2020年1月22日にCDデビューするジャニーズJr.内ユニット・Snow Manの岩本照、ラウール、目黒蓮が28日、都内で行われた「WEIBO Account Festival in Japan 2019」に登場した。同アワードは、中国最大のソーシャルメディアであるWEIBO(微博)で活躍し、中国で大きな影響力を持つアーティストや企業を表彰するもの。日本では2回目の開催となる。Snow Manは、新人アーティスト賞を受賞し、岩本、ラウール、目黒が代表して参加。レッドカーペットを歩いた後、セレモニーに出席してトロフィーを受け取った。3人はそれぞれ中国語であいさつ。その後、岩本が日本語で「本当に光栄に思います」と喜びを伝え、「Snow Manは来年1月22日にCDデビューし、春にはアジアツアーが控えております。この賞の名に恥じぬよう、Snow Man、ジャニーズ、日本のエンターテインメントの素晴らしさをWEIBOさんのお力を借りながら世界に発信していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします」と意気込みを語った。○「WEIBO Account Festival in Japan 2019」主な受賞者一覧【新人アーティスト賞】Snow Man【人気アイドルグループ賞】乃木坂46【人気俳優賞】竹内涼真【注目俳優賞】千葉雄大【マルチアーティスト賞】斎藤工【躍進俳優賞】志尊淳【話題女優賞】西野七瀬【ブログ新人賞】高橋愛【日中文化交流アンバサダー賞】ディーン・フジオカ【ファッションタレント賞】小嶋陽菜【グッドシンガー賞】板野友美【アニソンロックシンガー賞】LiSA【ベストライブパフォーマンス賞】May’n【日中文化交流賞】吉田美佳子【人気実力女優賞】カーメイン・シェー【実力シンガー賞】ケンジ・ウー
2019年11月28日2020年に同時デビューするジャニーズJr.のグループ・SixTONES(森本慎太郎、田中樹、ジェシー、高地優吾、京本大我、松村北斗)とSnow Man(岩本照、深澤辰哉、ラウール、渡辺翔太、向井康二、阿部亮平、目黒蓮、宮舘涼太、佐久間大介)が4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に出席し、囲み取材に応じた。佐久間は、祭壇でジャニーさんに伝えたことを聞かれると「ジャニーさんは泣き顔が嫌いだったので。笑顔の大切さを教えてくれてありがとうということと、僕たち今後、ライブ活動とかもやりますので。アジアツアーもやりますから、ぜひ『ライブ会場に見に来てくれ』と伝えました」とコメント。岩本は「人との出会いとか、ご縁を教えてくださったのはジャニーさん」と言い、「Snow ManとSixTONES、これからいっぱい出てくるスターたちが、みんなで時代を作り上げていって、生まれ変わったとしても、ジャニーズに入りたいと思うような時代を、ちゃんと作っていくべきだなと、改めて今日、思わせていただきました」と未来を見据え、「生まれ変わってもジャニーズに入りたいです」と笑顔を見せた。一方、ジェシーは「そこにいるんだなと思いながら、ジャニーさんに『SixTONES見とけよ』という一言と、あとで電話するねっていうのを、心の中で伝えました」と報告。京本は「人前に出るのが、もともと得意ではないほうだったんですけど、ジャニーさんと出会わせていただいて、パフォーマンスすることの楽しさも教えていただきましたし、唯一ジャニーさんに褒めていただいたのが歌なので、デビューさせていただきますし、これからたくさんの場所で、歌で色々なことを届けていきたいと決意表明をさせていただきました」と明かした。また、ジャニーさんにスカウトされたことがきっかけで芸能界に入った森本は「拾っていただいてありがとうございますという感謝と、9月から、ジャニーさんが大好きだった『少年たち』という舞台があるので、10月からはSixTONESのライブツアーが始まるので。そこから色々な世界にも行きたいですし、『全世界どこに行っても、絶対見に来てね』っていうことをお伝えしました」と話していた。
