堀井新太、三津谷亮、納谷健が出演する『俳優落語 新年会2021」が1月23日(土)20時30分より、SPWNで配信される。「俳優落語」はワタナベエンターテインメントの若手俳優が落語に挑戦する人気企画。2020年5月の緊急事態宣言中に発足し、これまでに3回開催されている。4回目となる今回は、再びの緊急事態宣言下でも観客にエンタテインメントを届けたいという趣旨で企画された。落語部分は昨年12月開催の第3回公演で披露された堀井新太『親子酒』、三津谷亮『三年目』、納谷健『町内の若い衆』が再配信。一度見たことのある人も楽しめるよう、落語前には「まくら(落語本題に入る前の小噺)」を創作し、生披露するという。また落語配信中は俳優たちも一緒に観覧する。どんな表情で落語を観ているかも楽しめるということで、こちらも期待だ。配信後半には堀井、三津谷、納谷によるソーシャルディスタンスを保った企画も?この機会にぜひ参加して、コメントでも企画を盛り上げてほしい。出演俳優のコメントは以下。<堀井新太・コメント>皆さん明けましておめでとうございます。急遽、俳優落語の新年会をやることになりました!少しでもおうち時間を楽しめるよう、企画も考えていますので、是非ご参加ください。お待ちしております!<三津谷亮・コメント>新年最初の落語が早くも1月に開催決定です☆緊急事態宣言を受け、新作での配信ではなく前回配信した作品ですが、2021年の落語はじめを僕たちの俳優落語で体験してもらえたら嬉しいなぁ~ちょっと追加企画もあるかも?ということでお楽しみにね♪<納谷健・コメント>俳優落語で新年会!!外出自粛要請を受け、また次へのバトンとなるように、前回の勢いを引っ提げて、盛り上がっていきます!心新たに両手を広げて羽ばたける一年になりますように^_^公式ホームページ: ■配信情報「俳優落語新年会2021」1月23日(土)20時30分より配信出演:堀井新太、三津谷亮、納谷健配信プラットフォーム:SPWNチケット:2000円(税込)※別途手数料220円がかかります。配信をご覧になるにはチケットのご購入が必要です。購入: ※投げ銭機能あり。
2021年01月15日遊び心に感動「面白いし、楽しいです」と我が家について語るのは藤川家の奥さん。雑誌を見ていて納谷新さん設計の家に目がとまったという。「どこか不思議な感じがあって、どちらの方角にも空が見えて、リビングには大きな窓がある。さらに、地中にもぐっているスペースもあって、それで、ぜひ見てみたいと思って」その家は以前このサイトでも紹介した納谷さんの自邸だった(2014年09月22日の記事「すべての空間を居心地よく、楽しくしたかった」)。建築家への設計依頼を考えていた夫妻はさっそく見学にうかがうことに。「主人が気に入ったのは屋上緑化で、サッカーやフットサルが好きな人なので、屋上一面にはられた芝生を見て感動していました。わたしも“こんなことできるんだ”ってその遊び心に感動して。材料の選択とか、構造をそのまま見せているところも良くて、 “ここはこうしてほしい”とか細かいことを言わなくてもわたしが好きなテイストでつくっていただけるだろうと思って設計をお願いしました」ダイニングとキッチンのあるレベルから見る。右手の吹き抜け部分にリビングがある。居場所をたくさんつくる設計に際しては、「楽しい家にしたい」という希望とともに、納谷邸のようにいろいろな居場所をつくってほしいとも伝えた。「納谷邸で階段の途中に中2階のような場所があって、一方にはキャンプの道具が置いてありもう一方は畳になっているんですね。その畳のスペースで奥さんが洗濯物をたたんだりしているそうなんですが、“気分転換にその端に腰かけて脚をぶらんと下げて外の景色を見たりもしています”って聞いて、“あ、すごくいいな”と思って」「わたしは以前山登りをしていたんですが、山だったらどこに腰かけてもいい。