平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)新皇后となられるまであと2カ月。雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
2019年03月01日高橋一生が主演する<“あえて結婚しない”男子=AK男子>たちを描くドラマ「東京独身男子」に、仲里依紗、高橋メアリージュン、桜井ユキと、“AK男子の前に立ちはだかる”女性キャストが決定した。主演の高橋さんがメガバンク勤務の石橋太郎役、斎藤工がバツイチの審美歯科クリニック院長・三好玲也役、滝藤賢一が大手弁護士事務所のボス弁・岩倉和彦役と、仕事も私生活も充実、何でも1人で事足りてしまう“AK男子”に扮する本作。人並み以上の容姿を持ち、スペックも高く、気の合う仲間とつるみながら独身ライフを謳歌していた3人だったが、あるときを境に、結婚を猛烈に意識する事態に…。しかし、その先に待っていたのはとんでもない“難婚ワールド”だった…というストーリー。理想の結婚を求め、七転八倒する本作にさらなる波乱を呼びこむのが、今回発表された3人の女性キャストたち。■仲里依紗、AK男子たちに辛辣な意見を叩きつける!「ホリデイラブ」では、浮気される正妻=“サレ妻”を演じ話題となった仲さんが今作で演じるのは、玲也(斎藤さん)の妹で、兄の審美歯科を取り仕切る影の立役者の三好かずな。プライベートでは夢見がちな3人のAK男子たちに辛辣な意見を叩きつける貴重な存在である一方、実は高橋さん演じる太郎に昔から密かな想いを寄せているという役どころだ。今回演じるかずなについて「何でもはっきり言うタイプ」と説明する仲さんは、「私は、ズバッとものを言う役が今まで多かったので、そういう性格だと思われがちですが、本当は違うんです。言うべきことを言えず、うやむやにしてしまう。だからかずなみたいな人は憧れです!」とコメント。共演するAK男子役の俳優陣たちについては「高橋さんはお会いしたことがないので勝手な印象ですが…フランスとか、似合いそうな雰囲気がある。斎藤さんもお会いしたことがないんですが、ミステリアスですよね。二人ともおしゃれなイメージです。滝藤さんは何度か共演させて頂きました。一度、ロケ現場までおしゃれな電動自転車に乗っていらしたことがあって!そのとき、なんだか“良いお父さん”というイメージを抱きました。でも今回の役は独身だし、今までとは全然違うタイプなので楽しみです!」とそれぞれ印象を語っている。■太郎の元恋人役に高橋メアリージュン「やる気に満ちています」『闇金ウシジマくん』シリーズや「東京アリス」「サバイバル・ウェディング」などに出演、モデルで女優の高橋さんは、太郎の元恋人・竹嶋舞衣役に決定。舞衣は旅行会社に勤務しており、3年前にロンドンへと旅立ったのを機に破局。しかし、帰国して太郎と再会したことで、彼の恋心に再び火をつけることになる。台本を読み、すごく面白いと感じたという高橋さんは「この役は自分にとって、今までにない新たなチャレンジになる」と言い、「舞衣は、明るいイメージを放ちながらも、どこか儚さを感じさせる女性なんです。その儚さみたいものが出せたらいいですし、是非とも表現していきたいと思っています。今まで私は、すごく気の強い女性の役をやることが多かったんです。でも今回はじめて、柔らかい印象のいわゆる女性らしい役を頂きました。今までは常にプンプンしている役ばっかりで(笑)、こういう女性を演じる機会がなかったから、とても嬉しいです!」と新たな役どころに意欲を示す。また、「テレビ朝日の連続ドラマにメインキャストとして出演するのも初めてなので、やる気に満ちています。他の5人の魅力的な役者さんとの共演にも、クランクイン前からわくわくしていて、本当に楽しみしかないですね!」と撮影が待ち遠しいと話している。■桜井ユキ、やり手弁護士役に!そして、『娼年』『50回目のファーストキス』『スマホを落としただけなのに』など、話題作への出演が続く桜井さんが演じるのは、岩倉の事務所に所属するやり手弁護士・日比野透子。職場では切れ味鋭く働く一方、プライベートではその奔放な言動でAK男子たちを圧倒していく。AK男子について「仕事柄こういう男性は周りに多いので“そんな訳ない”という感覚はなかった」と言い、親近感を覚えたという桜井さん。3人共面識があるという男性キャストたちについては「高橋さんの第一印象はとにかくよくお話してくださる方でした。すごく知識豊富な方で、何を聞いても必ず答えが返ってくるんです」「滝藤さんは、演じる時の切り替えがすごいんです。オンオフがお見事」「斎藤さんは、三人の中ではいちばん“少年具合が高い”です、もちろん良い意味で(笑)」とそれぞれについて明かし、「ちゃんと皆さんの一部になれるように頑張りたいです!」と本作にかける意気込みを語っている。土曜ナイトドラマ「東京独身男子」は4月、毎週土曜日23時15分~テレビ朝日系にて放送予定。(cinemacafe.net)
2019年03月01日《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。「さらに安倍政権は、5~6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と皇太子さまに苦言を呈された。それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。お代替わり前の会見は、この1回きりだ。“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
2019年01月24日12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。お代替わりが近づくにつれて“新皇后”への期待が高まるなか、雅子さまを勇気づけているのが愛子さまのご成長だ。学習院女子高等科への入学直後には学校をお休みになることも多かった愛子さまだが、最近は活発なご様子が伝わってくる。11月の文化祭ではダンスも披露。ベラ・ソーンの『Call it whatever』とアヴリル・ラヴィーンの『What the hell』の2曲を踊られたという。「ダンス公演は観客が殺到して会場がパニックになるほどでした。そういった人気もさることながら、愛子さまの“人間性”も尊敬を集めています。中等科の卒業文集では『世界の平和を願って』という感動的な作文を書かれています。愛子さまは、戦地への“慰霊の旅”を続けられた天皇陛下や美智子さまのお考えも、しっかり学ばれているのだと思います」(学習院関係者)愛子さまは12月1日に17歳の誕生日を迎えられた。するとTwitter上でも《聡明な愛子さまに継がれてほしい》《早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい》といったツイートが。愛子さまに“待望論”が浮上しているのだ。このまま“男系男子”が維持されれば、秋篠宮さま、そして悠仁さまが将来の天皇になられる。それでも高まる“愛子さまを天皇に”の声。ただ、雅子さまは文書の中でこう述べられた。《私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産になるのではないかと思います》高校時代の雅子さまは、アイスホッケーの大ファンでご友人と観戦に通われていた。高校2年生でアメリカ・ボストン郊外の高校に転校されるとソフトボール部で大活躍。現地の新聞の一面に名前が載ったこともあった。「お言葉には、皇族として著しく成長されている愛子さまにも、ご自身と同じように“普通の高校生としての経験”をしてほしいという切実な思いが感じられます。眞子さまの件もあり、女性皇族の結婚のハードルはただでさえ上がっています。雅子さま自身も“お妃候補”として世間に取り沙汰されて悩まれた経験をお持ちです。愛子さまには1人の女性として、落ち着いて愛を育んでほしいと心の奥で望んでいらっしゃるでしょう」(宮内庁関係者)雅子さまは、母の戸惑いを隠されて、皇后へのご準備を続けられる。