2019年09月04日8月13日、川崎市にある霊園で住職の読経が響きわたっていた。この日、高島忠夫さん(享年88)の四十九日法要が営まれていたのだ。墓前で手を合わせていたのは、高嶋政宏(53)と親戚と思しき数人。弟の高嶋政伸(52)は仕事だったのか不在で、代わりに妻が参列していた。だが、忠夫さんに寄り添い続けた妻・寿美花代さん(87)の姿はなかった――。さかのぼること約2時間前。都内にある忠夫さんの自宅では、喪服を着た人たちが集まっていた。食卓を囲んでの思い出話に花が咲いたのだろう。途中、政宏が参列者にふるまうお酒を買い足しに行く一幕もあった。「自宅には、忠夫さんと仲の良かった人たちや事務所関係者が集まっていたそうです。妻の寿美さんもいたそうですが、もう高齢ですからね。この猛暑のなか、外に出るのは心配です。そのため、お墓までついて行くことは断念したのです。夫を亡くした悲しみも、まだ癒えていないのだと思います」(芸能関係者)寿美さんは忠夫さんが6月26日に亡くなった際も、ショックのあまり火葬場へ行けなかったという。当時、政宏は本誌の取材にこう語っていた。「落ち着いていたように見えた母ですが、父を失ったのはつらかったのか、火葬場には来なかったんです。『火葬場には行けない、行きたくない』と。『(亡きがらを)焼くのは、物質的なことにすぎないから。お父さんとは気持ちと気持ち、心と心がつながっているのだから、家でお父さんのことを思っている』、そんなことを言っていました」政宏はその後、母との距離をこれまで以上に縮めていたようだ。一部週刊誌で、政宏は寿美さんとの“母子同居”を告白。忠夫さんの自宅敷地内には2つの戸建てがあり、片方に寿美さんが住んでいる。そして、もう片方に政宏夫妻が暮らし始めたのだという。そんな彼はこの日も母のかわりに、最後まで切り盛りしていた。照りつける太陽のもと、読経は10分ほど続いた。日差しよけのパラソルがあるものの、かなりの気温。だが政宏は静かに目をつぶり、手を合わせている。それが終わると住職にお礼を告げ、年配の関係者らを駐車場まで連れていく。そして車に乗ると、再び寿美さんの待つ自宅へ戻っていった。大黒柱なき後も 高島家を支え続ける息子。その姿を、天国の忠夫さんは喜んでいるはずだ。
2019年08月21日DULL-COLORED POPによる『福島三部作 一挙上演』が8月8日(木)より東京芸術劇場 シアターイーストでスタートする。今作は、外部での劇作、演出、さらにはシルヴィウ・プルカレーテやフィリップ・ドゥクフレなど海外演出家とのコラボレーションも多数手がける主宰の谷賢一が、2016年から3年をかけて福島を取材して作り上げたもの。第一部『1961年:夜に昇る太陽』は福島県の原発誘致が決定した年を、第二部『1986年:メビウスの輪』ではチェルノブイリ事故の起きた年を、そして第三部『2011年:語られたがる言葉たち』で東日本大震災の起きた年を描くという、50年を通じて福島と原発との関係を浮かび上がらせる大作だ。谷に話を聞いた。「震災後、たくさんの映画や舞台が生まれたけれど、その中には僕がいちばん描かなきゃいけないだろうと思っていたテーマを扱う作品がなかった。この三部作を通じてやりたかったのは、単純な反原発ではない。原発がどのように政治的、経済的に染み渡って行ったのか、抜け出しづらい利権も含めた構造が作り出されたのか。三作を通じて人間と原子力発電所という巨大なシステムの関係を一望できるものが作りたかった」そもそも、谷は母の故郷である福島で生まれ、4、5歳までは頻繁に福島で過ごしていたという。父は原発の技術者だった。「いちばん古い思い出が福島の風景なんです。それに父が土産話に誇らしく原発のことを話していた。だから子供の頃の僕にとっては、原発はヒーロー戦隊に出てくる秘密基地のような、憧れの存在でした。それがチェルノブイリ事故や東海村の事故を経て、印象が変わっていった。だから2011年の事故についても、当事者感は強くありました」2016年から関係者への取材をはじめた。第二部で扱う1986年当時の福島県双葉町町長・岩本忠夫氏については、関係者をあたり、現双葉町議員である岩本氏の息子にもたっぷりと話を聞いたのだという。「みなさん、お忙しい中でたくさん話してくださった。その中から、ある強烈なエピソードをピックアップし、残りは想像力で補っていきました。第二部では岩本さんのご子息がとにかく父親が嫌いで仕方なかったと。“選挙に出ては負けているので、何回恥をかいたかわからない。高校の時には頼むから選挙はやめてくれとお願いしていた”と話してくださった。そのとき、お母さんはどうしていたのかな、と想像して肉付けしつつ、そのエピソードを取り入れました」題材が題材だけに、それを演劇に仕立てるのは難しそうだが、谷に迷いはない。