三越伊勢丹が運営する2019年11月に誕生した化粧品オンラインストアmeeco varietyで、9月2日から、藤原美智子氏がプロデュースするライフスタイルブランドのコスメアイテムの取り扱いを開始します。meeco varietyでの取り扱いに先駆けて、東京ミッドタウンの「イセタンサローネ」で8月26日~9月1日に期間限定ポップアップを開催。meeco varietyとも連動したスターターキットを販売するほか、ブランド人気のメイクアイテム・スキンケアアイテムなど<MICHIKO.LIFE>のコスメアイテムの全ラインアップをご紹介します。meeco varietyに先駆けてイセタンサローネで期間限定ポップアップ開催■< MICHIKO.LIFE>ポップアップ会期:8月26日(水)~9月1日(火)会場:イセタンサローネ/東京ミッドタウン ガレリア「イキイキと輝く日々を。」がコンセプトの<MICHIKO.LIFE>は「豊かに`わたし´らしく」美・衣・食・住と心のStyleのつくり方を発信するライフスタイルブランド。素肌や素顔の美しさを引き出し、藤原美智子氏が本当に欲しいものをひとつずつこだわりを持って開発し、時代や流行を問わずにご提供するブランドです。会期中、藤原美智子氏によるインスタライブを実施いたします。(8月26日(水)、28日(金)、30日(日) 各日午後7時~約1時間/配信アカウント: )9月2日(水) meeco varietyで常設展開開始■取り扱いラインアップブランド人気のエッセンスブロウペンシル、フォルトリスマスカラなどメイクアイテムから、スパークロイドミストをはじめとするスキンケアアイテムの全11点をご紹介します。展開開始を記念して、30点(2色)限定で「スターターセット」(11,000円)をご用意。アイブロウ、ベース、クレンジング、クリアペーストの4点がセットになった大変お得なセットです。■先着限定のプレゼントを会期2回にわたり実施・9月2日(水)~ : <MICHIKO.LIFE>を3,300円以上お買い上げのお客さま先着100名さまに「スパークロイドパック(1包)をプレゼント・9月23日(水)~: <MICHIKO.LIFE>を1万3,200円以上お買い上げのお客さまに先着20名さまに「スパークロイドパック」(5包)をプレゼントmeeco variety <MICHIKO.LIFE>商品ページ URL :藤原美智子氏/<MICHIKO.LIFE>プロデューサー、ラ・ドンナ主宰ヘア・メイクアップアーティスト、ライフスタイルデザイナーとして多くの雑誌や広告撮影のヘアメイク、執筆、化粧品やファッション関連のアドバイザー、講演、TV出演などで幅広く活動している。また、美容だけでなく、栄養コンサルタントの資格を取得し、職や健康、装い、暮らし、生き方などライフスタイルを提案している。近著に「新しい口紅は寝る前に試す」(講談社)、「大人の女は、こうして輝く。」(KKベストセラーズ)、「美しい麻で人生を変える」(幻冬舎)など、著書多数。*すべて税込価格です。企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年08月24日藤子不二雄Aの傑作を、「嵐」大野智主演で実写ドラマ化した「怪物くん」(’10)が、8月22日(土)より再放送されることが決定した。大野さんが怪物くんを、ヒロシ役を濱田龍臣が演じ、ほかにもドラキュラを八嶋智人、オオカミ男を上島竜兵(ダチョウ倶楽部)、フランケンをチェ・ホンマン、悪魔界のデモキンを松岡昌宏、ドラマオリジナルキャラのデモリーナを稲森いずみが演じ、その扮装ぶりが大きな話題となった本作。世帯最高視聴率は17.5%、個人最高視聴率11.7%(ビデオリサーチ調べ関東地区)を記録し、放送終了後はスペシャル版、映画化もされた、家族みんなで楽しめる作品だ。そんな本作が、8月22日(土)から土日に1話、または2話ずつ放送。さらに、それぞれ放送終了後には、「TVer」「日テレTADA」「Hulu」でも配信する。「怪物くん」再放送は8月22日(土)13時30分~日本テレビにて放送(関東ローカル)。(cinemacafe.net)
2020年08月12日延期されていた新国立競技場でのライブ“アラフェス”の披露楽曲公募を開始した嵐。リーダーの大野智(39)の“休みたい”のひと言をきっかけに活動休止が決定。二宮和也(37)の結婚の波紋など、メンバー同士の不協和音が伝えられた時期もあったが、「このアラフェスの開催で再び足並みがそろってきました。コロナ禍で思うような活動ができず、全力投球できなかったフラストレーションもあるのでしょう。ようやく5人のエンジンがかかって、“再団結の夏”を迎えています」(音楽関係者)アラフェスの開催時期として有力視されているのが、嵐のデビュー月でもある11月だ。「それに加え、11月26日は大野さんの誕生日。今年は“不惑”の40歳を迎えます。メンバーも彼の40代の幕開けを華々しく飾れるよう、いろいろと思案しているようです。4人の気持ちを感じ取って、大野さんもいつもに増して意欲的です」(イベント関係者)7月29日に発売された『カイト』のジャケットを飾った絵画を手がけたのも大野だった。「9月9日からは、大野さんの3度目の作品展『FREESTYLE2020大野智作品展』が東京・六本木ヒルズ展望台で開催されます。ラストイヤーにふさわしい、大野さんの多才ぶりを生かした大型企画が次々と展開されています」(前出・イベント関係者)嵐は7月24日にデジタルシングル『IN THE SUMMER』を配信。レディー・ガガやアリアナ・グランデの楽曲も手がける大物アーティストが嵐のために書き下ろした、ほとんどの歌詞が英語の楽曲だ。白い砂浜とセルリアンブルーの海が印象的なミュージックビデオも公開されている。「当初、このMVは今春に海外のリゾート地で大々的に撮影する予定でしたが、このコロナ禍で断念。さまざまな代案が挙がるなか、『やっぱり日本の海もいいよね』と力説していたのは、大の海釣り好きの大野さんでした。彼の意見も反映しながら、7月初旬に国内の島で撮影されたんです」(前出・音楽関係者)ロケ地を日本に定めたことには、もうひとつ意味があるという。「日本の美しい海は、世界に通用するもの。そこに“日本の嵐も世界に進出できる”という前向きな意味を込めているそうです。梅雨の時期だったのでみんな雨を心配していたのですが、サンセットまで撮影できたのは幸運でした」(別の音楽関係者)今回の会場となる新国立競技場は、収容人数が約6万人だが……。「いくら屋外とはいえ、1回の最大観客数は半減される見込みです。“ファンに対しては平等に”が嵐のモットーですから、感染拡大により人数制限がより厳しくなるなら、無観客にして配信だけで、という選択肢も出てきます。無観客だと演出も変わってきますから、松本潤さんは連日、頭を悩ませています」(前出・音楽関係者)実は大野のために、メンバーは最高の花道を用意しているという。「ファンに向けた最後の挨拶の締めは大野さんに、ということですでにまとまっているそうです」“感動のスピーチ”となることは必至だけに、ファン一同が集えるライブ実現を願うばかりだ――。「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月09日アイドルグループ・嵐の大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤が5日、都内で行われた「ソフトバンクと嵐の5Gプロジェクトに関する発表会」に出席。新テレビCMと連動したスペシャルコンテンツを体験した。ソフトバンクと嵐は、5G(第5世代移動通信システム)時代を見据えた新しいエンターテインメントの可能性に挑戦するプロジェクトを開始。第1弾として、嵐がファンと一緒に人気楽曲「Love so sweet」をバーチャルで合唱する「5Gバーチャル大合唱」の映像を採用した新テレビCM「5Gバーチャル大合唱」篇(15秒・30秒)が制作され、8月7日から全国で放送される。テレビCMと連動した嵐のスペシャルコンテンツも、5G時代ならではの臨場感あふれる視聴体験を実現する“ソフトバンク”のコンテンツ配信サービス「5G LAB」内で展開。「VR SQUARE」(8月7日公開)では、嵐のメンバーに囲まれ、目の前で嵐が歌って踊る、特等席にいるかのような臨場感あふれる視聴体験が可能でき、「FR SQUARE」(8月14日公開)では、メンバー5人からお気に入りのメンバーを選んで、自分好みの映像を好きなだけ楽しめる特別な映像が追加される。発表会で、二宮が「FR SQUARE」を体験。最大4人まで選べるが、二宮は4人のメンバーを選んだり、「俺だけでもいける!」と自身だけの映像にしたり、ファン目線でコンテンツを楽しんだ。司会者から「『嵐の中で推しメンを1人選んでください』って言ったら今どうしますか?」と聞かれると、「それはこうじゃないですか? 大野さんですよ」と大野をチョイス。大野は「俺か、恥ずかしいな」と照れるも、二宮が「大野さん、歌ってないところで休む癖があるので、そこをチェックしておこうかなって」と選んだ理由を明かすと、「難しくなる時代ですね」と苦笑した。このコンテンツに、櫻井は「オリジナルのカット割りができる」と興味を示し、松本も「新しい感覚ですよね。今まではこちらが提案したカット割りや見せたい画角を見ていただく形でしたけど、これからは見る方にゆだねる。ものを見る見方がどんどん変わっていくんだろうなと感じますね」と語った。
