こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、2年半店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは同じく「Be inspired!」で連載を持つ赤澤 えるさんとともに、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。奥が兄の山脇 耀平、手前が弟の島田 舜介▶︎山脇 耀平インタビュー記事はこちら今回の旅は6月7日〜12日。広島県、山口県、島根県を巡りながら、たくさんの人に出会ってきました。システムエンジニアとトマト栽培を兼業する新しい形の農家さん。オーダーメイドの家具をつくりながら、人が集う場所づくりまで手がける山口の職人さん。漁師の街で地域に愛される大漁旗を生み出しつづけてきた工房の6代目。そんなたくさんの出会いの中から今回紹介したいのは、グルテンフリーの玄米麺を通じて耕作放棄地の再生に取り組むという、地域に対して、社会に対してポジティブなインパクトを与えようとしている小倉 健太郎(おぐら けんたろう)さん。彼の原動力とビジョンについてお話を伺いました。小倉 健太郎さん様々な暮らしを巡る中で実感した食の大切さ島根県松江市の出身で、大学進学を機に上京した小倉さん。環境問題や持続可能な社会に関心を持っていたことから、在学中にソーシャル・ビジネスを行う企業で働いた。その後大学を休学し、ニュージーランドに滞在。日本とは異なる人々の暮らしを肌で体感する。2011年の東日本大震災をきっかけに帰国した後は、東北にて復興支援に携わった。ニュージーランドの生活では「命の使い方」についてじっくりと考えました。一生に一度しかない自分の人生を何に捧げるべきなのか。そんなことに思いを巡らせていたとき、日本で震災があって帰国したんです。東北で復興の支援に関わる中で、出会った人々のたくましさにとても影響を受けました。困難な状況にあっても自分の頭で考え、生きるための食糧をつくり、文字通り“自分の足で立っている人”たち。小倉さんはそんな彼らの力強さに惹かれると同時に、食べ物が地域内で持続的に生産されることの大切さを痛感した。食に関わる分野で生きていくことを決めた小倉さんは大学卒業後、新卒で京都の豆腐屋に就職。2013年に地元の島根に帰郷し、のちにパートナーとなる小倉 綾子(おぐら あやこ)さんとともに、合同会社宮内舎(みやうちや)を立ち上げることになる。宮内舎とは、島根県雲南市という中山間地域でグルテン(小麦)フリーの“玄米麺”を製造販売している小さなカンパニーです。僕らが暮らすこの大東町(だいとうちょう)という町は、年々耕作放棄地が増えています。理由は、町民の高齢化や近年の米の買取価格の低下により、農家さんが仕事を維持できなくなっているから。この状況をなんとかしようと考え始めたのがすべての始まりでした。宮内舎が玄米麺とともに展開する白米麺大東町のような中山間地域は、山から流れる新鮮な水を一番に手に入れられるという環境もあって米作りには適しているそう。そんなお米を農家さんから相場より高い価格で買取り、食品として製造販売することで地域に貢献する、というのが小倉さんの想いだった。グルテンフリーの玄米麺の着想に至ったのには、綾子さんが小麦アレルギーだったというのもある。小麦アレルギーである綾子さんも食べられるような、麺を開発して世の中に届けていきたい。そんな2人の夢は形となり、2015年6月の販売から4ヶ月で販売1万食を突破。現在では取引先を40社以上に広げている。地域の暮らしの延長を考える玄米麺を通じて届けたい“関係性”田を耕し、育て、稲を収穫する。農業を営む中で保たれる美しい景観と、暮らしの根幹である食糧をつくる農家という生き方。大東町という一つの地域の中で生産と消費の循環を維持していくこと。そんな玄米麺づくりという形で未来にチャレンジしていく小倉さん。最後に、これからの展望について伺った。僕らが玄米麺を通じて届けたいのは「人と関わり合う物事の関係性」です。この土地で人々が農業を続けてきたという歴史。農業を行う上での自然との共生。動物・植物の存在。霊への信仰。さまざまな関係性をきちんと理解した上で事業を行いたいし、その関係性の大切さ、豊かさを発信していきたいと言う想いが根幹にあります。