「どれだけ真面目な話でも、そこに興味のわく人間関係が描けていればお客さんの集中力はついてくるはず。ただ、もともと劇団名にPOPと入っているとおり、ポップなことが好き。だから第一部には人形劇が入っていたり、第二部では急にミュージカルになるところがあったり、演劇的に飛躍する表現は意図的に入れてあります」とはいえ、3つの異なる物語を上演するのは並大抵のことではない。「出演者だけでものべ30人以上、スタッフも美術も小道具もすごい量。稽古も毎日11時間やっています。いろんな意味で博打を打っているような公演です。なぜか今から“再演はやりますか?”とよく聞かれるんですが、よほどのことがないと再演はできない。ぜひ今回を観に来てください!」取材・文:釣木文恵
2019年08月02日高島忠夫さんが老衰のため6月26日に死去したと発表された。88歳だった。高島さんは51年に新東宝第1期ニューフェイスとなり、52年の映画「恋の応援団長」でデビュー。62年の「キングコング対ゴジラ」などの「ゴジラ」シリーズや96年の朝ドラ「ふたりっ子」(NHK総合)への出演でも知られている。また「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ系)などのクイズ番組で司会を務め、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ系)では映画の名解説が評判を呼んだ。私生活では63年に寿美花代(87)と結婚し、70年から96年まで料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ系)の司会を夫婦で26年間担当した。また65年には次男・高嶋政宏(53)が、66年には三男・高嶋政伸(52)が誕生。2人はともに俳優の道を選んだため、“高島ファミリー”としてお茶の間で親しまれた。各メディアによると政宏は「母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」とコメントし、政伸は「穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます」と感謝しているという。高島さんは90年6月には本誌に登場。“高島ファミリー”の活躍ぶりに「皆さんに“息子さんがご活躍でいいですネェ”と言われるんです」「政宏も政伸も、もう最高の親孝行をしてくれています」と語っていた。公私ともに順風満帆だったが、晩年は病と闘い続けた。パーキンソン病を患い、10年には不整脈で心臓のペースメーカーを付ける手術も受けたという。98年には「うつ」を発症。その闘病記「『うつ』への復讐」はドラマ化するほどの反響を呼んだ。07年2月、本誌で高島さんと寿美はその苦しみを語っている。高島さんの「うつ」が特にひどかった当時、寿美は高島さんの自殺を恐れ「家中の刃物をすべて隠し、風呂の水は必ず抜いた」という。経済的にも追い詰められ、「お金も地獄、病も地獄」と回想。さらにこんなエピソードを明かしていた。高島さん(以下・高)「それまではお金のことは全部、ぼくと税理士さんでやってたからね」寿美(以下・寿)「どこにいくらあるかもわからない。通帳さえ見たことがなかったから」高「うつのせいなんでしょう。ボーッとした頭である日“家には一銭もお金がない”“借金がある”って突然思い込んでしまって。みんなにそう伝えてね」寿「そうそう。私も“家、売らなあかん”って本当に心配した。いまさら街角に立ってみたところで、もうどうしようもない年だし(笑)」そんな高島夫妻を助けたのはやはり“ファミリー”だった。政伸が銀行を周り「あそこの銀行に口座があった、こっちにもあった」とお金を見つけ出してくれたという。家族に支えられ、「うつ」に立ち向かった高島さん。寿美も「私自身も本当に辛い時期がありました。頑張りすぎてストレスがたまって」とサポートする苦しみを明かしていたが、離婚については「そんなこと、考えたこともないです」と語った。さらに「介護は財産だった」とも明かしている。寿「『ごちそうさま』を26年やらせていただいて、私がしゃべったのなんて数えるほど。それぐらい忠夫さんは、よくしゃべってた」高「この人、横で頷いてるだけでしたよ。それがいまや、僕の代わりに仕事して、税金のことも家のことも全部やって。ホントに感心します」寿「生まれ変わったのかもね(笑)。それぐらい、介護の経験は私のすごい財産になりましたから」高島さんが「いまの家内だったら、ぼくが死んでも平気ですよ」と話したところ、「いや、それはこたえる。やっぱり忠夫さんがいての私なんだから。1人になったら、それこそ私の方がうつになってしまうかもね」と語っていた寿美。そんな彼女を高島さんは、これからも空から見守ることだろう。
