて、慎重にデータを比較していきます。手術による身体への負担は考慮しなければなりませんが、80歳以上でも心臓の大手術を受ける方はいらっしゃいます。高齢を理由に手術ができないということは決してないのですが……」16日、美智子さまは都内の病院で右目の白内障手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる。医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話していたという。退位を控えた時期に両眼の手術を行うとなると、3週間はご公務を離れなければならない。しばらくは外出の際には濃いサングラスのご着用が必要になる。そのため日程が確保できず、手術も、そして病名の公表も、上皇陛下のご退位後まで延期されていたのだ。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変。ただ、美智子さまが心臓に異変を感じられたのは今回が初めてではない。’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。このときも宮内庁は「心身に強いストレスを与えることがないような配慮が望まれる」としたうえで、手術はせずに経過観察を続ける方針をとった。4年前に判明した冠動脈の狭窄は、新たに発表された疾患にも影響していたのだろうか――。今回のご病状である「三尖弁逆流症」について、前出の南淵教授はこう解説する。「一般的に三尖弁逆流症は、ほかの心疾患が原因になっています。何らかの原因で右心室の容積が拡大して弁が引き延ばされ、その機能が低下し、逆流が起こるのです。三尖弁逆流症と冠動脈の狭窄に関連性がある場合もあります。冠動脈の狭窄は治療をしなければ自然に治るということはありませんから、むしろ三尖弁逆流症よりこちらに着目すべきでしょう。冠動脈の狭窄が進むと狭心症や心筋梗塞を引き起こします。心臓が止まり、死に至る危険性もあるのです」美智子さまは深刻なリスクを抱えながら、満身創痍で4年間を過ごされてきた。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは言う。「高齢のお体にメスを入れると、傷の回復やリハビリに長期間かかってしまいます。美智子さまは60年前のご成婚当時から、命がけで陛下をお支えするという強いお気持ちを抱いていらっしゃいました。最後のお務めを果たすまでは……と、かなり我慢をされていたのだと思います」
2019年06月19日「5月10日に、美智子さまは宮内庁病院を訪れ、首のレントゲン写真を撮られていたのです。持病の再発が疑われたので、緊急検査となったようです」(宮内庁関係者)3月から4月にかけて上皇ご夫妻は、通常のご公務に加えて退位に向けた行事が目白押しで、ギリギリまで心身を酷使されてそれらに臨まれていた。「美智子さまはどのような公務に際しても、また人々にお手振りされるときでも、避難所をお見舞いされるときも、背筋を伸ばされて姿勢を保たれています。人目につかないところで椅子に座られても、背もたれに寄り掛かるようなことはありません。ただ、そのお心がけが持病の『頸椎症性神経根症』を悪化させてしまうこともあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)宮内庁は上皇ご夫妻が「お引っ越しへ向けて、身近な物から整理を始められている」と公表したが、前出の宮内庁関係者は、引っ越しの準備が「気の遠くなるような作業」なのだと明かす。「退位の当日まで上皇ご夫妻は“全身全霊”で公務に臨まれました。引っ越しの準備ができる余裕などまったくなかったのです。プライベートな品々に関しては職員が手を付けるわけにもいきません。長女の黒田清子さんにもお手伝いしていただくようですが、まだ仕分けが始まったばかりで、遅々として進んでいません。荷造りはだいぶ先になりそうです」’93年に赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現在の吹上仙洞御所)に移り住まれたときは、荷物が2トントラック延べ100台分にも及んだ。「ご家族の思い出の品は前回より増えているはずです。陛下の魚類の研究資料も大量にあります。絵本、児童書はもちろん、退位後に読んでみたいとおっしゃった探偵小説など、美智子さまの蔵書だけでも膨大な量ですので、整理はとても大変だと思います」(前出・宮内庁関係者)新居となる仙洞仮御所の改修工事は3月末に完了しており、引っ越しの作業を始められる状態だ。しかし、上皇ご夫妻にはまだなさらなければならないことがある。「近いうちに、退位の報告のために京都の孝明天皇陵・明治天皇陵へ参拝することが決まっています。その前には東京都八王子市にある大正天皇陵にも参拝しなくてはならないのです」(前出・宮内庁関係者)ご結婚以来60年にわたり、全身全霊で公務に臨まれてきた美智子さまの“後遺症”が軽度で済むことを切に祈るばかりだ――。