2018年12月14日11月16日、秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。雅子さまは15年ぶりに園遊会全行程へ出席された。雅子さまがひときわ熱心に話されたのが、パラノルディックスキーの新田佳浩選手(38)と妻、知紗子さん(41)だった。新田選手は平昌パラリンピックのクロスカントリースキーで金と銀の2つのメダルを獲得している。’14年のソチ大会でメダルを獲得できなかった新田選手は、国内外に遠征する日々を続けた。その結果、家に戻るのは1年の3分の1だけになった。妻の知紗子さんは寂しがる長男、大翔くん(7)と次男の健翔くん(5)がかわいそうで泣くことも多かったという。しかし夫の固い意志を尊重し、夫が家族と交わした金メダルの約束を信じて家庭を支え続けてきた。雅子さまはその事情をご存じだったようで、新田選手夫妻に「メダルを取ったときに、(新田選手が)お子さまたち2人を抱きかかえていらっしゃいましたね」と、ほほ笑みながらお声がけされた。知紗子さんについては、「ご家族のサポート大変でしたね」と労われた。そのお言葉に、知紗子さんは「主人にとって家が帰ってきたい場所であるように、ただそれだけを務めさせていただきました」と答えた。すると雅子さまは、感心するようなご表情でおっしゃったのだ。「そうですね。それが一番ですよね」知紗子さんの“家庭を支える姿”に雅子さまは深く共感されたのではないかと、このご交流を知った前出の宮内庁関係者は語る。「雅子さまは今まさに“新皇后スタイル”を模索されています。お代替わりが近づくにつれて“新皇后が第一にすべきは天皇の妻として皇室を支えること”という思いが日に日に強まっているのではないでしょうか。かつてキャリアウーマン出身の皇太子妃として注目された雅子さまのイメージからは意外に思えます。外交官のキャリアを活かし、世界の貧困問題に取り組みたいお気持ちも変わっていないはずです。しかし今は、皇太子さまも願われる家庭の幸福こそが人と人とのつながりの基礎となり、ひいては平和の礎となるとお考えになられているのでしょう」美智子さまは常に陛下に付き添い、さらに皇后単独のお出ましも増やされて“平成流”を進められた。雅子さまは次の時代の皇后として、美智子さまと違うスタイルを模索されているのだ。皇室担当記者もこう考える。「雅子さまは園遊会直前に、1泊2日の山形ご訪問を見送られました。園遊会のために体調を整えられる必要があったのです。つまり、ご快復著しい雅子さまですが、依然としてご公務の“取捨選択”が必要な状況なのです。お代替わりはもう半年後。皇太子さまのサポートが最優先だとお考えになられたのでしょう」来年は即位の儀式などで、皇太子さまにとって多忙極まりない1年になることは間違いない。まずは新天皇をお支えすることから始めたい――。それこそが、新皇后となられる雅子さまの決意なのだ。
2018年11月14日「母国で開催される東京パラリンピックですし、活躍を楽しみにしています」雅子さまが、平昌パラリンピックのスノーボード金メダリストの成田緑夢選手(24)に、はつらつとした笑顔で話しかけられた。走り高跳びで東京での出場も目指している成田選手はこう語った。「お体を心配していたのですが、雅子さまはとても覇気のある話し方でいらっしゃいました。本当に元気が出ました。頑張ります!」11月9日、天皇皇后両陛下主催による秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。平成最後となった園遊会はあいにくの雨模様だったが、その雨が相合い傘で歩かれる両陛下の仲むつまじさを際立たせた。そして両陛下の有終を飾る大きなサプライズが、雅子さまの園遊会全行程へのご出席だった。これは実に15年ぶりのことだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは感慨深げに話す。「雅子さまは、明るい黄色のお召し物に負けないくらい、とてもお元気そうなご表情でした。来年の園遊会はお代替わりの行事が多いので、春・秋とも行われない予定ですが、再来年からは雅子さまご自身が園遊会の主催者になられます。お手本になる美智子さまのお姿もしっかりとご覧になったはずです。皇后になられてからも、今回と同じように立派にお務めになるでしょう」雅子さまが和服をお召しになっていたことが、さらに驚きだったと言うのは皇室担当記者。「雅子さまは適応障害になられてから、和服でのお出ましを非常に苦手にされています。所作にも気を遣う必要があり、緊張をさらに高めてしまうからです。雨で足元も悪いコースを和服で歩かれながら招待者と歓談されるのは、決して楽なことではなかったと思います。それでも雅子さまは見事にまっとうされました」今回、和服でのご出席となった背景を宮内庁関係者が明かす。「平成最後の園遊会は和服にしますと、美智子さまが女性の皇族方に連絡されたそうです。雅子さまはそのお気持ちをお察しになって、美智子さまの花道を飾るために、最後まで笑顔で頑張られたのです」和服をお召しになって15年ぶりの“フル出席”。そこには雅子さまの奮起があった――。
2018年11月14日水谷雅子の新刊が間もなく発売へ2018年11月22日、双葉社から、『水谷雅子Beauty Book』が発売される。50歳を迎えた美魔女 水谷雅子が、老けて見えないメイク術やスキンケアのポイントなどを明かす。イメージ写真が豊富で、読みやすい1冊となっている。いつまでも若々しく、美しくあり続けたいと願う、全ての女性にオススメだ。水谷雅子は、オフィシャルブログの中で、同書への思いを次のように綴っている。50歳の記念になる本に仕上がりました。美に諦めがちな方も是非!自分にスイッチを入れて頂きたいです!(水谷雅子オフィシャルブログより)販売価格は1,620円。Amazon.co.jpなどで予約を受け付けている。50歳を迎えても美しい 水谷雅子水谷雅子は1968年9月15日生まれ。愛知県出身。身長は162cm、体重は47kg。「20代に見える40代」として、日本だけでなくアジアでも話題に。43歳のときに初出版をして、今年で50歳を迎える。趣味には、 オリジナル小物作り、美容&コスメ、ネイルなどを挙げる。『自宅で簡単セルフビューティー 水谷式頭皮エステ』、『食材で作るジャムウ式若肌フェイスパック』など著書多数。『水谷式ビューティーメソッド』と『水谷式仙人体操』のDVDも出版している。(画像は水谷雅子オフィシャルブログより)【参考】※水谷雅子オフィシャルブログ※水谷雅子オフィシャルサイト※Amazon.co.jp
2018年11月11日元AKB48の高橋みなみがパーソナリティーを務めるTOKYO FMのラジオ番組『高橋みなみのこれから、何する?』(毎週月~木曜13:00~14:55)。15日から18日の放送では、高橋がさまざまなゲストを迎える。15日は槇原敬之が登場し、槇原が自身の経験から、 リスナーからの悩み相談に答えていく。16日は『NEWS ZERO』の元キャスター・村尾信尚を迎え、ニュースを伝える発信力、 コメント力を高橋が学ぶ。17日には阿川佐和子がゲストとして登場し、数多くのインタビューを行ってきた阿川に、高橋が相づちの仕方や聞きにくい話の引き出し方を学ぶ。そして18日は社会学者の古市憲寿が、 リスナーの仕事の悩み、 恋愛の悩み、 人付き合いの悩みに答える。さらに、 竹内まりやからの『高橋みなみの「これから何する?」』へのコメントも紹介される予定だ。
2018年10月12日雅子さまは、被災者代表の前列で車椅子に座っていた古賀チトセさん(97)の前でしゃがみ、目の高さを揃えて少し話された後、両手でチトセさんの手を包まれた。「冷たいですね。大丈夫ですか?」しばらくすると皇太子さまも、雅子さまの手の上から手を重ねられた。お二人でチトセさんの手を温めながら、2分ほど歓談された。「天にも昇る気持ちで、私は本当に幸福者でした」目を潤ませるチトセさんは、昨年7月の九州北部豪雨の被災者。1泊2日で福岡県を訪問された皇太子ご夫妻は、2日目の9月26日には朝倉市の仮設住宅を訪れ、被災者をお見舞いに。ご夫妻は被災者代表一人ひとりとお話しされて、ご出発の予定を15分オーバーしてもさらにご懇談を続けられた。福岡ご訪問では、新宮町の障害児施設を訪問され、『世界社会科学フォーラム』の開会式とレセプションにもそろってご出席。1泊2日のご予定を完全にこなされた翌日、都内で「国際青年交流会議」の開会式にも出席された。さらに皇室ジャーナリストは、雅子さまの“ご快復”エピソードを明かす。「福岡ご訪問前の21日に、皇太子ご夫妻が訪れた墨田区の高齢者施設『東京清風園』での出来事です。入所者からアルパカのマスコットをプレゼントされた雅子さまが報道陣の前を通るとき、嬉しそうにそれをカメラのほうに向けられたのです。雅子さまは記者たちに『もらっちゃったわ』というような口の動きでほほ笑まれました。カメラに対する苦手意識を強く持っていらっしゃったとは思えないほどリラックスされていて、本来の雅子さまらしい、はつらつさが感じられて、お元気だった頃を思い出して感動してしまうほどでした」雅子さまの長期療養は’03年12月、帯状疱疹で入院されたことに始まる。40歳の誕生日を迎える5日前の出来事だった。適応障害という病名が診断された雅子さまはその後、1年に数回しかお出ましになれない期間が長く続く。「東宮職医師団は、雅子さまのストレス軽減を目的に薬物治療を施しました。その副作用で日中に眠気を催されることも少なくありませんでした。睡眠障害といっても過言ではありません。その影響もあり深夜の散策が日課となった雅子さまは昼夜逆転の生活を送られていた時期もありました。