2020年08月05日嵐・大野智が、創作活動の集大成として、過去に手がけた作品から現在制作中の新作、また創作・展示のアーカイブまで幅広い作品を展示する「FREESTYLE 2020 大野智 作品展」。この度、コラボ企画、展示作品の一部などが発表された。芸能活動と並行して、継続的に美術制作を行ってきた大野は、これまでに2008年「FREESTYLE」展、2015年「FREESTYLE in Shanghai 2015 楽在其中」(中国・上海)、「FREESTYLEⅡ」(東京・大阪)を開催。本展は約5年ぶりとなる3度目の作品展となる。油彩、ドローイング、フィギュア、立体作品など、過去の作品展から大野のアートワークを象徴する作品が並ぶほか、本展のため描き上げた新作、そして現在制作中の作品を、展望台の空間で初披露される。細密画や油絵、抽象画、ヘッドフィギュアが展示されるほか、本展エントラスでは、 『グリーンヘッド』のフィギュアと、嵐シングル 『カイト』のジャケットに使用された絵画、それぞの迫力ある“巨大版”が、眼下に広るダイナミックな東京の風景ともに観覧者を迎える。さらに、会場では展示作品を収録した作品集の販売を予定。詳しくは、後日展覧会公式サイトにて発表される。また、オリジナルグッズについては、会場での混雑、密集を避けるためオンラインでの販売を予定している(販売サイトURL、オープン日時などは検討中)。詳細は、今後「Johnny’s net」及び、嵐ファンクラブ会員専用サイトなどで発信予定。また、本展会場に隣接する「Cafe THE SUN」(六本木ヒルズ森タワー52階)が、会期中「智のカレーパン屋さん」に変身。大野オリジナルレシピのカレーを、「智のカレーパン」としてお持ち帰りできる。大野オリジナルカレーレシピが『レシピカード』として、「智のカレーパン」とともにオリジナル紙袋に封入されるというおまけつき。「智のカレーパン」について、大野は「最初は甘くて、最後は辛いかもよ。召し上がれ~!!」とコメント。 (第一期チケット販売用のリンク)申し込み期間:第一期:7月30日(木)12:00~8月6日(木)23:59第二期:8月27日(木)12:00~9月3日(木)23:59※完全入替制ではございません。「FREESTYLE 2020 × hills café/space」アートと食を楽しめるコラボレーションスペース(テイクアウトのドリンク+カレーパン付き)期間:9月9日(水)~10月4日(日)11:00~22:00場所:hills café / space(六本木ヒルズ ヒルサイド2F)入場料:「智のカレーパン」「智のジュース付入場券」1,900円(税込)受付開始日時:7月30日(木)12:00~(最大2名)販売場所:チケットぴあ
2020年07月29日アイドルグループ・嵐の大野智が、9月9日~11月8日に東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビューにて、5年ぶり3度目の作品展「FREESTYLE 2020 大野智 作品展」を開催する。チケットは、7月30日12時よりチケットぴあにて、抽選販売を開始。また、このたびコラボ企画や展示作品の一部などの追加情報も発表された。芸能活動と並行して継続的に美術制作を行ってきた大野は、2008年の「FREESTYLE」展を皮切りに、2015年には中国・上海で「FREESTYLE in Shanghai 2015 楽在其中」、東京・大阪で「FREESTYLEII」を開催。今回、創作活動の集大成として、過去に手掛けた作品から現在制作中の新作、また創作・展示のアーカイブまで幅広い作品を展示する。○■作品展エントランスの展示が一部写真撮影可能に油彩、ドローイング、フィギュア、立体作品など過去の作品展から大野のアートワークを象徴する作品が並ぶほか、本展のために描き上げた新作、そして現在制作中の作品を、展望台の大空間で初披露する。本展エントランスでは、『グリーンヘッド』のフィギュアと、嵐シングル『カイト』のジャケットに使用された絵画…それぞれの迫力ある“巨大版”が、眼下に広がるダイナミックな東京の風景とともに来場者を迎える。今回、これら2作の写真撮影が可能。作品の写真撮影ができるの企画は「FREESTYLE」史上初の試みとなる。○■会場で作品集を販売会場では、本展に展示される作品を収録した作品集、『FREESTYLE 2020 SATOSHI OHNO EXHIBITION』大野智 作品集の販売を予定。表紙にはタイトルが入っておらず、付属のタイトルステッカーを好きな場所に貼って、自由に楽しめる。販売方法は後日決定次第、展覧会公式サイトにて発表される。○■オリジナルグッズはオンライン販売「FREESTYLE 2020」のオリジナルグッズについては、当初会場での販売を予定していたが、販売会場の混雑と来場者の密集を避けるために、会場では作品集のみの取り扱いに。作品展の開幕に合わせて、オンラインでの販売を検討していると(販売特設サイトのオープン日時・URLなども未定・検討中)。オンライン販売では、作品集をはじめ、トートバッグやクリアファイル、Tシャツ、ポストカードセットなどの定番アイテムから、腕時計、ビーチサンダル、おちょこセットなど、大野らしさ満点のアイテムまで多彩に展開する。アイテム決定からデザインの細部に至るまで、大野自ら楽しんで制作に取り組んだ。○■大野のレシピによるカレーを用いた「智のカレーパン」また、本展会場に隣接する「Cafe THE SUN」(六本木ヒルズ森タワー52階)が、会期中「智のカレーパン屋さん」に。ちまたでうわさの大野オリジナルレシピのカレーを、「智のカレーパン」として持ち帰れる。大野オリジナルカレーレシピが「レシピカード」(10cm×14.8cm)として、「智のカレーパン」とともにオリジナル紙袋に封入されるというおまけつきだ。なお、ぴあにて作品展チケットとのセット販売、チケットはぴあにて抽選、日時指定予約制となる。大野は、「智のカレーパン」について、「最初は甘くて、最後は辛いかもよ。召し上がれ~!!」と紹介している。智のカレーパンカレーパンセット○■作品展を記念した特別企画もさらに、hills cafe / spaceでは、大野がこの特別イベントのために描き下ろした新作絵画と、作品展のキービジュアル撮影で実際に使用したフィギュアを展示する特別企画「FREESTYLE 2020×hills cafe/space」を9月9日~10月4日に実施。加えて、期間限定「智のカレーパン屋さん」でも販売される「智のカレーパン」と、本企画だけの「智のジュース」(パイナップルジュース)をテイクアウトで用意。「智のジュース」には、本企画オリジナルデザインのストロータグとスリーブがつく。なお、ぴあにて抽選、日時指定予約となっている。大野は、「智のジュース」について、「パイナップルジュース、大好き。イメージカラーの青にしてみましたぁ!」とコメントを寄せた。智のジュースヒルズカフェセット※画像はイメージとなり実際の商品とは異なる場合あり
2020年07月29日アイドルグループ・嵐の大野智が、9月9日~11月8日に東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビューにて、5年ぶり3度目の作品展「FREESTYLE 2020 大野智 作品展」を開催することが10日、明らかになった。創作活動の集大成として、過去に手掛けた作品から現在制作中の新作、また創作・展示のアーカイブまで幅広い作品を展示する。芸能活動と並行して、継続的に美術制作を行ってきた大野。2008年の「FREESTYLE」展を皮切りに、2015年には中国・上海で「FREESTYLE in Shanghai 2015 楽在其中」、東京・大阪で「FREESTYLEII」を開催。国内外で注目を集め、累計で約12万人を動員した。約5年ぶり3度目の作品展となる同展は、過去の作品展から大野のアートワークを象徴する作品が並ぶほか、現在制作に取り掛かっている新作を展望台の大空間で初披露。試行錯誤を繰り返し、常に独自の表現方法を模索してきた大野ならではの作品が楽しめる。大野は「今までの作品、そして新作もたくさん描きました。過去の作品を振り返り、触れてみると、当時のいろんな思い出が蘇りました。そんな過去の作品から、今回の作品まで、今の僕の思いが詰まったFREESTYLE 2020。皆さんに楽しんでいただけたらうれしいです」とコメントしている。【展示作品】(点数はすべて予定)■旧作:絵画約40点、「FREESTYLE」でも紹介されたフィギュア[以下、写真資料3参照]などの立体作品約130点、写真約10点、その他習作など。■新作:嵐、通算58枚目のCDシングル「カイト」のジャケットのために描き下ろした絵画や、極細ペンの繊細なタッチで極限まで描き切った細密画の大作など、絵画をメインに約20点以上。
2020年07月11日宮内庁は5月14日、美智子さまにここ数日、微熱のご症状がみられると明らかにした。3月末に東京都港区の仙洞仮御所に転居されて以降、たびたび微熱の症状がみられるといい、お引っ越し前の多忙な日々の疲れが影響しているという。宮内庁関係者は、仙洞仮御所での上皇ご夫妻の暮らしぶりをこう明かす。「敷地内のお庭を散歩される以外、まったく外出はされず、部屋の中で過ごされています。御所内でも、どうしても連絡が必要な上皇職職員以外とはお会いにならないそうです。もっとも感染リスクが高い“人との接触”を避ける努力を、ご自分たちが身をもって体現されているのです。皇居にお住まいのときはご多忙で外出も多く、ご友人を御所に招かれることも多かったのですが、今はそれもまったくありません」美智子さまの知人はこんなエピソードを語る。「高輪にお引っ越しされたあとで、美智子さまからそれをお知らせになるはがきが届いたのです。そのお礼を兼ねて、コロナが広がっているときでしたので、健康に注意なさってお元気でお過ごしくださいと記した手紙を出させていただきました。侍従さんから『美智子さまがお喜びでした』と連絡がきました」ただ、別の友人は心配そうに話す。「上皇后さまは外出だけでなく、最近はお電話さえも控えるようにされているそうなのです」お引っ越しされてからずっと微熱の症状が続いているという美智子さま。ご体調の話題になれば、心配をかけてしまう――。そんな危惧を抱かれていたのかもしれない。「国民が制約を受ける生活をしているなら、その苦労を分かちあいたいと願われる。そして、それ以上にご自身たちを律していかれるのが上皇ご夫妻です。’11年の東日本大震災の際には、原発事故で電力不足が心配されました。するとお二人は率先して御所の“自主停電”をなさったのです。必要のない御所の電気をすべて消し、ろうそくの明かりで食事を召し上がっていたこともありました」(前出・美智子さまの友人)美智子さまは’94年の誕生日に際して、「皇室観」についての質問にこうお答えになっていた。《私の目指す皇室観というものはありません。ただ、陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています》そのお気持ちは、四半世紀以上がたち、御代替わりに伴って表舞台を退かれた現在も、まったく変わっていないのだ。一方で、もし上皇陛下や美智子さまが新型コロナに感染されるようなことがあったら、国民への影響は計り知れない――。上皇ご夫妻を長く取材してきた皇室ジャーナリストは、「そうならないためにも、外出や人との接触を可能な限り避ける厳しいルールをご自分たちに課されて、驚愕すべき自粛生活を送られているのかもしれません。しかし、上皇陛下は86歳、美智子さまは85歳とご高齢です。コロナの感染者や犠牲者に対するご心痛も、非常に大きなものでしょう。さらに、厳しすぎるほどの自粛生活は、心身ともに大きなご負担となることは間違いありません。美智子さまの微熱の一因となっている可能性もあります」そんな中、5月11日、雅子さまが「御養蚕始の儀」に臨まれた。「養蚕所は決して広くはないため、作業は“3密”になりかねません。当初は、今年の養蚕は中止になるとみられていました。しかし、規模を縮小し、作業人数を減らして行われることになったのです。美智子さまが大切にされてきたご養蚕を受け継がれるために、雅子さま自身が志願されての決行だったようです。美智子さまもこの知らせを、とても喜ばれたことでしょう」(皇室担当記者)美智子さまが、国民の前でまた笑顔をお見せになる日も近い――。「女性自身」2020年6月2日号 掲載
