連載記事:「教育」が「虐待」に変わるとき

教育と虐待の境目「 一線を越えないために知っておきたいこと」【「教育」が「虐待」に変わるとき 第2回】



■体罰は愛ではない! 指導者としての未熟さが原因

――「時には、ビシッと親の力を見せつけてやらないとなめられる」という厳しい親の意見も耳にしますが、どう思われますか?

おおたさん:家庭において、親は絶対的な強者で子どもは弱者です。親という圧倒的に強い立場を利用して、逃げ場がない子どもを追い込むのは、穴に落ちた犬に石を投げるような卑怯(ひきょう)なことだと思いますけどね。

以前、北海道で、親がしつけと称して山中に7歳の子どもを置き去りにした事件(※)がありましたよね? 当時も「親の行為はしつけか、虐待か?」と話題になりましたが、山中に幼い子どもを置いていくなどということがしつけのわけがない。

あれは命に関わるような暴力的な行為で、たとえどんな理由があっても絶対にやってはいけないのです。

――当時、「似たようなことをやってしまったことがある」という親御さんも少なくなかったですよね。

おおたさん:中には、しつけと称して、愛があればたたいていいと体罰を容認する人もいますが、私は、体罰を生むのは愛ではなく、指導者としての未熟さだと思っています。言葉や態度による罵倒も同じです。

スパルタ的な指導で子どもが伸びるという人もいますが、罰による成長は一時的なものであり、本質的な成長にはなりません。
人は変えられる(外的動機づけ)のではなく、自ら変わる(内的動機づけ)のですから。

■子どもの言動にイラッ「どうしても怒りが抑えられない時は?」

教育と虐待の境目「 一線を越えないために知っておきたいこと」【「教育」が「虐待」に変わるとき 第2回】

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――でも、親も未熟で、怒りの感情が抑えられない時もあります。そんな時はどうしたらよいのでしょう?

おおたさん:ひとつ提案があります。子どもの言動にイラッとしてしまった時は、「今、自分は溺れかけているんだ」と考えてみてください。溺れている時、あなたはまず何をしますか? まず、口を閉じますよね? 次に、ジタバタするのをやめますよね? 

そうやって溺れた時と同じようにふるまったうえで、自分の感じていることをただ言葉にするのではなく、どうやったら子どもが前向きな気持ちで、自らの行動を改めようと思えるようになるか、翻訳するひと手間を考えましょう。

いい翻訳が思いつかない時は、そのまま口を閉じていることが最善の策であることも少なくありません。

――すでにやってしまった(手を出してしまったり暴言を吐いてしまったり)場合、親はどうやってリカバリーしたらいいのでしょう?

おおたさん:間違いに気づいた瞬間から、親子関係をどうつくっていくのか、どんな親になりたいのか、それを考えればいいと思います。

大切なことは、起きてしまったことを否定するのではなく、それを糧にするにはどうしたらいいかを考えること。
望ましくないことが生じてしまった時、それを今後の糧にすることができるかどうかが、その人の強さだと思います。

親も強くならなければいけないし、子どもにもその強さを学んでもらわなければならない。親も子どもも成長しています。親子関係も修復可能です。取り返しがつかないなんてことはないのですから。


友人や仕事関係の相手にはきちんと配慮できるのに、わが子となると遠慮なく追いつめてしまう。子どもなら許されると思ってしまう。

そこには、どんなに傷つけても結局、子どもは親以外には頼れない、という親のおごりや甘えがあるのかもしれません。


でも、おおたさんが言うように、「たとえ、正論だとして相手を傷つけすぎて良いわけがない」のです。怒りが抑えられない時は、せめて「口を閉じる」こと。心に留めておきたいと思いました。

次回は、おおたさんが考える「これからの時代に必要な力」についてうかがいます。

※2016年、北海道の山中で、親が子どもをしつけのために車から降ろし、置き去りにした事件。7日後、子どもは無事発見された。



取材・文/まちとこ出版社N


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