2019年06月28日俳優の高島忠夫さんが26日に老衰で亡くなったことを受け、次男で俳優の高嶋政宏、三男で俳優の高嶋政伸が28日、所属事務所を通じてコメントを発表した。忠夫さんは26日の13時1分、自宅にて息を引き取った。88歳だった。通夜・葬儀告別式については、妻で女優・寿美花代の「最期は家族で見守りたい」という希望により、27日に家族のみで密葬を執り行った。お別れ会などの予定はないという。■高嶋政宏病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数カ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。ありがとうございました。■高嶋政伸父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます。
2019年06月28日写真家の岩本幸一郎が、東京・神宮前のアートギャラリー、CLASSにて写真展「isolation」を開催する。会期は、4月13日から21日。岩本 幸一郎は、1992年、福岡県北九州市生まれで現在26歳。父から引き継いだフィルムカメラで写真を始め、2015年から平間至のもとで写真を学ぶ。2016年より文化出版局写真部に勤務し、2018年に独立。独立から間も無く、『i-D Japan』を始めとするメディアや、ファッションブランドからのオファーがあり、ファッション写真やポートレートなど、今日も様々な撮影依頼が絶えない。今回は、孤独だった記憶、溶け込めない空間、一体化する風景、自身の懐の奥深くに眠らせていた唯一の美しさに向き合い、真っ白な雪山にて新たに撮りおろした作品を展示する。以下、本展について、岩本からのコメント。「降り積もった雪が作り出す、とてつもなく広大な世界に立ち尽くしたとき、僕の脳裏には自分自身の過去の記憶が一瞬のうちに浮かび上がっていました。僕は今、この清らかな光景を美しいと思っているのか。“純白なもの”は、いつまでも白くいられるのか。僕にとっての”過去”とは、はたして何なのか。そんな思いが駆け巡った後にあの世界を思い返してみると、真っ白な光景には錆が帯びていた。いつか溶ける雪と、想像上の錆が、僕に向かって美しさとは何かという問いを切実に投げかけてきました。今回の展示は山木悠氏にお声掛けいただき、コンセプトに共感をしてくれた音楽家のkaito sakuma a.k.a BATICを迎え、写真と音楽が共存する空間を作りました。まずは目を閉じて、音に触れ、そこから僕の写真を見て、『isolation』の意味を体感していただけることを願っています。」 岩本幸一郎会場では、音楽家のkaito sakuma a.k.a BATICによる、雪山独特の響きと静けさをモチーフにした立体音響作品と骨伝導マテリアルを用いた作品も展示。写真と音楽が共存する空間となっている。さらに、会期中、4月20日には岩本と親交が深い編集者の山口達也と、本展のキュレーションを務める『CURIOSITY』主宰の山木悠らによるクロストークイベントも実施予定。 今、見ておくべき、次世代を担う期待のニュークリエイターたちの共演。ぜひ、足を運んでみて。【イベント情報】岩本幸一郎 個展 「isolation」会期:4月13日〜4月21日会場:CLASS住所:東京都渋谷区神宮前5-12-7-B1F時間:12:00〜18:00入場料:無料URL:
2019年04月08日梅澤美波&岩本蓮加×とろ~りチーズ。とろける至福のひとときを、チーズ専門店で満喫!チーズ料理は一瞬でテンションが上がる!チーズを愛する梅澤さんと岩本さん。お店に行く前に、その魅力をたっぷり語ってもらいました。岩本:私、普段は少食だけど、チーズはいくらでも食べられる。梅澤:種類豊富だし、どんな料理にも合うよね。実は昨日も食べた。岩本:えっ!昨日も?梅澤:うん、最近一人鍋にハマっていて、キムチ鍋にとろけるチーズをたっぷり入れてみた。キムチとの相性もめちゃくちゃいいの~。岩本:岩本家では、カレーを食べた次の日に、残ったカレーにチーズをかけてドリアにするのが恒例なんだ。それが大好物で、夕食にカレーが登場したら、「あ、明日はカレードリアだ」って、前の日からソワソワしちゃう。梅澤:蓮加ママ特製のカレードリア、食べてみたい。私は、ピザも大好き。お店でピザを選ぶ時の決め手は、どれだけたくさんのチーズがのっているか!「クアトロフォルマッジ」って、チーズしかのっていないピザに、ハチミツをかける食べ方あるじゃん。岩本:うん、超おいしいよね!梅澤:私はチーズの味をとことん楽しみたいから、ハチミツをかけないで食べることが多い(笑)。岩本:美波、通だね〜。梅澤:蓮加は、あとどんなチーズ料理が好き?岩本:チーズフォンデュかな。(吉田綾乃)クリスティーとふたりで食べに行ったこともあるよ。梅澤:野菜につけて食べるから、意外とヘルシーだよね。岩本:私は、野菜じゃなくてパンばっかり(笑)。あのとろとろのチーズソースの海に、パンを沈めていくのがもう楽しくて楽しくて。梅澤:わかる!テンション上がるよね〜。私は、佐藤楓と阪口珠美と3人でチーズフォンデュパーティしたことがあるよ。岩本:自宅で?すごい本格的!梅澤:好みのチーズをミックスしてソースを作って、材料切るだけだから、意外と手軽にできるよ。チョイスするチーズによって、味わいが全然違ってくるから、何度も楽しみたくなる。パンももちろんおいしいけれど、おすすめの食材は、じゃがいも!!岩本:美波、じゃがいも好きだよね〜(笑)。今度は私も誘ってね。梅澤:うん。今一番気になっているチーズ料理は、ラクレット。チーズを削って、じゃがいもとか、さまざまな食材にかけて食べるの。岩本:へー、食べてみたい!目の前で仕上げる、パフォーマンスも楽しい!そんなふたりが今回訪れたのは、ラクレットがおいしいと評判のチーズ専門店『Cheese Tavern CASCINA』。梅澤:チーズ専門店なんだって~。岩本:店内いっぱいにチーズの香りが~。クンクンクン。梅澤:あ、ラクレット来たよ。岩本:えっ、目の前でチーズをかけてくれるの!?うわ、とろとろ。梅澤:チーズが滝のよう。さっそく、いただきまーす!あ~、やっぱりじゃがいもとの相性が抜群。岩本:見ておいしい、食べてさらにおいしいだね。幸せ!梅澤:ピンクのチーズが入ったブラータもおいしい。色がキレイ!岩本:東京ドームみたい。夢が詰まっている感じ。冷たいし、デザート感覚でペロッと食べられる。梅澤:〆はカルボナーラ!火をつけたチーズにパスタを投入して、仕上げてくれるんだって。岩本:やばめ~。チーズが香ばしくて濃厚でクリーミー。こんなカルボナーラ食べたことない。どれも想像以上のおいしさだし、パフォーマンスも楽しくて映える!梅澤:時代の最先端を行っている感じ。専門店だと、たくさんの種類のチーズが味わえるだけでなく、いろんな楽しみ方ができるのが素敵。食べたい料理がまだまだたくさんあるから、今度はメンバーをたくさん連れてきたいね!岩本蓮加(左)2004年2月2日生まれ、東京都出身。乃木坂46 最年少メンバー。「チーズ専門店は初体験。種類豊富なチーズを、いろんな食べ方で味わいつくしたいな」ワンピース¥60,000(シー ニューヨーク/ブランドニュースTEL:03・3797・3673)梅澤美波(右)1999年1月6日生まれ、神奈川県出身。大のチーズ好き。「ラクレットが流行っているのは、YouTubeでチェック済み。今日は思いっきり食べるぞ!」ブラウス¥9,800スカート¥14,000(共にDRWCYSTEL:03・3470・6511)Cheese Tavern CASCINA(チーズタバーン カシーナ)別名ラボと呼ばれ、研究員を彷彿とさせる白衣を着たシェフたちが、実験的に作り出したオリジナルチーズ料理を披露。毎日ラボで手作りする自家製チーズが9月~登場。東京都渋谷区恵比寿南1-11-2TEL:03・6412・790511:30~14:00LO、17:30~22:00LO無休チーズをたっぷりかける「ラクレット&ベーコン、モルタデッラ、ロイヤルポークのソーセージ」¥2,400※『anan』2018年10月3日号より。写真・清水奈緒スタイリスト・仮屋薗寛子ヘア&メイク・平野 愛(broocH)上野恵麻(koti BY broocH)取材、文・鈴木恵美(by anan編集部)