2019年05月24日アイドルグループ・嵐の大野智と松本潤が22日、千葉・成田で行われた、JAL新特別塗装機「ARASHI HAWAII JET」発表会に登場した。JALが2019年2月にハワイ線就航65周年を迎えたことを記念し、機体の左右両側に嵐のメンバーとハワイを象徴するモチーフがあしらわれた「ARASHI HAWAII JET」を就航。嵐JETが国際線で就航するのは、初めてとなる。社員によるフラダンスのパフォーマンスも行われ、ハワイ線に携わるJALグループ社員も登場。「嵐のみなさんがデビューをむかえたハワイという地でARASHI HAWAII JETを就航できたこと、本当に嬉しく思っています」と喜ぶ。機体塗装を担当した社員は「みなさんイケメンなので、とにかくお顔が崩れちゃいけないという一心で、お顔の部分をやるときは本当に神経を集中した」と振り返った。「今までも何回か顔をのっけてもらって、今回はよりでかいということで、一生の記念ですね」と率直に語る大野。松本は「20周年のタイミングで作っていただけたのがすごくうれしいです。僕らがツアーもやってアルバムもやっている、『5×20』という20周年のロゴを特別に入れていただきまして、JALのみなさんにも祝っていただけてとても嬉しく思っています」と感謝。「特別塗装機ができたことで、『ハワイ行くんじゃないの?』という話が盛り上がってるらしいんですが、現状、ないです」とハワイ公演は否定した。ハワイについて聞かれると、大野は「ジャニーズJr.時代の初めての海外もハワイだし、デビューもハワイだし、第2の故郷みたいな」と表す。松本も「デビュー会見をした場所で、デビュー15年の時に公演させていただいたこともそうですし、思い出がいっぱいあります」と振り返った。ハワイ旅行のおすすめを聞かれると、大野は「昔、嵐でカレンダー撮影でハワイ行った時に、雪が積もってる場所がハワイ島にあって、あれだけあったかい場所で雪があることがびっくりした」とすすめる。さらに「海外に行くとウエストポーチを必ず持ってくんですけど、便利ですよ」「ウエストポーチだけで海外行ったこともあるので」と熱弁。松本も「なかなか、すごいんですよ」と大野のウエストポーチ事情を知っている様子だった。さらに松本は、「ダイヤモンドヘッドは景色もきれいですし風も気持ちいいし、そんなに苦労せずに登れるのでおすすめ」と名所をきっちりおさえ、「僕が持っていくものとしては、海パン、サンダル、あとはスピーカーです」と明かした。最後には、JAL社員が登場し、みんなでメッセージ付き紙飛行機を飛ばした。
2019年05月22日「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」内で放送されるドラマ「プリンセス美智子さま物語知られざる愛と苦悩の軌跡」に、上白石萌音、和田正人、町田啓太らが出演していることが明らかになった。総合司会をタモリが務める「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」は、平成最後の夜から新時代・令和の幕開けまで、約6時間半にわたり生放送し、平成という時代が終わる大きな節目に“新しい皇室のあり方”を模索されてきた天皇皇后両陛下のこれまでの歩みを独自映像と関係者から得た秘蔵エピソードでふり返る番組。同番組内では、美智子さまの知られざるお気持ちがつづられた貴重なノートを独自入手し、それを基に世紀のご成婚と美智子さまがこれまで歩まれてきた道のりを、“東宮女官長の目線”からドラマ化したものを放送。東宮女官長・浜村時子(仮名)は、永作博美が務める。今回新たに発表された上白石さんが演じるのは、いまから約60年前、当時皇太子だった天皇陛下のお妃選びの取材合戦の渦中にいる駆け出しの週刊誌記者・宮本ひろ子。熱心に取材を続けるうちに美智子さまに惹かれ、そして美智子さまに対する心ない批判に憤慨しながら取材を進めていく人物だ。