これからこの地域を訪れる多くの人たちと、たくさんの関係性を共有したい。そして未来に向かって関係性を耕していきたい。玄米麺という形あるモノが、そんな関係性づくりのきっかけになれば嬉しいです。山脇 耀平 / Yohei YamawakiTwitter|Instagram1992年生まれ。大学在学中の2014年、実の弟とともに「EVERY DENIM」を立ち上げ。オリジナルデニムの販売やスタディツアーを中心に、生産者と消費者がともに幸せになる持続可能なものづくりの在り方を模索している。繊維産地の課題解決に特化した人材育成学校「産地の学校」運営。2018年4月より「Be inspired!」で連載開始。クラウドファンディングで購入したキャンピングカー「えぶり号」に乗り全国47都道府県を巡る旅を実践中。
2018年07月01日こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、2年半店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは同じく「Be inspired!」で連載を持つ赤澤 えるさんとともに、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。「源泉掛け流し」「循環ろ過」。この言葉を初めて耳にするという読者もいると思う。源泉掛け流しとは、地中から湧き出た温泉をそのまま浴槽の湯として常に利用している状態のこと。循環ろ過とは、浴槽の湯を循環器によって洗浄し再利用する方式のことである。源泉掛け流しの温泉は、科学的に健康に良いとされている温泉の効能を活かせる一方で、常に新鮮な湯を使い続けるぶんコストもかかる。逆に循環ろ過方式は、一定量の温泉を繰り返し使用するので資源を有効活用できるぶんコストがカットできる。ただし、循環ろ過に使用する塩素系薬剤は、温泉本来の効能を低下させてしまう。効能だけを考えれば源泉掛け流しの方が好ましいが、資源の確保や施設経営の面を考慮すると、循環ろ過に頼らざるを得ない一面もある。そんなジレンマを抱えたまま、源泉掛け流し、循環ろ過、またはその中間など、様々な施設が混在しているのが国内温泉業界の現状である。そんな中、とにかく良質な温泉を無くさないようにと奮闘する1人の若い女性が水品沙紀(みずしなさき)さん。栃木県日光市にある施設「中三依温泉 男鹿の湯(なかみよりおんせん おじかのゆ、以下、男鹿の湯)」を経営する28歳である。「お湯はいいけれど経営が続けれられなくなっちゃった温泉をとにかく救いたいんです」と語る彼女、20代にして温泉施設を経営することにした決意はどこから来たのだろうか。水品沙紀さん1000ヶ所以上を巡って抱いた温泉経営への想い千葉県出身の水品さんは小さい頃から家族でよく日帰り入浴をしていたのがきっかけで温泉に愛着を持って育った。本格的に温泉巡りを始めたのは大学生の頃。これまでに訪れた施設は全国1000ヶ所以上にのぼる。大学卒業後、温泉施設の運営を手がける「株式会社温泉道場(以下、温泉道場)」に就職。当時新卒を採用していなかった同社だが、温泉業界の改善に取り組みたいという彼女の熱い想いが届き、初の新卒社員として入社する。水品さんはその配属先だった埼玉の温泉で施設を経営するノウハウを学んだそうだ。勤め先だった埼玉の温泉施設は、地元の人が気軽に入りに来れる良い雰囲気の場所でした。施設運営のコンサルティングや再生を手がける温泉道場で働く中で「お湯は良いけど経営がうまくいっていない施設をどうすれば立て直せるか」についてどんどん関心が湧いてきました。想いは徐々に膨らみ、「いつか自分で温泉を経営したい」という強い願いへと変わってゆく。そして温泉道場に勤めて2年半、男鹿の湯との出会いをきっかけに退職。2014年7月から経営不振により休業していた男鹿の湯を再建をすることを決意し、開業に向けてスタートを切った。男鹿の湯は、経営を引き継げさせてもらえそうな施設を調べている中で見つけました。前職で勤めていた埼玉の温泉と水質が似ていたから親近感もあってここに決めたんです。男鹿の湯が位置する栃木県日光市の中三依という地域は、北の福島県会津地方と、南の日光市街を結ぶ交通の要衝だった。栃木県日光市にありながら、気候・風土は会津のよう。