当然起床は遅くなり、皇太子さまとは別々に朝食を摂られることも多かったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)しかし雅子さまはそういった状態から脱却され、快復に向かわれていると、宮内庁関係者が言う。「雅子さまが闘病を始められてから今年12月で丸15年になります。その節目に適応障害とは決別したいという、強い意志を持っていらっしゃるようです。最近は生活リズムも皇太子さまとほとんど変わらなくなりました。以前はご公務よりも私的な外出が多いことに批判の声もあった雅子さまですが、現在は日々の生活から“ご公務ファースト”の姿勢を貫かれているのです。毎年12月9日、雅子さまのお誕生日には東宮職医師団による病状の見解が発表されています。55歳になられる今年は、限りなく完全快復に近い診断書が出されるかもしれません」精神科医で立教大教授の香山リカさんも、雅子さまは「劇的に快復されている」と太鼓判を押す。「ご公務の出席も、雅子さまご自身でしっかりと計画を立てていらっしゃるはずです。お薬に関しても、朝昼夜と定期的に服用される必要はなくなっているでしょう。不安なときに、念のため携行されるのみではないでしょうか。皇后として、ご公務を怠ることなくお務めになるという目標には、かなり近づいていらっしゃるとみていいでしょう。一般の診断書でいえば定時の職場復帰は可能、つまり『復職可能』という段階です。無理は禁物ですが、ご公務ができていることが自信になり、さらに快復が期待できる状況だと思います」15年続いた闘病の日々を忘れさせるような秋晴れの笑顔。これからはもう、曇ることはないはずだ。
2018年10月04日高橋ミカが教えるフェイシャルセルフマッサージ2018年10月27日(土)、NHK文化センター松本教室において、『ゴッドハンド高橋ミカが教えるフェイシャルセルフマッサージ』が開催される。カリスマエステティシャンの高橋ミカが、参加者一人一人の顔を見ながらセルフマッサージのコツを指導。クレンジング、洗顔、マッサージの基礎を分かりやすく解説する。自宅で簡単にできるフェイシャルマッサージをマスターして、スッキリ小顔を目指してみてはいかがだろうか。開催時間は13:30から15:00まで。受講料は会員が6,400円(税込み)、一般が7,000円(税込み)。NHKカルチャーのウェブサイトにて申し込みを受け付けている。問い合わせは、NHK文化センター松本教室(電話番号:0263-35-0220)まで。高橋ミカのプロフィール高橋ミカは大手エステサロンで経験を積んだ後に独立。2004年9月に「ミッシィボーテ」をオープンさせる。高い技術と確かな知識が多くの芸能人や著名人から支持され、ゴッドハンドと評される。著書には、「高橋ミカの日めくりリンパマッサージ」、「高橋ミカ流 毒だしスリムマッサージ」、「高橋ミカの美人の掟」などがある。Instagramのフォロワー数は23,000人を超える。(画像はNHKカルチャーより)【参考】※NHKカルチャー※高橋ミカ Instagram※ミッシィボーテ
2018年09月17日髪をアップにされ、白いスーツをお召しになった雅子さまがお見送りの言葉をかけられると、皇太子さまも晴れやかなご表情をお見せになった。9月7日の朝に出発された皇太子さまは、15日までの日程でフランスを訪問されている。「フランス政府から皇太子ご夫妻に招待があった公式訪問です。4月には、雅子さまも同行されるという報道があり周囲の期待も高まったのですが、実際にはまだ検討段階でした。9日間にわたる長丁場であり、ご滞在中も行事や交流会が目白押しの過密スケジュールということで、最終的に雅子さまのご同行は断念せざるをえなくなりました」(宮内庁関係者)外交官として活躍されていた雅子さまにとって、皇室外交に携わることはご結婚当初からの悲願。それゆえに渡仏断念はつらい決断と思われる。しかし、皇太子さまを見送られる雅子さまのご表情はとても明るかった。「外国への公式訪問ですから、国内の行啓のように行事ごとに出席するか否かを選択するのは難しいのです。すべての行事に出席されるか、ご訪問自体を取りやめるか、二者択一だったわけです。残念ながらすべてをこなすのは難しいと、雅子さまご自身が判断されたと聞いています。9月末には九州北部豪雨の被災地を訪問されるご予定もあり、そちらを優先したいというお気持ちもあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)立教大学教授で精神科医の香山リカさんは、こう話す。「主治医の判断に依存せず、ご自身でご公務への出席を判断されるようになっていらっしゃるならば、かなり回復されているとみてよいと思います」雅子さまの「劇的ご回復」があったからこそ、渡仏断念も前向きに受け止められたはずだと語るのは、皇室ジャーナリスト。「この夏のご静養先では、皇太子ご一家は駅頭の取材だけではなく、須崎御用邸、那須御用邸の中で記者に対応されました。雅子さまは今年6月の銀婚式では会見を見送られるなど、これまでは報道陣の取材に苦手意識を持っていらっしゃいました。それでも2度も積極的に取材対応をされたのは、雅子さまのご体調がよいことの証であると同時に、新皇后への決意の現れにも感じられます」皇太子さまはフランスへのご出発を前にした記者会見で、雅子さまの国際親善への関わり方についてこう述べられた。《外国への訪問だけではなく、賓客の受入れや日本で開催される国際的な行事への出席など、いろいろな形があります》《外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは、必ず役に立つものと思います》前出の皇室ジャーナリストは、皇太子さまの発言に“新皇后”へのビジョンが垣間見えると語る。「皇太子さまが、雅子さまの外交官の経歴をこれほど強調されたことは、今までにありませんでした。このお言葉には、順調に回復されている雅子さまへの大きな期待がこめられていると思います。雅子さまの海外ご訪問が実現するには、まだ時間がかかるかもしれません。だからこそ皇太子さまは、まずは国内のご公務で外交官の経験を生かすことを提案されたのでしょう。雅子さまとおふたりで『新しい皇室外交』を築くことを切望されているのです」皇太子さまの後押しで、雅子さまは焦ることなく、“新皇后外交”への第一歩を踏み出される――。
2018年09月13日元AKB48の高橋みなみが、5月30日に渋谷 TSUTAYA O-EASTで行われた「高橋みなみのこれ何?フェス2018」に出演した。このイベントは、高橋がパーソナリティを務めるラジオ番組『高橋みなみの「これから、何する?」』(TOKYO FM/月曜~木曜13:00~)が開催したもの。イベントのオープニングに登場した高橋は、「みんな若くない?」と客層の若さに驚いた様子。そして「番組スタートからまる2年経ち、3年目に突入しました! そしてたくさんの皆様のおかげでこうやってフェスを開催することができました! ありがとうございます! ぜひ最後までお付き合いください」と感謝の言葉を語った。その後、スペシャルトークゲストの人気YouTuberユニット・カイワレハンマーが登場すると、会場から黄色い歓声が上がり、高橋が「こんなにファンいるの? 私もこんな歓声浴びたことないよ!」と驚く場面も。イベントのトリには、Creepy Nutsが登場。途中水をこぼしてしまうアクシデントも、「イベントの大トリを務めさせていただいているのですが、今私はステージで床を拭いています」と笑いを誘う。そして高橋が「Creepy Nutsでした! ありがとうございました!」と締めくくろうとしたところ、Creepy Nutsは「いやいやこれ誰のフェスですか!まだたかみなさん歌ってないですよ!」と発言し、高橋みなみとコラボで曲を披露する流れに。高橋の楽曲「いつか」を披露した。また同イベントにはこの他にも、Awesome City Club、緑黄色社会、モーリー・ロバートソンなどが出演した。