それに近い感じがあってどこに座ってもいいというのがいいと思ったし、面白い居場所がいろいろとあるのもいいなと」リビングから見る。奥さんの希望で大きな開口がつくられた。天井には奥さんが好きという木製の梁がリビングからキッチンまで整然と並ぶ。キッチンからデッキと中庭を見る。ダイニングからキッチンを見る。大きな開口を通して畳のスペースのある棟を見る。半地下+分棟式に納谷さんにはさらに具体的に納谷邸で気にいった点をいくつか伝えたが、設計では前提として特殊な敷地条件を考慮する必要があった。敷地は藤川さんの実家が購入したものだったが、長い間空き地の状態で、周囲の住宅の中庭のような存在になっていたという。そこで、高さにおいてもボリューム感においても周囲に対して圧迫感を与えない立ち方になるように、1層目を半分地下に埋めて2層目を分棟することに。さらに吹抜けもつくり、藤川邸の最大の特徴といえる屋根の部分も緑化する予定で設計がスタートした。斜めに張られたデッキの上から見る。正面の棟には上階にダイニングとキッチン、下階に寝室、その途中のレベルにリビングが設けられている。右のデッキの上に張られた人工芝の上で朝食やランチを食べることもあるという。ダイニングに設けられた扉の前から見る。右手の畳のあるスペースの前を通ってぐるりとデッキの上をめぐるとキッチン近くにまで達する。屋上にデッキを張る「うちの主人が納谷邸の屋上緑化をすごく気に入ったので、屋上は緑化する計画だったんですが、予算的にも難しいことからあきらめてデッキにしようと。デッキにすれば出てすぐその上で遊べるし、ダイニングともつながっているのもなんかちょっとうれしいなと」藤川さんと娘さんは日曜日などにデッキのいちばん高い部分に敷いた人工芝の上で朝ごはんやランチを食べて過ごすこともあるという。「キッチンから出てぱっと食事を渡すことができるし回収も楽なので、あそこはけっこう活用していますね。あの人工芝は緑化をやめたのでそれにかわる面白いものが何かほしいねって話をしていたときに納谷さんに勧められたんです」デッキには正面のダイニングとキッチン部分に設けられた扉からだけでなく、左手の畳のスペースからも出入りすることができる。巣穴と畳の部屋納谷邸と同様に下階は地面を掘り下げてつくった。「納谷さんの家よりももぐっている感があるので、巣穴みたいな感じがするんですね。よく寝室の窓からから中庭にウサギを出して遊ばせるんですが、そのときに動物の巣穴ってこんな感じなのかなあと」リビングから半地下のスペースを経て階段を上がるとデッキと同じレベルに畳のスペースが設けられている。「ふだんはそんなには行かないんですが、娘の友だちが来たら必ず開放しています。デッキから行ったりいったん下に降りてから階段で上がったりとすごく楽しそうに遊び回っています。大人の方が来たらぜひあそこに泊ってもらいたいとも思っていて、とても使い勝手のあるいい部屋だなと思っています」右側と正面のデッキの高さは庭から150㎝。寝室の窓を開けて中庭を見る。寝室から見る。この窓から飼っているウサギを中庭に出して遊ばせるという。子ども部屋から畳のスペースに上る階段を見る。畳のスペースの下にあるスタディルームと左に中庭。畳のスペースに上る階段近くからリビングの方向を見る。畳のあるスペースにはいったん半地下のスペースに下ってからまた上がる。畳のスペースからもデッキへと直接出ることができる。天井はぐっと低くしており、梁まで130~147cm。子どもたちは階段から上ったりデッキから入ってきたりとこのスペースを秘密基地のような感覚で楽しんでいるという。奥さんが一番気持ちがいいといってあげてくれたのはダイニングとリビングだった。「ダイニングの椅子に座っていることが多いんですが、庭の緑を目に入れながら生活できるのがすごくいいですね。疲れたときにリビングに大の字になって寝ることがあるんですが、見上げたときに天井の構造(梁)が目に気持ち良くて、その時もこの家に住んで良かったなって」娘さんに思いきりこの家を楽しんでもらいたいと話す奥さん、自身もこの家をとても楽しんでいるように見えた。外壁のエンジ色は緑と補色関係にあることと、いずれデッキが退色してグレーになることを見越して決められた。敷地は四方を住宅に囲まれた旗竿敷地。当初は右側のほうへと寄せて建てる予定だったが、それだと実家の窓をふさいでしまうため左側へと移動した。それによって、窓を通して実家とのやり取りが容易にできるようになったという。藤川邸設計納谷建築設計事務所所在地東京都杉並区構造木造規模地上2階延床面積125.55㎡
