ASD当事者であり支援者。自身の特性をオープンに「生きやすく生きる」を支援――公認心理師・難波寿和さん【連載】すてきなミドルエイジを目指して
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――寮ということは集団生活になるかと思いますが、その点は苦ではありませんでしたか?
難波: むしろ、いろんなモデルがいて、いい模倣の場になりましたね。僕はこれまで、「この人をコピーする」と決めた人の話し方や動き方を模倣して学び、問題行動を修正して切り抜けてきたんです。寮生活では、他の人の掃除や洗濯、勉強の方法を模倣し、学ぶことができました。
でも、この学習スタイルには問題があって。理屈がわからないまま覚え、そのまま真似しているから、応用がきかないんです。だから、学校でのテストでは90点取れるのに、模試になると数学2点、のようなことが起きていました(笑)。
――応用がきかないという点、すごく共感します。
高校生は進路を考える時期でもありますよね。難波さんは「モテたい」という理由で心理職を目指したと小耳に挟みました。
難波: そうなんです。当時やっていたドラマを見て、「カウンセラーってモテそうだな」と思った、という不純な動機でした(笑)。
一応、他の理由として「自分はなんでこんな変な生き方をしているんだろう?」と思ったこともあります。自分から関わりに行っても、なぜ人が離れていってしまうのか知りたくて、勉強したらわかるかなあと思い、岡山にある大学の心理系学部に進みました。
――実際に大学で心理学を勉強してみて、いかがでしたか?
難波: 全然楽しくなかったし、「これ、モテるのか!?」と思いました。ユングとかフロイトとか、いろいろ勉強しましたが、もう言葉の意味や解釈がわからないし、なぜそんな心の動きになるのかもわからない。
基礎心理学の方面に行こうかとも思いましたが、数学が苦手なので統計学ができず、それもあきらめました。
そんなとき出会ったのが、発達障害のある子どもたちでした。大学3年生から4年生ぐらいのころですね。はじめはうまく関わりが持てず、「なんだこの子たちは!」と衝撃を受けました。でも、関わっていくなかで「僕と似ているじゃないか」と感じるようにもなったんです。言うことも聞かないし話も通じない、幼少期の僕にそっくりでした。「自分でも、力になれるのではないか」と感じて。そこから、障害のある人たちを支援する職へ就こうかなと考え始めました。
ここだけは、まともな動機でした(笑)。
「支援者」というプライドが受診を遅らせた。仕事のつまずきから30歳を過ぎてASD診断を受ける
――発達障害のある子どもたちが「自分と似ている」