ドラマへの出演に関して上白石さんは「この上なく光栄に思うと同時に背筋が伸びました」と心境を明かし、「脚本を読みながらたくさんの気づきや感動がありました。特に、美智子さまのお心模様を知るうちに、女性として、人としての尊敬と憧れが増しました。わたしが演じるひろ子もそうやって影響を受けていくので、心から共感しながら演じました」とコメントしている。また、ひろ子の先輩記者・森富之役には、「陸王」などに出演する和田さん。ベテラン週刊誌記者の森は、ひろ子に取材のいろはから厳しく指導。ひろ子と共に皇太子さまのお妃選びの取材を続け、スクープを狙う。昭和の時代の週刊誌記者を演じるにあたり、「人に厳しく、そして成果にこだわる姿をまっすぐに演じることを心掛けました」と和田さん。「やや嫌なヤツに見えると思いますが、それが彼の正義。昭和の面影を手繰り寄せながら役作りしました」と語っている。ほかにも、華族会の重鎮・藤永菊子役に若村麻由美。時代は平成に移り、ノンフィクション作家となった83歳のひろ子役を草笛光子。ノンフィクション作家となったひろ子の担当編集者・後藤成治役を町田さんが演じる。民間出身の美智子さまに常に批判的な目を向ける役柄を演じる若村さんは「時代に思いをはせて私たちの知り得なかった事柄をドラマとしてお楽しみください」とメッセージを寄せる。また物語のカギとなる人物で、“語り”も重要な役柄の草笛さんは「演じる者としては難しかったです。女優として演じるだけでなく、ノートの代読、和歌詠み人と、美智子さまと沿うことが多面的にあり難しかったです。このようなドラマは初めての経験でした。でも、私から美智子さまへのラブレターのつもりで演じました」とコメントしている。そして「この作品を通じて、僕には想像がつかない程の気高き心と信念に圧倒され、感銘を受けました」と印象を明かした町田さんは、「尊敬する大先輩、草笛さんが発するお言葉に毎回刺激を受けながら、素敵な時間を過ごさせていただきました。以前、美智子さまとお会いになられた時の貴重なお話も聞かせて頂き、美智子さまへの敬意に満ちたお芝居に今作の役どころと同じく心が弾みました」と撮影をふり返っている。「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」は4月30日(火)18時30分~フジテレビにて生放送。(cinemacafe.net)
2019年04月24日今から振り返ると、「あの頃が、自分の転換期だったなー」と思い出される時期があります。それは40歳の時。34歳で自分の事務所を立ち上げてからというもの、自分の限界に挑戦するのが楽しくなり、「まだ、できる」「これも、できる」と仕事の量や幅をドンドン増やしたり広げたりして、寝る暇も日曜もお正月もない生活をしていました。そのツケが38歳の時に一気にきました。身体が異常に硬くなって首は回らなくなるし、歪みもひどくて朝起きるのも大変に。「これではマズイ!」と、人に薦められたいろいろな治療法を試してみたけれど、どれも成果は今一つ。結局、‘もみほぐして柔らかくする’というシンプルな方法が私の身体に必要だとわかるまで、2年かかりました。この‘柔らかな身体’というテーマが決まった40歳の時が、自分の転換期だったと思っています。■ヨガやストレッチという“柔らかな身体作り”そして、週1回のペースでマッサージに通いだしてから2年後の、ある日。フッと、「このままではマイナスからゼロには戻るけど、プラスにはなっていかない」ということに気づきました。元々、子供の頃から硬くて歪みもあったのに、さらに身体を捻って曲げるというメイクの姿勢を一日中しているのですから、週1回の治療で追い付かないのは当然。そこで、やっと「自分でも毎日、ストレッチをしてメンテナンスすればいいんだ!」と気づいたわけです。とは言え、開脚をしてもクの字ぐらいにしか曲がらないし、何をしても痛い。それでも、その頃は寝る暇を惜しんで毎日、3時間ぐらいストレッチをしていました。それから、さらに2年ほど経った頃。今度は「なんか最近、身体が軽くなってきたなー。あれっ?気持ちも軽い……!」ということに気づきました。本などで「心と身体はつながっている」ということを知識としては知っていたけれど、その時に腑に落ちるように「こういうことかー!」って、身体と心で理解することができたんです。それ以来、もっと身体を解放して、もっと軽やかになりたい。どうせなら歪みだす前の自分に戻ってみたい。そうしたら、どんな気分を味わえるだろう。