2019年06月12日建築家の納谷学さん、納谷新さんの実家について、子ども時代の思い出から、今だから話せるエピソード、実家を巣立つときの心境などをざっくばらんにお話を伺いました。納谷学さん、納谷新さん兄弟は、1993年から共同で建築設計事務所を設立。さまざまな設計するなか、2004年に2人で実家を設計・建築した。そんな彼らにとっての実家とはどのようなものなのでしょうか?納谷ブラザーズの2人にとって実家とは?A. 15分だけでも、やはり帰る場所(学さん)家族それぞれが持つ精神的な存在(新さん)建築業界でも、兄弟でユニットを組む「納谷ブラザース」は稀有な存在です。斬新な作品を発表し続ける2人は、13年前、故郷で両親が住む「実家」を設計しました。以下の写真は、『住まいの設計』2007年3月号でも掲載した納谷兄弟が設計した秋田県能代市の実家。『住まいの設計』2007年3月号「日本海側の冬は寒くて暗いので、とにかく防寒と採光に配慮した」(学さん)という実家は、完全バリアフリーで高齢者向けの工夫が凝らされています。また2階は、窓が四周を帯状に巡り、冬でも 十分に光が入るようにも。両親は「年寄りのための家だ」と満足してくれているとか。そんな新しい実家と少年時代まで兄弟が暮らした実家についての思いを2人に聞きました。(新さん)「実家は本家だったので、人が多かったですね。嫁入り前の叔母2人、祖父母、それに一時は父の兄の家族も一緒に暮らしていたりで、人が多いぶん、思い出もたくさんあります」(学さん)「子どもの頃2階がにぎやかなので上がってみると叔母が角隠しの姿だったのを覚えてます。昔は、家からお嫁に行きましたから」家の前で待つ母親が、実家のイメージ納谷さんの実家は、雪国・秋田の能代市。田舎だからか、よく遊んだのは家の中ではなく、もっぱら外だったという。(新さん)「海や港、線路で遊んだり、虫捕りもよくしました」(学さん)「海は遠かったけど、近所の小学生のお兄ちゃんが行くというので、保育園児の僕は三輪車でついていったら、置いてけぼりに……。たどり着いた海には知り合いが誰もおらず、仕方なく引き返すと、どんどん日が落ちて、べそをかきながら必死にペダルを漕いだなぁ。心配した母が家の前で待っているのを見て、大泣きしましたよ(苦笑)。この原体験で、実家は帰ってくる場所というイメージが植え付けられました(笑)」濃密な思い出が多い実家だが、納谷さん兄弟は実家をどう捉えているのでしょう(学さん)「今は、ちゃんと実家に帰るのは年1回くらい。なるべく秋田の仕事をつくって、15分だけ実家に顔を出して、東京にとんぼ返りということも(苦笑)。それでも、やっぱり実家は帰る場所なんですよ」(新さん)「昨年、就職してひとり暮らしを始めた娘から“年末に帰る”と言われて、僕の家も“実家”なんだと気づきました(笑)。実家って、家族それぞれが持つ精神的な存在なんでしょうね」pfofile納谷 学(写真左)/ 1961年、秋田県生まれ。’85年、芝浦工業大学卒業。黒川雅之建築設計事務所、野沢正光建築工房を経て、’93年、弟の新さんと共同で納谷建築設計事務所を設立する。納谷 新/1966年、秋田県生まれ。’91年、芝浦工業大学卒業。山本顕設計工場を経て、’93年、納谷建築設計事務所を設立。昭和女子大学、東海大学非常勤講師photo koji yamada
2018年09月23日