縄文時代から“いわゆる”日本髪は誕生していた?!美容考古学研究所のサロン12月21日(水)無料開催
学校法人国際文化学園の美容考古学研究所では、土偶、埴輪のヘアメイクから縄文、弥生、古墳時代の美容を研究、歴史的遺物から当時の髪型や化粧を類推して再現することを主とする活動の一環として、毎月末の最終水曜日に定例サロンを無料開催しています。
年内最後となる今月のサロンは、2022年12月21日(水)16:00より国際文化学園美容考古学研究所にて開催いたします。

大日本婦人束髪図解
今月のテーマは「“いわゆる”日本髪の誕生」についてです。一般的に日本髪は、前髪、髷(まげ)、鬢(びん)、髱(たぼ)といった4つの部分で構成される髪型のことを言います。髪の毛を結った部分と頭頂部が髷、顔の両サイドが鬢で、髱は襟足に近い部位で、「つと」とも呼ばれています。しかし、これらは江戸時代に入ってからの名称であり、形で、それ以前はもっと簡単に髪を結っていたとされています。しかし、このような髪型は、縄文時代の土偶髪型にもすでに見られているので、「“いわゆる”日本髪の誕生」は、もっと古いものではないかと考えられます。
髪と言えば櫛もなくてはならいないものです。
現代では当たり前のように使っている櫛ですが、縄文時代から作られており、いろいろな所で出土されています。