2021年12月現在、人それぞれ好みがあるように、 セクシュアリティについても、多様性が尊重されるような社会に変化しています。ゲイやレズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー以外にも、さまざまなセクシュアルマイノリティが存在していて、最近では『LGBTQ+』や『SOGI』と呼ばれることが増えてきました。いと(@yawayorozu992)さんは、セクシュアルマイノリティの青年。パートナーと同棲するために、不動産会社へ行きました。自分のセクシュアリティを話すことに抵抗があった、いとさんは、「友人同士のルームシェアです」と伝えて部屋を探しますが、なかなか決まりません。そこで、正直に同性カップルということを明かすと…。彼氏と同棲する事になって、正直に話すのは抵抗があって友人同士のルームシェアって不動産屋の人に伝えて探してたんだけど、なかなか友人同士のルームシェアって出来ないみたいで、正直に同性カップルですって伝えた途端すぐに審査通って驚いた世の中ってこんなにも寛容だったのかって嬉しくなった— いと (@yawayorozu992) November 24, 2021 すぐに、審査が通ったのです!セクシュアルマイノリティを告白するのは、勇気が必要だったのではないでしょうか。イヤな顔をされたり、冷たい態度をとられたりするかもしれないという、マイノリティゆえの怖さがあったかもしれません。投稿者さんは驚きとともに、次のようにつづりました。「世の中ってこんなにも寛容だったのかって嬉しくなった」セクシュアルマイノリティとして生きていく中で、いろいろな出来事があったのでしょう。「自分たちが思うより世間は好意的なんだ」と、投稿者さんは感じたそうです。2人が一緒に暮らせることに、多くの人がコメントしました。・本当によかったね、優しい世界。・すごい!なんか嬉しい!・とっても温かいお話、末永くお幸せに。どんなセクシュアリティであっても、「好きな人と一緒にいたい」という気持ちは変わらないでしょう。手をつないだり、デートをしたり、自由に愛し合うのは、誰にとっても当然の権利です。セクシュアルマイノリティであっても、そうでなくても、自分らしく生きられるような社会であってほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年12月01日まだまだ海外旅行が気軽にできないなか、せめて異国の風を感じたい人にオススメのイベントと言えば、11月18日から21日まで開催される「ドイツ映画祭 HORIZONTE 2021」。厳選された注目のラインナップから、オープニングを飾る話題作をご紹介します。『未来は私たちのもの』【映画、ときどき私】 vol. 430イラン系移民の両親を持つミレニアル世代の青年パーヴィスは、両親がドイツで築いた安定した環境のもとで暮らしていた。しかし、地方での生活に退屈さを感じ、出会い系アプリのデート、レイヴやパーティで暇つぶしをする日々を送ることに。ある日、万引きがバレて、社会奉仕活動を命じられたパーヴィス。難民施設で通訳として働くなかで、イランからやってきた兄妹バナフシェとアモンに出会う。微妙なバランスを取りながら絆を深める3人は、ドイツにおけるそれぞれの未来が平等でないことに気づき始めるのだった……。昨年のベルリン国際映画祭では2部門で受賞に輝くなど、高い評価を得ている本作。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。ファラズ・シャリアット監督本作で長編デビューを飾ったシャリアット監督。映画の主人公同様に、性的マイノリティであることを公表しており、挑戦的で過激な描写でも話題となっています。今回は、自伝的要素の強い物語を描いた理由や日本のアニメから受けた影響などについて、語っていただきました。―まずは、映画祭のオープニング作品に選ばれたお気持ちからお聞かせください。監督本当にうれしく思っています。ただ、以前からずっと行きたかった日本に行けないことは、非常に残念ですね。とはいえ、私の作品が実際に映画館で上映されるのは喜ばしいことなので、そのことからはパワーをもらっています。いまはとにかくドキドキな気持ちでいっぱいです。―監督デビュー作にして、ここまで注目を集めることは想像していましたか?監督この作品はアートマネジメントや文化論を学んでいる仲間たちとDIYのような感じで作ったので、私たちにとっては本当に大きなサプライズでした。誰ひとりとして映画を勉強した者はいませんでしたし、お金もないなかで「とにかく作ってみよう!」という感じで始めたので。完成させられるか最後までわからないほどの状況だったにもかかわらず、国内外で大きな注目を集めたことはうれしいです。―ご自身のキャリアにとっては、非常に意味のある作品になったのではないかなと。監督確かに、私たちに新たな可能性をもたらしてくれたので、この映画が与えてくれたものは大きかったですね。しかも、上映を続けるなかで、観た方から「自分にとって非常に重要な意味を持つ作品になった」という声もたくさん上がったので、この映画自体がみんなの“扉”を開いてくれるものになったと思います。この作品では、家族の歴史の一部が語られている―監督はこれまでにいろいろな芸術を学んできたそうですが、今回映画を作ろうと思ったのはなぜでしょうか?監督もともと私はメディアと演劇と美術にまたがった勉強を大学でしていたので、映画に特化して勉強していたわけではありませんが、この題材に関しては映画という手法を使いたいと考えて、作ることにしました。ただ、昔から演劇にはずっと関心があったので、劇中でも演劇的な構成は意識しています。映画に関して言えば、今回の制作過程のなかでいろいろな技術を身に着けることができたのは、とてもラッキーだったなと。今後も映画作りは続けていくつもりですが、それだけにとどまらずアクティビスト的なアプローチを含めて幅広く活動していきたいと思っています。―本作では移民や性的マイノリティの描写に関して、自伝的な要素が含まれているということですが、ご自身のことを赤裸々に語ることに対する抵抗はなかったのでしょうか。監督実は、これまで何年にもわたって私は自分の家族と一緒に短編のドキュメンタリーやミュージックビデオなどの作品を制作してきました。そういった経験があったので、今回の映画を作るためのベースはすでにできていたと言っても過言ではありません。劇中で、主人公の両親役は実際に私の両親が演じてくれましたし、この作品に対してもポジティブにとらえて、サポートしてくれました。なぜなら、これは私たち家族の歴史の一部が語られている作品でもあるからです。ドイツでは移民の経験がきちんと語られてこなかった―そういった背景があったのですね。監督私の両親は第一世代としてイランからドイツに移住し、私が第二世代になりますが、これまでドイツでは私たちのような移民の経験がきちんと語られることはありませんでした。そういう意味でも、両親はこの映画を作ることの重要性を理解してくれたんだと思います。だからこそ、映画のなかに自伝的なことを取り入れることにもあまり抵抗がなかったのかもしれませんね。それよりも、重要だったのは、ただ自伝を映画化するのではなく、フィクションを入れるうえで、社会を変えるようなポテンシャルを持った作品にすること。そのあたりは、意識していた部分です。―劇中では、日本のキャラクターである「美少女戦士セーラームーン」のコスプレシーンが印象的でした。監督は日本のアニメファンでもあるそうですが、セーラームーンとの出会いについて教えてください。監督私が初めてセーラームーンを見たのは、幼稚園の頃。ドイツのテレビで放映されていたのですが、それ以来、私の青少年時代において、もっとも偉大な番組と位置づけています。なぜなら、セーラームーンは私にとって自分のアイデンティティを作っていく過程で、大きな助けとなったものだから。セーラームーンは金髪で青い目をしているので、見た目は私と全然違いますが、ほかの番組で私のアイデンティティに訴えかけてくるものはひとつもなかったので、非常に衝撃的な出会いでした。セーラームーンは、ミレニアル世代にとって“事件”―どのあたりが、そう感じさせたのでしょうか?監督もちろんスーパーパワーの持ち主であることも惹かれた理由でしたが、セーラームーンが変身したり、何か秘めたところを持っていたりする姿は、ゲイである私や性的指向が定まっていないクィアの人たちには、ピンとくるものがあるんです。これはドイツ国内だけでなく、国外でも特にクィアの間でセーラームーンの人気は高く、共感する部分があると言われています。あとは、ビジュアル面においても美的感覚を豊かにさせてくれますし、変身のプロセスも興味深いですよね。そういったところも、クィアの文化とつながるところがあるのかなと。セーラームーンは、ミレニアル世代のポップカルチャーにおいて、ある種の“事件”でもあったので、この作品でセーラームーンを使うことによって、自分たちの一部が映画のなかにあると感じてくれる人がいるのではないかと考えて入れました。―興味深いですね。冒頭では実際に監督が子どものころにセーラームーンの衣装を着て踊っている映像が流れ、とてもかわいかったです。ただ、イランでは性的マイノリティに厳しいと言われているそうですが、そのあたりについてはいかがでしょうか。監督確かに、イランではホモセクシュアルやクィアに対して、非常に厳しく、いまだに弾圧されることもあります。ただ、私の両親はドイツに住んですでに30年。「どんな人も排除せずに、みんなで一緒のコミュニティに暮らしていきましょう」という考えを持っています。だから、あのセーラームーンの衣装も、両親が買ってプレゼントしてくれたんですよ。そんなふうに、クィアの私と両親がとてもオープンで親しい関係であるということを最初に示すためにも、父が撮ってくれた映像を使うことは、私にとってすごく重要なことでした。フィクションの世界だけで起きていること、という思い込みを観客にさせないためにも、必要なシーンだったと思っています。世界は思ったよりも、早く変えられると気がついた―なるほど。ちなみに、そのほかにも日本の文化で好きなものはありますか?監督劇中でもお寿司を食べるシーンがいくつかありますが、私だけでなく、ドイツに住む多くの人たちが日本のファンだと言えるでしょう。ジブリをはじめ、多くのアニメ作品が人気ですし、料理や音楽、ゲームといった幅広い分野に渡って、影響を受けているはずです。そういったものに子どもの頃から触れているだけに、私たちにとって日本は重要な文化的経験を与えてくれる国と言えるのではないかなと。私は幼少期からのいろんな経験を通して、芸術の道を選ぶことにしましたが、日本の文化もたくさん蓄積されているインスピレーションのひとつとなっています。―それでは最後に、この映画を通して観客に伝えたいことがあれば、メッセージをお願いします!監督この映画では、3人の主人公とともに、3つの世代も出てきますが、出身や年齢や過去に関係なく、ともに共通の未来を構築しよう、という強い願いを込めています。私がコロナ禍で気がついたのは、「世界というのは、実は思ったよりも早く変わることができるんだ」ということ。以前は人種やジェンダー、LGBTQに対する差別は、どんなに努力してもすぐに変えることはできないだろうと諦めていたこともありましたが、パンデミックを経験したことによって、みんなで世界を変えることが可能であるとわかりました。そういう意味で、いま私は未来に対して希望を抱けるようになったので、みなさんにも同じように希望を感じてほしいです。ポップでスタイリッシュな移民映画が新たに誕生!観る者の心を動かすのは、過酷な状況のなかでも、自らの手で未来をつかもうともがき続ける若者たちの姿。ときには先が見えずに苦しむことがあっても、長いトンネルを抜ければ、誰もが「未来は自分たちのもの」と感じられる瞬間に出会えるはずだと背中を押してくれる1本です。取材、文・志村昌美作品情報「ドイツ映画祭 HORIZONTE 2021」11月18日(木)~21日(日)渋谷ユーロライブにて開催© Juenglinge Film
2021年11月16日吉野寿雄さん撮影/齋藤周造六本木にあった伝説のゲイバー『吉野』のママは、著名人たちが癒しを求める「オアシス」のような存在だった。各界のスターは、なぜ吉野ママの元に通い詰めたのか。カルーセル麻紀、はるな愛、美川憲一らが証言する戦中戦後を生き抜いたママの持つ魅力とは―。■三島由紀夫の初期の代表作に登場瀟洒(しょうしゃ)なブティックや飲食店が立ち並ぶ、東京・南青山の逢魔(おうま)が時、吉野寿雄さん(90)はひとりで約束の場に現れた。ハイブランドのカジュアルウエアに身を包み、背筋がピンと伸びた佇まいは、ただ者でない雰囲気を醸し出す。「来月で91になるの。現存する日本最古のオカマよ(笑)。青山に暮らして60年になるけど、昔はこのへんも何もなかったのよ。バブルになってからよ、こんなにビルが建ったのは。いつも夕方に起きて、夜、お散歩してるの。ずっと昼夜逆転した生活を送ってきたからね、変われないのよ」そう笑う吉野さんは、六本木の伝説のゲイバー『吉野』の元ママで、戦中戦後のゲイの歴史の生き証人ともいえる。自身の経験をユーモラスに明かす語り口で人気に火がつき、バラエティー番組やドラマ、YouTubeでも引っ張りだこだ。TBSラジオ番組『安住紳一郎の日曜天国』にはおなじみのゲストとして、不定期で出演。安住紳一郎はLGBTへの風当たりが強かった時代の苦労話も笑いに変えてしまう吉野さんの魅力に感服しているという。1964年に開業した店『吉野』には、政財界、文壇のほか、芸能界、スポーツ界から美空ひばりや石原裕次郎、高倉健、長嶋茂雄といったスターが夜ごと集まった。看板も出さない常連だけの空間で、スターたちは朝まで濃密な時間を過ごした。自身も元ゲイボーイで吉野さんを昔から知るタレントのカルーセル麻紀(78)は、親しみを込めて、“吉野のお母さん”と呼ぶ。「お母さんはまぁおもしろい人で!私もおしゃべりですけど、あの話術には到底かないません。吉野はちっちゃな店でしたが、いつも芸能人がずらりと並んで、銀座の一流ホステスも店が終わると来てましたね。高倉健さんだってお酒飲めないのに、わざわざコーヒーを飲みに来てたんですから!」2020年7月に公開された映画『mama』では、吉野さんが架空のゲイバーを舞台に会話劇を好演。監督を務めたタレントのはるな愛(49)も吉野さんをレジェンドと慕う。「ママがお店を始めたのは、高度成長期でみんな羽振りがよくって、夜の盛り場にいろんなものを満たしに行った時代ですよね。たくさんの出会いがすべてママの財産になっていて、本当に幸せな人生だなーって思うんですよ。昔は芸能人と一般の方との境目がもっとはっきりしていましたし、今より孤独だったスターたちの心の拠りどころだったんじゃないかと思うんです」六本木ヒルズの開発に伴う立ち退きを機に、『吉野』は惜しまれつつも38年の幕を閉じた。親友で歌手の美川憲一(75)がその裏話を語る。「水商売で華々しくしていてもね、末路は生活保護になられたり、大変なことも多いのよ。だから立ち退き交渉のときに、“老後のことを考えて、もうお金はいっぱい持ってるだろうけど、絶対1億は出るから、それまで粘りなさいね”って、私言ったのよ。ところが吉野は目の前に3500万かなんか現金積まれちゃったら、もううれしくなっちゃって(笑)。“みんな出ていっちゃって、暗いところに1人でいるのはお化けが出そうで怖い”って、潔く手を打っちゃったのよ。実際に最後まで粘った人には1億出たのよ!」さらには、その後の税務署の調査で、顧客からのチップもすべて記載された帳簿を提出することになり、追徴課税と立ち退き料でプラマイゼロになってしまったのだとか。「だからね、言うのよ。逆によかったんじゃない、なかったもんだと思えばって(笑)。でもね、あんた、いいじゃないって。それでも今でも元気でね、お金いくら残してるかわかんないけど、グッチだプラダだって買ってお洒落してるんだから。そんな90歳いないわよ。まさに怪物よ!」吉野さんは、三島由紀夫の同性愛をテーマとした初期の代表作『禁色』(1951年刊)にも登場している。戦後まもなく、17歳で銀座のダンスホール『美松』のボーイになったころ、仕事の合間に出入りしていた数寄屋通りの喫茶店兼倶楽部『ブランスウィック(以下B)』で三島と知り合ったのだ。『B』は「有楽町のルドン」という名称で出てきて、店内や常連客の様子が克明に描かれていた。「三島さんは遊びに来ていただけじゃなく、取材しに来てたのね。あのころはまだ色白で華奢だったのよ。Bは一見普通の喫茶店のようだったから、何も気づかずにコーヒーだけ飲んで帰るお客もいたわ。だけど実際はゲイのたまり場で、ゲイ同士は目と目を合わすだけでわかるから、一緒にコーヒーを飲んだり、気になる相手を探したりしたのね」『禁色』の中で、自分ほどの美少年はいないと思っている“オアシスの君ちゃん”のモデルが吉野さんだ。いつも洒落た身なりで、うなじをきれいに剃り上げて、外国人客にちやほやされる存在である。「美松のよっちゃんが、オアシスの君ちゃんになっていたの。私、自分のことを美少年だなんて言ったこともないのに、三島さんが勝手に書いたのよ!(笑)」三島は見た目と違い、大きな声で話しては、豪快に笑っていたという。吉野さんは気分が乗ったときに1回転するピルエットを度々披露していた。その癖も三島は見逃さず、作中に描いている。「バレエとか宝塚とかそのころから大好きだったからね。大磯のゲイパーティーも実際に横浜磯子の御殿で開かれていたものだし、主人公の悠ちゃんは、三島さんが惚れ込んでいた池袋のジャズ喫茶の息子さんだったのよ」当時のゲイたちは、昼間は男性として普通の生活を送り、夜になると密かに自分たちだけのグループで集まっていた。『B』は砂漠のオアシスのような存在だったという。「今は堂々と LGBTなんて言えて素晴らしいと思うけど、私たちのころ、ゲイはひどく差別されていたからね。ちょっと仕草が女っぽいだけで気持ち悪いと言われたし、自分は男が好きだなんて言ったら、気が狂ってると思われるだけで」■黒いマネキンのような死体の山「男らしさ」を求められることに違和感を覚えたのは、小学生のころだった。吉野さんが「國民學校初等科修了証書」と書かれた表紙を眺め、しみじみとつぶやく。「空襲で全部焼けちゃったけど、兄貴がこれだけは取っておいてくれたのよ」セピア色に染まった集合写真には、姿勢を正した小柄な吉野少年が写っている。「小学生のころから女の子のゴム跳びみたいな遊びが好きで、メンコやベーゴマは嫌いだった。特に柔道なんか嫌で、組んだ途端にわざと自分から転がったりしていたわ」太平洋戦争の最中、登校しても警戒警報が発令されると、防空頭巾を被ってすぐ下校させられた。勉強より軍需工場の勤労奉仕が優先され、歯磨き粉などをつくっていた覚えがある。「軍事訓練で隅田公園に木銃を背負っていってね、そのころからゲイだったから“え~いっ”なんてやっていると、先生に『もっと男らしくしろ』と殴られたりして。それでもじっと我慢の子。欲しがりません、勝つまではって仕込まれてたしね。だからちょっとやそっとのことじゃ弱音は吐かないわね。あのまま戦争が続いていたら、私も兵隊に取られていたし」高等科を卒業する(今の中学2年生)直前の3月10日、東京下町を焼き尽くした東京大空襲に遭う。B29による焼夷弾の集中投下で2時間で10万人の命が奪われた大惨禍だ。「だからね、中学の卒業証書なんかもらってないの。両国の酒屋だった親父が道楽して潰しちゃってね、しもた屋みたいな木造の家が並ぶ錦糸町と押上の間の横川町に住んでいたんだけど、夜中に火の手が上がったら、すごい勢いで燃え広がって。防空壕に行こうとしたんだけど、母親が“ここじゃ絶対危ないから、としちゃんだけ連れていく”って。私が末っ子だったんで」次兄は予科練に行っていた。父親と長兄が家のそばにとどまることになり、母親と戦火を逃れ、北へと向かった。ところが火の勢いが強く、途中で行く手を阻まれる。「押上まで来て、母がどうせ死ぬならここで死んじゃおうって。押上駅の橋の上でね、夜が明けるのを待ったのよ。結局生き延びたんだけどね。今でも、スカイツリーが見えるあの場所で、しばらく佇むことがあるわ」翌朝、焼け残った学校へ避難する途中、目に映ったものは、黒いマネキンのような焼死体の山だった。「母が見ちゃ駄目って。だんだん目が慣れてくると、ちっとも怖くなくなったけど、防火用水の中で生焼けになった人とか、電線に絡まったまま亡くなった人が怖くて。いつも夢で見て、眠れなかったわ」何度も焼け出され、転々としたが、練馬の江古田で終戦を迎える。予科練の兄も戻り、家族はみな無事だった。「終戦後、体調を崩してしばらくぶらぶらしてたんだけど、元気になってきたら、じっとしてるのも駄目だと思って、初めて銀座に出てみたの」西武線で池袋へ行き、山手線に乗り換えて有楽町を目指した。当時、山手線は進駐軍に接収され、外国人専用車両があり、半分は白人で、もう半分は非白人用だったという。「外国人の車両は冷暖房が効いてたけど、こっちにはないの。混んでるから連結器の上に乗ったり、サーカスみたいに外の手すりにつかまったりしたわ。落っこちて亡くなった人もいたんじゃないかしら」有楽町で降りると、GI(米国陸軍の兵士)や街娼がたくさんいた。接収中の帝国ホテルやアニー・パイル劇場と名称を変えていた宝塚劇場の前を通り、銀座4丁目の三越に出ると、再開したてのダンスホール『美松』に、ボーイ募集のチラシを見つける。「ボーイって何だろう?って。18歳以上と書いてあったけど、1つ年をごまかして応募したら、明日から出ておいでと」『美松』には一流のジャズバンドが入り、新人時代の石井好子やナンシー梅木が歌っていた。夜は進駐軍専用ホールだったという。「そういう音楽や踊りの娯楽系が大好きだったし、合間に当時日劇や帝劇でやっていた宝塚を見にいったりして、楽しかったわ~!」銀座通りには古着や古本などを売る露店が立ち並び、そぞろ歩きするのにもってこいだった。『和光』は進駐軍向けのPXと呼ばれた百貨店になっており、外国人から商品を買い付けて横流しする者もいた。清濁併せのむ銀座の街で吉野さんは息を吹き返す。■有名俳優も持ち上げない接客その後、ボーイの仕事の合間に出入りしていた喫茶店兼倶楽部『B』で“おしまママ”こと島田正雄さんに出会う。もともと進駐軍向けの食堂を営んでいた島田さんは、吉野さんと青江忠一さんをスカウトすると、お店の路線を変更。新橋の烏森神社の境内に日本初のゲイバー『やなぎ』を始めた。「店の2階に住んで下働きしながら、歌や踊りの練習をして、接客して、毎日、目が回るほど忙しかったわ。おしまママは軍人だったから、スパルタ式でよく殴られたの。今だったらパワハラよね」接収が解除となり、街から進駐軍が撤退した後は、日本人相手の商売に切り替えた。「3人で新橋の芸者からもらったカツラと着物で練り歩いて宣伝したの。お化けが行進してるなんて言われたけど、口コミが広がって、お客さんが集まるようになったのよ」なじみ客には江戸川乱歩やフランスの俳優、ジャン・マレーやアラン・ドロンといった面々がいた。群像喜劇の名手といわれた映画監督・川島雄三もまだ無名のころに、杖をついてよく訪れたという。「川島先生に映画に出ないかって誘ってもらったのよ。でも男の役は嫌だったから、お断りしていたの。顔が出て、親にばれるのは嫌だったし」『やなぎ』に住み込んでからは、すっかり実家への足が遠のいていた。「天国でしたよ。ゲイの社会に浸かりっぱなしで。親には結婚しないのって聞かれたけど、返事をせずにそのままずっと。いろいろ言われるのが嫌だったから、何も言わせないように仕送りしていたの」31歳で独立し、銀座『ボンヌール』を開店。当時から明け方まで営業していた店に、新橋の芸者や女優たちは仕事帰りに足しげく通った。「私たちが着物でストリップをやると、女優の高峰三枝子さんや山田五十鈴さんが喜んでくださって、みんなにチップをくれるんだけど、それがばかにならないお金で!」『枯葉』の世界的なヒットで知られるフランスのシャンソン歌手で俳優のイヴ・モンタンも『青い目の蝶々さん』の撮影の際、来店している。「有名な俳優さんだからって持ち上げたりしないで、普通に接していたら、リラックスしてくださったみたいで、ずっとカウンターに座ったまま、私たちのこと見てたわ」同店を成功させた2年後の’64年、東京オリンピック開幕間際に六本木で『吉野』をオープンする。さらに多くのファンを獲得したことは前述のとおりだ。学生時代から『やなぎ』や青江忠一さんの開いた『青江』で働き、現在、赤坂で47年目になる『ニュー春』を経営する春駒こと原田啓二さん(79)は、吉野さんと同様ピンと伸びた姿勢で、先輩から学んだ接客について話してくれた。「私たちはみんな姿勢がいいんですよ。呼ばれたらすぐ動かなきゃいけないから、深く腰かけないんです。吉野のお母さんからは特に、お客さまの特徴をつかんで名前をすぐ覚えることと、きちんとした敬語を使うことを教わりました。厳しい縦社会でしたけど、お母さんは全然威張らなくて、親しみやすい方でしたね」春駒さんが独立したとき、“一国一城の主として、苦しくても覚悟を持ってやりなさい”と叱咤激励されたそうだ。「それからはお互いライバル関係にあって、内心、負けてたまるかって気持ちもありましたけど。この人にはかなわないな、この人からお勉強しようという思いでいました」コロナ禍で休業を余儀なくされたときも、吉野さんから労いの言葉をもらったという。「大事にしなさい、何かあったら言っとくれと。ありがたかったですね。私ぐらいになると、こうしたほうがいいんじゃない?なんて言ってくれる人は誰もいないんですよ。吉野のお母さんぐらいしか。青江のお母さんも亡くなったし、現実にお店をやってて、昔のことを知ってる人間はもういないんです。私も吉野のおかんがいてくださるから、ちゃんとしなきゃって気持ちがあります。もうすぐ91歳ですから尊敬しますよ。もう人間国宝にしたいぐらい!」吉野さんは立ち退きで閉業した後、再び店を開くつもりでいた。ところが右腕だったちいママが急死し、叶わなくなったことが、いちばんの心残りだという。「晴美って子がよくやってくれたから、生きていたら継がせて、ずっと一緒にやってたはずよ。でも亡くなっちゃったからね、ああ、こんなものかなって……」■惚れた男に贈った高級車を破壊子どものころから愛する対象が男性であることを自覚していた吉野さん。その愛のかたちがどのようなものかを知ったのは、ボーイとして働きだしてすぐのころだ。「お客さんのGIにドライブに誘われたときよ。うれしさ半分、怖さ半分だったわね。初体験が外国人だったから、私はマダムバタフライ(蝶々夫人)ならぬ、マダムカキフライって言ってるの(笑)。やさしくしてもらって、PXでドーナツやポップコーンを買ってもらったわ。食うや食わずで、生きるのに必死な時代だったからね」戦後、昼間から女装をして街に立つ男娼がいた。それらの人々の蔑称が“オカマ”だったという。「上野の山になんかたくさんいたのよ。私たちゲイボーイは、芸を見せてそれで人を楽しませる仕事だって、だからああいう連中とは一緒にされたくないわよって、変なプライドがあったわね。今はオカマって言われても、何とも思わないけどね」刹那的な出会いを繰り返していた吉野さんだったが、1度だけ本気の恋をした。『吉野』を開業し、乗りに乗ったころだ。相手は普通の会社員で、知人の営む池袋の『グレー』という店で知り合ったという。「そこも一見普通のバーなんだけど、男の子がずらっと並んでて、お酒を飲みながら話して、気に入ったらカップルになるというシステムだったの。学生やまじめそうな子もいたわ。小遣いになるから、安直な考えでやってたんでしょうね。沖雅也みたいに俳優になった人もいたのよ」そこでアルバイトをしていた彼に、吉野さんはひと目惚れしてしまう。カルーセル麻紀はその恋を傍らで見ていた。「私、その男知ってますよ!若くていい男でね。お母さんは猿面が好きなんですよ。男の趣味もわかってますから」吉野さんはその男性と宮崎を旅したり、若者の憧れだったスポーツカー、フェアレディZを買ってあげたりもした。「ママとドライブしたいなんてうまいこと言いやがって!ほだされて買ってやったら、私なんてほとんど乗せてくれないで、銀座のホステスと乗り回してたみたいで」動かぬ証拠をつかんだ吉野さんは、ついにあることを決行する。「男が女の家の駐車場に車を止めて泊まり込んでたから、夜中にトンカチでタイヤから何から全部ぶっ壊してやったのよ!ところが男もまぁ図々しくて、家の前に車を置いといたら壊れてた、だなんて泣きついてきて」文句を言おうと思ったが、そのときはまだ彼への未練があり、結局、修理代を出してあげることにした。「“あらそう、誰が壊したのかしら?”なんて言って。てめえで壊して、てめえで払ってって。そんな思い出があるわよ。若気の至りよ!それまでは“おしまママ”が男に惚れたなんて話を聞いて、アハハってばかにしてたのね。ママに“あんたもいつかそういう経験するわよ”ってすごい怖い顔で言われてたから、あ~因果がめぐって、やっぱりこういうことになったんだって思ったわ」カルーセル麻紀が言う。「その男はゲイでも何でもなくてノーマルの男だから、結局は銀座のホステスに取られちゃった。私もそういうのありましたよ!お母さんは身体もどこもいじってなくて、あのままの人なのね。そこは私と違うんだけど、みんなそれぞれで、思考も違うんだって、認め合っているんですよ」吉野さんはその恋に破れて以来、同じことを繰り返さないと決心したそうだ。「ゲイは男に貢いだりして、最後はあんまりお金がなくなっちゃうことがあるのよ。結局ノンケなんかに惚れたら、つなぎはお金しかないからね。貢いじゃ駄目だわって、それからは賢くなったの」とはいえ、ボーイハントをしたくなると、日没後、公園や大学へ出張していった。「暗がりだと男だってばれないからね。