2020年05月21日「美智子さまは仙洞仮御所に引っ越された3月末ぐらいから、熱が上がったり下がったりの状態が続いているそうです」そう明かすのは宮内庁関係者。上皇ご夫妻が、東京都港区高輪の仙洞仮御所に移り住まれたのは、3月31日。それから、7週間が経過した。「ご症状としては軽いので、侍医が対応に当たっているようです。この時期ですから、新型コロナウイルスへの感染が心配されますが、感染を疑うような症状は確認されていないということです」5月14日、上皇侍従次長は記者会見で、美智子さまに微熱のご症状が続いていることを公表したうえで、次のように述べた。「ご移居前の数カ月にわたってご多忙の日々が続いていらっしゃいました。その疲れが、まだ完全には癒されていないのではないかと思われます」東京都に新型コロナによる「緊急事態宣言」が出たのは、お引っ越しから間もない4月7日のことだった。上皇陛下と美智子さまの最近のご様子について、上皇侍従次長は次にように話した。「内外の情勢について引き続き人々の健康、生活のことを案じながら、祈るような気持ちでお過ごしになっていると拝察します」さらに、何度も大相撲を観戦されてきたお二人は、新型コロナに感染した力士の勝武士さんが28歳の若さで亡くなったことに、非常に心を痛められているという。また、前出の宮内庁関係者は、仙洞仮御所での上皇ご夫妻の暮らしぶりをこう明かす。「敷地内のお庭を散歩される以外、まったく外出はされず、部屋の中で過ごされています。御所内でも、どうしても連絡が必要な上皇職の職員以外とはお会いにならないそうです。もっとも感染リスクが高い“人との接触”を避ける努力を、ご自分たちが身をもって体現されているのです。皇居にお住まいのときはご多忙で外出も多く、ご友人を御所に招かれることも多かったのですが、今はそれもまったくありません」上皇ご夫妻を長く取材してきた皇室ジャーナリストは、そのご姿勢に感銘を受けているという。「上皇陛下と美智子さまは、ご自身のお立場に強い自覚を持って、徹底して“やるべきこと”をなさっているのです。新型コロナに関するテレビのニュースを見たり、新聞や書物を読んだりして、勉強をされています。一方で、緊急事態のもとで趣味はお控えになっていると聞きます。上皇陛下はハゼの研究もお休みされ、美智子さまは大好きなピアノに触れることもほとんどないそうです」「女性自身」2020年6月2日号 掲載
2020年05月21日参加型のリモートメイクレッスンMICHIKO.LIFEプロデューサーの藤原美智子は、2020年5月16日(土)、5月23日(土)、5月30日(土)の3日間、インスタライブでメイクレッスンを実施する。MICHIKO.LIFE商品の使い方を1対1でレクチャー。1ライブにつき1商品を取り上げ、使い方などを丁寧に解説していく。開始時間は全日14:00から。ライブ時間は1回当たり30分程度を予定している。藤原美智子から1対1で指導を受けるための募集条件などの詳細は、藤原美智子オフィシャルインスタグラムを確認。MICHIKO.LIFE商品の使い方が知りたい人や、メイクに悩みがある人などにオススメだ。ライフスタイル全般が注目される藤原美智子藤原美智子はラ・ドンナを主宰し、ヘア・メイクアップアーティスト、ライフスタイルデザイナー、MICHIKO.LIFE プロデューサーとして活躍。「LIFE IS BEAUTY 美しく幸せに生きるための逆算思考」「新しい口紅は寝る前に試す」「美の宿るところ」など多数の著書を出版している。SNSを通じて、美容や食、健康、暮らしなどに関する情報を積極的に発信。インスタグラムのフォロー数は38,000人を超えている。(画像はラ・ドンナより)【参考】※藤原美智子オフィシャルインスタグラム※ラ・ドンナ
2020年05月12日50代を迎え、さらに輝きを増す羽田美智子さん(51)。「40代までは自分が主役でもいいけれど、これからは相手を立てる生き方を」と思ったことで、「自分にも光が当たるよう」と話します。ドラマの主演を務めながら、今、思うことーー。「隕石が接近して地球滅亡まであと半年、というドラマのお話をいただいたのが昨年の秋でした。そのときは“非現実感”がおもしろそう、と思ったんですが、今、世界中がかつてない混沌とした状況に陥ってしまって。もちろん設定は違うけれど、時代が、地球が変わるときだと痛感しています」そう話すのは、ドラマ『隕石家族』(東海テレビ・フジテレビ系、土曜23時40分〜)で主演を務める羽田美智子さん。彼女が演じる主婦・門倉久美子は、あと半年の命と知り、自分に正直に生きたいと一念発起。「好きな人がいます!」と家族に告白し、高校時代の初恋の人のもとへと走ってしまう。「人生でやり残したことはないか?と考えたとき、久美子にとっては、かつての純愛を手に入れることだったんですよね。その気持ちをまったく理解できないわけではないし、むしろ、純粋に人を愛した記憶を大事にする部分には共感できて、『正直に生きるってどういうことだろう?』と、自身に問い直す機会にもなりました」また、羽田さんは「地球が滅亡するとして、自分にとって本当に必要なものは?」と自身に問い続けたそう。「すると思いのほか、きっとたいしたものじゃないな、って思えたんです。あの世に持っていける財産は、お金や評価ではないだろうし。人を純粋に愛して、愛されてよかった、という記憶くらい。そして、自分がどれだけ伝えられたか、ってことなんじゃないかな。結局は“あきらめる”ということ。ネガティブな言葉に聞こえますが、もともとは仏教用語で“明らかに眺めて物事に執着しない”という意味のようです。近年の自然災害を経験するたびに実感してきたこともあるんですが、極論『命さえあれば、なんとでもなる』、あらためて覚悟を決めたら、強くなれた気がします」“捨てる”選択をしたことで、心がふっと楽になったという。「あと、人生でやり残したことが、案外、何もなかったんです。結婚も離婚も経験できましたし(笑)、大切な仲間とも出会えました。ただ、そう思えるのも、50代になった今だからでしょうね。40代のころは『まだ何もできてない』という焦りの中にありました。人に『ありがとう』と言うばかりで、言われるような生き方をしてこられただろうか、寂しい人生ではなかっただろうか……」そんな思いもあり、5年前、故郷である茨城県常総市が水害に見舞われた際には、まっさきにボランティアに駆けつけた。「地元の同級生との交流が増え、『美智子が頑張っているから私たちも頑張るよ』と言ってもらうたびに、表舞台に立つ者として、同世代を引っ張る責任もあるのでは、と考えるようになりました。その昔、『女は40代までは楽しいけれど、50代からはみじめよ。鏡を見ればうんざりするし、あちこち不調が出てくるし』と言われたことがあったんです。でも『そんなことはない!』と証明したくって。『あとからくる人たちに“50代の希望”だと思われる存在になる!』って、周囲のスタッフたちにも宣言しちゃったんです(笑)」50歳からの生き方を見つめ直し、昨年にはオンラインショップ「羽田甚商店」をスタート。目の奥がビビッと開いた“本当にいい暮らしのモノ”だけを販売している。「50代からは、相手やモノを主役に立てる生き方をしたいな、と思って。自分の性格的に、人のためが自分のためになるだろうし、実際、それによって自分自身に光が当たっているように感じています」「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年05月01日アイドルグループ・嵐の大野智が22日、グループ公式インスタグラムのストーリーズを更新。タケノコ料理を作ったことを写真で報告した。大野は「知り合いから竹の子送られてきたので、、、竹の子餃子と竹の子ご飯作ってみた!」と2つの料理の写真を投稿。さらに、「ヤバい超美味い! 幸せ智(ハート)」とコメントを添えた自撮り写真も公開した。「Super yummy! Happy Ohno!」と海外向けのコメントも表示されている。嵐の公式インスタグラムでは、20日よりメンバーが日替わりでストーリーズを更新していく企画を展開中。初日は相葉雅紀がヘルメットコレクションを紹介する動画を、21日は二宮和也が過去のトレーニング中の写真を公開して「あの頃のように鍛えなければ…!」とコメントしていた。