2018年06月01日「雅子さまは、25年前と変わらずおきれいでした」 5月25日、滋賀県米原市の福祉施設「ふくしあ」で、皇太子ご夫妻をお出迎えした藤原紅美さん(35)が笑顔で話す。ご夫妻が同県を訪問されたのは、26日に長浜市で開催された『全国「みどりの愛護」のつどい』ご臨席のため。雅子さまにとっては、半年ぶりとなる地方ご公務だ。 「お二人はご成婚から2カ月後の’93年8月にも、滋賀県を訪問されています」(皇室担当記者) 実はそのときも、お出迎えしたという藤原さん。当時は10歳の少女だったが、現在は3歳の長女と生後3カ月の長男、2児の母親である。 「雅子さまはスヤスヤと寝ている長男をご覧になって『お体に気を付けてくださいね』と、いたわるように声をかけてくださいました」 「ふくしあ」では、発達支援を受ける子どもたちと交流された皇太子ご夫妻。リハビリに励む子どもが、3歳を迎えたばかりとお聞きになると、雅子さまが「ハッピーバースデー」をお歌いになり、皇太子さまも追いかけられるようにハーモニー。室内がハッピーで、温かい空気に包まれた。 「このあと、皇太子さまお一人で『ヤンマーミュージアム』をご訪問予定だったのですが、雅子さまもご一緒だったので驚きました。雅子さまは今回のご訪問を、ひそかに楽しみにされていたのだと思います。というのも、お二人が新婚当時に訪れた場所のなかでも、滋賀県には特別な思い入れがあるからです」(宮内庁関係者) ’94年1月、雅子さまにとって初めての歌会始で、皇太子ご夫妻はそろって、前年の滋賀県の場面を歌に詠まれている。 皇太子さま《我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖に》 雅子さま《君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る》 25年前、皇太子ご夫妻はご宿泊になったホテルのお部屋から、暮れゆく琵琶湖をご覧になった。今回のご訪問中も、お二人は「琵琶湖が美しかったね」「あの夜、満月がとても綺麗で、心に残っています」と話されていたという。そして、6月9日に迎えられる銀婚式を前に、皇太子ご夫妻は再び琵琶湖を望むホテルにご宿泊されたのだ。 「思い出の湖畔を訪れる“追憶の旅”で、雅子さまは皇室での25年間を振り返られたはずです。その中には、おつらい記憶も少なからずあったでしょう。それでも雅子さまが、2日間ずっと明るいご表情でいらっしゃったのは、まさに“新婚時代のように”前向きなお気持ちで、お代替わりを見据えていらっしゃるからにほかなりません。初日にお召しになっていた純白のパンツスーツが、そういったご心境を象徴しているようでした」(前出・宮内庁関係者) 皇太子さまと寄り添われ、雅子さまは明日へのご決意を胸に“新たなスタート”を誓われたに違いない――。
2018年06月01日美智子さまが、そっと雅子さまの腕をお持ちになって、「来年から、この方が名誉総裁よ」というように、会場に“お披露目”された。最初は驚いたご様子だった雅子さまも、すぐに笑みを浮かべられる。すると、会場には万雷の拍手が巻き起こったーー。 5月18日、明治神宮会館で開催された全国赤十字大会。その式典のフィナーレに起こった出来事である。毎年、大会を取材してきた皇室ジャーナリストも、興奮気味に話す。 「お代替わりに伴う“皇后の引き継ぎ”を象徴するシーンで、非常に感動的でした。常に天皇陛下をお支えすることを第一にお考えの美智子さまですが、唯一、ご自身が名誉総裁職を務められている日本赤十字社の大会だからこその、大胆なサプライズ演出と言ってもいいでしょう」 次期名誉総裁の雅子さまは、長期ご療養に入られた’03年以来、今回が15年ぶりのご出席だった。雅子さまのプレッシャーは非常に大きかったが、雅子さまは皇太子妃として臨まれた最後の日赤大会を、見事に務められた。 そして、妃殿下方が会場からロビーにお出ましになると、またしても“サプライズ”といえる光景がーー。 「順番に実践活動の報告者や関係者にお声がけをされるのですが、美智子さまのあと、雅子さまと紀子さまがお顔を見合わせ、スッと寄り添われて、お2人ご一緒に関係者と懇談され始めたのです。仲の良い実の姉妹のようで、見ているこちらまで胸が温かくなりました」 雅子さまと紀子さまの息の合った“15年ぶりツーショット”が、全国赤十字大会で実現した背景には、ゴールデンウイークに皇太子ご一家と秋篠宮ご一家が一緒に過ごされた御料牧場でのご静養があるというのは、皇室ジャーナリストだ。 「両家でお食事をされ、来年のお代替わりに向けてさまざまなお話をされました。その中で全国赤十字大会についても、毎年出席されてきた紀子さまに、雅子さまが相談されたのでしょう。式典後も、紀子さまは常に雅子の一歩後ろに立たれて、雅子さまの不安を少しでも和らげようと、気遣われているように感じました。雅子さまには、とてもお心強かったと思います」 来年春のお代替わりによって、雅子さまは新皇后に、紀子さまは皇嗣妃になられる。 「ご譲位後のご公務の分担など多くの課題が残っている皇太子家と秋篠宮家ですが、すでに両家の間では、かなり具体的に話し合いが進んでいるように思われます。それらの話し合いの中で、雅子さまと紀子さまに強い信頼関係が生まれたのでしょう。皇后陛下と皇嗣妃殿下、お代替わりでそのお立場には今以上に大きな差が生じます。しかし雅子さまと紀子さまは、『2人で協力して、これからの皇室を支えてきましょうーー』そういった思いで、平成最後の赤十字大会に臨まれたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者) 皇后として、皇嗣妃として……。お2人の役割は違っても、皇室の未来を担うお気持ちはひとつーー。
2018年05月25日雅子さまは5月13日、皇太子さまや愛子さまとともに皇居を訪問された。ご一家は両陛下と、皇居にある紅葉山御養蚕所を訪問し、美智子さまから直接、作業や施設について説明を受けられたという。 5月10日の宮内記者たちへの定例会見で、お代替わり後に、皇居内での養蚕は「美智子さまから雅子さまが引き継がれる」と明らかにされた。皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんはこう評価する。 「雅子さまが自ら継承を申し出られたところに、揺るぎのない“新皇后となられるご自覚”を感じます」 歴代の皇后の手による養蚕は、「日本書紀」にも記述があるほど長い歴史を持つ。1871年に“皇后の仕事”として復活後は、美智子さままで4代、147年にわたって引き継がれてきた。 「すでに国の基幹産業ではなくなった養蚕が、皇后の神事として平成の現在まで継承されているのは、美智子さまの強い思いがあるからです」(皇室担当記者) 愛子さまと悠仁さまのご誕生に際しては、自らお育てになった蚕「小石丸」の絹糸で産着をお仕立てになり、贈られた。また、眞子さまが小学3年生のときには、養蚕についての長い手紙を贈られた。美智子さまは、次世代の皇室にも養蚕を継承してほしいと思われていたはずだ。しかし、次の皇后であり継承者となられるべき雅子さまには、なかなかそのお気持ちをお伝えになることができなかった。 「美智子さまは大きなジレンマがありました。雅子さまに継承してほしいお気持ちと、療養中の雅子さまに無理をさせたくないお気持ちの間で、ずっとお悩みになっていたのです。雅子さまは、そのお気持ちをお察しになって、今年が最後となる美智子さまの養蚕、そしてお代替わりまで1年というタイミングで一念発起、継承を直訴されたのです」(前出・皇室担当記者) 側近を介しての正式な伝達は4月末だったが、雅子さまは美智子さまに、前もって継承の意志をお伝えしていたのでは、と宮内庁関係者は話す。 「その機会があったのは、4月10日、両陛下の結婚記念日の夕食会です。これまでのお気づかいに『ご恩返しを』と考えられ、雅子さまが申し出られたのでしょう。美智子さまは、『無理をせず、できる範囲でいいから』と、雅子さまの背中をやさしく押されたに違いありません」 美智子さまが養蚕に取り組まれるお姿を、じかにご覧になった雅子さま。 「雅子さまが御養蚕所を訪問された5月13日は、母の日でもありました。皇太子ご一家の、美智子さまへ温かなご配慮が感じられます」(前出・皇室担当記者) ずっと願われていた、雅子さまとご一緒の養蚕。美智子さまにとって、なによりの「母の日」のプレゼントになったにちがいない。
2018年05月18日東京都港区の「ホテルオークラ東京」別館に到着された皇太子さまと雅子さまが式典会場に入られると、招待客が万雷の拍手でお迎えした。4月18日、皇太子さまご夫妻は日本とアメリカの交流団体「ジャパン・ソサエティー」の記念式典へご出席に。 「髪をアップにされた雅子さまは、ご表情も明るかったです」(宮内庁関係者) お代替わりを1年後に控える皇太子さまと雅子さまは、6月9日に銀婚式を迎えられる。今年に入ってから記者クラブ「宮内記者会」は、この日に向けて東宮職に、ある強い要望を出しているという。 「結婚25年を記念して、ご夫妻お揃いでの“銀婚式会見”を開いていただきたいという要望です」(宮内庁関係者) 天皇皇后両陛下も、皇太子ご夫妻時代の’84年、銀婚式をお迎えになり、おそろいで会見に臨まれている。 「雅子さまが最後に会見に出席されたのは、長期ご療養に入られる前の’02年12月。それから実に15年半もの間、会見が開かれていません。宮内記者たちにとって銀婚式は、雅子さまの貴重な肉声を取材・報道できる千載一遇のチャンスなのです」 しかし、前出の宮内庁関係者の表情は暗い。 「現時点で、銀婚式の記者会見を実現するのは、非常に難しい気配です。なぜかというと、雅子さまご本人が、会見出席を断固として拒否されているからだそうです」 適応障害の療養に入られる前は雅子さまも、多くの記者会見に臨まれてきた。 「しかし、それが批判的な報道に繋がったこともあり、雅子さまにとっては“トラウマ”というほどの体験だったようなのです」 そう話すのは、ベテランの社会部記者だ。 