2018年09月28日モデルでタレントの岩本和子が7日、東京・八重洲ブックセンターで写真集『神秘』(発売中 3,240円税込み 光文社刊)の発売記念イベントを行った。写真集『神秘』の発売記念イベントを行った岩本和子モデルや美容家として活躍した後、39歳でグラビアに活動の場を広げると、週刊誌各誌で"大人グラドル"と呼ばれて話題を集めた岩本和子。現在42歳ながらも上からB83・W60・H85(cm)という抜群のスタイルに加え、Cカップの美乳で男性の視線を独占している。そんな彼女が待望の1st写真集をリリース。初めての写真集でいきなり全身ヌードやセクシーなショットを惜しみなく披露するなど、奇跡の肢体と美ぼうが官能の世界へと誘う。取材会場にウエディングドレス風の衣装で登場した岩本。その理由を「私は自分のことを愛しすぎて大好きなんです。この写真集と自分自身が結婚するというか、今日はお嫁に行くつもりでこの衣装にしてきました」と説明し、「すごく嬉しいですね。もう毎朝起きて読み、ランチの後にも見て、寝る前にもジロジロと見ています。本当にありがとうございました」と初めての写真集に感激しきりだった。そんな同写真集は、今年2月に訪れたというドバイでロケを実施。「(読者の)男性に対してドバイという夢の国でエロい私と夢のトリップをしている感じです。不倫とかスポンサーではなく、純粋な恋愛として私を抱いていただけたらうれしいですね」とコンセプトを紹介しながら、「お気に入りはコルセットを着た写真です。拘束というか締め付けられるのがプライベートでも好きで(笑)。衣装として気に入っています」とアピールしていた。42歳とは思えないスタイルと美ぼう。その秘訣を「普通に運動とか水を飲んだりしていますが、私は妄想の中で生きています。5~6年間恋愛をしていませんが、常にときめきながら女性フェロモンが溢れているからでしょうか」と妄想が大事だという。42歳ということで結婚に対する危機感をいだていると思いきや「ないですね(笑)。このまま自分の世界で夢を見ながら生きていければと思っています」とあくまでもマイペースで、恋愛に対しても「ほとんど引きこもっていますし、恋愛や男性に対する幻想が激しいので。将来は言葉の通じない国の王子様と恋愛できればと思っています」と妄想から離れられない様子だった。
2018年06月08日遠藤商事はこのほど、国内27店舗目になる「PIZZERIA BAR NAPOLI(ピッツェリア バール ナポリ) 岩本町」をオープンした。○ランチは長めの11~17時、ワンコインピッツァも販売同店舗では、ランチタイムを長めの11時~17時とし、8種類の本格窯焼きピッツァを500円(税別)から提供。ディナータイムでは、18種類の本格窯焼きピッツァを800円(税別)から提供する。窯焼きのナポリピッツァの生地は、こだわりのレシピで作ったオリジナル。もっともおいしい焼きたてを楽しんでもらうため、注文を受けてから500度の窯で1枚ずつ丁寧に焼き上げ、ふんわりモチモチの本格ナポリピッツァを提供する。また、イタリアンには欠かせないワインもソムリエやバーテンダーのもとで知識を深めるスタッフたちが各料理に最適な1杯を提案するという。ワインのほかにもカクテルも豊富に取りそろえる。住所は、東京都千代田区岩本町3-3-14。営業時間は、月~金曜11時~翌5時(L.O.4時)、土曜11時~23時30分(L.O.23時)。ランチは11時~17時。日曜定休。席数は、15席(スタンディング)。
2015年04月26日2016年の年頭にあたり、NTTデータの代表取締役社長を務める岩本敏男氏は、以下の年頭所感を発表した。新年明けましておめでとうございます。2015年、NTTデータグループは、さらなる成長に向けてGlobal 2nd Stageに向けた取り組みを進めました。その中で、米国金融ITコンサルティング企業「Carlisle & Gallagher Consulting Group, Inc.」や、マレーシアにおけるEC決済代行事業の最大シェアを持つ「iPay88 Sdn. Bhd」などをNTTデータグループの仲間として新たに迎え、今後さらなる成長が見込まれる分野や地域でのプレゼンスの拡大に向けて挑戦を続けました。これら取り組みにより、世界42カ国へカバレッジを拡大し、グローバルで80,000人に上る体制となりました。また、中国科学院ソフトウェア研究所とともに行っている交通渋滞緩和に関する共同研究や、衛星画像を活用した世界最高精度の「AW3D全世界デジタル 3D地形データサービス」など、世界を舞台に日本の技術を活用した取り組みが進められた一年でもありました。