私の時代の性転換手術は失敗することが多かったからね、何もしていないの」駒沢公園や碑文谷公園、駒場の東大は行きつけの出張先で、東大の寮では痴女が出ると問題になったこともあるという。「おっぱいの代わりに氷嚢(ひょうのう)にお湯を入れて、輪ゴムで結んで胸にしまっておくの。あるとき、男に噛まれたらそれが破裂しちゃって、顔にバシャーって水がかかっちゃったのよ。相手は何が起きたかわからなかったでしょうね。お互いに驚いて逃げたわ。それとか足の間に隠していたものが、ふとした拍子に飛び出しちゃったり!相手が腰を抜かしている間に、ハイヒールを脱ぎ捨てて逃げたわよ。今だったら殺されてるわよね」ひと昔前の男性たちは純情で、吉野さんを女性と勘違いする人も多かったのだとか。■高倉健、長嶋茂雄との交流取材中、吉野さんが「『週刊女性』に高倉健さんと付き合ってるんですか?って取材されたことがあるのよ!」とちゃめっ気たっぷりに話した。「口には出さないけど、東映なんかではみんなそう思ってたみたい。真相?それはね、何もなかったのよ。でもね、いい思い出があるわ」吉野さんは高倉の出世作、映画『網走番外地』シリーズに出演している。高倉とともに来店した監督・石井輝男からオファーを受けたのだ。「ひとつの檻の中の物語で、田中邦衛さんや由利徹さんもみんな囚人役だった。私は新入りのオネエの囚人で、最初みんなに驚かれるの。健さんに“あら、あんたいい男ね、ダーリン”って襲いかかって怖がられるシーンがあるんだけど、オファーがあってすぐのぶっつけ本番だったのよ」高倉は北海道ロケのとき、雪で滑らないようにと靴を買ったり、旅行鞄をそろえてくれた。現場では無口だったが、吉野さんと2人きりになると、よくしゃべったという。「健さん、昔はお酒を飲んだんですって。酒乱だったから自分でやめたと言ってたわ。水前寺清子が好きで、『いっぽんどっこの唄』なんて聴くと泣くのよ。外見は男っぽいけど、中身は華奢な人で、人一倍気遣いする人だったわ」高倉は最初、店を贔屓(ひいき)にしていた東映のスター俳優、中村(萬屋)錦之助が連れてきたのだが、そのときは車から降りもしなかったという。「“きんにいが呼んでるから来ません?”って声をかけたんだけど、“いや、俺はいいです”ってそのまま帰っちゃって。その後、当時新婚だった江利チエミちゃんや清川虹子さんと連れだって来てくれて、それから1人で来てくれるようになったの」美川が当時の様子を話す。「健さんとは時間があれば毎日のように会っていましたからね。喫茶店で待ち合わせて、六本木のキャンティで食事をしたりして。健さんがいろんな話を聞きたがるんですって、吉野は面白いからね。でも吉野は自分から友達をつくるタイプじゃないのよ。黙ってると黙ってるし、しゃしゃり出てくるタイプでもない。だから私も吉野といると、鬱陶しくないの。あうんの呼吸で」ところがあるときを境に高倉とは疎遠になっていく。「突然、プツッと縁が切れちゃった。向こうから音沙汰なくて、こっちからも連絡しなかった」吉野さんは高倉の没後、高倉がテレビを見ては「およしに会いたいな」と懐かしがっていたと、養女の小田貴月さんの著書で知る。「病気だと聞いていたから、本当はお見舞いに行きたかったんだけど、個人的には知らされてなかったし、迷惑になると思って遠慮して行けなかったの。でも1回ぐらいお見舞いに行けばよかったって、それは今でも悔やんでるわ」美川は2人の交流が途絶えたのは、自分のせいではないかと考えている。「私がブレイクしてバラエティー番組に出るようになったとき、吉野を誘って、一緒にテレビに出るようになったら、健さんからお声がかからなくなっちゃったのよ。健さんとしては吉野がやすらぎの人だったのに、マスコミに出るようになって目立っちゃったからね。疎遠になったのは、芸能界に引っ張り出しちゃった私のせいなんです。健さんは吉野のよさをわかっていらしたから、およしに会いたいなーと思っていたんでしょうね。でもいったん距離を置いちゃうと、なかなかね……」美川が吉野さんに「いちばん思い出に残っていることは何か」と尋ねたとき、高倉健と長嶋茂雄、知人男性と10年間、大みそかに成田山新勝寺に参拝していたことだと話したという。「4人で31日の夕方に押上駅から急行電車に乗って行ったらしいの。車を使わずにね。それで除夜の鐘を聞いて、精進料理を食べて帰ってくるんですって。ずっと自分も誘ってもらえたことがすごくうれしかったって言ってました」■寄っかからない、甘えない吉野さんには、悔いのない人生を送るために心がけてきたことがある。「散々悪いこといっぱいしたわ。でも人に迷惑かけたり、恨まれたりすることはなかった。この年になって、人様に借金したりせずに何とかやれてるのは、若いときは一生懸命働いて、年とってからはゆうゆうと暮らしたいって信念でやってきたからだと思うの。親兄弟にも仕送りは欠かさずして、孝行はしたわ。それだけは自分の取り柄」父が事業を失敗してから、ずっと働き通しだった母に、少しでも楽をさせてあげたいという思いがあった。父の死に目には会えなかったが、母には病院で立ち会え、盛大に葬儀も行った。「今は食っちゃ寝、食っちゃ寝で終わってる。90過ぎて、もう働くこともないしさ、テレビ見たり、ビデオ見たりして、毎日過ごしているわ」最近ではミュージカル映画『雨に唄えば』を観賞し、『木下恵介アワー』や韓国のアクションものを楽しんでいるそうだ。「美川たちが親切にしてくれて、ご飯食べた?って聞いて、一緒に食事してくれたり、ご飯を運んでくれたりしてるの。私、友達には恵まれてるから、そういう点では幸せだと思う。それがいちばんの財産。お金がないのも心細いけど、友達がいてくれるほうがいい」美川は叔母が『やなぎ』の隣の小料理屋で働いていたとき、吉野さんと親しくしていたため、幼いころから吉野さんの存在は知っていた。その後、再会し、付き合いが続いているのも、不思議な縁だと話す。「一緒にご飯食べて、じゃあねって別れて。お互い気も遣わないし、それがストレス解消みたいなもんで」吉野さんが80歳を過ぎたころ、遠慮がない間柄ゆえの助言をしたことがある。「“あんた、いくら持ってるか知らないけど、少しは楽しんでお金使いなさいよ、自分で旅行したりとか”って言ったのね。そしたら、“老後のこと考えないと”ですって!“あんた、何言ってんの、今が老後じゃない”って。まだ老後じゃないのよ、あの人にとっちゃ。だから私も老後はないの。吉野を見ていて私もそういう路線で、しぶとく生きるの。100までは生きますよ、あの人は!」吉野さんは自分でもこんなに長く生きるとは思っていなかったが、神様がくれた寿命ばかりはどうすることもできず、生きている限りは楽しくやりたいと思っている。「長生きしたのは、食べ物もよくなったからでしょうね。戦争中なんてお芋ばっかりで米なんか食べたことなかったし、我慢、我慢ばっかりだったからね。それを思えば今の人たちはみんな幸せよー!贅沢な時代に生まれて、何かというとセクハラ・パワハラって言えて。でも厳しい規律がなくなって、自由すぎるのも、わがままになりすぎてダメかもね。今はかえって迷ったり、悩んだりしてる人も多いんじゃないかしら。多少の厳しさは必要だと思うの。猫だって囲炉裏に1回落ちて熱いと思ったら、もう近づかないでしょ、それと一緒。やっぱり痛い目にあうことも、大事だと思うのよ」現在は性的マイノリティーに関する法も整いつつあり、同性婚も認められる時代となった。吉野さんは「お互いに好きで一緒になるんだったら、それはいいと思う」と認めつつ、自身は男性との同棲や結婚を望んだことはないと話す。「そういうところは男っぽいっていうか、ひとりが好きなのね。友達と会うときは、和気あいあいでしゃべったりするけれども、寝るときはひとりがいい。だから今の自分がいるのかなって思うのよね。人に寄っかかったりしないの。誰かに頼って、あれ取って、これ取ってって甘えてたら、きっとボケちゃってたかもね。身体がいうこときくうちは、なるべく自分でやりたいの」またLGBTを公表したい人がいる一方で、一生隠し通したいと思う人もいるはずだと語る。「出たがり屋と引っ込み思案な人がいるように、みんな一緒じゃないからね。そっとしといてもらったほうが心地いいって人もいると思うの。差別がないという意味では、今はいい時代になったけれど、あんまりオープンになりすぎるのもね。真の愉(たの)しみがなくなってしまうんじゃないかしら。ストリップだって、ちょっとだけよって隠してるからいいんであって、全部出したら興醒めじゃない?やっぱり秘密というものは、誰でも1つぐらいは持っていたほうがいい気がするの」歴代の好事家たちに愛された吉野ママ。悲しみもおかしみに変換し、胸のうちで秘められた記憶を反芻(はんすう)している。自立した90歳は、今にも自慢のピルエットで1回転しそうなほど、軽やかな足取りで夜の帳へと消えていった。〈取材・文/森きわこ〉もり・きわこライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」。
2021年11月06日「LGBT」という言葉を聞くことが増えたり、ジェンダーレスな人たちの活躍を目にしたりする機会が増えていませんか?「性の多様性」とはいうけれど、子どもたちにどうやって教えてあげればいいのか、悩んでいる人は多いのではないでしょうか?今回は、長崎県人権・同和対策課が発行する「多様な性への理解と対応 ハンドブック」を元に、親だからこそ知っておきたい性の多様性について、考えてみたいと思います。■性の多様性って?一般的に「性別」とは生まれ持っての性差を指します。「性別」では、男性か女性の2択だけですが、現代には、「性のあり方」を理解するために必須な3つの要素をご紹介します。<性のあり方を理解するための3つの要素>からだの性別:からだ(出生届・戸籍)の性性的指向:どういった対象を好きになるか?性自認:自分の性別をどう捉えているのか?これらの要素の組み合わせによって、さまざまなセクシュアリティが存在します。その他にも、性自認や性的指向がはっきりしない人、決めたくない人、女性とも男性とも認識していない人など、さまざまな性のあり方が存在します。この3つの要素を元に考えてみると、自分の性に違和感がない人や異性を好きになる人といった多数派の人もまた、多様な性の当事者であることがわかります。「多数派か少数派か」という2択ではなく、みなが多様な性の当事者だという事実を一人ひとりが受け止めていくことから「多様性」について考えてみるといいかもしれません。■性的少数者はどんな悩みを抱えているの?2020年に電通が行った調査(※1)によると、性的少数者は日本のなかでは8.9%という結果に。その他の調査でもおおむね10%程度の結果が多く(※)、およそ10人に1人が性的少数者であることがわかります。※国や民間の研究機関などによる統計データは、その数にばらつきがあり、はっきりしていません。2019年に長崎県が実施したアンケートから、人数の少なさや偏見、理解のなさから、生きづらさを抱えている人の実態が明らかになりました。アンケートに回答いただいたのは、トランスジェンダー85名(*1)、非異性愛者168名(*2)、性別違和感のない異性愛者435名、性的少数者 253名で、回答者は688名になります。*1トランスジェンダーの中には、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル等の性的指向の方もいますが、この調査では、そのような方も含めてトランスジェンダーに分類しています。*2本アンケートにおいて、性別違和感がなく、異性愛者以外の性別指向を選択された方このアンケートの結果によると、トランスジェンダーで43.5%、非異性愛者では45.8%の方が、「性的少数者であることが要因で暴力などを受けた経験がない」と答えています。逆をいえば半数以上の回答者は暴力などのつらい経験をしていることになり、その割合の高さには驚かされます。また、6割以上の方が、「学校の同級生・先輩・後輩など」から暴力などを受けたとしています。そして一番の理解者であってほしい家族である「父母」からの暴力などが3番目に高く、つらい現状がうかがえます。さらに、「死んでしまいたいと思ったことがある」と回答した人が、トランスジェンダーで61.2%、非異性愛者で51.8%にも上り、続いて多かったのは、「将来に希望を持つことができない」という回答でした。性的少数者であるという事実だけが影響したかどうかははっきりしませんが、この数値は非常に高く感じられます。性的少数者の人たちが抱える苦悩の一端が読み取れます。■覚えておきたい心構え3つ親としては、子どもにそうした様子が見られた場合も想定した対応の仕方として、リーフレットでは3つのアドバイスが送られています。【大切にしたいこと】●肯定的な言葉を使う●カミングアウトを肯定的に受け止める●アウティング(他言)しない具体的にどのようにすればいいのでしょうか?▼肯定的な言葉を使う性自認や性的指向を表現する言葉が多くある中で、中には性的少数者が不快に感じてしまう否定的な言葉もあります。<差別用語の代表例>「普通の人」や「ホモ」、「オカマ」、「オネエ」、「レズ」、「オナベ」、「ニューハーフ」<肯定的な言葉>「レズビアン」、「ゲイ」、「バイセクシャル」、「トランスジェンダー」これまで意識せずに使ってきた言葉には、その気がなくても相手を傷つけてしまう可能性があります。こういった情報をきちんと自分の中で取り入れていくことの必要性がわかります。▼カミングアウトを肯定的に受け止める自身の性自認や性的指向を他の人に打ち明けることを「カミングアウト」といいます。カミングアウトは大変勇気がいるため、信頼している相手だからできる場合が多いようです。だからこそ、もしカミングアウトされたら、肯定的に受け止めてあげましょう。▼アウティング(他言)しない「アウティング」とは、他人の性自認や性的指向を本人の許可を取らずに他の人に話すことをいいます。当事者が意図しないところで、個人のセクシュアリティが知られてしまうと、当事者が傷つき、精神的に追い込まれてしまう可能性もあります。SNSなどでの発信にも十分に注意したいですね。ここまで、性の多様性について、長崎県が発行したリーフレットを元に学んできました。性的少数者の中には、幼少期に学校や家庭の中で理解してもらえず、つらい思いをした人が多くいることもわかりました。性的少数者が自分の性別に違和感を自覚しはじめる時期については、56.6%が「小学校入学以前」だというデータ(※2)もあり、幼い頃から自らの性について思い悩んでいる子どもが多いことがわかります。そうした子どもたちに対して、周囲の大人がどのように受け止めるかは、その子どもの将来にも大きく影響してくるといえそうです。また、子どもに正しい知識と対応方法を教えてあげることで、子ども自身にも差別意識がなくなり、多様な性を柔軟に受け止められることにつながります。まずは親が知識を身につけ、子どもたちにも伝えていくことで、多様な性が当たり前の社会を、軽やかに進んでいってくれることでしょう。【多様な性への理解と対応 ハンドブックとは】長崎県では、多様な性のあり方への理解を深める一環として、県内の性的少数者支援団体「Take it! 虹」(ていく いっと にぃじぃ)と協働して、性の多様性に関する正しい知識や対応などについて、わかりやすく解説したハンドブックを作成。このハンドブックは「令和2年度人権啓発資料法務大臣表彰」の「出版物部門」において「優秀賞」を受賞。長崎県: 「LGBT等(性的少数者)について正しい理解をしましょう」 ※1.データ参照元:電通ウェブサイト 「電通、「LGBTQ+調査2020」を実施」 ※2.データ参照元:公益社団法人 日本小児保健協会 「性同一性障害と思春期」/中塚幹也
2021年11月05日多様性やLGBTについて知ったり、考えるきっかけとなる絵本を親子で読んでみたりするのははいかが? 言葉で説明するのは難しいテーマだけど、絵本でなら子どもが楽しく読みながら学べて、そして考えることができるはず。絵本を紹介してくれたのは、モデルで絵本ソムリエのアンヌさん。多様性とLGBTの内容がスッと入ってくるストーリーと、可愛い絵で描かれているものをそれぞれ4冊ずつピックアップ。親子でぜひ読んでみて。<contents>#01多様性がテーマの絵本4選#02LGBTがテーマの絵本4選多様性がテーマの絵本 #01世界には自分と違う見た目や価値観を持つ人がいっぱいいる!『せかいのひとびと』 世界中の人々の肌や目の色などの見た目のほか、価値観や文化など、それぞれの違いがひと目でわかる絵がたくさん描かれた絵本。子どもに限らず私たちは日常のなかで、よりたくさん目に触れたものを“常識”として認識してしまいがち。例えば、肌の色は黄色で、目の色は黒色、足は2本で、指は5本であること。それ以外は、無意識に“変わっている”と捉えてしまったり……。こちらの絵本を読み、世界を見渡してみると、みんなに違いがあること、そしてそれがおかしなことじゃないということに改めて気づかされる。子どもたちにとっての常識が広がるきっかけになるはず!アンヌさんのコメント「世界には数えられないほどの違いがあるとわかる図鑑のような絵本。鼻も、髪型も、遊び方も、信じてる神様だってそれぞれです。この多様な世界に生きることがどれほど素敵か。説得力のある言葉と繊細な絵で描かれたロングセラー」『せかいのひとびと』作:ピーター・スピアー、訳:松川 真弓(評論社)対象年齢:6歳くらいから多様性がテーマの絵本 #02同じ仲間でもそれぞれ個性がある!『みんな おなじ でも みんな ちがう』 ソラマメ、たまご、サクランボなど、同じ種類の動植物が、見開き2ページにたくさん並べられている絵本。並べられているから、同じ種類でもみんな見ためがちょっとずつ違うことに気づくはず。親子でそれぞれの違いを見つけながら、楽しく読んでみてはいかが? 人間だって同じ種類の生き物だけどそれぞれ違いがある、ということを親子で話し合いたい。アンヌさんのコメント「多様性がひと目でわかる、なるほど納得のユニークで奥の深い写真絵本。アサリの貝殻でも、ひまわりの種でも、うずらの卵でも、みんなそれぞれ大きさや柄があって違う。考えさせられます。同じということ、違うということについて」『みんな おなじ でも みんな ちがう』文:奥井一満、写真:得能通弘、AD:小西啓介(福音館書店)対象年齢:4歳から多様性がテーマの絵本 #03メガネも歯ぬけも髪がなくてもみんな個性!『ええやん そのままで』 車いすの子や盲導犬を連れている子、髪の毛がない子などがカラフルな絵で描かれており、それぞれの個性に対して「ええやん そのままで」と関西弁で肯定していく絵本。自分や他人の個性を認めることを楽しく学べる。アンヌさんのコメント「『ええやん』という関西の言葉で訳されたリズミカルな励まし。小さくたって、メガネだって、たまにはお風呂でランチしたって……。自分の個性、多様な他者を温かみとおかしみで包み込んでくれるような作品。子どもも大人もきっと自分と周りが好きになります」『ええやんそのままで』作:トッド・パール、訳:つだゆうこ(エルくらぶ)対象年齢:3歳から多様性がテーマの絵本 #04個性に悩むカメレオンの姿が描かれたストーリー『じぶんだけのいろ』 動物にはたいてい決まった肌の色があるけれど、カメレオンは行く先々で変化する。こちらの絵本では、決まった肌の色がないカメレオンが、みんなと違うということに悩んでいる姿が描かれる。カメレオンの気持ちを親子で考えながら読んでみてはいかが? 内容はもちろん、アートのようなおしゃれな絵で飾りたくなる1冊。アンヌさんのコメント「オウムは緑。ブタは桃色。みんなは自分の色があるのに、カメレオンは行く先々で色が変わります。そのことになげいていると、目の前にもう1匹のカメレオンが! 自分らしさって、なに? みんなそれぞれでいいんじゃない? 絵のタッチも魅力的な作品」『じぶんだけのいろ』作:レオ・レオニ、訳:谷川 俊太郎(好学社)対象年齢:特になしLGBTがテーマの絵本 #01王子様と王子様の恋愛ストーリー『王さまと王さま』 < 王子様が王子様に恋をして結婚する >というストーリーが描かれる。こちらの絵本の1番の見どころは、王子様同士の結婚を、王女様などの周りの人間が驚くことなく受け入れている様子まで描かれているということ。子どもたちがこれを読めば、男性同士が結婚することも“普通のことなんだ”と認識できるはず。アンヌさんのコメント「王子様と王子様が一緒になる昔話スタイルのお話だってあるべきです。何も驚くことはありません。そんなテンションの語り口と、多様性を尊重する内容はとても現代的。そしてデッサンとコラージュを用いた絵もおしゃれで見入ってしまいます! 」『王さまと王さま』作:リンダ・ハーン、スターン・ナイランド、訳:アンドレア・ゲルマー・眞野 豊(ポット出版)対象年齢:特になしLGBTがテーマの絵本 #02パパがふたりの家庭は変なことじゃない!『マチルダとふたりのパパ』 こちらの絵本の主人公、マチルダにはパパがふたり。その事実を知ったマチルダのお友達は、< ふたりもパパがいるマチルダのお家はきっとおもしろいことがいっぱいあるはず >と思い、ワクワクしながらマチルダのお家へ。でも、行ってみてガッカリ……。それは自分のお家と全く変わらない暮らしをしていたから。さまざまなカタチの家族があるということを、ストーリーを通して知ることができる絵本。アンヌさんのコメント「パールはマチルダと友達になりました。ある日、招待されてお家に行ってみると、期待はずれの展開に。どんな家族もそれぞれだけど、同じように“普通”だと伝わるチャーミングな作品です。見返しの部分にもさまざまな家族構成の絵が」『マチルダとふたりのパパ』作:メル・エリオット、訳:三辺律子(岩崎書店)対象年齢:5才くらいからLGBTがテーマの絵本 #03家族の数だけ家族のカタチがある『いろいろいろんなかぞくのほん』 シングルファーザー&マザー、おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子などなど……。家族の数だけ家族のカタチがあるということを、チャーミングな絵とともに表現した絵本。いろいろな家族のカタチがあることを絵本を通して知ることができたら、家族のイメージが凝り固まることはなくなるはず。アンヌさんのコメント「私たちの周りをよく見てみると、実際にはいろいろな家族のカタチがあるんだと目を開かせてくれる作品。ママがふたりの家、パパだけの家、それに住む家も食べるものもさまざまです。たくさんの違いをユーモアたっぷりに映し出し、違うことへの抵抗がなくしてくれます」『いろいろいろんなかぞくのほん』文:メアリ・ホフマン、絵:ロス・アスクィス、訳:すぎもと えみ(少年写真新聞社)対象年齢:小学校低学年からLGBTがテーマの絵本 #04オス同士のペンギンたちが恋をし子どもを授かるためにしたこととは……『タンタンタンゴはパパふたり』 オスのペンギン同士が子育てをする様子が描かれた1冊。オス同士なので、もちろん妊娠することはできないけれど、飼育員さんがあることをしてふたりは子どもを授かることができる。男同士が恋愛をするだけでなく、子どもをつくる問題にまで踏み込んだ、ディープな内容をやさしいタッチの絵とやわらかい言葉で表現した絵本。アンヌさんのコメント「ニューヨークセントラルパークの動物園にはいろいろな家族がいます。とりわけ飼育員の目を引いたのが、仲よしのロイとシロ。2匹のオスペンギンもみんなと同じように巣をつくり……。実話に基づいた作品ですが、動物の世界にもこういうことがあるのだという驚きがあり、そして家族は多様だという認識が自然に育つ作品です」『タンタンタンゴはパパふたり』作:ジャスティン・リチャードソン、ピーター・パーネル、絵:ヘンリー・コール、訳:尾辻かな子、前田和男(ポット出版)対象年齢:特になし教えてくれた人Anne(アンヌ)さんモデル・絵本ソムリエ。1971年東京生まれ。14歳で渡仏、パリ第8大学映画科卒。 映画、エッセイ、旅、ワインなどのコラム等の執筆を手がける。出産を期に子供の発育と絵本の読み聞かせに関心を持ち、地域での読み聞かせボランティアとしても活動中。6歳の息子に読んで聞かせた本は793冊1202話。現在所持する絵本は約1000冊。
2021年08月31日千葉県浦安市にあるテーマパーク『東京ディズニーシー』は、海にまつわる物語や、伝説からインスピレーションを得ています。東京ディズニーシーにあるアトラクション『タートル・トーク』では、ディズニー映画『ファインディング・ニモ』に登場する、ウミガメのキャラクター・クラッシュと話ができるとして人気です。クラッシュに質問をすると、軽快なトークで楽しませてくれます。同性婚の実現に向けて活動をしている、『Girls Right TV』(@narumi_jenny)の、なるみさんとジェニーさん。クラッシュから話を振られ、「いつか同性婚ができるかな?」と質問したといいます。2021年8月現在、日本では法的に同性婚は認められていません。クラッシュはこの質問に対し、どのように答えたかというと…。海にもいろんな魚がいてお互い言葉は通じないけどみんな仲間だよ。周りの目も気になるかもしれないけど、パートナーが一番大切だから、目の前のパートナーにしっかり愛を伝えてね。みんな2人に応援の拍手を。「いつか同性婚出来るかな?」感動してうろ覚えだけどクラッシュが答えてくれた❤️「海にもいろんな魚がいてお互い言葉は通じないけどみんな仲間だよ。周りの目も気になるかもしれないけど、パートナーが一番大切だから、目の前のパートナーにしっかり愛を伝えてね。みんな2人に応援の拍手を」 pic.twitter.com/IQaRw5nLgG — Girls Right TV #なるジェニ (@narumi_jenny) July 13, 2021 2人の相談に、「周りの目が気になったとしても、しっかり愛を伝えてほしい」とエールを送ったのです。クラッシュの神回答に、「さすがディズニー」「一番大切なことを教えてくれている」「マジ半端ねぇな!」などの声が上がっています。また、「お前たち。最高だぜ!」というクラッシュの決めセリフにちなんで、「クラッシュ、最高だぜ!」といった声も相次いで寄せられていました。クラッシュの助言は、2人の心を軽くしてくれたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年08月16日山咲トオルいじめられっ子から異色漫画家として’00年代にブレイクした山咲トオル。最盛期のテレビ出演本数は255本、休みも月に1日だけに。しかし、当時のオネエはキワモノ・ゲテモノ枠で扱われることも多くあり、複雑な思いを抱えていたようで……。そんなジェンダーレスタレントの先駆けが抱えていた悩みとはーー。■アイドル歌手になりたい「絵を描きたいという理由で休んだので、特に休業宣言はしなかったんです」ホラー漫画家とは思えない俳優顔負けの端正な顔立ちに、柔らかいオネエ言葉のギャップがウケ、最盛期の年間テレビ出演本数は255本と’00年代に大ブレイクを果たした山咲トオル。小学生のころから現在のキャラクターだったこともあり、いじめを受けていたという。「LGBTという言葉がなかった時代ですからね。小学生のときは石を投げられることもあったし、中学生のときは学校中から“オカマ!”と呼ばれていました」しかし、地元で唯一のデザイン科のある高校に進学したことで、環境が一変する。「個性的な学生が多かったこともあり、私のキャラクターも受け入れてもらえたんです。同級生は今でも連絡を取り合う大切な存在ですね」そんな高校時代に、人生を変える出来事が。「3歳のころからテレビの世界に入りたいと思っていたのですが、16歳のときに2歳年上の姉(中沢初絵)が歌手デビューしたんです。身近な存在が芸能界入りしたことで、アイドル歌手になりたいという思いが強くなりましたね」夢を叶えるために高校卒業後に沖縄から上京。オーディションを受け続けたが、合格できない日々が続いた。「200~300回ぐらい受けましたね。これで最後という覚悟で受けたホリプロ主催の『第3回飛び出せ! 日本男児』コンテストでようやく最終審査に進むことができたんです。でも優勝することはできず、きっぱり諦めることにしました」就職しようと求人情報誌を買いに入ったコンビニで、運命の出会いを果たす。「ホラー漫画の雑誌を立ち読みしたら、新人賞の募集をしていたんです。もともとデザインの学校に通っていたこともあり、自分でも描けるんじゃないかなと急いで画材を買いそろえ、応募しました」すぐに編集部から連絡があり、正式デビューが決まる。「1作だけかと思っていたのですが、半年後にはその雑誌の表紙に起用され、1年後には単行本を発売と、トントン拍子に進んでいきましたね」あるとき、誌面に山咲の顔写真を掲載すると、作風とルックスのギャップに読者から大きな反響があった。■ふとしたことからテレビへ「編集部の人から提案されて、顔出しでお悩み相談のコーナーをすることになったんです。どこかで“漫画家で有名になれば、楳図かずお先生のようにテレビに出られるかもしれない”という気持ちも芽生えていきましたね」漫画家としてラジオ番組に出演したところ、現在の所属事務所からスカウト。「そのときに“元アイドル歌手を目指していた、オネエ言葉を話すホラー漫画家だからいい”とはっきり言われました(笑)。オネエとしても、兼業タレントとしても先駆けのような感じでしたね」所属事務所が正式に決まった日から、一気にスターダムへと駆け上がっていく。「すぐに“『さんま御殿』の出演が決まった”と連絡があって。そして、さんまさんに面白がってもらえたこともあり、事務所に所属してから3か月後にはスケジュール帳が真っ黒になっていました」売れっ子タレントになったものの、次第に複雑な思いを抱えるように。「当時のオネエはキワモノ・ゲテモノ枠。笑ってもらえてナンボみたいな世界だったので、小中学生時代の“オカマ”と呼ばれていたころに戻った感じでしたね。私自身はそう言われることに対して耐性があったので、特に傷つくことはなかったです。でも、同性が好きというのはテレビにおいて倫理的に問題があると。番組によっては“女性が好きと言ってくれませんか”と頼まれることもあって……。仕方なくそう発言したこともありましたが、罪悪感が拭えませんでした」テレビで涙を見せなかったのは、明石家さんまのアドバイスが関係していた。「さんまさんが“つらいとか泣いたら、視聴者は引くで。夢を与えるのがトオルちゃんの役目だよ! ”と指南してくれたんです。その言葉があったから、つらいときでも頑張ることができました」その後、オネエタレントが続々とデビューしたことで、さらに居心地の悪さを感じるようになる。「オネエ=毒舌というイメージに変換されていきましたが、私はそういう性格ではないんです。派手に罵り合って番組を盛り上げるオネエたちの中で、ただ座ってニコニコするだけの日が続いて……。こういう状態でテレビに出るのは申し訳ないなと思い、休業することを決めました」■活動再開を決意するも「もう戻る席はない」たね。でも、いつお仕事がきてもいいようにコンディションは整えていました。すると当時、ADだった方たちが“トオルさんにはお世話になったので”とお仕事を回してくれるようになって。芸能界も悪い部分ばかりじゃないですよね」復帰後にはネットで重病説も流れていたが……。「高校時代から体重が変わらないのですが、年をとってやせていると貧相に見えるようで、心配されましたね(笑)。だから昨年はコロナ禍を利用して、4か月かけて7kg体重を増やしました」現在は、姉の中沢初絵のアルバムで作詞・作曲を担当するなど、マルチに活動する。「忙しかったころはお休みが月に1日だけ……という状態でしたが、余裕ができたことで、すべての仕事において全力投球できるようになりましたね」今ではジェンダーレスタレントたちも市民権を得るようになったが、パイオニアのような存在の彼にLGBTについて聞くと、こう答えた。「4年前に沖縄のLGBTイベントの大使をやらせてもらい、生の声を聞かせてもらう機会があったんです。1000人いたら1000個の悩みの形があると実感したので、簡単には語れないなって。私はバラエティータレントなので、オカマキャラで笑ってもらえるならそれでいい。私たちが伸び伸びと活動をすることで、悩みを抱えている人たちが自分たちの形を模索してくれたらいいですね」