愛子さまご誕生後の’02年12月、ニュージーランド、オーストラリアご訪問に際しての会見では、ご結婚後8年間お子さまに恵まれず、なかなか海外に出られなかった苦しさをお話しになった。それは、海外生活が長く、外交官を志されていた雅子さまにとっては率直なお気持ちだった。 だが、言葉尻をとらえて「皇室の将来を担う男のお子さまを産むことより、自分の好きな海外訪問のほうが大事なのか」などと筋違いの批判をする記事も散見された。 「雅子さまにとっては、悪夢のような出来事だったでしょう。帯状疱疹を発症し緊急入院されたのは、その1年後、40歳のお誕生日会見の直前でした。適応障害を発症されたのも、会見ご出席の重圧が要因の一つになった可能性があります。それ以来、雅子さまは報道陣との接触を極端に避けられるようになりました。地方でのお出ましでも、集まった記者団の前を車で素通りされることもあり、記者クラブとは一時“冷戦状態”となってしまいました。今回も理由を説明せず銀婚式会見を行わなければ、再びその状態に陥ってしまう可能性もあります」(前出・社会部記者) しかし、適応障害の回復期にある方たちにとって、自分の状況を周りの人たちに説明することは、改善への大事なステップともいわれている。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう話す。 「雅子さまもいずれ、会見で国民に説明される機会は、必要になってくるでしょう。しかし、今は皇后となることが最優先です。それ以前に記者会見で失敗されると、せっかくの回復傾向が逆に悪化に向かう可能性もあります。皇太子妃として、ご自分のお言葉で語られることは大切ですが、新皇后になられてからでも遅くはないと思います」 雅子さまが会見のトラウマを払拭され、自ら語られる日が早く訪れることを願いたいーー。
2018年04月25日「飲むエステ」が新登場人気エステティシャン 高橋ミカがプロデュースする「飲むエステ」が、高橋ミカ公式ミッシーリストにて販売が開始された。エイジング世代をサポートする美容成分(マルチビタミン&ビタミンC、コラーゲン、乳酸菌など)をバランス良く配合。ヨーグルト味で、飲みやすく、続けやすいアイテムとなっている。1箱15包入りで、通常価格は3,200円(税抜き)。お得な3個セットは、10%オフの8,640円(税抜き)で購入することができる。3月31日まで送料無料。送料無料で毎月自宅に届く「毎月お届けコース」は、毎月1回1箱が届いて、1ヶ月あたり2,880円(税抜き)。飲む美容液で、内側から美しさを磨いてみてはいかがだろうか。高橋ミカのプロフィール高橋ミカは、大手エステティックサロンにて経験を積んだ後、27歳で独立。2004年9月に「ミッシィボーテ」をオープンさせ、多くの著名人や芸能人を顧客にもつ。「ミッシィボーテ」を主宰する他、化粧品のプロデュースや、美容講座の講師としても活躍。テレビなどへの出演も多い。著書には「4STEP毒素排出マッサージ」、「高橋ミカの美人の掟」、「毒素排出マッサージ」、「腸美人ダイエット」などがある。(画像は高橋ミカ公式ミッシーリストより)【参考】※高橋ミカ公式ミッシーリスト※高橋ミカ オフィシャルブログ
2018年04月04日雅子さまの妹・節子さん(51)が、夫・渋谷健司氏(52)とひそかに離婚していた。’99年6月の結婚から19年目のことだったという。 現在は東京大学大学院教授で、公衆衛生を専門としている渋谷氏。東京大学医学部を卒業し、ハーバード大学で博士号を取得したという“エリート”で、節子さんとはハーバード大学で出会った。渋谷氏の友人の1人は驚きを隠さない。 「渋谷さんの誕生日は3月上旬です。フェイスブックでお祝いのメッセージを送った友人たちに、彼から写真といっしょにメッセージが送られてきたのですが……」 なんと、写真で渋谷氏に寄り添っているのは“妻”節子さんではなかったのだ。メッセージにはこんな一文も。 《この度Akie Funahashiさんと入籍しました》 前出の友人が続ける。 「突然の再婚報告にも驚きましたが、それよりも“いつの間に節子さんと離婚したのか?”という疑問が、頭の中をグルグル回って……」 取材を進めると、渋谷氏と節子さんが離婚したのは、昨年秋頃であることがわかった。 「渋谷さんのメッセージにあった“Akie Funahashiさん”はフリーアナウンサーの舟橋明恵さん(40)のことです。渋谷さんは2~3年ほど前に舟橋アナのインタビューを受けたそうで、すぐに意気投合したと言っていましたからね。もしかしたら彼女と交際するようになって離婚を決意したのでしょうか……」 節子さんと離婚してから、わずか数カ月後の舟橋アナとの“電撃再婚”。神奈川県内の舟橋アナの実家では、父親が対応してくれた。 「3月の初めごろに娘から電話で『入籍したから』という話は聞きました。うちは初婚ですが、お相手の渋谷さんが再婚だと言っていましたね。そのときに雅子さまの妹さんと結婚していたということも聞きました」 03年に適応障害を発症され、闘病を続けていらっしゃる雅子さま。一時は宮中で孤独を深められていたが、妹たちは貴重な相談相手だった。 「06年の夏休みに雅子さまは、皇太子さまと愛子さまもご一緒に、オランダで静養されました。当時、スイスに滞在中だった渋谷健司さんと節子さんも、ご静養先を訪れています。もちろん節子さんはスイスから日本に帰国してからも、雅子さまのご闘病を支え続けました」(宮内庁関係者) すでに渋谷氏は舟橋アナと東京都内のマンションで新生活を始めている。3月下旬、マンション付近を訪れると、手をつないで歩く2人の姿があった。買い物のための外出だったようだが、帰宅した渋谷氏に離婚について聞いた。 ――昨年に節子さんと離婚したと伺いましたが? 「それはプライベートなことですので……、すみません」 ――離婚の原因は舟橋アナとの交際だったのではないかと考えているご友人もいますが? 「それはないです!それは本当にないです!」 ――離婚のことは雅子さまにもご報告したのでしょうか? 「……失礼します」 “不倫説”については否定した渋谷氏だったが、雅子さまのお名前にハッとしたように無言に戻り、自宅マンションへと入っていった。
2018年04月03日「紀子さまが消沈気味の一方で、雅子さまのご表情には、以前にも増して自信が満ちあふれているというのです」 宮内庁関係者は、皇族方の間でこんな話がささやかれていると明かす。 「紀子さまにとっては、眞子さまの婚約延期、そして思春期を迎えつつある悠仁さまへの影響も心配なのでしょう。対照的に、次期皇后への意気込みも後押ししているのか、雅子さまの“勢いが増している”ご様子なのだそうです」 そんな雅子さまの“笑顔回復”ぶりを、次期皇后をお譲りになる美智子さまも喜んでいらっしゃるだろう。ところが宮中祭祀の大祭「春季皇霊祭・神殿祭の儀」を翌日に控えた3月20日、宮内庁から「皇后陛下のご体調とご日程について」という発表があった。 《皇后さまには今年1月頃から、時におみ脚に強い痛みがあり、日常生活への大きな支障はないものの、お痛みは断続的に続いておられます》 持病のために、祭祀への出席を取りやめられるというのだ。秋分の日の「秋季皇霊祭・神殿祭の儀」へもご出席にならないと、同時に発表された。差し迫った祭祀だけではなく、半年後の秋の祭祀までご欠席を発表――。これが“異例のこと”だと語るのは、祭祀に詳しい神社関係者だ。 「神前で重い装束をお召になり、膝立ちで前後する膝行・膝退が、以前からおつらいとのことでした。そのために祭祀をお控えの時期もありましたが、美智子さまは少しでもよくなられると出席されていたのです。その皇后さまが、早い時期にご欠席を決められたのは、深い理由があるはずです」 美智子さまは1月から脚の痛みに悩まされていらっしゃったというが、実は最近、おひとりで皇太子ご夫妻のもとを訪問されたことがあった。前出の宮内庁関係者が語る。 「2月1日の夜でしたが、美智子さまがおひとりで東宮御所に入られるのはあまりないことです。ご自身がこれからの祭祀に出席されるかどうか、また雅子さまが今後どうされるかなども相談されたのでしょう」 雅子さまは、長期ご療養に入られて以降14年間で、宮中祭祀へのご出席は2回のみ。新皇后となられる雅子さまにとって、宮中祭祀が大きなハードルという見方も根強い。そんな中、異例ともいえる美智子さまのご欠席発表は、雅子さまの「心の重圧」を取り払うことになる――。そう語るのは立教大学教授で精神科医の香山リカさんだ。 「以前の雅子さまは、予定されたお務めにひとつでもできないものがあると、落ち込んでしまわれることが多かった。そうした雅子さまに向けた、『私も、宮中祭祀はもう無理をしません。あなたも無理せずに……』という美智子さまからのメッセージでもあったのでしょう。皇后のお務めも、完璧を求めなくていい――。美智子さまの異例の発表のおかげで、雅子さまもそう考え、さらに前向きになれるはずです」 美智子さまの“愛のフォロー”で、1年後には、はつらつとした新皇后・雅子さまのお姿を見ることができる――。