はっきりした四季の移り変わりや豊かな山々に恵まれ、最寄り駅である「中三依温泉駅」は浅草から電車で一本と、アクセスもしやすい。地球が語りかけてくるような自然に溢れた温泉大学の卒業論文では「地球と人をつなぐメディアとしての『温泉』」について論じたという水品さん。現代社会において温泉が果たす役割は、人が自然の中に生きることを感じられる点にあるという。湯治(とうじ)という言葉もあるように、古くから温泉は心身のメンテナンスとして機能してきた歴史があります。私自身も毎朝仕事初めの前に必ず入浴してコンディションを高めています。ただし、今の温泉業界の現状では、「温泉」と名がつくからと言って必ずしも効能が期待できるとは限りません。 温泉の定義とは「25℃以上の地下水」と曖昧であり、源泉掛け流しという言葉も濫用され、実態は不確かな施設があることも事実だと教えてくれた水品さん。一経営者として施設を続けていく難しさを承知している彼女は、そのような状況を仕方ないと理解しつつも、自分自身は温泉の質にこだわっていくと熱く語ってくれた。私が良いと思う温泉は山奥であったりと、大体アクセスの不便な所にあって、たくさんの人に知られているとは言えません。その代わりに岩場からすぐ近くで湧いた源泉を掛け流していてお湯も新鮮だし、環境を維持するために地域で大切に守られてきた歴史もあって、とても豊かな場所ばかりです。まるで地球が「はい、できましたよ!」と語りかけてくれているような、本物の自然を味わえる温泉に入り続けること、そしてそんな温泉の存在を広めていくことが、埋もれてしまっている良質な温泉を失わないために、今の私ができる地球と人への何よりの貢献だと思っています。恥ずかしながら筆者は水品さんに出会うまで、温泉業界の現状や源泉掛け流しという言葉も知らなかった。このように新たに興味を持ち、知識を得ようとしていく人にとって、一番の壁は「何が正しい情報なのかわからない」ということだろう。特に健康と名のつく分野においては科学的に裏付いた知識や情報を正確に手に入れることが必要になってくる。しかしそのハードルはなかなか高い。そんな中、水品さんの優しく、力強い語り口は、あっという間に僕を魅了し、もっと温泉について詳しくなりたい、温泉を楽しみたいと思わせてくれた。自分のことはとても謙虚に話す。けれど温泉のこととなると止まらなくなるくらい言葉に溢れ、自信に満ちた表情で楽しい話をしてくれた水品さんを見て、彼女がこれからたくさんの良い温泉を後世に引き継いでくれるんだろうと確信した。中三依温泉 男鹿の湯公式サイト|Facebook2016年4月リニューアルした栃木県日光市の日帰り温泉。温泉をこよなく愛し全国1000件以上を巡った水品沙紀が手がける。「Reborn(生き返る)」をテーマに、温泉の他にも食堂やタイ古式セラピーを併設。EVERY DENIMWebsite|Facebook|TwitterEVERY DENIMとは2015年現役大学生兄弟が立ち上げたデニムブランド。なによりも職人さんを大切にし、瀬戸内の工場に眠る技術力を引き出しながらものづくりを行う。店舗を持たずに全国各地に自ら足を運び、ゲストハウスやコミュニティスペースを中心にデニムを販売している。
2018年05月25日こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、2年半店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。2018年4月からはキャンピングカーで47都道府県を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会いたいと考えています。初回の旅は4月5日〜10日。同じく「Be inspired!」で連載を持つ赤澤 えるさんともに、茨城、栃木、群馬県を巡りながら、8日(日)夜には茨城県つくば市のコワーキングスペース「Tsukuba Place Lab」で洋服の販売&トークイベントを開催する予定です。また4月14日(土)には東京で旅の報告会を行います。報告会では旅の途中に仕入れた素材を使用した食事会も併せて行います。本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。山脇本人とキャンピングカー▶︎山脇 耀平インタビュー記事:『日本中に心を満たす生産と消費を。