母を失って気づく娘につなぐ命のバトン『さよならわたしのおかあさん』(後編)
■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」
――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。
自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。
「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。
この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。
きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで
育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。
『さよならわたしのおかあさん』より
『さよならわたしのおかあさん』より
――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。
子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。
姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう
「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。
――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。
きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。
いつも見ているんだよ」と言っています。
■家族の闘病と子育ての両立
――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。
がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、
日常に戻る時間を確保していました。
おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。
――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。
おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。
入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。