2018年03月29日女優の高橋ひとみが24日、東京・日比谷のHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEで書籍『高橋ひとみのスタイルブック Hitomi Bon!』(発売中 1,512円税込 主婦の友インフォス刊)の発売記念イベントを行った。書籍『高橋ひとみのスタイルブック Hitomi Bon!』の発売記念イベントを行った高橋ひとみ同書は、女優として活躍している高橋ひとみの初めてとなるスタイルブック。128ページにわたり、高橋のリアルな私服やセルフコーディネートの写真が散りばめられており、高橋の魅力を徹底的に紹介している。同書を作りにあたって「グチャグチャのクローゼットを整理して、編集部に持っていきました。量にしたら2トントラックにダンボール40箱とスーツケースに目一杯。運び出した時は、近所で『とうとう離婚したんだ』と言われるぐらい心配されました(笑)」と苦笑いの高橋だが、初めてのスタイルブックには「本当に自分の? と思うぐらいの出来過ぎで、『毎日こんなの着ているのかしら?』と思うぐらい格好良く撮っていただいたし、昔の寺山修司さんの写真も掲載されていて泣きそうになりましたね。大満足です」と胸を張った。さらに「誰でも真似しやすい感じのお洋服でシンプルなものばかり。皆さんに気軽に着れるものばかりですから、身近に感じてもらえると思います」とアピールした。高橋は2013年11月に一般男性と結婚して、今年で結婚生活5年目を迎える。「なるべく一緒に歩いて見せつけています、仲良く手もつなぎますよ」とラブラブな様子だが、「今は禁酒しなさいと言われていて、この前も3杯飲んで怒られました。飲む人の気持ちが分からないんですよ。お誘いが少なくなっちゃいました」と夫への不満を吐露。「お酒を飲みながら世間の方とお話がしたいじゃないえすか。夫婦だけの会話だけだと狭くなりますし、お誘いがあったら『行っておいで!』と言ってくれたらパーフェクトなんですけどね」と夫に理解を求めていた。
2018年03月25日ワインレッドのドレスにジャケットという艶やかな装いの雅子さまが皇太子さまに寄り添い、会場に登場された。そして皇太子さまの首元には、雅子さまとお揃いのワインレッドのネクタイがーー。 皇太子さまと雅子さまは2月14日、東京都港区のサントリーホールでコンサートを鑑賞された。 「雅子さまのご出席は嬉しいサプライズでした。この日はもともと、皇太子さまがおひとりでお出ましになる予定だったのです。ラトビア出身のバイオリン奏者、ギドン・クレーメル(70)らによる即興を交えた演奏に、皇太子ご夫妻はときおり顔を見合わせながら、笑顔で拍手を送っていらっしゃいました」(皇室担当記者) 世界的バイオリニストの演奏でバレンタインの夜を楽しまれたご様子のおふたりだったが、実は大事な目的があったと語るのは宮内庁関係者。 「このコンサートはバルト三国の独立100周年を記念した催しで、演奏終了後には懇談があったのです。そこには各国の要人が出席しており、雅子さまはエストニアの外務次官、ラトビアの在日大使らと、熱心にお話しされていました。バルト三国は、’07年に天皇皇后両陛下が訪問され、親交を深められた国々。“次期皇后”である雅子さまにとって、このコンサートへの出席は重要な“皇室外交”の一環だったのです」来年5月の皇太子さまの即位が刻々と近づく中、雅子さまは土台作りを進めていると、皇室ジャーナリストは語る。 「2月1日付で、皇太子ご一家を支える東宮女官が1名、増員になりました。大手自動車メーカーで秘書を務めていた森川真理子氏(57)です。この人事は、雅子さまのご公務増加に備えたものとみられています。また2月9日には、ご夫妻揃って鈴木秀生・外務省地球規模課題審議官のご進講を受けられています。雅子さまはかねてから、国際的な環境破壊や人権侵害といった問題に関心を寄せていらっしゃいました。専門家からのご進講は、譲位後にそうした問題に取り組むためのご準備なのでしょう」 譲位に向け動きだされている雅子さま。前出の宮内庁関係者によれば、順調な体調快復が背景にあるという。 「実は昨年の秋ごろから、雅子さまは主治医の大野裕氏(67)とほとんど連絡を取らなくなったのです。’04年6月に主治医となり、雅子さまを適応障害と診断したのも大野医師。以前は頻繁に電話で相談なさっていました。’06年に雅子さまがオランダで静養された際にも同行したほど、“二人三脚”で適応障害の治療してきた大野医師からいわば“卒業”されたわけですが、その決断からは、今後は皇太子さまをもっとお支えしたいという雅子さまの意志も感じられます」 バレンタインデーの“外交ご公務”同伴は、皇太子さまにとって何よりのプレゼントに思えたことだろう。
2018年02月23日今年も高橋一生から目が離せない。最新版の広辞苑にも「朝ドラ」という言葉が掲載されたが、その朝ドラことNHK連続テレビ小説『わろてんか』にも出演中、当初から、ヒロインをはさんだ三角関係における、噛ませ犬的役割を担ってきたが、折り返し地点を過ぎ、いよいよワンチャンの可能性も見えてきたような、見えてこないような状況で、高橋は、映画づくりに燃えながら、何かにつけヒロインを支えてしまう男(伊能栞)を、情感込めて演じている。この栞のモチーフになっている実在の人物のひとりが、『嘘を愛する女』を配給している東宝の創始者・小林一三である。そして、『嘘を愛する女』でも高橋は、またまた、ヒロイン(長澤まさみ)を助けてしまう男(役名:小出桔平)として登場する。キャリアウーマン(プレスシートにはこう書いてある)の川原由加利は、困っているときに手を差し伸べてくれた小出桔平と、あるとき、偶然再会。彼を家に住まわせるようになる。仕事が忙しい彼女のために、桔平はご飯を作るなど、何かとお世話する。いわゆる、"慰めて抱きしめる"ビューネくん(化粧品のCM)みたいな癒やしキャラで、そのうえ、金縁・丸メガネでお医者さん(研究医なのでまだそれほど収入がない)。わたしのうちにもこんな高橋一生がいてほしい~と思って見ていたら、彼が突如、くも膜下出血で意識不明になってしまう。そのせいで、名前も経歴もすべて「嘘」だったことがバレてしまう。小出桔平はいったい何者なのか? 由加利は、桔平の残したヒントに導かれるように、瀬戸内の島々を旅して回る。そこで、知る、衝撃の真実。ババーン! 涙!これが、映画の骨子である。このへんまでは、予告編でも描かれていて、ここから少々ネタバレをするが許してほしい、そうしないと、この映画における高橋一生の凄さが伝えられないからだ。○ベッドで寝ているシーンの多い高橋一生映画の大半は、長澤まさみの、小出桔平(仮名)の真実を探すロードムービー的なもので、高橋一生は、ほとんどベッドで寝ている。むしろ、長澤まさみと捜査旅行をする探偵役の吉田鋼太郎のほうが出演時間が長いのではないかと思えるほどだ。吉田鋼太郎もかっこいい。中江和仁監督は「『殺人の追憶』のソン・ガンホをイメージしたいと吉田さんに伝えました」とプレスシートのインタビューで語っているほどで、ほんとうに大活躍だ。なんということだろうか! 我々は騙されたのだろうか。映画のタイトルが『嘘を愛する女』だけに? と劇場でぎりぎりぎりとなるのは、ちょっと待ってほしい。見た人は共感してもらえると思うのだが、これが不思議と、高橋一生ロスにならない。どんなに寝ていようと、どんなに吉田鋼太郎が熱演しようと、どんなに長澤まさみががんばろう(長澤まさみのやさぐれたキャリアウーマンっぷりもすごくいい)と、この映画は、高橋一生に支配されている(ここ二重線を引いて読んでほしい)。そこが、この映画と高橋一生の凄さであり、とっても企みに満ちた映画だと思う。どれだけ、高橋一生に支配されているか、まだ観るか迷っている人はぜひ、確認してほしい。少なくとも、ヒロインと同じような気持ちで、高橋一生(桔平)が何者であるか、最後まで旅するような気持ちで観ることができる(瀬戸内の風景も素敵です)。○台詞がなくても饒舌さて、高橋一生である。いつも穏やかにうっすら微笑んでいるにもかかわらず、なぜか、憂いが拭えない雰囲気を醸す高橋一生だからこそ、この謎の男が演じられる。今度は、目を閉じてしまったその顔にまで、憂いを含んだ秘密をのぞき見てしまう。監督は、プレスシートで「台詞がなくても表情や雰囲気だけで、何か背負っている陰のある人に見せたかった」と、それが高橋にハマったと語っている。とはいえ、そんなに寝ているばかりなのか? そうでもない。秘密にまつわる、あんなシーン、こんなシーンもあるし、なんといっても、ヒロインとの出会い、家でのイチャイチャなどが、かなりたっぷり描かれている。そこでの、ゆるいトップスの襟からのぞく首筋と鎖骨の窪みは、台詞以上に饒舌であり、秘密を隠している。ちなみに、吉田鋼太郎の助手を演じているDAIGOのロン毛でメガネのオタクのような風貌は、高橋一生が、かつて『池袋ウエストゲートパーク』(00年)に出演していたときを思い出させる。当時は、色もの枠だった彼が今や、恋愛映画の王子様役とは感無量。主題歌の作詞は坂元裕二、歌は松たか子と、高橋の代表作になったドラマ『カルテット』(17年)の脚本家と共演者。やっぱり、『嘘を愛する女』は隅から隅まで、高橋一生色の映画なのである。■著者プロフィール木俣冬文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たちトップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、構成した書籍に『庵野秀明のフタリシバイ』『堤っ』『蜷川幸雄の稽古場から』などがある。最近のテーマは朝ドラと京都のエンタメ。