2021年07月31日性別や間柄にとらわれない“ジェンダーレスな関係”を描いたエンタメ作品の数々。ラジオパーソナリティ・キニマンス塚本ニキさんが教えてくれました!自分らしくいるために多様な関係性を読み解く。「2015年にアメリカ全土で同性婚が認められたことで、日本でもLGBTなど、多様な性について考えられるようになりましたが、まだまだ新しい価値観を受け入れるのは容易なことではないと思う。だからジェンダーやさまざまな価値観の違いを描いた作品を通して、自分ごと化して、理解を深めてほしい」とキニマンス塚本ニキさん。また多様な関係性を認めると、自分らしくいられることに繋がる場合も。「たとえばドアマンと住民、店員と客といった、恋人や友人のような間柄を表す言葉は存在しないけれど、何気ない日常の中で育まれたフラットな関係に一つの関係性を見出すと、人生が豊かになることもあります」自由を望む女性の幸せを追い求める姿がリアル。ドラマ:『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』鬼才スパイク・リー監督の初期の傑作をリメイク。芸術家のノーラには、タイプの違う3人の恋人がいて…。「3人との関係が心の拠り所になっている一方で、自分のキャリアや黒人女性としてのアイデンティティなど、葛藤や悩みが描かれ、自由で縛られない生き方について考えさせられる作品」Netflixオリジナルシリーズ『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』シーズン1~2独占配信中アラサー漫画家の嘆きや苦しみが赤裸々に!漫画:『迷走戦士・永田カビ』交際経験のない漫画家が、一人で結婚式を挙げた結果、自分には謎のハードルが存在することに気づく。「これは、自己との関係性に焦点を当てた作品。自己分析しながら、満たされないことに対しての果てしない探求が描かれています」。永田カビ著双葉社1000円性に悩み苦しむ少年と多様な人々との交流を描く。漫画:『しまなみ誰そ彼』自分がゲイであることを周りに隠している高校生の少年と、尾道の空き家再生プロジェクトを通して出会う人々との物語。「社会や世間にはびこる差別意識に対して、偏見を受けた当事者の視点で描かれています。目線を変えて読むことができるので、多様性を受け入れるきっかけになるかもしれない」。鎌谷悠希著小学館全4巻693円~さまざまな関係を描いたオムニバスドラマ。ドラマ:『モダン・ラブ ~今日もNYの街角で~』ニューヨーク・タイムズ紙の人気コラムに投稿されたエッセイをドラマ化。「型にはまらない関係性が1話完結で描かれていて、人間関係って本当に多様で、だからこそおもしろいのだと気づかされます」。シーズン2もAmazon Prime Videoにて8/13から独占配信開始。©Amazon Studiosキニマンス塚本ニキさん英語翻訳、通訳業を中心に活動。TBSラジオ『アシタノカレッジ』(22:00~)の月~木曜のパーソナリティ。※『anan』2021年7月21日号より。(by anan編集部)
2021年07月18日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「LGBT法案」です。LGBTと一括りではなく個別の課題解決を。与野党合意で進められていた、性的少数派をめぐる「理解増進法案」は自民党内の強い反対を受け、今国会での提出を断念しました。オリンピック憲章では、いかなる差別も認めず、ジェンダー平等を謳っています。オリンピック開催国でありながら、この法案が成案できないというのは恥ずかしい状況だと思います。2014年のソチオリンピックでは、ロシア政府が同性愛を認めないとLGBT運動を弾圧したため、各国の首脳は抗議の意を示し、開会式の参加をボイコットしました(日本は参加していました)。自民党内でも、稲田朋美議員をはじめ、LGBT当事者と対話を重ねてきた議員はなんとか成案させようと与党幹部に詰め寄りましたが、「家族観が壊れる」など、ベテラン議員からのクレームがついて進みませんでした。もともと野党は、ヘイトスピーチや、同性愛者という理由で入居を拒否されたり、社内で差別を受けたりすることを禁止する「差別解消法案」を提出していました。それに対して自民党はLGBTの人々の実情をまず知ってもらおうと「理解増進法案」を進めていました。結局、自民党案を修正する形で与野党合意したのですが、「差別は許されない」という文言に対して、与党内の保守派が「権利を与えることで、権利を極度に主張されると訴訟が起こり、かえって分断を生む。何をもって差別とするかを定義づけないかぎり法案は認められない」と強硬姿勢を崩さず、国会提出も叶わなかったのです。たとえ法律ができたとしても、差別感情を持つ人の意識が一変するわけではありません。理解を深めるためには、対話や交流の場を増やすことが肝要なのだと思います。残念なのは、この制度を決める国会議員の中に、公表しているLGBT当事者がほとんどいないということです。議員の多様性のなさにも問題があると言わざるを得ません。最初からLGBT法案に賛成か反対か、という二択から始めるのではなく、もっと小さな主語で、性別の問題で困っているさんの課題に対処するには、どんな方法があるのか。具体策を一つずつ見出すことが、状況改善の糸口になるのかもしれません。堀潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。Z世代と語る、報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX平日7:00~)が放送中。※『anan』2021年7月21日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年07月17日6月はプライド月間でしたね。特に海外では大規模な「LGBT+」のデモとパレードが混ざったような祭典が行われます。シンボルはレインボーカラーの旗。LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略だということは、かなり世間に知られるようになりました。さらに最近では、LGBTにQや+を加えて、性趣向や性的アイデンティティーのマイノリティーは4つに限らないことを伝えるように。自分の性的趣向または性認識がわからない、あるいははっきりさせようと思わない、それがQ(クエスチョニング)。性についてカテゴライズしない、という選択があってもいいということです。+は、最近も話題になった、ノンバイナリーやアセクシュアル、その他など。なんだかたくさん名前がついて覚えにくいという方もいますが、要するに性的趣向やアイデンティティーは多様であるということです。多数派のヘテロセクシュアル(異性が好き)でシスジェンダー(生まれ持った性と性認識が一致)でなければ、LかGかBかTの四分割されるというわけではなく、まるで虹のように、さまざまなカラーがあり、交わり合って、グラデーションを成している。そんなイメージではないでしょうか。今までの歴史を振り返ると、性的少数派の立場はだいぶ受け入れられるようになりましたが、私は「受け入れ」という言葉が使われなくなるのが理想だと思っています。そこに「居て」当たり前、という認識になれば良いなと。でも、この「プライド月間」が存在するということは、LGBT、それからそのほか、プラスアルファを含んだ人たちの人権保護がまだまだ必要だということを教えてくれます。みんながお互いの違いを自然だと思える日が早く来ると良いですね。そこで毎回驚くのは、子どもたちの世代の認識です。私たち大人より遥かにボーダーレスで、息子なんかは、どこかの議員の差別的な発言を聞けば、呆れていますし、LGBTはもとより「ノンバイナリー」「アセクシャル」と聞いても、考え込む様子はないのです。「それがどうしたの? 良いんじゃね?」という感覚です。多様性を受け入れるというより、もうすでに当たり前のこととして、息子を取り巻く世界に存在している。そんな若い世代は頼もしいなと思う母の私です。話は飛んで、息子と国語の問題を競い合っていた時のことです。歴代作家と作品を結び合わせる問題で『よだかの星』とくれば「それは宮沢賢治!」、「『小公子』は?」に「バーネット!」などとやりとりをしていました。「じゃあ『トロッコ』は?」と息子に聞かれ、私は「ええっと、ん? 宮沢賢治じゃないの?」。「ブッブッー」とNGを出され、答えを教えてくれました。「芥川龍之介!」好きな作家なだけに、有名とされる短編も知らなかったことが恥ずかしくて、こんな返事で誤魔化しました。「ママね、芥川龍之介といえば『奉教人の死』が好きなのよ」。パリの高校生だった頃、日本語補習校の先生が見事なお話をしてくれたことがありました。「『奉教人の死』(新潮社)っていう話があってね」と先生が語り始めたその物語は、「ろおれんぞ」という名の美しい少年が主人公で、その信仰心の深さを綴ったものでした。思春期だった私にとって圧倒的な吸引力があり、胸の高鳴りとともに迎えた衝撃の結末に打ちのめされたのは忘れもしません。息子にこの話はすごいんだと力説して、ふと気付きました。これ、ちょっと、レインボー?ネタバレしてしまったら勿体無いので、これ以上はとても書けませんが、短いのでぜひ手にとって、中・高校生ぐらいのお子さんに読んで差し上げて欲しい。最初は読みづらい安土桃山時代の口語文体も、慣れれば美しい。かつての私が感動を共有したいと呟いています。ということで、今回は、多様性が当たり前と小さいうちから感じられるような絵本を選んでみました。『王さまと王さま』(リンダ・ハーン、スターン・ナイランド:絵と文/ポット出版)世界中どこでも昔話では、王子様とお姫様が出会うお話ばかりです。でも、本当は異性を好きになる人ばかりではありません。王子様と王子様が一緒になるお話だってあってもいい。むしろあるべきです。そんな思いから生まれたこの作品は、話の流れこそシンプルですが、実はそこがとても良い。王さまが別の王さまに一目惚れしたって、取り立ててびっくりするような、衝撃的なことではありませんよ、ということです。恋に落ちた二人がとても愛おしく思えるだけ。絵の具や色鉛筆、和紙や封蝋まで用いたグラフィックはとてもユニークでおしゃれ。見入ってしまいますよ。(4歳ぐらいから)。『マチルダとふたりのパパ』(メル・エリオット:さく/岩崎書店)パールは学校に新しいお友達がやってくることを知ってワクワク。会ってみるとなかなか気が合いそう。名前はマチルダ。ある日、パールはマチルダのお家に招待されます。きっと楽しいことが待っているに違いない。そう期待したのですが……。思っていたのと違う、という展開がさりげなく素敵な作品です。見返しの部分もお見逃しなく。さまざまな家族構成の絵が可愛いんです。(幼児から)『いろいろいろんなかぞくのほん』(メアリ・ホフマン:ぶん、ロス・アスクィス:え/少年写真新聞社)今まで絵本の中で目にした家族の形は、お父さんがひとり、お母さんがひとり、男の子と女の子が一人ずつ、それに犬と猫が一匹ずつ。でも実際にはいろいろな家族がいます。お父さんだけの家、お母さんが二人の家、おじいちゃんおばあちゃんと暮らす子も……。また、住む家の形もさまざまですし、家で勉強や仕事をする人もいます。休みの過ごし方だって、みんなそれぞれ。食べ物も服装も。さまざまな違いをユーモアたっぷりに映し出した、一家に一冊欲しい作品です。違いがあって当たり前、ということに心が和み、ほろりとしてしまいました。(低学年以上向けですが、小さい子でも)。たくさんの違いに出会って、お互い心が通じ合えますように。(Anne)
2021年07月15日梅雨真っ只中だと、つい気分までジメジメしてしまうことはありませんか?そこで、今回ご紹介するのは、フランスから届いたカラッと晴れやかな気分にしてくれるオススメの注目作です。『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち』【映画、ときどき私】 vol. 396オリンピックの銀メダリストとして活躍していた水泳選手のマチアス。ある日、同性愛者への差別発言によって世界水泳大会への出場資格をはく奪され、罰としてゲイのアマチュア水球チーム「シャイニー・シュリンプス」のコーチをすることとなる。彼に課されたミッションは、弱小チームを3か月後にクロアチアで開催されるLGBTQ+のオリンピック“ゲイゲームズ”に出場させることだった。ところが、メンバーは勝ち負けにこだわらないパーティ好きなお調子者ばかり。マチアスは適当にやり過ごそうとしていたが、悩みを抱えながら明るく生きるメンバーたちと触れ合うなかで、少しずつ心を開いていくことに。次第にまとまってきた彼らを待ち受ける結末とは!?本国フランスでは、2019年に公開され、初週動員数No.1に輝くなど、大ヒットとなった本作。そこで、実在するゲイの水球チームにインスパイアされて誕生した物語の裏側について、こちらの方々にお話をうかがってきました。セドリック・ル・ギャロ監督 & マキシム・ゴヴァール監督共同で監督と脚本を務めたのは、実生活で「シャイニー・シュリンプス」に7年間所属しているセドリック監督(写真・左)とプロデューサーの紹介によってセドリック監督と運命の出会いを果たしたマキシム監督(写真・右)。作品が完成するまでの道のりや実際のメンバーたちによる驚きのエピソード、そして日本への思いについてお話いただきました。―今回、おふたりでの共同作業は、どのように進められたのでしょうか?2人だったからこその強みなどがあれば、教えてください。マキシム監督まず、僕はセドリックとは違ってチームのメンバーでもないし、ゲイでもないので、脚本を書くにあたっては、僕が彼にインタビューをするような形式を取りました。そうすることで、彼にとっては普通のことでも、外から見たらおもしろいと感じることを見つけられるのではないかなと。それから、最初に同性愛者へ理解のなかったマチアスを描くうえでも、当事者ではないからこそ僕の意見が活かせると思ったのも理由です。なので、セドリックが素材で、僕が視点というバランスで作業を進めていきました。―なるほど。その過程で、意見が食い違うことはありませんでしたか?セドリック監督どういう流れでストーリーを展開させるかということや映画のトーンに関しては、最初から僕たちの意見は同じでしたね。もちろん、細かい部分やセリフの言い回しなどで話し合わなければいけないときも多少ありましたが、作品の方向性やアイディア、ユーモア、感情の部分などの本質的なところは一緒だったかなと。違いといっても、本当にちょっとしたことでした。ただ、フランスでは「悪魔はディテールに潜む」と言いますからね……。マキシム監督そうだね(笑)。世界選手権の結果については意見が正反対にわかれましたが、それぐらいかなと思います。今回、僕たちが目指したのは、LGBTQ+のコミュニティの人たちだけではなく、誰もが楽しめる作品にすること。そのために、お互いにインスピレーションを与えながら、修正をかけていくことを心がけました。結果的に、現実を裏切ることのない楽しい作品に仕上がったと思っています。勝つことより大事なのは、一緒に体験すること―映画のなかに、実際のチーム内で起きた出来事が反映されているシーンなどもありますか?セドリック監督具体的なエピソードというのはありませんが、チームのスピリットや雰囲気というのは、そのまま活かされていると思います。特に、試合に勝つことよりも、みんなで一緒にいることや笑い合って過ごすことの大切さを重視しているところは、まさに僕のチームと同じですね。―個性豊かなメンバーが繰り広げるウィットに富んだ会話のやりとりも、非常に面白かったです。モデルになっている方はいますか?セドリック監督実際のチームには35人のメンバーがいて、20代の学生からすでに退職した60代の人まで、幅広い年代で構成されています。本当に多様性に富んだ人たちが集まっているチームなので、映画のキャラクターはそれぞれのメンバーの個性を散りばめて作り上げました。劇中で、ジャンという人物が「世の中には、ゲイじゃないのに不幸な人もいるんだよ」といったことを言いますが、それは僕のチームメイトがよく「ゲイで幸せだ」といった言葉を口にするので、それが基になって生まれたセリフです。―マキシム監督は、実際のチームと一緒に時間を過ごすなかで新たな発見もありましたか?マキシム監督僕が驚いたことは、2つありました。まずひとつめは、スポーツに対する考え方がまったく違うこと。僕は体育会系なので、どうしても勝つことに重きを置いていますが、彼らは勝つことに全然興味がないんですよね。なぜなら、彼らにとって大事なのは、行動をともにし、体験をシェアすることだからです。それを知ったとき、「この映画を撮る価値はある」と確信しました。もうひとつは、おもしろかった話なんですが、セドリックの友達のひとりにコスプレ好きがいて、トーナメントに出発する際、衣装を詰め込んだ大きなスーツケースを持ってきたんです。それほど衣装を持ってきたにもかかわらず、唯一持ってくるのを忘れたのが競技用の水着でした(笑)。でも、これこそまさにチームの精神性を体現している出来事だなと感じたので、僕の大好きなエピソードです。理解し合うのに必要なのは、お互いに対する寛容さ―ますます「シャイニー・シュリンプス」を好きになるお話ですね。セドリック監督は、チームに入ったことでご自身の人生にどのような変化がありましたか?セドリック監督実は、このチームに入るまで、僕にはゲイの友達がいませんでした。もちろん普通に友達はいたので、決して不幸だったわけではありません。でも、同じ価値観や思考を持っている友達の存在が、人生においてこんなにも大事なことだとは知りませんでした。それまで自分が経験してきたことを自由に話せることも、それを共有してお互いにアドバイスし合えることも、自分にとってこんなに大きなことだったとは考えもしなかったので。それに、彼らは他人と違うことに対してとてもオープンマインドなので、これまでだったら人と違うと敬遠されていたものが、むしろ違うことを褒めてくれるのです。そういう考え方のおかげで、自分のことをより“開拓”できるようになったのではないかなと思います。あとは、こうして日本から取材を受けていること自体、人生が大きく変わった証拠ですよね(笑)。―劇中では、同性愛者に偏見があったマチアスがどんどん変わっていく姿が描かれていますが、そんなふうに違う者同士がお互いを理解しあうのに必要なことは何だと思いますか?セドリック監督まず大切なのは、寛容な心だと思います。ただ、どちらかが寛容さを持てばいいというわけではありません。つまり、お互いが相手の社会に対して寛容な心を持つことが必要だという意味です。たとえば、いまはSNSで相手を中傷した場合、傷つけられた人はすぐに激しく反論してしまいがちですが、その前に「なぜ自分は傷ついたのか」ということをきちんと説明するべきだと僕は思っています。社会にはまだ同性愛に嫌悪感を抱いている人や道理が通じない人もいますし、そもそも同性愛に対してまったく知識がない人もいるので、そういう人たちには、まず教えるところから始めるべきなのかなと。特に、SNSだとヒートアップしやすいので、対立してしまうかもしれませんが、罵倒し合うのではなく、わかってもらう努力をする必要もあるように感じています。だからこそ、それぞれの人物の人生をじっくり描ける映画を通して理解してもらいたいです。マキシム監督セドリックが言ったことに付け加えるなら、大切なのは好奇心。相手のことを無視したりすることなく、好意的な目線を持つことも重要だと僕は考えています。日本での撮影がいまから楽しみで仕方ない―ありがとうございます。話は変わりますが、エンドクレジットでセーラームーンのコスプレをしている写真が非常に気になりました。実際の試合のときに撮られたものですか?セドリック監督セーラームーンの衣装は、パリのトーナメントのときに僕たちが実際に着ていたものです。僕のチームはみんなコスプレがすごく好きで、つねに新しいアイディアを探していますからね。おそらくそれは、メンバーのひとりに日本のカルチャーオタクのような人がいて、彼が日本のアニメや歌が大好きなので、その影響もあると思いますが。とはいえ、フランスでも僕らの世代は日本のアニメが大好きで、小さいころは「セーラームーン」はもちろん、「キャッツ・アイ」とかもよく見ていました。そういったこともあって、劇中にも取り入れることにしたんです。マキシム監督もしかしたらですが、第2弾でセーラームーンが再登場するかもしれませんよ。―それはどういう意味でしょうか?セドリック監督実は、本作の続編は日本での撮影を予定しているんですよ!そのときにセーラームーンを登場させるかどうかをいま話し合っていて、アイディアとして盛り上がっているので、みなさんがスクリーンで見れる可能性は高いんじゃないかなと思います。―次回作でのコスプレも、日本を舞台にどのような展開が繰り広げられるのかも楽しみにしています!セドリック監督うまく行けば、今年の10月に日本で撮影をすることになりますが、僕たちもキャストたちも日本のカルチャーのファンなので、「早く日本に行きたいね!」と話しているところです。マキシム監督そうだね。僕は日本の伝統と近代性のコントラストや料理、音楽など、すべての文化が大好きです。もちろん、日本の女性もね(笑)。なので、日本に行けることが夢のようです。セドリック監督僕は日本の楽しいゲイのみなさんのことも好きですよ(笑)。以前、1度だけ仕事で日本には行ったことがありますが、滞在時間が48時間くらいしかなかったので、また絶対に戻ってきたいと思っていました。本当に、楽しみにしています。笑いと感動が止まらない!さまざまな悩みを抱えつつも、ユーモアとノリで我が道を突き進む「シャイニー・シュリンプス」のメンバーたち。自分が目指すべき“ゴール”とは何かを決められるのは、自分だけだと気づかせてくれるはず。笑いながら、思わず涙が出ちゃう最高のラストシーンも必見です。取材、文・志村昌美笑顔にしてくれる予告編はこちら!作品情報『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち』7月9日(金)全国公開配給:ポニーキャニオン、フラッグ© LES IMPRODUCTIBLES, KALY PRODUCTIONS et CHARADES PRODUCTIONS
2021年07月08日6月は「プライド月間」と呼ばれ、LGBTの権利について啓発を促す活動が世界各地で行われています。そんななかでオススメしたいのは、海外でも高く評価されている話題のドキュメンタリー映画『息子のままで、女子になる』。今回は、こちらの方々にお話をうかがってきました。サリー楓さん&杉岡太樹監督【映画、ときどき私】 vol. 388建築デザイナーやモデル、コメンテーターなど、幅広い分野で活躍し、トランスジェンダーの新しいアイコンとして注目を集めているサリー楓さん。本作では、楓さんの新たな挑戦や日常生活だけでなく、初めて家族と対話する瞬間にまで杉岡監督が鋭く切り込んでいます。そこで、おふたりに撮影の裏側や多様性のある社会に必要なものについてそれぞれの思いを語っていただきました。―約1年半にわたる密着となりましたが、ご自身で作品をご覧になっていかがでしたか?楓さん今回は、私のライフイベントが次々と発生するところにたまたまカメラが居合わせていただけなので、私にとっては日常の記録みたいな感じでしたね。ただ、自分では普通だと思っていたのに、私は日常を過ごすことにこんなにもエネルギーを使っていたんだということを改めて知りました。―最初に楓さんに会ったとき、監督はどのような印象を受けましたか?監督まずは、フォトジェニックな存在だと思いました。彼女は外見的な美しさを持ち合わせているだけでなく、内面にあるものが表情や動きにそのまま出るタイプだったので、撮る人間からすると最高の被写体だなと。撮っていて楽しいと感じる人じゃなければ、もしかしたら1回目の撮影でやめていたかもしれませんね。―撮影するなかで、忘れられない瞬間といえばどの場面ですか?監督やっぱりお父さんとのシーンですね。あの場にいた全員が極限状態だったと思います。楓さんとお父さんだけでなく、もし僕にもカメラが向けられていたら僕もすごい表情になったいたんじゃないかなというくらい。でも、あのシーンを見れば僕らがどういうことを訴えたいのかというのは伝わると思っています。当事者とその親御さんにも発信したいと感じた―とはいえ、楓さんとしては葛藤もあったのではないでしょうか?楓さん実は、私は両親が出ることに最初は大反対でした。これまで両親とジェンダーについて話すことをずっと避けていたというのもありますし、そういう気まずいことをあえてカメラの前ですることが嫌だったからです。でも、トランスジェンダーのリアリティを伝えるためのドキュメンタリーなのに、親子関係という一番リアルな部分が映っていなければ、何も伝わらないんじゃないかなと。そこが腑に落ちてから納得はしましたが、内心では「両親が『出るわけないだろ』と断ってくれないかな」と期待していました(笑)。監督あはは!それは残念だったね。楓さん両親が出ると言ってから私にとっての"地獄"が始まったわけですが、それによってトランスジェンダー当事者だけでなく、カミングアウトされた親御さんに向けても発信できるのではないかと思うようになりました。ある日突然、自分の子どもにカミングアウトされたお父さんやお母さんは、当然困惑しますよね。おそらくそこでほかにも同じような親子がいるのかを調べると思いますが、そのときにこういう映画があるのとないのとでは、理解度が違うのではないかなと。当時、私に乗り越えられるかどうかわからない壁でしたが、いまはやってよかったなと感じています。ちゃんと乗り越えられたどうかは自分ではわかりませんが……。監督ゴールはないかもしれないけど、僕から見ると乗り越えていたと思うよ。だから、いまこうしてインタビューを受けることになっているんじゃないかな。楓さん私が勇気を出したとか、努力をしたというよりも、両親がこの話に乗って来たことで、ジェットコースターに乗せられちゃったみたいな感じです(笑)。監督(笑)。ただ、僕からも補足したいのは、彼女が抱えていた親子関係というのは、日本のLGBT当事者における懸念事項の大きな部分を占めていると言われていて、多くの人が共有できることだという思いから撮りたいと伝えました。それともうひとつの理由は、(映画の中で出てくる)講演活動やメディア出演のなかで彼女は「自分のジェンダーを親に認めてもらえない」という話をするのですが、それを一面的に発信するのは、フェアではないと思ったから。なので、もし出演を断られたとしても、お父さん自身の言葉を聞くアプローチはするべきだと考えていました。なぜなら、それが表現をする人間としての責任だと感じていたからです。事なかれ主義で自分だけ逃げたくなかった―なるほど。作品のなかでもお父さんのリアルな表情は非常に印象的でした。監督お父さんが本当にすごいなと思ったのは、初めてレストランで会ったシーンを撮影したとき。映画では空席から始まって、楓さんとご両親が入ってくるんですけど、その前に挨拶や「ここから入ってくる振りをしてください」といった打ち合わせがあったわけではなく、お店に入ったらいきなり撮影が始まっているという状況だったわけですよ。