それを体験できるまでは死ぬに死ねない(笑)などと思うようになり、それが10数年経った今も、週に1度の整体や月に1度のスぺシャルな治療院通い、そして週4回のヨガやストレッチという“柔らかな身体作り”を続けられている原動力となっています。■柔らかな身体でいることは「美容の基本」それに硬さや歪みのあるところに贅肉はつくそう。血流やリンパの流れも悪くなって、浮腫んだり肌ツヤも悪くなったりするということも自分の身体を通して知ることができました。だから柔らかな身体でいることは心だけではなく、美容の基本でもあると確信しています。40代は身体にも思考にも余分なものが付き始めて、重い印象の大人なるかどうかの境い目。だからこそ、この年代には“身も心も軽やかに”を意識して欲しいと思うんです。そのためにも30代後半から40代のどこかで、美と健康のためにも、そして軽やかな心作りのためにも一度、身体をリセットしたほうがいいというのが、私からの提案です。あなたの美容の基本はなんですか?※本稿は2012年12月11日に公開された記事を2019年4月22日に再投稿したものです
2019年04月22日羽田美智子(50)が店主を務めるオンラインショップ「羽田甚商店」が4月11日にグランドオープン。それにちなんで「羽田美智子の羽田甚マルシェ」が浅草「まるごとにっぽん」で開かれ、同日オープニングイベントが開催された。「羽田甚商店」は1865年から続く羽田家の屋号。羽田の両親の代で一旦は畳まれたものの、羽田が6代目店主として再開することを決心した。商品は、羽田が日本全国に足を運んでセレクトしたもの。現在9品を扱っており、今後も随時商品を増やしていくという。「羽田甚商店」の前掛けをして登場した羽田は「平成は女優としてスタートし、令和という時代には二足のわらじとなりました」と笑顔で語った。また「店主としてはホヤホヤの新人」「一緒に育てていただけたら!」と呼びかけた。「屋号を継ぐなんて夢にも思わなかった」と明かした羽田は、「独り身の女性が50歳からどうやって生きていこうと思った時に、イキイキと輝けることを始めたいと思った」と屋号を引き継ぐ動機について説明。いっぽう「始めるのは簡単だけど続けるのが大事。やめるほうが難しいと離婚の時に思いました」と話し、会場を笑わせた。またイベント内で開かれた参加者からのお悩み相談コーナーでは、それぞれの悩みについてぬか漬けやしじみ汁といった商品を的確にセレクト。商品の魅力を説明するうちに「これは絶対に美味しいです!」「全部の良さを伝えたいんだけど伝えられない!」と熱の入る場面もあった。イベント後、取材に応じ「定期的にマルシェを開き、日本全国でできればなと」夢を明かした羽田。現在大人気放送中の「特捜9」(テレビ朝日系)の現場にも「羽田甚商店」で扱っている雑穀米と海苔の差し入れをしたと明かし、「羽田甚商店」を通して「食と健康の知識をおすそ分けしたいな」と語った。「羽田甚マルシェ」は同日から14日まで開催され、仕事の合間を縫って羽田も店頭に立つという。オススメ商品はもちろん、羽田の魅力にも触れることのできるまたとないチャンスになりそうだ。
2019年04月11日「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」’59年4月10日午後2時30分に始まった、皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレード。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のり。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。当時、渡邉みどりさん(84)は日本テレビ入社3年目の新米中継スタッフだった。日本テレビのカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えた。渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した。初めて一本立ちのディレクターとして手がけたのは、ご成婚10年の記念番組だ。以降、5年、10年の節目ごとに特別番組を制作した。民間から皇室入りした美智子さまは、乳母制度を廃止し、家族で生活を共にする温かい家庭を基盤とした新しい皇室づくりを目指された。しかし、古くからのしきたりを重んずる皇室方や女官からの風当たりは強かった。そんな美智子さまの苦悩に焦点を当てた渡邉さんの番組は、視聴者の共感を呼び、毎回、高視聴率を記録した。