2018年01月27日《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》 1月12日、皇居宮殿松の間で催された「新年歌会始の儀」で披露された、雅子さまのお歌である。 昨年11月に皇太子さまと一緒に訪問された、宮城県名取市の閖上地区。東日本大震災から6年目の夏、ようやく復興住宅に入居して、新生活を始めた住民と語らったときのことをお詠みになったものだ。宮内庁関係者はこう語る。 「ご療養以来、披露された雅子さまのお歌は、愛子さまをはじめとした“私的なテーマ”が多かったのです。今回は、被災地訪問という“公的なテーマ”でした。来年のお代替わりに向けて“皇后になる覚悟”も伝わってきました」 しかし今回、雅子さまご本人の歌会始へのお出ましはなかった。 「雅子さまは来年、新しい皇后になられる身ですし、久しぶりのご出席となればとりわけ注目を集めるでしょう。歌人としても高く評価される美智子さまの前で、ご自身の歌が読み上げられることに、プレッシャーもあったはずです」(前出・宮内庁関係者) ’19年4月30日に天皇陛下は退位され、皇太子さまが新天皇として即位される5月1日、雅子さまは皇后になられる。 政府も1月9日、一連の儀式のあり方や日程を検討するため、準備委員会を設置し初会合を開いた。昭和から平成へのお代替わりでは『即位礼正殿の儀』『祝賀御列の儀』に続き、その夜から4日間にわたり昼と夜、計7回の宴席『饗宴の儀』が催された。 雅子さまは1月10日に出席された講書始の儀でも、かなり緊張のご様子だった。長時間にわたる宴席、十二単での出席となる『即位礼正殿の儀』は心身ともに大きな負担となる。皇室ジャーナリストが明かす。 「儀式や宴席の一部については、皇太子さまお1人で臨まれることを検討されているようです。今回の『即位の礼』に関しては、陛下も皇太子さまも『できるだけ簡素に』というお考えです。そのご意向には予算削減の意味以上に、雅子さまにご無理をさせないようにというお心遣いがあるのです」 雅子さまが適応障害での療養に入られてから、今年で15年。皇太子さまは《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と’04年5月の会見で訴えられたこともあった。 「この異例の発言にバッシングもありましたが、身を挺して雅子さまをお守りする、皇太子さまはそのお気持ちをずっと胸に秘めていらっしゃいます。お代替わりを前に、皇后のお役目についても検討を続け、“ご公務の大幅削減”さえも視野に入れていらっしゃるようです。具体的にいえば、地方行幸啓でも、皇后は式典に出席しても、視察への同行は減らす、といったことです」 こうした“宮中改革”には、なぜ『皇后陛下は来られないのか』といった批判の声も予想される。 「10年近くの長い期間をかけて、慎重にご公務の取捨選択を行っていく必要もあります。皇太子さまはそれでも、次期天皇の重圧に耐えながらも、雅子さまを守るために悲壮な覚悟を持たれているのです」(前出・皇室ジャーナリスト) 幾度となく《時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と発言されてきた皇太子さま。そのご胸中について、前出の宮内庁関係者はこう語る。 「国民に寄り添うお心は、ご公務の数だけで測れるものではありません。雅子さまがお出ましになれないときも、国民に心を寄せるお2人の強い思いを伝えていく。そういった新しい皇室像の確立は容易ではありませんが、揺るぎない皇太子さまのお気持ちは、やがて国民の理解を得て支持されるはずです」 皇太子さまの雅子さまへの思いが、新しい皇室への道を切り開いていく――。
2018年01月18日12月5日には、皇太子さまと雅子さまは「障害者週間」の障害者支援功労者への表彰式に出席された。かつては苦手とされてきた式典へのご出席にも、雅子さまは、終始落ち着いたご様子で笑顔をお見せになっていた。 募集された「心の輪を広げる体験作文」で、小学生の部で最優秀賞を受賞したのは千葉県我孫子市立湖北台西小学校2年の茅野葵さん。「ゆうちゃんは、生まれつき発育がゆっくりしています。そのため、言葉を上手に話せません」と、障害を持つ4歳の弟を紹介した。 「弟は、かけがえのない家族の一員です。ゆうちゃん、大好きだよ」という朗読に、雅子さまは感極まり、目を潤ませていらっしゃった。雅子さまは、式典後の懇談で葵さんを探されて、話しかけられた。葵さんが言う。 「とてもやさしい顔と声で、『作文を読むのが上手ですね。感動しました』とおっしゃっていただきました」 さらに作文に登場する、悠太くんを見つけられると、その前に膝をつき、同じ目の高さになられて、「元気で健やかに育っていますね」と、話しかけられた。葵さんと悠太くんの父親・強さんがそのときの感動について語る。 「雅子さまのお心は、息子にも伝わったと思います。本当に温かみのある方だと感じました」 ‘17年、お出ましの機会も多く、地方ご訪問は6回を数えた雅子さま。皇室担当記者はこう語る。 「今年のお出かけ先でも、車椅子の方と話すときは膝を折られて話しかけられていました。その姿勢はまさに、美智子さまが陛下に寄り添い体現されてきた“国民とともに生きる”姿勢そのものです。美智子さまの思いを継承したいというお気持ちが、ひしひしと伝わってきました」 しかし皇室ジャーナリストの久能靖さんは、次期皇后に向けて突き進まれる雅子さまを案じているという。 「美智子さまが皇后になられたときも、ささいなことで『昭和の皇室の方針とは違う』と比べられ、少なからぬ批判にさらされました。‘93年には心労がつのり、失声症になられたほどです。今年は雅子さまのお出ましの機会が増え、より重いお立場になられるご覚悟を感じますが、すべてのご公務を美智子さまのように務め上げるのは非常に困難なこと。皇后となられてから、厳しい風当たりがあるのではないかと危惧しています」 ’03年12月に体調を崩された雅子さまは適応障害と診断され、療養を続けられて15年目に入った。雅子さまにある決断が必要だと、宮内庁関係者は語る。 「ご体調については、皇太子さまや東宮医師団が繰り返し説明してきました。しかし、皇后となられる前には、雅子さま自らが国民に対して、ご自身の体調を語り、理解を求めることが必要です。雅子さま自身も、その機会をお求めになっているのです」 精神科医で立教大学教授の香山リカさんも、その選択は大きなプラスになると語る。 「雅子さまにとっても、すごく緊張されることだと思います。それでも、ご自身の状況を周りの人たちに説明することは、適応障害の方の多くが通る道です。美智子さまのようにはできなくても、体調が許す範囲で精一杯、国民のために祈り、お務めを果たしたい――。雅子さまが一度、ご自身の口で語られることで、国民もその思いを受け止めることでしょう」 ‘18年は、皇太子さまと雅子さまが結婚されてから25年を迎える年でもある。 「両陛下も銀婚式を迎えた‘84年、そろって記者会見に臨まれました。来年の皇太子ご夫妻の結婚記念日である6月9日、雅子さまも皇太子さまと会見に臨まれるのではないでしょうか」(宮内庁関係者) はたして銀婚式会見で、ご病状を語られることはおできになるのか。’18年は、雅子さまにとって“次期皇后”への、最大の転機の年になる――。
2017年12月28日59年にわたって皇室をめぐる“愛”の物語を追い続けてきた本誌。ご成婚5年前の雅子さまにも“直撃取材”を敢行している。 ’93年にお輿入れした雅子さま。しかしご決断までには数年を要した。本誌は『小和田雅子さんを特写核心直撃インタビュー』(1399号・’88年2月16日号)で、外務省に出勤途中の雅子さまを取材した。 記者の問いかけに「取材はお断りしています。(お妃候補の話は)私には全く関係ありませんが…」と、お答えになった雅子さま。事実、いったんお妃候補ではなくなっている。皇太子さまと再会を果たされるのは、本誌直撃から4年後の’92年のことだった。 ご婚約後に雅子さまがよくお召しになっていたスカーフを見て「エルメスじゃない?」と、気づいたのは本誌の女性記者だった。『雅子さんのスカーフに秘められていた「愛の言葉」!』(1645号・’93年5月4日号)。 同じスカーフを探し当てると、商品説明として“愛する人へ”と題されたメッセージが。 《潮の流れが一刻も早く私をあなたのもとへ運んでくれますように》 雅子さまの秘めた思いは、皇太子さまにも伝わっていたのだろうか? 皇太子ご夫妻の、那須高原での休日を写真に収めた『雅子さまの「ドライブ日和」』(1836号・’97年5月27日)も大きな反響を呼んだ。 愛車「カローラII」のハンドルを握る雅子さまと助手席の皇太子さま。見るものを幸せにさせる1枚だった――。