内心はどう思われていたかわかりませんが、何も言わずにそれを受け入れてくれたところに楓さんへの愛や親としての責任といった大きな何かを感じました。―実際、この映画を経て親子関係は変わりましたか?楓さんそうですね。それまではジェンダーについては触れてはいけないとモヤモヤしていましたが、いまはそれがなくなって話しやすくなったようには感じます。でも、以前の私たちのようなぎこちない親子関係というのは、おそらく日本中にたくさんあるんじゃないかというのは、今回の撮影を通じて考えるようになりました。私はたまたまこういう機会があったので、乗り越えられましたけど、実は私もずっと避けてきたことでしたから。同じようなことに思い悩んでいる人はたくさんいるはずなので、いまはそういう方々にこの映画が届けばいいなと思っています。―これまでに私もトランスジェンダーの俳優さんや監督に取材したことがありますが、どこまで踏み込んでいいのかについて悩んだことがあります。監督はどのような意識をされていましたか?監督事前に楓さんにも伝えたのですが、僕はカメラを持ったらブレーキが効かないタイプだという自覚がありますし、そもそもカメラは“暴力的な装置”だとも思っています。なので、もしかしたら傷つけてしまうことがあるかもしれないから、それが起きてしまったときはきちんと教えてほしいというのは伝えました。撮影の合間でも、不当な扱いをされていると感じないか、差別的なことを言われたと感じないか、ということは何度も楓さんに確認しながら進めるようにしました。ただ、そのいっぽうで僕が勝手にボーダーを決めて「これ以上は踏み込まない」とすることは僕のエゴなのではないか、という思いがあったのも事実です。覚悟を決めてカメラの前に立ってくれている人に対して、事なかれ主義で自分だけ逃げるのは失礼なのではないかと。なので、「自分が聞きたいことは聞く、撮りたいものは撮る」という部分も同時に心がけてはいました。ジェットコースターのような作品に仕上がった―そういう監督だから、楓さんも自分をさらけ出せた部分もあったのでは?楓さん私としてはさらけ出さなきゃというよりも、ただありのままでいただけですね。監督が“いじわるな人間”であることは知っていたので(笑)。監督あはは!楓さん最初はカメラの前でいつもよりもメイクをがんばって気合いを入れていましたが、それもだんだん飽きてきて、スッピンを1回撮られたらどんどん気が抜けていってしまって。でも、そういう瞬間が一番リアリティがありますよね。ちなみに、私的に映画に使ってほしくない映像が全体の5%あったとしたら、その5%全部が使われていました……。なので、映画を観たときに「あれもこれも映ってるの!?」みたいな(笑)。でも、最初から“いじわるジェットコースター”に乗ってしまったとわかっていたので仕方ないですよね。監督ただのジェットコースターから、いじわるジェットコースターになってきましたけど……。インタビューの終わりにはすごいことになってそうだな(笑)。楓さん(笑)。まあ、自分からジェットコースターに乗ったのに、「なんでここで落ちるんですか!」とクレームをつけられないですからね。観る方によっては、泣いてスッキリしたという人もいれば、落ち込む人もいるかもしれませんが、ジェットコースターのようだということだけは伝えておきます。監督そうだね。メリーゴーランドやティーカップだと思っていたら、振り落とされるかもしれないね。世の中にある間違ったイメージを払拭したい―では、みなさんには覚悟してご覧いただくということで。劇中で楓さんは、「世の中に広がっているトランスジェンダーのイメージが間違っている」とおっしゃっていましたが、実際にはどのような違和感を抱かれていますか?楓さん私がカミングアウトしたのは大学院生のときですが、当時はまだトランスジェンダーという言葉がいまほど普及していなくて、私もLGBTという言葉を知ったことでようやく自分が何者であるかを知ったほどでした。大学では、私より先にカミングアウトしていた方がいたのですんなり受け入れられたんですが、それ以外のところだと、「どんだけ〜」とか言われたり、「男の声出してみて」とかおもしろいことを求められたりすることが多かったですね。あとは、逆に「それはつらかったね」という反応もありましたが、私としては「そんな山あり谷ありみたいな人生送ってませんけど……」みたいな感じでした。そんなふうに、カミングアウトした瞬間に突然エンターテインメントみたいな扱いをされたり、感傷的に見られたりすることに違和感があったんです。でも、その原因はトランスジェンダーで検索したときに芸能情報のようなものはたくさん出てきても、就職や実生活の役に立つような情報がまったく出てこないことにあるんじゃないかなと。このままだとカミングアウトしようとしている人が私と同じような思いを味わうことになると思ったので、ロールモデルとして参考にしていただけるように、ブログやSNSを使って発信することにしました。カミングアウトされる側にも伝えたいことがある―当事者の方々には大きな助けになったと思います。ただ、いっぽうでカミングアウトされる側の情報が少ないことも、どういう対処をしていいかわからない原因かもしれません。そのことについて楓さんから伝えたいことはありますか?楓さん自分らしくいることや多様性がこんなに肯定される時代ってこれまでなかったんじゃないかなと感じています。だからこそ、誰かにカミングアウトされたときに、「“LGBTフレンドリー”が目指されている時代だから、受け入れなきゃいけない」みたいに気負ってしまって、本当はまた受け入れられていないのに、理解した振りをしている人もいるのではないかなと。でも、そんなふうに装ってしまうことほど悲しいことはないと思っています。たとえば、私の父はカメラの前でも嘘つくことなく、「自分はまだ理解できていない」といったことを言っています。確かに、18年間ずっと息子として一緒に生活してきたのに、突然「女子です」とメイクして現れた息子を急には受け入れられないですよね。多様性が尊重されている時代だから受け入れなきゃというよりも、自分なりに考えてわからないことがあれば、「わからない」とちゃんと伝えたほうがいいと私は思っています。そうしないと、お互いに学び合う機会を失って、表面的な理解だけにとどまってしまうと感じているからです。―正直に話してくれている相手には、正直な思いを伝えたうえで向き合うことのほうが大事なんですね。監督ただ、これは親子だから言える部分もあるのかなとは思います。他人が同じことをした場合、それが許されるのかな?楓さん確かに、難しいところかもしれないですね。家族や親友にカミングアウトされたとき、受け入れるのが困難な場合もあると思いますが、その裏には「就職活動で不利にならないかな」とか「これが原因でいじめられないかな」といった相手を気遣うがゆえに想像力が働くこともあるじゃないですか。つまり、守りたい相手の幸せを願うからこそ理解が示させない場合もあるので、私は理解が示せないことが一概に悪だとは思っていません。だから、理解できる人がいい人で、できない人が悪い奴みたいな単純な話ではないのかなと。理解できない人にもできないなりの愛や思い入れがそこにはあるのだということも、この映画を通して発信していけたらいきたいですね。無理に自分らしく振る舞わなくてもいい―非常に興味深いお答えをありがとうございます。では、多様性の尊重される社会に必要なのはどんなことだとお考えですか?監督僕は、寛容さだと思います。さまざまな価値観が肯定されようとしているいまの時代は自分が承服できないものであふれているという側面もあるはずなので、ストレスを感じている人も多いかもしれません。でも、そこにストレスがあったら、おそらく多様性がある社会で生きるのは難しいので、自分が受け入れられないものに対しても、「だからこそ世界は豊かだよね」と、でこぼこ道の人生を楽しめるマインドになれたらいいですよね。楓さんまず「多様性」という言葉はLGBTや弱者のためのものではなく、他者を認めず排除しようとしている人や多様性を望まない人たちも含まれると私は考えています。それこそが多様性なので、誰が間違いとかではなく、それぞれが一人称の視点を持つことが必要だと思います。あと、いまは自分らしさや他人と違うことを求められることが多いですが、あまり多様性に理想を抱きすぎないというのも大事かもしれません。もちろん人と違うということが自分らしさにもつながっているところはありますが、「人と違わなきゃいけない」と思いながら発見する自分らしさは、結局のところ自分らしさではないと思います。奪われそうになっても絶対に譲れないものや削っても削っても自分の内側にある”燃え残った芯”のようなもの、それこそが本当の自分らしさだと私は思っています。ただ、「無理に自分らしくしなくてもいいんじゃない?」というのも付け加えたいですね。自分らしくしないという決断もありだと思うので、そういう選択肢がある社会になったら素晴らしいんじゃないかなと。監督確かに、自分らしさなんて自然と生まれてくるものなので、そこで焦らなくていいと僕も思います。いっぽうで、「あれはダメ」とか「こうしなきゃいけない」とか周りから言われることもありますが、これから未来で活躍する人たちには窮屈な思いをせずにありのままの自分でいてほしいですね。そういったこと含めて、まずはこの映画を観ていただければ、わかると思います(笑)。インタビューを終えてみて……。この作品を通して、何でも言い合える“戦友”のような関係になったことが感じられる楓さんと杉岡監督。ユーモアを交えつつも、核心をついたひと言ひと言は、どれも興味深いお話ばかりでした。今後もおふたりがどのような発信をされていくのか、注目していきたいと思います。決められるのは自分自身だけ!誰もが葛藤や挫折を経験する日々のなかで、自らの手で道を切り開いていく楓さんの姿に、自分のなかにも眠っていた“何か”が目覚めていくのを感じられるはず。ジェットコースターのような106分の先に、新たな自分と出会ってみては?写真・安田光優(サリー楓、杉岡太樹)取材、文・志村昌美サリー楓ヘアー&メイク/TAYAストーリー男性として生きていくことに違和感を持ち続けていた楓は、これからの人生を女性として生きていくと決断する。幼いころから夢見ていた建築業界への就職も決まり、新たな人生は動き始めていた。そんななか、ビューティコンテストへの出場や講演活動がきっかけとなり、メディアでも注目を集める楓。セクシャルマイノリティの可能性を押し広げたいと語るいっぽうで、父親に認められたなかった息子というセリフイメージから抜け出せずにいた。そして、自分らしい未来を手にするため、ある決断をすることに……。心を揺さぶる予告編はこちら!作品情報『息子のままで、女子になる』6月19日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開配給:mirrorball works© 2021「息子のままで、女子になる」写真・安田光優(サリー楓、杉岡太樹)
2021年06月18日「その批判は当たらない」「LGBTには生産性がない」「障害者は不幸を生むだけ」--。政治家による無責任な言葉や誰かの尊厳を傷つける言葉が幅を利かせ、そのことに嫌悪感を抱き、「おかしい」と感じながらもうまく言葉にできないモヤモヤを抱えている人は、決して少なくないのではないでしょうか。そんな言葉や社会が「壊れつつある」現状について考えた、荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)が5月に発売されました。同書は、「マイノリティの自己表現」をテーマに研究している文学者の荒井さんが、障害者運動や反差別闘争の歴史の中で培われてきた「一言にまとまらない魅力をもった言葉たち」と「発言者たちの人生」を紹介しながら、言葉によって人間の尊厳をどう守っていけるのかを考えたエッセイ集です。私たちが日々抱いているこのモヤモヤの正体は何?社会や人間のつながりを断ち切る言葉に抗(あらが)うにはどうすればいい?荒井さんにお話を伺いました。前後編。「自己責任」の変異株——後編では「私たちのつながりを断ち切る言葉に抗(あらが)うために大事なこと」をテーマにお話を伺えればと思います。第14話の『「黙らせ合い」の連鎖を断つ』では、近所の公園で高いところに登ろうとしていた子どもに声をかけたら、「ケガしても自己責任だから」と返されたというエピソードを紹介されています。荒井さんはこのことに、とても驚いたとつづっていらっしゃいます。荒井裕樹さん(以下、荒井):たぶん10歳かそこらの子どもが「自己責任」と言ってきた時は、本当にびっくりしました。教育現場でも「自分で責任を持ちなさい」ということがよく言われるのですが、「そもそも、自分で責任を持つというのはどういうことなのか」を分かっておく必要がありますよね。私は、「自分で責任を持つことができるようにいろいろなことを教える」のが教育だと思っています。学校教育であれ、家庭での親子の関わりであれ、自分で責任を持つとはどういうことなのか?そもそも責任とは何か?ということは、それについてみんなで話し合ったり、考え合ったりしながら体得していくものだと思うんです。でも、そういったときに「自己責任」という言葉の何が怖いかというと、これ以上はこちらも関わらないし、おたくも関わってくれるな、というメッセージになることなんですよね。——職場でも「風邪をひいたのは自己責任なので」と同僚が言っていた時にうすら寒いものを感じたのですが、まさに社会や人々の分断を象徴する言葉だと思っています。荒井:最近思うのは、「自己責任」という言葉の“変異株”みたいなものが出てきているのではないか、ということです。——“変異株”というのは?荒井:「自己責任」という言葉が話題になったのは2004年のイラク邦人人質事件がきっかけでしたが、あの頃から比べると、随分その意味合いが広がってきたと思います。女性が性暴力の被害に遭うのも自己責任、社員を搾取するような企業に入ってしまったのも自己責任、というように、使われ方が広くなってきた。こうした意味の膨張も不気味だったんですが、最近はまた別の不気味な変異を起こしつつあるような気がします。例えば、「会食したせいで(コロナに)感染してしまったのはあなたの自己責任だ(だから自分でなんとかしろ)」という言い方はこれまでもあったと思うのですが、「感染しても自己責任だから飲みに行きます(だから放っておいてください)」という使われ方を最近見聞きして、最初に耳にしたときは「あれっ?」と思いましたね。あなたが負うリスクについて私は関与しませんという使われ方だったのが、これは自分が引き受けることだから他人にとやかく言われる筋合いはない、という意味に変わってきている。「自己責任」という言葉の何が怖いかというと、人と人との関わりを断ち切る言葉だからなんです。確かに、だれかと関わり合うって面倒くさいし、その関係を断ち切りたくなるときもあるわけですが、一方で、人ってゆるやかにつながっていることも大事だと思います。そこで「断ち切る」ことばかりが強調されてしまうと、「私のことなんだから、あなたにはどうでもいいことでしょう?」とか「好きなようにやらせろよ」というふうに、言葉がざらついた感じに変異していってしまう。こういう言葉が広まっても、おそらくは誰も幸せにならないだろうな、と思います。人と関わるのって悪くない——「自己責任」がまかり通る社会って殺伐としていて誰にとっても生きづらいと思います。なんとか抗(あらが)っていきたいと思うのですが、そこでポイントになるのが「ゆるくつながる」ということなのでしょうか?荒井:そうですね、ゆるやかにつながっていることが大事なんだろうな、と。でも「絆」って言うと、うっとうしいですよね?——うっとうしいですね……。「絆」とか言われるとしんどいです。荒井:「絆」という字は、もともと「ほだし」とも読むんです。情にほだされるって言いませんか?あの「ほだし」です。もともとは家畜をつなぎとめておく綱の象形文字ですから、人をつなぎとめておくもの、拘束するものでもあるんですよね。そういう押し付けがましくない形での、ゆるやかなつながりを模索していく必要があるのでしょう。私は1970年代の障害者運動の研究をしています。「人権闘争」などと言うと、いかにも崇高な闘いをイメージされる方も多いのですが、当時の闘い方を調べていると、みんな「ただなんとなく集まっている」んですよ。何かテーマを決めて議論するというよりかは、ポテトチップみたいなお菓子やビールを持ち寄って、誰かのアパートに集まって、ただ話し合っているんです。解決策は見えないし、答えも出ないんだけど、とにかく集まって話す。そうすることで、一人一人が孤立しないよう、ゆるくつながっていたのですよね。とにかく「孤独にはしない・させない」という、その感じがいいのかな、と思います。仲の良さを確認し合うために特別なイベントを催すでもなく、「同じ酒を飲まなきゃ真の友達じゃない」という暑苦しい感じでもなく、何かあったらとりあえずゆるやかに集まってみる。そうやって凝り固まった自分の考え方や言葉を中和していく。そういう場がコロナ禍で奪われているからこそ、より大切に思います。——「孤独にしない・させない」というのは意識していきたいですね。荒井:もちろん、人それぞれ、できることもやれることもバラバラです。でも、だからといって「できることをそれぞれやりましょう」とだけ言っちゃうと、結局みんな個人としてバラバラになって、最終的には孤立させられちゃうんですよね。だから、そうさせないことが大事。——荒井さんご自身は、ゆるくつながっていますか?荒井:今は子育てで手いっぱいですが、でも、子どもの友達の家族同士で、子どもを預かったり預けたり、というのはやっていますし、とても助かっています。以前、友達の子どもを預かって、お昼に冷蔵庫にあった食材で簡単にハヤシライスを作ったところ、出した途端にペロッと食べられちゃって、「ぜんぜん足りない!」と言われて打ちのめされました。子育てしてるのに「子どもが食べる量」をきちんと見積もれなかった自分っていったい何なんだろう?って落ち込みました(笑)。そんなこともありつつですが、ゆるくつながっていきたいと思っています。——お話を伺っていて、人と関わるって傷つくこともあるし、しんどいこともあるけれど、それでも可能性というか希望を持ちつづけたいと思いました。荒井:この本には、私が深く関わってきた障害者運動家も登場します。私が私の人生を生きるだけだったら、こうした人たちと関わらなくても生きていけたと思います。でも、それでも関わりを持ったわけです。付き合う中で大変なことやしんどいこともたくさんありましたが、楽しいこともたくさんあった。だから、私自身の個人的な経験としても、「人と関わることはそんなに悪いことではないぞ」という実感があるんですよね。私自身、一人でいることは全然しんどくないし、むしろ人といるほうがしんどいのですが(苦笑)、人と関わることも悪くないなと思えたのは、まさに、この本に登場する人たちのおかげなんだと思っています。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:山本ぽてと)
2021年06月17日LGBTQ+をテーマとした映画を、ジャンルを問わず国内外からセレクションして上映する「第29回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)」の上映プログラムが決定。全14作品の内、13作品が日本初上映となる。シネマート新宿では8作品を、シネマート心斎橋で7作品を上映。また、アジア・太平洋地域の新作短編映画を紹介するプログラム「QUEER×APAC 2021」では、6作品をオンライン上映する。世界各国で受賞、評価された作品が並ぶ充実のラインアップとなっている。新型コロナウイルスによるコロナ禍の状況は、映画館の休業や、新作映画の公開延期など、映画業界に大きな影響をもたらしている。また、日本のLGBTQ+においても、今年3月に札幌地方裁判所が「同性婚を認めないのは違憲」とする判断をした一方、5月にはLGBT理解促進法案の国会への提出が見送られたことも物議を醸した。いまこそ、大きなスクリーンで、あるいはオンラインでも、多様性溢れる世界中の優れた作品に触れることのできるチャンスとなっている。『世紀の終わり』2019・アルゼンチン★日本初上映バルセロナで偶然出会ったアルゼンチン人とスペイン人の男性2人。一夜だけに見えた男たちの関係は、20年にわたる壮大な愛の記憶を呼び起こす。時間の概念を巧みに操り、恋人との過去・現在・未来を描いた究極のラブストーリー。『WEEKEND ウィークエンド』(第21回上映)や『君の名前で僕を呼んで』を彷彿とさせる本作は、各国の映画祭で上映され人気を博した。2019年を代表する作品。『ストロベリーミルク』2020・オーストラリア★日本初上映母を自殺により亡くし、独りで家に取り残された16歳のクローディア。外の世界を知らない彼女が、グレースという同い年の少女に出会う。家族と衝突し、家に居場所のないグレースもまた独りだった。彼女たちは閉ざされた森の中で2人だけのカラフルな世界を築き上げていく。2人の愛おしい夏の日々は瞬く間に過ぎ、やがて…。叙情的な映像美で少女たちの初恋とシスターフッドを描いた、オーストラリアの新星ケイティ・ファウンド監督の長編デビュー作。『ノー・オーディナリー・マン』2020・カナダ★日本初上映1940年代から50年代に活躍したのち表舞台から姿を消したジャズミュージシャン、ビリー・ティプトン。1989年に死去後、「キャリアのために性別を隠していた女性」と報じられ、ビリーの家族に世間から好奇の目が向けられる。彼がトランス男性だった事実は語られることなく…。本作はビリーの人生を再構築し、その素顔に迫るドキュメンタリー。トランスジェンダーの文化人が多数登場し、ビリーがトランスコミュニティに遺したレガシーをふり返る。『親愛なる君へ』2020・台湾★日本初上映※特別先行上映 7月23日(金・祝)シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開老婦・シウユーの介護と、その孫のヨウユーの面倒をひとりで見る青年・ジエンイー。血のつながりもなく、ただの間借り人のはずのジエンイーがそこまで尽くすのは、2人がいまは亡き同性パートナーの家族だからだ。しかしある日、シウユーが急死してしまう。病気の療養中だったとはいえ、その死因を巡り、ジエンイーは周囲から不審の目で見られるようになる。警察の捜査によって不利な証拠が次々に見つかり、終いには裁判にかけられてしまう。だが弁解は一切せずに、なすがままに罪を受け入れようとするジエンイー。それは全て、愛する“家族”を守りたい一心で選択したことだった…。金馬奨3部門受賞をはじめ、台北映画奨、台湾映画評論家協会奨でも受賞するなど、大きな話題を呼んでいる本作が特別先行上映作品として登場。『シカダ』2020・アメリカ★日本初上映ブルックリンに住むベンは、日々の仕事を渡り歩きながら、様々な男女と一夜限りの肉体関係を持ち続けていた。ある日、ベンは古書店で黒人のサムと出会う。蝉の声が響き渡る夏の間、ベンとサムは急速に関係を深めていくが、次第にそれぞれが抱えるトラウマが2人の前に立ちはだかる。監督・主演のマシュー・ファイファーが自身の幼児期の体験とサム役のシェルダン・ブラウンの実体験をベースに描いた、痛切で親密なラブストーリー。『恋人はアンバー』2020・アイルランド★日本初上映90年代半ば、アイルランドの田舎町。高校生のエディは父の後を継いで軍隊に入ることを望み、アンバーは自由な大都会ロンドンに引っ越すことを夢見ている。2人の共通点は同性愛者だということ。周囲にセクシュアリティを悟られないようカップルを演じることにしたエディとアンバーだが、やがて2人の“理想的”な関係は崩れ始め…。自分らしく生きることにもがく10代の男女の友情をハートウォーミングに描いた青春映画の傑作。『叔・叔(スク・スク)』2019・香港★日本初上映退職が間近に迫ったタクシー運転手のパクと、すでに引退しているシングルファーザーのホイ。2人の出会いが長年抑制し続けてきた感情を呼び起こす。しかし、一緒に将来を築くには乗り越えなければならない壁がいくつも存在していた。同性愛とエイジングという問題を当事者やゲイ・コミュニティなど多角的な視点から描く。第70回ベルリン国際映画祭など各国の映画祭で上映され、中華圏で最大の映画賞である金馬奨で5部門にノミネートされた話題作。『であること』 2020・日本海外コーディネーターとして、テレビ業界で生きる西山ももこは、日々の仕事の中で、ふと疑問を持つ。西山はLGBTQにカテゴライズされている人たちに、彼らが積み重ねてきた内省や思索を聞くべく、訪ね歩くことを決意。友人をはじめとした9人に率直な疑問を投げかけ、自分自身“であること”を聞くうちに、西山はさらなる疑問を持ち始める。対話をくりかえす中で、「LGBTQ」「マイノリティ」「男と女」…様々な言葉で区別してきたものの境界線は、次第に曖昧になっていく…。数々のテレビ放送に関する賞を受賞してきた和田萌が、独自で多様な生き方をしている人々を追ったドキュメンタリー。QUEER×APAC 2021 ~アジア・太平洋短編集~【オンライン上映のみ】★日本初上映アジア・太平洋地域の新作短編映画を紹介するプログラム。今年は特別にオンライン版で上映。各国のフレッシュな才能による、新しいクィア表現を堪能してみては。『フロス』2019・中国ティンは新しい恋人のマークの“歯”にフェティッシュなまでの強い性的魅力を感じていた。ティンはマークにこのことを打ち明けたいと思っているが…。『リップスティック』2019・台湾/韓国隠し持っていたリップスティックを同級生に見つけられ、ひどいイジメに遭う高校生。ある日、コインランドリーで出会った少女と出会い、2人でトンネルに入っていく。『ウィッグ』 2019・インドアルティカは自立したキャリアウーマン。仕事帰りによく見かけるセックスワーカーのトランス女性を助けたことをきっかけに、自分自身の偏見と向き合う。『キラン』2021・パキスタンもうすぐ花嫁になる女性に、メヘンディ(ヘナタトゥー)を施す絵師のキラン。女性と親密な時間を過ごすうち、キランはあることを思いつく。『アイス』2019・韓国覚醒剤(アイス)の取引のため地方へ向かう2人の男たち。途中、覆面警官に追われているのではないかと怯えるが、取引を約束した場所までたどり着く。『ストレンジャーズ』2019・オーストラリア老人ホームに入居中の母親が入居者の女性と同じベッドに寝ていたと連絡を受け、困惑する娘と息子。対応を探る職員は…?第29回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)は7月16日(金)~7月22日(木・祝)シネマート新宿にて、7月23日(金・祝)~7月29日(木)シネマート心斎橋にて(各会場:計7日間 合計:14日間)開催。オンライン上映作品・配信期間:7月16日(金)19時~7月29日(木)23時59分まで。(text:cinemacafe.net)