2020年04月22日「数日間昏睡状態が続き、静かにスーッと息を引き取りました」美智子さまと親交の深かった「ねむの木学園」の園長・宮城まり子さんが3月21日早朝、93歳で亡くなった。都内の病院で宮城さんの最期を看取った学園の教諭・梅津健一さんが明かす。「宮城先生は20年前に血液がんを患いました。それが2年前から再発して、今年の2月、急激に体調が悪化してしまったのです。東京の病院に入院したのですが、亡くなる直前まで施設の子どもたちを気にかけていました」女優・歌手として活躍してきた宮城さんが、日本で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立したのは’68年。それから半世紀以上にわたって、障害児教育に人生を捧げてきた。21日の夕方、静岡県掛川市の学園に戻った梅津さんは、4歳から79歳の“子どもたち”70人を大教室に集めて「今朝早く、まり子お母さんはお空に向かってお出かけになりました」と、宮城さんの逝去を報告した。「教室の窓から夕日に染まりかけた空を見やりながら、静かに涙を流す子、黙って身じろぎもしない子、大声で泣き叫ぶ子と……。さまざまでした」上皇ご夫妻も学園に弔意を伝えられた。美智子さまと宮城さんとの出合いは、実に44年前までさかのぼる。’76年に東京で開催された第1回「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を美智子さまがご覧になったときが初対面だった。その直後に美智子さまのお招きで、宮城さんが東宮御所に参内。一方で、美智子さまも何度も美術展に足を運ばれ、上皇陛下とご一緒にねむの木学園も訪問されている。「児童福祉や障害者福祉を熱心に支援されてきた美智子さまは、宮城さんをとても敬愛されていました」(宮内庁関係者)美智子さまは’18年11月にも「ねむの木学園」を訪問されている。それは天皇皇后両陛下として最後の私的ご旅行となった。宮城さんには、女官を通じて電話でご訪問の連絡があったという。そのときの心境を宮城さんは「その瞬間『うれしい~!』と、受話器を握ったまま泣きだしてしまいました」と本誌に語っていた。しかし、そのころすでに血液がんは再発しており、宮城さんは入退院を繰り返す生活をしていた。「車いすの宮城さんに美智子さまが寄り添われて、園内をゆっくりと見て回られました。宮城さんの体調悪化を美智子さまはお感じになっていたのではないでしょうか」(皇室担当記者)ただ、その後も宮城さんはつらい闘病のなか、学園の行事や活動に積極的に関わっていた。’19年10月には、学園の運動会開催を知らせる手紙が本誌編集部にも届いていた。《私もお医者様には叱られるけれど、毎日演出席で座っています。今年で終わりになるのかなと心の中はグルグルしていますが病名は血液内科で腫瘍つまりガンですとおっしゃいました。すぐ浮かんだのは「シビアなことをおっしゃいますナ」といった、吉行淳之介の言葉でした。でも私は大丈夫(中略)でもつらいです。クヤシイナー》長年にわたり私生活のパートナーだった作家の故・吉行淳之介さんの言葉や思い出を支えに、闘病を続けていた宮城さん。梅津さんによれば、関係各所に送っていたこの手紙は、上皇ご夫妻には届けていないという。前出の宮内庁関係者は、「以前は美智子さまと宮城さんが直接電話でお話になることも多かったようです。御代替わりの前後には、美智子さまも体調を崩されていることがたびたび報道されました。宮城さんもお見舞いの言葉をお伝えになっていたのではないでしょうか」手紙に綴っていたように、もう子どもたちのために尽くすことができなくなるかもしれない悔しさも、美智子さまへの“お別れの電話”で語っていたのだろうか――。「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年04月03日桜の名所として知られる皇居の乾通りには、上皇陛下と美智子さまのご出発を見送るように、美しい花が咲き始めていた――。「桜並木の下に宮内庁職員や皇宮警察護衛官が250mにわたって並び、お二人に拍手を送りました。お車の窓を開けてお応えになった上皇さまと美智子さまは、とても柔和なご表情でしたが、万感の思いを抱かれていたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)上皇ご夫妻がお代替わりに伴うお引っ越しに向けて、約26年間住まわれた皇居を後にしたのは、3月19日の午前10時過ぎだった。31日に高輪皇族邸(転居後、仙洞仮御所に名称変更)に入居されるまでの間、神奈川県の葉山御用邸と栃木県の御料牧場で静養されるご予定だ。「吹上仙洞御所を出発される際には、天皇皇后両陛下、愛子さま、秋篠宮ご一家がおそろいでお見送りされました。みなさん、コロナ対策でマスクをつけていらっしゃいました」(前出・宮内庁関係者)折からの新型コロナウイルス禍は、上皇ご夫妻のお引っ越しにも影響を与えているようだ。引っ越し作業を進める日本通運も、作業員に厳密な健康チェックを実施しているという。「現場には宮内庁の職員が頻繁に足を運びます。万が一にも職員を介して皇族方への感染が起こらないように、万全を期しているのです」(皇室担当記者)上皇陛下と美智子さまが、これまでお住まいだった吹上仙洞御所に転居されたのは’93年12月。そのときに赤坂御所から運び出された荷物は2トントラック100台分。そのうち“私物”は6割ほど。約120トンだった。26年以上の年月が経過している今回のお引っ越しはそれ以上の荷物になるはずだ。ただ、敷地も建物も小さな高輪皇族邸にはすべてを運び込むのは不可能だという。「外国の元首や各国の王族から贈られた品々だけでも約4千点あって、転居を機にその一部は博物館などへ寄贈されます。それらの仕分けを含めて膨大な荷物の整理は、美智子さまが中心となって行われました。美智子さまは19日の皇居ご出発と31日の仙洞仮御所ご入居という予定から逆算して、作業を進められていたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)宮内庁のホームページによると上皇ご夫妻は今年に入ってから、1月9日を最後に葉山へ向かった3月19日まで、69日間も公的な外出をされていなかった。「膨大な荷物一つ一つに、上皇ご夫妻が結婚されてから60年間の思い出が詰まっているといっても過言ではないと思います。美智子さまはスケジュールどおりに引っ越しが行われるように、早朝4時ごろに起きられ、ギリギリまで睡眠時間を削られることで長い日には1日15時間も荷物の整理をされていたそうです。お出かけされなかった69日間だけで延べ1千時間も作業に費やされた計算です」(前出・宮内庁関係者)そんな大奮闘に秘められたご心情を、美智子さまの知人が明かす。「当初はもっと早い時期に引っ越しのご予定だったのですが、美智子さまの乳がん摘出手術や白内障手術が重なり、今年の3月まで延期されたという背景があります。一方で、美智子さまがわざと引っ越しを遅らせているのではないかといった心ないバッシング報道までありました」しかし、そんな報道を皇室ジャーナリストは真っ向から否定する。「美智子さまは、皇居は天皇陛下がお住まいになるところとの思いを強くお持ちで、常々『少しでも早く御所を譲りたい』とおっしゃっていたのです」それだけに美智子さまは、バッシング報道に非常に心を痛められたと、前出の知人が続ける。「なんとしても3月末までにお引っ越しを終わらせなければいけないと決意されて、ご高齢のお体で、しかも万全のご体調ではないというのに、睡眠時間を削られるような無理をされたのです」そして、美智子さまは荷物の整理について指示を出すだけではなく、自ら率先して手を動かされていたという。「場所によっては、マスクを二重にして手袋をつけて一生懸命に作業をされていたようです。『掃除をしていても、ホコリってたまってしまうものなのね』とおっしゃっていました。美智子さまがお使いになるマスクは使い捨てタイプではなく布製で、洗濯されながらなんども使われているのです」(前出・知人)19日に乾門を出られる美智子さまは、白内障手術以降愛用されているサングラスを、まだかけられていた。「ちょうど1年ほど前、お代替わりを前に上皇ご夫妻にとって非常にお忙しい日が続き、美智子さまご自身がお痩せになったと話されていたと伺いました。それから体重が戻られていなかったのに、今回のお引っ越し準備で早朝から夜遅くまで作業されて、さらにお痩せになったようなのです。側近も『おいたわしくて心が痛む』と話しています。せめてご静養中はゆっくりと休んでいただきたいと思います」(前出・皇室ジャーナリスト)仮住まいの高輪皇族邸に住まわれるのは約1年半の予定だ。そして、’21年の秋ごろには長く住まわれた赤坂御所へと、再び引っ越しされることになる――。「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月26日アイドルグループ・嵐の大野智が出演する、J-オイルミルズ「オリーブオイル」の新CM、「Let’s OLIVE! 登場」編が19日から、「Let’s OLIVE! 春・夏」編が26日から全国でOAされる。CMでは、アメリカンコミックの人気アニメーション作品「ポパイ」とコラボレーション。ポパイが住む家「ほうれん荘」を舞台に、大野が実写版キャラクター「さとしポパイ」になりきり、アニメーションの世界観そのままにポパイの恋人・オリーブと共演する。作品のクオリティを高めるため、アニメーションは過去にオリーブを描いた経験のあるベテランアニメーターが手掛けており、仕上げはコンピューターで行われているものの、映像1秒あたり10枚も必要となる原画はすべて手描きで制作された。大きなアクションの「さとしポパイ」との掛け合いや息の合ったダンスシーンを見せる。撮影では、シンプルなセーラー服と豪快に膨らんだ二の腕と、“まさにポパイ”と思わせるスタイルでスタジオ入りした大野。アメリカンコミックのような大袈裟な演技を求められ、オリーブの変身に驚くシーンでは渾身の大きなアクションを披露するが、撮影スタッフのリアクションが薄かったからか「これで大丈夫ですか?(笑)」と、不安げな表情を見せる。続くシーンでも、ふと我に返りながら「いまのはポパイじゃなかったな……」「キャラがわからなくなってきた」とつぶやいていた。また、料理のおいしさに思わずオリーブと踊ってしまうシーンは、撮影では大野がひとりで演じていたが、オリーブのプロポーションを覚え込み、寸分の狂いもない動きを求められる。「サイコー!」のセリフと共に、キレのいいダンス&ポーズを決めると、監督は「いまオリーブが見えました!」と大絶賛し、大野も「見えた?(笑)」とまんざらでもない表情に。実写とアニメで手をつなぐ難しいシーンだが、驚くほどスムーズに完了した。オリーブが作った料理を食べるシーンでは、フォークに刺さった「ほうれん草とベーコンのオリーブサラダ」のボリュームに、大野も「すごいな。アニメ超えだ……」と驚きの声を漏らす。しかし、カメラが回ると大きな口を開けて豪快に食べ、「しらすと大葉のオリーブおにぎり」でも見事な食べっぷりを披露し、監督のOKが出ると撮影スタッフだけでなく、調理スタッフからも拍手が贈られた。○大野智 コメント・「さとしポパイ」としてTV CMに出演した感想腕にこうして(着ぐるみを)巻くの初めてですね。なかなかない経験をさせていただきました。なんか……多いですねボク、こういうの(笑)。ふと思えば10年くらい前からいろいろやらせていただいて、あまり違和感なく撮影に挑めました。(鏡で見ても)腕がすごいんだな……くらいで。・「さとしポパイ」を演じる上で準備したことは?やっぱりほうれん草を食べましたよね(笑)。1日3食の中に入れてました。気持ちを作っていかないと。(役に) 入り切るという意味では(笑)。撮影が終わった後も帰って食べたいと思います。・共演したオリーブの印象は?「オリーブオイル」というフルネームは知っていたか品があるというか、昔ながらの美人な方というイメージですね。(フルネームは)知らなかったんですよ。すごいと思いました。なぜ今まで気づかなかったんだろう……という感じです。・パワーが出る食べ物は?アヒージョが好きです。オリーブオイルをいっぱい入れて。あれはよく食べますね。すごくヘルシーで、そこにエビとか入れて自分で作ります。一時期は毎日食べてました(笑)。・オリーブオイルで、どんな料理を試してみたい?基本的に、オリーブオイルで炒めたりします。カレーを作るときも最初はオリーブオイルを入れます。あと、カルパッチョとか作ってましたね。意外とボク、オリーブオイルに合うものをよく食べてます、お酒のつまみとかを作るときも使いますね。・自分で釣った魚をオリーブオイルで調理したことは?やりますね。(趣味の釣りで)白身魚が釣れると、カルパッチョにしますね。真鯛とかスズキとかヒラメとか、何にでもあるのでカルパッチョなどによく使います。