見方を変えれば、渡邉さんの番組は、皇室と民間の距離を縮めようと努められた両陛下の“援護射撃”になっていたのではないだろうか。渡邉さんの人脈と取材網は広く、物おじしないエネルギッシュな姿勢は、周囲の人をも動かした。高松宮喜久子妃にはかわいがられ、ダイヤがちりばめられた門外不出のティアラに触れたこともある。両陛下のご結婚25周年のときには、美智子さまの実弟、正田修氏の単独インタビューに成功。このときは、面識のあった当時の日本テレビ副社長・氏家齊一郎氏に最後のひと押しをお願いし、取材の承諾をもらっている。’85年7月、ロンドン留学中の浩宮さま(当時)のコンサートを取材したとき、演奏終了後に渡すはずの花束を若い女性スタッフが1部終了の拍手のなかで渡してしまうというハプニングが起きた。渡邉さんは、そんなときも機転を利かせ、会場に飾られていた花瓶の花で急ごしらえの花束を作って、終演までに間に合わせている。「花瓶の花だったから、花束がびしょぬれなんです。それでも、宮さまはえんび服がぬれるのもいとわず、笑顔で受け取ってくださった。それこそが、陛下と美智子さまから授かった帝王学だったのでしょう」収録後、スタッフとともにご挨拶にうかがい、渡邉さんがスタッフ紹介を始めると、浩宮さまはこうおっしゃった。「渡邉さんとは上野でお会いしているじゃないですか。あのときのテープ、大切にしています」「テープ」とは、その5年前、浩宮さまが上野のコンサートで首席ビオラを担当されたとき、渡邉さんのチームが撮ったものだ。そのとき浩宮さまのほうから、録音テープとビデオテープを所望されたという。そんなささやかな皇族方とのやりとりも、激務の渡邉さんを支えていた。「実は、美智子さまと4分ほど懇談させていただいたこともあります。’09年11月のことでした」日本記者クラブ創立40周年のパーティに両陛下がご臨席になり、渡邉さんは、代表者に選ばれて懇談の機会を得たという。渡邉さんは、すでに日本テレビを退職し、文化女子大学で教壇に立っていた。教えていたのは「女性学」。美智子さまの生き方に焦点を当てた講義だった。美智子さまとの懇談の内容は、くわしくはオフレコということだが、「私のことを学校で教えてくださっているのでしょう?」と、お優しい笑みを浮かべられていたという。報道の現場を離れた渡邉さんの動向まで、美智子さまは把握してくださっていた――。皇室はまもなく大きな節目を迎えることに。「次の皇后になられる雅子さまは、お手本となる美智子さまがあまりにご立派でいらっしゃるので、大変だと思います。頭のよい方ですから、とりあえずは美智子さまのお手本にならい、そこから新しい時代に合った皇后になっていただきたいと思います」新天皇即位のパレードは、10月に予定されている。「新しい時代のパレードも、ぜひ、この目で見届けたいですね」
2019年04月05日アイドルグループ・嵐の大野智が出演する、「AJINOMOTO オリーブオイルエクストラバージン」の新CM「ちょい塩オリーブ・トースト」編、「ちょい塩オリーブ・野菜」編(各15秒)、「新・品質」編(30秒) が、28日より全国でOAされる。2017年より同商品のイメージキャラクターを務めている大野。「ちょい塩オリーブ・トースト」「ちょい塩オリーブ・野菜」編は、番組収録の合間のテレビ局の食堂という設定で、大野がマイオリーブオイルをトーストと野菜に"ひとかけ"する。「新・品質」編は、大野のナレーションに合わせて、スペインの指定農園で生産される商品へのこだわりが紹介される。私服をイメージした衣装で登場した大野は、監督から「いつも通りに食事をして、周りのスタッフと話してください」オーダーされ、普段に近い姿を見せた。本番では大野の"もぐもぐショット"をさまざまなアングルから撮影した。日常の姿を描くために、いつも以上にリラックスした雰囲気で収録に臨んでいた大野はOKテイクを連発。NGゼロのパーフェクトな演技で現場を盛り上げ、最後の撮影シーンを終えた瞬間には、周りのスタッフから大きな拍手が沸き起こった。また、同商品を生み出すJ-オイルミルズはCIを刷新。コーポレートビジョン「Joy for Life」を加えており、新CMでは、この新CIをメロディに乗せて大野が歌うサウンドロゴとなっている。