2021年06月16日「その批判は当たらない」「LGBTには生産性がない」「障害者は不幸を生むだけ」--。政治家による無責任な言葉や誰かの尊厳を傷つける言葉が幅を利かせ、そのことに嫌悪感を抱き、「おかしい」と感じながらもうまく言葉にできないモヤモヤを抱えている人は、決して少なくないのではないでしょうか。そんな言葉や社会が「壊れつつある」現状について考えた、荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)が5月に発売されました。同書は、「マイノリティの自己表現」をテーマに研究している文学者の荒井さんが、障害者運動や反差別闘争の歴史の中で培われてきた「一言にまとまらない魅力をもった言葉たち」と「発言者たちの人生」を紹介しながら、言葉によって人間の尊厳をどう守っていけるのかを考えたエッセイ集です。私たちが日々抱いているこのモヤモヤの正体は何?社会や人間のつながりを断ち切る言葉に抗(あらが)うにはどうすればいい?荒井さんにお話を伺いました。前後編。このたび『まとまらない言葉を生きる』を上梓した荒井裕樹さん“隣町の人”に読んでほしい——『まとまらない言葉を生きる』は、ポプラ社が運営するウェブメディア「WEB asta*」で2018年2月から1年間にわたって連載された『黙らなかった人たち』を改題・加筆修正して書籍化したそうですね。執筆にあたり意識されたことは?荒井裕樹さん(以下、荒井):障害者や人権についての話題って、どこか「遠い話」と思われたり、「重い」とか「真面目だ」と捉えられたりすることが多いので、まずはその意識をずらしたいと思いました。これらの問題を語ろうとするときに、学者とか先生っぽい口調で語るのではなくて、私自身が日々使うような「暮らしの言葉」で話したい気持ちがありました。“隣町の人”に読んでもらえるように書く、というのかな。そういう意味でエッセイを執筆するのはとても貴重な体験でした。——“隣町の人”というのは?荒井:例えば、身内に障害のある人がいたり、ご自身に障害があったりすると、障害や差別の話題は身近ですよね。関連する書籍も手に取ってもらいやすいのですが、そうでない人たちにも読んでほしいわけです。障害や人権の話ってなんだかハードルが高いな、と思っている人や、社会の問題に興味関心はあっても障害者差別にまでは踏み込んでいない、むしろちょっと距離を置いてしまうような人たちに届く言葉って何だろう?というのはずっと考えていました。——連載のきっかけは?荒井:ちょうど5年前に起きた相模原障害者施設殺傷事件がきっかけの一つです。こんなことあってはならない、この事件に対してちゃんと怒れなかった社会はおかしい、自分も何かしなくては、と思うものの、ずっとどうしたらいいのか分からない状態が続きました。でも結局、私にできることは文章を書くことなので、「この社会はいま、変になっているよね」ということを言葉によって問題提起したい、そのことについてみんなで考えたい、と思ったのです。そのきっかけとして、社会に対して真正面から「おかしい!」と声を上げた人たちの言葉を紹介することにしました。でも、連載中は不安しかなかったです。ウェブでの連載は初めてだったので、「ちゃんと伝わるのだろうか」という不安は常にありました。——連載を振り返ってみて思うことはありますか?荒井:例えば、元日にアップした記事(第13話として収録)がものすごく読まれたのですが、「正月からこんな重い文章が読まれるんだ」と思いました。もちろん、自分が書いたものについては事実関係に間違いがないよう責任を持つのですが、そこから先は予測がつかない読まれ方をするんだな、と。読者の反応がダイレクトに分かるのは新鮮でしたね。「そうじゃなくても良くない?」という視点を大事にしたい——本では、荒井さんが日々の暮らしの中でおかしいと思ったり、モヤっとした言葉をとっかかりに、障害者運動や社会運動に携わった人の言葉やエピソードが紹介されています。特にウーマン・リブの活動家の田中美津さんの「いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの」という言葉に、違う視点を与えられたというか時代を超えて励まされました。荒井:障害の問題やダイバーシティについての話題って、「そもそもそうじゃなくても良くない?」というように、別の視点をたくさん出すことが大事だと思うんです。「スーツって着なきゃダメ?」「制服って着なきゃダメ?」「障害者がやりたいことやっちゃダメ?」とか。「別の視点」がたくさんあることで、緩和される息苦しさがある気がします。私は研究者であると同時に学校の先生なんですけれど、別に聖人君子ではないし、いつも「そんなに真面目に頑張らなくても良くないですか?」と思っています(笑)。この本を通して、そういう視点をどこかで感じてもらえたらいいですね。——「そうじゃなくても良くない?」と思ったきっかけはあったのですか?荒井:きっかけというか、子育てをしているというのは大きかったと思います。うちは共働き夫婦で子どもが1人いるのですが、互いの両親は遠いところに住んでいるので頼れないから、自分たちだけでやっていかなければいけない。でも、いまの日本においては、そんなの“無理ゲー”です。世の中にはこまごましたハードルがたくさんあって、例えば小学校に入学すると「上履きはこういう袋に入れてください」に始まって、体操服のゼッケンのサイズや縫い付け方まで、本当に細かいルールが定められています。「それって本当に意味あるんですか?」ということがたくさんあるし、「お父さん」や「お母さん」として求められる役割もまだまだ多い。そういう誰が決めたのかもよく分からないルールがたくさんあって、モヤモヤが自分の中にも降り積もっていたんです。だからこの本は、自分が子育てしていたから書けたというのがあるかもしれません。「まえがき」では政治批評のようなものから始めましたが、それだって「こんな国会答弁、子どもにはとても見せられないな……」と思ったからなんですよ。私の価値観で言えば、あれは子どもに見せてはいけない大人の姿です。——政治家の記者会見を見ていても相手の質問に答えていないと思うことが多いです。荒井:学生にも見せられないですよね。大学のゼミナールでもあの受け答えをやったらNGです。こういうおかしなことに対して怒ったり、批判したりするのはとても大事なことで、やらなければいけない。でも、じゃあ逆に、「良い言葉って何だろう?」と説明しようとすると難しいわけですよね。だからこの本では、むしろ言葉がもつ説明しづらい力について考えています。そういう力のある言葉って、「世界の偉人名言集」みたいなものと違って、ある文脈や背景、それぞれの抱える日々の事情の中から生まれてくるものなので、そこと切り離して紹介するのも難しいのですよね。私がそういう言葉とどのようにして出会ったか、自分の体験とともに語ってみることでしか伝えられないものがある気もしました。それが最終的にうまくいったかどうかは読者の判断にゆだねますが、そういうことに挑戦してみたのが今回の本なんです。コロナ禍での不自由さをきっかけに考えてほしいこと——今はコロナ禍で連載当時とはまた違った社会状況ですが、注目している変化はありますか?荒井:今は渦中なので、まだまだ分からないことがたくさんあるのですが、「行動」と「事情」が切り離されて、ものすごく短絡的に善悪が判断されてしまうような空気がまん延している気がしていて、それが不気味です。例えば、どうしても「飲み会」をしないといられない、せざるを得ない人というのはいて、たぶん、いろんな事情があるんでしょうけど、「非常時」という状況が「個々の事情」を置き去りにして、「行動」の表面的な部分だけで裁いてしまう。もちろん医療現場で働いている人たちのことを思えば、リスクが高い行動を続ける人にモヤモヤする気持ちも分かります。私も身内が医療機関で働いてますから。でも、飲む人にも、きっといろんな事情がある。いま政治家に求められているのは、「いろんな事情がある人たち」を説得するため言葉のはずですが、これまで、そうした誠意ある言葉を受け取った記憶はありません。個々の事情が切り離されて、行動そのものにキツい目が向けられるような過剰な倫理観が、この「非常時」が収まってもなお、変な形で社会に定着してしまうとしたら、それはすごく怖いことだと思います。ただ、コロナの問題で考えてみてほしいのは、今、私たちはいろいろ不自由じゃないですか。人と会えないとか、不要不急の外出をやめてほしいとか。国会図書館も各種資料館も、予約制になったり閉館になったりして、資料を調べに行こうと思っても行けない状況になりました。これまでは「午後にちょっと時間できたから立ち寄ろうかな」と気軽に足を運べていたことが、今はできなくなっている。——確かにお店やどこかの施設に行くときはネットで調べたり電話したりして営業しているか聞くのがいつの間にか習慣になりました。荒井:でもね、障害のある人たちは、こういう不便や制約をずっと昔から受けていたんですよ。つまり、ちょっと出かけようと思ったら、予約や事前に連絡しなければいけなかった。混み合った電車に乗ろうと思ったら、「それ今じゃないとダメなの?」と言われたりもした。ずっとそうだったんですよね。——先月も電動車椅子を使うコラムニスト伊是名夏子さんがJR東日本に無人駅での移動介助をいったん断られた経緯をブログで問題提起をしたところ、「事前に連絡をすべき」などと、激しいバッシングを浴びました。荒井:コロナ禍になり、障害のある人たちが日頃感じてきた不自由を、障害のない人たちも感じることがあると思うので、だからこそ、想像力を働かせてみてほしいな、と思うのです。障害のある人とない人と、もちろん「同じ考え方」にはなれませんが、「同じ方向」は見られるのではないでしょうか。もう一つ言うと、昨年の今頃、アベノマスクが配られましたよね。あの頃はウイルスについてまだ分からないことも多く、不安なことがたくさんありました。そこに配られたのが、布マスク2枚。私は、自分の命が軽んじられた、すごくぞんざいな扱いを受けた、と思いました。障害がある人は、ずっとそういう扱いを受けてきたと思うんです。昨年、アメリカの一部州では、知的障害者に対して人工呼吸器を装着しない可能性がある、というガイドラインが示されました(後に撤回)。国や社会から命を軽んじられる、後回しにされる、という経験は、今に始まったことではなく、ちょっと目をこらしてみればこれまでもたくさん起きていたんです。——隣町どころか自分の町で起こっていたことなんですね。荒井:だからこそ、想像力を働かせてみてほしい。そのためには、モヤっとする問題に出会ったときに一足飛びに解決しようとせず(もちろんそんなことできないのだけど)、その引っかかりを持ちつづけることです。モヤモヤしつづけること、と言いますか。「なんか変だよね」「なんかおかしいよね」と思えるって、自分が置かれた理不尽な環境に対して、まだ自分自身が染まりきってないということだから、そこで踏みとどまって、立ち止まって考えることが大事なんだと思います。※後編は6月17日(木)公開です。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:山本ぽてと)
2021年06月15日「ニュースを読み解く用語」と題し、メディアでよく耳にする言葉の意味や使用例について、編集スタッフの藤原椋(ふじわら・むく)が、大正大学表現学部の教授で情報文化表現が専門の大島一夫(おおしま・かずお)さんに連載で聞いています。今回・第3回は、近ごろよく見聞きする「ダイバーシティ」という用語について伺いましょう。編集スタッフ・藤原大正大学表現学部の教授で情報文化表現が専門の大島先生多様性を尊重する「ダイバーシティ」先だって電車の中で、「ダイバーシティって、ダイビングができる街のこと?」という会話が聞こえてきました。「ええっ、それはない」と思い、友人に「ダイバーシティって知ってる?」と聞いてみたところ、同じように答える人が複数いました……。そ、そうですか。私のようなおじさんだと、昔、クルマに付けたダイバーシティ・アンテナの方がピンとくるかも。「ダイバーシティ」は英語では「diversity」で、直訳では「多様性」という意味です。アメリカでは1960年代から、年齢や性別、人種、国籍、宗教、学歴などの違いを多様性ととらえ、社会生活で差別や少数派への偏見をなくし、平等を目指す考えかた、取り組みとして広まりました。その後、2000年代にかけて先進国のビジネス界で、「多様な人材を生かす。多様な働きかた。雇用の機会均等」といった意味合いで経営理念に取り入れられつつあります。またもうひとつ、生物多様性という、自然保護の視点からダイバーシティという用語が使われています。日本でも同様の解釈でしょうか。日本の場合は現在、主に企業経営において「企業が年齢、性別、価値観、ライフスタイル、外国人、障害などの多様な、幅広い人材を採用して能力を生かすこと」としてとらえられているでしょう。多様な人材が集まると企業が成長、発展するという認識です。これは生物多様性にも通じるとらえかたで、多様性のない自然環境は持続性が弱いと考えられています。意味によって分けられる、ダイバーシティ3つの型ダイバーシティは多様という意味であるだけに、本来、いろいろなとらえかたがあるそうですね。ダイバーシティには、デモグラフィー型、タスク型、オピニオン型の3つがあるといわれています。デモグラフィーとは人口学のことで、この型は属性を意味し、年齢や性別、国籍など外観的な多様性を、タスク型は仕事や課題を意味し、能力や経験などの内面的な多様性を、オピニオン型は意見や見解を意味し、個々の意見を自由に発信できる組織(会社)が持っている多様性を示します。とくに日本の企業では、これまで雇用における男女格差への取り組みが中心で、デモグラフィー型といっても、まだまだ偏りが大きいでしょう。そうした意味でも、世界と比べて日本でのダイバーシティの浸透率は低いと思われます。日本の企業が取り組みたいダイバーシティ日本の企業は現実に、ダイバーシティを働きかたや雇用に取り入れているということでしょうか。その動きはあります。少子高齢化で労働人口が減少しているので、なんとか働き手を確保したい。そのため、これまでは採用が少なかった女性や外国籍の人、高齢者を採用しようという動きがあります。具体的にはどのように取り組んでいるのでしょうか。育児をしながら働きやすい職場づくり、女性の活躍支援、LGBT支援、障がい者雇用の促進、外国籍の人の積極的な採用、仕事と同時にプライベートを充実させるワークライフバランスの重視などが実践されています。また、今年(2021年)4月に「高年齢者雇用安定法」の改正が施行されて、従来の「65歳までの雇用機会の確保の義務」に加えて、「70歳までの就業機会の確保の努力義務」が追加されています。ただし、その元が先にも挙げた日本における労働人口不足を補完することのようで、ダイバーシティで言わんとする多様性とのズレも感じます。東京都が政策に、経済産業省は表彰に取り組んだ東京都は2016年から2020年に向けた政策として「3つのシティ」のプランを挙げ、そのひとつにダイバーシティを掲げていました。東京都が言うダイバーシティは「Diversity(多様性)」と「City(都市)」をかけ合わせた造語の「ダイバーシティ」で、誰もがいきいきと生活、活躍できる都市をつくるとしています。お台場(江東区)にある飲食物販の複合施設として知られる「ダイバーシティ東京」も同じ趣旨で、こちらが先にオープンしていました。社会全体の成長のための動きということですね。「ダイバーシティ」という用語、ビジネスシーンの会話ではどのように使うといいでしょうか。「ダイバーシティ経営に取り組む企業は今後も増えていくでしょう」といった文意で用いることができます。ダイバーシティの考えかたを積極的に取り入れた戦略のことを「ダイバーシティ経営」といいます。経済産業省では、2012年から2020年まで、「新・ダイバーシティ経営企業100選」と題して、ダイバーシティ経営に取り組み、多様な人材の能力を生かす企業を表彰、発表していました。日本で大多数を占める中小の企業では、ダイバーシティの取り組みは途上でありこれからのことで、それは経済産業省も認めるところです。「ダイバーシティ」が日本の発展にとって重要な考えかたであることがわかりました。企業のウエブサイトなどで経営理念や方針を読み解く際にも注目したいキーワードです。ありがとうございました。次回・第4回は「人新世(ひとしんせい・じんしんせい)」について伺います。(構成・取材・文・イラスト藤原 椋/ユンブル)
2021年05月31日世界各国で、セクシュアルマイノリティ(通称:LGBTs)など、いろいろなマイノリティに対する考え方は徐々に変わってきています。「人権や多様性を尊重する」というのは、一見当たり前のように感じるもの。しかし根深い差別意識や偏見によって、なかなか社会に認められないのが現状です。2021年5月24日、自民党はLGBTsへの理解を促進するための法案について審査を行いました。議論では肯定的な声も多い中、「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTsは背いている」という意見も。懸念について国会で議論することを条件に、法案は了解されました。日本の『多様性への理解』に有働由美子アナがズバリ同日に放送された情報番組『news zero』(日本テレビ系)では、今回の審査について特集。そこで、1本の動画を紹介しました。映っているのは、2013年にニュージーランドで行われた、同性婚を認める法案審議での議員の発言。議員は「私たちがやろうとしているのは、愛し合う2人の結婚を認めることだけ」「この法案は関係のある人には素晴らしいもので、関係のない人は今まで通りの人生が続くだけだ」と、同性婚に肯定的な意見を述べました。このスピーチは以前からネットで何度も話題になっており、多くの人から議員の言葉を称賛する声が上がっています。番組のメインキャスターである有働由美子アナウンサーは「まさにこの言葉に尽きるんじゃないかと思う」とスピーチに共感。続いて、解説の小野高弘さんはこのようにコメントしました。今自民党の会合で話し合っているのは、『差別禁止』よりもっと手前の段階ですよね。「理解を促進しましょう」っていう、そういう法案についてなんです。もう、それですら揉めてきたわけですよね。news zeroーより引用紹介したスピーチは8年前のものであり、性的指向に対する差別を禁ずる国が多数存在する現状。小野さんの言葉を受け、有働アナは最後にこのような言葉でコーナーを締めくくりました。まあ、この段階の議論で揉めている日本で、あと2か月で多様性を掲げたオリンピック、パラリンピックが開催されます。news zeroーより引用東京五輪はコンセプトの1つとして『多様性と調和』を掲げています。「LGBTsへの理解を促進する」という段階で議論をしている日本への皮肉ともいえる有働アナの言葉は、ネットでまたたく間に話題になりました。・最後にさらっとキレキレなブラックユーモアをいう感じがかっこいい。・リアルタイムで番組を見ていて、このひと言で「おお!」ってなった。・本当に、かなり遅れた段階で揉め続けてるんだよね…と思うと悲しい。人はいろいろな性質を持って生まれてきます。異なる人生を歩む人が幸せになったからといって、自分の幸せや権利が妨害されるわけではありません。多様性を認めるということは、1人でも多くの人が幸せになれる社会につながるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年05月28日石井志昂さん撮影/伊藤和幸不登校にいじめ、ひきこもり、死んでしまいたい気持ち……。子どもたちが直面するさまざまな問題に向き合い、学校に行けない当事者の視点から取材を重ねてきた、日本で唯一の専門紙がある。子ども記者も活躍する編集部は遅刻・早退・バックレ歓迎!ハプニングと生きる喜びに満ちた新聞づくりを元・不登校の名物編集長が明かす!■不登校の人数は増加し続けている千原ジュニア、伊集院静、藤田ニコル、星野源、田口トモロヲ、宮本亞門、押井守、中川翔子、生駒里奈……。この著名人たちに共通することは何か、おわかりだろうか。人気者で人を楽しませる才能を持つ人たち?いや、そうではない。それは彼ら全員が「不登校」の経験者であることだ。不登校とは、児童・生徒が30日以上、学校を欠席している状態をいう。このうち保健室登校をしていたり、病気や経済的理由から通えなかったりするケースは含まない。少子化で児童生徒数は、年々減少しているにもかかわらず、不登校の人数は増加し続けている。文部科学省の統計によれば、2018年の小・中学校での不登校の数は、16万4528人で過去最多を更新。そのうち90日以上欠席している子どもの数は9万5635人に上る。不登校に至るまでの背景はさまざまだ。いじめ、友人や先生との人間関係、成績へのプレッシャーや学業不振、校則へのストレス……等々。不登校になった本人でさえ、どうして学校に行けなくなったのかわからないことも珍しくない。そんな不登校の子どもたちの視点にこだわり、当事者やその親に向けて発信する唯一のメディアがある。それが『不登校新聞』だ。創刊は23年前の1988年5月。タブロイド版8ページ、月2回発行の紙とウェブの両方で購読できる。■「不登校」以外の問題も扱う現在、発行されている最新号は創刊から553号目に当たる。その見出しを一部、紹介しよう。《不登校経験者が聞く先生のホンネ『不登校、どう思ってますか?』》《何年も前の話を持ち出すわが子、子どもの言葉に隠された願いとは》《中学で人間関係に苦しんだ僕、見つけたのは自分を守れる術》《今こそ休むことの価値を見直す、精神科医が唱える休ませる方法》不登校新聞は、不登校の子どもだけでなく、いじめや自殺、ひきこもりなど、若者を取り巻く問題にも広く目を向けるメディアとして知られている。「現在、紙とウェブの両方で4000部ほど発行されています」そう語るのは、不登校新聞の編集長を務める石井志昂さんだ。丸刈りのヘアスタイルに黒縁眼鏡。一見、強面にも見えるが、しゃべりだすとその口調はなめらかでやさしい。石井さん自身、不登校の経験者だ。中学受験の失敗を機に学校生活が合わなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校に。その後、フリースクールへ入会。19歳からNPO法人「全国不登校新聞社」が発行する不登校新聞のスタッフとなり、’06年からは編集長を務めている。不登校新聞の編集部は、東京・文京区のビル3階の一室にある。「ここには2年前に移転しました。以前は、北区王子にある『東京シューレ』というフリースクールの一角に間借りしていて、やっと独立できたんですね。常勤5名、非常勤4名で、そのうち7名が不登校やひきこもり経験者です」最近は、テレビなどのメディアで不登校新聞が紹介されることも増えてきた。石井さんは、それにはきっかけがあったと言う。「’15年6月に発表された内閣府の統計を見ると、18歳以下の日別の累計自殺者数は9月1日が突出して多かったんです。実は、以前から不登校に関わる人たちの間では、夏休み明けの9月1日は子どもの自殺が多いと言われていました。でも、数字として表れたのは初めてのこと。そこでこの統計に注目して、広く社会に伝えたいと、私たちは記者会見を行ったんです」平成27年版の『自殺対策白書』を見ると、確かにそのデータが示されていた。「さらに、4月の新年度に入った時期に2番目のピークがある。そして5月の連休明けに次のピークがくるんです。そのタイミングで不登校も増える。いきなり学校に行くと体調不良が起きるということは、不登校では本当によく言われている話です」この記者会見によって、不登校新聞は一躍注目を集めたのだ。■建前なし、当事者の本音全開の記事づくり不登校新聞では、不登校やひきこもりの当事者が登場し、自らの本音をつづっている。そこには決まりがあると石井さんは言う。「“誰かの役に立つ”ことではなく、“私の役に立った話”を書いてくださいと言っているんです」なかには、驚くようなことを告白する人もいる。「私をいじめた人を許さない。復讐する気持ちで生きてきた、と言う女の子もいました」ひきこもり続ける中で彼女が思いついたのは、自分をいじめた相手を「呪ってやる」ということだった。「そこで彼女は、呪い方である“黒魔術”を調べるため図書館に出かけた。これが“脱・ひきこもり”の第一歩になったんです。呪いを実践しようとしたけれど、黒魔術を使ってやることはかなり難しいとわかった。どうしようかと思ったときに、いじめた人よりもずっと充実した人生を送ってやろうと思いついたそうです。それで彼女が考える最高の“リア充”である、モデルになる道を選んだんです」実際、モデルとなった彼女だが、今ではOLとして働いている。「今は“日々を充実して生きることが、いじめていた子たちへの復讐になる”と考えているそうです。こんな感じで不登校新聞に記事を寄せる子どもたちは、建前なしで本音がすごい。大丈夫かなと思うくらい。人が生きるってポジティブな感情だけじゃなくて、ネガティブな感情が自分を突き動かしていく部分もある。でもネガティブな感情だからといって、非生産的とは限らない。ねじれているけれど、一生懸命に生きている」不登校新聞の全8ページの紙面のうち、8分の1が子どもたちの声だ。「読者は不登校の子どもを抱えた親御さんが多いですね。“自分の子がこんなことを考えていたなんて、びっくりした”という人もいます。親が聞きたくない内容の記事もバンバンやりますからね。『あのとき、どうして死にたいと思ったか』とか『親がこういうふうに追い詰めてきた』とか。私たちは、当事者の気持ちから考える新聞なので、そういう意味ではどんどん出しています」ほかのページでは、不登校の子どもを抱える親や、専門家などが登場。読者からは、初めて自分と同じような体験をした人に出会って、「ほっとした」「安心した」という声が寄せられるという。■生きてるな!と感じるインタビュー記事の中で、読者に最も読まれているのが著名人へのインタビューだ。聞き手は、不登校・ひきこもりの当事者や経験者が集まった「子ども・若者編集部」が務める。これまでに多くの著名人にインタビューを行ってきた同紙だが、その顔ぶれにまず驚かされる。樹木希林、西原理恵子、横尾忠則、羽生善治、萩尾望都、内田樹、茂木健一郎、りゅうちぇる、立川志の輔、谷川俊太郎、大槻ケンヂ、庵野秀明……。錚々たる面々だ。石井さんも16歳のとき、子ども・若者編集部の一員として、インタビューを初めて経験した。「私自身が不登校で、どうやって生きていっていいかわからなかった。学校に行ける気もしないし、ちゃんと働ける気もしない。そもそも“大人って楽しくなさそう”という思いがあったんです。唯一興味があったのは、自分がファンだった糸井重里さんや、みうらじゅんさん。彼らに“あなたみたいにはどうやったらなれるのか?”ということを聞いてみたかったんです」思想家の吉本隆明さんにインタビューをしたときは、石井さんはまだ19歳だった。「吉本さんのことは、雑誌のコラムで読んだことがあったくらいであんまりよく知らなかった(笑)。取材を申し込んでOKをもらえたので、編集部に伝えたら、代表から“石井くん、どういう意味かわかっているの?”と言われました。10代の子たちと何人かで取材に行ったんだけど、吉本さんの話を聞きながら寝ちゃう子もいたりして大変でした。でも、そのとき寝ちゃった子はのちに、信濃毎日新聞の記者になったんですけどね(笑)」数多くの著名人を前にして石井さんは、感銘を受けたと話す。「インタビューをしていて、生きてるな!という感じがしたんですね。その現場に行ったときに、学校とはまるで違う、(人生の)本番というか……。よく“人間には居場所と出番が必要”というけれど、フリースクールが居場所なら、これが出番なんだと思った。頭の先から爪先までビンビンに緊張した状態で聞きに行くんですけど、みなさん、温かく迎え入れてくれて。いろんな生き方があるよ、と教えてくれました」例えば、コピーライターの糸井重里さんは「せっかく不登校するんだったら楽しめばいいよ」と言ってくれた。シンプルな言葉だが、石井さんは身体の中に入ってくるのを感じたという。「ああ、こういう瞬間に出会えるのは本当にいい仕事だな、と。それで私は記者になったんです。ほかの人にも知ってほしいと思って、不登校の子に、一緒にボランティア記者として取材に来てもらったりするようになりました」不登校新聞では毎月第3日曜日に、「子ども・若者編集会議」を行っている。「参加するのは15人くらいで、会員は80人ほど。世代は入れ替わってきていて、今は中心となるのは20代前半くらいですね。かつて不登校で今は学生だったり、何もしてなかったり、いろんな立場の子がいます。現在、リアルタイムで不登校の子は2~3割くらいですかね」1~2回、取材に参加すると、彼らは自然に編集部から「卒業」していくそうだ。編集会議では、まず名前と今日来た理由などを話して、その後、みんなで話し合いたいことを紙に書いて出し合う。そこから、テーマごとに分かれてディスカッションを始めて企画が決まり、記事の作成を目指すのだ。「でも8割くらいは、ディスカッション自体を楽しみに来ている感じですね。“なんで不登校って罪悪感を感じるのだろう?”などというテーマで議論ができると、やってよかったなと思います。それで(議論のあと)記事にしてもらいたいなと思うんだけど、なかなか記事になっていない(笑)。ほかにも『不登校かつLGBT』とか、『リストカットと私』とか、そういう企画がどんどん出てきます」石井さんが編集会議で参加者に伝えるのは、「私だけが救われる取材をしに行きましょう」ということだ。「編集会議に来る子たちは、“自分の経験を活かしたい”“不登校の経験を活かして、不登校の人に役立つ取材をしたい”と言います。それだけ不登校をしていた自分を責める気持ちや、罪悪感が強いからです。でも、まず他人の役に立ちたい気持ちをあきらめてもらって“私だけが救われるために話を聞く、そういう取材をしましょう”と言います。“私が悩んでいること”を伝えてください、とね」すると子どもたちは、実際に今抱えている切実な悩みを取材対象者へ打ち明ける。「これから大学に進学しようか悩んでいる」「不登校の自分はこの先、生きていけるのか」「バイト先で付き合っていた彼氏がいたんだけど、別れて違う女のほうに行っちゃってムカつく」■リリー・フランキーが“記者”に送った言葉彼らはプロの記者ではない。あくまでも素人である。ましてや、ひきこもりがちな人も珍しくない。「そもそも編集会議が“遅刻、早退、バックレ歓迎”なんです。取材当日も、来ると言っていた子が来ないなんてことは日常茶飯事。行きたいのに行けない人も多い。でも、本人からすれば、本当に行きたい気持ちはあるんです。だから必死で来ようとする。道に倒れ込んじゃった子とか、取材の重圧で道に座り込んじゃった子から電話がかかってきて、“じゃあ、迎えに行こうか”と向かっている途中で、大丈夫になったからと連絡があって、合流したり……」著名人を前に緊張して、どうしていいかわからなくなり、思わずその場で友達にメールで相談してしまう子もいた。取材中であるにもかかわらず、大リーガーのまねをして緊張をほぐすためにガムを噛むという、とんでもない行動をしてしまうこともあった。「インタビューの途中で寝てしまったり、まったく関係ない質問をして記事にならない取材になっちゃったり……。そんな0点の質問もあるけれども、私たちには出せない100点以上の質問、取材をしてくることもあるんですね。私は、彼らの自己実現のためにとか、不登校の人たちを支えるために取材に呼んでいるわけではなくて、すべてはいい取材をするためなんです」最近は俳優としても活躍するタレント、リリー・フランキーさんのインタビューの際は、不登校経験者8人が参加した。「ひとりずつ相談するので、“はい、次の人”という感じで、まるで問診のようでした(笑)。ある子が“不登校だから自分に自信が持てない。何をやっても情緒不安定で困っている”という悩みを打ち明けたんです。するとリリーさんは、“若いから情緒不安定なんだ。情緒が不安定じゃない人は、情緒がないんだ。はい、次の人”って(笑)」インタビューをひととおり終えて、最後にリリーさんはこう語ったそうだ。「“あのね、きみたちは若者なんです。つまり、バカなんだ。あなたたちが考える未来なんて絶対に当たりません。だから安心していいんだよ。