2020年03月19日意識を失ってお倒れになった上皇陛下は、迅速な対処により大事には至らず。しかし、献身的なサポートを続ける美智子さまには知られざる苦悩があった――。「上皇陛下は29日の午後6時半ごろ、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で意識を失って倒れられました。そばにいた美智子さまが上皇陛下のお体を支え、すぐさま非常ブザーを押されました」(皇室担当記者)幸いなことに、駆けつけた侍医による診察が始まると、まもなく上皇陛下は意識を回復された。30日の朝にはいつもどおり朝食もとられたという。「お住まいの吹上仙洞御所には非常ブザーが整備され、侍医も泊まり込みで待機しています。それでも美智子さまは緊急の事態に備えて、できるかぎり上皇陛下のおそばから離れないようにと、心がけていらっしゃるのです。今回のような突然の症状に対処するためだけではありません。実は上皇陛下が以前から、ご自身の記憶力への不安を吐露されているのです」(宮内庁関係者)上皇陛下は’15年の会見で《私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました》と話されている。また、上皇陛下の母君である香淳皇后の晩年について、当時を知る元宮内庁幹部は「今で言う認知症の症状が現れていた」と証言している。前出の宮内庁関係者も、心配そうに話す。「上皇陛下がご退位を決断された背景には、晩年の香淳皇后の健康問題もあったといいます。ご在位中は、上皇ご夫妻はご公務で日本全国へお出かけになり、人とお会いになる機会がたくさんありました。しかしご退位後は“二重権威”との批判を避けるため、お出ましの回数は激減しています。つまり刺激が減り、認知症のリスクが高まる状況にあるのです。さらに上皇ご夫妻は、3月末までに高輪皇族邸へお引っ越しする予定となっています。その約1年後には、赤坂御所へもう一度お引っ越しされます。生活環境の大きな変化に上皇陛下が過ごしにくさや不安を感じられなければいいのですが……」美智子さまのご体調も決して万全とはいえない。「昨年、上皇后さまは白内障と乳がんの手術を受けられました。そして昨年9月ごろから、血の混じった嘔吐の症状がありました。上皇后さまは、上皇ご夫妻の存在が“二重権威”であるとのいわれなき批判に、お心を痛めていらっしゃいます。また、御代替わり後に増加していったネット上のバッシングにもショックをお受けだと思います」(美智子さまの知人)上皇ご夫妻のお引っ越しは当初、昨年の夏から秋の初めに行われる予定だった。しかし、美智子さまの手術が重なったこともあり延期に。現在も荷物の整理は終わっていない。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう話す。「お引っ越しの費用は今年度予算に計上されていますので、今年3月末までに実施する必要があります。今回、幸いにも大事には至りませんでしたので、予定どおり3月末までに引っ越されるだろうと思います」ただ、実は美智子さまは今年、ライフワークともいえる催しへのご出席を断念されている。2年に1度、2月上旬ごろに開催される「旭出学園工芸展」では、知的障害のある生徒らが作った作品が展示・販売される。「障害者福祉に長年関心を寄せてこられた美智子さまは、’76年から40年以上にわたり、この工芸展に足を運ばれていました。しかし、今年はお引っ越しの準備でご多忙でしたし、上皇陛下をお一人にして外出されるお気持ちにはならなかったのでしょう」(前出・皇室担当記者)楽しみにされていたお出かけの予定も取りやめられていた――。前出の宮内庁関係者は、そんな美智子さまのご体調を危惧しているという。「美智子さまも昨年10月に85歳になられました。お引っ越しの準備を進めながら、24時間気を抜かずに上皇陛下をお支えなさる状況は、美智子さまにとって、もはや限界に近いのではないでしょうか。お引っ越しの中止も、真剣に検討しなければならない状況ではないかと思います」(前出・宮内庁関係者)上皇后となられてからも、ご自身の義務を果たそうと奔走される美智子さま。これ以上、ご無理をなさらないでいただきたい――。そう願うばかりだ。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月07日イギリスではヘンリー王子の王室離脱問題が早期決着。眞子さまの「皇籍離脱」も現実味を帯び始めるなか、美智子さまがその苦悩を親友に吐露されていた――。1月18日「より独立した生活を送りたいとの彼らの意向を支持します」との声明をエリザベス女王が発表。ヘンリー王子とメーガン妃の“王室離脱”が正式に決定となったのだ。「英王室の動きは、日本の皇室にも影響を与えかねません。2月6日には眞子さまの結婚延期から丸2年となり、今後の見通しについて『何らかの発表』をするとみられています。小室圭さんとの結婚が延期となっている眞子さまが、皇室からの“離脱”を決断されてもおかしくはありません」(皇室担当記者)そんな中、エリザベス女王が孫のヘンリー王子の“暴走”に苦悩したように、美智子さまも初孫である眞子さまを心配し、複雑な胸中を吐露されていたという。美智子さまの知人女性が明かす。「上皇后さまは最近も、天皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下について『2人とも私の子ですから』と、大切なご家族のことを気にかけていらっしゃるのです。ご結婚に関して眞子さまとご両親に溝ができていることもご存じです。そのうえで眞子さまご自身に、皇室での役割や公的なお立場について冷静に考えてほしいとのお気持ちがあるように感じます。しかし上皇后さまは、祖母の立場として眞子さまのことは『見守るしかないでしょう』とおっしゃり、お心を寄せられているのです」美智子さまは皇室に入られたご成婚の日以来、上皇陛下の《どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの》というお言葉を大切にされてきた。このお言葉を踏まえれば、私事をすべてに優先しているかのような小室さんの行動や、それを受け入れる眞子さまのお振舞いも、美智子さまのお考えとは相いれないものといえる。「一方で美智子さまは、皇族であっても個人の意思はできる限り尊重すべきとのお考えもお持ちです。そのため、小室さんをめぐる問題についても秋篠宮ご夫妻に任せ、眞子さまのご決断を待つしかないと、発言を慎まれてきたのです。秋篠宮家を信じて2年間じっと待ち続けたにもかかわらず、もう結婚を止めることはできなくなってしまった――。美智子さまが知人に漏らされた肉声には、そんなお嘆きがにじんでいるようにも感じます」(宮内庁関係者)秋篠宮家に近い関係者によれば、秋篠宮ご夫妻に眞子さまの説得を期待できる状況にはないという。「秋篠宮殿下も紀子さまも、4月19日の立皇嗣の礼に向けて、たいへん神経をお使いになっているご様子です。その準備に加えて日々のご公務もおありですから、多忙を極めています。眞子さまと佳子さまは、ご公務についてはお二人ともしっかりと取り組まれています。ただ、小室さんとの結婚問題となると、眞子さまと秋篠宮ご夫妻の間に一切会話がない状態は依然として続いているのです」刻一刻と迫る2月「意思表明」へのタイムリミット。美智子さまのお心の叫びが届き、眞子さまがお考えを改めることはあるだろうか――。「女性自身」2020年2月11日号 掲載
2020年01月30日アイドルグループ・嵐の大野智が出演する、久光製薬「アレグラ(R)FX」の新TVCM、「ちがうよ、チネラー」編が2月3日より順次放映される。また「アレグラ(R)FX」公式サイトでは、同じく2月3日9時より、新TV CM「ちがうよ、チネラー」編の他、メイキング映像が収録されたCMギャラリーをオープンする。大野扮するアレグラ人のリーダー・サトシーラが、地球そして日本に現れるようになって8シーズン目を迎えた今作では、後輩アレグラ人・チネラーとして知念侑李が登場。CM初共演となる2人だが、実際に先輩・後輩で公私ともにとても仲が良いということで、撮影終了後には知念が「憧れの先輩、サトシーラ先輩と、こうやって(CM共演)できることってなかなか無いですから本当に光栄ですし、後輩として、先輩と一緒に花粉に困っている日本の皆さんを、2人で24時間しっかりと支えていきたいな、サポートしていきたいなと思います!」としっかりコメントした。CMでは、ビルの屋上で花粉に思い悩む女性たちの声を驚異の聴力で聞きつけ、鼻型の宇宙船からアレグラ人のリーダー・サトシーラと後輩アレグラ人のチネラーが現れる。女性たちに向け、いち早く「アレグゥーラー」とポーズをとるチネラーに、サトシーラは「それ違う!」と取って代わり、「アレーグラー」と正統派のアレグラポーズ。「アレグラ(R)FX」の効果を猛烈にアピールし始める2人に女性たちも呆然とするが、最後は2人仲良くアレグラポーズを決める。撮影では、全身紫色のアレグラスーツに、紫色のヘアスタイルという姿でスタジオ入りした 2人。大野が知念の肩に手をかけ「後輩です!」と撮影スタッフに紹介すると、知念も「チネラーです!」と合わせ、スタッフから拍手が沸き起こる。大野と知念の掛け合いシーンから撮影が始まり、次に知念が1人で「アレグゥーラー」とポーズをとるシーンと続く。ポーズをとった後、サトシーラの「それ違う!」の声に合わせてチネラーが宇宙船から飛び降りるという演技では、スタッフが言うサトシーラのセリフきっかけで知念が動くという段取りだが、控室で待機しているはずの大野がスタジオに残り、知念のために自ら「それ違う!」と“きっかけ”の声出しをする姿も。監督が「贅沢な“きっかけ”出しだね」と声をかけると、大野は「こっちの方が(シーンの流れが)繋がるしね」と、さりげなく後輩を思いやっていた。