一方、日本においては、一部の先端的な企業を中心に「攻めのIT投資」が芽吹き始めており、流通、小売業を中心としたオムニチャネル戦略や、あらゆる業種においてビッグデータやIoT(Internet of Things)、ロボットやAI(人工知能)の活用などが注目されました。2016年は、このような戦略的IT投資に向けた動きがさらに加速していくと見込まれます。また、2016年はマイナンバー制度や電力小売り自由化の開始など、社会の仕組みに大きな変化が起こる一年です。これらの変化にIT技術は必要不可欠であり、創業以来長きにわたって日本の社会インフラをITの面から支えてきたNTTデータとして、これを事業成長の機会と捉えて、事業を通じて社会の変革と成長に貢献していきたいと考えています。NTTデータにとって、2016 年は現在の中期経営計画の総仕上げと、新たな中期経営計画の始まりとなる重要な一年でもあります。一年前倒して達成することができた「売上高1.5兆円」とともに、「EPS200円」という利益面での目標も確実なものとしていきながら、さらなるビジネスの拡大に向けた積極的なチャレンジを続けていきたいと考えています。企業や社会の成長にITが必要不可欠となったいま、年々進化を続ける技術の進展をいち早く捉え、ITサービスの形として世の中に提案、提供していくことこそ、『情報技術で新しい「しくみ」や「価値」を創造し、より豊かで調和のとれた社会の実現に貢献すること』を企業理念とする、私たちNTTデータの使命であると考えています。NTTデータグループは、2016年も、日本の、そして世界のビジネスパートナーとして、社会、お客さまの発展に貢献していきます。
2015年01月04日金融政策を巡っては、政府や政党の要人が日銀に圧力をかけるような発言をすることも多く、メディア側も日銀がそれに従うべきだとの論調が目立ちます。この連載で岩本沙弓氏は、「不況は日銀の無策の責任」とする「日銀悪玉論」に疑問を呈する論考を一貫して示してきました。前回の連載第20回でも、「日銀が量的緩和をしただけでは問題の解決にはならない」ということをあらてめて強調しています。こうした岩本氏の見解は、当媒体の読者の方々の関心も高いようで、前回は掲載当日だけでなく、その後も継続的にアクセスを集める結果となっており、またこの事は、日銀の緩和策について読者の方々の注目度が高いことも表しています。前回に続く今回の第21回では、日銀の供給した資金を”間接的”に民間に流すための方法としての「公共事業」について触れるとともに、この方法もとられないようであれば、日銀が緩和をしても資金が海外に流れるだけではないかとの懸念を示しています(マイナビニュース編集部)。前回、日銀が量的緩和をしただけでは、問題の解決にはならない、日銀を問題の隠れ蓑にしてはいけない、というお話をいたしました。今回は前回スペースの関係で書けなかった続きの部分になります。日銀が資金を供給できるのは金融機関に対してのみ、民間には直接資金は渡せないのだ、というのは既に触れた通りです。供給された資金が民間に行き渡るためには金融機関が資金の貸し出しを企業などに行わなければならいわけですが、この流れについては、金融機関から企業に資金がダイレクトに渡るという意味で、「直接的な方法」としましょう。それとは別に実はもう1つ民間に資金を流すのには「間接的な方法」があります。それは金融機関が日本政府の発行する国債を購入することで、その効果が期待されるものです。具体的にいうと、金融機関があり余った資金を使って国債を購入すれば、購入した代金は政府に流れていきます。そうして流れていった資金を使って、政府が公共事業などを民間に発注してくれれば、民間へとお金は流れることになります。政府が間に入りますので、間接的としましたが、昨年は東日本大震災がありました。まだ震災の爪痕が残るような被災地の整備をする事業を民間業者に対して政府が発注すれば、政府から民間へと資金が流れることになります。発注された業者は実際の作業のために労働者を確保する、整備のための資材を購入する、資材搬入のための道路の工事をする、細かい話では労働者の宿泊所や食事の提供などまで考えられますから、波及的に政府から事業者を通じて、その先の民間へとお金が流れていくことになります。