そんなに不安になって、こんな自分にならなきゃとか、思わなくても大丈夫”と──。グッときましたね」言われた子どもたちも、「あー、なるほど!」と大きくうなずいたという。ほかにも印象深いインタビューがいくつもある。最近では、タレントの坂上忍さん。「インタビューの場で、ひきこもりの女の子が“私、女優になりたいんです。以前、子役もやっていたんですけど、私、女優になれますか?(ひきこもっているのに)なりたいと思っていてもいいんでしょうか?”と聞いたんです。すると坂上さんは、結構悩んだすえに丁寧に話してくれたんですね。“思ってもいいんだよ、女優になりたいと。でも、もし本気で思っているならば、自分で可能な限り、できる範囲で動いていくと発見があると思うよ”って」この言葉に石井さんは大人のバランスを感じたという。「私が聞かれたら、なんと言っていいかわからなかったでしょうね。“女優なんてなれないよ”と言ったら本人を傷つけそうだし、“なれるよ”と言い切るのも無責任な話だし……。でも、たくさんの子役を見てきた坂上さんは“可能ならば、いろんなことをして動いてみれば”と、大人だからこその言い方で答えた。あれは感動しましたね」インタビュー取材というより、まるで人生相談のよう。「結局、取材になるかならないかではなくて、子どもたちは自分が心底行き詰まっていることを聞くんですね。だから、何が出てくるかわからないんですよ」直木賞作家の辻村深月さんの取材でも、忘れられないエピソードがあった。ある子どもが「私はいじめていた人を許せない。それを許さなくていいんですか?」と辻村さんに聞いた。すると辻村さんは、こう話してくれたのだ。「許さなくていいんです。それを言いたくて、私は(著作の)『かがみの弧城』を書いたんです。そのことを取材してくれる人が誰もいなくて、あなたが初めてだった」取材を終えて辻村さんは、本当に緊張したと話していたという。石井さんが言う。「やっぱり子どもたちが真剣に聞いてくるので、真剣に答えることになるんですね」■中2の不登校から人生が始まったいまや名物編集長となった石井さんだが、その原点は中学2年生。「不登校から人生が始まった」と、石井さんは述懐する。石井さんは1982年に東京・町田市で生まれた。父親は建築関係の仕事に従事していた。母のすすめもあって、小学5年生から通い始めた塾は、私立中学への進学実績を誇り、そのための極端なスパルタ指導で知られていた。「塾は週に4回。3回は授業で、土曜日がテスト。テスト結果によってクラスの席順が決まります。ある日先生が、クラスの中央ぐらいに立って“ここから下の成績の人間には人生はない!”と言ったんです」その言葉に石井さんは恐怖を覚えたという。ストレスが募り、石井さんは万引きが止まらなくなってしまう。「6年生くらいから、ほぼ毎日、ひたすら万引きし続けていました。特に罪悪感はなくて、ただただ習慣化していましたね」その後、受験に失敗し公立中学へ通うことが決まった。「もう、負け犬とレッテルを貼られたような感覚でした。そうして入った中学ではいじめに遭い、校則など不条理なことにもすごく腹が立って、こんな中学はおかしいと、不登校になっていったんです」そして石井さんは、フリースクールの「東京シューレ」に通うようになった。「13歳から19歳まで6年間通っていました。当時のスケジュールは、朝11時くらいに起きて、お昼過ぎにフリースクールに行く。夕方の6時くらいまでみんなで話したり、体験学習したり、麻雀したりしていましたね」フリースクールには授業のようなものはない。いくつものスケジュールがあり、その中から子ども自身が好きなものを選ぶのだ。「私の場合、“イベントを作る”というのをよくやっていました。企画して準備して、その運営にも取り組んで」フリースクールでは、子ども自身が「学び」だと思うものは、すべて「学び」になるという考え方をする。「おもしろかったのは、その“学び”が発展していくこと。みんなで民族音楽にハマったことがあるんです」バラエティー番組『タモリ倶楽部』でやっていた民族音楽にヒントを得て、石井さんたちは、まず民族音楽のCDをたくさん借りてきて、「民族音楽講座」を開催した。「民族音楽講座をやっているうちにおもしろくなってきて、今度は“民族料理を食べに行こう”となり、沖縄料理店に行ったんです。すると店のおばあちゃんが戦争の話をしてくれた。沖縄戦のことは、なんとなく知っていたような気はするんだけど、生の話を聞くとビビッときたんですね。これは大変なことだと。 “実際に現場に行ってみたいね”となって、沖縄旅行を計画して、フリースクール全体で“戦争の歴史を学ぶ旅行”に発展していきました」■フリースクール時代の友人たち現在は製薬会社に勤務する白石有希さん(36)は、フリースクールで石井さんと一緒に過ごした。「志昂(石井さん)は、行動力はすごかった。髪の毛を辮髪みたいにして、まるで岡本太郎みたいな爆発力でみんなを引っ張っていくやつでした」一方で、ヤンチャな部分もあったらしい。「僕が好きな女の子がいたんだけど、志昂がはやし立てるんです。“この野郎!”と頭にきたことが何度もありましたね(笑)」信田風馬さん(39)も、10代のほとんどを石井さんと過ごしている。「彼はプロジェクトの企画などで、すごく活発に活動していましたね。でも、その一方ですごく寂しそうで、他人のことを気にする一面もあります。10年も前のことを突然謝ってきたり。ヤンチャだったので、だいぶ大人になったなぁと思います(笑)」ひきこもりの当事者・経験者の声を発信するメディア『ひきポス』を発行している石崎森人さん(37)は、28歳から33歳まで「子ども・若者編集部」に参加、石井さんとともに活動していた。「僕は大学を卒業したあとにひきこもりだった時期がありました。それを脱して暇だったときに、友人がアニメ監督の押井守さんをインタビューしたと聞いて不登校新聞のことを知り、興味を持ち参加しました。その編集部での経験をもとに、’17年にウェブ版の『ひきポス』を創刊しました。書き手の中には、不登校新聞にも書いている人がいます。今でも石井さんとは一緒に飲んで話をする仲です。出会ったときから“この人はすごい。将来、有名になるな”と思ってましたよ」大学院で不登校について研究し、その後、不登校新聞のスタッフになって15年の小熊広宣さん(41)は、石井さんと最も長く仕事を共にしてきた存在である。「石井のエピソードですか?ありすぎちゃって。取材日程をダブルブッキングしたことも1度や2度じゃないですし、インタビュー中に録音機が回っていなかった、なんてこともありました」今でも思い出すのは、政治家の故・野中広務さんのインタビュー。「石井と、子ども若者編集部の子ども記者で取材先に向かったときでした。私は編集部にいたんですが、野中さんの秘書の方から“約束の時間が過ぎているんですが、まだいらしてないんです”と電話があったんです。驚いて石井に電話をすると“取材先には到着しているけれど、部屋がどこだかわからない”と……。秘書の方も石井も、私も、てんやわんやになっていました。取材は無事にできましたが、あのときの緊張感は今でも鮮明に憶えています」小熊さんは、石井さんを「エネルギッシュで多動型」だと表現する。「困ることだけじゃなく、いい面もある。不登校に関する事柄に常にアンテナを張っていて、感度がいい。(前述した)18歳以下の日別の累計自殺者数は9月1日が突出して多いというデータをどこよりも早く発見して、文部科学省で記者会見を開いたわけですが、これは石井の功績だと思います」■子どもの自殺が増えている時代の処方箋不登校新聞が創刊して23年。その間、不登校に対する世の中の見方やとらえ方は、時がたつにつれ「随分、変化してきたと思います」と石井さんは指摘する。「特にここ数年で格段に変わりましたね。’17年に『教育機会確保法』ができたことが大きい。これは不登校に関する初めての法律で、これができてまず文科省が変わった。不登校に対して、“学校に復帰させることだけを目的とした支援をやめてください”と公言したんです。従来と180度、方針を変えました」行政が認識をあらため、「学校以外の場で学ぶことの重要性」「学校を休ませる必要性」について取り組みを始めた。これには、大きな意味があるといえる。変わったのは、国や学校現場だけではない。「不登校が一般の人々に認知されやすくなった影響もあると思います。追い詰めると死に至ることもある問題なのだと知る人が増え、フリースクールの存在も知られるようになり、不登校に対して寛容なムードが出てきた」さらに昨年からのコロナ禍による影響が、大きな変化を生み出している。「学校に行かない時間というのが当たり前になりました。学校現場で重要視される順位が、不登校より“リモート授業”“オンライン授業”という位置付けになり、ガラッと変わったんですね。今までは学校に行くことだけが“学び”を得る正当な手段とされていて、それに代わる選択肢が少なかった。ところが今、コロナをきっかけに本当に新しく変わろうとしています」先日、石井さんはテレビ番組にゲストとして招かれた際、「不登校という生き方」やフリースクールなどについて解説した。「番組で、司会者の男性が突然、“これから新しい教育が始まろうとしているんですね”と私に言ったんです。びっくりしました。その司会者は団塊の世代の方ですから、学生時代は生徒もたくさんいて、学校もすごく楽しかったんだろうと思うんですね。夢も希望もあっただろうし。そんな素晴らしい記憶のある学校に“行きたくない”と言われたら、自分が否定されたような気持ちになっても不思議じゃない。でも、司会者の男性は今の子どもたちにとって“これから新しいことが始まろうとしているんだ”と、そういう空気を感じていらっしゃった。私も、そうあるべきだと思います」その一方で、コロナ禍のもと、昨年は小中学生の自殺が過去最多になった。不登校新聞では子どもの自殺増加を防ぐため警鐘を鳴らしている。「4人に1人の子どもが死にたいと考えているというデータもあります。長引くコロナ禍は心にも深刻な影響を与えている。だから、あらためて注意喚起が必要です。特に連休明けは、不登校や体調不良という形でSOSが出ることもあります」そうした場合、「TALKの原則」が有効だと石井さんは言う。「まず“Tell”。“私はあなたを心配している”と伝えて、“だから話を聞かせてくれないか”と投げかける。次に“Ask”。質問は、率直にすることです。“死んでしまいたい気持ちなの?”とはっきり尋ねる。次に“Listen”。相手が話し始めたら、最後まで傾聴する。最後に“Keep safe”。危ないと思ったら安全を確保する。自傷行為があれば、そばを離れない。もし、いじめがあったら学校に行かせない。いじめって暴力ですから、暴力がある学校から強引に引き離すことも大事です」’15年8月22日、不登校新聞の主催による「登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口」に、亡き樹木希林さんが登壇した。そこで寄せられたメッセージは、不登校やコロナ禍での子どもの自殺が増えている今、示唆に富んでいる。抜粋して紹介しよう。《“ずっと不登校でいる”というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます》《自殺するよりも、もうちょっとだけ待ってほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。私も全身にがんを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、がんとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくてもいいじゃない。だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ》石井さんは、最後にこれだけは伝えたいと言って、こう切り出した。「不登校になって学校に行かなくなったら、学力はどうなってしまうの?こうした親の声は必ず出てきます。でも、学力と命を天秤にかけないことです。これを心からお願いしたいと思います」〈取材・文/小泉カツミ〉こいずみ・かつみ ●ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人インタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数
2021年05月22日今国会での成立に向けて与野党が準備していた、LGBTといった性的少数者に対する理解増進に向けた法案。それについて5月20日、自民党が審査を行った。しかし、“LGBT理解”をテーマにしたその会で驚きの意見が飛び交ったようだ。修正協議によって新たに「性的指向や性自認を理由とする差別は許されない」という文言が追加されることとなった同案。しかし『日テレNEWS24』によると、出席者からこんな声が上がったという。「『許されない』と明記されることで、権利を主張する人が出て、裁判をあちこちで起こす」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」また『TBS NEWS』によると、会場は法案に反対する議員が大勢を占めており、なかには「道徳的にLGBTは認められない」と話す出席者もいたという。「権利を主張するから」と“差別は許されない”との一節に難色を示す。そして「種の保存に背いている」といい、「道徳的でない」とも決めつけるーー。ネットでは、「自民党は性的少数者への差別をよしとするのか」と疑問視する声が上がっている。《「差別は許されない」と言うかどうかのレベルで自分の国が止まっていること、本当にがっかりします》《差別は許されない社会を許さない議員、いったい何のために存在しているのか》《差別の温床は自民党内部にあったのですね》《場合によっては差別しても大丈夫ですよとか言って欲しいの?》■18年には杉田水脈議員の「生産性がない」発言も自民党といえば18年に発刊された「新潮45」8月号のなかで、杉田水脈議員(54)がLGBTについて「生産性がない」として、税金の使い方に関する持論を展開。そのことから自民党本部前を筆頭に各地でデモが発生し、同誌が休刊となるなどの大きな動きが生まれた。そして今回、「種の保存に背く」との声が飛び出した。そのため、「あれから全然進歩してない」と呆れる声も上がっている。《生産性がどうのと言い出した時点から何も進歩がないのも良くわかる》《「生産性がない」と言ってた時期から1ミリも進歩してなくて憐れ》《「道徳的に認められない」って「生産性がない」以上に強烈なワードだね。あれから3年経つけど自民党の「理解」なる概念のレベルの低さがわかる》《差別意識が凄すぎてヤバい》
2021年05月21日幼少期のトランス・アイデンティティに対する認知と受容を喚起するフランスのドキュメンタリー映画『リトル・ガール』(原題:Petite fille)の日本公開が決定。シーン写真も到着した。サシャは2歳を過ぎた頃から自身の性別の違和感を訴えてきたが、学校では女の子としての登録が認められず、男子からも女子からも疎外、バレエ教室では男の子の衣装を着せられてしまう。そして、7歳になってもありのままに生きることができないサシャ。家族はそんな彼女の個性を支え、周囲に受け入れさせるため、学校や周囲へ働きかけるが…。本作の監督を務めたのは、これまでもジェンダーやセクシュアリティに目を向けた作品を撮り続け、世界中の映画祭で高い評価を受けるセバスチャン・リフシッツ。性と身体の不一致は、肉体が成長する思春期に起こるのではなく、幼少期に自覚されることについて取材を始めていた過程でサシャの母カリーヌと出会い、この作品が生まれた。本作は、2020年ベルリン国際映画祭で上映後、モントリオール国際ドキュメンタリー映画祭のピープルズ・チョイス賞やインサイド・アウトLGBT映画祭の観客賞(ドキュメンタリー長編)など、世界中で様々な映画賞を受賞。劇場が封鎖されたフランスでは、TV局ARTEにて放送され、視聴者数1,375,000人と、その年のドキュメンタリーとしては最高視聴率(5.7%)を獲得、オンラインでも28万回以上の再生数を記録するなど大きな反響を呼んだ。男の子の身体に生まれたけど、女の子になることを夢見ているサシャ。公開されたシーン写真では、一番自分らしくいられる洋服を着て庭で幸せそうにダンスをする場面や、お気に入りのピンクのヘアクリップをつけている姿、母と過ごす優しい時間が切り取られている。一方、バレエ教室にて、女の子用の衣装を着させてもらえず、女の子たちを少し切なげに見つめる場面も到着。どれもまだ幼くても本当の自分であろうとする意志が感じられるカットとなっている。『リトル・ガール』は11月19日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて順次公開。(cinemacafe.net)■関連作品:リトル・ガール 2021年11月19日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて公開
2021年05月19日生きづらいのがデフォルト。そんな不器用な魂の成長記録。少年アヤさんによる、『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』をご紹介します。「昔は人からひどいことをされても傷つきませんでした。隠したり、繕ったりしてばかりで、つねに自分を抑圧していたので、心が動かなくなっていたんです。けど20代半ばで、はじめて痛めつけられた時に怒りが湧いて。自分は自分のために怒れるんだと発見したのが、ターニングポイントでした」と語る少年アヤさん。そんな彼は20代最後の日々をどう過ごしたのか。新作『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』は、毎日つけている日記をまとめた一冊だ。「忘れてしまうこと、流れ去っていくことがもったいなくて、日記は毎日細かくつけているのですが、20代最後の1年は本当に色々なことがあったので、改めて外に向けても書いてみたくなりました」すべて実体験だが、これがまるで小説のよう。人間関係の再構築の記録、精神的な成長記として胸を熱くさせる内容になっている。1年の間にいくつも大きな出来事がある。ひとつは、疎遠だった中学時代からの女友達との再会だ(そのうちの一人、まゆちんの言動が最高)。「ゲイであることも、助けが欲しかったことも言えず、卒業してからはずっと連絡を絶っていたんです。でも10年ぶりに再会したら、あっさり受け入れてくれて。正直もう、人生このままエンディングかと思いました(笑)」恋にも落ちた。だが、デートの直前に「無理」となってドタキャンするなど、アヤさん、かなり情緒不安定。なぜここまで幸せから遠ざかろうとするのか、もどかしくなる。「幸せという実感から、ほど遠いところで生きてきたので、どうしても恐れを抱いてしまう。マイノリティにとっては、わりとありふれた心の動きかもしれません」そんな状態からどのように関係を築いていくかも読ませる。そこには、周囲の偏見や、相手のカミングアウトの問題も含まれている。アヤさんはすでに家族にゲイだと伝えているが、彼らとの関係も変わっていく。「家族は多分、ぼくがゲイであることを、わかっているけどわかっていない、という感じで。いざ恋人ができた時に、改めて動揺したようです。特に父とはここ数年でやっと関係を作り直したところだったので、社会の模範によって引き裂かれるのが悔しくて」終盤、母親がアヤさんにむき出しの言葉をぶつけてくる。そのなかの「もっと好きに生きろ」という言葉はきっと、迷いを抱えた読者の心にも突き刺さるはずだ。また、自身の内面と向き合ってきた著者が、弱い立場の他者へも目を向けていく様子が印象的。「友人たちと赤ちゃんを連れて出かけると、本当におじさんに舌打ちされたり、いやな絡み方をされたりする。改めてそばで経験して、とてもショックでした。そんな友人たちが、“私たちの代わりに書いて”と言ってくれたことも、本書を書こうと思った理由のひとつです」やがて、まゆちんが職場で、あるルール変更を勝ち取るなど、希望をもたせる展開も待っている。「自分について書くということは、すごく狭いようで、実は社会の姿や、時代の空気も炙り出せる。それを、この本で改めて示すことができたと思っています。これからも愛すべき他者たちと関わり合いながら、健やかに生きていきたい。それが自分の使命だとも思います」健やかでいてほしい。本書を読めば、誰もが思うはずだ。しょうねんあやエッセイスト。平成元年生まれ。ブログが人気を博し、それを書籍化した『尼のような子』でデビュー。著書に『焦心日記』『ぼくは本当にいるのさ』『なまものを生きる』『ぼくの宝ばこ』など。『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』ずっと会えずにいた友達、本気で好きになった相手、そして家族…。人との関わり合いのなかであがき、自分と他者を見つめ直した胸熱な1年の記録。双葉社1760円※『anan』2021年5月19日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年05月16日母2人、子ども3人の家族で暮らし始めて16年目となる小野さん(左)と西川さん。撮影:中内真紀日本は先進7か国(G7)で唯一、同性同士の結婚を認めていない。そんな中、同性婚を求める「結婚の自由をすべての人に」訴訟が各地で行われている。3月末に札幌地裁で出た判決は、原告の請求を棄却する一方、同性カップルに婚姻と同等の保護がないのは、憲法が定める「法の下の平等」に違反すると初めて判断された。法律で認められた結婚でなければ、不利益が生じる場面がある。例えば、パートナーを扶養家族にできない。特別養子縁組を受け入れることもできない。パートナーが入院したとき、病院で付き添えない。死亡した場合に財産を相続できない……等々。つまり家族として一緒に生活をしていても、「なかったこと」にされてしまう。同性婚や家族法に詳しい、京都産業大学の渡邉泰彦教授は「全国5か所で提訴されましたが、一連の訴訟の中で、札幌地裁が最初の判決だったことで注目されました。同性婚を認めた判決かどうかは解釈が分かれますが、違憲判決を下したことは大きい。実質的に勝訴と言っていい。試合に負けたが、勝負に勝ったのと同じです」と説明する。■子連れ再婚した同性カップル「判決で、棄却と伝えられたときは、やっぱりだめか、と思いました」そう語るのは東京訴訟の原告のひとり、小野春さん(40代)だ。「ただ、弁護団から“判決内容が大切だ”と聞いていたので、待っていました。しばらくすると情報が入り、違憲という内容で、喜びました。そこを狙っていたからです」小野さんは、同性のパートナーである西川麻実さんと子連れ再婚し、15年以上にわたり家族として暮らしてきた。どのような性別の人が恋愛対象になるのかは「性的指向」と呼ばれる。異性が恋愛対象となる異性愛者のほか、同性愛者(同性が恋愛対象、ゲイやレズビアン)、両性愛者(異性も同性も恋愛対象、バイセクシャル)など、さまざまなタイプがある。小野さんは両性愛者だ。西川さんと交際する前は男性と結婚していたことがあり、2人の子どもがいる。裁判の準備書面で小野さんは〈なぜ世の中の男女の夫婦の家庭だけが、家族であるとされるのでしょうか〉と訴えている。「子どものころから、“異性愛っぽさ”になじめませんでした。大人から“将来の夢は?”と聞かれ、“お嫁さん!”と言っている子がいましたが、私は全然なりたくないと思っていました。男性と結婚する将来を想像できなかったのです」女子校だった高校時代に同性が気になった。人気者であるその友人に、小野さんは好意を抱きつつ、どこか違和感を抱いていた。「何が?って言われても、わからないんです。“ねえ?”と呼ぼうとして身体に少し触れたときに、“え?”と思った。告白しようと思ったわけでもなく、付き合いたいと思ったこともありません」小野さんは当時、異性愛や同性愛のことは知識としては知っていた。しかし、両性愛者については知らなかった。「もしかして同性愛者かもと思いましたが、男の子を好きになったこともあります。何だろう?と思っていましたが、その当時は深掘りしないほうがいいだろうと思ったんです」同級生に対する感情が恋なのかどうかはわからないでいたが、大学時代は男性と付き合っていた。友人に相談しても、“若気の至り”と言われ、気にしないようにした。■「どこにでもいる共働き家族です」その後、20代で結婚、子ども2人を出産した。夫は留守がちで、孤独なワンオペ育児に悩む中、自分を見つめた小野さんは「もしかしたら同性愛者ではないか」と思い始める。当事者に会いたくなりインターネットで検索、セクシュアリティー(性のあり方)に悩む人の居場所になっているサイトを見つけた。そこでの交流を通じて、「私は異性愛者ではない」と思った小野さん。そんな中、現在のパートナーである西川さんと出会う。当時は、西川さんも男性と結婚していた。「彼女は私のところに自然に入ってきました。私はたまたま彼女を好きになったんですが、性別に関係なく、彼女以外の人を好きになるんだろうかと思ったりします。正直わかりませんが、彼女ひとりを好きになって満足しています」その後、2人とも離婚し、一緒に住むようになっていく。現在は小野さんと西川さん、そして、互いの子ども3人の5人家族で暮らす。同性カップルでもあり、子連れ再婚してできた“ステップファミリー”でもある。「だんだん家族になっていった感じですので、一緒に住むことに迷いはありませんでした。よく“新しい家族”と呼ばれることがあるんですが、自分のなかで新しさはないんです。どこにでもいる共働き家族です」子どもたちの様子はどうだったのだろうか。「お互いに離婚する前から、長男はよく彼女に遊んでもらっていました。私が次男の子育てで手を取られていたときは、よく長男と一緒に公園に行ったりしていましたね」家族では親も子どもも、お互いを名前で呼び合う。こんなきっかけがあったからだ。「(再婚してできた)娘が、長男を“お兄ちゃん”と呼んでいたのですが、同級生から“おまえのお兄ちゃんとは違う”と言われたことがありました。そのとき、娘は“なるほど”と思ったようで、それから“お兄ちゃん”と呼ぶのをやめました。それ以来、うちの家族では、お互いを名前で呼ぶようになりました」■生活実態に合う法律になってほしい小野さんと西川さんは、東京都世田谷区が定めた「同性パートナーシップ宣誓」を利用している。同区は’15年11月から、「多様性を認め合い男女共同参画と多文化共生を推進する条例」に基づき、要綱で整備してきた。2人が宣誓した制度の趣旨は、「同性カップルの気持ちを区が受け止める」というもの。これに小野さんは疑問を抱いていた。「法的な拘束力はないのに、行政へ個人情報を渡さないといけない。この意味が正直わからなかったのですが、応援してくれる人と話す中で、存在を示すことの意味があると思いました」宣誓の3か月後、意義を実感する出来事があった。小野さんが乳がんになったのだ。「病名を告知されるのは家族のみ。そのため、区が発行した宣誓書を持って病院に行き、書類に続柄を“同性パートナー”と書きました。次男が小さいころ、入院することになったときは、西川さんが付き添いを断られたので心配でしたが、今回は家族と認められました。宣誓しておいてよかったです」宣誓と同様の制度は105自治体にまで広がったが、法的効力は限定的。そのため同性婚の法制化を求め、東京地裁でも審議が進んでいる。「伝統的な価値観は私も大切にしています。ただ、同性のパートナーと家族として暮らしてきたので、その生活実態に合う法律になってほしいんです」■地方でゲイふうふが暮らすということ香川県三豊市。県西部にあり、高松市、丸亀市に次いで県内で3番目の規模の都市だ。その三豊市で’20年1月、四国で初めての同性パートナーシップ宣誓制度が整備された。初めてこの制度を利用したのが、田中昭全さん(43)と、川田有希さん(36)のカップル。一連の裁判での大阪訴訟の原告だ。実は前年2月、2人は市役所へ婚姻届を出していた。法律で認められていないため、結果は不受理。ただ、市は同性パートナーシップ宣誓制度を作ろうと考えていた。以来、田中さんと川田さんは、市と「どんな制度が必要か」について意見交換をしてきた。川田さんは「法的効果はないので、宣誓によってすぐに何かが変わったわけではない」と話す。だが、田中さんは「自治体が制度に絡んだことで、市民病院が、通常は家族にしか認められない病名の告知や入院時の付き添いを認めることなどを“同性カップルにも配慮します”と断言してくれました。僕らのことが報道されたこともあり、親類がお祝いしてくれました」と言う。2人とも同性愛者と自覚した時期は「小学5年生」。ただ生まれ育った時代が違うことで、同性愛に対する思いや行動は異なっていた。1985年生まれの川田さんは、ネットでほかの同性愛者と交流があり、「ひとりではない」と感じていた。電子掲示板でもつながり、高校時代は年上の男性と付き合っていた。家族も同性愛に理解があった。母親は元・美容師で、父親は元・音楽関係。姉もいるが、偏見はなかったという。ただ、友人たちに同性愛者であることは告げなかった。「悩むことはなかったです。恋バナをするような友人もいませんでしたし。だからでしょうね、カミングアウトの必要を感じていませんでした」初めてカミングアウトしたのは大学生のころ。大学では多様な人権問題に取り組んでいたため、周囲は同性愛に理解があったという。■「同性愛者は自分ひとりだ」と孤立感を深めた一方、田中さんの学生時代は、ネットで交流する時代ではなかった。小学生で同性愛を自覚し、中学のときは同性の同級生を好きになった。「中学校のころには、歴史上の同性愛者も気になり、図書館に通っていました。ただ、当時は“同性愛者はおかしい、変な人”というイメージが強かった。