2020年01月30日上皇ご夫妻のお出ましが二重権威を生んでいる……、そんな報道に苦悩されている美智子さまを支えるため、雅子さまは天皇陛下とともに、心温まる提案を――。1月2日の新年一般参賀には、上皇ご夫妻も出席された。しかしその中で、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。午前中の3回目のお出ましで、にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません」(皇室担当記者)だが、そんなハプニングにも、雅子さまは上皇ご夫妻をフォローするお気遣いをなさっていた。「雅子さまは上皇ご夫妻に身を乗り出して『どうぞ、お手振りを』とお伝えするような身ぶりで、声をかけられたのです。そういったやりとりで安心されたのか、3回目では美智子さまがお手振りされる時間も、1回目、2回目より長くなっていました」(前出・記者)宮内庁の説明では、美智子さまの嘔吐の症状は現在では治まっているという。ただ、美智子さまのご心痛が続いていることは一般参賀のご様子からも明らかだろう。そんな中、皇室ジャーナリストは、天皇陛下と雅子さまが、上皇ご夫妻にある提案をなさるのではないかと語る。「上皇ご夫妻は例年、2月ごろに葉山御用邸でご静養になります。このご静養に、天皇ご一家もご一緒する可能性があるのです。2家族“合同”でのご静養となれば、’02年8月以来、実に18年ぶりとなります」長い間“合同家族旅行”は行われてこなかったわけだが、これには理由があるという。「一つは、雅子さまが適応障害で療養に入られ、なかなかご体調が優れなかったためです。もう一つの理由は、上皇陛下が在位中であったためです。不測の事態を避けるため、在位中の天皇と将来の天皇である皇太子が、一緒に出かけ、宿泊する機会は非常に限られていたのです。しかし、上皇陛下は退位されました。そのため、2家族がおそろいで旅行されることにハードルはなくなったのです。“二重権威”などと報じられて、天皇ご一家と上皇ご夫妻との間に溝があるかのような印象を持った国民も少なくないでしょう。雅子さまの新たなご提案は、そういった声を払拭することにもつながるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)お忙しい中でも、天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻への気配りを欠かさないのだという。宮内庁関係者が言う。「12月23日の上皇陛下の誕生日には、愛子さまも連れて吹上仙洞御所を訪問されています。さらに12月27日には、上皇ご夫妻をはじめ、ご親族を招いた昼食会を開かれています。天皇皇后両陛下は、この前日に日帰りで福島県と宮城県の豪雨被災地を訪問され、たいへんお疲れだったと思われます。それでもこの昼食会を開かれたのは、昨年、象徴としての務めを終えられた上皇陛下、そして美智子さまを労うお気持ちゆえだったのでしょう」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日「美智子さまは、上皇ご夫妻の行動が“二重権威”を生じさせているとの報道を、たいへん気にされているご様子と感じました」そう語るのは、1月2日の新年一般参賀を取材した皇室担当記者。6万8千人もの参賀者が訪れる中、天皇陛下や皇族方は笑顔でお手振りをされていたが、美智子さまはどこか遠慮がちだったというのだ。参賀に訪れた70代の女性もこう言う。「上皇陛下と美智子さまのお元気なお姿を拝見できてよかったです。でも、美智子さまはあまり手をお振りになりませんでした。やはり天皇陛下や雅子さまより目立たないようにと、気を使っていらっしゃるのでしょうか……」昨年12月に宮内庁は、美智子さまが9月から複数回にわたり血の混じった嘔吐をされていたと公表した。精神的なストレスが原因とみられ、とりわけ天皇皇后両陛下との“二重権威”を指摘する報道がショックだったという。宮内庁関係者が、こうした報道についての見解を語る。「たしかに上皇ご夫妻は、退位された5月以降もたびたびお出かけされ、そのご様子が報じられています。しかし報道されているのは、上皇ご夫妻のお出かけのほんの一部だけでしょう。一般参賀への出席について『退位されたはずなのになぜ?』と疑問に思った人もいるかもしれませんが、元気なお姿を国民に見せる機会は必要だと思います。上皇ご夫妻も宮内庁も、そのように考えたのでしょう。ただ12月23日の上皇陛下の誕生日に、総理大臣をはじめ三権の長が吹上仙洞御所に足を運び、上皇陛下に祝意を述べています。天皇陛下と同じように国のトップたちから直接挨拶を受けることについては“二重権威”との指摘があっても仕方がありません。宮内庁も、もう少し慎重に検討すべきではなかったでしょうか」実は一般参賀では、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。5回あるお出ましのうち、上皇ご夫妻は午前中の3回にお出ましになった。その最後となる、3回目にその場面はあった。にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。いったいそのとき、何があったのか――。目撃した前出の記者が言う。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません。ただ、上皇陛下は天皇陛下に先んじたわけではありませんし、気づいた人も多くはないはずです。美智子さまが“二重権威”という批判を非常に気にされていることがうかがえたシーンでした」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。「とっても、よいお花ね」電話口から聞こえてきた美智子さまの嬉しそうな声に、美智子さまと文学を通じて30年以上の親交のある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)もまたほほ笑んでいた。花とは、末盛さんが御所に持って行ったリンドウのことだ。そんな、素朴で清楚な、青紫の一輪の花にも心寄せる美智子さまをバッシングが襲ったことがあった。皇后となってから5年目の10月、心ない批判報道によるストレスで倒れ、59歳の誕生日にお声を失われる。末盛さんが、葉山の御用邸に見舞った時のことだ。「あまりにおつらそうなご様子に、つい、『専門家の助けを借りることはできませんか』と、口にしてしまいました」すると、美智子さまは、かすかに聞き取れるかどうかの声で、「お医者さまには守秘義務があるとしてもね、すべてを出さないと(カウンセリングが)成り立たないから、それはできないのよ」それから、さらに声を絞り出すようにして、『でんでんむしのかなしみ』の話をしたのだった。誰の背中にも悲しみがいっぱい詰まっているという、この新美南吉の童話を初めて聞かされながら、末盛さんは思った。「この方は、これほどの苦難さえ、お小さいころに聞いた物語で乗り越えようとなさっている」5年後、美智子さまは、インドのニューデリーで行われたIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会で、この『でんでんむしのかなしみ』の話を柱としたビデオによる基調講演を行い、世界中に子供時代の読書の大切さを伝え、やがてそれが『橋をかける』という一冊の本に結実する。この本を製作する過程では、こんな場面もあった。「私たち、同じ本を持っているのね」偶然、編集を担当した末盛さんと同じ書籍を持っていることを知り、嬉しそうな声を上げたという美智子さま。「まるで女学生同士のような、純真なお喜びようでした。同時に、私たちには特別なことでもない、好きな本について語り合うお相手もいなかったのだろうかと思ったんです。周囲には、いつも献身的にお世話をする方々もいますが、それぞれの立場もあり、そう簡単にはお気持ちを外に出すわけにはいかないのかと思います」末盛さんは、そこには我々の想像を絶する孤独があるのではないかと推し量る。「だからこそ、悲しい思いをしている人にも、より一層深く寄り添うこともできるのではないでしょうか。私が、お電話などで時々お話をして、少しだけでも気がお楽になれるのでしたら、それは嬉しいことと思うのです」陛下が譲位を終えられて以降、最近の電話での会話は、気づくとかなり長いこともあるという。そんななか、上皇陛下が、最近、こうおっしゃるのだと、美智子さまが末盛さんにふと漏らされることがあった。「あなたと結婚できて、私は、本当に幸せだった。あなたも、そう思ってくれているといいんだけど」寄り添い続けた「祈り」は、令和の時代にも引き継がれていくーー。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月31日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。19年5月に『上皇后陛下美智子さま心のかけ橋』を出版したメディアプロデューサーの渡邊満子さん(57)は、4月に御所に伺ったときに美智子さまのこんな言葉を聞いた。「私は、5月まで、自分の体がもつかどうか心配なのです。でも、5月まではなんとかと思っておりますけれども」陛下のご譲位まで後1カ月という張りつめた時期でもあった。「その後に乳がん、白内障の手術があったことを考えても、また2度のお引越しも控えていて、お疲れも極限状態だったと思います。しかし、そんななか、こう言葉を続けられたのでした」美智子さまは、おっしゃった。「陛下のお心とお体のお疲れを総合的にわかるのは、私しかいなかったから……」渡邊さんは、ご夫婦の絆の深さを改めて知らされたという。「それは、『譲位のあとも、私が陛下のおそばでご健康を見守っていきます』という決意のお言葉だったと思うんです。その証拠に、譲位後に乳がん手術を終えると、わずか2日で退院なさいました」ご成婚前、美智子さまは、陛下の「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」というお言葉に、これまで読んだどの小説の中にも「このように寂しい言葉はなかった」と思われ、「力を尽くしてあたたかいホームを作ろう」と心に誓われた。