日本とちょっと違う イギリスでの発達障害児の受け容れられ方
先日、友人とロンドンでピクニックをしていたとき、ふと発達障害の話になりました。筆者の娘はアスペルガー(広汎性発達障害)で、友人がいくら話しかけても無反応なこともあるため、「ごめんね、実は…」と伝えたのがきっかけです。イギリス人の友人はお絵かきに没頭して振り向きもしない娘をじっと見直して、「すばらしいことじゃない!お絵かきが大好きなのね!」と言いました。
「写真撮るよ~」と声をかけてもまったく顔をあげない娘。なにかに没頭しているときはいつもこうだが、「アスペルガーで」と説明すれば誰もがなるほどとわかってくれる。伝えておくことは重要かもしれない
日本では、娘がアスペルガーであると伝えると、「そうなの?でも普通に見えるよ」と、よく言われます。「気にすることないよ、普通だよ」と。そう、「普通だよ。
ではイギリスではこうした発達障害児への対応はどのようなものなのでしょうか。ロンドンで発達障害児のための特別講師をしていたマリア・ストリブリングさんに話を聞きました。
マリアさんによると、イギリスの学校でも日本の“通級”にあたるクラスがあり、個別にそれぞれの状態に合った教育を受けることができます。
そうすることで、残念ながらいじめが発生することはあるそうですが、以前に比べ「受け容れることができる子が増えた」ともマリアさんは感じていました。というのも、イギリスでは近年、どのような出生であろうとも差別をしない、という考えが広く行き渡っており、性別はもちろん人種や宗教などによる“違い”を含めて互いの理解が進んでいるそう。発達障害も例外ではなく、“違い”を人それぞれの特徴のひとつだととらえ、受け容れる傾向にあるというのです。
「レディ・ガガの『Born this way』という曲があるでしょ?まさにあれよね」とマリアさんは言います。その曲の歌詞には、「神はミスをしない。私は正しい道を歩んでいるのよ。
自治体による発達障害ケアは日本でもイギリスでもだいたい同じでした。アスペルガーの場合は「多くの人はこのようにすると嫌がる」といった他人の感情について学ぶもので、日本の教育内容と変わりません。ただ、イギリスと日本ではそうした人々を受け容れる側の考え方が大きく違うようです。
さまざまな人種や宗教をもつ人々が混在しているイギリスでは、もともと「均質性」よりも「個性」を重要視する多様性の土壌があります。異質なものに対する耐性があるからかもしれませんが、少なくとも自分が“異質”であることに対しこちらが縮こまって遠慮しなくてもいいという環境は理想的です。前出のように、カムアウトすることによるいじめや差別の問題はまだまだ解消されてはいないようですが、それを当然のことと容認するのではなく、自分らしくあったとしても「差別をしてはいけない」という考えが多数派であることにはとても勇気づけられます。
均質性が非常に重要な日本においてはこのように変わることは容易ではないかもしれませんが、世界は変わり始めている、と、レディ・ガガを聞きながら、夢見るのでした。
「ケサランパサランを見つけたよ」とたんぽぽの綿毛を飛ばそうとする娘。見た目にはわかりづらい発達障害児は誤解されることも多いけれど、親から見るとやっぱりウチの子は”スタンダード”
<文・写真:フリーランス記者岩佐 史絵>
「写真撮るよ~」と声をかけてもまったく顔をあげない娘。なにかに没頭しているときはいつもこうだが、「アスペルガーで」と説明すれば誰もがなるほどとわかってくれる。伝えておくことは重要かもしれない
日本では周りと“違う”ことが懸念材料
日本では、娘がアスペルガーであると伝えると、「そうなの?でも普通に見えるよ」と、よく言われます。「気にすることないよ、普通だよ」と。そう、「普通だよ。
おかしくないよ」と慰めてくれる。でもその慰めは、「“普通”であることが正しい」ということが大前提にたっています。筆者にとっては娘こそが“スタンダードな子ども”であり、まさに“普通”。でもそれは一般的な“普通”と同じではないことを知っています。学校で、クラスメートに知らせてはどうだろうか、と先生がたに相談したときも、”自分たちと違う特性を持つ子”への反応を心配する声があがり、それもそうだと思いいまだにクラスの子には特に知らせていません。
イギリス公立校での対応
ではイギリスではこうした発達障害児への対応はどのようなものなのでしょうか。ロンドンで発達障害児のための特別講師をしていたマリア・ストリブリングさんに話を聞きました。
マリアさんによると、イギリスの学校でも日本の“通級”にあたるクラスがあり、個別にそれぞれの状態に合った教育を受けることができます。
場合によってはずっと個別クラスの子もいれば、普通級にとどまる子もいるそう。周りの子どもには「この子にはこういう特性があり、それは生まれつきである」ということをしっかりと教えたうえで、アスペルガーや学習障害について伝えています。
そうすることで、残念ながらいじめが発生することはあるそうですが、以前に比べ「受け容れることができる子が増えた」ともマリアさんは感じていました。というのも、イギリスでは近年、どのような出生であろうとも差別をしない、という考えが広く行き渡っており、性別はもちろん人種や宗教などによる“違い”を含めて互いの理解が進んでいるそう。発達障害も例外ではなく、“違い”を人それぞれの特徴のひとつだととらえ、受け容れる傾向にあるというのです。
レディ・ガガに勇気づけられる
「レディ・ガガの『Born this way』という曲があるでしょ?まさにあれよね」とマリアさんは言います。その曲の歌詞には、「神はミスをしない。私は正しい道を歩んでいるのよ。
私はこんなふうに生まれたの(筆者意訳)」とあります。私たちはこのように生まれた。それは直したり正したりするものではなく、ありのままでいることは“正しい”こと、という意味にとらえることができます。レディ・ガガの歌を聴いていると、後半はおそらくLGBTなどについても歌ったものではありますが、持って生まれた特性というポイントでは発達障害も同じことがいえます。そして、イギリスでもその考え方が主流となりつつあり、どんな人も自分の特性を恥じることはないと考えられているのだそうです。
均質性と多様性という土壌の違い
自治体による発達障害ケアは日本でもイギリスでもだいたい同じでした。アスペルガーの場合は「多くの人はこのようにすると嫌がる」といった他人の感情について学ぶもので、日本の教育内容と変わりません。ただ、イギリスと日本ではそうした人々を受け容れる側の考え方が大きく違うようです。
さまざまな人種や宗教をもつ人々が混在しているイギリスでは、もともと「均質性」よりも「個性」を重要視する多様性の土壌があります。異質なものに対する耐性があるからかもしれませんが、少なくとも自分が“異質”であることに対しこちらが縮こまって遠慮しなくてもいいという環境は理想的です。前出のように、カムアウトすることによるいじめや差別の問題はまだまだ解消されてはいないようですが、それを当然のことと容認するのではなく、自分らしくあったとしても「差別をしてはいけない」という考えが多数派であることにはとても勇気づけられます。
均質性が非常に重要な日本においてはこのように変わることは容易ではないかもしれませんが、世界は変わり始めている、と、レディ・ガガを聞きながら、夢見るのでした。
「ケサランパサランを見つけたよ」とたんぽぽの綿毛を飛ばそうとする娘。見た目にはわかりづらい発達障害児は誤解されることも多いけれど、親から見るとやっぱりウチの子は”スタンダード”
<文・写真:フリーランス記者岩佐 史絵>