2019年02月27日「会見後に厳戒態勢で行われた『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)の収録現場で、大野さんは超ハイテンションでしたね。普段の収録より張り切ってリアクションをしたり冗談を言ったり。いつもは少し疲れた表情を見せることもあるので、あんなに明るい大野さんは久しぶりに見ました」(番組関係者)1月27日の会見で「何事にも縛られず自由な生活がしたい」と語った、嵐の大野智(38)。「17年6月ごろ、大野さんからメンバー4人に嵐を辞めたい旨を伝えたといいます。その後、何度も何度も話し合いを重ね、ようやく“21年からの活動休止”という結論が出たんです。大野さんは責任を感じて落ち込んでいた時期もあったようですが、“ゴール”が明確に見えたことで前向きになれているのでしょう」(スポーツ紙デスク)衝撃発表から2週間。彼はいま、2年後に控える“自由な生活”に思いを馳せている――。「彼は無類の釣り好きなんです。幼稚園のころに初めて体験して、本格的にハマったのは07年ごろ。昨年4月には番組企画内で二級小型船舶免許をとり、釣った魚をさばくのもプロ級だとか。釣りをしているときの大野さんは、何も考えずただただボーっとしているそうです。きっと彼が唯一“リーダーの重圧”から解放される時間なのだと思います」(芸能関係者)そんな大好きな釣りを満喫するため、活動休止後は東京からの“転居”も検討中だという。「大野さんは最近、釣り仲間に別荘探しの相談をしていたと聞きました。条件は、釣りができて気候がよい場所。いまのところ奄美大島や宮古島、15周年ライブを行ったハワイなどが候補に挙がっているそうです」(知人)なかでも“最有力候補”と考えているのが宮古島なのだという。「ジュニア時代の15歳のとき、初めて沖縄を訪れた大野さんは、いままで見たことがないような美しい海に、いたく感動したそうです。ラジオでも『ハワイもいいけど、僕は沖縄の海が好き。宮古島って、時間がゆっくり流れてる感じがする』と語っていました。嵐として多忙になってからも、オフをとってはたびたび宮古島を訪れていました。釣りをしていると時間を忘れて、気が付いたら12時間も同じ場所にいた、なんてこともあったみたいですよ(笑)」(前出・知人)大野は雑誌のインタビューで“理想のオフの過ごし方”についてこう語っている。《南の島ならどこでもいい。たまに釣りをするくらいで、基本的にはボーッと何もしないで過ごしたいですね》(『東京ウォーカー』16年5月号)仕事漬けの大野には、都会の喧騒から離れる時間が必要だったのかもしれない。14年に放送された特番で、大野は「06年くらいから正直(嵐を)やめようと思っていた。その気持ちが落ち着いたのが10周年(09年)のとき」とメンバーに打ち明けているのだが――。「実は、ちょうどこの時期、大野さんはかなり久しぶりに宮古島を訪れているんです。少し長めのオフをもらって、何も考えずにゆっくり過ごしたそうです。疲れ切った心身が癒されたことで、『やっぱりもう一度嵐として頑張ろう!』と考え直せたのでしょう」(前出・知人)そんな大野の葛藤を、4人のメンバーたちも間近で見つめてきた。だからこそ“活動休止”という大英断を受け入れたのだろう。「ファンの間では“23年復活説”がささやかれています。会見で大野さんが『たとえば3年ぐらい1回やめたいなって、そんな都合のいい話はないと思っていた』と語ったことを受けての話です。実際、櫻井翔さん(37)も『復活はあります!』と断言しています。でもまずは、いままで自分たちを支えてくれたリーダーにしっかり休んでほしい。それが4人共通の思いです。リフレッシュするための“転居話”も、4人が後押ししたのかもしれませんね」(前出・芸能関係者)降り注ぐ太陽のもと充電した彼の情熱は、きっとまた熱量を増すはずだ――。
2019年02月12日1月28日に行われた嵐の活動休止会見。17年6月に大野智(38)はメンバーに「20年を区切りに活動休止したい」と宣言。決断を受け、櫻井翔(37)、相葉雅紀(36)、二宮和也(35)、松本潤(35)は何度も話し合いを続けてきたという。実は18年1月ごろから、都内のホテルで月1回ほど“極秘会合”を開く大野の姿が見られるようになっていた。「スタッフが集められるだけでなく、ときにはメンバーが参加することもあったそうです。密会はアイドルであり続けるしかない5人が唯一、本音を話し合う場となっていました。大野さんは何度も自分の思いを伝えたといいます。そして最後にはみんなが『一度休むことが今の最善だ』という考えにたどり着いたそうです」(知人)だが発表を前に、大野はメンバー4人に対して“ある約束”を交わしていたという。「嵐はこれで終わりじゃない。絶対にまた戻ってくる」嵐は99年にグループ結成。