お笑い番組でも、同性愛のキャラクターはいじられて、気持ち悪がられてナンボでした。“この人たちと同じと思われたら嫌だな”と思い、ほかの人には一切言わないでおこうと」中学生のころ、死にたいと思うことがあった。同性愛が原因ではなかったが、いじめを受け、理由もなく突然殴られていた。加えて「同性愛者は自分ひとりだ」と思っていたことも、孤立感を深めた一因だ。「孤独に押しつぶされそうになったんです。ある夜、眠れず、ひと晩中考えました。でも、夜が明けると、考えていることがばからしくなり“まあ、いいか”と思い直せた」ひと晩だけで思いつめることから抜け出せた。持ち前の楽観主義的な性格があったからかもしれない。それでも友人との恋バナはつらかった。「同級生から“女の子、誰が好き?”と聞かれて答えられず、アイドルや女優、幼なじみの名前を出して、その場をしのぎました。でも、翌日にはクラス中に幼なじみの名前を出したことが知られてしまって。しかもその子には彼氏がいたんですが、呼び出され、なぜか殴られたりしました」同性愛を扱う雑誌を購入したこともあるが、孤独を癒せるわけもない。成人になって、インターネットの出会い系サイトで同性と知り合ったが、はっきりとした付き合いには発展しなかった。余計に孤独になっていく。「素直に“付き合っている”とはいえないあいまいな関係が多く、僕としてはしんどかったです。人間不信になりました。煮え切らない気持ちのとき、有希と出会いました」■養子縁組をして家族になる手段は「違う」2人の出会いは’07年12月。地元の性的少数者のコミュニティー『プラウド香川』が主催したクリスマスパーティーだ。田中さんはスタッフだった。友人の紹介で参加した川田さんは、田中さんにひと目惚れ。でも当時、川田さんには彼氏がいた。友人としてイベントに出かけたりする中で、お互いの仕事や人間関係で共通の知人が多いことがわかり、心理的な距離が近づいていく。大みそかの前日。川田さんから《遊びに行っていい?》とメールをした。田中さんは《ぜひぜひ》と返した。「遠距離で付き合っていた彼氏がいたんですが、田中さんに告白しました。“彼氏、いるでしょ?”と言われましたが“別れます”と約束し、交際が始まりました」(川田さん)田中さんは告白を受け入れた。当時を振り返り「このころは、恋愛をあきらめていました。ちゃんと付き合ったのは、有希が初めて」と話す。交際を始めて、やがて2人は一緒に住むように。その後結婚を考え始めたのは、12年間、一緒に暮らしたからでもある。中古住宅を購入、内装もした。実質的には2人の共同財産だが、登記上は田中さんの名義だ。「年齢差は8歳。多分、僕が先に死ぬ。有希に遺産相続させたいのですが現行法ではできません。いずれ家をカフェにする計画があり、そのとき有希を専従者にしたいのですが、同性のパートナーだと難しいと聞きました。養子縁組をして家族になる手段もあります。僕らも考えましたが、戸籍上の“親子”になるのは違うと思ったんです」(田中さん)■同性婚のカギを握るのは40代~50代女性札幌地裁判決は、異性カップルと同等な婚姻制度がもたらす法的効力が同性カップルにはなく、違憲とする内容だ。同時に、そうした制度を作ってこなかった国に対する責任はないという内容だった。田中さんはこう指摘する。「判決では、国が法律を作っていない責任はないとしましたが、僕はあると思います。自治体でパートナーシップ制度ができたころから国が取り組んでいれば、同性婚も実現していたかもしれません」同性婚が実現したとしても、田中さんはお互いの仕事のために、川田さんとは別姓にしたいと考えている。「選択的夫婦別姓を含め、婚姻制度をアップデートする時期がきているのでは?」札幌地裁での判決以前にも同性パートナーをめぐる訴訟があった。20年生活してきた同性パートナーが殺害され、遺された男性が犯罪被害者給付金の対象かどうかが争われたものだ。名古屋地裁は’20年6月、同性パートナーとの共同生活を婚姻同様に見なす「社会通念が形成されていない」として、対象外とする判決を出した。「このときの判断からすれば前進しました。札幌地裁の判決は、同性婚を正面から扱った初めてのもの。今後の裁判に影響を与えると思います」と前出・渡邉教授は指摘。ただ、札幌地裁の判決は、同性カップルには子どもが生まれないことを前提にしているよう推察できる。「レズビアンカップルが精子提供によって出産する例や、ゲイカップルが代理懐胎を用いることもあります。同性カップルの家族についても子どもの存在を考えて、婚姻の規定を見直していくべきです」最近は世論調査で、同性婚を認める意見が多くなってきている。「高齢者層よりも若年層が、男性よりも女性が同性婚を許容しています。その意味では、40、50代の女性がカギを握ると思います」同性カップルをはじめ家族の形は多様化している。実態に合わせた法制度が必要だ。取材・文/渋井哲也フリーライター。栃木県出身。自殺やいじめ、虐待など、生きづらさをめぐる問題を中心に執筆。『学校が子どもを殺すとき』(論創社)ほか著書多数
2021年05月14日中国のブロマンスドラマ『陳情令』は日本でも話題になった(公式サイトより)約14億人を抱えるおとなりの巨大国家では、今、起きていることもスゴかった! 常にトンデモな話題を提供し続ける中国の最新版“ありえない”ニュースを、ピックアップしてお届け!■近年注目を浴びているアジアのBLドラマタイ、韓国など、BLドラマがアジアを席巻中!中国も多分に漏れず、グッとくるドラマが量産されていると、腐女子やゲイたちの熱い視線を集めている。「中国では同性愛描写に規制があるため、BL色をあまり強めることができません。そのため、『男同士の熱すぎる友情』を描いたブロマンスドラマが作られています。最近では2019年に放映された中国時代劇もののブロマンスドラマ『陳情令』や『山河令』が大ヒット。日本でも話題になりました。凛々しくて美しい男たちが、ほとばしる愛情のような友情をぶつけ合う姿がたまりません!」(海外ドラマに詳しい編集者)中国は、春宮画(いわゆる春画)でも描かれているように、かつては同性愛はアブノーマルな性癖ではなかった。だが文化革命後、中国共産党政権は1997年まで、同性愛者を犯罪者扱いしていた。その流れもあり、前述のとおり中国は今でもLGBTへの風当たりが強く、2018年には女性のBL小説家が違法出版をしたとして逮捕され、なんと10年半の懲役が求刑された。そのうえここにきて、ブロマンスドラマのPRやファンの熱狂ぶりに共産党系メディアの光明日報が公式に苦言を述べるという事態に。その結果、ブロマンスドラマが次々放映延期、お蔵入りになってしまったという。このままではあからさまな規制が入ることも大いに考えられ、普通のドラマとして楽しんでいた中国全土はもちろん、アジア中の熱狂的ファンが嘆き悲しんでいるという。筆者は雲南省の温泉の浴室の隅で、いちゃつくゲイカップルを目撃したことがある。公共の場でそこまで露骨にイチャイチャしないでほしいのだが、性自認や好きな人を決めるのは個人であって、ほかの誰かではない。中国政府は器の小さいことをするのはやめたほうがいいのでは?レポート・解説……関上武司(せきがみ・たけし)さん●1977年、愛知県生まれ。愛知大学経営学部卒。中国で留学や駐在員としての勤務経験あり。中国遊園地の取材で中国の全省、全自治区、全直轄市を訪問。『中国遊園地大図鑑』(パブリブ刊)シリーズを執筆し、各メディアで話題。
2021年05月14日北川景子(左)と松たか子(右)4月期の連続ドラマが続々とスタートした。春らしい王道のラブコメが出揃う中、今春は真逆の「離婚」をテーマにしたドラマが2本放送されている。しかも、中身はコメディ。なぜ、この春に“離婚コメディ”があえて選ばれたのか。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんが解説する。* * *もともと春の連ドラには明るいムードの作品が多く、重苦しいムードが続くコロナ禍の今年はなおのこと。実際、今春は『着飾る恋には理由があって』(TBS系)、『恋はDeepに』(日本テレビ系)、『レンアイ漫画家』(フジテレビ系)などの明るいムードを感じさせるラブコメがそろった。しかし、気になるのは、陽気な春にふさわしいとは思えない「離婚」をテーマにしたドラマが2作放送されていること。『リコカツ』(TBS系)は“交際ゼロ日婚”をした夫婦が離婚に向けた活動をはじめる物語、『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ系)は3度の結婚・離婚をした主人公が3人の元夫たちに振り回されながらも幸せを探そうとする物語と、どちらも離婚を軸に据えたオリジナル作だ。冒頭に挙げた3作が恋のときめきを散りばめた明るいラブコメである一方、『リコカツ』と『大豆田とわ子』は離婚を扱うためシビアなシーンは避けられない。また、それにもかかわらず離婚を扱う両作がコメディとして放送されていることに驚かされてしまう。なぜ『リコカツ』と『大豆田とわ子』は、あえてネガティブな離婚というテーマを選び、その上でコメディとして放送されているのか。■「離婚は普通」として描かれるべき時代 『リコカツ』の植田博樹、吉藤芽衣、両プロデューサーは、同作を「離婚を契機に本当の恋愛が始まる」「一風変わった、でも本格的な大人のラブストーリー」「離婚するかもエンターテインメント」などと紹介している。最も描きたいのは離婚ではなく、大人世代のラブストーリー。離婚という最悪の状況から物語をはじめることで、ハッピーエンドへの振り幅を広げているのではないか。一方、『大豆田とわ子』の佐野亜裕美プロデューサーは、「3回結婚して3回離婚した主人公・とわ子。三者三様の魅力や欠点をもつ元夫たち。そんな愛すべきダメな4人を中心に、愉快な大人たちがゆるやかに連帯していくさまを楽しんで観ていただける物語になると思います」とコメント。とかく離婚後は憎み合うなどのネガティブなイメージを抱きがちだが、当作では「当事者たちが連帯する」というポジティブな様子を描こうとしているのだ。両作ともに、「離婚をよくある普通のこと」として扱おうとしている様子がわかるのではないか。大半の作品は未婚か既婚の男女をどこにでもある普通のこととして描いているが、今や離婚もそれと同様に描かれるべき時代ということなのだろう。引いては、近年のドラマ業界で進む「個人の尊重」「多様な生き方の受容」を意識したコンセプトの作品にも見えてくる。たとえば、かつて取り扱い要注意とされていたLGBTを最近では普通のこととして採り入れているが、「離婚も同じ感覚で普通のこととして描こう」という意識が感じられるのだ。どちらの作品もオリジナルであり、『リコカツ』は北川景子と永山瑛太のコンビを実現させるために数年の時間がかかったこと、『大豆田とわ子』は脚本家・坂元裕二の3年ぶり連ドラ復帰作であることから、“独創性の高い力作”というムードが漂っている。だからこそ王道のラブコメではなく、あえて野心的に離婚というテーマを選んだのではないか。■タイトルからにじむ軽さとコミカルあえてコメディとして放送しているのは、シリアスなタッチで離婚を描くと重くなりすぎるからであり、そこにコロナ禍の深刻さが加わってしまうからだろう。実際、『リコカツ』に出演している永山瑛太が2013年に主演を務めた『最高の離婚』(フジテレビ系)も、シリアス一辺倒になることを避けるように、コメディタッチで描かれていた。また、離婚を特別なこととしてシリアスに描かず、普通のこととして扱うための工夫がタイトルからもうかがえる。『離婚活動』『離活』ではなく、ポップな印象のあるカタカナで『リコカツ』という表記を使い、脱力感を抱かせる『大豆田とわ子』という名前が採用されたのは、視聴者に軽さやコミカルな印象を持たせるためだろう。コロナ禍の重苦しいムードが続く中、リアリティばかりを追求していては視聴者の心をつかむことはできない。だからこそ両作とも、笑いを交えたエンターテインメントとして物語を進め、最終話では「登場人物たちがすっきりとした気持ちで前に進んでいく」というポジティブな結末が予想できる。つまり、スタートの時点では「離婚」に伴うシリアスなイメージがあったものの、「終わってみたらコミカルでポジティブなドラマだった」と思わせてくれるのではないか。その意味で視聴者サイドにしてみたら、「他のラブコメと同様に安心して見続けられるドラマ」と言い切ってもいいだろう。木村隆志(コラムニスト、テレビ解説者)ウェブを中心に月30本前後のコラムを提供し、年間約1億PVを記録するほか、『週刊フジテレビ批評』などの番組にも出演。各番組に情報提供を行うほか、取材歴2000人超の著名人専門インタビュアーでもある。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。
2021年04月23日「EUフィルムデーズ2021」が5月28日(金)より東京とオンライン会場で、6月17日(木)からは京都にて開催されることが決定。ラインアップも公開された。「EUフィルムデーズ」は、“映画で旅するヨーロッパ”をテーマに、日本初公開作品や見逃してしまった近作など、EU加盟国の映画を一挙に上映する映画祭。19回目となる今年は、東京・国立映画アーカイブ、京都・京都文化博物館での開催と共に、オンラインでも開催。EU加盟国より最多の26か国が参加し、日本初公開の11作品を含む、選りすぐりの全27プログラムを上映、および一部オンライン配信する。注目の日本初公開作品は、19か国を自転車で旅する発見と挑戦に満ちたドキュメンタリー『オーストリアからオーストラリアへふたりの自転車大冒険』。1950年代から現在までルクセンブルクの女性運動の歴史を記録し、女性をめぐる環境の何が変わり、何が変わらないかを浮き彫りにする『彼女たちの物語』。18歳の少年が、自身の性的アイデンティティを明かせず苦悩する、スロヴェニア初のLGBT作品とされる『ことの成り行き』。ルイス・ブニュエル監督が収入を失い路頭に迷ったとき、友人の宝くじが当たった賞金で糧なき土地を撮影したことをアニメーションで描いた『ブニュエルと亀甲のラビリンス』など。ほかにも、アニメーション映画『ウルフウォーカー』や、『イーダ』のパヴェウ・パヴリコフスキ監督による『COLD WAR あの歌、2つの心』。『ナポリの隣人』、『この世界に残されて』、『ザ・ライフルマン』ほか、様々な作品がラインアップされている。「EUフィルムデーズ2021」は5月28日(金)~6月20日(日)国立映画アーカイブにて、6月17日(木)~7月4日(日)京都文化博物館にて、5月28日(金)~6月25日(金)オンラインにて開催。(cinemacafe.net)
2021年04月18日三重県の自民党所属の小林貴虎県議(47)による、同性カップルの個人情報晒しが波紋を広げ続けている。小林県議は3月7日、Twitterに同性カップルについて《婚姻と同等の権利をよこせと言うことなら、同等の責任を果たさなければその資格はないでしょう》などと投稿。それに対し、同性カップルが公開質問状を送付したところ、小林県議は自身のブログで公開質問状や個人情報などを3月30日に無断で公開した。各報道によると、同性カップルは、その翌日の31日に小林県議と面会し、削除を要請したものの、小林県議は、「公開質問状を取り下げたら、こちらも削除する」と拒否したという。しかし一連の騒動が5日に報道されると、小林県議は同日午後「私の周辺の方々に迷惑がかかっている」などとして画像を削除していた。小林県議は個人情報を無断公開したことについて、以下のように弁解している。《ご自身が性的少数者であるということを公言されて、今のパートナーシップ制度を使って、地元の新聞などに取り上げられて、パートナーシップ制度の導入の要望に来る人たちなんです。この方たちは、自分の性的指向を公表して講演会活動をしている人たちです。私としては、死ぬまでクローゼットで、誰にも自分の性的指向を公表しない方の住所や、(2人が)性的少数者ということを公表したわけではなく、そもそも(2人は)公にLGBT活動している人たちです。初めから公開質問状ということですから、私は公開させていただいたつもりです》(『AERA dot.』4月5日配信記事)“性的志向を公にしているのだから公開は問題ない”という持論を展開した小林県議。しかし、三重県の岡本栄伊賀市長は6日に「明らかに人権侵害だ。許されない」と糾弾するなど、批判の声は強まるばかりだ。実際、小林県議の行為は法的にどのような問題があるのか、神田お茶の水法律事務所の上谷さくら弁護士に聞いた。「住所は個人情報の中でも大事なものです。本人の承諾なく載せることはプライバシーの侵害に当たります。質問者の2人は性的指向を開示しているのでアウティングに当たらないという主張もありますが、そもそも性的指向に関係せずとも、住所を世界中に晒すというのは重大なプライバシー侵害です。プライバシー侵害は法律で直接規定されているものではなく、憲法13条の幸福追求権のひとつとして保障されると考えられています。今回の小林議員の行為は、民法上の不法行為に当たる可能性があります。民事で裁判を起こした場合、慰謝料として認められる金額は大きくなくても、『プライバシーの侵害に当たる』と認定される可能性が高いでしょう」また、プライバシーの侵害以外にも問題があると、上谷弁護士は指摘する。「どういう立場の人間であるか、身分を明かして議員に質問するというのは大事なことです。しかし、だからといって受け取った側がその情報を自由にしていいということではありません。質問者の個人情報を無断で晒す行為は、一市民である質問者に対して権力者が報復し、脅しているように感じるので、市民が萎縮して、匿名でなければ質問できなくなってしまいます。その観点からも、小林議員の行為は正当化できません。今回の場合、すでに掲載を取り下げているので刑事罰に問われることはないと思いますが、同様の行為は、事情によっては刑法上の名誉毀損や脅迫に当たるケースもありえます」掲載は取りやめたものの、いまだ反省している様子のない小林県議。県議でありながらの“憲法違反”にどう向き合うつもりなのだろうかーー。
2021年04月09日2021年4月3~4日に、オンラインの舞台『SUPER FLAT LIFE -スーパーフラットライフ-』が上演されました。同作は俳優・秋元才加さんを主演に迎え、『結婚』をテーマにLGBTなどの難しい題材を取り込みながら、新しい価値観の提案に挑んだ異色作です。「普通の結婚を」と考えていた女性が、女友達と結婚すると決めた理由同作の主人公・棚橋エリは、『普通の結婚』を希望している30歳目前の女性です。結婚を考えていた恋人に突然、別れを告げられ、婚活サイト『SUPER FLAT LIFE』に登録。すると、同サイトの性別不詳の支配人・アキラが理想の結婚相手を提案してくれるのですが、その相手は『同性婚を望む超合理主義者の女性』『別居婚を求める男性』『バツイチのレズビアン』『契約結婚を求める男性』など、エリにとっては『普通』ではない人ばかりでした。さらに、結婚を考えていた恋人が実はゲイだったという事実も発覚し、困惑するエリ。最終的には、現代では『普通』ではない、女性の友人と事実婚をするという道を選ぶことになります。奇をてらったようにも思える結末ですが、視聴者が物語を見ているうちに自然と「なるほど、そういう道もあるのかもしれない」と感じられるような構成になっているのが、同作の肝です。自分が考える『普通』が、ほかの人の『普通』とは限りません。そういった、当たり前のはずなのに理解することが難しい事実に改めて気付かされ、何が自分の本当の幸せなのかを、同作は考えさせてくれます。性別、セクシャリティ、未婚や既婚…。これまでの常識を取り払った、まさしく『スーパーフラット』な考えを提案している同作。誰かに作られたルールを頭から取り払った時、あなたが本当に求めるものはなんでしょうか。同作は視聴者も自由にコメントができるようになっており、このような声が上がりました。・もともと結婚願望はなかったけれど、この作品を見て結婚もいいのではと思えるようになった。・こういう、現代ではなかなか話せないことを相談しあえる場があってもいいと思った。・とても素敵な作品。こんな価値観があるのだと気付かされた。・今は斬新な作品に見えるけれど、将来的には普通と思えるものになってほしい。秋元才加「同作を通じて、みんながよりよく幸せに暮らせる方法について考えられれば」同作で主演を務めた秋元才加さんはもともとLGBTへの理解を持ち、さまざまな番組やSNSで、支援の言葉を語ってきた女性です。そんな秋元才加さんは同作で主演を務めるにあたり、このように語りました。『SUPER FLAT LIFE -スーパーフラットライフ-』で描かれる『結婚観』というテーマは個人的にすごく興味のある話題でしたし、結婚制度やセクシャリティについて深く切り込んだ作品に関わるのが初めてだったので、すごくやりがいを感じました。私の演じる棚橋エリは、常識だったり、世間体の枠に自らをハメこんでいる女性で、劇中にはそういったみなさんにも共感してもらえるポイントがたくさんちりばめられています。この作品が、結婚についてや、性別関係なくみんながよりよく幸せに暮らせる方法について考えるきっかけになればいいなと思います。秋元才加さんの「この作品が、結婚についてや、性別関係なくみんながよりよく幸せに暮らせる方法について考えるきっかけになればいい」との言葉どおり、同作を見た人は新しい価値観を知り、改めて考えさせられたようです。最近では、2021年3月にトランスジェンダーを題材にした、草なぎ剛さん主演の映画『ミッドナイトスワン』が『日本アカデミー賞』最優秀作品賞に輝きました。こういったことや、『SUPER FLAT LIFE -スーパーフラットライフ-』に高評価の声が寄せられている事実を考えると、少しずつですがLGBTへの理解が深まっていっているのかもしれません。『SUPER FLAT LIFE -スーパーフラットライフ-』のリアルタイムでの上演は終了しましたが、2021年4月11日までは、アーカイブで有料鑑賞することができます。「新しい価値観に触れたい」と感じた人は、ぜひチェックしてみてください。SUPER FLAT LIFE-スーパーフラットライフ-[文・構成/grape編集部]
2021年04月05日つらい思いを抱えている人にーー『明日、学校へ行きたくない言葉にならない思いを抱える君へ』子どもの自死が一番多いのは夏休み明けの9月1日…この本はそんな「9月1日問題」から子どもたちの命を守るための取り組みのひとつ、ニコニコ生放送番組『明日、学校へ行きたくない』をもとに書籍化された本です。本書では、不登校、DV被害、いじめ、将来のことなど、当事者の子どもたちや保護者、かつてそうだった大人たちの投稿を元に、「こども六法」を出版し、法教育を通じたいじめ問題の解決を目指している山崎聡一郎さん、カウンセラーとして多くの人の悩みや不安を聞いてきた公認心理士、臨床心理士信田さよ子さん、脳と心の関係を探求し、子どもの脳の発達や個性を発揮する学びについて社会に発信している脳科学者茂木健一郎さんの三人の専門家とともに一緒に考え、語る形で進んでいきます。山崎さんの「まず生の声をていねいに聞いていきたい」という言葉通り、寄せられた投稿に対して解決方法を提示するだけではなく、ひとりひとりの声に真摯に耳を傾けて寄り添うようなアドバイスが印象的な本書。学校へ行きたくない、生きづらいなど、うまく言葉にできないモヤモヤにそっと寄り添う『居場所』になってくれそうな一冊です。発達障害のある子どもとゲームの関わり方を解説『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』ICTとはどんなもの?という基本的な説明から、発達障害のある子どもとICTの関係、子どもの特性別のネットやゲームとの関係、ICTと付き合っていくために必要不可欠なリテラシー問題などを詳しく解説しています。「ゲームがうまくいかず暴言を吐く」「スマホばかりで昼夜逆転、朝起きられない」など『わが子はゲーム依存?』と悩んでいる家庭が増えています。まずは大人が子どもの世界を知り、親子でICTとうまく付きあっていくきっかけを考えてみてはいかがでしょうか。「依存かな?」と思ったときに親ができること、適切な支援方法など、これから欠かせない存在となっていくICTを前向きにとらえていくための参考になりますので、子育て中の方、学校の先生、福祉関係者の方など様々な方に読んで頂きたい一冊です。その就職活動、「得意」を活かせてますか?『ちょっとしたコツでうまくいく!発達障害の人のための就活ハック』発達障害特性のある人は就職活動においてもその特性ゆえにうまくいかないことが往々にしてあります。この本には、発達障害のある人や働きづらさを抱えた人の就職活動を支援し、発達障害支援や障害者雇用に関わるセミナーやコンサルティングを多数手がけてきた、就職のプロたちが教える就職活動をうまく進める知識や工夫、『就活ハック』が詰まっています。自分の強み、発達特性を知るところから始まり、エントリー方法や見出しなみやマナー、面接の対策など就職活動の流れを表やイラストを使い分かりやすく説明。今急増しているオンライン面接についての対策も紹介されています。発達特性別の向いている仕事一覧などもあるので、特性の苦手をカバーしながら得意を活かせる『就職ハック』が見つかる一冊です。今日からすぐにチャレンジできる!『1日5分で運動能力と集中力が劇的アップ 5歳からの最新!キッズ・トレーニング』運動能力の発達は脳の発達にもつながると言われています。子どもにとって、基本的な運動は野球やサッカーなどのスポーツにつながる運動能力をアップさせるのはもちろん、脳を適度に刺激して集中力(学力)を上げることに役立ちます。子どもからトップアスリートまでの競技サポートをするトレーナーが紹介するキッズトレーニングは、身体感覚を育てる9つのパーツ別体操、全身を協調して動かす6つの運動感覚、運動能力を上げるための12の運動機会と段階別に紹介されているので、子どもの発達状態に合った体操を始めることができます。科学的な研究結果をベースに作られたトレーニング内容は未就学児~小学生のこどもにぴったり。簡単にできて、運動能力が伸びるコツが盛りだくさんです。すべてのワークは図解はもちろん、動画(QRコード)もついているのでとてもわかりやすく、今日からすぐにチャレンジできる一冊です。性への教育と介入を伝える『性の教育ユニバーサルデザイン 配慮を必要とする人への支援と対応』人の性体験には大きな自由度と多様性があります。この本では配慮を必要とする人たちへの支援と対応、教育などを解説しています。本書は4部に分かれており、1部は性体験の自由度と多様性を各世代の人々の語りを通して紹介する『いっぱいあってな』、2部は配慮を必要とする人たちが持っている知識の現状や教え方、教材などを使った実践方法などを紹介する『教育』、3部は男性、女性それぞれの性的逸脱行動の事例とその対応を解説した『介入』、そして4部ではLGBTの人との面接などで留意すべき事項を中心にその対応の道筋などを提示していく『LGBT』で構成されています。研修会や講習会などで、実際に保護者や教員のかたから受けた質問など、気になるけど聞きづらい性の問題に対する答えがたくさん詰まっています。従来の性に関する支援書とは一味も二味も違う、性の学習法と性への介入法、そのすべてを伝える一冊です。