「間接的な方法」では日銀からの供給→金融機関による国債の購入→政府による公共事業の発注→民間、という流れができます。これでようやく我々の手元に金融緩和の恩恵が生まれることになるのです。前回も触れた通り、これまでの十数年「直接的な方法」については金融機関による積極的な貸出しが期待できなかったために、民間への資金の流れが遮断されてきました。そうすると、残された方法は「間接的な方法」だったわけですが、こちらも「公共事業=無駄使い」のイメージが浸透したために、そして実際に公共事業が手控えられたために、「間接的な方法」も思うように実施されず、有効ではありませんでした。こうなると、いくら日銀が金融緩和をしても国内には資金が行き渡らないのです。年金として配られたとしても先行き不安で預貯金に回され金融機関に再度戻っていく、あるいは日本は財政破綻をするからなどといって海外投資に手を出し、損をするだけということもあったでしょう。これでは国内に資金は回りません。もちろん、誤解をしてほしくないのですが、無駄な公共事業をどんどんやれと言っているわけではありません。ただ、民間に資金を流す方法には2つしかなく、1つ目の手段が有効でない状況では、日銀の金融緩和の効果を狙うためには2つ目の「間接的な方法」に頼らざるを得ないということです。そして、公共事業にしてもかつてのようないわゆる「箱もの」ではなく、被災地支援はもちろんのこと、震災に遭遇した今は日本にとっては再生エネルギーの開発などが最も求められています。また再生エネルギーを溜めるためには蓄電池が必要となりますから、こうした研究開発が早急に進められることも求められます。このような分野へ積極的に政府が資金を投入することが、日銀の緩和の効果を民間に波及させる効果に繋がります。「直接的な方法」、「間接的な方法」ともに採用しないで金融緩和だけを実施するとどうなるか、それは2000年代の経緯からわかります。当時私自身は外資系の金融機関で短期金融市場での取引もしていました。規模の小さな金融機関ではありましたが、日々、何千億円もの資金が銀行の当座預金に積み上がっていました。金利がほとんど0%で、貸出し先もないわけですから、ひたすらブタ積みされたお金を眺めているだけです。そんなある時、その資金を貸しくれとロンドン支店からの注文がきました。ロンドンで使い切れなければ米国にある本店でも使うから、というのです。金融機関が他の金融機関や企業に貸し出す場合には与信枠といって、貸出し相手として相応しいかどうかの査定が必要となりますが、同じ銀行の本支店間であれば与信枠はありません。極端な話、いくらでも東京支店を通じて海外の支店へと貸出しができてしまうのです。その日から数千億円単位の資金は東京支店から海外の支店、本店へと流れていきました。こんな巨額の円資金をいったい何に使うのだろうと不思議に思い、ロンドンの担当者に問い合わせをしたところ、円資金はロンドン支店から海外のヘッジファンドに貸し出されるということでした。ちょうど住宅バブルが盛り上がっていく時期です。実際に各銀行の現場に行って直接みた訳ではないので、断定することはできませんが、多かれ少なかれ、東京に支店を置いている海外の金融機関はこうした取引を実施していたと考えられます。つまり、本来日銀の金融緩和によって潤うはずの日本国内が潤わず、逆に海外の住宅バブルの温床を作り出してしまったということです。私が現状で金融緩和だけを高らかに叫ぶ声に対して危惧しているのは、緩和をすれば今のままでは日本に回らないだけでなく、海外に流れてしまうのではないか、という点です。欧米も金利を引き下げ、ヘッジファンドが活躍できる状況もかつてとは変わってきてはいるものの、今のままでの日銀が緩和をしても”海外バブル→崩壊”という同じ経緯を辿るだけになるのではないか。その間、日本の一般国民は緩和の恩恵をほとんど受けないだけでなく、バブル崩壊後の悪影響だけをもろに受けてしまいます。バブル崩壊後の影響を免れるためにも、中央銀行の緩和政策とその具体的な資金の流れに関しての誤解をなくし、日銀の供給が直接民間にはできないという部分の認識が浸透する必要があるでしょう。更なる緩和を期待するのではなく、緩和された資金が国内にきちんと回るような政策面での充実を国民は訴える必要があると思われます。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月25日