その後、お子さまが誕生してからも、乳人制度を廃止して、ご自分で子育てをするなど、公務でもご家庭でも、ときに周囲の反対や軋轢と闘いながら、ご自分たちのスタイルを大切になさってきた。「美智子さまは、お子さまが赤ちゃんのころ、夜泣きすると、納戸のようなお部屋であやしながら、一晩をお過ごしになったこともあったそうです。ご自分たちの道を選択するというのは、その責務も背負うことですね。そんなとき、上皇さまと上皇后さまは、同志として支え合ってこられたのです」母として、また妻としての心配りと実践も、美智子さまらしく、ひたむきでいらしたという。文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)は続ける。陛下に前立腺の病気が発見された03年ごろの電話でのことだ。「お医者さまに生の玉ねぎがいいとアドバイスされたそうなんですが、美智子さまが、『そんなに生で食べられるかしら』とおっしゃって。ちょうど、地元の盛岡のおそば屋さんに“オニオンそば”という名物があったんです。その話をしましたら、とてもご興味を持たれたんです」早速、作り方の説明をする末盛さんだった。「玉ねぎのスライスにかつお節をふって、味ぽんなどをかけて召し上がるとおいしいですよ」「えっ、味ぽん!?」驚いたような口調で返ってきたという。「“味ぽん”を、初めてお聞きになったご様子でしたね。私もちょっと驚きましたが(笑)。でもその後には、その盛岡のそば屋さんから直接レシピを取り寄せお送りするなどして、お手伝いしました。そこまで陛下のお体を気遣っていらっしゃるのだと知って、また驚いたからです」ここ数年、美智子さまがお好きだとおっしゃる言葉がある。《静かに行くものは健やかに行く健やかに行くものは遠く行く》イタリアの経済学者の言葉だそうだ。親しく交流のある末盛さんも、渡邊さんも口を揃えて言う。「いまのご自分の思いと、相通じるところがあるのではないでしょうか」「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月30日国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。《「生きてるといいねママお元気ですか」文に項傾し幼な児眠る 》11年の東日本大震災後、津波で両親と妹を奪われた4歳の女の子の新聞記事を見て、いじらしさに心打たれた美智子さまが詠まれた「手紙」と題された御歌である。平成は、戦争のなかった時代として人々の記憶に刻まれるだろうが、一方で地震や台風など多くの大災害に見舞われている。そのたびに、上皇ご夫妻は避難所となっている体育館の床の上に膝をつかれて、被災者に語りかけてこられた。阪神・淡路大震災から14日後の1月31日。余震も収まらないなか、神戸市長田区の菅原市場を訪れた美智子さまは、その帰りのバスの窓から、見送る住民たちに向かって、両手を握りしめ、2度振り下ろすジェスチャーをされた。この「頑張ってください!」という手話は、被災者だけでなく、日本中を勇気付けたものだ。お二人が天皇皇后となられ最初に訪れた被災地が、91年の長崎県・雲仙普賢岳の噴火災害の現場。このとき両陛下が両膝をつかれて被災者と話す光景があったが、そのお姿に感銘を受けたというのが、本誌の皇室担当記者で皇室ジャーナリストの近重幸哉さん(58)。「上皇ご夫妻がお若かった昭和の御代、皇太子と皇太子妃時代ですが、子供たちの施設などを訪問された時も、美智子さまは、相手と視線を合わせるために膝をつかれていましたが、上皇陛下は、傍らでお立ちのままでした。ですが、平成となり被災地へのご訪問が続くなか、両陛下で膝をつかれるスタイルが定着しました。当初は『天皇陛下が膝をつくというのはいかがなものか』といった声もありました。しかし、その後も平成流といわれたその寄り添われ方を貫かれたのです」美智子さまと、文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)も語る。「上皇陛下は、ご自分で“世事にはうとい”ということもおっしゃっていましたね。訪問された現場での美智子さまの雰囲気を察し、その方がいいと共感されて、ということはあったと思います。美智子さまが、人々の悲しみに気持ちを寄せられるというのは、持って生まれた資質もあるでしょうが、お若い頃の精神科医の神谷美恵子さんとの交流や、聖心女子大学での体験、そして『子供捨てるなら正田の門へ』という言い伝えがあるほどのご実家の影響もお強いのではないでしょうか」喜びにつけ、悲しみにつけ、常に誠実な思いとともに人々に寄り添われる美智子さま。そのお姿に、「象徴」の真の意味を教えられた人々は、どれほどいることだろう。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月29日嵐の大野智(39)と女優の綾瀬はるか(34)が12月26日、「第70回NHK紅白歌合戦」(NHK総合)内での「LIFE! 人生に捧げるコント」(同局)企画に参加すると発表された。13年にも紅白とコラボした「LIFE!」のスペシャル版に揃って出演している2人。再びのコラボに期待が高まっている。大野と綾瀬は「LIFE!」のレギュラー陣に加わり、コントに参加。さらに綾瀬は内村光良(55)扮する三津谷寛治の姪であるNHK職員“三津谷・エンシーナス・シャーロット・はるか”として、紅白恒例の「三津谷の部屋」に参加。三津谷と共に、出演者への鋭いダメ出しを行うという。同日、「LIFE!」の公式Twitterアカウントは《三津谷です。大みそか「LIFE!×紅白」超豪華コラボコントをお届けします》と切り出した。そして《いつものメンバーと私の大好きな嵐の大野の智氏が出演。さらに綾瀬のはるか氏までも!お二人ともキャラにふんします》とつづり、《大野氏、綾瀬氏に感謝感激雨三津谷、NHKなんで》と結んだ。ツイートは、投稿直後から大きな話題となり投稿1日で1.3万件のリツイートと4万件もの“いいね”を記録!さらにコーナーに期待の声が上がっている。《いつもの大好きなメンバーに、さらに大好きな大野の智氏の出演、凄く嬉しいです!!綾瀬のはるか氏も好き!!》《大野の智氏うちも大好きです?綾瀬のはるか氏も 大みそかLIFE!今年も楽しみにしてます!!》《やったー 大野の智氏と綾瀬のはるか氏絶対おもしろい 楽しみ!!》13年、「LIFE! 紅白歌合戦大集合スペシャル」(同局)に出演した2人。その取材会で内村は大野について「私は大野君の飄々としているところがとても好きです」と話し綾瀬については「才能が非常にあります!」と太鼓判を押していた。そのため、こんな声も上がっている。《13年のコントも息ぴったりで面白かったし楽しみだな~》《大野の智氏と綾瀬のはるか氏のマイナスイオンぶち放ってるコンビも大好きだから2人のコントまた見たい》
2019年12月27日乳がん手術の経過が心配されていた美智子さまに、さらなるご体調の不安――。発症から3カ月間にわたる“沈黙”にあった悲痛と、雅子さまへの思いとは……。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます。上皇職の見解では、詳しい原因はわからないものの精神的なストレスが原因になった可能性が高いとのことでした」美智子さまを苦しめた“精神的ストレス”の原因となったのは、いったい何だったのだろうか。皇室ジャーナリストは、美智子さまは孫である眞子さまと小室圭さんの長引く結婚問題を憂慮されているのではないかと語る。「やはり眞子さまの結婚問題については、美智子さまもたいへん心配されているようです。秋篠宮ご夫妻が結婚に反対する一方、佳子さまは眞子さまを応援する姿勢を示されています。“小室さん問題”をめぐって秋篠宮家が分裂してしまう――。そういった危惧を、美智子さまもお持ちなのではないでしょうか」しかし宮内庁関係者は、ストレスの原因はほかにもあるとの見解を語った。「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」上皇ご夫妻はこれまで、お体の不調に関してもなるべく公表されてきた。だが、嘔吐の症状が出始めたのは9月のことだというのに、美智子さまはなぜ12月中旬までずっと沈黙を守られていたのだろうか?前出の宮内庁関係者は、皇后となられた雅子さまへの配慮があるのではないかと語る。「9月から12月上旬にかけて、天皇皇后両陛下はたいへんな過密日程でした。適応障害からの快復途上にある雅子さまは、即位に関連する一連の儀式に臨まれることに、大きなプレッシャーがおありだったはずです。すべての儀式が終わったのが12月4日、そして雅子さま56歳の誕生日が9日でした。雅子さまが皇后としてのお務めに集中できるように――。美智子さまはそうお考えになって、症状の公表を遅らせたのではないでしょうか」深く傷つかれ、嘔吐に耐え続けながらも、美智子さまは新皇后を思いやり続けられていたのだ。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日今年9月以降、美智子さまが血の混じった嘔吐を複数回されていた――。宮内庁の上皇職が衝撃的な発表をしたのは、12月13日の夕方に開かれた会見でのことだった。皇室担当記者が語る。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。また6月の検査では心不全の判断指標となるBNP値が上昇していました。この数値もいまだに改善がみられないそうです。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます」美智子さまの側近から伝えられた“異変”の数々――。その原因についても言及があったという。「上皇侍従次長は今回の会見で、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として胃に負担がかかった可能性があると説明しています。美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです」(宮内庁関係者)昨年の5月、宮内庁のホームページで「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」と題された文書が発表された。一部の週刊誌で、眞子さまの結婚についての美智子さまの発言とされる文言が掲載されていることについて、宮内庁は《これまで両陛下は共に首尾一貫このことに関し一切発言を慎まれてこられました》と反論。