2021年04月03日性教育アドバイザーとして活躍し、とにかく明るい性教育【パンツの教室】協会代表理事や『お母さん!学校では防犯もSEXも避妊も教えてくれませんよ!』(辰巳出版)の著書を出版されている、のじまなみさんが男の子の「性教育」について教えてくれました。 親のためにも子どものためにも早めに伝えておきたい「精通」の話我が子を性犯罪の被害者にも加害者にもさせないために、そして他者を思いやれる人間になれるように親ができることが「性教育」とお伝えしてきました。しかし、とりわけお母さんにとって、男の子は謎多き生き物。体の仕組みもよくわからないし、思春期に起こる第二次性徴についてもほとんど知らない方が多いでしょう。 今回は思春期を迎える前に特に男の子に伝えておきたい「精通」「マスターベーション」「アダルトコンテンツ」についてお話しします。 お母さんにとっても子どもにとっても未知の世界、「精通」ってどんなもの?男の子が第二次性徴を迎えると、体つきの変化や声変わり、体毛が濃くなるなどの変化に加え、あるビッグイベントが起こります。それが「精通」です。しかし、経験者であるお父さんならいざ知らず、お母さんにとって「精通」はまるっきり未知の世界なのではないでしょうか。もしかしたら学校で習ったことがあるかもしれませんが、ほとんど記憶にない方も多いでしょう。そこで、この機会にぜひ「精通」について理解を深めていただければと思います。 個人差がありますが、だいたい思春期を迎える12歳頃を目安に「精通」を迎える子が多いといわれています。しかし中には、「おちんちんをいじっていたら何か出てきた」という具合に、精通とまではいえない経験をかなり早い年齢で迎えるお子さんもいます。また精通は「夢精」か「マスターベーション(自慰)」で起こることがほとんどですが、精通のことを知らないと、「性器から膿(うみ)が出た!」「自分は病気かもしれない」「エッチなことを考えていた自分は最低の人間だ」などと、ショックを受けたり自分を責めてしまったりするお子さんが少なからずいます。 しかし、精通は“大人になった証”であり、とても喜ばしいことです。そんな喜ばしいことがお子さん本人にとってショックな出来事にならないためにも、3歳頃から段階的に、男性器の働きや形について話すなかで、精通のことにも触れておきましょう。例えばお子さんから「なんでママにはおちんちんがないの?」と聞かれたとき、こんなふうに伝えてみるのはいかがでしょうか。――「女の人と男の人の体が違うことによく気が付いたね! じつはおちんちんは、男の人だけにある特別なものなんだよ。もっとお兄さんになると、おちんちんのトンネルが開通して、おしっことは違う『精液』というものがおちんちんから出てくるようになるんだ。これは『大人になった証拠』なんだよ!」 そこまで言わなくても……と思うかもしれませんが、性の話を「卑猥」と思わない幼少期のうちに、ぜひご家庭で伝えてみてください。学校の授業で教わる前にお子さんが精通を迎える可能性もありますし、どこからか言葉を覚えてきてこっそりインターネットで調べ、誤った情報にたどり着く危険性もあります。「まだ早い」と思わずに、早めに伝えておきましょう。 息子が精通を迎えたら伝えたいことと、やってはいけないこと察しの良い親御さんなら、お子さんが精通を迎えたことにすぐ気が付くかもしれません。洗濯物の下着が不自然に濡れている、洗濯物に下着が入っていない、などなど……。しかしこんなときに、「これ何?」ときいたり、「パンツはどこにやったの!」と叱ったりすることがないようにしたいものです。お子さんが精通を迎える前に、幼いうちから「もし精通があったら、下着は軽く手洗いして洗濯に出しておいてね」とさらりと伝えておけると、お互いに余計なストレスや気遣いがいりません。小さいうちから自分の下着は自分で洗う「パンツ洗い」もおすすめしています。 そして、精通を迎えた男の子がマスターベーションをするのは「普通のこと」だと、親子ともども知っておきましょう。マスターベーションは悪いことではありません。たくさんしたからといって健康に影響があったり、「ヘンタイだ」などということもまったくありません。ですから、お子さんが思春期を迎えたら、一人になれる時間と場所を用意してあげることも親の気遣いです。お風呂やトイレが少し長くなっても、小言を言わないであげてください。ましてノックもなしに部屋のドアを開けるのは絶対にNGです。 そして、マスターベーションのためにアダルトコンテンツ(エロ本やAVなど)を見るのもごく自然なことです。これも責めたり詮索したりしないでください。ただし、小学生などのまだ分別がつかない年齢であれば「善悪の区別がつくようになるまで見ないでほしい」と伝えたほうが良いでしょう。また、アダルトコンテンツの内容を鵜のみにしないこと、つまり「アダルトコンテンツは男性向けに作られたファンタジーであって、実際の女性はもっと大切にしなければならない」ということも、できれば伝えておきたいものです。そんな話ができるためにも、幼少期のうちから性教育をして、なんでも話せる親子関係を築いておくことが大切ですね。 大人の仲間入りをした息子に知ってほしい「命」のことお子さんが精通を迎えたら、親御さんから伝えていただきたいことがあります。それは「これで大人の仲間入りだね!」という祝福の言葉と、「あなたは子どもをつくれるようになった」ということです。前回、生理の話でもお伝えしましたが、小学生であれ中学生であれ、初潮と精通を迎えた男女同士であれば妊娠の可能性はゼロではありません。「うちの子にかぎって……」という気持ちはわかりますが、大切なことですので、親の口からしっかりと伝えましょう。 私は3歳からの性教育をするうえで「明るく楽しく」をモットーにしていますが、初潮と精通を迎えた子どもに「命」の話をするときばかりは、少し改まるくらいでも良いかもしれません。避妊の話、性感染症の話、中絶の話、そして不妊治療やLGBTの話……。子どもが精神的にも成長したからこそ伝えたい、命と尊厳についての大切な話がたくさんあります。詳しくはぜひ拙著『お母さん!学校では防犯もSEXも避妊も教えてくれませんよ!』(辰巳出版)をお読みいただければと思います。 「精通」をはじめとした男の子の心身の成長についておわかりいただけたでしょうか? 男の子の性教育に迷ったら、ぜひ参考にしてみてください。 イラスト:おぐらなおみ(『お母さん!学校では防犯もSEXも避妊も教えてくれませんよ!』より) 著者:カウンセラー 性教育アドバイザー のじまなみ性教育アドバイザー。とにかく明るい性教育【パンツの教室】協会代表理事。著書の『お母さん!学校では防犯もSEXも避妊も教えてくれませんよ!』(辰巳出版)は7万部を超える話題作となる。著書『男子は、みんな宇宙人!世界一わかりやすい男の子の性教育』(日本能率協会マネジメントセンター)、『赤ちゃんはどこから来るの?親子で学ぶはじめての性教育』(幻冬舎)、『「赤ちゃんてどうやってできるの?」にきちんと答える親になる!』(日本図書センター)。
2021年03月26日マツコ・デラックスやはるな愛など、LGBTのタレントは今やメディアでは欠かせない存在。その道を切り開いたパイオニアが、カルーセル麻紀さんだ。戸籍も身体も男から女へ――。偏見や差別と堂々闘ってきた日々を振り返り言葉の規制が激化する「うるさい社会」を一蹴する。マツコもリスペクト!LGBTタレントのパイオニアでもあるカルーセル麻紀撮影/森田晃博アンティークの調度品や絵画がセンスよく配置された部屋でカルーセル麻紀さん(78)がソファに腰かけてタバコをくゆらす。きれいに手入れされた銀髪のショートヘアに赤いルージュをひいた凛とした風情は、酸いも甘いも噛み分けてきたパリのマダムのよう。「昨年末に閉塞性動脈硬化症で入院したとき、思い切って長い髪を切ったの。金髪に染めようかと思ったんだけど、美容師さんがこのままがカッコいいですよと。だから染めてないのよ、どうかしら?」女らしい仕草で髪に手をやる麻紀さん。15歳でゲイボーイとなり、日本で初めて性転換手術(現在の性別適合手術)を受けた。天性の美貌とキレのいいトークでお茶の間の人気者となり、テレビや映画でも大活躍。今もピンヒールをはいてお笑いと歌謡ショーのステージに立つ。戸籍を男性から女性にしたパイオニアでもある。麻紀さんの自宅を訪ねたとき、折しも東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会森会長の女性蔑視ともとれる発言が問題視され、メディアをにぎわせていた。一連の騒動について水を向けると、麻紀さんはこう答えた。「あー、あのおっさんね、よく知ってるんですけど。ゴルフも温泉も行ったことありますしね。すごく気さくでね、会うと“おう、あんた元気かい?”って話しかけてくれる人なのよ。あの発言を私は蔑視だと思わないわね。女は話が長いってだけのことなのよ。そのとき周りの人たちも笑ってたというんだから。私たちの時代を考えると、セクハラ・パワハラ発言もなんでもアリだったじゃないですか」ジェンダーや性同一性障害という言葉がなかったころ、差別と偏見の目にさらされながら麻紀さんはゲイとして自分の道を生き抜いてきた。「テレビのコメンテーターに“いくら女だって言ったって、オメェ、オカマじゃねえか”と言われてさ、“なに言ってんだ、この野郎!”と暴れて帰ったことは何度もありましたね、生放送で。有名だったんですよ、“カルーセル、生で使うな”って。キレるとテーブルひっくり返して途中で帰っちゃうって。はははは。今はマツコやオネエたちがもてはやされるけど、当時は見世物、化け物扱いよ。自分たちとは違う人間をバカにして笑いものにする演出ばかりで耐えられなかったのね」現在はジェンダーに理解のある社会になったが、昨今の言葉の規制には違和感を覚えるという。「先日もあるテレビ番組に出させていただいたんですが、放送禁止用語がたくさんあって大変ですよ。オカマって言葉、私が言っても駄目なんだから。なんでもね、卑下したり、見下したりして言ってるんじゃないんですよ。ああ言ったこう言ったって、マスコミがバッと突っ込むわけじゃない、それはちょっとどうかなと思うのよね」うるさい世の中になってしまった、人の失敗を許さない不寛容な社会はまた別の差別を生んでいくと嘆く。「オリパラのことにしたって、ロゴのデザインから国立競技場の設計の問題、それにコロナによる延期と、森さんが何とか頑張ってきたのにさ、あそこまでいじめなくてもいいと私は思ったけどね。あれじゃあ年寄りイジメじゃない。みんなが走らないなら、私が聖火ランナーやるわよ。頼まれてないけどね(笑)」直木賞作家・桜木紫乃さん(56)は、麻紀さんと同じ北海道釧路市出身で、麻紀さんの少女時代から芸能界デビューまでの軌跡をモデルにした小説『緋の河』(新潮社)を上梓した。現在、『小説新潮』で続編を連載中だ。「私は麻紀さんがモロッコから帰国したとき、地元の大人たちの反応をリアルタイムで見ていました。みんな寄ると触ると挨拶がわりに麻紀さんのことを話題にしてました。あまりいい語られ方をしていなかった場面も。そういうときの大人たちの表情は総じて卑しかったので、それだけ興味がある人をよく言わないというのは一体なんだろうなと、子ども心に思っていました」麻紀さんとは対談を機に、『緋の河』執筆と並行して、プライベートでも親交を深めていったという。「実際の麻紀さんは大人たちが言っていたような人ではなかった。孤高の人で、ものすごく繊細で。気働きというのはまったくかなわない。夜の街や芸能界で長く活躍するということはこういうことなんだなあと思いました」“お前、コラ”という言葉も人前で求められているカルーセル麻紀を演じているだけで、本当はみんなのお母さんのような温かみがあると話す。「釧路は漁業と炭鉱の町で、わりと外から入ってくる人に対して開けている土地なんですよ。来るもの拒まず去るもの追わずという感じは、麻紀さんの包容力に通じるところがありますね。住みづらくて家出した場所だったかもしれないけれど、自分を貫く土壌というのは、生まれた土地にもあったと思いますしね」麻紀さんがゲイボーイになった10代のころから知っていて、自身もゲイボーイとして名をはせた『吉野』のママこと吉野寿雄さん(90)も麻紀さんの心根をこう明かす。「意志が強いのよ。性転換手術をしたときも自分で決めて特別な相談はなかったわ。そういうところは男らしいの。男にモテたいから女になったけど、中身は男。ゲイボーイの心理というのはなかなか理解できないと思うわ。やっぱりどっかで男っぽさが出ちゃうのよ。私なんかもそうよ」■15歳で家出、ゲイバーへ1942年、北海道釧路市で会社員の父親と家庭的な母の次男として生まれる。太平洋戦争へと突入して約1年が過ぎるころだった。「2歳半で終戦を迎えたので、戦争の記憶はありません。子ども心に覚えているのは、貧乏だったことぐらい。なにしろ4男5女の子どもがいる大家族でしたから。父は“アメリカと徹底的に戦える男になれ、男に徹する男になれ”という願いを込めて、“徹男”と名づけたようです」しかし、厳格な父親の教育方針とは裏腹に物心ついたときには“女の子”だった。「野球より、お人形遊びのほうが断然好きでした。時代劇ごっこではいつも女役。母の着物を引っぱり出して口紅を塗り、姿見の前でうっとりと自分を眺めたり踊ったりしました。自分がきれいであることが何より好きでしたね」そんな自己愛の強い性格を早くから見抜いた父は「この化け物!」と大声で怒鳴り、容赦なくゲンコツで殴った。「典型的な明治の男でしたから、私の行動が理解できなかったんでしょうね」小学生のころのあだ名は「なりかけ」。「おんなになりかけているから」というのが由来だった。中学生になると、今度は「おとこおんな」と呼ばれるようになったという。「イヤだったけど気にしないようにしていたわ。言いたいやつには言わしとけばいいって。イジメられると、幼なじみだった番長に仕返ししてもらったの。彼はケンカも強くてイイ男だったわ。いま考えると情婦気取りよね」14歳のとき、その番長が家に泊まりがけで遊びにきた夜、彼に口づけをされた。「それからお互いの身体に触れ合ったの。お医者さんごっこの延長みたいなものだったけど、初体験の淡い思い出よ」やがて自分の恋愛対象が男性で、「おとこおんな」であることに悩みを抱くようになる。そんなとき三島由紀夫の『禁色』を読み、“麗しのゲイボーイ”として一世を風靡していた美輪明宏の存在を知り、衝撃を受けた。「こういう世界があるんだ!って。世の中で自分だけだと思っていたから。ああ、もう私の行く道はこれしかないわと思ったのね」麻紀さんは15歳で高校を中退し、アルバイトで稼いだお金を元手に家出をする。東京を目指した列車の中で車掌に家出がバレて札幌で飛び降り、『ベラミ』というゲイバーで働き始めた。「着いたその日から店に出て、お酒も飲んでショータイムでダンスも踊ったの。中学生のころから父の日本酒を飲んでいたし、漁港の船員さんたちに可愛がられて、船の中でいろんなステップを教わっていたから、マンボやジルバ、タンゴも踊れたのよ。住み込みで下働きをしながら、この世界の礼儀や接客、それに男の騙し方、悦ばせ方まで、徹底して仕込んでもらったわ」その後、全国各地のゲイバーを転々としたのち、17歳で上京、銀座の『青江』で働くことになる。前述の吉野さんが当時の麻紀さんやゲイバーの様子を話してくれた。「麻紀は女の子みたいで、とてもきれいだった。ゲイバーは上下関係が厳しかったけど、礼儀正しかったから、青江のママにも大事にされていたわ。そのころ、東京のゲイボーイはみんな短髪で着流し姿だったの。街角に立ってるような連中が女装していたからね」そうした男娼への蔑称が“オカマ”という言葉だったのだとか。麻紀さんは腰まであった髪をバッサリ切った。とっさに名乗った牧田徹という名前から「マキ」と源氏名がつく。『青江』に集まる財界人らから粋な遊びや知らない世界を教わった。恋愛ざたなどが原因で転居を繰り返し、19歳で大阪に流れ着く。キャバレーのような大型店『カルーゼル』で働いた。そして、フランスの女優、ブリジット・バルドーを模して髪を金髪に染め、女性ホルモンを打って胸の膨らみとしなやかな身体を手に入れた。「最初は女としておしとやかに接客するんだけど、酔うとつい男言葉でベラベラしゃべりまくる癖があったの」興が乗ると披露するストリップショーもウケ、「ブロンドヘアの面白い子」と評判になった。やがて店に出入りする芸能関係者からも贔屓にされ、大阪OSミュージックホールでヌードダンサーとして初舞台を踏む。“カルーゼルで働く麻紀”だから“カルーセル麻紀”と芸名がつけられた。一流のダンサーしか踊ることが許されない東京の日劇ミュージックホールにも出演。日本テレビの深夜番組『11PM』をきっかけにレギュラー番組を抱える売れっ子となった。歌手や女優としても活躍し、『プレイガール』シリーズや映画『道頓堀川』でも好演している。「27歳のとき、関口宏さんたちの演劇グループ“いもの群”の『いただいちゃってゴメンネ!』に出していただいて、私のセリフでお客さんが泣いたり笑ったりするのを見て感動したの。それから芝居の魅力に取りつかれて、アングラ劇場や前衛的な芝居小屋にも出演したわ。渋谷のジァン・ジァンで公演した『ゲバラ一九七一東京』は思い出の作品よ」活動の合間に銀座のクラブでホステスとして働き、作家の山口洋子が経営する『姫』に在籍していたこともある。「シーンとしてる席があると、なにこれお通夜なの?おい、ドンペリ持ってこ~い!って。それだけでわ~っと盛り上がって、一発でしたよ(笑)」■性転換手術でモロッコに渡航30歳のときモロッコへ渡り、性転換手術を受けた。すでに19歳で睾丸を摘出する去勢手術を闇医者から受けていたが、パリのクラブ歌手、コクシネルがモロッコで性転換手術を受けて男性から女性に生まれ変わったというニュースを知り、自分も完全な女性の身体を手に入れたいとの思いを募らせていたのだ。「女になって愛される歓びを味わいたいという欲望はもちろんあったけど、それ以上に完璧な美でストリップショーをしてお客さんたちを喜ばせたいという気持ちが強くなったの。ちょうどパリに青江の姉妹店をオープンするので、ママをやらないかって話があって、二つ返事でOKしたわ。もちろん目的は性転換手術!」’72年4月にはパリで働きはじめ、10月には性転換手術のためにモロッコへ渡った。青江の同期で、赤坂のゲイバー『ニュー春』を経営する春駒こと原田啓二さん(78)が当時を振り返る。「まだ男性が女性になることが考えられない時代に、神を冒とくするとか頭がおかしいとか言われていたわ。“人間の急所をいじったりして、あんた死んじゃったらどうするの?”と言っても、それでもいいの、私は女になるのと。あの女はね、けっこう気が強いから、決めたら誰の言うことも聞かないのよ」手術は残されていた男性器と肛門の間に孔を開け、造膣するものだった。内部臓器を除いた陰茎の表面を大陰唇および小陰唇とした。陰嚢皮膚は膣壁とし、尿道口は陰茎の根元に形成した。「術後、傷口が化膿して高熱と激痛に見舞われたんだけど、ドクターに訴えても“問題ない”の一点張り。鏡で見て腐ってる部分を取り出して、結局自分で治しちゃった。人間生きようと思えばなんでもできるのね。皮膚の感覚と性感帯は残されたの。それはドクターに感謝しているわ!」帰国後、世間の誹謗中傷に加え、仲間内で陰口を叩かれることもあった。だが、術後初めてのショーで味わった喜びは今でも忘れられない。「それまではショーのときに突起物があったから、ガムテープで前張りしていたんだけど、その必要がなくなったことが何よりうれしかった。ちっちゃい下着で堂々とストリップできるようになったの」2004年10月、性同一性障害者特例法が施行される。性別の変更が認められて戸籍上も女性(続柄は二女)となり、本名も「平原麻紀」と改名。麻紀さんは性転換手術や戸籍の変更をマスコミに公表し、性同一性障害の認定やニューハーフの戸籍の問題を動かす機運をつくった。■手術後、自殺する後輩たちへ麻紀さんを追いかけるように女性ホルモンを打ち、手術をして「女性」になった人たちが後を絶たなかったが、必ずしも望みどおりの幸せをつかんだとはいえない。女性ホルモンの副作用による頭痛や術後の違和感など肉体的苦痛の果てに精神が不安定になり、自殺する人も増えていた。「戸籍も変わって自分は女と思ってるのに、周りは誰も完全な女だと思わないわけじゃない。私はそれを承知してるから、長いことやれてるわけですよ。元男だから価値があるのに、女として完成したと思うから傷ついて死んでしまう。元男だからって、どうして開き直れないのと。ニューハーフの子たちを怒るんです」麻紀さんは後輩たちには絶対、思いつきで手術をしないように諭している。「自分のこと棚に上げてなんだけど、好きな男を手に入れようと思ってやるなら、やめたほうがいい、少なくとも1年はよく考えてからにしなさいと言うの。失敗も後悔もしてほしくないから」作家・桜木紫乃さんは、麻紀さんが“カルーセル麻紀になろうとしてなれなかった人たち”を山ほど見てきて、「なにかしらの負い目を感じてきたのではないか」と話す。だが、そんな麻紀さんにとって、救いとなる出会いもあったと明かす。「一昨年、麻紀さんとギャランティーク和恵さんのお店へ行ったとき、“元男の子で、戸籍も変えて、いまOLやってます”という女性に会ったんです。麻紀さんは、芸能や夜のお仕事をしている人はたくさん見たけど、女の子になって昼間のお勤めをしている人に会ったのは初めてだって驚いていました」その女性は「私、すごく幸せなんです。麻紀さんのおかげです。ありがとうございます」と話し、麻紀さんは泣かんばかりに喜んだという。戸籍を変える第1号として、身体検査やカウンセリングには精神的な負担を強いられた。自分を「障がい」と認めないと通らないような質問をされ、何度も投げ出したくなった。「麻紀さんは“しんどかったけど、あれは無駄じゃなかったんだ、私、誰かのためにひとつでもいいことができたのかな”と話していました。これまでご自身が何を成し遂げたのか、はっきりした手応えをお持ちでなかったことに驚いたのですが、彼女の言葉にとてもうれしそうでした」桜木さんは麻紀さんのことを「死んで花実は咲かない」と誰よりも知っている人で、常に咲いているために最大限の努力をした人だという。■本当に愛した男を女に取られて誰もが麻紀さんを元男性と知りながら、女性としての魅力に惹かれていく。幾多の芸能人や作家、スポーツ選手と浮名も流してきた。麻紀さんが今は亡き俳優・菅原文太さんとの恋を懐かしむ。「文ちゃんがまだあまり売れてなくて新東宝でハンサムタワーズのメンバーだったころから仲よかったの。昔からいい人でしたよ。いつか札幌に仕事で行ったとき、お辰(梅宮辰夫さん)と文ちゃんの飲み会に合流したの。ホステスの女の子が10人くらいいる中、“お~麻紀来たか!”って。2人の間に座らされたのね。女の子たちに妬まれながら、2大スターに挟まれて鼻が高かったわ!」それから何十年も会うことはなかったが、偶然再会する。「亡くなるずいぶん前ですけど、ホテルオークラのレストランで会ったの。こちらはお客さんや女の子たちと一緒で天婦羅を食べてて。お久しぶりですと挨拶したら、おう元気かって。帰るときお客さんが会計しようとしたら、菅原文太さんがもう払っていきましたって。何も言わずにね。あー文ちゃんと思ったわ。それからは会っていません。お礼を言おうと思ったけど」麻紀さんは性転換手術の翌年、31歳のときにパリで知り合った19歳のフランス人青年、ジャンと事実婚をしている。熱烈にプロポーズされ、両親にも紹介された。「麻紀と結婚したい。彼女はもともと男だったけれど、今は手術をして女になっているから」と言うと、父は「わかったよ。麻紀はチャーミングだね。俺が若かったら俺が結婚したよ」と結婚を承諾したという。「ありのままの私を受け入れてくれたお義父さんの言葉には感激したわ。フランスは私たちのようなトラベスティ(女装者)という存在にも居心地のいい国なのよ。でもね、日本で始めた結婚生活は半年で終わったの。こっちはフランス語がしゃべれないし、彼は嫉妬深いし、もう大変ですよ。ちょうど観光ビザが切れるタイミングだったから、トランクに全部荷物を詰めて半ば強制的に帰しちゃった。“オウルヴォアー、オウルヴォアー、またねー”と手を振りながら、小さい声で“アデュー、あばよ”と。その日からほかの男と同棲してたわ(笑)」恋多き女、麻紀さんだが、本当に愛した人はいたのだろうか。「文ちゃんとかお辰は愛とかじゃなくて、ちょっと興味を持たれただけよ。それはわかっているわ」何百人もの男性と付き合ったが、心から愛し合ったのは、2、3人なのだとこぼす。尽くした人が女性のもとへ去り、泣きわめいた過去もある。「いちばん愛した人はね、20代前半のとき、私が長崎で見つけて、東京で一緒に暮らした人よ。銀座で働かせながら、モデルをやらせたりしてね。最後は仮面ライダーまでやっていいところまでいったの」しかし彼の浮気が発覚し半年で別れてしまったそうだ。「夜中にいろんな女から電話がかかってくるのよ。それで “徹出してよ”と言うから、“うるせーこの野郎”と。可愛がっていた妹分の銀座のホステスが“なんで元男のくせに、あんないい男と付き合ってるのよ”って身体張ってくるわけですよ。女にも腹立つけど彼にも腹立つからもう別れましょうって」だが、たとえ裏切られても1度は本気で愛した人。ほとぼりが冷めれば、手を差しのべるのが麻紀さんだ。「別れた後しばらくして、彼がロケ中に事故に遭って。“まこ(麻紀)、バイクでケガしちゃった”と連絡があったの。病院へお見舞いに行って、九州に帰る飛行機代を持たせてあげたわ。その後も九州へ公演に行くと、彼は楽屋に会いに来てくれてね、もうやけぼっくいはなかったけど。いい思い出ね」■父と和解、母と姉の愛情ゲイボーイになって家族から縁を切られ、故郷に帰れなくなる人は多いという。麻紀さんも自由に生きてきた分、家族には迷惑をかけたと振り返る。「“近所の人に『お宅の息子さんオカマになったんですね』と言われて、お母さんイヤだったよ”と言われたことがあります。でも母はそれがお前の生きる道なら、一流になりなさいと見守っていてくれました」確執があった父も麻紀さんが芸能界に入ると、テレビに出演し、盛り上げようと一生懸命しゃべってくれた。「父が亡くなった後、レコードがたくさん出てきて。自転車で釧路中のレコード屋さんを回って何枚も買ってくれていたことを知ったんです。親の愛って深いなぁって思いました。今こうしていられるのは、両親と兄弟姉妹たちが陰で支えてくれたおかげだと感謝しています」麻紀さんは姉の幸子さん(85)と40年あまり一緒に暮らしている。毎朝、幸子さんがつくる果物と野菜のスムージーを飲み、夕飯を一緒に食べる。幸子さんは料理上手で、毎年、麻紀さんの誕生日パーティーにはご馳走をつくってゲストをもてなしてきたそうだ。「今、コロナで仕事がないけど、借金がなくてよかったって。姉がお金のこともきちんとやってくれたおかげなの」麻紀さんの読書好きも、幸子さんが給料日のたび本や漫画を買ってくれた影響だという。一方、幸子さんも麻紀さんには感謝していると話す。「麻紀は私が行ってみたいというところにあちこち連れて行ってくれました。香港で夜景を見たり、映画『ローマの休日』に出てきた場所を訪ねたりもしましたよ」幸子さんの目に麻紀さんがいちばんつらそうに映ったときは、麻薬所持の疑いで誤認逮捕され、仕事ができなくなった時期だという。「家にこもって、“仕事がしたい”と訴えていました。なにより仕事が好きですから」2001年に40日間勾留された。後に冤罪で不起訴になるのだが、麻紀さんが毎年企画から考えてつくり上げている年末のディナーショーなどの予定がすべて中止になった。マネージャーの宇治田武士さん(51)も「ファンや関係者に迷惑をかけてしまったことが、いちばん堪えたようでした」と振り返る。思いもよらぬ空白ができ、麻紀さんは、幸子さんや宇治田さんと冬のパリ旅行に出て、心の澱を洗い流した。「近所の人たちも“麻紀ちゃん、無罪でよかったね!”と新聞に載った“カルーセル麻紀無罪”の記事を見て喜んでくれました。私が無罪だったから、麻取の人たちは全国各地に飛ばされちゃったみたい。でも、留置所にいる間に気心が知れた仲になって。大阪で公演すると、麻取の人が来てくれたのよ!(笑)」「北海道内のゲイバーを渡り歩いていた10代のころ、真冬にストーブもなくて押し入れを開けたら雪が積もっているような部屋で暮らしたこともあるわ。今こんな贅沢な暮らしができて、好きなことをして世界中走り回って、何の悔いもないわ。本当に楽しい人生だったもの。生まれ変わってもまた男でもない女でもない、“カルーセル麻紀”になりたいと思ってるのよ」そう言い切る表情は晴れやかで、湿っぽさは微塵もない。春駒こと原田さんが語る。「麻紀はたとえ湿っぽくなったとしても、自分で解決してしまうからね。いつまでも悲しみとか苦しみを引きずらないのよ。だって、いちばん苦しいのは自分ですから。そうじゃなくてもつらいわけでしょ、男が男を愛してるんだから。自分で諦めるしかないの」原田さんも「また男性に生まれて男性を愛する自分になりたい。結局私たち、自分がいちばん好きな人が多いのよ」と笑い、多くの共通点を持つ麻紀さんのことが大好きなのだと語る。女と男という性別を超え、お互いに人として好きで共鳴し合う関係が麻紀さんの周りにはたくさんある。自宅のリビングルームには交流のあった友人との写真や思い出の品が所狭しと飾られていた。その特等席に置かれた石原裕次郎の遺影を指さし、麻紀さんが語り出す。「裕さんと知り合ったのも銀座のクラブに出ていたから。あの人オカマが嫌いと聞いてたから、席につかなかったのよ。でも盛り上げてほしいとマネージャーさんから頼まれて、端っこの席に座ったの。そしたら“あ、カルーセル麻紀だ”と喜んでくださって」石原はその場で自分の主演映画に麻紀さんを誘い、麻紀さんのために台本を書き換えさせたという。「本当に可愛がってもらった。“麻紀、いま飲んでるから来いよ”と言われたら、なにを置いても同棲してる男を置いても、すっ飛んでいったわ。裕さんとは一線を越えたことは1度もなかったし、そうなりたいとは全然思わなかった。ただ裕さんという人間が大好き、それだけだったのよ」また大親友だった女優・太地喜和子と2人で撮った写真を手に取ると「喜和子はいい女だったよ~」と目を細める。「俳優座にいた峰岸徹の卒業公演を見に行ったときにすごく目立つ女がいたの。それが喜和子で。ロビーに出てきた徹と話してたら、“なんなのこの女、あんたがカルーセル麻紀?”と言われて。それからすごく仲よくなって、このソファでいつも酔っぱらって裸で寝てましたよ(笑)」太地は女優としての麻紀さんを認め、互いにアドバイスし合うこともあったという。「私の舞台を見に来てくれて、すごく褒めてくれたこともあったっけ。喜和子が主演してた蜷川さんの『近松』を見に行ったとき、“あそこで暖簾をくぐるとき、スッと入るんじゃなくて、1回ちょっとためてみたらどうかな?”と言ってみたら、“そうか、やってみるよ!”と言って、次に見に行くと、そのとおりにやってくれてたのよ」2月末、『徹子の部屋』に15回目の出演をした。45年前に初出演したときと同じドレスをまとった麻紀さんを黒柳徹子は絶賛した。「コマーシャルの間に徹子さんに“(私のように)45年前に出た人で、生きてる人います?”と聞いたら、“1人もいませんあなただけです、みんな向こうです”と(笑)。私が長生きしすぎてるのかもしれないわね」あとどれくらいの命が残されているかわからないけれど、あの世で待っている人たちに会えると思うと、死ぬのも怖くないと話す。「でもね、昨年4月にやった脳梗塞も治っちゃったし、12月に両足を手術して、また13センチのピンヒールもはけるようになったの。“タバコは1日3本”を守って、命ある限り舞台に立ち続けたいわ!」好きな仕事をして、好き放題恋をして、男女の違いを飛び越えて多くの人に愛された、人たらしの麻紀さん。雑音はピンヒールで蹴とばして、涙はメイクで消してきた。麻紀さんがみんなを夢中にさせるのは、自分の人生をいつも情熱的に生きているから!取材・文/森きわこ(もり・きわこ)●ライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」
2021年03月20日