ハワイのクルーズ客船上から鮮烈なデビューを飾った。だがそこからすぐスターダムへとのし上がったわけではなく、何年も“不遇の時代”があった。だからこそ、メンバー同士の絆は固かった。「ライブ後の打ち上げでも、『どうすればもっと良くなるか』を真剣に話し合っていました。『そんな甘い考えだと10年後はダメになっているよ!』と言っては、互いに叱咤し合っていました。ここまでストイックなグループは、そういないと思いました」(音楽関係者)その努力は、実を結んだ。06年ごろからブレークし始めると、人気はアジアにも。二宮は映画『硫黄島からの手紙』に出演し、櫻井は日本テレビ系のニュース番組『news zero』でキャスターとして抜擢。松本もドラマ『花より男子』(TBS系)がシリーズ化されるなど個々の活動も増えていった。09年の10周年ライブを行うころには、不動の地位を築いていた嵐。しかし大野のなかでは「これでいいのか」という思いが膨れ上がっていった。17年公開の映画『忍びの国』を最後に、個人の活動をセーブしていた大野。16年10月には映画の打ち上げが行われていたが、本誌は1人でもの思いにふける姿を目撃している。「大野さんは『別のことがやりたいと思うことがある』と漏らしていました。14年にはハワイで15周年ライブを行いましたが、完全燃焼したのでしょう。直後のテレビ出演では、『06年ぐらいからやめようと思った……』とも明かすようになっていました。リーダーであり続ける重圧は、周囲が想像する以上のものだったようです」(芸能関係者)そんな大野の気持ちを分かってあげられたのは、ほかならぬメンバーの4人だった。「大野さんからの申し出に、最初はみんな驚いたそうです。しかし最終的に納得したのは、全員が“国民的グループであり続ける重圧”を感じていたからです」(前出・芸能関係者)実は、他のメンバーも「嵐を休みたい」と漏らすことがあったという。「松本さんは『俳優に専念したいけどコンサートがあるから』と周囲に明かし、二宮さんも『作品を選ぶ際に制限されてしまう』と語っていたといいます。櫻井さんも『キャスター業を極めたいけど、今だと週1回が精いっぱい』と打ち明けていました。みんな、嵐が嫌だったわけでは決してありません。でもグループとして活動をするため、個人としての思いをある意味で犠牲にする部分はあったということ。大野さんの決断は、あくまできっかけでしかなかったのです」(前出・芸能関係者)だからこそ、5人は「嵐はこれで終わりじゃない」と誓った。それぞれが自分を見つめ直し、もう一度戻ってこよう。そして、より力強い嵐になろうと――。
2019年02月05日嵐が20年12月31日に活動を休止すると1月27日に発表し、同日都内で会見をひらいた。会見では特に、大野智(38)の発言が注目を浴びた。今回の休止は大野が他メンバーに「自分の嵐としての活動を一旦、終えたい。自由に生活がしてみたい」と明かしたことがキッカケだったという。そう考えた理由について大野は「正直、ない。大体、3年前くらいからそういう気持ちが芽生えて、強くなっていった」と説明。また「申し訳ない気持ちがある」と目に涙を浮かべながら語った。「大野さんは13歳でジャニーズに入所し、18歳で嵐としてデビューしました。芸能生活が長い分、普通の生活への憧れもあったようです。絵画や釣りといった趣味を持っていますし、昨年には船舶免許も取得。休止中はいっそう自らの可能性を広げてみたいと考えているのかもしれません」(芸能関係者)ネットではそんな大野の気持ちを慮る声が。さらに「自由に生活がしてみたい」と会見で話したことから、「#大野くんの夏休み」というハッシュタグがTwitterで賑わっている。そのなかには、こんなエールが。《夏休みの宿題は、夏休み期間で作ったものを好きなだけ見してくれることと、元気な顔で登校してきてくれることです。20年分の夏休みです。長いよ!好きなだけ使い切ってください》《個人的には釣りしながら世界一周のあと、旅先の思い出を個展で開いてほしいな》《大野くん、20年分の有給休暇を取って夏休み楽しんでね》大野のファンのひとりは、こう語る。「ファンは大野くんの性格はもちろん、デビュー直前にメンバーになることを躊躇っていたことも知っています。ですから大野くんの『休みたい』という気持ちを自然と受け入れることができました。今回の決断は寂しいけれど、大野くんの気持ちを尊重したい……。みんな複雑な気持ちですが、『しっかり休んでね』と送り出したい気持ちです」
2019年01月28日