「’93年に、美智子さまに対するいわれなきバッシングが続き、ついには数カ月にわたって美智子さまは声を失われてしまいました。当時、新しい御所の建設が計画された際に、昭和天皇が愛された自然林が美智子さまのせいで丸坊主になった、といった内容でした。しかし、実際には美智子さまはこの建設場所決定にいっさい関与していなかったのです。こうした事実と異なる報道に苦しまれた経験もあって、美智子さまはご自分やご家族が週刊誌でどのように報道されているのか、非常に気にされていらっしゃいます」(前出・宮内庁関係者)美智子さまの“肉声”とされる文言を多数掲載するような記事はいったん減少するが、御代替わり後から美智子さまに批判的な記事が増加し始める。たとえば即位パレードの延期について《上皇后美智子さまのご意向が強く反映されていた》などと、宮内庁は雅子さまより美智子さまの意向が優先される「二重権威」状態であるとの報道も散見された。さらに、御代替わり後にはインターネット上でも心ないコメントが急増している。ツイッター上には次のような信じがたいツイートも見られた。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししたりしないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》さらに、今回の美智子さまの嘔吐を伝えた記事にさえ、ヤフーニュースのコメント欄には、ご体調を気遣うどころか、目を疑うような文言が並んでいる。《もういいよ、そういうの。引っ越し延期の言い訳でしょ》《一線を退いたのにストレスとかあるんですか?度々お出かけになられている様ですが、自宅でゆっくり静養してください》美智子さまは雅子さまをいじめてきた、雅子さまへの嫌がらせで皇居からの引っ越しを拒否している――。そういった趣旨の書き込みが、ネット上にあふれているのだ。ご友人がフェイスブックに綴っていた介護日記を閲覧されるなど、美智子さまは以前からインターネットを利用されている。心なき誹謗コメントの数々をご覧になっている可能性も高い――。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日来年末で活動休止を発表している嵐のリーダー大野智(39)が11月26日、39歳の誕生日を迎えた。嵐はアジアでも高い人気を誇っており、大野の誕生日は韓国でもTwitterでトレンド入り。多くのファンが祝福している。韓国では、以前より日本ドラマが人気。大野もTBS系『魔王』(’08)、日本テレビ系『世界一難しい恋』(’16)などの主演ドラマを通して、個人としても知名度を高めてきた。さらに嵐は、韓国で最も知られている日本のアイドルグループであり、活動休止が発表された時は韓国でも大きく報道された。日付が26日になると、午前中にはTwitterの韓国エリアで、「大野智」、「誕生日おめでとう」というワードがトレンドに。韓国のファンたちからも、「これからも幸せでありますように!家だったら小さなケーキでも買おうと思ったのに(涙)」「私たちのリーダー、体調に気をつけて健康でいてね」「これからも応援します!」「SNSを通してファンからの祝福メッセージを呼んで、ファンたちにくれた幸せの何倍以上も、もっと幸せになってくれたらうれしい!」とお祝いの投稿が殺到している。
2019年11月26日11月21日放送の「VS嵐」。オープニングトークでは、“大野さんが誕生日に欲しいもの”の話に。「一歩大人になったものが欲しい」と語る大野さんに、「スーツとかが一番いいんじゃない」と相葉さんが提案。「え、みんな持ってんの?」と動揺する大野さんに対し、二宮さんが、「木村(拓哉)くんからもらったからもうある」と自慢げに回答。すると突然大野さんは、「じゃあ俺も木村くんからもらおう」と、画面越しに事務所の先輩におねだり。会場も笑いに包まれました。ツイッターでもさっそくファンから木村さんへおねだりが。果たして大野さんとファンの声は木村さんに届くのでしょうか!?またアトラクションの最中には、“大野さんのすごい所をホメる”というトークに。二宮さんは、「15年くらい髪型が変わらない」。相葉さんは、「異常にアキレス腱が強い」。櫻井さんは、「数年前までマジックテープの財布を使っていた」。など、愛されリーダーならではの褒めているのかいじっているのかわからない回答をされる始末。最後に松本さんは「メールの返信が早いとこ」と挙げ、「(メンバーの)みんなに送ったら一番早いかもしれない」と、やや正統派の“すごい所”を披露。この松本さんの誉め言葉に対し大野さんは、「特に松潤なんてさ、メールきたらさ……怖えじゃん」と本音を語り、他のメンバーも笑いながら頷き、会場からは拍手が起こりました。仲が良いからこそのメンバー間のいじり合いが垣間見られた瞬間でした。今週も嵐のメンバー愛に溢れていた「VS嵐」。来週11月28日の放送は、元ラグビー日本代表・廣瀬俊朗さん率いる「チームラグビー」との対決です。
2019年11月22日10月29日、親交の深かった緒方貞子さんの葬儀が営まれ、美智子さまは葬儀が始まる前に弔問された。祭壇には上皇ご夫妻から贈られた花が飾られていた。お2人の交流のはじまりは、美智子さまが高校生だった70年ほど前にさかのぼるという。美智子さまの児童文学を通じての知人で、ジャーナリストとして皇室を取材してきたメディア・プロデューサーの渡邊満子さんは言う。「上皇后さまと緒方さんは、先輩後輩であると同時に『サダ』『ミチ』と呼び合われて、上皇后さまが皇室に嫁がれてからも強い信頼関係で結ばれていました。聖心女子大学初代学長のマザー・ブリットは『世の中の役に立つ女性を育てたい』という教育方針を掲げました。上皇后さまと緒方さんは、その方針を体現するように世の中のために活躍されてきたのです。まさに“日本の誇り”とも呼べる女性たちであると思います」緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した’91年、クルド難民危機が起こった。湾岸戦争によりイラク国内で迫害を受けた100万人を超えるクルド人が、イラクとトルコの国境地帯に取り残されたのだ。国際条約上、国境を越えなければ難民として支援できない。しかし緒方さんはイラク国内のクルド人への支援を決断。揺るがない人道主義を貫いた。安全な場所から指示を出すのではなく、自ら防弾チョッキを着てイラク北部やボスニア・ヘルツェゴビナといった紛争地に出かけ、大規模な救援作戦を指揮する。その行動力は国際的な尊敬を集めた。そうした緒方さんの活躍を美智子さまも気にかけてこられた。’92年のお誕生日に際しては「この一年で印象深かったこと」として《緒方貞子さんの難民高等弁務官のお仕事》を真っ先に挙げられた。「天皇皇后時代の上皇陛下と上皇后さまは、御所に何度も緒方さんを招かれて世界情勢や国連の活動などについて繰り返しお話を聞かれていました。ご自身たちに何ができるかお考えになって、海外青年協力隊などのボランティアで活動している方たちにお会いになり励まされてもいます」(前出・渡邊さん)緒方さんは『文藝春秋』(’03年11月号)に寄稿した文章のなかで、その当時の美智子さまについて、こう記している。《難民やその地域について、恐らく日本で一番ご理解をいただいていると申しても過言ではないでしょう》日本の皇后として世界の悲惨な現状を心配されてきた美智子さま。日本人として国際平和に貢献し続けた緒方さん。二人はお互いをリスペクトし合っていたのだ。上皇陛下が即位され、美智子さまが皇后になられたのは’89年。緒方さんが難民救済や発展途上国への支援に打ち込まれているのと時期を同じくして、美智子さまも人々の平和と安全を願って、行動を示されていた。上皇陛下とご一緒に激戦の地をお訪ねになり、太平洋戦争の犠牲となった戦没者を全身全霊で慰霊する旅を続けられた。そして、日本が災害に見舞われれば、いち早く被災地に足を運ばれて、多くの被災者を前に膝をつき、同じ目線でお見舞いの言葉をかけられた。その行動は“平成流”と呼ばれ、皇室が国民に寄り添い続けることで、甚大な災害が相次いだ日本を大いに勇気づけたのだ。「美智子さまと緒方さんは自分のことを顧みず、弱者のために力を尽くすことを、人間の最高の美徳として、共通の道を歩まれた女性だと思います。緒方さんが天国に召されたことで、美智子さまはとても大きな喪失感を抱かれていらっしゃるでしょう」(前出・渡邊さん)美智子さまの“涙の弔問”には、緒方さんと夢見た平和への思いもこめられていたことだろう。
2019年11月08日冷たい雨のなか、美智子さまが乗られた車がゆっくりと東京都内の教会に入っていった。車窓に映る美智子さまは沈痛な面持ちで、和装の喪服に身を包まれていた――。10月29日、親交の深かった緒方貞子さんの葬儀が営まれ、美智子さまは葬儀が始まる前に弔問された。祭壇には上皇ご夫妻から贈られた花が飾られていた。22日に92歳で亡くなった緒方さん。女性として初めて国連難民高等弁務官を務め、国際協力機構(JICA)の理事長などを歴任し、人道支援、難民救済活動に尽力してきた。上皇陛下の学習院の後輩で上皇ご夫妻とテニスを通じて親交が深い織田和雄さんは、緒方さんとも交流があり、葬儀に参列していた。「緒方貞子さんと私がペアを組んで、上皇陛下と美智子さまのペアと対戦したこともあります。美智子さまと緒方さんは、お二人とも球を追いかけてよく走ります。プレースタイルもよく似ていらっしゃいました」緒方さん本人が『文藝春秋』(’03年11月号)に、美智子さまとの関係をこう寄稿している。《実は、正田ご一家とは古くからのお付き合いで、皇后陛下がまだ高校生でいらした頃、軽井沢のコートでテニスをしていらしたのをよく存じ上げているのです》つまり、美智子さまと緒方さんのご交流はおよそ70年前から続いてきたのだ。《私の母校である聖心女子大学を志望しておいでだとお母様から伺って楽しみにしておりましたところ、ご入学になりましたので、“先輩”“後輩”の間柄になりました》緒方さんの寄稿文には、そんな親しみに満ちた文章もあった。ベテランの皇室ジャーナリストは、美智子さまのお気持ちを推し量る。「当時の軽井沢で、緒方さんは優秀な女子大生として有名でした。美智子さまが聖心女子大学に進学されたのは、7歳年上の緒方さんに“憧れ”を抱かれていたからかもしれません。だからこそ、緒方さんと同じ英文科に進まれ、緒方さんも務めた学生自治会の会長を美智子さまも務められたのでしょう」
2019年11月08日