国内生産率3%のデニムに、誰もが愛着が持てる社会を作る25歳の起業家』今回は旅の始まりを4月に控え、地方にいる様々な人の話を記事にし発信する上で、先人から心構えを聞いておきたい、ということで今回は、ウェブマガジン「ジモコロ」で編集長を務める徳谷 柿次郎(とくたに かきじろう)さんにお話を伺いました。「ジモコロ」とは、地元にまつわる様々な話題を取り上げ、明るく楽しく伝えることで読者の地元愛を掘り起こすウェブマガジン。編集長として全国各地に自ら足を運び、取材を通じて地域の魅力を発信し続けてきた彼は、なぜ自分の地元でもない「誰かの地元」を愛情を持って届けられるのか。そして、それをなぜ東京の人たちにも届けようとするのか。その理由を聞いてみました。山脇本人とあしたのジョーと柿次郎さん地方のモノサシをもっちゃった大阪が地元の柿次郎さん。今から9年前の26歳の時に上京し、編集プロダクション勤務を経て2011年にwebコンテンツ制作を得意とする「株式会社バーグハンバーグバーグ(以下、バーグ)」に転職。上京して数年はまったく地方に興味がなかった彼は、バーグに勤めてちょうど3年目を迎える頃、長野県に旅行したことが「ジモコロを立ち上げよう」と思った最大のきっかけだったという。バーグで働きだしてから3年目くらいのころ、長野の松本へ一人旅しました。やったことのないことがしたくて、唐突に「薪割りをしたい!」ってFacebookに投稿したら「ウチでできますよ」って長野に住む知り合いからコメントがきて、本当に薪割りをすることになったんです。その体験が楽しくて、社内でみんなに報告したり、いろんな所へ旅行するようになりました。この頃から自分が経験した面白いことを経験してない人へ伝えて面白がってもらう楽しさを感じはじめました。それが「ジモコロ」を立ち上げるきっかけでしたねそして2015年5月に「ジモコロ」を立ち上げ、本格的に地方取材をスタートした柿次郎さんは、東京では出会えない人やモノ、文化を知ったという。取材のモチベーションは「自分のため」ジモコロの記事を読むと、話し手の口調や感情がいきいきと伝わってくる。まるで自分も聞き手と同じ場で話を聞いている感覚になるのだ。「取材相手への徹底的な愛情」がなければ書けないこのような記事を生み出す原動力は、自分が経験した面白いことを経験してない人へ伝えて面白がってもらう、という「他人のため」だけではなく、「自分のため」でもあると柿次郎さんは話す。人の話を記事にする上で、究極のモチベーションは相手と仲良くなること。つまり「自分のため」なんです。仲良くなりたいから面白い記事を読みやすく作り、世の中へ広める努力を徹底的にする。記事きっかけでたくさんの人に興味を持ってもらえた、という結果こそが取材相手に対する貢献であり、喜んでもらえる理由だと思う。「自分のため」といっても自己満足で終わるのではなく、まずは目の前の人をどう喜ばせるか。それを何より大切にするのが結果的には聞き手と話し手と読み手みんなのためになると考えています「誰かの地元」を愛情持って届け続ける柿次郎さんがジモコロを通じて、自分の地元ではない“誰かの地元”を愛情持って届け続けられるのには2つの理由があった。1つは、彼が自分の楽しみを第一に考え、その上で関わる相手に対して価値を出すという生き方を貫いているから。もう1つはかつて自分をフックアップしてくれた人たちへの感謝の気持ちを忘れずに持っているから。生きる上で一人一人に本気で向き合ってきたからこそ得られた柿次郎さんへの信頼は、彼がこれから進む道において大きな力になるのだろう。徳谷 柿次郎 / KAKIJIRO TOKUTANITwitter|Facebook|Email|Website株式会社Huuuu代表取締役。おじさん界代表。ジモコロ編集長として全国47都道府県を取材したり、ローカル領域で編集してます。趣味→ヒップホップ / 温泉 / カレー / コーヒー / 民俗学EVERY DENIMWebsite|Facebook|TwitterEVERY DENIMとは2015年現役大学生兄弟が立ち上げたデニムブランド。なによりも職人さんを大切にし、瀬戸内の工場に眠る技術力を引き出しながらものづくりを行う。店舗を持たずに全国各地に自ら足を運び、ゲストハウスやコミュニティスペースを中心にデニムを販売している。
2018年04月05日