コミックエッセイ:夫婦・子育ていまむかし

死刑直前の最期の言葉とは? マリー・アントワネットの真の姿に迫る(後編)【夫婦・子育ていまむかし Vol.28】


イメージと違う!
死刑直前の最期の言葉とは?

さて、王妃の行動としては賛否両論あった彼女ですが、革命の足音がどんどん近づきついに国王一家はパリ市民によって拘束されてしまいます。

浪費家で遊興と快楽に溺れた頭の軽い女性というイメージが一般的にあるかもしれませんが、裁判にかけられたマリー・アントワネットはかけられた全ての罪状、疑惑に対して正面から戦いました。王妃として相応の教養を身につけていた彼女のディベート力、聡明さは際立っており、自らを筋道立てて弁護した内容に異議が出ないどころか、時には傍聴席から称賛の声が上がることもあったとか。
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とはいえ最初から結論は決まっていた形だけの裁判。夫ルイ16世に続き、彼女も断頭台に登ることになりました。

死刑宣告を受けた後に書かれた遺書は、血煙を上げヒステリックに盛り上がる革命の中、悟りを開いたような冷静さがあって胸を打たれます。

「犯罪者にとって死刑は恥だが、無実の罪で断頭台に上がることは恥ずべきものではない」

死刑当日、自慢の髪を短く刈られやつれ果てた姿はまるで老婆のようだったけれど、その身のこなしは威厳のある王妃そのもの。断頭台への急な階段を、両手を後ろ手に縛られたまま堂々と登っていったのです。

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死刑直前、執行人の足を踏んでしまったマリー・アントワネットは

「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではございませんのよ」

と落ち着いた声で詫びたとか。
これが革命の犠牲として民衆の憎悪の中殺された王妃の最期の言葉だなんて…。

「許せない」と誰かを糾弾する
「正義中毒」は恐ろしい!

フランス革命から200年以上進んだ現代。でも、マリー・アントワネットの人生を調べてみて一番感じたのは「人間って昔も今も変わらないな」でした。

誰もがインターネットを使いこなし、スマホで自分の思いをいつでも匿名で発信できる。そんな中で顔や名前を出して活動し人気になった有名人が、ちょっとした言葉選びや軽率な行動などからしつこく誹謗中傷のターゲットにされる。そんな事件をよく目にするようになりました。
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社会の不満ー社会不安やストレスが高まると『正義』を盾に誰かを叩く人が増えるみたいです。そもそも人間は、わかりやすい攻撃対象を見つけて、罰することに快感を覚えるようにできているんだそうです。(これは誰しもが陥ってしまう可能性があって、もちろん、私も気をつけないといけません。)

マリー・アントワネットは、同じ特権階級である貴族たちの悪意をもって民衆の中に『スケープゴート』として放り込まれたのではないでしょうか。負の感情をぶつけやすい生贄として。

今回マリー・アントワネットの知らなかった側面を知ることで、悪名高い王妃は実は歴史の犠牲者だったことがわかりました。しかもこれは過去話ではなく、現代でも形を変えて似たようなことは起こりえるなと思いました。
集団で人を傷つけることの残酷さに気付いてもらえたら…。
そんな思いで今回のお話は締めくくりたいと思います。

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