2017年12月05日「雅子さまとお話ししていると自然と涙があふれ出てきて『ありがとうございます』という言葉を何度も言ってしまいました。でもいまになって思うのは、もっと“別の話”もすればよかなったなと(笑)」 そう語るのは、今年7月に完成したばかりの復興公営住宅『名取市閖上中央第一団地』に住む三浦りょう子さん(84)。 11月1日、皇太子さまと雅子さまは、東日本大震災の復興状況を視察されるため、宮城県を訪問された。ご到着後、最初に向かわれたのは、東日本大震災によって甚大な津波被害に見舞われた閖上地区。ここで被災者の代表8人と懇談されている。ご懇談中、地元の写真愛好クラブの会長も務めている三浦さんは、皇太子ご夫妻に2枚の写真をお見せした。 「津波に家を流されカメラも全部ダメになったときは本当に泣きました。でも、私がいま再び背筋を伸ばして頑張れているのは、この写真のおかげだとも思っています」 三浦さんの“心の復興”は、そこから始まったのだ。 「写真は団地に越してきてからのもので、団地の6階から撮影しました。9月の十五夜と10月の日の出。ほぼ同じ構図で太陽と満月が太平洋から姿を現した瞬間です。雅子さまは写真を手に『きれいですね』『望遠レンズですか?』と本当に興味深そうな表情で尋ねてくださいました。写真を見つめる雅子さまはとても澄んだ目で素晴らしい女性だと思いました」 一人ひとり丁寧にお声がけされたことで、第一団地のご懇談は15分の予定が、25分と大幅に延びてしまった。皇太子ご夫妻が次に向かったのは、第一団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑。 自宅が流されたという閖上さいかい市場の鮮魚店『菊田水産』の菊田廣子さん(65)は、雅子さまの“ある変化”に気づいていた。 「驚いたのは、第一団地では動きやすいパンツスーツだったのに、慰霊碑の前に立たれた際にはスカート姿だったこと。限られた時間のなかで、わざわざ控え室で着替えられたんですね。厳かな祈りの場にふさわしいお召し物をと。パールのネックレスにお帽子、そして白い手袋まで……」 名取市では964名もの市民が津波の犠牲者となった。慰霊碑の左右に置かれた芳名板には犠牲者の名前が記されている。この日集まった人々の多くが家族や友人を失っていた。皇太子ご夫妻はその悲しみを全身で受け止めるように、ゆっくりと花束を手向け、深々と拝礼されたーー。 このあとご夫妻は、特産のいちご栽培の復興を手がける亘理町の「いちご団地」を視察されている。震災後3回目となった今回の宮城ご訪問。震災3カ月後だった1回目とは、街の状況も、雅子さまの表情も違っていた。皇室担当記者が話す。 「6月4日に仙台空港の近く、岩沼市下野郷の住宅地を訪問されました。家や自動車はすべて津波に流され、瓦礫だけが広がっていて、あのときの雅子さまの硬直されたままの表情は忘れられません。しかし、今回はまったくその印象が変わりました。被災地の人々の悲しみに寄り添う“優しい瞳”に、みなさんを勇気づける“笑顔”と、本当に表情豊かに接しておられました」 天皇陛下のご退位を前に、雅子さまが“皇后の重み”をいっそう感じ入られていると宮内庁関係者は言う。 「陛下のご退位後は、これまでのような被災地訪問はされないと思います。それは、こうした公務は、新しい天皇、皇后任せたいというお考えを持っていらっしゃるからです。東日本大震災の被害は甚大で、福島の原発汚染でいまだ立ち入りできない地域もあります。バトンを引き継がれた皇太子さまと雅子さまは、長い長い復興の道のりを見守ることになるのです」 皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんは言う。 「慰霊の場とふれあいの場で、お召し物を使い分けるお心遣いは見事でした。国民とのふれあいは、皇族方から一歩、国民に歩み寄られるところから始まります。天皇陛下や美智子さまが大切にされた“歩み寄り”のお気持ちを、雅子さまは今回、身を持って示されたのだと思います」 帰りの新幹線に間に合うかと心配されるほど、熱心にご懇談された今回のご訪問。6年たった今も、そして皇后になられてからも被災地への励ましに終わりはないと、雅子さまは体現されていた。
2017年11月08日俳優の高橋克典が25日、都内で行われた「RIZAP GOLF×高橋克典 スコア100切りチャレンジイベント」に出席した。同イベントは、ゴルフ初心者の高橋克典が、RIZAP GOLFのレッスンを受けてスコア100切りを目指すというチャレンジ企画。この日登場した高橋が、「スコア100切り」チャレンジ宣言を行い、同企画の意気込みなどを語った。25年前に初めてラウンドした時は183というスコアを叩き出し、それ以来、ゴルフをしてないという高橋は「その時は芸能界とゴルフの闇の部分を見ました(笑)。小さいフェイスで小さい球を全身使って打つなんて、難しすぎるだろうと思い、それからずっと離れていました」とゴルフから遠ざかっていたことを明かし、「結婚した時に妻と共通した趣味がなくて、ゴルフでもやってみようかと話していました。そんな時に今回のお話を受けたので、是非やってみようと思い挑戦することにしたんです」と説明。とはいえ、最近のスイングの映像が映し出されて「本当に最悪ですよ。がっかりです……」と自虐的に振り返りつつ、「コーチとの関係がすごくいいと思います。手とり足取り教えてくれるし、本当にその都度体の動きを見て指導してくれるので、間違った方向にいかない感覚はありますね」と7月からスタートしたRIZAP GOLFのレッスンに期待を寄せていた。その高橋は、無謀にも8月に開催されるプロアマのトーナメントに出場予定。「恐ろしい展開だと思いませんか? 話だけかと思ったんですけど、本当に出るんですね」と戸惑いながらも「がんばりますよ。それならそれでベストを尽くします!」と意気込み。2カ月で100を切らなかったら「どうしましょう。しばらくはちょっと隠れてようかな」と弱気な発言も飛び出したが、「絶対に切ります! がんばりますよ!」と決意を新たにしていた。
2017年07月25日俳優の高橋一生がスーパーの店長に扮する森永乳業のカップアイス「MOW(モウ)」のテレビCM「高橋店長」シリーズ第2弾「高橋店長のレジ打ち」編が、13日より全国で放映される。新CMは、前作に続き、高橋演じる高橋店長が主人公。スーパーのレジでの接客中、野菜だけでなくアイスにおいても"いい選択"をする主婦を見つけ、感動し興奮しつつも平静を装う。高橋店長がレジ打ちをしていると、新鮮な野菜を選ぶスキルを持った若い主婦が登場。心の中で「この人、きゅうりはトゲトゲ、にんじんは丸いもの、そしてバニラアイスはMOW!を選ぶその目」とつぶやき、「いい、いい選択です。ファンタスティック!」と主婦を讃える。そして、"いい選択"をする主婦に出会い興奮を抑えきれずにいると、主婦とその夫と目が合ってしまい、「レジ袋ご利用になりますか?」と平静を装い接客を続けるが、冷たく「あるんで」と返されタジタジに。バックヤードで、大好きなMOWを食べながら「モウ(MOW)!」と叫び、おいしさを噛みしめる姿も見られる。今回も、MOWへの愛情を隠し切れない高橋店長という役柄に完璧に入り込んで演じた高橋。"いい選択"をする眼力のある若い主婦を前に、ぎこちない動きをしてしまう高橋のアドリブ演技に現場は盛り上がり、「本当にこういう人いそう」という声が漏れたという。
2017年06月13日元アイドリング!!!のメンバーでタレントの高橋胡桃が、グラビアカメラマンの渡辺達生氏とコラボレーションした写真集『高橋胡桃×渡辺達生 PHOTO DOCUMENT「一番遠くて近い人」』(東京ニュース通信社)が20日、発売された。渡辺氏は、グラビアカメラマンとして40年以上活躍し、昨年、MBS・TBS系『情熱大陸』でも取り上げられた人物。60歳を過ぎてまだなお、 第一線で活躍中だ。そんな渡辺氏と、現在女優を中心にグラビアのフィールドでも活躍する高橋とのコラボレーションが実現。沖縄で撮影を行い、 一級品の"グラビア"を堪能できる一冊が完成した。また、「PHOTO DOCUMENT」と題して、 渡辺氏が撮影術を解説。ロケの時の様子、渡辺氏の撮影の様子、そして写真セレクトまで、この1冊ができるまでのドキュメントも紹介する。
2017年03月20日